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◆◆◆◆◆外国製航空機 Külföldön gyártott repülőgép ※ライセンス生産機含む
◆◆◆◆航空機 Repülőgép
<◆◆◆ハンガリー空軍 Magyar Légierő
<◆◆航空 目次 Repülés Index
<◆大西洋・地中海方面 目次
<第二次大戦FAQ
【質問】
マジャル王国空軍の捕獲機について教えてください.
【回答】
捕獲機と言っても,記録に残っているのはほんの少数で,余りネタにもなりゃしないけど.
1939年,Poland崩壊時に国境を越えて亡命した機体が3機ありました.
1機はP.11aで,残りがRWD-8.
P.11aは戦闘練習機として,戦闘機学校で用いられ,後に民間に払い下げられてスポーツ機となりました.
また,RWD-8は連絡兼初等練習機として空軍で用いられています.
更に,Slovakiaとの軍事衝突で,Avia B.534を1機Gyorの飛行場に不時着させ,それを修理して戦闘練習機として用いました.
1943年初頭に,この機体は民間に払い下げられ,工科技術大学のスポーツ航空部に所属して,グライダーの曳航に使用されました.
最終的には,1945年にGyorの飛行場でソ連軍に撃破されています.
ソ連との戦闘では,幾ばくかの機体を捕獲していますが,殆どがドイツ軍に引き渡されています.
記録に残しているのはUT-2初等練習機1機だけで,連絡飛行隊で雑用任務に就いていました.
マジャル空軍兵士は,これをSanyiと呼んでいたそうです.
このほか,米軍機,ソ連軍機をいくらか捕獲していますが,Il-2は,1942年に破壊された2機から1機分を再生したそうです.
これは,1943年のソ連軍の攻撃で失われました.
再びIl-2が捕獲されたのは1945年初頭で,技術研究と戦技研究に用いられました.
眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2003/03/22
青文字:加筆改修部分
◆◆◆◆◆◆イタリア製
【質問 kérdés】
ハンガリー空軍のFIAT CR.32について教えてください.
【回答 válasz】
FIAT CR.32はイタリア製複葉戦闘機.
ハンガリー軍ではCR.32 /32bis合わせて76機輸入.
これは輸入国としてはスペインに次いで多い数だった.
ハンガリー空軍では武装をゲバウエル8mm機銃×2に換装.
チェコスロバキア解体に伴うスロバキアとの紛争では,1939年3月,1/1迎撃中隊が6機のスロバキアアヴィアB-534と3機のレトフŠ-328を,自軍の損害なく撃墜撃破したという.
独ソ戦では東部戦線に配備されたが,さすがに旧式化しており,殆ど活躍することはなかった.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.wikipedia.org/wiki/Fiat_CR.32
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/362378-olasz-rep%C3%BCl%C5%91g%C3%A9pek-a-war-thunder-169-es-%E2%80%9Eregia-aeronautica%E2%80%9D-friss%C3%ADt%C3%A9sben/
https://www.amazon.co.jp/dp/8361421718
FIAT CR.32
(図表番号 No.faq191028cr1~4,2枚目はこちらより,それ以外はこちらより引用)
2019.10.29
【質問 kérdés】
MÁVAG 「ヘーヤ」って何?
Mi az MÁVAG Héja?
【回答 válasz】
MÁVAG 「ヘーヤ」は第二次世界大戦の戦闘機で,ハンガリー王立空軍によって東部戦線に投入された.
A MÁVAG Héja második világháborús vadászrepülőgép volt, melyet a keleti
fronton sikerrel használt a Magyar Királyi Honvéd Légierő.
1939年12月,ハンガリー政府はイタリアからレジアーネ Reggiane Re.2000戦闘機を70機輸入した.
1939 decemberében a magyar kormány 70 darab Reggiane Re.2000 vadászgépet
vásárolt Olaszországból.
Re.2000の愛称は「ファルコ Falco」であったので,ハンガリー語でやはり「鷹」を意味する「ヘーヤ Héja」と呼ばれた.
「ヘーヤ」はすぐに空軍基地には行かず,Magyar Királyi Állami Vas-, Acél- és Gépgyárak (ハンガリー王立鉄鋼機械工場,MÁVAG)に運ばれた.
ここでピアッジョ Piaggio P.XI エンジンをハンガリー製のヴァイス・マンフレート Weiss Manfréd WM K-14に換装する改修が行われた.
このエンジンはハミルトン3枚羽根定速プロペラを装備したもので,フランスのグローム・ローン Gnome-Rhône 14Kエンジンのライセンス生産型だったが,ピアッジョ・エンジンもやはりグローム・ローンのライセンス生産品なので,それ自体には問題はなかった.
ただ,重心が変わってしまうため,胴体の長さを前方に向かって3フィート延長する必要があった.
ハンガリーは実機と共にライセンス生産権も購入していた.
ハンガリー国内での「ヘーヤ」生産は,直ちに決定された.
輸入された機体は「ヘーヤ」I,ライセンス生産された機体は「ヘーヤ」IIと呼ばれる.
オリジナルの機体はブレダ12.7mm機銃を搭載していたが,ヘーヤIIでは12.7mmゲバウエル機銃を搭載.
ヘーヤIが7.99mであるのに対し,ヘーヤIIは8.39m.
最高速度はヘーヤIの530km/hに対し,ヘーヤIIは485km/h(高度4200m時)と若干低下した.
・エンジン・カバーがヘーヤIより若干小さくなっている
・機銃弾倉を納めるための盛り上がりがコックピット手前にある
・プロペラ・スピナーがない
のが,外見上の主な差異.
ヘーヤIIの生産は1944.8.1まで行われ,203機が生産された.
Re.2000ファルコの総生産数は約170機だったから,本家よりも多く作られたことになる.
「ヘーヤ」は1942年7月,東部戦線で初めて実戦投入された.
第1航空師団1/1FS(戦闘飛行隊)の11機が,クルスク近郊の基地に展開し.
8月3日までには2/1FSの11機も前線展開した.
前年にハンガリー軍が東部戦線に送った戦闘機は複葉のフィアットCR.42だったことを考えれば,各段の進歩と言えるのだが,1942年の東部戦線では「ヘーヤ」すら旧式化していた.
また,機構が複雑なために故障が多発し,東部戦線ではたちまち稼働率が低下.
摂政ホルティ・ミクローシュの息子,ホルティ・イシュトヴァーンも,この戦闘機(V.421号機)に乗っているときに事故死した.
そのため,メッサーシュミットBf-109戦闘機が配備されるようになると,ヘーヤは本土防空と訓練用に回された.
1943年半ば,ハンガリー国防相チャタイ・ラヨシュ大将は,本土防空戦備に関して次のように述べている.
「現在,我々は『ヘーヤ』50機を保有している.
だが,これらはアメリカのリベレーター爆撃機に対抗できない.
将来,練習機につかえるというだけの存在だ」
1944.4.13,米軍の爆撃機,数百機ががハンガリーにやってきたとき,ヘーヤも邀撃に上がり,爆撃機の護衛のP-38やP-47との空戦を展開.
しかし1000馬力級の戦闘機では,戦う前から苦戦は目に見えており,その日は1機被撃墜,2機が損傷を受けた.
以後,本土防空もBf-109の役回りとなり,ヘーヤは専ら訓練に用いられたという.
【参考ページ Referencia Oldal】
ジョルジョ・プンカ『ハンガリー空軍のBf109エース』(大日本絵画,2003)
http://www.repulomuzeum.hu/VirtualHangar/Heja/heja/mavagheja.html
http://www.air2ww.webd.pl/wegry/hejja/hejja.htm
http://www.keptelenseg.hu/auto-motor/a-mavag-heja-112765?full
3面図-wikipediaより
1枚目:「ヘーヤ」I
(図表番号 faq190704hj2,こちらより引用)
2枚目:カプロニCa.135 bis爆撃機機上から撮影された,護衛の「ヘーヤ」I
1941年.おそらくウクライナ上空
(図表番号 faq190704hj,こちらより引用)
3枚目:「ヘーヤ」II
(図表番号 faq190704hj6,こちらより引用)
4枚目:「モロヘーヤ」
(図表番号 faq190704hj7,こちらより引用)
「ヘーヤ」Iの操縦席
(図表番号 faq190704hj3~5,こちらより引用)
mixi, 2017.10.17
【質問 kérdés】
ヘーヤIとヘーヤIIの違いは何?
Mi a különbség Héja I és Héja II között?
【回答 válasz】
イタリアでハンガリー向けに生産された「ヘーヤ」Iと,ハンガリーでライセンス生産された「ヘーヤ」IIとの間には,以下のような違いが見られたという.
1) エンジンの違い.
オリジナルはピアッジョP.XIRC 40,14気筒2列空冷星型エンジンだが,ライセンス生産型ではヴァイス・マンフレート WMK-14375(WM-14Aとも呼ばれる)14気筒空冷星型エンジンに変更.
これによりエンジン・カバーがヘーヤIより若干小さくなった.
2) WMK-14375はピアッジョ・エンジンよりも軽量だったため,胴体を400 mm(350 mmとする資料もあり)延長して機体重心を調整.
3) ピアッジョ=ダスカニオP.1001プロペラからハミルトン・スタンダード・プロペラに変更.
ヘーヤIIではプロペラ・スピナーも無くなった.
4) Re.2000 Falcoのスロットルは引くタイプのものだったが,これを押すタイプに変更.
5) ヘーヤIには無線機が搭載されていなかったので,無線機を搭載.
6) オリジナルには無かったメンテナンス・ドアを胴体右側に設置.
7) 1941年に,追加の100リットルの自動密閉燃料タンクを「ヘーヤ」Iの胴体に取り付け.
8) 1941年には,パイロットシート用の厚さ8 mm・149 kgの装甲板,および重量2kgの正面装甲を取り付け.
これによって「ヘーヤ」Iの重心が変化し,尾翼方向へ350mm近く移動したため,テールが重くなり,急旋回時にテールスピンが起こる傾向があった.
9) オリジナルの機体はブレダ12.7mm機銃を搭載していたが,ヘーヤIIでは12.7mmゲバウエル機銃を搭載.
ゲバウエル機銃の弾倉を納めるための盛り上がりが,コックピット手前に作られた.
10) 最高速度はヘーヤIの530km/hに対し,ヘーヤIIは485km/h(高度4200m時)と若干低下.
なお,「ヘーヤ」Iと,本国向けあるいはその他の国向けに生産されたRe.2000との間にも差異があるらしいが,そのあたりはイタリア空軍に詳しい方が既にどこかで解説している
or これからどこかで解説されるであろうことに期待したい.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/778161/en/
http://www.repulomuzeum.hu/VirtualHangar/Heja/heja/mavagheja.html
http://www.keptelenseg.hu/auto-motor/a-mavag-heja-112765?full
1枚目:整備中のヘーヤII
胴体右のメンテナンス・ドアが見える
(図No. faq220113hj,こちらより引用)
2~3枚目:セバスキーP.35およびヘーヤIとIIの比較図
(図No. faq220113hj2~3,
こちらより引用)
mixi, 2022.1.15
【質問 kérdés】
ナルディ式焼夷弾自動撒布装置 Spezzoniera Automatica Nardi について教えてください.
Kérem, mondja meg a Spezzoniera Automatica Nardi-ről
【回答 válasz】
イタリア,ナルディ社が生産していた小型爆弾懸架装置.
2kg爆弾22個を搭載可能.
ハンガリー空軍では一部の「ヘーヤ」戦闘機の主翼の下,車輪の間に4基装着.
戦闘爆撃機として使用した.
爆弾は2kgの33.M "O "または2kgの33.M "M "を使用していた.
これらは爆発すると約250個の破片を生成.
破片の殆どが1g以上の重さ,そのうち50個は5g以上の重さとなった.
したがって88発の爆弾を搭載した「ヘーヤ」は,100×100メートルの範囲に20~22,000個の破片を降らせることができ,陸上の人員,砲兵,トラック,航空機に対してかなりの戦果を挙げることができた.
まずは1941年のバルバロッサ作戦において,派遣された7機の「ヘーヤ」Iのうちの2機(V.453とV.460)がこれを装着.
この2機は「ヘーヤB」(bは爆撃機 Bombázó のb)と命名された.
また,1942年から43年にかけてハンガリー第2軍が東部戦線に派遣された際にも,4機の「ヘーヤ」(V.415,V.426,V.440,V.430またはV.470)が戦闘爆撃機仕様となっていた.
「ヘーヤ」II,すなわちハンガリー国内でライセンス生産された「ヘーヤ」には,この爆弾懸架装置が標準装備となっていたが,戦闘爆撃機として使われることはなかったという.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/778918/en/
1枚目:ナルディ式焼夷弾自動撒布装置
2~4枚目:同装置を装着した「ヘーヤ」
(図No. faq211017bb1~4,こちらより引用)
mixi, 2021.10.24
【質問 kérdés】
マーヴァグ MÁVAG「ヘーヤII」急降下爆撃機について教えてください.
Kérem, mondja meg a MÁVAG Héja II zuhanóbombázóról.
【回答 válasz】
1943年に試作された,「ヘーヤ」II戦闘機の急降下爆撃機型.
製造番号V.560,V.670,V.660の3機が製作された.
これらは主翼に電動式急降下ブレーキを装備し,急降下ブレーキと車輪の間にドイツ製ETC50爆弾ラックを2基装備.
このラックにはイタリア製爆弾倉Spezzoniera Automatica Nardiを2×2個搭載することができ,88kg爆弾×2および50kg爆弾×4を搭載できた.
前者2機はハンガリー空軍に引き渡されたが,1944年,空襲によって破壊され,実戦経験の有無は不明.
3機目は単なる実験機として製作され,この機が空軍に引き渡されたかどうかも,実戦に参加したかどうかも不明.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/779518/en/
http://real.mtak.hu/78784/1/HT_2018_2_Book_tordelt4_imprimalt_cikk_15_u.pdf
https://2vilaghaborufegyverei.blog.hu/2019/05/12/mavag_heja_vadaszgep
V.660
現存するこの機の写真は,残骸を写したこの一枚のみ
(図No. faq210929hj,こちらより引用)
mixi, 2021.10.4
【質問 kérdés】
カプロニCa.101/Bについて教えてください.
Kérem, mondja meg Caproni Ca.101/B-ről.
【回答 válasz】
1928年初飛行したイタリア製爆撃機.
/Bはハンガリー側の要求に合わせて生産された.
ハンガリー軍では1933年から1937年にかけて18機を輸入.
トリアノン条約下ではハンガリーは空軍を禁止されていたため,輸入は郵便機という名目でハンガリー航空株式会社(Magyar Légiforgalmi
RészvényTarsasag –MALÉRT)が行った.
Ca.101自体,旅客機を軍用機に転用したものだったから,その意味でも最適と言えるかもしれない.
ただし,輸入に際してはジャンニ・カプローニ自身がハンガリーを訪れ,必要な修正やトラブルシューティングについて助言したにもかかわらず,運用上の問題が続いたため,生産にも影響が出て遅延している.
こうして輸入されたCa.101は夜間爆撃飛行中隊2個に配備.
特に最初の2機は,後の爆撃機乗組員の中核となる人材の育成に貢献した.
また,一部は,実験隊時代の空挺部隊にも使用された.
1941年夏から東部戦線に投入されたが,1942年以降,輸送任務にのみ使用.
旧式ながら信頼性の高い機体と評価されたが,1943年以降,残存機は訓練や教育に使用された.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://2vilaghaborufegyverei.blog.hu/2019/03/16/caproni_ca_101_kozepes_bombazo
http://en.digivideofestmenyek.com/hobby/aviation/the-history-of-hungarian-civil-aviation/all-that-hapenned-before-malev
https://www.arcanum.com/hu/online-kiadvanyok/Lexikonok-magyarorszag-a-masodik-vilaghaboruban-lexikon-a-zs-F062E/c-cs-F085C/ca-1013m-F085D/
http://epa.oszk.hu/00000/00018/00022/pdf/hk3.pdf
1枚目:側面図
(図No. faq210719cp2,こちらより引用)
2枚目:飛行中のCa.101
(図No. faq210719cp3,こちらより引用)
3枚目:駐機中のCa.101
(図No. faq210719cp6,こちらより引用)
4枚目:民間機塗装のCa.101
(図No. faq210719cp7,こちらより引用)
5~6枚目へのリンク
(図No. faq210719cp1&4)
7枚目へのリンク:胴体部をやや後方から接写
(図No. faq210719cp5)
mixi, 2021.7.21
【質問 kérdés】
WW2ハンガリー軍のサヴォイア・マルケッティ SM75について教えてください.
Kérem, mondja meg a Magyar Királyi Honvéd Savoia-Marchetti SM.75-eiről.
【回答 válasz】
SM.75は1937年に初飛行したイタリア製旅客機.
1938年~39年初頭にかけ,ハンガリー航空株式会社(Magyar Légiforgalmi Részvénytársaság,MALERT)が5機輸入.
オリジナルのSM.75はアルファロメオ 126 RC.34 空冷 星型エンジン(750hp)×3を装備していたが,この5機はノーム&ローン
Gnome&Rhône K14(930hp)を装備.
客席24座席.
機体は象牙ブルーに塗られ,垂直尾翼にはハンガリーの赤白緑横縞の三色国旗が描かれた.
しかし,この5機は1939年9月,第二次大戦勃発によりハンガリー空軍に移管.
空挺大隊の輸送機として使用された.
ユーゴ侵攻に際しては1941年4月12日午後,降下兵を積んだ4機のSM.75がヴェスプレームから発進.
しかし隊長機が離陸直後に墜落し,大隊長など降下兵18名を含む23名が死亡.
これはユーゴ侵攻における最も大きな損失となった.
東部戦線では傷病兵の後送に使用.
1941年11月に1機が技術的過誤によりブダエレシュで墜落.
4名が死亡.
老朽化により残る3機は1942年中に飛行停止.
その老朽化は鼠被害が報告されたほどだという.
最後は1943年,FIATに買い取られてイタリアへ戻っていった.
過酷なハンガリー本土戦に参加せずに済んだのは,幸いだったと言えるかもしれない.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://1000aircraftphotos.com/Contributions/HornDavid/12487.htm
https://www.aviationmegastore.com/savoia-marchetti-sm75-military-transport-hungarian-af-balaton-modell-bm7265-scale-modelling/product/?action=prodinfo&art=148097
https://www.facebook.com/301064666596127/posts/2842663455769556/
1枚目:側面図
(図No. faq210722sm,こちらより引用)
2枚目:SM75と空挺隊員
(図No. faq170214pr2,こちらより引用)
3枚目:白色塗装の民間仕様SM75
(HA-SMC:製造番号 cn 32020)
1939年,ブダペシュト空港
(図No. faq210722sm2,こちらより引用)
4枚目:1938年9月,最初に到着したSM75であるHA-SMA
ブダエレシュ Budaörs
(図No. faq210722sm3,こちらより引用)
mixi, 2021.7.23
◆◆◆◆◆◆ドイツ製
【質問 kérdés】
ハインケルHe-70Kって何?
Mi az Heinkel He-70K?
【回答 válasz】
He-70の,ハンガリー空軍での就役型.
まだ秘密空軍だった時代に,ドイツから2機のプロトタイプをライセンスと共に輸入.
これは12気筒910馬力のGnome-Rhone 14K空冷エンジンを搭載.
防御用の旋回式7.92mm機銃1丁を備えていた.
ヴァイス・マンフレート社がライセンスを取得.
1937年より生産を開始し,9月以降,18機を空軍に納入した.
このライセンス生産されたものはHe-170と呼ばれることもある.
He-70Kは,ブダペシュト近郊の第1独立偵察群に装備.
1940年夏の,ハンガリーとルーマニアの間でのトランシルバニアを巡る緊張状態の際には,その高速を生かし,ルーマニア空軍の追跡を振り切った.
バルバロッサ作戦でも数多くの偵察任務を遂行.
その間,ソ連軍戦闘機に撃墜されたのは1機だけだった.
しかし活躍できたのも序盤までで,航続距離の短さ,操縦席からの司会の悪さ,そして防御力の弱さおよび極端な可燃性(非自己密閉式燃料タンクとマグネシウム合金製機体コンポーネントの組み合わせ)といった理由により,1941年末までに第一線からは退役.
残存機は練習機に転用され,1944年12月4日,最後の2機が飛行場でP-51によって破壊された.
全長: 11.70 m
全幅: 14.80 m
全高: 3.10 m
重量: 2360 kg
最大戦闘重量: 3500 kg
最大速度: 360 km / h
最大高度: 5300 m
航続距離: 2100 km
乗員3名
武装: 7.92 mm(0.32インチ)MG15機銃×1
爆弾300kgを搭載可能
【参考ページ Referencia Oldal】
『Magyar Warriors』第 1 巻p.50
https://www.aviationsmilitaires.net/v2/base/view/Variant/4161.html
http://www.wardrawings.be/WW2/Files/2-Airplanes/Axis/4-Others/04-Hungary/He-70K/He-70K.htm
http://www.repulomuzeum.hu/Adomanyok/HidvegiZoltan/HZ_2/HidvegiZoltan_2.htm
https://www.1999.co.jp/image/10234210
https://live.warthunder.com/post/605486/en/
1枚目:カラー側面図
(図表番号 faq190616hi,こちらより引用)
2枚目:塗装例
(図表番号 faq190616hi6,こちらより引用)
3枚目:全景写真
(図表番号 faq190616hi5,こちらより引用)
4枚目:コックピット周り
(図表番号 faq190616hi4,こちらより引用)
mixi, 2019.6.16
【質問】
ハンガリー空軍で使われたハインケルHe-111について教えてください.
【回答】
王立ハンガリー空軍では,長距離偵察機として,1936年にHe-70を18機発注します.
これらは,Zeiss RMKS 18×18cmカメラとTelefunken276F無線機を搭載していました.
で,実際には,He-70ではなく,ハンガリーが主エンジンとして用いていた,Gnome-Rhone14K
を搭載した型が引き渡され,1/1 L-RRSと1/2
L-RRSに配備されました.
これらは,ユーゴスラヴィア戦に投入され,次いで東部戦線に用いられました.
このほか,2機のJu-86がソ連・ハンガリー国境線に於ける要塞構築状況,歩兵の集結状況,空港,空軍基地の設置状況を探る隠密戦略偵察任務に投入されていました.
しかし,爆撃機としてのJu-86が少なくなったため,秘密偵察任務に使用されていた機体も,爆撃機型に戻されることになり,その後継機となったのがHe-111Pです.
ハンガリー空軍は,ドイツに長距離偵察任務用に12機要求しましたが,結局は20機の発注となりました.
そのうち2機は1940年7月に,4機が1942年3月に,6機がその年の年末までに到着し,結局,12機しか引き渡されませんでした.
しかも,最初の2機は何処をどう間違ったか,爆撃機型のHe-111P.
ハンガリーはHeinkelにクレームを付けたのですが,工場に余裕がないと言う理由で,仕方なく爆撃機型のまま,慣熟訓練に用いられ,後に余裕が出た時点で再度工場に戻され,偵察機仕様に改造されました.
これらの機体は,1943年初頭まで偵察任務に使用され,その後は残った機体は練習機に格下げされてしまいました.
1944年,空軍司令部は二線級装備となった残存He-111を,夜間攻撃飛行隊に配備する計画を立てます.
これはHerder Groupと言う名称が付きましたが,結局実戦には投入されませんでした.
1944年秋,敗色濃いハンガリー政府は一つの決断をします.
そして,ハンガリー空軍のHe-111Pは劇的な飛行を敢行します.
それは,政府の降伏の為の密使を派遣する為に,ハンガリー空軍の塗装をドイツ空軍の塗装にした機体を,イタリアに向けて飛行させたのです.
この機体の飛行は成功しましたが,その降伏の動きは事前に察知され,残念ながらハンガリーはドイツの軛を抜けることに失敗しました.
成功していたら,救国の為の飛行だったのですが.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2004/03/28
青文字:加筆改修部分
【質問 kérdés】
ハンガリー空軍のユンカースJu-87について教えてください.
Kérem, mondja meg a Magyar Légierőben a Junkers Ju-87-ről.
【回答 válasz】
ハンガリーは42機を受領し,1943年6~7月(出典により異なる)より前線配備.
それに先立ち,爆撃機パイロットは1943年春から訓練を受けていた.
ドイツ空軍II./St.G.77の指揮下に入って実戦参加し,第2/2爆撃飛行隊はクルスクの戦いにも参加.
ただし戦闘参加は1943年8月からとされており,おそらくチタデレ作戦には参加していない.
その後は東部戦線や米軍のハンガリー本土空爆などで消耗していった.
【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.ww2incolor.com/hungary/4+Junker+87B+Stuka.html
https://live.warthunder.com/post/523341/en/
https://www.asisbiz.com/il2/Ju-87/HAF.html
王宮のハヤゴシュプスタ Hajagospuszta-Várpalota 演習場に向かって飛行中のJu 87 K-4
1942年7月,WM-21「ショーヨム」より撮影
(図No. faq210508ju,こちらより引用)
基地に駐機しているJu-87
(図No. faq210508ju2,こちらより引用)
2/2(後の102/2)「ココナッツ」爆撃機飛行隊のJu 87D-3の編隊飛行
(図No. faq210508ju3,こちらより引用)
Ju-87D-5 四面図
(図No. faq210508ju4~5,こちらより引用)
mixi, 2021.5.8
【質問】
ハンガリー空軍のBf-109 E型について,以前「河馬之巣」などの掲示板で「使われた」「使われない」などと,いろいろと議論されておりました.
眠い人様は,このE型について何か写真や詳しい資料等をお持ちでしょうか?
そういうものをお持ちでしたら,ぜひともハンガリー空軍のE型について詳しく教えてください.
よろしくお願いします.
【回答】
Squadron社が出していたGeorge Punka著“Hungarian Air Force”と言う本に当たってみたところ,1941年に国防省がドイツからBf-109のLicense生産を行おうとしたと言う話がありました.
(実際,生産は1942年から開始された訳ですが)
ただ,工場立ち上げまでに期間があったので,ドイツに対し,30機のBf-109を注文したようです.
これが,E型引渡説の根拠になったと思われます.
但し,このときにドイツから引き渡されたのは,僅か3機のBf-109Dで,その後,Bf-109F-4bが引き渡され,G型が引き渡されていったようです.
ちなみに,戦闘機のシリアル体系としては以下のものが挙げられています.
(昼間戦闘機) (夜間戦闘機)
V.001:Messerschmitt Bf-109F-4/G(49機) M.002:Messerschmitt Bf-110G-4(15機)
V.060:Fiat C.R.32(旧オーストリア空軍)(36機) Z.001:Messerschmitt Me-210Ca-1(12機)
V.101:Fiat C.R.32(オリジナル)(76機)
V.201:Fiat C.R.42(70機)
V.301:Heinkel He-112(4機)
V.310:Messerschmitt Bf-109G(80機)
V.401:Reggiane Re2000 SerieI(70機)
V.471:Reggiane Re2000 SerieII (28機)
V.502:Reggiane Re2000 SerieII Heja(70機)
V.601:Messerschmitt Bf-109D(3機)
V.606:Reggiane Re2000 SerieII Heja(81機)
V.751:Messerschmitt Bf-109G-2(48機)
V.801:Messerschmitt Bf-109G-6(98機)
V.951:Messerschmitt Bf-109G-2(3機)
V.001:Messerschmitt Bf-109G-10(99機)
V.101:Messerschmitt Bf-109G-10/14(99機)
V.201:Messerschmitt Bf-109G-10(21機)
V.501:Focke Wolf Fw-190F-8(70機)
眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2003/03/20
青文字:加筆改修部分
ドイツ空軍機と並んで飛ぶ,ハンガリー空軍のBf109G-6
ちなみにハンガリー空軍はハンガリー全土被占領後もオーストリアの基地に移り,休戦の日まで戦い続けた.
(図表番号 faq190713bf,こちらより引用)
2019.7.13
プレーンズ・オブ・フェイムの「黄の13」"Sárga 13" a Híres Repülőgépek Múzeumban
(図表番号 faq190713bf,こちらより引用)
ドイツ軍のスーパーエース,ギュンター・ラルの乗機として知られるBf109戦闘機G-10型.
しかし
https://live.warthunder.com/post/523916/en/
によれば,大戦末期にはこの機は,ハンガリー空軍の第101戦闘航空群「プーマ」が使っており,現存する唯一のハンガリー空軍のBf109でもある.
この機は終戦数日前,米軍に降伏するため,Neubibergに着陸したもので,当時はドイツ軍のII./JG 52の指揮下にあった.
降伏当時はハンガリー軍のエムブレムである十字が描かれていたが,戦後,博物館によって数度再塗装され,現在はこの塗装になっている.
なお,ハンガリー空軍にも「黄の13」は存在したが,これとは別物なので注意.
ハンガリー空軍の「黄の13」は,セーナーッシ・ラースロー大尉が操縦,1945.4.14に撃墜されている.
2019.10.30
【質問 kérdés】
ハンガリー空軍のメッサーシュミットMe 210について教えてください.
Kérem, mondja meg a magyar Messerschmitt Me-210-eiről
【回答 válasz】
元はドイツ軍の重戦闘機.
ハンガリー空軍では
Me-210 Da× 6機が偵察機として,
Me-210 Ca-1×128機が戦闘爆撃機として,
同×33機が夜間戦闘機その他として
使用された.
ライセンス生産も行われている.
1941.6.6に結ばれた,ドイツとハンガリーの政府間協定に基づき,6.26,ハンガリーでの機体とDB605エンジンのライセンス生産のための契約が,メッサーシュミット社とヴァイス・マンフレート社との間で交わされた.
生産のために新しい工場,ドナウ航空機工場株式会社 Dunai Repülőgépgyár Rt. が,ツェペル島のシゲトセントミクローシュ Szigetszentmiklós に建設された.
この株式はヴァイス・マンフレートが全株保有していた.
生産管理は全ての工程において厳重に行われ,そのため,品質はドイツ製のものに決して劣らなかったが,ドイツ製のものより多くの工数を必要とした.
1942.12.21には,ハンガリー製の最初のMe 210であるCa-1型の試験飛行が,エセーニ・デーネシュ Eszenyi Dénes 大尉によって実施.
1943年7月には,ハンガリー空軍に最初の2機が配備された.
Ca-1型はハンガリー側の航空技師によって武装が変更されており,M36 40mm機銃が胴体に,また,152mmの対空ロケット弾発射筒が翼下に装備された.
1944.4.1までにドナウ工場にて生産された270機のCa-1型の内,160機をハンガリー空軍が,110機をドイツ空軍が受領.
ハンガリー空軍のMe 210は,高速爆撃機部隊である第102/1「シャシュ Sas (鷹)」飛行隊,第102/2「ティグリシュ・エーシュ・ア・ヴィラーム
Tigris és a Villám (虎と雷光)」飛行隊,および夜間迎撃機隊である第5/1「バゴイ Bagoly(梟)飛行隊に配備された.
高速爆撃隊は1944年夏,ソ連の鉄道網破壊任務に投入され,幾つかの標的破壊に成功.
また,ハンガリー国内に戦いが移ると,トゥルダの戦いやトランス・ティサの戦い,ブダペシュト包囲戦やトランス・ダヌヴィア周辺の戦いにおいて,敵の進撃を遅らせるため,低空爆撃でソ連軍やルーマニア軍の兵站線を破壊した.
一方,夜戦隊は1944年3月からの,米軍によるハンガリー本土爆撃に対する迎撃任務に就いた.
こちらはシゲトセントミクローシュ上空においてリベレータ爆撃機を撃墜し,P-38戦闘機を撃破するなどの戦果を挙げている一方,1944.4.13にはP-38との交戦でボドー・ミクローシュ
Bodó Miklós 少尉とバリツァ・ラヨシュ Baricza Lajos 無線士兼機銃手が戦死するなどしている.
ハンガリー国内の飛行場を失った後も,オーストリアに移って戦闘を継続.
1945年3月,同国のパーンドルファル Pándorfalu において,まだ使用可能な残存機は,ソ連軍に渡さぬようドイツ軍によって破壊され,彼らにとっての戦争は終わった.
【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.repulestudomany.hu/kulonszamok/2014_cikkek/2014-2-24-0133_Ozsvath_Sandor.pdf
https://www.arcanum.com/hu/online-kiadvanyok/Lexikonok-magyarorszag-a-masodik-vilaghaboruban-lexikon-a-zs-F062E/m-F0B8D/me-210-F0C01/
https://honvedelem.hu/galeriak/magyar-gyartasu-me-210-roncsai-kerultek-szolnokra.html
http://epa.oszk.hu/02700/02735/00076/pdf/EPA02735_katonai_logisztika_2013_2_149-177.pdf
https://live.warthunder.com/post/779494/en/
https://live.warthunder.com/post/779495/en/
http://www.niehorster.org/015_hungary/_aircraft.html
Me-210
(図表番号 faq190921me3,こちらより引用)
(図表番号 faq190921me1~2,こちらより引用)
mixi, 2021.10.16
【質問 kérdés】
ハンガリー軍のユンカースJu 88について教えてください.
Kérem, mondja meg a Magyar Király honvéd Ju 88-ról.
【回答 válasz】
ハンガリー空軍では
(a) Ju 88A-4 /A-5 を1943~45年に51機,
(b) Ju 88A-14/C-6を1944~45年に32機,
(c) Ju 88D-1 /3 /5 を1942~45年に28機導入.
これらのうち(b)は爆撃機の他,戦闘機としても使用.
また,(c)は遠距離偵察機として使用した.
Ju 88 D型は1942年秋に受領し,1/1長距離偵察中隊に配備されたが,ドイツ軍のマーキングの上からハンガリー軍のそれに塗り直したというから,中古だったい違いない.
これらは主として東部戦線で戦ったが,1944年8月,ハンガリー本土防衛のため残存機は帰国している.
【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.niehorster.org/015_hungary/_aircraft.html
https://www.makettinfo.hu/Magyar-Ju 88-A-4
https://www.academia.edu/40392047/Az_els%C5%91_magyar_Junkers_Ju_88-as_bomb%C3%A1z%C3%B3k_jelz%C3%A9sei_Markings_of_the_first_Hungarian_Junkers_Ju_88_bombers_Haditechnika_2013_4._pp._68-69._
https://luftwaffe-aviation-art.blogspot.com/2020/05/junkers-Ju 88-d-2-f914-flown-by-royal.html
https://m.militaria.hu/digitalis-hadtortenelem-hadtorteneti-oktatasi-csomagok-iskolak-szamara/masodik-vilaghaboru-tortenete/masodik-vilaghaboru-tortenete-a-katona/a-magyar-kiralyi-honved-legiero-1939-1945
1枚目:四面図
(図No. faq210911ju2,こちらより引用)
2枚目:斜め後方より見たJu 88 D-2型
(図No. faq210911ju3,こちらより引用)
3枚目
(図No. faq210911ju4,こちらより引用)
4枚目:Ju 88 C-6型
シリアル番号B.148
1943年,ロシア
機首に照準手席があるかの如くカモフラージュした絵を描くことにより,本機が重戦闘機型ではなく爆撃機型であるかのように偽装している
(図No. faq210911ju,こちらより引用)
mixi, 2021.9.15
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