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 【link】

Luft46(ドイツの架空機・計画機をほとんど網羅.英語)

Luftwaffe Aces
>ハルトマン大尉の記録映像あり,最近の海外勢のHPは凄いな(CRS in mixi)

「togetter」◆(2011/11/10) 11月8日 ~ヴァルター・ノヴォトニー少佐の最期~

「いろいろクドい話」:メルダースとガーランド 1
「いろいろクドい話」:メルダースとガーランド 2
「いろいろクドい話」:メルダースとガーランド 3
「いろいろクドい話」:メルダースとガーランド 4

「そっと××」:北アフリカからビルマの戦空へと渡り飛んだドイツ空軍の「スペードのエース」マーク

「そっと××」:ハルトマンさん,あなたの中隊が「カラヤ」と呼ばれるのは何故ですか?〜戦空の"空耳アワー"〜

『ドイツ夜間防空戦』(W.ヨーネン著,光人社NF文庫,2001)

 渡辺洋二訳本だけあって,旧刊の朝日ソノラマ戦記とくらべて大幅に写真が増えて,まるで別本.
 ただし,旧ソノラマ戦記も表紙の生頼範義の絵(Me110?とランカスター)が格好いい.
 ウーフーなら,もっとよい.

------------軍事板,2002/04/24
青文字:加筆改修部分

『始まりと終わり ドイツ空軍の栄光――アドルフ・ガランド自伝』(アドルフ・ガランド著,学研パブリッシング,2013.5)


 【質問】
 DB605搭載機は,ドイツ本国では稼動率は高かったの?

 【回答】
 ドイツ軍機はもともと機械的信頼性はおしなべて悪い.
 独ソ戦ではおおむねでソ連軍機の可動率のほうが高いくらいで,すでに1941年の後半には,東部戦線で機体の稼働率が50%代をうろつく状況だった.
 普通に戦闘による損失を事故による損失が上回っていたり,整備の容易なドイツ国内の基地でも,DB605搭載型Bf109の稼動率は50%〜60%くらいになっている.

 仮に日本にもドイツと同じBf109があったとしても,高温多湿で整備もままならない南方の飛行場などに持っていけば,飛燕と大差無い運命だったことは想像に難しくない.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WW2ドイツ機って末期というか戦争後半になると,スピナーに渦巻き描いてますが,あれは何故やってるのでしょうか?
 相手の目回せないかなあ,なんていう淡い期待?

 【回答】
http://www.ghostbombers.com/various/markings2.html
に,1944年7月14日と20日付けでスピナーの螺旋と塗装指示が出ています.

14 July 1944
XL 2136
All fighter aircraft going to the West on ops to be provided only with black and white spirals on spinner.
All other special identification markings to be discontinued.

20 July 1944
PRO AIR51/94

CSDIC (CMF) Report A.420 (23 August 1944: from German documents captured at Draguignan by F.F.I. member)
Information for Batteries from 242. Inf. Div.
Markings of Friendly Aircraft
With effect from 20 July 1944, the recognition markings of our own aircraft in the area of Western Europe (Germany, France, Italy) will be changed as follows:
1(a) Fighters, ground strafers, twin-engined fighters and reconnaissance aircraft ? black and white spiral on spinner.

軍事板


 【質問】
 WW2の時,なんでドイツ空軍はBf-109とFw-190の二種類の戦闘機を使ってたんですか?
 性能の良い方だけを生産してれば良かったじゃないですか.

 【回答】
 Bf109の方が主力戦闘機で,Fw190の方はBf109が失敗したときのための保険として作られた.
 完成してみると,Me109は兵装搭載量が少なく,航続距離が短い為,重爆迎撃や地上攻撃に適さない.
 Fw190はその反対だが,大戦後半になると対戦闘機戦に於いて飛行性能の点で不利になった.
 なので,お互いの欠点を補い合う形を取って両方生産した.

軍事板
青文字:加筆改修部分

Bf-109
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 なんでナチスは制空戦闘機をあんま作ってないんですか?
 なんかやたら航続距離が短い迎撃機や対地支援の戦闘爆撃機が多くて空軍が陸軍航空隊っぽいんですが…

 【回答】
 欧州機は基本的に航続距離が短いと考えたほうがいいかと.
 1940年ごろのヨーロッパでは航続距離が1000km弱の戦闘機が普通.
 他国の大戦中期以降の機体であるイギリスのテンペストやソ連のLa-7,Yak-9,イタリアのMc202なんかも,航続距離は1000km内外.
 航続距離1000km弱でも,戦線の100km後方の飛行場から飛び立ち,100km飛んで,数十分攻撃行動をとって戻ってくるくらいのことはできる.
 100kmというのは陸軍の攻撃に先だって主要拠点叩くには何とかなる距離.※

 ドイツは後半戦迎撃戦中心になったので,ますます航続距離がほっとかれた面もある.

 一方,日本は明確に作戦上長期行動が必要と判断して長距離行動が可能な機体を作った.
 長く飛べないと目標にたどり着けないからであって,陸にたどり着けなければ海に落ちるだの中国大陸は海だの話は後付け.
 事実,日本陸軍は97式,日本海軍は96式に不満を持ったから航続距離の長い後継機や双発戦闘機を開発しているが,鍾馗のような機体の開発もしていたことを忘れてはならない.

 アメリカは
P-38・・・高高度戦闘機として作ったら機体が大柄になり航続距離が長くなった.
P-51・・・厚い主翼が採用出来たので機内燃料が多く出来た.

 イギリスは
ホーカーハリケーン・・・ホーカーの提案に合わせて要求仕様が用意されている.
スピットファイア・・・航続距離に不満が持たれていたことに代わりはない.P51とは逆に薄翼で苦労している.
 逆に1600kmの航続距離を持つタイフーンは高速機でありながら厚い主翼を採用した弊害も発生している.

 ドイツは,
長い航続距離の必要性は認識していたが(技術云々以前に),当時空軍と強い繋がりを持っていたウィリーメッサーシュミットが,高性能な単発戦闘機と長距離戦闘機は両立しない,無理ぽと始めから決め付け,開発しなかった.
 大戦後期,ドイツ上空に飛来したP-47を目にしたゲーリングがその件を蒸し返してメッサーシュミットに皮肉を言ったとする有名なエピソードがある.
 この背景にはNACAや空技廠,ツアギのような国家主体で中立的な立場で技術研究をする組織よりも,企業や民間研究者に技術研究を依存する,ドイツ特有の体質があった.

……など,機種ごとに様々な要因がある点も無視してはならない.

 ※
 ただし,そんな状況をドイツ人が納得していなかったことにも注意.
 特にBf109は脚部の設計がまずいので,出来れば良く整備された飛行場で使いたがった.
 「適度な草地が一番安心できる」というパイロットの回想もある.
 陸軍につきあってソ連領内の野戦飛行場を転戦することに満足していたわけではない.

軍事板


 【質問】
 Bf-109やFw-190の胴体にある「信号弾発射機」って,いつどのようにして使うのですか?
 無線では駄目なのですか?

 【回答】
 無線では駄目な場合でしょう.
・警告(敵味方問わず)
・指示

 Bf109やFw190がパスファインダー役をすることはなかったと思われますが,爆撃(特に夜間)の標的指示とか.

 「ランカスターパイロット ブルース・ジョンストンの第二次大戦日記」
には,以下のような記述があります.

――――――
Two Lancs went above and below us in the opposite direction at the target - about twenty feet away − scared me funny!
A few fighter flares and one combat to port on the way out − a good trip though - on time all the way.
――――――

 左側のnotesには,
>Fighter flares
>- Flares dropped by German fighters to make Allied bombers more visible
とありますね.

 Operation Summaryを見ると夜間爆撃の任務であることがわかりますから,ドイツの戦闘機が夜間の迎撃任務でフレアを撃ってますね.

 また,
http://www.aircraftmodels.co.uk/455_1_18840.html
で紹介されているのが,
Spitfire Mk.IIC type375.
 これはスピットファイアのレスキュー型です.
 この機のフレアランチャーは救助信号用.
 こういうのはさらに限定的な使われ方ですね.
 左側の翼の下に,"rescue marker smoke bombs"が2ケついてます.
 レスキューパック内蔵のようです.

 余談ですが,石破さんのUFO答弁で,UFOに対して信号弾(曳光弾?)使うってのがありましたね〜.
 緑→赤の順に撃つと,迎撃警告になってるとか.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 斜め銃ですが,高度を上げなくても上方の敵なら撃てる,というメリットは大きかったんでしょうか?

 【回答】
 ちょっと違う.
 比較的防御武装の少ない敵機の下方から,連続して射撃を浴びせ続けられるというのがメリット.
 というより,まともに同高戦に持っていけない事から来た,苦肉の策.

 爆撃機を撃墜するのに正面から迫ったのでは,一瞬しか弾幕を浴びせられない.
 後方から迫り射撃するという戦法は,敵が爆撃機の後部銃座を強力にしてきたので難しくなった.

 となると,比較的武装の薄い胴体下部を狙えばいいのではないか,という案が提出される.
 爆弾倉があるし降着装置も必要なので,爆撃機の機体下部にも機銃座をつけるのは意外に難しい.
 もちろんつけられないわけではないが,重量リソース的には上の方が優先される.
 付けてるのもあるが,構造上尾部や上部に比べ重武装にできない.
 強力なのができたのは,リモコン式銃座にしたB-29からだろう.
 例えば日本の九六中攻では,引き込み式銃座を付けたが,出すと空気抵抗デカくなって速度落ちるんで廃止.

 爆撃機の胴体下部を狙う戦法は,機体下部にもぐって機首上げ姿勢のまま上昇し,射撃するのだが,射撃のチャンスはほぼ一瞬であり,弾幕を集中させにくい.
 その解決策として編み出されたのが,斜め機銃(ドイツでいうシュレーゲ・ムジーク).
 敵機の下方に位置し同速度,同方向に飛行すれば,斜め機銃の銃口は同一の方向を向くので,無修正のまま射撃が可能になる.
 しかも変則装備法であるので,敵機に対するインパクトも大きい.

 例えばショート・スターリング重爆撃機は尾部に4連装機銃があるので,これを真後ろに占位したまま攻撃するのは危険だが,機体下部には機銃が無いので,下に潜り込んで併行して飛びながらシュレーゲ・ムジークで撃ち放題だった.

 ちなみに斜め銃というアイデア自体は,第一次世界大戦中も存在した.

軍事板,2009/06/06(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第2次大戦中にダイムラーベンツが製造しようとした戦闘機について教えてください.

 【回答】
 これのことか?
http://www.luft46.com/db/dbjager.html

 開発途中でキャンセルされてるが.

 上記サイトによれば,俗称Daimler Benz Jiägerは,DB-609エンジンが1942年9月に始まると共に開発開始.
 エンジンは機首に装備されるが,プロペラは二重反転のものがコックピット後方に装備される.
 エンジンの開発に長期間かかる(1947年4月完成予定)ため,1943年5月にRLMは開発を中止させたという.
 詳しい要目も不明だとか.

軍事板

Daimler Benz Jiäger
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02db.gif
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02db.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02db02.jpg
(こちらより引用)


 【質問】
 フォッケウルフFw-190って何?

 【回答】
 フォッケウルフFw-190は,主力戦闘機メッサーシュミットBf-109のバックアップとして造られた,第2次大戦中のドイツ空軍の主力戦闘機です.
 頑丈な機体と,1600馬力という空冷エンジンとをもって,また戦争後期は液冷エンジンに載せ変えて,大戦終わりまで戦い続けました.
 米軍は本機をして,「第2次世界大戦におけるドイツ最良の戦闘機」と評価しています.

【ぐんじさんぎょう】,2008/6/5 20:30

Fw-190
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 Fw190が高速ロールが得意なのは何故?

 【回答】
 Fw190は,ロッドをつかい,高速時にも伝達系の剛性を確保していたこと,および伝達系の中に舵力を軽減するメカをいれていたことが,高速ロールを可能にしました.
 そのかわり,ワイヤーを使ったのような微妙な操作は苦手になり,熟練したパイロットに嫌われる原因となりました.
 エースたちがMe109のほうを好んだのは,Me109のほうが中速域で微妙な操作が可能だったからだそうです.
 日本のパイロットはドイツ以上に,微妙な操作ができるものを好んだという印象があります.
 世界で今でも特筆される零戦の操作系――ワイヤーを用い,さらに系統的に剛性をあえて低下させ,絶妙な操作感を実現した.半面,高速ロールなどのがさつな操作は出来なくなった.――などを考えると,Fw190は日本では受け入れられなかったのではないかと思います.

 途中/一部にロッドが入るのは当然のことです.
 Fw190 はこの辺りが徹底していて,補助翼系全部ロッドとカムなんです.
 調整が大変だっただろうなと思います.
 また,調整しても,ガタが多かったんじゃないかと思います.
 微妙な操作が苦手だというのは納得します.

 ちなみに昇降舵系は,中間がワイヤー(2重,計4本! 恐らく生存性のため,さすがタンク)
方向舵系は最終段がワイヤー(多分スペースの関係)です.
 あと,方向舵系のロッドは普通のプッシュロッドではなくて,フレキシブルロッドとなっています.
 このフレキシブルロッドの正体は知りません(汗
 お気に入りの一機種に絞って追うのすら,深くて大変と思う今日この頃です.

 他方,Me109は高速ロールは苦手です.
 追われた場合,Me109はダイブで,Fw190はロールで逃げる,というのが定石でした.
 しかし,Fw190もP47から逃げるのは困難だったらしい.
 相性というのがいろいろあったみたいですね.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フォッケウルフ Focke Wulf Ta152Hについて教えてください.

 【回答】
 クルト・タンク博士の設計により,フォッケウルフ社によって開発・生産された,第二次世界大戦末期のドイツ空軍の高高度戦闘機.
 フォッケウルフ Fw190の空冷エンジンを液冷エンジンに変え,高々度性能を改善させたFw190D-9をさらに発展させた、より本格的な高々度戦闘機である.

 1942年末,ドイツ空軍は高性能戦闘機の計画を纏め上げ,各メーカーに開発を要求した.
 当時,ドイツに対する連合国の空爆は作戦高度が次第に高くなり,従来の戦闘機では迎撃が困難になることが目に見えていた.
 また,アメリカで与圧装置を標準装備した新型大型戦略爆撃機(後のB-29)が開発中との情報もあり、航空局は,来るべき高高度での本土防空戦に使用できる戦闘機の開発を命じたのだった.

 そのころフォッケウルフ社ではFw190Dを試作していたこともあり,D型をもとに,エンジン強化やロング・スパンの主翼の採用などを盛り込んだ機体を,Ta152Ra-1/-2として提案した.
 この計画案が空軍に認められ,以前製作された試作機Fw190Cを改造して,Ta152Hという名称で試作機が作られた.
 1944.7.12,初飛行.
 試験の結果,高度1万m付近で速度750km/hを発揮することが確認され,先行量産型Ta152H-0,生産型H-1の製作契約が交わされた.

 Ta152Hはコクピットは与圧キャビン化され,全幅14.44mと,高いアスペクト比を持った主翼を装備し,エンジンはJumo213Eを搭載.
 Jumo213E型は,Fw190D-9にも搭載されたエンジンJumo213Aの過給器を2段3速に改め、圧縮比を6.5から8.5と大幅に引き上げた結果、離昇出力は1750馬力と従来のままだが,高々度性能は大きく向上し、高度9800mで1420馬力を発揮した.
 設計者クルト・タンク自らが操縦桿を握り,高々度試験飛行を行っていたところ、P-51「マスタング」戦闘機2機に追われたが,博士はスロットルを開いて増速し,P-51振り切って逃げ切ったという逸話も残っている.
 なお,H-0は翼内燃料タンクを装備しない.

 ドイツ第三帝国最後のレシプロ戦闘機として,活躍が期待されたが、終戦までに製造された機数は67機にとどまり,Me262の離着陸時の護衛に用いられただけで,戦局には寄与しなかった.

 ちなみにフォッケウルフ社の機体なのに,機体名称のコードがTaとなっているのは、1944年にドイツ航空省が出した指示,「新たな戦闘機名称には主任設計者の名を含める」に従ったから.
 また,タンク博士が設計に関わった機体には,150番からの番号を順次付けるようになったため、本機には152という番号が振られた.

 【参考ページ】
望月隆一編『航空機名鑑1939-1945』(コーエー,2004),p.98
http://en.wikipedia.org/wiki/Focke-Wulf_Ta_152
http://military.sakura.ne.jp/world/w_ta152.htm
http://www.k2.dion.ne.jp/~konjyo/5694/48ta152h1.htm
http://karen.saiin.net/~buraha/Ta-152.html

三面図
(こちらより引用)

Ta152HとTa152Cとの比較
(こちらより引用)

カラーリング
(こちらより引用)

 【関連動画】
http://www.youtube.com/watch?v=BTdInJ6ZH9U
http://www.youtube.com/watch?v=u49NFFcm-q8

【ぐんじさんぎょう】,2013/05/27 20:00
を加筆改修


 【質問】
 トリープフリューゲルって何?

 【回答】
 トリープフリューゲル Triebflugel は1944年9月から,ドイツのフォッケウルフ社によって開発を開始されたジェット戦闘機.
 胴体から3枚のピッチ付ブレードフィンが伸びており、その先端へ搭載したラムジェットエンジンによってブレードを回転させ,離陸時にはヘリコプターのように飛び上がるという計画だった.
 風洞モデルはマッハ0.9を記録したが,実機もエンジンも完成の見込みがなく,計画段階でドイツは敗戦を迎えた.

 【参考ページ】
http://www.luft46.com/fw/fwtrieb.html
http://pmh.hp.infoseek.co.jp/etc/himitu/tf.htm
http://bluewatersoft.cocolog-nifty.com/animecomic/2008/07/4_18_f82e.html(うそ)

【ぐんじさんぎょう】,2010/01/10 23:00
に加筆改修

トリープフリューゲル
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02f03.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02f03b.jpg
(こちらより引用)

http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02f03c.jpg
(よしぞう in mixi)


 【質問】
 第2次大戦中,エンジンのない戦闘機が作られたって本当ですか?

 【回答】
 本当です.
 大戦末期に造られた,ブローム・ウント・フォス BV-40というグライダー戦闘機がそれです.
http://military.sakura.ne.jp/world/w_bv40.htm
によれば,爆撃機の激しい対空射撃をくぐり抜けて攻撃を行うため,戦闘機の,前から見たときの面積を減らしたい.
 それなら,エンジンを外せばいい!という発想で設計されたそうです.
 計画によれば,Bf-109などの戦闘機に引っ張られて離陸し,装甲化された操縦席をもって対空射撃をものともせずに爆撃機を攻撃!,そのまま滑空しながら着陸するという構想でした.
 しかしパイロットにとっては幸いなことに,搭載していた30mm機関砲の能力不足や,対空弾幕の射程外から攻撃できるR4M空対空ロケット弾の完成などにより,「いらない子」になってしまったため,お試しの機体が作られただけで計画倒れに終わりました.めでたし,めでたし.

【ぐんじさんぎょう】,2008/5/16 20:30

BV-40
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02bv40.jpg
(こちらより引用)

http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02bv40b.jpg
(こちらより引用)


 【質問】
 Bv-155って何?

 【回答】
 ドイツ空軍が
「空母グラフツェッペリン用の艦載戦闘機がほしい」
とメッサーシュミットにMe-155の名称で開発させたが,そのうち空母自体が建造中止になり,じゃあ,ドイツで持っていき場のない機体だと定番な急降下爆撃機にしようとかという話になったが,それはあんまりだと,高高度の迎撃戦闘機にして英米の重爆どもをやっつけようということになって,ターボだのアスペクト比の高い長い長い主翼だの魔改造しているうちに,肝心のメッサーシュミットが,
「忙しいったらありゃしない」
ってことでブロームウントフォスにお鉢がまわって,日本にも来たことのある名物変態技師のフォークト博士が,さらにさらに魔改造に拍車をかけて,最後すんごいかっこうになり,飛行試験を何回かってところで戦争が終わりで,3機くらいしか試験機もなくて,しかも最初のふれこみのメッサーと共通するところなんか,もうとっくの昔になくなっているのに,なんでか国内外のメッサー本には派生形として紹介されている,
「もう,鵺ってレベルじゃねえぞ」
な謎飛行機.
faq111130bv155.jpg
faq111130bv155b.jpg
faq111130bv155c.jpg
faq111130bv155d.jpg
faq111130bv155e.jpg

ゆずこせう in mixi,2011年11月20日00:19


 【質問】
 トップ・ページの画像になってたこの飛行機ですが,詳細を教えてください.

赤の9番 by mail

 【回答】
 架空機でしょう.

 ……と思っていたら,見つけました.
 Blohm & Voß P170 だそうです.
 この掲示板の中ほどあたりに載っていました.

 ……ドイツ語なので読めません.

 しかぁーし!英語のページも発見.
http://www.luft46.com/bv/bvp170.html

 このページによりますと,例の非対称機BV-141Bの設計者,フォークト博士が1942年に設計した戦闘爆撃機.
 1600馬力を出す BMW801 エンジンを3台搭載,爆弾を2000kg運ぶことができたそうです.
 「速度(最大715km/h)が最大の防御」という考えから,防弾はされていなかったとのこと.

 要目などは上記ページを参照してください.

 まさか,現実にあった計画だったとは.

Blohm & Voß P170
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02bvP170b.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02bvP170c.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02bvP170d.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01m02bvP170e.jpg
(こちらより引用)

消印所沢 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」・改


 【質問】
 ブローム&フォスの飛行機の中で,翼が斜めになっているものがあるけれど,あれは何故?

 【回答】
 オプリーク翼 Oblique Wing と呼ばれるもので,飛行中に翼の形を変えられる可変翼というものの一種です.
 ブローム&フォスのものはBV P.202というジェット戦闘機で,主翼を回転させて高速時に抵抗を減らそうという考えから,そういう設計になりました.
 構造が複雑になって普通の飛行機より重くなるという問題があって,これは計画だけに終わりましたが,戦後,アメリカのNASAでは実験機AD-1を造ってオプリーク翼のテストをしています.
 飛行特性は良かったそうです.

 BV P.202について,より詳しいことは
http://www.luft46.com/bv/bvp202.html
を参照してください.

BV P.P202
(こちらより引用)


(こちらより引用)

現代のオブリーク翼機
(画像掲示板より引用)

【ぐんじさんぎょう】,2008年5月17日21時0分
青文字:加筆部分


 【質問】
 ホルテン Ho229って何?

 【回答】
 ホルテン Horten Ho229 は,ドイツのホルテン兄弟によって開発された,世界初の全翼ジェット戦闘機.
 レーダー対策として塗料には炭素粉を使用するなど,ステルス性も考慮されていた,とも言われている.
 1943年,ゲーリング空軍元帥による3×1000戦闘爆撃機(1000 kgの爆弾搭載量,1000 km/hの速度,1000 kmの航続距離,50万マルクの懸賞金付き)構想を知った兄弟が,H IX計画を提案したことから開発が始まり,様々な派生型も計画されたが結局,ドイツが降伏し工場が連合軍に占領された時点で,1号機が完成していたに過ぎなかった.

 【参考ページ】
http://www2s.biglobe.ne.jp/~FlyWing/H_IX.html
http://military.sakura.ne.jp/world/w_go229.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/hiromichit1013/60099390.html
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=80316217&expand#title

Ho229の原型となったHo9(原型1号機V1)
(こちらより引用)

3面図
量産はゴータ社で行われる計画だったため,Go-229とも呼ばれる.
ただし正式な呼称ではない.
(こちらより引用)

復元機
(こちらより引用)

模型
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2012/03/28 20:50
を加筆改修


 【質問】
 ハインケルは自社工場防衛用にHe100を生産したようですが,この私設防空部隊は大戦中ずっと存在してたんでしょうか?
 それとも一時的なものだったんでしょうか?
 また,「私設」と名前が付くということは,ハインケル社が自分でパイロットを選抜したのでしょうか?

 【回答】
 He-100は自社工場防衛用と言うか,そもそもBf-109に替わる機体として見切り生産したものです.
 しかし,結局は生産ラインの問題から,量産には至りませんでした.
 生産された前量産型のD-1は,宣伝部隊で新型戦闘機He-113とされて使われた後,1940年頃からHeinkel社所属のパイロットによって,Rostock-Marienehe工場防衛用の機体として使用されていました.
 これも,機体寿命が来てからは無くなってしまいましたが.

 他に工場防空部隊の機体となったのは,Focke-WolfのFw-187です.
 双発戦闘機Bf-110の対抗馬とされた機体でしたが,出現時期が遅く,生産前型のA-0が3機追加発注されただけに留まりました.
 この機体も宣伝部隊用に使用されましたが,開戦後はBremen工場に配備され,その会社所属のテストパイロットによって防空戦闘に使用され,数機撃墜の記録を残しています.
 こちらは,1940〜41年冬にかけてノルウェーの空軍部隊に非公式貸与されて以後は,実験機材となっています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 ハインケルHe162での生産数と戦果を教えてください.
 また,エースと呼ばれる人達はこの機には乗らなかったんでしょうか?

 【回答】
 とりあえず,終戦までに約160〜240機が完成済みで800機近くの組み立て前機体が生産されていたとか.

 戦果に関しては,唯一の実戦部隊であるJG1の第T飛行隊で,敗戦までにイギリス空軍機2機の撃墜を 記録したとされています.
 ただしこれは連合国側の記録と合致していないとも言われていますが.

 He162のパイロットとしては,130機撃墜のJG1司令官ヘルベルト・イーレフェルト大佐が有名.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板

 ただし,この2機ってのはドイツ空軍の書類に残っている数字.
 資料により20機近い,あるいはそれをオーバーした数字を提示してるのもある.
 He162部隊にいたエース(名前忘れた)一人で7機だったかの撃墜を主張してるはず.

 付言しておくと,実戦配備された段階ではHe162もP80も危険すぎて,一定レベル以下のパイロットの手には負えなかった.

軍事板

 【質問】
 じゃあ何でそんなのドイツは作ったの?
 作る意味なくないっすか?

 【回答】
 He162に関して言えば,ドイツ空軍省がメーカーに仕様書を提示したのが1944年9月10日(終戦8ヶ月前)というのがすべてを表しているのではないかと.
 それゆえに超短期間開発と戦略物資の節約という制約が課されており,それを満たすために特異な空力形態と単純な構造を採用したHe162は,乗りこなすのに熟練技術を要する機体になってしまったわけです.

 ここら辺は日本の特攻機「剣」なんかも一緒です.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板


 【質問】
 ドイツ空軍のHe-219A6が,時速650kmを出したというのは本当でしょうか?
 それと,He-219の総戦果が111機というのも本当でしょうか?

 【回答】
 A-6というのは胴体斜め銃(Mk108 30mm)を省き,MG151/20の弾薬数も減らした,対モスキート用の機体なんですが,同じエンジンを搭載したA-5が,レーダーアンテナと消炎排気管を外した状態で625km/hというデータがあります.
 ただ,ウーフーの最高速度に関して650km/h以上というデータは,急降下時の最大速度が混じった数字であると,国江隆夫氏は述べています.

> それと,He-219の総戦果が111機というのも本当でしょうか?

 ハインケル社の報告書によると,モスキート7機を含む111機を約1年で撃墜したとなっています.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板,2009/06/21(日)
青文字:加筆改修部分

He-219 A-5
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 Ta-152ってロールも良いんですか?

 【回答】
 Ta152は意外と格闘戦が得意だったみたいですよ.
 ロール率も高い.
 戦後イギリス軍の調査で
「10000mを越すと急激に旋回性能が落ちる」
と書かれてましたけど・・・・
 まぁ,当時ヨーロッパで10000m以上の高空を飛んでる爆撃機なんて無かったから,あんまり関係ないようですが・・・・

mkp in 軍事板


 【質問】
 Ta-183「フッケバイン」.
 コイツがいなけりゃ,MiG-15もF-86も生まれなかった

 【回答】

 MiG-15,F-86ともに,フッケバインとの共通要素と言うと,
・単発単座ジェット戦闘機である
・ノーズ・インテイク形態である
・前縁後退角≒35度の主翼を持つ

くらいしか思いつかないのですが,このいずれもフッケバインが始祖でしょうか?
違いますね.

・縦釣り合いの確保方式
 Ta-183は主翼外方にダウンフォースを発生させて釣り合いを取る方式,つまり無尾翼機と同じで,水平尾翼に見えるものはピッチコントロールのみ受け持つ
 MiG-15,F-86はいずれも水平尾翼でダウンフォースを発生させる,通常の形態

・主翼構造
 Ta-183:(レシプロ直線翼機と大差ない)ボックスビーム構造
 MiG-15:変形1本桁構造
 F-86  :テーパード・スキンを用いた二重外皮構造

・主脚&主車輪収納
 Ta-183は胴体内への引き込み
 MiG-15は主翼内引き込み
 F-86は脚を翼内引き込み,車輪を胴体内引き込み

 他にも相違点を挙げればキリがありませんし,Ta-183の設計者であるムルトホップが戦後口出しした,BACの超音速実験機(後のライトニング)の二号機(だったかな)は,激しいピッチアップを起こす危うい機体となりました.
 比較するのも馬鹿馬鹿しいほどの技術的格差が,Ta-183とMiG-15,F-86との間にはあります.

 MiG-15はTa-183のコピーだとか,F-86はP.1101のコピーだとか言うサイトや書籍があったら,以降その著者の言うことは信じないことをお勧めします.

True/False ◆ItgMVQehA6 : 軍事板,2003/03/15
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ハウニブって何ですか?

 【回答】
 ナチス・ドイツが研究,開発してたと言われている「超兵器」,いわゆる「空飛ぶ円盤」のこと.
 ナチス・ドイツはその驚異の技術力で実用化に成功し,最高時速1,200マイル,90度ターン,垂直離陸が可能,4フィートの装甲を貫通させることが可能なレーザー砲を,戦車の砲塔を流用した砲塔に搭載し,機体下部に装備し・・・というように,要するに「空想トンデモ兵器」.

 ”ヨタ話”のネタだね.

http://www.unrealaircraft.com/wings/german_discs.php
にナチス円盤機(群)の詳細がありますが,もっとも完成に近かったのは,上記に記されているAS6プロトタイプでしょう.
 それすら,書いてあるとおり,操縦は困難であり,飛ぶというよりバウンドするという状態であり,破損を繰り返していました.
 あるいはわずかに飛んだことがあるのかも知れない,ということです.

軍事板

 【参照】
http://www.ops.dti.ne.jp/~uehara-k/figyua_anime/hunv1.html

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ナチスの円盤ハウニブって初出はなんなの?
 どういう経緯で有名になったの?

 【回答】
 初出はErnst Zundelっつー,ドイツ系カナダ人のネオナチ親父のヨタ話.
 日本テレビの「木曜スペシャル 矢追純一UFOシリーズ」の,「ナチスがUFOを作っていた」という番組内で紹介されたのが,日本での火付け.
 番組の内容は↓と大体同じ.
http://www.papy.co.jp/act/books/1-6204/

 その後,SEGAの「アドバンスド大戦略」の隠しユニットとして登場したりして,カルトな人気を持つようになり,現在に至る.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ハルトマンの新人時の様子は?

 【回答】
 エーリッヒ・ハルトマンは補充パイロットとして1942年10月に,第52戦闘航空団の第V飛行隊の第7飛行中隊に配属される.
 この時もう一人も配属されていたが,彼は1ヶ月経たないうちに戦死した.

 エーリッヒ・ハルトマン少尉はまず空戦のイロハについて学ぶ必要があったため,少尉という階級ではあるが,まずは列機からのスタートとなった.
 どのドイツ空軍戦闘飛行隊でも同様で,作戦出撃においては階級よりも実戦経験が優先されているのが特徴であり,新人パイロットはまず列機からというのが原則である.

 エーリッヒ・ハルトマンの師匠はベテランの下士官であり,小隊編成指揮官,エトムント・ロスマン軍曹である.
 ハルトマン配属時には80機以上の撃墜数を誇り,騎士十字賞を受勲する猛者であった.
 こうして新人ハルトマンは,ロスマンの老練な技量と豊富な経験,そして何より彼の我慢強い指導のお陰で,後のハルトマン独自の勝利の方程式である,状況把握-決断-攻撃-離脱を完成できたのであった.

 以下余談.
 基本的に整備班は決して表に出てこない裏方のポジションであるが,ハルトマンの機付き整備班長であり,最高の親友でもあったハインツ・ビンメル・メンデルズは違った.
 彼らの連帯感は極めて強かったらしく,1943年8月20日の朝の出撃からハルトマンが帰還しなかった時には,メンデルズはライフルで武装して彼個人の意思でハルトマン捜索のために敵前線に入ったいったこともある.

CRS@空挺軍 in mixi,2008年08月20日17:48


 【質問】
 ハルトマンは米軍に降伏したのに,なぜソ連軍に引き渡されたのですか?

 【回答】
 ハルトマンが降伏したアメ軍歩兵90師団と第16戦車師団は,非公認でソ連の占領エリア内に居た.
 つまり,アメのその部隊は「その場所には居ない」事にしなければならなかった為,アメ軍は何も言えなかった.

 アメ軍はピセク郊外でロシア兵に捕虜を引き渡したのだが,ここでアメリカ兵は,自分たちが運んできた何の罪科の無いドイツ婦女子&幼女が,思いもかけぬ,そしてこの上も無く無残な目に遭う光景を目の当たりに見せ付けられることになった.
 キオカクとか,ココモとかの小さな片田舎から収拾されてきた,ぽっと出の若いGIは,自分たちの連合軍であるロシア兵が犯す破廉恥な野獣的行為を見て,彼らが「野獣」と呼ばれる由縁を知りえた.
 アメリカ兵は目の前の光景にびっくり仰天した.
 裸にされた2人の娘が泣き叫びながら,この地獄での唯一の聖域と思われる米軍トラックに縋り付いてきたのを,手を延ばして引っ張りあげてやる慈悲心をしめした.
 だが,この騎士道的行為はロシア兵の気に食わなかった.
 ソ連兵は大声で喚きながら空に向けやたらに銃をぶっ放すと,米軍トラックに対し,何やら不穏な行動に出そうな気配を見せた.
 アメリカ兵はトラックのエンジンを吹かすと全速力で走り去った.
 暴力の抑止力とはならなかったが,最期の歯止めが外されるとロシア兵は,猛然とドイツ婦女子&幼女を犯しにかかった.

 この日の夜,ハルトマンの部下の多くも,家族と共に生き地獄よりもヴァルハラに行くことを選んでいる.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 エーリヒ・ハルトマンは戦後戦犯として強制労働に従事させられましたが,罪状は何だったのでしょうか?
 正直言って,空軍パイロットが戦争犯罪を犯すのは無理があると思います.

 【回答】

――――――
http://en.wikipedia.org/wiki/Erich_Hartmann#False_War_Crimes_Charges

"He was falsely charged with war crimes, specifically the deliberate shooting of 780 Soviet civilians in the village of Briansk, attacking a "bread factory" on 23 May 1943, and destroying 345 "expensive" Soviet aircraft."
――――――

 すなわち,
1)民間人780名の殺害.
2)パン工場への襲撃.
3)ソ連の高価な飛行機を345機破壊(撃墜)したこと.

 (1)(2)についてはハルトマンは,物理的に不可能でアリバイもあると強く否定.
 (3)は,戦闘そのものについては裁けないがための言いがかり.

 この辺については昔,翻訳が出た,ハルトマンの伝記にも出てくる.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第2次大戦後,エーリッヒハルトマンはソ連の抑留から帰った後,西ドイツ空軍の将官として復職.
 しかし,他の空軍上層部との関係がうまくいかず,まもなく退職してしまった.
 その理由の一つとして,ハルトマンは戦闘機のトップスターであるのに対して,当時の西ドイツ空軍上層部は爆撃機派閥が強かったから,と聞いています.

 そこで質問なのですが,なぜ当時の西ドイツ空軍では爆撃機派閥が強かったのでしょうか?
 戦闘機派閥が強いのが普通なのではないでしょうか?

 【回答】
 えーと,ハルトマンが空軍を退いたのは50歳になってからで,これは当時の西ドイツ空軍の標準的な退職年齢です.
 何を読まれたのか分かりませんが,相当電波が入ったソースなんじゃないでしょうか?
 ハルトマンの伝記は,日本でも3種類ほど翻訳されていますが,どれもこれも,氏の人格や組織人としての適性評価は最悪に近いものであり,それを考えると,西ドイツ空軍はかつての大エースをよく保護していたものと思いますが…


 【質問】
 ハンス・ヨアヒム・マルセイユの,第52戦闘航空団在籍時代の様子は?

 【回答】
 第52戦闘航空団がバトル・オブ・ブリテンで損耗し再編成していた頃,他部隊からの転属で彼はやってきました.
 この当時,マルセイユは3機撃墜の戦果を挙げていましたが,同時に墜落や大破後の廃棄処分によって,3機も失っております.

 転属の原因は機材損失を咎められたわけではなく,彼の勤務態度が大いに関係していたようで,結構な問題児だったようです.
 同期生の言葉では
「国防軍のなかで最も軍人っ気に乏しいやつ」
と評価されていました.

 そんな彼の態度はすぐさま,第52戦闘航空団 第4飛行中隊長,ヨハネス・シュタインホフ中尉といざこざを起こし,お互いに毛嫌いの気持ちが明らかになりました.
 シュタインホフは海軍と空軍の両方で将校教育を受け,まさに職業軍人の鑑と言うべき人物でした.
 そんなわけで彼は,マルセイユの軍人らしくない考えと,些細な規則を無視するマルセイユの態度に堪忍袋の尾が切れて,マルセイユを同中隊から追い出してしまいましたとさ

 在籍期間はたったの2ヶ月.

 さて追い出されたマルセイユは1941年初めに第27戦闘航空団に異動となり,同航空団は北アフリカへ転属することになりました.
 そしてこの灼熱な地獄のような土地で,彼はようやく花を咲かせることになるのです.

CRS@空挺軍 in mixi,2008年07月28日09:41


 【質問】
 『第44戦闘団 ザ・ガランド・サーカス』(ロバート・フォーサイス著,大日本絵画,2004.1)って本を買いたいんですが,あれの内容は6000円の値段に見合うものですか?
 手に取ることができないので迷ってます.
 教えてください.

 【回答】
 個人的には超お薦め
 JV44の副官クルピンスキーとガーランド本人の序文から始まり,美麗イラストのJV44のカモフラージュとマーキングに続き

第1部 クライシス・オブ・コマンド 戦闘機隊の危機
 第1章 差し迫った危機 1944年6月〜11月
 第2章 鋼鉄の傘 1944年夏〜秋
 第3章 色褪せた星 1944年10月
 第4章 アエロパーク 1944年11月
 第5章 孤立への道 解任,反乱と追放 1944年11月〜1945年1月
第2部 JV44の戦い
 第6章 新鋭の機体,貧弱な支援 ブランデンブルク-ブリースト,1945年2月
 第7章 絨毯爆撃 ミュンヘン-リーム,1945年4月1日〜19日
 第8章 ヴュルガー〜百舌〜中隊 ザクセンベルクと縦縞の守護者たち
 第9章 “敵ジェット機発見!” バイエルン上空の戦い,1945年4月20日〜29日
 第10章 降伏 ザルツブルク-マクスグランおよびアインリング 1945年4月28日〜5月4日
 第11章 山中へ逃れて インスブルック-ヘッティング,1945年5月1日〜5日
 第12章 「ガランド将軍配下のパイロットはどこだ」 捕虜収容所,1945年5月

 そして最終ページの見開きの,花畑の中に遺棄されたMe262の写真とガランドの日記の引用.
「戦争末期の激動の数ヶ月間,前線で勤務できたことに私はおおいに満足している.
 この未曾有の大戦で,自分が最後の戦闘機部隊を率いていたことは,この先ずっと私の大切な思い出のひとつになるだろう」
で終わる.

 巻末にはJV44パイロット一覧と所属機一覧,主な翻訳参考文献が載っている.

 第44戦闘団について完全網羅と言いきっていいほどの内容.
 文章写真記録全てが非常に充実.重量的な意味で重い.
 これ以上の本はもう出ないと思います.
 価格相応の価値はありました.
 確かに値が張るけど,それに見合った内容だと思う.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ドイツのアドルフ・ガラントの愛機はカスタム化されていたそうですが,実際には何が一般機と異なっていたのでしょうか?
 灰皿が付いているだけと言うのもあれば,武装も強化されているというものもあるのですが.

 【回答】
 1940年,柏葉騎士十字章受賞当時の乗機Bf109E-4/Nの写真が残っていますが,前部風防に特注の筒状のZFR4望遠照準器が取り付けられており,通常のReviC-12D光像式照準器も,それに並ぶ形で取り付けられているのが特徴です.
 望遠照準器は確か索敵用だったと思います.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE,2007/01/31(水)


 【質問】
 WWU独軍エースの「ヘルマン・グラーフ」氏について,「最悪の裏切り者」であったり「不遇の扱いを受けていた」と書かれている物が多いのですが,本当に裏切り者と言われて当然だったのか,それとも冤罪だったのかイマイチ分かりません.実のところはどうだったのですか?

 【回答】
 ヘルマン=グラフはソビエトの収容所に入れられてあまりの待遇の悪さにソビエトの反独プロパガンダに協力した(転向,というやつ)ので,パイロット仲間から嫌われた.

 で,自分たちを「空の騎士」と言うように誇りを持ってたパイロットたちにとって,
「自分はナチスに騙されてパイロットに志願し,罪もないソビエトの人民を沢山殺しました」
とか
「自分はソビエトの民間人を虫けらのように殺した極悪人です.当時わたしの仲間は皆ナチスに騙されてソビエト人民への残虐行為に熱中しました」
なんて語られたらいい気はしない・・・.つーか「帰ってくんな」としか言いようがないわな.
「まぁ収容所で洗脳されてたんだからしょうがないか・・・」
という扱いにはなったわけだが.


 【質問】
 ヘルマン・グラーフは国を裏切り,ソ連に寝返ったという話と,あれはソ連の流したデマだったという二通りの話を聞いたのですが,どちらが本当なんですか?

 【回答】
 ヘルマン・グラーフが捕虜収容所で,NKVDの懐柔にしたがってソ連軍に協力したのは事実です.
 同じ収容所にいたエーリッヒ・ハルトマンの証言では,彼は戦中の栄光と収容所での現実との落差に耐えきれずに,自らソ連への忠誠を誓い,ソ連軍に協力するという申し出を行っています.
 また,彼が所持していたダイヤモンド剣付き柏葉騎士十字章をNKVDに提出しています.
 その結果,彼は別の収容所に移されて,ソ連軍に関する提灯記事を捕虜新聞に書いたりしました.

 ただし,グラーフに関する悪評は幾分誇張されているようです.
 その悪評の元は,同じ収容所にいたエース,ハンス・ハーン元少佐が釈放後に執筆した,捕虜時代の回顧録「真実を語る」です.
 彼はその中で捕虜仲間であったグラーフを,ソ連の圧力を受けて節操を捨てたとして厳しく糾弾しており,この内容が原因となって元パイロット仲間からの批判に繋がってしまい,結局,彼は事実上の”村八分”状態に置かれることになってしまいました.

 ところがハルトマンによれば,この著作の内容は正確ではないそうです.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ギュンター・ラルって誰?

 【回答】
 ギュンター・ラル Günther RallはWW2中,275機を撃墜したドイツ空軍第3位のエース・パイロットで,偏角射撃の名人.
 1937年,陸軍から空軍へ転属すると,フランス戦,バトル・オブ・ブリテン,クレタ島攻防戦,そして独ソ戦と転戦.
 背骨を3箇所骨折するという重傷を負うこともあったが,大戦末期まで戦い続け,戦後も西ドイツ空軍総監まで昇進した.


 【参考ページ】
「通信用語の基礎知識」
http://bf109.exblog.jp/i5/
http://www.art-eagle.com/ace.html
http://earth.endless.ne.jp/users/mac0115/rall.html

【ぐんじさんぎょう】,2009/4/8 21:00

ギュンター・ラル
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 サンテクジュペリを撃墜したというパイロットが名乗り出てる

--- --- ---
サンテグジュペリ搭乗機「撃墜」=独元パイロットが証言−仏紙
2008/03/15-23:15


 【パリ15日時事】童話「星の王子さま」で知られるフランスの作家アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(1900〜44年)が最後に操縦していた飛行機は,ドイツ軍戦闘機に撃墜されていた−.15日付の仏紙プロバンス(電子版)は,戦闘機に乗っていた元ドイツ軍パイロットの証言を報じた.
 証言したのはホルスト・リッパートさん(88).
 第二次大戦中の44年7月31日,南仏ミルの飛行場を出発,トゥーロン付近でマルセイユ方向へ向かう米国製P38ライトニング戦闘機を発見した.
「接近して攻撃を加え,弾が翼に命中した.
 機体は一直線に海へ落ちた.
 機内からは誰も飛び出さず,パイロットは見なかった.
 それがサンテグジュペリだったことを数日後に知った」
と同紙に語った.
 リッパートさんは
「サンテグジュペリの作品は大好きだった.
 彼だと知っていたら,撃たなかった」
と話した.
--- --- ---

のですが,この人が撃墜時に乗ってた飛行機はメッサーなのでしょうか?それともフォッケウルフなのでしょうか?

 【回答】
 撃墜したとされるパイロットの名前”Horst Rippert”でググって引っかかったフォーラムサイト.
http://forum.keypublishing.co.uk/showthread.php?p=1228508
によれば,
>Horst Rippert was with 3/Jgr.200 based at Aix-En-Provence till 31.7.44 flying a
>Me109 G-6 version.
とありますね.
 つまり乗機はメッサーシュミットBf-109です.
 JGr200は前線へのパイロットの補充のために編制された,いわゆる錬成戦闘大隊です.
 こちらも調べると,確かにBf-190Gを装備していた模様.
http://www.ww2.dk/air/jagd/jgr200.htm

 ちなみに上記のフォーラムの記事を読むと,ホルスト・リッペルト氏は身内にユダヤ人がいたとかで,上級伍長という低い階級のまま,飛行教官としてJGr200に左遷されたというようなことが書いてありますね.
 サン・テクジュペリ撃墜の件といい,ちょっとかわいそう.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板

 〔この件は,〕今朝のNHK衛星第1「ワールドニュースアワー」France 2で詳細を報道していました.
 搭乗機の残骸が見つかってから4人のパイロットに絞り,インタビューでようやく判明したとか.
 〔略〕

 フランス人達には,パイロットが〔サン・テクジュペリ〕撃墜を誇りにしていると思ってたら全然逆だったのが意外だったらしいです(まぁ,そりゃそうだろう).
 パイロットにとっての神様を殺したのは,やはり言い出しにくい過去だったのだろうと.

 Rippertは「リッペルト」と読むのが正しいのかな?
 英語のフォーラムで戦績を発見しました.
「28ないし29機撃墜」
http://forum.12oclockhigh.net/showthread.php?t=5447

Tono in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 ・行方不明時,フランスばかりかドイツでさえ捜索活動をしたのに,当時,報告をしなかったのか?(ドイツの捜索活動とはどの程度の規模だったのか? あるいは伝説?)

 ・フランス・ドイツの双方の飛行記録/作戦報告書を照合すれば容易にリストアップされたはずではないのか?

 ・フランスまたはドイツの飛行記録/作戦報告書は現存するのか?(敗戦時に廃棄された?信頼性が低い?)

 どうも,ニュースに信憑性が無いように感じるのですが.

nomad in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

サン=テクジュペリ
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 クールラント軍集団について質問です.
 色々検索してみると,ソ連軍はクールラントポケットに対して六度の大規模な攻勢を行っていて,これによって地上兵力は言わずもがな航空機も650機程度失っています.
 多分に運用損失も含んでるのでしょうが,この数字を見る限りドイツ側に戦闘機部隊があったのでは? と思うのです.
 実際の処どうだったのでしょうか?

 【回答】
 クールラント方面には第一航空艦隊が取り残されており,後にクールラント地区航空部隊となりました.
 1945年4月の時点で,その方面に残されていた昼間戦闘機部隊はJG54の二個飛行隊(T/JG54,U/JG54)です.
 Fw190それぞれ38機と41機が保有機数で,この他に本部小隊に5機が残されていました.

 JG54からは,267機撃墜のオットー・キッテル中尉(1945年2月14日戦死)のようなスーパーエースも誕生しています.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板,2009/12/25(金)
青文字:加筆改修部分


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