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◆◆中立国
<◆総記
大西洋・地中海方面 目次
<第二次大戦FAQ

スウェーデンの自走砲 Pvkv m/43

(画像掲示板より引用)


 【link】

カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵

スペイン内戦

『カタロニア賛歌』(ジョージ オーウェル著,ちくま学芸文庫,2002)

 ジョージ・オーウェルって言う英国人のスペイン内戦従軍記.
 内戦中の左翼勢力内の対立についての記述が,大部分を占める.
 軍事にはあまり関係の無い事だが,興味のある人はどうぞ.

------------軍事板,2001/05/30(水)

『中立国スイスとナチズム 第二次大戦と歴史認識』(独立専門家委員会スイス=第二次大戦/原編,京都大学学術出版会,2010.11)

 全体で2部構成,本論で約500ページ,論文集部分が約150ページ,以降参考文献がずらずらと並ぶもので,中々読み応え有りそうと言うのがfirst impression.
 帯に国松さんの推薦文が載っていた.
 …この前,誤配送の憂き目にあったのがこれだったり.

――――――眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2010/11/18(木)

 他に第二次大戦中のスイスの動向,特にダークサイドを扱った日本語文献は,
アダム・レボー『ヒトラーの秘密銀行』
G・トレップ『国際決済銀行の戦争責任』
福原直樹『黒いスイス』
フォルカー・コープ『ナチス・ドイツ,IGファルベン,そしてスイス銀行』
明石から出てるチューリヒ州の歴史副教材『中立国とナチズム』
ぐらいしか,今のところまとまったものは出てないから,値段と分厚さがネックだが,貴重な日本語文献だと思う.
 近所の図書館に早く入って欲しいもんだ.

――――――軍事板,2010/11/20(土)

「中立国の戦い スイス,スウェーデン,スペインの苦難の道標」(書評):リアリズムと防衛を学ぶ


 【質問】
 1936年当時,ポルトガル海軍艦艇では,戦艦や水上機母艦などの大型艦は保有していたのでしょうか?
 また,航空戦力は?

 【回答】
 1936年当時,海軍はJunkers K.43とBlackburn Sharkを主力攻撃機にしていましたが,攻撃機は何れも水上機基地からの運用となっています.
 僅かにHawker Ospreyが水上艦から運用されていました.

 彼の国の海軍の1936年当時の主力艦は,英国Ambuscadeに範を取ったDouro級駆逐艦7隻と,Vickersが建造したDelfim級潜水艦3隻で,戦艦や水上機母艦はありません.
 他にVelho級スループ2隻,Nune級スループ2隻.
 そして最大の艦としては,排水量2,440t のAlbuquerque級スループ2隻があります.
 最後の艦は多目的に運用できる艦として,機雷敷設設備や対潜兵装を有しますが,それらを撤去することで,Osprey1機が搭載できました.

 蛇足ですが,1936年のPortugal空軍.
多用途機:
 Potez25(Jupiterエンジン)22機,
 Potez25(Lorraineエンジン)1機.
練習機:
 (初等)Tiger Moth26機,
 (高等)Morane-Saulnier 230(Salmsonエンジン)1機,
 同233(Titanエンジン)16機,
 (高等)M.S.130(Titanエンジン)4機
攻撃機:
 Vickers Valparaiso(Napier Lionエンジン)1機,
 Valparaiso(Jupiter9エンジン)13機.
連絡機:
 Junkers W.34L 1機,
 Ca-100,Ca-113各1機
戦闘機:
 Hawker Fury 3機
輸送機:
 D.H.88 Comet "Salazar" 1機

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2007/01/02(火)


 【質問】
 1936年当時のポルトガルの海外植民地を,全て教えてください.

 【回答】
 今,帝国書院だったかな,地図の出版会社から復刻版の世界地図が出ていますから,その辺を購入なさった方が良いかと思います.

 Portugalの植民地としては,以下のものがあります.

(Africa)
Angola,Mozambique,Portugal領Guinea(今のGuinea-Bissau),Cabinda(今のAngolaの一地域),Cabo Verde,Madeira Islands,
Sao Joao Baptista de Ajuda(今はBenin領)
Madeira,Sao Joao Baptista de Ajudaを除いて,何れも1973〜75年に独立.
Sao Joao Baptista de Ajudaは1961年武力併合

(Asia)
Macao(1999年返還),East-Timor,Oecussi(今はEast-Timorの一部で2002年独立)

(India)
Goa,Terekhol,Ilha de Angediva(両方ともGoaの一部),Diu,Ghogla,Simbor(何れもDiuの一部),Daman,Dadra,Nagar Haveli
 大抵は1961年に武力併合されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2007/01/02(火)


 【質問】
 ポルトガルのサラザール大統領は,同じファシストでありながら,なぜナチを支援しなかったのか?
 逆に1940年には米軍に基地を無償提供しているようだが.

 【回答】
 サラザールは反ナチというよりは反近代主義者で,農村主体の社会を理想としていたそうだ.
 秘密警察の訓練でゲシュタポの協力を仰いでいたそうだけど,ナチとは思想的にはかなり違うところにいたようだ.

 この辺の出典は中公新書ラクレの「世界ファシスト列伝」(長谷川公昭)より.
 フランスのファシスト達についてもかなり詳しく紹介してるので,安いし買って損はないと思う.

 ちなみにサラザールは昼寝中にハンモックから落ちて寝たきりとなり,晩年は公務を遂行できなくなっていた.
 しかし側近達は,偽の書類を作って署名を求めたり,彼が安心するような内容の偽新聞を毎朝届けたりしていた.
 だから彼は,死ぬまで自分がポルトガルを指導していると信じていたそうだ.
 まあ,ある意味,最も幸せな死を迎えた独裁者と言えるかもしれない.

サラザール肖像写真
こちらより引用)


 【質問】
 第二次大戦中の中南米諸国(といっても10ヶ国以上あるが…)ってどういう状況だったんでしょうか?
 大半の国が末期に駆け込みで参戦したり,ブラジル軍がイタリアで戦ってたことぐらいしか聞いたことがない…
 第一次大戦のときは,ツィンメルマン事件なんてのがあったけど.

 【回答】
 全体としては親独的傾向が強かったものですが,余りドイツ支持を明確にすると,経済界から政府(殆どが軍事政権)が支持されなくなるので,表だった形はありません.

 1939年に中南米諸国の代表がパナマに集まり,パナマ会議が開かれます.
 この会議では,カナダを除く南北両アメリカ大陸の周囲300マイル幅の安全中立海域を宣言し,その海域での交戦行動を禁じる宣言を出しています.
 しかし,ドイツ(日本も)が対米宣戦をしたことに伴い,1942年にリオ・デ・ジャネイロにて中南米諸国の外相会議を開き,枢軸国に対する宣戦布告を決議し,まず,対枢軸国断交が行われました.

 全体の流れは以上の通りですが,個々の国を見ていきますと,……

 アルゼンチンは,英国や米国との農産物貿易で大儲けし,第二次大戦後,暫くの間は,世界的に見ても大金持ちの国になって独自の超音速ジェット戦闘機を開発したりしています.
 1943年に対独・伊宣戦を行っていますが,航路帯から外れていた所為で,周辺海域の対潜哨戒くらいで,軍は積極的に動かしていません.(対日宣戦は1945年…大抵の国は対日は1945年に入ってからです)
 ただ,1943年6月4日にクーデターが勃発し,新大統領に枢軸国寄りの元陸相P.ラミレス将軍が就任しますが,米国の圧力(貿易停止)によって,中立の維持は困難になっていました.

 ブラジルは,G.ヴァルガス Vargas独裁政権が共産党とファッショを禁じ,米国と良好な関係を保っていた関係と,自国艦船が潜水艦の脅威を受けていたため,1942年8月22日に独・伊に宣戦を布告し,米国からの軍事援助を得て,自国沿岸,自国沖の哨戒を手始めに,1943年2月に陸軍部隊を北アフリカ戦線に派兵しています.
 1945年には欧州戦線にP-47戦闘機中隊を送り,イタリアで戦闘を繰り広げています.
ヴァルガス大統領肖像画 - こちらより引用)

 メキシコは,1941年4月に米国と基地と地上設備の相互扶助協定を締結し,1942年5月29日に対枢軸国宣戦を行っています.
 しかし,装備は旧式なものが多く,その更新に時間が掛かったため,1945年まで戦争参加はずれ込み,1945年にP-47Dの部隊が南太平洋戦線で対日戦に参加を準備中に終戦となりました.

 中米諸国は米国の干渉政策を恐れていずれも共同歩調をとり,
グアテマラは1941年12月12日に対独伊宣戦布告,
ホンジュラスは,1941年12月9日に対日,12日に対独伊宣戦布告,
サルヴァドルも同様,
ニカラグアは8日に対日,12日に対独伊,
コスタリカもニカラグアと同様,
キューバは12月9日に対日,1942年3月12日に対独伊宣戦布告.
 パナマについては軍事的な要衝であることから,運河地帯は元より,全国土に米軍が進駐し,警戒に当たっています.
 宣戦は他の国々と同様.
 エクアドル,パラグアイ,コロンビア,ヴェネズエラ,チリ,ウルグアイは1944年まで宣戦布告をせず,中立を保っていました.

 ボリヴィアは1943年4月7日に対枢軸国宣戦を行い,ペルーは各国と同様に対枢軸国断交を行った後,米国と軍事協定を1943年2月に締結し,国内に米国の陸軍航空隊基地を建設することに同意しています.

 なお,ペルーとエクアドルとの間では,エクアドルの経済的混乱に起因して,その不満を外に向けるべく,1941年に大規模な国境紛争が発生しています.
 この紛争は,1942年のリオ・デ・ジャネイロ会議で取り上げられ,結果的に係争地の領土がペルー有利に裁定されました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/01/01
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦中,USAから中南米諸国へ行われたレンド・リースについて教えられたし.

 【回答】
 中南米諸国は,元々親独的な傾向を持つ国が多かったりするのですが,米国は「西半球防衛」の観点に基づき,中立法の枠外で援助が追求されていました.

 1939年9月後半に行われたアメリカ諸国外相会議の結果,「パナマ宣言」でカナダを除く,全米諸国の中立が宣言され,安全保障地域が設定されました.
 続いて,1940年6月,ピットマン法が成立し,これにより,大統領に対し,中南米諸国政府に代わって,陸海軍軍備,軍需品の製造・調達・修理の権限が与えられました.
 実はこれは,後のレンド・リースの原型とも言うものでありました.
 しかし,これには資金援助は無く,調達援助でしかありませんでした.

 これによって,中南米諸国全体で1940年から数年間で4億ドルの現金買入れプログラムが作出されたに止まりました.

 「レンド・リース」が開始された事により,ピットマン法は「レンド・リース」援助に置き換えられましたが,中南米諸国の「レンド・リース」は船舶を除き,大部分がCash-reimbursable(現金払い戻し)ベースの援助でした.
 とは言え,中南米諸国に現金がそうそうある訳ではなく,米国によるその他の経済的援助に依存しています.

 此の面では,1939年9月のパナマ外相会議によってアメリカ諸国間金融経済諮問会議が設置されますが,米国が中南米各国で産出される戦略物資を買付ける為に結んだ二国間協定の交渉に於て,1940年1月に設置されたアメリカ諸国間開発委員会が積極的に関与しました.
 また,米国自身の国防プログラムの実行と,大規模なその他諸地域への「レンド・リース」援助の実行が,中南米諸国経済に阻害的影響を与えない事を目的とした,所謂,中南米諸国の「パリティ措置」に向けた指示が,1941年4月5日にF.D.ルーズベルトから,クヌードセンに与えられました.

 これを受けて,1941年4月末には早くも,Committee on Essential Latin American Requirements(ラテン・アメリカ必須必要量委員会)が指名されると共に,7月に米国の国務省,商務省,財務省,農務省,輸出入銀行,OPM優先部,OPACSの各代表から構成されるCommittee on Inter-American Affiairs(アメリカ間問題委員会)が新設され,その調整官にはネルソン・ロックフェラーが指名されています.
 このCommittee on Inter-American Affiairsが中南米諸国問題を統括する米国側の中心機関であり,中南米諸国の民需,軍需の必要量に対する優先付与の決定は,民生部門はOPM優先部が,軍事部門は大統領が管轄する事とし,1941年秋には「パリティ措置」が機能し始めました.
 また,9月には輸出入銀行法の改正により,輸銀貸付限度が2億ドルから7億ドルに引上げられ,此の面からの資金供給も図られました.

 とは言え,全体としてみれば,中南米諸国の現金支払能力は,米国の中南米諸国からの戦略物資その他の買付け増大によってその能力が維持されていたと言えます.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2008/09/19 23:40


 【質問】
 WW2終結までのアイルランドの動向を教えてください.

 【回答】
 1919〜21年の独立戦争,1922〜23年の内戦で国内は大混乱.大恐慌とかどうとか以前に失業率・移民率とも高かった.
 エイモン・デ・ヴァレラらのもと,独立国家としての体裁を整え,国際連盟に加盟,英国の経済制裁を耐え抜く.
 第二次大戦では英独どちらにもつかず,「中立」を標榜するが,義勇兵(4万人以上!)などの名目で連合国側に加担している.
 また,アメリカにも多くのアイルランド系移民がいた.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦時の北欧の軍事力はどれくらいでしたか?

 【回答】
 ざっと散文的にですが;

スウェーデン
 航空機の独自開発をしている.
 ナチスドイツにはキルナの鉄鉱山から輸出を認める.
 領空侵犯してきた機体を強制着陸させており,連合軍機も従わせている.

ノルウェー
 ドイツがデンマークに続いて奇襲的に占領.
 ボードゲームだと「ナルビク強襲作戦」というのがあります(余談).
 各地で抵抗し,ドイツの重巡を固定魚雷発射台で撃沈するなどするも,不利は覆せず降伏にいたる.
 この際,イギリス海軍がドイツの駆逐艦勢力に大打撃を与えている.
 被占領後はイギリス経由のソ連支援北方船団に対するドイツの海軍,空軍の根拠地となる.
 ティルピッツが避退していたことなどが著名.
 また,重水工場があり,連合軍が破壊工作をしている.
 親ナチスドイツ政党あり.

フィンランド
 小国としてソ連相手に善戦.
 しかし最後には講和し,ナチスと戦うに至る.
 ロシアからの独立後〜現在に至るフィンランド軍の歴史については,『フィンランド軍入門』(斎木伸生著,イカロス出版,2007.8)という本がある.

バルト三国
 ▼第二次大戦勃発前に,ソ連に飲み込まれる.
 MR協定の秘密議定書に基づき,1940年6月にソ連に併合された.

軍事板
共(ry in FAQ BBS(黄文字部分)
青文字:加筆改修部分

スウェーデン軍の突撃砲Savm/43


 【質問】
 スウェーデンは第二次大戦中,どのように中立を守ったのか?

 【回答】
『嵐の中の北欧 抵抗か中立か服従か』(武田龍夫著,中公文庫,1985.4)
によれば,スウェーデンは戦争に巻き込まれない,という外交目的を達成するため,隣国ノルウェーの王室一行の入国さえ拒否.
 それどころか,ノルウェーに対してあらゆる援助を(この時点では)拒否しています.
 中立状態,つまりドイツにも連合国にも肩入れしない事を建て前としてますが,下手に肩入れしていると見られるとドイツの侵攻を招きかねず――この時のスウェーデン軍では太刀打ち出来ない――,ノルウェーを「見殺し」にする形になってしまいます.

 一方,ドイツからは様々な要求――スウェーデン領内の兵員・軍事物資の通過など――が出されますが,スウェーデンはその度に譲歩を余儀無くされ,対ソ戦の為の完全武装の一個師団のスウェーデン領内の通過も議論紛糾の末,
「スウェーデンの国益(非交戦状態の維持)のみを考慮した,一回限りの最大限の譲歩」
として通過を認めています.

(それまでの通過は
「戦闘の為では無く,本国への帰休(または部隊への帰任)」
「ノルウェーは占領下にあり,戦闘中ではない」
などの苦しい理由で認めていたが,この輸送は「戦争に参加する為に」移動するので,中立国の原則に完全に違反する)

 その後もドイツからは,追加の通過要求などもあり,この状態はスウェーデンの軍備が拡張し,ドイツの敗勢が明らかになりつつあった1943年まで続きます.
 この間スウェーデン国内では言論の統制・検閲(ドイツの反感を買いそうな記事などを差し止め,出版停止など)などが行われています.
 しかしその一方で,スウェーデン国内ではノルウェーのレジスタンスへの支援拠点や(警察隊に偽装した)ノルウェー軍の訓練を行うなど,「結果として」中立国としての立場が連合国側の利益になった,との意見も紹介されています.

 こうしてみると,スウェーデンの中立は,大国の思惑や力関係などによる「偶然の幸運」によるものでしかない,という意見に同意するしかありません.

グンジ in mixi,2007年11月11日

▼ 【余談】
 ゲーリングはWWI後,曲芸飛行士として生計を立てていた.
 その彼がスウェーデンに行った際,スウェーデン将校の人妻と恋に落ち,結婚した.

 さて,WWIIでドイツ(というか,ヒトラー)がデンマーク・ノルウェーを侵攻作戦を立てていた時,最初はスウェーデンにも侵攻する計画だった.
 それを聞いたゲーリングは強硬に反対して,スウェーデン侵攻作戦は計画から外された.
 これはゲーリングの妻の親戚筋でスウェーデン王族や貴族に近い人がいて,その縁故を頼ったロビー活動の成果だとする説がある.

 朝日ソノラマから出てたサミュエル・ミッチェル著「ドイツ空軍戦記」を引用すると,
「北欧四カ国のうち,スウェーデンだけが第二次世界大戦の惨禍を免れたのだが,その原因は一九二〇年代のひどく寒いある晩に,一人の怪しげなドイツ人の飛行士が,スウェーデンのある美しい女性との恋に落ちたというだけのことだったのである」

ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U : 軍事板,2003/02/14
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 HX84船団で反転してジャーヴィスベイの生存者を拾い上げ,HX92船団で撃沈されたスウェーデン船籍のStureholmという商船がありましたが,この船は何故英国の船団に所属していたんでしょうか?
 デンマーク船のように英政府に傭船されていたとか,それともアメリカへの独航が不能であるために付属していったとかなんでしょうか?
 また,当時のスウェーデンの海上通商路がどういった状態で保持されていたのか教えて下さい.

 【回答】
 多分,英国に傭船されたものと思われます.

 Swedenの船舶は中立国船舶ですが,大西洋にドイツ潜水艦が跳梁跋扈するようになると,連合国との物資を運んでいた場合,中立違反として咎められる場合もあります.
 従って,連合国の港に繋留されっぱなしになるケースもあり,船を維持する為に,連合国との傭船契約を結ぶケースも出て来ました.

 例えば,日米の外交官と引揚げを希望する民間人を交換する為,米国国務省は1942年5月にグリプスホルム号を傭船し,ニューヨークからリオデジャネイロを経由してロレンソ・マルケス(今のモザンビーク)まで,航海を行っています.
 また,ニューヨークに戻った後は米国政府に1日4,000ドルで傭船され,主にニューヨークに停泊していましたが,1943年には第二次日米交換船の米国側船舶として用いられました.

 海上通商路については,アイスランド航路など北海航路,南米航路,米国航路を維持していましたが,ドイツの米国への宣戦布告と,米国によるアイスランド占領により,南米航路以外の航路は閉じられます.
 南米航路は2ヶ月に2隻,座席数8程度なので,座席チケットの争奪は正に戦いでした.
 この航路を取る場合は,事前に英国大使館の武官とドイツ大使館の武官から海域を通る許可証を得る必要があります.

 Sweden船は基本的に,船腹に大きく国旗が描かれ,船名と所属国(SVERIGE)と書かれています.
 出航する船は行先により船団を組んでいき,Sweden領海を出るまで,海軍の護衛を受けます.
 そして夜間航行の際には,国旗と船名を確認出来るよう,常に灯りを煌々と付ける様にしていました.

 ノルウェー海域に入るとドイツ水上機が近付いて船名を確認し,クリスチャンサンドまでは,ドイツの指令の下,沿岸海域を航行し,場合によっては臨検を受ける事になります.
 クリスチャンサンドでドイツ海軍の検査を受け,問題がない事を確認した後,ノルウェー領海を抜けるとフェロー諸島まで,英国側の指令の下,航行を続けます.

 航海の3日目に,英国側の航空機が近付いて船名を確認し,フェロー諸島に停泊.英国側の検査を受け,大西洋に入っていきます.
 なお,10日の間,機雷原や不意の魚雷攻撃に備える為,船長は一睡も出来ません.

 そして,大西洋を抜けて,南米に向かう形になります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


◆◆◆スイス

 【質問】
 WW2終結までのスイスの動向を教えてください.

 【回答】
 第一次大戦後,ジュゼッペ・モッタ外相のもと20年間に渡る「モッタ外交」を展開.
 1920年には国際連盟に加盟し,国際社会での仲裁役を買って出て威信を高める.
 ただモッタは反共主義者だったため1925年にソ連と国交を断絶した.

 大恐慌では,金融立国であることからかなりのダメージを受け,イタリアとの友好関係からムッソリーニを支持.
 ナチス党員のグストロフもスイスで活動して,シンパを増やし始め,1938年にスイスは国際連盟を脱退する.
 1939年8月には非常事態・武装中立を宣言し,アンリ・ギザンを軍の最高司令官に選出.
 国民総動員体制でドイツの侵攻を防ぐが,戦時中は資金保護など親ドイツ的行為もして生き残りを図っていた.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦中スイスは中立国でしたが,まわりは全部枢軸国なので,貿易はできたのですか?
 特に石油なんかは,枢軸国は不足していたので,買いたくてもかえなかったと思うのですが,教えてください.

 【回答】
 スイスは永世中立国として第二次大戦中も局外中立を保ちました.
 ここまでは,誰でも知っている話です.

 しかし,例えばアメリカから石油を輸入しようとしても,周りが枢軸国で占められていれば難しそうですよね.当然の疑問です.

 実際の物資輸送のルートとしては,ビシー政権下のフランスを経由する手段がありましたし,米英との取引であればその間にスペイン等を入れることも可能でしたから,現実にも第二次大戦中に石油をアメリカの石油会社から購入していました.
 実は,スイスを経由してアメリカのスタンダード石油は,1942年まで枢軸国に石油を売っていたことも知られています.

世界史板

 【参考画像】
スイス・ドイツ国境にあったドイツ軍要塞内部の様子(復原写真)


 【質問】
 第二次大戦中,ドイツからスイスが買った兵器は,ヘッツァー以外で何があるんでしょうか?

 【回答】
 空軍がメッサーシュミットBf109を導入してます.
 1937年秋にまずBf109D-1を慣熟訓練用に10機導入し,39年にはE-1を30機,さらに追加でE-3を50機輸入しています.

 なお,スイス軍のヘルメットはドイツ製のM35ではなく,M1916(第一次大戦型)に似てるけど,山の部分とふちが浅いもの.
http://www.gostak.demon.co.uk/helmets/switzerland.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Stahlhelm

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ナチス侵攻の可能性に対し,スイスはどのような対策を講じたのか?

 【回答】
 33年以降,軍事費を増額する一方,36年には国内のナチス組織を非合法化.反民主主義的言論活動も,その後禁止.
 38年には「中立」を際立たせるため,国際連盟から事実上脱退.
 国境警備を強化し,兵役年齢上限を60歳に引き上げ.
 39年には連邦政府に全権移譲.国民投票なしで法律が施行されることになり,同年末には物価統制令,40年には女性動員令など戦時法施行.
 この結果,動員兵力は80万人となった.

 フランスが降伏して四面楚歌の状況になると,軍最高司令官・ギザン将軍が40年7月,軍幹部をスイス建国伝説の地・リュトリに集め,
「万一の際は,アルプスの『砦』に引き篭もり,徹底交戦する」
と,国民を励ますことも.

 詳しくは,福原直樹著黒いスイス」(新潮新書,2004/3/20),p.50-51を参照されたし.


(引用元:朝目新聞


 【質問】
>スイスは第二次世界大戦時,その重武装で侵略を「思いとどまらせる」
>政策で,ナチスの侵略を免れた.
http://www.nnn.co.jp/dainichi/column/tisin/index.html
とのことですが,スイスってどのくらい強かったの?

 【回答】
 特別重武装と言う事ではなく,むしろ,山岳という地形を有効に使ったのと,さらにそこに要塞を設けるという用兵で,ドイツの侵略を思いとどまらせた.

 フランス降伏前のスイス軍は湖などを使って,東西の交通を遮断する陣地を用いた.
 その時のドイツの戦略目的は,フランスへの速やかな奇襲であり,スイスの平野部の一部を占領できても陣地で時間を費やしては,フランス攻略が失敗に終わる可能性が高い.

 フランス降伏後のスイス軍は,アルプス山中の要塞に篭った.
 この要塞は独伊を結ぶ峠道に位置しており,ドイツが侵略してきたらトンネルの爆破やゲリラ戦で,独伊の交通を遮断する予定だった.
 侵略しなければ軍事物資以外の輸送は行なわれたので,ドイツからすればわざわざ手を出して軍事物資以外も輸送できなくなるより,そのまま中立にしておくほうが有利となる.

 このように,手出しすればドイツの欲しいものを入手できないようにする用兵を行なった事で,手出しする気を失わせた.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 スイス政府はなぜ,スペイン内戦に参加した義勇兵を処罰したのか?

 【回答】
 「国民皆兵」を国是とするスイスは,当時も今も,国民が外国の軍隊で戦うことを禁じているため.

 スペイン内戦中,スイス人は800名が国際旅団に参加し,200名が戦死.
 帰国者は連邦警察に拘留され,軍法会議において最高1年の懲役刑を宣告すると共に,何年間にも渡り,公民権を停止させた.
 彼らは出獄後も警察による監視が永年続き,就職もできなかった.

 スイス議会では義勇兵の「罪」を許すための決議案が何度も上程されたが,全て否決.
 2000年4月の名誉回復決議案もやはり否決されている.

 フランス,デンマーク,ベルギーなど欧州諸国では義勇兵を温情的に扱ったのとは対照的である.

 詳しくは,福原直樹著黒いスイス」(新潮新書,2004/3/20),p.54-58を参照されたし.


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