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Junkers G38


 【link】

「gigazine」:アンサイクロペディアに嘘を言わせなかった男「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」とは?

『急降下爆撃』(ハンス・U・ルデル著,学研文庫,2002.12)

「ワレYouTube発見セリ」:Arado 196 Flight tests

「ワレYouTube発見セリ」:B-17 Daylight Raid

「ワレYouTube発見セリ」:B-17 Flying Fortress

「ワレYouTube発見セリ」:B-17 Flying Fortress(その2)

「ワレYouTube発見セリ」:WWII fighters - B-17 mission 1945

「ワレYouTube発見セリ」:WW2 Bombing Air Raids (Ploesti) B-24 Liberator

「 ワレYouTube発見セリ」:Corsairs in Action

「 ワレYouTube発見セリ」:Raw NARA F4U Corsair Footage

「ワレYouTube発見セリ」:Douglas Dauntless

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「ワレYouTube発見セリ」:Junkers Ju-88

「ワレTu」:V2 Rocket Facility At Peenemunde - WWII In Colour

「ワレYouTube発見セリ」:Lancaster, Bomber Command Tribute

「ワレYouTube発見セリ」:Lancaster Tribute

「ワレYouTube発見セリ」:VENGEANCE FROM THE SKIES: V-2 ROCKET


 【質問】
 死者数一万人以上の,ドイツに対する主要な無差別爆撃を教えて下さい.

 【回答】
 1942年2月14日に英空軍司令部が,爆撃機部隊に対し,「照準目標は都心」という指令を出し,これに基づき各地を無差別爆撃しています.

1942年5月,ケルンに対する1,000機空襲,6月,ブレーメンに対する大空襲,以下,英国側の資料では,500t以上の被弾都市17.
1943年11月〜1944年2月,ベルリンに対する英国の空爆実施.
1943年7月下旬,6日間に渡るハンブルグ大爆撃.
 8月末までの投弾量は,ハンブルグ11,000t,エッセン9,000t,ニュルンベルグ5,000t,ベルリン20,000t.

1944年1月27日,ベルリン大空襲により最大の犠牲者を出す.
7月にシュツットガルト3夜連続爆撃,ミュンヘンも3夜連続爆撃,この頃2日に1回の割合で大空襲あり.
3月6日,米国第8空軍により大戦中最大のベルリン空襲実施,死者3000名.
1945年2月13日,ドレスデン爆撃によって市街壊滅.
 ドレスデンのこの空襲による破壊率は,ドイツの都市中,実は20位以下だったりします.
 死者の数も,40万人という数字が挙げられてはいるが,警察の報告では,1945年3月31日までに22,096名が埋葬されています.
 また,戦後,1946年の市当局による調査委員会報告では,大戦終結までに,32,000名の埋葬が報告されています.
 従って,実際の死者数は35,000名程度とされています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

●大戦中,投下弾量2,000t以上の爆撃を11回以上受けた都市

中央/ベルリン(29回)
中央/ブラウンシュヴァイク(21回)
西部/ルドウィスハーフェン(19回)
西部/ドイツ/マンハイム(19回)
北部/キール(18回)
西部/ケルン(18回)
西部/フランクフルト・アム・マイン(18回)
北部/ハンブルグ(16回)
西北部/ミュンシュテル(16回)
西部/コブレンツ(15回)
ルール地区/ハム(15回)
中央/ハノーヴァー(11回)
中央/マグデブルグ(11回)

●大戦中のドイツに対する爆弾投下量概算

ドイツ本土内都市,工場,交通線,飛行場など…136万トン
西方占領地域とドイツ本土間の軍隊,施設,交通線…64万トン
北アフリカ,イタリア,バルカン半島の戦線,艦船…70万トン

 ちなみに,米軍が日本に投下した全投弾量は約16万トンなので,
単純比較すると17:1.
 ドイツ空軍が英国本土に投下した全投弾量は7.4万トン
単純比較すると,18:1

・独英米各国の損害比較

独空軍:爆撃機/19,923機,戦闘機/44,655機 計64,578機
    搭乗員/103,475名
英空軍:爆撃機/10,045機,戦闘機/11,965機 計22,010機
    搭乗員/78,281名
米空軍:爆撃機/8,420機,戦闘機/9,949機 計18,369機
    搭乗員/79,265名

※航空情報臨時増刊「第二次大戦ドイツ軍用機の全貌」巻末資料より抜粋.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

空襲を避けるため,岩塩採掘場を利用して地下に作られた,He-162生産工場.


 【質問】
 第二次大戦で,連合軍はドイツ国内の交通網を徹底的に爆撃して破壊したそうですが,自分達がドイツに侵攻する際に困らなかったのですか?

 【回答】
 主要な攻撃目標としたのは,ドイツにとっては兵力や兵器・物資の移動に必要だけど,連合軍にとっては奪取しても当座役に立たない物.すなわち鉄道網.鉄橋,駅,操車場などを集中的に攻撃した.
 道路網や橋梁は自分たちの部隊や物資の輸送に必要なので確保を優先し,破壊された場合は工兵を使って道路を補修したり浮橋をかけるなどした.
 たとえばレマーゲンのルーデンドルフ鉄橋は,ドイツ軍が破壊を試みたが,米軍が先んじて奪取したことで,ライン渡河が容易になった.


 【質問】
 第二次大戦で連合軍機が焼夷カードをバラ撒いたそうですが,これはどの程度の効果があったのですか?
 また,大戦後に使用された例は有るのでしょうか.

 【回答】
 セルロイドとゴムの様なもので作られた,5cmと10cmの大きさ,厚さ1mmくらいのカードで,英国が発明し,最初はGermany戦線で使われました.
 落ちると自然に破裂して,15秒〜10分燃える様になっています.
 発火する際には音もしないので,ばらまかれた当初は,拾って火傷した人もおり,湿気のある所では中々発火せず,忘れた頃に発火すると言う厄介なものでした.

 小型機でも5〜10万枚も搭載できるので,結構な数が使われた様です.

 戦後は,英国がこれを作らなくなったので,利用はされなくなった様ですね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 急降下爆撃機って何のために急降下するんですか?

 【回答】
 目標との相対速度をゼロに近付け爆撃精度を高める為です.

三等自営業◆LiXVy0DO8s

 WW2頃までの水平爆撃は命中率がすこぶる悪かった.
 で,当時の技術で狙ったところへ命中させる簡単且つ確実な方法が急降下爆撃.
 目標に向けて急降下しながら爆弾を切り離せば,慣性の法則によって,爆弾は目標に向けて落下していく.

 事の始まりは,第1時世界大戦後のアクロバット飛行ショー.
 そのパイロットが,
「ある一定程度以上の角度でダイヴしながら飛行機から重量物を投下すると,降下時の機体の軸線の延長線上(要するに,急降下している時にパイロットから見える真正面)に必ず落ちる」
という事を発見した.
 急降下中に爆弾を投下すると,爆弾は主に下方向に加速されるため,慣性の影響が少なく,狙った目標に当たり易くなる,という理屈.
 これにより,急降下しながら爆撃を行えば,正確に目標を捉えた爆撃ができると分かり,いわゆる「ピンポイント爆撃」が行えることが判明した.

 それまで航空爆撃というものは
「今,落とすと大体あの辺に落ちるんじゃないかなぁ」
という程度の命中精度しかなく,都市を無差別に爆撃するか,味方が絶対に居ない地上施設の近くに爆弾落とすくらいしかやることがなかった.

 それがこの発見により,航空機は地上設備や艦船を”狙って”攻撃できるようになった.
 例えば日本軍の急降下爆撃の命中率は,セイロン沖で英空母1・重巡2を血祭りに挙げたときには,3隻いずれも80%超の命中率を記録している.

 余談だが,ソ連は命中精度の問題を,地面スレスレを飛んで爆撃することで解決した.
 その目的のためにソ連が作った超低空爆撃機シュトルモビクは,重武装で,堅牢なコクピットを持ち(撃墜されてもパイロットは無事,ということが結構あったらしい.ただし,後部機銃座を除く),戦後はその設計思想をアメリカにパクられた.
 それがA-10.

軍事板

 そしてそのA-10試作案の一つ(YA-9)をパクったのがSu-25.
 パクりパクられ(以下永遠にw

ちくお in 「軍事板常見問題 mixi支隊」


 【質問】
 フランス・イタリアは第2次大戦で急降下爆撃機としてどんなものを使用したのですか?

 【回答】
 実は急降下爆撃機の試作自体は,ドイツよりもフランスのほうが早かったりする.

 その後空母に搭載する予定でLoire-Nieuport LN401という艦上爆撃機(急降下爆撃機)を作っているが,肝心の空母ベアルンが完成する前にフランス戦が始まってしまった.
 そこで地上基地に配置されて攻撃に投入されているが,対空砲火で大損害を出して壊滅状態になっている.

 改良型のLN42は試作中だったが,作っている最中にフランスが負けてしまったので戦後まで納屋に隠されていた.
 この機については「世界の駄っ作機2」で取り上げられているが,形がJu-87にそっくりだったせいで,盗作と疑われて開発者はドイツの取調べを受けたそうだ.

 イタリアはあまりパッとしないのを作ってはみたが,結局ものにならず,後にドイツからJu87を輸入して使った.

軍事板


 【質問】
 大戦時の急降下爆撃機が戦車や敵陣地を破壊したという記述は見るのですが,双発爆撃機や4発の爆撃機では敵部隊を直接爆撃したりはしなかったのでしょうか?

 【回答】
 どちらもやってます.
 ドイツの例ですが,双発機ではHs-129がソビエトの戦車などを破壊して「空飛ぶ缶きり」などといわれてますし,4発機ではFw-200がイギリスの輸送船狩りをやってます.

軍事板

 イタリア戦線に於て,B-17やB-24が前線の支援爆撃を行っています.
 但し,高山に拠った地形が目標だった為,途中の峰にドイツ軍の対空兵器が置かれていたりして,結構な損害を出しています.
 また,戦場の前線を並行に進んで爆弾を落とすのは損害が多い為,前線に対し垂直方向で爆撃を行いましたが,一航過で効率よく爆撃する様に,前線で味方の直前で識別用の発煙筒を焚いて貰い,その煙よりも先に爆弾を落とす様に照準をしていました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 一般に急降下爆撃機や戦術攻撃機,戦車や敵陣地のような小目標を狙うことができるのは,小型軽量であり,空中でもわりと自由に動けるからです.
 なので,双発爆撃機の中でも機動性の良いものは,対地支援攻撃に使用されることもある.(Hs-129襲撃機,A-26爆撃機など)

 しかし四発重爆は,大柄の機体で爆弾搭載量こそ多いものの,機体が重く鈍重で,戦車や陣地と言った小さな目標を狙うのはあまり効率がよろしくない.
 こういう機体は,その搭載量と航続距離を生かした戦略爆撃などの任務の方が適しているため,そちらに使われることが主である.

 何事にも向き不向きがあるわけです.

軍事板

Hs-129の機首機関砲


 【質問】
 WW2時の日本のベテランパイロットが乗った雷撃機などは,「プロペラで海面を叩く」「海の匍匐前進」「舷側の下を飛んでいた」とよく言われたり,聞いたりしますが具体的には海面から何メートルの高さを飛んでいたんですか?

 【回答】
 米軍のTBMなら,大体高度30m程度で魚雷を投下しています.
 最大で240mくらい.
 英軍のSwordfishの場合は,30mよりもう少し低く飛んでいたか,と記憶していますが,数字が出てきません.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 海面上十数メートルですでに並大抵のレベルじゃない.
 日本の超ベテランだと3〜5メートルという,もはや神業としか思えない領域にいる.
 ちなみに3〜5メートルってのは,ちょっと海が荒れてるともろに波をかぶって墜落するレベルです.

 実際に訓練をされた方の体験談をどうぞ.
http://www.warbirds.jp/senri/05hiyakuri/hiyakuri1.html

軍事板


 【質問】
 第二次大戦時の爆撃機に付いてる機銃の命中率は,戦闘機のものと比較して1/7程度しかないと聞いたのですが,これは正しいのでしょうか?
 だとしたら何でこんなに差が出るのでしょうか?

 【回答】
 もっと低いはず.

 機銃座からの射撃だと,3次元機動する戦闘機の見越し角の計算や予測は難しい.
 現代のレーダー測距+見越し角計算コンピューターを備えた機関砲でも,中々当たらない.
 況や人間の手による射撃がどうであるかは,予想に難くあるまい.
 戦闘機の方は自分から動いて,撃ち易い位置取りが出来る分だけ予測も楽.

 それと,戦闘機の射撃は,外れようが無いくらい近づいてから撃つ事が推奨されてる.
「照準機から敵機がはみ出るくらい近付いてから撃て」
ってエースパイロットの言葉があるくらいだ.
 爆撃機にそれを望むのは無理だろう.
 そんな射撃が出来る時には,既に戦闘機の機銃が火を噴いてる.

 それでも機銃座の火線は避け,対空砲火の薄い所から攻撃するものだけどな.

 余談だが,旋回銃座というと,爆撃機ではないがバトルオブブリテンで対戦闘機戦にかりだされ,一戦で消滅したデファイアント部隊を思い出す.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 Caproni-Bergamaschi Ca-135系列の機体について教えられたし.

 【回答】
 1937年の日華事変勃発に伴い,従来の九三式重爆では余りにも旧式化し,かと言って,九七式重爆は未だ実戦化出来ておらず,慌てた陸軍は,欧州諸国へ爆撃機を買い付けに奔走します.
 当初は,He-111を導入する予定で,Hitlerもそれを承認しますが,当時,He-111は初期のA型が中国に輸出されていたりと,ドイツ国内の外務省や軍部内部にいる親中派の巻き返しに遭い,敢えなく没になりました.

 其処で已むなく,もう一方の枢軸国イタリアに焦点を定めます.
 まぁ,6,000万円の商談ともなれば,目の色が変わりますわな.
 候補機として挙げられたのは,Fiat BR.20と,Caproni-Bergamaschi Ca-135/P11でした.
 1938年5月に,実機を飛ばした比較試験が現地で行われ,性能的にはCa-135/P11が勝っていたのですが,構造がBR.20が全金属製だったのに,Ca-135/P11は主翼が金属骨組みに外皮が合板または羽布張り,前部胴体が全金属製,後部胴体は鋼管溶接に羽布張りで,構造が極めて旧式だったこと,更に日本陸軍航空隊が必要とする100機の生産能力がCaproniに無かった事から,B.R.20が伊式重爆として採用された訳です.

 Caproni-Bergamaschi Ca-135という機体は,1934年にポンテ・サン・ピエトロで設計され,Caproniのタリエド工場で製作した後,以後の開発はCaproni-Bergamaschiに引き継がれるという複雑な経過を辿って開発された中型爆撃機です.
 試作機は,1935年4月1日にIssota-Franschini Asso12気筒V型エンジン(800馬力)を搭載して初飛行し,当時は2枚羽根の木製プロペラでした.
 銃座は,機首,背部,腹部にあり,背部と腹部は引込可能.

 1936年,イタリア空軍はAssoの馬力向上型(836馬力)を装備し,燃料搭載量を増やしたCa-135をtipo Spagnaとして14機発注します.
 しかし,アンダーパワーで性能が極めて低く,スペイン戦争に投入するには流石に危なすぎて,投入されませんでした.
 結局,これらは爆撃練習機になります.

 同時期に,Peruがイタリア空軍と同じAsso装備型を6機発注し,Assoを900馬力に向上させて,全般的に空力的改良を施し,武装を改めて,金属製3枚プロペラを装備した改良型を32機,tipo Peruとして発注します.
 これは,第二次大戦で米国製機材が引き渡されるまで,同国空軍の第一線爆撃機として配備されていました.

 1938年に馬力不足を補う為,Assoを止めて,1,000馬力のエンジン,FiatA.80を装備したCa-135/A80とPiaggioP.11を装備したCa-135/P11が試作されました.

 両方とも同じ発動機でしたが,Fiatのエンジンは信頼性に乏しく,性能向上が認められなかったので,結局これもイタリア空軍で少数機が爆撃練習機として配備されるに留まり,以後,イタリア空軍での配備は見送られることになりました.

 しかし,Piaggioエンジンの方は,Ca-135中最高性能を誇り,日本でも評価は高かった訳ですが,結局採用されず,1939年のSlovakiaを巡る危機で,良いところが無かったマジャール空軍が,軍備強化のために3億リラの信用で購入したイタリア製軍用機の第一陣として,先ず,36機を採用しました.

 ただ,マジャール空軍の装備は1940年半ばにずれ込み,しかも,同年に起きたRomaniaを巡る危機においては,未だに爆弾架が到着しておらず,張り子の虎状態だったり.
 8月7日には,Debrecenで,国境を越えてきたRomania空軍の戦闘機に,Ca-135が襲撃されたりしています.

 マジャールでは,最終的に100機が発注されますが,ドイツ製機体の充実に伴い,68機の導入で打ち切られ,B.501の名称で,3/5 Boszorkany(魔女)飛行隊に配備されました.
 ちなみに,彼の国の空軍兵士達は,この機体の正面形状から,Ca-135/P11をBeka(蛙)と呼んだそうです.

 Ca-135/P11は,1941年から実戦に投入され,ユーゴ戦線が初陣で,その後,1943年まで東部戦線南部に投入されて,実戦飛行をしていました.
 最終的には,パルチザン掃討戦に投入された後,Me-210に取って替わられ,次第に爆撃練習機として使用されています.

 ちなみに,Ca-135/P11の最終号機は1,400馬力のAlfa Romeo135 発動機を搭載して,一式陸攻並の性能を狙っていました.

 この機体の開発は大戦勃発後も続けられていて,1400馬力級のIssota-Franschini AssoL180星形エンジンを採用したCa-325とか,1250馬力のIssota-Franschini Zeta24気筒X形エンジンを搭載したCa-365なんかが計画されていたりします.

 しかし,伊式重爆も,Piaggioエンジンを採用していれば,随分信頼性が向上したんではないでしょうかね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年03月11日21:25


 【質問】
 Caproni-Bergamaschi Ca-309系列の機体について教えられたし.

 【回答】
 元々,植民地用万能機であるCa-309 Ghibliから発展した機体で,309を引込脚化し,直列エンジンを星形エンジンに出力強化した310系列を経て,機首を透明風防化し,エンジンを出力向上させ,完全に軽爆撃機としたものです.
 この機体の構造は,極めて頑丈だったのですが,製造時の工場に於ける構造検査基準が非常に甘く,発動機,油圧系統,電気系統(つまり全身)これ故障の続発.
 しかも,排気管と燃料パイプが構造上,接近しすぎていたが為に,僅かな燃料漏れで発火するという欠陥商品だったり.

 戦前,本国空軍には,Ca-309を北アフリカの植民地に69機配備し,Ca-312を1942年に北アフリカで試用した以外は,本格参戦まで専ら輸出用でした.

 Ca-310はマジャール空軍がB.36として36機採用した他,クロアチア空軍にも配備されましたが,有名なのは,干鱈と交換して手に入れたノルウェー空軍で,4機のCa-310と20機のCa-312を発注し,これらは文字通り「干鱈」爆撃機と渾名されていましたが,ドイツ軍のノルウェー侵攻時には,Ca-310が4機しか配備されておらず,これらはほぼ喪われています.

 Ca-313を採用したのは,1940年に90機発注したスウェーデンがB6,S16,T16,Tp16とそれぞれ,爆撃機,偵察機,雷撃機,輸送機として採用したのが最初でしたが,前述の問題で,空輸時に既に8機が喪われ,5年間で44名の死者を出した殺人機でした.
 当時,大戦に参加して軍用機が不足していたイタリアでもこの機体を採用しますが,材料や予備部品,武装が不足して,何時もその入手は滞りがちだったそうです.

 また,ドイツ空軍の要求で,機上作業練習や連絡用に,Ca-313Gが製作され,ライセンス契約でドイツ国内において,Ca-315の名称で1000機が生産される予定でしたが,1機も作られずに終わりました.

 この系列の最後の発展型はCa-331で,最初のA型はHe-111に似た段無し透明風防で,770馬力のエンジンを搭載した偵察爆撃機でしたが,連合軍の爆撃が本格化すると,これを3座の夜間戦闘機に転用することとなり,段無し風防の機首は段付きの窓無しとなり,其処に12.7mm機関銃6丁を装備した他,840馬力のエンジンに強化され,B型となりました.
 この機体は,残念ながら量産準備中に敗戦となり,ドイツ軍に押収されています.

 ちなみに,何故かCa-313は1947年にも10機が製作され,軍に納入されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年03月09日21:31


 【質問】
 アルバコアは駄作機だったの?

 【回答】
 アルバコアは,ソードフィッシュで不評だった様々な点を改良して誕生したが,性能的には大差なし,操縦性はかえって悪いと,生産したその年で退役となってしまった.
 しかし,ソードフィッシュからの改良というのが,航法装置の完備や防音,暖房装備搭載等だったので,一部のパイロットからは非常に惜しまれた.

 因みに,更に後継のバラクーダは6社で競合したにもかかわらず,採用はまたしてもフェアリーとなった.
 英国にはまともな航空機メーカーがないのか?

ふぁいるず in 軍事板


 【質問】
 ソードフィッシュはなぜあんなに長く使われたの?

▼ 【回答】
 ソードフィッシュは,凡庸な機体でしたが,練習機並みの安定性と操縦性を持ち,非常に高い信頼性と,急降下爆撃が可能な強度がありました.
 低高度を低速で飛ぶのに安定しており,その点では意外と優秀な雷撃機でした.

 しかし第二次大戦勃発時には,ソードフィッシュはすでに陳腐化しており,第一線機としての使用は限界でした.
 特に,低空を低速でしか飛べず,敵戦闘機に対し非常に脆弱で,敵戦闘機の迎撃を受けると全滅してしまうこともありました.

 そのため英国は,後継のアルバコア,バラクーダといった雷撃機を開発しますが,安定性や信頼性に問題があり,また,ソードフィッシュの安定性と操縦性に慣れたパイロットはこれらを嫌ったため,一部を更新しただけにとどまりました.
 英国が第一線で使える艦上雷撃機を持つのは,アメリカのアベンジャーが給与されるまで待たなければなりませんでした.

 こうした低性能なソードフィッシュでしたが,大西洋での海上作戦はノルウェー沖と対潜作戦が主であり,ここにソードフィッシュの生き残る道がありました.

 北大西洋やノルウェー沖は,季節を問わず非常に荒れます.
 こういった極限の環境下でも,ソードフィッシュは高い信頼性を発揮しました.
 特に,複葉機のため荒天時の発艦が可能であり,他機種の運用が不可能なほど荒れた海面でも,運用できるといった強みがありました.

 また,低空を低速でしか飛べないという欠点も,長時間,低空を低速で飛ばねばならない対潜作戦では,長所となりました.
 高い信頼性と練習機並みの安定性,操縦性は,航空部隊の拡充を容易にし,パイロットの疲労を軽減しました.
 敵戦闘機の心配の無い対潜作戦は,第二線級の任務ではありましたが,英国のシーレーンを守る重要な任務であり,ソードフィッシュにとってはうってつけでした.
 ソードフィッシュは,対潜・対水上レーダーを搭載したMk.3も作られ,索敵・哨戒に使用されました.

 ソードフィッシュの最後の作戦部隊,第836航空隊は,1945年5月21日に解隊されました.
 艦上雷撃機としては,すでにアベンジャーが千機以上も供与されており,戦争も先が見え,対潜作戦も護衛空母のF4Fや大型の対潜哨戒機が受け継ぐようになっていました.
 練習航空隊の一部が,最後までソードフィッシュを使用していましたが,それも1946年夏に解散となり,その歴史に幕を閉じました.

 結局,ソードフィッシュが生き残れたのは主戦場が大西洋だったからであり,海上での航空戦の発達した太平洋だったらまず生き残れなかったでしょう.

軍事板
極東の(以下略 in FAQ BBS(青文字部分)
黄文字:加筆改修部分

 まあ,後継機のアルバコアが余りにも最悪を極めてた,という事情もあったような.
 「ソードフィッシュ帰ってきてよ」の歌ってのもあったらしいが…
 あと,太平洋みたいに有力な艦載機が飛び回ってる戦場じゃなかった,ってのもあるかも.

ディセプティコンなんでも参謀 in FAQ BBS


 【質問】
 ロンバルダARとは?

 【回答】
 ARとはアサルト・ラジオギダートの略で,誘導ミサイルという意味です.

 発案者F・ラファエルリ将軍はこの機体の前にSM79を無線誘導攻撃機に改造して,実際アルジェリア沖の英艦隊に攻撃をかけたことがあったそうです.(失敗でしたが)

 ロンバルダはアンブロシーニ社製で,全木製!
 普通のフィアットA80エンジン(1000hp)装備のため,2トンの爆弾を装着すると最大速度も360km/hという鈍足でした.

写真1・2
 1943年初飛行に成功したロンバルダは,当初パイロットが搭乗して水平飛行までもっていき,無線誘導に切り替えるとパラシュートで脱出したそうです.
 写真で見ると複座になっていますが,意味不明です.

写真3.
 MC202とのミステル化は計画のみに終わったようです.
 したがって,こんな粗末なスケッチ画しかありません.
 MC202との接続はさっぱりわかりませんので,適当工作です.

 下写真のロンバルダ胴体下部に爆弾倉が見えます.
 1トン爆弾2発を搭載するため,でかいですね.

 写真の多くは「Aerofan」というイタリアの航空雑誌からの抜粋.

 ロンバルダはもともと戦前のグライダーメーカーでしたが,アンブロシニ社に吸収合併されたため,このAR4も「アンブロシニAR4」と表記されることもあります.

写真1


写真2


写真3


その模型


P−斎藤 in mixi,2007年08月22日15:11
& by massage,2008年06月04日 08時34分(青文字部分)


 【質問】
 すみません.この画像の飛行機の詳細を教えてください.

 【回答】
 カリーニンK-12だと思う.ソ連の試作双発爆撃機.
 なんか鯉のぼりみたいな模様になってるのは,「フェニックス号」と称して1937年のツシノ・エアショーでデモンストレーションをした機体らしい.
 量産する予定だったが,生産開始直後にカリーニンが粛清されてしまったので「無かった」ことになったとか.
(wikipediaには事故死したとあるが…)
 性能は最大速度219km/h,航続距離700km,上昇限度7100m,爆弾500kg・7.62mm機銃×2.
 初飛行は1936年.

 詳しくは
http://www.unrealaircraft.com/wings/kallnin_k12.php
を参照.

軍事板


◆◆◆◆ドイツ

 【質問】
 wwUの時の独空軍は,なんで四発爆撃機を作らなかったんですか?
 六発の輸送機作れたのに…

 【回答】
 一応作ってはいます.
 He-177「グライフ」という,見かけは二発,ほんとはエンジン4発の機体がありました.
 が,エンジンの過熱の問題を抱えていたそうです.
 次いでHe277が作られ,これがドイツの4発爆撃機の中で一番まとも.

 ドイツ空軍で4発爆撃機開発が低調だった理由としては,次のようなことが挙げられます.

 ○4発爆撃機開発の中心人物,ヴェーファー将軍が戦前の事故で殉職したから.
 ○基本的にドイツ空軍は,陸軍に対する直接協力のために存在していたので,爆撃機は近接支援用の急降下爆撃機があれば十分と考えられていたから.
 ○ドイツ空軍の爆撃機は,すべて急降下爆撃能力を求められていたので,4発機でそれを実現するのが難しかったから.


 【質問】
 ドイツ空軍は戦略爆撃にはあまり熱心じゃなかったの?

 【回答】
 ドイツ空軍は本来,戦略爆撃専業の軍隊だった.「電撃戦」という「戦略」に特化した空軍なので,結果的には地上支援専門の戦術空軍に見えるだけ.
 有名なシュトゥーカだって本来は交通の要所や鉄道などの戦略目標を急降下爆撃でピンポイント攻撃するための機体.
 双発で航続距離や搭載量の少ない爆撃機しかなかったのも,搭載量や航続距離よりも速度を重視した結果.
 ヒトラーの頭の中では,B-29的な「戦略爆撃」はロケット爆弾(後のV-1やV-2)にやらせるつもりだったようだ.
 Me262を見て「爆撃機にしろ!」と言ったのも,その流れ――爆撃機に必要なのは迅速な第1撃――から.

 ともかくモスクワ空襲もやってるし,計画だけならウラル山脈の向こうを爆撃する爆撃機の開発も考えてたし,He-177も一応作った.
 東部戦線で爆撃機を戦略的に使うのは検討はしてて実行したこともあったのだけども,成果があがらなかったり,妙なところであがったりした.
 たとえば1944年冬に東部戦線で鉄道線路を爆撃して効果があがったもんだから,ソヴィエト側はバクラチオンの決意をより固めたとか.
 しかし,例えば大型4発の教官を狩り出してスターリングラードの飛行場へ物資を運ぶとか,ルフトヴァッフェの中でも近接航空支援の充実,陸軍との連携の強化により精力を注ぐ人とかいたりしてた.

 戦前から思想としては,空軍単独で戦略に結びつく存在たらしめる方向を模索する人はいた.


 【質問】
 マッハ10で巡航する爆撃機があったってマジ?

 【回答】
 大戦中のドイツの計画機ならゼンガーでググれ.
 で,この構想は戦後米空軍に引き継がれ,ダイナソア計画として実験された.
 今のシャトルはこの孫ぐらいの感じ.

 先日米空軍が発表した将来型爆撃機(B-52などの後継機)の構想の中には,ゼンガーふうの跳躍爆撃機も含まれる.
 ま,宇宙条約の絡みもあるし,当初50年先の配備をめざしてたんを急に10年先にまで前倒ししたんで ,実現するか疑問だが.


 【質問】
 少佐は千人のSSではなく,ルーデル,ハルトマン,ヘッツェナウアー,シュライネン,ヴィットマン(以下略)を召喚すれば,地上にヴァルハラを再現できたのでは?

 【回答】
「ルーデル? 何この無敵キャラ? リアリティがないね.ダメだよ,こんなの」
と言って編集からボツを食らうのがオチだから,出すに出せない.

 「JV44」とかラノベ作家でもこんな厨房設定は思いつきませんね.

 1944年6月,連合軍はノルマンディに上陸.
 その1週間後,英第七機甲師団のクロムウェル戦車60両がカーンへの一本道を進撃していました.
 森の中に身を潜めていたヴィットマンの指揮する4台のティーガーと四号戦車1台は直ちに攻撃に移り,名砲手バルタザール・ボールの放った88ミリ弾は先頭と最後部のクロムウェルに命中,それぞれを撃破します.
 残りの58両のクロムウェルは行き場を無くし,右往左往を繰り返すばかりでした.
 これより30分間の一方的な砲撃で,ヴィットマン率いる4台のティーガーは,25両のクロムウェルを撃破します.
 生き残った英戦車は,ほうほうの体で脱出に成功しました.
 第二次大戦を通じて最も目覚ましい戦車戦と評価される戦闘は,こうしてヴィットマンと彼の指揮するティーガーの一方的な勝利で終わったのです.
 しかし,この戦闘では彼のティーガーも英軍の対戦車砲の攻撃を受け被弾,搭乗員は全員脱出しています.

 6月21日,彼はSS大尉に昇進.25日には総統官邸で柏葉剣付き騎士十字章を贈られました.
 この時までに彼のあげた戦果は,敵戦車138両撃破,敵火砲132門撃破という多大なものでした.

 うわーい超厨設定ー.やっぱバケモンだー.

 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル(Hans-Ulrich Rudel, 1916年7月2日-1982年12月18日)
恐らく歴史上で最も多くの戦車を撃破した撃墜王ならぬ戦車撃破王.
 戦績
・出撃回数2530回
・戦車519台破壊
・装甲車・トラック800台以上破壊
・火砲(100mm口径以上)150門以上破壊
・戦艦1隻撃沈
・巡洋艦1隻撃沈
・駆逐艦1隻撃沈
・上陸用舟艇70隻以上撃沈
・戦闘機2機撃墜
・爆撃機5機撃墜
・その他航空機2機撃墜
(被撃墜回数30回)
(戦闘による負傷5回)

 ルーデルが大破着底させた戦艦マラートは艤装を改良した旧式艦だったそうだ.
 対空砲が飛び交う中,数十メートル以下の距離で1t爆弾を投下し,煙突部に命中させた.
 当人は降下していったと思ったら,巨大な爆炎が背後に見えたとのこと.

 マラートは旧ペトロハバロフスク級の古い艦だった.1909年竣工,WW1より昔…

 Trotzdemの記述に依れば,
1941年9月16日,クロンシュタット港にて戦艦マラート(ソ連)に対し1000ポンド(500kg)爆弾を投下,命中させる
同年9月22日,同目標に対し2000ポンド(1t)爆弾を投下,命中させ沈没させる
とある

 マラートが旧型で装甲も大した事無かったというのもあるが,シュトゥーカ自体が改良を重ねられて,バルバロッサの頃には急降下機でありながら,1000ポンド〜2000ポンド級の爆弾も搭載可になっていたというのも大きい .
 無論,一番の要素は敵陣を交い潜って,同じ戦艦に2回爆弾落として命中させるこのアホ(褒め言葉)の腕前だが.

 捕虜になりそうになった回数13回
 撃墜されて,歩いて基地に戻って最初の一言「換えの機体はあるか?」
 ありとあらゆる手を使って休暇を無理矢理取り消して戦線に出た回数 数え切れない
 戦闘による負傷5回.右足切断するも,深夜に病院を脱走後特注の義足を付けて戦線復帰
 ヒトラー&空軍総司令部(OKL)から地上勤務を要請された回数20回以上
 黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字章受賞時の条件に「二度と地上勤務を要請しない事」をヒトラーに要求

 同機種による戦車撃破数ランキングが二位の人の四倍
 同機種による出撃回数ランキングが二位の人の二倍
 つまり出撃回あたりの撃破数自体が他のパイロットの倍
 ルーデルが単独でソ連軍に与えた損害は10個師団相当

 フェアチャイルドA-10サンダーボルトII攻撃機は,設計助言にルーデルが関わっているという

 登山家としても活動
 アンデス山脈の最高峰の一つ,ユヤイヤコ(6900m)に友人のノイベルトと共に登攀したが,6000m付近でノイベルトがクレヴァスに落ちて死亡してしまった.
 救出の為一旦下山,ガイド達と再び頂上を目指した.途中でノイベルトの遺体を発見したルーデルは,ガイド達が呆然とする中彼の遺体を背負って頂上を目指し始めた.
 数時間後に下山したルーデルは(片足は凍り付いている)ガイド達にこう言った.
「これからノイベルトはずっと,あの山の頂で眠るんだ」

 1982年12月18日バイエルンにて死去.葬儀では西ドイツ空軍が追悼飛行を行った.

 5回目の被撃墜時に右足切断の重傷を負った訳だが,その時同乗者に「俺の足が無くなってしまったよ」と言ったら,同乗者が「片足を飛ばされて喋っていられるわけないじゃないですか」と思わず聞き返した.
 しかしその直後同乗者が下を見たら,膝から下が無くなってた

 で,入院中病院で珍しく泣いたらしい.
 見舞いに来た同僚達は「右足がなくなった事」に対してやはり泣いているんだろうと思っていたら,本人は
「足はまだ一本残っているからどうでも良い.
 ソ連の戦車がしばらく撃破出来ないのが悔しい」
という事だった.
 「しばらく」,とか言ってる辺り,本人はこの時点でもう既に前線復帰する気マンマンだった様である .

「自らを価値無しと思っている者こそが,真に価値無き人間なのだ」
とは,自著回想録『Trotzdem』のあとがきに記したルーデルの言.
 こいつの辞書には「あきらめ」という文字は,ない.

某板

 死にたい赤軍将兵にお薦めの「ソ連人民最大の敵(スターリン曰く)」,ハンス・ウルリッヒ・ルーデル

・ベルリン突入直前なら大丈夫だろうと虎の子のJS-3を出したら,いつもと変わらずルーデルに撃破された
・Ju-87の機影を発見後,一分で重戦車が火の付いた燃料を流して撃破されていた
・足元がぐにゃりとしないので沼をさらってみたら,戦車の残骸が敷き詰められていた
・停泊中の戦艦が襲撃され,気が付いたら大破着底させられていた
・高度数百ftで爆弾を投下,というか距離100m以内で機銃をぶっ放す
・爆撃機編隊が襲撃され,爆撃機も「護衛の戦闘機も」一部撃墜された
・トラックから塹壕までの10mの間にルーデルに機銃掃射された
・装甲車の車列に合流すれば安全だろうと思ったら,車列の全車両がルーデルによって撃破済みだった
・全赤軍将兵の3/100がルーデル被撃破経験者,しかも急降下爆撃ならどんな兵器も破壊できるという彼の信念から「強力で頑丈な兵器ほど危ない」
・「そんな奴いるわけがない」といって出撃して行った戦車兵が,五年経っても骨の一つも戻ってこない
・「赤軍将兵でなければ襲われるわけがない」と雪原に出て行ったキツネが,穴だらけの原型を止めない状態で発見された
・最近流行っているルーデルは「何が何でも出撃」.総統に止められても片足が吹っ飛んでも赤軍狩りに出て行くから
・ベルリンモスクワ間の1620kmはルーデルの襲撃にあう確率が150%.一度撃破されて撤退中にまた襲撃される確率が50%の意味
・ルーデル中隊全体における赤軍襲撃による戦車撃破数は一日平均34輌,うち約17輌がルーデル一人のスコア

軍事板

 【関連リンク】
「scarface」:TK-Xも良いが,アンサイクロのルーデル様の項がエライ事になっている件

 【質問】
 ところで,ルーデルが「火事場のルーデル力」を封印されて苦戦するのは, 第何巻からでしたかね?

 【回答】
 ルーデルのスコアは公式は戦車519,装甲車&トラック800以上となっているが,戦後に元同僚達が
「大佐はスコアを合計でかなり譲ってくれている」
と証言している.
 思うように戦果が挙げられずにポイントが貯まらないんで,休暇が取れない前線のパイロットなんかが時折居る訳だが,ルーデルはそういうのを知ると,スコアをいくらか譲ってやって
「これだけあれば少し休めるだろう」
とか,まるでマイレージ感覚でスコアをやりくりしていた.

 また,これとは別に
「休暇でパイロットが減れば,その分自分がより長い間前線で戦っていられる」
という狙いもあった.
 上述の「ありとあらゆる手を使って休暇を無理矢理取り消して戦線に出た」というのはそういうやり方も入っている.

 要するに現在公式である上記スコアは,譲った分は含まれていない.
 同僚達の証言から勘案してそういうのを全部含めると,戦車800以上,装甲車&トラックは1000以上というのが有力.

 スコアに関しては自分で封印してたって感じ.

 【質問】
 ルーデルの搭乗機のスツーカって二人乗りですよね?
 ルーデルは一人で操縦して攻撃してたんですか?
 同乗者はちゃんといてそれなりに仕事をしていたのですか?それとも後方見張りと弾除けがわりですか?

 【回答】
 2代目機銃手のヘンシェル兵長はソ連戦闘機を撃墜したこともある.
 4代目か5代目かのガーデルマンの場合・・・

高射砲により撃墜
   ↓
数百mにわたって木々を薙ぎ倒しつつ,機体が爆発できないほどにバラバラに砂地に墜落
   ↓
安全帯をはずしてたので,ルーデル,ガーデルマンともに地上に投げ出される
   ↓
ルーデルは大腿部に金属片が突き刺さり脳震盪
ガーデルマンは肋骨3本折っていたが友軍のトラックで4時間後に部隊に戻る
   ↓
基地に戻るや,
「休んでなどいられない,すぐに出撃だ!」

 ガーデルマン(つД`)がんばれ

軍事板


 【質問】
 英雄スレッドでよく出てくるガーデルマンってどんな軍人なの?
 ググっても見つからなかったけど.

 【回答】
 ルーデルの後部機銃手として共に850回以上出撃して騎士十字章を授与され,彼が片足を失う重傷を負った時は応急処置を行って命を助け,しかも戦争を生き残った影の英雄.
 そのときの模様は上述の通り.

 詳しくは英語版うぃきぺでぃあを参照されたし.

軍事板

ガーデルマン


 【質問】
 これって誰の言葉?

「英語が話せるか?それからナチ式敬礼をするのはやめてもらいたい,とのことだ」
「ここはドイツだ.英語が話せたって,ドイツ語以外はしゃべろうと思わない.
 どんな敬礼をしようと君らの知ったことではあるまい.
 われわれはドイツ軍人としての敬礼法を教わり,それをそのままやっているだけの話だ.
 スツーカ隊は空の戦いで破れはせぬ.
 われわれは囚人ではない.
 ドイツ兵はすべての戦闘に負けたものではなく,ただ物量の重圧に屈したにすぎない.
 …ま,そんなことはどうでもいい,
 身体を洗わせてもらいたい.
 それから何か食べ物がほしい」

 【回答】
 ハンス・ルーデル
 連合国占領下の空港に降りた後に取り調べを受けた時のエピソード.
 本人が著した『急降下爆撃』(学研文庫,2002.12)に入っている.

軍事板


 【質問】
 ルーデルが撃沈したとされる「巡洋艦」の正体は?

 【回答】
 ウィキペディア等によると,かの有名なドイツ空軍「爆撃王」ハンス・ウルリッヒ・ルーデルHans-Ulrich Rudelは
1941年9月,ソ連の戦艦1隻,巡洋艦1隻,駆逐艦1隻を「撃沈」したとされています.
 この内,「戦艦」はマラート,「駆逐艦」はステレグーシチーを指しているのですが,「巡洋艦」は,ロシア側の記録と付き合わせても,該当する艦がありません.
 バルト艦隊には,「巡洋艦」キーロフ,マキシム・ゴーリキーが所属しており,2隻とも航空攻撃で損傷してはいますが,「沈没」どころか「着底」すらしていません.

 というわけでソ連の「巡洋艦」Крейсерには,該当する艦はありませんでした.

 が,それ以外の艦種で,ルーデルが「撃沈」した「巡洋艦」に該当する艦が有りました.
 それは,「嚮導駆逐艦」ミンスクです.

 ミンスクは,Лидер эсминцев(嚮導駆逐艦)と言って,普通の駆逐艦(Эскадренный Миноносец)とはちょっと違います.
 「嚮導駆逐艦」とは,駆逐艦戦隊の旗艦を務める為の大型駆逐艦です.
 ただ日本では,駆逐艦戦隊(水雷戦隊)の旗艦は軽巡洋艦が務めていた為,あまり馴染みの無い艦種です.

 ミンスクは,プロジェクト38嚮導駆逐艦の1番艦です.
 プロジェクト38は,プロジェクト1嚮導駆逐艦の改良型です.

<プロジェクト38嚮導駆逐艦>
基準排水量:2,237
満載排水量:2597t
全長:127.5m
幅:11.7m
吃水:4.14m
主機:蒸気タービン3基,3軸
出力:66,900馬力
速力:40ノット
航続距離:20ノットで2,100海里
兵装:B-13型130mm50口径砲×5
    34K型76mm55口径対空砲×3
    21K型45mm46口径機関砲×2
    533mm4連装魚雷発射管×2
乗員:250名

 ミンスクは,レニングラード市のA.A.ジュダーノフ名称記念造船所で建造されました.
1934年10月5日起工
1935年11月6日進水
1938年11月10日就役

 同型艦に,バクーБаку,トビリシТбилисиが有ります.
 ソ連海軍では,「嚮導駆逐艦」は都市名を付けられていました.

 ドイツによるソヴィエト連邦への侵略開始後の1941年8月28日,哨戒中のミンスクは,北緯59度51.6分,東経25度58分で機雷に触れて損傷,クロンシュタットへ帰港しました.

 そして,クロンシュタット港で修理中だった9月23日,ドイツ空軍機Ju-87D-1の攻撃により大破,同日夕刻,岸壁から5m離れた位置の深さ8.5mの場所に,傾斜40度で「沈没」しました.

 攻撃したルーデルが,本艦を「巡洋艦」と誤認した事は,上記で述べた通りです.

 参考までに,当時のソ連駆逐艦とプロジェクト38のサイズ比較

・プロジェクト7駆逐艦:全長112.8m,幅10.2m
・プロジェクト7U駆逐艦:全長112.5m,幅10.2m
・プロジェクト38嚮導駆逐艦:全長127.5m,幅11.7m

 というわけで,プロジェクト38は,「駆逐艦」よりも,やや大きい.
 そして,ソ連の「巡洋艦」も,プロジェクト38も,2本煙突です.
 これらを考慮すれば,「戦車破壊王」が誤認するのも,仕方が無い事だったでしょう.

 この場合,ルーデル氏本人よりも,ロシア側の記録と付き合せて検証しようとしない,日本の戦史研究家や軍事オタクに問題が有ると言える.
(ま,これは戦艦「マラート」の件にも言えることだけど)

 ミンスクは,翌年,浮揚して修理され,1942年11月5日には再び軍艦旗が掲揚され,1943年6月22日,艦隊へ復帰しました.
1949年1月12日,駆逐艦(Эскадренный Миноносец)に類別変更.
1951年7月31日,F.E.ジェルジンスキー名称海軍高等技術学校の実習艦となりました.
1954年12月30日,自走練習艦「チョロフ」(учебный корабль "Чорох")に類別と艦名を変更.
1956年12月27日,浮上標的「VUTS-14」(судно мишень "ВУТС-14")に類別と艦名を変更.
1958年4月3日,除籍され,フィンランド湾でロケット攻撃の標的として沈められました.

1枚目:沈没直後のミンスク(1941年9月撮影)


3枚目:浮揚されるミンスク(1942年8月撮影)


4枚目:復帰後のミンスク(1945年撮影)

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/4/15(火) 午後 7:21


 【質問】
 古今東西,戦闘機エースの話はよく聞きます.
 またWW2ドイツの急降下爆撃機エースの話も聞いた事があります.
 しかしながら『雷撃機エース』なるものを未だ耳にした事がありません.
 やはり個人の裁量よりも計器に頼る分,技能の影響する割合が低いとか,撃墜されやすいといった事もあるのでしょうか?
 記録に残っている雷撃機エースをご存じの方がいらっしゃいましたら,是非教えて下さい.

 【回答】
 雷撃において,ドイツ空軍はあまり戦果を挙げていないようです.

 そもそもルフトヴァッフェでは開戦当初雷撃機や航空魚雷を保有していませんでした.
 そのため,洋上哨戒爆撃機として使用したフォッケウルフFw200はSC-250爆弾5発で水平爆撃を行っていました.
 ところが,連合国側の武装が強化されると脆弱なFw200は次第に損害を増していきました.
 雷撃機の必要性を感じたドイツ空軍では,He111にF5B魚雷を搭載した雷撃機でT./KG26(第26爆撃航空団第T飛行隊)を編成し,ようやく対艦船攻撃に当てることが出来ました.

 しかし,機数の少なさや錬度の問題,更に搭載した魚雷の問題などで,なかなか戦果は上がりませんでした.
 彼らの頭上に栄光が輝いたのは1942年5月末。爆撃機部隊と協力してPQ16船団に対して行った攻撃で7隻の輸送船を撃沈しました.
 さらに6月27日に出港したPQ17船団に対するUボートと連携した攻撃は大成功で、7月2日から10日まで続いた攻撃で同船団は36隻中24隻(うち空襲による損失は14隻)を失ってしまいました。

 この大損害にショックを受けた米英は、船団護衛の大幅な見直しを図り、護衛艦艇の増強と護衛空母の随伴を決定しました。
 1942年9月13日.この増強されたPQ18船団に対してドイツ空軍のI・III/KG26及びKG30(Ju88爆撃機)が攻撃を開始しました。
 ところが熾烈な対空砲火と護衛空母アヴェンジャーから発進した12機のシー・ハリケーンによって,攻撃を阻まれてしまいます。
 ドイツ空軍はさらに翌日にも攻撃をかけますがその被害は甚だしく、参加した48機のHe111と40機のJu88のうち、24機が撃墜されて15機が被弾して着陸後に廃棄、さらに30機が修理不能と判断されて実に69機を失いました。
 これに対して彼らが得た戦果は撃沈7隻にとどまってしまいました。

 PQ18船団はこの他にUボートにより7隻を失いますが2隻を返り討ちにし、損失率を33%に抑え、これ以降のPQ船団の損害は急減していきます。
 しかしドイツ空軍の受けた被害は甚大で、バレンツ海方面での雷撃機部隊の活動は著しく鈍くなってしまいました。

 雷撃機としてFW190戦闘機を改造した,Fw190A-5/U-14というモデルも試作されましたが,実用化されませんでした.これは胴体下面に魚雷懸吊用のETC502ラックを取り付け,LTF5b航空魚雷一発を懸吊.その他の改造として,クリアランス確保のための尾脚柱延長と方向安定性の低下を防ぐための垂直尾翼の増積がありました.
 しかし,さすがのFw190でも重量増加が過大で実用化できませんでした.
 その後もFw190F-8で同様の改良をしたサブタイプがありましたが,何れも試作のみ実戦には参加していないと思います.

 その後,知られたとおりHs293滑空爆弾やフリッツX誘導爆弾による攻撃が研究されます.
 これも母機の誘導が必要なため,対策が練られると当初の大戦果も,じきに先細りになり,対艦船攻撃は事実上終焉を迎えました.

 「戦時商船隊」(大内建二著・光人社NF文庫)には,ドイツ雷撃機部隊に関する記述が若干あります.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板 & FAQ BBS)

He111とF5B魚雷
(引用元:Venik's Aviation


 【質問】
 航空機の緒戦の大量破壊もさることながら,性能的にも数量的にもソ連を上回っていた筈のドイツ空軍の対地支援は結局,口ほどでは無かったの?
 ソ連の航空機の活躍というのもあまり聞かないけど,かといって緒戦以外はドイツ側の空軍の活躍もあまり聞かないし・・・・

 【回答】
 緒戦のスツーカの活躍が宣伝されたために誤解されているけど,ドイツ空軍は対地支援は余技としか思っておらず,全く力を入れていなかった.
 独ソ戦開始時には専門の地上攻撃航空団はHe51で編成された一つだけ.
 43年ごろからようやく力を入れ始め,Fw190の地上攻撃型も配備され始めたが,時すでに遅し.

 空軍の対地支援については空軍の根本教義に触れる問題だった.
 詳しいことはこの本が最適.
 日本語では「東部戦線の独空軍」を古本屋さんで探そう.英語だったらこれがたぶん原書

 なお,対地支援に活躍していた部隊もある.
 たとえば,第1次世界大戦の撃墜エースの親戚だったリヒトホーフェンの率いる航空団では近接航空支援に力を入れて成果を挙げている.

 性能と数量については,近年ロシアの側からの話が日本語にも訳されていると思うので,そこいらを見ないと何とも言えないかも.


 【質問】
 第二次大戦の攻撃機が急降下爆撃するときに出る,ウワーーーーーン!と言う音って何?

 【回答】
 もともとはドイツのJU−87「スツーカ」って急降下爆撃機が発してた音.
 ドイツは飛行機が急降下する時に出る音が,人間の神経を不安定にさせる効果があることを知り,その音を激しくした周波数の音を出すサイレンを,スツーカに装着していた.
 そのイメージが強烈だった為,急降下爆撃のシーンの効果音に広く使われるようになった.

 実際にスツーカでなくても(サイレンがついてなくても),飛行機が急降下すると,機体が風を切る音とエンジンが唸る音,それにプロペラの先端が風を切る音がするが,記録映像で見るほどの音はしない.

 あと,よく爆弾投下のシーンで入る
「ヒュルルルルルルルルルルル・・・」
 という音も,元々はドイツが爆弾に”笛”をつけて,その音で地上の人間をパニックにさせる事を狙ったもので,ドイツ以外の爆弾はあんな音は立てない.
 これも,ドイツの記録フィルムの映像があまりに印象的だったために効果音の定番化してしまったもの.
 戦記なんかで空襲下で防空壕に飛び込むくだりなんかを読むと,
「ザーッという音」
「シャーッという音」
という記述しか見当たらない(気がする).

 ちなみにヘリのバタバタいう音は,メインローターとテイルローターの音,気圧変化が干渉して発生する部分が大きい.
 テイルローターなしのヘリは,バタバタ音がかなり減る.


 【質問】
 Ju-87にサイレンを付ける理由がよく分かりません.ご教授願います.

 【回答】
 地上の兵士をびびらせるため.
 ものすごい音がしたので上を見たらJu-87が急降下してき!というので,普通は慌てて逃げ出す.
 たしかスペイン内戦での戦訓から導入されたはず.
 1940年のフランス電撃戦では,爆弾を投下し終わったJu-87が急降下を繰り返しただけで,地上のフランス軍部隊を壊走させた例がある.

軍事板

 【関連動画】
「ワレYouTube発見セリ」:Ju 87G Stuka in action


 【質問】
 ユンカースJu187とは?

 【回答】
 『異形機入門 究極の機体徹底研究』(飯山幸伸著,光人社NF文庫,2004.6),p.45によれば,Ju87の後継機として計画された機体.
 それまでの戦訓から機体表面を全体的,かつ大幅に空力的に洗練し,主脚と尾輪は引き込み式(主脚は90度回転させ,後方に引き上げる方式).主翼は逆ガル式で,複座のコクピットは与圧化されています.
 但し逆ガルでは無い主翼だったり,トッペルフリューゲルを残した完成予定のモデルや,風洞実験用のモデルがあったりと,レイアウトに関しては流動的なところもあったそうです.
 この機体の最大の特徴ですが,作戦中に遠隔操作の後上方防御用銃塔の射撃範囲の確保と急降下時の横安定性確保の為,垂直尾翼が180度回転するようになっています!

 モチロン回転するのは飛行中.
 ついでに尾翼も一緒に回転します.

 計画値:ユンカースJumo213A(1750馬力)×1 全幅14.2m 全長11.9m 全高3.95m 最大速度400機km/h(爆装時) 武装20mm×2,13mm×2,爆弾2000kg

 航空省は41年に開発中止を決定し,モックアップの段階でボツ.
 Ju87は近代化改修されたD型が登場し,やがて急降下爆撃機は戦闘爆撃機や襲撃機へその役目を譲っていきます.

 …日本海軍が「DBエンジンのお礼です〜」とかいって彗星艦爆の設計図とかを融通とか…
 ムリか.

グンジ in mixi,2008年09月15日17:52
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
 広島に落された原爆は,実はドイツ製だった!
http://blackbox777.at.infoseek.co.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc107.html

 【事実】
 最初の3,4行は事実だが,あとは全部根拠も何もない妄想だあな.
 真面目に答えればね,「無かった」と言う証明は難しい.
 でも反証が難しいからと言って,「あった」と言う証明にはならない.

 ナチスの原爆開発については,トマス・パワーズ「なぜ,ナチスは原爆製造に失敗したか」,
当時のドイツの軍需産業の実状についてはシュペーア回想録「第3帝国の神殿にて」,
ナチ政権下でのドイツ理論物理学の惨状(としか言いようがない)は,オルフ・ナータン「第三帝国下の科学
あたりを参考にされたし.


 【質問】
 昔,落合信彦の「20世紀最後の真実」を読むと,以下のようなことが書いてありました.
 ドイツ降伏後,ドイツの科学者達を一室に集めて広島の原爆投下のニュースを聞かせ,その反応を盗聴したところ
「なぜドイツ製の原爆が日本に投下されたんだ?」
と言っていたらしいです.
 当時中学生だった俺は,
「ドイツは原爆完成していたか完成間近だったんだ・・」
と信じてしまいましたが,作り話だったのでしょうか?

 【回答】
 「落合信彦」「ナチス」
 ↑
 この時点でもう信じてはいけません.

 ドイツは比較的早期に原爆の実用化を諦めております.
 作成に必須で,しかも技術開発から始めないと作れない核物質がなかったんですから,どうにもなりません.
 濃縮ウランは,大規模でしかも多くの開発項目が必要な施設がないと作れないし,プルトニウムは原子炉をぶん回さないと作れません.
 その後も研究は続けていますが,原子炉の製作さえもままならない状態でした.

 作家は創作家,ですよ.


 【質問】
 He177は1140機ほど造られていますが,装備部隊は3個飛行隊しかありません
 てことは1000機くらい余りませんか?
 練習機としても使われたらしいですが,それでも相当数余りますよね?
 余った機体は何してたの?
 いっそ全部スクラップにしようかみたいな話は出なかったの?

 【回答】
 まず,試作機が8機製作され,各種試験飛行が行われ,その後更に16機が各種バリエーション展開の為に生産されます.

 最初の量産型A-0は,HeinkelのRostock工場で生産され15機生産.
 次いで15機がHeinkelのOranienburg工場で生産,またWarnemundeのArad工場で,5機が生産されました.
これらも試験に使用されています.

 本格量産型はA-1からで,これは130機が製造され,I./KG.40に試験配備されています.
 次いで量産されたA-3は170機を生産,まず,I./KG.50に配備され,乗員の訓練に使用されました.
 また,この飛行隊は冬期訓練で東部戦線にも派遣され,Stalingradの補給に使用されました.

 A-4は高々度偵察/爆撃用ですが,これはHe-274となり,次の量産はA-5に移行し,これが261機生産されます.
 其の内の少なくとも1機はA-012に改造され,EKdo25に配備されました.
 この機体は,VJGr10に移管され,対爆撃機狩りに使用する予定でした.

 A-5の量産機は,II./KG40に配備され,I./KG50が,Fw-200に換えて新型機を配備します.
 また,I./KG.4にも配備を開始し,更にI./KG100にも配備されます.

 此処まで447機が生産されていますが,少数機ずつの配備,しかも制空権は連合国側に取られてしまっていたため,結構な数が地上で破壊されてしまっています.

 その後,やっと,II/KG.100,III/KG100,13./KG100,III/KG.40に配備され始めます.
 また,一部がKG200に配備され,最後に配備されたのが,I/II/III/KG.1です.

 ついでに,1944年7月20日に行われた80機の爆撃が最後の集団使用となります.
 これらを動かすのに480tの燃料が必要だったのですが,8月以降は燃料プラントが破壊されて,こうした燃料が調達出来なくなり,II/KG.100で少数機が1945年1月に使用されただけになりました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


◆◆◆◆◆対地ロケット関連

 【質問】
 巡航ミサイルはナチス・ドイツの発明って本当ですか?

 【回答】
 「巡航ミサイル」は第2次世界大戦の後期にドイツが開発,実戦投入した「フィーゼラー Fi−103」,通称「V-1号」っていうのが始まり.
 湾岸戦争などで使われた「トマホーク」のような,高度な性能を持った命中率の高い巡航ミサイルが実用化されたのは,1970年代の終り頃から.

軍事板


 【質問】
 V-2について教えてください.

 【回答】
 ドイツの開発した弾道ミサイルで,正式名称はA-4,一般的にはV-2号と呼ばれる.

 戦後このミサイルの研究に関わった技術者はソビエトとアメリカに連行され,そこでそれぞれ技術を更に発展させた.
 それが現在の大陸間弾道弾(ICBM),いわゆる「核ミサイル」に発展した.

 ついでに言うと「V-2」号ミサイルを設計したフォン・ブラウンが,戦争末期にV-2の資料を全部持ち逃げして,部下や仲間を連れてドイツのロケット兵器研究所を脱走,アメリカに降伏した.
 その後アメリカで軍事,宇宙開発両面のロケットの開発を行ったが,アメリカ政府はナチスの下でミサイルを開発していたフォン・ブラウンを信用せず,フォン・ブラウンのチームを厳重な監視下に置いていた.

 アメリカ政府と軍のロケット開発計画はピントがずれていて上手く行っていなかったのだが,フォン・ブラウンの提言はみんな
「ナチは黙ってろ.お前は言われた通りのことだけしてれば良いんだ」
と言われて無視された.

 ソビエトが人工衛星を打ち上げるまでは. 

 アメリカの一連の宇宙開発計画はその後,彼の主導で行われた.

 つまり,アポロの月着陸とナチスドイツの弾道ミサイルは同じ人が作ったのだ.

軍事板


 【質問】
 ドイツのV-1,V-2について,連合軍は事前にその性能をどこまで把握していたのでしょうか?

 【回答】
 ドイツのミサイル開発に関する情報が連合軍に入ってくるようになったのは,1942年の半ばに入ってからです.
 "オスロ・レポート"と呼ばれる諜報機関からの情報で,ドイツがロケット開発に着手している兆候は掴んでいました.
 確実な情報を得だしたのは1943年に入ってからで,3月にはデンマークやポーランドのレジスタンスから詳細な情報が入り始めました.
 そこで連合軍では,4月に当時35歳で軍需政務次官だったのダンカン・サンディース下院議員を,暗号名"ボディ・ライン"と呼ばれたミサイル調査活動の責任者に任命しました.
 サンディースの依頼により,RAFはペーネミュンデ周辺の偵察活動を続け,6月末にはミサイル発射の確実な兆候を掴んだため,8月にはペーネミュンデに対する大爆撃を敢行し,ペーネミュンデはかなりの被害を被っています.

 性能に関する情報はレジスタンスからの発射試験のモニター情報などで明らかになったものの,ミサイルの誘導方法に関する情報がつかめず,当初は無線誘導方式であると推定していました.

 1944年5月にはワルシャワ近郊でレジスタンスが,6月にはスウェーデンで同国軍が,それぞれA-4(V-2)の残骸を回収しています.
 これらの残骸は7月には連合軍の入手するところとなり,それでようやく,A-4の誘導が慣性誘導システムによって行われていることを把握しました.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE

飛来するV-1


 【質問】
 大戦中,イギリスに向けて発射されたV-1(Fi103)兵器を複数迎撃した戦闘機があったそうですが,パイロットにはエースの称号が与えられたのですか?

 【回答】
 エースには違いないんですが,通常の航空機の撃墜とは別勘定になっています.

V-1エースのリスト
http://jpgleize.club.fr/aces/ww2v1.htm

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

 V-1を5機以上撃墜した英国空軍のエースは133人いますが,空軍ではV-1の撃墜は航空機の撃墜と同格に認定していません.
 ちなみに,V-1の最高撃墜数は,J.ベリー少佐の61.33基です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 終戦までに発射されたV-2ロケットの数は?

 【回答】
http://www.v2rocket.com/ より)

*Belgium   Antwerp      1610
         Luttich       27
         Hasselt       13
         Tournai       9
         Mons         3
         Diest         2
*France   Lille         25
         Paris        22
         Tourcoing      19
         Arras        6
         Cambrai       4
*England   London       1358
         Norwich/Ipswich  44
*Germany  Remagen      11
*Holland   Maastricht     19

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)


 【質問】
 V1やV2の着弾設定って,製造段階で行うのですか?

 【回答】
 発射前に,目標に向かう磁気方位がインプットされ,巡航高度と目標までの距離も同様にセットされます.
 飛行方向はカタパルトの発射方向に大体同じで,目標までの距離は先端のプロペラの回転で自動累積され,設定数値に達すると,方向舵と昇降舵がロックされ,機首を急激に下げて急降下するものです.
 以上がV1.

 V2は地上からの誘導で行う(殆ど実現しませんでしたが)ものもあり,着弾設定は発射前,もしくは発射後に行うことが可能です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 ドイツのUボートブンカーは,連合軍の度重なる空襲にも破壊されなかったようですが,V-1,V-2の発射基地としようとした巨大ブンカーがあっさり破壊されたのは何故なんですか?

 【回答】
 連合軍がV-1,V-2のミサイル発射施設の破壊を優先課題として,多数の爆撃機を割いて攻撃を集中したからです.

 連合軍は1943年の夏にはレジスタンスなどの情報から,ミサイル発射施設の所在をほぼ把握しており,そのための活動には『クロスボー』と言うコード名がつけられました.

 1943年8月から始まった,これらの施設に対する爆撃は『クロスボー爆撃作戦』と名づけられ,以後一年間に連合軍がこの作戦に当てた爆撃機兵力は,重爆撃機の延べ出撃数の14パーセント,中型爆撃機の40パーセントに上り,投弾量は実に12万2千トンに達しています.
 これらの爆撃には,英空軍の『トールボーイ』大型爆弾やB-17を改造した無人遠隔操作爆弾『アフロディーテ』も使用されました.

(名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE)

V-2発射基地


 【質問】
 お聞きしたいのですが,先日松本零士の「ザ・コクピット」シリーズの「成層圏気流」という作品を読みました.
 ナチスドイツが核兵器を大戦中に開発したとの設定でしたが,作品中に
「ロンドンかワシントンかモスクワか・・・・どこかが消滅するわ」
と言うセリフで疑問に思いました.
 弾頭をペーネミュンデに送るということなので,ロケット兵器を使うのでしょうが,V2号の到達範囲を考えると,ロンドンはともかくワシントンやモスクワはないんじゃないか?,と.
 赤軍に奪還されたソ連領内を,最高機密の弾頭抱えて移動するのはありえなさそうだし,当時SLBMなんて無かったと記憶しているからワシントンも無理じゃないか?,と.

 【回答】
 A-4(V2号)の開発後,設計スタッフが取りかかったものの中に,アメリカ攻撃ミサイル計画というのがありました.
 これがA-9で,翼の付いたミサイルでしたが,A-4の安定化に傾注したため,1942年10月に一旦中止されました.
 しかし,1944年6月にA-4の派生型としてA-4bとして構想が復活し,1945年1月に試作機が製作され,発射実験まで行われました.
 これが,射程800km.

 これとは別に,1936年から計画が進められていたA-4の拡大版,A-10が射程500kmで計画され,もう一つの計画であるA-9と組み合わせることで射程を伸ばそうとしていました.

 また更に別の計画では,潜水艦でA-4を入れた筒を曳航し,発射海域で筒にある浮力タンクに海水を入れて筒を立たせ,安定したところで,V2号を発射すると言う計画がありました.

 なので,核爆弾を用いることが出来れば,ロンドンは勿論,ワシントンも射程距離に入ります.
 モスクワは判りませんがね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 V-2ロケットが実際に軍艦から発射された事はあるのか?

 【回答】
 ある.
 1947年,空母ミッドウェイ艦上から,海上でV2ロケットを発射する試験が行われている.
 この試験結果は,「スタンダード」ミサイルを軍艦に搭載するためのデータとして役立てられた.

 詳しくは,ジロミ・スミス著『空母ミッドウェイ』(光人社,2006.2.14),p.14-15を参照されたし.


◆◆◆◆英国

 【質問】
 ロンドン大空襲の死者について教えてください.できるだけ信憑性の高い数字が知りたいです.

 【回答】
 1940年のドイツ軍による空襲のことでしたら,7月から12月の間に,民間人の死者23002名,負傷者32138名を記録しています.
・・・とWikiには書いてある.

 もし,質問者が第一次世界大戦中のことを聞いているのでしたら,このサイトが参考になります.
 一応govと入っているので信憑性はあるんでしょう.
http://www.nationalarchives.gov.uk/pathways/firstworldwar/spotlights/airraids.htm

 これによれば,ゴータ爆撃機による空襲で1917年6月13日に162名が死亡.
 ちなみに,大戦を通してのロンドンに限らぬ損害総計は死亡1,413名 負傷3,409名.


 【質問】
 「爆撃ルール」とは?

 【回答】
 WW2中のイギリス,ロンドン近郊のゴルフ場で作られたローカル・ルール.
 ドイツ軍機が襲来したときの退避の仕方,退避後のプレー再開までの手順,爆撃で開いた穴にボールが落ちたときの救済措置などが詳細に定められていたそうだ.

(軍事板)


 【質問】
 WW2中,英空軍はアメリカの供与でB‐17を装備してたと聞きましたが,本当でしょうか?

 【回答】
 本当です.
 1941年当時のイギリス空軍爆撃航空団ではスターリングやハリファックスといった四発爆撃機がまだ充実していなかったため,配備機が増加するまでのつなぎとして,41年4月にアメリカからB-17を20機購入しています.
 これらは第90爆撃機中隊として編成されました.

 しかし,購入した機体は初期生産型のC型であり,機体設計もまだ洗練されておらず,武装も貧弱なものでした.
 編成が完了した第90爆撃機中隊は41年7月には最初の昼間爆撃に出撃しました.
 しかし,二ヵ月後には爆撃機として不備が多すぎるということで,実戦配備から外されてしまいました.
 その理由は,武装が貧弱であることやターボ過給器に不具合が多く出たこと,そして爆撃精度があまり良くない等でした.
 言うまでも無くこれらの欠点は,米第8空軍が使用したF型やG型ではすべて改良されています.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE

 1941年にB-17Cが20機引き渡されて,Fortress Mk.Iと呼称され,第90スコードロンに配備されました.
 初陣は,1941年7月8日のWillhelmshavenの軍港偵察で,この時は高々度偵察を行いました.
 爆撃機としては,1941年9月からEmden,Kiel,Brest,Willhelmshavenと言った軍港爆撃に使用されましたが,ノルデン爆撃照準器の扱いになれていなかったので,全弾外すという不名誉な記録を出してたりします.
 そうこうしているうちに,尾部銃座が無いことがウィークポイントであることが知られ,4機が11月にエジプトに送られ,Benghaziの爆撃に用いられました.

 1942年1月から残存機はCoarstal Commandの第220スコードロンに送られ,大西洋を飛行する哨戒機となり,7月まで使用されています.

 次いで,1942年半ばからB-17E/F/Gがそれぞれ供給され始め,それぞれMk.II,Mk.IIA,Mk.IIIとして用いられ,200機が引き渡されました.
 こちらも,同じくCoarstal Commandの第59,206,220,251,519,521の各スコードロンに配備され,大西洋の哨戒飛行と気象観測に用いられました.
 また,一部の機体は爆撃機軍団の第214,223スコードロンに配備され,ドイツのレーダー妨害に用いられています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

B-17最終型(うそ)


 【質問】
 ダムバスターとは?

 【回答】
 ダムの上流から水面すれすれに侵入し,ダム湖上で投下,湖上を跳躍させて魚雷防御ネットを飛び越し,ダムの内壁にぶつける爆弾です.
 爆弾は,ぶつけた後にダム湖に沈みますが,その後に爆発させ水圧を利用してダムを破壊します.
 超低空を飛ばないと爆弾投下出来ないので,記憶に間違いが無ければ,実行部隊は殆ど帰還していません.

 この爆弾による最も有名な攻撃は,「チャスタライズ作戦」である.ガイ・ギブソン空軍中佐を隊長とするRAF(イギリス空軍)第617飛行隊所属の,専用に改造された19機のアブロ・ランカスターにより1943年5月16日夜半から同月17日未明にかけて行われた,ドイツのルール地方のメーネ,エーデル,ゾルベの各ダムに対する同時攻撃である.
 結果は,出動した19機のうちの10機が撃墜されたが,攻撃自体は大成功を収め,メーネ・ダムに至っては戦後になるまで修復できないほど,完膚無きまでに破壊され,RAFに華を持たせた.
 さらに,この攻撃によるオマケの戦果として,決壊したメーネ・ダムからは3億3千万トンに達する水が下流の西ルール峡谷一帯に襲いかかり,この水害によるドイツ側の損害は記録に残っているだけでも,125箇所の工場,25箇所の橋梁,6500頭以上の家畜を押し流した上,約3000ヘクタールの耕地を耕作不能にし,民間人を含む1295人の人々を死亡させている.


 【質問】
 イギリスは急降下爆撃機無しで戦争したのは なぜですか?
 航空支援なんかはどうするつもりだったのですか?

 【回答】
 38年の時点でスキュア艦上急降下爆撃機が実戦配備についているので,急降下爆撃機がないというわけではない.
 で,この後の戦争見てりゃわかるけど,急降下爆撃機が必要な戦場が無かったし,それ以外に必要な機体がいっぱいあったので,急降下爆撃機の後継機は登場しませんでした.
(バラクーダは,とりあえず無視)

 そして戦争後半になって,そういう任務が発生したときには,すでに対地攻撃機としての急降下爆撃機は時代遅れになってました.
 ピンポイント攻撃なら,戦闘爆撃機にロケット弾を搭載すれば良い.
 具体的には,イギリスはハリケーンやタイフーンにロケット弾あるいは大口径機関砲を積んで,地上支援に当てました.

 ちなみにアルバコア複葉雷撃機も,一応急降下ブレーキ(フラップと兼用)があるので急降下爆撃はできる(意味あるかどうかは,おいといて)

軍事板


 【質問】
 夜間爆撃に切り替えなよ,と英空軍は米軍に忠告したそうですが,夜間爆撃だって大損害受けてない?
 ランカスターなんて製造機数の内半分近くを失っとるじゃん.

 【回答】
 もちろん夜間爆撃も損害は大きかったが,同じ護衛戦闘機が随伴出来ない地点を爆撃するのならば,夜間爆撃のほうが,ドイツ空軍夜間戦闘機の数と防空レーダーの性能に対する,連合軍側の電子妨害能力・夜間戦闘機キラーの数と,攻撃側としての優位を鑑みればマシな選択だったと言える.
 その為には英空軍や太平洋みたいに無差別爆撃をしないといけないけどね.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 今,ヒストリーチャンネル見てるんですが,空母に着艦するモスキートを見ました.
 艦載型のモスキートは試作ですか? 量産されて海軍が運用したんですか?

 【回答】
 艦載型のモスキートは戦後,偵察機として配備されている.

軍事板

 Sea Mosquitoは,N.15/44仕様で開発が行われたもので,Mosquito Mk.VIを改造して着艦フックを取り付けた試作型(LR359)が,1944.3.25,E.M.Brownの手によって,Indefatigableへの着艦に成功しました.
 海軍型Mosquitoは,翼幅を延長し,四枚羽プロペラを装備し,5〜10%程度推進効率が向上しています.
 この試作型の他,LR387も改造され,夜戦仕様となっています.

 量産型は1945年秋から生産が開始され,11月に1号機(TW227)は初飛行,MosquitoT.R.33として制式採用されています.
 最初の13機は折畳み翼ではなく,脚も空軍型と変わりありませんでした.
 しかし,TW241から折畳み翼を装備し,脚は着艦用に強化されたLockheedの緩衝装置を装備しています.
 また,TS444/449の2機は脚無し着艦が可能な様に作られた特殊型でした.

 Sea Mosquitoは97機が発注され,50機が引き渡されました.
 雷撃任務には18インチ魚雷を1発を胴体下に,50ガロン増槽を2個翼下に抱えるか,50ガロン増槽の代わりに 30ガロン増槽を2個とロケット弾発射機2基を装備することも可能でした.
 これらのT.R.33は,主にFordの811Sqn,少数が703/706/762/771/778/790の各Sqn..に配備され,1947年まで使用されています.
 後,703Sqn.には試験用として,T.R.33にA.S.Vレーダーを取り付けたT.R.37(VT724)が1機だけ生産されています.

 このほか,仕様Q.19/45で,General AircraftがMosquito B.16を改造して高速標的曳航機T.T.39を作って,艦隊航空隊と地中海艦隊に配備し,811/777/778/780/787Sqn.では,1945年9月から訓練用に空軍のMosquito F.B.VIを引き渡されて慣熟訓練用に用いたり,複操縦装置付きT.3が1機海軍に引き渡されたりしています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 英空軍は大量の爆撃機でドイツを廃墟にしましたが,戦後,余った爆撃機はどうなったのですか?

 【回答】
 戦後,Lancasterは軍用機として英空軍籍に止まり,英連邦でそのまま軍務に就いたもの,Argentinaで爆撃機として余生を送ったものもあります.
 また,一部は輸送機に改造して軍で活動し,また,民間に放出されました.
 それらが,ベルリン大空輸の際,活躍しています.
 それ以外の大部分は解体されました.

 Lancasterの場合,1946年にBritishSouthAmericanAirwaysが6機,南アメリカ路線で運行していますし,50年代まで7機のLancasterが民間に(うち,1機はイタリアで)放出されています.
 もう一つ,その発達改造型Avro691は,TranceCanadaAirlineが1機を改造し,BOACは32機を改造して,豪州,ニュージーランドと言った,戦前のエンパイアボートの路線や南アメリカ線に投入されました.
 1946年には更に12機が完成し,7機が英国,5機はイタリアのAlitaliaに引き渡されています.

 また,Halifaxも同様に,民間改造型が作られ,BOACがアフリカ線に投入しました.
 その後,LondonAero&MotorServiceが6機購入して生鮮食品輸送に活躍しています.
 最終的に数十機のHalifaxが貨物輸送機として使用され,ベルリン空輸では41機が投入されました.
 変わったところでは,1950年9月20日にDailyExpressが主催したエア・レースに"AirVoyager"(G-AKEC)と言う機体が参加し,平均速度450km/hで24位に入っていたりします.

 Short Stirlingは輸送機バージョンとしてMk.Vが160機改造され,人員輸送に使用されました.
 これらはVickers Wellingtonに代わって,1945年から任に就き,英国〜欧州〜北アフリカ〜イラク〜インドの路線を運行していました.
 兵員輸送では,英国と中東を結ぶ路線を運行し,1946年3月まで,中東〜インド線に就航していました.

 Handley-Page Halifaxについては,爆撃機型は自由フランス空軍に引き渡されていたので,その解放後もかの国で爆撃機として一時使用されていました.
 また,戦後は,G.R.VIがCoastalCommandで哨戒機として使用され,最後の部隊は1952年までGibraltarで使用していました.
 このほか,空挺部隊輸送用に改造されたA.VII,A.IXも300機程度生産されて戦後まで使用されています.
 A.VII,A.IXは中東(特にパレスチナ),インドで1946年末まで使用されました.

 1945年からは,HalifaxC.VIIIが改造で出現しています.
 これは100機が改造され,各地で輸送任務に使用されました.

 Lancasterは爆撃機として,CanberraやLincolnが充足する1950年3月まで第一線の爆撃機として使用され,Coastal Commandで,Liberatorの返還後,その後継哨戒機として使用されています.
 こちらは,Shucl;etonやNeptuneが充足されるまで使用され,1954年に第一線を退き,最後の機体は,1956年10月まで使用されました.
 もう一つ重要な改造型は偵察機であり,1946年から1952年10月まで,西アフリカ,中央アフリカ,東アフリカ各地の測量任務に就いていました.
 これは,1953年12月まで使用されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


◆◆◆◆USA

 【質問】
 WW2の米海軍の艦載機の質問です.
 TBDやTBFの「TB」はトーピードボマーで雷撃機だと思うんですが,SBDやSB2Cの「SB」は何の略なんでしょうか?
 急降下爆撃機ならダイブボマーだから,「DB」になると思うんですが.

 【回答】
 偵察爆撃機(Scout Bomber) の略.

 第二次世界大戦当時の米大型空母は,多くの場合,戦闘機中隊×2,急降下爆撃機中隊×2,雷撃機中隊×1を搭載しておりました.
 で,急降下爆撃機中隊のうち1個は「爆撃中隊」,もう1個は「偵察中隊」と呼ばれておりました.
 当時の米空母機動部隊は,索敵に急降下爆撃機を使用していたので,偵察中隊と爆撃中隊を編成していたのです.

 ただし,この2つの部隊の編成はおおむね同じで,偵察中隊であろうと爆撃に参加しますし,爆撃中隊が偵察を行うこともあったようです.


 【質問】
 B-17改造の無人遠隔操作爆弾「アフロディーテ」とはどんな物なのでしょうか?

 【回答】
 「アフロディーテ」は正式にはBQ-7誘導爆弾と言いまして,耐用時間超えた中古のB-17に約9トンの爆弾と無線操縦装置を積み込んだ機体です.
 離陸する際は2名の操縦員が搭乗し,離陸した後に操縦員はパラシュートで脱出して,他の機体の誘導によって目標に突入すると言う代物です.
 1944年に25機が改造され,8月から翌年1月までに15機が使用されています.

 余談ですが,ケネディ大統領の兄のジョセフ・ケネディ海軍大尉はこの誘導爆弾の実験にかかわっており,44年8月12日,実験に使用したPB4Y-1が離陸後に爆発して死亡しています.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)


 【質問】
 シュバインフルト爆撃って何?

 【回答】
 1943年8月,10月に行われた,連合軍による爆撃作戦.
 出撃機666のうち120機が失われた.

 特に10/14の「暗黒の木曜日」では,出撃した第92爆撃航空軍団のB-17,382機が,1000機以上のドイツ空軍機に迎撃され,
被撃墜65機,
大破放棄12機,
損傷112機
という損害を受けた.


 このような損害を出した原因は直接的には,ドイツ上空まで爆撃機についていける航続距離を持つ戦闘機が.P-51が登場するまでは無かったため
 実際,P-51登場後は全行程を護衛出来る様になった.

 しかし,もっと根本的な原因がある.
 もともと「高速の爆撃機はほとんど迎撃を受ける事は無い」という35年の訓練結果を正しいものとして採用していたんだ.
 シェンノート将軍が
「訓練は戦闘機が旧式で爆撃機が最新だから,明らかにこのシミュレーション結果は恣意的で疑問がある.
 アメリカは爆撃機には護衛戦闘機が必要」
と訴えたにも関わらず,これを上層部に具合が悪いからと黙殺したのは,米航空部隊の中枢がこの説の提唱者だったという事情がある.

 P-51まで護衛がなかったのは,そういう護衛戦闘機軽視の思想と,戦闘機や爆撃機の仕様などの配備計画に悪影響があってのこと.
 そしてシェンノートの訴えを黙殺して,損害を重ねても考えを改めず,英空軍のBOB(バトル・オブ・ブリテン)の経験から出した忠告も無視して,護衛無し爆撃を多用し続けた.

 シュバインフルト爆撃はその誤りが,取り繕えないほど頂点に達したというだけなんだ.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 B29をヨーロッパに投入しなかったのはなぜ?

 【回答】
 実戦投入された頃には欧州方面の戦略爆撃はあらかたカタがついてたから.
 それに,1944年の夏以降ならフランスにも飛行場が作れるから,それこそ超長距離爆撃機の必要性はない.

 余談だが,フランスから出撃できるようになったあとは,B-25などの双発中型爆撃機がドイツ国内の幹線道路と鉄道,それに運河水運を徹底的に攻撃し,ドイツ国内の物流態勢をほぼ壊滅させた.
 それまでは大型4発爆撃機は都市戦略爆撃に手一杯,単発(P-38とか含む)の戦闘爆撃機は地上支援に忙しく,そういった「精密な爆撃が必要だが小さな目標なので,高空からの爆撃では効果が低い」戦略目標を効果的に破壊する手段がなかったのでそれらは見逃されていた状態で,ドイツの戦略輸送体制は毎日毎晩戦略爆撃されてるにもかかわらず健在だったが,これによってドイツは国内の物資輸送はおろか部隊の移動すら満足に出来ない状態に追いこまれる.

 更に付け加えておくと「終戦のその日まで,空襲で破壊されてもその日のうちに復旧する態勢を保ち続けた」と国鉄関係者が自慢する日本の鉄道網は,これら双発中型爆撃機が日本本土への空襲にほとんど参加できなかったために維持できたというところが大きい.

軍事板

 【質問】
 でもドイツでB17って大損害出してたのに,それでもB29を投入する考えは出てこなかったんですか?

 【回答】
 随伴戦闘機が付くようになってからは,B-17はかなり難しい相手になっている.
 それに,B-24だってランカスターだって大損害を出してるよ.
 確かに莫大な損害を出したが,それでも相手に与えたダメージのほうがでかかったからいいのだ(戦死したクルーには悲惨な話だが).

 B-17/24,ランカスターに替わる新型は待望されたが,それでも新型を泥縄式に投入して現場が混乱するよりは,大損害を出してでも現在の態勢で徹底的に集中攻撃する方が戦略としては正しいと判断され,それは実際そうだった.

 ・・・あくまでも計算上だが,戦略爆撃を断念させるには,出撃毎の被撃墜機を出撃数の30%を越えたかどうかが分水嶺と言われていた.
 イギリスの統計だと戦略爆撃機の被害は3〜7%で,この数字には程遠い.

 それでもイギリスの対独戦略爆撃作戦では,約9000機の戦略爆撃機が失われ搭乗員6万名が未帰還(戦死)している.

 アーメン.

軍事板


 【質問】
 第二次大戦末期の米軍で,空対地ロケットは実用化されてたのでしょうか?
 また,実用化されていたなら,P51ムスタングに装備されたものは何でしょうか?

 【回答】
 マスタングに搭載されていたロケット兵器としては,まずP-51Aから搭載されていたM104.5インチロケット弾があります.
 これは3本の長い発射筒を束ねて1セットとし,左右の主翼下面に各1基搭載したものです.
 弾道性能が悪く,ヨーロッパ戦線ではあまり使用されませんでしたが,アジア方面では多用されました.
 また,P-51Dの後期型から搭載され始めた5インチHVARがあります.
 ”ゼロ・レール式ロケット弾”と呼ばれたこれは発射筒を必要とせず,小さなマウント二個で固定されました.
 P-51D/Hでは両外翼下面に最大で10発搭載可能でしたが,通常は3発ずつ計6発を搭載しました.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE


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