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◆◆◆◆◆ドイツ軍車輌
<◆◆◆◆車輌
<◆◆◆装備
<◆◆陸戦 目次
<◆大西洋・地中海方面 目次
<第二次大戦FAQ
(画像掲示板より引用)
Achtung Panzer!(独軍軍用車輌,英語)
Kfz. der Wehrmacht
ドイツ軍が使ったソフトスキン車輌
STRANGE VEHICLES OF PRE-WAR GERMANY & THE THIRD REICH (1928-1945)
Technical Virtue (独軍試作/実験車輌,英語)
The heavy German military bikes with sidecar from 1940-45
「Togetter」◆(2013/02/16) 不肖秋山優花里の戦車講座#5 「クーゲルパンツァー」
「ニコニコ動画」◆(2011.12.04) ドイツ軍,「戦車の倒し方マニュアル」
『WWⅡドイツ装甲軍』(広田厚司著,潮書房光人社NF文庫,2013.2)
『ドイツ国防軍の対戦車砲1939~1945』(マクシム・コロミーエツ著,大日本絵画,2009.10)
【質問】
(SD.kfz.251)
↑
これは何て読むのでしょうか?
人に話すときは,いつも「ちょっとかっこいいいドイツ軍の装甲車」と言っているのですが.
【回答】
Sonderkraftfahrzeug.
正確にはSonder(特別な)Kraftfahrzeug(自動車,車輌)で特殊車輌,特殊用途車輌などと訳される.
ドイツ語では複数の単語からなる名詞は分けずに一綴りにする慣習があるのでSonderkraftfahrzeugと長ったらしくなる.
SonDer Kraft Fahr Zeug と単語を分解して辞書引くと,意味が分かる.
略号の場合はSd.Kfzと途中で点が入る.
発音はゾンダークラフトファールツォイク.
略号はエスデーカーエフツェットでもエスディーケーエフゼットでもスダコフツでもお好きなように・
【質問】
ドイツのAFVその他の兵器についている名前で「ストゥーム」「ヤークト」「パンター(パンテル)」というのは
日本語ではどういった意味ですか?
【回答】
シュトゥルム(Sturm)は英語でStorm,つまり嵐のこと.
軍事では突撃の意味に使います.突撃銃はSturmgewehrというわけです.
ヤークトはJagdで,狩猟のこと.軍事分野では「駆逐」とも訳されます.ヤークトティーガーは英語ではhunting
Tigerと訳されます.
なお,Tigerはドイツ語読みではティーガなので,ヤークトタイガーというのはフォルクスワーゲン同様,独英混ぜ読み.ヤークトティーガかハンティングタイガーか,フォルクスヴァーゲンかヴォルクスワーゲンか,どっちかにせーやと言いたいとこですが,
これはすでに慣用日本語になってしまっているので,カタカナ表記している時点で話はおしまい.
パンターはPantherで,豹のこと.英語でも同じですね.
以下,簡単に羅列すると,
Panzer Kampf Wagen:戦車
(Panzer:装甲)
(Kampf:戦闘)
(Wagen:車輌)
Jagd Flugzeug:戦闘機
(Jagd:駆逐)
(Flugzeug:飛行機)
<直訳:駆逐機>
Kampf Flugzeug:爆撃機
(Kampf:戦闘)
(Flugzeug:飛行機)
(直訳:戦闘機)
Panzerは鎧の意味でこの場合は戦車.
Faustは拳(英語ではfist)
Schreckは恐怖,怖ろしい物,の意味です.
ただし,Schreckと英語のshockはやや意味合いが違います.
shockは衝撃であり,物理的な衝撃や熱衝撃にも使う言葉ですが,
Schreckは心理的な恐怖に限ります.英語で近い物だとfrightになるでしょう.
なお,パンツァーシュレック(戦車脅し)は俗称で,パンツァービュクセ(buchseは筒とか銃の意)が正式な名称.
自分で調べる方法ですが,まずWikipediaをカタカナで引いて元のドイツ語のつづりを知り,さしあたり
http://babelfish.altavista.com/tr
で「Translate a block of text」の欄にその単語を入れ(必要に応じて単語を切って),下の「Select
from and to languages」で German to Englishを選択してTranslateボタンを押す.
出てきた英語を辞書引く,というとこでしょうか.
【質問】
アイゼナハ車輌製作所について教えられたし.
【回答】
ドイツの自動車メーカーと言えば,現在ではベンツ,フォルクスワーゲン,BMW,アウディ,ポルシェ,オペル,ドイツ・フォードが大体有名なブランドです.
戦前は,これに加えてDKWとかアウトウニオン,ホルヒ,グラース,ボルグヴァルトなどもありました.
ドイツのアイゼナハには,アイゼナハ車輌製作所と言う車輌メーカーがありました.
この会社は1898年から自動車産業に進出し,1899年に販売を開始します.
一時は,ダイムラー社とベンツ社に次ぐドイツ第三位の自動車メーカーでした.
しかし,1903年に経営に失敗して自動車産業から一旦手を引き,後に新たな経営陣がDixiと言うブランドで自動車を生産していました.
このDixiブランドを1928年に,当時航空機産業だったBMWが買収して,BMWブランドで初の自動車として売り出しました.
以後,このDixiを核に,BMWは独自ブランドのバイクやレーシングカー,それに自動車を製作していきます.
また,航空再開に伴い,航空機用エンジンにも再進出していき,アイゼナハの工場ではそれらの生産で隆盛を極めました.
しかし,1945年にドイツは敗北し,アイゼナハはソ連占領地域に入ってしまいました.
大抵の工業資産は,賠償としてソ連に取り立てられていき,戦前のオペル・カデットの金型は,生産設備一式をモスクワに送られてモスクヴィッチになったのは有名な話.
ところが,何故かアイゼナハの自動車生産設備は現地に残され,現地で生産した自動車を売る事で賠償の代わりにする事になりました.
そうして,1945年10月から早くも自動車を生産します.
それも,BMWブランドで,です.
元々,アイゼナハの工場はBMWの工場ですから,BMWの製品を作っても問題はありません.
但し,BMWはその名の通り,バイエルンにあります.
つまり,米国占領地区にある訳で,しかも,自動車生産はストップさせられていたので,商標権侵害を申し立てる状況にありませんでした.
1948年に国営化されて国営企業アイゼナハとなり,1952年には賠償の取立ても終わってソ連経営から東ドイツ経営となりました.
この頃にはBMWも復活しており,そうなると,BMWブランドは利用出来なくなりました.
そこで,Bayernの代わりに,Eisenachを名称に冠して「EMW」とブランド名を変え,エンブレムもバイエルン州の州旗である青と白の代わりに,アイゼナハ市の市章である白地に赤の十字架を模した赤と白に変えてしまいました.
そして,本家と元祖の対決になるかと思いきや,以後,西ドイツは非常な勢いで発展し,BMWも新車を立て続けに出す様になりました.
最初が1951年の501で,エンジンこそ戦前の326の発展型で2リットルにも満たないものですが,ボディは新設計となり,1957年にはメルセデス・ベンツを出し抜いてドイツの市販車としては最初のV8エンジン搭載となった502を出し,以後,このエンジンをボアアップさせ,発展させた503,507,3200SCなどを立て続けに生み出しました.
一方のEKWはその間,全然新型車を開発出来ず,結果的にBMWの型落ち車を新車として売る羽目になります.
これでは到底企業間競争に堪えられません.
そこで,BMWの影響から抜け出した新型車を開発する事になります.
その前に東ドイツは,初の国産車を開発していました.
と言っても,これも戦前,ツヴィッカウ市に工場のあったDKWのF9と言うVWビートルに似たデザインの戦前の試作車を,リファインしてそのまま生産したもので,1950年からIFA
F9として生産が開始され,アイゼナハ自動車工場で大量生産が開始されました.
このF9はツヴィッカウ市の旧DKW技術陣による開発でしたが,1956年に国営企業アイゼナハが発表したのがヴァルトブルク311です.
とは言え,元々は1954年に開発されていたEMW311を,ブランドを変えてデビューさせただけの代物ですが,兎にも角にもこれが,最初のアイゼナハの技術陣による開発車でした.
但し,このエンジンは戦前のDKWの系譜を引いた2ストローク3気筒37馬力の性能のエンジンです.
当初はタクシーとしてライプツィヒでデビューし,ボディータイプは通常のセダンやワゴンの他,リムジン,カブリオレ,クーペ,2人乗りスポーツカー仕様までありましたし,警察車輌としても用いられています.
スポーツカー仕様は,時速140kmを可能としていましたが,価格はトラビーの倍であり,東ドイツ社会では相当の高級車で,生産台数は1965年までに26万台程度でした.
1962年にはエンジンはボアアップして,900ccから1,000ccに拡大されたヴァルトブルク1000が発表されました.
そして,1962年に計画され,1966年に満を持して登場したのが,エンジンはそのままに,車体をもっとリファインさせた新型ヴァルトブルク1000です.
1950年代の自動車にありがちの丸っこい外観は,サイドウィンドーに曲面ガラスを用い,ヘッドライトが角形になり,外観はよりモダン且つルーミーなものになりましたが,未だフレームはセパレートフレームでした.
但し,全輪独立懸架になっています.
1968年にはヴァルトブルク353と名称を変更し,1974年にやっと前輪ブレーキがドラムからディスクになり,1978年にはヴァルトブルク353Wと名称が変更されました.
このヴァルトブルクも世界各国――と言っても28カ国ですが――に輸出されました.
ただし,その中には英国や米国と言った西側諸国も含まれています.
英国や米国にはワートバーグ・ナイトの名前で輸出され,それなりに売れたそうです.
ただ,1970年代には既に技術的に陳腐化し,壁崩壊前の1988年にはVWポロの1.3リットルエンジンを移植して,ヴァルトブルク1.3と名称を変え,フェイスリフトも行われましたが,これが政府指導部の逆鱗に触れ(西側のフォルクスワーゲンと提携した事が,東ドイツの自動車技術の低さを全世界に曝す事になりかねないと判断されたそうな),このエンジンを用いた新型車開発は全くストップしてしまいました.
そして,壁崩壊後は全く売れず,好事家だけが買う存在となって,とうとう1991年には生産を停止してしまいました.
東ドイツという国があった頃は,このヴァルトブルクを手に入れるには実に16年待ちだったそうです.
トラビーが13年ですから,更にその上を行く車だった訳ですね.
そして,手に入れてからは大切に大切に乗り,大体平均して20年以上は乗り続けていたそうです.
因みに,ヴァルトブルクの地名の起こりは,伝説に拠れば,地方伯ルードヴィヒがある山を見て,
「待て(Wart)!汝我が城(Burg)となれ!」
と言ったからだとか.
正直,この自動車の名前は,凄くブラックユーモアに溢れたシニカルな人物が付けた様な気がします.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/04/21 22:31
【質問】
ドイツ軍は捕獲したイギリスやアメリカ戦車を,ソ連戦車と同様に自軍に編入して,使用したんでしょうか?
M4やM26ならまだしも,やられ役のイギリス戦車が役に立ったんでしょうか?
【回答】
使用した.
「ジャーマンタンクス」には,英軍からの鹵獲使用車輌として以下が紹介されてる.
・Mk.II歩兵戦車マチルダ(独軍呼称:歩兵戦車Mk.II
748(e))
・同上改造の5cm自走砲
・Mk.III歩兵戦車バレンタイン(同:歩兵戦車Mk.III
749(e))
・Mk.IV軽戦車(同:軽戦車Mk.IV 736(e))改造の10.5cm自走砲
・ブレンガンキャリア/ユニバーサルキャリア改造の自走砲いろいろ
とにかくドイツ軍の装甲車輌は不足してたので,戦車なら,フランス軍から鹵獲したルノーFT(第1次世界大戦時の現役車輌)まで使ってる.
さすがに第一線部隊では使えない代物でも,鉄道警備や訓練,警察などに配備したり,改造して自走砲に仕立て上げたり,トーチカにしたりと,とにかく使う.
ただ,英軍相手の場合,鹵獲チャンスがあまりなかったので,使用数は少なめかと.
フランス侵攻作戦のときに接収できた集積物資が中心のようだ.
あとは北アフリカ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
第2次大戦でドイツ軍が鹵獲・使用したルノーFT-17を,米軍が鹵獲したもの
(画像掲示板より引用)
【質問】
ドイツ軍は第2次大戦中,フランス軍車輌を改造したのも使っていましたが,そういうのの修理改造もフランスのメーカーで行ったほうが何かと都合がいいと思うのですが,実際はどうだったんですか?
それともサボタージュを嫌ってドイツ国内の工場でしてましたか?
【回答】
フランスのメーカーもフランス人も使ってる.
サボタージュは多かったけど,それに構っていられないくらい余裕が無かった.
鹵獲車改造自走対戦車砲
(画像掲示板より引用)
【質問】
プラモなどを作っていて疑問に思ったんですが,ジャーマングレイという色の存在意義について教えてください.
WW2のドイツ軍は,兵器や装備品をあの色で統一してたようですが,ああいう色って戦場では目立ちすぎかと思うのですが,なんであの色を採用したんでしょうか?
【回答】
ジャーマングレー,正しくは「RAL7021 ドウンケルグラウ」,通称パンツァーグラウともいいますが,1937年6月にブラウンと合わせた迷彩塗装用として採用され,1940年7月31日の通達により,それ単色での塗装が標準となり,1943年2月18日からドウンケルゲルプ(ダークイエロー)が標準になるまで使われています.
西欧で使う分には,さほど背景から浮いた塗装ではなかったようですが,北アフリカや東部戦線(特に夏の南部や雪原)では,暗い塗装は思い切り目立つので,その上から水で溶いた泥や石灰を塗って急場を凌ぐことになりました.
(後に正式な塗料に変更)
軍事板,2009/06/24(水)
青文字:加筆改修部分
◆◆◆◆◆支援車輌
【質問】
WW2ドイツ軍の使っていたオートバイは,どんなもの?
【回答】
ドイツ軍は戦車のスピードに同調できる偵察部隊の足としてオートバイを多用しました.
BMW,ツェンダップ,NSU,DKWなどのメーカーのものが使われましたが,最初から軍用として開発されたオートバイは少なく,民需用をそのまま利用したか,シールドや機関銃を改造して取り付けたものが,最初は使われました.
そんな中,最初から軍用として開発されたBMW
R75は,サイドカーをつけて重用されました.
【参考ページ】
http://homepage3.nifty.com/fwkh5241/page030.html
http://www.sideriver.com/motorcycle/vintage/vintage-03-05.html
http://iinamotto.com/plamo_gallery/german_color.html
http://www.toytank.net/tank/sidecar.htm
http://hidden-and-dangerous2.zoo.co.jp/briefing_vehicle.html
【ぐんじさんぎょう】,2009/12/22 23:00
に加筆
ドイツ軍が使用したオートバイ各種
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq25n13b03.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq25n13b04.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq38g02b02k.jpg
(一部ウソ)
(画像掲示板より引用)
【質問 kérdés】
BMW R-75について教えてください.
Kérem, mondja meg BMW R-75-ről
【回答 válasz】
WW2当時,最も広く使われたドイツのオートバイ.
26 hp,750 ccのBMW OHVガソリン・エンジンを搭載し,最大時速95kmを発揮.
前進4速,後進1速のギアボックスがあり,オンロードとオフロードの走行に合わせて比率を調整できるため,R75は非常に操作しやすく,また,ほとんどどんな地形でも走行可能.
BMW286 / 1サイドカーも装備可能.
バイク自体は非武装だったが,サイドカーに7.92 mm MG34またはMG42機関銃を装備可能.
ドイツ国防軍の要求に応えて,1938年にBMWによって設計され,1941年より生産開始.
1942年,軍の要請により,BMWとツェンダップ ZündappK はR75とKS750の部品共用化を進め,部品の約70%が共通となった.
後にこれは,BW43と呼ばれるZündapp-BMWハイブリッド車の設計へと繋がる.
連合軍の爆撃によりアイセナッハ工場が修理不可能なほど損傷した1944年まで生産は続いた.
そのときの生産総数16,510輌超.
戦後も,戦争賠償の一環として,ソビエト連邦向けに1946年までに,さらに98輌が製造されたという.
Length: 2130mm
Width: 1730mm
High: 1000mm
Wheelbase: 1444mm
Kerb Weight: 400kg
Engine: BMW OHV 2 cylinder boxer; 745cc; 26PS
【参考ページ Referencia Oldal】
https://world-war-2.wikia.org/wiki/Kraftrad_BMW_R75
https://www.prewarcar.com/301585-bmw-r75-748cc-2-cyl-ohv-3001
https://www.motorcyclespecs.co.za/model/bmw/BMW_r75 72.htm
https://live.warthunder.com/post/567095/en/
1枚目:道路脇に停車中の,ドイツ軍のBMW R-75の車列,1939年
(図No.faq201222bm,こちらより引用)
2枚目:北アフリカの砂漠におけるDAKのBMWR75
第21装甲師団第155砲兵連隊第1大隊第1軽歩兵中隊のマークをつけている
(図No.faq201222bm2,こちらより引用)
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=DkpN__libLA
mixi, 2020.12.22
【質問】
旧ドイツ陸軍の車輌について質問.
後輪はキャタピラで前輪はそのままのトラックやバイクがありますが,前輪だけで舵をとっているのですか?
(ハンドルを切ると,キャタピラ速度が左右で変わる?)
【回答】
ドイツの半装軌車輌(トラック形もバイク形も.ちなみにバイク型のは「ケッテンクラート」と呼ぶ)はみんな前輪を動かす他に履帯の回転数に左右差をつけることでステアリングを切った.
じゃあ前輪いらないじゃん,と言われそうだが,前輪がないと小回りが効かない上,「速度を落とさずに曲がれない」ので,前輪がないと不便.
あと,半装軌車の後輪・・・というか履帯は小さいから,前輪がないと乗り越えられる段差や障害物に制約が大きくなる.
だからその意味でも前輪が必要だった.
ケッテンクラートは前輪がない(外してるのか壊れたのかは不明)けど普通に走ってる写真があります.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
前に101掲示板でWW2のドイツ軍のハーフトラックに88mmつんだ,無理ある対空車輌の写真を見かけたのですが,あれは制式車輌なんでしょうか?
それとも現地改修なんでしょうか?
【回答】
http://fhsw.or.tp/html/n_files/july_2007.html
とか見れ.
それまでの対空車輌が非装甲なのが問題になったので,対空戦車作ろうとしたけど,その間のつなぎ役として,操縦席を装甲版で覆ったハーフトラックに,8.8cm載せたのが作られたんだよ.
◆iqK7ZoWK2. in 軍事板
青文字:加筆改修部分
こちらはwikiの記述なので注意
http://ja.wikipedia.org/wiki/Sd_Kfz_8
軍事板
青文字:加筆改修部分
上の1番目のサイトやwikipediaでは,8.8cm18式高射砲搭載
12t牽引車(8.8cm FlaK18(Sfl) auf Zugkraftwagen
12t)は,Sd.Kfz.8 の後部に88mm FlaK 18 を搭載した自走砲で,1939年に10両が製作された,としている.
一方,
http://db103rheingold.main.jp/hitorigoto.html
によれば,18輌が生産されたという.
wikipediaによれば,生産車輌は第8重戦車駆逐大隊に配備され,1939年の対ポーランド戦,1940年のフランス戦に投入されたという.
http://fhsw.or.tp/html/n_files/july_2007.htmlより
【質問 kérdés】
Henschel 33型トラックについて教えてください.
Kérem, mondja meg a Henschel 33 sorozat teherautóról.
【回答 válasz】
ヘンシェル社が製造していた代表的な軍用トラック.
ワイマール共和国軍の自動車化計画により,1926年からBüssing,Henschel,Kruppの 3社共同で運搬能力3t級の大型トラック開発に着手.
ヘンシェル33型の最初のモデル「B1」は1928年に発表された.
1929年には,より強力な,排気量10リッターのエンジンを備えたD1が生産に入り,大戦初期におけるドイツ軍トラックの中心的存在となった.
1933年以降,ペイロードを4~5tに増加させた,民間向けのD2も少数生産されている.
1937年以降,9リッターのディーゼルエンジンを搭載した「G1」の生産開始.
ただし車体は全て共通であり,外観上の違いは殆どない.
33D1型が33B1型に比べ,エンジンボンネットが長くなっている程度.
構造は堅牢だったが,その代わり車重が重く,その関係でエンジンが大型化し,更に重量が嵩んだ.
たとえば同じクラスのオペル「ブリッツ」の車重2700kgに対し,ヘンシェル33型は6100kg.
排気量は前者が3.6リッターに対して後者は10リッターもしくは9リッター.
これにより,車輌としての効率,生産コストの関係から生産中止となった.
このトラックはマギルス Magirus 社でも生産された.
同社はヘンシェルからライセンス生産権を取得し,1937~41年にかけて33G1型を量産.
同社のこのモデルは100 HPディーゼル・エンジンを搭載した.
また1939~1941年には,125 HP Deutzディーゼルエンジンを搭載するマギルス33Hを生産している.
33型は1942年までに22,000両が作られ,その約半数が輸出された.
派生型としては,たとえば1936~42年に生産された飛行場専用消防車 Tankspritze 2,5(KFZ.343)がある.
これは120 HPの出力を持つ,より強力なヘンシェルF型エンジンを搭載していた.
無線車型も存在する.
Kfz.72と呼ばれ,A / B移動無線局の送受信に使用された.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:WgySN9n73y8J:https://www.ms-plus.com/51929+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_hu%7Clang_ja
http://www.kfzderwehrmacht.de/Homepage_english/Motor_Vehicles/Germany/Henschel/Henschel_33/henschel_33.html
http://www.kfzderwehrmacht.de/Homepage_english/Motor_Vehicles/Germany/Henschel/Henschel_33/Henschel_33_D_1_early/henschel_33_d_1_early.html
https://ak-interactive.com/product/henschel-33-d1-kfz-72-wwii-german-radio-communication-truck-1-35/
https://www.o5m6.de/wehrmacht_old/henschel_33.html
1枚目:側面図
(図No. faq200617hn4,こちらより引用)
2枚目:6面図
(図No. faq200617hn,こちらより引用)
3枚目:1940年,フランス,セダン近郊で撮影されたヘンシェル33
(図No. faq200617hn2,こちらより引用)
4枚目:ドイツ空軍のヘンシェル33
1940年,フランス
(図No. faq200617hn3,こちらより引用)
https://www.youtube.com/watch?v=orivxg5CEDQ
mixi, 2020.6.17
【質問】
ドイツ軍での馬車の使用状況は?
【回答】
馬車に関して言えば、WW2当時のドイツ歩兵師団は1940年以降は補給トラックに変わって、全面的に馬車輸送に変わっています.
一個師団あたり1200台の馬車が割り当てられています.
補給部隊以外に,歩兵一個小隊(約三十名)に二頭立て馬車一台で装備・弾薬・食料・被服などです.
規定数は完全に満たされてはいないようです.
当時の写真で補給馬車のデザインを見ますと、最初は軍用仕様ですが西欧州の民間の馬車が多く、戦争中盤辺りからは東欧製の民間用が増えてます.
前者は箱形、後者は逆台形のデザインしてますね.
馬車も馬も決定的に不足してますね.
(一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)
【質問】
キューベルワーゲンって何?
【回答】
PzwK1 Kubelwagen は,フェルディナント・ポルシェらにより設計され,第二次世界大戦中にドイツで生産された小型軍用車輌である.
ドイツの国民車として計画されたフォルクスワーゲンをベースに開発され,シンプルで軽量な車体構造に加え,信頼性の高い空冷エンジンと4輪独立のサスペンションにより,優れた走破性を発揮した.
アメリカ軍のジープに相当する車だが,キューベルワーゲンは四輪駆動ではなく二輪駆動だった.
【参考ページ】
http://www.tamiya.com/japan/products/32501kubel/index.htm
http://german.www2-weapons.com/battle-car/xn--nckk0jxb5ay3a1ed.html
http://blogs.yahoo.co.jp/hayase_ausf_h/59243896.html
http://www.intermeccanica.co.jp/kubel_top.html
http://plaza.rakuten.co.jp/realistmodeler/diary/200607280000/
【ぐんじさんぎょう】,2010/06/18 21:00
を加筆改修
(「かつどん日記」より引用)
【質問】
ドイツ軍のキューベルワーゲンの給油シーンで悩んでいます.
ガソリン・タンクがボンネット下にある,と本で読んだのですが,後ろのエンジンまでパイプかなにかでわざわざ給油しているということでしょうか?
それとも,ボンネット下のはただの予備タンクみたいなものなのでしょうか?
あと,どうしても給油口の場所が分りません.
【回答】
上記写真はインターメカニカ製レプリカだが,オリジナルも同様に写真左側ワイパーの真下,スペアタイヤ左端やや上の円筒状突起が給油口.
エンジン火災時の引火を防ぐ為,燃料タンクはエンジンからなるべく離れた位置に置き,長いパイプを引き回すのが常道.
まあ,ふつーの乗用車でも,「後部のタンクから前のエンジンまでわざわざ給油」してる訳だが.
分からんのなら,ぼかしてさらっと書いときゃいいだけの話でわ?
いちいち手順を事細かに書いても,作者の自己満足にしかならんと思うよ.
【質問】
ポルシェタイガーやエレファントって駆動系と機動性がメタメタなイメージがありますが,同じ車体のベルゲタイガーって実際約に立ったのでしょうか?
なんか二重遭難確実に思えるのですが‥
【回答】
戦車回収車は極力,回収する戦車と同一の車体を使わないと,統一した部隊行動ができない.
なので元車体の性能にかかわらず,同一車台のバリエーションにする必要がある.
また,極端に重たい重戦車は,重戦車の車体を流用した車輌でなければ牽引ができない.
ティーゲルⅠを牽引するにはティーゲルでなければ,特大のハーフトラックが三重連になる必要があった.
なお,戦車回収車の重要な任務に,「自分が犠牲になって戦車の共食い整備に貢献する」というのがある.
その面からしてもフェルディナンドやエレファントを装備した部隊にはティーガーP車体の戦車回収車が必要になる.
あとついでだが「ベルゲティーガー」と書くと,普通は砲塔から砲を外したティーガーⅠに,前線部隊が適当に作ったパイプクレーンを搭載した,自走爆薬運搬車の支援用車輌の事を指す.
フェルディナンドの戦闘室部分がなく,機銃塔と回収機材を載せた車輌は,「ティーガー(P)戦車回収車」と呼ぶので注意.
Bergepanther
【質問】
クーゲルパンツァーって何?
【回答】
Kugelpanzer,つまり直訳すると“球戦車”ってまんまです(^^;
Wikiでも曰く偵察用だとか,曰く日本軍に発注されていたとか満州で捕獲諸説ありますが,実際はどうなのか謎…
http://en.wikipedia.org/wiki/Kugelpanzer
でもクビンカ戦車博物館に現物があるのは紛れも無い事実で,なかなかロマンを感じる逸品です.
ゾンネンキンダーさんの独クーゲルパンツァー(右)と戦中ドイツ国内に作られた防空塔(左)
クビンカ博物館の写真でこの丸い物体を見た時,まさかこんなジオラマを作る御仁が現れようとは,誰が想像出来たでしょう!?
自然芝が生えたエコなジオラマベースも新世紀に相応しい表現方法ではありませんか.
因に実車は,もっとベラボーな形状(笑
http://www.odkrywca-online.pl/forum_pics/picsforum5/17.jpg
よしぞうmaro' in mixi,2007年05月23日02:01
~05月25日 02:53
【質問】
クルップ・プロッツェ Krupp Protze 6輪軽トラックって何?
【回答】
クルップL2H143をベースに開発され,第2次大戦前半,兵員や物資の輸送,軽砲の牽引など幅広い用途に使われたドイツ軍の6輪トラックです.
戦間期,大不況と厳しいベルサイユ条約下でロクな装備を持てなかったドイツ軍では,一定の条件を満たす民間車輌を積極的に取り入れ,軍用として生産していました.
L2H143はコンパクトな空冷水平対向4気筒エンジンを搭載して,低く視界の良いボンネットを実現していましたが,これの車体を一部改良し,空冷式水平対向4気筒ガソリンエンジンを60馬力に強化.
前進4段と後進1段の変速機つきで最高速度70km/hを発揮しました.
後輪はダブルウィッシュボーンの独立サスペンションを備え,優れた走破性を有していました.
兵員輸送車タイプのKfz.70は車体後部にベンチシート付きの荷台を装備.
大戦勃発前の1933年頃から 1942年まで生産され,各部隊に配備されました.
また,3.7cm対戦車砲など火砲の牽引に使用された軽砲牽引型Kfz.69は,定員は6名で,車体後部の両側には弾薬収納庫が装備されていました.
各師団の対戦車砲大隊に標準配備されたクルップ
プロッツェは,対ポーランド戦やフランス戦,バルカンやロシア戦線など,大戦前期の各戦線で幅広く使用されました.
他に以下のヴァリエーションがありました.
Kfz.19 - 電話通信車輌
Kfz.21 - 幕僚車輌
Kfz.68 - Radio mast carrier
Kfz.81 - 2連2cm対空砲牽引車
Kfz.83 - 60cm対空探照燈車 8kw発電機も備える
SdKfz.247 - 装甲兵員輸送車.生産数20.
時には荷台に対空砲や対戦車砲を載せ,自走砲としても使われました.
1942年,より量産を意識した統一型車輌を生産する為,本車は生産中止となりますが,後々まで長くドイツ自動車化師団で使用されました.
重量 2450 kg
全長 5.10 m
全幅 1.93 m
全高 1.96 m
燃料容量 110リットル
実用後続距離 360km(路外)~450 km(路上)
総生産数 約7000
【参考ページ】
http://hirolanx.blog60.fc2.com/blog-entry-43.html
http://item.rakuten.co.jp/tenshodo/861mt763/
http://www.tamiya.com/japan/products/32534krupp_protze/index.htm
http://www.tamiya.com/japan/products/35259krupp/index.htm
http://www.amazon.co.jp/review/R1W9UGNITZJ353/ref=cm_cr_rdp_perm
http://en.wikipedia.org/wiki/Krupp_Protze
http://www.autogallery.org.ru/m/kruppp70.htm
http://www.toadmanstankpictures.com/krupp.htm
http://ss-bass.oops.jp/krupp.html
http://www.plusmodel.cz/gallery/134/index_en.php
http://www.achtungpanzer.com/votw/protze.htm
http://www.autogallery.org.ru/m/krupppr.htm
兵員輸送車タイプ Kfz.70
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Kfz70.jpg
砲牽引車タイプ Kfz.69
http://www.olive-drab.com/idphoto/id_photos_krupp.php3
対戦車自走砲型
画像掲示板「101 free way」(なまんだぶ…)より
【ぐんじさんぎょう】,2009/5/12 22:30
に加筆
【質問】
ゴリアテってリモコン地雷?
【回答】
あれは工兵の使う無人爆弾運搬車だよ.
防御陣地の掩体や鉄条網ぶっ壊したり敵のこもってる家屋を爆破したり.自走地雷ではなく自走地雷原清掃したり.
前線からはけっこう好評で,後継車輌も開発生産されてますよ.
余談ですが,放置されていたゴリアテをアメリカ軍が上に乗っ遊んだりしました(笑)
他にも見つけ興味本位でいじくり回していたところ,野次馬が大勢集まってきて無理矢理分解しようとしたとたん・・・・ドカーンと爆発しましたとさ.
unknown
▼ ゴリアテと言えばドイツが誇るネタ兵器だけど,ああ見えてパルチザン(つまりゲリコマ)には悪鬼の如く恐れられた兵器なんだよね.
だもんで,これのオペレーターは操作用のケーブルたどられて,逆襲されることが多くて,この戦訓から無線操縦型のゴリアテなんか作っちゃうんだ〔略〕
Posted by 名無しコメット神信者 at 2010年08月25日
00:59:48
「週刊オブイェクト」◆(2010年08月23日)コメント欄
青文字:加筆改修部分
▲
「わぁい♪」
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【質問】
フォルクス・ワーゲンの盗作疑惑について教えられたし.
【回答】
Hans Ledwinkaと言う技師がいました.
彼は従来Tatraの主任設計者だったのですが,社内の権力闘争に嫌気が差して,一度下野していました.
しかし,第一次大戦で二重帝国が瓦解し,会社が再編成されたのを機に,再度,Tatraに舞い戻ることになりました.
そして,1921年に戦後第一作Tatra T11を世に出します.
これはボディ自体は何の変哲もない1920年代の車です.
1.1リットルの空冷水平対向2気筒エンジンをフロントに置き,リアを駆動するFR駆動なのですが,そのエンジン・トランスミッションとリアの駆動アクスル・ケースの間はトルクチューブで連結され,プロペラシャフトはその中を通っていたり,全輪独立懸架方式ですが,フロントはエンジンと結合されたサブ・フレームにマウントされた横置きリーフスプリング,リアはアクスルケースの上にセットされた横置きリーフスプリングで,構成されたもの.
トルクチューブ自体でも強度を担っており,事実上のバックボーンフレームとして機能していたと言う,現在の自動車と殆ど遜色ない機構を有していた車でした.
これをたたき台にして,水平対向エンジン搭載の自動車は進化を遂げ,エンジン自体は,これを元に,1.7リットル4気筒,最終的には2.5リットル4気筒の大型軍用車用エンジンに進化しました.
更にArt nouveauの影響を受け,流線型に着目したLedwinkaは,駆動系をパッケージングして後部に搭載し,後輪を駆動する方式を採用し,エンジンが無くなったために前方から後方に掛けてのラインが流麗に出来ることを最大限利用した自動車を考えます.
Ledwinkaは,小型車から大型車までこのパッケージングとスタイルとで全てファミリー化することを構想しますが,斬新なやり方に懐疑的だった重役陣は,高級車のみの開発を許可し,先ず出来たのが,1934年に登場した3リットルV型8気筒エンジンを搭載したT77,そして後に改良を受けたT87でした.
一方,ファミリー化を諦めきれないLedwinkaは,息子のElichらに,T87を小型化したシャシーに,1.8リットルの空冷水平対向4気筒SOHCエンジンを搭載したT97を設計します.
試作車は,完成度の高いものでしたが,量産化に対するコストの問題で中々量産にゴーサインが出ず,1938年に至って漸く量産に入ったものの,直後にCzechoslovakiaはドイツに併合されてしまい,Tatraもドイツの支配下に入りました.
さて1934年,Hitlerが政権を掌握した翌年,彼は国民に対し,誰もが気軽に購入できるローコストで高性能な自家用車を国家が主導して開発すると言う,国民車構想を打ち上げます.
で,この主任設計技師になったのが,彼のFerdinand Porsche博士でした.
彼はDaimler-Benz時代に,130H/170Hと言うリアエンジンの乗用車を設計し,その後,Steyrに移りますが,このSteyrは,1916年から21年までLedwinkaが勤務していた会社で,彼が残した設計資料の数々をPorscheがパクったのではないか,と言われています.
Porscheは単にLedwinkaにインスパイアしただけだと嘯いたのでしょうが…
ともあれ,1932年にPorsheはNSUの為に乗用車Type32を製作しています.
この車のレイアウトは,空冷水平対向4気筒エンジンを搭載したもので,これがKdFの母体とされています.
1935年,KdFの試作車が作られますが,セミモノコックボディのリアに1リッター空冷水平対向4気筒エンジンを搭載し,リアを駆動した流線型ボディで構成された車体は,Tatra車に極めて似通ったものになりました.
これは,HitlerがTatra車を絶賛していたから,とも類推されます.
さて,様々なテストを経て,KdFが量産開始となる1938年,Tatraからは,KdF社に対して,パテント侵害の抗議が寄せられていました.
ところが1939年,Czechoslovakiaを完全に支配下に置いたドイツ政府は,Tatraに対し,T97の製造禁止命令を下します.
此処から,戦後,Tatraの設計をVWが盗んだのだと言う話に発展していったのかも知れません.
結局,パテント侵害問題は有耶無耶の儘終わりました.
尤も,戦後も暫く経った1961年になって,T97製造禁止に対する賠償訴訟のみがCzechoslovakiaで提起され,VW社側は和解金300万ドイツマルクを支払うことで終了しています.
Ledwinkaは,戦後,対独協力の罪で5年間獄に繋がれ,1951年に釈放され,Munichにて隠遁生活を送り,1967年に死去しました.
ちなみに,息子のElichは,戦後Steyr-Daimler-Puchの主任設計技師として,HaflingerとかPinzgauerの設計に携わっています.
戦後は不遇の時代を過ごしたのですが,1992年に漸くLedwinkaの名誉回復がCzechoslovakia政府によって為されました.
しかし,このT77から連綿と続く機構は,最近まで継承されています.
虎は死して皮を残すと言うべきでしょうかねぇ.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年05月24日
青文字:加筆改修部分
【質問】
WW2のドイツは,列車で戦車運ぶのに,どうやって積み降ろししてたの?
軽戦車ならともかく,虎とか吊れるクレーンとかあったの?
それとも,鉄板みたいなの使って貨車に自力で載ってたの?
【回答】
鉄板というか,プラットホームの無いところでも下車できるよう,設置式のランプ(斜路)がある.
あと,ティーガークラスの重戦車装備した部隊が鉄道で移動する時は,当然整備部隊も一緒に移動してくる.
降車する先の駅のインフラが不十分な場合は,そうした部隊の機材だけを先に降ろし,それを使って荷降ろし作業を行った.
ティーガー.レベルになると1両貨車から降ろすだけでもエライ大変で,しかも降ろした後に履帯履き替えさせたり外した部品つけ直したりといった作業が待っていたため,重労働のきわみだったが.
軍事板
青文字:加筆改修部分
クレーンもランプもないときは土嚢とか積んで坂作って,その坂を戦車に登らせた.
◆iqK7ZoWK2. in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
列車砲「ドーラ」について教えてください.
【回答】
ドーラ(口径800ミリ)はクリミア半島のセバストポリ要塞砲撃のために作られました.
あまりのでかさに,基部の車輌が線路を四つ使う.
撃つところにレールをまず引いて,それから組み立てる.
レールがあれば何処でも行けるっていう,列車砲のメリットなし.
そのかわり,化け物じみた攻撃力を誇る…….
なお,ドーラは複々線ではなく複線です.
線路が2本で,レールは4本.
しかし写真を見ると,メンテナンス作業の懸架装置用に,さらにオーバーゲージの線路(つまりレール2本),
それと,運搬用か何かに1本線路を敷いている模様(下写真).
セヴァストポリじゃなくてドイツ国内での写真かもしれませんが,
ですので,複々線というのも間違っちゃいないのかも.
明示的に複線であると説明できるソースとしては以下のものがあるかと.
複線にまたがったドーラを牽引するために開発された専用機関車,D311AおよびBです.
http://www.aopt91.dsl.pipex.com/railgun/Content/Railwayguns/German/Oil-Electric%20Engines-DORA.html
普通にパワーのある機関車をどっかから見繕ってくればいいのに,たった2輌の「専用機関車」を「開発」ってアボガドバナナかと.
しかもなんか,P虎と同じ駆動方式っぽいし.
ちなみに,もはや笑いしか出てこない自走式ドーラ計画についてはこちら.
http://members.tripod.com/~fingolfen/superheavy/p1500.html
▼http://www.e94114.de/V188.htm
は,ドーラの牽引に使われたD311ディーゼル機関車.
同型はV188とV288という名称で,1971年代初頭まで西ドイツで使用されていた.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▲
ドイツを見てると,「馬鹿と天才は紙一重」って言葉が妙に説得力を持ってしまうから困る.
【質問】
「グスタフ」「ドーラ」の諸元を教えてください.
【回答】
重量:1,350トン
全長:47.3 m
砲身長:32.48 m (L/40.6)
全幅:7.1 m
高さ:11.6 m
人員
砲操作:少将以下,1420名
支援要員:4000人以上
組み立て作業に250名(約3日間),
列車軌道の敷設に2,500名(3~6週間).
防空用に2個高射砲大隊が随伴.
口径:800 mm
俯仰角:0~60
発射速度:
1発/30から45分
1日14発
初速:820 m/s (HE); 720 m/s (AP)
最大射程:48 km (HE); 38 km (AP)
榴弾
弾体重量:4,800kg
弾頭重量:700kg
初速:820m/s
最大射程距離:48km
徹甲弾
弾体重量:7,100kg
弾頭重量:250kg
初速:720m/s
最大射程距離:38km
動力機関 691kw蒸気機関×2
台車は大型の貨車を4台(台車8台)使用し,レールは複線(4本)が必要であった.
【参考ページ】
http://ho-to-.hp.infoseek.co.jp/dora.html
http://2nd.geocities.jp/japchin2002/dora.html
http://hexagon.inri.client.jp/floorB1F_hss/b1fha650.html
http://m3i.nobody.jp/military/gustavmenu.html
【関連リンク】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm847875
【ぐんじさんぎょう】,2009/4/28 21:00
に加筆
砲弾比較
【質問 kérdés】
D311型電気式ディーゼル機関車について3行以上で教えてください.
Kérem, mondja meg az D311 osztály Villamos-dízelmozdony a három vagy több
sorban.
【回答 válasz】
ドイツ軍の80cm列車砲「ドーラ」牽引専用の機関車.
既存の機関車が「ドーラ」を牽引するには出力不足だったため,1941年,クルップ社において2両固定編成2組
V 188 001 / B
V 188 002 / B
が製造された.
第二次大戦後,西ドイツ国鉄において貨物列車牽引車として使われ,1972年に引退した.
<要目>
軌間 1435mm
全長 22.51m
最大高 4.445m
最大幅 2.91m
駆動車輪径 1.25m
出力 1,880馬力 マイバッハMD 650
最高速度 75km/h
8動軸(4動軸×2両)
総重量147t
【参考ページ】
http://db103rheingold.web.fc2.com/DL01.html
http://www.e94114.de/V188.htm
http://www.modellbahn.com/37283.V188.html
【ぐんじさんぎょう】,2017/2/13 20:00
を加筆改修
【質問】
ドイツの装甲トロッコ,Artilleriewagen (s.Sp)についてご教授ください.
【回答】
正式名称の「s.Sp.」はschwer Spahwagenの略で,「重偵察車」の意味.
一般的にはパンツァードライジーネと呼ばれ,日本では「装甲トロッコ」と訳されるが,トロッコではなく機動車である.
トロッコはトラックがなまった日本語と言われ,人力で動かす小型貨車や貨車改造の簡単な客車などをさす言葉.
一方,ドライジーネは,もともとは地面を蹴って進む自転車の元祖を作った人の名前で,自転車の元祖の名前になった.
そこから意味が広がり,人力の鉄道車輌にも使われ,小型の機動車などをさす言葉にもなったようだ.[1]
ロシアやユーゴスラビアにおいて,後方地域での鉄道警備,ゲリラ掃討などに使用された.
チェコスロバキアでは,1950年代半ばまでこれを使用した.
その用途によってバリエーションが存在し,3号戦車N型(75mm砲装備)の砲塔を載せたタイプ,小型の銃塔タイプ,無線用のアンテナを装備した指揮車輌などが存在した.[3]
編成を組んだドライジーネは「重偵察編成」(S.Sp)と呼ばれる.
また,「軽偵察編成」(Le.Sp)という編成もあり,こちらは「Steyr K 2670」型装甲車という,もう少し軽装備の装甲車輌4両による編成だったようだ.
http://www.geocities.com/pibwl/drsok.htm[リンク切れ]
「第201~第210警戒編成(重偵察編成)(PanzerZug
S.Sp 201 - 210 Armored Train)」
「第301~第304警戒編成(軽偵察編成)(PanzerZug
le.Sp 301 - 304 Armored Train)」
という番号の編成が実在した模様.[2]
この「重偵察編成」は
[指揮車]+[工兵車]+[歩兵車]+[12.7mm機銃車or砲車]
のドライジーネ形装甲車4両と
[対空砲搭載無蓋貨車]+[38(t)軽戦車搭載車]+[地雷避け平貨車]
の各貨車で,1編成が構成されていた.[2]
第201~第210警戒編成 編成例
だが実際には,燃料不足のため,しばしば単独または少数編成で走った.
通常,戦車砲塔タイプ1両と銃塔タイプ数両で行動し,状況によって無線指揮車も加わっていたようだ.[3]
上述の「第201~第210警戒編成」でも,計画では10編成だったが,実際は第208編成までの8編成の落成で終わってしまったようだ.
また,「対空砲車」の存在の記載が多々あるが,実物の写真,運用資料などがほとんど無いことから,計画のみで,実際に製造はされなかった模様.
武装についても「20mm機関砲2~4門」「30~37mm機関砲2門」など諸説ある.[2]
高射砲バージョンも計画されていたが,やはり完成しなかった.
標準編成の場合,その速度は20km/hだった.[1]
彼らは18トンの重量と20mm装甲板を持っていた.
空冷76馬力のエンジンを搭載していたが,非力で燃費も悪かった.
主砲に加えて車輌も防衛近くには,いくつかの機関銃が装備されていた.
車輌もパルチザンによる攻撃の場合にサポートを提供するいくつかの歩兵部隊を運ぶのに十分な大きさでした.
注:自動翻訳を一部手直し&適当に省略
各種車輌三面図
faq130519sp.gif
faq130519sp2.gif
(こちらより引用)
軍事板,2013/05/02(木)
青文字:加筆改修部分
【参考ページ】
[1]http://ms06.la.coocan.jp/sspaw/sspaw.html
[2]大和田車輌工廠日報 Nゲージ装甲列車を作る ~番外資料編~
[3]http://ameblo.jp/greif-bis/entry-10468043967.html
【質問】
ドイツの高速列車について教えてください.
【回答】
1917年,ドイツでは交通科学協会と言う団体が設立され,この団体が各種の高速軌道系交通機関の提唱を行います.
当初は,懸架方式でプロペラ推進,時速300~500km/hを目指した空中弾丸列車なんかを夢想しますが,流石に,1929年には遂にこの夢想的な構想を諦めて,通常のレール上を走る高速列車になりました.
但し,駆動はオットー社製航空機用600馬力エンジンを後部に置き,木製4枚プロペラを回して推進する方式(ぉ.
1930年には「シーネンツェッペリン Schienenzeppelin」と名付けられた車輌が完成します.
この車体は鉛筆のような形で,流体力学を取り入れて整形され,軽量化のためにアルミニウムを多用したものです.
この車輌は,1930年9月23日にハノーヴァー~セイル間の線路で加速試験を行ったところ,スタートから66秒の985m走行で100km/h到達.
その日最高速度は,182km/hに達し,翌年6月21日のベルリン~ハンブルク間のドルシェニッツ周辺で,瞬間最高256km/h,10km定点距離の平均が230km/hという記録を叩き出しました.
その後も,この車輌のテストは続けられますが,プロペラ推進方式の単車運転は非効率かつ危険な為,1936年にプロジェクトは遂に解散してしまいました.
一方,第一次大戦時点のドイツの鉄道は,Prussiaを主軸としながら,Bayern,Sachsenなど9つの邦有鉄道が分立していました.
戦後,この鉄道のうち,Alsace-Lorraine鉄道はFranceに引き渡されてしまい,1920年に残り8つの鉄道はドイツ連邦鉄道公社(DRG)に統合され,1937年に効率化の為,ドイツ国有鉄道(DR)として完全に国有化されます.
この立ち上がりからDRGは,各邦の様々な車輌200種を引継ぎ,そのうちの程度の良いのは,各国に賠償として引き渡すことになり,残ったのは程度の悪い,老朽化車輌ばかり.
この経験で,機関車の規格化,部品の共有化などを行って,運転,保守,点検を合理化することになりました.
例えば,1925年の01型機関車は,1937年までに231輛作られています.
1930年代に入ると,自動車の発達,航空機の発展もあり,鉄道が危機に晒されることになります.
それに危機感を抱いたDRGは,1931年に2輛連接構造のディーゼル電気推進動車をWUMAG社に発注しました.
これは車輌を高速で走らせ,スピードで航空機と自動車に対抗しようとしたもので,車体は,ツェッペリン社の風洞を使って何度も実験が繰返されました.
2輛の全長44.75m,幅3m,自重91.3t,1,2等77名の乗客が乗った車体を,マイバッハ12気筒410馬力ディーゼル2基で発電機を回すことで引っ張り,最高速度160km/hで走らせる性能が要求されました.
この車輌はベルリン~ハンブルク間286kmを2時間18分,表定速度124km/hで走ることを目的にしていました.
途中の停車時間とか徐行区間を考えると,時速160km/h程度の最高速度はどうしても必要になります.
「フリーゲンダー・バンブルガー(空飛ぶハンブルク人)」と命名されたこの列車は,1932年に完成後に試運転を重ね,1933年5月15日から,ハンブルク~ベルリンの本運転を開始しました.
2両編成でありますが,乗客の荷物はバゲージルームで預かり,動き出すと,職員が飲み物とスナックを配る.
更に車輌中央にバーが設けられ,飲み物と軽食をサービスする豪華仕様(但し,車内の内装はニスを塗った板張りだったりしますが)でした.
こうした高速列車を運転する為,DRGは各地の路線に手を加え,既存路線のカーブで急なものは緩やかに変更し,ポイントで不要なものは取り外し,運転士が信号を見落としたり間違えても,自動的に停止する装置まで備えていました.
こういった措置は,ドイツ主要幹線のうち,約2600kmに投資が行われました.
ドイツと言えば,自動車道路のアウトバーンが有名ですが,こうした投資も結構行われた訳です.
この「フリーゲンダー・バンブルガー」は当初1編成しか無かった上,新機軸を採用した為に,初期故障が頻発し,指定列車の80%しか運転できませんでした.
その場合の代替列車は,蒸気機関車の客車列車だったりします.
さらにDRGは,「空飛ぶハンブルグ人」を拡張するために,WUMAG社に13編成26輛の改良型を発注します.
相変わらずディーゼルエンジンは信頼性が無くて,良く故障を起こしたりしていたのですが,時はHitler政権の時代,「ドイツの技術は世界一いぃ~~~」を具現するためのツールとして,一気に投入された訳です.
勿論,その裏では,整備員は徹夜でエンジンを交換したり,保守点検をしたりと言う涙ぐましい努力をしている訳ですが.
路線も当初のハンブルグ~ベルリンだけではなく,
1935年7月からベルリン~ケルン,
8月からベルリン~フランクフルト,
10月からハンブルク~ケルン,
1936年5月にはベルリン~シュツットガルト
と就航路線を拡張し,このうち,ベルリン~ケルンの途中では平均速度133.6km/hに達しています.
ちなみに,日本の場合は,国鉄のつばめが60km/h止まり,阪和電鉄(今のJR阪和線)のくろしおが81.7km/hですから,どれだけ隔絶していたことか….
こうしてネットワークを拡大した高速ディーゼル動車のハンブルガータイプの列車の唯一の欠点が,定員の少なさです.
其処で,輸送人員を多くして139名を運べるように,3輛連接の車輌が製作されました.
ただ,未だ技術開発のまっただ中でしたので,4編成のうち2編成はハンブルガーと同じくディーゼル電気式,残りは液圧式ディーゼル動車となっています.
これらはライプティヒタイプと呼ばれ,ベルリン~ステッティン,ベルリン~ケーニヒスベルク,ベルリン~ブレスラウという東方向け特急での運行を予定していました.
ただ,前二者の路線は規格の異なるポーランドを通ることから断念され,最後のブレスラウ線のみ路線網に組込まれました.
1938年には連接構造を止めて,3輛連結構造となり,全長は延びますが,定員は同じとして,1輛は定員30名の食堂車とし,残り2輛は102名のコンパートメント車となったケルンタイプが14編成製作されて主力となります.
このほか,試作でクロッケンベルクタイプが1編成作られます.
これはベルリン~ケルンで最高時速195km/h,ベルリン~ハンブルクの平均時速200km/h,最高時速215km/hと新幹線並の速度を誇っています.
これの掉尾を飾るのは,1939年に作られたベルリンタイプで,2編成が製作されました.
これは4両編成となり,座席車に126名,食堂車29名と言う豪華版でしたが,第二次大戦勃発で,営業運転されることはありませんでした.
これらのディーゼル動車による高速特急ネットワークは,アウトバーンと共に,ドイツの陸上交通の屋台骨を支えるものとなりますが,意外なことに,これらの路線はベルリンから各方面に出るものではなく,ヴィルヘルムスハーフェン,ブレーメン,ハンブルクなどの北海沿岸都市,ミュンスター,エッセン,ドルトムント,ケルンなどのライン左岸,マインツ,フランクフルト,カールスルーエ,バーゼルと言ったラインラント,ミュンヘン,ニュルンベルグと言った南ドイツに張り巡らされており,東方へは,僅かにベルリンからブレスラウ,ポーゼンに向かう路線と,ドレスデンに向かう路線しかありません.
ケーニヒスベルクの飛び地は勿論,ロストクの様なバルト海沿岸にも行ってません.
こちら方面はポーランド回廊を通らなければならないと言う面がありますが.
なお,こうした路線は何れも非電化路線ですが,ミュンヘン~シュツットガルト間は電化路線で,高速電車が走っていました.
また,このほかにベルリン~ドレスデン間はディーゼル動車ではなく蒸気機関車牽引の列車による高速列車だったりします.
ちなみに,Hitlerは鉄道電化の対象として,ベルリン~ミュンヘンとベルリン~シレジアを計画していました.
前者は兎も角,後者は東方植民という政策から見ても興味深いものがあります.
さて,1933年に空飛ぶハンブルク人を作ったカッセルのHenschelですが,ふと気がついた.
「我が国には石油資源が無いじゃないか…」
じゃあと言うので原点回帰,高性能蒸気機関車と軽量客車の組合せで,実現しようじゃないの,と言うことで,動輪直径2.3m(ちなみに,C57やC62は1.75m),1600馬力,軸配置2-C-2のタンク機関車,DB61を製作しました.
この機関車の性能は,最高速度175km/h,1~1000mで150km/hに達する高加速性能を備えており,前進後進が同じ性能だったので,終点で方向転換する必要がありませんでした.
客車は,アルミなどを多用した流線型客車の4輛固定編成です.
試作車は,カッセル市内のHenschel工場から路面電車の軌道を走行し,市内の広場で市民にお披露目して歓声を浴び,DRGのカッセル駅でDRGに引き渡されました.
試験中の試作車は,1935年に折からニュルンベルクで開催されたドイツ鉄道100年記念祭で,Hitlerが運転台に乗るという栄誉も授けられました.
1936年5月から,愈,ベルリン~ドレスデンの特急として一日2往復,表定速度106km/hで運行が開始されています.
残念ながら,この機関車の量産は実現せず,改良型の2号機は第二次大戦勃発により,遂に特急牽引は実現しませんでした.
これは長距離を走るのに適していなかったからで,大型高速蒸気機関車として,新たにBorsichが参画し,Henschelと競争試作で開発が進められました.
1935年3月5日に試作車DB05001が引き渡され,各種試験に供されました.
061と共に,ニュルンベルクのドイツ鉄道100年記念祭の主役としてHitler始め多くの党幹部に絶賛され,1936年には側頭部にHakenkreuz,炭水車には五輪マークが描かれています.
この機関車は3輛が製造され,1936年5月11日には05002号機が,客車3両を牽引し,ベルリン~ハンブルクの区間で200.4km/hを達成します.
後に,最初の2輛がベルリン~ハンブルク特急として,表定速度118km/hで走り抜けました.
つまり,直線を150km/hで,必要なら175km/hで走ったと言うことになります.
ちなみに,3号機は運転室の視界を良くするため,ボイラーと運転室の配置を逆転しました.
投炭については,この車輌だけ,粉炭としてこれを自動給炭機から満遍なく投炭口に送り込む構造としていました.
このユニークな機構も,1944年になると粉炭の供給が絶たれ,結局,機関車は一回転して流線型カバーを外し,自動給炭機も外して普通の機関車になってしまいました.
このほか,ドイツの高速蒸気機関車は,Kruppで作られたDB06が2輛作られますが,これらの高速機は概して少数生産で終わってしまってます.
こうした国威発揚用蒸気機関車とは別に,普通の輸送には従来からの01型,03型を高速用に改造する計画が立てられ,1939年に01-10型,1940年には03-10型が登場します.
これらは大戦中にも関わらず,01-10型が55輛,03-10型が60輛生産され,ドイツの高速交通網を維持していました.
このうち,1輛だけは,フランスのブガッティが夢想した8気筒蒸気機関を搭載した試作車です.
普通,蒸気機関車は2気筒,精々が3気筒ですが,これは第2,第4動輪をV型2気筒の蒸気機関で,これがそれぞれ両側の動輪を動かすので8気筒.
これまた,Henschelの技術陣が開発したもので,1941年6月13日にDRGに引き渡されました.
この列車は,最高速度175km/hを発揮し,牽引力も優れて,主にベルリン~ハンブルクの重量列車を牽引していました.
しかし,無情にも1944年の英軍によるハンブルク空襲で被弾し,放置されてしまいます.
ところが,ドイツ降伏後に米軍が接収して本国に持ち帰り,分解したり,テストをしたりしています.
日本の飛行機は結構テストをしてみたり,戦車もアバディーンなんかで展示したりしているのに,鉄道車輌のテストとか持ち帰りが無いのは,それだけ鉄道後進国だったからでしょうかね.
余談ですが,戦後には「原子力列車」というトンデモ計画が.
西ドイツではV200型ディーゼル機関車を2両連結にしたもの,米国ではGEが計画したC-C型2輛連結型大陸横断用ガスタービン電気機関車を改造したもの,
西ドイツのクラウス・マッファイは,自重190t,リアクター重量22tの機関車を設計しますが,更に精査した結果,リアクターを鉄筋コンクリートと純正の鉛で遮蔽すると,それだけで100~200tになり,Naziが計画していた巨大列車構想の様な軌間3mでないと,とても搭載できない事が判明して断念します.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi
余談だが,ドイツの鉄道は以下のような余波も生んでいる.
私はドイツで生まれた地政学における鉄道の役割について少し調べたことがあるので,これが体感できて感慨深いものがありました.
一八七〇年に起こった普仏戦争ではドイツの列車システム存在が欠かせませんでしたし,なんといっても地政学の祖であるマッキンダーは,このドイツの列車システムに驚いて地政学の理論を思いついたようなものですから・・・.
ドイツの高速列車;「空飛ぶモンティ・パイソン」……じゃなかった,「空飛ぶハンブルク人」
同量産型
同発展型
「シーネン・ツェッペリン」
(うそ)
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
【質問】
ドイツの列車は電化はされていなかったのですか?
【回答】
戦前の場合は,発電の方法と言っても,水力発電と石炭火力発電くらいしか無かったりする訳で.
従って,電力を供給できる地区は山に近く,水力発電所が沢山あって,商業電力供給に余裕のある地域か,工業化を進めている地域に限られていたりします.
なので,ドイツの場合は平野部よりは,山岳地帯に近いBayern地方での電化が先ず行われ,最初にMunich~Stuttgartが電化されました.
Hitlerは,Berlin~Leipzig~Saarfelt~Nuremberg~Munichの電化を国策として進めると共に,Silesia地方の電化も進めています.
後者は,東方政策の関係で,戦前は元より,戦時中も勧められていました.
Bayern地方では,電化の歴史が長い為,電車による高速化も容易に行われ,平均速度100km/hの流線型電車が3編成,Berchtesgaden~Munich~StuttgartとMunich~Stuttgartの路線に充当されました.
で,Hitlerが進めた鉄道電化計画は,Munich~Nurembergがまず完成し,1935年に400tの客車を牽引して160km/hで突っ走る電気機関車牽引の特急電車が就役しました.
しかし,結局戦前には電化工事は軍事輸送オンリーとなり,華やかな特急列車は運行が中止されてしまいます.
ちなみに,1939年1月にドイツ国鉄の鉄道車輌総てには,鷲の紋章を正面と側面に付ける命令を下しています.
初期には厳めしいアクセントとして行われたのですが,そんな手入れをする暇もない軍事輸送の連続で車輌は酷使されていきます.
1940年には流線型車輌の外板部に傷みが見られるようになり,保守点検については簡易化するために動輪を覆っていたスカートが車輪半分くらい削られていきます.
1942年には動輪の3分の2,1944年には動輪総てが露出する状況になりました.
また,1944年には缶の側面以外の流線型を構成していたケーシングは総て剥がされました.
連合軍の爆撃を受けたりするものも増え,車輌にとっては不遇の時代です.
操車場の爆撃は特にMunichに多く,何輛もの電気機関車がそこで被災しています.
どの国もなかなか戦時中は受難の時代だったようです.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi
◆◆◆◆◆ Kettenkraad
【質問】
ケッテンクラートの,バイクのような前輪は必要なんでしょうか?
左右に曲がる時は,左右のキャタピラの速度差で行っているし(舵角が小さい時は,タイヤを使うけど),1本化すればいいのに…
【回答】
ケッテンクラートは前輪がないと,速度出したままステリングが切れない.
小型牽引車として使うだけならそれでもいいかもしれんが,バイクの発展型のメカとして道路を走るような時は,それだと運転し辛いし運用の自由が低くなる.
また,それ以外にささやかなメリットとして言われるのは,次のあたり.
・路面状況が伝わって,バイクに近い操縦感覚が得られ,バイク免許者には馴染む.
・小さい方向変換なら,複雑な無限軌道の制御機構を動かさないですむ.
・壕を越える際に,重量を増やさずに車体長を稼ぐのに役立つ.
・整地での走行抵抗が減少.(ただし,前輪には戦闘重量の約7%しかかからず効果は極小.)
・高速走行時に三点接地なので多少安定する.子供の自転車の補助輪.
おそらく前輪が付いたのは,開発過程のこだわりが一番大きい.
開発元がバイクメーカーのNSUで,三輪バイクの感覚で設計したんだろう.
地上をバイク乗りの楽園にするという夢を追ってる技術者がいた・・・なんて話までは残ってないが.
あの凝った機構はドイツ人の趣味性が,実用性のない方向へ開花しているような感はある.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ ヒストリカルイベント「ケ号作戦」で出会った,もうひとつのサプライズが,第二次大戦でドイツ軍が使用した実物のケッテンクラート(写真左)
このケッテンクラートは,地元で整備工場を持つオーナーの方がキャタピラ一枚までバラして苦労して整備されたもので,その新品同様のコンディションに驚かされました.
午前と午後のゲームの合間に参加者達は,昼食を食べたり撮影したりと思い思いのまったりタイムを過ごしていましたが,その間に今回初参加のケッテンクラートのフィールド馴らし運転を兼ねた即席試乗会が開催!
他の参加車輌も走りました.
もっとゆっくりかと思っていたら,予想に反して30km/hぐらいのスピードは軽く出して走り回り驚かされます.
完全であれば時速60km/h以上は出るそう.
後続は中国で戦後生産されたBMW R75のコピーである「長江」.
画像では見えないが,不整地ではドリフト走行もしていました.
後ろに2回も同乗しましたが,結構なスピードで,振り落とされない様にするのがやっと!
乗りものとしては面白いのですが,これで長距離行軍はキツイかも(^^;
キャタピラ音がまた思ったより大きくて,ゲームフィールドの森の中では軽戦車が来たかと思う程響きました.
それにしてもキャタピラものがあると,こういったヒストリカルゲームは盛り上がりますねー.
マイミクさんによると,このケッテンは大型特殊でナンバー取得が可能だそうで,今度は公道疾走が見れるかもしれません(笑)
よしぞうmaro' in mixi,2007年09月11日20:24
▲
【質問】
ケッテンクラートの前輪は、何のためにあるの?
【回答】
*速度を落とさずに進行方向を変える
*旋回半径を小さくする
為にある.
【質問】
ケッテンクラートの名前の意味って何ですか?
【回答】
Ketten:チェーン,キャタピラ
Kraftrad(オートバイ)
直訳すると「履帯付オートバイ」となります.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE
というわけで,漢字熟語で「帯二輪」という訳はどだ?
【質問】
ケッテンクラートのステアリングって,ハンドルを切ると,前タイヤも一緒に動くのでしょうか?
写真を見る限り,下のスイングアームがボディに直結されてるように見えて,ハンドルだけしか動かないように見えるのですが・・・
【回答】
動くよん.
ケッテンクラートの操行機構は,ハンドルを廻すと左右の履帯がトランスミッションを介して操行され(戦車と同じ),同時に前輪もバイクや自転車の様に動く.
この二重構造で旋回半径を小さくできた.
なので前輪がなくても操行できる.
ちなみにこれはハーフトラックと同じ機構.
ドイツのハーフトラックはアメリカのハーフトラックと違い,履帯と前輪でそれぞれ操行する(アメリカのハーフトラックは操行されるのは前輪だけ).
確かドイツ式を「デマーグ式」アメリカ型を「ケグレス式」といい,ケグレス式は元々フランスの会社の開発したものだった・・・と思うがこの辺曖昧.勘弁.
青文字:加筆改修部分
ギア変速は6速+前後2段だそうです.
フロントライトがノテーク型標準装備が'44年後期製以降の特徴だとの事.
よしぞうmaro' in mixi,2007年09月11日20:24
ドイツ軍のハーフ・トラック
◆◆◆◆◆◆シュビムワーゲン
【質問】
シュビムワーゲンって何?
【回答】
シュビムワーゲン Schwimmwagen は,第2次世界大戦中にドイツ軍が使用した四輪駆動の水陸両用車輌です.
1941年にキューベルワーゲンの車台をベースに開発され(128型),その改良型(166型)が1942年から生産されました.
15,000台以上と,大戦中に最も多く生産された軍用水陸両用車輌であり,偵察や連絡に広く使われました.
【参考ページ】
http://www.eonet.ne.jp/~gozu/model/Gallery/Schwimmwagen/Schwimmwagen.htm
http://www.tamiya.com/japan/products/32506swagen/index.htm
http://lautan.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/schwimmwagen_e3d2.html
改造超人シュビビンマンが乗っている車では無い.
新所沢の三等兵 in mixi,2008年12月18日 00:10
欲しい・・・・・
ガキの頃,ドイツ陸軍兵士の格好でキューベル乗るのが夢だった.
キューベルよりは,シュビムだな.
だが,シュビムよりクラウンの買い替えが先だし・・・・
シュビムなんて買えないが,88も欲しい・・・・
2002年現在,日本にはシュビムは3台(?)で,キューベルは10台は存在するようです.
シュビムをアニメーターが,オ○ツカさんの紹介で買ったと言う話を聞いたことあります.
キューベルはJ隊員が(国内で)150万で買ってレストアしたようです.
ケッテンクラートも3台はあるはず.
公道走れるキューベルは,カナダのメーカーが400万で販売してます.
サムズで所有しており,レストア中の実車よりいい!とのこと.
購入は半年待ち.
2年前コロンビアでこのキューベルが走ってるのを目撃.
プラ製のボディーはアメリカのメーカーが販売してます.
VWに装着するんでしょう.
一等自営業 ◆kawD31MU in 軍事板
青文字:加筆改修部分
42 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/02 11:44
一体,どうゆう幼年期を過ごしてきたんだ(笑)
43 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/02 11:48
ガキの頃は,将来,8トンハーフトラックで88ミリ砲を牽引したかった.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
シュビムの日本語資料ってなんかいい本ないですか?
ご存知の方オシエテ!
【回答】
大手町の日本自動車工業会の図書館などにも,いくつか関連書がありますが,日本語の本で役に立つのは,同人誌「MVJ」五号のシュビムワーゲン・レストア・レポートです.
ちなみに洋書 "VOLKSWAGENS OF THE WEHRMACHT"――Schiffer
Military Historyというシリーズの一冊――はシュビムに限らず,軍用に設計された全てのVWに関する写真を中心にした資料本なので,かなり重宝します.
後は予備知識としては,ネコ・パブリッシングの「VW大辞典」も押さえておくとよいのではないかと.
軍事板
青文字:加筆改修部分
(画像掲示板より引用)
【質問】
シュビムワーゲンのヴァリエーションを教えてください.
【回答】
開発ナンバー一覧によると
128 シュヴィムファーストバージョン
129 同・スペシャルバージョン
138 同・タイプB
166 同・生産バージョン
となっとります.
タイプBだけはまったく想像つきません.
この開発ナンバーは,ごく小規模なマイナーチェンジまで管理しているようなので,多分写真を見てもほとんど見分けが付かないのではないかと.
たとえば,タイプ278という奴はギアボックスだけ違うらしいです.
シュヴィム初期型(ホイルベースの長い奴)には,128と129のふたつの形式があるんですが,128の方は本格的に写真が少ないみたいですな.
ヒトラーが視察してる写真はかなりいじってあるので,これが恐らく129と思われますが,こいつはちゃんとした 生産型よりも戦闘車輌っぽい感じですな(藁
右のシートが完全にガナーシートになってたり.
こっちはかなり枚数があるようです.
軍事板
青文字:加筆改修部分
このページにシュビムの変遷が出てるよ.
http://www.schwimmwagen.myweb.nl/photo1.htm
(リンク切れ)
これ見てると,「遠すぎた橋」でアーンエム橋の上を走ってたキューベルって,この「FIRST PROTOTYPE」かもしれんね(笑)
シュビム好き in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
シュビムとキューベルとビートルはどういう相互関係にあるんでしょうか?
ビートルの軍用派生型がキューベルで,そのまた水陸両用型がシュビム,でいいのかな?
【回答】
内部機構に関しては「ほぼ同じ」です.
民生用のtype60を基本として,軍用にチューンされた82,92や87(キューベル)はシャーシの作りも似たようなものですが,128,166(シュビム)はそもそもシャーシがありません.
あれはボディがフロートになっている,特殊な車なので,製作していた工場も,他のタイプとはまったくの別ラインでした.
おかげで1944年に工場が空襲されると,ボディの打ち出しに手間のかかるシュビムは,新規のラインを作ってもらえず,すでに工作されストックされていた部品分以上には生産されなかった,と物の本――タイトルは"VOLKSWAGENS
OF THE WEHRMACHT"で,Schiffer Military
Historyというシリーズの一冊です.洋書――には書いてあります.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
シュビムワーゲンではスクリュー回転時は,車輪は止まってるのかな?
以前,彫りの深いタイヤの推進力を利用・・・という解説を読んだことがあるけど,どうなんしょ?
【回答】
水上走行時の推進力は確か「スクリューのみ」です.
推進力に関しては,タイヤの回転を外輪のように使って,というのはちょっと信じがたい.
というのも,実際水上走行の写真を見ると,車輪が完全に水没しています.
これでは推進力が出ないでしょう?
シュビムのボディーのお尻の部分には,スクリュー側からの軸が嵌るように「穴が開いている」ように見える丸い部分がありますね.
ギアをニュートラル位置にすると,エンジンから,ここに回転力が伝えられ,ここに嵌ったスクリューが回転するという仕掛けです.
座礁した際は,タイヤは接地してるので,4駆のシュビムなら,このまま脱出できるのだと思われます.
そういえば,キューベルにも4駆バージョン VW128ってのがありましたね.
軍事板
青文字:加筆改修部分
あとね,ビルジ排出用の穴(パイプ)が側面にあったような・・・・
一等自営業 ◆kawD31MU in 軍事板
青文字:加筆改修部分
<水中乗り入れマニュアル>
4駆,1速で岸から,タイヤが接地しなくなるまで水中に乗り入れて,浮いたらアイドリング位置にギアを変換.
スクリューを水中に下ろすと,車体後部とスクリューの軸がかみ合うんだとさ.
なんだか欲しくなってきたぞ!
あ,文献は,
http://www.schwimmwagen.myweb.nl/hand2.htm
の自動翻訳ね
誤訳あったら,どなたか訂正してちょー
シュビム好き in 軍事板
青文字:加筆改修部分
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ