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◆◆◆ドイツ陸軍
<◆◆陸戦 目次
<◆大西洋・地中海方面 目次
<第二次大戦FAQ
(画像掲示板より引用)
「2ch.軍事板」◆WW2ドイツ精鋭最強軍団決定スレ
回収すべきレスなし
「2ch.軍事板」◆空軍の陸上戦闘部隊
回収すべきレスなし
Die Bahnschutzpolizei: History and Traditions of Germany's Railway Police(ドイツ鉄道警備警察,英語)
STEINER(WW2のドイツ陸軍と武装親衛隊)
World WarII day by day(独軍編制定数表,英語)
山岳猟兵のページ(相互リンク)
のりっくの戦史資料室(独軍編制,マイナー部隊史)
まけらいおんのホームページ(戦車模型,独軍師団史等)
「ワレYouTube発見セリ」:初音ミクのぱんつぁーりーと ニコニコ動画コメント付
『Panzer Leader』(Heinz Guderian著,Penguin; Re-issue版,2009/8/6)
グデーリアンの回想録の英語訳ですが,英語学習を兼ねて読んでいます.
日本語のは読んだことありません.
あんまり自分の自慢とかせずに,淡々と日誌のごとく戦局の推移を書き綴っていたり,作戦終了後の僅かな余暇の話や,家族のことをたまに書いてあったりするのですが,読めば読むほど凄いおっさんだと思える本であります.
――――――軍事板
『Uniformen der Deutschen Wehrmacht』
ドイツ陸軍の軍装だと,これがお勧めです.
なにしろ当時のマニュアルの再編本ですから,なにかと便利です.
但し独逸語で,しかも全編ヒゲ文字なのが難ではあります.
------------Tempelhof : 軍事板,2001/01/26(金)
青文字:加筆改修部分
『一軍人の思想』(ゼークト著,岩波新書,1940)
ドイツ陸軍再編について,どちらもWW1の教訓というか生々しいトラウマに基き,時代の制約の中で述べた良書.
良書だけに再読を繰り返さないと消化できそうにないので,今回は主題とあまり関係ない瑣末な部分だけ引用.
まずゼークト閣下のお言葉を一つ.
『馬上ポロ競技を軍隊にも採用出来れば,非常に良いと思う』
他人を「無能な働き者」認定するのが大好きな方々には,次のくだりなんか受けるんじゃないでしょうか.
『自国民を故意に無防備の状態に陥れんとする者,正当なる国防の準備に汲々たる国民を支援するよりは寧ろ,敵なる隣邦と結んで国民の力を弱劣ならしめんとする者,――かかる平和主義者は,(中略)宜しく街路柱に首吊られて然るべきである』
(中略)には,『たとえ道徳上の制裁に止まるにせよ,』と入っていることを黙っておけば.
何せゼークト閣下御自ら,
『人間精神がこれと抗争して遂に徒爾に終わるものは,愚昧・官僚主義及び標語(スローガン)の三事である』
とか,
『我々の責任感は,軍事的問題に関して通俗的な標語を無検討に崇拝することを厳に戒めねばならぬ』
とか仰っていますし.
――――――軍事板,2009/11/17(火)
『国防軍潔白神話の生成』(守屋純著,錦正社,2009.11)
テーマは興味深いんだが,著者が,なあ…….
まあ,少なくとも「ドイツ軍賛美」が主流の日本(学会じゃなく大衆レベルのことね)の状況に一石を投じるという意味では,それなりに有益な著作だと思うけどね.
パウル・カレルを読む時には,『国防軍潔白神話の生成』を合わせて読めば,多少は「毒」が中和されるんじゃないかな.
――――――軍事板,2010/02/18(木)
青文字:加筆改修部分
『ドイツ軍名将列伝 鉄十字の将官300人の肖像』(山崎雅弘著,学研M文庫,2009.3)
『ドイツの火砲』(広田厚司著,光人社NF文庫,2002)
著者前書きにもあるように列車砲,装甲列車,対空砲が写真付きで大量に紹介されているのが見どころかと.
対空砲塔・要塞だけに一章が割かれているのも見逃せません.
あと,アレゲな人たち向けには,巻末の参考文献もポイントとなるでしょう.
------------軍事板,2002/11/27
青文字:加筆改修部分
『ヘルマン・ゲーリング戦車師団史』(フランツ・クロヴスキイ著,大日本絵画)
上巻(2007.5)
下巻(2007.8)
最近マイミクさんにもなって頂いた高橋慶史さんの翻訳本は,ドイツ空軍エリート野戦地上師団の全戦史を記録したもの.
原書も持っていますが,やはり日本語で読めるのは,お手軽.
いや~,素晴らしい!
LW地上師団好きとしては,啓蒙書籍が出ることは誠に目出たいものです.
苦節○年,待った甲斐がありました~.
“降下警察部隊”z.b.v.ヴェッケ(ヴェッケ特別部隊)から始った同師団の変わった成り立ちも良く判る前半部でした.
また,翻訳版では高橋さんの貴重なノルウェー戦線における同師団戦車兵写真も掲載され,これからもHG師団の研究に役に立ちます.
それにしても,どうも長らく翻訳作業をお疲れ様でしたm(_ _)m
――――――よしぞうmaro' in mixi,2007年04月12日03:08
『ロンメル語録―諦めなかった将軍』(ジョン・ピムロット著,中央公論新社,2000/04)
ロンメル自身の口述筆記"the Rommel Papers"や,彼の妻へ宛てた手紙などが収録されている.
ただ,今までに出版された多数のロンメル伝記の集大成という感はしないでもない….
功を求める現場叩き上げの闘将だった.
ナチスやヒトラーに最初は極めて好意的だった.
巧遅よりも拙速を尊ぶ行動派だった.
私人としてのロンメルは,誠実な良きドイツ人だった.
でもやっぱり,補給の概念の重要性に気づくのは遅かった.
ぶっちゃけて言うと,元帥ほどの器じゃなかった.
――などなど,これまで知られているロンメル像を覆す新しい発見はない….
どうせなら"Papers"や手紙の収録に徹したほうが,ロンメル太郎としては興味深かったが,これはしょうがないかな.
多く使われている写真は,なかなか面白いものが多い.
アルゴンヌ戦線の塹壕の中で,若きロンメルが仔狐とたわむれている写真は,その後の彼の足跡を想うと,感慨もひとしお.
------------ロンメル太郎 : 軍事板,2001/02/01(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
独系戦記オタ向けの本を教えてください.
【回答】
「バルバロッサ作戦」パウル・カレル著(フジ出版社)絶版
「焦土作戦」パウル・カレル著(フジ出版社)絶版
「彼らは来た」パウル・カレル著(フジ出版社)絶版
「砂漠のキツネ」パウル・カレル著(フジ出版社)絶版
ドイツ軍戦記の巨人.翻訳もすばらしい.
軍事板
青文字:加筆改修部分
「バルバロッサ」と「焦土作戦」は学研M文庫で今も発売中
「彼らは来た」と「砂漠のキツネ」は98年前後に中央公論社から再発売.
これらのドイツ系戦記をあげるなら,
「電撃戦」「失われた勝利」「最終戦」「ヒットラー最後の戦闘」
「擲弾兵」「空軍大戦略」「遥かなる橋」「一番ながい日」「最後の100日」
「バルジ大作戦」「パリは燃えているか」「ラプラタ沖海戦」「バレンツ海海戦」
「ポケット戦艦」「ラスト・カンプグルッペ」「続・ラスト・カンプグルッペ」
「ドイツ機甲師団」「ドイツ戦車軍団 上下」「壮烈!ドイツ艦隊」
「戦艦ビスマルクの最期」「SS戦車隊」「ティーガー戦車隊」
「パンツァーフォー」「ティーガーの騎士」「独ソ戦全史」
「ベルリン陥落1945」「攻防900日」「スターリングラード運命の攻囲戦」
「コンバット」「眼下の敵」「駆逐艦キーリング」「女王陛下のユリシーズ」
「鷲は舞い降りた」「グリーン・ビーチ」「海戦」
も出さないと.
Lans ◆EDLansNRRQ in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
第一次大戦後から第二次大戦までの間の,ドイツ軍の下級将校の教育や人事ってどんな感じですか?
やっぱり日本軍みたいに部隊勤務と術科学校の往復で,優秀な者は陸大や海大に進むといった感じでしょうか?
【回答】
『ドイツ陸軍全史』(学研,2002.6)に載ってるチャートだと,将校の場合,
陸軍幼年学校
↓
(連隊付士官候補生として)部隊勤務
↓
士官学校
↓
(士官として)部隊勤務
↓
各兵科学校
↓
(選抜試験を経て)陸軍大学校
↓
(参謀として)部隊勤務
陸大の選抜試験を受けるのは,少尉任官から5~6年後の大尉昇進時.
参謀になったものは以後,参謀職と部隊指揮官職を経て昇進していく.
マンシュタインなんかはこの典型.
予備役将校は
大学,ギムナジウムなどの学校
↓
(予備士官選抜を経て)予備士官学校
↓
(予備役将校として)部隊勤務
↓
各兵科学校
↓
部隊勤務
ただし部隊勤務は基本的に戦時のみ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
1933~35年のドイツ軍歩兵
(画像掲示板より引用)
【質問】
『電撃戦という幻』は良書なの?
【回答】
タイトルにあるように,電撃戦という途中から出て来たプロパガンダに対し,実態はどうであったのか? という検証を,学者的に徹底的にこれでもかとやり尽くした本.
典拠と巻末地図だけでも,凄い価値がある.
あと,著者はドイツ軍の大佐で,文武両道だから単なる書生/学者論で書いたわけではない.
実戦部隊の指揮もやっている人みたいだよ.
軍事板,2010/02/27(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
『電撃戦という幻』と,レン・デイトン『電撃戦』との相違点は?
【回答】
概略はデイトンのでいい.
ただ,具体論としてのドイツ軍展開や,決勝点の攻防戦,その意味やヒトラーの勘違いについては,「電撃戦という幻」がないと意味が判らないだろう.
あとは抽象論が後者に入っているので,その手の素養に欠ける人が読むと,たぶんチンプンカンプン.
もっというと,デイトンの「電撃戦」は,厳密な意味での歴史学上の資料としての価値はほとんど(まったくかも)ないが,「電撃戦という幻」にはある.
では「電撃戦」が何の価値もないゴミかというとそうではなく,何も知らない者がまず概略を知るには,かなりいい本.
というか,現状,この目的に関してこれ以上の本があるかな?
これ,(なんか召喚呪文になりそうだけどw)パウル・カレルや伊藤正徳の本にも似たようなことがいえるんじゃないかな?
もちろん,ある集団の擁護や「鎮魂」という目的があったことを踏まえて読まないといけない,という指摘は正しいと思うけど.
軍事板,2010/02/27(土)
青文字:加筆改修部分
踏まえて読んで,逆計算が出来る人ってかなりのプロだから,素人がその真似をしても火傷するだけ,という指摘もしたほうはいいかもな.
まずは通史としてちゃんと書かれた本を精読して,展開をきちんと覚え込んだ上で,比較検証しつつ読む,くらいの慎重さがないと……
軍事板,2010/02/28(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
電撃戦は浸透戦術の発展或いは改良なんでしょうか?
それとも全く異なる,新しい戦術思想なんでしょうか?
【回答】
こんな感じ.
---------------
732 名前:名無し整備兵[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 00:09:21 ID:???
>浸透戦術
小部隊が敵の配備の間隙から隠密に侵入し,敵第一線の背後に回るのが「浸透」です.奇襲重視で火力少な目.
当初の浸透とそれに引き続く強襲で敵前線を混乱させ,陣地を突破するのがWW1での浸透戦術ですね.
ここで重視されたのは,浸透した小部隊が後続の攻撃を容易にできるよう,流動的な状況下で独自に判断し行動する能力でした.
もちろん,通信能力や武装,兵站能力のため,自ずから限界はありましたが.
WW2で,防御側はこれに対抗するため縦深を増し,攻撃側はその縦深深くまで入り込めるように装甲化しました.
さらに無線通信や内燃機関の発達により,かつての限界を超えた規模で行動することが出来るようになった攻撃側の機械化部隊が,敵の司令部を上回る速度で状況判断して攻撃を続け,敵司令部の指揮能力を飽和させたのが電撃戦.
モッティ戦術は,長隘路を為す地形と天候を利用し,敵の縦隊の間断を分断して各個に撃破した戦術です.
いずれも,一貫した作戦構想に基づき,小部隊ごと,状況に適した独自の判断で行動させたのが勝因です.
もちろん,そのような独断専行をしつつ,上級司令部の目的達成に最大限に努力する練度の高い部隊が,勝利の基礎ですが.
----------
発展・改良と表現していいと思うけれど,それぞれの言葉が指し示す範囲がやや重ならないところがあるね.
電撃戦が浸透戦術を代替したというわけではなく,視点の違いでしょうか.
平押しではだめで,急所を突いて敵の全体を崩そうという点では,同じ枠組み.
浸透戦術はじわじわと部隊や兵士を流し込むという点に,言葉の要点があり,電撃戦は機甲部隊や空軍の支援により,深く鋭く抉りこむスピードを維持して,敵に対応の余裕を与えないという点が,言葉として強調されます.
軍事板,2009/06/15(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
「基本的な作戦形態の1種の呼称」
機動防御そのものは,別に当時としても目新しい防御ではなかったということですかね?
他にも使ってた軍があるのでしょうか?
機動防御がドイツ軍だけが使っていた戦い方なら,戦闘教義と呼ばれてもいいのではないか?と思ったのです.
また,アクティヴ・ディフェンスやエアランドバトルは実際に戦闘で使用されたのですか?
てっきり米軍の頭の中で考えられただけのものかと.
【回答】
機動防御自体は,目新しいものではありません.
しかし,WW2で機甲部隊が登場した為,機甲部隊の防御的使用として,それ以前の徒歩部隊での機動防御に比べて格段に効力を増しました.
(攻撃側も機甲部隊なので,こっちも機甲部隊じゃないと間に合わないというのも(笑))
WW2独のドクトリンは,明確には規定されていませんが,機動戦というのが当てはまるのではないかと思います.
>アクティヴ・ディフェンスやエアランドバトルは実際に戦闘で使用されたのですか?
結果的にアクティヴ・ディフェンスは実戦ではありません.
しかしエアランドバトルは湾岸戦争(最初の)が代表例となりました.
(本来は防御志向のドクトリンでしたが,もともと攻撃的なドクトリンなので攻勢にも十分応用できます)
Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2009/10/20(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
なるほど,威力が格段に増して目立っただけで,機動防御というのは前からある防御の一つなのですね.
>「WW2独のドクトリンは機動戦というのが当てはまるのではないか」
電撃戦も含めての呼び名ですか?
【回答】
電撃戦も機動戦に含まれます.
機動戦の方が,より普遍的で広範な表現になります.
(よって独専用という意味でもないです)
よく独軍といえば電撃戦と呼ばれますが,実は電撃戦の代表格といわれるフランス侵攻ですが,当時は電撃戦という言葉はなかったのです.
(誰が何時電撃戦と言い出したかは諸説ありますが,一般に広まったのは当時の新聞の戦意高揚報道らしいです)
電撃戦はフランス以降に言われ始めた言葉でして…
そして電撃戦と名うって開始された対ソ侵攻は失敗続き(笑)
こんな感じで,実は電撃戦という言葉は,ドクトリンとして教範などではしっかり規定されてないんです.
(ちゃんと内容自体は教範などにあるのですが,呼称としてわざわざ付けていないので,これ!と規定できない)
したがって,ちゃんと理解としてればは主要な戦法としては,電撃戦で別に問題は無いと思うのですが…
ドクトリンか?とまで言われると,電撃戦も含めた,もっと広い概念で機動戦と呼んだ方がいいかもしれません.
そうすれば,ポーランドやフランスといった大成功を含めて呼べますし(笑)
(特にWW1初頭の独軍快進撃は,機動戦と呼ぶにふさわしいですし,その後も,その流れを汲んでますので…)
(独参謀本部はシェリーフェン萌えの連中多いですから(笑))
我に強い右翼を!ふらー
Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2009/10/20(火)
青文字:加筆改修部分
電撃戦と言えば,もし未読だったら,フリーザーの『電撃戦という幻』も読んでみるといいよ.
Lans氏の
「誰が何時電撃戦と言い出したかは諸説ありますが,一般に広まったのは当時の新聞の戦意高揚報道らしいです」
という部分についての詳しい記述や西方電撃戦の実像,所謂「電撃戦」なるものの正体についてあれこれ論じているから.
信頼度はそれなりに高い.
軍事板,2009/10/20(火)
青文字:加筆改修部分
この手のドクトリンや戦術の話をしたいなら…
陸上戦考察スレッド「戦略」「作戦」「戦術」 その9
軍板住人ならこんなの簡単だよな 第3歩兵大隊
に来ると人がいっぱいいます! います! いるったらいるんです!
ごめん,うそです…
いっぱいいません…
戦術オタはしょせん少数民族…orz
どこも同じような顔ぶれです…
(多分,常駐名無しも含めて…)
Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2009/10/20(火)
青文字:加筆改修部分
192 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/10/20(火) 19:24:26 ID:???
教官クラスが集まってるから気軽に参加できない件.
193 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/10/20(火) 19:26:35 ID:???
そこは書き込むのが恐れ多い件.
196 :名無し三等兵 :2009/10/20(火) 21:06:36 ID:???
住人だけど,内容についていくのが精一杯で,ほとんど書き込めることがない件.
軍事板,2009/10/20(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
佐藤大輔の「レッドサンブラッククロス」二巻で,ロンメルが兵站に対してまったくの無知であったと書かれているのですが,これは事実なのでしょうか?
ロンメルは優秀な指揮官だと思っていたので,少し信じがたいのですが……
【回答】
人物の評価にはいろいろあるわけで,断言はできませんが,少なくともロンメルに対し「兵站を知らない」という批判が,複数の軍事史家から寄せられていることは事実です.
「ロンメルは最高の中隊長であったが,最低の師団長であった」
とは,戦後の証言でよく言われることです.
ロンメル元帥が優秀な指揮官であった事は間違いありません.
だが,それは最前線で部隊を率いる「前線指揮官」としての優秀さであって,高位の指揮官に要求される,「組織を運営する能力」がロンメルには不足していました.
「この地形で敵部隊の後方に廻り込むにはどうすればよいのか?」
といった事を発想するのは得意でしたが,
「一万人の兵士を一週間行動させるには,最低でも21万食の食料が必要で,それを輸送するには*台のトラックもしくは貨車が必要で・・・」
といった事を考えたり想像したりする能力が乏しい人だったようです.
「補給戦」という本の中に,そのものズバリ,「ロンメルは名将だったか」という章があります.
中身としては,北アフリカ軍団が補給不足で悩んだ原因として一般的に言われる,イタリア海軍の努力不足や本国の支援不足といった問題は不当なものであり,補給不足の主要な原因は
1.ヒトラーおよびOKHからの再三にわたる制止を振り切り長距離進攻を行ったロンメル(OKHでは「あの基地外」呼ばわり)
2.1の結果として生じた港湾不足および荷揚げ能力の不足
3.1の結果として生じた余りにも長大な陸上輸送距離(主な輸送手段は燃料食いのトラック)
であるということを具体的な事例と数値を出して示しています.
(ざっくり要約しており,見逃してる点があるかもしれないので是非元の本を確認して欲しい)
ただ,「ノルマンディのロンメル」あたりを読むと(うろ覚えですが),北アフリカ後のロンメルは,そのへん多少考慮するようになっているような印象です.
もっとも,その辺を司令官に替わって考えて計画を立てるのが参謀の仕事な訳で,ロンメルの幕僚だった人間が戦後その事でロンメルを批判するのは,ちょっと間違ってるような気はします.
軍事板,2005/09/07(水)
青文字:加筆改修部分
【参考画像】
ロンメルとマッカーサーが戦った時の様子を伝える,貴重な画像.
faq41m.jpg
faq41m02.jpg
faq41m03.jpg
faq41m04.jpg
そして拳と拳で分かり合う(笑
(from 寄星座,転載元はコミック版「新旭日の艦隊」)
\
【質問】
マンシュタインとグデーリアン,どちらも名将であったことは間違いないと思いますが,監獄にぶち込まれたマンシュタインと米陸軍の共感に収まったグデーリアソ,戦後のこの扱いの差はどういうわけ?
【回答】
ちょっと記憶が不確かだが,43~44年の南方軍集団司令官の時に彼の名前で出された「焦土命令」が戦争犯罪とされたことによるものだったと思う.
(ドイツ軍が後退時にソ連軍に渡さぬため住居や食糧,工業施設などを破壊した行為)
ただし,マンシュタインは白内障など病気を患っていたため,4年で仮釈放,実質的には他の戦犯に問われなかった将軍たちと同じ扱いだった.
当時,米および西欧諸国とソ連の対立が急速に深まっており,東部戦線での行動について西側が追求にあまり熱心ではなかったことも影響している.
さらに,マンシュタインは仮釈放後に米軍に講義を行ったり,軍の再建にあたっては西ドイツ政府の顧問を務めているんで,名誉はほぼ回復されてるといっていいだろう.
【質問】
ドイツ軍の軍集団の移り変わりがわかりません.
自分で調べた限りでは
開戦時:北 中央 南
ブラウ時:南をABにわける.
スターリングラードで第6軍包囲される→ドン軍集団新設
ここまでは合っていると思います.
それ以降をお願いします.
【回答】
それは東部戦線の前半だけ.
軍集団は第二次大戦すべてを通し,西部戦線やイタリア戦線などほぼすべての戦場で編成された上,解散や改称・再編成を繰り返していて,非常に複雑になっている.
たとえばドン軍集団だけをみても,
壊滅状態のB軍集団を併合して南方軍集団
→北ウクライナ軍集団
→A軍集団
→中央軍集団で終戦
と頻繁に変わっている.
よって,ここでは説明不可能なので
http://www.axishistory.com/index.php?id=1108
http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Army_groups_of_the_German_Army
でも見て自分でまとめてくれ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
WW2ドイツ軍の山岳猟兵について教えてください.
【回答】
1935年にドイツは再軍備化を宣言すると,1938年4月に第1山岳猟兵師団を編成,第二次世界大戦終結までに10個師団が創設されて,ノルウェーやソビエト,クレタ,アフリカ,イタリアなどで活躍.
また,武装SSも,1942年に山岳猟兵師団に改編したノルト師団をはじめとする計6個師団,および外国人で構成された山岳猟兵連隊数個を編成した.
ただしこちらは,初期に編成された2個師団以外は,編成完了前に戦場に投入されたり,別の師団に人員を吸収されるなど戦力とならない師団もあった.
【参考ページ】
http://www5e.biglobe.ne.jp/~nord/what.html
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100824_ww2_german_troops_on_the_beach/
http://fw190-pls.web.infoseek.co.jp/7.92/01heer/GebirgsJager/1.html
http://www.wdic.org/w/MILI/%E7%8C%9F%E5%85%B5
http://www5e.biglobe.ne.jp/~nord/ss06.html
SS山岳猟兵「ハンジャ」
Soldiers of the Handschar division wearing
the special collar tab and fezより引用
【ぐんじさんぎょう】,2010/10/10 21:10
を加筆改修
ソ連/ロシア山岳部隊に多大な影響を与えたドイツ軍の山岳猟兵.
やはりどんな装備をしていたのかが,非常に気になりました.
レプリカもありますが,ここはやはり本物を・・・と考え,3ヶ月間探し回った結果,手に入れました!!
これが山岳猟兵の防風・防水ジャケ・・・と??
faq100923mu.jpg
CRS@空挺軍 in mixi,2010年09月19日08:47
【質問】
宣伝中隊って何?
【回答】
宣伝中隊(Propagandakompanie,PK ペーカー)とは第二次大戦時,戦場などでのドイツ軍の活動を,国民に知らしめる為に組織された宣伝活動部隊.
写真、映画、放送、文章など等の専門教育を受けた者が,一般兵士同様の戦闘教育を受けて,前線で記録映画撮影などを行った.
この映像は編集され,『ドイツ週間ニュース』という名で国内で上映することで、戦意向上,占領地住民宣撫,対敵宣伝,作戦欺瞞などを狙っていた.
【参考ページ】
http://www.sams-militariya.com/SHOP/GPCUFF_03propagandacompany.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4499226880.html
http://www.warmovie.com/museum/pamphlet/body/092.html
http://www.ne.jp/asahi/beef/heart/kousen/kousen4.html
http://de.wikipedia.org/wiki/Propagandakompanie
【関連リンク】
http://www.panzerbook.com/geramn/WS-2.html
空軍の宣伝部隊員.場所不明
(http://www.bundesarchiv.de/oeffentlichkeitsarbeit/meldungen/00500/index.html.deより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/05/05 20:20
を加筆改修
この「モスクワへ」は昭和17年1月に発行された東部戦線ドイツ軍写真集で,前年のバルバロッサ作戦発動時から秋ぐらいまでを,PK(宣伝中隊)が記録した写真で構成されていますが,まず驚いたのは,昭和17年にPKについて
“ペーカーとはなんぞや?”
を延々と解説している点.
faq110422ys2.jpg
faq110422ys11.jpg
いや,素晴らしい!
よしぞうmaro' in mixi,2007年11月20日01:44
【質問】
『完全版 図説ドイツ装甲部隊全史』
って,45年型装甲師団の装甲擲弾兵大隊のうち,3個中隊は機械化されてなくて徒歩移動だとか書いてあるんですが,この本はもしかしてトンデモ本ですか?
本当は補給段列のトラック51両で,3個中隊を輸送する自動車化部隊だったはず……
【回答】
編制と編成は違うし,運用も別と思うのですが?
>(本当は補給段列のトラック51両で3個中隊を輸送する自動車化部隊)
それは暫定的な運用であり,編制としては
>3個中隊は機械化されてなくて
は正しいと思うのですが.
さらに,補給段列も各師団毎に,実際の定数が著しく異なって居た事から鑑みるに,自動車化部隊として確実に運用できたか?について,大きな疑問があります.
そもそも補給段列のトラックを,部隊輸送に使ってしまったら,誰が何を使って補給を運ぶのか?という実用上の問題も持ち上がります.
上級組織でも十分な輸送力を持っていた米軍とは違う訳なので.
Lans ◆xHvvunznRc :軍事板,2011/07/19(火)
青文字:加筆改修部分
43年型の間違いなら確かに気になるけど,45年型となると形式上や書類上と実際の編成とが乖離しまくってそうだから,それほど間違いを重視する必要性はあるのか?とは思ってしまう.
45年時点では,装甲師団と言っても,自動車化出来るほど装備が行き渡っていたかは疑問.
歩兵の頭数も不足してたから,編制表上と実数の乖離は大きかっただろうね.
ヒトラーと同じで,紙上の軍隊と化していたんじゃないのか.
45年型編制の師団は,45年3月末から4月に再編成命令受けた師団と,クラウゼヴィッツ,ミュンヒェバーク位で,この時期にまともに装備を受けられるとは思えない.
軍事板,2011/07/19(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
何でドイツ軍の歩兵は擲弾兵って言うんですか?
【回答】
プロイセン時代のエリート部隊である「擲弾兵」にならってヒトラーが呼称を変更した.
プロイセン時代のそれは,小銃を持たずに敵に肉薄し,擲弾(手榴弾の原型)を投げつける役目を持った兵士.
ヒトラーによる改名は,その勇猛さに習えという意味.
しかし,プロイセン時代からの伝統を持つ師団の中には,改名せずに歩兵師団を名乗り続けたものもあった.
軍事板
▼ ドイツ軍で「擲弾兵」という名称のついた部隊を挙げると
装甲擲弾兵連隊→装甲師団内の歩兵部隊で,装甲兵員輸送車や自動車を移動手段として保有する.
装甲擲弾兵師団→装甲師団に準ずる師団で,師団内に装甲連隊よりも小規模な戦車部隊である装甲大隊と装甲擲弾兵連隊を持つ.
擲弾兵師団→大戦後半にヒトラーの命令によって編成された師団で,歩兵師団の名前を変えただけのもの.
国民擲弾兵師団→大戦後半に年齢の高い予備役兵や壊滅した師団の残余,回復した傷病兵などから編成された実質的には寄せ集め部隊.
SS擲弾兵師団→武装親衛隊内で編成された師団で,実質的には歩兵師団(ただし装甲師団や装甲擲弾兵師団もある)
総統擲弾兵師団→大戦末期にヒトラーの護衛部隊を中核に編成された歩兵師団
といったところがある.
この中でエリート部隊といえるのは上の二種くらいで,あとはハッタリでつけたようなもの.
▲
ドイツ軍の擲弾兵の呼称採用に関しては,
・師団レベル
・連隊・大隊レベル
・中隊レベル
によって,時期や適用範囲に幅があり一律ではありません.
まず連隊・大隊レベルに関しては,
Feldheer(野戦軍)では,1942年10月15日をもって,一斉にInfannterieからGrenadierへの呼称変更が行われ,
Ersatzeheer(予備軍)では,同年11月7日をもって,同様の呼称変更がなされております.
師団レベルで Grenadier の呼称が使われるのは,原則1944年7月以降に編成命令,もしくは再編命令が出た第29波~第32波の師団に関してのみで,全師団に対しての一律呼称変更ではありません.
同年の西部戦線で壊滅した各師団,ならびに東部戦線の中央軍集団の崩壊に伴って壊滅・解隊した師団の多くは,再編が発令され,ノルマンディー等西部戦線で崩壊した師団は,第30波師団として,再編当初から国民擲弾兵師団の呼称が採用され,東部戦線で壊滅した師団は第32波師団から改称されているケースが多いと思われます.
例えば,アルデンヌで奮闘した第26国民擲弾兵師団の場合は,
第26歩兵師団:1944年9月10日Kovel近郊で壊滅・解隊
第32波の第582国民擲弾兵師団(1944年8月25日編成発令)が改称し
第26国民擲弾兵師団として1944年9月17日再編発令
となっております.
純粋な歩兵師団が擲弾兵を名乗った特殊な例としては,スターリングラードで壊滅し再編命令がでた,第44歩兵師団が,1943年6月1日をもって『Reichsgrenadier
Division Hoch und Deutschemeister』と改称したケースなどがあります.
一方,自動車化歩兵師団に関しては,1943年6月23日付けで一斉に,Panzergrenadierと呼称変更が実施されています.
中隊以下の呼称に関しては,1944年5月1日付けで発効になった,KStN(戦時編成定数表)の歩兵中隊規定131nではじめてGrenadierKompanieが登場します.
それ以前の歩兵中隊の呼称はSchuezenKompanie(ライフル中隊)でした.
投擲
(うそ)
【質問】
猟兵って何?
【回答】
猟兵は,プロイセン時代には名前通り,猟師だった兵士から選抜されて編成された部隊.歩兵のように隊列を組んで正面戦闘をせずに,遊兵的戦術を取る部隊.指揮官を狙撃したり,奇襲攻撃をかけたり・・・といった任務につく.
第二次世界大戦当時のドイツの「猟兵」というのは「特技兵」(ある任務専業の兵科)という意味.
装甲師団や歩兵師団内で対戦車戦を専門とする装甲猟兵.
他国でいう空挺師団である降下猟兵師団,山岳部での作戦を主任務とした山岳猟兵師団など.
軍事板
また,LechtInfanterie(軽歩兵)師団から猟兵師団へと改称されたものもあります.
これは,山岳猟兵師団が本格的な標高の高い・寒冷なアルペン地帯での戦闘を考慮し,訓練・装備がなされていたのに比し,比較的標高の低い山岳地帯での戦闘,具体的にはバルカン半島での,山岳戦闘を念頭に置いて編成されました.
編成上の特性として,編成当時(1942年)の一般的な歩兵師団が3個歩兵大隊からなる歩兵連隊3個で編成されていたのに比べ,2個連隊での編成で,各連隊本部に,山岳補給段列が組み込まれています.
装備面では,師団砲兵連隊には155mm重砲がなく,105mm山岳砲が配備され,分解運搬して山岳地域での戦闘に対応することが前提でした.
もっとも,実際には第100猟兵師団のように,一般の歩兵師団と同様にみなされ,スターリングラードで壊滅したケースがあり,編成の当初目論見通りの運用がなされたわけではありません.
【質問】
第二次大戦中,ドイツの陸戦兵力は,本家陸軍の他に武装親衛隊と空軍野戦部隊がありましたが,陸軍以外の陸戦兵力の存在は,補給・指揮・運用の点から面倒で不合理ではなかったのでしょうか?
それとも,陸軍とは別に大規模な陸戦兵力が存在する事に,何か意義があったのでしょうか?
陸軍と海兵隊ならまだ任務の違いがあるでしょうが,陸軍・武装親衛隊・空軍野戦部隊は任務が完全に重なっているので,いっそのこと全部陸軍にまとめて一括運用した方が良かったのでは?と思うのですが.
【回答】
意義はありません.
単なる派閥争いです.
馬鹿馬鹿しいと思うかもしれませんが,ドイツ第三帝国の政治基盤は一枚岩ではなく,要人や各政府機関の間で熾烈な権力闘争が行われていたことに留意しないと,そのあたりの事情が分からなくなります.
ただし,装備の提供は陸軍の専管事項なので,これらの部隊は陸軍を通じて装備を受け取っています.
軍事板
御徒町のギャラリーで土日のみ開催の12インチカスタムフィギュアの展覧会,「CUSTOM FIGURE EXHIBITION 2007」より.
マイミクYAS!さんによる,SSと国防軍兵士.
土の匂いがする様な,独特のウェザリング処理やペイントが目をひき,
faq110516ss4.jpg
よしぞう maro' in mixi,2007/11/25/06:20
青文字:加筆改修部分
【質問】
ドイツ軍の師団番号や軍団番号ってどういう規則でつけられてたんですか?
第600師団とか,どうみても600個も師団はないだろうし,第47装甲軍団とかも,国防軍の全装甲師団合わせても30個もないから,変だと思うのですが.
【回答】
『ドイツ陸軍全史』によれば,戦前に編制された師団は師団番号一桁が所属する防衛郡(ヴェーアクライス)の番号で十桁が師団の編制順番号.
たとえばベルリンの第III防衛郡に所属する師団は第3,第13,第23師団となり,戦時には第III防衛郡司令部が第III団司令部となる.
その後の開戦直前および開戦後に編成された師団は,編成波(ヴェレッカム)ごとに十桁や百桁の数字をそろえた番号がつけられた.
第1波は開戦前からの師団で第1~46(欠番あり)
第2波 50~70(同上)
第3波 200~
第4波 200~
(省略)
第10波 90~ 100~ 200~ 300~
この他に
国境地帯の防衛師団 500~
郷土防衛選抜歩兵特務師団司令部 400~
など
装甲師団は歩兵師団と別個の番号がついているが,第16装甲擲弾兵師団から改編された第116装甲師団のような例外もある.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
WW2のドイツ機甲師団の自動車化歩兵大隊の編成は?
装甲車中隊の編成はみつかったのですが,トラックによる編成はわかりません.
あと,メインに使用されていたトラックについてもしりたいです.
【回答】
当時の自動車化歩兵大隊は4個中隊編成で,1~3中隊は
重機関銃4丁,
軽機関銃18丁,
迫撃砲2門,
対戦車ロケット2門を装備,
第4中隊は
迫撃砲6門,
機関銃3丁,
軽歩兵砲2門,
対戦車砲3門を装備する重火器中隊となっております.
使用されていたトラックは,オペルブリッツとメルセデス300型が主要な車種だったと思います.
『第12SS装甲師団史』のドイツ語版と英語版には,師団の編成表が掲載されており,自動車化大隊の編成もそれでわかります.
(日本語版は表が割愛されています)
軍事板,2005/01/21
青文字:加筆改修部分
自動車化歩兵
(画像掲示板より引用)
【質問】
43年編成独装甲師団と歩兵師団の,師団司令部とその隷下の部隊の定員について教えて下さい.
【回答】
>43年編成独装甲師団
1943年9月24日付,定数13,725名の歩兵師団
凡例(士官/下士官/兵卒)
師団本部(32/31/78)
本部中隊(3/37/179)
装甲通信大隊(16/103/396)
装甲偵察大隊(27/223/692)
戦車連隊(69/553/1039)
装甲擲弾兵連隊(装甲)(64/436/1794)
装甲擲弾兵連隊(自動車化)(61/410/1787)
装甲砲兵連隊(69/365/1215)
対空大隊(22/142/600)
戦車猟兵大隊(20/166/327)
装甲工兵大隊(24/118/743)
師団支援部隊(64/292/1529)
>43年編成独歩兵師団
44年型歩兵師団編成の場合,戦車猟兵大隊の編成にヴァリエーションがあるので,以下はTypeIIの戦車猟兵大隊の場合を書いておきます.
凡例(士官/下士官/兵卒)
師団本部(34/87/106)
フュージリア大隊(15/113/580)
通信大隊(16/80/283)
▼装甲偵察大隊(27/223/692) ▲
擲弾兵連隊(48/316/1644)X3
砲兵連隊(85/460/1906)
戦車猟兵大隊(17/123/344)
工兵大隊(18/92/510)
師団支援部隊(58/219/1181)
【質問】
WW2後半のドイツ軍師団の編制は?
【回答】
1944年12月16日時点でのドイツ武装親衛隊
第1SS装甲師団編制.
(独:1. SS-Panzer-Division "Leibstandarte
SS Adolf Hitler")
44年の12月16日といえばあれだ.「ラインの守り」作戦時の編制ですよ.
第1SS装甲師団司令部
・第1SS戦車連隊
・第1SS装甲擲弾兵連隊
・第2SS装甲擲弾兵連隊
・第1SS装甲砲兵連隊
・第1SS装甲捜索大隊
・第1SS装甲工兵大隊
・第1SS装甲猟兵大隊
・その他諸部隊
臨時配属
・独立第501SS重戦車大隊
・空軍第84突撃高射砲大隊
各戦闘団主要部隊
パイパー戦闘団
・第1SS戦車連隊※1
・第1SS装甲擲弾兵連隊第3大隊
・第1SS装甲工兵大隊第3中隊
・第1SS装甲砲兵連隊第2大隊※2
・空軍第84突撃高射砲大隊
サンディッヒ戦闘団
・第2SS装甲擲弾兵連隊(主力)
・第1SS装甲砲兵大隊第3大隊
・第1SS装甲工兵大隊(主力)
・第1SS高射砲大隊
ハンセン戦闘団
・第1SS装甲擲弾兵連隊
・第1SS装甲砲兵連隊第1大隊
・第1SS装甲猟兵大隊
・第1SS装甲工兵大隊第1中隊
・第1SS高射砲大隊(一部)
クニッテル戦闘団
・第1SS装甲捜索大隊
※1=1個大隊欠.軍団直轄のSS第501重戦車大隊配属.
※2=作戦に参加せず
参照:歴史群像アーカイヴVol.2 ミリタリー基礎講座
戦術入門WWⅡ P.48~49
でもまぁ,グデーリアンの求めた‘‘理想の装甲師団’’を実現したのはアメリカという.
歩兵部隊は全て半装軌化・装甲化.野戦砲兵も自走化.工兵等の支援部隊も半装軌化や自動車化されてるってのは,国力の差だわな.
邪夢@蛸神教 in mixi,2009年04月06日00:31
修正:09年 4/6 1:31
【珍説】
補給がロバのドイツ機甲師団は,結果として鉄道沿いでしか戦え無い.
そしてこれはソ連軍も同じだ.
そうなると戦車の生産数が多いほうが勝つ.
補給がロバである限り,ドイツに勝ち目は無かったのだ.(少佐)
【事実】
東部戦線でドイツが輸送用に軍馬や挙句の果てにラクダまで使用したのは,トラックがないからでは無く,運送にトラック自体が燃料を消費してしまう為.
また,進撃速度が鉄道敷設よりはるかに上回ってしまった為.
アメ公なら空輸で楽勝でしょうな.
6発エンジン付きの輸送機「ギガント」が,空一面の後方輸送,という光景希望.
【質問】
1)WW2での軍隊の「住」に関しての質問です.
例えば東部戦線のドイツ軍などのように急進撃,撤退をした軍隊は一箇所に留まることはほとんどなかったように思いますが,彼らはほとんどがテントで暮らしていたと考えていいのでしょうか?
数年間に渡ってテント生活というのも,ちょっと考えづらい気もするのですが.
(塹壕での生活なども映画などで見たことがありますが,長期間留まることはなかったでしょうし,ホテルや民間施設の接収も,幸運な場合だけに思われますので.)
2)テント暮らしが主流だとしたら,その輸送などは一般兵がやっていたとは思えないのですが,師団や連隊規模でテントの輸送,設置を行う部隊があったのでしょうか?
【回答】
1)まず急進撃,撤退といっても何年も移動しっぱなしということは無い.
また自動車化などされていない歩兵師団だと,そこまで急進撃はしていない.
塹壕は,戦線が停滞すれば,その間ずっと留まることになった.
ホテルはともかく,民間施設(というか,民家)の接収はごく当たり前に行われていた.
というか,戦場になった村などに避難もせずに留まる民間人は少ないわけで,住人が避難して空き家になった民家で兵が寝泊りするのはごく普通にあった.
鉄道移動中なら列車の中か駅で寝泊りした.
2)ドイツ軍の場合,歩兵各人に1つずつ支給されていたポンチョとポールを4枚組み合わせるとテントになった.
また,師団には補給部隊が所属しており,弾薬,資材,糧食や生活補給品といった各種物資を輸送する.
WWIIの独軍は,中隊単位で補給段列があり,その内の後方段列が兵士の私物(替下着,コート,毛布等)を運搬していた.
通常の行軍時には,この後方段列は連隊単位で纏まって移動し,戦闘区域内にはいると中隊本体の3~5キロ後方で待機.
尚,中隊の宿営場所の設定・設営などは,この補給段列の指揮を執るHauptfeldwebel(先任曹長)の役目.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ドイツ兵が食べていた食事はどんなものなの?
【回答】
ドイツ軍のパンといえばコミスブロートというライ麦パンが有名.
製法がとても簡単で,しかも普通のパンより腹がふくれるとか.
当時のドイツ軍はそのコミスブロートにラードをぬって食していたそうな.
軍隊の食事がパン食主体ならば,普通は製パン部隊が存在する.
焼きたてのパンを最前線に届けるため,なるべく戦場に近いところへ展開するので,よく襲撃の目標とされたようだ.
赤軍兵士が独軍の製パン部隊を襲撃し,黒パンを奪って食べたら不味かったとの話もあるし,ノモンハン事件でもソ連の製パン部隊を,日本軍が攻撃目標としたことがあった.
あと,アイントプフというものもある.
これはドイツ風のごった煮みたいなもん.
戦局が苦しくなった時期からは,安価で作れる食事として,ドイツ国民の主食としても奨励された.
軍事板
青文字:加筆改修部分
パン食
(朝目新聞より引用)
【質問】
WW2中,ドイツ軍は食肉をどのように調達していたのか?
【回答】
「シュタイナーのホームページ」によれば,1個師団につき1個の屠殺中隊 Schlaechterkompanie
というものがあり,後方で家畜類解体,ソーセージ生産などを行っていたという.
屠殺前には獣医の検査が行われ,加工品に関しても顕微鏡検査が行われ,問題ないと認められたものが部隊に配給された,と同サイトは述べている.
詳しくは同サイトを参照されたし.
もっとも,最前線で「食糧コマンド」が調達してきたハトや蛙などについては,その限りではないだろうことは,容易に推測できる.
【関連リンク?】
「裏日本」:「AFP」:ドイツ軍の料理人,自らの血液で作ったソーセージを食べて停職に
屠殺中隊
(うそ)
(画像掲示板より引用)
ソーセージの作り方
(高橋葉介『腸詰工場の少女』より引用)
【質問】
以前読んだ何かの本で,WWⅡのドイツ軍が食料の補給を受けている写真で,「加工肉」なるものが写っていました.
白黒の不鮮明な写真を見ていると,大きな缶に入ったミンチかコンビーフみたいな感じでした.
この加工肉とは,どんな肉なんでしょうか?
一般的には,ハムとかソーセージを加工肉に言うようですが,写真を見る限りではそんな感じはしません.
ご存知の方,教えてください.
【回答】
食料関係の資料が,実際問題としてありません.
不思議です.
「砂漠の狐」ではAM記載された,ドイツ軍の牛缶が出てきます.
味付けは不明.
ドイツ兵はアルターマン(おじいさん)と呼んでると書いてありました.
写真の物はこのAMでしょう.
ドイツ陸軍では,一個中隊に一個の野戦炊飯車が配属されるのが,理想的とされていましたが,その炊飯車さえ不足しており,大隊本部が一括管理して,食事の手配をしていたようです.
肉類は牛と豚が主で,生肉はシチューかスープ.大部分はソーセイジあるいはハムです.
つまり,保存が効くことが一番だったようです.
野戦では運が良ければ,一日一度はシチューかスープで,後は軍隊パンにバターで,バターもあればいいほうで,ラードかヘッドつまり豚の脂か牛の脂です.
兵隊は個人で,バター容器や塩にコショウー入れを持っています.
それと,コーヒーも必ず支給されました.
代用コーヒーかな?
それから個人で簡易コンロは持っており,固形燃料を使います.
現在のドイツ軍も同型のコンロを使用しており,アウトドア用にも売っています.
イズビット(固形燃料の名前)
一等自営業 : 軍事板,2001/06/10(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ドイツ軍の中にカンプグルッペという部隊があるそうですが,何の部隊なんですか?
検索しても,本の名前とかや断片的な情報しかでてこなくて……
【回答】
ドイツ語の kampf gruppeは直訳すると「戦闘グループ」.英語のタスクフォースに相当する.
固定的な単位を指すものではない.
あくまで臨時に編成された部隊で,特定の任務(攻撃や防御)などを果たすために編成され,通常その任務が終了すれば解散して,指揮下にあった部隊は,それぞれの上位部隊に復帰する.
たとえば敵地に侵攻する場合,戦車部隊だけでは歩兵の攻撃に対して脆弱となる.
そのために戦車部隊に歩兵部隊や砲兵部隊などを必要に応じてつけ,一人の指揮官がそれを統合指揮する.
本来縦割りの組織である軍隊の諸部隊を,一つの指揮系統下におくことで,独立して任務を遂行することができる.
この他に,師団や連隊が大損害を蒙ったり,防衛戦などで二つ以上に分ける必要が生じた場合などにも,部隊を寄せ集めて臨時に編成する場合もある.
Kampf gruppeは中隊程度から軍団規模までさまざまな例があるが,連隊規模の場合が多く,指揮官の名前をつけてたとえばカンプグルッペ・パイパー等の名前で呼ばれる.
有名なkampf gruppeには,バルジ作戦で活躍したカンプフグルッペ・パイパー(SS連隊指揮官ヨッヘン・パイパーの指揮する機甲戦闘グループ=旅団規模)などがある.
会社で言えば,営業部とか総務部が通常の歩兵連隊が砲兵連隊.
営業部や製造部から人を割いて,新製品開発の為に作られたプロジェクトチームがカンプグルッペ.
【質問】
WW2ドイツ軍に,インド人義勇兵はいたの?
【回答】
1941年,チャンドラ・ボースがベルリン入りして,「インド仮政府」樹立のための活動を始めると,国防軍はボースの活動を全面支援し,1941年9月にはインド人留学生のブランデンブルグ隊員がボースのもとに配属され,総勢わずか10名ながら「自由インド軍団
(Freies Indien Legion) 」が創設された.
12月にはボースは,捕虜となっていた英軍インド兵の中から義勇兵を募集し,1942年9月,自由インド兵団は「第950インド歩兵連隊」という名称で,ドイツ軍に正式編入された.
この時点で連隊はヒンドウー教徒1503名,シーク教徒516名,イスラム教徒497名,その他少数民族77名の合計2593名で構成されていた.
一部がイタリア戦線へ送られた他は,ノルマンディで防備に当たっており,1944年8月には武装SSの管轄へ移されたが,戦力的に信頼されていなかったようで,特に実戦を経験することもなく,最後は米軍と自由フランス軍に降伏した.
ぴんちのときにはヨガ・ファイアーで反撃する(うそ)
【参考ページ】
http://www.eonet.ne.jp/~noricks/sub03/950Rgt.html
http://ona.blog.so-net.ne.jp/2010-11-01
http://en.wikipedia.org/wiki/Indische_Legion
http://en.wikipedia.org/wiki/Battaglione_Azad_Hindoustan
http://de.wikipedia.org/wiki/Indische_Legion
faq101121in.png
faq101121in.jpg
(http://en.wikipedia.org/wiki/Indische_Legionより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2010/11/22 21:20
を加筆改修
最近イタリアで出版されたばかりのドイツ軍インド義勇兵部隊本より
これは先日,来日して一緒にチャンドラ・ボースの墓所を訪ねたイタリアの友人が送ってくれたものですが,ドイツ軍装着用のインド人の未発表写真も多く,またイタリア駐留部隊の記録も在り,結構良書でした.
この虎の襟章の使用写真は,ここで初めて見ました.
まだまだドイツ軍外人義勇部隊は,これからも調べがいがありそうですねー.
それにしても何故,インド義勇兵達は皆,白ターバンを巻いているのか?
全員シーク教徒だから?
それともシーク教徒の比率が高いから?
謎ですね.
よしぞうmaro' in mixi,2007年10月28日19:34
青文字:加筆改修部分
インド自由軍については,「Freies IndienーEine
Indische Maerchenー」と言う本が,ドイツから出版されていたそうです.
現在絶版.
私も探しています.
【質問】
Hivis〔Hilfs Freivilligesの略,(ロシア人の)補助志願兵〕の扱いはどうだったの?
【回答】
ヒヴィスについては,対ソ諜報課のラインハルト・ゲーレンが詳しく書いているな.
見込みではドイツがスターリンより,ほんの少しでもスラブ人に対する寛大さを示すだけで,ソ連はスターリン政権が維持できないほど多くの対独協力者を出したはずで,それだけ不満が溜まっていたソ連国内に,史実程度の離反者しか出なかったのは,ドイツが彼らに何の権利も与えなかったからだと.
人種政策からスラブ人を抑圧することで,ドイツはほぼ唯一の勝機を自ら捨てたというのが,『諜報・工作
ラインハルト・ゲーレン回顧録』で述べられている主旨.
「ロシア解放軍」を組織したシュタウフェンベルク少佐とヘレ参謀は,ヒヴィスに正規軍並みの扱いをするよう,上層部に意見具申したが,その結果,シュタウフェンベルクはアフリカ戦線に飛ばされる羽目に.
同地で片目・片腕を失い,帰国した彼が,ヒトラー暗殺を計画するようになったのも,無理からぬ話.
ヒヴィスに関しては,
『幻影 ヒトラーの側で戦った赤軍兵たちの物語』(ユルゲン・トールヴァウト著,フジ出版,1978.4.25)
に詳しい.
軍事板,2010/05/03(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ゲベルスが作ったと言われるSS(アルゲかヴァッフェか忘れた)特殊部隊「ヴェア・ヴォルフ」と言うのがありますが,どんなものか分かる方,御願いします.
【回答】
末期のヒトラーユーゲントと老人部隊の寄せ集め.
主要武器,パンツァーファウスト.3人に一丁の拳銃.信号弾用ピストル.
・・・要するに,ゲッベルスの宣伝です.
アルプス要塞も,アイゼンハワーの耳に届くまで内外に宣伝しましたが,実際は炭坑だか塩坑に武器弾薬をちょっぴりと,略奪美術品,ライヒスバンクの金塊等をためこみ,敗戦と同時に,好き勝手にもちだしました.
アルプス要塞は,軍事的に無価値でしたが,ナチス残党の逃亡のための資金の集結基地としては有効でしたね.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ゲーリングが降下猟兵に固執した理由はなんでしょうか?
【回答】
自らの権限の拡大と保持のため.
ナチスってのは,ヒトラーの独裁政権であると同時に,非常に上層幹部の封建領主的な性格が強い.
ゲーリングの空軍&航空産業やヒムラーの親衛隊のように,案外にヒトラーが執拗に介入してこずに,自らの「王国」のように振舞える領域があったわけです.
彼らにしてみればその「王国」を拡張したい.
特に,ゲーリングは戦前は国防大臣になるのを渇望していたように,国防軍(陸軍)もその傘下に収めたがってました.
(その当時の国防大臣ブロンベルクに陸軍関連の経験や知識を半可通呼ばわりされて,一蹴されてしまいましたが)
そこで,新兵種たる落下傘降下兵(降下猟兵)が設立されたときに,あの手この手で,自らの「王国」である空軍の管轄にしちゃったわけです.
で,一度,手に入れた権限は絶対に離そうとしない.
むしろ,そこから空軍管轄の陸上兵力を拡大するという行為におよび,空軍野戦師団やら,ヘルマン・ゲーリング装甲師団やらも生まれてくるわけです.
軍事板,2006/04/19(水)
"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/19(szerda)
青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész
メリーゴーランドでご満悦なゲーリング
模型船を浮かべてご満悦なゲーリング
国会議事堂放火事件の裁判で,ディミトロフにけちょんけちょんにされてしょんぼりなゲーリング
ベタ藤原 in 「軍事板常見問題 mixi別館」
【質問】
WW2のいわゆる西部電撃戦において,ドイツ軍が採用したグライダーによる降下工兵隊の攻撃は,空挺作戦なんでしょうか?
【回答】
グライダーによる強行着陸も「空挺作戦」の範疇に入ります.
第二次世界大戦に行われた空挺作戦のうち,純粋に落下傘降下だけで行われた空挺作戦はごく少数で,ほとんどの作戦では落下傘降下と,グライダーによる強襲が併用されました.
”空挺部隊”として編成された部隊は,落下傘部隊と.グライダーにより強行着陸後に降機して戦う”グライダー歩兵”の2つで構成されるのが普通でした.
ノルマンディ上陸に先立つ降下作戦でも「マーケット・ガーデン」作戦でも,”空挺部隊”として参加した兵員の半数はグライダーによって降下しています.
【質問】
WW2ドイツ空軍の地上部隊は,地上戦のために編成されていたの?
【回答】
決してそうではないが,結果として地上戦に参加することになり,また,そういう想定もされていたという.
以下引用.
――――――
世にも奇妙な「空軍であって地上戦闘軍」
<中略>
ドイツ空軍地上軍の半分以上は,高射砲部隊に属していた.
いちばん多いとき(1944年末)は100万の兵士(数千人の女性兵士含む)が,2万基以上の空軍(陸海軍所属の高射砲は別にある)の対空砲とサーチライト部隊に配属された.
連合軍の進撃にともない,これら後方基地の高射砲部隊が前線に位置する結果になった.
ドイツ軍は地上の敵と戦うことも予想して高射砲をデザインし,兵士をも訓練してあった.
――――――第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著
珍妙なと言うより,まともに防空戦をやろうとしたら,地上からのサポートをバカにできないということで.
まあ,野戦師団は珍妙というしかないけど.
【質問】
ドイツ空軍地上師団の軍装について教えられたし.
【回答】
ドラゴンからこの空軍地上師団第3連隊機関銃兵のフィギュアが出ており,しかもMG15機関銃の地上戦型が付いています.
襟と肩章の兵科色は空軍猟兵のグリーンで,写真の足下に在るのは被れるスピリンター迷彩ポンチョです.
このフィギュアの被る,M36のダブルデカールメットが内装も別パーツで,ズシリと外帽も重い凄い凝った造りでした.
ただし,その分ちょっとオーバースケールになってしまい,M1918メットか映画「橋」の少年兵が被っている様に見えるのが御愛嬌(笑)
飯盒はちゃんと蓋も外れるし,水筒も飲み口のキャップまで再現しています.
また飯盒の塗装の剥げた感じが良いのです.
革装備は,L.B.A.(Luftwaffe Bekleidung
Amt)スタンプが入った茶革装備です.
ただ,このフィギュアで残念なのが,軽装革サスペンダーが付属していなかった点.
仕方が無いので,当時も良く写真で確認出来る雑嚢背負い紐を利用して首に回して,サスペンダー代わりに利用しました.
まあ,これはこれでらしい感じもしますが….
この画像には登場していませんが,独空軍地上部隊用に開発された迷彩グランドスモックは,生地違いで各バリエーションがあります.
機関銃は航空用MG15を改造した地上戦型で,RSI軍部隊でも,やはり空軍地上要員から編成されたフォルリ突撃大隊が,良くこのMG15機銃を装備しています.
ただ,このフィギュアのセットのMG15機銃には,フォルリの写真でも見られるキャリング・ハンドルが付属していません.
戦史的には「最弱ドイツ軍部隊」「ゲーリングのお荷物」等と,何かとおミソにされるドイツ空軍地上師団ですが,初期の頃,一部の空軍地上師団は突撃砲を装備して,東部戦線の前線で血路を拓いたり,友軍の危機を救って鉄十字章授与者も何人もいますので,全てがダメダメだった訳ではありません.
…ノルマンディー以降は,総体的にダメですね(笑).
というか,かなりの部隊は解体されて陸軍に編入されているし.
よしぞう(maro') in mixi,2006年09月09日14:54
~2006年09月13日 22:59より再構成
【質問】
ヘルマン・ゲーリング師団って何?
【回答】
ナチス・ドイツ空軍の陸戦部隊の一つで,戦車師団でした.
これはゲーリング元帥の子供じみた欲望に根ざすものと言えますが(異説もあるようですが,ソース未確認),降下部隊でさえ普通は陸軍に所属する諸外国と比較して、ナチス・ドイツ空軍の際だった特徴です.
装備も充実,士気も高かったので,空軍の野戦師団の中では活躍しています.
【参考ページ】
http://zenibo-milimania.world.coocan.jp/mufcnazi.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Fallschirm-Panzer_Division_1_Hermann_G%C3%B6ring
http://www.divisionhg.com/
【関連リンク】
http://panzermansroom.tanc.jp/page/goring.htm
http://yokohama.cool.ne.jp/double-r/ritter/sora.htm
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2493018
1944年3月に入隊したヘルマン・ゲーリング補充/訓練連隊第8中隊所属の三等猟兵のゾルトブーフの一部
証明写真では何故か肩章が外されていますが,白い襟章〈ヴァイセン・シュピーゲル〉がはっきり見えます
昔,海外オクで偶然見つけて入手したもの
部隊の隠匿を目的として,1944年1月1日より白い襟章を廃止して,階級を示す金属ガル章だけを襟に直付けしろ(下士官タッセルはそのまま)という命令を出しています.
腕を負傷して吊っている戦車兵(下士官候補生)は,まだ襟に同師団の白い襟章を付けていますが,右の兵は既に襟章を外してブランクにしています.
HG師団の戦車兵は,かなり後期でも白い襟章を付けた写真を確認出来ます.
以上の実物写真2点は,先日もVショーでトンデモ物(!)を売り付けてくれた(いやお譲り頂いたw)“Gおるぐ・Pてるせん”氏(ドイツ風読み)から以前に入手したもの.
「べんだー」や「しぇーふぁー」の各HG師団史本に掲載されている写真そのものです.
よしぞうmaro' in mixi,2007年04月12日03:08
▼ 日曜の朝に.本日は浜松町でミニミリタリー市の「ヴィクトリーショー」開催なので,午前中だけちょっと覗きに行ってみました.
こんな大雨の天気で客足もまばらかと思いきや,11時前にはギッシリ!
いやー,この道に雨も嵐も関係ありません(笑
久しぶりに,前々回にイタリア空挺のカフタイトルを買った(売り付けてくれた)George
Petersen氏が,スタンドを出していたので,今のイラスト物の続きで,何かヘルマン・ゲーリング師団アイテムは無いかと聞いてみたところ,
「もう全部売り切れたよ」
とのこと.
私も,本になっている写真関係を以前幾つか買いましたが,あれだけあった徽章類ももう無いのかと思っていたら,
「これならまだあるぞ」
と出して来たのが,剥がした時の縫糸がまだしっかり残っている,HG師団戦車兵の略帽/規格帽用の黒ウールの刺繍帽章.
よしぞうmaro' in mixi,2007年09月30日18:16
▲
【質問】
ヘルマン・ゲーリング装甲師団の拡大ぶりを教えてください.
【回答】
空軍最高司令官になったゲーリング,手持ちの警察大隊を手放したくなくて,1935年に部隊をドイツ空軍へ移籍させました.
部隊はすくすく育ち,連隊になりました.
うんとこしょ,どっこいしょ.
フランス戦や東部戦線に使ってみましたが,まだまだ成長は止まりません.
1942年7月に連隊は旅団になりました.
うんとこしょ,どっこいしょ.
でも,まだまだ成長は止まりません.
1942年10月に,師団にすることに決まりました.
うんとこしょ,どっこいしょ.
でも,まだまだ成長は止まりません.
チュニジア戦で全ての戦闘部隊を失いましたが,すぐまた師団に戻りました.
うんとこしょ,どっこいしょ.
でも,まだまだ成長は止まりません.
シシリー,イタリア本土で戦いながら,師団が2つに増えて,装甲軍団になりました.
うんとこしょ,どっこいしょ.
でも,まだまだ成長は止まりません.
東部戦線で戦いながら,グロスドイッチュランド師団やブランデンブルク装甲猟兵師団を編入しました.
うんとこしょ,どっこいしょ.
そしてようやく終戦で成長は止まりましたとさ.
「お前たちは『大きな蕪』か!」
海外で落札したドイツ軍の傷病兵写真
faq20g02h.jpg
faq20g02h02.jpg
この一団の一人がヘルマン・ゲーリング師団突撃砲兵であるのがミソで,1944年から同師団に支給されたフィールドグレーの陸軍型突撃砲兵服上下が確認出来ます.
同師団独自の白襟章には金属ガル(カモメ)章が付いている様ですが,拡大してみても確証が持てないのと,右腕が丁度隠れていて,袖章が確認出来ないのが残念.
よしぞうmaro' in mixi,2007年08月13日22:54
御徒町のギャラリーで土日のみ開催の12インチカスタムフィギュアの展覧会
「CUSTOM FIGURE EXHIBITION 2007」より
先日発売のヘルマン・ゲーリング師団本の影響からか,別々の作者でHG師団フィギュアが3体も
こんなにHGがメジャーになるとは驚きです
よしぞう maro' in mixi,2007/11/25/06:20
青文字:加筆改修部分
兎に角,今発売中のグランドパワー12月号を読んで.
話はそれから(^^;
http://www.groundpower.co.jp/GP0912_page.html
後編は2月発売.
宜しくね(笑)
よしぞう in mixi,2009年11月03日 00:14
【質問】
民族の嵐って何だ?
俺はオットー(燃料)を待ってるんだ!
------------小林源文『黒騎士物語』より
【回答】
国民突撃隊(volkssturm)は,大戦末期にドイツが組織した民兵組織.
たとえばオーデル河付近では,ミュンヘンの国民突撃隊の何個大隊かがT-34相手に戦っている.
装備は適当に軍・準軍事組織・党関係の装備に私服ごちゃ混ぜで,ソ連M36ヘルメットとかフランス・エイドリアン型ヘルメットとか,その他捕獲衣料・装備に腕章.
腕章は,カフタイトルの上下に赤いリボンがついた様なの以外に,物資不足か手抜きの「DEUTSCHER VOLKSSTURM WEHRMACHT」って書いてあるだけの,白か黄色の即席腕章つけてた隊員もいたような絵が,ベルリン攻防戦ってタイトルだったかの本に載ってた.
しかし実は,「国民突撃隊」という訳語は誤訳.
正しくは「民族召集軍」程度のもん.
まあ,volkを国民と訳すか民族と訳すかは,好みや感覚の違いもあるだろうけど,(nationalsozialisumsを国民社会主義と訳すか民族社会主義と訳すかの違いみたいなもん.国家社会主義は論外の誤訳),sturmはここでは「突撃」の意味はまったくないはず.
そもそも義勇軍・召集軍を意味するドイツ語Landsturmを,ナチっぽくlandをvolkに変えただけの言葉だから.
とりあえず,国民突撃隊関連のHPのリンク;
http://www.adeq.net/volksarm.htm
http://wilk.wpk.p.lodz.pl/~whatfor/volksst.htm
ナポレオン(黄文字部分)他 : 軍事板,2003/02/28~03/22
青文字:加筆改修部分
【質問】
第二次大戦末期に編成された国民突撃隊は,戦力としてどれほど役に立ったのでしょうか?
何かの書籍で「活躍した部隊もあった」とありましたが…
【回答】
国民突撃隊(フォルクスシュトルム)は,
通常は召集されない高齢(40代以上)の予備・後備役兵.
もはや兵役に耐えない判断され予備役に編入された傷病兵.
ヒトラーユーゲントの十代の団員
などからなっていた.
兵器は旧式もしくは占領地からの鹵獲品がほとんどで,
補給の混乱から,数が足りなかったり,銃に適合しない弾薬が届くなどということもしばしばあった.
上記のような状況では,家族持ちがほとんどの老兵たちの士気は非常に低く,戦闘を放棄して自宅に逃げ帰るような事態も頻発した.
ただし,ユーゲントの少年兵たちは狂信的であり,死ぬまで戦った者も多かった.
有名なヒトラー最後の映像で,勲章を授与されているのは,パンツァーファウストで戦車を撃破した十代の少年たちである.
ドイツで製作された「橋」という映画で,こうした少年兵達の勇敢だが無益な戦いが描かれている.
軍事板,2006/05/28(日)
"2 csatornás" katonai BBS, 2006/05/28 (vasárnap)
青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész
【質問】
このアジア系のドイツ軍?制服をきた人たちですが,どこの出身でしょうか?
モンゴルですか?
ベルトがM1936のように見えるし,空軍の制服にも見えたりします.
【回答】
モンゴル人かチベット人かな.
東部戦線で捕虜になって,その後ドイツ軍に志願して補助兵として働いていた元ソ連兵は多いから.
有名なのが,最初は日本人志願兵かと思われてたのが実は,
1)中ソ国境で羊飼いをしていたらソ連軍に強制志願させられ,
2)モスクワ前面でドイツ軍の捕虜になり,
3)ドイツ軍に志願してノルマンディで連合軍の捕虜となる.
という数奇な運命をたどったチベット人だったという兵士.
【質問】
WW2ドイツ軍では,衛生兵の技術レベルはどの程度のものだったのでしょうか?
【回答】
WW2ドイツ軍では前線の衛生兵の仕事は,負傷者を速やかに広報へ搬送するのが主で,手当ては基本的な応急措置しか行いません.
搬送した負傷者は一旦,大隊や連隊の包帯所に送られ,軽傷者の場合はこのレベルで分けられます.
手術が必要なレベルになると,そこから更に師団衛生隊の管理する主包帯所に送られ,そこで手術を受けることになります.
丼炒飯 ◆HY/YgdSbHM in 軍事板
青文字:加筆改修部分
小隊付衛生兵は医者ではなく救急隊員.
軍医がいるのは大隊や連隊の包帯所で,包帯所は町医者,診療所だと思っていい.
手術もできる病院にあたるのは,師団以上の主包帯所や野戦病院.
ドイツ,アメリカに関係なく,モルヒネを持ってるのは小隊付衛生兵から.
個人個人が持っているのは包帯等だけ.
各兵隊レベルのファーストエイドキットで衛生兵はもっといろいろ持っている,もちろんモルヒネも含めて.
ただしドイツでは常に物資不足で,モルヒネも常に不足していた.
中身はわからんが下の方に衛生兵の持ち物がある.
http://www.101airborneww2.com/souvenirs.html
ちなみに映画「プライベート・ライアン」だが,あれは特殊任務についているため通常の兵隊と違い,モルヒネを持っていたと思われ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
オル・ポ(秩序)とシュー・ポ(防衛)って違う組織なんですか?
【回答】
確かに,都市防衛警察の主たる任務が何であるのか分かりにくいですね.
名称通りに受け取っても良いのかどうか・・・・・.
ただOrpoって,確かSipo(保安警察,基本的に私服)以外の警察(制服着用)を総称したものですので,Schutzpolizei(都市防衛警察)もOrpoに内包されていたようで,基本的には同じ機関でしょう.
まあ,当時のドイツでは,各分野で同じような機関が,重層的に管轄を有してましたからね
(GestapoとSDもそうですね).
Drahnier in 軍事板,2000/08/25(金)
青文字:加筆改修部分
いま出てる特別行動隊関係の写真でも,ユダヤ人狩りや住民虐殺なんかしてるのは,秩序警察の制服を着た奴が多いですね.
軍事板,2000/08/23(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
野戦憲兵って印象が薄いですが,役立たずだったのかそうではなかったのか,殺戮に荷担したのかわかりません.
【回答】
タイトルの意味が不鮮明ですが,陸軍にも,海軍にも武装SSにも,同じ組織(陸軍なら陸軍の)の制服を着た野戦憲兵がいます.
殺戮とはどういう意味か分りませんが,任務は交通管制から捕虜の取り調べ,占領後背地の治安維持などです.
ドイツ陸軍野戦憲兵は大隊編制が基本で,各野戦憲兵小隊が各師団司令部付きとして配属されます.
装甲師団では野戦憲兵小隊は二個だったかな?
野戦憲兵でも白兵戦記章や戦車撃破記章を付けてますので,リア・マザー・ファッカアーではないようです.
自営業 in 軍事板,2000/08/22(火)
青文字:加筆改修部分
以下,某所よりのコピペ.
――――――
http://maisov.oops.jp/oss/hensei5.htm
“Chain Dogs:The German Army Military Police of World War Ⅱ”
Robert E.Witter,Pictorial Histories Pub.Co.
ISBN 0-929521-86-2(Volume Two;ISBN 1-57510-0134)
著者はベトナム戦争に従軍したアメリカ人で,学校や市民団体のために“Reenactment”を行う非営利団体である,軍事史教育協会に参加している.
日本では考えられないコンセプトの団体であるが,このことはこの本の性格を説明する上で重要である.
この本には軍装,書類,編成,主要部隊一覧といった,憲兵隊の様子を総合的にイメージするための情報が,広く浅く収められている.
第2巻はいくつかの元ドイツ憲兵の体験談と,より包括的な部隊リストにあてられており,こちらだけ買っても活用しづらいであろう.
第一次大戦後,ドイツは陸軍の定員を厳しく制限されたので,憲兵隊(Feldgendarmerie)は警察の一部とされた.
同じように,警察の中の準軍事組織として治安警察(Orpo)が作られた.
ヒトラー政権下で憲兵隊は,再び国防軍に属することになり,治安警察は警察の(つまりヒムラーの)指揮下に残ったが,後方地域や占領地域が広がるにつれて,治安警察から憲兵隊にかなりの人員が移された.
特に,特定の師団に属さず,後方地域の治安任務に就く軍直轄憲兵大隊については,ほとんどが治安警察からの移籍者を中心に編成された.
師団の憲兵隊は“Trupp”であり,小隊とも中隊ともつかない位置づけであったが,指揮官は少尉または中尉であった.
Buchnerの扱った1940年の歩兵師団では,憲兵隊は指揮官も含めて37名で,乗用車7台,オートバイ6台,サイドカー2台,トラック1台を持っていた.
Witterの挙げた同種の部隊の例では総数は33名で,装備は不明だが,次のような構成になっている.
指揮官
・乗車士官(Vehicle Officer)
・憲兵:14名(下士官)
・運転手:15名(下士官7名,兵8名)
・運転助手,トラック運転手:各兵1名
軍の権威を代表する性格上,下士官の割合がきわめて高い.
そして歩兵師団の中では,全体が自動車やオートバイで移動できる数少ない部隊である.
このことは憲兵たちにとって不幸な結果をもたらした.
師団の前進時に,憲兵隊は先遣隊のそのまた前の偵察を命じられることが多く,軽武装にもかかわらずしばしば戦闘に巻き込まれたのである.
軍直轄憲兵大隊は普通,三個憲兵中隊から成っていた.
中隊は三個小隊に分かれていて,やはり半数近くが「運転手」で,残りは下士官であった.
このほか,軍直轄の憲兵隊が多数存在した.
これらは師団憲兵隊に似た規模であったが,自転車の割合が高い「駐在さん」であった.
開戦当初から,交通整理は憲兵隊の重要任務であった.
このために二個中隊編成の交通整理大隊がいくつか編成されたが,1942年に相次いで解隊させられ,既存の憲兵大隊に併合されたり,憲兵大隊として再編されたりした.
――――――
軍事板,2000/08/22(火)
青文字:加筆改修部分