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Anti-Aircraft Artillery Bibliography
flaktuerme.com(ベルリンのflakタワー)
Luft46(ドイツの架空機・計画機をほとんど網羅.英語)

これは,1943年3月にイタリアで空軍発足20周年を記念して刊行された同名のカラー写真集(写真左)を中心に再編集したもので,多くのカラーのイタリア&ドイツ軍機写真が掲載されています.
この前から食玩や玩具で馴染み深くなった,MC202の迷彩柄も確認出来て満足出来る一冊でした.
当時10リラだったオリジナル写真集は,昨年e-bayでベルギーの紙もの業者より出品されていましたが,始まり値段が5万円を越えていたのでビットを諦めた経緯が在り,ここでこうしてその写真が見られるとは思いませんでした.
―――よしぞう(maro') in mixi,2006年07月12日01:44
World War Aircraft Archive(米軍機,英語)
『あっと驚く飛行機の話 新しい視線で眺めるWWU』(飯山幸伸著,光人社NF文庫,2008.5)
飛行機や人物などの知られざるエピソードで綴られた航空物語.
戦略爆撃機B-17のマイナーな派生型,第二次大戦中に使われたロケットや複葉機など,様々なエピソードがあります.
〔略〕
「零戦とそっくりな戦闘機」のほか,
日本やドイツで使われた斜め銃の話(第4章)
第二次大戦中に使用された旧式機や複葉機,旅客機の話(第6〜8章)
エドガー・シュミュード(第9章)やリヒャルト・フォークト(第10章)
など,様々な話が記されており,面白く読める一冊です.
―――グンジ in mixi,2008年05月11日16:52
『異形機入門 究極の機体徹底研究』(飯山幸伸著,光人社NF文庫,2004.6)
変形機や先尾翼機,双子エンジン装備機や滑空機など,様々な異形機を纏めた一冊.
本書には日本の震電やドイツのドルニエDo335プファイル,アメリカのチャンスヴォートV-173フライングパンケーキ等のメジャーな機体から,マニアックな機体までを集めて解説しています.
〔略〕
面白い一冊です.
――――――グンジ in mixi,2008年09月15日17:52
日本におけるダグラス研究会(DC-3)
「ワレYouTube発見セリ」:1938-The American Armed Forces
「ワレYouTube発見セリ」:RAF Air Defences (大戦時の英空軍の防空)
「ワレYouTube発見セリ」:The German Luftwaffe in color
【質問】
航空機工場での工員のモチベーションを高めるための工夫には,どんなものがあったのでしょうか?
【回答】
第二次世界大戦中,グラマン社のモットーは 『皆が満足する職場なら,よい製品が出来る』 だったそうな.
で,その為に何をやったかと云うと 『会社全体が家族』 と云う,日本のどっかの町工場のような雰囲気を出す事と,仕事自体は単調なんで従業員の気分転換に気を使い,
・リクリエーション施設の設置.
・車が故障したら,従業員の為に迎えの車がやってくる.
・託児所完備.
・感謝祭には七面鳥を支給.
・ランチタイムには講師を呼んで,各種講演会を実施.
と云うことをやっていたそうな……
対する日本はというと……
・大詔奉戴日に乾燥バナナが配給されたが,中に虫が居た.
・学徒勤労報国隊の宿舎は,12畳に10人が寝るという状態.
・工廠まで,雨や雪になるとぬかるむ道を一時間余り歩いて出勤.
ここら辺が国力の差なのか…… (w`;
ベタ藤原 in mixi
【質問】
チェコが戦後,ドイツの遺した設備を使って自国軍向けに作った軍用機には,どんな種類があるですか?
Me109とMe262だけですか?
他にもありますか?
【回答】
Czechoslovakiaでは以下の機体を国内生産しています.
Fw-189
Si-204
Fi-156C
Ar-96B
Bu-181
これらを国内生産し,1944年より,Bf-109G-14とMe-262Aの他,エンジンとしてJunkers
Jumo211FとJumo004Bを生産し始めていました.
戦後はBf-109G-14とJumo211Fを組み合わせて,S-199として生産したのを始め,Me-262AはJG7のものをオーバーホールして使用したほか,余った部品で,S-92として生産しています.
このほか,Si-204D,Fi-156C,Ar-96とBu-181を戦後も生産し,使用しています.
捕獲機では,He-219,Fw-190,He-111,Bf-108,Bu-131,Ju-52
を使用していました.
『IDFマッハのエースたち』(戦車マガジン,1988/12/5)によれば,S-199はイスラエル空軍に25機売却されて実戦をみています.
1949年9月までに計6機撃墜.
もっとも,Me-109の機体にHe-111のエンジンを無理矢理載せたために,かなり扱いにくい機体だったようです.
上掲書によれば,エンジンと機体との相性が悪かったため,信頼性が低く,操縦は難しく,さらに機体銃とのタイミングが取れておらずプロペラを傷つけることが多かったそうです.
敵よりも危ないと言われていたとか.
ちょっと調べてみたら,Wikiにもっと詳しい説明があった・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Avia
Wikipedia中のS-92ってのは,チェコ製Me 262の事です.
軍事板
加筆修正部分:青文字
【関連リンク】
S-92

S-199

【質問】
WW2時のドイツ空軍機の命名基準も教えて下さい.
機名の,最初のアルファベット2文字が会社名を表すのは分かりますが,その後の数字3文字はどういう基準で付けられるの?
また,その数字の後のA‐1とかのアルファベットと数字はどういう基準で付けられるの?
【回答】
飛行機については,1933年より,ドイツ航空省承認の下で設計・製作された機体については,RLMから形式番号が割り当てられ, これに製作会社略号を付けています.
初期の頃は計画的に割り当てられ,例えば,
11〜30はDornierに,
31〜36はKlemm,
37〜60はHeinkel ,
64〜85はArado
などとなっていますので,初飛行順にならないケースがあります.
また,原型のみで開発中止になった機体の場合,同一番号を割り当てる場合があります(例.Me-163).
一端与えられた番号でも,既に空位になっている番号にふり直すこともありました.
AとかBと言った部分は,大改造型で,ハイフン以下は小改造型に割り振られます.
また,工場改造と現地改造でそれぞれ,UとかRが末尾に付く場合もあります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
Bf110→Me210→Me310(開発中止)→Me-410のように改良されると最初の桁の数字が上がっていく場合もある.
あと,開発中止になった機体の番号が,あとで復活する場合もある.
軍事板
【質問】
第2次大戦中のドイツ軍機ですが,奇抜なデザインなものが他の国の飛行機に比べて多いのはなぜですか?
B&Vの非対称機とか,リピッシュ博士のとか円盤機とか.
【回答】
持たざる国だから.
WW2ドイツは資源,数の不利を科学技術と機械製造技術で補おうとしただけ.
オーソドックスな兵器で戦えばジリ貧になるのが解っていたから,どうしても奇抜な発想に頼らざるを得ない.
その証拠に,自国より資源が乏しく軍規模が小さな国相手の頃は,ドイツも米英同様,相手と同様な装備を使っている.
これは,WW2時の米国みたいに圧倒的な国力差のある国と戦うのでなければ,戦争進行中に新兵器開発に力を入れる必要も薄くなる,ということを意味している.
ジェット戦闘機やロケット戦闘機などのオーソドックスではない兵器は,圧倒的な米英の爆撃機に対抗するための手段.
爆撃機に対する最高の対抗手段は,敵の基地にいるところを襲い地上撃破することなんだが,それができないので,ジェット機なんかの開発が必要となったわけ.
また,兵器の開発や開発援助に際して,独裁者や特定の人物の意向が,他国に比べて非常に強く働いたから.
極端な話,末期になればなるほどヒトラーが気に入ればOKが出た.
ドイツ珍機の例



(一部コラ)
【質問】
アウトバーン建設の目的は,天候に左右されず高速に物資を輸送する為と,滑走路としても使用する為ではなかったの?
【回答】
アウトバーン建設の目的はフォルクスワーゲン開発とセットで
・景気対策.年金基金の運用等で公共事業を行う.
・将来的なモータリゼーション誘発
を狙っている.
フォルクスワーゲンについては平均的な労働者にも購入可能なように,始めから90マルクで販売可能な自動車を開発させておいて,9マルク×11回のローンで販売することで自動車普及率を上げることが目的.
先に販売価格を設定しており,技術的にはどうと言うことのない製品だが,利益を軍用車調達に使う意図もあり,国防も意識した政策だった.
そもそもアウトバーンは日本語に翻訳すればそのまんま「自動車専用道路」という意味合いになります.
大戦中に爆撃を避けるため,道路脇の森やトンネルに飛行機を隠し,そのまま道路を滑走路として使用したというだけで,始めから飛行場とする意図があった訳ではありません.
ヒットラーによるアウトバーンの建設着手は1933年.(計画はワイマール政権期から)
ところが再軍備宣言に続く空軍再編制は1935年2月に発令されています.
再建を目的とする活動自体はその前からありますが,それを進めていた人々が,国策の道路事業に対して発言権を有していたという証拠はありません.
軍事板
【質問】
ドイツ空軍のパイロット革ジャンパーについて教えられたし.
【回答】
写真1は,型式が数あるLWパイロットジャンパーの中から,Fw-190エースのヨゼフ・プリラー少佐のタイプ(上二つジッパー付ポケット,下二つ蓋付ポケット)を再現してもらったオーダー品です.
実物から型取りされ,当時と同様にriri社のジンク製ジッパーやプリム社のドットボタンが使用されてる,凝った作りで,馬革製で内装にはイタリア製のブルーグレー・ウール生地が張られ,保温性もバツグンです.
春先の北イタリアの寒さの中でも効果を発揮しました.
本当はヤギ革がベストなんですが,私の体型だと遺伝子操作で巨大化したヤギでないと,背中から前身ごろまで一発で入らないので…馬革になってしまいました(´・ω・`)
何故ヤギ革が良いのかと説明しますと,ヤギと人のサイズが微妙に同じぐらいで,革の部位が人間の身体の位置と一致すると,動きや持ちが良くなるからです.
ヤギだと背骨にあたる部分が丁度,人間の背骨の位置に持って来れ,脇腹の柔らかい部分もお腹の位置になります.
こうして革ジャンは作られるのですが,痩せ型の人ならピッタリなヤギ革ですが…(´・ω・`)
後はカンガルー革とかも当時の革フライトジャンパーで使用されていた様ですね.
カンガルー革は,戦前の備蓄を利用したものでしょうか.
同じ様にスキーの竹ストックやパラシュートの絹などでも,日本から輸出された素材が備蓄が切れるまで使われていますね.
これも軽くて良さそうです.
カンガルーと羊とでは革の重さが違っていますね.
同時に密度の違いから,固さや弾力も異なりますが,羊はオールマイティーな分,やや大味な印象を受けます.
きめの細かさと肌触りの良さでは,私は断然ヤギ革でしょうか.
戦中のイタリア空挺のグローブも表革はヤギ革で,裏に防寒用の羊革を毛付で張っていて,暖かくてかつ動きやすい特徴を持っています.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000160.jpg
日本では革ものの品質維持が難しく,硬化したりカビが生えたりする事も多いので,この革ジャンも風通しの良いところで保管しています.
でも何年かに一度は,保革油を浸けてメンテする必要があります.
まあイタリアで高級靴をオーダーする気分ですが,大事に使えば一生ものなので無理してお願いしました.
しかも,普段着を買ったという事で,カミさんにもミリタリー申告なしで家のお金が使える←ココ,凄くポイント(笑
写真2/左は,この革ジャンを着たプリラー少佐.
同少佐は,ノルマンディ上陸作戦の開始時の6月6日にオマハ海岸で唯一反撃した,2機のドイツ空軍戦闘機を率いたエピソードでも有名で,映画「史上最大の作戦」でも描かれてますね.
307回出撃で総撃墜数101機も凄いのですが,スコアには4発重爆が11機も含まれ,その全ての戦果を西部戦線で挙げたというのも大したもの.
しかし,ドイツ空軍全体では105位に終わってしまうというのも…もはや何とも.
ハルトマンの352機撃墜などは,おそらく人類史上,宇宙戦争の時代になっても二度と撃ち破られる事はないでしょう…
たぶん彼自身が宇宙人だったのかと思わされます(^^;
童友社の1/100翼コレクションシリーズでこのプリラー少佐機を再現した塗装済みFw190
A-5キットが出たと知り,これは入手せねばと中身が見えないボックスの大人買いを続け,ようやく赤羽に遠征の際に1機をゲット(写真2/右).
こんなサイズでもパーソナルマークのユッタヘルツ(ユッタのハート)がちゃんと描かれていて感動…
でも後には山のようなヘルマン・グラーフ機がorz
それでもシークレットの武装強化型(キルヒマイア少尉機/JG11第II飛行隊)を含む5種が集まって満足しました(笑).
でも,またしても玩具が貯まってしまったのは何故でしょう…(^^;
写真1

写真2

写真3

よしぞう(maro'),2006年11月11日16:49
〜2006年11月17日 12:58
より再構成
【質問】
第二次大戦時の航空機の外板を見ると,結構ボコボコしてるんですけど,同じ機種でもボコボコ加減はかなりちがうのでしょうか?
また,P51Dの層流翼は全機磨いたようにツルツルなんでしょうか?
【回答】
私が勤人の当時に同じ職場の年輩の方が,戦時中に府中工場で働いてました.で,飛行機マニアでした.
私が科学博物館でゼロを見て,機体のボコボコについて聞きましたところ,工場出たてであんなもんだと言ってました.
工場ではアールのキツイとこだけ機械で,あとは手作業で女子の勤労動員が機体にジュラルミンを,リベット打ちしてたと言ってました.
その人は8月15日,平和島で米軍の水上偵察機の撃墜を目撃していて,まだあそこに沈んでると言ってましたよ.
超音速の戦闘機はさすがにツルツルだけど(突起部から衝撃波が発生する),今でも民間機は結構デコボコしてるよ.
つーかジャンボとかでもロールアウト直後からベタベタ補修パッチが貼ってある.
◆◆◆対空関連
【質問】
第二次大戦中のイタリア消防夫の制服について教えられたし.
【回答】
「UNIFORMI DEI VIGILI DEL FUOCO 1938-1945」(写真右)は,要するに第二次大戦中のイタリア消防夫の制服本ですが,ほぼパラミリタリーの軍服と変わらない事が良く判ります.
ただし写真のスキャン解像度が低いものが多く,その意味でも同人誌のような体裁でした.
サハリアーナ型熱帯服や空挺バスコ(ベレー)と同様な被服も支給されていたりするのも初めて知った訳で,これが今出て来たらコレクターが混乱する事は間違いナシ.
以前PAI(アフリカ駐留イタリア警察軍)用として入手した真鍮製ファシスト襟章も,この本では消防夫も使用している事が判明.
要するに自治警察/消防系(イタリア語ではどちらもVigile)が使っていたと言う事なのかと一人納得.
よしぞう(maro') in mixi,2006年04月17日02:57
【質問】
防空鉄球って何?
【回答】
第一次世界大戦で首都への爆撃を経験したイギリス.
その後,都市の防空と市民の避難について真剣に議論された.
その議論の中で検討された案に,巨大な鋼球を作ってその内部を避難所にするというモノがあった(笑)
頑丈な鋼球の中に逃げ込めば,爆弾が直撃しても球がゴロゴロ転がって大丈夫(!?)というアイディア(爆)
もし何かが間違っていたら,第2次大戦では空襲警報とともにロンドン市民がゾロゾロと鋼球の中に入っていく場面が見れたかもしれない・・・
普通に考えれば,丸いデカブツが町中に置いてあっても邪魔,ゴロゴロ転がって玉突きしたら危ないわ,
テムズ川とかに落っこちたらどうすんだ,ボケ.
当然,この案はイギリスで都市防空を研究していた建築家グループに,痛烈に非難されたんで結局,ボツになりましたとさ.
当たり前だ.
CRS@空挺軍 in mixi,2007年09月05日23:37
◆◆◆◆ドイツ
【質問】
ドイツの防空部隊の呼称や編成はどうだったのでしょうか?
【回答】
88mm以上の重高射砲隊は,4〜5門から編成される中隊が基本です.
1939年には650個中隊で,44年には2,655個中隊が編成されています.
20,37,50mmと言った中,軽高射砲隊は,12〜15門から編成される中隊が基本になります.
1939年には560個中隊で,44年には1,612個中隊.
そして,150cm〜200cmのサーチライトを装備した照空隊があり,これはサーチライトを16灯装備し,これで1個中隊を編成していました.
1939年には188個中隊,44年には470個中隊に増えています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
対空火焔放射器

【質問】
日本本土初空襲というとあまりに有名ですが,ww2での独本土初空襲はいつの出来事だったんですか?
【回答】
1939年9月3日から4日の夜間.
ホイットレー爆撃機6機がハンブルグ,ブレーメン,ルール地方に侵入.600万枚の宣伝ビラ6tをばらまく.
1939年9月4日の昼間.
ウェリントン爆撃機14機がブルンスビュッテル湾のドイツ艦船を攻撃.ブレニム爆撃機10機がヴィルヘルムス・ハーフェン内のドイツ艦船を爆撃.
後,フランスも9月3日からビラ散布を,ポーランドは9月5日に都市爆撃を行っています.
眠い人◆gQikaJHtf2
【質問】
この防空要塞ってどんなの?
★ベルリン防衛の防空要塞,豪華マンションに変身
[ベルリン 15日 ロイター] 第二次世界大戦中,アドルフ・ヒトラーの命で,ベルリンを空襲から守ることを目的に建設された防空要塞が,アート・ギャラリーと豪華なペントハウスに変身しつつある.
ドイツの広告会社重役クリスチャン・ボロスさん(40)は15日,ビルト紙に,この不恰好な7階建てのビルの中にあったディスコを訪れた時,この建物に惚れ込んでしまった,と語った.
建物の壁は,最大2.6メートルのコンクリートで補強されている.
「3年前のことで,すぐに購入したよ」
とボロスさん.
この要塞は,ベルリンを空襲から防衛することを目的に,ヒトラーの命令で作られ,彼自身が設計に関与している.
戦後,取り壊しが行われたが,壁があまりに厚く,失敗してしまったといういわくつき.
ボロスさんは,シェルター内部の壁を1.8メートルに整え,美術品のコレクションを収納した.
屋上に作られた450平方メートルのペントハウスはベルリンで最も豪華なマンションだ.
「ジェームズ・ボンドのようになるよ.むき出しのコンクリートとガラスがすごくかっこいいんだ」
REUTERS http://www.excite.co.jp/News/odd/00081118868513.html
【回答】
こんなの.
ドイツの高射砲塔,
Google 検索: 高射砲塔,
B&W-ADVANCED大戦略MDユニットデータトーチカ
自動装填装置付連装128mm高射砲(*゚∀゚)=3ムッハー.
それにしても,ここまですごいと,すでに遺跡と呼べるのではないだろうか.
【質問】
ドイツの88ミリ高射砲について質問です.
Flak36,Flak37と2タイプあるようですが,どのように違いがあるんですか?
【回答】
Flak36は野戦砲的.
Flak37は固定運用的.
ドイツ軍の8.8センチ対空砲には,Flak18,Flak36/37,Flak41の大きく分けて3タイプあり,Flak36/37は,18の改良型となります.
(軍事板)
Flak36は,Flak18とほぼ同じで,Spain内戦の結果,製造の単純化,簡易化を行い,砲身は3つの部分から成り,これを外装スリーブで保持される様になり,牽引用の砲車は,砲架の前後どちらにも取り付けられる複輪空気タイヤとなって,移動時,戦闘移行時の時間が短縮するように改良されています.
Flak37は,照準器と火器管制装置が改良されたもので,野戦高射砲より,防空用高射砲としての機能が向上したものです.
砲手用のダイアルは指針追随式に単純化し,精度を向上しています.
これは,戦艦の方位盤射撃の様に,中央の火器管制所から電気信号に砲側へデータが送られ,それに合わせて,仰角と見越し角を設定するものです.
また,弾道計算用の機械式アナログコンピュータが装備されました.
外観的には,砲身が二分割式に戻ったくらいです.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
128mm高射砲弾と,88mm高射砲弾では,いかほどの威力の差があるのでしょうか?
破片の数などによる比較でもかまいません.
【回答】
88mmでは,Flak18/36/37の場合は,9.24kgのHE弾で射高8,000mで初速820〜840m/sec.
同口径のFlak41の場合は,初速が1,000m/secに向上し,射高10,000mになります.
128mmの場合は,Flak40では26kgのHE弾を初速880m/sec,最大射高14,800mに達し,Flak43では28kgのHE弾を初速940m/secで発射する予定でした.
ちなみに,一ヶ月の総消費量では,128mm砲弾が102,450発に対し,88mm砲弾は3,175,400発に達しています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
128mm高射砲

【質問】
15.0 cm Gerät 50およびGerät 55について教えてください.
なんでもドイツの試作高射砲らしいのですが,自動装填がついてたりして,アメリカのウースター級に搭載されたのとおんなじくらいすごい奴だとか.
1936年に試作開始で1940年には計画放棄されていて,Gerät
50はクルップ Gerät 55はラインメタルだったらしいです.
計画値ではどれくらいの凄さだったんでしょうか?
あと途中で放棄されたのは,やっぱり技術的にムリが多すぎたからなんでしょうか?
【回答】
1960年にミュンヘンで出版された『ドイツの大砲1939〜45』から概略
15cmFLAK(Gerät50)(Prototyp Rheinmetall)
重量:22.2t 最大射高:21.000m 有効射高:15.200m
一等自営業 ◆JYO8gZHKO in 軍事板
自分が知ってる事を追加.
15cm Gerät50はラインメタルじゃなくてクルップ製です.
そのデータ,15cm Gerät55じゃないですかね?
牽引重量44トン,戦闘重量32トン,これなんて中戦車?
有効射高16300m,どう考えてもオーバースペックです,本当に(ry
自動装填装置は重力を利用したもので,砲尾に弾薬10発を収容するマガジンを装備してました.
初速は890m/秒,発射速度は毎分10発,10発目以降はこの発射速度はムリポな気がする・・・
なお実戦投入されたかどうかは不明ですが,試作砲を列車に積んだ対空列車もあったようです.
計画放棄された理由は「Flak40で十分じゃね?」らしいです.
計画だけなら15cmの
Gerät60 Gerät65F(クルップ)
Gerät65 Gerät65F(ラインメタル)
28cmの
Gerät80(クルップ)Gerät85(ラインメタル)
ってのがあったらしいです.
ドイツ人って何考えてんだろう・・・
ソースはコーエーの『ドイツ兵器名鑑・陸上編』
ソースがコーエーでは不安なんで,ネットでググれる範囲でクロスチェックかけてみましたが,概ね間違っていない様子.
ただ,重量22トンってってサイトもありました.もしかすると弾薬とかの重さをのけたやつかもしれません.
最後に砲と列車搭載砲があったサイトのアドレス貼っときます.
【質問】
WWIIのころの地上用防空レーダーは
・要所要所に複数設置する
・広範囲に,点々と設置する
のどちらが主流だったのでしょうか?
【回答】
ドイツの場合は,広範囲に点々と設置しています.
後,レーダーだけではなく,従来の聴音機,照空灯を上手く組み合わせて,ノルウェーからスイス国境に渡るカムフーバー・ラインを形成し,英国の夜間空襲に対抗しました.
ちなみに,当時のドイツ軍の遠距離操作レーダーは有効距離200km,近距離精密レーダーは60km,機上捜索レーダーが3〜4kmです.
日本の場合は,要所に設置する傾向があり,御前崎とか室戸岬など,米軍機が来るであろう地区に重点的に配備されています.
英国の場合は,戦前からレーダー基地を設置していっています.
これを,ChainHomeと呼び,1940年の段階で,ブリテン島南部から東部に掛けて,長距離対空捜索レーダーが26基で,探知距離はドイツと同じく,200km程度.
これに低空目標捜索レーダー(探知距離80km程度)が加わり,補完します.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
◆◆◆その他の機材
【質問】
↓水平リングは何ですか?
http://www.warbirdphotographs.com/LCBW4/BV138-11.jpg

http://www.warbirdphotographs.com/LCBW/Ju52-3m-10s.jpg

【回答】
パイロットは染之助……ではなく,機雷探査装置.
あのリングで強い磁場を作りながら(要するに電磁石),機雷のありそうな海の上を飛ぶと,その磁力に反応するタイプの機雷が
「強い磁場を検知=上に大きな鉄の塊がある=船がいる」
と勘違いし,機雷が爆発する.
でも,上にいるのは実は飛行機なので影響を受けない というもの.
ちなみに模型にもなっていたりする.
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/5072/hikoki7/ju52/ju52.html
売れたんだろーか,これ.
【質問】
第二次大戦中,輸送グライダーが多用された主な理由は何ですか?
【回答】
重要な戦略物資を使用する必要が無く,動力系が無いので,かなり簡単に作れ,しかも安く,数を揃えやすい.
また,輸送機1機で数機を曳航できるので,輸送効率が良い.
反面,降着にある程度の広さを要すること,また回収が困難で再使用が難しいことから,Helicopterが実用化されると廃れていってます.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
日米に比べ英国の空母艦載機は「駄っ作機ばかり」(C)岡部ださく)なイメージがあるのですが,これは何故ですか?
【回答】
とりあえずイギリスの空母艦載機が駄作ばかりなのは,発注者であるイギリス海軍自身が「何を作っていいかわからな」かったから.
空母を発明したのはイギリス人だけど,主敵であったドイツ海軍はイギリス海軍に激しく見劣りしてた上,空母を持っていなかったので,空母が活躍する状況が発生せず,空母の運用が進歩しなかった.
結果,空母をどういう用途にどのように使えばいいかということが明確になってなかったので,要求仕様が定まらず中途半端な機体ばっかりが生まれた.
また,イギリス空母はどれも,装甲防御と荒天時の安定性(北大西洋は海が荒れる事が多い)を重視しすぎて排水量の割に搭載機数が少なく,「数が乗せなれない分を多用途性で補う」という方向性に走ったので,結果「何にでも使えるがどれも中途半端にしかできない」という「戦闘偵察爆撃攻撃機」ばかり開発される羽目に.
イギリスの空母が重装甲なのは,とりあえず空母が大きさの割に脆弱なのだけは解っていたから.
何に使うかはともかく,攻撃されて真っ先に沈んでは困るので,とりあえずすぐ沈められないようにだけは気を払った.
さらに,航空用大馬力エンジンの開発に手間取ったのも大きい.
WW2初期のレベルのエンジンでバトルやフルマーみたいな機を作ったら,別にえげれす機じゃなくても駄作になるだろう.
しかし,イギリスの空母は
「ともかく一番脅威なのは潜水艦だ」
ということになって,対潜哨戒とドイツの通商破壊戦術への対抗馬としてそれなりには役に立った.
駄作ぞろいと言われる艦載機も皆それなりには活躍している.
フルマーはともかくファイァフラィは索敵・対艦攻撃・対潜哨戒と多用途に活用され,シーファイアやシーフュリーが採用されたあとも朝鮮戦争終了まで現役だった.
パイロットの評価も高いし,どちらかといえば「傑作」に分類されてる(イギリス人以外にもね).
それに,イギリスの場合は相手が相手なので,別にあれでもよかった気がする.
アメリカと日本の艦載機の発達ぶりのほうが,相対的に見ると異常な気がしないでもない.
「ソードフィッシュ」雷撃機

【質問】
WW2の航空機で潜水中の潜水艦を攻撃出来たんでしょうか?
【回答】
潜望鏡深度くらいまでだと,ロケット弾攻撃で外殻に穴をあけ沈める事が可能です.
それより深いと,探知が困難になります.
日本の「東海」はこの点でけっこう先進的で,潜航中の潜水艦を磁気探知機で精密測定し(逆に言えば探知範囲が狭い)爆雷攻撃を行う事が可能でした.
(少なくとも「丸」なんかの手記だと上手く沈めたように書いていた)
しかし当時においては,潜水艦は所詮可潜艦で,昼間天候がよくて潜航深度が比較的浅い場合,空からでも水中を航行する艦影を確認することができました.
そこでASWとしては,浮上航行中やシュノーケル航行中をレーダーで探知し攻撃するのが主流でした.
Uボートなんかでは水上航行中に敵機を発見,あわてて潜航したけど上記のような形で位置がモロバレになり爆雷攻撃で撃沈された艦もけっこう多かったようです.
この点で日本は,米英に大きく能力で劣っていました.
軍事板
【質問】
ブローム&フォスの,左右が対称ではない偵察機について教えてください.
【回答】
ブロームウントフォス BV-141 (Blohm und
Voss BV-141) という名前の飛行機で,リヒャルト・フォークト博士によって設計され,1938年に初飛行しました.
左右非対称なのは,周りがよく見えるようにしたためです.
安定性や操縦性に大きな問題はありませんでしたが,空軍省の要求はエンジン1つの機体だったこと,エンジンにオーバー・ヒートが頻発したこと,油圧系統の不具合などの理由により,20機程度しか生産されませんでした.

【質問】
大戦直前当時と現在とでは航空機の更新ペースが違うわけで.メーカーも多数あり,雷撃機なんかはやたらと新型が出てたわけですが,戦闘機はともかく,当時は輸送機などの後方機種はそんなに更新頻度高かったっけ?
【回答】
輸送機はそんなに高くないだろ.
それどころか,お古の爆撃機を輸送機に流用した例が結構あったような.
Ju52/3mが1932年初飛行
⇒終戦まで主力
DC-3 1935年12月初飛行
⇒DC-4 1942年初飛行
カリーニンK-5 1929年初飛行
⇒ダコタスキー 1940年ライセンス取得
英国なんか駄作爆撃機を流用したパターンばかりで,そのせいで英国が一番,輸送機の機種更新頻度が高いみたいだね.
ちなみにJu52/3mは,戦後もフランスやスペインで生産されて使われたよね.
【質問】
DC-3はなんで日本を始め各国航空部隊がこぞって採用したんですか?
Ju-52のほうがずっとカッコイイ(偏見)のに.
【回答】
DC-3は当時としてはワイドボディで荷物がたくさん積め,大型プレス機さえ導入すれば量産しやすかったから.
また,Ju-52はDC-3に比べて
*速度が遅い(Ju-52:最大265km DC-3:最大345km)
*航続距離が短い(Ju-52:約870km DC-3:約2400km)
*エンジンが3発なので整備がその分面倒
*鋼管波板外皮構造の為に大きな開口部が儲けられず,荷物の積み下ろしが面倒
と,輸送機としての能力で大きく劣ってた.
軍事板
青文字:加筆部分
DC-3

【珍説】
〔DC-3は〕第二次世界大戦の前から,民間旅客機として使われていて,技術的に完熟していた.
〔略〕
DC-3は,第二次世界大戦前から,民間旅客機のベストセラーとなっていました.
ということは,技術的な問題があらかた出尽くして,解決していました.
【事実】
日本やソ連が生産に着手したころは,ほぼ最新鋭機.
カスミンは戦後,余剰機が大量放出されたのや,それらの貨物型改造旅客機が各国の民間航空で使用されたときの話と,戦前戦中の事情とを混同しとる.
文春文庫〔原文ママ〕に『テストパイロット』って本があって,80年代の米海軍テストパイロットスクールの模様が活写してある.
そこでは生徒が,学校保有のC-47を「新型機」として飛行試験をして評価しなければならないのだが,C-47は飛行の安定性操縦性に多くの問題を抱えており,一部は簡単な改修で相当程度改善されるのに放置されている,等々の指摘をしないとリポートに合格点は与えられない,とか書いてあるのよ.
つまり,C-47は技術的に完成されたりなんかしてないのよね.
DC-3/C-47系の欠陥についてはダグラスも十分承知していて,民間型ではスーパーDC-3,軍用ではR4D-2としてリリースしてる.
しかし,価格が篦棒(放出C-47系との比較)だったので,ごく少数の生産に留まった.
付記.
C-47は現在の安全基準を当て嵌めると欠陥だらけで,上述のリポートでは「不採用」を勧告しなければいけないそうだ
.
DC3@ギリシャ空軍オリジナル

DC3@モーリタニア空軍

DC3@南アフリカ空軍ターボプロップ化

【珍説】
FAQに,霞ヶ浦の住人の書き込みを【珍説】として載せてあります.
抗議の技術的なやり方を,霞ヶ浦の住人は知りません.
どちらが【珍説】かは,この板を読む方の判断に任せます.
DC-3の初飛行は,1935年です.
日本の中島飛行機が零式輸送機の名でライセンス生産を始めたのは,1940年です.
ソ連がLi-2の名でライセンス生産を始めたのは,1942年です.
下記,ウィキペディアの中島飛行機の代表的な航空機の日本海軍向けの輸送機を参照ください.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E6%A9%9F
下記,ウィキペディアのDC-3の沿革の第二次世界大戦のソ連のDC-3を参照ください.
http://ja.wikipedia.org/wiki/DC-3
【事実】
DC-3の就役は36年7月11日
ソビエトは36年7月15日にライセンスを取得(ちなみにライセンス料はタダ)
日本は翌年37年にライセンスを取得.
これより,「日本やソ連が生産に着手した(36〜37年)ころは,ほぼ最新鋭機」との見解は正しいと思います.
就役から1年も経っていない機体ですから.
以下ソース
http://en.wikipedia.org/wiki/Douglas_DC-3
http://en.wikipedia.org/wiki/Lisunov_Li-2
ただし,実際に生産ラインを稼動させたのは1939年からです.
ここを生産着手と置くなら,たしかに最新鋭機かどうかは微妙な線であり,これに異論を唱えのはアリでしょう.(ただ,ここは回答における重要な部分ではないと思います)
〔略〕
あと,ソ連はDC-3のコピーを1939年から生産していました.PS-84の名前で.
Li-2の名前を使い始めたのが,1942年からというだけです.
「ソ連がLi-2の名でライセンス生産を始めたのは,1942年です」
などと,ミスリードを誘う文章はあまり褒められる事ではないですね.
〔昭和飛行機工業が〕9万ドル払って,〔DC-3の〕製造権を買ったのは1938年2月28日だが,届いた5機全部を 完成させられたのは1941年5月になってから.
この間に
航空用ガソリン製造設備,製造権の禁輸(1939年12月),
日米通商航海条約失効(1940年1月),
航空機用燃料の全面禁輸(8月)
くず鉄の全面禁輸(9月)
航空機潤滑油製造装置等の輸出許可制(12月),
銅,亜鉛,ニッケルの禁輸(1941年1月),
ラジウム,ウラニウムの禁輸(2月),
在米資産凍結(7月),
石油の全面禁輸(8月)
と続く.
一般に零式輸送機と呼ばれる飛行機は,輸入機のL2D1と,国産エンジンに換装したL2D2以降とに分けられる.
輸入したL2D1の1号機が完成したのが1939年9月であっても,金星エンジン装備型のL2D2が完成したのは1941年7月.
制式採用は1941年12月で,当初D二号輸送機11型と呼ばれていた.
零式輸送機22型ことL2D3は1943年5月に制式採用されたが,開発当初はD二号輸送機改と呼ばれていた.
零式輸送機11型に改称されたのは1943年であり,実機が完成した年度〔皇紀〕と関係ないのだ,実は(笑)
ふみ in 軍事板
(FAQ BBSに転載)
正式採用なら1941年だから,本来なら1式.
しかし1式陸攻の援護機バージョンが30機も作られており,使い物にならなかったこれらを改修した1式陸上輸送機が既に存在していた.
1943年に改称した理由は不明だが,皇紀をつけない,と海軍が決定した後なので,1式陸上輸送機とかぶらないようにしたか,欺瞞をはかったのでは?
軍事板
(FAQ BBSに転載)
【質問】
Me-321は何のために開発されたのか?
【回答】
英国本土侵攻作戦用の重火器,車輌運搬用に開発されたもので,空挺部隊用では残念ながらありません.
1940年11月に計画され,20人の技術者がかかり切りで3ヶ月半掛けて開発したものです.
でもって,丁度アフリカ戦線への物資補給に必要となったので,余剰品のフランス空軍の軽爆撃機
BlochM.B.174のナセルをほぼそのまま流用し,エンジンもフランス製のものとして,SNCASOで生産されたこの動力部を取り付けたのが,Me-323です.
ちなみに,最終生産型Me-323Eシリーズから,開発はツェペリンが担当し,計画機としては,Jumo211Rを6発装備したZMe-323F,それを原型として更に巨大化した輸送機ZSO528と言うのを,SNCAOとツェペリンとの間で開発していたようです.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【関連動画】
「ワレYouTube発見セリ」:Messerschmitt Me 321 glider
「ワレYouTube発見セリ」:Heinkel He 111Z
Me-321牽引用のHe-111Z

Me-323

【質問】
ドイツは,マルタとかスターリングラードで大量に輸送機を失っていますが,彼らにとって輸送機は,そんなに簡単に補充の効く存在だったんでしょうか?
【回答】
いいえ.
ルフトヴァッフェは,スターリングラードへの空輸作戦のために,集められるあらゆる輸送機をかき集め,その総数は850機に達しました.
不足する機体やパイロットを補うために,訓練学校から人員・機材を引き抜くことまで行っています.
しかし,厳しい寒さや悪天候,未整備の滑走路やソ連側の対空砲火などに阻まれて損耗は激しくなり,1943年2月の第6軍の降伏までに488機が失われてしまいました.
この損失を埋める生産をドイツでは終戦までついに行うことが出来ず,さらに教官や生徒を失ったことで,輸送機乗員の養成が滞ることになってしまいました.
(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
【質問】
もし太平洋戦争時にヘリが生まれていたら,一体どうなっていましたか?
【回答】
ヘリが生まれたのは戦争中です.
アメリカのシコルスキーによる実験,ドイツのドラケン,コリブリなど.
仮にもしごく初期に生まれたとしても大勢に影響はないでしょう.
初期のヘリはエンジンの出力不足が原因で,現在のような大々的な使用には至っていませんから.
せいぜい砲兵観測,哨戒任務,傷病者輸送,限定された兵員輸送に細々と使われたぐらいで終わったでしょう.
最悪のケースだと珍しいオモチャぐらいの扱いで終わる可能性もあり得ます.
現代レベルかそれに近いヘリを製造できる工業基盤が例えばドイツなりにあったとしたら,歴史は我々が知るものとは別物であったでしょう.
ヘリというメカニズムを実現する技術力や工業力は,それ専用のものではなく,いろいろと応用ができる者ですから.
まあ数百年前から世界史を大改変しなければ,そういった状況は発生し得ませんので,歴史が変わるのは当たり前なんですが.
軍事板
【質問】
とあるドイツ語のルフトヴァッヘのサイトに,「Heliofly」なるタケコプターもどきの図版や写真があったのだけど,どこまで本気だったのでしょうか?
【回答】
Paul Baumgartlと言うオーストリア人が開発したものです.最初は自費開発でしたが,後にドイツ政府が後ろ盾になって資金を提供しています.
彼が開発した最初の機体は,民間用Autogyro
GliderのHelioflyIでした.
次いで,1941年に折りたたんで持ち運びの出来るワンマンヘリ,HelioflyIII-57を製作します.
最初の機体は,1枚羽根ローターの反転式二枚となり,それぞれのローターを8馬力のArgus
As82サイクル空冷エンジンで駆動したもので,ローターとエンジンで釣り合いを取っていました.
折り畳めば1人で運搬出来たものでした.(空荷重量は35kgほどなので)
計算上,最大速度80km/h,垂直上昇速度146m/minでした.
しかし,エンジンが入手難でした.
そこで1943年に製作されたのが,HelioflyIII-57の改良型,HelioflyIII-59で,エンジンは16馬力1基となり,
ピッチコントロールが取り付けられ,離陸重量が120kgに軽量化,これで浮揚することが可能となります.
ワンマン・へりはもう一種類,Nagler-RolzのNR.55があります.
Bruno Naglerもオーストリア人で,1929年にRaoul
Hafnerと共に英国でヘリコプター開発を行っており,帰国後,Franz
Rolzと共に自らの設計事務所を開きます.
こちらにも,ドイツ政府から援助が行われ,1940年に最初の機体が開発されます.
NR.55と名付けられた機体は,40馬力のエンジンで二重反転プロペラを回し,その力で1枚羽根ローターを回すものでしたが,室内では問題なかったものの,外での浮揚には失敗しました.
そこで,1941年に駆動系を見直して軽量化を行ったNR.54V1が造られます.
これは24馬力エンジンで7.92mのローターを回すもので,空荷重量80kgで,理論上88km/hの速度が出るはずでした.
但し,燃料系統に問題があり,1941年により小型,軽量化したNR.54V2ですが,1枚羽根ローターを二重反転式に取付け,それぞれを8馬力エンジンで駆動し,トルクをなくすために小さなプロペラを取り付けると言うものです.パイロットは2つのレバーで操作を行いました.
この機体は4機が造られますが,不明な理由で量産には至っていません.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
映画「JAWS」(TV放送吹替え)で登場人物の一人が大戦中,巡洋艦インデアナポリスに乗り組み,沈没後漂流,鮫の攻撃から生き延びた体験を話すシーンがあるのですが,そのとき軍のヘリコプターに救助されたという科白がありました.
当時,米軍では救難へりを実働していたのですか?
【回答】
1942年に初飛行したシコルスキーVS-316Aを,米海軍はHNSの名で採用している.
米陸軍,英海軍も別名で採用.
1944年から実際の救難などに使用している.
軍事板
◆◆◆メカニズム
【質問】
現在の技術でレシプロ戦闘機を作った場合,第2次大戦時の戦闘機の性能を上回れるものは作れるのでしょうか?
(ノリとしては二式大艇→US−1みたいな)
「音速の壁」がある以上は,WW2後期のレシプロ戦闘機(FF6や疾風)は完成形のように思えるのですが.
【回答】
当時のレシプロ戦闘機は水平飛行では音速の壁には達していません.700km/hを少し超えたくらいです.
今の技術で作れば800km/h程度は出せます.
また,パワーウエイトも高くできるので加速もよくなりますし,スラットやフラップによる旋回性能の向上も行われています.
最新の技術を投入すれば,当時の戦闘機を圧倒することでしょう.
加藤寛一郎が『ゼロの伝説』というタイトルで,現代技術の粋を使って零戦を作ったらどうなる?という本を書いてます.
主題は自主開発国産の問題の本なのですが(笑)
一読されては如何かと.
軍事板
【質問】
WW2の頃,モスキート爆撃機以外に木製飛行機って作られてたんですか?
【回答】
ドイツなら,He‐219「ウーフー」にコンペで負けたTa-154「モスキート」夜間戦闘機とか,He-162「ザラマンダー」国民戦闘機.Ba349ナッター使い捨て戦闘機,V1など.
どちらも機体の一部に木材(合板)を使用という形ですが.
イタリアにはAmbrosiniSAI107/207/403という一連の木製戦闘機があり,戦後も,その原型になったSAI7から発展した尾輪式ジェット戦闘機を作って,最終型では超音速を狙っていました.
フランスは,BlochがMB700という機体を試作し,Caudronが木製レーサーから発展したC.714を製作しています.
これは,イタリア製エンジンを積んでRenaultが生産するC.R.760〜780に発展する予定でした.
C.714は90機製作されたうち,50機がFinlandに輸出されますが,44機が途中で喪われています.
残った機体は,対独戦で亡命Poland軍部隊GCI/45で用いられ,Bf-109を3機,Do-17を1機撃墜し,損害ゼロという記録を持っています.
アメリカでも名前は失念しましたが,金属の不足に備えて試作したけど,結局杞憂だったことがわかって採用されなかった木製戦闘機があります.
ソ連では,大戦中に量産された単座戦闘機はみな全木製か,主翼のみ金属製でした.LaGG3,La5など.
全金属製になるのはYaK-9D以降.
日本では,立川が中島四式戦闘機「疾風」を木製化したキ106を試作して,王子製紙と呉羽紡績に製作する予定でしたが,強度不足で思い切った旋回が出来ず,増加試作か訓練用に留めています.
この機体は,黒江少佐が最後に乗った機体でした.
九九式艦上爆撃機を木製化する計画もあり,「明星」という名前まで与えられましたが,計画は失敗して,「明星」は練習機として用いられました.
他にキ−115「剣」特攻機というのがありますが,これは車輪は離陸後に切り離して再使用など,語るだけで悲しくなってくる代物.
日本以外の国は長年蓄積した木製機の製造技術を継承,戦力化できたのに,日本はさっさと捨ててしまっていたのが,木製機計画上の致命傷となりました.
また,木金混合構造or主翼面のみ木製(秋水,シュトルヒなど),計画のみ(蒼空輸送飛行艇など),などをふくめると,膨大な数になります.
他には,例えばフィンランドはF2Aバッファローを木製化してライセンス生産していたはずです.
あと,グライダーは,どこの国も木製構造のものが多かったです.
戦後ならChance VoughtのF6Uの構造部材にメタライトというのを使っています.
これは,アルミニウムでバルサ材をサンドイッチしたもので,F4Uから用いられていました.
戦後の80年代,フィリピン空軍のF-8は腐食したマグネシウム合金の外板をベニア板に置き換え飛行していた,という例もあります.
要するに,一言で言うと木製機は腐るほどあったのです
(ちなみに実際に機体の一部が腐って問題になったこともありました)
眠い人◆gQikaJHtf2(青文字)他 in 軍事板
【質問】
第二次大戦中の戦闘機や爆撃機などで空中で脱出する場合は,自分で機から飛び降りていたのでしょうか?
それとも今のように座席が飛んで脱出していたんでしょうか?
【回答】
基本的に自力で脱出する.
大戦機で射出座席を装備したのはドイツの夜間戦闘機He219ウーフーなど少数.
大型の爆撃機ならスカイダイビングみたいに機乗口から飛び降りればいいだけの話.
伝説的な駄作機のポールトン=ボール・デファイアントなんかは,後部銃座の射手は背面飛行状態で銃座の天井をはずさないと脱出できない構造だったりしたが.
戦闘機のようなものは,背面飛行のような形にもっていったりして,自分で操縦席から飛び降りていた.
しかしその際には尾翼に当たる危険があって,ドイツ空軍の撃墜王マルセイユ大尉なんかもそれで落命してる.
また,きりもみ状態だと,見当識の喪失や,回転によって生じるGにより,脱出できない状態になることもしばしばだった.
さらには衣服がコックピット内の部品にひっかかったり,パラシュートを早く開きすぎて機体にからまりもろともに墜落なんてこともあった.
こういう問題を解消して安全に脱出するため,エジェクションシートが開発された.
軍事板
【質問】
今の軽飛行機のパイロットって,WW2のレシプロ機を飛ばせっていわれたら飛ばせるんでしょうか?
着陸が非常に難しそうな気がするんですが.
【回答】
着陸どころか離陸も難しいでしょう.
前が見えないし,横風が強いと尾輪式は回されます.
着陸は主車輪を付けてから機速を落として尾部を落とせばなんとかなるでしょうが,上を向くと滑走中に前が見えなくなるのですから,結構違和感があるでしょうね.
なお,上記の理由で,個人向けの軽飛行機からは尾輪式がほとんど絶滅しました.
事故を起こして怪我をされると「欠陥機」として多額の賠償金をとられるからです.
大戦機どころか,現代の尾輪式の軽飛行機だって簡単には飛ばせません.(危険過ぎる)
トライシクルギア(ギアのレイアウトが三輪車式)の機体しか飛ばしたことのない人間には,誰もテールドラッガー(尾輪式)の機体を貸してはくれません.
借りようとすると,その前に教官付きでかなり練習させられます.
過去には尾輪式の経験の少ないパイロットによる相当数の事故がありました.
離着陸にはかなりの緊張を強いられ,機体によっては着陸時に主輪を着地させてから機速を落として尾部を降ろすという一般的なやり方をすると,凶悪な挙動をする物もあり,そのような機体の場合は3輪を同時に着地させる(3点着陸)というようなテクを使う必要もあったり,機体デザインが悪く重心が前過ぎる物だと尾部が着いた後でさえもブレーキを早めにかけるとつんのめることもあり,とにかく大変.
そんな時,軽飛行機ではセスナ社が最初にトライシクルギア機を発売し,あまりの離着陸のお気楽さに爆発的に売れました.
おかげでセスナは軽飛行機の代名詞にまでなりました.(記憶が正しければね)
少し補足.
上記回答にあるとおり,テイルドラッガー(尾輪式)は空中では大して変わらないのですが,離着陸時の飛行特性が難しいのと,地上でのとりまわしの難しさから,前輪式しか乗ったことが無い人が飛ぶことは出来ません(これは水上機も同じ).
逆にいえば,アメリカの場合ですが,軽飛行機の自家用機パイロットでも尾輪式の飛行機の訓練をうけて,エンドースメント(サイン)を貰っていれば飛べます.
「Tailwheel Training」とか「 Tailwheel
Transition」等のキーワードで適当に検索したら,その訓練について出てきます.
だいたい7〜20時間くらいの訓練で,時間だけをみると水上機への移行訓練と同じくらいの時間なので,難しさは同じくらいかと思いますが,水上機と違ってレーティング(車の免許でいう限定解除)はつきません.
適当に検索した結果,
http://www.richstowell.com/dragger.htm
によると,
--------一部引用---------
What are some of the common problems pilots have transitioning to taildraggers?
The biggest problem can be summed up in three words: rudder, rudder, rudder. Too many pilots have grown accustomed to being reactive with their rudder inputs--waiting for the airplane to do something, then responding--or worse, actually bracing their legs against the rudder pedals, especially during landing. The key in a taildragger is to be proactive with the rudder. To be light, loose, but active on the rudder pedals all the way through the takeoff and all the way through the landing.
--------ここまで---------
セスナなどの前輪機になれたパイロットにとって,ラダーの操作を前もってやることが一番難しいみたいですね.
すいません,乗ったこと無いので実際のところは分からんです.
アクロバット飛行の練習をする時には必要になるみたいですが.
それと尾輪式の一番の問題は,グラウンドループによる地上での事故が多発したことです.
こちらの解説が参考になるかと.
http://ksa.axisz.jp/RC56-94sikiEG.htm
これらの問題を前輪式にする事で,離着陸が安易に,というか安全になりました.
そこらへんの説明は,1944年にかかれて以来飛行機操縦のバイブルといわれる『スティック アンド ラダー』という本にも一章を割いて説明していますのでより詳しくはそちらを参照してください.
なお,日本においてセスナを尾輪式(テールドラッガー)前輪式(トライサイクル)に改造した話が,このページの後半に載っています.
http://ksa.axisz.jp/a5301.htm
Fabius (KT) in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
【質問】
第2次世界大戦のころの戦闘機って,なぜ後輪が小さくって頭が上向きなのでしょうか?
最近の戦闘機はそんなことないですよね?
【回答】
大馬力の空冷星形発動機では前輪式はレイアウト的に難しいのです.
尾輪式の方が合理的なんですよ.
重心に関してはなんとでもなります.
(大戦中の単発戦闘機ではP-39以外にMe309(試作のみ)も前輪式ですが,うまくまとめてますよ)
たとえばセスナのような機体は,高さの低い水平対向エンジンで,その後方に大きなキャビンがあるので,機首下面に前車輪の収納スペースを設けても,そう不連続なラインにはならないんです.
しかしWW2の単発戦闘機ではそうはいきません.
空気抵抗低減の為,胴体の幅も高さも先端のエンジンの断面積に合わせてギリギリまで削るのが常ですから,
特に星形空冷エンジンの戦闘機ではスペースの余地がありません.
構造重量も尾輪式の方が軽く済むし,空力を優先する戦闘機で機首に余計なスペースを設置するのはやはり無理があります.
前輪式のメリットも捨てがたいですけどシミーの問題もあるし,手慣れた尾輪式で十分ってところでしょう.
速度が上がれば機体は地面と水平になります,これは尾輪式も前車輪式も同じです.
(ちなみにペラの先端と地面のクリアランスは(水平状態で)当時の単発戦闘機では30cm程度がだいたい標準です)
一方ジェット機で尾輪式は,排気が地面を叩くのでよろしくないのです.
アスファルトの滑走路なら滑走路が溶けます^^;
それと,やはり重さでしょう.
第二次大戦機の降着装置は,時速百数十キロで走行可能で,10メーター近い高さから落としても壊れない上,折り畳み可能に作らなければならないので,めちゃくちゃ重くなります.
首輪・尾輪は主車輪にくらべて負荷が少ないとはいえ,長くて丈夫で折り畳み可能な首輪は,構造が簡単で短い尾輪に比べてどうしても重くなります.
大戦中の大型機や大戦末期の単発機に前輪式が増えてくるのは,地上での視界に加えて,離陸時の加速性能の問題があるからでしょう.
尾輪式ですと離陸開始時に主翼が斜めなため,尾輪があがって主翼がほぼ水平になるまでの主翼の空気抵抗が,前輪式に比べて相当大きくなります.
加速に時間がかかれば,当然離陸性能,離陸距離が悪化します.
そこで,パワーがあるので,前輪の重さはそれほど気にならないが,離陸滑走距離がのびるのはいやだなという,B29やダグラス・インベーダー,あるいは加速性に問題のある初期のジェット機などが,前輪式を採用したのでしょう.
◆◆◆◆エンジン
【質問】
無学なのでたーぼとすーぱーちゃーじゃーのちがいがわかりません.
おちえてくだちゃい.
【回答】
どっちも高空の薄い空気を圧縮してエンジンに供給する機構の事です(だから過給器ともいう)
空気を圧縮するのにはタービンをブン回して,その勢いで空気を圧縮するのですが,そのタービンを動かす動力源の違いが,ターボとスーパーチャージャーの違いです(すげぇ大ざっぱですが・・・・・)
ターボがエンジンの排気ガスの排出圧を利用しているのに対し,スーパーチャージャーはエンジンから少し動力をもらってタービンを回しているのです
(だから出力が機械式は減少する.出力を大体10%くらい喰うらしいですよ.(形式にもよるが))
ターボは燃費は一気に悪くなるけど,出力ロスもない理想的なWW2の航空技術の核ともいえるハイテクです.
だったらなんで全部ターボにしなかったかというと
◎でかくて重い(例P−47)
◎燃費が一気に悪くなる(例やっぱりP−47)
◎排気ガスの高温,高圧に耐えられる材料を作るのが難しい
(まともに作れたのはアメリカだけ,ドイツはとっくにジェットに移行)
というわけで,他の国はあんまり成功しなかったので,最後まで機械式の過給器を使ってました.
あと日本の酸素噴射ですが,実験で上手くいったのに「被弾したときに爆発する」という意見が出て正式採用を見送った,と聞いたことがあります.
特攻専用兵器はあれほど作ったのに,そんなことぐらいで中止するとは・・・(´д`)
酸素噴射は,陸軍審査部のテストでは「効果あり」ですが,エンジンにすぐにガタが来るので「長く使ってはいけない」だそうですので,エンジン寿命(これは水メタ噴射もですが)の関係もあったのかもしれません.
(質的低下でただでさえエンジンの耐久性下がってますから)
【質問】
ロールスロイス・マーリンとパッカード・マーリンってエンジンの特性とかに差はありますか?
全く同じという訳にはいかなかったと思うのですが・・・
【回答】
図面を引き直し,地道に出力向上を行っています.
最初に生産したMerlin24/25/66の各シリーズは,Merlin224/225/266としてそのまま生産されていますが,Merlin68は,英国製の60シリーズが離昇出力が1,315hpであるのに対し,1,400hpに,Merlin69では更に出力が向上して1,490hpになっています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
質問です.
自重 馬力 速度
P‐51D 3,230 1,695 703
F8F. 3,210 2,100 678
疾風 2,698 1,800 624
Bf109G 2,670 1,800 621
P-51より軽くてエンジン馬力のある機体が,どうしてP-51より遅いのでしょうか?
【回答】
理論上最高速度は
【出力(馬力)の3乗】÷(【機体前方投影面積】×【空気抵抗係数】×【大気密度】)
に比例する.
一般的に空冷機は液冷機より前方投影面積,空気抵抗係数共に悪く(大きく),また,設計年次の新しい機種の方が空力理論の進歩により空気抵抗係数は小さい傾向がある.
大柄な機種が小柄な機種より前方投影面積が大きいのは当然(大馬力エンジンを積み易いのと相反するが).
大気密度は高度が高いほど小さいが,それに伴いエンジン出力も悪化する.
出力悪化は過給機によって補う事が可能だが,過給機の性能・特性により,どれくらいの高度で最高速に達するかは機種によって異なる.
最高速時の出力は,スペック上の最大出力とは異なるので,最大出力のみから最高速を類推する事はあまり意味が無い.
なお,機体の空気抵抗は空冷・液冷だけでなく,翼断面や表面仕上げにも大きく左右される.後流抵抗や排気による導風とかも.
エンジン性能はベンチテストで出したスペックで実際に航空機に搭載した状態で出せていない場合がある.
機体に搭載した状態での吸気・冷却等がカタログを作った時より条件が悪かったり,製品や燃料の品質が下がっている(日本・ドイツにありがち)とか.
疾風は機体を軽量化するため,脚を短くして小径のプロペラを選んでいるが,F8Fは引き込み脚を2段式にして長い脚を実現している,と言った感じでプロペラの選択も異なる.
プロペラそのものの性能も異なる.
例えば日本は戦前のライセンス品からあまり進歩しなかったし,ドイツは軽合金の節約のため,効率悪化は覚悟の上で木製のブレードを使用している.
また,高高度性能が高い機体は,空気の薄い高空でゆっくり加速していく方法でカタログの最高速度をやたら高くできる.
逆に過給機の性能に難のあった日本機・ドイツ機は,高高度まで上がらずに速度測定を行っている場合がある.
ふた昔前くらいに言われていた話だと,カタログを作る時に武装や無線機を外して,特に調子の良いエンジン・高質燃料を用い,工場の職人が丁寧に表面仕上げをした試作機を飛ばしているなんて話があって,あまり当てに出来ないなんて説もある.
【質問】
WW2でイタリアの空冷航空機用エンジンが故障がちで低出力だったのはなぜですか?
【回答】
1930年代初期のFiat A.1エンジンは,後にソ連のT34戦車のV2エンジンに,一部の機構がそっくりそのまま移植されたんですけどね.
まず,イタリア戦闘機のDoctrineとしては,格闘戦を重視していました.
なので,格闘性能を引き出すには軽量の戦闘機が必要となり,軽量小型のエンジンが必要でした.
大重量,大馬力のエンジンは必要なかった.
また,イタリアのエンジンの殆どは,英国のJupiterか,フランスのGnome-Rhoneが基になっています.
お手本になったエンジンは余り出力が出ないモノでしたので,勢い,イタリアのエンジンは馬力が出ないものになっています.
これが,米国のP&WとかWrightとかの技術を導入したのなら,少しは発展したのかもしれませんが.
後,戦時中のものは日本も同じですが,工作精度が低く,故障がちになっていますね.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
イタリアって,なんで空冷18気筒の大馬力エンジンをものに出来なかったのですか?
せめて誉11型レベル程度の出力は,排気量から逝っても優位なんだし,なんとかなりそうに見えるのですが.
【回答】
Alfa Romeoの場合は,Bristol Pegasus/Mercuryがその原点で,FiatはGnome-Rhone14,P&Wがその原点で,とりわけ,Gnome-Rhoneの影響が大でした.
Piaggioは,両社折衷で,Bristol Jupiter/Mercury,Gnome-Rhoneの影響,とりわけ,Bristol
系の影響が大でした.
この様に,上記各社は技術提携してLicense生産を行った後,自力更生でエンジンの開発を進めていますが,Bristol系にしてもGnome-Rhoneにしても,提携した当時に各社が手本にしたのは,小出力エンジンでした.
これからステップ・アップするには,非常な努力を必要とします.
また,使用ガソリンについても,誉は92オクタンのガソリンを想定していましたが,当時のイタリアのエンジンは87オクタンのガソリンを想定せざるを得ませんでした.
オクタン価の大小は馬力に影響を与える要因です.
また,ボアは問題ないにしろ,ストロークの問題が大きかった様です.
ボア径はイタリアの場合,PiaggioがBristolと同じ146mm,Alfa
Romeo,Fiatが140mmを用いています.
しかし,例えば,空冷星形18気筒のAlfa Romeo
135RC32の場合,ストロークは190mmに達しています.
理屈的には,P&W R-2800よりも大きな排気量を持ち,吸入空気量が大きいのですから,大馬力が出せるはずですが,往復運動をする行程が長くなり,燃焼終了までの時間が掛かりすぎる訳ですから,高回転が望めなくなります.
また燃焼の制御も難しく,実際に回転数は,誉の3,000rpm,R-2800の2,800rpmに比べると一段低い,2,400rpmにしかなりません.
ボア径とシリンダ長の適正な長さが求められると,エンジンの設計は8割方終わったも同然ですが,今のように
コンピュータ解析が出来ない時代は,経験に頼るしかなかったのです.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
WW2のイタリア空軍で採用されているエンジンの命名規則?についてご存知の方,いらっしゃらないでしょうか?
空冷エンジンでは RC○○ というのが空冷を示す記号なのかな,とかと推測したりもするのですが,イマイチ法則性が良くわからないです.
ティフォーネとかデルタとかゼータとか,名前のついているエンジンの命名の法則性もわかりません
.
デルタ・ゼータは同一企業のものだし連続性があるかな,と思いますが,ティフォーネはなんでティフォーネなんだかさっぱり……
【回答】
基本的に法則性はありません.
例えば,Alfa Romeoは100から始まる一連の番号ですし,FiatならAで始まる連番で,二番目のNは使用燃料(ナフサ),Sは特殊を表します.
Isotta-Fraschiniは,初期のものはVono(飛行を表すイタリア語)が付いていましたが,次のエンジンにはAsso(エースを表すイタリア語)が付いています.
以後は発展型にそれぞれGammaとかBetaとか付いている形.
Piaggioは,最初にPがつきます.
エンジンの後ろに付いているRCxxのRは減速装置付,Cは過給器付の記号で,これは統一されている様です.
最後のxxは改良型を表します.
日本の栄の一一型,一二型みたいなもので,最初の数字がそのエンジンに加えられた生産上の大きな改良,最後の数字が小改良を表します.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
黎明期のジェット機が翼にエンジンを吊るしているのは何故?
その後の変遷を見る限り,爆撃機以外でその方式は見られないので,あまり適切な配置とは思えないのですが.
【回答】
簡単に書くのならば,エンジンの寿命が極端に短かった,の一言に尽きます.
当時は冶金工学も余り発達していませんし,ドイツなんかでは代用耐熱金属でエンジンを作っていました.
ですので,飛行時間10時間程度でエンジンが寿命となります.
従って,胴体奥深くに仕舞い込むより,主翼下にぶら下げて,交換しやすくした訳で.
ちなみに,胴体内に仕舞い込めるようになったのは,エンジン架から後半の胴体をボルト数本で外すことが出来るようになり,交換が容易になったのと,エンジン寿命が長くなったことが一つの要因です.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
初期のジェット戦闘機が低速での加速が悪い理由を教えてください?
【回答】
初期のジェットエンジンはピュアジェットで,静止から音速くらいの速度域では大きく推力が変わりません.
対してレシプロエンジン+恒速プロペラでは,基本的に速度に反比例して推力が低下します.
(更にプロペラ周速が音速に近づくと抵抗が急増する事により速度が制限される)
つまりある速度を境に推力の大小が逆転し,低速ではレシプロ機が高速ではジェット機のほうが加速が良くなります.(似たようなクラスで比べると)
それとスロットルレスポンスの悪さが相乗して,急旋回等で速度が低下したジェット機は,レシプロ機に対し加速性能上不利な状態になってしまったのです.
ちなみに『航空情報』初期の,日本の航空技術者の回想を集めた通称青本だか緑本だかのどっちかに種子島時休氏の試算が載っていて,それによると高度1万m付近を時速850Kmで飛ぶMe262に搭載されたユモの発生推力は約500kg程度で,馬力換算では約2000馬力みたいな記述がありました.
20年ぐらい前の出版ですし,回想自体は50年ぐらい前のもんですから,現代の目で検証してどのぐらい正確かはわかりませんが,根拠数式も解説図表も満載だから入手して読んでみては?
軍事板