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通商破壊作戦任務中のUボート


 【link】

American Merchant Marine at War(英語)

Battleships Carriers and all other Warships(諸国海軍,リンク切れ)

uboat.net(英語)

USS LSM/LSMR Association(英語)

「ドイツ海軍の駆逐艦1939−1945」(ゴードン・ウィリアムソン著,大日本絵画,2006.9)

「ワレYouTube発見セリ」:Italian Battleship Littorio Class at war

「ワレYouTube発見セリ」:WWII U.S.Navy footage


 【質問】
 戦間期の戦艦と空母は,戦力的にはどのような位置づけあったんですか?

 【回答】
 1937年の本では,次のように述べられている.

「戦艦は艦船の内で最も堅牢強大な物で海軍兵力の骨幹と言われる.
 即ち,各艦種の内で最も卓越した攻撃力と防御力を備えていて,戦闘の時は味方の主力となって最強の敵と対抗するのが本務である」

「航空母艦は海上空軍の母である.
 各種の飛行機を多数搭載していて,必要の際思うところへ行動して,海上で飛行機を飛ばして戦闘の要に供するのである.
 欧州戦争の時には,航空母艦は余り発達していなかったが,飛行機の発達に連れて,現在では艦隊の大切な要素となっている.
 しかし,航空母艦には大きな欠点がある.それは,飛行甲板が敵の爆撃砲撃の目標に成りやすいことである.
 この甲板を破壊されたら『動く飛行根拠地』としての働きが出来なくなってしまうのである.
 だから,10門,20門と高角砲が数多く用意されていて,敵攻撃機の襲来を防ぎ,また大航空母艦は,20糎砲を備えて砲戦の準備をしているのである」

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 第二次大戦前中の魚雷は命中しなかった場合,自爆するものなんですか?

 【回答】
 自沈する.
 もっとも,自爆も結構あった.

 魚雷は基本的に燃料が切れると自沈する.
 訓練用の魚雷は逆に燃料が切れるとバラストを捨てて浮かんでくるようになっていた(回収,整備してまた使う)

 ところで,魚雷っていうのは弾頭の信管の感度を調節できる.
 そうでないと,発射して海面につっこんだ段階で爆発したりするから.
 だが,その辺の調整は微妙で,硬くしすぎると船体にぶつかった角度によっては作動しなかったし,緩くすると航行中の船体が巻き起こしてる水流に巻き込まれただけで作動したりした.

 潜水艦の話だが航行して船の後ろから撃つときは信管を緩くしないと不発になり,やすかった(衝突角度が浅いから)し,前方から撃つときは信管を硬くしないと,艦首の巻き起こす波に負けて命中する前に自爆した.


 【質問】
 映画「U―571」見た人間だけど,当時の魚雷には音波探信みたいのはついていなかったの?
 もしなかったら,潜水艦同士よく当てたなー,と関心するよ.

 【回答】
 存在します,

 連合軍側は航空機投下型の音響誘導式対潜魚雷を,43年中頃から実戦使用していました.
 また,対音響魚雷曳航囮も英国は開発しておりました.

 ドイツでは,Uボートに搭載されたG7e魚雷で,音響誘導式の「ガイアー」(禿鷹)と,有線誘導式の「レルヒエ」(雲雀),そして1943年に実戦配備された音響誘導魚雷「ツァウンケーニヒ」(ミソソザイ)がそうです.
 また「ボールド」(図々しい)と言う名の対アズティック音響囮魚雷も存在します.

 また,潜水艦の潜水艦による魚雷攻撃での撃沈例ですが,これも存在します.
 英国V級潜水艦「ヴェンチュラー」による「U-864」の撃沈です.
 2隻は2時間40分もの長時間(当時としては)の交戦を行い.ASW潜水艦として改造を受けていたヴェンチュラーは潜航状態でアズティック(ソナー)により,こちらも潜航状態のU-864をピンポイントで探知,ヴェンチュラーは魚雷4本の斉射によりU-864を葬り去りました.


 【質問】
 旧独の旧式巡洋艦がユーゴの自称防空巡洋艦ダルマティアになって,第二次大戦中に独に接種されてクロアティアに渡され,ズニアムとか言う艦名になったと言う話を,撃沈戦記か何かで読んだような覚えがあるのですが,当時のクロアティア海軍には他にどんな戦力があったのですか?

 【回答】
 Yugoslaviaは1941年に独,伊,Hungary,Bulgariaなどの攻撃を受けて降伏します.
 この時,Italyは,Yugoslavia海軍が所有していた艦艇を接収し,自国海軍に組み込みます.
 が,今度はItalyが連合国に降伏したので,独がItalyに所属していた旧Yugoslavia海軍艦艇を接収します.

 で,独立Croatia国海軍は,1943年のItaly降伏で接収された艦艇を独から返還して貰ってスタートしました.
 ところが,今度はTito率いるPartisan勢力が強大となり,独はこの国を見捨て,1944年には早くも海軍は崩壊しました.

 まずDalmacijaは元々,旧帝政ドイツ海軍の小型巡洋艦Niobe(1900年竣工)だったのを,1925年に除籍後,Yugoslaviaが購入し,1926〜27年にかけて砲術練習艦に改造して用いています.
 1941年,Italyが捕獲してCattaroとなり,1943年独が再捕獲してNiobeに戻し,すぐにCroatia海軍に引き渡されて,Zniamとなっています.
 この艦は,1943年12月19日,英海軍のMTBに雷撃され損傷,2日後に沈没しました.

 このほかCroatia海軍には20隻の艦艇がありました;
敷設艦Kiebitz(旧Italy海軍 RambIII)
水雷艇TA48(旧二重帝国海軍78T/1913年竣工→旧Yugoslavia海軍T3:1945.2.20英空軍機により,Triesteで撃沈)
武装商船G102,G104
KM級魚雷艇8隻(うち1艇はPartisanに投降)
水雷艇T7(旧二重帝国海軍96F/1916年竣工→旧Yugoslavia海軍T7:1944.6.25Muter島付近で,英海軍のMTB659/662/670により,破壊)
機雷補給艇Mosor(1920竣工→Italy海軍Pasman:1944.12.31Istu島付近で座礁,1954年解体)


 河川艦隊には2隻の河川用MonitorであるBosna(旧二重帝国海軍Koros→旧Yugoslavia海軍Morava:1941.4.11自沈→Croatiaによって浮揚→1944年6月触雷により沈没.),Sava(旧二重帝国海軍Bodrog→旧Yugoslavia海軍Sava:1941.4.12自沈→Croatiaによって浮揚→1944.9.9再自沈)が主力であり,他に6隻のMotorboat(このうち少なくとも3隻はPartisanに投降)がありました.

 他に,10隻の雑役船があったようです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 第2次大戦勃発時及び独占領期のノルウェーデンマーク(どちらも亡命政府ではなく本国)の海軍編成をご存知の方がいらっしゃいましたら,教えて頂きたいのですが.

 【回答】

【Norway海軍】

海防戦艦
 Norge級2隻(1940.4.9にZ21/22の雷撃で撃沈)
 Haarfagre級2隻(ドイツに接収され,防空艦となり,1945年3月擱座)
駆逐艦
 Draug級3隻(Draugは1940.4.10英国に脱出するも艦の状態が悪く除籍,
          Trollはドイツに引渡,1945年返還.Garmは1940年4月26日爆撃で焼失.)
 Aalesund級2隻(未成)
魚雷艇
 Snoegg級3隻(いずれもドイツ艦となり,Snoegg以外は沈没.なお,Steggは空爆で沈没したものを浮揚して再使用)
 Teist級3隻(2隻が自沈,座礁,Kjellのみドイツ艦となり,返還)
 Ravn級5隻(3隻が自沈,2隻が捕獲され,後に返還)
 Hval級5隻(1隻撃沈,3隻は事故,自沈,2隻が捕獲され,返還)
 Hvas級4隻(全艦捕獲,4隻とも返還)
 Varg級5隻(2隻自沈,3隻捕獲,返還)
 Sleipner級3隻(Aegerのみ1940.4.9に撃沈.2隻は1940年に英国に脱出)
 Odin級3隻(全艦捕獲後,ドイツ艦として使用.全艦返還)
潜水艦
 A級3隻(1隻座礁,2隻自沈)
 B級6隻(1隻英国に脱出,2隻自沈,3隻ドイツが鹵獲,うち1隻は1942年除籍)
旧式スループ(漁業保護艦)2隻(1940.4に相次いで撃沈)
 Fridtjof Nansen(1940.11.8座礁)
 Nordkap級2隻(未成)
機雷敷設艦
 Froeya(1940.4.13擱座)
 Gloman(降伏後,ドイツに引渡,1隻は1944年に撃沈)
 Olav Tryggvason(降伏後,ドイツに引渡,1945年に撃沈)
掃海艇
 Otra級2隻(建造中に捕獲)

【Denmark海軍】

海防戦艦
 Niels Juel(1943.8.29座礁後,ドイツに引渡され,1945.5.3撃沈,1952解体)
 Peder Skram(1943.8.29自沈.ドイツにより浮揚後,1945.4撃沈,1949解体)
水雷艇
 Najaden級2隻(1943年竣工するも艤装を遅らせ,1947年まで完成せず.)
 Draken級3隻(1941.2.5ドイツに引渡,Drakenは1945.5.14触雷沈没,残りは全艦返還)
 Glenten級3隻(1941.1.21ドイツに引渡,全艦返還.)
魚雷艇
 Springeren級10隻(1940年除籍1隻,1943.8.29自沈3隻,座礁1隻,5隻鹵獲され,45年返還.)
 Hvalrossen(1943.8.29自沈)
潜水艦,潜水艇
 Rota級3隻(1943.8.29全艦自沈)
 Aegir級3隻(1940年除籍3隻)
 Daphne級2隻(1943.8.29全艦自沈)
 Havmanden級4隻(1943.8.29全艦自沈)
機雷敷設艦
 Sixtus,Kvintus,Lossen(1943.8.29全艦自沈後,浮揚され,ドイツにて使用)
 Lindormen(1943.8.29自沈後浮揚され,ドイツにて使用し,後に返還)
掃海艇
 Soebjornen級6隻(1943.8.29自沈後浮揚され,ドイツにて使用し,後に返還)
漁業保護艦
 Hvidbjornen(1943.8.29自沈後浮揚され,ドイツにて使用し,後に返還)
 Ingolf(1943.8.29自沈後浮揚され,ドイツにて使用し,不明)
 Hejmdal(1943.8.29自沈後浮揚され,ドイツにて使用し,後に返還)
 Freja(1943.8.29自沈後浮揚され,ドイツにて使用し,後に返還)
小型哨戒艇P1級38隻,K1級18隻のうち,後者の9隻はスウェーデンに逃走.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 ソ連併合前のバルト三国の海軍はどんな状況だったのでしょう?
 エストニアが旧ロシア製の駆逐艦や潜水艦を持っていたのは知っているのですが.

 【回答】
 エストニアは,旧ロシア帝国の駆逐艦を引き継いで使ってましたが,これを 1933年にPeruに売却しています.艦名はLennuk,Wambolaでいずれも1917年竣工のものでした.
 他に旧ロシア砲艦のLembit(先代:1925年退役),Laine(1941.7.24撃沈),Wanemine(1941年自沈).
 国産砲艦としては,1939年に建造されたPikkeriがあり,これは大統領ヨットを兼ねていました.この艦は,1940年にソ連に引き渡された後,通報艦となり,雑用艦になった後,1955年にモスクワ大学の調査船に改造され,黒海で1960年代末に至るまで使われました.
 また,旧ロシア艦では,機雷敷設艦Ristna(大戦を生き抜き,1960年退役),Suurop(1941年8月撃沈)がありました.
 このほか,自国海域で沈没していたドイツの魚雷艇A32を引揚げ,Sulevとして再就役させています.
この艦は,ソ連編入後,NKVDの哨戒艇となり,輸送艇,練習艇となって1955年にScrapとなりました.
 駆逐艦は売却しましたが,その代金でヴィッカースに潜水艦を発注しています.Kalevは1941年11月に触雷,沈没しましたが,もう一隻のLembitはソ連時代を生き抜き,1956年から
海軍工廠の試験用潜水艦となり,1979年にTallinnで記念艦になっています.
 小型艦艇としては,200t以下の砲艇が6隻,内海掃海艇3隻,哨戒艇8隻,砕氷船3隻,輸送艦2隻と
タグボート4隻があります.

 ラトヴィアは元ドイツの掃海艇M68を手に入れ,Virsaitisと改名して哨戒艇として使用しています.
 また,有力艦としてフランス製潜水艦が二隻1926年に建造されました.艦名はRonis,Spidolaと言い,ソ連に引き渡された後は,Liepajaで,ドイツ軍の手に落ちないよう,1941年6月24日に自沈しました.
 後の有力艦は,1926年竣工のフランス製掃海艇,Imanta,Viestursくらいです.Viestursは大戦を生き延び,1950年代末に除籍されますが,Imantaは1941年7月1日に触雷,沈没しています.
 このほか,沿岸哨戒艇Ergis,小型哨戒艇3隻,砕氷船3隻,測量艇1隻と,練習艦が1隻有りました.

 リトアニアは海軍に金がかかっておらず,旧ドイツ掃海艇M59を1931年に購入し,哨戒艇Presidentas Smetonaとして改装,使用しました.
 こいつも,ソ連引渡後 NKVDの哨戒艇に転用され,1944年に撃沈されています.
 このほかの艦艇は,小型哨戒艇6隻,砕氷タグ1隻だけです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 WWU時のドイツ海軍の艦名の命名基準ってどうなっていたのですか?

 【回答】
 目安的には….
戦艦は,政治家の名前,
巡洋戦艦,重巡洋艦は概ね軍人の名前,(例外はGraf Zeppelin),
軽巡洋艦は都市の名前,
駆逐艦は,国家社会主義労働者党の関係者の名前が多かったのですが,途中で,Z+連番に変わりました.
水雷艇は,猛禽類や猛獣の名前ですが,途中からT+連番に変わっています.
残りのものは練習艦を除き,英数字+連番になっています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2

 ちなみに,戦後もロンメルといった艦があった.


 【質問】
 英国海軍艦艇の各月の就役数を教えてください.

 【回答】
 英連邦海軍艦就役リストを以下に掲げます,

 1938.12までの既就役艦
戦艦×12,
巡洋戦艦×3,
モニター×4,
空母×4,
軽空母×2,
重巡洋艦×18(※エッフィンガムを含めてます.この時期,6in砲に換装済みですが,結局19cm砲に戻していますんで)
軽巡洋艦×43,
敷設巡洋艦×1,
駆逐艦×171,
潜水艦×58,
スループ×128

 39年1月
軽巡×1,駆逐艦×2,

 39年2月
スループ×1,

 39年3月
駆逐艦×5,スループ×1,

 39年4月
駆逐艦×1,スループ×1,

 39年5月
駆逐艦×1,潜水艦×2,

 39年6月
駆逐艦×2,スループ×3,

 39年7月
軽巡×1,潜水艦×1,スループ×1,

 39年8月
軽巡×1,駆逐艦×3,スループ×1,

 39年9月
駆逐艦×2,潜水艦×1,スループ×1,
※仮装巡洋艦×4 改装

 39年10月
駆逐艦×2,潜水艦×3,スループ×1,
※仮装巡洋艦×20 改装

 39年11月
駆逐艦×2,スループ×2,
※仮装巡洋艦×9 改装

 39年12月
駆逐艦×2,
※仮装巡洋艦×13 改装

 40年1月
駆逐艦×1,潜水艦×1,スループ×1,
※仮装巡洋艦×6 改装

 40年2月
駆逐艦×2,潜水艦×1,

 40年3月
駆逐艦×1,護衛駆逐艦×1,潜水艦×1,

 40年4月
スループ×2,フリゲート・コルベット×4

 40年5月
空母×1,軽巡×2,駆逐艦×1,護衛駆逐艦×1,スループ×1,フリゲート・コルベット×3,

 40年6月
駆逐艦×1,護衛駆逐艦×2,潜水艦×2,フリゲート・コルベット×4,

 40年7月
軽巡×1,護衛駆逐艦×2,フリゲート・コルベット×6,

 40年8月
軽巡×1,護衛駆逐艦×2,潜水艦×2,スループ×1,フリゲート・コルベット×7,
※ 仮装巡洋艦×2 改装

 40年9月
軽巡×3,護衛駆逐艦×2,潜水艦×2,スループ×1,フリゲート・コルベット×9,
※駆逐艦×50 貸与

 40年10月
護衛駆逐艦×2,潜水艦×3,フリゲート・コルベット×7,

 40年11月
空母×1,護衛駆逐艦×3,潜水艦×1,スループ×3,フリゲート・コルベット×11,

 40年12月
戦艦×1,駆逐艦×3,護衛駆逐艦×4,潜水艦×2,スループ×2,フリゲート・コルベット×6,
※ 仮装巡洋艦×2 改装

 41年1月
軽巡×1,潜水艦×2,スループ×1,フリゲート・コルベット×7,

 41年2月
駆逐艦×3,護衛駆逐艦×4,潜水艦×1,スループ×3,フリゲート・コルベット×11,

 41年3月
戦艦×1,軽巡×1,護衛駆逐艦×1,フリゲート・コルベット×10,

 41年4月
敷設巡×1,護衛駆逐艦×3,潜水艦×1,スループ×4,フリゲート・コルベット×10,

 41年5月
空母×1,敷設巡×1,駆逐艦×2,護衛駆逐艦×1,潜水艦×3,スループ×3,フリゲート・コルベット×27,

 41年6月
護衛空母×1,軽巡×1,敷設巡×1,護衛駆逐艦×3,スループ×4,フリゲート・コルベット×13,

 41年7月
駆逐艦×2,護衛駆逐艦×1,潜水艦×3,スループ×4,フリゲート・コルベット×13,

 41年8月
敷設巡×1,駆逐艦×1,護衛駆逐艦×2,潜水艦×1,スループ×11,フリゲート・コルベット×5,

 41年9月
駆逐艦×2,護衛駆逐艦×1,潜水艦×3,スループ×8,フリゲート・コルベット×9,

 41年10月
モニター×2,空母×1,軽巡×1,駆逐艦×2,護衛駆逐艦×4,潜水艦×1,スループ×6,フリゲート・コルベット×9,

 41年11月
戦艦×1,護衛空母×1,駆逐艦×1,護衛駆逐艦×2,潜水艦×2,スループ×11,フリゲート・コルベット×10,

 41年12月
軽巡×1,駆逐艦×3,護衛駆逐艦×3,潜水艦×4,スループ×10,フリゲート・コルベット×8,

 42年1月
駆逐艦×2,護衛駆逐艦×2,潜水艦×2,スループ×6,フリゲート・コルベット×3,

 42年2月
軽巡×1,駆逐艦×5,護衛駆逐艦×5,潜水艦×1,スループ×1,フリゲート・コルベット×6,

 42年3月
護衛空母×1,駆逐艦×1,護衛駆逐艦×1,潜水艦×3,スループ×10,フリゲート・コルベット×2,

 42年4月
駆逐艦×4,護衛駆逐艦×4,潜水艦×4,スループ×9,フリゲート・コルベット×6,

 42年5月
護衛空母×1,軽巡×1,駆逐艦×1,護衛駆逐艦×2,潜水艦×3,スループ×10,フリゲート・コルベット×8,

 42年6月
戦艦×1,軽巡×2,駆逐艦×2,護衛駆逐艦×6,潜水艦×3,スループ×9,フリゲート・コルベット×2,

 42年7月
護衛空母×1,駆逐艦×1,護衛駆逐艦×2,潜水艦×2,スループ×7,フリゲート・コルベット×2,

 42年8月
戦艦×1,軽巡×2,駆逐艦×5,護衛駆逐艦×4,潜水艦×4,スループ×11,フリゲート・コルベット×2,

 42年9月
駆逐艦×4,護衛駆逐艦×2,潜水艦×2,スループ×7,フリゲート・コルベット×1,

 42年10月
護衛空母×2,駆逐艦×6,護衛駆逐艦×4,潜水艦×1,スループ×8,フリゲート・コルベット×2,

 42年11月
護衛空母×1,駆逐艦×3,護衛駆逐艦×3,潜水艦×5,スループ×9,フリゲート・コルベット×3,

 42年12月
護衛空母×1,駆逐艦×3,護衛駆逐艦×3,潜水艦×6,スループ×6,フリゲート・コルベット×9,

 43年1月
護衛空母×2,軽巡×2,駆逐艦×1,護衛駆逐艦×2,潜水艦×2,スループ×4,フリゲート・コルベット×2,

 43年2月
護衛空母×1,駆逐艦×2,護衛駆逐艦×2,潜水艦×5,スループ×7,フリゲート・コルベット×2,

 43年3月
軽空母×1,駆逐艦×2,護衛駆逐艦×4,潜水艦×2,スループ×6,フリゲート・コルベット×2,

 43年4月
モニター×1,護衛空母×5,駆逐艦×2,潜水艦×6,スループ×7,フリゲート・コルベット×5,

 43年5月
駆逐艦×2,護衛駆逐艦×2,潜水艦×1,スループ×5,フリゲート・コルベット×6,

 43年6月
護衛空母×1,駆逐艦×3,護衛駆逐艦×2,潜水艦×4,スループ×7,フリゲート・コルベット×9,

 43年7月
護衛空母×1,軽巡×1,駆逐艦×3,護衛駆逐艦×1,潜水艦×3,スループ×7,フリゲート・コルベット×12,

 43年8月
護衛空母×7,軽巡×1,駆逐艦×4,護衛駆逐艦×5,潜水艦×4,スループ×11,フリゲート・コルベット×9,

 43年9月
護衛空母×2,軽巡×1,駆逐艦×5,護衛駆逐艦×9,潜水艦×1,スループ×7,フリゲート・コルベット×12,

 43年10月
護衛空母×1,軽巡×1,敷設巡×1,駆逐艦×3,護衛駆逐艦×14,潜水艦×6,スループ×11,フリゲート・コルベット×11,

 43年11月
護衛空母×4,軽巡×1,駆逐艦×1,護衛駆逐艦×15,潜水艦×2,スループ×11,フリゲート・コルベット×22,

 43年12月
護衛空母×5,駆逐艦×5,護衛駆逐艦×16,潜水艦×5,スループ×5,フリゲート・コルベット×17,

 44年1月
護衛空母×3,軽巡×1,駆逐艦×2,護衛駆逐艦×9,潜水艦×4,スループ×5,フリゲート・コルベット×11,

 44年2月
護衛空母×2,敷設巡×1,駆逐艦×2,護衛駆逐艦×2,潜水艦×3,スループ×5,フリゲート・コルベット×13,

 44年3月
護衛空母×1,駆逐艦×5,潜水艦×2,スループ×4,フリゲート・コルベット×6,

 44年4月
駆逐艦×3,潜水艦×4,スループ×10,フリゲート・コルベット×8,

 44年5月
空母×1,駆逐艦×2,潜水艦×3,スループ×9,フリゲート・コルベット×18,

 44年6月
軽巡×1,駆逐艦×1,潜水艦×4,スループ×3,フリゲート・コルベット×21,

 44年7月
駆逐艦×6,潜水艦×3,スループ×4,フリゲート・コルベット×11,

 44年8月
空母×1,潜水艦×3,スループ×7,フリゲート・コルベット×13,

 44年9月
駆逐艦×2,潜水艦×1,スループ×5,フリゲート・コルベット×12,

 44年10月
駆逐艦×4,潜水艦×4,スループ×4,フリゲート・コルベット×11,

 44年11月
駆逐艦×2,潜水艦×2,スループ×5,フリゲート・コルベット×15,

 44年12月
軽空母×1,駆逐艦×2,潜水艦×6,スループ×3,フリゲート・コルベット×7,

 45年1月
軽空母×2,潜水艦×1,スループ×2,フリゲート・コルベット×3,

 45年2月
軽空母×1,駆逐艦×1,潜水艦×2,フリゲート・コルベット×6,

 45年3月
潜水艦×2,スループ×3,フリゲート・コルベット×1,

 45年4月
軽空母×1,潜水艦×2,スループ×2,フリゲート・コルベット×2,

 45年5月
軽巡×1,駆逐艦×1,潜水艦×3,スループ×5,フリゲート・コルベット×5,

 45年6月
軽空母×1,駆逐艦×2,潜水艦×2,スループ×3,フリゲート・コルベット×2,

 45年7月
駆逐艦×3,潜水艦×1,スループ×2,フリゲート・コルベット×4,

 45年8月
駆逐艦×2,潜水艦×1,スループ×3,フリゲート・コルベット×1,

 この他にも揚陸戦艦艇だの沿岸警備艇だの機雷戦艦艇だのあるわけですが・・・ 勘弁してくださいっす.

ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板


 【質問】
 1940年7月のスターク案で計画された戦艦・空母・大巡を教えてください.

 【回答】
 20万トンの新型空母,42万トンの巡洋艦,25万トンの駆逐艦,7万トンの潜水艦,38.5万トンの戦艦が計画されました.

 FY41では,
Iowa級戦艦2隻(BB63-64),
Essex級空母1隻(CV9),
Cleveland級軽巡洋艦2隻(CL57-58),
Fletcher級駆逐艦8隻(DD445-452),
Gato級潜水艦8隻(SS212-219)

がまず計画されますが,直ぐに,

Iowa級戦艦2隻(BB65-66),
Essex級空母6隻(CV10-15),
Baltimore級重巡洋艦4隻(CA68-71),
Cleveland級軽巡洋艦9隻(CL59-67),
Benson級駆逐艦27隻(DD453-464/483-497),
Fletcher級駆逐艦18隻(DD465-482),
Gato級潜水艦20隻

が加わり,これに,大統領裁定で,

Montana級戦艦5隻(BB67-71),
Alaska級大型巡洋艦6隻(CB1-6),
Baltimore級重巡洋艦4隻(CA72-75),
Essex級空母4隻(CV16-19),
Cleveland級軽巡洋艦25隻(CL76-100),
Fletcher級駆逐艦150隻(DD498-648),
Gato級潜水艦36隻(SS248-264)
が加わりました.

 以後は戦時計画になるので割愛します.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 第2次世界大戦時の米海軍はやたら対空砲を乗せてますが,トップヘビーで問題にならなかったんですか?

 【回答】
 もちろん問題になっている.
 トップヘビー問題は,日本は友鶴事件を契機に終息したが,アメリカはまだその怖さを知らなかった.
 台風で3隻もの駆逐艦が沈没したのは,燃料切れによる重心上昇とあいまってのトップヘビー問題が原因だし,あまりにも大量に積み込まれた対空火器は,艦そのものの設計まで変更させることになった.

ボルチモア級重巡洋艦に対するオレゴン・シティ級
クリーブランド級軽巡洋艦に対するファーゴ級
アトランタ級防空巡洋艦に対するジュノー級

 これらは皆,対空火器の積みすぎによるトップヘビー問題を根本的になんとかしようと,艦級そのものを変えてしまった例.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WW2アメリカ海軍の戦力割り当てについて.対日:対独 この比率はどれぐらいでしょうか?

 【回答】
 1939年時点では,大西洋艦隊224隻に対し,太平洋艦隊159隻です.
 但し,太平洋艦隊に加え,アジア艦隊76隻がありますので,ほぼ拮抗していると言えます.
 太平洋戦争勃発時もほぼ同じくらいの比率で推移しています.
 例えば,戦艦は大西洋9隻に対し,太平洋8隻,航空母艦は太平洋3隻に対し,大西洋4隻と言った具合.

 真珠湾攻撃とその後の喪失で,大西洋艦隊から太平洋艦隊に転出するものが増えていっていますが,逆に護衛空母,護衛駆逐艦などが大西洋艦隊に重点配備されていきますので,隻数的には大して変わっていないと思います.

眠い人@風邪っぴき◆gQikaJHtf2


 【質問】
 「VEDETTA ATLANTICA」とは?

 【回答】
 第二次大戦中フランスに派遣されていたイタリア海軍潜水艦部隊基地だけで発行されていたイラスト週刊誌.

 1940年,独海軍デーニッツ中将の要請により,イタリア海軍はフランス・ボルドーにアンジェロ・パローナ提督指揮下のBETASOM潜水艦基地を建設.
 地中海を脱出した伊潜水艦群は,ここを前線基地として大西洋や遠くインド洋にまで出撃し戦果を挙げ,一部は極東航海にも出撃しました.

 下は,BETASOM潜水艦基地の全貌.
 BETAは,ギリシア数字のβを指し,SOMはSOMMERGIBILE(潜水艦)の略称.つまりはベータ潜水艦基地という隠語でした.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000283.jpg

 ここでは,サンマルコ海軍陸戦部隊の分遣隊250名が警備に就き,1943年のイタリア休戦後はここでRSI側に所属しています.
 また,デチマ・マス部隊フルミネ大隊第3中隊は正にココで初期の訓練を行っています.

 この大西洋に展開したイタリア潜水艦の活躍とベータソム基地については,2003年月号の「歴史群像」(学研)に掲載した拙記事“イタリア潜水艦極東派遣計画”記事8Pの中で紹介しています.
 機会が在ればご覧下さい.
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000197.jpg

 このBETASOM潜水艦基地で発行された「VEDETTA ATLANTICA」〈大西洋の防人(さきもり)〉は,B4サイズほどの8pばかりの小冊子ですが,最近の戦闘についてや部隊ニュースが半分で後は,将校をイラスト化したゴシップネタやスポーツニュース,それに必ずセクシー系女性イラストがあり,本土を離れた派遣基地での部隊員達の心を慰めたであろうと想像されます.

 同基地の名前を関したイタリアの潜水艦フォーラムでは,管理人がこの冊子を現代に復刻させて,新たにヴェテランのインタビューなどを載せています.
 興味の在る方は,上のページを開いて,アンダーラインのある“Vedetta Atlantica, Numero 1”をクリックしてください.その新聞のPDFデータがダウンロードできます.

 写真(2)は,ある一日の潜水艦搭乗員の記録写真や航海の記録写真.
 写真(3)は,左ページに異様に詳しくイタリア国内でのサッカーの試合結果が記されていました.
 そしてお約束の女性イラストは題して“朝のお洗濯”.

 また右ページには部隊員達の似顔絵と共に,自転車競技の速報も.
 この冊子では将校はネタにされる事が多く,図のイラストも名前こそないものの,本人の特徴を掴んだ
「あー,彼ね」
と基地の中で見る者全員に判るような究極の内輪ネタだったと想像されます.

 海軍は何処の国でもスマートさが売り物ですが,ダンディと言えばデチマ・マス部隊司令官のボルゲーゼ候などもなかなかです.
http://www.ilikeyourstyle.net/borghese.jpg


 そして,戦争中でもサッカーを忘れないのは流石イタリア!
 ……や,ドイツも一緒でしたね(笑).

 ちなみに1942年5月10日号でのセリエAの順位は,トリノ,ローマ,ヴェネチア,ジェノヴァ,ラツィオ,ユヴェントス,ミラノ…と続き最下位のナポリまで16チームを数えました.

 それから,この冊子に書かれていたセリエAの順位一覧です.数字は試合数,勝ち/負け/引き分け試合や得失点差だと思われます.

TORINO: 24 13 6 5 40 29 32
ROMA: 24 12 8 4 35 18 32
VENEZIA: 24 11 7 6 30 19 29
GENOVA: 24 9 10 5 38 25 28
LAZIO: 24 9 8 7 41 31 26
JUVENTUS: 24 10 6 8 37 32 26
MILANO: 24 10 5 9 45 36 25
BOLOGNA: 24 10 4 10 38 29 24
TRIESTINA: 24 7 10 7 22 24 24
AMBROSIANA: 24 7 9 8 29 32 23
LIGURIA: 24 8 6 10 33 42 22
FIORENTINA: 24 8 5 11 37 42 21
ATLANTA: 24 8 5 11 29 32 21
LIVORNO: 24 7 6 11 28 43 20
MODENA: 24 5 6 13 18 43 16
NAPOLI: 24 4 7 13 23 43 25

 1942年5月3日(日)の試合結果は,
MODENA-LIVORNO:3-0,
AMBROSIANA-NAPOLI:1-0,
LAZIO-BOLOGNA:2-2,
LIGURIA-JUVENTUS:0-3,
TORINO-GENOVA:3-4,
TRIESTE-ROMA:0-0,
VENEZIA-MILAN:1-1,
FIRENZE-ATLANTA:1-2
となっています.
 MILANOはこの頃,既にチーム名をMILANと表記されていた事も判りました.

 また,近く行われる枢軸各国のトーナメントについての記述もあり,先のブダペストで行われたハンガリー戦に5-3で勝ったドイツ・チームについて,
「やや闘志に欠いていた」
とコメントしていたり,オーストリア,スペインチームや次のイタリア対ドイツ戦についての観測などもありました.

 この枢軸カップはいつ頃まで続いたのか,興味深いものがあります.

 やはり今も昔も伊達男にはサッカーと女性が,関心事の上位を占めるのでしょうか(笑

よしぞう(maro') in mixi,2006年08月05日17:21
〜2006年08月06日 15:17


◆◆◆沿岸砲台


 【質問】
 沿岸砲台との撃ち合いは水上艦艇が不利,というのはよく言われることだが,必ずそうだとも言えないのではないか?
 水上艦艇側が15cm以上の砲を100門以上揃えるのは難しくないけど砲台側は数で不利.
 精度では有利だが,固定目標なので被弾もし易い.

 【回答】
 沿岸砲台が固定だから被弾しやすいといっても,撃つ船の方が動揺してるんだから固定とは言えない.
 逆に砲台から見たら,船がいくら揺れても位置は変わらない〜予測がつくから,こっちは固定した的を撃ってることになる.

 また,砲台は重量,体積の制限が少ないから,揚弾機から装填機から贅沢してじゃかすか撃てる.
 船は砲台を重くしたらトップヘビーで転覆するから,最小限でガマンする必要がある.
 装甲についても同じ.

 条件次第には違いないが,そりゃあ沿岸砲台はずるい.

軍事板

 あと,沿岸砲台は砲台以外の場所に弾が当たってもなんともないけど,水上艦艇はフネとして致命的な場所がやられると,大砲が無傷でも沈んじゃうっていう不利がありますね.

唯野 in mixi支隊


 【質問】
 ジブラルタルの沿岸砲台というのはそんなに強力なのですか?

 【回答】
 Gibraltarの沿岸砲には,LoadNelson級などの前弩級艦から取り外した9.2inMk.X/Mk.XIが14門配備されており,これを補完する形で,IronDukeなどの副砲となっていた6inMkVIIが多数配備され,更に近距離用として,12ポンド速射砲Mk.I/II/Vが配備されていました.

 1940年当時のItaly海軍が束になって掛かってきても,結構良い勝負をしたのではないか,と.
 しかも,Gibraltarは航空機が使えますから,航空機の傘のないItalyではどうしようもないでしょうし.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 沿岸砲台は多く存在したのに,沿岸魚雷発射管はなんで殆ど配備されなかったのでしょうか?

敵艦隊来襲!→魚雷全弾を扇状に発射!→敵艦に次々命中!ウマー!

ってな具合にならないのでしょうか?

 【回答】
 まず,無誘導の魚雷はそうそう簡単に当たるもんじゃない.
 無事発射するには,発射地点の水深などに大きな制限がある.
 魚雷はとても大型,高価で重く,砲弾みたいにほいほい運んでどんどん撃ったりできない.
 魚雷ってのはスゲェ高い上に命中率はあんまし良くない,次ので修正・・・なんて事は出来んからね.
 地上発射の場合だと,自分から動いて最良の射点ってのは無理だからもっと低くなるだろう.

 数発撃っただけで発射点潰されて,しかも撃った魚雷は全部はずれるということになるのがオチ.

 戦前日本では,海峡を扼する要塞地帯に魚雷保塁とか作られてはいたが.

軍事板

 上述回答以前の問題として,魚雷の射程は砲台の数分の1です.
 酸素魚雷なんて常識外のシロモノは日本の専売特許ですから,他国の魚雷を同水準に考えちゃいけませんよ.
 加えて,魚雷の馳走プロセスとして,着水直後一旦沈み込むことが知られていますが,
 これはつまり発射台直下の水深が一定以上確保されていなければならないということでもあります.

 要するに設置条件が砲台に比べてずっと厳しい上,そもそも有効射程内に目標が入ってくる可能性が低いんです.
 逆に否応無く目標が射程内に入らざるを得ない地勢の場合(海峡など),魚雷発射管は非常に有効な武器となります.
 ブリュッヒャーがフィヨルド内で食われたのもそういうことです.

ゆうか in FAQ BBS


◆◆◆空母/航空機搭載艦

◆◆◆護衛艦船


 【質問】
 ここ
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/index.html
に出ている「護衛駆逐艦」「護送駆逐艦」とは何でしょうか?
 普通の駆逐艦との違いや特徴などを教えていただければ幸いです.

 【回答】
 米国海軍的言い回しですと、Destroyer Escortになります。
 英国海軍なら、Escort Destroyer。

 駆逐艦の様に艦隊決戦に用いず、船団護衛に主に用いられるもので、魚雷発射管は殆ど搭載せず、砲口径も小さく、対空火器と対潜装備を充実させたものです。
 更に,量産が効くよう各種装備は簡略化され、速度も船団維持と潜水艦の速力より高いくらいなので、余り出せませんし、
 それを前提に、ディーゼル主機とかディーゼル電気推進、タービン艦でも、ボイラーは三連成機関となっています。

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 フランス・イタリアの駆逐艦は,なぜ無闇に高速だったのか?

 【回答】
 速力を装甲の替わりとするためだったという.
 以下引用.

 フランス海軍の大型駆逐艦は,地中海の覇を競ったイタリア海軍の駆逐艦との戦闘を強く意識して計画されたもので,いわば軽巡洋艦の代用である.
 ただ巡洋艦と違い,いくら自艦の砲力が相手駆逐艦に勝っていても,装甲を持たない駆逐艦は直接防御に関しては脆弱である.
 そこで速力を間接防御的に使おうという発想が生まれる.つまり,敵に対してかなりの優速を確保すれば,不利な状況からの離脱が容易になり,攻撃力も発揮できるというわけである.
 この発想はイタリアも同様で,第2次大戦までに仏伊海軍が計画建造した戦闘艦艇の多くは,さながらスピード競争の観があった.

「世界の艦船」2006年10月号,p.99

 ただし,カタログ・データについては粉飾が行われていた事例もあるという.
 以下引用.

 本級〔イタリアのナヴィガトリ級〕は公試において,かなりの高速を記録しているが,出力は計画値より相当大きく,かつ排水量の軽い状態である.
 例えば本級のある艦では,排水量1,921.7tの状態で,出力は1軸当たり30,300馬力,速力は39.58ノットというデータが残っているが,これなどは高速を得るためだけの試験と言ってよい.
 ただし,これはイタリア海軍のみが行ったことではなく,同様のデータはフランスの駆逐艦でも見られる.

「世界の艦船」2006年10月号,p.103


 【質問】
 なぜドイツ海軍は15cm砲を搭載する駆逐艦を建造したのか?

 【回答】
 軽巡洋艦の劣勢を補うため,1936年A型,1936年A(Mob)型,1936年B型の3種の駆逐艦に,15cm砲を搭載している.

 で,いざ搭載してみたら,やはり駆逐艦の船体で15p砲は重すぎて復元性が悪く,特に冬の北海等では使い物にならないことが分かった.
 更になんとか装填出来た12.7pと比べ,15p砲弾を手動装填するのは無理がありすぎ(当然,自動装填装置などを付ける余地はない),出航してすぐドックにUターンして元に戻すはめになった.

 結局,大戦の一番重要な時期,独水雷戦隊の大半はドックでいじくり回される事に終始し,苛烈な欧州大戦に何ら寄与することなく終わったという.

ふぁいるず in 軍事板

 なお,ドイツ海軍は第1次大戦でも駆逐艦に15cm砲を搭載してみたが,2,000t級の船体に搭載したので,非常に扱い辛い砲になったという.
 12隻の建造を計画したが,S-113とV-116の2隻のみ完成.
 大戦後,S-113はフランスへ,V-116はイタリアへ引き渡され,両国海軍の大型駆逐艦に少なからず影響を与えている.

 詳しくは「世界の艦船」2006年10月号,p.94-97を参照されたし.

 なぜ先の大戦の教訓を生かすことができなかったのかは,謎.


 【質問】
 第二次大戦時のドイツ海軍でも,小さいにしろ海路が存在するので,船団護衛を行う必要があったと思うのですが,どんな艦を使っていたのでしょうか?

 【回答】
 地中海でのItalyからLibyaに向かう場合は船団を組んでいますし,北海沿岸やバルト海でも黒海でも船団を組んでいます.
 但し,英国などとは比較にならないくらい小規模な船団(地中海除く)でしたが.

 地中海の方は主にItaly海軍の範疇でしたし,黒海はBulgariaあるいはRomaniaの海軍が主に護衛を担当していました.

 護衛艦艇としては,主に小型艦艇,魚雷艇Sボートの他,機動掃海艇Rボート,掃海艇Mボートが用いられていましたし,特設掃海艇,特設駆潜艇(トローラー)が用いられています.
 この中で多用されたのがRボートで,300隻が建造されて用いられました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 日本の駆逐艦は対潜能力が低くかった為,潜水艦からも良い攻撃目標にされてしまったのは有名ですが,同じ枢軸国のドイツやイタリアの駆逐艦の対潜能力は日本の駆逐艦と比較して,どの程度のものだったんでしょうか?

 【回答】
 駆逐艦に関して言えば,対潜能力は日本と同程度か音響兵器の性能が上であった分,勝っていると言えます.
 但し,対潜戦術については同等レベルでしょう.
 また,ドイツ,イタリアに関しては,潜水艦に撃沈されるよりも,空爆で破壊されることの方が遙かに多いでしょう.
 潜水艦にやられたのはドイツよりイタリアの方が多いですが,潜水艦の出没海域とか動きやすさを考えれば,北海やバルト海より,地中海の方が遙かに動きやすいので,一概には言えませんし.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 第二次大戦前後の英国でのコルベット、スループ、フリゲートの明確な定義を教えてください。

 【回答】

スループ  元来は艦隊随伴用の商船規格の船体構造を持つ、航用掃海艇のことです。
 そこから分化して、船団護衛型、哨戒艇型が誕生しています。
 更に、護衛艦のプロトタイプにもなっています。
コルベット  スループより小型で量産性に優れた船団護衛艇で、キャッチャーボートを原型にしたものです。
フリゲート  コルベットは量産性に優れていましたが,潜水艦の性能向上に太刀打ち出来なかったので、航用性を高め、長期間の護衛任務に適した居住性、速力の向上、兵装の強化を行なったもので、元来は、「二軸コルベット」「高速コルベット」と呼ばれています。
 言わば、高級なコルベットです。

 第二次大戦後の1950年代にこれらは一本化され、スループは元の艦隊掃海艇に、コルベットは除籍されて、船団護衛任務に就く艦をフリゲートと称して現在に至っています。

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 英海軍の対空砲艦というのは,どのような艦なのですか?
 小型貨物船に対空砲を積んだものなのではないかとは思うのですが.

 【回答】
 対空砲艦には二種類有り,一つは1,800〜6,800総トンの貨物船(前身は特設巡洋艦として徴用したもの)に,4インチ連装高角砲を艦の前後に2基当て装備し,4連装2ポンド砲を船橋側面に2基配備したものがDefaultの武装でした.
 Alynbank,Foylebank,Palomares,Pozarica,Prince Robert,Ppringbank,Tynwald,Ulster Queenの各船です.
 この内,Prince Robertはカナダ海軍のもので,元来特設巡洋艦だったものこの艦種に転換したものです.
 後に,2ポンド砲は撤去され,40mmボフォース機関砲を4門と20mmエリコン機関砲を9門装備しています.
 なお,武装強化では,他の生残りの艦は順次20mmエリコンが6門追加されています.
 Springbankには,これに加えて,Fulmar戦闘機を1機カタパルトに装備していました.

 1943年に生き残ったAlynbank,Prince Robert,Palomares,Ulster Queenのうち,Alynbankは1944年に閉塞船としてノルマンディーに沈められ,残りは対空指揮艦となりました.

 もう一つのものは,350〜3,000t級の沿岸貨物船を改造したもので,6隻のスクリュー船と26隻の外輪船がこの任務に当たっています.
 後者のうち20隻は,特設掃海艇から改造されたものです.
 武装は,初期の頃は2ポンド砲を艦の規模にも依りますが,2〜6門と若干の機関銃,後に,2ポンド砲は20mmエリコン機関砲に換装されています.
 また,一部の艦は12ポンド砲1門,2ポンド砲2門,最大の艦である,Coronationは,20口径3インチ砲2門,2ポンド砲2門を装備していました.
 なお,この沿岸対空砲艦で喪われたのは,4隻ありました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 ポーター級のトップ・ヘビーの問題は,サマーズ級ではどのように改善されたか?

 【回答】
・前部に集中した缶室の排気を纏め,1本煙突に.
・後部上構を縮小
・後部方位盤を廃止
・効率向上による機関部重量の削減

 詳しくは「世界の艦船」2006年10月号,p.88を参照されたし.


◆◆◆戦艦およびその亜種

 【質問】
 実戦ではあまり役に立っていない,「12インチ級の主砲を搭載した大型艦」が各国で作られた or 計画された理由は?

 【回答】
 この級の艦は,大西洋と太平洋ではまったく別のルートを辿って発生してる.

 大西洋側は,
独逸がドイッチュラント級を建造

鈍足旧式戦艦しか持ってなかったフランスが,大慌てしてダンケルクを建造
(戦艦ではポケット戦艦に追いつけない,巡洋艦ではポケ戦に勝てないって考えたから)

独逸がダンケルクに対抗する為にシャルンホルスト級を建造
(当初は38cmを積む予定だったが,英国の顔色に気を使った結果,28cm搭載になっちゃったという中途半端化)
こういう流れ.

 イタリアのコンテ・ディ・カブール級やカイオ・デュイリオ級は,手持ちの旧式艦を何とか使い物にする為に四苦八苦した結果

 まぁ,条約の制限の下でアレコレやりくりした末の産物だね,どれも.
 だから条約の縛りが無くなった結果,
「って言うか,高速戦艦使えば良くね?」
ってことになって廃れた.
 つまり,戦艦には砲戦で負ける.巡洋艦には速度で負ける.しかも,条約後に建造された戦艦はいわゆる高速戦艦であるため,存在意義なし,という結論に.

 んでもって太平洋側.
日本:「夜戦部隊の指揮に重巡使うと防御力が弱いんだよなぁ.指揮艦がサッサと戦闘不能になったら困るよなぁ」
ってことで,夜戦部隊の指揮艦として必要な防御力と速度を持たせた結果,ああなった.
 当時の日本の作戦は漸減作戦であり,夜戦を重視していた.
 ところが,「高雄」級では通信能力が追いつかなくなってきていて,その上,「金剛」は退役寸前ときたので,砲力があり新しくて,旗艦として使いやすいのが欲しかったわけ.
 でも冷静に考えてみたら,
「って言うか,高速戦艦使えば良くね?」
ってことになって,以下同文.

 で,アメリカが
「重巡と超甲巡が戦隊組んで押し寄せたら,こっちの重巡じゃ勝てなくね?」
って考えた.
 アイオワ級は金剛級潰すのに必要だったから,アイオワと重巡の隙間を埋める為にアラスカ級が建造された.
 でも超甲巡がポシャったから意味なしおちゃん.
 空母大建造に押されて就役は遅れに遅れ,何とか二隻が就役したが,戦いの帰趨は既に決しており,碌に活躍も出来ず戦後しばらくして退役.

 戦後にソビエトが計画したスターリングラード級は,
「高速で米機動部隊に近づき,超長射程の武器で先制の一発をかましてそのまま遁走」
ってプランで計画されたけど,これも結局金かかるしミサイルあるしでポシャった.


 【質問】
 リシュリュー級戦艦2番艦のジャン・バールの機関出力は1番艦に比べ,どれ位強化されてたの?

 【回答】
 手元資料では,Richelieuが150,000shp,JeanBartが165,000shpです.
 ちなみに,速力は前者が30kts,後者が32kts,重油搭載量は前者が6,796tに対し,後者が6,476tと少なくなっています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 ナチスドイツの装甲艦ドイッチュラント級についてなのですが,
「コンパクトな船体と快速に戦艦に準じる砲撃力を持った,斬新な設計」
なんていう謳い文句をよく見ます.
 でも,これって昔の準ド級巡洋戦艦や装甲巡洋艦と何が違うのでしょうか?
 この2タイプには持ち得ない,かの船の革新性ってなんですか?

 【回答】
 巡洋戦艦ってのは装甲を削って快速性を得た戦艦.
 装甲巡は装甲を強化して抗堪性を得た巡洋艦.
 あくまでもサイズ的には戦艦や巡洋艦に準拠してるし,その範疇を逸脱していない.

 対してポケット戦艦は,両者の中間的なサイズの中に,巡洋艦に殴り勝つ砲と戦艦から逃げ切る脚を持ってる.
 しかも脚は,燃費がよくて航続距離の長いディーゼル.
 で,それを艦隊戦力じゃなくて通商破壊に投入するところに妙が有るって事.

 船団は護衛の巡洋艦以下ごと殴り倒し,戦艦が出てきたら即座に逃げ出す.
 航続距離が長いから,一旦これに逃げられたら,追いかけ回す側は手間がかかる.
 しかも,貴重な戦艦を船団護衛に貼り付けっぱなしって訳にもいかない.

 確かに設計も斬新だけど,コンセプト自体が振るってたのよ.

▼ ただし下記項目に述べられているように,ポケット戦艦による通商破壊は,あくまで補助的任務である模様なので,その点は留意されたし.▲

ポケット戦艦

(うそ)


 【質問】
 独のドイッチュラント級装甲艦は通商破壊艦として作られたのではなく,主敵だったのは北欧の海防戦艦やソ連,フランスの弩級戦艦だと聞きました.
 それならばなぜ,10ノットで20000海里,20ノットで10000海里なんていう,常識外れの航続力を持っていたのでしょうか?
 一体何が目的だったのでしょう?

 【回答】
 ドイツ海軍の水上戦力の量的貧弱さに起因する,過剰な展開能力の要求だ.
 船は戦場となる海域に存在しないと意味はないんだが,ドイツはあっちの海にもこっちの海にもと,強力な戦力を配置する事ができなかった.
 そこで貴重な主力艦に高速巡航能力と航続力をもたせて,あっちへこっちへと動かせるようにすることで補おうとしたわけ.

 当時はZ計画が生きてたんだよ.
 ドイツの装甲艦Aに要求されたのは,第一次世界大戦で失われた主力戦艦の当面の代替にして,バルト海の海上優勢確保だけだ.
 しかし当時のドイツは,東プロイセンがポーランド沿岸に孤立していたため,作戦海域を広く想定せざるを得なかった.
 そしてドイツ海軍に許されていたのは,排水量10,000tまでの戦艦もどきが6隻のみ.
 他には6,000t以下の巡洋艦が6隻,800t以下の駆逐艦が12隻,200t以下の水雷艇も12隻だけ.
 潜水艦と航空機に至っては保有すら許されていない.

 にもかかわらず,ポーランドとその同盟国フランスに加え,北欧各国にも備えなければならない立場だった.

 この困難な状況に対する回答がドイッチュラント級装甲艦.
 (当時は)旧式ばかりのフランス戦艦と,戦艦を持たないその他の国に対抗するには十分な実力をもつ艦だった.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ポケット戦艦は通商破壊とその支援用に開発された艦種なのでは?

 【回答】
 ダウトなんだな,これが.

 計画案からずっと見てくと,通商破壊は補助的任務に過ぎない.
 本音はあっちへ行きこっちへ行き,の高速巡航力が求められたのであって,長大な航続力ってなその「おまけ」でついてきたもの.

 つまりさ.普通軍艦の巡航速度って16〜18ノットなんだけどね.
 ドイッチュラントは20ノット,あるいはそれ以上でカッ飛ばして戦場を行き来することが求められたの.
 その結果,より低速でなら化け物じみた航続力になったわけ.

 この辺の経緯は『German Warship』(Conway)とか読んだらきっちり書いてある.

 ドイツが求めたのは通商破壊ではなくバルト海の制海権なの.

 よーく考えてみ.
 通商破壊しかける相手がどこにいる?
 イギリスはあまりにも戦力差がありすぎて論外.
 現実的な対抗国は陸続きのフランスやポーランド,ソ連に北欧.
 この辺の国に通商破壊仕掛けて意味あると思う?
 中長期的視点で見ないと効果が出ない通商破壊戦が,一定の成果を上げるのを待っても,その前に国土を蹂躙される恐れのほうが,はるかに高いことがわかんない?

 つまりさ.
 ポケ戦建造当時のドイツにとって海軍は即効性のある能力が最も求められていたの.
 時間がかかる戦果はほとんど意味を持たないの.
 洋書の中ではトップレベルの権威であるConwayの,『GERMAN WARSHIPS 1815-1945』の記述なんだけどね.

軍事板
青文字:加筆改修部分



 【質問】
 クールベくらいならなんとかなっかもしんないけど,リシュリューとかダンケルクとか完成したら ,ポケット戦艦で対抗すんのは無理っしょ ?
 ブリターニュでもきっついかもしんないのに.

 【回答】
 だからダンケルクに対抗してシャルンホルストが計画された.
 その原案である装甲艦Dにおいて,すでに武装強化は要求されている.

 後,ポケット戦艦は何も1対1でド級戦艦に対抗しようとしていたわけではないよ.
 6隻のポケット戦艦が組めば,2隻や3隻のド級戦艦と真っ当にやりあえる,はず,だった.

 それに2隻合計片舷12門の11インチ砲は,大抵のド級戦艦の攻撃力を上回るわけで.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ポケット戦艦「ドイッチュラント/リュッツォウ」について教えられたし.

 【回答】
 第二次世界大戦時のドイツ海軍装甲艦(ポケット戦艦)ドイッチュラントDeutschland (1939年10月,リュッツォウLützowと改名)

 同級は,当時,ドイツ海軍に在籍していた旧式戦艦を代替する為,ベルサイユ条約のドイツ主力艦建造制限(基準排水量1万トン以下,主砲口径28.3cm以下)に従って建造されましたが,巡洋艦サイズの船体に28.3cm主砲6門を搭載した快速ディーゼル装甲艦は,1933年の就役当時,世界の海軍関係者を驚かせました.
 特に,この制限枠内では大した艦は造れないだろうとタカをくくっていたイギリス,フランス両国の驚愕は著しく,フランスは,対ポケット戦艦用として,ダンケルク級戦艦を建造しました.

 第二次世界大戦では,初期に長大な航続距離を生かし大西洋で通商破壊戦を実施した後,ノルウェーに配備され,戦況悪化に伴いドイツ本国へ戻りました.

 本艦はバルト海に配備され,28.3cm主砲で陸上砲撃を行い,ソ連赤軍に押されて西へ西へと退却していくドイツ陸軍を援護しました.

 本艦の就役時の名は「ドイツ」そのものを表す意味でしたが,ヒトラーが
「万が一,"ドイツ"の国名を付けた艦が沈没すれば士気が低下する」
と横槍を入れた為,改名させられました.

 1945年4月16日,バルト海沿岸のスヴィネミュンデ港に停泊していたリュッツォウは,イギリス空軍の空爆により大破着底.
 動けない本艦は,それでも主砲は使えたので,しばらくは艦砲射撃を行っていましたが,ソ連軍がスヴィネミュンデ港に迫ってきたため,艦は放棄されました.

 翌5月4日,リュッツォウは,スヴィネミュンデ港へ進撃してきたソ連赤軍の手に落ちました.

 写真は,1945年5月にスヴィネミュンデ港で撮影された,ソ連海軍の手に落ちたリュッツォウです.
 甲板上に居る人々は,ソ連海軍バルト艦隊の将兵です.

 1946年9月26日,本艦は引き揚げられ,バルト艦隊に編入されましたが,船体の傷みが酷く,復帰させる事は不可能であった為,翌1947年7月20日バルト海中部で実験標的船として使用され,7月22日に沈没しました.


Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/1/13(日) 午後 7:47


 【質問】
 ビスマルクの装甲が比較的薄いってことは,ビスも通商破壊用?

 【回答】
 んにゃ.
 あれは,保有量が少ない弱小国の悲哀の体現.

 ビスの装甲は,ある意味対砲弾防御をあきらめ,爆弾への対抗だけ考えた厚さだ.
 ビスが本気で敵戦艦と戦うときはかなりの接近戦を考えていたってこった.
 そうでなければひたすら逃げるから天蓋の装甲厚は必要ない.
 射たれて砲塔ブチ抜かれて射撃不能になったとしても,もともと射つ気ないんだから無問題.
 その分を船体防御に回して機関だけは何が何でも守る,つーのがビスマルクの設計コンセプト.
 機関部の安全を確保して,絶対優位な時以外はとにかく逃げる.
 沈没寸前までボコられても,帰り着くことさえできればまた復旧できる.
 1隻失ったら全戦艦戦力の20%,30%の喪失に相当してしまう,つー悲しい国なのよ.たかが1隻のプラスマイナスが戦略環境を激変させてしまうような,ね.

 日本も人のこと言えないけどな.
 アメリカつう持てる国が仮想敵なもんだから,1隻たりとも無駄に失えない.
 だから大戦中,戦艦はあんな消極的な運用になったわけよ.

軍事板

 つまり,「やわらか戦艦」?

 【参考動画】
「ワレYouTube発見セリ」:Battleship Bismarck


 【質問】
 第2次大戦時のソ連海軍には,外国からの譲渡艦以外にも戦艦はあったのですか?

 【回答】
 あった.
 第2次大戦勃発時,ガングート級が書類上は4隻,戦力として計算にできる艦としては3隻存在していた.
 本級はイタリア戦艦の影響を受けているという.
 以下引用.

 日露戦争後の海軍再建を目指した1908年計画により,バルト海用に建造されたロシア海軍最初の弩級戦艦.
 〔略〕
 設計に当たっては,イタリアの造船官ヴィットリオ・クニベルティの提案を相当にとり入れ,これにロシア独自の要求,仕様を折り込んだもので,305mm 3連装砲塔の中心線上等間隔配置をはじめとして,当時建造中の伊弩級戦艦ダンテ・アリギエリ Dante Alighieriと多くの点で類似している.
 同時期の列強弩級戦艦より優速の23ノットとし,このための機関部重量を賄うため,舷側装甲は若干薄くされており,戦艦と巡洋戦艦の中間的存在と言える.

「『世界の艦船』増刊第35集 ロシア/ソビエト戦艦史」(海人社,1992/12/15),p.86

※砕氷艦首の採用,全副砲の舷側ケースメイト装備(イタリア戦艦は一部連装砲塔),水平甲板型船体の採用,缶室配置や防御要領の相違など,ロシア独自設計による部分も多々あった.

同,p.87

 本級は第1次大戦の生き残りだが,第1次大戦では殆ど活躍せず,第2次大戦でも,緒戦時に大損傷を受けたこともあって活動は消極的だった.
 以下引用.

 船体強度の設計ミスなどにより建造が遅れ,第1次大戦中に完成したがほとんど活躍せず,革命で1隻が戦力的価値を失い,残る3隻がソ連海軍の主力となった.
 両大戦間に近代化改装を行って艦容を一変し※2,第2次大戦では大損傷を被ったが生き残り※3,戦後解体された.
――「『世界の艦船』増刊第35集 ロシア/ソビエト戦艦史」(海人社,1992/12/15),p.86
 ※2 革命後,本艦〔Gangut〕はしばらく放置されていたが,1925年7月,オクチャブルスカヤ・レヴォルチャと改名し(1942年,旧艦名に復す),整備の上,1926年に再就役した.
 次いで1931〜34年に艦首のクリッパー型化,前檣楼・艦橋構造および後檣と後部構造物の改正・整備,第1煙突を斜め後方に屈曲・誘導化,航空機搭載と3番主砲塔への射出機装備,後檣への揚収クレーン設置,対空兵装強化,重油専焼ボイラーおよびタービン換装などの近代化改装を実施して艦型を一変した.
――同,p.87
 なお,航空兵装は1941年撤去された.
――同,p.88
 これ〔レーダー・アンテナ〕は第2次大戦終了前後には既に装備されていた.
――同,p.89
 ※3 1939年11月,ソビエトは突然フィンランドを攻撃し,いわゆる「冬の戦争」が勃発した.
 この時唯一の可動艦マラートが出撃し,コイビストを砲撃したが,フィンランド軍の反撃を受け撤退した.

 1941年6月末,ナチス・ドイツのソビエト侵攻作戦であるバルバロッサ作戦が発動し,バルト海沿岸の海軍基地は次々にドイツ軍に占領され,ソビエト艦船の動きは完全に封じ込められてしまった.
 〔略〕
 9月にはレニングラード攻防戦も始まり,ドイツ空軍のスツーカがマラートを撃破した.
 こうして第2次大戦中,ソビエト戦艦は戦闘の表舞台に現れないばかりか,その存在さえも失ってしまったのである.
 〔略〕
 1941年のソビエトは最新のシーパワーを供給する技術力も海軍理論をも欠いていた.
 その結果,第2次大戦のソビエト戦艦は,戦歴と言えるものを殆ど残していない.
――同,p.139
 〔Gangutは〕レニングラード攻防戦中の1941年9月21日と翌42年4月4日に,ドイツ軍機の爆撃により,かなり損傷したが,その都度復旧され,1944年のレニングラード解放をはじめ,陸軍支援の砲撃作戦を行っている.
――同,p.90
 〔マラート Marat は〕1941年9月23日クロンシュタットでドイツ軍機の爆撃により大破着底,戦後浮揚の上,砲術練習艦ヴォルコフとなったが,1953年に解体された.
――同,p.93
 もっともマラートはその後も砲塔だけは海面上に出ていたため,レニングラード攻防戦ではドイツ陸軍部隊を砲撃してはいた.
――同,p.139
 〔パリスカヤ・コンムナ Parizhkaya Kommunaは〕1942年に旧艦名〔セヴァストーポリ Sevastopol〕に戻った.
 1941〜42年,黒海で陸上砲撃作戦に従事したが,ドイツ軍機の攻撃で損傷し,黒海での戦闘終了までポチに引き篭もっていた.
――同,p.97

 以下のサイト
http://earth.endless.ne.jp/users/mac0115/gangut.html
には,要目や側面図等が掲載されているので,参照されたし.

消印所沢

 さて,革命後の大混乱からようやく立ち直り,造船設備が整備されて大型艦建造が可能になってくると,「戦艦だぁい好き!おじさん」でもあったスターリンは,1936年5月になって新戦艦の設計に着手した.
 これは23号計画と呼ばれた艦隊建造計画の一部だったが,その計画とはなんと,戦艦15隻,重巡15隻,その他数十隻の大量建造!
 しかも,新戦艦ソビエツキーソユーズ3隻の建造にかかった費用は,年間国家予算の1/3.
 何を考えてたんだ,スターリン!

軍事板,改

 なお,ソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦の主砲B-37型50口径40.6cm砲
http://www.navweaps.com/Weapons/WNRussian_16-50_m1937.htm
は,1939〜40年に掛けて12門が製造されましたが,以後の製造はストップ.
 完成した砲は,レニングラードの陸上砲台に転用されたようです.

 ちなみに,同級の主機は,スイスのBBC社製になる予定でした.

 独ソ戦争が無かったら,1946年頃には竣工していたと思われ.
(当時,ソ連は,本級の建造期間を60ヶ月と見積もっていたが,実際には,もっと長くなったでしょう)
 実際の予定では4隻建造(起工されたのは3隻)する事になっていたので,全艦竣工すれば,1隻は太平洋艦隊に配備されたかも・・・・

「シア・クァンファ」改め「紅月ひかる」 in FAQ BBS


 【質問】
 戦艦「マラート Marat」とは?

 【回答】
 ソヴィエト連邦(ソ連)海軍戦艦「マラート」Маратは,ロシア(ソ連)海軍における正式類別は
Линейный корабль(「主力艦」「戦列艦」)
です.

 当初はペトロパヴロフスクПетропавловскという名でした.

1909年6月3日,バルチースキー・ザヴォートで起工
1911年5月16日,バルト艦隊編入
1911年8月27日進水
1914年12月4日就役

1921年3月31日,「マラート」と改名.

1928〜1931年に掛けて,近代化改装が行われ,外見が変わりました.

1935年1月11日,赤旗バルト艦隊に編入.

 大祖国戦争開始後の1941年9月23日,クロンシュタット軍港に停泊中の本艦は,ドイツ空軍の急降下爆撃機ユンカースJu-87D-1シュトゥーカ(発動機出力1,420馬力,最大速度408km/h,航続距離1,165km,最大爆弾搭載量1,800kg)の攻撃を受け,1トン爆弾が命中,乗員326名が死亡しました.
 Ju-87D-1は,発動機出力を強化,爆弾搭載量を大幅に増やし,1000kg爆弾を運用できるようにしたタイプです.

 この時,Ju-87に乗っていたのは,かの有名な「爆撃王」ハンス・ウルリッヒ・ルーデルHans-Ulrich Rudelであり,マラートは,この時に「撃沈」された・・・・・・というコトになっております・・・

 そして上の写真1枚目は,1942年に撮影された「撃沈」後の「マラート」ですが・・・

 ・・・つーか,沈んでいません・・・・・(^^;

 2枚目の写真(1937年6月撮影)と比較すると御分かりになるでしょうが,船体は第2主砲塔の前で切断されており,艦橋及びその直後にある第1煙突から前部分が無くなっています.
 第2主砲塔から後ろは残っているので,ルーデルが放った1トン爆弾は,ちょうど第1煙突あたりを直撃したようです.
(本人の回想によると,煙突に命中している)
 沈んだのは,第1煙突から前部分だけだったようです.

 ただ,1トン爆弾が,もうちょっと前か後ろに命中していれば,主砲の弾薬庫に引火,誘爆して轟沈,という事も有り得たので,際どい所だったのは確かです.

 良く見ると,第2煙突と後部構造物の間に万国旗が飾られています(^^;

 前部分が無くなったマラートでしたが,1941年10月初頭,後部の一部分は修理され,10月31日,フィンランド湾の南沿岸のドイツ軍部隊に向かって305mm主砲を発射,一矢を報いました.
 重度の燃料欠乏の為,マラートは4箇所ある主バッテリーの内,2箇所(第3,第4バッテリー)しか使えず,射撃する機会は限られていましたが,それでも翌1942年11月9日まで,定期的にドイツ軍部隊を砲撃しました.

 マラートは1941年10月31日に初砲撃を実施した後,11月以降も砲撃を続け,クロンシュタットとレニングラード間の交通路確保の為,305mm主砲による対砲兵制圧射撃を実施しました.

 しかしそれは,マラートを「撃沈」したと思っていたドイツ軍の注意を引き付け,反撃を招く事になりました.

 1941年12月12日および23日,ドイツ軍は203mm砲でマラートを砲撃,3発が命中,うち2発は甲板を撃ち抜き,艦内部で爆発しました.
 12月28日には280mm砲でマラートを砲撃,2発が命中しました.
 うち1発は,あと少し着弾がずれていたら,バッテリーと第3主砲弾薬庫を直撃する所でした.

 ドイツ軍はマラートへの砲撃を続け,1942年10月25日,3発の305mm砲弾が命中,11月6日,1発の292mm砲弾が命中,1943年10月8日,1発の203mm砲弾が命中.
(つまりドイツ側は,ルーデルが,実はマラートを「撃沈」していなかった事を知っていたわけです)

 この為,ソ連側もマラートの補強工事を実施,後部艦橋付近の水平甲板の装甲が強化され,57箇所の区画隔壁間の空所にセメントを流し込みました.

 その後,陸上の前線で使用する為,「マラート」の砲兵装,3基の305mm3連装主砲,3基の34口径76mm砲,5基の70口径37mm機関砲,2基のDK機銃,3基のDSHK機銃は1942年末に取り外されました.

 「撃沈」された「マラート」は,1943年5月31日,旧名「ペトロパヴロフスク」に復しました.

 以後,本艦は,しばらく「海上発電機」として使用されていましたが,大祖国戦争終結から数年後,ようやく本格的な修理と改装に取り掛かり,
1951年9月25日,砲術練習艦として復帰しました.
 修理中の1950年11月28日,ヴォルホフВолховと改名されています.

 本艦が除籍されたのは,「撃沈」から約12年後の1953年9月4日でした.

 「マラート」を攻撃したルーデル氏は,1982年12月18日に死去しました.
 おそらくは,戦艦「マラート」を「撃沈」したと信じたまま・・・

 ちなみに,ルーデル氏は,西側では,戦艦「マラート」以外にも巡洋艦1隻,駆逐艦1隻を「撃沈」したとされていますが,実際には,この2隻も完全喪失には至っておりません.

 ルーデル氏が「撃沈」したとされる「巡洋艦」と「駆逐艦」は,ロシア側の記録を見ると,嚮導駆逐艦ミンスクと駆逐艦ステレグシチーを指しているようですが・・・

 嚮導駆逐艦ミンスクは1941年9月22日,クロンシュタットで修理中に航空攻撃を受け沈没したものの,翌1942年浮揚,修理されて同年末に復帰.

 駆逐艦ステレグシチーは,1941年9月21日,クロンシュタットで航空攻撃を受け沈没したものの,後に引き揚げられ,修理されて1945年に復帰.


Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/3/1(土) 午後 11:29

 まあ,後に浮揚されようが,沈没したことに変わりはありませんがね.


 【質問】
 WWU前にイタリアがソ連に提案したと言われている16インチ砲戦艦について教えて下さい.

 【回答】
 オブイェークトやなかった,設計番号"UP41"のことだと思います.
 1930年代に,ドイツの再軍備に脅威を抱いた「我らが輝ける太陽」スターリン元帥閣下が抱いた,主力艦16隻から成る野心的な建艦計画を決意しました.
 しかし,国内にはこの様な大艦を設計する能力が不足しており,海外にそれを求めた結果,GenoaのAnsaldoが注文を受けて(当時,ソ連とイタリアは友好関係にあり,イタリアの設計で,Kirov級巡洋艦,駆逐艦Tallinnなどが建造されていました),設計を行ったのが"UP41"です.

 その基本設計は,同社で建造中のLittorio級戦艦に準じ,外観,装甲の張り巡らし方は同じだったりします.
 この設計は,第二次大戦でおじゃんになりました.

排水量;42,000〜42,672tt(満載時50,000t〜50,800t)
寸法:248.9m×35.5m×9.0m
機関:タービン4基,ボイラー8基,4軸 177,500shp
装甲:装甲帯部(335〜145mm),バルクヘッド(350〜145mm),上甲板(55mm),
    主甲板(65mm),砲塔(400〜145mm),バーベット部(350mm),副砲塔(180〜90mm),
    艦橋(335〜200mm)
武装:40.6cm三連装砲塔×3(前部2基,後部1基),180mm三連装砲塔×4(主砲塔脇に2基づつ),
    100mm連装高角砲×12(平甲板に各6基),
    45mm四?連装機関砲×12?,13.2mm連装機関銃×12

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 イギリスのキングジョージ5世(KG5)は,4連砲塔×3の主武装になる予定でしたが,弾薬庫防御への不備が発見され,2番砲塔を連装として重量を振り分けたそうですが,これは具体的にはどんな不備だったのでしょうか?

 【回答】
 火薬庫の防御装甲厚不足.

 主砲は,条約に基づく新設計の「1922年型Mark7 35,6cm(45口径)砲」であり,この砲を四連装砲塔三基に収める筈であったが,設計途中で火薬庫の防御装甲厚不足が発見されて,急遽二番砲塔を連装砲塔に改め,浮いた重量で強化する事になり,四連装砲塔二基+連装砲塔一基の特異な配置となった.
(良く,四連装砲塔採用はフランス海軍のダンケルク級の模倣と言われているが,同世代のアメリカ海軍のノース・カロライナ級も初期案は四連装砲塔三基で設計されており,各国独自の理論で採用したに過ぎない)
 この砲は,発射速度は毎分2発,仰角は+40度/-3度,最大仰角40度,射距離35,260mであり主砲塔測距儀こそ12.8mと優秀だが,艦橋用測距儀が4.58mと小型で性能が低く,そのため実用としては25000m前後が限度であった.
 砲塔は,設計段階から純粋な四連装砲形式として設計され,列強諸国が軽量化を狙って自由角装填方式を採用したのに対し,砲塔被弾貫通時のリスクが少ない固定角装填方式を採用した事は高く評価できる.
 反面,砲塔を小型化しようと砲塔の高さを必要以上に減じたために,構造が窮屈なものとなり,結果的に設計的欠陥により故障が頻発して信用の成らない物になった事は,兵器として重大な欠陥であり,本級の最大のウィークポイントとなっている.


 【質問】
 モンタナ級の主砲を18インチ砲連装四基とすることは理論上は可能ですか?

 【回答】
 物理的にできるかできないかの話なら,でけるだろう.
 ただアメちゃん,18インチ砲を開発しようとして散々苦労したうえでおっぽり出してたから,18インチ版モンタナとして最初から就役するには,設計・建造スケジュールと開発スケジュールが合わない.

 竣工後,16インチから18インチに換装するとなると,投弾重量と手数の低下は確実に問題になる.
 また長期間戦列を離れることになるし,かなりの予算を使うことになる.またドックを長期間占有する.
 大改装による戦闘力の変化が,それだけのコストに見合うか,というとわりと疑わしい.
 思ったように戦闘力が向上しない可能性もあるしね.


 【質問】
 変な質問ですが,当時の戦艦にはアイオワ級も含まれるのでしょうか?
 例えば武蔵と同じ状況にアイオワ級が置かれたとすれば,やはり結果は同じだった可能性が高い?

 【回答】
 勿論.

 アイオワ級はそれなりに水中防御が充実しているが,仮に武蔵や大和が置かれたのと同じ状況−数個空母群の搭載機で集中攻撃−においたら,武蔵や大和よりもはるかにあっさり沈んだのは間違いないと思われる.
 というか,当時の世界にアメリカの空母機動部隊に集中攻撃されて,沈まない戦艦なんかありません.

 もちろんアイオワ級なら大和型よりもずっと対空兵装が充実しているので,攻撃側の損害もかなりのものになるだろうし,米軍が行っていたように空母を中心とした輪形陣を組んでいたとしたら,攻撃側はそもそも魚雷や爆弾を投弾できる位置まで辿りつける機がまずないだろうとは思われるが,単艦だけで比較するならアメリカの戦艦は大和型よりも単純防御力ではるかに劣っているのは確か.

 ついでに付け加えるとアイオワ級は艦体が長すぎて,強い波を受けると艦体が明かに危険なレベルまでたわむ,という構造上の欠点があった.
 長すぎる艦体は他にも
・荒天時に艦首を波に突っ込みやすい(凌波性が低い),
・主砲を発砲すると艦体がたわむせいで着弾地点がバラける(散布界が広過ぎる),
・揺れが酷いので乗員の疲労が激しい,
といった数々の欠点があり,戦艦としては実用上の問題が多かった.


◆◆◆潜水艦


 【質問】
 なんでアメリカとかドイツは潜水艦で輸送船を沈めちゃうんでしょうか?
 貴重な石油とか鉄鉱石とかなのですから,護衛を全滅させたあとは,輸送船ごと拿捕して本国に連行して利用すればいいと思うのですけれども・・・.

 特に太平洋戦争の末期には,日本側の護衛や迎撃なんて屁みたいなものだったのですから,潜水艦でなく駆逐艦や巡洋艦で拿捕してしまえばいいように思えるのですけれども・・・.

 【回答】
 簡単に思いつくだけで以下の問題があり,あまり資源の横取りは有効的な手段ではありませんね.
 たぶん実際もそんな理由で行われなかったんでしょう.

(1)接敵に問題
 洋上艦で接敵しようとすると,近付こうとするのが輸送船団にバレます.
 それ以前に「この海域にハンターがいますよ」というのがバレバレでその海域を輸送船団は前もって避けてしまい,意味がなくなります.

(2)効率に問題
 完全に鹵獲資源を自分達の物にするのに
「危険を冒して接敵」
→「抵抗覚悟で拿捕(危険回避ロス)」
→「捕虜を隔離・監視(人員配置ロス)」
→「資源・輸送船・捕虜を追撃から護衛(行動選択・危険回避ロス)」
→「捕虜を収容所に収監(人員配置・資源消費ロス)」
という手間が余分にかかります.

 それに引き換え,その場で沈めてしまえば相手の生産力・士気にダメージをあたえられ,早期戦争決着の足がかりにもなります.

 アメリカは自分たちの戦時標準船の建造が軌道に乗っていたので, わざわざ規格の違う船を拿捕して,船員の訓練に時間をとられることをする必要がありませんでした.

 ただし,通商破壊戦を行っていたドイツ海軍艦艇の中には,船を拿捕してドイツ本国へ送り届けた例がないわけではありません.希な例ですが.


 【質問】
 WW2時の潜水艦による魚雷攻撃の事で疑問なんですが,攻撃目標の艦船の敵味方の識別はどうやってたんですか?
 北大西洋みたいな海域ならほとんどは連合軍商船だったと思うので,U-ボートは大丈夫だと思うんですが,地中海やら太平洋は敵味方の艦船が入り混じって,よくわからなかったんじゃないんですか?
 電波かなんか出してたのか,それとも潜望鏡覗く人が判別のプロフェッショナルだったのか・・・

 【回答】
 マストの標識灯の着け方を決めておいて区別したりしてました.

 でも基本的には,目視(潜望鏡含む)で艦の形を確認し,識別表と照らし合わせて判断しました.
 あと,
「うちの国の使ってる航路からしてこの海域に味方はいない・・・筈だ」
とか,
「出撃前に『この海域では味方がいるかもしれんから注意しろ』と言われてるから注意しないとな・・・」
とか.

 でもそんなに完璧な判断などできよう筈もないので
「・・・絶対今の味方なんじゃ・・・」
という事は結構あった.
 黙ってりゃ分からないし(笑).

 光人社文庫の潜水艦乗りの体験記で,獲物を得られずに帰投する途中で,輸送艦を護衛してきて,上陸を見守りながら停泊中とおぼしい艦隊に出くわしたけど,夜中だったので艦形が判然としないし,出航したときには味方の勢力範囲だったあたりなので,味方だとマズイと判断して何もせずに帰投して,後で聞いたら全部敵.とんでもない大魚をのがしたと分かったなんて話もあります.

 それとは別に,インド洋のほうで船を見つけたけど,様子がおかしいので見送ったら,捕虜交換のための船で,撃たなくて良かったと胸をなで下ろした話とかも.

 なお,敵か味方か聞くわけに行かないのは当たり前として,単に電波を出しただけで,味方にも敵にも居場所を知らせてしまうことになるから御法度でした.


 【質問】
 カタリナとか対潜哨戒機が潜水艦を攻撃するときも,イラスト&勘って事?

 【回答】
 プラス「状況」.

 また,当時の潜水艦は現代のと違って非戦闘時は水上航行が当たり前なので,逆に味方機であれば手を振って識別したりしてたみたい.

 確かソノラマ戦記だったと思うが,
敵機に接近されて急速潜航が間に合わない

急速潜航を命じると同時に,艦長と信号旗手は艦橋に残って敵機に必死に手を振ってみせる

敵機のパイロット,一瞬攻撃を躊躇.投弾しないままフライパス

通り過ぎた敵機が旋回して戻ってくる前に急速潜航して難を逃れた

てなエピソードが載ってた.

 また,日米の特定の時期以降の米側に限っては,見つけた潜水艦は結果としてすべて攻撃.
 なぜかというと,アメリカの潜水艦にはちゃんとしたレーダーがあるので,飛行機の接近を早く察知できるのが当たり前で,天敵である飛行機の接近を察知したなら,のんびりと敵味方を判別しようとしたりしないで,とりあえずさっさと潜航するのが当たり前なのに対して,日本の潜水艦にはまともなレーダーがないせいで,機影が見えるまでモタモタしているのが常だったから,「モタモタしているなら原則として日本の潜水艦」と判定できてしまったからだとか.(ー人ー)なむー

 つーか,対潜哨戒機にとって
「全ての不明目標は敵である」
ってのが基本だしね.

 味方に爆撃されかけた潜水艦は,アメリカやイギリスに結構いた.

 【質問】
 映画「U-571」や「Uボート」では,異常に駆逐艦を怖がってますが,何で潜水艦は駆逐艦にやられっぱなしだったんでしょうか?

 【回答】
 WW2の可潜艦にとっては海面に浮上出来ない状況は非常に辛いです.
(水中での巡航速力はたかが3ノット(5.4キロ/時)程度です)
 浮上出来なければ移動には制約を受けるし,艦内の酸素には限りがあるし,バッテリーにも充電出来ません.
 いつかは浮上しなければいけませんが,その時に探知攻撃されればアウトです(充電と酸素補給に関してはシュノーケルの装備で改善をみますが)
 ですから対潜側から見れば,可潜艦時代の潜水艦は海面にさえ浮上させなければさして怖くないのです.

 ただ,言うは易し,
 潜水艦を昼夜浮上させない為には海上から空から陸から,あらゆる索敵手段を駆使して洋上を隙間無く監視し,潜水艦が浮上すれば短時間でこれを補足し攻撃出来るシステムと戦力を,広大な洋上に展開しなければなりません.
 これが大仕事で,これを作れるかが大規模な潜水艦戦に勝てるか否かの条件になります.

 で!,Uボートが大西洋上で1隻の駆逐艦にビビるのは,何も駆逐艦だけが怖いのではないのです.
 連合軍の隙間無く埋められた対潜網の中で発見され24時間監視され制圧される状況に陥るのが非常に怖いのです.
 対して太平洋では,米潜水艦が日本近海でも商船はおろか軍艦から対潜艦艇まで手当たり次第に沈めています,
 これは日本側の対潜警戒網が大西洋の様な密度を持たず,米潜水艦は日中でも夜間でも堂々と浮上して魚雷尽きるまで攻撃が出来たからです.

 「潜水艦対駆逐艦」では1対1なら怖くはないです,潜水艦にとっては,その背後にいる敵が怖いのです.

軍事板


 【質問】
 ワルター機関を潜水艦に積んで性能アップ!って,ほんとに可能だったの?

 【回答】
 一世代前の架空戦記物に良く 『ワルター機関を潜水艦に積んで性能アップ!』 って話が良くあったのですが……第二次世界大戦後,イギリスはドイツから奪取したワルター機関技術を発展,改良した機関を積んだ 『エクスプローラ級』 潜水艦を試作的に建造したそうな.
 だがよ〜 燃料が過酸化水素の一種である,HTPだったもんで
「やっぱり,そういう爆発しやすいモノを,密閉された潜水艦内に入れるのって危ないよね」
って事で,結局,実戦力化されなかったそうな.

 で,潜水艦用ワルター機関を初めて搭載したのが,1995年に就役した,スエーデンのオトランド級が初めてだそうなんです……

 と,すると 『ワルター機関を潜水艦に積んで性能アップ!』 って話は夢物語なんだなぁ…… と (w`;  

ベタ藤原 in mixi


 【質問】
 「ジパング」という漫画で,第二次世界大戦時の太平洋戦線のアメリカの潜水艦が,ボトム(海底に沈む事)を二日以上(三日以上?)してるんですが,艦内の二酸化炭素濃度は有害レベルにならないのでしょうか?

 【回答】
 1957年8月中旬にウラジオストックの偵察任務についていた米潜水艦”ガジオン"SS-567は,ソ連水上艦に発見されたため実に64時間の連続潜航を余儀なくされました.
 この結果,艦内の二酸化炭素濃度もかなり危険なレベルに達したたため,やむなく浮上しました.
 幸い,ソ連は”ガジオン"を沈めようとはしませんでした.

 艦内には二酸化炭素を吸収するため水酸化リチウム結晶入りの容器がおかれていましたが,完全に吸収することは出来ず,また一酸化炭素を吸収することは出来ませんでした.
 要するに,二日以上の連続潜航は非常に困難だということです.

(名無し軍曹)


 【質問】
 大戦中はイタリアも潜水艦をずいぶん運用してたようですが活躍しましたか?
 良い話やダメポ話,何か逸話をご存知の方教えてください.
 イタリアには申し訳ないのですが私の中の”イタリア人”と”潜水艦乗り”のイメージがかけ離れすぎていて,”イタリア人の潜水艦乗り”が想像つかないんです.
 なんかアメリカンジョークっぽい響きが・・・

 【回答】
 ダメポというか,イタリア潜水艦は終戦までに8割近くが撃沈されている.
 その中には,武装トロール船に負けたガリレオ・ガリレイなんてのも…

 一方,潜水艇乗りはイタリア軍としてはあるまじき(笑)大活躍.
「イタリア海軍の勇敢さは,乗艦の大きさに反比例する」
なんていうジョークがあるぐらい.

軍事板

 当時のイタリア海軍の燃料事情は非常に悪く,大型艦艇は満足に訓練も出来なかったのですが,小型舟艇はあまりその影響を受けることは無かったので高い練度を保つことが出来たのも,潜水艇が活躍できた要因の一つです.

丼炒飯◆HY/YgdSbHM

 イタリア潜水艦は戦前,スペイン内戦でフランコ軍に密かに引き渡されたりしたとか,

 また,大型潜水艦は航続距離が長く,搭載量も大きいので,第二次大戦中に日本と欧州の連絡輸送の主力として派遣されたと言う話もあります.
 その殆どがジブラルタル海峡の突破に成功したり…但し到着は少なかったのですが.

 ちなみに,そのうちの2隻は,イタリア降伏時にドイツ軍に接収され,ドイツ降伏に伴って日本に接収され,その降伏で更に連合国に引き渡されと言う流転の艦歴を辿ったものもあります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 イタリア海軍の潜水艦ガリレオ・ガリレイがイギリスの武装漁船に撃沈されたのは事実なのでしょうか?

 【回答】
 武装トローラー(トロール漁船)ムーンストーンと交戦後,拿捕.
 その後英海軍に編入されX2と改名,戦後除籍解体.
……ということは「ガリレオ・ガリレイ 潜水艦」でぐぐればすぐわかるわけだが.

 ここ
http://www.subnetitalia.it/regiogalileo.htm
にイタリア語と英語でガリレオ・ガリレイの戦歴と捕獲状況についての記述がある.
 要約すると

 1940年6月18日,紅海で作戦行動中のガリレオは航行中の商船(当時中立だったユーゴの貨物船)を発見,浮上砲撃を試みた.
 しかし沿岸警備に当たっていたイギリスの哨戒機に発見され,攻撃を受けたため潜航,一晩海底に留まり続けた.
 翌日,イギリスの武装(対潜)トローラー,ムーンストーン(615t)のソナーによる触接と爆雷攻撃を受ける.
 浮上し,砲戦を試みたがムーンストーンの砲撃により二門の砲が相次いで被弾および故障を起こす.
 さらに司令塔への命中弾で艦長のナルディ中佐と士官数名が死亡.
 指揮系統を喪失したガリレイはムーンストーンにより拿捕され,駆逐艦カンダハーによってアデンに曳航された.
 なお,このとき艦内から暗号帳が回収されたことにより,紅海にいたイタリア艦艇の行動はイギリスに筒抜けになった.
 その後まもなく潜水艦ガルヴァーニとトリチェリが相次いで撃沈され,イタリア紅海艦隊は壊滅状態となる.

 ちなみに北海で漁業に従事していたトロール漁船は大型で外洋での航海に充分耐えられたので,戦時中多くが英海軍に徴用された.
 爆雷や対空機銃などを搭載して船団護衛や対潜水艦戦に用いられた.


 【質問】
 第2次大戦中,なぜソ連潜水艦の戦果は乏しかったのか?

 【回答】
 第二次大戦時,世界でも有数の潜水艦保有国だったソヴィエト連邦.
 しかし,その数の割に,実戦ではイマイチでした.

 以下は,大祖国戦争におけるソ連潜水艦の戦果です.
(カッコ内は撃沈した船舶数)

●D型潜水艦
D-2「ナロドヴォレツ」:2隻
D-3「クラスノヴァルデーツ」:11隻
D-4「レヴォルツィオネル」:6隻

●L型潜水艦
L-3「フルンゼネツ」:16隻
L-4「ガリバリディエツ」:4隻
L-6「カルボナリ」:4隻

●Shch型潜水艦
Shch-301「シチューカ」:2隻
Scch-303「エルシュ」:9隻
Scch-304「コムソモーレッツ」:11隻
Scch-119「ベルーガ」:2隻
Scch-201「サザン」:8隻
Scch-202「セルト」:6隻
Scch-308「セムガ」:2隻
Scch-205「ネルパ」:3隻
Scch-207「カサツカ」:4隻
Scch-306「ピクシャ」:1隻
Scch-307「トレスカ」:11隻
Scch-310「ベルハー」:22隻
Scch-311「クムジャー」:5隻
Scch-211:1隻

●S型潜水艦
S-1:1隻
S-4:9隻
S-7:9隻
S-9:3隻
S-11:1隻
S-12:9隻
S-13:19隻
S-31:8隻
S-33:9隻
S-34:1隻
S-51:7隻
S-54:1隻
S-56:13隻(ウラジオストクで記念艦)
S-101:16隻(この他,独潜U-639を撃沈)
S-102:4隻
S-14:3隻
S-15:3隻
S-103:3隻
S-104:3隻(この他,独特設駆潜艇「Uj-1209」を撃沈)

 戦争全般を通じて267隻の潜水艦を保有していた割には,お世辞にも「大活躍」したとは言えませんね.
 しかも,沈めたのは商船,輸送船ばかりで,空母とか戦艦とかは沈めていない.

 ただ,267隻の潜水艦を保有したと言っても,一番多かったクラスは,水中排水量200〜350tの沿岸防御用小型潜水艦M型(100隻)ですが,これは基本的には自国基地近辺の哨戒用であり,航続距離が短かったので,ドイツみたいな陸軍国相手では,あんまり使い道が無かったんだね.
(自国近海までドイツ艦隊がやって来るわけじゃないし)

 それに,太平洋艦隊に配備されていた潜水艦は「遊兵」になってしまったし・・・・
(一部はパナマ運河経由などで北方艦隊に転属したが)

 いちばん多くの潜水艦が配備されていたのはバルト艦隊だが,ドイツ軍の進撃により基地を失っていき,同艦隊の潜水艦はレニングラードに閉じ込められてしまった.
 更に追い討ちを掛けるようにドイツは,フィンランドからバルト3国を横切る壮大な防潜網を築き上げた.
 ソ連潜水艦は,この防潜網を突破しようとしたが,ことごとく失敗し,多くの艦が犠牲になった.
 黒海艦隊も,ドイツ軍の進撃により次々と基地を失い,セヴァストーポリまで陥とされては,活動は低調と成らざるを得ない.

 そもそも,潜水艦は,海軍国あるいは海洋国家を相手にした場合に有効な兵器と成り得るのであり,ドイツのような陸軍国・大陸国相手じゃ,あんまり使い道無いのよね(^^;

 ソ連潜水艦の活動が低調だった理由は,まず,この辺りに求めるべきでしょう.

 バルト海の防潜網が無力化された1944年中期以降は,バルト艦隊潜水艦はけっこう戦果を挙げているから,ソ連潜水艦は,決してへタレだったわけでは無いです.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/8/21(火) 午後 9:25


 【質問】
 2次大戦中にドイツのUボートはハフ=ダフというUボートの無線を探知する連合軍の装置によって手も足も出なくなったそうですが、これに対してドイツ海軍は対策を立てられなかったのでしょうか?

 【回答】
 基本的にドイツ海軍の首脳は、HF/DF装置があることは知っていましたが、その装置は地上設置であり、艦艇に装備しているとは思いもよりませんでした。
 また、送信時間が20秒あれば、位置が特定できるというのも知りませんでした。

 このため、通信は出来るだけ控える命令は出されていましたが、一方で、彼らは艦の状態、位置、状況を絶えず、詳細に報告する様に求めてもいました。

 しかし、戦争が続くにつれて、こう言った楽観的な考えは影を潜め、出撃から帰投まで艦長は一切の通信をしなくなります。
 こうしたものの対抗手段として、手動でのキー打鍵を中止し、機械式の打鍵を試みました。
 KZG44/2 Kurierがそれで、7文字を0.4秒と言う時間でバースト送信し、同時に送信時の周波数を継続連鎖的に変えるものです。
 この装置は、1944年中頃に実用化され、約20隻に搭載されました。

 また、敗戦時試験中でしたが、使い捨て交信ブイ(記録装置と送信機、時限信管を持つもので、予め艦内で電文を入れておき、送信周波数と送信開始時間を設定、洋上で事前設定の遅延時間を待ち、該当時間が来たら報告を送信、自動で回没するもの)というのも考えられていました。

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 イギリスのX型多砲塔潜水艦についての詳細お願いします。

 【回答】
 X1は、1923年6月16日に試作艦としてChatnam造船所で竣工しました。
 この艦は,戦後の潜水艦標準を設定することと、大航続力の潜水艦の可能性を探ること、主砲に火器管制装置を取り付け、駆逐艦と交戦出来ることを目的としています。

 その艦体構造は、従来の英国潜水艦よりも近代的で、二重船殻構造になっています。
 また、その艦体を構成する鋼板も厚いものを使用し、設計上350ft、実際のテストでは200ftまで潜水できる様になっていました。
 燃料タンクは殆どが船殻の外殻部に置かれ、内殻部には総燃料搭載量の約1割弱の40.5tしか搭載していません。

 ディーゼル機関は、海軍省式のもので、片舷出力3,000bhpのものを2基搭載し、軸を直結駆動していました。
 また、補助機関と言うか、電動機への動力伝達用に、賠償艦として引き渡されたU126のディーゼル機関を2基 搭載しており、これらはそれぞれ1,200bhpの出力を発揮しますが、これを用いて発電機を動かし、その発電機から供給された電力で、電動機を回す仕組みで、この電動機出力が各々1,000bhpとなり、総出力8,000bhpに達しました。
 但し、この補助機関は動力ロスが大きく、1,000bhp分が消滅し、結局は総出力が7,000bhpになり、水上速力19.5kts、水中では8ktsを発揮し、空気清浄機のおかげで、2日半の潜行が可能とされていました。

 主砲は、駆逐艦と同じ5.2in42口径Mk.I速射砲を連装砲塔に2基、魚雷発射管は前部にのみ21in 魚雷発射管が6門あり、12本のMk.IV魚雷を持っていました。

 進水は1921年11月2日、完成は1925年9月23日ですが、試験ではこれら複雑な機構故に機械故障に悩まされました。
 就役後は、建造地のChatnamに配備され、1933年12月には繋留状態となり、1937年に結局解体されました。

 ちなみに、この潜水艦に付いた渾名は、"White Elephant"だったそうです。

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 ヨーロッパの対潜水艦戦について
WW1でイギリスはアズデックなどの探査装置でUボートに対し優位に立つことができましたが
WW2初期ではまたコテンパにやられています.
 その後,レーダーなどにより連合国側は1943年には優位に立っています.

 WW1末期とWW2初期でドイツの潜水艦の能力に飛躍的な向上があったのでしょうか?
(その間イギリス海軍の駆逐艦などの防御兵器は進化が無かったということでしょうか?)

 それともドイツの潜水艦運用方法(群狼作戦)などが功を奏したのでしょうか?

 【回答】
 HF/DFとかRDFの開発は当然大きいです.

 しかしながら,先ず,船団護衛の為の体制が明確になっていなかったのと,護衛艦艇が不足していたことが挙げられるでしょう.
 初期の頃は,船団を組むと言うのが船主に嫌われ,単独航海が多かったのですが,これをUボートに狙われて,撃沈されています.
 船団護衛する側も,第一次大戦に捕鯨トローラーを原型としたスループの量産が為されていましたが,戦後,これらは解役され,量産原型として30年代に数隻建造されただけの状態で,1939年から急に量産体制を整えるにしても時間が無かった訳で.
 また,建造されたスループも,海象条件の厳しい北大西洋では余り使えなかったので,旧式駆逐艦を船団護衛専用に改造したり,米国から旧式駆逐艦50隻の引き渡しを受けたりするなど,苦戦しています.

 ASDICに関しては,開戦当初は第一次大戦から余り性能が向上してなかったりしますが,その後は改善され,性能が上がっています.

 また,対潜機の航続距離が不足したのと,その作戦範囲が南米近辺からの基地が利用出来なかった為,大西洋上にぽっかり穴が空いていたこともあります.

 潜水艦の速度や航続性能自体は,そんなに変わってませんが,艦が小型になったことで探知されにくくなったこと,電池性能が上がり,信頼性が向上したこと,高抗張力鋼を開発し,潜航深度が上がったこと,電気溶接技術を発展させて,ブロック建造法による大量生産が可能になったことなどがありますね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 アメリカの潜水艦は,第二次大戦中の大西洋でどんな活動をしていたのですか?

 【回答】
 参戦前の初期(1941年6月)より,Uボートの哨戒任務に使用されています.
 その中には,自軍の艦艇による誤攻撃で失われた艦もあります.
 1942年には,86回の哨戒活動を行っています.

 1942年9月には英国に初めて米国の潜水艦4隻が配備され,11月のトーチ作戦に参加しました.
 但し,これらの艦の任務は主に偵察並びに揚陸部隊の誘導に当たっています.
 欧州方面では更に,ビスケー湾を中心に27回哨戒任務を行いますが,戦果は0でした.

 結局,1943年7月にこれら大西洋域での活動は中止され,太平洋方面への回航が行われています.
 これは,Uボートの活動が猖獗を極めたというのもありますが,逆に米国のものは大型(英国やドイツに比べ)潜水艦であり,大西洋や欧州水域での通商破壊に向いていないと言うこともあります.

眠い人◆gQikaJHtf2


◆◆◆◆Uボート

 【質問】
 実際のU571ってどんな働きをしたんですか?
 検索しても映画の話ばっかりで・・・

 【回答】
 「VIIC型潜水艦の年表の続き」(from 「T-Keyのみりたりーなページ」)
他によれば,以下の通り.

'41.05.22 就役.艦長はヘルムート・メールマン大尉.
'41.08〜  作戦任務に従事(哨戒11回) 通算戦果7隻(47,169t)撃沈,1隻(11,394t)損傷
'43.03.22 北大西洋にて連合軍機の攻撃を受け,損傷を負う,
'44.01.28 アイルランド西方沖にて濠飛行艇の攻撃を受け沈没(艦長グスタフ・リュッソウ中尉)


 【質問】
 XXI型Uボートは,第二次大戦のレベルからしたらそんなにスゴい潜水艦なんですか?

 【回答】
 第2次世界大戦時までの潜水艦は,「水に潜ろうと思えば潜れる」という程度の潜航能力や水中行動能力しか持っていなかった.
 普段は普通に水上航行し,危険な時や戦闘時だけ水面下に潜って行動した.

 なので艦体も水上航行に適した形をしていたし,完全に水中に潜ってバッテリーで航行すると,2時間も航行すると電池が切れる上に,速度も数ktがせいぜいだった.

 そんな中で,「常に水中を航行する」ことを前提に艦形がデザインされ,バッテリーの容量も多い設計(その他,開発が上手く行けばヴァルター機関という新型エンジンを積む予定だった)のXXI型の設計は潜水艦の世界を変えるだけの革新性があった.

 潜水艦の概念を変えた存在なのである.

 潜行中はトイレが使えず,バケツで代用する以外は.


 【質問】
 なぜ大戦中のドイツはXXI型潜水艦をもっと早く開発しなかったんでしょう?
 複殻構造も、大容量のバッテリーも、大馬力のモーターも、シュノーケルも、それほど画期的なアイデアとも思えません。

 【回答】
 大戦前期、連合国の機体が効果的なエアカバーを提供しない時期では、Uボートは潜航より浮上航行の時間の方が多かったため、水中を高速で航行する潜水艦なんてのは必要なかった訳で。

 それと蓄電池の大容量化は、即ちセル数の多さに繋がります。
 しかし、電池工場は国内に二カ所、それでは足りずに更に二カ所追加で新工場を建設しますが、軍需省の優先度が低く、なかなか稼働に至ってなかったり。

 シュノーケルにしても、オランダが実用化したのは、エンジンに直結する複雑な構造だった訳で…ちなみに、XXI型のディーゼルは空気容量が、4,700立方メートルも必要だ、と。
 ついでに、これを動かすと聴音機が使えないし、潜航状態が長引くと電装品がやられたり、使用中は最高速度が6ノットで、それ以上だと潜望鏡が振動で見れなくなると。

眠い人 ◆gQikaJHtf2

 潜水艦自体、第一次大戦で大活躍したにもかかわらず、戦果に比して「等閑視」されたといってよい状況のままでおかれたことの余波でしょう。
 ヒトラー政権がいかに潜水艦に理解がなかったかについては,「灰色の狼」を読めば分かるかと.

 また,発明の類いは、出来た後では「何だ」と拍子抜けするような単純なアイデアであることも珍しくないです。


 【質問】
 今でも動くUボートってあるの?

 【回答】
 可動艦はないようです.

 戦後の一時期という事でしたら,新生ドイツ連邦海軍が1956年に,カテガット海峡で自沈した]]V型「U-2365」を引き揚げ,「ハイ」(鮫)として57年に再就役させ,更にもう1隻「ヘヒト」(川鱒)を続いて再就役させました.

 さらに]]T型「U-2540」が引き揚げられて再就役,「ヴィルヘルム・バウアー」として,各種訓練用の民間船籍の練習潜水艦として活躍しました.
 この]]T型は対水上戦闘に加え,対潜戦闘も考慮した設計で,現在で言うハンター・キラー潜水艦に近い性能を持っていました.
 水中抵抗を抑える為に流線型に整形された船体は,大容量のバッテリーにより,水中17ktという,当時の潜水艦の中では桁違いの性能を誇っていました.
 更にシュノーケル設備も備えており,浮上せずにバッテリーの充電も行え,レーダー探知防止コーティングを施された船体と優秀なソナーを備えると言う,現代潜水艦と遜色のない性能を持つ当時無敵の潜水艦でした.
(もっとも,実戦参加前に終戦を迎えたので,無敵なのは当然ですが)

 しかし残念ながら,現在は総て退役しております.

 他には記念艦としてUボートの1号艇「U-1」が保存されており,現在ミュンヘンのドイツ博物館にカットモデルとして展示されています.

 Uボートの展示
http://www.uboat.net/special/museums/
に一覧があります.
 Type of siteでMuseumを選んでもいいし,Site by countryで詳しく見てもいいでしょう.
 目星を付けてから改めて検索して,具体的な展示内容とか開館日とか調べてください.

 余談ながら「ヴィルヘルム・バウアー」とは某黒騎士とは何ら関係なく,「ブラントタオハー」という名の自作潜水船でドイツ人として始めて水深16mまで“沈没”した人物です.
 沈没後約6時間経って脱出して来て,見物人を驚愕させました.
 ちなみに,この「ブラントタオハー」も1972年に引き揚げられ,ドレスデンの戦争博物館に展示されています.

 【参考画像】
Uボート絵葉書集


◆◆◆◆潜水艦装備

 【質問】
 WWUにおける潜水艦の魚雷発射手順を教えて下さい.魚雷の設定,発射後の行動等,できれば計算方法も教えて下さい.

 【回答】
UボートVII以降の場合ですが….
 1. 聴音,見張りなどで目標を発見する.
 2. 艦長は水上攻撃か潜航襲撃かを決定する.
 2'. (水上襲撃の場合)主席将校が攻撃を指揮し,艦上の照準器を用いて計算値を入力.
 3. (潜航襲撃の場合)艦長は攻撃用潜望鏡を用いて標的を観測し,その大きさ,速力,進路,吃水を判定し,その結果を
   主席将校にその情報を口頭で伝達.
   同時に,自艦との相対速力,相対針路を推定し,これも主席将校に口頭で伝達.
 3'. 艦長は算定値の向上を企図して観測を行なうか,被発見率の低下を企図してその数値を信用するかを考えてどちらの
   方策が必要かを選択し,魚雷到達時の未来位置の推定から使用魚雷の選択をし,標的の前方位置を占めるように,針路
   を考え,標的の重要性,天候,その他情報を吟味して魚雷発射本数を決め,(誘導魚雷の場合)魚雷発射後の捜索パターン
   を決定する.
 4. 主席将校は,魚雷戦計算盤に,雷速,艦長の推定した目標との推定距離,推定標的斜進角,推定的速,標的回頭率に
   関する修正要素を入力.
   魚雷戦計算盤では以上の数値を元に,方位角,収斂点,射角,最大射程を計算し,発射管室の開角受信機に発射開角
   を送信.
 5. 目標前方に針路を取り,魚雷発射位置を占位する.(発射距離は約900〜3000m)
 5'. 水雷科下士官は主席士官の指示に従って,発射管に魚雷を挿入(基本的に定期点検時を除き,挿入しっぱなしの状態に
   なっていましたが)
 6. 指示計を確認し,各発射管に手動(改良型は自動)でジャイロ斜進角を入力し,魚雷調整を行なう.
 7. 主任士官の発射命令に従い,魚雷を発射.
 8. 魚雷員が目標到達までの時間を計測.
 8'. 艦長が再攻撃の検討を行なう.または脱出手段の設定などを行なう.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 ある国の潜水艦用魚雷を,他の国が使う事はできなかったの?

 【回答】
 無理です.
 水上艦の魚雷に比べ,潜水艦の魚雷はいずれも全長が短いですから,発射管に入れる時点で支えます.
 また,米国の潜水艦魚雷を,英国の潜水艦から発射可能かと言うと,これも難しいでしょう.
(発射は可能であっても,諸元が違うので,命中は困難になるか,と)

 他国の魚雷を発射するのは,例えば,A国から輸出された潜水艦に,A国で装備している魚雷を使うと言うのなら可能でしょうね.
 日本から輸出されたタイの潜水艇に日本の魚雷を装備するとか,エストニアの潜水艦に英国の魚雷を装備するとか….

 後,スウェーデンの魚雷は,ドイツの魚雷とほぼ同じものなので,流用は可能(元々,Versailles条約で禁止された魚雷の研究を,スウェーデンで行っていた)だと思いますが,1910年代なら兎も角,第二次大戦では,そんな例は極めて少ないと思います.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 有名な映画「眼下の敵」じゃ,魚雷1発命中程度じゃ駆逐艦が沈まなかったんだけど,魚雷の威力ってその程度のものなの?

 【回答】
 駆逐艦は魚雷1本当たれば轟沈します.
 「眼下の敵」の米護衛駆逐艦の被雷シーンの方がぬるいのです.

 2千トン以下の駆逐艦クラスで土手っ腹に潜水艦の21インチ魚雷(炸薬300キロ以上)を喰らったら,まず船体が折れます.
 ただし当たり所(艦首や艦尾等)では,吹き飛んだ艦首や艦尾以外の残った部分で自力航行出来て帰投した幸運な例もありますが.
 土手っ腹に魚雷喰らって搭載魚雷が誘爆して・・・となったら,まさに轟沈でしょう.

 「眼下の敵」って魚雷1本当てた時点でUボート側の勝ちなんだけど.あの映画見た元Uボート乗りって憤慨したろうなぁ.

軍事板


◆◆◆◆ソ連潜水艦

 【質問】
 第二次大戦中のソ連の潜水艦って、どんな物がありますか? 名前だけでもいいので教えて下さい。

 【回答】
・1915年竣工のBudnov級Pantiera、
・米国から部品輸入し、1916〜23年にかけて建造されたAG級のAG25、Kamanev、Lunakharskiy、Trockiy
が元々ありました。

 加えて、1926年度海軍拡張計画で、
・1928〜29年竣工のSeriesIが6隻(Dekabrist、Narodovolec、Krasnogvardeyec、Revolucyoner、Spartakovec、Yakobinec)、

 機雷敷設潜水艦として、
・1931年にSeriesIIが6隻(Leninec、Stalinec、Frunzovec、Garibaldyec、Charist、Karbonariy)、
・1935〜36年にSeriesXIが6隻(Voroshilovec、Dzherzhinec、Kirovec、L10、L11、L12)、
・1937〜38年にSeriesXIIIが7隻(L13〜19)、
・その改良型SeriesXIIIbisが6隻(L20〜25)。

 沿岸用潜水艦として
・SeriesIIIが1930〜31年に4隻(Shch301〜304)、
・1933〜35年にSeriesVが19隻(Shch101〜112、305〜311)、
・改良型のSeriesVbisが1934年に12隻(Shch113〜121、201〜203)、
・更に改良型のSeriesVbis-2が1935年に9隻(Shch122〜125、204〜208)。
・新型のSeriesXが1935〜37年に19隻(Shch126〜141、209〜215、317〜324、401〜404、421〜422、424)、
・改良型のSeriesXbisが1939〜47年に20隻(一部未竣工、工事中断有り;Shch135〜138、216、405〜411、以後は戦後竣工か工事中止/412〜419)。

 航洋潜水艦のSeriesXIVが1934年に3隻(Pravda、Zvesda、Iskra)。

 小型潜水艦の
・SeriesVIが1933〜34年に30隻(M1〜28、M51〜52)、
・SeriesVIbisが1934〜35年に18隻(M53〜56、M71〜86)、
・SeriesXIIが1936〜37年に3隻(M87〜90)、
・SeriesXIIbisが1937〜41年に43隻(M30〜36、M57〜62、M91〜122)、
・SeriesXVが1940年と戦後竣工で14隻(M200〜213)。

 中型潜水艦の
・SeriesIXが1935年に3隻(S1〜3)、
・SeriesIXbisが1936〜47年に44隻(S4〜24、31〜37、45、51〜57、101〜108/23〜24、36〜37は戦後竣工、36〜37、105〜108までは未起工か破壊)。

 試験用潜水艦M400。

 大型潜水艦として、
・SeriesXIVが1938〜41年に12隻(K1〜3、K21〜23、K51〜56)。

 他に
・Latviaから接収艦としてRonis、Spidola、
・Estoniaからの接収艦としてKalev、Lembit。
・英国から貸与されたものとして、U級のV1〜V4。
・Romaniaからの賠償艦として、S3、S4、TS4。

 これらが第二次大戦中のものです

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 第2次大戦時のソ連潜水艦隊は,どの程度戦局に寄与できたのか?

 【回答】
 第2次大戦前,ソ連首脳部は潜水艦および航空機を海軍の主力兵器と考えていた.
太平洋艦隊の潜水艦部隊は1932年に,
北方艦隊の潜水艦部隊は1933年に
それぞれ初めて創設された.いずれも旅団編成だった.

 しかし,大戦では何ら寄与することができなかったどころか,
現役艦267隻の内,出撃艦は170隻のみ.
 その内,
沈没81隻,
自沈8隻,
技術的な理由による退役8隻
など,惨澹たる有り様だったという.

 詳しくは「世界の艦船」2005年7月号,p.80 & 84(A. V. Polutov著述)を参照されたし.


 【質問】
 第2次大戦において,ソ連海軍潜水艦は何故活躍できなかったのか?

 【回答】
 連続潜航時間,潜航深度,潜航秒時など,あらゆる面でドイツ潜水艦に劣り,ソナーを初めとする兵装は粗末で,教育システムの不備から人材が不足し,海軍には戦術や戦法に関する理論がなかったため.

 詳しくは「世界の艦船」2005年7月号,p.80(A. V. Polutov著述)を参照されたし.


◆◆◆輸送艦船

 【質問】
 陸軍部隊の欧州への派遣に使われた船は,主に陸軍の徴用船が使われていたのでしょうか?

 【回答】
 初期の泥縄の時期を除き,兵員輸送に関しては,海軍が専用の軍隊輸送船を建造しています.
 例えば,C3型輸送船を基にしたPresident級は80隻以上,General級は10隻使用されています.
 前者は1500〜2000名,後者は5600名の兵員を輸送出来ます.

 また,連合国の亡命政権が援助物資の債務軽減のために,各国が保有して運航していた船舶を,こうした連合国の輸送に差し出すため,例えばノルウェーなんかは,商船会社が共同してノトラシップと言う会社を設立し,そこが連合国の要請で,配船業務を行っていました.
 このため,戦後のノルウェーは,連合国からの援助物資の返済を行わなくても良かったりします.
 こうした1万総トンクラスの客船だけでも連合国は170隻以上確保していました.

 勿論,徴用もされましたが,運航や配船は,政府直属の海運機構が借り上げて行っていました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 F型ライターとは,どんな船なんでしょうか? また,MGBとどう違うのか教えてください.

 【回答】
 F型ライターとは,ドイツ海軍が第二次大戦中量産した,輸送艇MFPのことです.
 要は自走艀で,排水量220t,長さ47.0m,主機ディーゼル(390馬力),速力7.5kts/h,滞貨重量105tまたは兵員200名を輸送出来る,米国のLCUに相当するもので,この艇体を利用して,砲や対空火器を増備した砲艇のD型,機雷敷設用のAM型などがありました.
 MGBはMotor Gun Boat,これは,英国で主に使用されたMotorboat型高速砲艇で,MFP-DとMGBがしばしば戦闘を繰り広げています.

 Camper & NicholsonのMGBの場合,排水量115t,長さ35.7m,主機Packardガソリンエンジン(1350hp)×3,速力は31kts/hに達し,兵装は,6ポンド砲1門を艇首に,20mm連装機銃1基,同単装機銃2門,45cm魚雷発射管4門と強力な武装を誇っています.
 これらは,元々,ドイツ海軍のE-Boatに対抗する為のものでした.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 第二次大戦当時,アメリカは一週間に空母を一隻投入とかしてきたと聞きましたが,当時のアメリカの輸送艦とかはどうだったんでしょうか?
 やはり一週間に一隻とか建造してたんでしょうか?

 【回答】
 アメリカが量産した戦時標準船「リバティ船」でぐぐると,とてつもない数値が出てきますよ.
 全部で2700隻ほど,初期は1隻200日ぐらい,最速では5日でできたのもあったり….

 で,これはあくまでも「リバティ級」貨物船だけの話であって,T2級タンカーなどのほかの輸送船を加えると…もういや….

 ちなみに,船名には人名をつけるというルールがあったのだが,新興国の悲しさで早々に名前がつきて(まあ歴史が長くても3000人は難しいが),
そんで現役のちょっとした有名人(町長とか芸人とかのレベルらしい)をつけまくったそうな.

鷂 ◆Kr61cmWkkQ

 まぁ論より証拠.以下のページを見るよろし.
「Liberty ship」
「List of Liberty ships by hull number」

現存するヴィクトリー・シップ

ベタ藤原 in mixi支隊


 【質問】
 リバティ船量産では,何か問題は生じなかったのか?

 【回答】
 溶接の問題に起因する構造破損が,約5千隻に発生したという.
 以下引用.

 第2次大戦中,アメリカで建造されたリバティ型全溶接船の25%に破壊が認められた.
 建造された4694隻について事故(構造破損)が報告され,その内233隻は壊滅的な破損であった.
 その破損は突然,予兆も無しに襲う.
 例えば,T2タンカーのシェネクタディ号は,静かな海で穏やかな天候のときに,何の予兆も無しに岸壁で破損したのである.船は数秒間で真っ二つに割れた.
 これは,溶接の際の水素の取り込みによる水素脆性,あるいは溶接欠陥による不安定破壊によるとされている.

(日本科学者会議編さし迫る原発の危険,リベルタ出版,1992/3/30,p.54)

 酸化すれば金属は瀬戸物のような性質を示すようになり,脆くて容易に破壊する.
 水素と反応すれば,「水素病」とも呼ばれてきたように,脆化を引き起こす.
 また,イオンと反応すれば,いわゆる腐食反応として水に溶けるようになる.

(p.54)

 金属が破断(疲労)しにくいのは,その結合性が金属結合であるためである.
 貴金属,特に金が典型的であるが,叩けば叩くほど伸びていき,破断に至る限界が分からないほどである.
 金属結合とは,本来このような性質を物質にもたらすものなのである.
 つまり,ある金属原子の周りに配列している他の金属原子が,比較的容易に動きうる状態になっているのである.したがって,外部から力が加わった場合,金属原子が変形に見合うように動くため,原子と原子の間に結合が切れずに変形が可能なのである.

 ところが,その金属が破断(疲労)を起こすようになるのは,その結合性が金属結合から共有結合やイオン結合に変化することによる.
 共有結合やイオン結合とは,例えばプラスチックや瀬戸物・ガラスを考えていただければよい.これらの材料は,力を加えれば,伸びたり曲がったりせず,割れてしまうであろう.強度としてはかなりの値を示すものでも,金属のように変形することなく,あるところでパリンと割れてしまうのである.
 つまり,原子と原子の間の結合は強いのであるが,結合の方向が決まっているため,変形に対して融通が金属のようには利かず,したがって,ある力以上のところで割れてしまうのである.

 これが,最初に述べた,材料屋としての恐怖を抱かせる現象なのである.
 構造材料として用いている場合,割れる前に変形してくれると,それなりの判断ができるのであるが,あるとき突然に破壊することほど怖いものはない.判断して対処する余裕を与えないからである.

(p.52-53)


◆◆◆その他の艦船

 【質問】
 第2次大戦の米重巡の主砲の性能は?

 【回答】
 『第2次大戦のアメリカ軍艦』(海人社,1984),p.191によれば,以下の通り.

名称 砲身長
(口径)
初速
(m/秒)
俯仰範囲
(度)
最大射程
(m)
砲架形式
20,3cm砲Mk15 55 823 -5〜+41 27,800 3連装
20,3cm砲Mk12 55 762 -5〜+41 27,500 3連装
20,3cm砲Mk9 55 915 -5〜+45 30,000 3連装
20,3cm砲Mk9 55 915 -5〜+45 30,000 連装

 そんなわけで,細かい点ですが,

>〔射程距離は「ニューオリンズ」の〕20.3センチ砲だと,せいぜい2万5000メートルである.

林信吾著『反戦軍事学』(朝日新聞社,2006/12/30),p.92

というのは誤りなので,訂正よろしく.

 同書の90ページでは巡洋艦の20cm砲の射程が『せいぜい25000m』とあるが,実際には30000m近い射程があるのが普通.
 米海軍の場合は通常徹甲弾で29000m,重徹甲弾SHSで27000m.20cm砲よりも1ランク下の15cm砲クラスでも射程25000〜27000mは届く.

「週刊オブイェクト」,2007年03月29日

という指摘もありますし.

written by アーレイ・バーク(うそ)


 【質問】
 戦間期の偵察艦について教えてください.

 【回答】
 アメリカ風にいうなら「偵察巡洋艦」.フランス風にいうと「通報艦」.ワシントン条約後の艦種分類では軽巡洋艦に入る.
 艦隊決戦に先立って敵の主力艦隊を捜索する艦で,航続力が長くて速力がそれなりに高く,通信機器が充実いて(艦にもよるが)索敵水上機を搭載して広範囲の索敵ができる巡洋艦.もちろん戦闘艦艇.

 敵国の同種の艦との戦闘を考慮しているため,それなりに武装はしているが,主任務は戦闘ではなく偵察.

 アメリカの「オマハ級」軽巡洋艦が典型的なこの「偵察艦」.


 【質問】
 イタリアの警備艦「エリトリア」について教えてください.

 【回答】
 セニョール,セニョリータ!
 スパゲティと云って思い出すのは何かい?
 茸?
 高菜?
 明太子?
 明太子…… 本場イタリア人に言わせると,邪道なもんだそうな.
 あと,本場イタリア人に言わせると
「こんなパスタ本物じゃない!」
となるのが,トマトケチャップで真っ赤にしたスパゲティ,ナポリタンだったりします.
 どうも,甘いそうなんですね,日本のナポリタン.

 で,本場イタリア,ナポリにそんな名前のパスタは無いそうなんですが,1936年9月20日にそのナポリの造船所で一隻の船が進水しました.
 イタリア海軍の植民地警備用巡洋艦『エリトリア』(画像右)です.
 『植民地警備用巡洋艦』と仰々しい名前がついていますが,武装は4.7cm砲4門,37mm対空気機関銃4門,13mm対空気機関銃4門というささやかなもので,エンジンがディーゼル2軸,9100馬力,最高速力は20ノット.
 当然,本職の巡洋艦と殴りあう事はできませんが,植民地と本国とを行き来する商船団を護衛するにはちょうど良いような船でした.

 当時,イタリアは紅海沿岸エルトリアを植民地化しており,海軍はマッサワに拠点を築いておりました.
 そのマッサワで,エルトリアは最初の転機を向かえます. 
 1940年,イタリア本国が連合国との戦端を開いたのです. 

 マッサワからイタリア本国へ向かうには,スエズ運河を通らなければなりません.
 スエズ運河はイギリス占領下.通るワケにはいきません.
 こうして,マッサワのイタリア艦隊は本国と分断されてしまいました.

 それでもリビアからマッサワに向け,サボイア・マルケッティ81三発輸送機による片道輸送が細々と補給を行っていましたが,英国にしてみれば,紅海中程に枢軸国の艦隊が存在するのは面白くない.
 英国はマッサワに対する圧力を強めます.
 後に,航続距離の短いイタリア駆逐艦群は絶望的な出撃を繰り返し壊滅しますが,比較的航続距離の長いエルトリアと,武装商船,ラムT,ラムUは脱出を謀ります.
 目指すは,イギリス艦艇が跋扈するインド洋の遥か先,極東の同盟国,日本です.

 先行したラムTはイギリス軽巡洋艦リアンダーの攻撃を受け,モルディブ近海で撃沈.
 しかし,後発したエリトリアとラムUは,インドネシア,日本支配下のサバンに無事到着.
 その後,3月22日,神戸へ入港.
 こうして,エルトリアの長い逃避行は終わった,と思ったのですが……

 神戸入港後,エリトリアは対空砲の強化を受けましたが,米英を刺激することを恐れた日本政府により,日米開戦まで抑留されることとなります.
 開戦後は,インド洋で活動するUボートやイタリア潜水艦への補給を行っていました.

 しかし,43年9月9日,再度運命の時を迎えます.
 イタリア降伏です.
 ロイター電でこのことを知ったエリトリアは今度は枢軸国から連合国へ,再度の逃避行を行います.
 サバンを秘密裏に出航したエリトリアを,軽巡『球磨』や海軍航空隊が追いましたが,二度目ともなれば手馴れたもんで,難無くセイロン島コロンボへ到着.
 こうして,インド洋を行ったりきたりしたエリトリアの第二次世界大戦は終わりました.

 戦後,エリトリアは賠償艦としてフランスに引き渡され,フランシス・ガルニエと改名し,61年,第二次世界大戦後,初のフランス海軍艦船として日本に寄港しました.
 ええ,エリトリア的には2度目ですが…… (w`;

 生まれ故郷のナポリを遠く離れた地で,運命に翻弄された続けたエリトリアは,66年に除籍し,その生涯を閉じたのです.

ベタ藤原 in mixi


 【質問】
 ドイツ海軍にはヒトラー用ヨットなんてものまであったってホント?

 【回答】
 ドイツの「グリーレ」のことなら多分これだろう.
http://hush.gooside.com/Text/1K/13Ku/K09jKurina_.html
 ここ↑の一番下に載ってる.

 で,ヨットはレジャー用の船舶の総称.
 総統用ヨットもそうだけど,英海軍の王室用ヨットとか,イメージは客船に近い.

軍事板

 Yachtの定義的には,「快速船《個人所有で宿泊設備つきの遊覧用の豪華な船通例エンジン付きで帆のないものが多い》となっており,湘南海岸にたくさんあるようなものとは異なります.
 堀江謙一さんが太平洋に漕ぎだしているのは,Sailing Boatと言われるそうな.

 総統ヨットのGrilleは排水量2,560tで,再軍備の暁には駆逐艦の主力機関となる高圧蒸気機関の試作も兼ねています.
 平時では要人の接待用ですが,戦時には機雷敷設艦,そして,Narvikでの艦隊旗艦兼防空指揮艦になっています.

 戦後,同艦は賠償で英国に引き渡された後に,米国に渡り,其処で個人に売却されて,1951年に座礁して失われています.

眠い人◆gQikaJHtf2

 なお,
http://www.coburgbrokers.com/gril2.html
によると,グリーレが搭載していたモーターボートは現存するみたい.

グリーレ

ベタ藤原 in mixi支隊


 【質問】
 第二次世界大戦時,イタリアが使ってたMAS魚雷艇のエンジンはディーゼルですか,ガソリンですか?
 ディーゼルと言う本もあれば,ガソリンと言う本もあるのですが.どっちがホントでしょうか?

 【回答】
 一般的に,MASはガソリン動力が多いです.それも圧倒的に,Issotta-Franschiniのもの.
 小型艇だとAlfa-Romeoのものが使われ,駆潜艇的と言うか,砲艇として製造されたものに,ディーゼルが用いられています.

Issotta-Franschini(ガソリン)
MAS423,MAS427,MAS430,MAS438,MAS424,MAS451,MAS501,MAS526,
MAS551,MS11,MS51

Fiat(ガソリン)
MAS431,VAS201(+Carraroガソリン),VAS231

Alfa Romeo(ガソリン)
MAT,MTM,MTR,MTS,MTSM,MTSMA

Fiat(ディーゼル)
Stefano Turr(試作),VAS301(Genoa製造分)

Ansaldo(ディーゼル)
VAS301(Ansaldo製造分)

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 第二次世界大戦中のドイツ軍やソ連軍に,旧軍の装甲艇のような河川警備用の艦艇というのはありましたか?

 【回答】
 ソ連の場合は,
1932年建造のUdarnyi,Aktivnyi,
1934〜39年建造のZheleznyakov級の河用砲艦を建造したほか,
42tのType1124BKA,
29tのType1125BKA
の二種類の砲艇が作られました.
 前者は,T-28またはT-35の戦車砲塔を2基流用したもの,
後者はT-34/761940年型の砲塔1基を装備したものです.
なお,後者には一部カチューシャが搭載されています.

 これらは,1941年の独ソ戦時には,85隻が発注され,68隻が建造中で,1941年8月18日には更に110隻が発注されています.

 更に,その後継艇として,MBKが建造されました.
 これは,T-34/85の砲塔2基を装備したもの,もしくは一部には10cm砲を搭載したものがあり,1944年から引き渡されました.
 全三種の艇は1935〜45年までに最低270隻建造され,90隻が失われています.

 ドイツの場合は,1943〜45年に掛けて20隻が建造されたLS1級と1945年に建造されたKS級があります.
 これらは何れも河川用魚雷艇で,前者は,JunkersかDBのDieselを搭載して,450mm魚雷発射機2基を持ち,20mm機関砲を装備しており,後者はガソリンエンジンで53.3cm魚雷発射機2基を装備したものです.

 砲艇として用いられたものとして専用のものはありませんが,ドナウなどでは捕獲艇が用いられています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 巡洋艦「モロトフ」について教えられたし.

 【回答】
 ソ連海軍の巡洋艦「モロトフ」 Крейсер"Молотов"は,プロジェクト26B型巡洋艦(マキシム・ゴーリキイ級)としてマルチ名称記念ニコラーエフ工廠で建造
1937年1月14日起工
1939年5月7日進水
1941年6月14日就役,黒海艦隊に配属.
1941年11月〜,セヴァストポリ攻防戦参加.
1942年8月3日,イタリア海軍魚雷艇MAS568の雷撃で大破.
 建造中のチャパエフ級軽巡洋艦「フルンゼ」のパーツを流用して修理.
1943年末,艦隊に復帰.
1946年,練習巡洋艦.
1956年,「スラヴァ」と改名.
1973年,除籍.
1978年,解体.


 下の写真1枚目は,1944年に撮影された巡洋艦「モロトフ」です.
(2枚目は,1941年に撮影された「モロトフ」)

 「モロトフ」のカタパルト上に載せられている飛行機は,かの有名なイギリス製の戦闘機スーパーマリン「スピットファイア」です.
 スピットファイアは,ソヴィエト連邦にも供与されました.

 イギリスでは,貨物船にカタパルトを取り付け,戦闘機を1機だけ搭載する「カムシップ」(カタパルト武装商船)を作りましたが,それに倣ってテストを行なったのでしょうか.

 この機体は,機首の排気管の数が3本なので,スピットファイアMk.Vです.
 スピットファイアには多数のタイプが有りますが,ソヴィエト連邦軍にはMk.VとMk.IXが供与され,1943年春以降,ソ連邦南部で使用されました.
(3枚目の写真は,1943年に引き渡されたスピットファイアMk.V)

 ソ連に送られたスピットファイアは合計1,331機ですが,他のレンドリース戦闘機(ハリケーン,P-39,P-40)よりも数は少なく,実戦参加時期も遅かった為か,いまいち影が薄いですね.



Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/2/22(金) 午後 11:16

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 WWII時の極東ロシア軍のアムール川戦隊の砲艦やモニターの中にキエフで建造されたものがありますが,これってどのように運ばれたのでしょうか?

 【回答】
 建造する
→水に浮かべる
→試運転
→動いた〜
→分解
→パーツごとに貨車に搭載してシベリア鉄道で輸送
→現地到着
→組立
→水に浮かべる
→試運転
→動いた〜
→実戦配備

 余談モードですが,潜水艦の中には北極海からシベリア海に抜け,太平洋に到達したものもあったそうですし,小型潜水艦の中には,船積みしたものもあったか,と.
 河用砲艦の大洋横断と言えば,乾舷1m弱のColombiaの河用砲艦が大西洋を自力航海して回送したと言う話もありましたっけ.

眠い人 ◆gQikaJHtf2

 余談の余談.
 メフメット2世のコンスタンチノープル攻略の折にも,似たようなことが行われている.
 以下引用.

 オスマン帝国軍の攻撃を恐れたビザンティン軍は,金角湾に船を入れない為に湾口に鎖を張って抵抗します.
 オスマン軍は攻めあぐねましたが,彼は前代未聞の作戦でこの難関を乗り越えました.
 それは,一夜の内に72隻に及ぶ軍艦をボスポラス海峡側から陸揚げし,ガラタ塔の裏側を回るように陸路,金角湾へ侵入させるというものでした.

http://www.noe-j.co.jp/snt/turk/turk_top.html

イラン前国防相 ◆2ahDXUlKbw


 【質問】
 英の特設艦船について教えられたし.

 【回答】
 『特設艦船入門』(大内建二著,光人社NF文庫,2008.4),P.278〜305によれば,英海軍では必要が生じる度に新しい種類を誕生させ(巡洋艦や空母,臨検船や武装ヨットなど.…武装ヨット?),最終的には56種類の特設艦船を使用したそうです.
 その中で興味深かったのが
・外輪式の連絡船を改装して沿岸航路に配備した小型の特設防空艦
・上空から見て,実在する軍艦に似せた囮船(独空軍のリソースを割かせ,独海軍の洋上作戦にも変化をもたらそうとした物.目的を達しないまま,元の商船に戻された)

グンジ in mixi, 2008年04月13日17:21


 【質問】
 英海軍の特設巡洋艦について船名やスペックなどの一覧がある資料など、ございましたら教えていただきたいのですが……

 【回答】
 本では洋書になりますが、お馴染み、Conway's All The World's Fighting Ships1922-1946が総花的ですが、若干の資料はあります。
 後、British Steem Liner On WWIIだったかな、そんな名前の洋書があって、それの方がもっと詳しく書いてあったと思いますが、うろ覚えです。
 (神保町にある,軍事関係に強いとある古書店にあったかも)
 写真では、第二次大戦のイギリス軍艦(世界の艦船別冊)にCofuが掲載されています。

 以下に明確にArmed Merchant Cruiserとなった船を簡単に列挙しておきます。
 これ以外にOcean Boarding Vessel(大型臨検船)とかArmed Boarding Vessel(武装臨検船)、Convoy Escort(船団護衛船)などもありますが、これを加えると膨大な数になるので、敢えて取り上げません。
 多分、これを基にググればサイトは出てくるかも知れません。

Name       Gross Tons/built    Speed(kts)/oil(t)    Guns/elevation/AA         Fate
Alaunia         14030/1925     15/1619         6"MK.VII×8/20度/3"AA×2   1944年工作艦に。
Alcantara        22209/1929     19/2680         6"MK.VII×8/20度/3"AA×2   1943年兵員輸送艦に。
Andania         13950/1921     15/1847         6"MK.VII×8/20度/3"AA×2   1940.6.15.撃沈。
Antenor         11174/1925     15/1170         6"MK.VII×6/20度/3"AA×2   1942年兵員輸送艦に。
Arawa          14462/1922     15/1712         6"MK.VII×7/20度/3"AA×2   1941年兵員輸送艦に。
Ascania         14013/1925     15/2200         6"MK.VII×8/20度/3"AA×2   1942年兵員輸送艦に。
Asturias        22048/1925     19/2710         6"MK.VII×8/20度/3"AA×2   1944年3月座礁全損。
Aurania         13984/1924     15/1591         6"MK.VII×8/20度/3"AA×2   1942年艦名変更Artifex、工作艦に。
Ausonia        13912/1921     15/1586         6"MK.VII×8/14度/3"AA×2   1942年工作艦に。
Bulolo          6500/1938     15/624(ディーゼル) 6"MK.VII×7/20度/3"AA×2   1942年揚陸指揮艦に。

Name       Gross Tons/built    Speed(kts)/oil(t)    Guns/elevation/AA         Fate
California       16792/1923     16/2713         6"MK.VII×8/20度/3"AA×2   1942年兵員輸送艦に。
Canton         15700/1938     19/1318        6"MK.XII×8/20度/3"AA×2    1944年兵員輸送艦に。         
Carinthia        20277/1925     16.2/2270       6"MK.VII×8/20度/3"AA×2    1940年6月7日撃沈。
Carnarvon Castle   20063/1926    18/1420(ディーゼル) 6"MK.VII×8/20度/3"AA×2   1944年兵員輸送艦に。
Carthage        14182/1931     18/1288        6"MK.VII×8/20度/3"AA×2    1943年兵員輸送艦に。
Cathay         15225/1925     16/1340        6"MK.VII×8/20度/3"AA×2    1942年兵員輸送艦に。
Cheshire        10520/1927     15/794(ディーゼル) 6"MK.VII×6/20度/3"AA×2   1943年兵員輸送艦に。
Chitral          15346/1925     16/1850        6"MK.XII×7/30度/4"AAMk.V×2 1944年兵員輸送艦に。
Cilicia          11137/1938     16.5/1052(ディーゼル) 6"Mk.XII×8/20度/3"AA×2  1944年兵員輸送艦に。
Circassia        11137/1937     16.5/1052(ディーゼル) 6"Mk.XII×8/20度/3"AA×2  1942年兵員輸送艦に。
Comorin         15241/1924     16/1390          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1941年6月4日、撃沈。
Corfu           14170/1931     17/1380          6"Mk.VII×8/20度/12lbAA×2 1944年兵員輸送艦に。

Name       Gross Tons/built    Speed(kts)/oil(t)    Guns/elevation/AA         Fate
Derbyshire       11650/1935      16/740(ディーゼル)  6"Mk.XII×6/20度/3"AA×2  1942年兵員輸送艦に。
Dunottar Cassle    15007/1936     16/1372(ディーゼル)  6"Mk.XII×7/20度/3"AA×2  1942年兵員輸送艦に。
Dunvegan Cassle   15007/1936     16/1372(ディーゼル)  6"Mk.XII×7/20度/12lbAA×2 1940年8月28日、撃沈。
Esperance Bay     14204/1922     15/1701          6"Mk.VII×7/20度/3"AA×2  1941年兵員輸送艦に。
Forfar          16402/1920      16/1728          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1940年12月2日、撃沈。
Hector          11198/1924      15/1180          6"Mk.VII×6/20度/3"AA×2  1942年4月5日、撃沈。
Jervis Bay       14164/1922      15/1859          6"Mk.VII×7/20度/3"AA×2  1940年11月5日、撃沈。
Kanimbla        10985/1936      16.5/781(ディーゼル) 6"Mk.VII×7/20度/3"AA×2  1943年大型兵員揚陸艦に。
Laconia         19695/1922      16.5/1895         6"Mk.VII×8/14度/3"AA×2  1941年兵員輸送艦に。
Laurentic        18774/1927      16.5/3536(石炭)    5.5"×7/25度/4"Mk.VAA×3  1940年11月4日、撃沈。
Letitia          13475/1925      15/1760          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1941年、兵員輸送艦に。

Name       Gross Tons/built     Speed(kts)/oil(t)     Guns/elevation/AA         Fate
Maloja          20914/1923      16/2725          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1941年1兵員輸送艦に。
Manoora(RAN)    10856/1935      16/704(ディーゼル)   6"Mk.VII×7/20度/3"AA×2  1942年、大型兵員揚陸艦に。
Monowai(RNZN)   10852/1924      19/1560          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1943年、兵員輸送艦に。
Montclare        16314/1922      17/1965         5.5"×7/25度/4"Mk.VAA×3  1942年、補給艦に。
Mooltan         20952/1923      17/2876          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1941年、兵員輸送艦に。
Moreton Bay      14193/1921      15/1701          6"Mk.VII×7/20度/3"AA×2  1941年、兵員輸送艦に。
Patroclus        11314/1923      15/3073(石炭)      6"Mk.XII×6/20度/3"AA×2  1940年11月4日、撃沈。
Pretoria Castle     17160/1938     19.5/1332(ディーゼル) 6"Mk.XII×8/20度/12lbAA×2 1942年、護衛空母に。
Queen Of Bermuda  22575/1933      20/2300          6"Mk.XII×7/20度/3"AA×2  1943年、兵員輸送艦に。
Rajputana        16644/1925      17/2100          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1941年4月13日、撃沈。
Ranchi          16738/1925      18/1885          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1943年、兵員輸送艦に。
Ranpura         16688/1925      17/2250          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1944年、工作艦に。
Rawalpindi       16697/1925      17/2100          6"Mk.VII×8/20度/---      1939年11月23日、撃沈。

Name       Gross Tons/built     Speed(kts)/oil(t)     Guns/elevation/AA         Fate
Salopian         10515/1926      15/794(ディーゼル)  6"Mk.VII×6/20度/3"AA×2  1941年5月13日、撃沈。
Scotstoun        17046/1925      16/2495          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1940年6月13日、撃沈。
Transylvania      16923/1925      16/2378          6"Mk.VII×8/20度/3"AA×2  1940年8月10日、撃沈。
Voltaire         13245/1923      14.5/1430         6"Mk.VII×8/20度/---      1941年4月4日、撃沈。
Westralia(RAN)     8108/1929     15.5/879(ディーゼル)  6"Mk.VII×7/20度/3"AA×2  1943年、大型歩兵揚陸艦に。
Wolfe           16418/1921     16.5/1728          6"Mk.XII×7/20度/12lbAA×2 1941年、補給艦に。
Worcestershire     11402/1931      15/696(ディーゼル)  6"Mk.VII×6/20度/3"AA×2  1943年、兵員輸送艦に。
Prince David(RCN)   6892/1930     21.5/1470          6"Mk.VII×4/20度/3"AA×2  1943年、中型歩兵揚陸艦に。
Prince Henry(RCN)  6893/1930     21.5/1470          6"Mk.VII×4/20度/3"AA×2  1943年、中型歩兵