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◆◆◆ハンガリー空軍 Magyar Légierő
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<第二次大戦FAQ


 【link】


 【質問】
 第二次大戦のハンガリー空軍について教えてください.

 【回答】

 マジャルは,二重帝国の一方(マジャル王国)として第一次大戦では戦敗国の扱いを受け,トリアノン条約で,スロヴァキア,クロアチア・スラヴォニア,バナート地方,トランシルヴァニアを割譲し,軍備の制限を受け,軍用機の保有を禁じられました.
 この点はドイツと同じです.
 そしてドイツと同じく,空軍の建設は1921年末から徐々に進められましたが,公式の空軍創立は1939年まで行われていませんでした.

 当然,その保有機は隠密裡に行わねば成らず,殆どの機材は,ドイツ,イタリアからの購入に頼っています.
 1938年末の保有機は230機で,主力戦闘機がFiat C.R.32,爆撃機はJunkers Ju-86D,Heinkel He-70,偵察機がMeridionali Ro.37,Heinkel He-46がありました.

 そして,1938.3のオーストリア吸収でドイツと国境を接するようになり,イタリアからドイツの影響が強くなり,顧問などを受け入れてます.

 1940.11には三国同盟に加入し,巻き返しを図ったイタリアから,Fiat C.R.42戦闘機,Caproni Ca-135/P11爆撃機,Caproni Ca-310軽爆撃機,Nardi F.N.305練習機を比較的安く購入し,前オーストリア陸軍航空隊で使用されていたC.R.32を供与されています.

 1941年,マジャルはソ連に宣戦を布告します.
 このときには,戦闘機2個連隊,爆撃機2個連隊,独立長距離偵察1個大隊,短距離偵察11個中隊で構成されており,航空機350機を保有していました.

 7月から12月まで,ソ連戦線派遣軍に戦闘機中隊1(Fiat C.R.42),小隊1(Reggiane Re-2000×6),爆撃機中隊1(Ju-86D),小隊1(Caproni Ca-135/P11×6),短距離偵察中隊2(Heinkel He-46,WM21)を派遣しました.
 しかしながら,このとき空戦は殆ど発生せず,無事に部隊は帰還しました.

 そして,1942年にはドイツからBf-109E(40機),Ju-87D,Ju-88A,Do-215,He-111と言った第一線機の供給があり,夏に再び東部戦線に派兵します.

 さて,1942年半ば,マジャル空軍は再び戦場に赴きます.
 このときは,戦闘機1個大隊(Re-2000),爆撃機1個大隊(Ca-135/P11),長距離偵察1個大隊(He-111,後Do-215,更にJu-88),短距離偵察1個中隊(He-46)を派遣しますが,戦闘は激烈で,1943年には最後に残ったRe-2000を破壊して退却を行いました.

 そして,戦力の再整備が行われ,ドイツからの供与品として,戦闘機はBf-109が,爆撃・長距離偵察機としてJu-88,急降下爆撃機にJu-87D,そして短距離偵察機にFw-189が引き渡され,戦闘機中隊を除いて,1943年末まで東部戦線で戦闘を行いました.

 さて,1944年に入ると,4月から本土が米陸軍航空隊の爆撃を受けるようになります.
 当初はBf-109の2個中隊しか本土にありませんでしたが,夏には戦闘機6個中隊に増強され,秋には,Bf-109Gを8個中隊,Me-210が3個中隊,Fw-190Fが2個中隊に加え,夜間戦闘機隊も創設されました.

 1944年秋からは本土にソ連軍が攻め込んだため,戦闘機隊はその防戦に勤め,輸送機,連絡機は包囲されたブダ=ペシュトの救援を行いましたが,1945年1月,休戦協定が結ばれ,終戦となりました.

 しかし,それを潔しとしない人々がドイツ軍と共に戦い,1945年4月になるまで,空軍は抵抗を続けています.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2003/03/16~03/19
青文字:加筆改修部分

▼ 以下,光人社NF文庫『弱小空軍の戦い方』の一部な―.

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…政府高官の政の不調をよそに,ハンガリー空軍のピューマ部隊は来襲する連合軍機を相手に奮闘を続けた.
 ハンガリー空軍にはFw190(戦闘爆撃機型)も七十機ほど渡ったが,戦いの後半の主力はBf109G.
 少数のBf109Fや供与機,ライセンス生産機併せて五百機近いBf109を擁して,数十人ものエースを輩出している.

 やがて秋口から友邦の枢軸国が次々にソ連,連合国と休戦し,対ナチスドイツ攻撃に回るなか,ハンガリー軍はソ連軍が領内に侵攻,翌1945年2月にブダペストが陥落しても,なおドイツ軍と共闘.
 新造のBf109は部隊への引き渡し前に連合軍側戦闘爆撃機に破壊される状態になっていたが,最後の防空作戦はナチスドイツの降伏直前の時期まで続けられたということである.
------------

 ・゜・(ノД`)・゜・

軍事板,2008/01/21(月)
青文字:加筆改修部分

1944.9.1当時のハンガリー空軍編制
こちらより引用)

2017.2.1追記

ハンガリー空軍機の部隊章一覧
faq170225le.jpg
faq170225le2.jpg
こちらより引用)

2017.2.26追記


 【質問】
 第二次大戦ハンガリー空軍の軍装について教えてください.
Kérem, mondja meg nekem, milyen a Magyar Légierő katonai egyenruhák voltak a második világháborúban.

 【回答】
 ▼クリス・マクナブによれば,ハンガリー空軍標準のカーキ色の勤務服.
 こちら↓は,ハンガリー空軍標準のカーキ色の勤務服.
 1943年,ロシア南部におけるハンガリー空軍中尉のイラストである.
(ネットで拾った画像だが,下掲書に載っているイラストと同じもの)▲
 勤務服は地上・航空要員共通だった.
 その上にドイツ製羊皮ジャケットを着用.
 軍帽は茶色で,革製ひさしつき.

 詳しくは,
クリス・マクナブ『世界の軍装図鑑』(創元社,2014),p.199
を参照されたし.


 写真1は,夏用カバーオール.
 空軍部隊の多くで戦争終結まで着用された.
 その時々の入手可能な衣料素材によって作られたため,基本色は白とベージュであるものの,多くの色違いのものがあった.
 初期のものはボタン(左端),後期はジッパー付きになった(中央左).
 パイロットその他の航空機搭乗員は,ジャケット(中央右)やベスト(右端)などをオーバーオールの上に羽織った.

 写真2はレザー・ジャケット.
 戦争初期,ハンガリー空軍にはフィアットCR.32やCR.42のような開放式コックピットの戦闘機があったため,気象条件が悪い時に着用された.

 写真3写真4は,冬用カバーオール.
 戦争初期,戦闘機,爆撃機,偵察機の搭乗員に支給された.
 ハンガリー空軍にも加圧キャビン付きのコックピットが導入されると,このジャケットはパイロットには必要なものではなくなったが,偵察機や爆撃機の搭乗員は依然として着用.
 より軽い「夏用」レザー・ジャケットも登場した(写真4).

 写真5は布スリーブ付きの革ベスト.
 陸軍だけでなく,空軍でも好まれた.
 パイロット達は搭乗中,パイロット・スーツの上にそれを羽織った.▲

▼ 写真10は,30M空軍ジャケット.
 空軍所属の志願兵が着用.
 色を合わせてフィールド・ブラウンのズボンを履く.

 写真11は,空軍将校および准士官用のスーツ.
 このスーツには色違いの3種があった.
・フィールド・ブラウンの戦闘服
・白の夏用勤務服
・ダーク・ブルーの正装用制服
 ダーク・ブルーの制服をメス・ドレス(夜会服)として着るときには,ボウ・タイか,さもなければ一般的なネクタイを着けた.
 フィールド・ブラウンの騎兵用ズボンかパンタロンを同時に着用したが,夏季用には白いパンタロン,正装の時には黒いパンタロンを着用した.
 地上勤務将校には正装として黒いスーツを着た.
 空軍将校はフィールド・ブラウンのスーツを着る時にはベージュのシャツと黒いタイを着用したが,勤務服または正装を着用するときには白いシャツだった.
(写真10~11はこちらより引用)▲

▼ 写真13はベルトとバックル.
 勤務用や正装用のもの.
 黒いベルトは将校や准士官によって使われた.
 バックルは金色.
 茶色の皮ベルトは下士官用で,バックルはブロンズだった.▲

▼ もちろん他にもヴァリエーションあり.
 下掲の「ハンガリー空軍記章一覧」のイラストを参照されたし.
 この「ハンガリー空軍記章一覧」のイラストを参照されたし.
こちらより引用)
 文字が潰れて読めないのが残念.

 イラストや写真に見えるパイロット用の飛行帽は,リネン(春夏)とレザー(秋冬)の2種.
 戦争初期のハンガリー軍機には無線機が搭載されていなかったため,飛行帽もそれに対応していなかった.
 写真3がそのラジオレス飛行帽.
 1942~1943年にかけて無線機が搭載されるようになると,ラジオレスのタイプは使用できなくなり,全ての飛行帽が無線対応のものとなった.▲

▼ 写真7はパイロット用ブーツ.
 第二次大戦始めから,パイロット達に支給された.
 後に徐々にビルゲリ靴や,「メッサー・ブーツ messer csizma」に置き換えられた.

 写真8がそのいわゆる「メッサー・ブーツ」
 ドイツ空軍のブーツに触発されたハンガリー空軍のパイロット達が,1943年から使い始めた.
(7~8はこちらより引用)

 写真9は冬季用ブーツ.
 パイロットに支給された.
こちらより引用)▲

写真12は冬用革製飛行士用手袋
 空軍が使用した革手袋で5本指.
1本指にすることができる追加パーツもあった
(こちらより引用)▲

▼ なお,飛行服の左袖には飛行中隊の記章がつけることが珍しくなく,写真や動画の中に見かけることができる.

1943年,ロシア南部におけるハンガリー空軍中尉
(ネットで拾った画像だが,上掲書に載っているイラストと同じもの)


ハンガリー空軍記章&制服一覧
(こちらより引用)

 【参考ページ】
クリス・マクナブ『世界の軍装図鑑』(創元社,2014),p.199
http://live.warthunder.com/post/375336/en/
http://live.warthunder.com/post/403810/en/

▼ 【関連リンク】
http://live.warthunder.com/post/409495/en/
 空軍軍装写真10枚▲

mixi, 2016.6.29
2017.2.9改訂 felülvizsgálat
2017.3.4追記 utóirat
2017.3.22追記 utóirat
2017.4.16追記 utóirat
2017.4.17追記 utóirat
2017.4.29追記 utóirat


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー空軍のコートはどんなもの?
Milyen felöltő volt a magyar légierő a Második világháborúban?

 【回答 válasz】
 こちらがそのコート.
 木綿製.
 陸軍のコートとは異なり,ボタンは4対.
 また,襟の素材はコートと同じだが,将軍には赤いボーダー柄がつき,内側も赤だった.
 幕僚と将校だけが,襟までボタン止めをせずにコートを着用することが許されており,左の袖に階級章が着いた.

 また,1943年からは,いわゆる「ルフトヴァッフェ・ジャケット Luftwaffe kabát」なるもの
faq160629af6.jpg
faq170315ct8.jpg
を空軍パイロットが着用するようになった.
 それを着たのは主として第101戦闘航空団「プーマ」のパイロット達だった.
 これはドイツ空軍のジャケットをコピーしたものだった.
 その後,他のパイロット達にも広まった.

 【参考ページ】
※ 画像引用元も同じ
http://live.warthunder.com/post/375336/en/
http://live.warthunder.com/post/405623/en/
http://military-shop.hu/termek/1199mh-hajozo-zold-kabat--uj-c70ab69b.html

mixi, 2017.3.17


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー空軍の軍帽は?
Mi az Magyar légierő sapkájai a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 主に2種類あった.

 一つはベレー帽 svájci sapka.
 1942年にボチカイ帽に置き換えられるまで,空軍参謀本部の要員が着用した.
 JNCOはブロンズ,NCOはシルバーの空軍章がついた.

 もう一つは勤務帽 gyakorló sapka.
 パイロットのようなNCO, WO,将校が使用したが,カルパソマーニョシュのJNCOの中にも,正式に将校としての訓練を受けており,かつ,自弁できるほどの余裕のある者は,これを被っていることもあった.
 将校とWOには金のストライプ,空軍章,ボタンがついていたが,この帽子を自弁する志願兵用のものには,ストライプは無く,記章はブロンズだった.
 1942年,この帽子もボチカイ帽に置き換えられたが,多くのパイロットはドイツ空軍の影響で,この帽子を使い続けた.
 帽子には革性のアイ・シェードがつき,また,デザインは主に高さの点で,年と共に僅かながら変化があった.
(画像上は30年代,画像中央は40年代初め,画像下は1943年以降)
 色はフィールド・ブラウン,濃紺,または白.
 聖なる王冠を持つ鷲をかたどった空軍章がついていた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/407634/en/
(画像引用元も同じ)
http://katpol.blog.hu/2008/10/02/tanyersapka

帽子の各部名称
ただしこの帽子はWW2ハンガリー空軍のものではない
(こちらより引用)

2017.4.8


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー空軍の戦功徽章とは?
Milyen Teljesítmény Jelvények voltak magyar Légierő a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 第二次大戦ハンガリー軍の戦功徽章はサーラシ政権時の1944年11月,ソ連軍がハンガリーに侵入し,ブダペシュトが包囲されつつある頃に作られたもので,授与が行われた記録が1945年5月までは存在する.
 もちろん士気高揚が目的.
 陸空軍のどの徽章も3階級に分かれ,
3等はブロンズ,
2等は銀色,
1等は金色.
 大きさは45×60mmの楕円形で,アルミのプレス加工品.
A teljesítmény-jelvények 45/60 mm méretben, ovális alakban, alumíniumból préselve készültek.
 ジャケットの左の胸ポケットにつけることとされた.
 複数の徽章を与えられる将兵もいたが,ポケットにつけることができるのは一つだけとされた.

 写真1は航空機撃墜章 Repülőgép lelövési jelvény.
 対空砲と爆発する飛行機がリレーフされている.
 敵機を撃墜または不時着させた将兵に授与されたもので,
3等は5機
2等は10機
1等は15機
の戦果で与えられた.

(写真未入手)は航空戦闘章 Harcos repülő- jelvény.
・長距離偵察機,夜間戦闘機
・爆撃機,輸送機
・急降下爆撃,近距離偵察機
の航空搭乗員に授与されるもので,最前線を飛行するか,味方支配地域上空で空中戦を行うことが条件だった.

 長距離偵察機,夜間戦闘機では
3等:10回
2等:20回
1等:50回.

 爆撃機,輸送機では,
3等:20回
2等:40回
1等:100回.

 急降下爆撃,近距離偵察機では
3等:40回
2等:80回
1等:200回
の出撃で授与された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/410994/en/
http://magyarhonved.blogspot.jp/2012_10_01_archive.html
http://www.roncskutatas.hu/node/6149 ※写真1引用元

2017.5.4


 【質問 kérdés】
 防空章とは?
Mi az Légoltalmi Jelvény?

 【回答 válasz】
 防空章(写真1)は摂政ホルティ・ミクローシュの名の下に,軍人と民間人の両方に対して授与された勲章.
 1944.5.19制定.
「防空が有効に実行することを組織し,発展させ,普及することを目的とし,最低1年間,義勇的又は職業的な効果的活動を――1年間防空義務を完全に達成した者と同じように――,そして空襲の最中または空襲後に救助活動,消火,傷病者救護,不発弾処理などを少なくとも1回行った者」にこの勲章は与えられた.

 勲章の大きさは60mmでアルミ製.
 勲章の表には"LÉGOLTALOMÉRT"(防空によって)という文字があった.
 裏面には留め具がついている(写真2)

 制服にこの勲章を着用する際は右の胸に,スポーツ熟達章の上につけることとされた.
 今日ではこの勲章をつけることはできないという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/450792/en/ ※写真1引用元
http://kituntetes.webnode.hu/jelvenyek/legoltalmi-jelveny/ ※写真2引用元

mixi, 2017.9.8


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー空軍の栄誉装飾短剣とは?
Mi az a magyar Repülős tiszti dísztőr?

 【回答 válasz】
 空軍下士官や将校の,勤務服や正装用の短剣.
(写真1)
(写真2)
 全長38cm.
 鍔には鷲の頭をかたどった装飾が施されている.
 完全に儀典用で,刃はついていなかった.
 将校用のものは鞘も鷲の頭の装飾も金色だったが,下士官用のものは鞘は銀色,装飾はブロンズだった.
 刀身には浮き彫りの装飾が施され,また,受章者らしき者の名が刻まれている.
(写真3)
(写真4)
(写真5)
 ベルトには,以下の写真のように装着する.
(写真6)

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/409316/en/ ※写真1引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/5371 ※写真2引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/2073 ※写真6引用元
http://hideg-fegyverek.armybazar.eu/hu/kesek-torok-szuronyok/eredeti-horthy-repulos-tiszti-disztor-id23001/ ※写真3-5引用元

2017.4.25

 【質問 kérdés】
 RMIって何?
Mi az RMI?

 【回答 válasz】
 RMI(航空技術研究所)は,軍用機を設計することを主な業務とした研究機関.
Az RMI (Repülő Műszaki Intézet) a intézményi szervezet, ami fő feladata volt katonai repülőgéptípusok tervezése.
 1943年末,旧工科大学航空技術研究所から設立された.
Az 1943 végén a korábbi műegyetemi Aerotechnikai Intézetből alakult meg.
 その航空機設計部門の長ヴァルガ・ラースローは,大学の教授だった.
A repülőgép tervező iroda vezetője Varga László műegyetemi tanár volt.
 爆撃のため,1944年4月の終わりに,バラトヌーイヘイにRMIは落ち着き,秋までそこで活動した.
A bombázások miatt 1944. április végén Balatonújhelyre RMI települtek és őszig itt működtek.

RMIが設計した航空機
名称  種別 備考
 RMI-1 X/H    戦闘機兼偵察機  
 RMI-2 X/G   試験機  X/Hの空力試験機
 RMI-3 Z/G   練習機  X/Gの急降下爆撃訓練機型
 RMI-4 Z/G   爆撃機  RMI-3の軽爆撃機版?
 RMI-5 X/U  輸送機  
 RMI-6  「スーニョグ」   試験機  前輪式降着装置開発のための試験機
 RMI-7 V/G   練習機  機体構造はZ/Gと同一
 RMI-8 X/V  戦闘機  
 RMI-9 M/G (Me/G)   練習機  Bf-109パイロット用練習機
 RMI-10    輸送グライダー  

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://kepesrepules.wordpress.com/2014/07/29/a-magyar-kiralyi-honved-legierok-repulo-kiserleti-intezetenek-epuletei-12/

mixi, 2017.11.9


 【質問 kérdés】
 34/A.M ゾロターン軽機関銃とは?
Mi az 34/A.M Solothurn légvédelmi géppuska?

 【回答 válasz】
 1934年,31.Mゾロターン軽機関銃を航空機用とするための改修が行われた.
 射撃速度を毎分1000発に上げるため,マズル・ブースターを追加.
 しかし初速は730m/sのままだった.
 この機銃の弾倉は,2個の着脱可能なドラム・マガジンであり,発砲ごとにこの2個が交互に使用されることにより,発砲が続くにつ入れて銃身に影響を与えないようになっていた.
 ハンガリー軍総司令部では,航空機の防御兵器としては34.M ゲバウアー Gebauer機関銃のほうがより良いと判断したため,この機銃は少数のユンカースJu-86爆撃機にのみ装備された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434735/en/

2017.6.19


 【質問 kérdés】
 ゲバウエル・フェレンツとは?
Ki az Gebauer Ferenc?

 【回答 válasz】
Gebauer Ferenc az 20. sz. egyik legjelentősebb magyar fegyverkonstruktőreként, aki elsősorban repülőgépről irányítható géppuskákat tervezett.
 ゲバウエル・フェレンツは,主として航空機搭載機銃を設計した,20世紀の最も重要なハンガリー人銃器発明家の一人.

1888. június 25.-ben Ausztria, Gross-Herlitzben született.
Iskolai tanulmányait szülővárosában végezte, ahol géplakatos szakmát is tanult.
1915-ben Bécsújhelyen pilótaiskolát végzett.
1907 és 1911 között egy németországi autógyár üzemvezetője.
1911 és 1914 között a grazi Puch-motorkerékpárgyár trieszti munkatársa, fiókvezetője.
 1888.6.25,オーストリアのグロス・ヘルリッツ生まれ.
 故郷で学校教育を終え,その地で職工技能も学んだ.
 1915年にはウィーンにおいてパイロット学校を修了.
 1907~1911年,ドイツの自動車工場のマネージャー.
 1911~1914年,トリエステの仲間と開いたグラーツのプッチ・オートバイ工場の取締役社長に就任.

Az I. vh.-ban a hadsereg-főparancsnokság autós futártisztje (1914–1915), majd az olasz fronton ún. tábori pilóta (1916–1917), az asperni repülőgépgyár üzemi pilótája (1917–1918), majd a vh. végén, Fischamend repülőterén fegyvermesterként szolgált (1918).
Korábban, a 20. sz. elején, az Osztrák–Magyar Monarchia vadászrepülőgépein Schwartzlose típusú fedélzeti, lőporgázhajtású géppuskákat használtak, amelyek az Alpok feletti repüléseknél gyakran meghibásodtak.
Ezen hibák kiküszöbölésére új, motorhajtású géppuskát tervezett.
(Gebauer géppuska, 1917; első működő példányát bemutatta: 1918 jún.; a fegyver rendszeresítésére már nem kerülhetett sor)
 第一次大戦勃発後,陸軍司令部の自動車化伝令将校(1914-1915),次いでイタリア戦線で軍用機パイロット(1916-1917),アスペルンの航空機工場のテスト・パイロット(1917-1918)となり,1918年の大戦終結後,フィッシャメント飛行場において銃器技師を務めた.
 20世紀初期のオーストリア=ハンガリーの戦闘機にはシュワルツローゼ式航空機銃が使われていたが,アルプス上空ではしばしば不具合が発生した.
 この欠点を無くすため,新しいモーター駆動の機関銃を彼は設計した.
(ゲバウエル機関銃1917年型;ただし最初に雛形が発表されたのは1918年6月,しかし兵器システムとして登場することはなかった)

Az összeomlás után egy bécsi gépgyár műszaki igazgatója (1918–1920), Budapesten telepedett le, ahol két gépgyár műszaki vezetője (1920–1924).
A Danuvia Fegyver és Lőszergyár (1924–1936), ill. a Danuvia Rt. műszaki igazgatója (1936–1944).
Kísérleti műhelye a Váci úton működött, miután a Szövetséges Ellenőrző Bizottság felfedte, másutt kellett felállítani titkos üzemét, amely végig a Danuvia Rt.-n belül működött.
A Honvédelmi Minisztérium Technikai Kísérleti Intézete titkos megbízásából újabb motorhajtású repülőgéppuskát tervezett (22M GMP jelű, 1922); a Danuvia Rt. a továbbfejlesztett változatból 243 darabot készített (1926–1934 között, a szabadalmat Németország és Olaszország is megvásárolta, 1939-ben).
A jól bevált, 8 mm-es géppuska után 12,7 mm-es változatot is készített, amelyet rendszeresítettek az Olaszországtól kapott FIAT CR-42 típusú vadászgépen (1940).
Repülőgéppuskáinak újdonsága, hogy percenként 1500 lövést leadva tüzeltek a légcsavarkörön át.
Tervezett még felderítő-repülőgépek számára megfigyelő-géppuskát, ill. ő tervezte a Toldi és Turán magyar harckocsikba és őrnaszádokba beépített géppuskát is.
 ハプスブルク帝国崩壊後はウィーンの機械工場のテクニカル・ディレクター(1918-1920)となった後,2つの工場のテクニカル・マネージャーとなってブダペシュトに落ち着いた (1920–1924).
 次いで,ダヌヴィア兵器弾薬工場(1924–1936)やダヌヴィア社のテクニカル・ディレクター (1936–1944)となった.
 ヴァーチ通りにあった研究工房に彼は勤めていたが,連合軍統制委員会に工房が発見された後は,別の場所に秘密の工場を建てねばならず,ダヌヴィア社の中のそうした部署で働くことになったのである.
 そして国防省技術試験研究所の極秘命令により,新型の航空機用外部動力機銃を設計(22M GMP,1922).
 これの改良型をダヌヴィア社は243挺製造した(1926-1934年,1939年にドイツとイタリアが特許購入).
 また,8mm機銃の後に12.7mm版が作られ,イタリアから輸入されたFIAT CR-42戦闘機に搭載された(1940年).
 この航空機中の新機軸は,プロペラ・シャフトを介して毎分1500発を発射できることにあった.
 観測機のために観測員用の機銃として設計されたものだが,トルディ戦車やトゥラーン戦車,そして哨戒艇に装備された機銃も,それぞれ彼は設計した.

Magyar állampolgár (1926-tól)
Megszerkesztette továbbá a gázdugattyús golyószóró kísérleti példányát is (1929-ben).
A a bp.-i József Nádor Műszaki és Gazdaságtudományi Egyetem (JNMGE) c. gépészmérnöke (1939-től).
 1926年にハンガリーの市民権を取得.
 1929年には,さらに彼は試作ガス圧作動方式機銃の開発を行った.
 1939年にジョージェフ・ナードル工科大学(JNMGE)の工学技師となった.

Az ország német megszállása után Svédországban telepedett le (1944), a Bofors fegyvergyár munkatársa vezető tervezője (1944–1958?).
Halálának ideje és körülményei ismeretlenek.
 1944年,ドイツによるハンガリー占領後,スウェーデンに移住し,ボフォース兵器工場のシニア・デザイナーとなった(1944–1958?).
 死亡年月日とその状況は不明だという…

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.nevpont.hu/view/10675
https://togetter.com/li/580794
http://magyarhonved.blogspot.com/2012/11/a-36m-nehezpuska.html
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_gu_gl_30.html

mixi, 2018.3.15


 【質問 kérdés】
 ゲバウエル26/31.M機銃とは?

 【回答 válasz】
 1926年にハンガリー空軍に制式採用,生産開始された航空機用外部動力機銃.
 ゲバウエル・フェレンツがダヌヴィア社において開発したもので,1922年に作成された試作機銃,22.M GMP(Gebauer Motor Puska:ゲバウエル外部動力銃)の改良型.
 生産は34年まで行われ,243丁が秘密裏に空軍に納入された.
 空軍での名称は "26 / 31.M GKM"(Gebauer Kényszermeghajtású Motorgéppuska = ゲバウエル外部圧力式モーター機銃).
 固定式の連装機銃で,クランク・シャフトによって作動した.
Az géppuska merev beépítésű ikergéppuska volt, a motor főtengelyétől hajtott.
 不発弾は自動排出され,次弾が自動装填された.
 弾詰まりが発生した場合には自動解除安全機能によって,もう片方の銃が作動したままでも,機体が損傷することなく機銃を停止させることができた.
 弾帯には500発が装弾されており,発射速度は毎分1100~1200発.
 弾丸の種類は8x57 mm RN弾で,ハンガリー軍ではこれを8mm 30.M弾と称した.
 この機銃は1942年まで,以下の機体に装備された.
・フィアットCr.32
・ハインケル He-46
・ヴァイス・マンフレート WM-16「ブダペシュト」
・ヴァイス・マンフレート WM-16「ショーヨム」

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/457795/en/
http://www.hungariae.com/Gebauer.htm
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1416327045062755&id=173104556051683 ※図2~4引用元
http://archive.is/h5TPL#selection-251.0-291.96
http://mek.oszk.hu/12900/12993/pdf/12993_1.pdf ※図1引用元

(図1 1.ábra) 外観 megjelenés

(図2~4 2-4.ábra) 機関部 motor rész
faq180318gb2.jpg
faq180318gb3.jpg
faq180318gb4.jpg

mixi, 2018.3.20


 【質問 kérdés】
 34Mゲバウエル航空機観測員用機銃とは?
Mi az 34.M Gebauer Megfigyelő Motorgéppuska?

 【回答 válasz】
 偵察機や爆撃機に搭載された防御用機銃.
(図1)
 ハンガリー空軍が8mm 30M弾として採用していた8x57mmRN(round-nosed)型モーゼル弾を使用.
 弾倉は100発入りドラム型「ホルヴァート Horváth」と呼ばれるもので,これは同時期の列国空軍の同種機銃の2倍の容量だった.
 固定バレル,ガス作動方式で,薬莢は左側から排出する,といった点が特徴.
 操作とメンテナンスはシュワルツローゼ機関銃よりも遥かに簡単だった.
 就役期間は1934~42年.
 ハインケルHe-46,He-70K,ヴァイスマンフレートWM-16「ブダペシュト」,WM-21「ショーヨム」,カプロニCa.101,Ca.310,そしてユンカースJu-86の殆どに,この機銃が搭載されたという.
 (写真1 1.fénykép)は機上で34.Mを構える観測員.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/458214/en/ ※写真1引用元
http://www.hungariae.com/Gebauer.htm
http://mek.oszk.hu/12900/12993/pdf/12993_1.pdf ※図1引用元
https://togetter.com/li/580794

mixi, 2018.3.11


 【質問 kérdés】
 ゲバウエル39.M翼内機銃とは?
Mi az Gebauer 39.M szárnyú géppuska?

 【回答 válasz】
 知られている限り,ゲバウエル・フェレンツが設計した唯一の翼内機銃.
 8x56 mmR弾丸を使用するということ以外,性能諸元は不明.
Az egyetlen ismert szárnyú géppuska, amit a Gebauer Ferenc tervezett.
A műszaki adatoka nem ismeret, mint az 8x56 mm R lőszert tüzelte.
(写真 .fénykép)

 1936年2月,試作品完成.
 1939.2.16,軍参謀本部に対して提示.
 1939.4.21~5.31,同年ドイツから輸入したハインケルHe-112戦闘機 B-1/U2型に,次いでHe-112ベースの国産戦闘機WM-23の試作機に装備されたという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/457803/en/ ※写真引用元
http://www.hungariae.com/Gebauer.htm

mixi, 2018.3.16


 【質問 kérdés】
 ゲバウエル40.M機銃とは?
Mi az Gebauer 40.M géppuska?

 【回答 válasz】
40.M GKM-géppuska szerkezete és működése teljesen azonos a 26/31. mintájúval, de űrmérete 12,7 mm-es lett.
Tölténye azonos a Breda–Safat géppuskáéval.
Egyetlen 40.M GKM 20 kg volt.
Az csőtorkolati sebesség 800 m/s, és az elméleti tűzgyorsaság 1500 lövés / perc volt.
 40.M GKMは構造と作動は26/31.Mと全く同じだが,口径は12.7mmあった.
 弾丸はブレダ-SAFAT機銃のものと共通.
 単装の40.M GKMは重量20kg.
 銃口速度800m/sで,毎分1500発を発射できた.

Ezt a géppuskát 1940-ben rendszeresítették az Olaszországból érkezett új FIAT CR–42 típusú repülőgépeken, melyek leváltották a FIAT CR–32 vadászt.
Harci alkalmazásukra az 1941-1942-es években került sor.
 この機銃は,フィアットCR-32戦闘機を更新するため,イタリアから到着した新型のフィアットCR-42戦闘機に装備された.
 1941~42年にかけ,実戦配備されている.

 イタリアは1943年,イタリア製戦闘機2機分の代金の代わりにGKMライセンス生産権を取得.
 イタリアがGKMを製作したかどうかは不明である.
1943-ban Olaszország megvásárolta a GKM gyártási engedélyt két olasz harci repülőgép kifizetésére.
Nem ismer, hogy az olaszok valaha gyártottak GKM-t.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/457795/en/ ※図1引用元
http://www.hungariae.com/Gebauer.htm
http://archive.is/h5TPL#selection-295.0-319.65
http://mek.oszk.hu/12900/12993/pdf/12993_1.pdf

(図1) 単装型40.M GKM
(1.ábra) Egyetlen 40.M GKM

mixi, 2018.3.23


 【質問 kérdés】
 8cm 29.M高射砲とは?
Mi az 8 cm-es 29.M légvédelmi ágyú?

 【回答 válasz】
 1929年にハンガリーがスウェーデンの1929年式ボフォース Bofors 高射砲のライセンスを購入し,生産したもの.
 1929年式ボフォース高射砲には75mmモデルと80mmモデルとがあったが,ハンガリーは後者を選択.
 この砲は地上部隊および水軍で使用された.
 写真1はgoogle検索レベルでは来歴不明.
 写真2は1942年夏,ソ連の Stary Oskol において射撃態勢につく,ハンガリー第2軍の29.M高射砲である.

 この砲の要目は
口径長 L/48
砲身長3840mm
仰角 -3°~80°
旋回角度360°
重量 4200kg
砲弾重量 8kg
初速750m / s
射程高度 6~8000m
射程距離10000m.

 移動には牽引車が必要とされた.
 砲架にはゴム・タイヤがつき,牽引可能.
 図1は,牽引姿勢にするまでの手順を示す.
 写真3は射撃姿勢.
 タイヤは取り外され,傍らに置かれているのが分かる.

 派生型も作られた.

 29/38.Mはマズル・ブレーキをつけ,仕様を幾つか変更したもの.
 砲身はL/47.125口径長,砲身長は3770mmとなった.
 仰角,旋回角度は原型と同じ.
 重量は4215kgに増加した.
 銃口エネルギーは229mt.
 射程高度は8~9000m,射程距離は14900mに延伸した.
 既存の29.Mも全て29/38.Mに改修された.

 29/44.Mは,ハンガリーを爆撃する米軍爆撃機が高度1万mを飛行し,29/38.Mでは対空砲火が届かなかったため,さらなる改修をしようとしたもの.
 29/44.Mの要目は
口径長 L/57.3
砲身長4585mm
仰角 -5°~80°
旋回角度360°
重量 3260kg
砲弾重量 8kg
初速880~910m / s
射程高度 10800m
射程距離18500m
銃口エネルギー 322.8mt.

 試作砲は完成したが,生産にとりかかる前に工場がソ連軍に占領されて頓挫.

 ハンガリー国産のタシュ重戦車も,29/38.Mを対戦車砲に改造したものを主砲とする予定だった.
 29/35.M 徹甲榴弾を使用したときの29/38.M高射砲の装甲貫徹能力は,仰角60度で
距離100mで83mm
距離500mで77mm
距離1000mで70mm
 ニムロード対空自走砲を改造して,この対空砲を載せる計画もあったが,やはり計画だけに終わっている.
 計画図を見ると,無理矢理感が大きい.

 生産はMÁVAG社にて行われたが,生産数は200程度と推測されている.

 なお,ハンガリー軍には1944年以降,ドイツ製の88mm FLAK-36高射砲も配備された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://en.wikipedia.org/wiki/Bofors_75_mm_Model_1929
http://live.warthunder.com/post/433069/en/ ※写真1引用元
http://www.flamesofwar.com/hobby.aspx?art_id=2607
https://www.pinterest.jp/pin/238550111488639038/ ※写真2引用元
http://ftr.wot-news.com/2014/01/20/hungarian-firepower-nimrod-and-nimrod-80mm-tank-destroyers/
http://www.ww2incolor.com/hungary/29M+Bofors+80mm+gun+and+carriage.html ※写真3引用元
http://karosszektabornok.blog.hu/2015/08/18/169_a_29_m_8_cm-es_legvedelmi_agyu
http://second-world-war-hu.webnode.hu/tengely-hatalmak/tengely-hatalmak-tuzersege/magyar-tuzerseg/ ※図1引用元
http://docplayer.hu/2433133-Legvedelmi-tuzerseg-fejlodestortenet-bevezetes.html

2017.6.9


 【質問 kérdés】
 44.M「リデールツ」ロケット弾って何?
Mi az 44.M "Lidérc"rakéta?

 【回答 válasz】
 ドイツ本土への米軍の爆撃が始まると,ハンガリー政府は国の運命を予見した.
 そして,米軍の大型爆撃機に対抗するために,幾つかのアイディアが考案された.
 「リデールツ」はその中の一つで,世界で2番目(1番目はドイツのもの)に計画された空対空ロケット弾だった.
(写真1の左側,右側は「サーラシ・ロケット」(別項目参照))
(写真2)

 「リデールツ」は近接信管がついたものとしては世界初だった.
 これは物理学者プルヴァーリ・カーロイ(写真3)の発明である.
Ezt dr. Pulváry Károly fizikus találmánya.
 その頃,他国のロケット類はまだ時限信管か着発信管だった.
 これにはまた,衝撃を増幅させるための化学的フラグメント・カバーがついていた.
 この近接信管はエンジンの音波に反応するものだったので,爆撃機編隊の中央に飛び込ませるようにロケット弾を発射する必要があった.

 ロケット自体は,それを収納する2つの筒から構成されていた.
 内側の筒は推進剤が充填されており,内側の筒と外側のカバーの間の隙間には,テルミットと酸化バリウムの混合物が充填されていた.
 この混合物はアクアマリン色の硝煙と複数の破片を生じさせた.
 図2は,この内部構造を示す.
 ロケット弾の長さは1430mm,直径は295mm,重さは130kg.
 1944年夏に実射試験が行われ,そのときの最長飛距離は8000mだった.

 だが,ハンガリー国境にソ連軍が迫りくる状況下では,試験は3~4回行われただけだった.
 これを搭載するに適当な航空機が無かったため,「リデールツ」は空対空ロケットとしては使われなかったが,その代わり,地対地ロケット弾として使われた.
 図2はその専用発射筒である.
 この発射筒は再使用可能だった.
 生産は当初,チェペルとマンフレート・ヴァイスの工場で行われたが,1944.7.27の空爆で両工場は大きく損壊したため,生産はMÁVAGに引き継がれ,約60~70基のロケット弾が作られた.
 そして,地上目標に対する適切な誘導機器を欠いたままのロケット弾として,戦争の最後の数か月間,地上戦に投入されたのだった.
S a megfelelő irányító berendezés hiánya miatt földi célok elleni rakétaként vetették be a háború utolsó hónapjaiban
 すなわち,その全てがブダペシュト包囲戦,コンラード作戦,および春の目覚め作戦にて使われた.

 ちなみに「リデールツ」は,ハンガリー神話に登場する悪魔の名前に因む.
 ルーデルとは関係ない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/433405/en/ ※図1引用元
https://tortenelem.444.hu/2017/05/10/magyar-egre-magyar-lidercet ※写真2&図2引用元
http://jobbikit.hu/vilagunk/tortenelem/csodafegyverek-2vilaghaboruban-2-resz
http://www.termeszetvilaga.hu/szamok/tv2006/tv0608/sarhidai.html
http://www.hangosfilm.hu/filmenciklopedia/pulvary-karoly  ※写真3引用元
http://forum.worldoftanks.eu/index.php?/topic/173880-a-rare-find-hungarian-rocket-tanks/ ※写真1引用元

2017.6.7


 【質問 kérdés】
 40mm 36.M対空機関砲とは?
Mi az 40 mm 36.M légvédelmi gépágyú?

 【回答 válasz】
 1936年,ハンガリーはライセンス購入したボフォース40mm L/60機関砲の生産を,MÁVAG社の工場において開始した.
Magyarország megvásárolta a svéd Bofors 40 mm L / 60 géppuska engedélyét, és 1936-ban elkezdte elkészíteni a MÁVAG gyárában.
 この砲は,オリジナルを完全にコピーしたものとなった.
(写真1)
(写真3)
(写真4)
(写真5)
(写真6)
 1942年末までに,この砲は1084門発注されたが,1936~1944年の間に430門しか生産されず,220門をドイツから輸入した.
 この機関砲は非常に正確で効果的であったので,1940~41年,対空砲兼対戦車砲の両用砲として用いられた.
 兵士の証言によれば,この砲は非常に正確で,2~3km先のトラックの運転手を一連射で射殺できたという.
 しかし防御に勝れたソ連軍戦車に対しては,効果は殆ど無かった.
 1943~44年には,ハンガリー軍は特殊弾薬を使用して,地上目標に対してこの砲を使用するようになった.

 1943年には,装甲貫徹能力を向上させた42.M páncélrobbantó gránát ("armor exploder grenade",成形炸薬弾,写真2)という砲弾が採用された.
 この砲弾はフィンで弾道を安定させていた.
 新しい徹甲弾 43.M magvaspáncélgránát (弾芯徹甲弾)も配備された.
 しかしハンガリーにはタングステンの資源も加工技術も無かったので,この弾芯徹甲弾は鉄芯だった.

 ところで,36.M対空機関砲では,敵の小火器による攻撃にも防御力がないことが明らかになったので,操作員を防御するため,厚さ6mmの防盾をつけた.
 このタイプを36/40.M機関砲と呼ぶ.
 この改修により,重量は300kg増加している.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/433036/en/
http://magyarhonved.blogspot.jp/2012/11/a-36m-legvedelmi-gepagyu.html
https://www.gyakorikerdesek.hu/politika__hadsereg-hadvezetes__1343204-a-magyar-gyartmanyu-29m-80mm-es-bofors-es-36m-40mm-es-bofors-legvedelmi-agyuk-is

2017.6.7


 【質問 kérdés】
 39.M固定測定式観測用電信測距儀とは?
Mi az rögzített intézkedés jeleztette megfigyelő távmérő?

 【回答 válasz】
 これ(写真1)はドイツのメーカー,ゲルツ Goerz の10×80測距儀と同型のもの.
 ハンガリーのメーカーGAMMAでは,39/40.Mという独自の派生型も開発した.
 後に,44.Mという派生型も製造されたが,これはドイツからライセンスを購入しての製造だった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453001/en/ ※写真1引用元

mixi, 2017.9.14


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の対空砲用測距儀は?
Mi az magyar távmérőjek a légijárművel szemben a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 以下のようなものがあった.

・125cm 38.M測距儀(写真1)
 ハンガリー国内で開発されたもの.
 40mm 36.M ボフォース対空機関砲中隊にて使用.

・2m 35.M測距儀(写真2)
 Goerz製の測距儀を1935年に採用.
 1940年に改設計され,ギッター goitter が垂直振り子に変更された.
 この改良型は35/40.M測距儀として制式採用され,後に35/42.Mも開発された.
 8cm 5/8.M高射砲中隊や8cm 29.M高射砲中隊にて使用.

・4m 35.M測距儀(写真3)
 1935年採用.
 8cm 29/38Mのボフォース高射砲中隊にして使用.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453001/en/ ※写真1~3引用元

mixi, 2017.9.17


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の探照燈は?
Mi az magyar fényszórójai a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 第二次大戦におけるハンガリー軍の探照燈の歴史は,第一次大戦の中古品から始まる.
 110cm 16.M探照燈(写真1)がそれ.
 対空監視の役割には既に不適当なものとなっていたが,第二次大戦でも使い続けられた.

 1931年以降,ハンガリーはイタリア,ガリレオ社から探照燈を輸入した.
・120cmのものを2種類(写真2図1)
・150cmのものを1種類(写真3)
 輸入台数は不明.
 それぞれ120cm 30.M,120cm 37.M,150cm 30.Mという名称がつけられた.

 次いで1938~39年,今度はドイツのシーメンス社から探照燈を輸入し,150cm 39.M探照燈と呼称した(写真4)
 ハンガリーが注文したのは50台.
 だが,24台しか受け取ることができなかった.
 1940年にはハンガリーはシーメンス社に84台を注文したが,これもドイツ政府は出荷を「延期」させ,ハンガリーには届かなかった.

 これらドイツ製とイタリア製の探照燈は,大戦を通じてハンガリーで使用された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453600/en/ ※写真1~4 & 図1引用元
http://uni-nke.hu/downloads/bsz/bszemle2003/hdm120302.html

mixi, 2017.9.19


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の聴音機は?
Mi az magyar akusztikus lokátorai a második Világháborúban

 【回答 válasz】
 WW2ハンガリー軍の聴音機は,他の兵器の多くと同じく,イタリアからの輸入から始まり,ドイツ製に移行した.
 1930年制式採用となったのは,ロンチ Ronchi という会社のものだった(写真1)
 1937年にはガリレオ社製が採用された(写真2)

 1938~39年には,ハンガリーはドイツからゲルツ Goerz 製の聴音機25セットを輸入した(写真3)
 これらはハンガリー軍によって39.M機械化聴音機として制式採用され,対空中隊で使用された.
 1940年にハンガリーは更に61セットを発注したが,ドイツは出荷を延期し,ハンガリーには届かなかった.

 ドイツによるハンガリー占領後,ドイツ人は多くのRingtrichterrichtungshörer 聴音機,すなわちRRH-6を持ち込んだ.
 ハンガリー軍のゴルツ製聴音機操作員はRRH-6を操縦するための訓練を受け,戦争が終わるまでそれらを使用した.

 その他,ハンガリー独自開発も行われたという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453581/en/ ※写真1~3引用元

mixi, 2017.9.18


 【質問 kérdés】
 ガンマ・ユハース34.M対空標定装置って何?
Mi az Gamma-Juhász 34.M légvédelmi lőelemképző?

 【回答 válasz】
Az lőelemképző az analóg számítógép, ami részben elektromechanikus, de főleg mechanikus alkatrészekből felépített.
A „Nagy Háború” utolsó éveiben megszokottá vált a légi hadviselés, és ezzel felmerült az igény a hatékony földi légvédelemre.
A magasból gyilkoló repülőknek viszont helyzeti előnyük volt a magasság és a sebességük miatt.
Bár légvédelmi ágyúk már akkor ott dörögtek Európa hadszínterein, nehéz volt velük pontosan célozni.
Hogyan lehetne egzaktul kiszámolni, hogy az ég melyik pontjára kell lőni?
A választ a Gamma–Juhász lőelemképző adta meg.
 標定装置とは,部分的には電気式だが,大部分は機械式な内部構造を持ったアナログ・コンピューターのことである.
 第一次大戦終盤の主要な変化の一つが航空戦だが,それによって効果的な地対空防御の必要が生じた.
 しかし一方,攻撃機のほうには高度と速度とによる潜在的有利さがあった.
 欧州戦線では既に対空砲による射撃が行われていたものの,標的を正確に捉えることは困難だった.
「どのようにすれば,空の任意の一点へ射撃できるよう,正確に算出することができるのか?」
 その答えがガンマ・ユハースの標定装置によって与えられた.

Juhász Istvánt 1926-ban kezdte foglalkoztatni a találmány gondolata, és a harmincas évek elejére készítette el az első darabokat (a fejlesztésben Juhász több mérnök beosztottja is részt vett).
A magyar konstrukcióra külföldön is felfigyeltek, miután 1932-ben, egy svédországi légvédelmi bemutatón zajos sikert aratott.
Svájctól Kínáig tucatnyi 16 ország rendelt a Juhász-féle lőelemképzőből.
Lengyelország csak egy darabot vásárolt és pontosan tesztelte.
Ennek eredményeként, úgy döntöttek, hogy gyárat építenek és megkezdik termékni az lőelemképzőket Lengyelországban (Sanok városa).
A Lengyelországban terméktett lőelemképzőket 40 mm-es Bofors ágyús üteghez elkötelezték.
A Szovjetuniótól egy rendelést is kaptak, de ezt a második világháború előtt nem teljesítették.
Hadszíntéren először a harmincas évek végén, a japán–kínai háborúban alkalmazták, de a második világháború elején is jól szolgált, a magyar hadseregben is.
 この発明のコンセプトは,1926年のユハース・イシュトヴァーンによって形になり始め,1930年代初期に最初の1台が製作された.
(開発にはユハース以外に何人かの技術者が関与した)
 1932年にスウェーデンでの防空デモで大成功を収めて後,この装置はハンガリー国外でも注目されるようになった.
 スイスから中国まで16ヶ国にユハース型対空標定装置は輸出された.
 ポーランドは1台だけ購入して厳格にテスト.
 その結果,ポーランド国内(サノクの町)に工場を建設してこの対空標定装置を生産することを決定した.
 ポーランド製対空標定装置はボフォース40mm砲中隊に配備された.
 フィンランドは1938年に12台を発注し,最初の3つはスウェーデンから直接受領,トゥルク地域防衛隊によって購入されたBofors AAガンに使用された.
 残りの9台はフィンランド国内のAb Strömberg Oyにおいて生産され,1946年1月23日まで国防軍に在籍した.
 ソ連からの発注もあったが,大戦勃発によって納品されることはなかった.
 1930年代終わりに日中戦争で初めて実戦使用され,第二次大戦初期にはハンガリー軍でも十分貢献した.

A gépezet több mint ezer db-t gyártottak, és több mint húsz változata készült.
A 34.M légvédelmi lőelemképző az első képez van, amelyet a magyar erők felállíta.
(1.ábra)
 この装置は1000台以上生産され,20を超えるヴァリエーションがあった.
 34.M対空標定装置はハンガリー軍が配備した最初の型である.
(図1)

A lőelemképző szeme egy optikai műszer volt, amely folyamatosan követte a cél mozgását.
E mozgás alapján egy mérőgörgővel ellátott finommechanikai szerkezet gyakorlatilag kicsinyítve lemásolta a célba vett repülő pályáját, és meg tudta határozni annak sebességét és irányát.
Ezek alapján viszont csak akkor lehetett volna kiszámolni, hova érdemes lőni, ha nem lett volna légellenállás.
A légvédelmi ágyúk lövedékei azonban íves ballisztikai pályát írnak le, és ez tovább bonyolította a lőelemképző felépítését.
Az ágyúkkal rengeteg próbalövést végeztek különféle beállításokkal, és az így mért adatokat lőtáblázatokba írták.
Juhász és kollégái e táblázatok értékeit három, úgynevezett ballisztikai testre vitték fel.
Ezek torz hengerek voltak, felületükön összesen több tízezer próbalövés adatával.
A ballisztikai testekről a mérőgörgős mechanika mozgása alapján kis tapintókarok „olvasták le” a helyzethez leginkább passzoló próbalövés adatait.
Ezeket a lőelemeket aztán egy villamos szervorendszer alakította át olyan jellé, melyet a légvédelmi löveg beállításakor használtak.
A gépezet egyszerre négy ágyút is képes volt vezérelni, a célpont 6500 méteres magasságáig és 8650 méteres távolságáig volt hitelesítve.
(2.ábra)
 標定装置は,目標の動きを常に追尾する,単眼の光学機器だった.
 その動きを元に,測定ローラつきの精密機器が,標的の飛行コースを直接的に縮小コピーし,速度および方向を決定した.
 これによるものは,空気抵抗がない場合にしか,どこへ射撃すべきかを計算できなかった.
 対空砲弾は放物曲線を描くので,そのことが標定装置の構造をさらに複雑にした.
 砲に様々な設定で多くの試射を行わせ,測定されたデータはスプレッド・シートに記入された.
 ユハースと彼の同僚は,これらチャートの数値を3種の,いわゆる弾道軌道に当て嵌めた.
 それはひずんだ形のシリンダーで,その表面には合計数万の試射データがあった.
 弾道軌道の弾丸を測定するローラ機構の動きに基いて小さなタッチプローブが,状況により適した試射データを「読み取った」.
 それからその標定は,対空砲のセットアップに使用される信号に,電気的制御システムによって変換された.
 この装置は同時に砲4門を制御することができ,距離8650mで最大高度6500mまで目標確認することができた.
(図2)

Ma Gamma-Juhász légvédelmi lőelemképzőt láthatjuk a Flieger-Flab-Múzeumban, Dübendorf, Svájcban.
(3.ábra)
 今日,ガンマ・ユハース対空標定装置はスイス,デュベンドルフのフリーガー・フラブ博物館にて見ることができるそうな.
(図3)

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://mek.oszk.hu/17300/17320/17320.pdf
https://live.warthunder.com/post/457384/en/ ※図1引用元
http://inno-anno.blog.hu/2016/11/04/mutasd_hova_lojek ※図3引用元
https://www.arcanum.hu/hu/online-kiadvanyok/Lexikonok-magyarorszag-a-masodik-vilaghaboruban-lexikon-a-zs-F062E/g-gy-F0973/gamma-juhasz-legvedelmi-loelemkepzo-F0979/
http://lazarbibi.blog.hu/2016/06/28/analog_szamitogepek_a_hadaszatban ※図2引用元

mixi, 2018.4.1


 【質問 kérdés】
 ガンマ・ユハース34/38.M対空標定装置って何?
Mi az Gamma-Juhász 34/38.M légvédelmi lőelemképző?

 【回答 válasz】
 34/38.Mは34.Mの改良型であり,最も広く使用された.
 戦争の懸念が高まると,対空標定装置の注文も増加したため,ガンマ社では工場の拡張と近代化が必要となった.
(図1)
(図2)
Ez készüléket már félautomatikus szerkezetként működött.
 この機械は既に半自動化されていた.
 そして視差機構のおかげで,対空砲射撃位置から最大500m離れて配置することができ,砲撃音が装置操作員を煩わせることがなかったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/457384/en/ ※図1引用元
http://inno-anno.blog.hu/2016/11/04/mutasd_hova_lojek ※図2引用元
https://www.arcanum.hu/hu/online-kiadvanyok/Lexikonok-magyarorszag-a-masodik-vilaghaboruban-lexikon-a-zs-F062E/g-gy-F0973/gamma-juhasz-legvedelmi-loelemkepzo-F0979/
http://lazarbibi.blog.hu/2016/06/28/analog_szamitogepek_a_hadaszatban

mixi, 2018.4.2


 【質問 kérdés】
 ガンマ・ユハース34/43.M対空標定装置って何?
Mi az Gamma-Juhász 34/43.M légvédelmi lőelemképző?

 【回答 válasz】
 34/43.M対空標定装置(図1)は34/38.Mの更なる改良型である.
 大戦後期,米軍機がハンガリー空爆のため飛来するようになると,34/38.Mの性能不足が指摘された.
 そこで,より高い高度,より速い速度に対応した新型装置が求められた.
 その結果,誕生したのが34/43.Mだった.

 しかしガンマ社の工場は1944年12月以降,戦争の最前線に位置することになり,最後は空爆で破壊されたため,生産数は少なかったと想像される.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/457384/en/  ※図1引用元
http://inno-anno.blog.hu/2016/11/04/mutasd_hova_lojek
https://www.arcanum.hu/hu/online-kiadvanyok/Lexikonok-magyarorszag-a-masodik-vilaghaboruban-lexikon-a-zs-F062E/g-gy-F0973/gamma-juhasz-legvedelmi-loelemkepzo-F0979/
http://lazarbibi.blog.hu/2016/06/28/analog_szamitogepek_a_hadaszatban


 【質問 kérdés】
 36.M目標指示装置って何?
Mi az 36.M célelemmérő?

 【回答 válasz】
 36.M目標指示装置(図1)は対空標定装置のいわばサブ・システム.
 何らかの原因で標定装置からの信号が来なくなった時に,弾道データなどから成る戦術チャートの代替となる補助的なバックアップ装置だった.
 この装置には標定装置とは違って電気部品はなく,機械部品で構成.
 射撃時には目標指示装置のボタンを押し,ベルが鳴ったら射撃開始.
 ベルが鳴り続けた時には連続射撃,ベルが一回鳴った時には単発発砲を意味した.

 目標指示装置と標定装置とは互いに接続されていたという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/457384/en/ ※図1引用元

mixi, 2018.4.4


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリーのレーダーについて教えてください.
Mi az magyar Rádiólokátorai  a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 1942年,ハンガリーはドイツとイタリアに軍事代表団に送り,同盟国の対空システムを研究した.
 遣独代表団はレーダーについて報告し,ハンガリー政府はすぐさま早期警戒システム開発を始めた.
 1942年12月,もう一つの代表団がドイツに派遣されたが,これはレーダー探知機について学ぶためであり,また,可能であればライセンス購入をするためでもあった.
 しかしドイツはライセンス販売を強く拒否し,Freya4台,Würzburg8台の輸出のみ許可した.
 そのうちハンガリーに届いたのはFreya2台とWürzburg5台のみだった.

 そのためハンガリーは1943.3.5,同国独自のレーダー開発を開始した.
 この開発は,軍事技術研究所,スタンダード・エレクトリカル Standard Electrical JSCおよび トゥンシュグラム Tungsgram JSCの共同事業.
  トゥンシュグラムはハンガリー最大手の真空管製造会社であり,1938年に電子増幅の原理で成果を挙げたバイ・ゾルターン Bay Zoltán (1900–1992)が在籍していた.
 パップ・ジェルジ Papp György , シモニ・カーロイ Simonyi Károly , ヴィンテル・エレネー Winter Ernő , ブディンチェヴィツ・アンドル Budincsevits Andor ,ダッロシュ・ジェルジ Dallos Györgyらバイの研究チームの主要メンバーも,レーダー開発に参加した.
 1943年以降,早期警戒用の「シャシュ Sas」,対空砲管制用の「ボルバーラ Borbála」,夜間戦闘機用の「バゴイ Bagoly」が開発されたが,生産数はごく少数だった.

 1944年にドイツがハンガリーを占領した後は,ドイツ人は多くのレーダーをハンガリーに持ち込み,ハンガリー独自のレーダー開発・製造はドイツの命令で停止された.
 そして一説によれば,少なくとも4台のWürzburg-Dレーダーがハンガリーで製造されたという.
 これはハンガリーでは「ドーラ Dóra( "Dolly")」と呼ばれた.

 ハンガリーで製造されたレーダーの数ははっきりしない.
 これは一つには,輸入されたFreyaレーダーもSas,WürzburgレーダーもBorbála,Würzburg ReiseもBagolyとある時期から呼ばれたためである.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453691/en/
http://uni-nke.hu/downloads/bsz/bszemle2007/2/09_lamper.pdf
http://inno-anno.blog.hu/2013/06/27/holdfogok

mixi, 2017.9.22


 【質問 kérdés】
 「シャシュ」レーダーとは?
Mi az "Sas" rádiólokátor?

 【回答 válasz】
 「シャス Sas」はハンガリーが独自に開発したものとしては最初の早期警戒レーダー(写真1)
Az "Sas" az első korai figyelmeztető radar, amit csak magyarok fejlesztették.
 Sasとは「鷹」の意味で,最初は「ヴィクトル Viktor」と呼ばれていた.
 1943年8月に試作1号機,9月に試作2号機が完成.
 開発者はレーダーを設計する際,よく知られている方法論を採用したが,ハンガリー人技師自身の研究による,完全オリジナルのやり方も盛り込まれた.
 それには独逸さえ興味を持ち,(ブディンチェヴィツ・アンドル Budincsevics Andor 考案による)"Budincsevics"のような酸化物コーティングされた陰極は,ドイツ製のWürzburgレーダーにも採用された.
 この独自の手法のおかげで,シャシュはドイツ製のFreyaレーダーよりも遥かに広い探知範囲を有していた.
 回想録によれば,300~500km離れたアルプスからの信号も受信できたという.
 シャシュは2.5m波長を使用しており,これは特段驚くことではない.
 バイ・ゾルターン Bay Zoltán が1946年に行ったレーダーによる月観測実験にも,シャスは使われた.
 シャシュの製造コストは,ドイツからFreyaを輸入するより30~40%も安価だった.

 試作機2台は,戦争終結時まで使用された.
 1944年3月までに,さらに2台のシャシュが製造されたとする情報もあるが,確定情報ではない. 

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453691/en/ ※写真1引用元
http://uni-nke.hu/downloads/bsz/bszemle2007/2/09_lamper.pdf
http://www.termeszetvilaga.hu/szamok/tv2006/tv0608/sarhidai.html
http://www.repulestudomany.hu/kiadvanyok/RepSzem-2016.pdf

mixi, 2017.9.23


 【質問 kérdés】
 「ボルバーラ」レーダーとは?
Mi az "Borbála" rádiólokátor?

 【回答 válasz】
 「ボルバーラ Borbála」レーダー(写真1)は対空砲管制用として開発されたもので,ハンガリー独自に開発されたレーダーとしては2番目.
 「ボルバーラ」は「バーバラ Barbara」の意味.
 アンテナの直径は3m.
 試作機1台が完成して実戦投入され,一説によれば,1944年にもう1台が完成したという.
 その他の詳細は不明.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453691/en/ ※写真1引用元
http://uni-nke.hu/downloads/bsz/bszemle2007/2/09_lamper.pdf
http://www.termeszetvilaga.hu/szamok/tv2006/tv0608/sarhidai.html
http://www.repulestudomany.hu/kiadvanyok/RepSzem-2016.pdf

mixi, 2017.9.23


 【質問 kérdés】
 「バゴイ」レーダーとは?
Mi az "Bagoly" rádiólokátor?

 【回答 válasz】
 「バゴイ」は「ボルバーラ」レーダーと同時にハンガリーで開発された夜間戦闘機管制用レーダー.
 「バゴイ Bagoly」は「梟」の意味.
 「バゴイ」は「ボルバーラ」と似た外見をしているが,アンテナの直径が7mだった点が異なる.
 1943.9.18に試作機が完成.
 一説によれば,1944年にもう一台が完成したという.
 それ以外の詳細は不明.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453691/en/
http://uni-nke.hu/downloads/bsz/bszemle2007/2/09_lamper.pdf
http://www.termeszetvilaga.hu/szamok/tv2006/tv0608/sarhidai.html
http://www.repulestudomany.hu/kiadvanyok/RepSzem-2016.pdf

mixi, 2017.9.24


 【質問 kérdés】
 「トゥルル」レーダーとは?
Mi az "Turul" rádiólokátor?

 【回答 válasz】
 「トゥルル」レーダー(図1)はハンガリーで最後に開発されたレーダーで,夜間戦闘機の機上用.
 レーダー波長は約50cm.
 試作1号機は1944年夏,Me 210 Ca-1重戦闘機に搭載されて試験され,成功を収めた.
 しかし,完成したものはこの試作機1台のみだったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453691/en/ ※図1引用元
http://uni-nke.hu/downloads/bsz/bszemle2007/2/09_lamper.pdf
http://www.termeszetvilaga.hu/szamok/tv2006/tv0608/sarhidai.html
http://www.repulestudomany.hu/kiadvanyok/RepSzem-2016.pdf

mixi, 2017.9.25


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