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<第二次大戦FAQ


(画像掲示板より引用)


 【link】


 【質問】
 第二次世界大戦時のイタリアの戦闘機,SAI207はエンジンが750馬力と小さい割りに,時速650キロで武装もそれなりのものを持っているのですが,なぜ,ここまで高性能なのでしょうか?
 どこかスペックに現れない問題点などがあったのでしょうか?
 戦後,派生型が練習機になっているところを見ると,操縦性などに問題があったようには思えないです.

 また,三菱やハインケルが,ライセンス生産を希望していたようですが,なぜ,ライセンス生産されなかったのですか?
 特に日本してみれば,当時のアメリカ軍機の性能を見れば,十分に使えたように思えるのですが.

 【回答】
 飛行機の性能試験って,世界的統一的な統一基準があるわけじゃないから,自分たちが一番有利な条件でやれる.
 F-35でも指摘されていることだが,「同高度を水平飛行」した速度じゃなくて,緩降下で計測した数値を採用してる可能性すらある.
 イタリア機の場合,銃砲等の実戦用装備をフル装備したのをイタリア以外で試験すると,最高速度は60kmから100kmほど低い値になるのが通例だ.

 ライセンス生産については,性能がどうのこうのじゃなくてビジネスの話だから,外部のものには条件が折り合わなかったんだろうと推測するしかない.
 当時の関係者の証言が見つからんと,真相は分からんだろう.

 ちなみに第二次大戦当時の航空機の場合,どこの国でも量産機の最高速度は試作機が万全な条件で計測した数値,つまりカタログ値より30kmから50kmは堕ちるのが当たり前だった.
 イタリアの計測値は,他国よりも若干楽観的だっただけともいえる.

軍事板,2009/06/25(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 アンブロシーニS.403について教えて下さい.
 寿と大して出力のかわらないエンジン積んでるくせに,カタログスペックはむやみやたらと優秀です.
 こいつや,こいつの前身のS.207は,果たして活躍できたんでしょうか?
 それともコードロンの二の舞ですか?

 イタリア空軍は3000機もの大量発注を行なったとか,俄かには信じ難いお話もあるので,実際にイタリア空軍がこの機体をどう評価していたのか,もできれば教えて下さい.

 【回答】
 Ambrosini SAI.7練習機から発達したもので,1942年に原型機が製作されています.
 最初のものはSAI.107と言い,単座化した分全長が短くなりましたが,構造は強化され,エンジンが換装されました.
 これが空軍の飛行テストセンターで560km/hの速度を出しています.

 次いで,SAI.207が完成します.
 これは,107の機体をそのままに,エンジンを750hpに強化し,プロペラを三枚定速式に改めたもので,武装が施されました.
 1,400kgの重量増でも,テスト中に水平飛行で636km/h,急降下で746km/hを出しています.
 これを空軍が2,000機発注しますが,原型3号機,即ちSAI403が完成して,しかも,これの性能が 又良かった為,13機製造したところで量産中止となりました.
 そのため,実戦には使用されず,1943年夏,ローマ近郊の防空戦闘機隊に実験的に配備されたのみでした.

 その原型3号機が,全長,翼幅を増し,エンジンを同馬力ながら改良したものに換装したのが,SAI.403で,空力的洗練を行なった為に,速度は更に向上します.
 空軍は,先の2,000機をこれに振替え,更に1,000機の発注をかけますが,Ambrosiniだけでなく,1,200機は Savoia-Marchettiで,1,000機をCaproniで生産することになり,治具を整えた所で敗戦を迎えています.

 基本設計は優秀で,最初に出てきた,SAI.7は戦後もS.7/S.7Bの名前で,Ambrosiniによって量産が続けられ, 戦後のItaly空軍に採用されています.
 ちなみに,この機体をそのままに,後退角45度の主翼,後退角の付いた尾翼を取付け,機首に推力379kgの Turbomeca MarboreIIを搭載したAmbrosini Sagittario1実験機は,設計値マッハ1.05を目指していました.
 木製構造のために,残念ながら設計値に達しませんでしたが….

 それでも,これを元にRR.Derwentを搭載した軽戦闘機,Sagittario2を試作し,これは急降下でマッハ1.1に達し,Italy機で初めて音速突破に成功しました.
 この発達型として,更にItaly,米国両国の空軍からの援助で,軽迎撃機Ariete,Leoneを開発したりしています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 SAIアムブロジーニSS4とは?

 【回答】
 『異形機入門 究極の機体徹底研究』(飯山幸伸著,光人社NF文庫,2004.6),P.180によれば,戦前イタリアで開発されてた先尾翼型の戦闘機(1939年3月完成,5月初飛行).
 960馬力エンジンながら時速540kmをたたき出し(同時期の最新型マッキMC200戦闘機で512km/h),しかも当時のイタリア機らしからぬ重武装(当時のイタリア戦闘機は12.7mm×2が標準的).

要目:イゾッタ・フラスキニ アッソXI RC40(960馬力)×1 全幅12.32m 全長6.74m 全高2.48m 全備重量2446kg 最大速度540km/h(高度5000mで) 武装30mm機関砲×1,20mm機銃×2

 空軍の試験所で行われたテスト飛行でも優秀な上昇性能,運動性能が確認されたが,試作機がエンジントラブルで不時着し,大破.
 さらにSAIアムブロジーニはこの時期SAI2007戦闘機の開発生産にかかりきりだったので,SS4の開発継続は困難に.

 惜しいなぁ…
 このまま開発が続けば…43年のイタリア降伏後,接収したドイツが手を入れ,DBエンジンを搭載して本土防空戦で活躍….
 でも実用化されてたら地中海の戦いでイタリア空軍も,歴史は変えられなくとも少しは善戦できたかなぁ.

グンジ in mixi,2008年09月15日17:52
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 カプロニ Caproni Ca.183って何?

 【回答】
 レシプロ・エンジンとの組み合わせでサーモジェット搭載の戦闘機.
 1943年9月計画開始.
 構造が複雑過ぎ,性能予想が楽観的過ぎたことが,のちに明らかに.

 最高速度830km/hを出す予定だったが,果たして?(^^;

よしぞうmaro' in mixi,2009年02月01日 18:20
青文字:加筆改修部分

Caproni Ca-183
 翼幅16.2m.デカイなぁ.

JSF in mixi,2009年02月01日 19:40

 【参考ページ】
http://www.google.co.jp/intl/ja/help/faq_translation.html(画像1)
http://newsgroups.derkeiler.com/Archive/Rec/rec.aviation.military/2008-11/msg01326.html
http://warandgame.blogspot.com/2007/12/caproni-ca183bis-high-altitude-fighter.html(画像2,3)

http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01i01c183.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01i01c183b.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01i01c183c.jpg
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 カプロニ Caproni Ca.183の計画値は?

 【回答】
乗員1
Daimler-Benz DB605 (1250 hp) | Pistons + FIAT A.30 (700 hp)
全長: 10.20 m
全幅: 16.20 m
全高: 3.65 m
全備重量:7504 kg
最大速度: 840 km/h
後続距離: 1990 km
兵装: MG.151 20mm機銃×5

 【参考ページ】
http://ww2drawings.jexiste.fr/Files/2-Airplanes/Axis/2-Italy/01-Fighters/Ca-183/Ca-183.htm
http://warandgame.blogspot.com/2007/12/caproni-ca183bis-high-altitude-fighter.html
http://worldatwar.net/chandelle/v3/v3n1/italtwin.html

【ぐんじさんぎょう】,待機稿

サーモジェット戦闘機CA-183(写真下)

 写真上はカプロニ社カンピーニN.1機.
 この1940年8月に初飛行したイタリア機は正確にはジェット機でなく,太い胴体に積んだ900馬力のレシプロエンジンで機首から取り入れた空気を圧縮,圧縮空気に燃料を噴射し燃焼させる一種のアフターバーナー装置である「サーモジェット」を積んだ機体でした.

 …でもアフターバーナー使用時で最高速度は,わずか375km/h (・ω・;)

 これでは実用に程遠いモノですが,そのイタリア人達のチャレンジ精神は素晴らしい!
 そのおよそ軍用機には見えない“空飛ぶ葉巻き”の様なシルエットもユーモラスで味が在ります(笑)

よしぞうmaro' in mixi,2007年05月10日19:23
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)S.M.92って何?

 【回答】
 長距離援護などに使用するため開発された双発双胴式の戦闘機で,SM91の発展型です.
 SM91の中央胴体を廃止して左側胴作にコクピットを設けました.
 イタリア降伏後の1943年11月に,ドイツ軍の監督下で初飛行したものの,その1機造られたのみ.
 しかもその1機は連合軍の爆撃で破壊されましたとさ.

 【参考ページ】
http://earth.endless.ne.jp/users/mac0115/sm91sm92.html
http://military.sakura.ne.jp/world/w_sm91.htm
http://worldatwar.net/chandelle/v3/v3n1/italtwin.html(3面図も)
http://www.airwar.ru/enc/fww2/sm92.html(写真も)
http://www.enricopezzi.it/aerei_s.htm
http://www.betasom.it/forum/index.php?showtopic=25666(S.M.92を含む,イタリア空軍編制表らしきもの)

【ぐんじさんぎょう】,2008/11/9

S.M.92
ドイツ軍の監督下で試験飛行が行われたため,鉄十字マークがついている
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01i01s92.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01i01s92b.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01i01s92.gif


 【質問】
 フィアット CR.42戦闘機について,3行で教えてください.

 【回答】
 複葉戦闘機CR.32の発展型で、第二次世界大戦最後のイタリアの複葉戦闘機となった機体.
 胴体は溶接鋼管骨組みに羽布張り、W字型の特徴ある支柱形式を持ち、固定脚.
 運動性能は良好で、空戦能力は高く評価されており,大戦末期にはさすがに時代遅れとなっていたが,消炎排気管を取り付けた夜間戦闘機として連合軍重爆撃機を邀撃し、さらにイタリア降伏後もドイツ空軍によって夜間攻撃飛行隊として地上攻撃にも活躍し続けた.

 【参考ページ】
http://blogs.yahoo.co.jp/takamino55/1061218.html
http://www.warbirds.jp/data/ita/htm/cr42.html
http://blog.livedoor.jp/genneigennjitu2005/archives/50433709.html
http://military.sakura.ne.jp/world/w_cr42.htm

【ぐんじさんぎょう】, 2015/05/31 20:00
を加筆改修

 流石に試作のみに終わったけど,C.R.42には空冷のA74をDB601に換装した,C.R.42Bと言う型があった.
 しかも,1942年初飛行,最高時速520km/h.

 これが生産されていたら…(以下略

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/05/10
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 アニメ「紅の豚」の主人公の乗っている機体はなんというのでしょうか?
 ゼロ戦より強いんですか?

 【回答】
 作内ではサボイアS.21と呼称されてるが,実在の同機種とは明らかにデザインが異なり,実際にはマッキM.33をモデルにしている.
 ↓はマッキの絵と写真.
http://www.hydroretro.net/coupeen/avions/m33.html

 WWIIより15〜20年前の1920年代半ばのレース専用機,しかも飛行艇なので,空戦性能は零戦とは比べるべくも無い.

 水上の離着陸という点では,零戦は足元にも及べず,前の方にお尻の大きな女の子を詰め込めるという点も,零戦では絶望的にムリ.
 仮に魔改造しても,詰まってくれる女の子がおらん.



594 名前: 591 [sage] 投稿日: 2008/09/10(水) 15:31:28 ID:???

 こらこら.誰が空戦性能を聞いているかね.
 紅豚は空戦アニメではないよ.


595 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/09/10(水) 15:40:23 ID:???

 空戦アニメと呼べるのは「スカイ・クロラ」だな.
 なにしろ,空戦以外に見るとこない(笑)


597 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/09/10(水) 15:43:53 ID:???

 それは言い過ぎだよ.
 他にもなんか見る所がある筈さ.
 自分には思い当たらないけど.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 マッキ MC.200とは?

 【回答】
 MC.200 は第2次世界大戦初期の,イタリアの主力戦闘機の一つです.
 R計画という戦闘機開発計画により,老舗メーカー,マッキ Macchi によって開発されました.
 1937年9月24日に原型機MM336が初飛行.パイロットはジュゼッペ・ブレイでした.
 フィアットG.50,CR.42,Re2000等,他のR計画応募作品中,最優秀機と判定されて生産に入り,1939年,3個大隊(ストロモ)に配備されました.
 といっても,他の戦闘機も生産させてしまうのが,ある意味イタリアらしいところですね.
 墜落事故の原因究明と改修のため,実戦投入は1940年9月からとなりましたが,北アフリカ,地中海,ロシア戦線などで,卓越した運動性能により,ホーカー・ハリケーンMk.I,カーチスP-40トマホーク等と互角に渡り合うことができました.

 スピットファイア等の登場により,性能的に対抗するのが難しくなると,主力戦闘機の座を後継機のMC.202フォルゴーレに譲り,1942年以降は戦闘爆撃機として利用されることが多くなりました.
 このあたり,終始Bf109で戦うしかなかったドイツ空軍よりは優れていたと言えるかもしれません.

 1943年9月8日,イタリアが降伏すると,残存機23機はイタリア南部に飛び,連合国側のイタリア共同交戦空軍(Italian Co-Belligerent Air Force)で練習機として余生を過ごしました.

全長: 8.19m
全幅: 10.57m
全高: 3.51m
翼面積: 16.8u
発動機: フィアットA74RC38空星14気筒870hp
全備重量: 2208kg
最大速度 502km/h (高度4500m)
上昇時間 3000mまで3.4分
実用上昇限度 8900m
航続距離: 870km
武装: 12.7mm機銃×2
   (後期型の一部には7.7mmX2追加)
   最大300kgの爆弾
乗員 1名

総生産機数:1,153機

3-views drawings

 【参考サイト】
http://www.finn.it/regia/html/seconda_guerra_mondiale01.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/MC.200_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www2.odn.ne.jp/~cdh88520/pf_aircraft_ETC.html
http://www.venus.sannet.ne.jp/eyoshida/af1mc200.htm
http://www.warbirds.jp/data/ita/htm/mc200.html

written by ポルコ(うそ)

MC.200
『NEI CIELI DI GUERRA (戦争の空に)』より)

よしぞう(maro') in mixi,2006年07月12日01:44


 【質問】
 MC.200の設計者は?

 【回答】
 マリオ・カストルディ技師.
 彼は,シュナイダー・カップで世界記録を樹立した水上競速機MC.72を開発した人物.
 このシュナイダー杯では,後にスピットファイアを設計するレジナルド・J・ミッチェルをはじめ,各国の精鋭技師達がその腕を競ったという.

 MC.200は,MC.202フォルゴーレ,MC.205ベルトロと進化し,前者はイタリア軍主力戦闘機として,後者はイタリア軍最優秀戦闘機としてその名を知られることになった事を考えれば,カストルディ技師の基礎設計の優秀さが分かると言えよう.

 【参考サイト】
http://www.finn.it/regia/html/seconda_guerra_mondiale01.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/MC.200_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www2.odn.ne.jp/~cdh88520/pf_aircraft_ETC.html
http://www.warbirds.jp/data/ita/htm/mc200.html

 【関連動画】
「YouTube」:Macchi c200 and c202 In Action


 【質問】
 MC.200のデザイン上の特徴は?

 【回答】
 視界をよくするために胴体の中央部を盛り上げて,開放型の風防の操縦席を配置し,操縦席の視点を上げたイタリア独特のデザイン.
 これは,保守的なパイロット達から極端なまでの視界性能を要求されたため.
 このデザインは前面投影面積が増すため,空力的にはマイナスだった.

 しかもパイロットからの「もっと視界を!」の要望は,生産当初の水滴型密閉式風防を,後期型は開放式風防と,イタリア機特有のくびれがついたファストバックという,時代に逆行するような操縦席に改められるところまで行きつく.
(初期,中期,後期の生産型で密閉,開放,半密閉の風防形式だったとする資料もあるという)

 それでも空力的な洗練により,同じエンジンを装備するG.50に比べて最高速度,運動性など性能的には全般的に優れていたという.
 同じ840馬力のエンジンを搭載しながら,この両者の最大速度は40km/hもの差があった.
 ただしエンジン自体の非力さにより,いくら空力的に優れていても,同時期の米国,英国の最新鋭戦闘機に互する性能はなかったという.

 【参考サイト】
http://www.finn.it/regia/html/seconda_guerra_mondiale01.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/MC.200_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www2.odn.ne.jp/~cdh88520/pf_aircraft_ETC.html
http://www.warbirds.jp/data/ita/htm/mc200.html


 【質問】
 マッキ MC.202って何?

 【回答】
 マッキ Macchi M.C.202は第二次世界大戦中のイタリア空軍戦闘機です.
 M.C.200の胴体を延長して,ダイムラー・ベンツ DB.601エンジン(1,100馬力)を搭載し,1940年8月に初飛行,1941年7月より実戦投入されました.
 ハリケーンやP-40相手に互角以上の性能を示し,1301機(1500機説もあり)が生産されました.

 【参考ページ】
http://majo44.sakura.ne.jp/planes/Mc202/index.html
http://blogs.yahoo.co.jp/senntoukisuki/41667648.html
http://www2.odn.ne.jp/~cdh88520/pf_aircraft_ETC.html
http://military.sakura.ne.jp/world/w_mc202.htm
「Smithsonian National Air and Space Museum」:Objects: M.C.202

【ぐんじさんぎょう】,2009/2/2 23:31

では折角なので,MC202画像はこちらに

よしぞうmaro' in mixi,2009年02月01日18:20

1942年イタリア空軍省発行の,マッキMC202戦闘機整備/製造マニュアル
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01i01m202m.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01i01m202m02.jpg

 先日,ロケ出張中に,イタリア戦闘機つながりの知人の方より,マニュアル3册分がスキャンデータとなって突然届きました.
 これが驚くべき内容で,それぞれが2百数十ページに渡り,内部構造やパーツ,油圧や電装系の配置から専用工具や治具まで詳細に解説してあり,これが戦中に出されていたのかと驚くほど.

 こういう資料を読むと,イタリアもドイツ並みにちゃんと機械製品の生産システムを確立していた事が判ります.
 まあ,そうで無ければ自国で戦闘機を製造したり出来ませんし.
 前にも書きましたが,この二次大戦中に自前で戦闘機を作る能力があった国が,今でも自動車製産国であるのは,偶然では無く必然なのでしょうね.

 表紙には“Bozza di stampa”(校正刷り)とあるので,正式配布前の内部資料の様な物なのでしょうか.
 また,“Da non divulgare”(配布を禁ず)ともあるので,一般に世に出る物では無かった様です.
 これが校正紙だという事が最大の謎です.
 おそらく複数作られて関係部署で閲覧,チェックさせたものかと思われますが,という事は完成マニュアルと比べて結構間違いがアリ?
 まあ,このまま現場部隊に配布した可能性もありますが(^^;

 この種の空軍省発行のマニュアルは時々海外オークションで見かけ,先日もSM79爆撃機の同種のマニュアルが売りに出されていましたが,事前に落札値が相当なものになったので,泣く泣く諦めました(^^;

 このSM79爆撃機のマニュアルも全く同じ体裁の表紙だったので,一冊ある縦綴りのMC202マニュアルは,同シリーズだったのかも知れません.

 米軍のマニュアルは割と良く出ますが,枢軸物で戦闘機は少ないですねー.
 今で言うとイージス艦の秘密マニュアル並みの極秘文章だと思うので,なおさらでしょうか.
 …でも,瞬く間に外で出回っていそうなのがイタリア(笑

 資料はいつもネットワークを駆使して探していますが,今回の様な金鉱に当たるのは稀ですねー.
 兎も角,持つべきものは同好の志!と言う事で,この貴重な資料提供には誠にもって感謝です.

 文林堂「世界の傑作機」シリーズに,イタリア機が一機もないので,こういうマニュアル資料を使ってMC202の号を出してもらいたいものですねー.
 この前のウーフー特集号でも,当時のマニュアルを散々活用していました.

 今回の資料は,MC202を研究している方には朗報なので,なんとか世に出せないものかと考えています.

よしぞうmaro' in mixi,2007年04月07日21:42
〜04月09日 17:20
より再構成


 【質問】
 戦闘機「それいけバナナ!」号について教えてください.

 【回答】
 今回入手したのは,21st CENTURY TOY製マッキC.202 フォルゴーレ(電光)戦闘機の玩具で,1942年9月シチリア島ジェラ基地に展開した第51航空団第20航空群第151飛行隊のエンニオ・タラントラ曹長の乗機.
 1/144のフォルゴーレと比べるとなかなか迫力が在ります.

 機首にある“Dai Banana!”「それゆけバナナ!」は,戦闘機乗りになる前に果物店員であったタラントラ曹長のニックネームだそうです.
 胴体中央の白線には,緑色のネズミを捕らえる黒ネコの第51航空団のマークが見えます.

 垂直尾翼の7個キルマークは,右側にちゃんと付いていました.
 ちゃんとスペイン内戦時代の「ラ・クカラチャ」(ごきぶり)大隊時代の撃墜一機は赤い表記になっていました.
 パーソナルマークの“それゆけバナナ! ”と共に写真をアップしておきます.

 ただ,やはり玩具なので模型の精密さにはかなわず,翼の厚さや取り付け角度,細部の造作で少し見劣りがするので,暇が出来たら少し手を入れてディティールアップしようか,それとも玩具としてこのまま持っていようか思案中.
 箱書きには“5歳児とそれ以上”とあるので,私の様な不惑を迎えた者がとやかく批評するような物でもないのかと(笑

 またこのシリーズでは,あのフェラーリ・マークの起源にもなった跳ね馬マークの第4航空団や,1/144と同じ怒った蜜蜂マークの第3航空団塗装機もあるので,これも押さえたいところ.
http://item.rakuten.co.jp/tokyo-maniacs/16-21st-0007/
http://item.rakuten.co.jp/tokyo-maniacs/16-21st-0006/

 イタリアは,ネンボウ(黒雲)やフルミネ(電光),アズッロ(青空)など天候を元にした部隊名が幾つかありますが,このフォルゴレ(雷電)は人気があるのか,有名な空挺部隊以外にもベルサリエリの義勇部隊など,複数のネーミングで使われている様です.

よしぞう(maro') in mixi,2006年07月01日13:07

 タラントラは空軍に入る前の「果物屋」って変り種ですが,空軍に入って最初に配属されたのはJu87装備の「急降下爆撃部隊」.
 その後,本人の希望で戦闘機隊に配属になりました.
 急降下爆撃部隊でも結構活躍したそうですよ.
 氏は現在も御存命の筈です.

pogo in mixi,2006年07月01日 23:49

 タラントラ曹長は後にRSI空軍にも参加していますね.スペイン内戦にも従軍しているので,相当な熟練パイロットだったのでしょう.

よしぞう(maro') in mixi,2006年07月02日 01:07

 Mc202の3機は,全て有名な「エース」の機体を再現しています.
 よしぞうさん購入のタラントラ准尉機(10機撃墜+スペインで1機.あとJu87搭乗時に駆逐艦か重巡に直撃弾喰らわせてます.存命)
 第4航空団のレイネル大尉機(10機撃墜.存命)
 第3航空団の「ブリオーナ公」ソラローリ大尉(11機撃墜.96年没)

 なおMc205のヴィスコンティですが,一部書籍に「26機撃墜のトップエース」と書かれていますが,最新の研究で「10機撃墜」に訂正されています.
 これはヴィスコンティ本人が生前に10機以上の撃墜を主張していないからだそうです.

pogo in mixi,2006年07月02日 12:15
〜2006年07月02日

 イタリア空軍パイロットについて書かれた「AVIATORI ITALIANI」(MURSIA刊)では,タラントラもヴィスコンティも最終撃墜数は10機で,両名とも戦功章銀章を4回授与されていますね.

 ちなみにタラントラの階級はただのmaresciallo(肩章に金線一本)なので,この場合は曹長の訳が適切だと思われます.

よしぞう(maro') in mixi,2006年07月03日 09:46


 【質問】
 マッキ M.C.205って何?

 【回答】
 マッキ Macchi M.C.205は第二次世界大戦において,1943年6月から実戦投入されたイタリア空軍戦闘機です.
 M.C.202フォルゴーレに.更に高出力のDB 605エンジン(1,475馬力)を搭載し,後期生産型では武装も12.7mm×2,20mm×2と強化されました.
 高速で上昇性能が優れ,イタリア戦闘機として伝統的な操縦性のよさを持ち,イタリア降伏後も,バドリオ政権(連合側)と北部のサロ政権(枢軸側),およびドイツ空軍でも使われた上,戦後もイタリアで1947年まで現役であり続け,さらにはエジプト空軍でも使われて第1次中東戦争にも参加しました.

 【参考ページ】
http://menatezz.sakura.ne.jp/sbm2/c205/c205e.htm
http://mc.saif.jp/index.php/MC.205_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://wikiwiki.jp/il2/?%A5%A4%A5%BF%A5%EA%A5%A2
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/4038/froku/furoku01.htm

 【関連リンク】
http://jp.youtube.com/watch?v=xSe8S3O8Y1E&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=JVCY6-BzIrA&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=jkGhyY2my8E&feature=related

【ぐんじさんぎょう】,2009/2/3 21:36
に加筆

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 DB605エンジンを積んでMC.205仕様にアップデートしたMC.202はあるのか?

 【回答】
 確か,1944年から翌年にかけて40機のMC.202がMC.205に改修されてRSI空軍で使用された様ですし,戦後1948年になってもアエルマッキ社で戦時中生産された21機のMC.202が,MC.205に改修されて他に21機のMC.205と共にエジプト空軍に売却された様ですね.

 その後,イスラエル空軍のP51-DとこのMC.205達が一戦交えたかどうか,気になるところです.

よしぞう(maro') in mixi,2006年08月09日 19:38


 【質問】
 イタリア空軍以外でレジアーネRe2000Falcoを装備した国々を教えてください.

 【回答】
 マジャールではヘジャと言う名称で国産化されてまつた.
 マジャールの他にはスウェーデンが主力戦闘機として買っています.
 英国も戦闘機不足で買うとか買わないとか言う逸話もあったり.
 あと,イタリア海軍にはカタパルト発射型もあるだす.

マジャール空軍のFalco

スウェーデン空軍機

イタリア海軍機

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フランコ・ルッキーニ Franco Lucchini とは?

 【回答】
 フランコ・ルッキーニ(写真)は,WW2におけるイタリア空軍トップエース.

 1914年,ローマの鉄道関係者の息子として生まれる.
 1930年,グライダーの免許を取得.子供の頃から空に憧れを抱いていた末のこと.
 1935年,飛行学校入学.
 1936年7月末,少尉任官し,CR20戦闘機のパイロットとして,名門・第4航空団配属(第91飛行隊)
 1937.7.19,スペイン内戦に志願して参加した彼は,有名なAsso di Bastoni(棍棒のエース)航空群第19飛行隊に所属.
 1938年7月末までに,122回出撃して5機を撃墜,エースとなる.

(ただし伊wikipediaを始め,多くのwebサイトは,この時期のルッキーニの戦果については,論争の的となっていることを伝えている.
 撃墜1,協同撃墜2だけが本当の戦果であると主張する,イタリアの史家もいるという)

 1939年2月,原隊復帰.
 1940年6月の開戦時には,リビアにあってCR42で出動.
 1940.8.6午前,敵機侵入に対して迎撃行動に出たが,成功せず,かつ,着陸時に乗機が転覆して大破.
 1941年始め,MC200に機種更新するため,イタリア本国に帰還.
 1941.6.6,第10航空群付に転属し,マルタ攻撃のためシチリアに.
 また,MC202試作機でマルタ島を偵察する試験飛行も行った.
 1941.9.27 イタリア海軍部隊を上空援護中,悪天候の中で燃料切れとなり,ルッキーニは顔に重傷を負い,他のパイロットも2名が死亡,1名が負傷.
 1941年10月末,MC202に機種更新するため,イタリア本国に帰還.
 1941.11.30(酣燈社版によれば12月),第4航空団に再配属,第84飛行隊隊長となる.
 以後,同団第84飛行隊隊長としてマルタ上空,北アフリカ上空で戦うも,その後シチリアに撤退.
 1942.6.20,第10航空群指揮官に臨時昇進
 
 同年10.24,敵機撃墜後,彼もまた撃墜され,負傷.
 1943.3,航空隊の再編成が行われ,ルッキーニは第10航空群指揮官に正式昇進.ただしまだ入院中.
 1943.6.20,退院により,指揮権を委譲さる.
 1943.7.5,294回目の出撃に際し,カタニア上空でアメリカ重爆撃機群を迎撃して,その護衛戦闘機1機を撃墜したが,爆撃機の防御砲火により撃墜され,戦死.最終階級,大尉.
 死後,イタリア最高の黄金勲章 Medaglio d' Oro 受賞.
 総撃墜数22〜26(酣燈社版),他に協同撃墜破(地上撃破含む)が52機と伝えられている.

※ イタリア語版wikipediaでは,1917.12.24生まれ.他のサイトでは1914.12.24生まれとなっている.

撃墜リスト(青文字:未公認記録)
年月日 種類・機数等 地域/搭乗機
1937.10.12 I-15×1/3(協同) スペイン/CR32
1938.1.7 R-Z(協同)
1938.2.21 I-15
1938.3.14 I-16
1938.5.30 I-15
1938.7.18 I-15
1938.7.22 SB-2
1940.6.14 グラジエーター×1/4(協同) 北アフリカ/CR42
1940.6.21 サンダーランド
1940.7.23 or 24 グラジエーター
1940.7.28 ブレニム×2/3(協同)
1940.8.4 グラジエーター
ブレニム(協同)
1940.9.11 ブレニム×1/19(協同)
1940.9.14 ブレニム×1/15(協同)
1940.12.26 グラジエーター×2/22(協同)
1940.12.27 ハリケーン×1/19(協同)
1941.6.25 ハリケーン(協同) マルタ/MC200
1941.6.27 ハリケーン
ハリケーン×1/7(協同)
1941.7.11 ハリケーン
ハリケーン(協同)
1941.7.17 ハリケーン
1941.8.19 ハリケーン×½(協同)
1941.9.4 ハリケーン×2
1942.5.9 スピットファイア マルタ/MC202
1942.5.15
1942.6.4 P-40 北アフリカ/MC202
1942.6.12 スピットファイア×1/3(協同)
1942.6.17 P-40
1942.7.4 P-40
P-40(協同)
1942.7.10 P-40
1942.7.16 P-40×1/4(協同)
1942.7.18 P-40×1/2(協同)
1942.8.5 P-40
P-40×1/12(協同)
1942.8.31 スピットファイア
1942.9.2 ボストン
スピットファイア
1942.9.3 ハリケーン
1942.10.20 P-40
1942.10.23 P-40×1/2(協同)
1942.10.24 P-40×1/3(協同)
B-25×1/3(協同)
1943.7.5 スピットファイア シチリア/MC202

from Ali di Guerra 1941
(画像掲示板より引用)

 【主要参考ページ】
『第二次世界大戦 世界の戦闘機隊』(酣燈社,1987.7.1),p.265
http://it.wikipedia.org/wiki/Franco_Lucchini
http://surfcity.kund.dalnet.se/italy_lucchini.htm


 【質問】
 マリオ・ヴィゼンティン(マリオ・ヴィジンティーニ)とは?

 【回答】
 Wikipedia日本語版には記事がないのですが,だいたいこんな略歴の人です.

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Mario Visintini, MOVM, (26 April 1913 〜11 February 1941), was the first Regia Aeronautica World War II ace. He was the top scoring pilot of all belligerent air forces in Eastern Africa (Africa Orientale) and the top biplane fighter ace of World War 2. He is credited with 16 confirmed air victories and five probable, plus the one achieved during Spanish civil war with Aviazione Legionaria. (...)

For his skill and meticulousness was nicknamed “cacciatore scientifico” (scientific fighter pilot).

Mario Visintini - Wikipedia, the free encyclopedia
------------

 軍武勇黄金勲章保持者マリオ・ヴィジンティーニ(1913年4月26日〜1941年2月11日)は,第二次世界大戦でのレア・アエロナウティカ(イタリア王国空軍)初のエース・パイロット.
 その技術と緻密さから,「科学的な戦闘機乗り(cacciatore scientifico)」と渾名された.

 1913年,ポーラのバレンツォ・ディストリア生まれ.

 高校卒業後,空軍士官学校入学を希望したが,医学検査で不合格.
 そこで民間の航空学校に入り,1936年6月,ミラノのTaliedoにおいて,カプロニ Ca.100の航空ライセンスを取得.
 この資格を生かして,空軍に「転職」した.

 1936年9月,空軍に入隊.
 1936年12月に,グロッタリエにて,ブレダ25やフィアットCR20のパイロットとしての資格を取得した後,第10航空群第91飛行隊に配属された.

 初陣はスペイン内戦.
 1937年11月,彼は志願し,第16航空群第25飛行隊「La Cucaracha (ラ・ゴキブリ)」に配属された.
 そして1938.9.5,Venta de los Camposines上空において,I-16戦闘機を撃墜したと申告.
 これは今日では「共同撃墜1」という記録となっている.

 同年10月に彼は帰国.
 フィアットCR42,カプロニCa.133,サヴォイア S-79への転換訓練を受けた.

 1940年,第412飛行隊に所属し,CR42戦闘機を駆って,東アフリカにて英空軍や南アフリカ空軍機と交戦.
 初期には,援護なしで飛来する爆撃機を,しばしば撃墜し,1940.12.12には夜間撃墜2を記録した.
 また,1940.11.6には,英軍の大攻勢に対して,「グラディエーター」戦闘機3機を撃墜するなど,目覚しい活躍を見せ,当時,イタリア
空軍のトップ・スコアを叩き出した.

第412飛行隊のCR42(ヴィゼンティン大尉機)
(こちらより引用)

 1941.2.9,アゴルダト飛行場を攻撃して,地上の敵機15機を撃破した後,敵戦線内に不時着した隊長,ラッフィ大尉機の近くに着陸,隊長をコックピットに収容して無事に生還.
 この勇敢な行動に対し,特に黄金勲章が贈られた.

写真はヴィゼンティン(左)とラッフィ
(こちらより引用)

 上記の攻撃を含め,ヴィゼンティンは3回の飛行場攻撃に参加し,僚機と共に33機を地上撃破したが,1941.2.11,悪天候の中を不時着した同僚パイロットを捜索中,山に激突して死亡した.

 ヴィゼンティンは16の確認された撃墜と,5のおそらく確かであろうとされる撃墜を誇る.
 第二次世界大戦での複葉機エースのトップである

 で,彼はイストリア半島のパレンツォ(現・クロアチア領のポレチュ)出身なのですが,実はその辺で話されている言語では,違う綴りをするようなのです.
 Wikipediaイタリア語版にそのことは書かれていなかったのですが,ドイツ語版には以下のような記述があります.

------------
Mario Visintini ( 26. April 1913 in Parenzo, Istrien, im heutigen Kroatien; † 11. Februar 1941 bei Keren, Eritrea; eigentlich ven. Mario Visentin) war ein italienischer Jagdflieger des Zweiten Weltkriegs. Ihm wurden 17 personliche Luftsiege bestatigt.

マリオ・ヴィジンティーニ(1913年4月26日,現クロアチア領であるイストリアのパレンツォ生まれ,1941年2月11日,エリトリアのケレンで没.ヴェネツィア語での綴りはマリオ・ヴィゼンティン[Mario Visentin])は,第二次世界大戦でのイタリア軍の戦闘機パイロットである.
 彼は個人で17機の撃墜が確認されている.

Mario Visintini - Wikipedia
------------

 ヴェネツィア語は,その名の通りヴェネツィア近辺で用いられていたラテン系の言語です.

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 ヴェネツィア語またはベネチア語は,ヴェネツィアなどで話されている言語.イタリア語の方言ではなく全く別個のもの.

 ヴェネツィア語の歴史は,5世紀ごろにヴェネト人がゲルマン系民族などに追われてヴェネツィアに避難したことから始まる.
 ヴェネツィア人の避難以後,ヴェネツィア共和国の発展とともに言語も発展していく.
 19世紀にヴェネツィア共和国が消滅し,イタリアの領土になるとヴェネツィアではイタリア語を基本とするようになった.
 他方,ヴェネツィア人は19世紀末期に,ヴェネツィアから世界に移住するようになった.
 そしてその移住先のブラジル,メキシコ,ルーマニアでヴェネツィア語コミュニティを構築した.
 そのコミュニティーは今でも続いている.

 現在では,共和国時代のヴェネツィア語と,イタリア語の一方言としてのヴェネツィア方言は,基本的に別物として扱われている.
 なお,「Ciao」など,イタリア語に逆に取り込まれた語もある.

ヴェネツィア語 - Wikipedia
------------

 イタリア語での綴りVisintiniの方が有名ですが,やはりここはVisentinと綴る方がよいのかな,など.
 ドイツ語版の記事で言われている「ヴェネツィア語」というのが,「ヴェネツィア語」を指すのか,現代風の「ヴェネツィア方言」を指すのかちょっとわからないので(沖縄語とウチナーヤマトゥグチ※2の違いのようなものなのだろうと思います),まあでもやはり現地語ベースの方がいいのかな,などと.
 音の違いとかじゃなくて,綴りそのものが変わってくるわけで.

※2:沖縄語ではなく,標準語をベースに沖縄風のアクセントや語彙が付け加えられた「ネオ方言」「新方言」の一種.
 沖縄で多くの話者によって使われている.
 我那覇響とかが使ってるのもこれ.
 現在,日本各地で用いられている「方言」も,実は歴史的に話されてきた「方言」ではなく,標準語ベースに組み立てられた「新方言」であることが多い.

「ストパン」◆(2012-09-19)ハルハ河1939
青文字:加筆改修部分

Mario Visintini
こちらより引用)

 【参考ページ】
『第二次大戦 世界の戦闘機隊』(酣燈社,1987),p.270

http://it.wikipedia.org/wiki/Mario_Visintini
http://surfcity.kund.dalnet.se/italy_visintini.htm
http://www.stormomagazine.com/ModelArticles/FiatCR42/JeanBarby/MarioVisintini/FIATCR42_Visintini_1a.html


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