c

第2次大戦別館トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」本館へ   サイト・マップへ

◆◆◆◆◆ポーランド戦
<◆◆◆◆東部戦線
<◆◆◆陸戦史
<◆◆陸戦 目次
<◆大西洋・地中海方面 目次
<WW2 FAQ


 【link】


 【質問】
 第二次世界大戦中のポーランド戦の推移とかについて,詳しい文献あったら教えてください.
 出来れば,戦闘の行なわれた地名と地図が分かるような奴をお願いします.
 地名だけつらつら,と書かれても,だいたいポーランドのどの辺にその都市なり村なりが存在したのか想像できないので,その辺詳しい資料があれば教えてください.
 もしくは,邦版のポーランド地図(当時)とポーランド戦の文献,という形でも,お勧めのものがありましたら,よろしくお願いします.

 【回答】
 入門書としては,歴群の欧州戦史シリーズの『ポーランド電撃戦』でいいんじゃない?

 『失われた勝利』イイ.

 古書の範疇だけど,
『欧州戦乱の真相(附 全譯独逸白書)』S15年 原田瓊生著 明治書房
 年代が年代だけに丸々一冊ポーランド戦役を書いてます.
 9月1日から9月20日までの戦場の推移が,1日単位で図示されていて,戦況がわかりやすいのと,各国の外交文書も付属して載っているので,一読に値するかと.

軍事板
青文字:加筆改修部分

▼御徒町のギャラリーで土日のみ開催の12インチカスタムフィギュアの展覧会,「CUSTOM FIGURE EXHIBITION 2007」より.
 〔略〕
マイミクAKxGRENADIEREさんの力作カスタム群が圧倒してくれます.
faq110516ss.jpg
faq110516ss2.jpg
 これらは全て,既存のフィギュア製品の服や装備に細かく手を加え汚しをかけ,ヘッドを変えて素体までいじった,こだわりのドイツ軍(一番上右だけポーランド)カスタムフィギュアです.

よしぞう maro' in mixi,2007/11/25/06:20
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次世界大戦のポーランド軍はドイツの戦車に騎兵で突撃した話があるんですが,これはドイツのプロパガンダというのは本当ですか?

 【回答】
 騎兵科単独で海軍,空軍以上の予算が割かれていますし,ポーランドの防衛構想では,騎兵を機動戦力の中核としています.
 従って,騎兵の数は軍の中の比率的には多めでした.

 本来なら,ポーランドの戦略は,一線兵力が遅滞戦術を採りながら,動員を掛けると言うものでしたが,ドイツの方が小刻みな動員で大兵力を一気にポーランドに侵攻させたため,その戦略が採れませんでした.

 結果,第一線兵力として騎兵が前面に出る形となり,各個で包囲撃滅されることが多かった為,その様な話もあったみたいです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/12/10
青文字:加筆改修部分

 実際にいくつかのポーランド軍騎兵部隊は,ドイツの装甲部隊に対して騎兵突撃を敢行した.
 ほとんどは戦車の機銃になぎ倒されて一方的に虐殺されたが,機銃になぎ倒されつつも突撃してくる人馬の群に,なにか言い知れない恐怖を感じた戦車兵がパニックに陥って,戦車を捨てて逃亡してしまった,という例も多少あった.

 戦車に向って騎兵で突撃,というのは無謀のようだが,第二次大戦前の武装が機銃だけで無線機を搭載していない為,各車の連携が取れず,また外部視察装置が貧弱なので廻りがよく見えない・・・という戦車に対しては,馬の脚の早さを生かして死角から戦車に肉薄,対戦車手榴弾を投げつけて撃破,という戦術もあながち無茶とは言えないものがあった.
 ドイツ軍はモスクワ前面の戦闘でも,コサック騎兵に上記の戦術でかなりの戦車をやられたりしている(コサック騎兵側の被害も甚大だったが).

 また,大戦初期の戦車には機銃しか武装が無く,照準装置も機銃付属の照準器を覗く穴がついてるだけ・・・というのが結構あったので,(騎兵がそういう戦術を採ってたかはともかく,)対戦車ライフルで機銃の射程外から攻撃する,というのも不可能なことではない.

 ドイツ側資料でなおかつ正確性にいささか疑問がある本なのだが,クルト・マイヤー著「擲弾兵」(学研M文庫,2004/3)冒頭のポーランド戦の章に

> 霧の中からポーランド軍の騎兵がギャロップで現れた.まっすぐこっちをめざし,私の機関短銃でもたじろがない.
> オートバイ狙撃兵が戦闘加入し,馬をいく頭か倒して,やっと勇猛な騎馬部隊は霧の奥に戻っていった.

 という記述がある.
 当時,マイヤーは装甲猟兵中隊長で重装甲偵察車(Sd.kfz234?)と一緒だった.

 また,レン・デイトンの「電撃戦」(早川文庫,1994/11)には,

> ポーランド軍も猛虎のように奮戦したが,ポーランド騎兵部隊と歩兵部隊はドイツ軍の猛攻に切り裂かれ,遥かに古い大時代的な戦い方の中で戦死していった.
> ポーランド騎兵隊はドイツ軍の戦車に向かって突撃し,はなばなしく散っていったのだ.

とある.
 しかし,この後のページではドイツの南北軍集団の動きは語られているが,ポーランド軍の動向については語られていない.

 リデル・ハートの「第二次世界大戦」(中央公論社,1999.8)でもグーデリアン(第19)やクライスト(第22)の軍団と戦ったポモルゼ軍やクラクフ軍,ポズナニ軍の戦いの様相は語られていない.
 ただ当時の各国の政治,軍事情勢が考察された章にこんな記述があった.

------------
 ポーランド軍の軍事思想は時代遅れで,軍の編制も旧式であった.
 機甲師団,自動車化歩兵師団を持たず,対戦車砲,高射砲もきわめて不足していた.
 その上さらに,軍指導部は依然として騎兵の価値を信じ,騎兵の大部隊による突撃の可能性を悲壮に信じ込んでいた.(10)
 †原注10 不気味なほどの皮肉として思い出されるのだが,私(著者)がこの大戦の直前に出版した「英国の防衛」(The Defence of Britain,1939)で,ポーランド軍首脳部が現代兵器よりも騎兵の突撃を信じ続けていることに危惧の念を表明したところ,(97~7ページ),同軍首脳部は正式の抗議文を,ポーランド外務省を通じて送達してきた.
------------

 一方,ポーランド騎兵戦車に突撃は嘘,と主張するある.
 「ナチスドイツの映像戦略」(大日本絵画,1996.8)において著者の三貴雅智氏は,ポーランド戦で偵察部隊の装甲車がポーランド騎兵を撃退したというニュースをドイツ軍の新聞が取り上げ,それがいつの間にか「戦車に騎兵が突撃」という話になった,と言っておられた.
 しかしソースは挙がってなかったような.
 クルト・マイヤーの部隊のことではないかと思うのだが.

Last Great Charge of the Polish Cavalry
は,ドイツの歩兵大隊に対する騎馬突撃に参加した人が書いている話.
 目標となった歩兵大隊には装甲車が含まれており,機関銃で反撃している.
 そしてポーランド騎兵は槍やサーベルで突撃しているが,対戦車砲があらかじめ戦車の反撃のある方面へ向いて掩護しており,さらに重機関銃が突撃支援射撃をしている.

 ということで,騎兵とはいえ,下馬して夜間敵後方に浸透して戦車を破壊するような任務が記憶に残っているが,機会(この場合は森に潜む騎馬旅団の至近を街道に縦列となって進む歩兵大隊だが)があれば突撃もしたということだと思う.

 他にも騎兵の突撃をやりはしたという資料は英語で引けば幾つか出てくる.
 対象は戦車ではなかったかもしれないが,歩兵相手ならしているわけですし,歩兵の脇に戦車がどれだけいたのかという問題になるのでは?と.

軍事板,2004/12/10
青文字:加筆改修部分

 ウィキペディアでも,「戦車に突撃」自体が誤報であり,騎兵の突撃はドイツ軍の進撃を有効に遅らせたとされてますね.
https://en.wikipedia.org/wiki/Charge_at_Krojanty
https://en.wikipedia.org/wiki/Charge_at_Krojanty#Aftermath_and_myth▲

system :軍事板,2018/05/07(月)
system : "5 csatornás" katonai BBS, 2018/05/07(hétfő)

青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész

Polish Cavalry, September 1939
(こちらより引用)


 【質問】
 ポーランド軍の豆戦車TKSが,ドイツ軍戦車を撃破したエピソードについて教えられたし.

 【回答】
 1939年9月17日,カンピノスの森でポーランド軍のオルリック見習士官は,20ミリ機関砲搭載型の豆戦車TKS
(旋回砲塔が無く,車体に直接武装を搭載している豆戦車.20ミリ機関砲は対空用の物を転用した物で威力は大きいが前方にしか発射できない)
で,車体の小ささを利用して藪の中などに隠れ,3両の38(t)戦車
(独軍が使用した軽戦車で,旋回砲塔には37ミリ砲を装備)
を,側面への射撃や至近距離からの射撃で撃破.
 翌日にはさらに7両の38(t)戦車を撃破しています.
(この事実が,ドイツ軍の突撃砲兵や日本軍戦車兵の戦術に,大きな影響を与えた……という話は多分無い)

 このオルリック見習士官の話は,以前に『ナチスドイツの映像戦略』(三貴雅智著,大日本絵画,1996.8)での注釈で見たことはあるのですが,詳細については今回,『萌えよ!戦車学校 Ⅲ型』で初めて知ることができました.
 なんせ注釈では,1988年8月号のモデルグラフィックス誌を参照,とあって分からなかったもので.(「ナチスドイツの映像戦略」の初版は1996年)

 ただ少し残念なのはオルリック見習士官の事について,マンガパートでは21歳の予備役将校で10両を撃破,とあり,本文のほうでは19歳で13両を撃破,とあるのだが,どっちなんだろう?

グンジ in mixi, 2008年08月17日18:13


 【質問】
 カチンの森の虐殺って何?

 【回答】
 カチンの森の虐殺というのは,2次大戦さなかの1940年ごろ,当時のソ連・スターリン政権の決定でポーランド軍将校をはじめとする戦争捕虜ら,2万人以上のポーランド人が銃殺され埋められた事件を総称して言われている言葉です.
 埋葬現場は5カ所あり,43年にナチス・ドイツ軍が初めて大量の遺体を発見した「カチンの森」には,4421人が埋葬されています.

おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)4月12日(月)

 【関連リンク】
「ストパン」■(2010/04/09)カトィンの森事件,和解へ


目次へ

第2次大戦別館トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」本館へ   サイト・マップへ