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<第二次大戦FAQ


(PPS@軍事板常見問題 mixi別館より)


 【link】

flaktuerme.com(ベルリンのflakタワー)

Hugo Junkers Homepage

Luft46(ドイツの架空機・計画機をほとんど網羅.英語)

「ワレYouTube発見セリ」:The German Luftwaffe in color


 【質問】
 WW2時のドイツ空軍機の命名基準も教えて下さい.
 機名の,最初のアルファベット2文字が会社名を表すのは分かりますが,その後の数字3文字はどういう基準で付けられるの?
 また,その数字の後のA‐1とかのアルファベットと数字はどういう基準で付けられるの?

 【回答】
 飛行機については,1933年より,ドイツ航空省承認の下で設計・製作された機体については,RLMから形式番号が割り当てられ, これに製作会社略号を付けています.

 初期の頃は計画的に割り当てられ,例えば,
11~30はDornierに,
31~36はKlemm,
37~60はHeinkel ,
64~85はArado
などとなっていますので,初飛行順にならないケースがあります.

 また,原型のみで開発中止になった機体の場合,同一番号を割り当てる場合があります(例.Me-163).
 一端与えられた番号でも,既に空位になっている番号にふり直すこともありました.

 AとかBと言った部分は,大改造型で,ハイフン以下は小改造型に割り振られます.
 また,工場改造と現地改造でそれぞれ,UとかRが末尾に付く場合もあります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 Bf110→Me210→Me310(開発中止)→Me-410のように改良されると最初の桁の数字が上がっていく場合もある.
 あと,開発中止になった機体の番号が,あとで復活する場合もある.

軍事板


 【質問】
 第2次大戦時のドイツ空軍機の機種表記は,Fw-190のようにメーカー略称と数字の間にハイフンを付けてたのでしょうか?

 【回答】
http://en.wikipedia.org/wiki/RLM_aircraft_designation_system

 入りませんね.
 ただ,半角スペースをつけるのがルールみたいです.

Me_262_A-1b

 軽微な変更があった場合,タイプ(アルファベット)の後にサブタイプが発生した場合は,ハイフン+数字が入るようですね.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第2次大戦中のドイツ軍機ですが,奇抜なデザインなものが他の国の飛行機に比べて多いのはなぜですか?
 B&Vの非対称機とか,リピッシュ博士のとか円盤機とか.

 【回答】
 持たざる国だから.
 WW2ドイツは資源,数の不利を科学技術と機械製造技術で補おうとしただけ.
 オーソドックスな兵器で戦えばジリ貧になるのが解っていたから,どうしても奇抜な発想に頼らざるを得ない.

 その証拠に,自国より資源が乏しく軍規模が小さな国相手の頃は,ドイツも米英同様,相手と同様な装備を使っている.
 これは,WW2時の米国みたいに圧倒的な国力差のある国と戦うのでなければ,戦争進行中に新兵器開発に力を入れる必要も薄くなる,ということを意味している.

 ジェット戦闘機やロケット戦闘機などのオーソドックスではない兵器は,圧倒的な米英の爆撃機に対抗するための手段.
 爆撃機に対する最高の対抗手段は,敵の基地にいるところを襲い地上撃破することなんだが,それができないので,ジェット機なんかの開発が必要となったわけ.

 また,兵器の開発や開発援助に際して,独裁者や特定の人物の意向が,他国に比べて非常に強く働いたから.
 極端な話,末期になればなるほどヒトラーが気に入ればOKが出た.

軍事板

ドイツ珍機の例
faq01m99.jpg
faq01m99b.jpg
faq01m99c.jpg
(一部コラ)
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 第二次大戦時のドイツ軍機にあるR仕様について質問があるのですが,このR仕様は機種別に用意されているのか,型別(me109で言うA.B.C.D.E....)別なのか,更に細かい分類である(me109Gで言うG1.G2.G3....)の1つ1つに用意されているのか,本やウェブサイトで情報を集めても答えが出せませんでした.
 この3種の中で正しいのは,一体どれなのでしょうか?

 また,全く同じ機種であるはずなのに,本やウェブサイトによってR仕様の表が違ったりします.
 信頼性の高いウェブページや本をご存知の方は,是非紹介していただけないでしょうか?

 【回答】
 R仕様は現地改修キット,U仕様は工場改修キット.
 両方とも機種とは無関係に定められているが,車でいえばR仕様はディーラーオプションみたいなもんで,多彩なのは当たり前.
 しかも戦中に何度か(記憶では2回),仕様の定義(内容)が改められているので,どの時点のR仕様の解説かで内容が異なってくるのも当然だ.
 まぁ,「どの時点の話か」を明記すべきだろうとは思うが.

 で,R仕様の内容を時期的にも戦線での使用状況も明確に解説したサイトや本は,日本語英語含めて存在しないと思う.
 R仕様がやたら多く登場するFW190系の本の中に,割りと詳し目な記載があるもんもある.
 改修数が多いR仕様が,U仕様に繰り上がる,なんてのは随時あって,定義変更はその辺を整理しなおして集大成したもんだ.
 ま,あまりにもややこしくなってドイツ人たちも混乱したもんだから,最終的にはRもUもSに統一されちゃうわけだが.

軍事板,2009/08/22(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 アウトバーン建設の目的は,天候に左右されず高速に物資を輸送する為と,滑走路としても使用する為ではなかったの?

 【回答】
 アウトバーン建設の目的はフォルクスワーゲン開発とセットで
・景気対策.年金基金の運用等で公共事業を行う.
・将来的なモータリゼーション誘発
を狙っている.
 フォルクスワーゲンについては平均的な労働者にも購入可能なように,始めから90マルクで販売可能な自動車を開発させておいて,9マルク×11回のローンで販売することで自動車普及率を上げることが目的.
 先に販売価格を設定しており,技術的にはどうと言うことのない製品だが,利益を軍用車調達に使う意図もあり,国防も意識した政策だった.

 そもそもアウトバーンは日本語に翻訳すればそのまんま「自動車専用道路」という意味合いになります.
 大戦中に爆撃を避けるため,道路脇の森やトンネルに飛行機を隠し,そのまま道路を滑走路として使用したというだけで,始めから飛行場とする意図があった訳ではありません.

 ヒットラーによるアウトバーンの建設着手は1933年.(計画はワイマール政権期から)
 ところが再軍備宣言に続く空軍再編制は1935年2月に発令されています.
 再建を目的とする活動自体はその前からありますが,それを進めていた人々が,国策の道路事業に対して発言権を有していたという証拠はありません.

軍事板


 【質問】
 ドイツ空軍のパイロット革ジャンパーについて教えられたし.

 【回答】
 写真1は,型式が数あるLWパイロットジャンパーの中から,Fw-190エースのヨゼフ・プリラー少佐のタイプ(上二つジッパー付ポケット,下二つ蓋付ポケット)を再現してもらったオーダー品です.
 実物から型取りされ,当時と同様にriri社のジンク製ジッパーやプリム社のドットボタンが使用されてる,凝った作りで,馬革製で内装にはイタリア製のブルーグレー・ウール生地が張られ,保温性もバツグンです.
 春先の北イタリアの寒さの中でも効果を発揮しました.

 本当はヤギ革がベストなんですが,私の体型だと遺伝子操作で巨大化したヤギでないと,背中から前身ごろまで一発で入らないので…馬革になってしまいました(´・ω・`)
 何故ヤギ革が良いのかと説明しますと,ヤギと人のサイズが微妙に同じぐらいで,革の部位が人間の身体の位置と一致すると,動きや持ちが良くなるからです.
 ヤギだと背骨にあたる部分が丁度,人間の背骨の位置に持って来れ,脇腹の柔らかい部分もお腹の位置になります.
 こうして革ジャンは作られるのですが,痩せ型の人ならピッタリなヤギ革ですが…(´・ω・`)

 後はカンガルー革とかも当時の革フライトジャンパーで使用されていた様ですね.
 カンガルー革は,戦前の備蓄を利用したものでしょうか.
 同じ様にスキーの竹ストックやパラシュートの絹などでも,日本から輸出された素材が備蓄が切れるまで使われていますね.
 これも軽くて良さそうです.

 カンガルーと羊とでは革の重さが違っていますね.
 同時に密度の違いから,固さや弾力も異なりますが,羊はオールマイティーな分,やや大味な印象を受けます.
 きめの細かさと肌触りの良さでは,私は断然ヤギ革でしょうか.

 戦中のイタリア空挺のグローブも表革はヤギ革で,裏に防寒用の羊革を毛付で張っていて,暖かくてかつ動きやすい特徴を持っています.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000160.jpg

 日本では革ものの品質維持が難しく,硬化したりカビが生えたりする事も多いので,この革ジャンも風通しの良いところで保管しています.
 でも何年かに一度は,保革油を浸けてメンテする必要があります.

 まあイタリアで高級靴をオーダーする気分ですが,大事に使えば一生ものなので無理してお願いしました.
 しかも,普段着を買ったという事で,カミさんにもミリタリー申告なしで家のお金が使える←ココ,凄くポイント(笑

 写真2/左は,この革ジャンを着たプリラー少佐
 同少佐は,ノルマンディ上陸作戦の開始時の6月6日にオマハ海岸で唯一反撃した,2機のドイツ空軍戦闘機を率いたエピソードでも有名で,映画「史上最大の作戦」でも描かれてますね.
 307回出撃で総撃墜数101機も凄いのですが,スコアには4発重爆が11機も含まれ,その全ての戦果を西部戦線で挙げたというのも大したもの.
 しかし,ドイツ空軍全体では105位に終わってしまうというのも…もはや何とも.

 ハルトマンの352機撃墜などは,おそらく人類史上,宇宙戦争の時代になっても二度と撃ち破られる事はないでしょう…
 たぶん彼自身が宇宙人だったのかと思わされます(^^;

 童友社の1/100翼コレクションシリーズでこのプリラー少佐機を再現した塗装済みFw190 A-5キットが出たと知り,これは入手せねばと中身が見えないボックスの大人買いを続け,ようやく赤羽に遠征の際に1機をゲット(写真2/右).
 こんなサイズでもパーソナルマークのユッタヘルツ(ユッタのハート)がちゃんと描かれていて感動…
 でも後には山のようなヘルマン・グラーフ機がorz

 それでもシークレットの武装強化型(キルヒマイア少尉機/JG11第II飛行隊)を含む5種が集まって満足しました(笑).
 でも,またしても玩具が貯まってしまったのは何故でしょう…(^^;

写真1

写真2

写真3

よしぞう(maro'),2006年11月11日16:49
~2006年11月17日 12:58
より再構成


 【質問 kérdés】
 WW2ドイツは占領地域での航空機生産を,どのように分担させたのか?

 【回答 válasz】
 第2次世界大戦中ドイツ軍は,欧州各国を占領すると,そこにある工業基盤を利用して自国の兵器を生産させています.
 それは第2次世界大戦前に併合したチェコで始められましたが,占領地が拡がると,航空機産業ではベルギーのSABCA,オランダのFokker,そしてフランスの各航空機会社がそうした生産に参加します.
 基本的に第1線機は本国で生産していましたが,後には自国設備だけでは間に合わず,各国に生産を分担しました.

 例えば,チェコではBf109,Fw189,Si204,Fi156C,Ar96B,Bu181,更にはMe262など4,147機の機体が生産されています.
 特に,Bf109はエンジンをJumo211に換装した型が生産され,1955年まで用いられたほか,イスラエル空軍の最初の主力機としても用いられました.
 Me262も余った部品を元に何機かが組み立てられ,試験されています.

 オランダはDo24の様な戦前から生産してきた機体の他,Ar196やBu181も組み立てられており,Do24はDo24Tとして154機が生産されました.

 勿論,航空先進国のフランスも例外では無く,国有化された各企業で機種が割り当てられました.
 SNCASOでは,戦前から生産してきた機体をビシー政権軍向けに生産していたほか,Ju52/3mやFw189を生産しています.
 SNCANではDo24やBf108,SNCACではSi204,SIPAではAr.196とAr396.
 そして,民間企業のAmiotではJu52/3m,Breguetでは自社の機体の他,Fw189,Bv.144,FalmanではHe274,Morane-SaulnierではFi156が生産されました.
 1944年,フランスの殆どの地域は解放されます.
 しかし,フランス空軍が復活するには連合国から引き渡された機体だけでは機材が足りず,こうしたドイツ機の生産からスタートしました.

眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2,2019-09-23
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 チェコが戦後,ドイツの遺した設備を使って自国軍向けに作った軍用機には,どんな種類があるですか?
 Me109とMe262だけですか?
 他にもありますか?

 【回答】
 Czechoslovakiaでは以下の機体を国内生産しています.

Fw-189
Si-204
Fi-156C
Ar-96B
Bu-181

 これらを国内生産し,1944年より,Bf-109G-14とMe-262Aの他,エンジンとしてJunkers Jumo211FとJumo004Bを生産し始めていました.

 戦後はBf-109G-14とJumo211Fを組み合わせて,S-199として生産したのを始め,Me-262AはJG7のものをオーバーホールして使用したほか,余った部品で,S-92として生産しています.

 このほか,Si-204D,Fi-156C,Ar-96とBu-181を戦後も生産し,使用しています.

 捕獲機では,He-219,Fw-190,He-111,Bf-108,Bu-131,Ju-52 を使用していました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 『IDFマッハのエースたち』(戦車マガジン,1988/12/5)によれば,S-199はイスラエル空軍に25機売却されて実戦をみています.
 1949年9月までに計6機撃墜.

 もっとも,Me-109の機体にHe-111のエンジンを無理矢理載せたために,かなり扱いにくい機体だったようです.
 上掲書によれば,エンジンと機体との相性が悪かったため,信頼性が低く,操縦は難しく,さらに機体銃とのタイミングが取れておらずプロペラを傷つけることが多かったそうです.
 敵よりも危ないと言われていたとか.


ちょっと調べてみたら,Wikiにもっと詳しい説明があった・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Avia

 Wikipedia中のS-92ってのは,チェコ製Me 262の事です.

軍事板
加筆修正部分:青文字

 【関連リンク】

「1948年のメッサーシュミット」

S-92
S-199
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 WWII時のドイツ海軍は日米のような固有の航空隊を持っておらず,空軍がこれを支援するという形を取っていましたが,Ar.196のような艦載水偵も空軍所属だったのでしょうか?

ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U in 軍事板,2007/07/12(木)

 【回答】
「空を飛ぶモノは俺のモノ」
By 太っちょ.

 空軍所属で,操縦士や偵察員も派遣されています.
 Ar-196の場合,1./Ku.Fl.Gr.706,SAGr125,126,128,130,2./SAGr131,2./SAGr132,BFGr196,1./KG200,3./KG200(KG200は元々III./KG100のモノで,一時的にはSAGr126所属でした)に所属していました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2007/07/12(木)

 ただし,空軍に航空隊を分捕られたのは35年10月で,それまでは小規模ながら海軍航空隊があったようです.

軍事板,2007/07/12(木)


 【質問】
 ハインケル Heinkel He46偵察機について,3行で教えてください.

 【回答】
 ドイツ航空省航空運輸委員会の開発依頼に基づいて,ハインケル社が開発した高翼単葉機の直接協同偵察機で,1931年末に初飛行した.
 1936年までに約500機生産され,ブルガリア,ハンガリーにも輸出された.
 ドイツ空軍ではポーランド侵攻やフランス戦まで使用された後,Hs 126と交代して第一線部隊から引退し,訓練用に使用された.

 【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/world/w_he46.htm
http://www.aviastar.org/air/germany/he-46.php
http://www13.ocn.ne.jp/~miriken/Aircraft/Reconnaissance/Germany_001.htm

三面図
(こちらより引用)

同@ハンガリー空軍機
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】, 2013/04/24 20:00
を加筆改修


 【質問】
 ハインケルHeinkel He64について教えてください.

 【回答】
 航空競技大会「チャレンジ1932」に参加するため,1932年にドイツのハインケル社で製造された,単葉複座のスポーツ機.
 ワルターとジークフリートのギュンター兄弟が設計.
 エンジンはアルグース空冷直列倒立4気筒150hpを搭載し,翼面積14m^2,総重量750kg,最高時速245kmという,当時としては高性能を発揮した.
 6機が大会に参加するために製作され,そのほぼ全機が大会に投入された.

 1932年,He-64Cが1機,フラップの研究のためにイギリスに輸入され,後にローデシアへ渡り,1952年まで飛行したのち,ソールズベリでスクラップとされた.

 【参考ページ】
佐貫亦男「飛行機のスタイリング」,『航空ファン』1995年4月号,p.158
http://he64.com/
http://www.aviastar.org/air/germany/he-64.php
http://www.edcoatescollection.com/ac5/ROW%20Africa/VP-YBI.html

三面図
(こちらより引用)

写真
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2013/04/26 19:40
を加筆改修


 【質問】
 ブローム&フォスの,左右が対称ではない偵察機について教えてください.

 【回答】
 ブロームウントフォス BV-141 (Blohm und Voss BV-141) という名前の飛行機で,リヒャルト・フォークト博士によって設計され,1938年に初飛行しました.
 左右非対称なのは,周りがよく見えるようにしたためです.
 安定性や操縦性に大きな問題はありませんでしたが,空軍省の要求はエンジン1つの機体だったこと,エンジンにオーバー・ヒートが頻発したこと,油圧系統の不具合などの理由により,20機程度しか生産されませんでした.

【ぐんじさんぎょう】,2008/05/15

▼ 設計者は,戦前に川崎航空機に技術指導に来ていた,リヒャルト・フォークト博士.
 こんな機体を設計する人物であれば,さぞやイカレたマッドサイエンティストなのだろうと思っていたのだが,フォークト博士のお弟子さんが飛燕の設計者である土井武夫氏によると「合理的な理論派.大変に真面目な人柄で,設計に対して厳しい人だった」そうである.
http://www.kaminarioyaji.com/dourakukoubou/Longest_day_yodan.htm

ギシュクラ in mixi,2008年11月08日00:30

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 とあるドイツ語のルフトヴァッヘのサイトに,「Heliofly」なるタケコプターもどきの図版や写真があったのだけど,どこまで本気だったのでしょうか?

 【回答】
 Paul Baumgartlと言うオーストリア人が開発したものです.
 最初は自費開発でしたが,後にドイツ政府が後ろ盾になって資金を提供しています.

 彼が開発した最初の機体は,民間用Autogyro GliderのHeliofly Iでした.

 次いで,1941年に折りたたんで持ち運びの出来るワンマンヘリ,HelioflyIII-57を製作します.
 最初の機体は,1枚羽根ローターの反転式二枚となり,それぞれのローターを8馬力のArgus As82サイクル空冷エンジンで駆動したもので,ローターとエンジンで釣り合いを取っていました.
 折り畳めば1人で運搬出来たものでした.(空荷重量は35kgほどなので)
 計算上,最大速度80km/h,垂直上昇速度146m/minでした.
 しかし,エンジンが入手難でした.

 そこで1943年に製作されたのが,HelioflyIII-57の改良型,HelioflyIII-59で,エンジンは16馬力1基となり,ピッチコントロールが取り付けられ,離陸重量が120kgに軽量化.
 これで浮揚することが可能となります.

 ワンマン・へりはもう一種類,Nagler-RolzのNR.55があります.
 Bruno Naglerもオーストリア人で,1929年にRaoul Hafnerと共に英国でヘリコプター開発を行っており,帰国後,Franz Rolzと共に自らの設計事務所を開きます.
 こちらにも,ドイツ政府から援助が行われ,1940年に最初の機体が開発されます.
 NR.55と名付けられた機体は,40馬力のエンジンで二重反転プロペラを回し,その力で1枚羽根ローターを回すものでしたが,室内では問題なかったものの,外での浮揚には失敗しました.

 そこで,1941年に駆動系を見直して軽量化を行ったNR.54V1が造られます.
 これは24馬力エンジンで7.92mのローターを回すもので,空荷重量80kgで,理論上88km/hの速度が出るはずでした.
 但し,燃料系統に問題があり,1941年により小型,軽量化したNR.54V2ですが,1枚羽根ローターを二重反転式に取付け,それぞれを8馬力エンジンで駆動し,トルクをなくすために小さなプロペラを取り付けると言うものです.
 パイロットは2つのレバーで操作を行いました.
 この機体は4機が造られますが,不明な理由で量産には至っていません.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/04/26(火)
青文字:加筆改修部分

Heliofly I
現代のタケコプター
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 シュトルヒって何?

 【回答】
 Fi-156「シュトルヒ」はドイツ第三帝国空軍の軽連絡機.
 わずか240馬力のエンジン,長い主翼には揚力を高めるためのフルスパン固定スラット(前縁)と,スロッテドフラップ(後縁),さらに鋼管に布張りの超軽量化された機体(約1トン)のため,無風状態では75m,風速4mもあれば50mで離陸可能でさらに着陸は15mの滑走ですむという,非常に高い短距離離着陸能力をもち,STOL機の元祖とも言われる.
 1937年頃から実戦配備され,前線での連絡,高官輸送,着弾観測,傷病兵の後送,撃墜されたパイロットの救難などに使われ,特に本機を有名にしたのは1943年の,山荘に監禁されたムッソリーニの救出である.
 また,見た目によらず運用寿命が長く,Bf109の10倍はあった.
 ソ連や日本では同機のコピー機が作られ,他国でも模倣機が多数使用された.
 連合軍はぱくったシュトルヒを前線で多数使用していた.
 ドイツ敗戦間際に一番最後に撃墜された機体である(それも小型偵察機にピストルで)など変な話がたくさんです.
 ちなみにシュトルヒとはコウノトリのこと.

「YouTube」:シュトルヒ離着陸

 ちなみに本機を開発したフィーゼラー社の社長フィーゼラー氏は,ご多分にもれず,ぶっ飛んだ人で有名.
 第一次大戦中のエースパイロット(撃墜19機,ちなみにゲーリングは18機)で,会社経営を始めてからも飛行機に乗るのが趣味で,たびたび曲技飛行の大会に出ては優勝し,賞金で自分の会社を増資していたという.

faq01m17f156.jpg

軍事板?


 【質問 kérdés】
 戦後,フランスで生産されたドイツ連絡機について教えてください.

 【回答 válasz】

 第2次世界大戦中,ドイツ空軍で連絡機として様々な機種が用いられていましたが,特に多く使われたのが単発のBf108と双発のSi204です.
 勿論,BFW社は主力戦闘機の生産に手一杯だったので,二線機であるBf108の生産は協力工場に外部委託されていました.
 そして占領後はフランスでも170機が生産されていました.

 この機体もご多分に漏れず,フランス解放後はフランスのために生産が開始され,SNCANによって,まずオリジナルのN.1000が作られ,ドイツ製のArgus As10Eエンジンの在庫が無くなるとエンジンを同馬力のRenault 6Q10に換装したN.1001が生産されます.
 更に,6Q11に換装して各部をリファインしたN.1002が生産され,フランス解放後は286機が生産されて,主に陸軍航空隊と海軍航空隊に納品され,Pingouinと言う愛称で使われました.
 他に,フランス解放後に各地に設立された飛行クラブ用でも利用されています.

 また,このBf108の近代化発展型が,大戦中Messerschmittによって開発され,これはMe208と呼ばれました.
 この機体は,Bf108の各部をリファインし,前輪式降着装置に変更したものです.
 2機の試作機がドイツ国内で完成し,その後の開発,生産はフランスに移されました.
 フランスではサボタージュにより生産が進まず,解放後に生産が開始されます.
 SNCANで開発された試作機はN.1100と名称が変えられ,Noralphaと言う愛称が付きました.

 その後,エンジンを例によってRenault 6Q10/11に変更したN.1101が205機作られましたが,陸軍航空隊の練習機としてRamierの名称で用いられました.
 因みに,オリジナルエンジンの馬力は240馬力なのですが,練習機としてなので,60%の馬力制限をかけています.
 後に,この練習機の中の少数が6DOエンジンに換装されてN.1004となっています.

 その後,1945年12月にはこの練習機型をもう少し経済的なものにすべく,主尾翼や胴体はほぼその侭で,馬力の低いエンジンを搭載した民間用並びに軍の練習用としてのN.1200が開発されます.
 N.1201は140馬力のRenault 4P.01を搭載したもので,試作機1機が作られ,N.1202は160馬力のPotez 4D-01を搭載したものでこれも試作機1機が作られました.

 これらを基に,147馬力のRegnier 4L-00を搭載したN.1203/I/II/IIIが開発され,これが主力となりました.
 N.1203/IVは170馬力のSNECMA 4L-02を搭載した型で,N.1203/Vはこれの陸軍航空隊向け練習機となった型です.
 N.1204/VIはエンジンを160馬力のSNECMA 4L-14を搭載した型でした.
 更に,エンジンを米国製のContinental水平対向125馬力に換装した型がN.1204/Iとして生産され,145馬力のそれに換装したN.1204/IIが生産されました.
 これらの機体は1948年まで378機が生産され民間に広く売られていました.

 一方のSi204は1941年から1942年末にかけて5機の見本が渡され,生産が開始され,解放までに170機が生産されました.
 1944年に最後の7機が引き渡されてドイツ向けの生産が終了し,解放後はフランス軍向けに切り替わります.

 SNCACにて生産が開始されたものは,段無し風防のSi204Dに580馬力のArgusエンジンを搭載したNC.700で,590馬力のRenault 12S-00に換装したNC.701がこれに続きました.
 段無し風防は使いづらかったのか,原型のSi204と同様に段付風防に変更したNC.702が開発され,28機が1945年7月まで生産された後,350機がSNCAN(Nord)で生産されました.
 これらの機体は1949年まで陸軍航空隊で用いられたほか,SNCAC製の機体にはMartinetという愛称が付けられ,Air Franceの海外植民地であるMadagascar,Indochina,Algeriaの各地で郵便機として用いられています.

眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2,2019-10-06


 【質問 kérdés】
 モラン・ソルニエM.S.500とは?

 【回答 válasz】
 ドイツ人の航空技師Gerhard Fieselerが作った傑作機が,Fieseler Fi156 Storchです.
 後縁全体にフラップを設けた高翼単葉の機体に細い胴体を配し,一方で頑丈な主脚を持ち,不整地からも容易に離着陸できるSTOL機の先駆けでした.
 ドイツ空軍でも広く使われ,Rommel元帥の愛機としても有名です.

 この機体はチェコの他,協力工場であるMorane-Saulnierでも生産されました.
 解放後,それなりに異形の機体にも拘わらず,Bv244と異なり,フランス軍でも引き続き使われ,生産も継続されます.
 なお,この機体は空軍では無く,どちらかと言えば陸軍航空隊で直協機として用いられました.
 また,フランス軍での名称はFi156からMorane-Saulnierの会社名称であるM.S.500に変更されました.

 M.S.500はドイツ製の機体とほぼ同じで,Argus AS410c240馬力を搭載していますが,これの供給が尽きたので,同じく空冷倒立のRenault 6Q233馬力に換装したM.S.501が製作されますが,更には空冷星形のSalmson 9AB230馬力を剥き出しに搭載したM.S.502が製作されて,これが主力の型となります.
 イタレリのプラモデルになっていたのもM.S.502です.
 これらの型で合計925機が生産され,軍民共用で用いられました.

 しかしながら,これらの機体は元のエンジンよりも数馬力~10馬力低くなったため,若干馬力不足気味であり,それを解消するべく,発展型の開発が行われます.
 M.S.504は,米国製のJacobs R-755A2空冷星形エンジン304馬力を搭載した試作機で,1機が製作されました.
 これを原型機として,同じエンジンを搭載し,各部を近代化したM.S.505が40機作られます.

 この機体は,1961年に後継機のM.H.1521Mが就役し,充足する1965年まで用いられましたが,Morane-Saulnierではこれに対抗すべく,水平対向のLycomingエンジンを搭載したM.S.506を2機製作しています.
 Fi156は,結果的にフランス軍において第2次世界大戦機の生き残りとしては,20年も使われる息の長い機体となりました.

眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2,2019-09-27


◆◆◆◆◆対空


 【質問】
 ドイツの防空部隊の呼称や編成はどうだったのでしょうか?

 【回答】
 88mm以上の重高射砲隊は,4~5門から編成される中隊が基本です.
 1939年には650個中隊で,44年には2,655個中隊が編成されています.
 20,37,50mmと言った中,軽高射砲隊は,12~15門から編成される中隊が基本になります.
 1939年には560個中隊で,44年には1,612個中隊.
 そして,150cm~200cmのサーチライトを装備した照空隊があり,これはサーチライトを16灯装備し,これで1個中隊を編成していました.
 1939年には188個中隊,44年には470個中隊に増えています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/02/03(金)
青文字:加筆改修部分

 ドイツ本土防空戦というMOOK,ドイツ本土戦略爆撃というNF文庫の本があるから,詳しいことはそれで調べてくれ.

軍事板,2006/02/03(金)
青文字:加筆改修部分

対空火焔放射器
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 日本本土初空襲というとあまりに有名ですが,ww2での独本土初空襲はいつの出来事だったんですか?

 【回答】
 1939年9月3日から4日の夜間.
 ホイットレー爆撃機6機がハンブルグ,ブレーメン,ルール地方に侵入.
 600万枚の宣伝ビラ6tをばらまく.
 1939年9月4日の昼間.
 ウェリントン爆撃機14機がブルンスビュッテル湾のドイツ艦船を攻撃.
 ブレニム爆撃機10機がヴィルヘルムス・ハーフェン内のドイツ艦船を爆撃.

 後,フランスも9月3日からビラ散布を,ポーランドは9月5日に都市爆撃を行っています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/04/17(月)
álmos ember ◆gQikaJHtf2 :"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/17(hétfő)

青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész


 【質問】
 この防空要塞ってどんなの?

★ベルリン防衛の防空要塞,豪華マンションに変身

 [ベルリン 15日 ロイター] 第二次世界大戦中,アドルフ・ヒトラーの命で,ベルリンを空襲から守ることを目的に建設された防空要塞が,アート・ギャラリーと豪華なペントハウスに変身しつつある.

 ドイツの広告会社重役クリスチャン・ボロスさん(40)は15日,ビルト紙に,この不恰好な7階建てのビルの中にあったディスコを訪れた時,この建物に惚れ込んでしまった,と語った.
 建物の壁は,最大2.6メートルのコンクリートで補強されている.
 「3年前のことで,すぐに購入したよ」
とボロスさん.
 この要塞は,ベルリンを空襲から防衛することを目的に,ヒトラーの命令で作られ,彼自身が設計に関与している.
 戦後,取り壊しが行われたが,壁があまりに厚く,失敗してしまったといういわくつき.
 ボロスさんは,シェルター内部の壁を1.8メートルに整え,美術品のコレクションを収納した.
 屋上に作られた450平方メートルのペントハウスはベルリンで最も豪華なマンションだ.
 「ジェームズ・ボンドのようになるよ.むき出しのコンクリートとガラスがすごくかっこいいんだ」

REUTERS http://www.excite.co.jp/News/odd/00081118868513.html

 【回答】
 こんなの.
ドイツの高射砲塔
Google 検索: 高射砲塔
B&W-ADVANCED大戦略MDユニットデータトーチカ
 自動装填装置付連装128mm高射砲(*゚∀゚)=3ムッハー.
 それにしても,ここまですごいと,すでに遺跡と呼べるのではないだろうか.

(電脳遊星D)


 【質問】
 ドイツの88ミリ高射砲について質問です.
 Flak36,Flak37と2タイプあるようですが,どのように違いがあるんですか?

 【回答】
 Flak36は野戦砲的.
 Flak37は固定運用的.

 ドイツ軍の8.8センチ対空砲には,Flak18,Flak36/37,Flak41の大きく分けて3タイプあり,Flak36/37は,18の改良型となります.

軍事板,2005/10/11(火)
青文字:加筆改修部分

 Flak36は,Flak18とほぼ同じで,Spain内戦の結果,製造の単純化,簡易化を行い,砲身は3つの部分から成り,これを外装スリーブで保持される様になり,牽引用の砲車は,砲架の前後どちらにも取り付けられる複輪空気タイヤとなって,移動時,戦闘移行時の時間が短縮するように改良されています.

 Flak37は,照準器と火器管制装置が改良されたもので,野戦高射砲より,防空用高射砲としての機能が向上したものです.
 砲手用のダイアルは指針追随式に単純化し,精度を向上しています.
 これは,戦艦の方位盤射撃の様に,中央の火器管制所から電気信号に砲側へデータが送られ,それに合わせて,仰角と見越し角を設定するものです.
 また,弾道計算用の機械式アナログコンピュータが装備されました.
 外観的には,砲身が二分割式に戻ったくらいです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/10/11(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 128mm高射砲弾と,88mm高射砲弾では,いかほどの威力の差があるのでしょうか?
 破片の数などによる比較でもかまいません.

 【回答】
 88mmでは,Flak18/36/37の場合は,9.24kgのHE弾で射高8,000mで初速820~840m/sec.
 同口径のFlak41の場合は,初速が1,000m/secに向上し,射高10,000mになります.

 128mmの場合は,Flak40では26kgのHE弾を初速880m/sec,最大射高14,800mに達し,Flak43では28kgのHE弾を初速940m/secで発射する予定でした.

 ちなみに,一ヶ月の総消費量では,128mm砲弾が102,450発に対し,88mm砲弾は3,175,400発に達しています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/12/19(月)
青文字:加筆改修部分

128mm高射砲
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 12tハーフトラック対空砲搭載型ってどんなもの?

 【回答】
 ダイムラーベンツ 12tハーフトラック Sd.Kfz.8に88mm FLAKを搭載したもので,運転席は装甲で覆われていました.
 対空の他,対戦車砲としての役割も期待されていました.
 10輌または12輌生産され,全て西部戦線に投入されました.

 【参考ページ】
http://www5b.biglobe.ne.jp/~O-NINE/factory09_Buyer.htm
http://www.panzernet.net/panzernet/stranky/polopasy/8.php(写真も)
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?f=47&t=122195&start=15(写真も)

【ぐんじさんぎょう】,2009/5/23 21:00

12tハーフトラック対空砲搭載型
faq25n02t16s08f.jpg
(こちらより引用)
faq25n02t16s08f02.jpg
(こちらより引用)


 【質問】
 15.0 cm Gerät 50およびGerät 55について教えてください.
 なんでもドイツの試作高射砲らしいのですが,自動装填がついてたりして,アメリカのウースター級に搭載されたのとおんなじくらいすごい奴だとか.
 1936年に試作開始で1940年には計画放棄されていて,Gerät 50はクルップ Gerät 55はラインメタルだったらしいです.
 計画値ではどれくらいの凄さだったんでしょうか?
 あと途中で放棄されたのは,やっぱり技術的にムリが多すぎたからなんでしょうか?

 【回答】
 1960年にミュンヘンで出版された『ドイツの大砲1939~45』から概略

15cmFLAK(Gerät50)(Prototyp Rheinmetall)
重量:22.2t  最大射高:21.000m  有効射高:15.200m

一等自営業 ◆JYO8gZHKO in 軍事板

 自分が知ってる事を追加.

 15cm Gerät50はラインメタルじゃなくてクルップ製です.
 そのデータ,15cm Gerät55じゃないですかね?

 牽引重量44トン,戦闘重量32トン,これなんて中戦車?
 有効射高16300m,どう考えてもオーバースペックです,本当に(ry
 自動装填装置は重力を利用したもので,砲尾に弾薬10発を収容するマガジンを装備してました.
 初速は890m/秒,発射速度は毎分10発,10発目以降はこの発射速度はムリポな気がする・・・

 なお実戦投入されたかどうかは不明ですが,試作砲を列車に積んだ対空列車もあったようです.

 計画放棄された理由は「Flak40で十分じゃね?」らしいです.

 計画だけなら15cmの
Gerät60 Gerät65F(クルップ)
Gerät65 Gerät65F(ラインメタル)
 28cmの
Gerät80(クルップ)Gerät85(ラインメタル)
ってのがあったらしいです.
 ドイツ人って何考えてんだろう・・・

 ソースはコーエーの『ドイツ兵器名鑑・陸上編』
 ソースがコーエーでは不安なんで,ネットでググれる範囲でクロスチェックかけてみましたが,概ね間違っていない様子.
 ただ,重量22トンってってサイトもありました.もしかすると弾薬とかの重さをのけたやつかもしれません.

 最後に砲と列車搭載砲があったサイトのアドレス貼っときます.

ななしさん in FAQ BBS


 【質問】
 パンツァーファウストの兄弟みたいなフリーガーファウストは,低空飛行してくる戦闘爆撃機をロケット弾9本で落とすようですが,実際のところ落とせる実用性はあるんですか?

 【回答】
 実用性はかなり高かった.
 射程は有効射程500m最大射程2000mで,接近してくる戦闘爆撃機に対処するには十分だった.
 また,生産性に優れるかわりに極めて単純な照準しかつけられなかったが,その点は複数のロケット弾が広がるように斉射されることと,はじめに4つ,0.2秒後に5つが発射される時間差のシステムにより補われていた.

 この兵器の唯一の欠点は,登場が遅すぎたこと.
 当時,既にまっとうな補給網は壊滅状態に陥っていて,兵器としてまともに活用される事はついになかった.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フリーガーファウストをスティンガー登場前でも,どこの軍隊も真似して無いのはなぜ?

 【回答】
 スティンガー以前にレッドアイがある.
 というかアメリカは,新型携帯式地対空兵器を1948年から模索してる.

 フリーガーファウストまんまパクリが普及しなかった理由は,当時のドイツ以外には求められてない兵器だから.
 そもそもの開発動機が,「戦闘攻撃機にせめて一矢報いたい」だからな.

 フリーガーファウストは生産性含めて期待できる,というか「ましな」兵器だった.
 地上部隊にこれを配備する事ができたならば,昨日まで一方的に屠られてたのが,曲がりなりとも有力な反撃手段を手に入れて,敵に大きな負担を強いる事ができただろうし,それに現場の人間にとっては,役に立たない空軍に変わる心強い兵器として士気向上にも大いに役立っただろう.

(ただ戦闘機があればもっと良かった.
 これもまた変える事のできない事実だけどな)

 しかしレプシロの時代はWW2が最後で,ジェットの時代になると,こんな素朴な兵器は出番がなくなる.
 西部戦線のような,「空は全滅したけど陸は頑張ってる」状況下で新兵器開発できるほど,力と時間がある国は滅多に表れないし.

軍事板
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆◆輸送機


 【質問】
 ドイツは,マルタとかスターリングラードで大量に輸送機を失っていますが,彼らにとって輸送機は,そんなに簡単に補充の効く存在だったんでしょうか?

 【回答】
 簡単に補充は効きません.
 スターリングラードでルフトヴァッフェの輸送部隊は,すなわちドイツ空軍の補給能力はガラガラと崩壊してしまいますた.

軍事板,2004/10/14
青文字:加筆改修部分

 ルフトヴァッフェは,スターリングラードへの空輸作戦のために,集められるあらゆる輸送機をかき集め,その総数は850機に達しました.
 不足する機体やパイロットを補うために,訓練学校から人員・機材を引き抜くことまで行っています.

 しかし,厳しい寒さや悪天候,未整備の滑走路やソ連側の対空砲火などに阻まれて損耗は激しくなり,1943年2月の第6軍の降伏までに488機が失われてしまいました.
 この損失を埋める生産をドイツでは終戦までついに行うことが出来ず,さらに教官や生徒を失ったことで,輸送機乗員の養成が滞ることになってしまいました.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2004/10/14
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ゴータ Gotha Go-244輸送機について教えて!

 【回答】
 アルベルト・カルカート(Albert Kalkert)が設計した,空挺部隊用のGo-242Bグライダーに,動力をつけた輸送機.
 占領したフランスのグノーム・ローヌ14Mを搭載し,固定降着装置を備えた.
(一部の機体にはBMW132Zエンジン(660hp)や,東部戦線で捕獲したソビエト製シュベツォフM25Aエンジン(750hp)が搭載された)
 ギリシャ侵攻や北アフリカ戦役に投入されたが,低速な鈍重な運動性により,実戦投入されると連合軍戦闘機によって甚大な被害を受けたため,1942年末には前線から引き上げられた.

 【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/world/w_go242.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Gotha_Go_244
http://www.aviastar.org/air/germany/gotha-244.php

三面図
(こちらより引用)

カラー写真
faq080113go244.jpg
faq080113go244b.jpg
(画像掲示板より引用)

【ぐんじさんぎょう】,2013/03/21 19:50
を加筆改修


 【質問 kérdés】
 ブローム・ウント・フォスBv144とは?

 【回答 válasz】
 第二次大戦中,BreguetはBlohm und Vossの協力工場に指定されていました.

 B&Vで開発されていたのがBv.144と言う機体で,設計主任はあの有名なRichard Vogt技師,左右非対称で有名なBv.141を開発した人です.
 オーソドックスなようでいて,この飛行機も一癖も二癖もあり,胴体を貫通した高翼式の主翼を太い鋼管桁で連結するフォークトの特徴的な主翼を採用しています.
 しかし,この連結した鋼管桁を動かして,離着陸時と巡航時に合わせて主翼の角度を変えると言う,後の米海軍が採用したF-8戦闘機と同じ様な機構を持っていました.
 また,内翼後縁には大面積のファウラーフラップを装備していて,STOL輸送機の先駆けと呼ばれる様な機体でした.
 降着装置はアメリカ式と呼ばれた前輪式で,しかも姿勢を低く保っていたので,乗客の乗降や荷物の上げ下ろしも負担無く行えるように考慮されていました.
 エンジンは1,600馬力のBMW801でしたが,防戦一方になるとこれの供給がFw190に優先されてしまい,この機体への割当が無くなりました.

 B&V社でもこの機体よりも開発を優先する機体が出て来たため,下請けのBreguetに開発を委託します.
 BreguetではBv244と名称を変更して開発が継続されましたが,サボタージュによりその作業は遅々として進まず,1号機が完成したのは1944年8月,直ぐにドイツ軍が撤退した上,この機体を破壊することが無かったことから,Breguetでは開発を継続し,2号機も飛行しました.
 ところが,この主翼を動かすという革新的な機構にフランス軍は懐疑的でした.

 結局,折角試作機が完成したものの,それ以上に進まず,開発は放棄されてしまいます.
 何十年も前の機体が生産され続け,革新的な機体は放棄される,この時代のフランス航空産業も皮肉なものです.

眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2,2019-09-26
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ギガントって空挺部隊用?

 【回答】
 英国本土侵攻作戦用の重火器,車輌運搬用に開発されたもので,空挺部隊用では残念ながらありません.
 1940年11月に計画され,20人の技術者がかかり切りで3ヶ月半掛けて開発したものです.
 でもって,丁度アフリカ戦線への物資補給に必要となったので,余剰品のフランス空軍の軽爆撃機 BlochM.B.174のナセルをほぼそのまま流用し,エンジンもフランス製のものとして,SNCASOで生産されたこの動力部を取り付けたのがMe-323です.

 ちなみに,最終生産型Me-323Eシリーズから開発はツェペリンが担当.
 計画機としては,Jumo211Rを6発装備したZMe-323F,それを原型として更に巨大化した輸送機ZSO528と言うのを,SNCAOとツェペリンとの間で開発していたようです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/03/02(木)
青文字:加筆改修部分

 【関連動画】

「ワレYouTube発見セリ」:Messerschmitt Me 321 glider

「ワレYouTube発見セリ」:Heinkel He 111Z

Me-321牽引用のHe-111Z
Me-323(CG)
撃墜される寸前のMe-323
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ユンカースG.38って何? 3行で教えて!

 【回答】
 ユンカース G.38 Junkers G.38 は,ドイツの4発旅客機/輸送機.
 1929年に試作機が初飛行し,出現してしばらくの間,G.38は世界最大の陸上機であった
 日本陸軍にも九二式重爆撃機(キ-20)として採用され,三菱重工業においてライセンス生産が行われて,6機が生産された.

 【参考ページ】
http://www13.ocn.ne.jp/~miriken/Aircraft/Other/Germany_018.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Junkers_G.38
http://de.wikipedia.org/wiki/Junkers_G_38

ユンカース G.38
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2013/03/22 19:40
を加筆改修


 【質問】
 この写真のユンカースJu52の,水平リング↓は何ですか?
faq01m18bv138.jpg
(http://www.warbirdphotographs.com/LCBW4/BV138-11.jpgより引用)
faq01m19ju52p.jpg
(http://www.warbirdphotographs.com/LCBW/Ju52-3m-10s.jpgより引用)

 【回答】
 パイロットは染之助……ではなく,機雷探査装置.

 あのリングで強い磁場を作りながら(要するに電磁石),機雷のありそうな海の上を飛ぶと,その磁力に反応するタイプの機雷が
「強い磁場を検知=上に大きな鉄の塊がある=船がいる」
勘違いし,機雷が爆発する.

 でも,上にいるのは実は飛行機なので影響を受けない というもの.

 ちなみに模型にもなっていたりする.
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/5072/hikoki7/ju52/ju52.html

 売れたんだろーか,これ.

軍事板


 【質問】
 この飛行機の詳細が分かる方がおられましたらお願いします.
こちらより引用したものと思われる)

 【回答】
 100t全翼機.
http://www.secretprojects.co.uk/forum/index.php?topic=177.0

 上記ページ他によれば,「100t全翼機」は,1930年に発表されたもので,10発エンジン,6脚と,当時としては斬新な機体.
 ただし英語版wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Junkers
の,ユンカース社の航空機一覧には,同機の名前は載っていない.


 ちなみに100人乗り旅客機,J-1000というものもある.
http://www2s.biglobe.ne.jp/~FlyWing/Junkers.html

 どちらもドイツ・ユンカース社の創設者,フーゴ・ユンカース(Hugo Junkers)による設計.
 彼もノースロップと同じように,全翼機に魅入られた一人だったと言えよう.

軍事板,2009/06/30(火)
青文字:加筆改修部分

 【上記以外の参考ページ】
http://www2s.biglobe.ne.jp/~FlyWing/Junkers.html

ユンカースJ-1000
(こちらより引用)


 【質問 kérdés】
 アトリエ・アウロナウティーク・ド・コロンブとは?

 【回答 válasz】
 ドイツ空軍の主力輸送機として第2次世界大戦を通じて用いられていたのが,JunkersのJu52/3mです.
 初飛行は1930年代初頭と言う息の長い機体でしたが,ご多分に漏れず,これもフランスで生産されていました.
 これを生産していたのはAmiotで,1936年に国有化されてSECMと名を変え,更に戦後は,Ateliers Aeronautiques de Colombesと名前を変えていました.
 占領中はJunkersの協力工場に指定され,Ju52/3mの生産を始めます.
 解放後,生産されていたJu52/3mはAAC.1と名称を変更し,1945年4月7日に第1輸送航空団の第15飛行隊に配属されたのを皮切りに,416機も生産され,フランス空軍に配備されたほか,うち85機がAir Franceに引き渡されて民間航空の復興に役立てられています.

 因みに,フランス空軍に引き渡された機体の中には,遠くインドシナの地に派遣されたものも有りました.
 ここでは本来の輸送任務の他,翼下に爆弾架を設置して爆弾を吊し,ヴェトコンの陣地爆撃に用いられた機体もあります.
 1930年代初頭に開発された波板張り,主脚は剥き出し,古風な時代遅れの3発機が,です.
 勿論,ヴェトコン側に碌な航空戦力が整備されていなかったからこそ出来た芸当ですが,スペイン内戦から10年を経て,再びこの機体が爆撃機として使用されたわけです.

眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2,2019-09-26
青文字:加筆改修部分


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