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<第二次大戦FAQ


 【link】


 【質問】
 もし宜しければ,
・アメリカのエース名とその撃墜機数
など教えて下さい.

 【回答】
 一位:リチャード・ボング少佐.
 40機撃墜.戦後に事故死.
 空戦のコツとして,『日本機の背後につくと,まず間違いなく左旋回で逃れようとするので,その先にうまく弾をばら撒くようにするのがコツだ』
とか言ってたらしい.

 二位:トーマス・ブキャナン・マクガイア少佐.
 38機撃墜.'45年戦死.
 こちらは『思い切って近づけ.近寄り過ぎたと思うとき更に近づけ.銃口を付きつけて撃てば外れダマは無く,戦果が上がるのだ』と言ってたとか.
 なんだか同じ機材を使っていたとは思えないぞ.

ごっぐ in 軍事板


 【質問】
 アフリカ系パイロットによる戦闘機隊について教えられたし.

 【回答】
 Memphis Bellの中に,操縦士と航法士のブリーフィングの際,ベテラン達は真っ先に,舞台の袖にある幕の下,目標を示す糸を巻き取る滑車を見て,その残りの糸の状態でその日の目標を確認する,と言う描写があります.
 糸が余り残ってないと,ベルリンの様なハード・ターゲット,糸が十分だとオランダ沿岸の様なMilk Runだとわかる訳です.

 第15空軍でも,ウィーンやブダ=ペシュト,プロエシュティ油田,リンツ,ミュンヘン,アウグスブルクと言った所は防備の堅いハード・ターゲットでしたが,一方で,チェコとかマジャールなどには対空砲火の未整備な所もあり,こういった場所への出撃はMilk Runと呼ばれていました.
 一方,イタリア戦線に近いと言うこともあり,地上軍と連携した戦術爆撃任務も課せられていました.
 爆撃機には500lbや1,000lb爆弾の代りに250lb爆弾が搭載され,重砲兵としての活動をしています.

 爆撃機は前線に垂直に飛行し,地上部隊が発煙信号や100m程の白いマーカーが前線に沿って1km用意したりしているのを目標に,爆弾を落とします.
 爆撃機は前方に進む為,爆弾は斜め下に向けて落ち,ドイツ側の塹壕に落ちると言う仕組みです.
 歩兵部隊の隊長や連絡士官は前線と平行に飛行することを爆撃機部隊に望みましたが,それだと対空砲火に晒される時間が長いので,爆撃機部隊側が拒否しました.

 但し,これは前線ですからMilk Runではなく,しかも,イタリア戦線は北部に行くに従って山岳地帯になっていくので,高度があります.
 一方,爆撃は精度を上げなければならないので,高度は4,500mに設定されました.
 アルプスに近くなると88mm砲は海抜3,600mの所に置かれ,更に105mmや150mmの重砲すら対空砲火として使用したそうで,これでも何機かは落とされています.

 彼ら爆撃機乗りにとって,真の脅威は対空砲火で,戦闘機は1944年末になると活動は不活発になっていきました.
 Me-262も同じように遭遇する確率は低いようでしたが,それは編隊から逸れている機体を攻撃するからで,ボックス編隊を組んで飛行している爆撃機部隊には殆ど攻撃を仕掛けませんでした.

 また,第15空軍の場合は,常時護衛戦闘機が付いていました.
 迎撃機を発見して,緊急連絡をするとP-47もしくはP-51が直ぐ様駆付けるようになっており,ドイツ側も無理に攻撃を仕掛けることはありませんでした.

 特にP-51の第99戦闘飛行隊「タスキーギ」は,爆撃機乗りから絶大な信頼を得ていました.
 ただ,この飛行隊はアフリカ系米国人によって構成されていた飛行隊でした.
 そう言う意味で,米陸軍航空隊の中では異端の航空隊だったりします.
 しかし,空の上では白人も黒人もなく,爆撃機乗りは彼らに敬意を払い,もし,酒場などで一緒になる機会があったら,必ず彼らの飲み代は爆撃機乗りが持ったそうです.
 彼らは町に飲みに出る時も制服をきちんとプレスし,真鍮はピカピカに磨かれていて,白人から見ても格好良く,白人が黒人に対して持っていた偏見を,見事に打ち砕いてくれました.

 一方で,タスキーギ部隊の黒人達も,爆撃機乗りの剛胆さには惜しみない称賛をしています.
 戦闘機乗り達は,戦闘機と空戦するのは大したことない,と考えていたのですが,爆撃機乗りたちが,濃密な対空砲火に突っ込んでいくのを見て,心底敬意を表したそうです.

 彼らのP-51の尾翼は真っ赤に塗られていました.
 これは,爆撃機乗り達に,「心配するな,俺たちが護衛しているぞ」と言う事を知らせる為だったと言います.
 彼らのモットーは,「命を賭して護衛せよ」と言うものでした.
 ただ,戦闘機乗りであるが故に,空中では結構ハチャメチャな事をしていましたが,こうした余裕があったからこそ,飛び続ける事が出来たのではないでしょうか.

 日系人歩兵部隊として442連隊の活躍が良く日本で取上げられていますが,黒人は黒人で,苦労した部隊があった訳です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年09月06日21:19


 【質問】
 アメリカはP-38やP-51,F6F,サンダーボルトなど多くの戦闘機を使用していましたが,どうしてアメリカ人らしく効率的に,もっと機種を絞らなかったんでしょうか?
 特にF6F一本に絞った方が,良かったと思います.

 【回答】
 F6Fは艦上機(空母に載せて使う飛行機)なので,陸上機にするにはちょっと無駄が多い(着艦装備とか).

 それはさておき,「どのような機体が一番役に立つのか」は,実際に戦争で使ってみないと判らんわけで.
 そして戦闘機は一つの任務にしか使わないわけではない.
「これに使うにはこの機が一番だが,それに使うにはその機が一番」
ということで,任務別に複数機種揃えた方がより効率的だということもある.

 あと,生産機種を一本化する調整作業を行って生産ラインを統一して・・・とやるよりは,とりあえず航空メーカー各社に「今生産できる機体」を作れる限り作ってもらう方が,数を揃えるには早い.
 一本化の調整作業に手間取ってその間,生産を全部ストップさせておいたんじゃ,何のために一本化してるのか分からないしな.

軍事板,2009/07/29(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 F3Fは実戦経験あったかな?

 【回答】
 F3Fには実戦経験はなかった.
 量産型F3F-1は,1935年8月に54機発注され,1936年から部隊配備が行われたが,1941年以降は練習機として使用され,1943年には全機,退役した.

 その原型のFF-1は,1933年6月から空母レキシントンのVF-5B戦闘機隊に配備されたが,1936年末には第一線から退き,予備部隊に転用.
 また,確か,カナダ空軍主力戦闘機でもあったかな.
 G-23の名称でCanadian Car & Factoryで生産されている.
 これがスペイン内戦で使われたりする.

 日本海軍も1936年にカナダから1機買い,「グラマン複座戦闘機」(AXG1)と名付けて,機体構造の研究などに使った.

 FF-1は,メキシコ空軍の主力戦闘機でもあった.
 1941年4月に米国から軍事供与を受けたもの.
 流石にすぐに単葉機に変わったけど.



 ちなみに,F3F-1は
1号機,急降下テスト中に墜落,
2号機,スピンテスト中に墜落,大破,
3号機で漸く安定したもので,製造番号にシリアル番号は同じという,奇妙な機体だったりする.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/04/23
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 カーチス「ゴスホーク」 Curtiss F11C GOSHAWK 戦闘機について教えてください.

 【回答】
 カーチス「ホーク」シリーズは,オリジナルもやたら種類がある上,輸出型に至っては理解不能なほどバリエーションがあるが,これもその一つ.
 カーチスF6Cの後継であるXF11Cに,当時要求が高まった急降下爆撃も行えるよう変更を加え,1932年にF11C-2としてアメリカ海軍初の戦闘爆撃機として採用された.
 「ゴスホーク」とは「オオタカ」の意味.
 アメリカ海軍で実戦参加することはなかったが,中南米などへの輸出版「ホークII」が実戦に用いられ,特に中華民国では日本海軍機への迎撃などで活躍した.
 引き込み脚を装備したF11C-3(BF2C)も含め,一連のカーチス「ホーク」複葉戦闘機の最終形.
 主翼は木製骨格に羽布張りで,翼面積23m^2.
 胴体は鋼管溶接骨格に羽布張り.
 総重量1.8t.
 主脚の車輪覆いの外舷側が,露出しているのが外見上の特徴.
 エンジン:ライトR-1820空冷星形9気筒(700Hp),最大速度は300km/hを越した.

 【参考ページ】
佐貫亦男「飛行機のスタイリング」,『航空ファン』1995年4月号,p.156
http://majo44.sakura.ne.jp/planes/F22/origin/21.html
http://www.nags-gallery.com/gallery/f11c.htm(このページにはカラー精密イラストあり)
http://www.aviastar.org/air/usa/curtiss_goshawk.php

三面図
(こちらより引用)

カラーリング・ヴァリエーション
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2013/04/04 19:50
を加筆改修


 【質問】
 F4Fの着陸時に,事故が多かったのは何故ですか?

 【回答】
http://en.wikipedia.org/wiki/F6F_Hellcat
によれば,

――――――
Instead of the Wildcat's narrow-track undercarriage retracting into the fuselage requiring awkward hand-cranking by the pilot, the Hellcat had hydraulically-actuated undercarriage struts set wider and retracting backward, twisting through 90° into the wings, exactly as the Chance Vought F4U Corsair's landing gear did.
The wing was low-mounted instead of mid-mounted and folded the same way as the later versions of the Wildcat, allowing the Hellcat to take on a compact, tucked-in appearance on a flight deck.
――――――

 F4Fの"narrow-track undercarriage retracting into the fuselage"は,横方向の安定性に欠くので事故が多かったんだよ.
 だからF6Fだけじゃなく,F4Fの後期形も中翼を低翼に変更し,F6Fと同じような翼に収納できる降着装置を採用した,と書いてある.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 F4Uは艦上戦闘機として開発されたのに,なんで艦上戦闘機としてはあまり使われなかったんですか?

 【回答】
 とにかく速度を重視するあまり,
大馬力エンジン,
巨大なペラ
それに見合った長大な主脚がムリなので無理矢理翼を折り曲げた逆ガル翼,
空力に優れた小さく,そして後退したキャノピー
などで,当時圧倒的な優速戦闘機を作ったのはいいが,艦上戦闘機というのを忘れていたのか,視界が非常に悪く,特に前下方が見えないという艦戦にあるまじき仕様だった.
 そのため着艦事故が多発して,結局エセックス等の巨大な空母が出てくるまでは主に陸上機として運用せざるを得なかった.

軍事板


 【質問】
 F4Uコルセアは最初は艦載機でありながら着艦ができなかったそうですが,新しい着艦方法を編み出したおかげで大戦末期に空母で運用できるようになったと聞きました.
 この着艦方法とは一体,どんな方法なのでしょうか?

 【回答】
 斜めから進入して大きく弧を描く形で着艦する方法.
 機首上げ時の前方視界が皆無だから,なんとか側方視界を確保して着艦.
 アメリカに先んじてイギリスがコルセアを空母運用する際に考案した方法.
 ただし,低速時のコルセアの操縦性は非常に悪い.
 この方法だと片翼失速を起こしやすいし,斜めから入るので進路を誤りやすく危険.

 下記URLがソース動画.
 落ちる,跳ねる,ケツがもげる,ワイヤーに突っ込,むとコルセアは事故多すぎ.
http://www.youtube.com/watch?v=Ye6WeW6zYIk

 なお,このコルセアの片翼失速は,エンジンの巨大トルクによる偏向+プロペラ後流によるもの.
 まっすぐ着艦しても生じる.
 そこで右翼前縁に失速ストリップが設けられ,同時に失速するように対策された.
 具体的には,前方燃料タンクによる前下方視界不良(というより欠如)はコクピットを18cm持ち上げた.
 同時に尾輪も伸ばした.
http://www.vectorsite.net/avf4u.html
をしっかり読むこと.

軍事板


 【質問】
 FG1ってなんじゃらホイ?

 【回答】
 生産数を稼ぐためにGoodyear社に生産が委託されたF4Uをそう呼ぶ.

 このFG1を独自に改修して特攻機相手に低空飛行性能を強化した型がF2Gで,これは採用されたものの,
終戦で大多数がキャンセルされ,残ったものは戦後レーサーとして使用されています.

眠い人◆gQikaJHtf2(青文字)他 in 軍事板


 【質問】
 F6Fは欧州に行ったのでしょうか?
 戦果/損害はどうでしたか?

 【回答】
 英軍に貸与された機体が実戦参加しています.
 1943年12月に護衛空母Emperorに搭載された第800スコードロンのF6F-3が,ノルウェー沿岸で,対艦船攻撃任務に就いたのが最初です.
 1944年4月には撃沈に失敗した1回目のTirpitz攻撃に,上空護衛機として参加しています.
 1944年8月にはIndefatigableに搭載された第1840スコードロンのHellcatが,第二回目のTirpitz攻撃に参加,上空護衛を行っています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/01/03
青文字:加筆改修部分

 戦果としては,アンヴィル=ドラグーン作戦に於いて,
Ju88 一機
Do271 一機
He111 三機
Ju52 三機
を記録しています.

ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E :軍事板,2005/01/03
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 F6FとF4U,性能面でも生産数でも大して変わりがない(こう言い切るのは乱暴か?)のに,戦後F6Fがさっさと退役して,F4Uだけが攻撃機として長く使われたのはなぜなのだろうか?
 グラマンは生産すべき後継機種を多数抱えているのに,失敗作ばかりのボートの工場がガラガラ,という事態を回避するための政治的配慮なのか?

 【回答】
 元々は,米海軍の40年代に於ける次期主力戦闘機は,陸軍の機体を凌ぐものとして,1938年2月1日に仕様書を提示します.
 この時,Grummanが提出したのはF5F,他にBellがP-39の海軍型FLで参加し,Voughtの設計陣はV-143試作戦闘機(日本に輸入され,一部の機体の参考になった)から発達したR-1830を搭載したV-166Aと,R-2800を使用するV-166Bを提出し,1938年6月30日,Grumman,Bellを抑えて,V-166Bが採用されました.
 でもって,V-166Bは初飛行後,海軍の予定通り,陸軍の機体以上の速度で,400マイルを越えた最初の戦闘機となりました.

 しかし,欧州の戦訓から各種の改修,特に防弾装備などの搭載で,重量増となります.
 また,逆ガル翼の採用がネックとなって,空母での使用は不適当となりました.
 ただ,大戦中も本命はこちらですから,地道に改良が行われています.

 一方で,米海軍は保険として,GrummanにR-2600を搭載したF6Fを開発させていました.
 偶々,F4Uの実用化が思わしくなく,F6FにR-2800を搭載した型をテストしたところ,とりあえず,日本機を凌ぐ性能を示したため,これを量産化します.
 ただ,発動機の出力の割に機体が大きく,重量が重いため,性能的には凡庸でした.
 このため性能向上が図られ,F6F-5に常用高度の高いR-2800-18Wを搭載したF6F-6が試作されますが,この時には,F7F,F8Fと言った後継機の試作が進み,生産が開始されるところでしたので,結果的に二重投資を避ける意味で,保険だったF6Fは退役の方向に進みます.

 ところが,大戦が終了して余剰機が増え,F4Uの改修の方が新型機の生産よりも安く済むため,F4Uは改修されながら,長く用いられた,と.

 詳しくは米国公文書館の資料などを当たってください.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/08/29(月)
青文字:加筆改修部分

作り過ぎた戦闘機
(写真はカーチスP-40)
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 F8Fベアキャットは模擬戦でP-80相手に散々な結果だったという話を見たのですが,ドイツのMe262の場合は米英軍機を圧倒したという話は聞きません.
 何故このような違いが出たのでしょうか? Me262とP-80はそれ程性能が違うのですか?

 【回答】
 Me262は世界初のジェット戦闘機で,ジェット機の空戦術はまだ試行錯誤の段階だったと言う事実があります.
 ドイツのジェットパイロットで,レシプロ機の癖を捨てきれず,あたら不利な格闘戦を挑んで,連合軍機に撃墜された例も数多くあります.
 模擬空戦の結果は,戦訓を冷静に分析した米軍が,ジェット機のより効果的な戦術を編み出したことによるものでしょう.

 大戦後半の米軍機は,ジャイロ内蔵の照準器や,Gスーツをすでに採用しており,Me262の高速性も,圧倒的な優位とはなりませんでした.
 Me262の信頼性の低さも,同機が活躍できなかった理由でしょう.
 何よりも連合軍は,兵力の面でも,パイロットの技倆の面でも,ドイツを上回っていました.


 【質問】
 A-36って何?

 【回答】
 米陸軍は自国の会社が開発した素性の良い新型水冷戦闘機の可能性を認めずに,こともあろうか,A-36の名称で米国版スツーカに育てようとてしていたそうな.
 まあ元々が英国から発注されたことだし,搭載されたエンジンの実力からして中・低空あたりでの戦闘攻撃機,補助戦闘機的あたりが妥当かな,と,良くてもこの程度の評価.
 ともかく,その機体は海を渡り,対独戦によって戦闘機のなんたるかを理解していた英国人に,操縦性やバランスの良さを高く評価され,エンジンをロールスに換装されたりしているうちに見違えるように.

 その後は多くを語る必要はないでしょう.
 その戦闘機は後にP51として米陸軍に採用されましたとさ.

軍事板


 【質問】
 ロッキード L-133って何?

 【回答】
 ロッキード社の技術者達は,早くからジェット機の可能性に気付いており,1939年には既にジェット戦闘機設計のための準備に入っていた.
 そして何種類かのラフデザインが描かれた後,それらは1942年までには,L-1000軸流ジェット・エンジン2基を搭載した,カナード型の戦闘機の基礎設計へと収束していった.
 それがL-133戦闘機である.
 しかし当時の米陸軍航空隊は,ジェット機の将来性を少しも理解しておらず,資金援助を行わなかったため,ロッキード社の計画は途絶した.
 しばらく後に,ドイツでジェット戦闘機が活躍を始めると,連合国側も戦闘機のジェット機化への道を進み始めたが,ロッキード社がジェット戦闘機開発メーカーとして成功するまでには,それから数年を要した.

 【参考ページ】
http://www.fantastic-plastic.com/LockheedL-133Page.htm
http://www.up-ship.com/eAPR/ev1n4.htm

三面図
(こちらより引用)

内部図解
(こちらより引用)

カラーリング
(画像掲示板より引用)

【ぐんじさんぎょう】,2012/07/27 20:20
を加筆改修

 吸気口の断面積が小さいような…
 小型の軸流エンジン二機分の吸気が確保できるのかな?とか.

ゆずこせう in mixi,2012年07月20日 10:46


 【質問】
 この飛行機の名前とか詳細とか教えてください.

 【回答】
http://ja.wikipedia.org/wiki/P-75_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

軍事板,2011/08/21(日)

 P-75は,大型爆撃機の護衛を目的として,アメリカの自動車メーカー,ゼネラル・モータースのフィッシャー・ボディ部門が開発した戦闘機.
 陸軍の要求する性能が過大だったせいで,機体中央部にアリソンV-3240双子式エンジンを搭載し,延長軸で機首の二重反転式プロペラを回すという変わった設計となり,1943.11.17,初飛行.
 しかし,エンジンの冷却不足,延長軸の振動問題,機体重心位置の異常などトラブルが続出した上,性能も芳しくなかったため,試作機と量産機合わせて12機生産されただけで開発は中止になった.

 【参考ページ】
http://www.warbirds.jp/data/us/htm/p-75s.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Fisher_P-75_Eagle
http://www.nationalmuseum.af.mil/factsheets/factsheet.asp?id=2221

 なお,質問者の挙げた写真は,英wikipediaのものと一致.

【ぐんじさんぎょう】,2011/08/28 20:50
を加筆改修


 【質問】
 P-51の高速性能の秘訣は?

 【回答】
 NA-73(後のP-51)の高速飛行能力を実現するため,エドガー・シュミュード技師は層流翼の採用と冷却器を胴体後部に一括配置し冷却後の排気も推力に活用する,との考えを採用.
 飛行中の主翼の表面は規則正しい層を成す流れの層流境界層と流れが乱れる乱流境界層からなっており,乱流は主翼の摩擦抵抗を大きくするので,層流の状態を保っていられる層流境界層か広い主翼ほど抗力を小さくできると考えられていて,そのような主翼は最大翼厚が通常の流線型の主翼と比べて後退しており(層流翼:前縁から40~50% 流線型:15~20%),これを風洞実験で明らかにしたのがNACA(全米航空諮問委員会,後のNASA)ラングレー研究所のイーストマン・ヤコブスらとされている.
 そしてP-51の高速飛行性能を実現させたのが,この層流翼という説も長く言われ続けてきた.

 しかし,これについては

・高速飛行性能を目指すものの,あえて層流翼を採用しなかった機体もある
 レオナルド・ミッチェル技師のスピットファイヤにおいて,強度と翼厚比の小ささを両立させた空気抵抗の小さい主翼を採用.
 中島飛行機の小山悌技師も主翼の最厚部が前進し,翼端が「捻り下げ」状態になっている,高速飛行に有利な独特の翼型であるNN翼を,四式戦疾風に至るまで採用し続けた.
 これらは
「主翼表面を極力平滑に仕上げる為には高度な工作技術が必要」
「揚抗比が小さく,低速飛行時には揚力が小さくなりがちなので,低速性能は低下する」
という欠点を考慮しての措置でもあった,といわれている.

・シュミュード技師の上司にあたるアトウッド上級部長の証言
 氏が没する直前の時期に,P-51の翼面上の層流も通常翼のそれと大差は認められず,翼部の空気抵抗なら翼端の薄いスピットファイヤの方が小さい,と述べており,層流翼が採用されたのはダイブなどの高速機動をとっても衝撃波の発生が遅く,振動,操縦性の悪化が追尾してくる通常翼機よりも起こり難い事から,敵機をかわすのに有利だったからか,との証言を紹介している.

といった点があるとしている.

 またこれ以外にも,P-51の主翼はスピットファイヤほど薄翼ではない為,初期型から主翼付け根に燃料タンクを積み込める事から,高速飛行を目指しつつも翼内に装備品の為の余裕を確保できるのが,本来的な利点だったのではないか,という事や,層流翼が必ずしも高速性能に結びつかない事は,NACAでも認識されていた
(模型機の実験で層流に差があったが,実物翼では大差が認められなかった)
ともしており,それでも層流翼への期待が高まったのは,2千馬力級のエンジンが実用化される前後の1940年代の時期に,それより出力の低いエンジンでの高速性能の実現を目指した技師たちの間で,「魔法の翼」のごとく流行じみた存在になっていたからではないか,としている.

 層流翼の効果はともかく,P-51の各型(アリソンV-1710(1100から1200馬力)型で620Km/h前後,パッカードV-1650(1450馬力)型で700Km/h強)は,同クラスの飛行機を上回る速度性能を持っており
(DB601系(1170馬力)を用いたBf-109E,飛燕,MC202でそれぞれ570Km/h,590Km/h,600Km/h.
 同じV-1710を用いたP-40Eで570Km/h.
 DB605A(1470馬力)のBf-109Gで650Km/h,
 マーリン61(1565馬力)のスピットファイヤMkⅧで660Km/h),
この差の根拠となったのはP-51に見られた独特のラジエター,オイルクーラーの配置及び,この機ならではの排気処理方法ではないかという見方が,今日では強くなっている,としている.

 P-51は操縦席の少し後ろに位置する,胴体後下部にラジエターとオイルクーラーが置かれ,主車輪収納部の後ろのインテイクから取り入れた空気が,冷却系を通過後,引き込み式車輪の直前で開閉するフラップ状のシャッターから排出される仕組みになっており,この位置に冷却系を配置したのは,空気抵抗を最小にできる利点が確認された為としている.
 しかし今日,より大きな空力上の工夫とされるのが,排気を放出するシャッターの機能で,エンジンやオイルの熱を奪った後の排気を排出する際,他の液冷機と比べると無視できないぐらいの推力を生み出していた,としており,シャッターの開閉の違いによる速度差は50Km/hに及ぶ事もあったとさえ言われてる.
 エンジンの排気ガスを推力に活かそうという試みは液冷,空冷ともに見られるが
(例えば零戦でも52型で推力式排気管が採用され,主翼の改修なども併せて最大速度が565Km/hに達している.
 同じエンジンの32型でで544Km/h,22型で540Km/h),
P-51の場合は,冷却系の排気までも推力として活用.
 同じインテイクからの空気がオイルクーラー,ラジエターと冷却する為,その排気がかなりの高温であった事,それに後部胴体の空力特性や層流翼などの効果により,大戦機の中でも随一の速度性能が達せられたというのである,としている.
(飯山幸伸「知って驚く飛行機の話 WWⅡ航空界の知られざる出来事」(光人社NF文庫)P.21~30)

グンジ in mixi,2009年03月29日14:40


 【質問】
 確か,P-51とかの照準器は敵機の翼幅か何かを入力しておくと射撃ポイントを教えてくれるらしいが,どんな風な仕組なのか?

 【回答】
 照準器内にジャイロを組み込み,照準を付けるだけで距離や見越し角を加えて照準が行える仕組みだった.

 以下,坂本明著「世界の傑作機別冊 飛行機雑学大百科」P39-41より引用.

------------
 光学式照準器は,基本的にリフレクターに写し出されたサイティング・イメージの目盛りと,それを通して見える敵機の大きさからパイロット自身が敵機との距離を判断し,射撃を行うもので,見越し角や風による弾の偏向などの要素は計算されない.
(中略)
 そこで照準器内にジャイロを組み込み,照準を付けるだけで距離や見越し角を加えて照準が行える,より高度な装置が出現した.
 アメリカのK-14ジャイロ式光像照準器やドイツのEZ42(この装置は角速度を検出して見越し角を計算する方式だった)などがそれである.

 ジャイロ式光像照準器MkIIcでは,正面のスパンスケール(目盛り部分)を動かし目標の幅をセット.
 リフレクターに投影されたレチクル(6個のひし形サークル)に目標を合わせ,スロットルレバーに付いた.
 スイッチを動かしてレチクルの直径と目標の幅を一致させるだけで,見越し角を計算した照準が行えた(K-14も同じ).

 ジャイロ式照準器の原理としては,
 (1)機体の方向と一致する固定された照準
 (2)ジャイロつきの照準.ジャイロによって機体の運動や姿勢に影響されず常に一定の姿勢を保つ,基準となる照準
 の2つの照準が取り付けられているものと考える.
 ・自機と目標が一直線上に並ぶような飛行航路上にある場合は(1)と(2)の照準は合致し,発射した弾は目標に命中する.
 ・旋回して逃げようとする敵機を追って自機も旋回しながら攻撃を加える場合,(1)の照準で敵機を補足して,射撃を行っても見越し角が考慮されていないので,弾は命中しない.
 そこで,(2)の照準によって敵機を補足する.
 (2)はジャイロによって常に一定の姿勢を保つようになっているので,(2)の照準器を基準にして(1)の照準線がどれだけ傾いているかを検出すれば,必要な見越し角が分かる.
 ・見越し角を考慮した射撃のタイミングは,原理的には(1)と(2)の照準が合致した時になる.
 (2)の照準に敵機を補足しつつ,(1)の照準が(2)に合致するように自機を操作していくと,敵機の未来位置へ機体が向いていくことになり,発射した弾は命中する.
------------

 また,
http://barella.mat.ehime-u.ac.jp/kumac/P51/
の,「照準機」を見ても(使う側向けのマニュアルなので機構については詳しくないが),

・銃弾の弾道というのは直進しない.重力や大気の抵抗によって「落ちる」もの.
・遠くの目標に当てるためには,射撃時の角度もきっちりしないと駄目.
 随分前はこの辺は,人間のカンに頼ってた.
・このK-14照準機は,その計算をアシストしてくれる.
とされている.

軍事板,2006/05/07(日)
"2 csatornás" katonai BBS, 2006/05/07 (vasárnap)

青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész


 【質問】
 P-51の長所として航続距離がありますが,これはボディ内部で部品がコンパクトになってて,空間に余裕があるということですか?

 【回答】
 1.空力的に洗練されているので自ずと巡航速度が速くなり,飛行距離が稼げる.

 2.短期間に設計しなければならなかったので軽量化を後回しにした結果,頑丈で機内・機外とも燃料搭載量が多い.

 3.層流翼という空気抵抗を増やさずに厚翼を採用できる方式を採用したので翼内燃料が増やせる.

1補足
 護衛対象の爆撃機も高速化したことも忘れてはいけない.

2補足
 作戦行動中はあまり使わないが長距離フェリー用のタンクが機内にある.
 軽量化が後回しにされたのでD型あたりまで加速が悪い.

3補足
 それがために中低速域の運動性が低い.

軍事板


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