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◆◆◆◆携行装備総記
<◆◆◆装備総記
<◆◆地上戦 目次
<◆大西洋・地中海方面 目次
<第二次大戦FAQ


(画像掲示板より引用)


 【link】


 【質問】
 ナチスドイツの有名なMG34.42機関銃ですが,wikiに

>過熱した銃身は磨耗を防ぐために250発ごとに交換する必要があり,
>機関銃チームは常に予備の銃身を持ち歩いていた.

との記述があるのですが,これは他の国の機関銃も同じだったのでしょうか?
 また,同じならば航空機の機関銃は交換しなくても大丈夫な仕掛けがあったのですか?

 【回答】
 そもそも野戦で簡単に銃身が交換できるような機関銃というもの自体,MG34/42が初.
 発射速度を見てもらえればわかると思うが,MG34,42の異常な発射能力によるものだから.

 過熱した銃身は磨耗を防ぐために250発ごとに交換する必要があり,理想的な運用状態では,機関銃チームは常に予備の銃身を持ち歩いていた.
しかし,末期のドイツ軍ではそうはいかなかった例もあって・・・)

 同時期の他の国の機関銃は,機関銃自体を半分バラさないと銃身が交換出来ない.
 当然,戦闘中にそんな事やってる余裕はまずないので,予備の銃身を持ち歩く必要もなかった.

 たとえば,アメリカのBAR(機関銃ではないという議論はさておき)は,交換機構がありません.
 日本でも最初の11年式軽機は,銃身交換が実際上は困難でした.
 アメリカのM2重機関銃は,銃本体をバラさなくても銃身が取り外し/取り着け出来るようになっていたが,交換したあとはちゃんと調整しないとうまく作動しなくなるので,戦闘中の交換は事実上不可能だった(やった例はある).

 次第に技術が洗練されて,ドイツのMG34になると非常に交換が簡単になっています.
 これより前に,いわゆるチェコ機銃ZB26は,迅速な交換機構が付いてます.
 銃身上部の取っ手を持ってえいやっと,数秒で換装できました.
 名前のとおり1926年生まれで,MG34よりも古いものです.
 系列のブレン軽機(英国)や96式軽機(日本)以降は,銃身交換が容易になってます.
 そのため日本の歩兵も,予備銃身持って歩いていました.(11年式時代から一応持ってるけど)

 航空機用機銃の銃身は飛行中に撃つ限り,充分に冷却されている(飛んでる限り冷たい風が当たるから)のと,そもそも銃身が加熱するほどには撃たない.
 空中戦で相手を照準に捉えて撃つのなんかほんの一瞬だし,何分何十秒も撃つほどの弾を積んでない.
 航空機関銃は口径にもよるけど,1門あたり400発程度しか持って飛ばない.
 から,あまり問題にはならない.
 一応,「航空機銃」と呼ばれるものは銃身の肉厚を厚くする,ジャケットを冷却に配慮したものにする,などして地上用のものよりは強化されてるのが普通.
 逆に「風が当たってよく冷えるから冷却ジャケットは要らん.重くなるし」と取り外してるものもある(ルイス機関銃とか).

軍事板●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 507
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦時って主にボルトアクション銃を使ってたんですよね.
 一発撃っては排莢,一発撃っては拝莢と……
 一方で携行可能な自動銃(99式みたいな)を持った歩兵もいたみたいなんですけど,そういうのがあるのにボルトアクションを使っていたのはなんででしょう?

 【回答】
 自動火器はある程度大量の弾薬を個人が持ち運べなければ,特性が活かせない.
当時の主力小銃は7.**mm,それも現代のものより薬莢が大きい(より遠くへ飛ぶ事が重視されてたので,装薬量が多い)から,それを20発入弾倉で6個,とか持ち運ぶと死ねる.
 兵士全員がそんな量の弾薬を持ってたら,長距離行軍が出来ない.

 また,それだけの弾薬を常に補充してあげなければいけない,ということで補給兵站にものすごい負担が掛かる.
 当然,弾薬の生産能力が相当に大きくない国じゃないと,その兵站を支えられないし,それに掛かる予算も膨大になる.

 そして,なにより反動が大きいため,連射してもコントロールが効かなくなってしまうから,あまり発射速度の高い全自動にはできないし,セミオートだと熟練者が短時間だけ連発するボルトアクションとあんまり変わらなかったり.
 装弾数が変わらないのでは,セミオートでもあっという間に弾がなくなるから,結局同じ時間あたりに撃てる弾数は同じ,という事になったりした(短時間に連射して多くの弾を撃てる事の利点は大きいが).

 単純に作動の確実な連発式の銃を作る,という技術的難度以外にも,こういう問題があった.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WWUの頃の狙撃兵について聞きたいのですが,狙撃兵の実際の交戦距離ってどれくらいなのですか?
 それと狙撃兵が持っている小銃は特別仕様なのですか?

 【回答】
 ほんの数十メートルって事もあれば1000メートルオーバーも.
 銃は特注や専用もあったけど,本当に精度が高いものはできるのは運なので,実際には大量生産された普通の小銃の中から精度の高いものを選んで使ってたケースが多いです.

 日本の38式歩兵銃は事実上職人さんの手作りなので,時折物凄い質の良いものがあり,今でも欧米のマニアがハンティングなどに使用.弾も生産されています.

 狙撃中の有効射程,この場合一発目でかなりの確率(たとえば90%)で敵を無力化する(数分内に攻撃力を喪失させる)という意味での距離であれば7.62mmの伏射で800m程度というのがおそらく常識的な数字です.

 それ以上で当たることももちろんあり,倍の距離で当てたという話もあるでしょう.
 ただ,まぐれをのぞいて最初に書いたような仕事的意味で言うなら,最大射程として800m程度,それも弾も銃も良い状態で,です.

 実際の交戦距離はそれよりはるかに短く,戦場次第ですが,狙撃兵大活躍の市街戦などであれば100mを割ることさえ珍しくなかったと思います.
 300mも離れれば,狙撃されても,市街ではまず射点を見定めることはできません.
 音が反響すれば,もっと近くても,おおよその方向すらわかりません.
 しかもその距離なら初弾の命中率は大変高い.
 狙撃兵はこわいな.


 【質問】
 WW2のスナイパーはどのように歩兵部隊に組み込まれているのでしょうか? 小銃兵扱いですか?
(軍のいろいろな編成表をあたってみたのですが,該当する項目が見つかりませんでした.)

 【回答】
 一応,分隊の1名は,狙撃兵となり,かつ,グレネード・ランチャーを持って,分隊のミニ砲兵としての役割をするようにはなっていました.
 実際には,規定通りの編成を取る部隊は殆どありませんでしたが.

 ソ連の場合は,分隊9名のうち,隊長と機関銃手を除く7名が狙撃兵と呼ばれていましたが,大戦中期以降は形だけの名前になっています.

眠い人 ◆ikaJHtf2 :軍事板,2005/11/21(月)
青文字:加筆改修部分

 WWIIのドイツ軍に関して言えば,歩兵小隊の小隊本部の伝令兵のうち一名が,望遠スコープ(Zf 42)を装着した98Kを装備しており,純粋な狙撃手として配属されています.
(出典:Alex Buckner "The German Infantry Handbook" (Schiffer, PA, 1991))
 ただし,1943年以降のK.St.N.(戦時編成定数表)の各種の歩兵中隊(Schutzenkompanie)の編成では,この伝令が3名から2名に減員されており,その後も一名がスコープ付ライフルを装備していたかどうかは不明.
 尚,1944年までは,K.St.N.上では,Infanterie(歩兵)の表記ではなく,すべからくSchutzenと表記されている.
 これはあくまでRiflemen(ライフル銃を装備した兵)という意味合いで認識すべき.

Hawkeye in FAQ BBS


 【質問】
 M1ガーランドとモーゼルC96のクリップ装填って,方式が違うんですか?

・ガーランド→クリップ装填のみ可能.クリップをつけたまま撃つ.

・モーゼル→クリップなしでも1発ずつ装填可能.装填したらクリップは抜く.

で合ってますか?

 【回答】
 M1ガランド小銃は,装弾子(クリップ)ごと銃内に弾薬を装填し,8発撃ち終わると自動的に装弾子が排出されます.
 クリップは八発撃つまでは銃内に留まります.
 其のため,撃ち尽くすまでは再装填が出来無い構造です.
 マウザー拳銃のクリップは,同じ装弾子と呼ばれる部品ですが,これは装填するまでに一弾倉分の弾薬を束ねるだけの役割を持っています.
 これは装填時にマガジンフォロアを押し下げる役割も兼ねています.
 従って,クリップは装弾後排除しなければなりません.
 クリップ無しでもボルトを後退位置で保持して弾薬を一発づつ装填出来ますが,クリップが無い状態では非常にやりにくいので,マウザーC96は後期生産型ではクリップラグを残したまま,着脱式の箱型弾倉に移行しました.

三等自営業 ◆LiXVy0DO8s in 軍事板
青文字:加筆改修部分

▼>撃ち尽くすまでは再装填が出来無い構造です.

 オペレーティングロッドハンドルを引いた状態で,エジェクションポートの(射手から見て)左側にあるクリップ・ラッチボタンを押すことで,残りの弾とクリップを強制排出することができるため,撃ち尽くす前の再装填自体は可能です.

 恐らく三等自営業氏が仰っているのは,使用した弾の不足分のみを装填することは不可能という意味であると思います.
 一応,片方の手でオペレーティングロッドハンドルを後退位置で押さえ,もう片方の手で一発ずつ込めていくという事も不可能ではありませんが,現実的な装填方法ではないでしょう.

 下記サイトのM1ガランドの項目に,写真付きで詳しい解説がされています.
http://taka25th.cathand.com/newpage29.htm#1

ピーナッツ超好き in FAQ BBS,2009年8月8日(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 60年前の銃弾って,まだ使えるんでしょうか?

 【回答】
 けっこう長持ちしますので,保存方法が良ければ生きている可能性は十分あります.
 湿度の低い冷暗所(例えば冷蔵庫)で保管すると,百年以上持ちます.
 ただし,ゆっくりと性能が変化していくため,同じ性能が出ないことに注意.

 常温で保管していたのであれば,夏場40度〜冬場氷点下のサイクルに,50年も晒されつづけているのですから,火薬の変質は避けられません.
 不発ならご愛嬌ですが,ヘタすると不時発火の危険もあります.

軍事板,2002/07/19
青文字:加筆改修部分

 ちなみに,かつて中国射撃ツアーというのがありまして,2回ほど参加しました.
 共産圏の小火器はモチロンのこと,モーゼルkar98と三八式も射撃経験があります.
 この三八式ですが,弾薬は戦時中の捕獲品で,5発中2発は不発でした.
 発火しました3発の弾薬も,発火にコンマ数秒の遅れがありました.
 モーゼルのほうも半世紀昔の弾薬でしたが,日本製と違い,発火不良はまったくありませんでした.
 モーゼル・ミリタリー自動拳銃も撃ちましたが,同様に発火不良はありませんでした.

 これは不純物の差でしょう.
 発射装薬は使えても,雷管が不安定なようです.

一等自営業 ◆O8gZHKO. :軍事板,2002/07/19〜07/20
青文字:加筆改修部分

 確かヨーロッパでの不発弾処理話で,英米の弾は経年劣化で大丈夫だが,ドイツ製砲弾だと,50年経っても元気なので要注意との話があったとおもいました.
 さすがドイツというべきか.
 何で読んだっけなー

Call50 :軍事板,2002/07/19
青文字:加筆改修部分

 ディスカバリーチャンネル「爆薬」で,フランス工兵隊不発弾処理が,同様のことを言ってました.
 彼らはWW1の砲弾を処理してました.

一等自営業 ◆O8gZHKO. :軍事板,2002/07/20
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WW2の頃のカナダ,オーストラリア,オランダは,自国でオリジナルの銃を生産しなかったのですか?

 【回答】
 カナダは英国の兵器廠の一つとして,英国の兵器体系に組み入れられていました.
 一応,英国製エンフィールド小銃を小改良しては居ますが,独自の物は作られていません.
 オランダは,一応兵器廠にて生産自体はしていますが,その原型となる小銃は,二重帝国製の小銃で,オリジナルの物を開発した訳ではありません.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2007/08/20(月)
青文字:加筆改修部分

 オーストラリアは1941年に,オーステンと呼ばれる短機関銃を生産しています.
 これは文字どうりオーストラリアのステン銃,つまりステン短機関銃の改良型です.
 さらに,エヴェリン・オーエン中尉が設計したオーエン短機関銃が1941年11月に採用され,45,000丁以上量産されています.
 箱型弾倉が上に突き出している不恰好な銃ですが,かなり高い信頼性を持っていたそうです.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板,2007/08/20(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WW2の英米の銃剣は,写真を見る限り色々あるのですが(英には30年式のようなナイフ型の長い銃剣,スパイク式,米には1905年式,M1,それと刃渡り20糎くらいの中途半端な銃剣),大戦中に逐次更新中だったんでしょうか?
 たとえば,フィリピン緒戦の写真,アイスランド進駐軍,ガ島の,タラワの写真では,1905年式と思われる長い銃剣が付けられていますが,ノルマンディーや沖縄や硫黄島,アンガウルになると,短くて実用的と思われる新型の銃剣を付けてる写真が散見できます.
 銃剣だから補給の問題も無かったんでしょうが,なぜ戦争中にわざわざ更新する必要があったのでしょうか?
 また,英軍の場合,スパイクも刀剣型長銃剣もWW1タイプだと思うのですが,統一しようとは思わなかったのでしょうか?

 【回答】
 銃剣ではないが,小銃について,ガタルカナルに投入された海兵師団がスプリングフィールド小銃から,最初にガーランドへ更新され前線に投入されてるので,前線投入部隊から,小銃にあわせて銃剣も装備を更新していったものと思われる.
 米軍の場合,前線投入前にハワイなど後方の補給地で集結後.訓練を行って投入されてるので.

 英軍については,識者待ち.
 根拠なしの思いつきの理由だと,倉庫にあまってたとか,伝統とか,ロクな合理的な理由を思いつかない.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 現代の兵士はヘルメットと防弾チョッキ,戦国時代の武者は鎧兜に身を固めているのに,なんで第二次大戦の兵士はヘルメットだけで防弾チョッキをつけてないんですか?

 【回答】
 鎧兜では弾を防げず,防弾チョッキはまだなかった(戦場で有用なレベルのものは)から.
 既に幕末の時点で鎧兜は銃弾を防ぐどころか,害にしかならないことが判明したからね.
 前装式ライフル銃の時代.
 火縄銃の時代でも,距離によってはかなり厳しかった.

 そして第二次大戦当時の防弾チョッキは重くて暑いだけで余り役にたたなかったんだ.
 ケブラーもファインセラミックもなかったんだからさ.

 銃弾からの防御というより,砲弾の破片を防ぐ目的の防弾チョッキが登場したのは,ヴェトナム戦争の頃.
 それも軽くて強い素材が登場したから実用化できたこと.

 拳銃弾でなく小銃弾を防御できる防弾ベスト(セラミックプレート入り)は,近年になって登場した.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ZB37重機関銃ってどんなもの?

 【回答】
 1937年,チェコスロバキア陸軍が,シュワルローゼ機関銃に変わる機関銃として制式化したもの.
 シュ機関銃より銃身を延ばし,空冷化したが,銃身はブルーノ伝統の簡単に外して交換ができるタイプのものであった.
 ドイツの占領後は2線部隊で使用され.ZB53と称された.

 【参考ページ】
http://earth.endless.ne.jp/users/mac0115/doitugunn36.html
http://www.wehrmacht-awards.com/forums/showthread.php?t=395423

【ぐんじさんぎょう】,2009/12/09 23:00
に加筆

1/6金属製ZB37重機関銃

 これが実に良い出来で満足.
 ジンク製の銃本体や金属製ベルトリンク,真鍮製の三脚など芸術的で,もうちょっと精度を高めてくれれば,鉄道模型の世界になるんだけどなー.

よしぞう@30西や-12a in mixi,2007年08月17日02:30

faq20cz05mg37zb02.jpg
http://forums.gunboards.com/showthread.php?t=9619より引用


 【質問】
 ドイツ兵はヘルメットのあご紐をしめるのに,アメリカ兵はヘルメットのあご紐をしめないのはなぜですか?

 【回答】
 あご紐をしっかりと締めてると,爆風を浴びた時にヘルメットと頭の内側に爆風が吹き込み,ヘルメットが無理やり吹き飛んでいこうとするために結果,首の骨が折れる.

 そういう事故を防ぐため,戦場ではヘルメットの顎紐はしないのが兵士のたしなみ.

 ドイツ兵の場合は服務規程が厳しかったので,写真に撮るような状況だとみんな顎紐は締めて撮ってる.
 もちろん戦闘時には緩めたり外したりしていた.

 でも顎紐締めないとすぐ頭から落ちるので,最近では一定以上の衝撃が加わると紐が外れる構造になっているものが多い.

軍事板

WW2 ドイツ軍型ヘルメット

WW2 米軍型ヘルメット
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 迷彩服について質問です.
 第2次大戦ではどこの軍隊も迷彩以外の服で戦っていることが多いようですが,迷彩効果のある服を採用できない理由があったのでしょうか?
 ドイツ兵を描いたイラストに,現代の迷彩に近いものを着ているものがあったのですが,前線の兵全体に配らないのはなぜか,という疑問があります.

 【回答】
 まず,コストがかかるので全軍に普及するような数が生産し難い,というのがあった.
 迷彩服つくるより普通の服いっぱい作ったほうが安い.
 第二次大戦が始まるまでは,どこの国も軍縮傾向だったから.

 で,戦争が始まると,ドイツ軍とその同盟国以外は迷彩服の採用が難しくなった.
 何故なら迷彩服を着ていると,遠目に発見されてしまったときに「あ,ドイツ兵だ」と思われて撃たれてしまうから.
 実際,アメリカ軍は迷彩服を採用していたが,「事故」が頻発してあわてて前線部隊から回収する羽目になった.

 また,米海兵が採用したものは,「染め」の技術がいまいちで,使ってる間に白っぽく色が抜けて逆に目立ってしまった.
 技術コスト面の問題も大きかったんじゃないだろうか.

 なお,WW1の頃から,戦場で目立たない色であるカーキ色の軍服に切り替わっている.
 緑系の迷彩だと草木の多いところでないと逆に目立つ.
 戦場の環境に合わせて支給する服を換える,というのはなかなか難しい.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧日本軍以外でゲートルを使っていた軍隊はあるのでしょうか?

 【回答】
 第二次大戦初期の英国陸軍は長い巻きゲートルを用いており,その後キャンバス製の短ゲートルに変更されています.
 ただ,古参兵の中には中後期に至るまで,長い巻きゲートルを用いた者も居たようです.

 イタリアでは,1942年頃までカラビニエーリという憲兵隊に於いて巻きゲートルが用いられています.
 また,海軍のサン・マルコ海軍歩兵連隊には兵士に巻きゲートルが支給されています.

 ソ連では長靴が不足した折に,巻きゲートルが用いられていました.

 フランスでは備蓄の軍装が第一次大戦型のものでしたので,巻きゲートルも支給されています.

 フランスの影響が強かったルーマニアでも同様に巻きゲートルが支給されています.

 チェコスロヴァキアやユーゴスラヴィアも同様です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/06/03(金)
青文字:加筆改修部分

faq46v02.jpg
faq46v.jpg
(画像掲示板より引用)


◆◆◆◆ソ連軍歩兵装備


 【質問】
 大戦中の赤軍は兵士の3人に1人がサブマシンガンを持っていたそうですが,どのような基準で持たせていたんですか?
 こうも数が多いと,分隊長・副長のみというわけにもいかないし・・・

 【回答】
http://www.stormpages.com/garyjkennedy/RedArmy/reduced_strength_rifle_battalion.htm
を参照.

 中段にサブマシンガン部隊(サブマシンガンユニット)という見出しがあり,そこの記述を要約すると,1942年時点で,赤軍ライフル大隊に100名のサブマシンガン部隊が付属するように規定されていた(ただし,充足率のようなものは不明).
 そして,1943年には,ライフル中隊を構成する3小隊中1小隊の装備が,すっかりサブマシンガンに置換されたと書いてある.
 すなわち,兵装の充足率がぐっと高まったと思われる1943年時点において,赤軍の歩兵部隊の3分の1がサブマシンガンを装備していたと考えられるわけだ.
 ついでにそこの記述には,近接戦闘時の火力が高まった変わりに損害を増やすことにもなったと補足的に書かれている.

軍事板,2005/11/22(火)
青文字:加筆改修部分

 蛇足.

 1941年当時では,分隊の兵士の主力は,M1891/30ライフルで,他にDP軽機関銃が1挺,分隊長のみPPSh1941サブマシンガンを装備していました.
 しかしながら,独ソ戦初期に被った人的損害と,大量動員による訓練不足で,特に射撃訓練を必要とせず,更に戦術としても接近戦に主眼を置くものとなったため,サブマシンガンの装備率が向上し,戦車随伴歩兵は,DP軽機関銃手以外は,全員サブマシンガン装備となっています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/11/22(火)
青文字:加筆改修部分

WW2ソビエト小火器一覧

CRS in mixi支隊


 【質問】
 第二次世界大戦時のソ連は銃を2,3人に一挺だったっていうエピソードが,映画「スターリングラード」にありますが,これは独ソ戦全体を通してのことだったのですか?
 それともスターリングラード戦の補給事情が生んだ出来事で,銃が数人に一挺だったのはスターリングラード戦だけだったのでしょうか.

 【回答】
 独ソ戦初期の戦闘態勢が整わなかった時は,ソ連軍ではどこもそんなものだったらしい.
 独ソ戦後半にはウラルの東に移転した工場が生産を増強し,さらにアメリカからの支援物資の輸送が順調になってきたので兵器不足は解消されている.
「ロシア兵はアメリカ製の生地で作られた軍服を着て,アメリカ製の靴を履き,アメリカ製のコンビーフを食べて,アメリカ製のトラックに乗って戦う」
なんて言われたくらい.
 前半の損害について言えば,大量の兵員を損失したことの方が響いていて,戦争終結まで多くの部隊は定員を充足していない状態で戦っている.

 戦争末期にはドイツ軍の方の兵員及び武器弾薬の不足の方が深刻で,国民突撃隊などはそれこそ三人に一丁の銃で,それもイタリア軍からの鹵獲品.
 しかも,しばしば補給された銃と弾薬の規格が合わないなどという状況もおきている.

 ダンケルク撤退後の英軍も火器不足が深刻で,急造型短機関銃を作って(それがステン・ガン)みたり,槍で武装したり.
faq20b02.gif


 【質問】
 ソ連のアサルトライフル開発についての質問です.
 巷ではよく
「AK47はドイツのStG44を模倣して作られた」
とか
「内部の構造は違うが,短小弾をフルオート射撃するコンセプトは借用した」
等といわれていますが,ネットを検索して調べたところ,ソ連で1939年には7.62×39弾の開発が行われていたようです.
 ドイツのMKb42が戦場に出てくるのが1942年ですから,ということはドイツのそれを見る前から,ソ連は短小弾をフルオート射撃する火器を模索していた事になるのでしょうか?

 【回答】
 実は帝政時代にロシアは,フェデロフM1916という小口径弱装弾を用いた,フルオート可能なライフルを開発している.
 曲銃床ではあるものの,これこそが世界初のアサルトライフルとも言われてる.

 AK47がStG.44の影響を受けていないはずがないが,模倣というのは言い過ぎ.
 メカニズムがまったく違う.
 StG.44とその用法,成果を大きく参考にした,というのが正しい.

 ソ連の7.62x39(Soviet M1943)について言えば,反動が軽く,撃ちやすい弾丸として,サブマシンガンの弾薬として1930年代にはソ連だけでなく,フィンランドやスイスでも開発が行われていた.
 他に9x25mm Mauser Export,7.62x32 Mannlicher Carbine,7x44mm Weibelなどが相当する.
 しかし採用されることなく,その後,開発が止まっていたものが,1942年の7.92x33「Kurz」の登場で注目され,1943年に開発が再開され,M1943の制式名となったわけ.

 ちなみにシモノフも,1946年の軍による試験にAvtomat,つまり全自動射撃できるライフルとして参加している.
 この軍公試に参加した際のシモノフのライフルは,写真で見る限り,カラシニコフのAK-46とほとんど同じか,やや長い弾倉を装備しており,単に全自動可能にしただけではなく,装弾数もシモノフAVS-36の15発よりだいぶ多そうだ.
 銃床もAVS-36の曲銃床と異なり,直銃床+ピストルグリップとなっている.

 で,試験をパスしたAK-46に手を加えたものが,AK-47として採用されることになる.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦時のソ連軍の迫撃砲の種類を教えてください.

 【回答】
37mm軽迫撃砲(スコップ兼用)

50mm軽迫撃砲
RM-38
RM-39
RM-40
RM-41

82mm迫撃砲
PM-36
PM-37
PM-41
PM-43

120mm迫撃砲
PM-38
PM-43

160mm迫撃砲
MT-43

 【参考ページ】
http://www.wfyi.org/fireandice/history/weaponry_soviet_ar.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_infantry_mortars
http://www.mortarsinminiature.com/SovietM1938.htm
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=16166(写真も)

50mm迫撃砲RM-41

120mm迫撃砲PM-38 & PM-43

スコップ兼用37mm迫撃砲

(画像掲示板より引用)

【ぐんじさんぎょう】,2009/5/1 21:00
に加筆


 【質問】
 第2次大戦中のソ連軍の手榴弾の種類は?

 【回答】
 F-1 手榴弾
 M1914/30 Dual-Purpose (汎用?)柄付き手榴弾(源文本ではRG-14/30)
 M1917 柄付き化学手榴弾
 RG-1941 手榴弾(源文本のいうRG-41のことか?)
 RGD-1 発煙手榴弾
 RGD-33 Dual-Purpose 柄付き手榴弾
 RTD-42 手榴弾
 RPG-40 対戦車手榴弾
 RPG-43 対戦車(HEAT)手榴弾
 「S」 発煙手榴弾

 【参考ページ】
http://www.lonesentry.com/articles/sovgrenades/index.html
http://www.armchairgeneral.com/forums/showthread.php?t=59443
『武器と爆薬』(小林源文著,大日本絵画,2007.5),p.91

【ぐんじさんぎょう】,2009/3/22 21:00
に加筆

RPG-43
こちらより引用)

(画像掲示板より引用)

ロシア海軍歩兵設立300周年記念本『大祖国戦争の海軍歩兵』より
燃えている海軍歩兵が持っているのが,おそらくRPG-43
CRS@空挺軍 in mixi,2008年03月30日18:22


 【質問】
 バラライカって何?

 【回答】
 「バラライカ」ことPPSh-41(ППШ-41)は,WW2ソ連軍の代表的な短機関銃で,これにドイツからつけられたあだ名が「バラライカ」.
 日本軍は「マンドリン」とあだ名した.
 1939年の第1次ソ・フィン戦争において,近接戦闘時の短機関銃の有効性を再認識したソ連軍が,PPD系短機関銃を量産向きに改良したものがこの銃.
 プレス加工の部品と溶接や割りピンによりネジ留めを減らしすなど,単純な構造としたため,信頼性が向上した.
 1940年12月に制式採用され,終戦までに500万丁以上生産,戦後もしばらくの間,旧東側諸国の主力短機関銃として使用された.

 【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/army/rifle/ur_ppsh41.htm
http://mgdb.himitsukichi.com/pukiwiki/?%C3%BB%B5%A1%B4%D8%BD%C6%2FUSSR%20PPSh41
http://en.wikipedia.org/wiki/PPSh-41
http://ru.wikipedia.org/wiki/Пистолет-пулемёт Шпагина

【ぐんじさんぎょう】,2011/09/04 20:00
を加筆改修

ППШ-41
種類 軍用短機関銃
製造国 ソビエト連邦
設計・製造 設計:ゲオールギイ・セミョーノヴィッチ・シュパーギン
仕様
口径 7.62mm
銃身長 269mm
ライフリング 4条右転
使用弾薬 7.62×25mm トカレフ弾
装弾数 71発(ドラム形弾倉)
35発(箱形弾倉)
作動方式 ストレートブローバック・オープンボルト
全長 840mm
重量 3500g
発射速度 900~1000発/分
銃口初速 488m/秒

占い板,2009/10/29(木)

 なぜ占い板に??

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ソ連軍将兵の軍靴はどんなものだったのですか?

 【回答】
 米のレンドリースで供与された靴は,大半がくるぶしまでのアンクルブーツで,ぬかるみが殆どのロシアの風土に適さないため,車輛運転兵の様な歩く機会の少ない将兵や,後方部隊等の二線級部隊に主に支給され,これらの部隊からの転属兵がゲートルと併用するパターンを除けば,前線での将兵の写真を見ると大半が制式(国産)のロングブーツを履いている.
 このロングブーツ,上半分の「胴」の部分は防水加工された綿で出来ており,通気性と生産性を両立させた優れ物で,その後ソ連崩壊後94年に編み上げ式のブーツに更新されるまで,一貫してソ連・ロシア兵に支給され続けている.

 ソ連の場合,靴もさることながら,それ以外のフットウェアも充実している.
 まず靴の内側だが,一般的な靴下の代わりに,ロシア語でポルチャンキと呼ばれる一種の巻き脚半.
 夏場は綿や麻,冬場はフェルトやウールの端切れさえあれば間に合うし,靴下の様に指先や踵が破れればずらして巻けば良いし,巻き脚半なので通気性も良く蒸れない.
 冬場はさらに上から新聞紙や藁を巻けば,
(某U田氏辺りの唱える¨ブーツの胴の隙間に突っ込む¨なる俗説は誤解に基づくと思われる)
更に防寒効果は高まる.

 次に外側だが,有名な防寒用のオーバーシューズ(¨ワーレンキ¨)の他に,湿地踏破用のカンジキや藁製のオーバーシューズ(ロシア語名は失念)がある.
 これらは何れも同種の目的で作られた特殊靴と違い,もともとある長靴(ロシア語で¨サパギー¨)に被せる形式なので,構造も簡単で生産性も高く,特に後者は前線で材料調達しその場で作れる.

 対するドイツ陸軍は普通の軍靴で,冬季に凍傷確定で酷いと足切断や足の指切断の憂き目に遭ったんで,生存者はヒトラーを滅茶苦茶恨んでる.
 死守命令は諦めが付いても,凍傷の恨みは忘れないようだね.

 皮肉だが,ソ連兵を貶す手合いの常套句¨農夫¨であるが故に,野外での生活やその為の工夫や知恵等の能力でも,ソ連兵はドイツ兵を上回っていたと言って良かろう.

軍事板,2009/06/14(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WW2時のソ連軍軍服について詳しく書いた本を探しているんですが,なかなか見つかりません.
 軍服総合スレッドの方で聞こうか迷ったんですが,何かご存知であればご教授を.

 【回答】
 普通にospreyな場合からいろいろ
http://www.amazon.co.jp/dp/0850459397/
http://www.amazon.com/dp/1846031273/
http://www.amazon.com/dp/1861263708/
http://www.amazon.com/dp/186126822X/
http://www.amazon.com/dp/1861265115/
http://www.amazon.com/dp/0764304623/
http://www.amazon.co.jp/dp/0850451132/
http://www.amazon.co.jp/dp/1841766682/

 そしてなぜか
http://www.amazon.com/dp/1846032911/
http://www.amazon.com/dp/1846031168/

 ただしこれらは,前提知識の「つかみ」としての1番目(それでも45年のNKVDのイラスト等若干怪しげな部分はあるが)を除き,後は掲載された当時の写真が,「着用例」の参考ととして使えるのを除けば,いずれも「軍装」の資料としては余り役に立たない.
 その程度の資料性で良ければ,入手の容易さも考えるなら,グランドパワー別冊の写真集の方が下手すりゃ写真枚数が多いだけよっぽど役立つ.
 とりわけ3〜5冊目は,ハンガリーの軍装マニアによる着用再現が多いが,それ以外のアイテム写真の解説も含め誤解が多い.

 宣伝っぽくてアレだが,今日〜明日にかけて浜松町の都立産業貿易センターで,ミリタリー物販イベントの「ブラックホール」やってて,各種軍装販売ブースのほか,西山洋書や軍事選書堂も出展してるから,そこでマニアでも捕まえて聞いてみたら?
 ちなみに漏れは41年OKH発行の¨Pionierdienst aller waffen:全兵科(共通)工兵作業"を,8500円でget.
 いや〜,ほぼ全文フラクツールだから,読みにくいの何の(笑)

軍事板,2010/01/09(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦中のソ連軍の防弾ベスト,SN-42 body armorについて教えられたし.

 【回答】

――――――
RUSSIAN WWII BODY ARMOR - A FASCINATING FIND

The plates were 2mm thick and weighs 3.5 kgs each. The SN-42 body armor was supplied to SHISBr (assault engineers) and Tankodesantnikam (infantry that rode on tanks) on some tank brigades.
――――――

 まぁ,気休めの防弾性能だな・・・
 砲弾の破片防護を重視した設計みたいだから,その後の6bシリーズにもその設計思想が受け継がれてるのは面白い点だろう.
 右腕を動かしやすいようにしているのがポイント,
 これは面白い.

 昔読んだドイツのティガー乗りのカリウス氏の回顧録に,防弾ベストを着たソ連兵の話があったが,たぶんこの防弾ベストのことを言っていたのだろうか.
 上記にあるようにバリエーションがあるので,一概には言えないけど

全体図

A German WWII corporal wearing the SN-42 body armor, possibly captured from the Soviets. It is said to have saved his life during combat

Finnish soldier wearing a captured early version of the body armor, from Soviet-Finnish Winter Wars (Nov. 30th 1939 - March 12th 1940)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年07月31日11:52


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