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(画像掲示板より引用)


 【link】

Black Cross/Red Star(東部戦線航空戦)

World War II Guide to Air Power(英語)

アークEFI航空情報センター(総合)

「クドい話」:爆撃作戦としての「ゲルニカ」

「文章の殺陣...「御神楽」」■(2011-05-15)[資料]クロアチア空軍関係用語

「ワレYouTube発見セリ」:Finland Air Forces Bomb`s Russian World War II

『弱小空軍の戦い方 枢軸国と連合国に分かれた欧州小国の航空戦』(飯山幸伸著,光人社NF文庫,2007.11)

 オランダやポーランドなど連合国の一員として戦った小国.
 ルーマニアやフィンランドなど枢軸国に組した小国.
 スウェーデンやスペインなど辛うじて中立を守った小国.
 第二次大戦中,欧州の諸小国がどの様に航空産業や航空戦力を育て,どの様に戦ったかを記した戦記.

 連合国,枢軸国,中立国とそれぞれの立場にあった各国の戦史を纏めた第一部と,各国が開発・購入した機体を解説した第二部の二部構成の本.
 バルト三国(エストニア,ラトビア,リトアニア)の航空戦力なんて初めて見た気がする(笑).
 エストニア→ブルドック戦闘機やホーカー・ハート軽爆,チェコのレトフS228偵察機(何れも複葉機)にヘンシェルHs126など.
 ラトビア→グラディエーター戦闘機やホーカー・ハインド軽爆(何れも複葉機)など.
 リトアニア→グラディエーター戦闘機やドボアチンD501(単葉低翼だが開放座席の固定脚の仏機),アンサルドA120(イタリア製だと思うが詳細は不明)など.
 各国とも国産の練習機など有り.

 取り上げられたどの国も,航空産業や戦力の育成に四苦八苦しています.
 殆どの国では練習機や偵察機などの開発で手一杯で,戦闘機の開発などはままならず,また国内に優秀な航空機メーカーが存在したオランダやポーランド,チェコスロバキアなどでも,高性能機の開発に必須な大馬力エンジンが無いため,メッサーやスピットに対抗できる様な機体が開発できてません.

 そのため戦闘機に関しては,外国からの輸入に頼らざるを得ません.
 しかし戦争が近づくにつれ,政治的な思惑(自陣営への引き入れなど)が無い限り最新鋭の戦闘機の輸出は認められず,入手できたとしても二線級や旧式機が殆どです.

 第二部では各国が開発または購入した機体の解説があり,独自開発の機体ではオランダのフォッカーDXXIやルーマニアのIAR80などの(この中では比較的)メジャーな機体もありますが,練習機などが殆ど.
 独自開発の戦闘機も図面を見てると,これじゃあメッサーやスピットには勝てんよなぁ,というのが多いし.

 同じ著者の「中立国の戦い」「弱小国の戦い」と併せて読むと,面白さが倍増になります.
 お薦めできる一冊です.

――――――グンジ in mixi,2007年10月26日19:59

『北欧空戦史』(中山雅洋著,学研文庫,2007)

 ソ・フィン戦争はもとより,PQ船団(CAMシップ)vsルフトヴァッフェなども記述されていておもしろい.
 あと,スカンジナビア三カ国がWWII後に全く違う道を歩むに至った経緯も俯瞰できる.

 …ちゅうか,小学生の時に読んで萌えたんですけどね.
 バッファローでMig-3を落とすところが熱い.

------------軍事板,2001/06/15(金)

 【質問】
 『陸軍よもやま物語』のような,生活感がにじみ出るようなタイプで,日本語で,英空軍・米空軍を対象にした本はありませんでしょうか?

 【回答】
 ゼムケの『P47サンダーボルト戦闘機隊』は欠かせない.

『英仏海峡の空戦』
 タイフーンに乗って戦ったニュージーランド人の回想.

『私は零戦(ゼロ)と戦った』
 こっちは空軍じゃないけど,コルセアに乗って戦った米海兵隊パイロットの回想.
 著者はいわゆる“撃墜王”ではなく,ごく普通の戦闘機乗りで,生活面の記述が多い.

 他には
『ブラッカムの爆撃機』
クロステルマン『撃墜王』『空戦』
ボイントン『海兵隊撃墜王空戦記』
クーンツ編著『撃墜王』

軍事板,2011/01/30(日)~01/31(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 割と世界が平和だった,1920年頃の領空について質問です.
 この時代に,例を出すと世界一周記録目的の飛行機に,諸外国が領空の特別通行許可みたいなのは出す事はありましたか?

 【回答】
 日本発でも世界から日本へ訪問する機たちに触発されて,ロシア経由の北周りで訪欧を企て,1925年に朝日新聞所属の「初風」「東風」の二機(ブレゲー19A2型機)で実行したことがあります.
 計画時,特にロシアとは日露戦争から10年余り,1922年のシベリア出兵撤退から1年半しか経っておらず,日露間の国交はまだ回復していない時期でした.
 しかし外交交渉によって,紆余曲折があったものの瀬戸際に,「日露友好親善」との名目で上空通行許可などが下り,シベリア-モスクワを経てベルリン,パリ,ロンドン,ローマと飛行を果たしました.

 前間孝則著 「朝日新聞訪欧大飛行(上)(下)」講談社刊 が詳しい.

軍事板


 【質問】
 各国ではパイロットをどう増強したの?

 【回答】
 米陸軍航空隊は,大戦開始時に保有機21,500機に対し,操縦士30,000名.1944年には73,000余機まで保有機は増えています.
 米海軍航空隊は,大戦開始時で,保有機5,233機,操縦士5,900名です.
 大戦終結時には,この保有機が58,000機に達しています.
 こうした拡大に従って,操縦士養成も拡大しています.
 特に旅客機操縦士は基より,農業機パイロット,大学生など民間にいる軽飛行機の操縦士を徴募することで,急速に養成が可能となっている訳です.

 英国の場合,空軍の第一線機は開戦時で全世界に1,911機(全保有機2,600機,ちなみにドイツは4,161機)でした.
 操縦士不足はBattle of Britainがピークで,1940年6月5日の時点で,第一線機466機,操縦士の定数1,456名に対し,6月15日の時点で1,094名しかいませんでした.
 このため増強に努め,253名を他機種などから促成教育し,56名が海軍から移籍しています.
 大戦終結時には,全保有機9,200機,搭乗員(操縦士だけではないですが)193,313名に上っています.
 英国海軍は大戦開始時,第一線機232機でしたが,終了時はその20倍の機体を保有しています.

 英国は1936年から養成プログラムの拡充に着手し,元来から有る英国,エジプト,カナダの育成部隊に加え,豪州,ニュージーランドが加わり,1939年から南ローデシア,ケニアでも育成が開始されました.
 これにより,1942年半ばには,年間11,000名の操縦士,17,000名の搭乗員が養成可能となっていました.

 ソ連は欧州に13,000機,極東に2,000機,海軍機700機で,終戦時には欧州の第一線機だけで7,500機以上に達しています.
 ソ連は極東から回す他,元来,学生航空などの団体や民間,農業用の機体の操縦士を回すことが出来ています.
(ちなみに,ソ連邦英雄の数は2,420名)

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/07/24(日)
青文字:加筆改修部分

育成中のパイロット達と,その教官
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 日本の特攻隊のように,正規軍による自爆攻撃を作戦として取り入れていたり,計画していた国はあったのでしょうか?

 【回答】
 あったが,その大部分はパイロットの死を前提にしたものではなかった.

 英語にはrammingという言葉がある.
 ramは衝角.
 つまりrammingとは,海軍で言うところの衝角戦法だが,英語版ウィキペディアによれば,この言葉は海軍のみならず,戦車戦,空戦でも使われる.
 衝突戦法とでも訳すべきか.
 ただしこれが日本の特攻と異なるのは,パイロットの死を前提としたものではなく,たとえ現実には困難であった場合でも,パイロットが帰還することを作戦の前提にしていた.

 さて,同ウィキペディアによれば,rammingが空戦で最初に使われたのは,第一次大戦も初期の1914/9/8,ロシア軍パイロット Pyotr Nesterovが,オーストリア軍機相手に行ったのが最初だとされる.

 そして第2次大戦の最初のrammingは,1939/9/1,ポーランド軍パイロットの Leopold Pamulaがワルシャワ近郊のL^omiankiで実行したものだとされる.

 また,独ソ戦勃発後間もなくの東部戦線でも,ソ連空軍パイロットがドイツ軍機相手に「taran attack (taranはロシア語でのrammingの呼び名)を仕掛けており,パイロットが重傷を負ったり,機体が大破した時などには,日本の特攻同然の体当たりが敢行されたという.

 ウィキペディアの記述だけでは,タラン戦法が本当にあったのかどうか疑いの残るところだが,事実,タラン戦法を敢行するパイロットを称えるソ連のプロパガンダ・ポスターも残っている.

「TARAN attack is the weapon of heroes! Glory to Stalin's falcons - terror to fascist vultures.」

 また,taranをやられて戦死した,ドイツ空軍のエース・パイロットもいる.

http://www.luftwaffe.cz/schellmann.html
によれば,以下の通り.

Schellmann led JG 27 for Operation Barbarossa, the invasion of Russia. On 22 June 1941, he was a victim of a “taran” attack made by a Russian I-16 fighter in the vicinity of Kamenki, near Grodno in Russia.

 さらに,『ソビエト航空戦』(飯山幸伸著,光人社NF文庫,2003.10)の250ページにも,タラン戦法について4行ほど記述があります.
 以下引用.

 九月三十日にはモスクワ占領を目的とする「タイフン作戦」が発動され,十二月上旬までモスクワを巡る激しい戦いにはいった.
 なお,モスクワに対する夜間爆撃作戦は七月二十一日~二十二日に開始されていた.
 けれどもソ連軍は,国土防空軍の第六戦闘機軍団,対空砲兵部隊の第一防空軍団が並々ならぬ防空体制で守っていた.
(中略:ソ連軍の増強ぶり及び反撃について書かれています.
 迎撃戦でドイツ軍に多大な損害を与えたIL-2による攻撃,前線基地を長距離爆撃機で反復攻撃とか,意外と頑張ってるソ連軍.
 なんかドイツは負けるべくして負けたといわざるをえない感じです)
 しかしながら決死の防空戦だったので,ソ連空軍側も少なからぬ損害を被った.
 特に敵機に向かって体当たり攻撃を行なう「タラーン」は,日本軍の神風特別攻撃隊よりも三年早く実施された自殺攻撃となった.
 経験を積んでようやくドイツ軍機と渡り合えるようになった戦闘機乗りの多くが,一回の必死の戦闘で命を落としていった.
(この後は寒波襲来,ヒゲ伍長殿の死守命令などについて続きます.

 この本,「はじめに」でブリッツとミーティアといえば甥っ子はガンダム,叔父は軍用機と話がかみ合わない,なんて話が出てたりして微笑ましいです)

 よって,VVS(ソ連空軍)においてtaran戦法が実際にとられたことに,疑いの余地はない.

消印所沢
NaNaShi in FAQ BBS(青文字部分)

 一方,ドイツにおいても戦局が悪化すると,体当たり攻撃が計画・実行された.

 その経過

 1.1944年には対重爆用の強襲飛行隊で「弾が尽きたときには体当たりする」という宣誓が行われた.
 しかし実際に体当たりすることは希であり,またパラシュート降下が大前提であった.

 2."エルベ特別任務飛行隊"(写真)による大規模対重爆体当たり攻撃”ヴェールヴォルフ”が企画された.
 実行段階では,戦局の逼迫から少数機による実行に留まり,戦果は挙がらなかった.

 3.大戦末期,橋梁破壊のための特攻作戦"トータルアインザッツ(全面的献身)"が企画された.
 上の二つの計画とは異なり,対地攻撃の場合は乗員に脱出の機会は無く,日本における特攻作戦と同様に死亡が確実な計画だった.戦果は不明.

 【参考サイト】
「航空体当たり攻撃」( from 「SHO chan 元帥府」)
※写真引用元も同じ.

 他に,計画だけなら……以下の画像のようなものがあったとか.

V-1有人型Fi-103
(ただし,これは特攻用ではないという話もある)

軍事板他

▼ 秦郁彦著「第二次大戦航空史話」(上)(中公文庫)に, ドイツ空軍も組織的体当たり攻撃を計画,一部実行とある(ハンナ・ライチェの章).

 以下要約.

----------------
 ハンナ・ライチェ直々のアイデアで,名前が“自己犠牲(SO)攻撃”たるもの.
 神風特攻の半年前.He111の下に有人V-1を吊るし,対艦攻撃する計画でした.
 しかしこれはお流れ.

 で,その後戦況がドツボになってから,Fw190の空中体当たり攻撃隊が組織,
 「エルベ特別攻撃隊」と名のって,1945年4月7日にB-17,5機を撃墜.同時に部隊は壊滅.
 突っ込むときの,パイロットの無線の絶叫が,
「忘れるな.奴らに殺された我らの母を,子供を」…………
----------------

 ドイツの特攻隊,エルベ特別攻撃隊については,続ドイツ空軍戦記よりフォロー.

 ”エルベ”は技量未熟者及び訓練途中の者を志願により多数集め, 通常の離脱距離の内側に踏み込んで肉薄攻撃を行い, 回避しきれぬ時はそのまま突入し,パイロットは落下傘で降下する事実上の特攻部隊.
 指揮官はハンス・ヨアヒム・”ハヨー”ヘルマン大佐.戦術の考案は彼自身による.

 一九四五年四月七日,米軍の戦爆連合約二千機に対し,”エルベ”部隊一八三機が出撃.
 離陸後,基地から無線で勇壮な音楽と女性による激励の声を流し続けた.
 作戦後,帰還したのは僅か一五機,パイロット七七名が戦死.
 戦果は独側によれば五十機撃墜だが,米側によれば体当たりによる被撃墜八機,
 体当たりに成功したものの独機のみ撃墜二件.総損失機数十七機.
 ”エルベ”は二度と出撃しなかった.

軍事板


 【質問】
 WW2において,なぜどこも空中給油を実用化しなかったのでしょうか.
 プロペラがあると邪魔になるのかと思いましたが,今日ではヘリへの空中給油も実際におこなわれています.
 また,初期の米軍ジェット機では翼端の燃料タンク先端に受油パイプをつけて,空中給油を受けたとも聞きますので,翼端部で燃料を受け取るようにすればプロペラが邪魔になるとも思えません.
 必要性がなかったのかとも考えましたが,航続距離・兵器搭載量を増やせるのは,現代戦でもWW2でも大きなメリットだと思われます.
 なぜできなかったのか(orしなかったのか),どなたかお教えいただけないでしょうか.

 【回答】
 給油機と受油機さえ用意すりゃいいってもんじゃないの.
 現在の空中給油は,航法やら情報伝達やら管制やらの技術の上に成立してる物.
 その中のどれ一つとして,WW2時代の航空機が持っているものはない.

 まず,給油機の配置をどうする?
 現代の空中給油はある意味,米軍の世界規模の展開能力に裏打ちされたもの.
 米軍であればこそ,適時適切に給油機を展開させられるし,それができる様に状況を構築するのが米軍の世界戦略.
 闇雲に給油機を飛ばせば航続力を伸ばせるという話ではない.

 それに,目視距離での空戦しか行なえないWW2時代の航空戦なら,給油機もそれなりに空戦場に接近しなきゃならん.
 索敵その他で安全が確立できないから,そんなものが空戦場付近をのたのた飛んでたら,敵機に襲われて火達磨だな(笑).

 さらに,「給油」で飛行時間が延びるのはいいとして,パイロットはどうするよ?
 自動操縦もGPSもTACANもレーダーもない時代に,航続距離だけ延ばしても仕方がないでしょうが.
 そもそも,空中でのコミュニケーションが無線しかない時代では,給油機と受油機がまともに会合できるかどうかもわからんし.

 給油機と受油機さえ用意すりゃいいってんなら,米軍が硫黄島を躍起になって攻略したり,「寄生虫戦闘機」なんてものを大真面目に計画したりはしません.



 【質問】
 『連合軍の小失敗研究』という本には,アメリカ軍は戦争前に空中給油の実験に成功し,いつでも実戦投入可能という結論を出したが戦争中は忘れていた,と書かれてましたが?

 【回答】
 空中給油の実験自体は,第1次世界大戦の頃に行われて,少量の実験では成功している.

 しかし大々的に可能だったかは,また別の問題.
 ガソリンって簡単に着火爆発する危険な物質なのよ.
 本格的な空中給油では,大量のガソリンを高い流入速度で送り込む必要があるから,摩擦で発生する静電気で爆発する危険が大きすぎる.
 ケロシンならその辺りは対処可能な程度に鈍感なので,空中給油が実用化できた.

 件の実験は
http://www.centennialofflight.gov/essay/Evolution_of_Technology/refueling/Tech22.htm
に詳しいが,ここで最初の「空中給油」として取り上げられているのは1921年.
 燃料缶を背負った男が翼越しに隣の機に乗り移って「給油」する方式.
 これなら燃料がガソリンであっても, その意味での「安全性」にはさほど問題はなかったと思う.

 上記サイトでは,安全確実に給油機と被給油機を結ぶシステムの完成に時間がかかり,二次大戦の間開発が停滞したとはあるが,ガソリンだから悪かった,ケロシン系ジェット燃料になったから実用化した,とは書いていない.

 その限りにおいては,「技術的に成熟していなかった」と言ったほうがいいのかもしれない.

軍事板


 【質問】
 第二次大戦中の欧州戦線を舞台にした小説を書いているんですけど,撃墜された航空機パイロットを救出する部隊が主人公なんです(規模は分隊).
 史実ではこのような部隊があったんでしょうか?

 【回答】
http://www.specialtactics.com/history.shtml
にありますが,米軍のpararescueの場合,1943年8月,中国とビルマ(ミャンマー)の国境でベイルアウトした輸送機の乗員を救出する作戦が行われたのが最初とされています.

http://en.wikipedia.org/wiki/Air_Force_Pararescue
には1922年から必要性が指摘されていたこと,二次大戦欧州戦線では,敵地への着陸はほとんど即時の拘束につながったため,pararescueの出番はほとんどなかったことが書かれています.
 このため,ジャングルの多い東南アジア戦線が主な活躍場所になったようです.
 砂漠や荒地の多いイラク,アフガニスタンでもCSAR(combat search and rescue)は活躍していたようです.
 ともあれ,上記Wikiによれば二次大戦中,第八空軍が「searescue」グループを結成したとありますので,史実で部隊は存在したわけです.
 もっとも,この場合は海に降りた乗員の救助だったわけですが.


 【質問】
 日本が(背伸びしたかどうかは置くとして)92オクタンを標準としたのに,より進んでそうなドイツやイタリアが87オクタンを常用してたのは,どういう事情からなんでしょうか?

 【回答】
 ドイツの場合,人造石油の水素添加の問題だからと言う話を何処かで聞いたような気がしましたが,これは不確かな話なので….

 元々,オクタン価を上げる技術は米国がリードしていました.
 これは,高温高圧下で水素添加して改質すると,加鉛効果が良くなってオクタン価を高めることが出来る,と言う技術で,この高温高圧を実現するための特殊鋼製造がイタリアでは難しかったこと,また,その技術は更に改良され,高温高圧の作業が少なく,と言うことはそれに耐えうる特殊鋼の使用量が少なくて済む,所謂フードリー法が開発されています.
 これらの特許は,米国が保有していた訳で,仮想敵国たるドイツやイタリアには輸出が為されなかったと言う ことになります.

 更に添加剤についても,英国では開発されていたものが,ドイツでは開発出来なかった,と.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/05/22(日)
青文字:加筆改修部分

人造石油製造でノーベル化学賞を受賞したベルギウス
(こちらより引用)


 【質問】
 日本軍やドイツ軍が大戦中にみたUFO話ってアレは,未確認の軍用機が正体なんですか?

 【回答】
 大概はテンパってて星や流れ星を見間違えたか,飛行機を見間違えたのだと考えられる.
 「ありえない動きをしていた」とかいうのは星がほとんどだろう.

 結構有名なエピソードとして,B-29の爆撃が始まると爆撃機の乗組員から,
「日本本土への行き帰りにずっと謎の飛行物体が着いて来る.
 日本の警戒機にしては航続距離が長すぎる・・・」
と言う報告が相次いだのでよく調べたら木星だったとかいう話が.

 逆に,敵機を発見したのに木星や火星だと思っていて,一方的に攻撃されて撃墜された,という話も.

 あと,有名な「エリア51」はアメリカ軍の試作機のテスト基地だったり
(だからここの周辺では「絶対そんな飛行気は存在しない」筈の飛行機が飛んでる)とか,
「UFOがよく目撃される」と言われる空域は”何故か”アメリカやソビエトのテスト空域と
被ってる,とかそういう話も.

 軍ヲタには有名な話だが一般胃はちっとも知られてない話として,有名な「ロズウェル事件」は核実験観測用の気球が不時着したもの.
 機密で正体を説明できないので,軍関係者が適当に誤魔化したら,「宇宙人の宇宙船だ」という話になってしまったものだ.

 あと,アメリカはナチスドイツの開発してた先進的な航空機を多数,本国に持ち帰ってテストした.
 戦後すぐにアメリカ本土で目撃された「UFO」は,これらがほとんどだと思われる.
 これもまた,機密で説明できないのを軍関係者が誤魔化したら,「宇宙人の(以下略」ということになってしまったものだ.

 ただ,「UFO」と言うものが有名になると,軍関係者はむしろ意図的に情報を混同させて機密保持を図ろうとした形跡が見られる.
 要は噂をうまく利用してたということだな.

軍事板


 【質問】
 第2次大戦時のアルゼンチンの航空戦力は?

 【回答】
 南米のArgentinaは最後まで,連合国に入るのを躊躇しました.
 この為,米国からは様々な圧力を受け続けた訳で,早くから連合国入りして航空機の供給を受けたBrazilに比べると,戦力的には劣っています.

 何しろ,主力戦闘機が1940年に国産化したCurtiss Hawk75戦闘機で,この型はM型と言う英仏に引き渡された引込脚型ではなく,全体的に簡易版で,脚も固定脚と言う代物.
 これが輸入で30機,国産で200機装備されましたが,隣国のP-40DやP-47Dに大分見劣りします.

 爆撃機は隣国がB-25やA-20に対し,1939年に輸入したMarin139Wが35機と言うお寒い状態です.

 このため,国産機の育成に力を入れ,1927年創立のFábrica Militar de Avionesで数々の機体が作られます.
 単発軽爆撃機として,1935年に,Wright CycloneSGR-1820F3を装備したI.Aè.MB2 Bombiが製作されますが,1939年には,Piper Cubに似た,陸軍用の直協偵察機I.Aè.A20 El Boyeroが試作されました.
 この機体は,大戦中は作られず1947年に150機が量産されています.

 次いで高等練習機としてI.Aè.DL21が試作されましたが,全金属製の為,大戦中の資材不足のArgentinaでは製作出来ず,1943年5月にこれを木製化したDL22が1944年に100機製作されました.
 これには国産のI.Aè.16空冷星形発動機を装備し,1945年にはMB2の後継として,英国のArmstrong Cheetah空冷発動機に換装して余剰馬力を増やし,7.7mm機銃2丁を翼内に装備し,爆弾架を取り付けた偵察・軽攻撃機DL22Cが120機生産されています.

 1945年8月11日には,15人乗りGliderで,Waco CG-4に類似したI.Aè.25 Mañqueが試作されます.
 構造には南洋杉を使い,機首部はヒンジ式で上部に上げることが出来ました.

更にMartin 139Wの代りに,Mosquitoを空冷化した様な形態のI.Aè.24 Calquinを設計し,1946年6月に初飛行した機体は,100機が量産され,配備されました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年08月19日


 【質問】
 WW2時のフィンランドは,撃墜されたバッファローをわざわざ回収して再使用したそうですが,精密機械でありかつ,撃墜されてあちこち損傷した飛行機を再使用できるもんなんでしょうか?
 それとも,多少の不具合には目を瞑って使用したんでしょうか?

 【回答】
 それ不時着機だろ.
 精密機械といっても現代と比べればたかが知れている.
 今のジェットほど精密でもないし,状況によってはありえないことでもない.
 実戦には使われていないが,アメリカに回収された零戦の例もあるし.
 不時着機を直してまた飛ばすとか,撃墜された機体の部品を再利用するという事ならあるわな.

 また,「まったく生産できない」状況であれば,護衛をつけてでも回収し,修理可能かどうか,部品取りに使えるかどうかを調べなければ,戦力はゼロになる.
 不時着といっても,ただの不整地に無理矢理下りただけから,墜落と変わらない様な物まで範囲があるので,程度のいい奴だけ修理してとばしてたなら,当時どこでもある話.

 ま,不時着というのは相当に技量の必要なことで,旧日本軍は滑走路に降りても車輪取られただの,ブレーキが片効きしただの,でんぐり返ったのだので,怪我人死人がわんさと出ている.
 それをパイロットが自分で帰ってくるぐらいであれば,損傷の程度は低いとも言える.
 飛行機の失速速度そのものも遅い時代だったし.

 ベトナム戦でも不時着してペラが曲がったスカイレイダーをスカイクレーンで回収,整備して再使用という記録はある.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 オランダ空軍は大戦中,何をしていたのか?

 【回答】
 結構,彼の国の軍隊は何もしなかったと言われているのですが,土台,4,000機の一線兵力を誇るドイツ空軍と,第一線機132機,うち戦闘機52機,しかも1937年には基地が僅かに1個しかない国が不意打ちを受けて戦闘するのは,所詮蟷螂の斧でしか無い訳なのです.

 その航空兵力は陸軍航空隊(Luchtvaartafdeling)と海軍航空隊(Marine Luchtvaartdienst)に分かれ,配置は本国と蘭印に分かれていました.
 戦闘機部隊は,陸軍航空隊にあります.

 1937年までは前述の通り,陸軍航空隊は形になっておらず,陸軍航空部という一回り小さな組織であり,基地は1カ所,兵員620名にしか過ぎませんでしたが,隣国の脅威から身を守るために,基地の増設,部隊の増設,新機材の発注が行われ,3個飛行連隊からなる陸軍航空隊に格上げされました.

 新機材としては,米国に

Douglass DB-8A-3N攻撃機を18機,
Curtiss Hawk75A戦闘機を35機(後に24機)

発注し,自国のFokkerに

D.21戦闘機36機,
G.1A重戦闘機36機,
T.5爆撃機を16機,
C.10偵察機を20機,
S.9練習機を24機,

KoolhovenにF.K.51複座戦闘機を53機

発注します.

 1940年には更に,KoolhovenにF.K.58戦闘機を36機,F.K.56直協偵察機を15機発注するなど,兵力の増強に努めますが,残念ながら,1940年5月10日の時点では,陸軍航空隊にFokker D.21戦闘機29機,G.1A重戦闘機36機,T.5爆撃機16機,C.10偵察機10機,C.5偵察機28機,Koolhoven F.K.51複座戦闘機16機,Douglass DB-8A-3N攻撃機11機に,古色蒼然たるD.17複葉戦闘機6機の合計132機がベルゲン,シュピオール,ワールハーゲンなどの基地に配備されていました.

そのうち,C.5/C.10は1920~30年代初期の複葉偵察機,D.17も同様に1920年代の戦闘機であり戦力にならず,戦闘機として迎撃に使用できるのは,第1飛行隊のD.21×11,第2飛行隊のD.21×10,第3飛行隊のG.1×11,第4飛行隊のG.1×12,第5飛行隊のD.21×8(1e~5e Jachtvliegtuigafdelingen)のみだったり.

海軍の兵力は,それに輪を掛けて貧弱で,近代的なのはFokker T.8W/G水上雷撃機が19機のみ,後はS.9練習機27機,C.8W/11W水上偵察機14機,C.14W水上練習機24機,T.4水上雷撃機が24機,Koolhoven F.K.52複座戦闘機若干という陣容でした.

こんな状況ではありますが,政府は中立政策を厳格に採用し,1939年9月の第二次大戦勃発時には,陸軍航空隊は哨戒飛行を実施し,領空侵犯に対応します.
この時,第1飛行隊のD.21がドイツのHe-111を,第3飛行隊のG.1Aが英国のWhitleyをそれぞれ撃墜していますが,反面,海軍のT.8W/Gの1機がドイツのDo-18Kに連合軍機と誤認されて海上で撃沈されるという事件も起きました.

さて,運命の1940年5月10日,電撃的に侵攻したドイツ空軍は,航空隊の各基地を攻撃し,第4飛行隊は,12機のG.1Aのうち,1機を残して破壊され,第1飛行隊のD.21のうち,8機は上空でBf-109戦闘機8~9機と空戦し,4機を撃墜しますが,自らも4機しか残りませんでした.
また,第3飛行隊のG.1Aの8機はドイツ爆撃機部隊を迎撃し,14機を撃墜する活躍を見せますが,戻ると基地は空挺部隊によって占領されており,1機を除いて場外に不時着して失われるなど,62機が失われています.

翌日,D.21のうち残存機を集結し,12機が空戦,地上攻撃,爆撃機護衛にと活躍をします.
うち,ルース軍曹は,D.21を駆って単機で3機のBf-109戦闘機と戦い,被弾したため,脱出しようと風防を捨てたところ,その風防が相手のプロペラに当たって,彼の機は撃墜を思いとどまり,九死に一生を得,再び体勢を挽回して,別のBf-109を撃墜し,最終的に自軍の対空砲火で損傷したので,脱出ということをしています.

爆撃機にしても,T.5爆撃機は,マース河に掛かる鉄橋を爆破するために,使用可能な11機が爆撃を繰り返し,最後の1機になるまでその活動は止みませんでした.

5月12日に海軍機はフランス,次いで英国に亡命します.
亡命したのはT.8W/Gが10機,C.8Wが5機,C.11Wが11機,C.14Wが14機で,T.8W/Gは1940年10月まで亡命オランダ人で編成された英国第302中隊で哨戒飛行に使用され,残りの水上機は,蘭印に送られて,再び日本軍と戦闘を交える羽目になります.
ちなみに,Fokkerの生産ラインにはT.8W/Gの発注分残りが8機,改良型のT.8W/Mが12機,Finland発注分のT.8W/Cが5機ありましたが,占領ドイツ軍によって生産が命令され,ドイツの駐留オランダ部隊で使用されました.

G.1Aも損耗が激しく,14日の降伏当日にはEstoniaの発注分を接収し,武装を施したG.1Bを3機投入しますが,これまたドイツの対空砲火で使用不能にされてしまいます.

結果的に,14日に生き残ったのは,陸軍の戦闘機としてはD.21戦闘機8機とG.1Aが2機だけで,残りは全て損耗し尽くしました.
代りに,ドイツ軍は231機(ドイツ側の記録)~525機(オランダ側の記録)の機体を喪失しています.

後に亡命したオランダ陸軍航空隊の操縦士によって,1942年8月に第167飛行隊B小隊が誕生し,1943年6月には第322飛行隊に格上げされ,1944年6月から2ヶ月間,SpitfireMk.14でV1を108.5機破壊,うち一人は1日5基破壊の記録を打ち立てました.

V1迎撃作戦の後は,Mk.9に機種変換し,大陸方面の爆撃機護衛任務に就いて,1944年末には本国に帰還しました.
これが,戦後の空軍の中核の一つとなったわけです.

フォッカーD.21

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2006年10月15日22:37


 【質問】
 I.A.R.の黎明史について教えられたし.

 【回答】
 1930年代までに欧州諸国では,経済や軍事が大きく発展していました.
 Romaniaも例外ではなかったのですが,第一次大戦で得た領土が大きくなり,周辺諸国との紛争の火種となっていたため,特に潜在的な軍事的な脅威に対抗して,独自の航空兵力整備が必要になりました.

 1925年に,早くも,Romaniaに航空会社,I.A.R.(Industrial Aeronautica Romania)が航空機のライセンス生産を始めるために創設されます.
 これは同時に,海外から航空機を輸入することに伴う,機材ならびに部品の供給が絶たれないようにするというリスクマネジメントの結果でもあります.
 こうして,同盟を組んでいたFranceの示唆により,その仲介を受け,同じくFranceの影響下にあったPolandから,50機のP.Z.L.11b戦闘機を導入することになりました.
 この戦闘機に装備するエンジンは,FranceのGnome-Rhoneのものを装備することとなります.
 この戦闘機は,1933年からRomaniaの工場からDeliveryされ始めています.
 但し,実際にはエンジンの生産が遅れ,これらの機体は,Franceから供給を受けたGnome-Rhoneエンジンを装備した機体が部隊に引き渡されることになりました.
 また,重要部品もPolandから供給され,それをRomania側で組立てただけだったりします.

 1934年,パリの戦闘機設計ビューローでは,国営航空機工場(P.Z.L.)向けにP.Z.L.P.11cを原型とした輸出型の開発に着手します.
 これはRomaniaからの要請で行われたもので,当時,同国で生産中だったP.Z.L,P.11bの代替となるものでした.
 1935年,Brasovの工場では,P.11戦闘機のコンポーネントを使って,P.11fと呼ばれる一つの型の量産化に成功しました.

 同時に,Romania王国空軍と航空大臣は,I.A.R.の航空機工場に対し,世界標準の航空機生産 ノウハウの学習と,機体製作についての学習を行うことを指示しました.
後者の目標に向けて,全国から航空機技師,on Grosu,Ion Coseveanu,Gheorge Zotta,そして, Gheorge Vallnerらを召集することになりました.

彼らは簡単でかつ,比較的安易な方法で,ライセンス生産を行っている機体を基に,そのP.Z.L.P.24Eの部品とライセンス生産されているエンジンを改修して,新しい機体を作り出そうとします.
 つまりそれは,困難抜きで,完成度の高い航空機を製作しようというものです.
 但し,この機体については,元々の機体構造に加え,新たに引込脚を採用することになりました.

眠い人◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 スペイン内戦については,ドイツと繋がりがあるためかナショナリスト側の情報は軍板内でもたまに目にするのですが,対する共和派についての情報が少ないようにも思います.
 航空戦において共和国軍の主力だった機種にはどんなものがあるのでしょうか?
 戦闘機ではI-15・16あたりしか知識にないのですが,爆撃機などもソ連が供与したのでしょうか.
 フランスなども共和派に積極的な武器などの援助をしたのか,お手数ですがご教授いただけると幸いです.

 【回答】
 共和国側の軍用機ですが,1936年3月の段階では,
主力戦闘機がFrance製のHispano-Nieuport 52,
主力軽爆撃機が,CASAでLicense生産したBreguet 19,
重爆撃機兼輸送機として,Fokker F.VII/3mが使用され,
海軍では,
CASAで生産された,Vickers Vildebeest雷撃機を主軸に,
飛行艇として,Savoia-Marchetti S.62戦闘飛行艇,
Dornier WalD-8飛行艇を使用していました.

 内戦勃発後,ナショナリスト側が捕獲したのは,
空軍機73機(+修理中17機),
海軍機5機,
練習機19機,
公用機2機,
民間航空(LAPE)2機,
その他民間機26機,

 共和国軍の手元に残ったのが,
空軍機118~130機(+修理中15機),
海軍機87機,
練習機60機,
海軍練習機9機,
民間航空(LAPE)13~14機,
Autogyro2機,
公用機6~8機,
社用機13機,
その他民間機105~107機になります.

 内戦初期,共和国が用いたのは,以下の機体です.

(空軍)
Boeing281(P-26の輸出型)1機,
CASA-Breguet19軽爆撃機60~70機,
Cierva C.319/30Autogyro3機,
Dornier Wal飛行艇8機(他に5機が修理中),
Hawker Spanish Fury戦闘機(国産化果たせず)3機,
Hispano-Nieuport52戦闘機35機(他に10機修理中,10機未組立).

(海軍)
CASA-Vickers Vildebeest雷撃機27機(うち2機が水上機),
Cierva C.30AAutogyro2機,
Dornier Wal飛行艇8機,
Macchi M.18戦闘飛行艇10機,
Martinsyde F.4戦闘機9機,
Savoia-Marchetti S.62飛行艇30機.

 内戦中に各国から供給を受けたのは以下の機体.

Belgium
 Avia BH-33戦闘機×1(SABCA製),De Havilland D.H.89輸送機×1
Czecho-slovakia
  Aero A-101/Ab101軽爆撃機×25(47機発注),Letov S.231/331/431戦闘機×17~21
  Letov S.328直協機×6(未確認)
Estonia
 Bristol Bulldog戦闘機×8~11(最低8機),Potez25直協機×8
France
 Bloch MB200重爆撃機×1~2,
 Bloch MB210重爆撃機×4~7,
 Dewoitine D.27/53戦闘機×2~3,
 Dewoitine D.370-01×1,
 Dewoitine D.371-01×1,
 Dewoitine D.371×10,
 Dewoitine D.372×13~14,
 Dewoitine D.510TH×2(ヘジャズ(サウジ)向けの偽装輸出品),
 Gourdou-Lesuerre GL-32戦闘機×15~20,
 Gourdou-Lesuerre GL-410/482戦闘機×2,
 Gourdou-Lesuerre GL-633戦闘機×6,
 Liore et Olivier 20/213夜間爆撃機×1~2,
 Loire 46戦闘機×5~6,
 Potez25直協機×5~7,
 Potez540/542/544重爆撃機×18,
 Romano R.82/83×12(各6機)
Italy
 De Havilland D.H.89輸送機×1
Netherlands
 Fokker C.10直協機×1,
 Fokker D.21戦闘機×1(工場破壊で国産化断念),
 Koolhoven F.K.51戦闘機×22
Sweden
 Northrop 1C Delta連絡機×1,Sikorsky S-38B飛行艇×1
Swiss
 Douglas DC-2輸送機×1,Lockheed 9B連絡機×2
United Kingdom
 De Havilland D.H.84輸送機×4,
 De Havilland D.H.90輸送機×3,
 Douglas DC-1輸送機×1,
 Focke-Wolf Fw-56戦闘練習機×3(ItalyのEthiopia侵攻の際,英国人が購入して引き渡せなかったものを供給)
United States
 Grumman GE-23戦闘機(FF-1のCanada輸出型)×34,
 Seversky SEV-3戦闘機×1,
 Vultee V-1/V-1A輸送爆撃機×8
USSR
 I-15戦闘機×153,
 I-152戦闘機×30,
 I-16戦闘機×276,
 R-5直協機×31~62機,
 R-Z襲撃機×93~124機,
 SB-2M100A爆撃機×93~108
他にSpain国産で,
 I-15の国産化型E-15Chato×237,
 I-16の国産化型E-16Moska×14
となっています.

(軽飛行機,練習機,民間輸送機でもマイナーなものは除いています)

 この内,ItalyのD.H.89は,I-DRAGと言う民間登録記号を持った歴とした民間輸送機でした.
 1936年8月にその機体は,Le Bourgetに置かれていまして,英国はCroydonのRollason Air Serviceと言う会社が購入し,Corniglion-MolinierによってBarcelonaまで空輸されたものです.
 内戦が勃発しなければ,このまま,Spainの民間航空会社LAPEに引き渡される予定だったりします.

 ちなみに,この機体は,ItalyによるEthiopia侵攻時に鹵獲されたもので,元はと言えばHaile Selasse皇帝の専用機でした.戦利品として,Italyに持ってこられたのが回り回ってSpainにやって来た訳で….

 でもって,この機体は,最終的にはBasqueで1937年4月に空爆で破壊されましたが,その前に,タキシング中,共和国軍に捕獲されたC.R.32に追突されて破壊されたりしています.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

faq01ag.jpg
(画像引用元:http://membres.lycos.fr/wings2/3vues/3vues.html

faq01ag01.jpg
(画像引用元:http://www.geocities.com/CapeCanaveral/Hangar/2848/gallery.htm


 【質問】
 スペイン内戦でのゲルニカ爆撃は,民間人を狙った無差別虐殺
 それとも軍事的な目標を攻撃した際に市民が巻き込まれたんですか?

 【回答】
 ゲルニカは人民戦線派のバスク軍の重要な拠点でしたが,軍事的な目標といえるものはほとんどなく,当時は避難民とフランコ軍の攻勢により劣勢に立ったバスク軍の敗残兵が,多数流れ込んでいる状況でした.

 ゲルニカへの爆撃命令を下したのは,当時コンドル軍団参謀長のフォン・リヒトホーヘン中佐です.
 これはフランコ軍の北方戦線司令官モラ将軍の要請によるものでした.
 爆撃目標とされたのは,ゲルニカの町の東はずれにあるレンテリア橋です.
 ここはゲルニカ市内に入る道路の交差する要所で,ここを遮断すればバスク軍の撤退を阻害することになります.

 しかし,Ju52爆撃機を主力とするコンドル軍団の爆撃機には550ポンド爆弾のほかに多数の焼夷弾が搭載されており,目標は橋だけではなく明らかに都市そのものの爆撃を狙ったものでした.

 結論として,ゲルニカ爆撃は都市を焼き払うことでバスク軍の戦意喪失を狙った無差別爆撃といえると思います.
 皮肉なことにコンドル軍団の爆撃終了後も,レンテリア橋は健在でした.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板

 ちなみにこのフォン・リヒトホーヘン中佐は,レッドバロンの従兄弟.

軍事板


 【質問】
 ゲルニカは無防備都市だったのですか?

 【回答】
 ゲルニカが無防備都市宣言をしたという事実はありません.
 しかし,宣言と関係ない「無防備な都市」の意味で,「無防備都市」が爆撃された,という表現が多々使われており,このため「無防備都市宣言をした都市」と「無防備な都市」が混同されている傾向はあります.


 【質問】
 第2次大戦中のスウェーデンの民間航空の状況は?

 【回答】
 1939年9月,第二次大戦が勃発すると,欧州各国の民間航空は影響を受けます.
 ポーランドのLOTは祖国占領で消滅し,1940年には低地諸国の占領に伴い,此の国々の民間航空も停止し,最終的に連合国では,英国のインペリアル・エアウェイズと,オランダのKLMくらいしかまともに運航している会社は有りませんし,後は中立国スウェーデンのABA(今のSAS),ソ連のアエロフロートくらいしか残っていません.

 とは言え,KLMは本国が占領された為,カリブ海諸島と蘭領ギアナの極限られた路線と,唯一残された主要拠点である蘭印を結ぶアムステルダム~バタヴィア線は,路線を縮小してパレスチナのリッダ発になり,後に太平洋戦争で蘭印が陥落すると,機材は豪州に待避した為,結局はカリブ海路線しか残っていません.
 また,インペリアル・エアウェイズの路線も,本国とインド,豪州,香港を結ぶ路線は,地中海にあるイタリアが枢軸国側で参戦し,フランスも陥落した為,本国から地中海を突っ切ってエジプトに行く空路が取れず,ロンドンから一路南下してマデイラ諸島経由,西アフリカの英国領土を経由し,南アフリカのダーバンまで行って,ケニアやタンガニーカを経由してアデンまで遠回りし,其処からインド洋を横断してインド,そして,インドから長躯南下して豪州へと向かう,所謂"Horseshoe"(馬蹄)ルートで,英国にとっての金城湯池であるインド帝国や豪州との連絡を保った訳です.

 万一,南アフリカが枢軸国側に立って参戦していたら,偉いことになっていたでしょうね.

 さて,ABAの路線は…と言えば,ストックホルム~リガ~モスクワ…は運休,ストックホルム~マルメ~コペンハーゲン~アムステルダム~パリ…も運休中,ストックホルム~アバ~ヘルシンキ~タリン,勿論運休.
 まぁ,ストックホルム~ベルリン~チューリッヒ便は一応運航されていた様ですが….
 後,もう一つ運航されていた路線は,ストックホルム~ロンドン(実際はルーカス空軍基地)でした.
 勿論,こんな危険な空路,時刻表には載っけていませんが,乗客は35ポンド,急行貨物便はキロ当り10ポンドほどの値段だったようです.

 使用機材はABAの機体はJu-52/3mとDC-3ですが,勿論,こんなのにJu-52/3mなんか使っていたらロンドン上空に入る前に撃墜されてしまいますから,DC-3を用いていました.
 しかし,機体には"SWEDEN"と大書し,尾翼にもスウェーデン国旗を大きく描いていたのですが,1943年8月27日,スコットランドからスウェーデンに向かっていたDC-3"Gladan"号は北海でドイツ軍戦闘機に撃墜され,搭乗者7名が死亡していますし,10月22日にも同様にDC-3が撃墜されて,搭乗者13名が死亡しています.

 その英国が喉から手が出るほど欲しかったのが,スウェーデンのベアリングだったりします.
 ですから,1943年から英国もABAとは別にBOACによってスウェーデンとの路線を開設しました.
 その使用機材は,英国の誇る木製爆撃機Mosquitoで,爆弾倉部分を改造して便乗者1名と貨物を搭載出来るようにしていました.
 敵機に追いかけられても,高速性を利して逃げるのがコンセプトだったりする訳で,英国軍用迷彩に赤白青の三色を胴体に描き,ユニオンジャックを尾翼に描いた民間登録記号付きの機体が,行きは便乗者と新聞,雑誌などを登載し,帰りはスウェーデン製ボールベアリングを積んで,せっせと英国とスウェーデンの間を往復していました.

 勿論,スパイなんかに監視されるケースもあって,屡々撃墜された様です.

 ついでに,スイスもそうですが,スウェーデンも両陣営の爆撃機が迷い込んだら,すかさず迎撃して自国に抑留させていました.
 尤も,ドイツ全盛期にJu-88だかを抑留したら,哨戒飛行中の虎の子Ju-86Kを空中で逮捕されて,這々の体で返却したと言うヘタレなエピソードもあったりしますが.
 中でも,B-17は使い出のあった爆撃機だったみたいで,改造されてスウェーデン空軍の輸送機として利用されていたりします.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2008/10/07 22:09


 【質問】
 独ソ戦初期,航空兵力はどちらが上だったのでしょうか?
 ドイツ側が優勢だった場合,クレムリンの間近まで迫っていたのなら,クレムリンの建物や軍事施設を航空機で破壊することは出来なかったのでしょうか?

 【回答】
 数の上では圧倒的にソビエト軍が優勢だったが,スターリンの粛清でマトモな指揮官がいなくなってた上に,開戦初頭の混乱で命令系統がちゃんと機能してなかったので,ソビエト空軍の主力のほとんどは開戦初日に地上で撃破された.
 そのあまりにも一方的な戦果の報告書を見て,えらい人が
「・・・これはどう見ても誤認だろ? いくらなんでもこんな戦果が挙げられるものか」
と報告を信じなかったのは結構有名.

 モスクワは爆撃されたが,ドイツ空軍の主力は前線航空支援と後方の軍事基地や交通網の破壊に向けられていたので,都市爆撃は熱心には行われなかった.

軍事板
青文字:加筆改修部分


◆◆通史


 【質問】
 第2次大戦初期の空戦で独空軍は,2機編隊で3機編隊の英仏空軍に勝利しましたが,なんで2機編隊のほうが有利なのか分かりやすく説明願います.

 【回答】
 レン・デイトンの「戦闘機」(早川文庫,1998.8)にイギリスの3機編隊がだめな理由と,ドイツの4機編隊(ドイツのは基本的に2機1組の編隊が2組まとまってる)が良い理由が書いてあったと思う.
 この本の内容がどこまで当を得たものなのかは俺にはわからんが.

 ドイツのは実戦から得られた教訓を基に作られたものだが,イギリスのは昔からそうしてたからというだけの形骸化したものだったらしい.
 今本が手元にないから正確じゃないけど,イギリス式の欠点は,
・3機がお互いに近すぎるので,編隊を組んで飛行するだけで無駄な労力を使う,
・僚機ばかりが気になって索敵の能率が悪くなる,
・いざ戦闘を始めたときに,3機のそれぞれが何をするのか不明確.
・あと相手からすると比較的見つけやすいというのも.

 ようするにイギリスのはWWIIの航空戦に対応してない,洗練されてないものだったと書かれていた.

軍事板,2006/03/32(土)
青文字:加筆改修部分

 3機構成の逆V型編隊だと,先頭の長機が最大能力の急旋回をやったときに編隊が崩れる,つぅ問題もあったようですね.
 たとえば左旋回すると,左後ろの僚機は長機より小さく回り込めないから右側に寄ってしまうし,右後ろの僚機は反対に左側に寄ってしまう.結果として,逆V型編隊のはずが縦一直線のトレイル編隊になってしまうと.
 2機編隊の場合,前後というより左右に広く展開する形をとるので,急旋回や反転では左右の位置関係を入れ替えることで編隊を維持しやすかった,ということのようです.

井上@Kojii in mixi支隊

 レン・デイトンの「戦闘機」の当該箇所をベタ打ちしておきますね.

 ……イギリス空軍の戦闘機パイロットは,その主流にしてかつ絶対的多数を占めている正規軍人はもとよりのこと,そうでない傍系出身の者にいたるまでことごとく,平時の観念から編み出されたにすぎないあの綿密なV字編隊を保って行動することこそ,空戦にとって価値ある戦技だということを,ただこれ唯一無二の金科玉条として教え込まれ,訓練され,墨守してきた者たちのみで構成されていた.
 だが緊密な編隊を組むということは,そのこと事態が一個編隊の列機全員の注意力をすべて隣接の僚機のみに必然的に集中させてしまうことになり,従って各個が自機の上下四周を見まわすという余裕がまったくなくなってしまうことを意味する.
 旧式の複葉戦闘機の時代だったら四周の警戒監視がおろそかになるという,この一大欠点を別とするなら,他にさしたる問題もなくてすんだろうけれども,新式で高速の単葉戦闘機の時代ともなると話は全く別になってしまい,新型戦闘機の複雑化した機能のために,パイロットは座席の計器板への注意を怠るわけにいかなくなり,緊密隊形保持のために隣接僚機に注意力を集中し続けることは非現実的となっていたのである.
 おまけに緊密なV字編隊は,その編隊を組んでいる相手の僚機の図体のためこちらからの視野のかなりの部分がさまたげられ,相当大きな死角が生じてしまうのであった.

(戦闘機下巻P32~33)

 ……この二機一組というのが実はミソなのであって,三機一組のV字編隊は,三という数字は支柱の三本脚ならたしかに安定だろうけれども,人間を一組とする構成ではまったくこれ以上心理学的に不安定な集まり方は他にないのである.
 このことは小説の類が好んで題材にする人間の三角関係というものを考えてみればすぐに納得がゆくであろう.

(同P35)

 従って,上記に加えて

・三角関係イクナイ!!
という要因も.

ぴぴ in FAQ BBS

 これについては,仮想戦記の傑作「ラバウル烈風空戦録」中に,非常にわかりやすい描写があります.
 曰く,
3機編隊はぴんと張った糸で結ばれているようなもの,
2機編隊はゆるいゴムでつながれているようなもの,て感じ.
緊密な連携を保った3機編隊の威力は2機編隊など問題ではないが,パイロットが消耗してくると編隊を維持するだけでも苦労する.
 その点,ひたすら長機を追うだけでよい2機編隊の利点が改めて見直された云々・・・

 細部は異なりますが,概ねこんな感じです.

ゆうか in FAQ BBS

▼ ちなみにイギリスは,ドイツよりやや早くフルードフォーという名でロッテ戦術と同様の2+2機編隊を導入.
 ソ連はドイツにやや遅れて採用している.
 日本はロッテ戦術を取り入れたものの,無線が聞こえなかったので2機が離ればなれになって,戦術の意味をなさなかった.

軍事板
青文字:加筆改修部分

最強の3機編成
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ロアルドダールの自伝を読んだのですがダールがアフリカからロンドンに帰ってきた時,街を歩いていたら陸軍の人達に空軍の将校ということで目を付けられてリンチされそうになって,「こいつはアフリカ帰りだ」つーことで許してもらう場面があるのですが,これはダンケルクと関係あるんでしょうか?
 あと実際に,ダンケルクのお返しとしてイギリスの陸軍にボコられた空軍の将校って存在するんでしょうか?

 【回答】
 おそらくダンケルクの影響.
 ダンケルクから撤退するときに,陸軍はもちろん海軍も相当な無茶をして兵を逃そうとしたんだが,空軍は航続距離等々の影響でダンケルク直衛に就ける時間がとても短く,結果ドイツ空軍に苛められた.

 で,
「俺たち陸軍がダンケルクで酷い目にあってるというのに空軍は助けにこなかった」
って言って,空軍の制服を着た奴は陸海軍の奴に絡まれた.

軍事板


 【質問】
 バトル・オブ・ブリテンについては,どの本がおススメ?

 【回答】
戦闘機(上・下)』デイトン,ハヤカワ(創作部分が多いという評アリ)
『空軍大戦略』コリヤー,早川(訳文の癖は強い)
『バトルオブブリテン』ハウとリチャーズ,新潮
『英独航空戦』『英独軍用機』飯山,光人社
あたりをお勧めする.
『幻の英本土上陸作戦』コックス,ソノラマ
も,”企図と失敗”が判ってよい.
 写真について手軽なのは
『英独航空決戦』学研
あたり.
『栄光のバトルオブブリテン』ビショップ,サンケイ
は買う必要なしかと.
『猫の帰還』ウエストール(『ブラッカムの爆撃機』書いたウィンピー好きの人),徳間
も対象時期はやや遅いが,英国側市民生活が判りやすい.

軍事板,2010/04/01(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 バトルオブ・ブリテンで,撃墜されたドイツ機のパイロットを救出する為に,ドーバー海峡にはUボートや水上艇が待機していたんでしょうか?

 【回答】
 イギリス側はウォーリア飛行艇が待機していて,救助に活躍した.
 ドイツ側はハインケルの,名前が出て来ないが,エンジンをタンデム4発装備のが,BoB〔バトル・オブ・ブリテン〕初期に乗員救助に当たろうとしたが,用意できた数があまりに少なく,また,英戦闘機に叩き落とされ続けたのですぐ断念した.
 BoBの本にはたいてい書いてある.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第2次世界大戦のバトル・オブ・ブリテンを,日本軍はどのように研究,分析したのでしょうか?
 まだそのころはアメリカ,イギリスと戦争をする前だったので,ロンドンには駐在武官とかいたと思うのですが,防空体制はこう築くべきだとか,或いは逆に空爆する時はこうすべきだとか,バトル・オブ・ブリテンでどういう教訓を得たのでしょうか?
 もしかして,ノモンハンみたいに何もしなかったのでしょうか?

 【回答】
 当時は防空演習も盛んに行われており,防空や対空についての関心は高く,政府機関からも国民向けに様々な情報提供を行っています.

 1940年10月には,ロンドン空襲について爆撃痕などの写真が掲載されると共に,「日本の都市が空爆されたら」と言うシミュレーションが国民向けに宣伝されています.

 例えば,敵の250kg爆弾が百貨店の一角と路面電車の正面道路上に命中した場合,百貨店は滅茶苦茶に破壊され,自動車は百貨店4階まで吹き上げられ,水道管,ガス管,通信線も破壊され,百貨店内並びに道路上の人々も無残な死を遂げると言う結論が出ています.

 一方で,焼夷弾による火災は軽視し,10kg級油脂焼夷弾については,消防ポンプを使わずに,バケツリレーで消火すると言う楽観的な見通しが考えられています.

 で,その結果として空襲対策には防空壕を建設すべしと言う結論に持って行っています.

 空襲を阻止すると言う点においては,
「そうむざむざと,我が国上を敵機の蹂躙に任す様な事は無い」
としながらも,各都市の空襲の例を見ると,
「侵入する敵機を全部捕捉撃滅することは不可能」
であるとし,普段の防空訓練と,
「我が国土は我が手で護るという決意」
が大切であると言う精神論になっています.

 1938年当時は,国民の安全を考え,空襲時の避難方法とか毒ガスから身を守る方法が考えられていましたが,1941年になると,空襲から逃げずに消火活動をせよ,防空壕は身を潜める場所ではなく,積極的な防護活動をするための待機所である,となっています.

 因みにこの方針転換は,1941年11月の防空法第一次改正から行われたもので,BoBやモスクワ空襲などの影響も如実に受けていると言えるでしょう.
 また,従来は毒ガス弾対策が考えられていましたが,欧州の空襲ではその様なものが使われなかった事から,焼夷弾対策に重点を移しているのも特徴です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 マルタ島の攻防でジョージ・バーリングが乗っていた機体はスピットファイアですか? ハリケーンですか?
 また,このバーリングという人は撃墜のほとんどが単独の空戦で,それもこのマルタ島でのことらしいですけど,それは,バーリングが配属されていた期間のマルタ島が,まともに編隊を組んで空中戦をやれるような状態ではなかったからでしょうか?

 【回答】
 機体はスピットファイア.
 マルタが依然厳しい状態だったのは確かだが,バーリングがマルタに行った頃は英軍が大補給作戦をやってる時期で,初期のように「グラディエーターしかありません」状態ではなかった.
 この辺参考.
http://www.general-support.co.jp/column/columun05.html

 バーリングが単独空戦したのは,性格によるもの.「スクリューボール(変人)」とあだ名されたように,非常にとっつきにくい性格で,しかもチームワークを徹底的に馬鹿にしてた.
 だけど,腕を認められて許されてた面もある.
 この性格が災いして,後に空軍を追い出されることにはなるが.


 【質問】
 ドイツ空軍のモスクワ空襲は,どの程度の被害を与えることができたんでしょうか?

 【回答】
 V1V2のロンドン攻撃と同じで事実上,「敵首都の爆撃に成功したという事実」という以上の効果は得れなかった.
 ドゥーリットルの東京空襲の同類の,政治的要求に従った作戦なものといった印象を受ける.
(戦略爆撃で戦争を勝利に導くのがが空軍の目指す理想とか,そういうことはおいておいて)
 迎撃による損耗は,ドイツ空軍弱体化の主因の一つに挙げられるほど酷く,やらない方が良かったのでは?と思わざるを得ない.

モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 とりあえず,戦鳥さんところにも同じような話が出てる.
http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000102.html

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦の東部戦線の航空戦は,何で1000m程度の低空戦ばっかりだったのでしょうか?

 【回答】
 東部戦線では両軍とも攻撃機が活躍していた戦線.
 その為,地上支援を行う攻撃機と,それを護衛する戦闘機は必然的に低空で戦うことが多かった.
 東部戦線にしか出現しないシュトルモビクが第二次大戦時,最も多く生産された航空機と言う事を考えれば,その密度は想像に難くないはずだ.
 シュトルモビクなんかは特にスペック上の上昇限度は5500mだけど,後期型とかだとその重装甲と武装で高度700mがやっとだったりしたし.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 映画「史上最大の作戦」でオマハビーチで2機のドイツ軍戦闘機が出撃してましたよね.
 あの戦闘機って本当に出撃してたものなんでしょうか?
 しかもあのパイロット達は,司令官に対して癇癪を起こしてましたが,あれも実話なんでしょうか?

 【回答】
 実話.
 司令部が出撃を許可しようとしなかったのも実話.

 ちなみにあの時出撃したのは,実際にも第26戦闘航空団司令のヨーゼフ・プリラー中佐とその僚機のハインツ・ヴォダーチェック軍曹の僅か2機だけであった.

 ちなみにヨーゼフ・プリラーは戦後,ビール会社のお嬢様と結婚するという逆玉人生を送り,「史上最大の作戦」の製作時にはアドバイザーを務めたが,公開直前に心臓発作で亡くなっている.


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