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「ワレYouTube発見セリ」:Lancaster, Bomber Command Tribute
「ワレYouTube発見セリ」:Lancaster Tribute
「ワレYouTube発見セリ」:RAF Air Defences (大戦時の英空軍の防空)
「ワレYouTube発見セリ」:Spitfire and Hurricane Tribute
「ワレYouTube発見セリ」:The Battle of Britain
『暁の出撃』(P.ブリックヒル著,朝日ソノラマ文庫,1991.2)
連休中に古本屋で回収し,読了.
WW2でドイツのダム爆撃を遂行した,英617飛行中隊の戦歴を追った本だが,個々人のエピソードもちりばめられており,非常に読み易かった.
ウォリス博士というタフガイの偉大さを,ひしひしと感じた次第.
――――――軍事板,2011/05/08(日)
『アブロ・ランカスター爆撃機』(鈴木五郎著,光人社NF文庫,2006/10)
最近は変に引いて見るのが偉いみたいな風潮ですが,やはり入れ込んで書いている元気な本にも魅力はあります.
本書の元は皆さんご案内の通りですが,いちおう加筆はなされているとのこと.
(オレはナウなヤングなので元本は知りませんが)
ただ,オレの興味の方向性のためか,本書の一番面白いところが,戦間期のイギリス航空発展史ではありました.
「アタクシ自殺するつもりなので,危険なテスパイ引き受けてもよろしくてよ」
って,この話マジなのかね.
そのほか,文庫本サイズで許される限り,1910~30年頃の飛行機の写真も多く載せられており,「入門書」としての価値は減じていないと考えます.
なにより安いしね.
------------軍事板,2012/05/02(水)
『爆撃機』(レン・デイトン著,早川書房,1979.11)
レン・デイトンの小説.
1943年,英国空軍ランカスター重爆撃機隊の対ドイツ夜間戦略爆撃がテーマの群像劇.
ハードカバーで550頁超の大ボリューム.
後藤安彦氏の訳は少々古臭いかな?
素人の私には,当時の夜間戦略爆撃の模様が生々しくて面白かった.
高速のモスキートが,高射砲の届かない高空を先導してマーカーの照明弾を落とし,次に第一陣のランカスター群が照明弾交じりで爆撃,
その後に本体が続く,とか.
迎撃のユンカース88が手動で弾装交換するシーンや,爆撃機集団をドイツ軍のレーダー基地が「川の流れ」と評する所も新鮮でした,はい.
――――――軍事板,2010/07/07(水)
1943年6月31日(存在しない)が舞台なんだよね.
レン・デイトンは・・・自身かお父さんがRAF整備兵だったはず.
労働者階級のせいか,英国の家庭事情は知らないけど,彼はその後,敗戦国のドイツにいれあげた小説を書くようになるな.
1980年代以降,SSとドイツ国防軍における道徳問題(単純に前者が悪で後者が善の通俗説の否定)とか,わりと分裂した第三帝国のイメージが一般にも流布したけど,あの当時,両者のドイツ国内における自画像(庶民的なSS,旧態貴族の高圧的国防軍)を描いたレン・デイトン「SS-GB」「爆撃機」は偉いと思う
――――――軍事板,2010/07/07(水)
『軍服のモスキート』(リチャード・スウィフト著,合同出版,2011.1)
何か知らんが,タイトルに惹かれて買ってしまった.
実は蚊の話ばかりだったりする訳で…
しかも,ピースボートの本だし orz
で,何故か中にはモスキート爆撃機の話が載っかっていたりする.
これに騙されて買ってしまったわ.
――――――眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2011/01/15(土)
普段から推して,要領を得ているであろう眠い人さんの説明でも,カオス過ぎてよく分からない本だ orz
――――――軍事板,2011/01/15(土)
『雷撃』(チャールス・ラム著,朝日ソノラマ文庫,1982.7)
ソードフィッシュ乗りのお話.
この本を読めば何故,「ストリングバッグ我に返れ」という歌ができたのか(世界の駄っ作機3参照)理解できるほど,ソードフィッシュ/複葉機萌え・・・じゃなく燃えな本.
とにかく著者のエピソードがいろいろと凄い.
タラントに参加した人の戦記が読めるだけでもすごいのに,カレイジャスの沈没からダンケルク支援,イラストリアス被爆,北アフリカの工作員支援,そして捕虜生活と,中々波乱に満ちている.
特にカレイジャス沈没のシーンは中々迫力がある.
後半が尻すぼみなのは抄訳だからかな?
他にも面白いエピソードが満載で,戦友がドイツの西方電撃戦のさい,シェルブールに居る,ホテルを営んでいる友人の所へ,バーで一杯引っかけながら情報でも集めようと行ったら,そのバーにはドイツ兵がすでに居て,あわてて帰ってきたなんて話もあったり.
他にもユニークなエピソードてんこ盛りなので,古本屋で見かけたら買い.
――――――軍事板,2010/05/21(金)
【質問】
(大戦間)イギリスの飛行機設計者やメーカーや,官の担当者やらの力関係や繋がり,人となりがわかるような読み物はありませんか?
【回答】
入門書としては,世界の駄っ作機がいいと思う.
イギリス機で出てくる奴は大抵,その辺の航空機の迷走期の機体だ.
また,お題にはとても不十分で,しかも自分は未読なんだが,『アブロ・ランカスター爆撃機』が日本語で読むアブロ社の社史として読む分には面白いと聞いた.
ネヴィル・シュートがなんか書いてそうだけど,翻訳されてないだろうなぁ.
あんまり参考に成らんですまん.
軍事板,2009/06/07(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
日米に比べ英国の空母艦載機は「駄っ作機ばかり」(C)岡部ださく)なイメージがあるのですが,これは何故ですか?
【回答】
とりあえずイギリスの空母艦載機が駄作ばかりなのは,発注者であるイギリス海軍自身が「何を作っていいかわからな」かったから.
空母を発明したのはイギリス人だけど,主敵であったドイツ海軍はイギリス海軍に激しく見劣りしてた上,空母を持っていなかったので,空母が活躍する状況が発生せず,空母の運用が進歩しなかった.
結果,空母をどういう用途にどのように使えばいいかということが明確になってなかったので,要求仕様が定まらず中途半端な機体ばっかりが生まれた.
また,イギリス空母はどれも,装甲防御と荒天時の安定性(北大西洋は海が荒れる事が多い)を重視しすぎて排水量の割に搭載機数が少なく,「数が乗せなれない分を多用途性で補う」という方向性に走ったので,結果「何にでも使えるがどれも中途半端にしかできない」という「戦闘偵察爆撃攻撃機」ばかり開発される羽目に.
イギリスの空母が重装甲なのは,とりあえず空母が大きさの割に脆弱なのだけは解っていたから.
何に使うかはともかく,攻撃されて真っ先に沈んでは困るので,とりあえずすぐ沈められないようにだけは気を払った.
さらに,航空用大馬力エンジンの開発に手間取ったのも大きい.
WW2初期のレベルのエンジンでバトルやフルマーみたいな機を作ったら,別にえげれす機じゃなくても駄作になるだろう.
しかし,イギリスの空母は
「ともかく一番脅威なのは潜水艦だ」
ということになって,対潜哨戒とドイツの通商破壊戦術への対抗馬としてそれなりには役に立った.
駄作ぞろいと言われる艦載機も皆それなりには活躍している.
フルマーはともかくファイァフラィは索敵・対艦攻撃・対潜哨戒と多用途に活用され,シーファイアやシーフュリーが採用されたあとも朝鮮戦争終了まで現役だった.
パイロットの評価も高いし,どちらかといえば「傑作」に分類されてる(イギリス人以外にもね).
それに,イギリスの場合は相手が相手なので,別にあれでもよかった気がする.
アメリカと日本の艦載機の発達ぶりのほうが,相対的に見ると異常な気がしないでもない.
「ソードフィッシュ」雷撃機
(画像掲示板より引用)
【質問】
第2次世界大戦時の英国空母の艦載機は,何であんな酷い様なのですか?
【回答】
WW1でイギリス陸軍航空隊とイギリス海軍航空隊を統合して,イギリス空軍になっていて,1937年までは空母艦載機もイギリス空軍の管轄でした.
陸上基地から運用される戦闘機の開発にも予算的に苦労していたのに,海軍のために空軍が艦載機の開発をまじめにやるわけも無く.
航空隊を取り戻したからといって,航空機開発行政をどうこうするには,2年と言う時間は,あまりにも短かったということです.
軍事板,2009/02/08(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ブラックバーン B-20って何?
【回答】
ブラックバーン Blackburn B-20は,沿岸哨戒のために試作された飛行艇であり,1940年3月に初飛行しました.
着水用の主フロートは胴体下に設置され,着水時には下げるが飛行時には胴体に密着するよう上げることができ,また両翼にある補助フロートも飛行中は翼端側へ折り畳まれ主翼の一部を形成するという独創的な設計がなされていました.
しかし補助翼の不備のため,1940/4/7に試作機は海面に衝突して失われ,第2次大戦勃発により本機の改良は放棄されました.
【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/world/w_b20.htm
http://www.warbirds.jp/data/raf/htm/b-20.htm
http://www.warbirds.jp/kiyochan/airpreza06.html
http://www.geocities.jp/aobamil/B.html
ブラックバーン B-20
faq01ag16b20.jpg
(こちらより引用)
faq01ag16b20b.jpg
(画像掲示板より引用)
【質問 kérdés】
アブロ・ヨークとは?
【回答 válasz】
第2次世界大戦中,英国は米国の参戦後は第1線機,とりわけ戦闘機と爆撃機の生産に集中し,それ以外の機種は米国からの供給に頼りましたが,1942年に例外中の例外として,C.1/42と言う仕様により4機発注して生まれた機体がAvro
Yorkです.
Avroも,Lancasterの生産で手一杯でしたから,当然,新規開発をする余裕は無く,Lancasterの主翼,エンジン,尾部と降着装置を流用.
これにLancasterの倍の容量を持つ胴体を組み付けたお手軽開発の輸送機,と言っても,米国でも同じ手法で輸送機を開発しているので王道の開発方式と言えます.
1942年の仕様書でも,既に基盤は整っているので,試作機LV626は早くも1942年7月5日に初飛行,2号機のLV629も程なく初飛行しました.
この2機は当初,Lancasterの尾翼を流用していたのですが,容積が倍の胴体を取り付けると安定性が不足したため,Manchesterと同様に胴体にも垂直尾翼を取り付け,3枚の尾翼となり,これが標準型となりました.
因みに,1号機は後に空冷のハーキュリーズに換装し,唯一のMk.2となっています.
1943年3月に第24中隊に引き渡された3号機のLV633は,Ascalonと命名されてVIPの輸送に用いられ,チャーチルも愛用しました.
その後の生産は,AvroがLancaster生産に傾注していたため遅々として進まず,量産機1号機であるMW100が第24中隊に引き渡されたのが1944年5月,中隊に完全に充足したのが1945年の事でした.
終戦後も引渡しが行われ,1948年までに7個中隊が編成されて,戦後の日本にも姿を見せています.
この機体の最大の活躍は,1948年6月から1949年10月に及んだベルリン大空輸作戦で,この期間に23万トンもの物資を運びました.
ただ,急造の機体なので,戦後の輸送機としては物足りなかったために,本国では1952年までに後継機に置き換えられましたが,極東では1957年まで利用されていました.
最終的にこの機体は257機(うち,カナダ生産1機)生産され,英国空軍の他,1944年にBOACが英国空軍向けの機体を5機入手する事に成功して,既にほぼ落ち着いていたロンドン発地中海経由カイロ便に投入した他,1945年末までには25機を取得しています.
こちらは,マーリン20からより馬力を強化したマーリン502を装備したものとなっていました.
その後,アルゼンチン路線を開拓しようとしていたBritish South American向けに1946年に12機,Skywayに3機,更にアルゼンチンのFAMA向けに5機が生産され,戦後の民間機としてもある程度の成功を収めています.
眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2 : 2019/02/23 22:46
【質問 kérdés】
アブロ・ランカスターの輸送機型について教えられたし.
【回答 válasz】
Yorkほど大々的な改造をしなかったのですが,爆撃機が輸送機に転用される事は英国ではよくあること.
Lancasterをそのまま輸送機に転用するものが誕生しました.
特に戦後に民間機が行き渡るまでのストップギャップとしての位置づけです.
Avro683 Lancasterは,その名の通り,Lancasterの生産ラインから抽出したもので,武装や爆撃用の装備を取り除き,爆弾倉に貨物室を取り付けて誕生しました.
この機体は1944年1月20日にBOACに納入され,G-AGJIの登録記号で3年に亘ってBOACの実験機として使用され,新型エンジン(ジェットエンジン)のテストベッドや民間機用の装備の開発に非常に役立ちました.
1946年にはBritish South Americanが6機のLancasterを空軍から払下げて貰い,こちらのうち4機は前部にも貨物室を追加し,南米路線の貴重品輸送用として,戦後,純民間機が就役するまで1年間使用されましたが,残りの2機は実際に使ってみると不経済である事が判って空軍に返却されています.
変わったところでは,Flying Refuelingと言う会社が,北大西洋線に於ける無着陸飛行を達成するため,空中給油用の装備を取り付けた4機のLancasterを採用し,数年間に亘って使用しています.
この他,1950年代まで7機のLancasterが民間航空会社で使われ,1機がAlitaliaで用いられていますが,これらは総て訓練機として用いられていました.
Avro685 Lancastrianの方は,もう少し改造に手が込んでいます.
非武装化,爆弾倉の転用は同じですが,後部胴体を客室にして9名から13名の乗客を乗せる様にしました.
元々はカナダのTrans Canada Airが考案して,1943年7月22日に生産ラインから抽出した1機を大西洋横断の定期郵便輸送路線に投入したのが始まりです.
初便は4,000kgの郵便を搭載して12時間26分で目的地まで運ぶことに成功し,以後,カナダ生産分の8機をこの目的用に転換して運航を続けました.
この成功を見て,BOACは32機を生産ラインから抽出して,1945年始めに引渡しを受けた機体をLancastrian1として,従来Empire Boatが行っていた豪州やニュージーランドへの長距離路線に試験投入し,戦前の路線の大幅なスピードアップを実現しました.
そして,1945年5月31日からBOACはQantas Airwaysと共同で豪州便を開始します.
長距離便なので9名の乗客と郵便物を,3日かけて運んだもので,Empire Boatの乗客24名に比べると半分以下と極めて不経済でしたが….
また,British South Americanは1946年からブエノスアイレス,サンチャゴ,リマ線に,同機を入手して投入しています.
1946年には12機が生産され,3機がSilver City Air,4機がSkyways,5機がイタリアに設立されたばかりのAlitaliaに引き渡されましたが,その活躍期間は短く,最後の機体は1951年に液体貨物の専用機として小さな航空会社で使われた後にスクラップとなりました.
眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2 : 2019/02/23 22:46
【質問】
ロンドン大空襲の死者について教えてください.
できるだけ信憑性の高い数字が知りたいです.
【回答】
1940年のドイツ軍による空襲のことでしたら,7月から12月の間に,民間人の死者23002名,負傷者32138名を記録しています.
・・・とWikiには書いてある.
もし,質問者が第一次世界大戦中のことを聞いているのでしたら,このサイトが参考になります.
一応govと入っているので信憑性はあるんでしょう.
http://www.nationalarchives.gov.uk/pathways/firstworldwar/spotlights/airraids.htm
これによれば,ゴータ爆撃機による空襲で1917年6月13日に162名が死亡.
ちなみに,大戦を通してのロンドンに限らぬ損害総計は死亡1,413名 負傷3,409名.
【質問】
「爆撃ルール」とは?
【回答】
WW2中のイギリス,ロンドン近郊のゴルフ場で作られたローカル・ルール.
ドイツ軍機が襲来したときの退避の仕方,退避後のプレー再開までの手順,爆撃で開いた穴にボールが落ちたときの救済措置などが詳細に定められていたそうだ.
【質問】
防空鉄球って何?
【回答】
第一次世界大戦で首都への爆撃を経験したイギリス.
その後,都市の防空と市民の避難について真剣に議論された.
その議論の中で検討された案に,巨大な鋼球を作ってその内部を避難所にするというモノがあった(笑)
頑丈な鋼球の中に逃げ込めば,爆弾が直撃しても球がゴロゴロ転がって大丈夫(!?)というアイディア(爆)
もし何かが間違っていたら,第2次大戦では空襲警報とともにロンドン市民がゾロゾロと鋼球の中に入っていく場面が見れたかもしれない・・・
普通に考えれば,丸いデカブツが町中に置いてあっても邪魔,ゴロゴロ転がって玉突きしたら危ないわ,
テムズ川とかに落っこちたらどうすんだ,ボケ.
当然,この案はイギリスで都市防空を研究していた建築家グループに,痛烈に非難されたんで結局,ボツになりましたとさ.
当たり前だ.
CRS@空挺軍 in mixi,2007年09月05日23:37
◆◆◆攻爆撃
【質問 kérdés】
アブロ・ランカスターの前身のアブロ・マンチェスターというのは,どういう航空機だったのか?
【回答 válasz】
P.13/36…これは英国空軍から機体メーカーに対する仕様書として1936年に出されたものです.
この仕様書がAvroとHandley Pageに提示され,それぞれ機体の設計に乗り出します.
同時に,B.12/36と言う仕様書もShortに出されました.
P.13/36の仕様書には何が書かれていたか.
先ずは重爆撃機としての任務が遂行出来る機体であること.
そして,その発動機としてはRolls-Royceが当時開発していた先進的なメカニズムを持つ,バルチャーエンジンを2基装備することが謳われていました.
このバルチャーは,マーリンより一回り小型のペリグリンを2基組合せたもので,これ1基で2,000馬力近い出力を発揮する当時としては画期的なエンジンでした.
双発にすると総出力は4,000馬力に達し,1,000馬力のエンジン4基を装備するより前面投影面積は小さくなり,空気抵抗は小さくなり,高性能を発揮出来ます.
となると,4発爆撃機よりは小さな機体で済み,数が必要になっても経済的です.
随分とバラ色のエンジンなので,これを搭載した夢の様な爆撃機を英国空軍首脳部が夢想したとしても仕方ありません.
余談ながら,B.12/36の仕様書はShort一社特命で,一応4発爆撃機として発注されたのですが,経済性を重んじる余り,従来の空軍の標準格納庫を使用し,新たに建設する必要が無い様に,全幅が著しく制限されました.
その結果,アスペクト比が非常に低い主翼になり,総重量も31トンに制限せざるを得ず,全体的に非常に窮屈な設計になってしまいました.
その主翼配置も,近作の名作飛行艇であるSunderlandに倣った肩翼配置とした為,地上静止角を大きく取るには極めて長く複雑な主脚を採用し,それがまた本機の泣き所となりました.
主翼幅が小さくなると,高性能どころか,実用上昇限度が低くならざるを得ず,かつ,積載爆弾量の制限を招く結果になりました.
更に,窮屈な設計は爆弾倉を胴体下部に配置したのは良いのですが,搭載しきれなかった爆弾は中央翼内に搭載すると言う手法を採り,なおかつ胴体の爆弾倉は細かく分割すると言う設計にしたため,後の爆弾の大型化に対応出来ませんでした.
結果,爆撃機としての第一線での活躍は比較的短期間で終わることになります.
とは言え,第2次世界大戦初期の戦略爆撃機としてある程度の機数を揃えられたのは,このShort Stirlingしか無かったので,何とか活躍を続けることが出来たと言えます.
話を戻して,P.13/36を基に作られ,それが形を為したのはAvroの方でした.
Handley Pageの機体は,2機の原型機が発注されたものの,Avroの方が進んでいたのと,バルチャーの不足が懸念されたため,その後,設計が改められて,マーリン4発装備の4発爆撃機として完成しました.
これが後のHalifaxになります.
で,本命のバルチャー装備の爆撃機となった,Avroの機体は同社の所在地に因みManchesterと命名されて,ドイツの脅威に対抗するため,大々的に量産が開始されます.
先ず発注された200機の量産第1号機は1940年夏に完成しますが,安定性が不足したため,3枚の垂直尾翼を更に面積拡大し,水平尾翼面積も増やした改良型が11月に完成しました.
この改良型は,更に出力が1,760馬力から1,845馬力に増大し,高性能が期待された訳ですが….
元々2基のエンジンを無理矢理X型にくっつけたもので,更に原型になったペリグリンは,Rolls-Royceにしても珍しい失敗作に近いエンジンでした.
要は小型化し過ぎて余裕が無くなったと言うもの.
ただでさえ失敗作に近いエンジン,それを2基繋げた訳で,特に排気熱の処理と冷却面に問題があり,故障が頻発しました.
後に,ドイツがHe-177で同じ轍を踏んだ訳ですが.
結果的にAvroで159機,Metropolitan Vicersで43機の合計202機の生産で終了し,後者の機体は生産中に13機が空襲で焼失しています.
第一線からも,1942年6月25日夜間のブレーメン空襲で引揚げられてしまいました.
とは言え,問題はエンジン側にあり,機体設計自体に問題がある訳では無かったので,Bristol社の空冷セントーラスエンジン,或いはNapier社の液冷H型24気筒セイバーエンジンを搭載した双発爆撃機として,再起するManchesterIIの計画が立てられましたが,両エンジンとも,まだ試作段階だったために日の目を見る事無く,オーソドックスに,今,英国が入手しうる最高のエンジンであるマーリンを4基装備したManchester3が計画され,1941年1月9日にはその原型機が初飛行し,,優秀な性能が得られたことから,Manchesterは打切りとなり,新たにLancasterと言う名称を与えられた機体が生産を開始した訳です.
眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2 :2019/02/21 23:57
【質問 kérdés】
アブロ・リンカーンとは?
【回答 válasz】
1943年の爆撃機仕様B.14/43で,Lancaster Mk.4またはMk.5として開発された機体が,後にLincolnと言う名称で採用されます.
Lancasterを基にして,より多くの爆弾の搭載と,大量の燃料を搭載して,航続距離を伸ばし,近い将来展開されるであろう極東戦線への投入を前提に開発されたものです.
この為,主翼を伸ばし,主翼の燃料タンクを拡大,Lancasterと同じマーリンエンジンですが,2段過給器を取り付けて,常用高度をLancasterの倍にしました.
更に,Lancasterの3枚プロペラは4枚プロペラに換装されています.
機首の銃座は銃手が座って機関銃を直接照準するのでは無く,照準器越しに自動で操作される様に変更され,装備される機関銃も,従来のビッカース7.7mmからブローニング12.7mmに強化されました.
この他,尾部と後上方に動力銃座を設け,このうち,後上方の銃座には12.7mm機関銃の代わりに,イスパノ20mm機関砲を2門装備する機体もありました.
試作機が1944年7月9日に初飛行した後,即座に生産型が発注され,B.1の1号機は1945年4月に初飛行,機数を充足させ,中隊を編成して第一線に投入されたのは,1945年8月で,残念ながらと言うべきか,太平洋戦争に参加する直前で戦争が終了しました.
なお,この機体は英国で生産したほか,米国のパッカードで生産したマーリンを搭載したB.15が,カナダのVictory Aircraftで試作され,更にはB.30が豪州のthe
Beaufort Division of the Department of Supplyにて生産が開始され ており,1945年7月から第57爆撃スコードロンに引渡しが開始されました.
この機体もあと少し日本軍の抵抗が続いていたら,Tiger Forceで日本軍相手の戦闘を開始していたかも知れません.
ただ,同時期に開発された米国のB-29に比べると余りに保守的な航空機で,中高度域での戦闘を想定していた機体であるため,迎撃する日本軍機とかなり激しい戦いを行った可能性があります.
Lincolnは幸運にもと言うべきか,戦争終結により,大量生産は中止され,528機が生産されたに留まりました.
それに加えて豪州で54機が生産されています.
因みに,Avroはこの機体を168機しか生産していません.
残りは,281機がArmstrong Whitworthで,79機がMetropolitan Vickersで生産されたものです.
対日戦には参加出来なかったLincolnですが,戦後の植民地独立闘争の対ゲリラ掃討戦に用いられ,1947年のアデンへの出撃,マラヤ共産党への攻撃,ケニアのマウマウ団との戦闘に投入され,1953年まで用いられています.
輸出型としては,自国で生産した豪州空軍の他,アルゼンチン空軍にも30機が輸出され,後者では1965年までしぶとく用いられています.
眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2 : 2019/02/26 23:32
【質問 kérdés】
アブロ・チューダーとは?
【回答 válasz】
アブロ・チューダーはリンカーン爆撃機を原形とした旅客機です.
元々は大西洋横断便を希望したBOACのオファーでLincoln爆撃機の主尾翼,動力系,脚を流用して胴体を新造し,主翼を旅客機らしく低翼に配置した機体で,1943年から開発が開始された機体でした.
胴体は与圧式でしたが,Lincoln爆撃機の脚を流用した為に尾輪式の機体となります.
この機体の要求性能は最終的に1944年に纏められ,搭載量1,700kg,航続距離6,400km,高度7,600mで378km/hの巡航速度を出す様にと言う事で,本格的に開発がスタートしました.
離陸重量は,座席のみの昼間装備で24名,夜間は寝台に変更して12床を準備し,36,300kgを予定していました.
BOACや英国の民間航空業界から期待されて,Avro 688 Tudorと名付けられた機体は,先ず2機の製作が1944年9月から開始されます.
Mk.1の開発から直ぐ,英連邦のBOAC,Qantas,South Africa Airの3社協同で,小型ながら大きな搭載能力を持ち,これらのどの路線でも用いる事の出来る機体として,Mk.2の開発が決定しました.
こちらは胴体が延長されて乗客は60名輸送出来,その代わり最大航続距離は4,500kmまで減少すると言うものでした.
先ず1944年には政府からMk.1が10機,Mk.2が30機発注し,これらは総てBOACに割り当てられました.
1945年4月,更にMk.1を10機,BOACから発注され,この他,BOAC,Qantas,South Africa Airlinesの3社協同運航用として,Mk.2が49機発注されました.
此の儘ならこの機体は幸せな生涯を送ったかも知れませんが,1945年6月14日に初飛行したTudor Mk.1は,長期間の試験の結果,縦方向の安定性に重大な問題があることが発覚し,垂直尾翼を新たに製作し直す事を余儀なくされます.
更にBOACがこの機体の試験の結果,300箇所に及ぶ設計変更箇所を提示したため,更に完成が遅れることになります.
1947年4月11日,試作機に加えて生産4号機が引き渡されたところで,BOACは北大西洋線に投入するには航続距離が不足していることを理由にMk.1のキャンセルを決定.
結果的にBOACは戦後型旅客機の投入が遅れる事になって,方々から大戦中に製造された輸送機を掻き集めることになります.
しかし,BOACにキャンセルを食らったMk.1に新しい尾翼と,座席レイアウトを変更して32名が搭乗できるようにしたMk.4が新たに開発され,British
South American Airwaysに6機が引き渡され,1949年初頭まで,南米路線に投入されましたが,この会社の路線でも経済的な機体では無く,後に貨物機に改造され,貨物や郵便の輸送に充当されています.
一方,Mk.2にも重大な問題が露呈し,QantasもSouth Africa Airlinesも,キャンセルしてしまいます.
両社とも英国製の機体には見切りを付け,米国製の旅客機を購入することになった訳です.
こうして,当初79機を受注して順風満帆に見えたTudorは,直ぐに50機に減らされ,その後18機にまで落ち込みます.
結局,民間機としてはBOACでちょっとだけ使用された後,Mk.2の改造型Mk.5が更に6機,British South American Airwaysに引き渡されたに過ぎず,これらの機体も程なく貨物輸送用に改造され,旅客機としての活躍は極めて短いものとなります.
これら貨物機に改造されたTudorは,後にベルリン大空輸作戦に従事することになり,最後の花道を飾ることになりましたが,商業的にはこの機体は全くの失敗作に終わりました.
眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2 : 2019/03/14 23:21
【質問】
アルバコアは駄作機だったの?
【回答】
アルバコアは,ソードフィッシュで不評だった様々な点を改良して誕生したが,性能的には大差なし,操縦性はかえって悪いと,生産したその年で退役となってしまった.
しかし,ソードフィッシュからの改良というのが,航法装置の完備や防音,暖房装備搭載等だったので,一部のパイロットからは非常に惜しまれた.
因みに,更に後継のバラクーダは6社で競合したにもかかわらず,採用はまたしてもフェアリーとなった.
英国にはまともな航空機メーカーがないのか?
【質問 kérdés】
ハンドレページ・アリファックスとは?
【回答 válasz】
これはイギリス空軍の4発重爆撃機です.
Manchesterと同様に,バルチャーを搭載した双発爆撃機として計画されていたHalifaxですが,こちらは生産前にマーリン4発に換装した四発爆撃機に計画変更し,1939年10月25日に初飛行.
1940年10月11日には生産1号機,12月5日には早くも初のHalifax装備の爆撃中隊が編成され,1941年3月10日にルアーブル爆撃で初陣を飾りました.
Halifaxは初期型は爆撃機としてマーリン装備の機体が生産されましたが,マーリンが供給不足に陥る可能性があり,空冷のハーキュリーズエンジンを装備した型が開発され,以後の生産型はハーキュリーズを装備しています.
なお,対日戦用の装備として,燃料加圧装置と特殊気化器が開発されています.
爆撃機型の他,沿岸航空隊の哨戒型,パラシュート降下兵用の輸送機,更に大型グライダー曳航機も生産されました.
グライダー曳航機としての初陣は,1942年11月19日,南ノルウェーのドイツ重水工場を2機のHorsaで襲撃したフレッシュマン作戦です.
以後,シチリア島上陸作戦,ノルマンディー上陸作戦,ライン空挺作戦などに投入され,特に大型のHamilcarグライダーはHalifaxが専用機として用いられました.
戦後,Halifaxはパラシュート降下兵輸送機及び貨物投下機として空挺部隊用の御用達の機体として用いられ,戦後も継続して生産されました.
1946年11月20日にHalifax A.9の最後の1機(RT938)が生産ラインを離れて生産を終えました.
Halifaxも民間機として用いられています.
C.Mk.8の12機は,Avro Tudorの生産が遅れて,BOACがそこら中にある機体を掻き集めた際に採用され,1年間,乗客10名と3,600kgの貨物と郵便を,ロンドンからアクラに運びました.
これより先,まだ大戦中には,Mk.Ⅲの1機が「Waltzing Matilda」と名付けられ,カモフラージュを付けた状態で,「G-AGXA」の登録記号を付けて用いられています.
この他,London Aero and Motor Serviceが6機のC.8を購入し,貨物特に生鮮物資の輸送に活躍しました.
Halifaxは爆弾倉に荷かごの形をした大型コンテナを持ち,ここに貨物を搭載する事が出来たため,非常に融通の利いた訳です.
とは言え,1948年には既に旧式化し始め,機数が徐々に減っていきます.
この機体の最後の華となったのが,ベルリン空輸です.
ありとあらゆる場所から41機のHalifaxが民間から掻き集められ,9機が墜落あるいは重要部の故障で飛行出来なくなりました.
また,空軍に在籍していた800機のHalifaxが平均6,500kgの貨物を輸送しています.
民間型が最後に光芒を放ったのが,登録記号G-AKEC,「Air Voyager」と名付けられた機体で,1950年9月20日にDaily Expressが主催したエア・レースに参加し,平均速度450km/hで24位に入った事です.
この機体は,1952年まで活動していましたが,惜しくも最後は地上に於ける事故で失われました.
軍用機としても,1952年3月16日,ジブラルタルに配備されていたG.R.6哨戒機が最後の飛行を終えて,1937年以来の活躍に終止符を打っています.
眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2 : 2019/02/25 23:39
【質問 kérdés】
ホーカー・ハインド Hawker Hind って何?
【回答 válasz】
1935年11月に英空軍にて就役した軽爆撃機.
後継機フェアリー・バトルやブリストル・ブレニムの登場により,早くも1937年から段階的に補助飛行隊や海洋哨戒隊に移管.
1938年から大戦中は主として中等練習機として使用
ホーカー・ハインド
(wikipediaより引用)
twitter, 2022-10-28
【質問】
ウエストランド・ライサンダー Westland Lysander
P-12海岸機銃掃射機って何?
【回答】
空冷エンジン固定脚の複葉機.
上の翼は前に(操縦席脇).下の翼が胴体後部にあって,その端に垂直尾翼.
胴体後部には(イギリス人大好きな)鳥かごのような旋回銃座.
ドイツ軍のドーバー海峡越え侵攻に備えて開発.
その心配なくなるとボツに.
狙いはいいと思うんだが…….
スタイルはブッ飛びを通り越している.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
イギリスの複葉機「ソードフィッシュ」について詳しく書かれた本をご存知ないでしょうか?
木と布とパイプでできた複葉機に,レーダーとロケット弾を装備して使ってた英が不思議で,興味が尽きないのです.
しかし世傑にもソードフィッシュは出ていないようだし,西部戦線は今まで守備範囲外だったもんで・・・
二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【回答】
チャールス・ラム「雷撃」って本が朝日ソノラマから出ていたんだが,残念ながら絶版.
古本屋などで見かけたら,買って損はない.
元ソードフィッシュ搭乗員の手記で,メカニズムや開発史などは軽く触れられている程度だが,実際の運用などは,本人の体験に基づき詳しく書かれている.
軍事板
青文字:加筆改修部分
"Stringbag The Fairy Swordfish at War"
(Pen and Sword)
"Fairey Swordfish Special" (Ian
Alan)
昔,世傑で取り扱っていた様な気もしますが….
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
フェアリー「ソードフィッシュ」雷撃機は,明らかに駄作機では?
九六艦攻と比べてもソードフィッシュは,同程度のエンジンを積んでいるにも関らず,本当に致命的なレベルの性能差が出ていることからも分かるように.
【回答】
ソードフィッシュの性能のどこが,九六艦攻に比べて致命的に悪いのか,説明してくれると有り難い.
九六艦攻:
発動機:光発動機2型(離昇840馬力,公称700馬力)
自重2,000kg,
兵装搭載時全備重量3,600kg
(以下の性能は兵装搭載無しの場合)
最高速度278km,
上昇時間3,000mまで14分,
実用上昇限度6,000m
航続距離1,574km
ソードフィッシュ:
発動機:ペガサスMkIIIM3(公称690馬力)
自重2,360kg,
最大荷重(魚雷搭載時)3,949kg,
最大過荷重(長距離燃料搭載タンク搭載型魚雷搭載時)4,200kg
(以下の性能は最大荷重(機体重量3,949kg)の場合)
最高速度:223km
上昇時間:1524mまで10分(この状態での海面上昇率560ft/min)
但し兵装非搭載時の海面上昇率は1200ft/minなので,この場合,高度10,000ft(3,048m)まで10分程度で上がったと思われる.
実用上昇限度:
3260m(最大過荷重時),3780m(最大荷重),5870m(兵装非搭載時)
航続距離:
880km(兵装搭載時),1240km(兵装非搭載時),1660km(長距離燃料搭載タンク搭載型)
データを見ると,ソードフィッシュの最大積載重量(魚雷搭載)での最高速度と,九六艦攻の兵装非搭載時の速度は,確かに50kmばかり差があるが,同一条件だったら,そんなに差は出ないんでないかい?
ちなみに,九六艦攻がソードフィッシュに劣る点は,前方視界が悪いこと.
(出典:スケールアビエーション)
逆に,ソードフィッシュの汎用性は極めて高く,雷撃機ながら急降下爆撃も可能であったり,少々の時化でも発艦可能であったりしたという.
(もちろん,独伊海軍には大した洋上航空能力が無かったことも大きかったが)
軍事板,2003/
青文字:加筆改修部分
【質問】
ソードフィッシュはなぜあんなに長く使われたの?
▼ 【回答】
ソードフィッシュは,凡庸な機体でしたが,練習機並みの安定性と操縦性を持ち,非常に高い信頼性と,急降下爆撃が可能な強度がありました.
低高度を低速で飛ぶのに安定しており,その点では意外と優秀な雷撃機でした.
しかし第二次大戦勃発時には,ソードフィッシュはすでに陳腐化しており,第一線機としての使用は限界でした.
特に,低空を低速でしか飛べず,敵戦闘機に対し非常に脆弱で,敵戦闘機の迎撃を受けると全滅してしまうこともありました.
そのため英国は,後継のアルバコア,バラクーダといった雷撃機を開発しますが,安定性や信頼性に問題があり,また,ソードフィッシュの安定性と操縦性に慣れたパイロットはこれらを嫌ったため,一部を更新しただけにとどまりました.
英国が第一線で使える艦上雷撃機を持つのは,アメリカのアベンジャーが給与されるまで待たなければなりませんでした.
こうした低性能なソードフィッシュでしたが,大西洋での海上作戦はノルウェー沖と対潜作戦が主であり,ここにソードフィッシュの生き残る道がありました.
北大西洋やノルウェー沖は,季節を問わず非常に荒れます.
こういった極限の環境下でも,ソードフィッシュは高い信頼性を発揮しました.
特に,複葉機のため荒天時の発艦が可能であり,他機種の運用が不可能なほど荒れた海面でも,運用できるといった強みがありました.
また,低空を低速でしか飛べないという欠点も,長時間,低空を低速で飛ばねばならない対潜作戦では,長所となりました.
高い信頼性と練習機並みの安定性,操縦性は,航空部隊の拡充を容易にし,パイロットの疲労を軽減しました.
敵戦闘機の心配の無い対潜作戦は,第二線級の任務ではありましたが,英国のシーレーンを守る重要な任務であり,ソードフィッシュにとってはうってつけでした.
ソードフィッシュは,対潜・対水上レーダーを搭載したMk.3も作られ,索敵・哨戒に使用されました.
ソードフィッシュの最後の作戦部隊,第836航空隊は,1945年5月21日に解隊されました.
艦上雷撃機としては,すでにアベンジャーが千機以上も供与されており,戦争も先が見え,対潜作戦も護衛空母のF4Fや大型の対潜哨戒機が受け継ぐようになっていました.
練習航空隊の一部が,最後までソードフィッシュを使用していましたが,それも1946年夏に解散となり,その歴史に幕を閉じました.
結局,ソードフィッシュが生き残れたのは主戦場が大西洋だったからであり,海上での航空戦の発達した太平洋だったらまず生き残れなかったでしょう.
軍事板
&極東の(以下略 in FAQ BBS(青文字部分)
黄文字:加筆改修部分
まあ,後継機のアルバコアが余りにも最悪を極めてた,という事情もあったような.
「ソードフィッシュ帰ってきてよ」の歌ってのもあったらしい…
あと,太平洋みたいに有力な艦載機が飛び回ってる戦場じゃなかった,ってのもあるかも.
▲
【質問】
どうしてもソードフィッシュは完全に旧式化してからの「長い晩年」の実績を持って語られることが多いけど,最新鋭機だった頃の評価や実績について知りたいと思ったり.
【回答】
ソードフィッシュは採用後,間もなく旧式化してしまった(苦笑
採用当時こそ,艦上金属単葉雷撃機は米のデバステーターしか無かったものの,間もなく九七艦攻が登場してしまった.
そもそも開発時点から,
「金属単葉機にしようか?」
って話があったぐらい
(フェアリー社からは金属単葉機案も提示されてたが,英航空省が複葉機案のほうを採用した)
で,当時から新しいとは言い難い設計だった.
配備されて大して間もない1936年には,もう後継機の要求仕様も提示されてたから,大して期待もされてなかったんじゃないかと思われ.
(まあ,その後継機に,また複葉のアルバコア選んじゃうあたり,英航空省が何考えてたのかが分からんのだけど…)
実績についても,大戦間の機体だから実戦はWW2始まってからだし,もし後継機開発がうまくいってたら,あっさり退役して『世界の駄っ作機』あたりで,
「操縦性は悪くなかったようだけど,採用当時から旧式で低性能.
何のために開発されたのか分からん機体だったなあ」
とか書かれてたかも(苦笑
軍事板,2003/09/11-09/12
青文字:加筆改修部分
【質問】
ソードフィッシュで三度雷撃したことがあるような凄いパイロットは,この世に存在するのでしょうか?
日本では三度雷撃して生き残ったパイロットは,数人しかいないようですが.
【回答】
ソードフィッシュの帆布張りの機体は,被弾しても比較的大きな損害になりにくかった.
日本の特攻隊で,複葉の練習機で体当たりした部隊があったが,この場合も同じ現象(帆布張り機体の意外な抗堪性の高さ)がみられたと聞く.
実際,ソードフィッシュ乗りだったチャールス・ラムという人の回想録では,何度も何度も雷撃を行ってる.
主に地中海方面の敵港湾への夜間奇襲だけども.
スツーカと遭遇したときの,
「やつらは稲妻のようなスピードで飛んでいた」
という描写にはワロタ.
軍事板,2004/03/05-03/06
青文字:加筆改修部分
【質問】
WW2中,英空軍はアメリカの供与でB‐17を装備してたと聞きましたが,本当でしょうか?
【回答】
本当です.
1941年当時のイギリス空軍爆撃航空団では,スターリングやハリファックスといった四発爆撃機がまだ充実していなかったため,配備機が増加するまでのつなぎとして,41年4月にアメリカからB-17を20機購入しています.
これらは第90爆撃機中隊として編成されました.
しかし,購入した機体は初期生産型のC型であり,機体設計もまだ洗練されておらず,武装も貧弱なものでした.
編成が完了した第90爆撃機中隊は41年7月には最初の昼間爆撃に出撃しました.
しかし,二ヵ月後には爆撃機として不備が多すぎるということで,実戦配備から外されてしまいました.
その理由は,武装が貧弱であることやターボ過給器に不具合が多く出たこと,そして爆撃精度があまり良くない等でした.
言うまでも無くこれらの欠点は,米第8空軍が使用したF型やG型ではすべて改良されています.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2006/02/17(金)
青文字:加筆改修部分
1941年にB-17Cが20機引き渡されて,Fortress
Mk.Iと呼称され,第90スコードロンに配備されました.
初陣は,1941年7月8日のWillhelmshavenの軍港偵察で,この時は高々度偵察を行いました.
爆撃機としては,1941年9月からEmden,Kiel,Brest,Willhelmshavenと言った軍港爆撃に使用されましたが,ノルデン爆撃照準器の扱いになれていなかったので,全弾外すという不名誉な記録を出してたりします.
そうこうしているうちに,尾部銃座が無いことがウィークポイントであることが知られ,4機が11月にエジプトに送られ,Benghaziの爆撃に用いられました.
1942年1月から残存機はCoarstal Commandの第220スコードロンに送られ,大西洋を飛行する哨戒機となり,7月まで使用されています.
次いで,1942年半ばからB-17E/F/Gがそれぞれ供給され始め,それぞれMk.II,Mk.IIA,Mk.IIIとして用いられ,200機が引き渡されました.
こちらも,同じくCoarstal Commandの第59,206,220,251,519,521の各スコードロンに配備され,大西洋の哨戒飛行と気象観測に用いられました.
また,一部の機体は爆撃機軍団の第214,223スコードロンに配備され,ドイツのレーダー妨害に用いられています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/02/17(金)
青文字:加筆改修部分
B-17最終型(うそ)
(画像掲示板より引用)
【質問】
ダムバスターとは?
【回答】
ダムの上流から水面すれすれに侵入し,ダム湖上で投下,湖上を跳躍させて魚雷防御ネットを飛び越し,ダムの内壁にぶつける爆弾です.
爆弾は,ぶつけた後にダム湖に沈みますが,その後に爆発させ水圧を利用してダムを破壊します.
超低空を飛ばないと爆弾投下出来ないので,記憶に間違いが無ければ,実行部隊は殆ど帰還していません.
この爆弾による最も有名な攻撃は,「チャスタライズ作戦」である.ガイ・ギブソン空軍中佐を隊長とするRAF(イギリス空軍)第617飛行隊所属の,専用に改造された19機のアブロ・ランカスターにより1943年5月16日夜半から同月17日未明にかけて行われた,ドイツのルール地方のメーネ,エーデル,ゾルベの各ダムに対する同時攻撃である.
結果は,出動した19機のうちの10機が撃墜されたが,攻撃自体は大成功を収め,メーネ・ダムに至っては戦後になるまで修復できないほど,完膚無きまでに破壊され,RAFに華を持たせた.
さらに,この攻撃によるオマケの戦果として,決壊したメーネ・ダムからは3億3千万トンに達する水が下流の西ルール峡谷一帯に襲いかかり,この水害によるドイツ側の損害は記録に残っているだけでも,125箇所の工場,25箇所の橋梁,6500頭以上の家畜を押し流した上,約3000ヘクタールの耕地を耕作不能にし,民間人を含む1295人の人々を死亡させている.
【質問】
イギリスは急降下爆撃機無しで戦争したのは なぜですか?
航空支援なんかはどうするつもりだったのですか?
【回答】
38年の時点でスキュア艦上急降下爆撃機が実戦配備についているので,急降下爆撃機がないというわけではない.
で,この後の戦争見てりゃわかるけど,急降下爆撃機が必要な戦場が無かったし,それ以外に必要な機体がいっぱいあったので,急降下爆撃機の後継機は登場しませんでした.
(バラクーダは,とりあえず無視)
そして戦争後半になって,そういう任務が発生したときには,すでに対地攻撃機としての急降下爆撃機は時代遅れになってました.
ピンポイント攻撃なら,戦闘爆撃機にロケット弾を搭載すれば良い.
具体的には,イギリスはハリケーンやタイフーンにロケット弾あるいは大口径機関砲を積んで,地上支援に当てました.
ちなみにアルバコア複葉雷撃機も,一応急降下ブレーキ(フラップと兼用)があるので急降下爆撃はできる(意味あるかどうかは,おいといて)
軍事板
【質問】
夜間爆撃に切り替えなよ,と英空軍は米軍に忠告したそうですが,夜間爆撃だって大損害受けてない?
ランカスターなんて製造機数の内半分近くを失っとるじゃん.
【回答】
もちろん夜間爆撃も損害は大きかったが,同じ護衛戦闘機が随伴出来ない地点を爆撃するのならば,夜間爆撃のほうが,ドイツ空軍夜間戦闘機の数と防空レーダーの性能に対する,連合軍側の電子妨害能力・夜間戦闘機キラーの数と,攻撃側としての優位を鑑みればマシな選択だったと言える.
その為には英空軍や太平洋みたいに無差別爆撃をしないといけないけどね.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ホイットレイ爆撃機って何?
【回答】
アームストロング・ホイットワース ホイットレイ
Armstrong Whitworth Whitley は,アームストロング・ホイットワース社製の全金属製大型双発爆撃機であり,第2次大戦初期に英国空軍で使用された.
直線的胴体の機首と尾翼の後ろに動力式の砲塔を持ち,ぶ厚い主翼を備えていた.
速度性能や高々度飛行性能が低かったため,主に夜間爆撃機として使われたが,1942年頃から次第に爆撃任務から外れ,グライダー牽引や輸送任務に用いられるようになった.
【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/world/w_whitley.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Armstrong_Whitworth_Whitley
http://www.militaryfactory.com/aircraft/detail.asp?aircraft_id=309
http://www.raf.mod.uk/bombercommand/whitley.html
http://www.fleetairarmarchive.net/Aircraft/Whitley.html
http://www.xs4all.nl/~fbonne/warbirds/ww2htmls/armswhitl.html
ホイットレイ爆撃機
(http://military.sakura.ne.jp/world/w_whitley.htmより引用)
【ぐんじさんぎょう】
昭和18年(1943年)12月号の『圖解科學』(中央公論社版)の航空特集号
第1特集は「空の戦艦」と題し,連合軍側の重武装長距離爆撃機の開発と配備について詳しく解説
ホイットレー爆撃機の機銃座(写真左と中)や航空機銃の最新情報を
第2特集は「成層圏飛行」として,ボーイング社の与圧装置や独ドレーガー式酸素吸入器(写真右)などを,戦時中の出版物とは思えないほど,写真や図版を多く使用して,最新航空技術を判り易く解説しています.
こういう物を見るに付け,ここまで情報が判っていながら何故?…という,いつもの疑問が頭をもたげて来ますねー.
やはりこれは,情報の片寄りがあったと言うべきか.
因にこの雑誌,監修はあの物理学の仁科芳雄氏.
よしぞうmaro' in mixi,2007年05月28日02:26
【質問】
今,ヒストリーチャンネル見てるんですが,空母に着艦するモスキートを見ました.
艦載型のモスキートは試作ですか? 量産されて海軍が運用したんですか?
【回答】
艦載型のモスキートは戦後,偵察機として配備されている.
軍事板
Sea Mosquitoは,N.15/44仕様で開発が行われたもので,Mosquito
Mk.VIを改造して着艦フックを取り付けた試作型(LR359)が,1944.3.25,E.M.Brownの手によって,Indefatigableへの着艦に成功しました.
海軍型Mosquitoは,翼幅を延長し,四枚羽プロペラを装備し,5~10%程度推進効率が向上しています.
この試作型の他,LR387も改造され,夜戦仕様となっています.
量産型は1945年秋から生産が開始され,11月に1号機(TW227)は初飛行,MosquitoT.R.33として制式採用されています.
最初の13機は折畳み翼ではなく,脚も空軍型と変わりありませんでした.
しかし,TW241から折畳み翼を装備し,脚は着艦用に強化されたLockheedの緩衝装置を装備しています.
また,TS444/449の2機は脚無し着艦が可能な様に作られた特殊型でした.
Sea Mosquitoは97機が発注され,50機が引き渡されました.
雷撃任務には18インチ魚雷を1発を胴体下に,50ガロン増槽を2個翼下に抱えるか,50ガロン増槽の代わりに
30ガロン増槽を2個とロケット弾発射機2基を装備することも可能でした.
これらのT.R.33は,主にFordの811Sqn,少数が703/706/762/771/778/790の各Sqn..に配備され,1947年まで使用されています.
後,703Sqn.には試験用として,T.R.33にA.S.Vレーダーを取り付けたT.R.37(VT724)が1機だけ生産されています.
このほか,仕様Q.19/45で,General AircraftがMosquito
B.16を改造して高速標的曳航機T.T.39を作って,艦隊航空隊と地中海艦隊に配備し,811/777/778/780/787Sqn.では,1945年9月から訓練用に空軍のMosquito
F.B.VIを引き渡されて慣熟訓練用に用いたり,複操縦装置付きT.3が1機海軍に引き渡されたりしています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
英空軍は大量の爆撃機でドイツを廃墟にしましたが,戦後,余った爆撃機はどうなったのですか?
【回答】
戦後,Lancasterは軍用機として英空軍籍に止まり,英連邦でそのまま軍務に就いたもの,Argentinaで爆撃機として余生を送ったものもあります.
また,一部は輸送機に改造して軍で活動し,また,民間に放出されました.
それらが,ベルリン大空輸の際,活躍しています.
それ以外の大部分は解体されました.
Lancasterの場合,1946年にBritishSouthAmericanAirwaysが6機,南アメリカ路線で運行していますし,50年代まで7機のLancasterが民間に(うち,1機はイタリアで)放出されています.
もう一つ,その発達改造型Avro691は,TranceCanadaAirlineが1機を改造し,BOACは32機を改造して,豪州,ニュージーランドと言った,戦前のエンパイアボートの路線や南アメリカ線に投入されました.
1946年には更に12機が完成し,7機が英国,5機はイタリアのAlitaliaに引き渡されています.
また,Halifaxも同様に,民間改造型が作られ,BOACがアフリカ線に投入しました.
その後,LondonAero&MotorServiceが6機購入して生鮮食品輸送に活躍しています.
最終的に数十機のHalifaxが貨物輸送機として使用され,ベルリン空輸では41機が投入されました.
変わったところでは,1950年9月20日にDailyExpressが主催したエア・レースに"AirVoyager"(G-AKEC)と言う機体が参加し,平均速度450km/hで24位に入っていたりします.
Short Stirlingは輸送機バージョンとしてMk.Vが160機改造され,人員輸送に使用されました.
これらはVickers Wellingtonに代わって,1945年から任に就き,英国~欧州~北アフリカ~イラク~インドの路線を運行していました.
兵員輸送では,英国と中東を結ぶ路線を運行し,1946年3月まで,中東~インド線に就航していました.
Handley-Page Halifaxについては,爆撃機型は自由フランス空軍に引き渡されていたので,その解放後もかの国で爆撃機として一時使用されていました.
また,戦後は,G.R.VIがCoastalCommandで哨戒機として使用され,最後の部隊は1952年までGibraltarで使用していました.
このほか,空挺部隊輸送用に改造されたA.VII,A.IXも300機程度生産されて戦後まで使用されています.
A.VII,A.IXは中東(特にパレスチナ),インドで1946年末まで使用されました.
1945年からは,HalifaxC.VIIIが改造で出現しています.
これは100機が改造され,各地で輸送任務に使用されました.
Lancasterは爆撃機として,CanberraやLincolnが充足する1950年3月まで第一線の爆撃機として使用され,Coastal
Commandで,Liberatorの返還後,その後継哨戒機として使用されています.
こちらは,Shucl;etonやNeptuneが充足されるまで使用され,1954年に第一線を退き,最後の機体は,1956年10月まで使用されました.
もう一つ重要な改造型は偵察機であり,1946年から1952年10月まで,西アフリカ,中央アフリカ,東アフリカ各地の測量任務に就いていました.
これは,1953年12月まで使用されています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/09/04(日)
青文字:加筆改修部分
◆◆◆◆戦闘機
【珍説】
905 :霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :2009/09/27(日)
15:29:27 ID:xUyBZd4a
>904
>896
>その生産数だと有効じゃ無いけど機体がほしいから部品の残ってる94機だけつくったとし>か読み取れませんが.
霞ヶ浦の住人の回答.
ご教示ありがとうございます.
>896を再度掲載します.
>元質問は下記です.
>852
>イギリスの戦闘機は7.7mm機関銃を使用していましたが,防弾が優れたドイツ機に有効だったんでしょうか?
>「有効だったんでしょうか?」と質問しています.
>1940年の時点で,大口径を装備するスピットファイアと共に,「7.7mm機銃を8挺搭載する」
>スピットファイアをイギリス空軍が生産していたという事実は,イギリス空軍は「有効だった」>と認めていたと,霞ヶ浦の住人は想像します.
【事実】
違います.
あるものでとりあえず生産しただけです.
日本で首なし飛燕が五式戦闘機になったようなものです.
完成さえすれば,地上掃射なりなんなり,とりあえず使い道はあるからで,有効だから生産したわけではありません.
大事な点ですが,スピットにおいて主翼と機体は別パーツです.
だからこの場合,7.7mm×8版の主翼パーツが機体本体より余計に完成してしまい,死蔵するのも勿体ないので,後追いで完成した本体パーツにくっつけて完成させただけです.
生産中止命令は即時発効するわけではなく,一定のタイムラグが生じ,その間にある程度の数は完成してしまうものです.
7.7mm主翼はあくまでそういう経緯で完成した,余剰パーツに過ぎません.
軍事板,2009/09/27(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
スピットファイアは,他の爆弾のような増槽と違い,胴体部分にケースのような増槽を装備していたようですが,
・この増槽にはどのような特徴があるのでしょうか?
・これが他国(他機)に普及しなかった理由は何ですか?
【回答】
元々,本土防空用戦闘機として基本設計が為された機体ですが,それでも,設計開始当時は,巡航2時間,戦闘30分の飛行が可能でした.
しかし,機関銃8丁装備要求が途中で追加されたため,主翼内に燃料タンクが装備出来ず,巡航1時間30分,戦闘15分に低下してしまいました.
と言うわけで,燃料搭載量が当初から不足していたのですが,タンク増設のスペースが無く,内翼前縁とか後部胴体に申し訳程度のタンクを増設しても焼け石に水.
仕方なしに,増槽を準備したのですが,これも装備するスペースが限られており,結果的にスリッパ型のものを装備した訳です.
これには,30gal,90gal,170galの各容量のものがありますが,最も多く使用されたのは,30galのもので,90,170galはフェリー用でした.
特に,170galを装備する場合は,操縦席後方に29galの増設タンクを使わねばならず,これでは機動性は期待できません.
なお,MkIX後期型からは50galの筒型増槽が使用され,SeafireMk.47では,主翼下面に増槽が装備されています.
他国にも同じようなスリッパ型の増槽が使用されています.
日本では九七式戦闘機に装備されたものが有名です.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
第二次大戦開戦(1939年)の時点で使用されていたスピットファイアの防弾装備について教えてください.
どの部分にどの程度の防弾処理が施されていたのでしょうか?
【回答】
初期型Spitfireについては,防弾鋼鈑が少なくとも操縦席後部のパイロット頭部部分にあり,防弾ガラスがCanopy前面にありました.
但し,防弾ガラスや防弾鋼鈑については,1939年の時点で取り付けられたものであり,開戦時点では無い機体も在ったようです.
その後,1943年に掛けて,パイロット背部,座席下,上部燃料タンク覆い,燃料タンク前面,冷却液タンク前面に防弾鋼鈑が装備され,Cウィングを付けた場合は,主翼の弾倉に防弾鋼鈑が取り付けられています.
眠い人◆gQikaJHtf2
スピットファイア Mk.5B
(画像掲示板より引用)
【質問】
サンダース・ロー Saunders-Roe SR/A1って何?
【回答】
機首にエアインテークを開口し、胴体側面に排気ノズルを有する双発のジェット戦闘飛行艇.
二式水戦や「強風」に触発されて,1943年に計画提案.
しかし陸上戦闘機が性能を大幅に向上したため,また,空母機が有用であることが明らかになったため,1951年に計画はキャンセルされた.
【参考ページ】
http://tanks45.tripod.com/Jets45/Histories/SRA-1/SRA1.htm
http://www.militaryartprints.co.uk/saro_sra1_modern_aviation_prints.htm
http://www.airsceneuk.org.uk/hangar/museums/southampton/southampton.htm
http://www.ipmsstockholm.org/magazine/2008/06/early-british-jets-02.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Saunders-Roe_SR.A/1
【ぐんじさんぎょう】,2009/7/13 21:58
に加筆
【質問】
ブラックバーン・ロックって何?
【回答】
超低空で艦隊に接近し,雷撃を仕掛けてくる敵航空機に対し有効な迎撃ができる艦上戦闘機として,英国海軍が1937年に発注した航空機.
当初,海軍は,後方に旋回式の銃座を持ち,同航戦(敵機と同高度で同じ方向に進行しながら撃ち合う戦闘)に適したボールトンポール「デファイアント」に目を付けていたが,イギリス空軍が反対したため,ブラックバーン「スクア」艦上急降下爆撃機の操縦席後部に,ディファイアントと同様の7.7mm機銃×4挺装備の銃座を搭載し,代わりに主翼の機銃を全廃した.
しかし実戦に投入してみると,すぐにその弱点(後部下方には無防備,前方も無防備)を突かれ,被害のみ増加したため,生産の追加注文・補充部品の生産は行われず,1943年には修理部品不足により退役した.
【参考ページ】
http://en.wikipedia.org/wiki/Blackburn_Roc
http://military.sakura.ne.jp/world/w_roc.htm
http://freespace.virgin.net/john.dell/blackburn_roc.htm
http://www.fleetairarmarchive.net/aircraft/roc.htm
http://www.historyofwar.org/articles/weapons_blackburn_roc.html
側面図
(http://en.wikipedia.org/wiki/File:Blackburn_Roc.pngより引用)
写真
(http://military.sakura.ne.jp/world/w_roc.htmより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/12/04 20:20
を加筆改修
空飛ぶミートチョッパーだと思えば,それなりに使えそうな機体と錯覚するかも……
学生時代に『宮崎駿の雑想ノート』を読んだ時には,完全に創作機体だと思っていまちたので(笑)
さかきまもる in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2011年08月25日 21:55
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