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軍閥
「AFP」◆(2010/10/06)タリバンがパキスタンでNATOの燃料輸送車を襲撃,1週間で4度目
「Al Jazeera」◆(2010/12/16)ICRC critical of Afghan conditions
「BBC」◆(2010/10/06)Nato supply lorries set ablaze by gunmen in Pakistan
「BBC」◆(2010/10/13)Nato troops killed in Afghanistan
「BBC」◆(2010/11/13)Taliban raid on Afghan Nato base
CRS@空挺軍 in mixi(2010年10月30日)◆
アフガン支援 ロシアは戦闘には参加しない
しかし麻薬問題に悩まされているため,軍は派遣しないが,ロシア麻薬流通監督庁の人間は派遣させるようです.
アフガン麻薬対策の新たな戦略作成を目指して
アフガニスタン麻薬製造施設 2年で2.5倍増
Россия и США в Афганистане
впервые оказались вместе
アフガン:ロシア麻薬流通監督庁が人員を追加派遣
「Foreign Affairs」◆(2012/06/09)#Algeria: #France’s Undeclared War -- a history of both countries.
「FSM」:A Third Surge?
>ザカリアのアフガニスタン政策に関する記事です.
「FSM」:アフガニスタンで日本がすべきこと,やってはいけないこと
「FT」:How Afghans can build a better future
「FT」◆(2010/04/03)Karzai attempts to repair relations with US
「FT」◆Taliban intensifies campaign in Kandahar
「FT」◆(2010/06/30)US marines target Taliban around Marjah
「FT」◆(2010/08/04)Taliban is winning Afghan war, says Zardari
「Global Security」:Afghan drugs: The contrarian view
「Global Security」:Difficult Prospects For Building Viable Afghan Army RFE/RL 01 Oct 2009
「Global Security」:Obama Still to Decide on More US Troops to Afghanistan VOA 03 Nov 2009
「Global Security」:One Tribe at a Time:
A Strategy for Success in Afghanistan [PDF]
http://www.globalsecurity.org/military/library/report/2009/2009_one_tribe_at_a_time.pdf
「Global Security」◆(2010/03/10)Kabul Stuck In Between U.S., Iranian Accusations RFE/RL
「Global Security」◆(2010/11/09)Afghanistan Strategy Review on Track for December AFPS
「Guardian」:Former army chief attacks government over Afghanistan troops request
「Guardian」:Redirect Afghan money, says UN aide
「Guardian」:US braced for Afghanistan protest
「Guardian」:We must fight on, says PM, as Afghan toll exceeds 200
「Guardian」◆(2010年01月29日)Afghan Taliban leader ready to end al-Qaida ties, says former trainer
「Guardian」◆(2010/06/20)Afghan advances 'escalate conflict'
「Guardian」◆(2010/10/25)Taliban peace talks are 'mostly hype'
「Guardian」◆(2010/11/27)The Taliban on life after occupation
「Guardian」◆(2010/11/27)US general approved talks with fake Taliban leader
「IISS」:15 Jul 2009 - - Reuters - 10-year Chinook saga grounds Britain in Afghanistan
「IISS」:28 Jul 2009 - - Guardian - David Miliband: give the Taliban fighters alternatives
「IISS」:14 Aug 2009 - - Politics.co.uk - Afghanistan victory an 'existential imperative'
「Jerusalem Post」◆(2012/07/02)American strategy in Afghanistan
flunks Sun Tzu
COINについて積極的な意見を書いていたジェンティールが,アメリカのアフガン・イラク戦略を孫子の『兵法』を引き合いに出して批判
「kojii.net」■(2010/08/02)WikiLeaks.org の文書流出事件で思ったこと
「net bunker」(2010/07/31)◆WikiLeaks,アフガン紛争に関連する大量の米軍機密文書を公開 - スラッシュドット・ジャパン
「NY Times」◆(2010/12/15)Intelligence Reports Offer Dim Views of Afghan War
「NY Times」◆(2010/12/16)Afghan Report Sees July Troop Pullouts Despite Perils
「NY Times」◆(2010/12/16)Taliban Extend Reach to North, Where Armed Groups Reign
「NY Times」◆(2010/12/19)A U.S. Crew’s Urgent Flight Into the Afghan Desert
「NY Times」◆(2011/05/01)Taliban Renews Offensive in Afghanistan
「Novosti」◆(2010/11/15)Russia,U.S.to pursue anti-drug effort in Afghanistan
「Registan.net」◆(2010/01/30)Everything tells us how to 'really fix' Afghanistan(by Joshua Foust,blog)
「Russia Now」◆(2010/12/09)RT Video: “If we destroy opium poppy fields, farmers will join the Taliban”
「Russia Now」◆(2011/01/20)Russia-Afghanistan: bilateral relations
「Russia Now」◆(2011/02/16)Afghan War Draws in China and Russia
「Strategy Page」:AFGHANISTAN: Fighting The Wrong War
「Strategy Page」:AFGHANISTAN: Follow The Money To Victory
「Strategy Page」:AFGHANISTAN: Nowhere To Run
「Strategy Page」:AFGHANISTAN: Something Is Happening Down There
「Strategy Page」:AFGHANISTAN: The Taliban Plan To Force Foreign Troops To Go Away
「Strategy Page」:AFGHANISTAN: The Troubles With Traditions
「Strategy Page」:NIGERIA: The Taliban Return
「Strategy Page」:(2009/12/22)AFGHANISTAN: Why The Russians Are Jealous
「Strategy Page」◆(2010/04/18)AFGHANISTAN: Taliban Frustrations
「Strategy Page」◆(2010/04/23)AFGHANISTAN: The Taliban Really Need A Win Here
「Strategy Page」◆(2010/05/03)COUNTER-TERRORISM: Afghanistan Becomes Haven for Foreign Refugees
「Strategy Page」◆(2010/05/17)AFGHANISTAN: Toxic Friendly Advice
「Strategy Page」◆(2010/10/06)AFGHANISTAN: Decline And Fungus
「VOR」◆(2012/02/23)アフガン大統領 抗議デモの停止を呼びかける
「VOR」◆(2012/03/15)タリバン 米国をボイコット
「VOR」◆(2012/04/15)アフガン元大統領の息子 対タリバン交渉の責任者に
「VOR」◆(2012/06/03)上海協力機構 NATO撤退後のアフガン安保措置を強化
「VOR」◆(2012/06/25)ロシア 2014年米軍アフガン撤退後 基地維持について説明求める
「VOR」◆(2012/06/30)アフガン物資輸送 NATO ロシア政府の決定を歓迎
「VOR」◆(2012/07/07)クリントン国務長官 アフガン電撃訪問 米国の重要な同盟国
「WP」:A Karzai Victory Is Just the Ticket for Regional Commanders
「WP」:Afghan-Pakistani Hostility Impedes U.S. Troops
「WP」:Afghan Reaction To Strike Muted
「WP」:For Pakistanis, a Fight Against Their Own
「WP」:In Afghan Stability, Abdullah Is Pivotal
「WP」:In Afghanistan, U.S. May Shift Strategy
「WP」:In Helmand, Caught Between U.S., Taliban
「WP」:In Pakistan, Militants Attack Army Bastion
「WP」:Obama Defends New Tack in Afghanistan
「WP」:Old Troubles Threaten Again in Bosnia
「WP」:Pakistani Pledge to Rout Taliban In Tribal Region Is Put on Hold
「WP」:Pakistan recaptures Taliban stronghold
「WP」:Pakistan To Pursue Taliban Leader
「WP」:Pakistan's Kiln Workers Bricked In by Debt
「WP」:Power Struggle Ensues After Taliban Chief's Apparent Death
「WP」:Report Details Misbehavior by Kabul Embassy Guards
「WP」:U.S. and Britain Again Target Afghan Poppies
「WP」:U.S. Deaths Hit A Record High In Afghanistan
「WP」:U.S. Military Leaders Discuss Troop Needs for Afghanistan
「WP」:U.S. Says Taliban Has A New Haven in Pakistan
「WP」◆(2010/02/25)Officials puzzle over millions of dollars leaving Afghanistan by plane for Dubai
「WP」◆(2010/01/31)U.S. makes small strides in getting Afghan army fighting fit, but hurdles remain
「WP」◆(2010.3.11)British official urges Afghan leaders to negotiate with Taliban
「WP」◆(2010/06/15)Pakistan rejects report saying nation's intelligence agency aids Afghan Taliban
「WP」◆(2010/08/23)Facing Afghan mistrust,al-Qaeda fighters take limited role in insurgency
「WP」◆(2010/09/27)Military thwarted search for Afghanistan options
「WP」◆(2010/10/30)Karzai demands investigation into NATO-led drug bust in Afghanistan
「WP」◆(2010/12/27)U.S. troops battle to hand off a valley resistant to Afghan governance
「WP」◆(2011/05/29)Taliban use inside jobs as new tactic in campaign against Afghan government, NATO
「WP」◆(2011/06/14)Focus of Afghan war is shifting eastward
「WSJ」:A Stable Pakistan Needs a Stable Afghanistan
「WSJ」:How to Win in Afghanistan
「WSJ」:Fighting a Smarter War in Afghanistan
Anne Marlowe
12/21/2009
「WSJ」◆(2011/04/26)【スライドショー】アフガニスタンで映画さながらの脱獄
「海洋戦略研究」◆(2010/10/14)米軍資金,タリバン系軍閥に流入
「国際情報センター」:(2010/1/19)アフガン情勢:タリバンのカブール攻撃,組閣など
「国際情報センター」◆(2010/08/04)アフガン戦争への米国内での支持
「国際情報センター」◆(2010/11/26)アフガン政府とタリバンの対話--詐欺
「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/06/28)アフガニスタン 京都でタリバンとカルザイ政権代表者が会議に同席
「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2013/04/05) アフガニスタン タリバン,カルザイ政権の外国部隊撤退を睨んだ動き 社会には変化も
「ザイーガ」:(2010年01月21日)【動画】テレビ生中継中に自爆自動車テロ(アフガニスタン)
「たむたむ」:2008年10月30日6月に実施したアフガニスタンの調査について
「地政学を英国で学ぶ」:ブレジンスキーのアフガニスタン戦争観
「地政学を英国で学ぶ」:ベイセヴィッチの分析とアフガニスタン戦略の提案
「東洋経済オンライン」:オバマ大統領の外交政策はリスクの高い賭け――イラクとアフガニスタンの両方で動きが取れなくなる可能性(上) (中) (下)
「日経」◯(2012/02/28) アフガン混乱,米の安保戦略に影 ,軍の早期撤収,治安改善が前提 アジア展開に支障も
「町山智浩アメリカ日記」◆(2010-04-29)レディ・ガガinアフガニスタン
「ワレYouTube発見セリ」:Bundeswehr Afghanistan - Wir sind wir
『アフガニスタン 祖国平和の夢』(遠藤雄介著,朱鳥社,2004.12.1)
【質問】
治安回復もできないアフ【ガ】ーン暫定政権に,意味はないのではないか?
【回答】
暫定政権ができれば,治安回復がすぐさまできると考えるほうがおかしい.
また,緊急援助と開発援助の間にはタイム・ラグがあり,その時間的ギャップを埋めるには,政府が実効的な支配力を持つよう,国際社会が育てなければならない.
緒方貞子も次のように説明している.
政府ができたからといって,それだけで平和が来るわけではないのです.
やはり,政府ができたら,政府というものが実効的な支配の力を持つように育てていかなければならない.
それと同時に経済的・社会的開発を通して,一般の人達の力をつけていかなければならない.
これが,このアフ【ガ】ーニスタンの問題を非常に特別な例として,今,私達が国際的にみんなで努力している理由だろうと思うのです.
〔略〕
緊急援助で,人は帰った.
しかし開発援助は,政府がきっちりできるまで出てこない.
その時間的なギャップをどう埋めるかという点では,大変な苦労をいたしました.
ですから結局,援助によって紛争が平和に向くのを進めていかなければならないのですね.
待っていたのではダメなのです.
(緒方貞子 from 「女性と復興支援」,岩波ブックレット,
2004/2/5,p.12-14)
+
【質問】
パキスタン諜報機関ISIはターリバーンへの支援を本当にやめたのか?
【回答】
2002年12月の以下の記事によれば,水面下で不穏な神経戦を繰り広げており,パキスタン側による,アフガンの不安定化を狙ったとみられるデマ情報の流布や武器密輸が後を絶たない.
そうです.
アフガニスタン パキスタン 水面下で神経戦
【イスラマバード=武石英史郎】
〔略〕
パキスタンは1年前まで,タリバーンを支援した因縁を持つ.アフガン新政権の誕生後,両国首脳は関係修復を強調しているが,パキスタン側がアフガンの不安定化を狙ったとみられるデマ情報の流布や武器密輸が後を絶たない.
〔略〕
15日,
「アフガン東部ガルデスで日本人とインド人が襲撃され,インド人が死亡した」
との情報がパキスタン側ペシャワルから流された.
2日後,ガルデスの軍閥司令部でカルナル・サマド副司令官は朝日新聞記者に対し,
「明らかなデマ.こんな小さな街で人が死ねばすぐに分かるが,誰も遺体を見たものはいない.
アフガンの不安定化を狙った,どこかの国の仕業だ」
と一笑に付した.
19日には,パキスタンの通信社が,
「アフガン側国境地帯で米兵とアフガン兵を乗せたヘリが撃墜され,30人全員が死亡した」
と配信.
先月には,ペシャワルの地元有力紙が,
「アフガン側で米兵40人が行方不明になっている」と報じた.
この間,米軍は
「7カ月ぶりに米兵1人が戦闘で死亡した」
と発表しただけだ.
こうした情報の発信地のほとんどがアフガン国境に近いパキスタン・ミランシャーとなっている.パシュトゥン人の諸部族が国境を自由に往来する部族地域の中心都市だ.
部族は敬虔なイスラム教徒で知られ,イスラム原理主義を説いたタリバーンやアルカイダに保護を与えたと見られる.
パキスタン紙の関係者によると,情報源は表向き国境を往来する部族民だが,国境地域で米軍のアルカイダ掃討作戦に協力しているはずのパキスタン軍情報筋も大きく関与しているという.
ガルデス近郊では3か月前,パキスタン国境からやってきたタンク車の中からカラシニコフ銃100丁以上が見つかる事件があった.
アフガン側は
「明らかに組織的犯行.パキスタンはいまだにアフガンへの野心を捨てていない」(サマド副司令官)
と批判する.
(朝日新聞大阪版,2002/12/26)
#なかなか面白い記事で,カルザイとムシャラフの写真が並んで出ていますが,ムシャラフのレベルでこんなことをするのは非合理的なので,記事にも出てくる「パキスタン軍情報筋」,つまりISI内部にまだ未練をもつ連中がいるのではないかと思います.ミランシャーはホストから東に国境を越えたところ.
また最近〔2002年12月頃〕,東部クナル州で米軍が掃討作戦をしていますが,この州はパキスタンのトライバルエリアではなく,北西辺境州と接しています.
北西辺境州では最近の選挙でイスラム主義勢力が政権を取ったので,その関係でかくまわれているタリバン残党の活動が活性化しているのかもしれません.
ただ,これらはアフガンの治安部隊にとっては厄介な相手ですが,大勢に影響を与える可能性は小さいでしょう.
アフガニスタン内に支配地域を獲得するほど集結すれば,米軍にとっては飛んで火に入る夏の虫のようなもの.
要人の暗殺には警戒する必要がありますが.
また,2004/11/22発売の米誌「タイム」によれば,今も支援しているとされています.
同誌によると,
複数の元ターリバーン兵は,パキスタンの情報機関,3軍統合情報部(ISI)の大佐数人が,宗教学校やモスク(イスラム教礼拝所)を通じ,旧ターリバーン関係者に資金援助していると証言した.
旧タリバーンの古参指揮官は
「ISIはターリバーンがどこにいるか知っており,1日で我々全員を逮捕できるだろうが,我々の邪魔をしない」
と語った.
とのこと.
パキスタンでは国防は軍部の専管事項であり,大統領ですら容易には干渉できません.
また,その軍部内には相当数のイスラーム過激原理主義シンパがいるとされています.
したがって,強力な圧力をかけない限り,支援が止まることはないのですが,パキスタン軍は核を保有していますので,圧力のかけ方が非常に難しいところです.
【質問】
アフ【ガ】ーニスタンはどの程度安定しているのか?
【回答】
2005/7/7,米国防総省が行った,アフガン情勢に関する報告によれば,安定化の兆候が見えるとしている.
テロ勢力が根を生やすことができないようにするため,道を作り,井戸を掘り,学校を作り,病院を作り,獣医を増やし,治安維持を拡大するなど,アフガンという国自体を発展させる政策が実を結んできているとのことです. 治安維持面では,NATOのISAF(国際治安支援部隊)がカブールとアフガン東部 で展開しており,約8000名の部隊はアフガン国軍・警察とともに地域の安定に貢献しています.
タリバン支持者のアフガン政府への取り込みも拡大しており,カルザイ大統領 が,テロではなく政治活動のなかで主義を主張するよう彼らを導いている事例 を,当局はアフガン情勢の沈静化成功のひとつの兆候と見ています.
「今は勝利を宣言し,アフガンから撤退する時期ではない.
敵はアフガン政府を叩き,連合軍に対し小規模攻撃を加えることだけが自分達の生き残る道ということを知っている.彼らは国際社会が忍耐を失うことを期待している」
と国防総省関係者は語っています.
9月の選挙に向けて,タリバーンとアル・カイーダネットワークが有権者への脅迫という手段で攻撃をエスカレートさせると米国防総省は見ており,タリバー ンには戦闘継続を主張するコアグループがあることから,現在同地で展開中の 19000名規模の軍部隊には,今後も継続して攻撃任務に当たらせるとのことです.
プレゼンスを発揮しつつあるアフガン国軍は,連合軍とともに任務に当たりま す.
07年9月までに70000名規模となる予定です.
また,アフガン警察は06年10月までに現在の約40000名から62000名規模を目指すとのことです.
(American Forces Press Service
& おきらく軍事研究会)
また,ジャーナリストの桃井和馬は,次のような面白い視点から,この疑問にアプローチしている.
その社会がどれほど安定しているか,バロメーターとなるのは,華僑が経営する中華料理店だ.
中華料理店は世界中どこにでもあると言われるが,一つの戦争が終結する兆しを見せた場合,真っ先に投資を再開するのが世界に散らばる華僑なのだ.
彼らは,変化する社会情勢を裏情報まで含めて敏感に嗅ぎ取り,確実に回収できる投資額をしたたかな計算の上で決定する.
それゆえ,一つの社会を見る目は,政治評論家やジャーナリストよりも,時に鋭い.
カブールにも今年になってから一軒の中華料理屋がオープンした.
ここでチェックすべきは料理の値段と,食器,そして内装である.
この店は一回の食事で日本並みの料金が取られる.
地元のアフガン人が到底利用できる店ではない.客層は各国の政府・援助関係者が中心だった.
しかし一方で,使われる食器を見ると,どこからか集めてきた有り合わせのレベルでしかなく,ほとんど内装らしい内装がない店内は,狭い学校の教室にテーブルを並べた程度だ.
つまり,この店の華僑オーナーは,一応店はオープンしたが,高い値段の料理で一気に儲け,その後はいつでも撤退できるだけの投資しかしていないのである.
いつ,何度着崩れるとも知れない,かりそめの平和.
それがアフガニスタンの偽らざる今の姿だった.
( from SAPIO 2003/10/22号,小学館,p.53-54)
2005年の,NGOの証言.
(ただ,〔アフ【ガ】ーニスタンで〕ギターのケースを持って歩くと,中にロケット弾でも入っていると思われたのか,夜などはあちこちで警官に銃口を向けられた.あれにはまいった).
(今川夏如著「トモダチニナルタメニ」,新日本出版社,2005/8/20,p.24)
マザーリシャリフ〜ヘラートの間にある,アルマールという町の状況.
「でも町を歩いてみたけど,危険だとは思わなかったですよ」
と僕は〔警察〕署長に言った.
「昼間は大丈夫,ノープロブレムだ.
でも夜は危険なんだ.我々も注意している.
それを教えるために,彼ら〔警察官〕は君をここに連れてきたんだよ」
〔略〕
それから僕らはお茶を飲みながら話をした.なんだかんだ言って,署長は珍しい外国人と話がしたかっただけなのかもしれない.
(三井昌志著「素顔のアジア」,ソフトバンク・クリエイティヴ,
2005/10/15,p.201-202)
治安に敏感な民間企業の中には,工場建設を行う企業も出てきた.
<アフガン>カブール郊外でコカ・コーラ生産
【テヘラン春日孝之】アフガニスタンの首都カブール郊外で10日,コカ・コーラ生産工場の落成式があった.
同国でのコカ・コーラ生産は,10年余り前の内戦時代に工場が破壊されて以来となる.
工場は,ドバイ(アラブ首長国連邦)を拠点にするアフガン民間人が2500万ドル(約30億円)を投資し,建設された.
しかし,アフガン復興は国際社会の支援に大きく依存しており,カルザイ大統領は式典で「さらなる民間投資の起爆剤に」と期待を表明した.
〔略〕
結論として,「2005年頃までは足元の危うい小康状態だった」と見るのが妥当なように思える.
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
緒方貞子氏がアフガンを視察して状況は良くなっていると言っているが,それはお膳立てされた視察で,カブール付近に限ってのことだろう.
(小林よしのり from SAPIO 2003/8/20 & 9/3合併号,小学館,p.78)
【ツッコミ】
「ソマリア,ルワンダ,バルカンと,この世の地獄を渡り歩いて実績を積み上げて来た緒方貞子女史が,ちょっとやそっとのカムフラージュで騙されるものか.土井たか子じゃあるまいし」(エセ保守監視小屋)
という意見もありますが,いずれにせよ,何か根拠があっての記述とは思えません.
国際協力銀行が出している報告書によれば,
「アフ【ガ】ーンは失敗国家であるという見方は,過去のものになりつつある」
と述べられており,緒方の見方を裏付けているのですが…….
小林のアフ【ガ】ーンに関する見解は,「新ゴーマニズム宣言13・テロリアンナイト」を見れば分かるように,ペシャワール会・中村医師の受け売りです.
その中村医師にはかつて,朝日新聞紙上での討論会において,
「ターリバーンに女性差別はなかった」
と発言,それを緒方に
「ターリバーン政権が女性に抑圧的だったのは間違いない」
とたしなめられ,沈黙した,という出来事があります.
とすれば,小林の見解が緒方に対して否定的になるのも,自然の成り行きかもしれません.
ところでSAPIOで,「印象」だけで先導する人/マスコミを批判している人物がおりますので,その言葉を引用しましょう.
明らかに政策が失敗していて,政策の一つ一つに反対のほうが多くなっていても,それでも小泉の支持率は高いのである.
これはどういうことだ!?
他に「印象」がいい政治家がいないからだ.
ただそれだけ.
〔中略〕
「印象」だけ!
「印象」だけでずるずると日本の構造を壊滅させるように大衆を先導しているのは,結局,マスコミである!
(小林よしのり from 「SAPIO」,2003/6/25, p.60-62)
「お膳立てされた視察で,カブール付近に限ってのことだろう」と根拠もなく,印象だけで物を述べている小林よしのりは,小林よしのりに批判されてしかるべきでしょう.
【質問】
アフ【ガ】ーンで連合軍に対する攻撃が増加しているのは何故か?
【回答】
2005/7/7,米国防総省が行った,アフガン情勢に関する報告によれば,理由は以下の2点です.
1.中央アジアでは,歴史的に見て厳しい冬のあとの「夏」が戦いの季節.
1.アフガン議会選挙へのプロセスが予定通り進んでいる.昨年10月の大統領
選挙には850万人が投票しており,国会・地方議会選挙は,今年9月18日に予定
されている.
アフガン政府当局は,選挙を通じてアフガン国民が,
「タリバンやアル・カイ ーダなどが主張する極端な原理主義には共感しない」
との姿勢を示すであろう と期待しているそうです.
(American Forces Press Service
& おきらく軍事研究会)
【質問】
アフ【ガ】ーニスタンは今も内戦なの?
【回答】
危険な状況にあるが,辛うじてまだ内戦とは言い難い.
まず,世界銀行の認定している「内戦」の定義は
1,戦闘関連の死者が,各当事者側の5%以上を含む1,000人以上である.
2,その戦争が国際的に認知された国家主権を脅かしている.
3,その戦争が認知された国境内で起きている.
4,その戦争に国家が主たる当事者として加わっている.
5,反乱軍は国家に対して組織化された軍事力を行使し,政府軍に多大な戦死者を出している.
(軍事板)
「内戦は存在が確認できる叛乱組織が軍事的に政府に挑戦するときに発生し,それに伴う暴力の結果として,戦闘関連の死者が,各当事者側の5%以上を含む1,000人以上であるもの」としています.
(少なくとも世銀の定義はこれ)
世界銀行の発行している「戦乱下の開発政策」という本は,結構そう言った内戦の経済的コスト,社会的コストについて触れている,役立ちそうな本です.
さて,現在のターリバーンの活動を見ると
1.△ 死者は千人以上出ている.しかし,当事者の5%を越えているかどうかは「?」.死者の多くは当事者とは関係のない,市民や外国人NGO関係者.
2.△ カルザイ政権を脅(おびや)かし始めている.
3.○ アフ【ガ】ーン南部で戦闘が発生している.
4.○ 新生アフ【ガ】ーン政府が主たる当事者となっている.
5.× 数百人規模での攻撃もあるが,多くは小人数.米軍・政府軍の死者も,一度の戦闘で2桁を数えることは滅多にない.
すなわち,甘く見積もっても定義の5が適合しない.
ゆえに内戦より一段低い,「紛争」のレベルと考察される.
それでも,2003年頃の状況よりは悪化しており,このまま悪化し続ければ間違いなく内戦になるだろう.
【珍説】
以下の事件は内戦の証拠.
<アフガン>カブール住宅地にロケット砲,1人死亡
アフガニスタンからの報道によるとカブール中心部の住宅地に18日夜,ロケット砲が着弾し住民の女性1人が死亡した.
同地域へのロケット砲攻撃はしばしば起きているが,住民に死者が出たのは初めて.
ロケット砲は射程が5キロから15キロほどのもので,市の周辺部から発射されたと見られる.
【事実】
それなら東京も,しばしば金属弾が飛ぶから内戦状態?(笑)
テロだけじゃ内戦とは言えないんだけどねえ.
じゃあ,このところテロが頻発しているサウジアラビアは内戦か?エジプトは内戦か?って話になっちゃうしねえ.
【質問】
軍閥同士のたまの小競り合いて,普通の国でんなことありえねーよ.
それって内戦じゃねーの?
【回答】
1930年代の中国の軍閥はしばしば小衝突を起こしたけど,この時代を中国内戦と呼んでいる歴史書なんて見たことないけどねえ.
奉直戦争や安直戦争の前は,ちょくちょく軍閥同士の小競り合いが起こっているんだけどねえ.
今ちょっと手元にないけど,「中国的天空」(サンケイ出版,1981年)とか読んでみたら〜?
また,北アイルランドではIRAとアルスター警察が小衝突を繰り返したけど,これも北アイルランド内戦なんて言葉は知らないねえ.
ソ連があった頃,カフカス地方ではしばしばKGB部隊と抵抗勢力との衝突があったけど,誰かソ連内戦なんて言っていたっけねえ?
モロ解放戦線やアブサヤフなどが活動しているフィリピンを,誰か内戦と呼んでいるのかねえ?
以下省略〜
そんなわけで,その主張は根拠がないんで,別の主張探してきてね〜.
【珍説】
タリバーンは,アフガン全土を再び解放して,イスラム国家を再建するのをぜんぜん諦めていないわけだから,明確に「内戦」だろうな,どう考えても.
【事実】
その論法が仮に正しいとすると,
「核マルは赤色革命を諦めていないから日本は内戦だ」
ということにもなってしまうわけだが.
【珍説】
ライス国務長官も次のように「内戦だ」と言っている.
米国務長官「米国はアフガンに長期的責任」
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20050317AT2M1702D17032005.html
【ニューデリー=山田剛】アジア歴訪中のライス米国務長官は17日,アフガニスタンの首都カブールに到着し,アブドラ外相やカルザイ大統領らと会談した.同長官は会談後に開いた大統領との共同記者会見で,米政府がアフガンの内戦やイスラム原理主義の台頭を見過ごしたことに遺憾の意を示すとともに,
「我々はこの国に対して長期的な責任がある」
と述べ,米国が今後もアフガンの復興や安定化に全力を挙げる考えを強調した.
〔後略〕
以前アフガニスタンが内戦状態にあることを必死に否定していたやつがいたっけ.
だれとはいわないけどね.お久しぶり.
【事実】
その記事の「内戦」って,
「アフガンの内戦やイスラム原理主義の台頭」
と並べて書いてあることから見て,ナジブラー政権が倒れた後の内戦のことを指しているのが明白なんだけどねえ.
あわてんぼさんだねえ.
以前「これが内戦のソースだ!」と言って,内戦になっているとは書いてない英文ソース引っ張ってきて,自爆した奴がいたっけ.
だれとはいわないけどね.お久しぶり.
【珍説】
警察官が誘拐されて処刑されているのは,内戦である証拠.
<アフガン>タリバンが地元警察幹部ら警官8人を処刑
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050620-00000106-mai-int
アフガニスタンのイスラム原理主義武装組織タリバンは19日,ロイター通信に対し,同国南部カンダハル州で拉致した地元警察幹部ら警官8人を処刑したと明らかにした.
8人はほかの警官23人とともに16日,同州で襲撃を受け拉致された.
タリバンのハキミ報道官は,「8人に対しイスラムの宗教指導者が死刑を言い渡した」と述べた.
【イスラマバード支局】
(毎日新聞) - 6月20日20時46分更新
【事実】
じゃあネパールも内戦なのかねえ?
ネパールも確かにシャレにはならない事態になりつつあるけど,これを内戦呼ばわりする専門家は見たことないけどねえ.
【珍説】
アフガンには,統率されてない武装組織が1000もある.
それこそ内戦じゃん.
【事実】
ふーん,じゃあミリシアがたくさん国内に存在するアメリカは内戦なんだあ? シラナカッタヨー.
【珍説】
他国に難民キャンプがあることは,その国が内戦中である証拠.
【事実】
http://www.unhcr.or.jp/ref_unhcr/refugee/ref.html
>今日,難民とは,政治的な迫害のほか,
>武力紛争や人権侵害などを逃れるために
>国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになっている.
難民と聞いて内戦しか思い浮かばず,政治迫害などを思い浮かべないのは,ちょっと不勉強が過ぎるんじゃないかねえ.
このくらい,国際情勢を語りたいなら常識じゃないのかねえ?
「ヘリが空爆したら内戦」とか
「警官が拉致されたら内戦」とか
「武装勢力がいるから内戦」とか
浅墓過ぎるよーん.
そのうち,箸が転げても「内戦」呼ばわりしそうで愉快だねえ.(笑)
「内戦の定義」が「難民がいること」とはすごいなぁ.
難民は広義では「天災で被害を受けた人」を含みます.
これに従えば,こないだの津波で大勢の被災者を出した東南アジア各国は全部内戦中になってしまうな.
…ん? こないだの新潟地震やら大雨で被害者が出た日本も「内戦中」じゃないか!
この定義に従えば,世界中の国は内戦をやっていて,平和なのはバチカン市国くらいになってしまうぞ.
ちなみに,google検索で見つけた内戦の定義↓
http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron090.pdf
(極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS)
【珍説】
少なくとも,2001年のアフガン戦は内戦だったぜ完全に.
【事実】
「戦争」と表現している専門家やジャーナリストなら幾人も知ってる(ラシッド,グリフィン,ユサフザイ,ボダンスキー,松井,佐藤,田中,斉藤,不肖宮嶋,などなど)けど,「内戦」と表現している香具師は誰かいるのかねえ?
次に,地上戦こそ北部同盟軍が主体だったものの,米軍の空爆なしには,臆病なファヒーム(マスードの後継者)は動こうとはしなかったし,ドスタム軍だってロシア製兵器を米軍経由で提供されて初めて攻勢に出る事ができたわけだしねえ.
つまり攻勢の主体が米軍であり,北部同盟軍は手足に過ぎなかったわけでねえ.
例えば第1次アフhガーン戦争では,シャー・ジュシャーの軍隊やインド植民地兵を合わせれば,生粋の英国人兵士より侵攻兵力としては多いわけだけれども(Sir M. Ewans 「アフガニスタンの歴史」),英国政府が決定し,英軍がそれら傭兵より指揮権上位にあったわけだから,「アフガーンvs英国の戦争」と普通言われるわけだよねえ?
だから
>2001年のアフガン戦は内戦だったぜ完全に.
という表現はおかしいんだけどねえ.
ついでに言うと,一説によれば2001年当時,タリバーンの兵力内訳は
アフガーン人20%
パーケスターニー(パキスタン人)40%
アラブ人40%
だったそうだから,単純に「兵力が多かった国の国籍だけで判断していい」なら,「アラブ・パキスタン連合vsアフガーンの戦争である」なんて言えちゃったりするわけで,タリバーンがいくらパキスタンの支援を受けていたと言っても,これはどう考えても実態を反映しているとは思えないわけだしねえ.
さらに言えば,
パーケスターニー(パキスタン人)40%
の中に北西辺境州のパシュトゥン人もかなり含まれていそうだから,その勘定をどうするかによっても変わってくるしねえ.
【珍説】
くだらんアフガンへのオマージュは捨てろ.虚しいだけだぞ.
【事実】
お前は,内戦のソースを出せと言われて出したソースが,どれも「内戦手前である」みたいな記事で,恥をかいた人?
ま,今度は自信満々のようだから,内戦になっているというソースを出してみればあ?
俺は何が何でも内戦を否定するわけじゃないよー.
俺は前から,ちゃんと信頼に足るソースを出してくれれば納得すると言っているけどねえ.
つーか普通,誰でもそうだと思うけどねえ.>信頼に足るソース
だから,アフhガーンが現在内戦であると表現しているサイトなり文献なりのソースを出してくれ,とずーっと言っているんだけどねえ.そのソースの信憑性によって判断したいからねえ.
「なんとなーく俺は○○○だと思っているから,お前も○○○だと思え」
じゃ,世間じゃ通用しないよ〜.
例えば,根拠不明な論文を書いたら,教授連中に「根拠は何だ?」とか質問されるんだけど,お前はそのたびに,根拠は答えずに教授に食ってかかるのかねえ?
【質問】
今後とるべき対アフガニスタン戦略は?
【回答】
対暴動のスペシャリスト,デヴィッド・キルカレン(David
Kilcullen)によれば,
1,国家建設
2,対暴動
3,海外でのテロ活動防止
だと言う.
ちなみにキルカレンはペトレイアスの下で「サージ」を提案したオーストリア軍の専門家で,その後,ライス国務長官(当時)のアドバイザーにもなった.
詳しくはブログ「地政学を英国で学ぶ」,2008/11/22付を参照されたし.
もっとシンプルに「やるべきことをやれ」で済むのでは?(笑)
デヴィッド・キルカレン
【質問】
基本的な質問で申し訳ないんですけど,どうしても分からないので.
アフガニスタンで戦う必要はあるんでしょうか?
放っておいたっていいんじゃないんでしょうか?
【回答】
今まさにその問題が論じられている.
だが,基本的にアフガニスタンでの戦火は,パキスタンに飛び火する可能性があると,世の中の人は判断しているようだ.
ちなみにパキスタンは核を保有しており,隣国のインドとは独立以来の緊張関係にある.
一方の国で大規模なテロが起きれば,他方でもテロが起きるといったように,火種は絶えず生まれているし.何よりカシミールなど広大な領土問題(北方領土の比ではない)を抱えている.
また,ロシアとの緊張関係を米国は抱えている.
今,対話路線をオバマ政権は試みているが,アフガニスタンへロシアが手を出すことを米国は快くは思わないことは確か.
それに,米国の威信というものもある.
一度手を出して中途半端に安定させず手を引けば,次の戦争にうなづく国も減るというもの.
それでなくてもイラク戦争で,NATO諸国のうち米国主導の有志連合軍に兵を出したのは,特別な関係にあるイギリスを除けばポーランドやグルジアといった旧ソ連圏諸国だった.
これに対してアフガニスタンでは,NATOが主導して部隊をだしているISAFがある.
軍事板
青文字:加筆改修部分
また,現状のままで手を引けば,アフ【ガ】ーニスタンは破綻国家に逆戻りする可能性が高い.
そうなればまたイスラーム過激原理主義者の聖域化し,テロリストの出撃基地になりかねない.
そうなった場合は,核兵器保有国であるパキスタンへの,イスラーム過激原理主義の浸透ぶりから考えると,核兵器テロが起こる可能性がぐっと高まる.
そうでなくても中央アジア全体が不安定化し,中央アジア・カスピ海沿岸地域に豊富な石油・天然ガス資源が,危険に晒される可能性が増す.
【質問】
ターリバーンは再結集しつつあるのか?
【回答】
当初,ターリバーンは,依然として麻薬組織やテロ組織の支援を受けているものの,大規模な攻撃を行う力も能力も持たなかった.
しかし,イラク戦争と平行するように,ゲリラ攻撃の頻度は増え,規模も数百人規模になってきたという.
以下引用.
ターリバーンは再結集しつつあるのか?(ユーラシアネット)
アフガニスタンから放逐されたターリバーン政権の残党は,地域を不安定化させる力があるのだろうか.
最近のターリバーンの頻繁な攻撃を非難しつつも,アフガンの政権当局者は,この集団がこの国の状況に対して重要な影響力をもつことができるかについて疑問を呈した.
サイード・イシュロク・フセイニはアフガン暫定政権の政治宗教問題局長を務める.
彼は自由ヨーロッパ放送に対して,ターリバーンはこの国の親米勢力に対する攻撃や,空港や政府庁舎へのロケット砲やミサイルでの攻撃,学校の放火,橋の破壊などの暴力活動を行う資金を,依然としていろいろな源から得ていると思うと述べた.
「ターリバーンはもはや,強いリーダーシップを持つ組織され強力な集団ではなく,地域の状況にインパクトを与える力はない.
しかし,ターリバーンはかつてこの国を運営しており,その指導者たちは麻薬密売人や国際テロ・ネットワークとつながりを持っている.
これらが現在はターリバーンに資金援助している.
これに加えて,アフガニスタンの不安定化に関心をもつ国外の勢力も,ターリバーンに資金を供与している」
アフガン当局者はターリバーンとアルカイダ・テロネットワークの残党は最近,その活動を他の過激武装集団と協調して行うようになったと述べている.
その中にはアフガンの元首相グルブディン・ヘクマティアルの支持者も含まれる.
彼らはこれらのグループがパキスタン国境周辺地域に安息地を見出し,その活動はパキスタンから編成されていると考えている.
先週にはサイフ・ウル・ムスリミンと名乗る正体不明の組織が,ジャララバード空港へのミサイル攻撃の犯行声明を出した.
パキスタンのペシャワールへファックスで送られたメッセージで,この集団は,アフガニスタンに駐留する外国軍隊に対してさらなる攻撃を実行する,と約束している.
アフガニスタン移行政権のサイード・ファズル・アクバル報道官は,ターリバーンはターリバーンの役割を軽視して,ターリバーンは大規模な攻撃を行う力も能力も持たないと言う.
「ターリバーンからの組織された攻撃は1つも見ていません.
いるのは小グループで,それぞれは15人か20人のメンバーしかいません.
アフガン軍と国際合同軍はこれらの集団を粉砕しつつあります.
彼らは[本当の計画はなく]テロ攻撃をここかしこで行うだけしかできません」
〔略〕
ターリバーンや他の過激集団については,アフガン当局者は,強硬派が権力を再び得るチャンスはない,アフガン民衆の支持がないからだ,と述べている.
Farangis Najibullah, A Eurasia Net Partner Post from RFE/RL, :4/20/2003
翻訳: HN "533" in 軍事板
http://www6.plala.or.jp/zephyrd/1047657279.html
ただし,当局者側の見解であることに留意しておかれたし.
2005年頃の報告によれば,攻撃頻度は増えてほぼ毎日となり,その規模も数百人レベルのものであることがあるという.
この同盟軍やそれに協力する地方軍閥への攻撃は,当初,小人数による散発的なものであった.
しかし,ブッシュ政権がイラクへの圧力を強めていくのと比例するかのように,テロ撲滅同盟軍や協力軍閥への攻撃の頻度は多くなっていった.
2003年に入ると,ほぼ連日のように攻撃が行われるようになっていた.
そして米国主導のイラク攻撃が開始されると,反政府勢力の攻撃目標が拡大していくと同時に,攻撃自体も大規模化し,組織化されていった.
〔略〕
このような小人数のゲリラ的襲撃による標的拡大に加えて,6月頃からは南東部を中心にして,数十人または数百人規模での活動が報じられるようになった.
特に8月になると,パクティカー州やウルズガーン州では,200〜400人規模の反政府勢力が,政府や警察の建物を一時占拠する事態にさえなった.
また,ザーブル州では,600人規模の反政府勢力が立て篭もっているとされる地域への大規模な掃討作戦が行われた.
そのザーブル州の副州知事は,12月11日に,
「同州の幹線道路沿いを除く地域は,中央政府の指揮下にない」
とさえ発言する状況になっている.
パシュトゥーン地域の一部は,掃討深刻な事態になっているのは間違いないようである.
柴田和重 from 「ハンドブック現代アフガニスタン」(明石書店,2005.6.25),p.79
一方,逆の見方をする見解もある.
アル・ナブルシによれば,引退したテロリストにまでターリバーンは復帰を呼びかけており,これはターリバーンの苦しさを示すものだという.
以下引用.
改革派知識人アル・ナブルシ(Dr.Shaker Al-Nabulsi)は,改革派のサイト
http://www.metatransparent.com
及び
http://www.elaph.com
.で,
〔略〕
「アル・カータニ(Muhammad Al-Qahtani)は老トルのテロリスト達(テロリスト予備)に対し,アフガニスタンからアメリカ人を駆逐するため,現役<eロ隊へ復帰せよと呼びかけている.
国家レベルでいえば,予備役まで動員をかけるのはどういう事態に追いこまれた時か」
と問いを発している※2.
※2Al-Qahtaniはムハンマドのほかアブ・ナセルという別称も持つ.2005年7月アフガニスタンのイラク囚人収容所から脱走した男である.
いずれにせよ国際社会の関心が,再び強くアフ【ガ】ーニスタンに向くことが早急に望まれる.
【質問】
アフ【ガ】ーン人は,一部の者が主張しているように,本当にターリバーン時代を懐かしんでいるのか?
【回答】
世論調査を見た限りでは,4分の3以上が「現在のほうがよい」と考えているようだ.
以下引用.
Poll: Four Years After the Fall of the Taliban, Afghans Optimistic About the Future
ターリバーン政府崩壊から4年,アフガニスタン世論調査では将来を楽観する声
ABCニュースがアフガニスタンで行った世論調査によれば,アフガニスタン国民が国の将来に 明るい見通しを持っていることがわかった.
77%の国民が国は正しい方向に向かって進んでいると答え,現在の政府がターリバーン政府より良いとする国民は91%にのぼる.
87%の国民が,アメリカの主導した,ターリバーン政府からの政権交代を支持するとしている.
85%の国民が,現在の暮らしはターリバーン政府時代より良いとし,80%が政治活動や言論の自由を評価するとしている.
75%の国民が,犯罪などからの安全確保がターリバーン時代より良いと答えた.
アメリカの行動について一般的に支持が広まってはいるものの,10人の中の3人はアメリカ軍へのゲリラ攻撃は正当化し得ると答えている.
現在18000人のアメリカ兵がアフガニスタンに駐留しており,アメリカ軍へのテロ攻撃はなくなってはいない.
アフガニスタンでは250人あまりの米兵が殺されてきた.
アフガニスタンへの脅威となる者は何か?との問いには,
41%がターリバーンを,
28%が麻薬商人を,
22%が地方軍閥を
あげており,アメリカとの答えは4%,現在の政府との答えは2%に過ぎない.
女性の社会的地位については,89%が女性の投票権を支持し,66%は特に強く支持すると答えている.
10人の中の4人は,女性が家庭外の仕事を持つことを支持するとしている
(後略)
【質問】
パキスタン,トライバル・エリアはターリバーン寄りなのか?
【回答】
そうとも言えない.
2008年11月2日8時1分付,産経新聞によれば,自分たちの住む地域に先頭を持ち込まれたことに対する,地元住民のターリバーンへの不満は根強く,9月頃から「ラシュカル」(武装する人)と呼ばれる数十人から数千人単位の自警団が各地に乱立しているという.
自警団は9月初めには,バジュール地区の過激勢力の民家など35棟を,2日間に渡り焼き打ち.10月も同様の攻撃が相次ぎ,携行式ロケット砲を使用した拠点攻撃もしているという.
ただし,部族地域への空爆を激化させる米軍に対しても部族民たちは反発しているという.
詳しくは同記事を参照されたし.
イラクでは過激原理主義武装勢力と米軍とが嫌われ者競争を行っていたような観があったが,それがトライバル・エリアでも繰り返されている模様.
ちなみに「ダリー語会話帳」では,ラシュカルは文字通り「軍隊」と翻訳されている.
「武装勢力」全般を指す,広い意味を持つ言葉であるようだ.
【質問】
治安部隊に対するターリバーンの主要戦術は?
【回答】
細く,曲がりくねった山道に,巨岩を転がしたり木を倒したりして,敵の車列を止め,車輛の乗員が下りるところを待ち構えて発砲するもので,ムジャヒッディーンが用いたものと同じようなものだという.
たとえば2005/10/10〜11,ターリバーン兵60名が周囲の岩陰に身をひそめ,山岳の小川を渡ろうとスピードを緩めたアフ【ガ】ーン警察の車列に対し,一斉に発砲.
彼らの武器はAKと旧ソ連時代の重機関銃だけだったが,集中射撃により,警察車輛4両を大破させたという.
詳しくは
『最新コンバット・バイブル』(クリス・マクナブ&マーティン・J・ドハティ著,原書房,2008.5.10),p.93
を参照されたし.
【質問】
ムサカラ奪回作戦とは?
【回答】
2007/12月に行われた,南部ヘルマンド州でのターリバーンの拠点ムサカラに対する奪回作戦.
ムサカラは,ケシの栽培地として知られる同州北部の町.
2006年,英軍が治安権限を地元長老に移譲して撤退したが,2007年2月からタリバーンが支配していた
アフガニスタン国防省の報道官は,10日,同市を「完全に占拠した」と発表したが,同報道官によれば,市内ではその後も戦闘が続いたという.
【参考ページ】
2007/12/10,CNN
【質問】
「パキスタン・ターリバーン運動」(TTP)とは?
【回答】
ターリバーンと共闘関係にある武装グループ.
パキスタン政府は2008年5月,パキスタン人民党(PPP)のギラニ首相が,ターリバーンとと対話実現で合意. しかしその後,政府がTTPを非合法化したことで,対話路線は破綻(はたん)し,戦闘が激化した.
部族地域では,住民の間で激しい反米感情がわきあがっており,TTPは若者らを洗脳し,多くの自爆犯を組織的に育てているといわれる.
【参考ページ】
2008年9月21日22時43分,産経新聞(菅沢崇)
【質問】
アフ【ガ】ーニスタンのターリバーンと,パキスタン・ターリバーンには,どのような違いがあるのか?
【回答】
2009/5/14付,MEMRIによれば,アフ【ガ】ーンではタジク人やウズベク人は,ターリバーンへの参加を許されなかったが,パキスタンではターリバーンは同国内諸集団と手を組み,多人種・多国籍運動に変っているという.
カシミールの反インド過激組織や,パンジャブ人組織,ラシュカレ・タイバやハルカトル・ムジャヒディンなどの,40ほどの集団がゆるい連携関係にあるという.
その結果,ターリバーン運動の主導権は今や,パキスタン・ターリバーンが握っていると,MEMRIは述べている.
詳しくは同ページを参照されたし.
ただし同ページでは,
>2001年,アフガニスタン・タリバンはパキスタンへ逃げた.
>パキスタン・タリバンは,以前政治的影響力を殆んど持っていなかったが,
>このアフガン・タリバンの受入れ者となり,その支援の故に多額の金を手にした.
といった,疑問の余地のある記述も見られるので,信頼性に関しては要クロス・チェックというレベルであろう.
【質問】
ターリバーンがパキスタンにおいて目指しているものは何か?
【回答】
パキスタンのコラムニスト,ナジール・ナジ(Nazeer
Naji)が,発行部数の多いウルドゥ語紙ルーズナーマ・ジャングにて述べるところによれば,パキスタン全土をターリバーンの統治下に置き,イスラーム核大国を樹立することを試みるだろうという.
彼らはそのために主要都市に過激派系のマドラサを置き,また,
「事情に通じたジャーナリスト,ハミド・ミル(Hamid
Mir)は今日掲載されたレポートで明らかにしたところだと,タリバン指導部は戦士のイスラマバード派遣を決定し,連邦首都(イスラマバード)のイスラム学者たちに対し,タリバンを支援するか,さもなければイスラマバードを離れるよう警告した.
タリバンは,自分たちに支援を拒絶するイスラム学者の名前を襲撃リストに挙げたという」
ナジ曰く,
「(今,パキスタンでは多くのムスリムが同胞の)ムスリムによって殺害されている.インドのヒンズー教徒ですら,これほど多数のムスリムを殺害したことはない」
詳しくはMEMRI,2009/3/13付を参照されたし.
【質問】
北ワジリスタンの越境テロ防止フェンスとは?
【回答】
2007/5/10,パキスタンの軍報道官が完成を発表したもので,部族地域北ワジリスタン地区の国境沿いに,約20キロにわたって作られたという.
しかしその後もターリバーンによるアフ【ガ】ーニスタンでのテロは沈静化していないところから見て,大して意味のある工事ではなかった模様.
【参考ページ】
2007年5月11日15時58分,産経新聞(by 岩田智雄)
▼ 【追記】
昨年,アフガンとの国境地帯で,過激派テロ勢力越境阻止目的でパキスタンが設置を始めたフェンスについて,設置計画が中止されていたことが二十九日時点で判明しました.
パキスタン軍高官の発言ということですが,両国国境地帯で勢力拡大を図っている過激派テロ勢力に対するパキスタン・アフガンの協調は進んでいないようです.
⇒ 表向きは,現在の国境を認めていない,アフガンの抗議を受けてのものということですが,そんな馬鹿な話はないでしょう.
何らかのメッセージがあるのでしょう.
「テロとの戦い」との協力を進めてきたパキスタンのムシャラフ大統領の基盤が,先日の選挙で生まれた反ムシャラフ新政権誕生とともに弱体化し,同国内は政治的に不安定化しつつあります.
パキスタンに対する「テロとの戦い」への積極的関与を求める欧米の姿勢は,テロ勢力との宥和を図る新政権が生まれて以降,強まっています.
そんな中,軍高官がこういう発言をしているのは,注目ですね.
▲
【質問】
スワト地区とは?
【回答】
パキスタン北西辺境州マラカンド地域にある地区で,南北200km,東西75kmの緑豊かな渓谷.
パキスタン有数の観光地だったが,2009年2月現在では80%以上をターリバーン系武装勢力が支配.
ターリバーンは2008年後半あたりから,自前の「イスラーム法法廷」制度を導入し,武装勢力に逆らった住民らを裁判にかけるなど,“恐怖政治”による“支配”を強めている.
スワト地区ではほぼ毎朝,死体が見つかるという.
死体は武装勢力に対する謀反への警告であり,住民への見せしめである.
地元筋によると,武装勢力は,スワト地区を複数に区割りし,各区を司令官に担当させている.
各区には複数の法廷が設けられており,住民が抱える問題や武装勢力への不満分子に関する案件が処理されているという.
判決は処刑,むち打ち,罰金などで,屋外で公開処刑されている.
武装勢力は毎朝,ラジオのFM放送で判決内容を公表することもあるという.
また,2009/1/15から女子生徒の通学を禁止.
地元の教育関係者によると,2008年1年間だけで130以上の教育機関を爆破するなどしたが,そのうち6割が女生徒が通う学校.
ターリバーンによる“圧政”により,すでに50万人以上の住民が逃げ出したといわれる.
北西辺境州では現在,世俗主義が強いアワミ民族党(ANP)が政権を率いているが,機能不全に陥っている.
北西辺境州政府とターリバーンは2009/2/16,和平協定を締結し,武装勢力にこの地域を事実上,明け渡した.
今回の協定について,パキスタン紙「ドーン」(電子版)は同日,ザルダリ大統領は,地元州政府が武装勢力側の要求を受け入れることを容認していたと伝えた.
【参考ページ】
2009年2月16日21時10分,産経新聞(by 田北真樹子)
2009年2月17日8時6分,産経新聞(by 田北真樹子)
【質問】
スワト地区におけるターリバーンの統治は,地元民の支持を得ることができていたか?
【回答】
得られなかった模様.
ターリバーンによる同地区でのイスラーム法廷の運用が冷酷で恣意(しい)的になったため,多くのパキスタン人の不興を買い,広範に適用されるには至らなかったばかりか,地元住民の怒りも招いたという.
これはターリバーンが,エジプト・カイロのアル=アズハル大学など著名なイスラーム大学で訓練を受けておらずず,父権的部族規範と厳格なイスラーム法解釈を押しつけたからとされている.
【参考ページ】
2009/5/12,産経ビジネスアイ
▼ 【質問】
ミンゴラ攻防戦について教えられたし.
パキスタン軍による2009年のターリバーン掃討作戦について教えられたし.
【回答】
パキスタン軍は,4月26日にローアー・ディール,同28日にブネル,5月8日にスワト渓谷とそれぞれ掃討作戦を開始していたが,23日,パキスタン軍はミンゴラに進入し,ターリバーン側と激しい市街戦を行った.
北西辺境州では,1年余にわたって泥沼の戦闘が続いていたスワト地区で2009年2月,当局とターリバーンが和平協定を結び,戦火はいったん収まっていた.
ところが,ターリバーンは武装解除の約束を守らなかったばかりか,同地区に隣接するブネール地区などに支配圏を拡大する動きをみせたため,当局は1万2000人以上の軍部隊を投入し,掃討戦に踏み切った.
パキスタン軍は,4月26日にローアー・ディール,同28日にブネル,5月8日にスワト渓谷とそれぞれ掃討作戦を開始.
2009.5.4にはパキスタン軍スポークスマンは,北西辺境州ブネール地区の2カ所で,ターリバーンが住民約2000人の移動を禁じ,「人間の盾」として利用していると非難.
2009.5.18にはマリク内相が記者会見にて,近くスワト地区を制圧できるとの見通しを示し,殺害した武装勢力メンバーが1000人を超えたことを明らかにした.
5.23,さらにパキスタン軍はミンゴラに進入し,ターリバーン側と激しい市街戦を行った.▲
ミンゴラ Mingora は,北西辺境州スワト渓谷(Swat
Valley)の中心都市.
掃討作戦開始前,ターリバーンの重要拠点となっていた.
軍幹部によると,24日までにミンゴラ内の主要な交差点や3つの広場を奪還したという.
広場のなかには,昨年末にターリバーンが処刑をに使っていたとの報告があるグリーンスクエア(Green
Square)も含まれているという.
ミンゴラの人口は約30万人とされているが,多くはすでに避難したという.
26日もパキスタン軍は,ミンゴラ(Mingora)をめぐりターリバーンと戦闘を続けた.
パキスタン軍広報担当のAthar Abbas少将は記者会見で,
「ミンゴラの半分以上は軍の統制下にある.
武装勢力に逃げ道はない状態だ」
と述べる一方で,
「強硬派の残存勢力が抵抗している」
とも語った.
ミンゴラのほかにも,北西部ローアー・ディール(Lower
Dir)では戦闘が続いているものの,ブネル(Buner)地区では,地区の90%が武装勢力から解放されたという.
また同日,パキスタン軍は,掃討作戦によって武装勢力の戦闘員約1190人と同軍兵士75人が死亡したと発表.
30日,パキスタン軍のAthar Abbas報道官は
「治安部隊はミンゴラを掌握し,現在は完全に軍の管理下にある.ミンゴラでの戦闘は終わった」
と発表.
しかし同時に,ミンゴラ周辺の,ローアー・ディール(Lower
Dir)地区,ブネル(Buner)地区では政府軍とターリバーンの戦闘が続いており,スワト地区における戦闘終結はまだ先のことだと述べた.
ただし戦闘地域は封鎖されているため,軍の発表内容を検証することは不可能になっているという.
なお,パキスタン政府は,約2年間にわたる同地域での武装勢力による攻撃の黒幕だとされるマウラナ・ファズルラ(Maulana
Fazlullah)師に,生死を問わず60万ドル(約5700万円)の懸賞金をかけている.
【参考ページ】
2009/05/05-16:23,時事通信
2009/5/18,産経新聞(共同通信電)
2009年05月24日 23:01,AFP
2009年05月27日 08:41,AFP
2009年05月31日 09:50,AFP
▼ 2010年現在も,パキスタンのFATA※で活動している種々の武装勢力は,時とともに拡大しているパキスタン国軍掃討作戦の圧力下にあるが,これが武装勢力のアフガン国内流入を加速してアフガンの脅威を高めかねないとの警告がなされている.
ただ,この地にいるパキスタン人・外国人戦闘者たちは,アフガンの反乱における決定的存在ではなく,その果たす役割は限定的でありつづけると思われる.
※ 連邦直轄部族地域(FATA : The Federally Administered Tribal Area):アフガニスタンと北西辺境州に挟まれた地域に位置し,7つの管区及び6つの郡隣接部族地域から構成される.約10数の主要部族の下,数百の支部族,氏族が居住している.
ちなみにわが国は,以下のような資金援助をFATAに実施している
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/zyoukyou/h19/080128_2.html
おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)5月3日(月)
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
ヌーリスタン基地襲撃とは?
【回答】
2009.10.3,アフ【ガ】ーニスタン東部,ヌーリスタン州でターリバーン約300人がISAFの基地2カ所を襲撃した事案.
ISAF側と交戦となり,米兵8人とアフガン兵少なくとも2人,警察官1人が死亡した.
ISAFによると,襲撃は付近のモスク(イスラム礼拝所)や村から集まったターリバーンによるもので,交戦は数時間に及んだ.
地元警察は,パキスタンに拠点を置くターリバーン兵の関与を指摘している.
ターリバーン側は警察官35人を拘束したと主張している.
【参考ページ】
2009年10月5日1時16分,産経新聞(ニューデリー=田北真樹子)
【質問】
バルマルの戦闘について教えられたし.
【回答】
2010.10.29深夜から30日朝にかけ,アフ【ガ】ーニスタン東部パクティカ州バルマルの軍基地で発生した,ISAF・アフ【ガ】ーン治安部隊と武装勢力との交戦.
ISAF声明によると,武装勢力が全方位からロケット弾や銃,迫撃砲などで攻撃を仕掛け,ISAF側が応戦したという.
同声明は,武装勢力のメンバー少なくとも30人が死亡し,ISAF側の5人が負傷したと発表した.
【参考ページ】
2010.10.31,CNN
◆◆軍閥
【質問】
どうやれば,アフ【ガ】ーニスタンで軍閥を作る事ができるか?
【回答】
1万ドルを用意し,1ヵ月に百人の護衛を雇い,トヨタのピックアップ・トラックを2,3台購入すれば,誰でも軍司令官になれるという.
ただし,その兵力を維持するためには,資金源を確保する必要があるという.
以下引用.
私はキアス〔著者の通訳〕に,アフガニスタンの軍司令官に成りすますには,どうすればいいか,と訊ねた.
「それは簡単です」と彼は言った.「1ヵ月に百人の護衛を雇い,トヨタのピックアップ・トラックを2,3台購入すれば,もう軍司令官になります」
彼の見積もりでは1万ドルほどかかるという.護衛は安く済むし,大半は自前のカラシニコフを持っていた.とにかくカラシニコフも安かった.
戦力を増強するためには,もう少し金をかける必要がある,と彼は示唆した.例えば,RPG2,3挺と強力なPK機関銃1,2挺を購入する.
分かった,と私は答えた.
しかし,このような部隊を持って,私は何をするのか? 始めるのは安く済んでも,どうやってそれを維持するのか?
それも簡単なことだとキアスは言った.
「最初の1ヵ月で,これ以上つぎこまなくてもいいように,金を儲ける方法を見つけるのです」
地元の金持ちや商人や貿易商などのところに行って,金を要求すれば,彼らは金を出した.
キアスが強請りの手口を話しているように見えた.
もちろん,強請りは最初だけだと彼は説明した.
例えば北部同盟のムジャヒディン司令官はたいてい,阿片やヘロインの取引にも関わっていた.
Jon Lee Anderson著「獅子と呼ばれた男」(清流出版,2005/6/13),p.193-194
どうりで軍閥が各地にうじゃうじゃいるはずである.
治安維持と軍閥解体は,どちらか一方が先行すべきものではなく,同時進行で進めなければならない,ということになろうか.
【質問】
軍閥の武装解除は進んでいるのか?
【回答】
田中浩一郎によれば,進んでいない模様だという.
DDR(武装解除)プログラムの第1段階として行われる,10万人規模の武装解除のためには,実施主体の中立性確保が大前提となる.
そして,「アフ【ガ】ーニスタンの新たな出発計画」(Afghanistan's New Beginnings Program)の枠組みの中では,国防省がDDRを統括することから,その国防省自体の改革が先行しなければならない.
還元すれば,信頼醸成装置の促進のため,国防省の民族的な構成に手が加えられる事が先決となる.
プログラムの対象である実働兵員(Security Personnel on Active Duty)がそれなりの精度をもって正確に抽出される必要もある.
ちなみに,人事移動を通じた改革は,遅れ馳せながら2003/2/20,DDR会議(東京会議)に合わせて発表された.これを契機として,特定の派閥と民族による国防省支配に終わりを告げることが期待されている.
そして,このような改革の必要性は,内務省,諜報機関,秘密警察についても当て嵌まる.
しかし現段階では,国防省改革の深度と人事移動の効力を判定することは難しい.
地方勢力の行動を見る限り,実体の上では改善が進んでいない模様である.
また,DDRプログラムの中で,軍閥の私兵を改めてアフ【ガ】ーニスタン国軍へ登用する道筋が残されていることに対しても,懸念する声が大きい.
既存のどの勢力からも中立な国軍の創設のためには,内戦時代のしがらみに縛られていない兵員の調達が求められているからである.
なお,武装解除実現には本来,全国一斉で同一プログラムの一律適用が不可欠であるが,アフ【ガ】ーニスタンにおいては,この原則が担保されていない.
現状のままでは,例えばファヒーム国防相の配下にある私設部隊などが特権的に温存されることから,本来であれば信頼醸成に基づくプログラムが,かえってアフ【ガ】ーン人同士の不信感を高め,危機を煽ることになりかねない.
この問題は,より広い視野で見なければならない.
2003年7月に始まるはずであったプログラムも,実施が度々延期された.
DDRの停滞をもたらしている真因は,国防省という一政府組織に限ったものではなく,正統性に本質的な挑戦が生じている移行政権にこそ求められるのである.
国連関係者は,国防省が一軍罰によって支配されていると見なされている状況下ではDDRの進展は望めないとして,国防省改革の必要性を説くようになっている.
このような見解における「国防省」を移行政権と置き換えて読めば,より現状に即した認識となる.
それを考えると,国連の認識は今だ中途半端な分析と言わざるを得ない.
国連とドナーが,本質的な改革の出発点となる認識を厭うのであれば,アフ【ガ】ーニスタン和平は今後とも暗礁に乗り上げることは避けられない.
(田中浩一郎 from 「アフガニスタン――再建と復興への挑戦――」,
日本経済評論社,2004/3/5, p.112-113,抜粋要約)
ただし,その後,日本外務省サイトによる最新情報では
2004年3月27日からの本格段階においては,特に10月9日の大統領選挙前後に武器を捨てて政治に参加する機運も高まったこともあって,2005年2月末には,合計4万2000名が武装・動員解除され,190の部隊のうち151部隊が解体されるに至った.
また,2005/6/30の報道では,
軍閥6万人が武装解除 アフガン,日本の支援で
日本政府が中心となり支援してきたアフガニスタンの軍閥や旧国軍兵士の「武装・動員解除,元兵士の社会復帰」(DDR)計画のうち,武装解除が30日,終了した.
国連によると,同計画が始まった2003年10月以降,6万人以上が武装解除に応じた.
長年の戦禍で各地に割拠してきた軍閥の解体はアフガン復興の課題.同計画は国防省に登録されている軍閥や旧国軍の兵士が対象で,アフガン政府は今後,国連や支援国と新たに「非合法武装グループの解体」を進め,約10万人ともいわれる未登録の武装グループや私兵の解体を目指す.
となっており,それなりの進展はあったようである.
【質問】
DDR対象者の数「10万人」は,どのように決められたのか?
【回答】
軍閥部隊の推定兵員数には大きな開きがあったため,妥協の産物として出された数字だという.
実際には,「軍閥部隊10万人」は過大な数字だった模様.
以下引用.
まずDDR対象者の数の特定が必要になる.数をはっきりさせなければ,金を出すドナーもあるまい.
これは10万人と決められた.
国防省には,全国の部隊の詳細な情報は存在しなかった.いい加減な話であるが,米軍に味方してタレバンに勝った軍閥の部隊が,国防省傘下の軍として認知されていた.
国防省傘下の兵士には給料が支払わなければならないが,実態が明らかにならないまま,国防相と財務相の政治レベルでの交渉で定員10万人と決められた経緯がある.
その際,そうしたジハーディは全国に70〜80万人はいる,と主張する国防相側と,4〜5万に過ぎないと確信する財務相側で大激論となった結果の妥協として,10万人と決められた.
その際,アシュラフ・ガーニ財務相は,10万人の内訳を早急に準備し,財務省に提出する事を条件にしたが,今だ実現していない.
〔略〕
DDRの実施においては,現地の部隊から提出される兵員リストをいちいち検証しながら進めていくが,その過程で,大半の部隊にはリストに記載されているほどの要員は存在しないことが明らかになっている.
駒野欽一著「私のアフガニスタン 駐アフガン日本大使の復興支援奮闘記」
(明石書店,2005/8/18),p.102
【質問】
DDR試験段階での問題点は?
【回答】
司令官クラスがDDRに応じず,また元兵士に支給される現金を司令官が巻き上げるケースが頻発したという.
以下引用.
試験段階を通じてDDR実施上の問題点も浮かびあがってきた.
まず,差し出される武装解除対象が,ほぼ兵卒であることだ.司令官クラスは出て来ない.
これでは部隊はそのままであるし,武器が国中に溢れているアフガンでは,いつでも部隊の再編が可能だ.
部隊を解体しないことには,DDRは意味をなさないし,部隊の解体のためには,司令官クラスをDDRしなければならないことも明らかとなった.
これが最大の教訓であった.
また,DDRに応じた兵士には,一時金として200ドルを支給したが,司令官達が,部下であった元兵士達を脅して現金を巻き上げるケースが頻発した.
これは,兵士達が差し出した武器はもともと司令官達が渡したもので,したがって兵士が得た金も自分達のものとの考えに基く.
現実はそうであろうが,これでは兵士達は市民生活に復帰できない.
そこで現金一括払いを停止し,物あるいは元兵士が職業訓練を受ける間に受け取る日当などに上乗せするようにしたが,これは司令官達から相当な反発を買った.
駒野欽一著「私のアフガニスタン 駐アフガン日本大使の復興支援奮闘記」
(明石書店,2005/8/18),p.123-124
NGOに対する詐欺行為も横行しており,また,掠奪に対する罪悪感の乏しさという彼らの遊牧民的価値観から考えても,最初から,兵士一人一人に直に渡すべきであったと愚考するのだが.
また,DDRを担当する日本は当初,復員だけやればいいと勘違いしており,さらに,アフガンには自衛隊を派遣できないため,政治交渉のみで武装解除を行うはめになったという.
以下引用.
日本の担当はDDRだった.
当初,外務省は武装解除は他の国が行い,日本はR(復員)だけやればいいと勘違いしていたふしがある.
というのは,通常DDRでは,国連軍などの圧倒的な軍事抑止力を示すことで,敵対する武装勢力間に信頼醸成を作る事が前提なのだが,アフガンという「戦闘地域」には自衛隊を派遣することができない.
結局,抑止力の確保が不十分なまま,政治交渉のみで武装解除を行うという難題に取り組むことになった.
03年2月から日本政府特別顧問としてアフガン入りし,DDRが始まった.
アフガンのミッションで何が難しかったかと言えば,司令官の扱いである.
彼らに恩恵を与えて解任し,その部隊を解体させるにしても,大量殺戮を先導した戦争犯罪者である可能性がある.
かといって下手に処罰すれば,再蜂起したり,あるいは麻薬で潤っているからマフィアのボスに転じたりする.
過去の戦争犯罪を問い始めたら,カルザイ政権の閣僚でも半数ぐらいは起訴されると言われているほどで,ただでさえ脆弱な暫定政権がもたなくなるので,国際社会もその問題に口を噤んでいる.
アフガンのDDRはあくまでアフガン人のオーナーシップ,つまりカルザイ政権を主体に進めなければならないので,武装解除も国防省が主体となり,アフガン人の手で行わなければならない.
ところが,その当時,国防省は一武装政治勢力で構成されていたので,このまま武装解除を始めれば,他の勢力から抵抗が生まれるのは必至で,最悪,再び内戦に発展する危険があった.
そこで我々は,国防省に複数の勢力を入れて中立化させることを条件として提示し,これが満たされなければびた一文払わないと突き付けた.
この時は地元の新聞に「内政干渉だ」と批判され,いつテロのターゲットになってもおかしくない状況に陥ったが,数ヶ月粘って条件を呑ませた.
内政干渉には違いないが,中立な武装解除の実施という大義の下に行った,良い内政干渉だと信じている.
伊勢崎賢治 from SAPIO 2004/6/23号,p.24
【質問】
なぜDDRは上手くいくようになったのか?
【回答】
ファヒーム国防相が,副大統領候補を外されたのは,DDRに消極的であるからと解したことと,イスマイール・カーンが権力失墜したことが大きいという.
以下引用.
そのこと〔大統領選挙に際し,カルザイ大統領の副大統領候補からはずされたこと〕に激怒したファヒーム国防相が,一応の落ち着きを取り戻してからの話である.
全国の司令官を集めた会合でファヒームは,部隊が選挙に介入してはならないと訓示した際,自分は国際社会にDDRに消極的だと誤解されて,ポストを失う羽目となった,自分はDDRの促進のため努力してきたし,今もその気持ちは変わらない,ぜひDDRをしっかり進めて欲しい,と発言した.
発言記録も見せてもらったし,国防相の幹部からも直接話を聞いた.
ファヒーム国防相が大統領選挙後,国防省を去ることが確実となって,その前に自らの汚名を晴らすために頑張った結果であろうが,大統領選挙に向かってDDRが俄然進み始めたことも事実である.
その理由がファヒーム国防相の努力にあるなら,逆説的であるが,私の言ったことの正しさを証明することになる.
8月になると,大統領をさらに忙しくするような出来事がヘラートで勃発する.
イスマイール・カーン知事と対立する地方の軍閥何人かが同時に,3方からイスマイール・カーンの部隊に攻撃を仕掛けたのである.
特に,ヘラートの南100kmに位置する,アフガンで第2の大きな空港であるシンダンド空港がアマノッラー・カーンの部隊に襲われ,イスマイール・カーンの部隊は空港を奪取されたのみならず,ヘラートに向けて後退を余儀なくされる始末であった.
イスマイール・カーンは,こうした予想外の事態に,中央の支援・仲介を求めざるをえなかった.
ここに,ヘラートで独立王国の観を誇っていたイスマイール・カーンの面目は失われ,その権力は大幅に後退した.
私が大使館で離任のレセプションを行ったとき,米国のハリルザード大使がレセプション終了後駆けつけてくれたが,その大使の携帯にイスマイール・カーンから電話があり,米軍が自分の部隊を爆撃している,何とか止めてくれと哀願した.
イスマイール・カーンはその後,知事職からも解任された.
遅れていたヘラートのDDRも進み始めた.私の,知事へのアドバイスは正しかったと思う.
これは,カルザイ大統領にとっては棚から牡丹餅であり,ファヒーム国防相の引き摺り下ろしに次ぐ大きな政治的勝利であった.
DDR促進の観点からも,ヘラートのみならず,その他の地域でも良き影響を及ぼす事態であった.
DDRはその後,急速に進んだ.
駒野欽一著「私のアフガニスタン 駐アフガン日本大使の復興支援奮闘記」
(明石書店,2005/8/18),p.133-134
カルザイ大統領が,最大の軍閥であるファヒーム国防相を切り,また,イスマイール・カーン・ヘラート県知事が,周辺地域の軍閥による一斉攻撃を受けて苦杯し,知事を更迭される中で,機を見るに敏なドスタム将軍は,早速率先してDDRと重火器の回収に応じた.
これで大きな流れができかけている.
同,p.233
【質問】
現在でも軍閥軍は中央政府に対する軍事的脅威になっているのでは?
「武装解除:アフガニスタン安定への鍵」
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prj04detail.html
「米軍,アフガニスタン軍閥に武器提供」
http://www.jca.apc.org/afghan-women/Special/Warlords_receive_USweapons.html
によれば,軍閥軍の解体は少しも進んでいない.
中央政府に与えられた政治力の行使を地方まで及ばすことができないことは,中央政府にとって政治的な脅威であり,軍閥に地方政府ともいえる特別な自治権を可能にしているのは,いざとなれば自由に中央政府に反抗しかねない軍事力と言える.
実際に,その軍事力を背景に軍閥は独自な地方自治を形成しており,米軍はテロ勢力を排除する手段として軍閥を利用している.
別々の政治力が衝突しあったとき,自身の政治力を物理的に及ぼすために,政治の延長として戦争,軍事衝突が発生する.
中央政府にとって自身の政治支配を最終的に達成させるための軍事支配に対して,軍閥側が潜在的な対抗手段になりうる軍事力を保有していることは,中央政府の政治支配を脅かし,軍事力を行使しての政治支配も困難な状況においやり,これは,たんに中央政府に対する軍事的脅威だけではなく軍事は政治の延長であるので,中央政府に対する政治,軍事の両面を脅威にさらすことになるでしょう.
【回答】
必ずしもそうは言えないようです.
まず,「武装解除が少しも進んでいない」という見解には,疑問があります.
進んでいるという情報もあるからです.
以下は2002/12/10の記事.
北部で徐々に武装解除が進む(AP)
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A33627-2002Dec10.html
ドスタム派とアタ派の散発的な衝突はありましたが,武装解除も徐々に進展しており,バルフ州,サマンガン州,ジョウズジャン州で1000点の武器を回収.これらの武器は貯蔵されて,中央政府および国連の監視下に置かれるとのことです.
米国の駐アフガニスタン大使がこの進展を賞賛したとか.
なお前にも紹介しましたが,クンドゥズ州ではすでに6000点の武器を回収しています.
また,より最新の情報としては,日本外務省サイトに以下のような記述があります.
2004年3月27日からの本格段階においては,特に10月9日の大統領選挙前後に武器を捨てて政治に参加する機運も高まったこともあって,2005年2月末には,合計4万2000名が武装・動員解除され,190の部隊のうち151部隊が解体されるに至った.
なお,同じページの次の部分
これにより,本年6月までの武装・動員解除の達成も視野に入ってきており,このような目標達成のため,更なる支援が不可欠となっている.
を見ると,一見,外務省は楽観論的にも見えます.
ですが,ダリー語に堪能な日本人スタッフも外務省には在籍しておりましたし,また,戦前からの(緩やかですが)結びつきを考えますと,外務省のアフ【ガ】ーニスタン情報の信頼性は,決して低いものではないと言えるでしょう.
さらに,質問項で引用されている情報はいずれも2004/3/27以前のものであり,すなわち本格段階以前のものであるので,それをもって武装解除が進んでいないとするのは不適当でしょう.
第2に,政治の延長に戦争があるのは確かですが,それだけをもって脅威の存在の証とすることはできません.
政治の延長にあるゆえに,戦争という手段に訴えることには,国際政治からの強いブレーキが働くからです.
まして,一軍閥が,国際社会から認められた中央政府軍と対決するとなれば,大きなペナルティを覚悟しなければなりません.武器を調達するのも困難になりますし,経済的にも孤立しかねません.
長い内戦が終わったばかりの社会において,そのような事態を招くことは,よほど先の見えない軍閥でない限りは避けたいところでしょう.
また,軍隊にも性格があり,大きく外征型と治安維持型に分かれます.
アフ【ガ】ーニスタンの例で言うならば,兵員を敵地にすばやく送り込めるピックアップ・トラック,支援用の砲兵や航空隊を用意しなければ,外征は困難です.ターリバーン軍が正にそうだったように.
軍閥軍の場合,最も装備の良いドスタム軍であっても,そこまでの準備ができているとは寡聞にして存じません.
もちろん,中央政府と政治的に対立した場合には,軍閥にとって軍事力は有用な1ツールたりえますが,国軍が再建できた後も,軍閥軍がなお優位に立てるとは考え難い.
また,国軍再建前の段階でも,軍事力の無闇な行使は,やはり国際社会のペナルティを覚悟する必要があります.
したがって,ツールとしての軍閥軍の効用は限定的・非永続的と言えるでしょう.
(HN「チャウキダル」 in 2nd FAQ BBS)改装型
DDRの対象となる武装勢力を軍閥と述べたが,これも彼らとの関係では注意を要する.
ダリー語では彼らは Jihadi と称している.これは,ジハードすなわちイスラム法上の聖戦を戦う戦士という意味であり,多くのジハーディは自分達の行為に誇りを持っている.
軍閥はダリー語では jang-salaan というが,これは彼らにとって屈辱的なニュアンスを持っており,軍閥への説得工作の席でそんな言葉を使おうものなら,そこでお仕舞いである.
駒野欽一著「私のアフガニスタン 駐アフガン日本大使の復興支援奮闘記」
(明石書店,2005/8/18),p.101
【質問】
DDRの新たな課題は?
【回答】
非合法武装勢力解体が課題であるという.
以下引用.
一番大きな課題が,非合法の武装勢力の存在である.
国防省傘下にない集団であるが,日頃は武器を所持しているわけではなく,農業などに従事し,一朝事あるときには命令一下,武器を持って戦うわけで,実態が分かりにくいし,扱いも難しい.
正規の民兵を武装解除したところで,こうした非合法の民兵を放っておいては,DDRは意味をなさない.
また,これらの非合法武装集団は,麻薬取引に関わっている場合も多く,かつ,組織犯罪に関わるグループも多い.
麻薬問題と組織犯罪がクローズ・アップされる中で,麻薬対策とDDRとがタイアップする必要性が増している.むしろ,タイアップしないとうまくいかない.
緒方代表はこの点について,緒方イニシアティヴで提唱した地域総合開発,すなわち地域のコミュニティを対象とした支援がますます重要であると指摘し,今後の日本の支援の筋道を明確にした.
〔略〕
非合法の民兵は,そもそも誰が対象なのか特定しにくいことに加えて,もともと非合法に武器を所持している者達であるから,これに個人が裨益するような形で支援することなどありえない.
そこで,彼らの属するコミュニティを対象として武器と引き換えに支援する以外ないが,ここでも地域・コミュニティ支援が鍵となる.
駒野欽一著「私のアフガニスタン 駐アフガン日本大使の復興支援奮闘記」
(明石書店,2005/8/18),p.233-235
【質問】
ドスタムは現在,何を目指しているか?
【回答】
以下の記事を信じるならば,悪役イメージを改善しようとしており,また,マザリシャリフの現代的再開発を構想している様子である.
アフガニスタンの軍閥は役割を交換
バート・ハーマン AP通信ライター 2002年4月28日(日)1:56 PM
アフガニスタン シベルガン―日曜,アフガニスタンの独立記念日を祝うために戦車,大砲,兵士がたくさん集まっていた.
しかしアブドゥル・ラシッド・ドスタム将軍の気配はこれらの戦争玩具の近くにはどこにもなかった. 彼はもうこれらに用はないと言う.
東部アフガニスタンでは依然として軍閥抗争が蔓延しているが,北部はおおむね異論のないドスタムの縄張りである.
ドスタム―その名前はかつては「無慈悲な」「獣のような」「残忍な」などの形容詞と結びついていたものだ―は戦闘服にかえてビジネススーツを まとった.今では軍事戦略よりも予算とか建設計画について多くを語る.
「私はもう将軍として見られることは望まない」ドスタムはマザリシャリフから約75マイル西のシベルガンにある自宅で金曜に行われたAP通信とのインタビューで述べた.「戦車や大砲のパレードはわがことにあらず.
私は本当に過去と訣別しようとしている」.
新政権を作ったプロセスについては,それが十分包括的でないといってひとたびは批判的だったものの,ドスタムは自分をタリバン後のアフガニスタンにとって重要なプレイヤーの1人として位置づけた.
権威を確立するチャンスを増すにはドスタムが必要だと悟った暫定政権の指導者ハミド・カルザイはドスタムを国防次官に指名し,先月には彼を北部におけるカルザイの特別代表であると宣言した.
賢いオポチュニストだという評判に合わせるかのように,ドスタムはモハマド・ザヒル・シャー元国王が30年の亡命生活を終えて先週カブールに帰ったとき,彼を迎えた最初のアフガン指導者の1人になり,檜舞台を分け合ったのはただ1人カルザイとだけだった.
ドスタムは今まで,おじぎして引き下がるような様子を見せたことはない.
1989年に終わったソ連占領時代でも鍵となる人物だったこのウズベク人は抜け目なく立ち回り,同盟を作っては破りながら地歩を固め,ついにはこの国をタリバン支配から解放するのに大きな役割を果たした.
元国王がロヤ・ジルガつまり国民大会議を6月に開いて国政選挙までの間統治する指導者を選んだあとも,彼は北部アフガニスタンで何らかの指導的な役割にとどまりたいと述べている.
「もし将来の政府がなんらかの地域的構造を決めるのなら,私は北部の民衆に奉仕する役として残ることができれば嬉しい」彼は戦争ではなく,平和で国家的な役割を果たそうと決めた人物にふさわしい言葉で語った.
それはイメージチェンジをしようとするドスタムの努力の一環である.彼は国際人権団体などからの戦時虐殺に関する非難をどこかへ置き去りにする方策を探している.このような非難は彼の軍歴―米軍の助力で11月にマザリシャリフをタリバンの支配から奪回したが,これはアフガニスタンで最初の主要都市の解放だった―を傷つけている.
ドスタムはPRに関しては天性の資質をそなえており,ペンよりも銃のほうが雄弁な地域で,実際最も洗練された政治家のように振る舞っている.
木曜シベルガンで行われた電力中継所の開設式で,ドスタムはリボンをカットし,パワースイッチを入れたが,その様子はあたかも赤ん坊にキスをする政治家を絵に描いたようだった.
先月カルザイも参加してマザリシャリフで開かれたペルシャの新年祭で演説したとき,ドスタムだけはその内容を英語に翻訳して外国メディアに配った.
彼はまた英語を話す顧問を持っており,それがプレスとの関係を円滑にするのに役立っている.
市の中央にあるブルーモスクで行われたこの祝典では,ドスタムは肩に4つの金星をつけた正式の軍服を着ていた.
しかしカルザイの特別代表という肩書きになって以来,文官の服装のほうがドスタムの頑丈な体を包む にはよりふさわしい.
金曜のインタビューの時は,彼はグレーのビジネススーツにダークグリーンのセーターのベストを着,黄と青のネクタイをしめていた.このインタビューの間に,側近の一人がガラスで覆われたモダンなオフィスビルとショッピ ングセンターの絵を彼に見せた.
ドスタムが構想するマザリシャリフの現代的再開発である.北部がかつてそれで知られた家畜の繁殖や石油・ガス産業を再活性化する投資として3億ドルの計画が交渉中だと彼は言った.
再構築を妨げている問題の一つは暴力事件が絶えないといってもいいことである.ドスタムは「マザリシャリフの治安状況には満足していない」ことを認め,「不安定さの原因になっている兵士や司令官たちと真面目な議論
をする」計画をもっていると述べた.
ピックアップトラックがカラシニコフとロケット推進のグレネードランチャーをかついだ男たちを乗せて疾走するのはマザリシャリフでは壮麗なブルーモスクと同じぐらい馴染みの光景である.
ドスタムは治安が悪い理由の一つは彼が長いことマザリシャリフを留守にしていた―最近のカブール,トルコ,インド,そしてウズベキスタンへの旅行―ことによると述べた.彼は現在ではもっと多くの時間を北部アフガニス タンで過ごすつもりだという.
「きっと秩序をもたらすことができるだろう」と彼は述べた.
日曜のパレードには彼の姿はなかったが,そこには彼の写真がたくさんあり,兵士がそれを運んだり,大砲や戦車を飾ったりしていた.大きな彼の似顔絵の一つは戦車司令官のヘルメットをかぶっていた.
【質問】
アタとドスタムの兵士がしばしば衝突するのはなぜか?
【回答】
両者とも戦争する気はないものの,面子があって譲歩できないということのようです.
そのへんは↓の記事に詳細あり.
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A57211-2002Apr26.html
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