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「山猫文庫」◆「スペイン内戦と海軍」(本編29回+参考文献+年表)
『スペイン革命――全歴史』(バーネット・ボロテン著,晶文社,1991.10)
高いがめちゃめちゃ良書.
軍事的なところはそこまでないけれど,人々の動きがすごいよく分かります.
――――――軍事板
『フランコと大日本帝国』(フロレンティーノ・ロダオ著,晶文社,2012.2)
主に,フランコ政権成立後の,日本とスペインの外交関係について述べた本で,今までその実態が余り知られていなかった,日本の対米諜報網の全貌や,中国やフィリピンを巡る日西両国のせめぎ合いなどが,赤裸々に描かれている.
意外に枢軸国と雖も,一枚岩では無い事がよく判る本だったりする.
------------眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2012/02/13(月)
『スペイン内戦 1936-1939』(アントニー・ビーヴァー著,みすず書房,2011.2)
やっとこさ読み終わった.
登場人物が異様に多い上に,イギリス人らしく表現がヒネてるから,かなり難儀したわ.
あと,フランコ側が国民軍だったり反乱軍だったり.
内容は政治8割・軍事2割って感じで,このスレじゃ異端かもしれない.
共和派内部のgdgdっぷりが,読んでて悲しくなる.
著者は,フランコの蜂起直後の共和国政府の対応の甘さが決定的,みたく書いてる.
まあ,一般に組織の上の人って,事態を甘く見る傾向があるよね.
民兵中心の共和派だけど,陣に篭った防衛戦だと善戦してるんだよなあ.
「築陣しての防御だと,熟練兵と非熟練兵の差が出にくい」みたいな法則って,あるの?
-----------------軍事板,2011/12/05(月)
『スペイン内戦 包囲された共和国1936-1939』(ポール・プレストン著,明石書店,2009.9)
まえがきで,
「双方の側に対して,完全にバランスのとれた観点に立つものではない」
と書いている様に,共和国側に大きく偏ったスペイン内戦通史です.
実際にその内容は終始,
「悪いのはフランコ派と共産主義者で,共和国は悪くないよ.
共和国派も虐殺したけど,フランコ派や共産主義者に比べたら微々たるもので,その発生も仕方の無いものだったのだよ」
といった調子です.
清々しいまでのダブルスタンダードぶりに,読んでいて思わず笑ってしまいました.
しかし,偏っている部分を割り切って読めば,政治面だけでなく軍事面でも意外に詳しく書かれているため,スペイン内戦通史として良好だと思います.
なお,一番困惑したのが,訳者あとがきでした.
著者自身が偏っている事を認めているのに,訳者によると,とても公平な書なのだそうです……
――――――軍事板,2011/09/12(月)
青文字:加筆改修部分
『ソ連・コミンテルンとスペイン内戦』(島田顕著・れんが書房新社刊)
スペイン内戦に於ける,ソ連とコミンテルンによる人民政府支援の考察.
分類していくと,こうした支援ルートは実に多岐に亘り,18のルートがあったとされる.
冷戦後に新たに公開されたソ連側の資料を見つつ,人民政府支援を再構成したものと言える.
-----------------眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2011/10/21(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
第二次大戦前後のスペインの歴史を,3行前後で教えてください.
【回答】
斜陽の帝国,スペイン王国は,モロッコでのリーフ戦争で大損害を出し,国王の権威は地に落ちて,1931年にアルフォンソ13世が国外脱出して君主制が崩壊し,スペイン第二共和政が成立.
だが,政治が左右対立で混迷する中,1936年に人民戦線政府が成立すると,軍部が反乱を起こし,スペイン内戦勃発.
内戦に勝利したフランコ将軍は,ファランヘ党一党独裁政権を樹立するが,内戦のために国内は疲弊していたため,枢軸寄りでありながら第二次大戦には不参加.
大戦後,ファシズム体制のスペインは国際的に孤立,1955年まで国際連合にも加入できなかった.
【ぐんじさんぎょう】,2012/01/31 20:50
を加筆改修
モロッコでの戦争に使われたものと,同型の装甲車
フランスのシュナイダー社製トラックを改造したもの,
1910 スペイン だそうな.
------------
http://mailer.fsu.edu/~akirk/tanks/spain/spain.html
The French Schneider 1909
This armored truck was the first AFV built and employed by the Spanish Army.
The first one was purchased in 1910, being sent two years later to the Moroccan war theater.
A second one, slightly different (more prominent engine compartment in the front) arrived to Spain in 1911.
------------
【質問】
日本語で読める,スペイン内戦の入門書みたいなのはありますか?
史学じゃなくて軍事的な.
マドリードの戦い,ハラマの戦い,グアダラハラの戦い,ブルネテの戦い,テルエルの戦い,アラゴンの戦い
,エブロの戦い,そしてカタルーニャの戦いなど,一通り戦闘が解説されているのを希望です.
【回答】
そのものズバリで,
「スペイン内戦」上下
「スペイン市民戦争・三十二ヵ月の叙事詩―道にみる二つの側面」伊東
章
『スペイン市民戦争』(ヒュー・トマス)
ソノラマ新戦史シリーズ『スペイン戦争』(三野正洋)
入門を重視するならクセジュのが良い.
軍事的重視ならソノラマ.
ただ絶版なうえ,中古の値段が高いという問題点がある.
あと書評はこちら.
http://yamanekobunko.blog52.fc2.com/blog-entry-91.html
そのほかやや不正確なところ(例えばドイツ軍が2号戦車を投入した,と断言されている)もあるが,背景事情も含めて大変わかりやすい.
分厚いスペイン内戦上下は,よほど入れ込むなら素晴らしい本.
あと,実はこれ80年代に合本が出てたりする.
「スペイン市民戦争」は,書き方も内容も普通じゃない感じ.
何冊か読んでからなら面白い.
ヒュー・トマス本は,著者もイギリス人だし,高いけど,安く手に入るならお勧め.
スペイン内戦が学問的に扱われ出した時期の名著.
そして,「一通り戦闘が解説されている入門書」とは言えないが,『カタロニア賛歌』.
これを読んで,「ああ,こいつらは戦争に勝てない」と思ってしまった.
革命しかり宗教しかり,思想ってのは突き詰めると内ゲバにしかならないというのが,よく分かる例.
前半の前線のグダグダな描写も良いね.
義勇軍側のgdgdっぷりは見てておもしろいぞ.
参戦しつつも冷めまくった眼を捨てないあたりに,オーウェルの英国人魂を感じた.
日本人の左翼文化人だった,らあばたもエクボなゲリラ賛美になって物凄く白けるんだろうけど.
塩婆じゃないけど,歴史とかルポルタージュを書かせたら,英国人の適性は頭一つ抜けてると思う.
783 :名無し三等兵:2010/10/26(火) 10:32:27 ID:???
だからイギリス人はスパイが得意.
モームやらグリーンやら,スパイをやった小説家も多いしね.
軍事板,2010/10/24(日)~10/26(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
スペイン内戦をフランコ側の視点で見たいんだけど,『フランコ スペイン現代史の迷路』(色摩力夫著,中央公論新社,2000.6)以外に良い本ないかな?
共和国政府寄りの本が多くてね・・・・・・
【回答】
フランコ寄りの視点じゃないけど,『新スペイン内戦史』(川成洋・渡辺哲郎著,三省堂,1986.11)はどうでしょう.
著者の一人,川成洋は「共和国政府寄りの本が多くてね・・・・・・」の代表のような人だが,スペインの軍事関係の内戦研究を元に
「36年7月18日に反乱に参加した将軍は現役82名のうち21名.
また共和国側で処刑された将軍は19名,反乱軍側では9名」
とか
「各戦場における戦車台数およびその損失」
といった,あまり知られていないデータをあげながら,中立的に共和国,フランコ側双方の実情をのべている.
あとは,ヒュー・トマスの『スペイン市民戦争』くらいかね.
もう読んでるかもしれないけど.
フランコ視点というわけでもないけど,基本的に軍事面限定の本なので,偏りは少ない.
軍事板
青文字:加筆改修部分
つ 『コンドル兵団』(カルロス・カバリェロ・フラド著,大日本絵画,2007.5)
【質問】
スペイン内戦に関して質問です.
内戦直前の1936年2月の選挙において,保守派に対し人民戦線側が得票率で僅差,獲得議席数では圧勝という結果になったという事ですが,当時の選挙制度のどのような特徴からこのような得票率と議席数の乖離が生まれたんでしょうか?
【回答】
ソースはウィキだが,当時のスペインは小選挙区制だったから.
地方では票数のカウントで,人民戦線側に有利なように不正があったとか,もめたそうだが,最近の研究では,僅差ながら人民戦線側が勝っていたとのこと.
詳しい得票結果は公表されなかったとあるし,もしかしたら各党,地方での得票数といった資料はないのかもしれない.
おおざっぱな票数は,人民戦線側4,654,116票,保守派が4,503,505票,
その他が562,651票って載ってましたよ.
世界史板
青文字:加筆改修部分
【質問】
スペイン内戦に対し,フランスの立場的に最終的に不介入になった,というのはわかるのですが,最終的に不介入になるまでの間に,兵器の提供や人員の派遣はなかったのですか?
不介入のはずなのに,何かの本で戦闘機がスペインに送られたっつーのを見た記憶が有り,(国際旅団は兎も角)そういった国家規模の派遣が合ったのかな?,と.
【回答】
ブルムが首相になって,英国と協調して,Dewoitine
D.372戦闘機14機,Potez 54爆撃機6機を引き渡しています.
但し,あくまでも民間機としての引渡しでしたので,兵器装備無しの状態でした.
その後,更に19機のDewoitineを送り込みますが,これまた兵器装備の無い状況でのものでしたので,スペイン人民戦線軍は自己の老朽化兵器のストックの中から使えるものを探して装備しています.
13機のDewoitine戦闘機は,兵器装備無し,パイロット無し,予備部品無しの状態で到着し,その内5機は破壊されました.
これを修理するのに,Toulouseからメーカーのメカニックが来ましたが,彼等は現金払いでないと動きませんでした.
以後,Potez544爆撃機1機,BlochMB210爆撃機1機,Loire46戦闘機が5~6機,BlochMB200爆撃機が2乃至4機引き渡されています.
最終的に,フランスからの援助は26~33機程度しか戦力にならなかったりします.
後,D.510戦闘機はエンジン無しの状態でスペインに送られ,ソ連製のM100エンジンを取り付けて使用されましたが,これはヘジャズ王国(現在のサウジアラビア)向けとして表向き輸出されたものでした.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2009/06/10(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
フランコ将軍が戦った人民戦線は,コミンテルンの指導下に入ったそうですが,共和国は元々共産的なものだったのですか?
フランコ将軍は反共ゆえに反乱を起こしたのでしょうか?
【回答】
スペインは米西戦争で敗北してから,軍を軽んじる動きが強まり,特に労働者階級は軍人への軽侮を隠しませんでした.
労働者階級の方が人数が多いので,その嘲りは一般庶民にも蔓延します.
これが軍人が労働者を敵視する切っ掛けとなります.
その不満をそらす為,1920年からモロッコへ派兵し,一定の成果を収めます.
この時に活躍したのがフランコ Franco で,以降,スペイン領モロッコ駐留の軍隊の間で,フランコの人気は絶大なものになります.
一方,国内的には大土地所有制度の下,大地主が多数の小作人を用い,それを教会が支援する図式が出来ています.
1930年の統計では全農地の60%を270名の大地主が所有しており,教会,宗教関係者も22%を所有していました.
自作農は18%程度で,この土地を2000万人の農民が所有していました.
農民の90%はカトリック教徒でしたが,一部の農民からは,そのカトリック教会でさえ,憎悪の目で見られました.
また,都市では国内資本家に加え,英国が多大な投資をしておりましたが,その国内産業では労働者は劣悪な労働条件に置かれ,かなり不満が鬱積していました.
1931年の地方議会選挙では,こうした不満を利用して,共和勢力が圧勝し,遂に王制を倒します.
そして,宗教教育の禁止,農地解放,軍隊改革が行なわれますが,社会は混乱し,更なる過激な改革を求める共産主義者と,無政府主義者によるストライキ,武装蜂起,軍隊改革に反対する軍人のクーデター未遂などが発生し,混乱の中で,1933年の選挙では今度は保守派が辛勝し,諸政策を元に戻そうとしますが,更にゼネストが続き,社会混乱が増大します.
こうした状況の中,1936年に今度は左派勢力が結集して出来た人民戦線が辛勝し,1931年の諸政策を遂行しようとしますが,今度は右派勢力によるテロが蔓延し,このテロに対して,労働者側はゼネストで対抗し,社会不安が拡大した訳です.
人民戦線の中核となっていたPOUM(マルクス主義統一労働者党)は,幹部についてはトロツキー思想支持でした.
このため,人民戦線内部でもUGT,PSUCと民兵同士による大規模な市街戦も起きています.
CNT(労働者総連合)は,農民主体の組織で比較的穏健でしたが,1934年以降無政府主義者の加入によって先鋭化していきます.
FAI(イベリア・アナーキスト連盟)は,無政府主義者のグループで,過激派的行動により,社会党,共産党共に敵視されており,しばしば武力闘争を行なっています.
UGT(労働者総同盟)は,社会党系の組織で,比較的穏健なフェビアン主義的な思想を持っていました.CNTとはそりが合わず,互いに暗殺者を送ったりしています.
JSU(統一社会主義青年同盟)は,共産党の下部組織で,当時のソ連共産党首脳からも信頼されていました.しかし,我こそは真の共産党員という自負が強すぎ,UGT,CNTと対立しています.
PSUC(カタルニャ統一社会主義党)は,反無政府主義の社会主義者ですが,ソ連共産党の強い支持を受けていました.当然,FAIとも犬猿の仲ですが,UGT,CNTとも対立を引き起こしています.
こういった感じで,ソ連共産党に連なっているのはPSUCとJSUであり,主流派は1938年まではPOUMが握っていました.(ちなみに,反人民戦線側も似たり寄ったりの状態でしたが)
フランコは,この政府で軍の参謀総長を務めていましたが,この様な国内の混乱を食い止める為には,最早軍隊による統治以外に国家の崩壊を免れる手段は無いと考えていました.
別に反共とかそう言うのではなく,最初は純粋に救国を考えていたようです.
しかし人民戦線との対抗するためには,既存勢力に乗っかるしかなく,結果的に反共にシフトしていったものと考えられます.
【質問】
1936年のスペイン内戦では,人民戦線政府側はソ連からの援軍と,国際旅団で勢力があったとのことですが,人民戦線政内の勢力は二分されていたのですか?
【回答】
wikiでスペイン内戦を調べればわかるが,人民政府内部には
コミンテルンの指導を受けた共産党と
反コミンテルンのPOUM,
無政府主義のCNT・FAI,
アナルコ・サンジカリズムの全国労働連合
と,それぞれイデオロギーが異なり,対立関係にある勢力が存在していた.
だから二分と考えることがそもそも誤り.
軍事板,2009/06/09(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
スペイン内戦の時にソ連から人民戦線へNKVDが派遣されていましたが,彼らはスペインにおいてどのような活動を行っていたのですか?
【回答】
http://en.wikipedia.org/wiki/NKVD
によれば,
――――――
"During the Spanish Civil War, NKVD agents, acting in conjunction with the Communist Party of Spain, exercised substantial control over the Republican government, using Soviet military aid to help further Soviet influence.
The NKVD established numerous secret prisons around Madrid, which were used to detain, torture, and kill hundreds of the NKVD's enemies, at first focusing on Spanish Nationalists and Spanish Catholics, while from late 1938 increasingly anarchists and trotskyists were the objects of persecution. In June, 1937 Andres Nin, the secretary of the anti-Stalinist Marxist POUM, was tortured and killed in an NKVD prison."
―――――――
つまり,スペイン共産党と組んで,カソリックからアナーキストまで敵になりそうな連中を粛清しまくってた,とあるね.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
スペイン内戦の事について.
フランコ側についていた外国人部隊はコンドル団以外にイタリア,モロッコの兵士が加わっていましたが,独伊,アフリカ以外の国籍の人間も加わっていたのでしょうか.
スペイン共和国側の外人兵,国際旅団の資料は多いのですが,フランコ側の外国人部隊について知りたかったもので.
【回答】
最も有名なのは,ベルギーの貴族,Comte Rodolphe
de Hemri court de Grunneです.
彼は1936年10月9日,スペインのブルゴスでスペイン外国人部隊に入隊,当初は目立たなかったものの,愛機をHe-51からC.R.32に変え,2-G-3
Grupoに属してから,頭角を現し,I-16を5機,I-15を4機,Grumman
FF-1
を1機撃墜,総出撃数425回,飛行時間795時間を記録しました.
ちなみに,この侯爵殿,ドイツのベルギー侵攻時にはベルギーの側に立って,英国に亡命,3機のドイツ機を撃墜しています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
日本人も,共和国側にいたジャック白井は比較的有名だが,フランコ側にも2~3人の日本兵がいたという.
軍事板?
関連文献として下のがあるみたい.
自分で読んでないから詳細不明ですが.
>日本人の従軍記者の伝聞では,反乱軍側の義勇兵にも数名の日本人がいたと言います
>(坂井米夫『動乱のスペイン報告 ヴァガボンド通信-1937年』(彩光社,1980年)」).
http://navy.ap.teacup.com/yamanekocave/68.html
ドイツI号戦車A型を改修(ブレダ20mm砲搭載)したフランコ軍戦車
【質問】
スペイン内戦のときの義勇軍について,どんな風にアレだったのかちょっと教えてくれ.
【回答】
自由主義者と共和主義者と無政府主義者と労働組合主義者と共産主義者の集まり.
主戦力は読み書きできない農民たち.
一番頼りになるのがソ連兵.
国際旅団は,フランス人ドイツ人ポーランド人イタリア人アメリカ人イギリス人らの集まり.
指揮官がおらず,部隊の行動は投票で決める.
午後5時には帰宅.
雨が降ったらお休み.[要出典]
この手のネタなら,ケン・ローチの映画『大地と自由』(Land
and Freedom)が中々面白い.
スターリニストと反スタで内紛やりながら,国粋派と戦争してんだもん.
勝てるわけが無い.
軍事板,2010/10/26(火)
青文字:加筆改修部分
▼
faq120314fa.jpg
車体の先端に書かれてるFAIという文字を手がかりに検索してくと見つかるけど,スペイン内乱中にアナキスト組織「Federacion
Anarquista Iberica 」が試作した装甲車らしい.
http://www.jordicolomer.com/?lg=2&id=4&prid=102
http://www.militarymodelling.com/forums/postings.asp?th=56769&p=4
http://ptdockyardat.files.wordpress.com/2011/04/scw-armored-car2.jpg
特に形式名はない模様.
車体前面のがスローガンじゃなきゃ固有名かもしれないが.
軍事板,2012/03/14(水)
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
第二次大戦でスペインが枢軸国側に立たずに中立だったのは何故ですか?
【回答】
2年9ヶ月もの長きに及んだスペイン内戦が終結したのが,WW2勃発の約半年前で,長きにわたる内戦のの結果,スペイン経済,農業,軍事力はボロボロでした.
フランコの独裁体制も完全に固まったとはいえず,戦争に参加する余力はスペインには無かったというのが実情です.
仮に枢軸国として参戦した場合,ジブラルタルに駐留するイギリス海軍や,親英国だったポルトガルとの関係悪化は避けられない状況にありました.
また,ナチス・ドイツがカトリック教会を弾圧したことも,自他共に認めるカトリック国であるスペインの,ナチス・ドイツに対する不信につながりました.
結果として,スペインはドイツに対する好意的中立を保つ事になりました.
(秘密裏にスペイン領内港湾にてUボートへ補給するという,中立義務違反行為は行っていましたが)
世界史板
青文字:加筆改修部分
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