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To Be or Not to Be 1/13 (1983)
「ニコニコ動画」:ポーランドのワルシャワ蜂起再現ヒストリカルイベント
『ヨーロッパ/ポーランド/ロシア 1918〜21』(阪東宏著,彩流社,2008.10)
第一次大戦の結果生まれた東欧諸国のうち,ポーランドに焦点を当てたもので,特にソ連との関係について重きを置いて書いている.
日本では余り触れられていないソ連・ポーランド戦争なんかも取り上げていて,結構面白い.
――――――眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
WWU開戦前の,ポーランド軍の実力について,お尋ねしたいと思います.
ドイツとソ連に挟み撃ちされて,あっと言う間に国は無くなってしまいましたが,仮にドイツだけに攻撃されても,あっと言う間に敗戦だったでしょうか?
【回答】
マンシュタイン回顧録を読んだ限り,史実での敗戦は,ポーランドの作戦ミスとドイツ軍の兵力の多さが原因だと思われる.工業地帯を確保しようとし過ぎ,包囲や突破を許すなどしている.
ドイツ軍はドイツ軍でジークフリート線から兵力引き抜いて送ってきてるし.
さらに,イギリス軍やフランス軍の支援が無いに等しいほど少なかった事も挙げられる.
防御に徹するだけなら,ニェーメン,ボーブル,ナレフ,バイクセルおよびサン川の総距離600kmで防御すれば,もう少し時間は稼げたと思う.
ポーランド軍が無理に工業地帯を防御しようとした事とボーゼンに遊兵を作ってしまったのも,戦争が早く終わった原因とも言える.
どちらにしても,イギリス,フランスが主力を『西方防壁』に投入してくれない限り,時間の問題だが.
補足.
1938年のチェコ解体以降では,英仏としては,ポーランドをして対独防波堤とする予定でした.
その際の後方基地というか,共同防衛軍として白羽の矢を立てたのがソ連で,一朝事が起きれば,ソ連軍がポーランド国内に入ってドイツ軍と戦闘すると言う構想を立てていました.
これを蹴ったのが,ポーランド政府.
そこで,英仏はポーランドに対する軍事援助を強化しますが,時,既に遅く,新鋭戦闘機,戦車の来着も無しに,蹂躙されました.
もう一つ,国内の生産工場も全力操業が出来ず,防衛政策にも混乱があったため,新型機の開発に失敗しました.
更に,戦時用基地の設置は十分で,開戦当初のドイツ空軍による航空攻撃は効果を上げていません.
但し,戦闘が進展するに従い,其処に配備する燃料,武器,弾薬の備蓄が追いつかず,補給もまたドイツ軍の進撃に間に合いませんでした.
また,フランスは開戦と共に重爆撃機5個飛行隊でポーランドと本国を基地にドイツ本土爆撃を実施する予定でした.
空軍に関して言えば,260機の損害で220機のドイツ機を撃墜しています.
しかし,ドイツ領内への爆撃は9月5日まで許可されませんでした.
もし,ドイツに勝利するとすれば,後方地域としてソ連が使えること,新型機が十分戦力化されていること,戦車などが集中運用できること,英仏の支援が十分行なわれること,ドイツへの夜間本土爆撃が即座に行なわれていること,補給路が確保できることでしょう.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
ポーランド地図
(military.photosより引用)
【質問】
ポーランドには他国を侵略する野望はなかったの?
【回答】
いえ,ポーランドは軍事的野心の高い国でした.
第一次大戦直後にソ連と戦争していますが,目的は嘗てのポーランド王国の失地回復で,領土割譲目的でした.
仕掛けたのはポーランドですが,赤軍に反撃されてワルシャワが包囲され,ピンチに陥ったりしました.
が,ヴィスワ川での奇跡的な勝利で形勢逆転し,リガ講和条約ではソ連からかなりの領土を得ています.
更に第二次大戦ですが,ポーランド軍の配置を見る限り,ドイツ領への逆侵攻を企図している点が見受けられます.
ポーランド軍はポズナニ周辺に兵力を集中していました.
当時の世界地図を見れば分かるのですが,ポズナニはドイツ側に向けて突出している地帯です.
突出部に兵力を集中する配置は迂回包囲されやすく,防御戦闘には不向きです.
この事からポーランドは,イギリス・フランスとの相互援助条約を過信し,積極的に攻勢に出る積もりであった事が見て取れます.
ベルリンまでの距離は300kmもありません.
【質問】
第二次世界大戦前後にポーランド人が,大量のドイツ人を虐殺したのは事実ですか?
【回答】
開戦後ならドイツ系住民の虐殺はあった.
詳しい数字は忘れたが,H・ヘーネの『髑髏の結社 SSの歴史』(講談社,2001.7)に,ポーランド側の調査結果とポーランド降伏後のドイツの調査結果からの被害者数があった.
軍事板
【質問】
ポーランドはどうやっていればドイツの侵攻を防げたでしょうか?
無防備宣言すればよかった?
【回答】
まず無防備宣言をした場合はサクッとドイツとソ連に分割されて結果は変わらないので,もっと能動的にどうするかですね.
つまりドイツとソ連に対抗できる方法が求められるわけです.
とりあえず方法としては,「ポーランドにアメリカ軍を駐留させれておく」という,当時としては実現不可能ですが,もしやっておけばドイツとソ連も攻め込むのを躊躇したかなぁ,という案が.
そして実は現実のポーランドは今,それに近いことをやっています.
この国は欧州で初めて,アメリカのミサイルディフェンスに参加することを決定しました.
アメリカと接近することにより,NATO,EUという枠組み以上の保障を得ようとしているのです.
この国はロシアもドイツも信用していません.
それが彼らが世界大戦で得た教訓なのです.
【質問】
ヤルゼルスキって誰ですか?
【回答】
ヤルゼルスキイ【Wojciech Jaruzelski】(1923- )
ポーランドの軍人・政治家.
23才の時に祖国ポーランドを解放した英雄.
1981 年首相就任.同年,自主管理労組「連帯」主導のストライキに対し戒厳令施行,ソ連の軍事介入を防ぐ.
85 年国家評議会議長.
89 年初の自由選挙後,大統領に選出.
翌年辞任. (新辞林 三省堂)
親友はスターリン・チトー・金日成・ホーチミン・毛沢東・ホーネッカー・昭和天皇・アミン・カダフィ・シアヌークとポルポトという節操のないお方.
(軍事板)
ヤルゼルスキイ回顧録「ポーランドを生きる」などの資料を読むと,ワルシャワ蜂起の際, ソ連軍と行動を共にしたソ連指揮下ポーランド軍団のヤルゼルスキイの部隊などは,プラガ地区(右岸)にとどまったソ連軍の将軍を説得して,自分達ポーランドの部隊だけでも,と必死になってヴィスワ河を往復して物資を輸送したり,負傷者をプラガ側へと運んだりと...読むだけで泣けてくる.
【ジョーク】
ヤルゼルスキイ第一書記がクレムリンで贈られたロングコートは,本国ポーランドに帰ってみると,膝までの長さしかなかった.
クレムリンでは,彼はずっと跪いていたからだ.
小島正雄著『強盗の笑顔』
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