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◆◆ターリバーンによる破壊行為
<◆ターリバーンの内幕
<アフ【ガ】ーニスタンFAQ目次
バーミヤン大仏再建案
(うそ)
【珍説】
「ターリバーンは,まさにコーランを,そのまま実行しようとして厳しい戒律を作ったのだろう.
バーミヤンの石仏破壊も,偶像崇拝を許さぬコーランの教えのままである」
(小林よしのり『新ゴーマニズム宣言11 テロリアンナイト』 p.15)
仏像破壊についても,言いたいことがあった.
「偶像崇拝」で世界が堕落しているのは事実なのだ.
「偶像」とは,人間が拝跪すべきでないものの意である.
アフガニスタンの旱魃が地球温暖化現象の一つであれば,まさに人間の欲望の総和が,「経済成長」の名の下で膨大な生産体制を生み出した結末であった.
さらに,打ち続く内乱は,世界戦略という大国の思惑と人間の支配欲によるものである.
そして,世界秩序もまた,国際分業化した貴族国家のきらびやかな生活を守る秩序以外のものではなかろう.
かくて,富と武器への拝跪こそが「偶像崇拝」であり,世界を破壊してきたと言えるのである.
この意味において,タリバンの行動―偶像破壊を非難する資格が,日本にあると思えなかった.
平和憲法は世界の範たる理想である.これをあえて壊つはタリバンに百倍する蛮行に他ならない.
だが,これを単なる遺跡として守るだけであってもならぬ.それは日本国民を鼓舞する道義的力の源泉でなくてはならない.それが憲法というものであり,国家の礎である.
祖先と先輩たちが,血と汗を流し,幾多の試行錯誤を得て獲得した成果を,「古臭い非現実的な精神主義」と嘲笑し,日本の魂を売り渡してはならない.
戦争以上の努力を傾けて平和を守れ,と言いたかったのである.
(ペシャワール会・中村医師「医者,井戸を掘る」,石風社,2001/10/20,p.203)
Q. タリバーンがバーミヤンの仏教遺跡を爆破したことについてどう思いますか? また,アメリカに空爆の理由を与えたタリバーンとビンラディンをどうお考えですか?
A. まず遺跡破壊のことですが,私の周辺の一般の多くのアフ【ガ】ーニスタンの人はみんなが,あれはよくない,と私に言ってきました.「人様が大切にしているものを壊すのはいかん」と.
私は普通の日本人ですから,やはり仏教の故郷に対する憧れのようなものがある.
それを前提にお話しますが,タリバーンは仏教という宗教が憎くてやったわけではないのです.そんな悪意や敵意ではなかった.
では,なぜあんなことをやったのかと言うと,一つには偶像崇拝は人間の堕落であり,「徳が廃れて精神的に堕落すると,神様が怒る」というアジア的な考え方がある.
実際,バーミヤンでは大仏様だけじゃなくて,小さな石仏がもう法外な値段で沢山取引されていた.どう見ても宗教行為ではなくて,仏教遺跡を利用した金儲けで,あれは人々の堕落に他ならない.そう考えるわけです.
タリバーンというのはある意味でクリーンな宗教政権,近世ヨーロッパ各地で権力を取ったピューリタン主義に相当する.
そういう意味で,仏教を商売にする堕落を嫌った.
もう一つの意味は,これは一種の雨乞いです.人々の精神の堕落が未曾有の大干ばつという天災をもたらした.堕落を象徴する偶像を壊して身を清め,飢餓に瀕して死んでいかないように,神に祈ろうという雨乞いの儀式でもあった.
その直前に国連制裁が発動されて,国際社会は,あの飢餓地獄のアフ【ガ】ーニスタンに,初めはなんと食糧まで絶とうとした.国際的に孤立する中,それ以外の対策は省みられなかった.これが真相ですね.
(ペシャワール会・中村医師「ほんとうのアフガニスタン」)
【事実】
バーミヤン Bamyan の遺跡の存在が偶像崇拝に当たるかどうかは,かなり大きな疑問符がつきます.地元民が仏教徒であって参拝していた,というわけでもなく,仏教徒達が巡礼に訪れていたわけでもないからです.
地元の人々が石仏をどのように見ていたかについては,以下のような記述があります.これを偶像崇拝と見なすのは無茶過ぎるでしょう.
土地の人々は,この5体の仏像を,立てる両親,座る子供として一つの家族と考えたらしく,坐像を「バッチャ(子供)」と呼び,立仏の大きいほうを「サルサル」と呼んで男親とみなし,小さいほうを「シャーママ」と呼んで女親と見なした.
古くには,5体をインドの叙事詩「マハーバーラタ」の主人公パーンダヴァ5兄弟と見なしたこともあったらしい.
たわいもない俗伝である.
もやは誰も仏教の思い出すら知らない敬虔なムスリムである村人達は,5体の偶像を家族と見なすことで人間化し,共々ここで生きようとしているのであろう.
1400年の歳月を経て,聖家族は普通の世俗の人となって,平穏な日々を村人と共に送っていたのである.
姿を消す日が来るなどと,村人とて思ってもみなかっただろう.
(前田耕作「アフガニスタンの仏教遺跡バーミヤン」,
晶文社,2002/1/20, p.166-167)
「『徳が廃れて精神的に堕落すると,神様が怒る』というアジア的な考え方」に至っては,これがどうバーミヤン遺跡に結びつくのか理解に苦しみます.
事実,バーミヤン遺跡の破壊は,偶像崇拝を禁止するイスラーム教を信仰するムスリム社会においても,クルアーン(コーラン)の教えに沿ったものであるかどうかについては,かなり異論があり,ターリバーンを説得しようとする試みも行われました.
例えば「イスラム諸国会議機構」(OIC)は11日,イスラーム法学の最高権威とされているアズハル大学の,そこのイスラム法学者,ワセル師らで構成する代表団を,アフ【ガ】ーニスタン南部カンダハルに派遣し,ターリバーン幹部やアフ【ガ】ーニスタンのイスラム法学者と交渉しました.
代表団は,ターリバーン幹部との一連の会談で「仏像破壊はイスラム法の観点からも適切ではなく,イスラム社会からの同調は得られない」などとしてターリバーン最高指導者のムハマド・オマル氏の破壊の布告を白紙撤回するよう要請しましたが,受け入れられませんでした.
また,エジプトのサラフ・ジタヌ教授はインタビューにおいて,「信仰対象外の偶像なら破壊不必要,イスラム教は文化遺産の破壊認めず 」との主旨のことを答えています.
現地語(ダリー語)にも堪能であり,1999年6月より2001年10月まで国連アフ【ガ】ーニスタン特別ミッション(UNSMA)(2002年4月には国連アフ【ガ】ーニスタン支援ミッション(UNAMA)へと改編)政務官として活躍し,アフ【ガ】ーニスタン事情に精通している田中浩一郎国際開発センター主任研究員は,NHK-BSの番組「BSプライムタイム『大仏はなぜ破壊されたのか〜タリバーン・変貌の内幕』」('03年6月7日初回放送)において,ターリバーン指導者ムラー・ムハンマド・オマルが,ビン=ラーデンの影響を受け,次第に過激原理主義寄りになっていき,その過程で遺跡破壊が行われた旨,証言しています.
ターリバーンの中で強硬派が台頭していったという見方は,他のターリバーンの布告からも見てとることができます.例えば,
「〔2001年〕5月中旬には,ターリバーンがヒンドゥー教徒に黄色の識別用布地の着用を義務付ける命令を出した.
以前にも同様の命令が出されて実行されなかった経緯を考えると,ターリバーンの中で強硬派が台頭,再度同様の命令が出されたと見ることもできる.」
(柴田和重=アフガン・ネットワーク幹事 from
「ポスト・タリバン」,
中公新書,2001/12/20,P.65)
ターリバーンに同情的なスタンスの山本芳幸も,次のように述べています.
「山本 今年〔2001年〕の2〜3月には,カンダハルやカブールでアラブ人がどっと増えました.
アフガニスタンのアラブ化と言われて,アフガン人は露骨に嫌がっていました.
アフガン人はとても礼儀正しい人達なので,アフガン人から見ると,アラブの人達の礼儀はなっていないということになる.僕から見えても,彼らの振る舞いは全く違うので,はっきりとアフガン人,アラブの人の区別がつきます.
いずれにせよ,そのころからアラブ化が始まり,ビンラディンを一派とするアラブの人がタリバンに影響力を持ち始めたのではないかと言われています.
アフガニスタンの学校でアラビア語を教えるようになったのも,このころです.日本の文部科学省に相当する省が,タリバンにもあるのですが,今までホームベースド・スクールと言って普通の民家の部屋なんかで勉強していた女の子を,全員モスクに行かせるようにという通達を出しました.
モスクに行くと,アラブのNGOの人達がいて,彼らが教育をするんです.
それまでのカリキュラムから一般教養の科目が削られて,宗教科目がどんどん増えていきました.
そういう環境の変化を見て,アフガニスタン内部では,アフガンのアラブかが始まっていると認識されていました.
〔略〕
北野 アフガンにはアラブ化を歓迎しない人が少なからずいたんですね.
山本 僕が知っている限りでは,殆どが嫌がっていました.アラビア語が学校の授業に導入されたときは,子供を学校に行かせないことにした親がたくさんいました」
(「収縮する世界 閉塞する日本」,日本放送出版協会,2001/12/25, p.143-144)
つまり,遺跡破壊はイスラームから見ても「過激で極端な」考えによって行われた,と見るのが妥当でしょう.
仏教遺跡を利用した金儲けが横行しているというのであれば,そのような不正をしている人間を取り締まれば済むことです.麻薬を取り締まることができたターリバーンにとって,そのような金儲けを取り締まることが,麻薬取締りよりも難しいとはとうてい思えないのですが…….
また,「大仏の爆破ほど知られていませんが,カーブル博物館からは,アフ【ガ】ーニスタンの過去の文明を伝える極めて貴重な所蔵物約10万点の殆どが消えてしまっています.
ソ連撤退に続く大混乱の中で,その約4分の3は悪徳業者の手に渡り,国外に流れてしまった,とM.
Ewansは記しています.
以下,引用.
ターリバーンは,最初は略奪を止めていた.
ところが大仏が爆破された後に,ターリバーンの大臣が2人カーブル博物館に姿を現し(※),残っていた展示物約3000点を3日間で計画的に叩き潰した.被害を免れたものは,イスラーム教で容認されると彼らが認めたものだけだった.
それ以前に情報文化省に移されていた美術品もあったが,それらを収めたと思われる箱は,カーブルを撤退するターリバーンのトラックに積まれたのが,最後に見られた姿である.
( 「アフガニスタンの歴史」,明石書店,P.343)
「仏教遺跡を利用した金儲けの防止」がタリバーンの動機である,とする主張は,ターリバーンの上記の行動と全く矛盾します.
このことからも,この主張が荒唐無稽だと分かります.
ターリバーンの他の厳しい戒律も,イスラームからは逸脱した奇妙なものが多数あります.
例えば,音楽の禁止,踊りの禁止,凧上げの禁止,マニキュアの禁止,絵画の禁止…….
シーア派イスラーム喪服月であるムハッラムも一時禁止され,一年の中で最も大切な祝祭であるイードさえ,祭りのショーが規制されています.
1952年に建てられた由緒あるマザリシャリフのホテル,マザール・ホテルにおいて,ターリバーン時代,洋式トイレさえも「クリスチャンの用具をムスリムが使うべきでない」として壊され,人々は地に穴をあけて用を達した,という例すらあります.(ニューヨーク・タイムズ,'02年4月)
ターリバーンがマザリシャリフで市民を虐殺したときには,死者を直ちに葬るよう命じているイスラームの教えに反し,死体は路上に放置され,腐るに任されました(アハメド・ラシッド『タリバーン』)
さらに,ムラー・オマルは1996年4月4日,あるビルの屋上に予言者ムハンマドの外套を着,「アミール・ウル・ムウミニーン」(「全世界のムスリムたちの指導者」という意味.事実上,カリフの意味)を自称してもいます.
このときは猛烈な反発がイスラーム諸国からあり,後に自称「一国カリフ」なるものを名乗っています.
▼ 以下引用.
――――――
この「信徒の指導者」〔アミール・アル・ムウミーン〕という称号は,「イスラム共同体全体の指導者」を意味する.
アフガニスタンだけではなく,中東,アフリカ,アジアなど世界の全てのイスラム教徒の指導者,支配者であることを意味した.
歴史的には「正統カリフ」と称される預言者ムハンマドの後継者や,その後のスンニ派王朝の元首たる「カリフ」に対して用いられてきたものであり,7世紀の第2代正統カリフ,ウマルが初めて使用したとされる.
そのような仰々しい称号を,アフガニスタンの田舎で育ち,大した教育も受けておらず,イスラム教の知識も豊富とは言い難く,預言者の血を引いているわけでもないオマル師が名乗ることは,まさに冗談のような話であった.
内戦の相手である北部同盟は,オマル氏のそのような行動を一笑に付した.
「信徒の指導者」の称号を名乗るからには,アフガニスタンだけでなく,まさにイスラム世界全体の支配を目指すような合意があるが,アフガニスタン全土はもちろんカブールすら〔当時は〕制圧できていないタリバンの指導者が,そのような称号を用いることは呆れる話であった.
――――――『タリバンの復活』(遠藤雄介著,花伝社,2008.10.22),p.13
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以上の例から,ターリバーンの教義や統治は,イスラームの教えに忠実であるというよりは,むしろイスラーム系カルト宗教と見たほうが妥当でしょう.
オウム真理教が「自分達は仏教徒」と自称していながら,実は仏教とはかけ離れた存在であったのと,同じようなものです.
イスラーム学者,黒田壽郎も次のように述べています.
――――――
彼ら〔アル・カーイダ〕にはイスラーム過激派という呼称が用いられているが,無辜の民間人を殺傷したという理由で,既に彼らはイスラーム国際法に照らして,イスラームの名に値しない存在なのである.
オウム真理教の言動を持って仏教を推し量ることができないのと同様に,イスラームの名を騙った非イスラーム的言動によって,イスラームが語られてはならないのである.
――――――黒田壽郎=イスラーム学者 from 「だれでもわかるイスラーム」(河出書房新社,2001/12/31, P.37,抜粋要約)
これを傍証する,次のようなエピソードもあります.
さる11月4〜8日の5日間,アラブ主張国連邦のドバイにおいて,恒例の航空トレード・ショー『ドバイ2001』が開催された.〔略〕 アフ【ガ】ーニスタンから僅かに1,300kmという地勢的条件から,一時は延期の噂も囁かれたが,結局は予定通りに開催されることになった.湾岸戦争の影響から約9ヵ月,会期が遅らされた1991年ショーの時とは対照的だが,これは中東のアラブ諸国が,今回の紛争をイスラム教のジハードなどではなく,アフ【ガ】ーニスタン固有の問題と捉えているため.
(『航空ファン』 '02年2月号)
イスラームの教えに忠実であった国なら,このように中東諸国にソッポを向かれるでしょうか?
そのような声は,実はアフ【ガ】ーニスタン人自身の中にさえあります.
「ジハード,むやみに殺すことではない」嘆く長老
【ペシャワル(パキスタン北西部)4日=鈴木敦秋】2万人が暮らす市内最大のカチャガリ難民キャンプ.ここの長老(ハン)の1人,ハジ・サナ・グルさん(60)のもとを,青年たちが訪ねてくる.
ターリバーンの「ジハード(聖戦)」に自分も参加したい,と相談される.長老は「むやみに人を殺すことがジハードではない.イスラムの教えに反したターリバーンを認めない」と説得を続けている.
ハジさんは,大半のターリバーン兵士と同じ多数部族のパシュトゥン人で,同じ部族の難民約4000人の上に立つ人物だ.アフ【ガ】ーニスタン東部の村に生まれ,父は一帯の長だった.
当時の村には,長老の指示を厳守し,家族と平和を愛し,武勇を尊ぶ「パシュトゥン・ワーリ」と呼ばれる部族の掟(おきて)が生きていた.
1979年冬,平和な村にソ連軍が侵攻して来た.ハジさんはジハードに加わり部隊を率いるようになった.父は戦死した.
難民キャンプに移ったのはソ連軍撤退後の90年.部族間の内戦が始まり,「国民同士で血は流せない」と思ったからだ.国連機関の支給する食料で数万人が食いつなぐ苦しい生活が続いた.
キャンプで生まれた第2世代の学校は,原理主義に傾き,北部同盟や米国へのジハードを説くところが多くなった.
94年にこうした神学生がターリバーン政権を作ると,青年たちは色めき立った.キャンプは,ターリバーンの“発祥の地”とも言える.
これまでも,「ターリバーンに加わる」という青年には「彼らの言うジハードは間違っている」と説いてきた.だが,むだだった.今回の米テロ事件後も数十人が訪れている.その度に同じ説得をしている.
ハジさんには,他者の考えや文化を否定し,狂信的にテロを容認する姿が,かつての共産主義政権と重なって見える.「ターリバーンはビンラーディンと関係を持って,狂ってしまった」http://www.yomiuri.co.jp/04/20011104ic56.htm
無理矢理なターリバーン擁護を繰り返す中村医師と,この老人と,どちらが信頼に足ると言えるでしょうか?
それに,実は小林本人も同書の別の場所で,(これも中村医師の受け売りで)ターリバーンは慣習法による統治と書いているのですが,その矛盾を自覚しているのでしょうか?
「雨乞い」に至っては,荒唐無稽と言うしかありません.そのような非科学的な愚行を全面肯定することを,「アフ【ガ】ーニスタン人への思いやり」とは言いません.ただの「ターリバーンへの甘やかし」です.
仮に,日本人の誰かが,雨乞いと称してゴッホの「ひまわり」を燃やすと言い出したら,どうなるでしょう? 世界中の非難を浴びるに違いありません.事実,「儂が死んだら,墓に一緒に『ひまわり』を入れる」と発言したオーナーは,世界中の顰蹙を買っています.
世界的な美術品や遺跡は,オーナーのものであると同時に,人類共通の資産でもあるのです.「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」は,世界文化遺産が人類のものであることを定義しています.
あまつさえ,「平和憲法」と並べて論じるなど,論外ですな.
詭弁も度が過ぎては,誰もついていけませんよ.
中村医師には以下の言葉を贈りましょう.
パヴァーナの父は,宗教とは,どうすれば良い人になれるのか,親切な人になれるのかを教えるものだという.
「タリバンが,人々のためにアフガニスタンを住み良いところにしたか? とんでもない!」
(Deborah Ellis「生きのびるために」,さ・え・ら書房,2002/2, P.10)
ありし日のバーミヤン大仏
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【質問】
ムスリム/ムスリマは本当に偶像崇拝はしないのか?
【回答】
モスクは形を変えた偶像だという見方もある.
また,「偶像崇拝」というのはそもそも,絵画や像を拝む・拝まないといった話ではなく,もっと広義の,哲学的意味に捉える見解もある.
以下引用.
金岡 〔略〕
モスクの中に入っても,メッカの方向に向かってくぼみをつけた部分があるだけです.
これは方位崇拝,方角崇拝であることは言うまでもありませんが,だけれども人間がそれほど純粋に方角崇拝に徹することができるかと言うと,第1に方角というものは,そう簡単に見定めがつきません.
また,間違った方向を拝むことは,異教の神を拝むことを意味します.
したがって,それに忠実であろうとすれば,いつだって磁石を用意しなければならないはずですが,マホメット教の人々を見ていると,それほど方位に神経を使っているわけでもなさそうです.
とすれば,その役割を果たしているのはモスクそのものだというわけですから,モスク自身が仏教の仏像的な役割を果たしていると言えますね.
その点において,仏像とモスクは基本的に同じものと言ってもいいと思うのですよ,私は…….
菅沼 モスクだけではなくて,その裏側の町の十字路のようなところにも石が置いてありましたね.
その石に囲いがしてあって,信者の人達はそれに向かって拝む.
こうなりますと,アラーの神を形に表していないだけのことで,仏像と全く同じものと言っていい.
あるいは,見方を変えれば,そういった形でアラーの神を表しているのかもしれません.
だから,そこから見ても,偶像崇拝しないとは言えません.
金岡 それは言えませんよ.
だって,メッカの御神体にしても黒い石だというのでしょう.
それを拝むことは,やはり有形のものを信仰の手段にしていることに他なりません.
〔略〕
金岡秀友/菅沼晃/金岡都著「砂漠と幻想の国」(佼成出版社,1977/11/25),p.68-69
また,イランの著名な法学者アリー・シャリーアティーは,宗教学者等を盲信する状態も「偶像崇拝」であると見なしている.
以下引用.
イスラームにおけるタウヒードの意味範囲の認識のために,今一つ不可欠なのは,イスラームにおいて<多神教の原因>と呼ばれる諸要因を検討することである.
何故ならば,<唯一神信仰=タウヒード>は<多神教=シルク>と対立するため,これによって両者の境界が正確に示されるからである.
シルクの一例としては,人間が<誰か>(個人崇拝),もしくは<何か>(偶像崇拝)を,自らの生活の善悪に悪影響を及ぼすものと見なし,誰か,ないしは何かを恐れたり,希望を託したりすることが挙げられる.ある主張を何であろうが受容し,発布される法令,命令を全て認め,思想・理性の面においても盲従するといった方法で,ある宗教的境地を礼賛し,それに本質的価値を認めるならば,この場合シルクの信仰を実践しているに等しい.
「アッラー以外に,宗教学者や禁欲主義者を主人と見なす」ような状態を,私は<宗教的偶像崇拝>と名づけるのである.
もしも,ある者が真理のためにではなく,何者かに服従するならば,それはシルク信仰である.何故ならばタウヒードは,アッラーにのみ服従すべきことを教えているからである.
もしも,我々が自分の運命を他人に託したり,他人の手中にあると想定するならば,それはシルク信仰を行っているのである.もしも自らの自由を他人に売り渡したり,ある者を自らの主人と見なし,あるいは主人として認められたいという他人の願望を受け入れたならば,我々はシルクの信者となる.
快楽主義も一種の偶像崇拝である.
もしも金銭に執着し,困難克服のための唯一の手段として,それに依存するようになれば,それもシルク信仰である.
ある者に対して特別に親愛,信頼,追従,称賛,希望を抱くことは,全てシルク信仰である.
「財貨に屈する者は,信仰の3分の1を失っている」
以上の諸例は,タウヒードとシルクの間の明確な境界を確定するものである.
権力,知識,財産,人種ゆえに高慢になり,自分を他人より偉大であると誇示する者,あるいは自分の意思を他人に強制し,自分の好みに従って統治する者は全て,神がかった主張を行う.それを受け入れる者は全てシルクの信仰者である.
何故ならば,絶対的統治,絶対意思,自己の顕示,権力,専制,君臨は,神のみに限定されているからである.タウヒードの信仰者は,神以外に服従しない.まさにこれがイスラームの意味である.
「イスラーム再構築の思想」(大村書店,1997.10)
【珍説】
タリバーンがバーミヤンの石仏を破壊しても,世界は石仏だけに同情し,経済封鎖で死んでいくアフ【ガ】ーニスタンの難民達に関心を向けなかった.(小林よしのり『新ゴーマニズム宣言11 テロリアンナイト』
p.250)
【事実】
これも中村哲医師の受け売りのようですが,中村氏も小林氏も,バーミヤン遺跡破壊以前のアフ【ガ】ーニスタンの事情を知らないか,知っていてわざと無視しているとしか思えないような記述です.
経済封鎖を受けたのは,アメリカ大使館爆破事件の最重要容疑者であるビン=ラーデンをターリバーンが匿ったからです.これでは何らかのペナルティを課せられて当然です.
経済制裁は,武力行使以外では唯一の,国連が特定国に課す事ができるペナルティなのですが,これに反対ということは,武力行使せよということでしょうか?
また,世界がアフ【ガ】ーニスタンに関心を失っていったのは,内戦が一向に終わらないこと,ターリバーンによる,外国からの援助への妨害も頻繁だったこと(ラシッド『タリバーン』他),によります.いわゆる「援助疲れ」という現象です.
内戦が一向に終わらないことについては,様々な思惑で軍閥を援助した周辺国にも責任がありますが,国土の9割を制圧したことによる自信から,停戦に応じようとしなかった(松井茂『21世紀のグレート・ゲーム』,長倉洋海『マスードの戦い』)ターリバーンにも,応分の責任があります.
内戦が続くせいで難民は全然減らないわ,せっかくの援助もさんざんターリバーンに邪魔されまくるわ,では,次第に援助しようという気が衰えていって当然でしょう.
それにまた,溢れる国内難民の存在をよそに,当のターリバーン・オマル師は贅沢をしていたわけですが,そちらへの非難は,経済封鎖批判者達の口から聞かれることは,まずありません.実に不思議なことです.
第4に,支援そのものの困難さもありました.
山本敏晴によれば,内戦が完全に収まったいなければ,緊急医療援助以外の国際支援は不可能であるそうです.
「目の前の死にゆく人々を助ける」という意味で,医療という行為は分かり易い.
このため,国際協力や海外ボランティアをしたいと言う人の多くが,「医者か看護婦になりたい」,という傾向があるようだ.
しかし実際,本当にその国の未来にとって意味のある仕事をしようと思った場合,実は目の前で一人の患者さんを助ける「医療」よりも,その地域の人の健康状態を丸ごと改善しようとする「公衆衛生」のほうが,最終的にはより重要なのではないかと考える人も多い.
このため,特に「開発援助」型の団体などは,現地政府の保険省と連携して,各地にある保健所などを拠点とし,その国全体の公衆衛生状態を改善していくことを目的としている.
地域全域に渡るワクチン接種の普及などが,これに当たる.
で,これは全く正しいのだが,こうした方法が可能なのは,戦争が完全に収まっており,かつ,現地の政府が地方自治体との連絡も含めて,良好に運営している場合にのみ可能なことなのだ.
山本敏晴著「アフガニスタンに住む彼女からあなたへ」
(白水社,2004/8/10),p.168-169
ターリバーン政権時代には,北部同盟との戦闘がなおも続いており,かつ,ターリバーン政府は軍事部門以外は殆ど機能していなかったことから,支援しようにもできなかった状況にあったと言えるでしょう.
【質問】
遺跡に対する平均的アフ【ガ】ーン人のスタンスは?
【回答】
保存しようとする意識が希薄で,ただ旅行者から金をとることだけを考えているという.
以下引用.
金岡 そういえば,また脱線してしまうのですが,そうした遺跡を見て私が感じたのは,インドが考古学的な遺物の保存に,やや身分不相応と思われるくらい大変な費用と暇をかけているということでした.
〔略〕
ところが,同じ文化圏の中でも,アフガニスタンの場合は遺跡を見ても,そうした気配が一向に感じられないんですね.
したがって,今,話に出たかつてのバクトリアがあったバルフあたりの遺跡にしても,殆ど保存の手立ては講じられていないんです.
それだけに,この先,日本並みに大規模な工業化や農業化をあのあたりでやろうものなら,数千年前の文化と歴史を物語る歴史は,たちまち消え去ってしまうでしょう.
菅沼 遺跡と言えば,ただ旅行者が写真を撮るたびに,神経質にお金をとることだけですね.
土地の人々のほうは,
「いったいなんだってこんなところに外国人がやってくるんだろう」
といった感じの怪訝な顔をしている.バーミヤンあたりがそうでしたね.
金岡秀友/菅沼晃/金岡都著「砂漠と幻想の国」(佼成出版社,1977/11/25),p.56
【質問】
バーミヤン大仏は復元されるべきか?
【回答】
松浪健四郎は,結論を急ぐべきでないという.
以下引用.
バーミヤンの大仏を復元させるかどうか,議論になっているが,私は結論を急ぐべきではないと思う.
復元させたら観光資源にはなろうが,やはり国を安定させることのほうが優先されるべきである.
アフガニスタン国民が平和を享受し,生活に安定感が出てからでも遅くはあるまい.文化財保存も大切だが,まず国民が食べていけるようにすることを優先しなければならない.
シンポジウムに出席していて,学者達の先走りが気にかかった.学者というのは,視野の幅の少ないこともあろうが,「国があって文化がある」ことを忘れている印象を受けた.
ただし,バーミヤンの保存は確かに大切なことだ.
2004/12/23
(「折々の人類学」,専修大学出版局,2005/4/10,p.74)
【質問】
ターリバーンがカーブル博物館の遺品を破壊したというのは本当か?
【回答】
以下の諸文献から見て,本当である可能性は高い.
「この布告〔バーミヤン遺跡破壊〕が出される前にも,再開されて間もないカーブル博物館の偶像が破壊されたとの報道もあった.
ターリバーン側はこの事実を否定していたが,同博物館への取材を拒否したのを見ると,事実であったと考えるのが妥当であろう」
(柴田和重=アフガン・ネットワーク幹事 from
「ポスト・タリバン」,
中公新書,2001/12/20,P.64)
「大仏の爆破ほど知られていないが,カーブル博物館からは,アフ【ガ】ーニスタンの過去の文明を伝える極めて貴重な所蔵物約10万点の殆どが消えてしまっている.
ソ連撤退に続く大混乱の中で,その約4分の3は悪徳業者の手に渡り,国外に流れてしまった.
ターリバーンは,最初は略奪を止めていた.
ところが大仏が爆破された後に,ターリバーンの大臣が2人カーブル博物館に姿を現し(※),残っていた展示物約3000点を3日間で計画的に叩き潰した.被害を免れたものは,イスラーム教で容認されると彼らが認めたものだけだった.
それ以前に情報文化省に移されていた美術品もあったが,それらを収めたと思われる箱は,カーブルを撤退するターリバーンのトラックに積まれたのが,最後に見られた姿である」
(Sir M. Ewans 「アフガニスタンの歴史」,明石書店,P.343)
【質問】
ターリバーンは焚書を行っていたか?
【回答】
そういう情報もある.
まず以下に引用する.
2人の兵士が父を引き摺って階段を降りていくのを,パヴァーナは呆然と見ていた.
美しいシャルワール・カミーズが,荒いセメントの上で引き裂かれる.
兵士達が角を曲がり,父の姿も消えた.
部屋の中では,残った2人の兵士が,ナイフでソファーを切り裂いたり,食器棚の物を投げ散らかしたりしている.
父の本! 食器棚の底に,父は秘密の仕切りを作って,これまでの爆撃にも破損を免れた書物を隠している.英語で書かれた歴史や文学の本もある.
タリバンが,自分達の気に入らない本を焼いてしまうからだ.
父の本が兵士たちに見つかってしまう! 彼らは食器棚の上の段から調べ始めている.
服,毛布,ポット……あらゆるものを床に投げ飛ばし,一段一段空っぽにしながら一番下の棚に近付いていく.
その棚の底板は偽物で,その下が秘密の隠し場所だ.
兵士達がまさにその棚から物を引っ張り出そうと体を屈めるのを見て,パヴァーナ〔本書の主人公〕はぞっとした.
(Deborah Ellis「生きのびるために」,さ・え・ら書房,2002/2, P.28)
さて,本書の信憑性だが,奥付によれば,著者はアフ【ガ】ーン難民を支援するNGOの中心人物だとされる.
また訳者あとがきには,以下のように書かれている.
作者のデボラ・エリスさんは,1997年,1999年の2度に渡って,パキスタンのアフガン難民キャンプを訪れ,たくさんの女性や子供達から,タリバン支配下のアフガニスタンについて綿密な聞き取り調査をしました.
ブルカ着用はもとより,公共の場で女性が笑うことすら禁じる厳しい制約と処罰.誘拐・襲撃・処刑など,そこには,作者が十代から考え続けてきた女性の権利や反戦に関する全ての問題が,解決を迫る具体的な困難としてありました.
〔略〕
こうしたキャンプ内での活動のせいで,ついに『アフガン女性から手を引かなければ殺す』という脅迫状まで作者に送りつけられます.
そのようにして生まれたのが,この本なのです.
ですから,パヴァーナの名前こそ架空のものですが,この本に書かれた事件は全部,現実にアフガニスタンにおいて起こったことだと言えます.
(p.166)
上記経歴を確認するすべはないが,本書における他のエピソードは,類書とも大部分一致しており,その点では特に疑うべき材料はないと言える.
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