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◆米軍侵攻以降
<アフ【ガ】ーニスタンFAQ目次
▼イスマイル・【ハ】ーン
『ホース・ソルジャー 米特殊騎馬隊,アフガニスタンの死闘』(ダグ・スタントン著,早川書房,2010.4)
意外と珍しいアメリカ陸軍特殊部隊(つまりグリーンベレー)がメインの話.
911直後,CIAとともに真っ先にアフガニスタン侵入して,主要都市陥落を導いた活躍が描かれている.
物資も情報も何もない状態で,少数での敵地侵入,情報収集,民心獲得,地元勢力支援,空爆の誘導,空からの補給と,これぞまさに特殊部隊.
以前読んだ『アフガン,たった一人の生還』では,SEALsは体力だけの素人海ゴリラという印象だったけど,グリーンベレーはプロ,大人の部隊という感じがする.
戦っているのは基本的に地元勢力なので,特殊部隊員がM4振り回してドンパチするシーンは少ない.
地元にとけ込み目立たないというのも,グリーンベレーの特徴だろう.
『ブラックホーク・ダウン』みたいな火薬量を期待している人には肩すかしかもしれない.
ノンフィクションだけど文体は小説風で,登場人物の家族についてまで綿密に書かれている.ぶっちゃけ冗長で無駄に厚い.
アメリカ万歳については,ブッシュ政権のプロパガンダである『たった一人の生還』なんかよりだいぶましだろう.
他の特殊部隊では,ちょい役ながらSBS(英国海兵隊特殊部隊),第10山岳師団が出てくる.SEALsについては将軍の目線で「宣伝が上手いだけ」とチクリ(やはり陸軍からの評価は低い模様).
作中で一番苦労していたのが,高々度の飛行で酸素不足になっていたナイトストーカーズのヘリパイロットたちかもしれない.
この本のキーとなるのが空爆.
地上からGPS,レーザー誘導をするが意外と命中精度が低い.的を外しても米国の支持が得られた証拠ということで地元勢力の士気が上がったりする.特殊部隊員の誘導がお粗末なので専門の管制員が送られてくる.最後には誤爆で味方が吹っ飛ぶ.
「特殊部隊と空爆」という現代米軍を表現している本なのかもしれない.
――――――軍事板,2010/11/07(日)
ハリウッドの大作アクション映画の原作かってぐらい,ドラマチック.
911の後,迅速な派兵を求めるブッシュ政権に対し,CIAは少数の陸軍特殊部隊派兵で応える.
主な任務は空爆の現地観測と,地元武装勢力と連携してのタリバン戦.
…ってんで,アフガンに飛ばされる部隊の面々,
現地に着いて,いきなり乗馬初体験.
ケツはスリ剥けるわ足は萎えるわで散々.
でも戦闘は,空爆を成功させて連戦連勝.
現地に着く前の準備段階は,ドタバタ・コメディみたいで笑える.
米国内じゃ電池を買い占められ,空っぽの商品棚を唖然と見つめる商店の店員とか,アフガンに兵を運ぶチヌークの乗員が,高山病で少々おバカになっちゃう場面とか.
タリバン・ドスタム・モハケクなど,アフガン現地勢力の内情がわかるのも嬉しい.
騎馬突撃の後,果敢な指揮で戦線を立て直すドスタムに惚れる.
タリバンがZSU-23-4を水平撃ちしてるけど,どこで覚えたのやら.
敵軍との交渉や捕虜の扱いなど,俺たちの常識と全く違う戦場のルールも新鮮.
お話は2001年12月で終わり.
この後も戦争は長引くんだよなあ.
タリバンがT-62やBMPを運用してるけど,あれ,あんま長持ちするモンじゃなし,相当に強力な支援を受けてると思うんだが,
------------軍事板,2012/04/26(木)
俺も懐かしいなーと思って,
昔電子化したホース・ソルジャーを今読んでいるんだが,タリバーン軍のBMP-3(P215から)なんてものがあることに,今気づいたよ・・・.
連中,どっからあんな高性能車両手に入れてきたんだ.※
ソ連軍に配備されたの,アフガン撤退後だろうに・・・.
------------軍事板,2012/04/27(金)
※おそらく,パキスタン軍から援助されたのでしょう.
【質問】
アメリカの軍事作戦の目標は何か?
【回答】
森本敏〔安全保障問題専門家〕は,次のように述べる.
第一の目標は,ビン・ラーディンを捕らえて法の裁きを受けさせること,アル・カーイダとターリバーンを壊滅的な状態にすることです.
しかしアメリカが本当にやりたいことは,今回のテロを起こしたような,ある宗教的思想的信念に基づいて暴力的集団行動を実行するグループを,根底から崩すことです.
そのためには,グループを背後で支える勢力やネットワークを全て破壊し尽くしてしまいたい.
これがアメリカの本音のはずです.
ブッシュ大統領は当初段階で,繰り返し Retaliation と語っています.Revengeという言葉は使っていません.
前者は翻訳すると「報復」ですが,Revenge,すなわち「復讐」とはニュアンスが違う.
テロを行おうとする人や組織の意図が存在している限り,また同種の脅威をアメリカは必ず受けることになります.
だから,できればそれを根本的に破壊し尽くしてしまいたい.ただ単に復讐するのではない.
ブッシュ大統領が retaliation という言葉を使っていたのは,そういう意味を込めているからだと思います.
( from 「『新しい戦争』を知るための60のQ&A」,
新潮社,2001/11/15,P.46-48,抜粋要約)
【珍説】
●国連憲章
第33条「いかなる紛争でも(中略)平和的手段による解決を求めなければならない」
●ジュネーブ条約 第一議定書
第48条 「(略)軍事行動を軍事目標に対してのみ向けなければならない」
第51条C「無差別攻撃は禁止する.無差別攻撃とは(中略)軍事目標と文民(一般住民),または民間物に区別なしに打撃を加える性質を持つものである」
アメリカは約1ヶ月後に報復しました.
この間,平和的な解決を目指したわけではないので,国際法違反.
国際法は,報復のために戦争を起こすことを認めていません.
第2次,第3次の攻撃がない状態で,報復したから国際法違反.
予防的な正当防衛は,国際法では認められていません.
したがって,報復戦争を正当防衛権の行使として認めることはできません.
アメリカが行っている空爆は,軍事施設のみを狙っているわけではないので,国際法違反.
アメリカやイスラエルはニカラグアの例を出すまでもなく,国際法を遵守する意志などないようです.自国の国益にとって有益か否かで,価値判断をし,行動基準を設けているといってよいと思います.
アメリカこそがテロ国家であり,テロ支援国家です.
世界の主要テロ組織の本部はロンドンに集中しています.アメリカが攻撃しなければいけないのは,自国であり,イギリスであるのです.(HN
"P" )
【事実】
・アメリカは交渉による解決を目指した.
・報復戦争とは宣言していない.
・第2次,3次の(無差別)攻撃を待てば,甚大な損害が予想される.
なぜならビンラディンは,以下のように表明している.
「我々は――神の助けとともに――神を信じてその報いを求めるすべてのイスラム教徒に,神の命令に従って,見つけたならばいつでもどこでもアメリカ人を殺害し,財産を奪うよう呼びかける」(1998年2月
ファトゥワより)
「我々はアメリカの軍人と民間人を区別しない.どちらも,我々にとっては,このファトゥワ(宗教命令)のターゲットだ」(1998年5月
ABC NEWSのジェームス・ミラーのインタビューより)
・予防的正当防衛は,核(という無差別都市攻撃)論議の中で意見が別れている.
▼ ・自衛戦争に必要な軍事関連施設のみを狙っている.
・軍事関連施設のみを狙っていることは,普通の爆弾に比べて高価な精密誘導爆弾を,わざわざ使っている点からも明らか.
「誤爆が発生する」ことと,「軍事施設以外も狙っている」ということは,イコールではない.
・自衛権の行使は国連憲章以前の自然権であるので,国連憲章,あるいは国際法が想定しない事態が生じた場合,その空隙を生める形での自衛権の行使を非難するのは適当ではない.▲
・ロンドンのテロ組織は非合法なものであり,イギリス政府が支援しているものではない.
イギリス政府による自己解決が期待できるにも関わらず,英国への攻撃を主張するのは,「平和反戦」とは名ばかりの好戦的な態度.
第一,
●国連憲章
●ジュネーブ条約 第一議定書
違反は,まずアルカイダ等に言うべきであって,主張者の態度には公平さの欠片もない.
評論家,鷲田小彌太は次のように,安易な空爆反対を批判している.
アメリカが重大なテロ攻撃を受けた.自国民の多数の生命と財産が失われた.
アメリカ政府は,テロの犯人を捕まえ,処断するために,軍事力を含めた国家権力を発動する,当然の自衛権を持つ.
このテロの犯人をかくまうタリバンに対して,もしアメリカがこの自衛権を発動しなければ,アメリカは当然の国家義務を放棄したことになる.
日本人の多数の生命と財産も失われた.
日本政府はアメリカと共同するだけでなく,自国の国民の生命と財産を守るために,自衛権を発動する権利と義務を持つ.
この当然のことが,日本と日本のマスコミでは承認されにくいのである.
曰く,報復は報復を招く.憎しみだけを残し,問題の根本的な解決にならない.
曰く,テロに無関係なアフガンの国民,特に飢えた子供をこれ以上,危険な目に遭わせるのは非人道的だ.
曰く,日本の軍事行動はテロの報復を招く.
曰く,日本の軍事行動は日本の平和主義に反する.
これら全部は,テロを免罪し,テロを養う国家や勢力を力づけ,再び,テロに活躍の舞台を提供し,結局はテロの脅迫に屈することを勧める駄弁である.
こういう議論の余地を残さない,ここから出発しようではないか.
テロを撲滅することはできないが,生じた一つ一つのテロを制圧する方式を,私達はいまや得たのであるから.
( from 「だれでもわかるイスラーム」,河出書房新社,2001/12/31, P.121)
【質問】
アフ【ガ】ーニスタンでの軍事行動は国際法上,自衛権行使と言えるのか?
【回答】
上智大学教授・村瀬智也によれば,言えないという.
なぜなら国際法上・国連憲章上の自衛権は,「国家間」に適用される制度であり,「国家以外の主体から」受けた攻撃に対して,「国家以外の主体に対して」反撃する権利ではないからだという.
アフ【ガ】ーンでの軍事行動は,むしろ同国が「破綻国家」であったことを前提として,参加国が共同して行っている域外法執行活動として理解すべきものと考えられると,村瀬は述べている.
詳しくは
『ジュリスト』 2009.2.15号,p.62
を参照されたし.
また,これは要するに既存の国際法の想定外の出来事であり,リアリスト的見地から言えば,そのような法を言い訳として軍事行動を忌避するのは,オストリッチ・コンプレックス以外の何物でもない.
【珍説】
駐パキスタン・ターリバーン大使,ザイーフ氏は事実上発言は圧殺されている.
どこに報道の自由があるというのか?
【事実】
アナウンスメントできないのは,ザイーフの都合.
ターリバーンのパキスタン大使館が閉鎖された後も,ぶらさがりの欧米の記者がザイーフの発言を報道し続け,ターリバーン本隊と合流しようとしていたザイーフも,追える限り追った.
でも,ザイーフは最後の繋がりである携帯電話にも出なくなった.
【珍説】
米同時テロは,ブッシュ親子とその背後の軍産複合体・
石油メジャー・国際金融資本が,CIA・ペンタゴン・FBIを動かしてやった自作自演テロだったわけだが,その目的は,一石五丁を狙ったもので,
ちょっと複雑で解りにくい.
1.カスピ海油田の確保:タジキスタンを中心としたカスピ海地域には,膨大な石油資源が眠っている.ロシア,中国なども虎視眈々と狙っている.
この利権を,ロックフェラーをはじめとする米石油メジャーが手中にするためには,石油の搬出パイプラインをロシア・中国に延伸させず,アフガニスタン・パキスタンを経由して南下させたい.そのためには,まず,
ターリバーンを追い出し,傀儡・親米政権をアフガニスタンに樹立したい.
既に前国王が,これからできる親米政権の傀儡にノミネートされており,
後はカブールを奪回し,政権樹立を宣言する手筈.
また,人種的な繋がりから,将来はアフガニスタンとタジキスタンが大タジキスタンとして合併すると言う構想もある.そうなれば,タジクの石油資源は,完全に米メジャーの手中に入る.
ブッシュの親分筋のロックフェラーが石油メジャーのボスであることは,
近所の猫でも知っている.
【事実】
「カスピ海地域の石油・ガス開発の現状」
http://www.idcj.or.jp/1DS/11ee_jousei020906.htm
上の記事はトルクメニスタンのガスをアフガン経由でパキスタンに送る,かつてユノカルがやろうとしたパイプライン計画についても,外国の投資家が乗る可能性は極めて小さいというのが大方のエネルギー関係者の見方だ,としています.
こういう評価は他にも
http://www.jnoc.go.jp/c_review/pdf02-05/106_117.pdf
の記事中にある「トルクメニスタン〜アフガニスタン〜パキスタン天然ガスパイプライン建設計画は経済性に問題あり,当面実現可能性は低い」という題のコラムにもあり,その中身はタイトル通りの論調.
一つはトルクメニスタンがロシアへガスを輸出するようになり,経済事情が好転したこと.
もう一つはパイプラインをアフガンからパキスタンへ伸ばしても,パキスタンの需要見通しが不明確で,かつ大消費国のインドは敵国パキスタンを通るパイプラインなどに頼ることは考えられないから,ということのようです.なかなかうまくいかないもの.
一方,ユーラシアネットの記事によれば,アフガン横断パイプライン計画は前進しているものの,リスクに直面 し,実現困難とされています.
アフガニスタン,パキスタン,トルクメニスタンの指導者たちは12月の後半に会合して,アフガン横断パイプラインを建設することでの合意を打ち立てるつもりである.
このパイプラインは中央アジアのエネルギーを南西アジアに,たぶんもっと遠くへも運ぶだろう.
しかし専門家は,この計画には政治的リスクや潜在的な財政的落とし穴を含む多くの障害があると警告している.
3か国の首脳―アフガニスタンのハミド・カルザイ,パキスタンのペルヴェズ・ムシャラフ,トルクメニスタンのスパルムラト・ニヤゾフ―は12月の26・27日にトルクメニスタンの首都アシハバードに集まる予定である.
当初の計画では,1500キロの長さのパイプラインをトルクメニスタンからパキスタンまで伸ばすのに20億ドル以上の建設費を要し,約300億立方メートルの天然ガスを1年に輸送することができる.
この未決定の交渉にかかわっている3か国のうち,トルクメニスタンは天然ガスの輸出によってその最も望んでいる歳入を得ることができ,一番よい立場にある.
このパイプラインはトルクメニスタンにとっては,アシハバードの豊富なエネルギー資源を国際市場に運ぶのに既存のロシアのパイプラインに依存することを減らすこともできる.
アフガニスタンは通過料金から利益を得,インフラの発展にも役立つ.
一方パキスタンは国内市場むけの天然ガスを得ることができる.
しかし,このパイプラインの主要な長期の消費者であるインドはアシハバードには招かれていないし,同国はパキスタン領土を通る天然ガスがほしいなどとほのめかしたことはない.
アナリストの多くはこの計画は理論的にも微妙であり,3か国すべての政治的条件が不安定なことから,現実にパイプラインが建設されるまでには長いことかかるだろうと考えている.
「パイプラインを考える方が作るよりもたやすい.また"原則的な"合意は技術的細部を詰めるよりも簡単だろう.
アフガニスタンの政治状況はまだ十分安定していない.
それにパイプラインというのは,多くの政治問題と関係しているものだ.
だから我々は,物事が解決するのを待たなくてはならないが,私は近いうちにパイプラインができるだろうとは思わない」
と,カーネギー国際平和研究財団の客員研究員でアフガニスタンとパキスタンを専門とするフサイン・ハッカニは述べている.
政治は別としても,この計画の資金調達は複雑で時間がかかると予想されている.
現在アジア開発銀行(ADB)は一連の調査を行っており,次年度におもな実行可能性の検討を行う企業を募集している.
「アジア開銀は,100万ドルで技術面の調査を行う企業の登録名簿を持っており,2003年の第1四半期には企業が決まっているでしょう」
と,アジア開銀のスポークスマンのイアン・ギルは,フィリピンのマニラにある同行の事務所で語った.
「参加している3か国はアジア開銀に対して,実行可能性の検討が終わったら共同融資者を集めてほしいと要求している.
これは,民間部門の参加者やその他の多国間・二国間の援助機関になるだろう」
と,アジア開銀の文書は述べている.この文書はさらに,アジア開銀は「実行可能性の検討が終わってから」融資が確実になるまでに「あと12か月を要するだろう」と予測していると述べている.
もしすべての調査が融資への参加者の審査をパスしたとしても,アフガン横断パイプラインは2004年第1四半期より前には着工されそうにない.
アジア開銀からユーラシアネットに提供された文書には,国際融資機関は
「パイプラインで運ばれるガスの主要消費者であるインドの,この計画への関与について積極的に追及するだろう」
と書かれている.
最終的にはパイプラインの未来はインドにかかっている.
インドとパキスタンとの関係がしばしば緊張することから,専門家はニューデリーはアフガン横断パイプラインへの参加に慎重だろう,インド政府はエネルギー供給をイスラマバードに依存するようになりたくないからだと述べている.
同時にインドは,おそらくトルクメニスタンのガスの最大の市場でもある.
アフガン横断パイプラインは,トルクメニスタンのガス市場の将来にとっては決定的に重要である.
それは生産目標を達成していないし,時代遅れの技術を更新して外国の投資を惹きつけるという重大な挑戦に直面しているのである.
トルクメニスタンは掘削,製造,ガスパイプラインのインフラストラクチャーの長年にわたる衰退を逆転させるために,アフガン横断パイプラインの建設をあてにしている.
トルクメニスタンのテレビが12月17日に放映したレポートによると,アシハバードは天然ガス生産を2005年までに年間850億立方メートルに,2010年までには1200億立方メートルに増加させようと考えている.
この目標を達成するために,トルクメニスタン政府はこの国の石油ガス部門に,250億ドルを超える投資を見込んでいる.
アジア開銀と世銀は,アフガン横断パイプライン計画への融資の大部分を引き受けると期待されているが,融資パッケージが最終的に決まるまでにやらなければならない仕事はたくさんある.
米国際開発庁(USAID)や米国務省の国際援助局も,このパイプライン計画で役割を果たしている.
「USAIDは,アジア開銀や世銀を含む国際機関で特別な役割をもっています.USAIDはアフガニスタンに現地駐在の専門家チームを持っており,これはアフガニスタン政府と協力して,パイプライン建設への投資を安全なものにするための法的・調整的な枠組みを発展させる助力を行う用意があります」
と,USAIDのハリー・エドワーズ広報官は述べた.
アジア開銀はアフガン横断パイプラインについての見地を
「アジア開銀はこの計画にまつわるリスクを十分に認識しています.そのリスクは無視できないものです」
との発言で明確にしている.
3か国すべては政治的環境が不確実だという特徴がある.
トルクメニスタンのニヤゾフに対する最近の暗殺の試みは,この国の統治システムに生じた亀裂が拡大しているかもしれないことを示唆している.
これに加え,ニヤゾフは気まぐれな交渉相手であることが知られており,突如として立場を変えることができる.
観察者のある者は,トルクメニスタンはカスピ海条約にとって主要な障害の1つをもたらしていると述べている.
トルクメニスタンの不確実性以外に,アフガンにパイプラインを伸ばすことについても懸念がある.
互いに抗争している軍閥たちが,アフガニスタンにおけるパイプライン建設労働者やエネルギー運用専門家の安全性に対して持つ潜在的な衝撃力に関する疑問がある.
そのほかにも専門家は,パイプライン設備はこの地域では製造されていないため,日本か西欧から輸入しなくてはならず,これがかなりコストを押し上げ,計画の財政的リスクを増加させているとしている.
トルクメニスタン,アフガニスタン,パキスタンの3か国政府はアジア開銀とともにこのプロジェクトを前進させてはいるが,民間企業や主要な世界的金融機関がまだできていないコンソーシアムに正式に加入するかという
疑問は残されている.各政府や国際機関は,民間企業よりはこのリスクを引き受ける用意があるかもしれない.
3か国政府と国際金融機関や民間企業がアフガン横断パイプラインを推進しようとしたのは,これが初めてではない.
1997年の10月に,カリフォルニアに本拠を置く民間企業ユノカルはパイプラインを推進するためのコンソーシアムを設立したが,この計画の資金面を確実にすることに失敗してのち,1998年8月に建設計画を中断した.
アフガン横断パイプライン計画は復活しているが,ユノカルは今回はこの投資に参加しないだろう.
「ユノカルはもうこれにかかわることには興味がありません.
アフガニスタンに安定した政府がないことが資金調達を困難にしているのが問題です」
と,ユノカルの国際コミュニケーション部長テリー・コヴィントンは述べた.
(マーク・バーニカー from Eurasianet, 2002/12/19)
この記事には出ていませんが,パキスタンでは最近ガス田が発見されたので,当面は中央アジアのガスに頼る必要がなくなり,これがまた状況を変えているようです.
タリバンとユノカルが交渉していた頃には,パキスタンはガスの供給源を欲しがっていたのですが,現在ではむしろアフガニスタン同様,国内を通過するパイプラインのロイヤリティに興味が移っているようです.
だからガスはインドに買わせるとかいう話になってくるわけですが,これは政治的に無理でしょう.
また,港から積み出すには液化設備が必要なので,いっそう投資額が膨らみます.
以下の記事
http://www.afgha.com/?af=article&sid=28406
によれば,トルクメニスタンのニヤゾフ大統領,アフガニスタンのカルザイ大統領,
パキスタンのジャマリ首相の3人がトルクメニスタンの首都アシハバードに集まり,2002/12/27,アフガン横断パイプライン計画を詰めることで,コンソーシアムの枠組み合意書に署名したとのことですが,ユーラシア・ネットの記事と同様の問題点が指摘されています.
この合意の件を,BBCも報じていますが,このBBC記事では,アフガニスタンの中央政府の支配権が及ぶ範囲が限られている現状では,外国の投資家は極めて慎重だろうとしています.
もしアフガン政府が向こう1〜2年で強化されるとしても,その頃にはニヤゾフ政権がぐらついているかもしれないし,また潜在的消費者のインドがパキスタンを通るパイプラインに興味を示す保証もないしで,前途多難と思います.
以下のBBC記事
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2614401.stm
によれば,2002年はじめに印パ関係が緊張した際,両国を仲介しようとした外国の指導者達に対して,ムシャラフは,
「もしインドからの攻撃があれば,パキスタンはその領土を守るため,通常戦争以上〔つまり核戦争〕に進むであろう」
ことを明確にしたそうで,この発言が効果的にインドに伝わったために戦争が回避されたのだろうと,カラチでの式典の席上で軍幹部に語ったとのこと.
こういう関係にある隣国にガスを売ろうというのだから,パイプライン計画も多難なわけです.
また,わざわざ戦争に頼らなくても,迂回ルートも存在します.ナヒチアン・ルートがそれです.
以下引用.
「カスピ海油田開発を巡り,米・アゼルバイジャン関係は1994年頃から急速に改善されてきているが,経済制裁そのものは撤廃されていはいない.アゼルバイジャンは〔アフ【ガ】ーニスタンでの〕米軍の軍事行動の当初から米軍機の領空通過・軍事協力に同意していたが,これに対してパウエル国務長官は,上院外交委員会に制裁緩和を要請したと伝えられる.これは米国のコーカサス介入の新たな動きである.そこでナゴルノカラバフを巡るアゼルバイジャン・アルメニア間の紛争に関し,アゼルバイジャンの飛び地であるナヒチアンを,アルメニア内に回廊を作って結合させる,従来の案の一つも出されたと伝えられる.
もしこれが実現されると,ナヒチアンとアゼルバイジャン本土が陸上(途中一部カスピ海)で連結され,トルコから中央アジアまでを直接結びつける道ができることになる」
(清水学 from 「アフガニスタン」,明石書店,'03,P.165-166)
余談だが,ソ連時代のパイプラインは,こんなことになっていたり(笑)
この学校は,ノルウェー系のNGOで,やはりMMCC(MobileMiniCircusforChildren)のパートナーである,NAC(NorwegianAfghanCommittee)の運営するものだ.
午後,NACが運営しているという庭園を見に行ったが,なかなか面白かった.
かつて戦車の砲塔だった部分を引っ繰り返した物や,ロケット弾をスライスした下半分が,花壇になっていて美しい花が咲いていた.
〔略〕
戦争の時代の遺物が生活に生かされている例は,他にも目にした.
旧ソ連が1979年に侵攻してきて,その後,ソ連とカブールを結ぶパイプラインが建設された.
それに使われたパイプの大小様々なものが,今では家の柱や手すり,街灯の支柱,絨毯を折る道具などとして利用されている場合がある.
使っているアフガニスタン人は,「ロシアのパイプは最高だ!」と笑っていた.
(今川夏如著「トモダチニナルタメニ」,新日本出版社,2005/8/20,p.100)
【珍説】
アフ【ガ】ーニスタンを通るパイプラインの建設が,ブッシュ政権の対ターリバーン政策に影響を与えた.
(マイケル・ムーア「華氏911」,2004年)
【事実】
「ニューズウィーク」によれば,この説にはこじつけや時系列無視などが見られるという.
以下引用.
これを証明するため,2つの出来事をムーアは無理矢理関連付けている.
1つ目は,ブッシュがテキサス州知事だった97年,ターリバーン幹部が同州の石油会社ユノカルを訪れたこと.
2つ目は,2001年に別のターリバーン幹部が米国務省を訪問したことだ.
ムーアはこの2つを結びつけ,パイプライン建設に意欲を示すブッシュ政権が,ウサマ・ビン・ラーディンを匿っているターリバーンへの姿勢を軟化させたとしている.
この説はかなり無理がある.
ユノカルがパイプライン建設に積極的だったのは事実だが,それはクリントン政権時代のことだ.
ターリバーンが先鋭化した98年までに,契約交渉は打ち切っていた.
2001年に国務省をターリバーンが訪問した際,パイプライン建設について話し合ったという証拠もない.
(マイケル・イジコフ & マーク・ホーゼンボール from "Newsweek" 2004/7/21, p.37)
【珍説】
以下の記事からも,911と関りなく,米軍によるアフ【ガ】ーニスタン侵略は既定路線だったことは明らか.
Threat of US strikes passed to Taliban weeks
before NY attack (2001/9/22)
http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,556254,00.html
US 'planned attack on Taleban' (2001/11/27)
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/1550366.stm
(これはチト弱いかな)
ndia joins anti-Taliban coalition (2001/3/15)
http://www.janes.com/security/international_security/news/jir/jir010315_1_n.shtml
(◆QvQ1ShKye in タリ板.後,匿名者により軍事板の質問スレに転載)
米国は,9月11日の貿易センタービル・国防総省に対するテロ攻撃が行われる以前の7月の段階で,アフ【ガ】ーニスタンへの攻撃を準備していたと,英国のBBCが報じている.
パキスタンの前外務次官ニアズ・ナイク氏がBBCジョージ・アーニー記者に語ったところによると,同氏は,ベルリンで7月に開かれた国連主催のアフ【ガ】ーニスタン関係国会議の席で米高官から,10月中旬にアフ【ガ】ーニスタンに対する軍事行動を計画している旨聞かされたという.
オサマ・ビン・ラディンを米国に引き渡さない限り,ビン・ラディンとターリバーンの指導者ムハマッド・オマルを殺すか捕虜にするための軍事行動を行う予定だというのが,その内容だった.
〔略〕
ナイク氏によると,7月に構想されていた作戦の目的は,ターリバーン態勢を転覆させ,前アフ【ガ】ーニスタン国王ザーヘル・シャーを頭に頂いた,より中立的な国を建設することだったという.
この作戦はタジキスタンを基地にして行われる予定で,米軍字顧問団が既にタジキスタンに駐留していたという.
ウズベキスタンも作戦に参加することになっており,1万7千名のロシア兵が待機中だったという.
ナイク氏は,貿易センタービルに対する攻撃の後,米国は,従来からの計画に若干の手直しを加えて実施するだろうと,9月18日の時点で語っている.
(井上礼子〔横浜国立大学非常勤講師〕,from
「これは新たな戦争か?」,
アジア太平洋資料センター,2001/10/31, P.60-61)
【事実】
当時の米軍の配備状況から考えて,まずありえない.
アフ【ガ】ーニスタン侵攻が既定路線であったなら,米軍にはそれを準備する時間がたっぷりあったはずだが,現実にはそうではなかった.
例えば特殊部隊デルタ・フォースを支援するAH-60L「ガンシップ・ヘリ」は,当時まだ開発テスト中だったが,急遽出撃ということになっている.
その基地とされた空母キティ・ホークも,当時は長期改修工事中だった.
また,ディエゴ・ガルシア島はB-52発進基地とされたが,それほど燃料備蓄が充分ではなく,10月には既に尽きようとしていた(柴田三雄著「アフガン戦略とアメリカの野望」,双葉社)という.
さらに,予備役にあった空母「ジョン・F・ケネディ」は,現役復帰に際しての査察で作戦可能な状態にないとして,同艦艦長と機関長は責任を問われ,更迭されている.艦長交代と空母の状態改善のため,同艦の出航は予定より半月以上遅れている.
既定路線であったというのなら,燃料が足りなかったり,空母の状態改善が必要だったり……ということの説明がつかない.既定路線であったというのなら,準備期間はたっぷりあったはずである.
「常に備えよ」は軍事上の常識であるので,「もしもアフ【ガ】ーニスタン侵攻が必要になったら」という場合を考えて,計画を作っていたということならあるだろう(ボブ・ウッドワード著「ブッシュの戦争」《文藝春秋》によると,その計画すらなかった,という話もある).
また,アルカイダがアフ【ガ】ーニスタンに拠点を持っていた以上,アメリカがこれに全く無関心であったということは考えにくい.監視や下見調査がないほうが不自然.
しかし,だからと言って,それらが「侵略は既定路線」の何の証拠にもなるわけがない.
【珍説】
私の基本的な経済学の知識は,ケインズ理論に基づいています.
御存じのように,ケインズ経済学は,戦争による大量消費が,不況からの脱出口になると言っています.
私は,大学で自分の学生達に向かって,
「世界貿易センターへの攻撃によって,単に一部の企業の収支決算に影響が出ているだけではなく,資金を蓄積して,様々の形に変形して運動させる経済システム全体を運行させていた,あらゆる方程式が,一遍に無効になってしまった.不景気が深刻化している.脱出口はあるだろうか?」
という問いを投げかけています.
ケインズ主義的な考えをすれば,ここで「戦争」が必要になります.どこか別のところで危機を起こして,失った分を補填しなければならなくなるわけです.
(マフディ・エルマンジュラ「第2次文明戦争としてのアフガン戦争」,
御茶の水書房,2001/12/15, p.49-50)
【事実】
時代遅れな考え方.
戦争を行うことにより景気がよくなると妄想している人達はすっかり忘れているが.
湾岸戦争を行った時期.アメリカの景気は悪化した.
これは主に石油価格の高騰.テロの恐れ・戦時体制にあるための消費心理の落ち込みなどが原因として上げられる.
戦争を行うことにより戦闘機が作られたりして軍需産業が!といいたいのかもしれんが.現代では戦闘機や戦車つくるのには発注してから完成するまでに数年はかかる.
しかも.湾岸戦争が勃発してから追加発注された戦闘機や戦車はない.
だったらミサイルは!というのだろうが.ミサイルや爆弾には賞味期限がある.戦争がなくても賞味期限が切れると廃棄しないといけない.
湾岸戦争により生産量が増えた兵器は,陰謀論者が思っているほど多くはない.廃棄処分の予定の在庫を代わりにイラクで使ったという見方をする人も出るくらいだ.
日本が拠出した1兆円近い金はどうなったか? あれはサウジアラビアなど現地調達にかかる費用で殆ど消えた.もし湾岸戦争が陰謀で起きたなら.サウジアラビアの陰謀であるかもしれない(笑).
「資金を蓄積して,様々の形に変形して運動させる経済システム全体を運行させていた,あらゆる方程式が,一遍に無効になってしまった」
の根拠も全く不明.
9.11後に,何か経済システム自体が崩壊したというのなら,その実例を示してもらいたいものだ.
【質問】
最大限,民間人に犠牲が出ないよう米軍が配慮していると言っても,民間人に実際に犠牲が出ていることに変わりはない.
もっと他にとるべき選択肢はあったんじゃないの?
【回答】
アフ【ガ】ーニスタンに対する行動の内,何がベストだったかは,当方には今も分かりません.
あの当時,米軍による直接介入以外の選択肢としては,何が良かったのか?
マスードが生前主張していたように,「北部同盟への本格的なテコ入れをするだけでよかった」という意見もあります.
しかしその場合,航空支援を得られないわけですから,戦いは長期化したでしょうし,おそらく戦死者は,ランチェスターの法則から考えて,米軍介入の場合の10倍に達したでしょう.
また,長期化によって,難民もさらに何万と出たでしょう.
経済封鎖だけを行えばよかったという意見もあります.
しかし,経済制裁は既に実施されており,その効果は疑問視されていますし,その影響をモロに受けるのはアフ【ガ】ーンの庶民です.
また,ターリバーン政権が続くことになりますから,シーア派や非パシュトゥン人への虐殺,宗教取締りという名の下,刑務所を満杯にする弾圧が続いた可能性が濃厚です.
さらに,現在,ターリバーンと同じようなイスラーム過激原理主義政権であるスーダン・バシール政権の下で,大規模な虐殺が行わわれている現実から考えまして,同じような大虐殺が発生した可能性は高いと言えます.
何が,アフ【ガ】ーン人にとってベストだったか?
これは非常な難問と言えるでしょう.
消印所沢 in mixi
【珍説】
客人を守り抜くターリバーンをよってたかって叩き潰すのも合点がいかん.アフ【ガ】ーニスタンの人々は日本人が好きである.ターリバーンも含めて,パキスタンでもトルコでもイラクでも,あの辺の人達は日本人に敬意を抱いている.期待もしている.なのに…….
(小林よしのり『新ゴーマニズム宣言11 テロリアンナイト』 p.142欄外)
ビンラディンについては,もっと複雑なものがあります.というのは,アフガンの人達の対アラブ感情は必ずしも良くないのです.
日本人とアラブ人を比べると,もちろん日本人が大好きです.同じイスラム教徒であっても,アラブ人とて外国人の一人に過ぎない.
しかし,客人歓待,復讐法,この2つを失うと,アフガニスタンの同一性がなくなるほど,厳しい掟なのです.
ビンラディンはお客様です.「お客様」というのは特別な響きがありますから,例え的が来ようと,守るのは美徳です.これは人々に説得力を持ちます.
逆にお客様を追放するようなことをしては,政権の支持を一気に失いかねない.
だからまあ,簡単に言うと,「迷惑なお客様」ということです.
お客様である以上は,相手がアメリカだろうとロシアだろうと絶対に渡さない.この義理堅さは,現在の日本人には分からない.この慣習法をなくすということは,アフガン人がアフガン人でなくなるということに等しい.
だから,
「渡さないけれども,自分で出ていってほしい」
というのが,普通の人の感情でした.迷惑なお客様ということですね.
そうしたアフガンの事情を斟酌しないで,アメリカは空爆で女,子供を含めて,何千人もの命を抹殺しました.
(ペシャワール会・中村哲医師「ほんとうのアフガニスタン」p.162-163)
【事実】
アフ【ガ】ーニスタンの人々が日本人が好きだというのは,ただのリップ・サービスに過ぎません.なぜならアフ【ガ】ーニスタンの人々は,日本人が何者か,全然知らないからです.
例えば,大野盛雄(東京大学東洋文化研究所教授)の「アフ【ガ】ーニスタンの農村から」(岩波新書)には,次のようなくだりが出てきます.
「私達がこの村に入り込んできた折,村人はまずムッラー〔導師〕のもとに行って,私達日本人が一体何者であるかを問題にしたということを,後になって聞かされたが,〔略〕その要点は次の3つにあった.
まず,あの日本人はケターブを持った民族かどうかということだった.ケターブとは書物のことであり,とりもなおさず聖書を意味する.つまり,日本人やユダヤ教やキリスト教やイスラムのように聖典の民であるかどうかということが問題になったわけである.
私達にもケターブがあるということになり,それではキリスト教とであろうという結論になったようである.聖典の民であろうということを,このムッラーが村人達に話してくれたことで,彼らは安心したらしい.
次に,日本人は酒を飲むかということだった.酒を飲むということは,生活が堕落していることの象徴になっているらしい.イランでもアフ【ガ】ーニスタンでも農村で人が酒を飲むのを私は見たことがない.そうした習慣が全くないわけである.
ところで第3の問いは,日本にはさぞ羊がたくさんいるだろうということだった.これは私達の経済力を尋ねる意味だったらしい」
最近の例では,NGOが実施した,公衆衛生の実情を調べるための座談会において判明したところによると,あまり教養のないアフ【ガ】ーニスタン人にとっては,遠く離れた地域から来た人はみんな「アメリカ人」であり,カーブルやカンダハルですらも「外国」だという認識だったそうです.
詳しくは,山本敏晴著「アフガニスタンに住む彼女からあなたへ」(白水社,2004/8/10),p.212-213を参照してください.
日本という国名を知っているアフ【ガ】ーン人にしても,以下の程度の認識でしかないようです.京都大学学術探険隊の報告から.
私達を見て,よく「ドイツ人か?」と聞かれた.「違う」と言えば「アメリカ人か?」とくる.
「違う」と言えば黙っている.
「日本人だ」と言えば,「オオ,ヤポン」と親しげに笑う.
戦前から親独反英の国だ.ケンカ早い日本とドイツが昔,仲の良かったことは風の便りに聞いているらしい.
大衆の中には,生まれて初めて日本人と話をしたというのが殆どだ.
「ヤポンは強い.ロシアに勝った」
という.50年前,日露戦争の話である.
(木原均編「砂漠と氷河の探険」,朝日新聞社,1956/3/10,P.112)
で,アフ【ガ】ーニスタンでの日露戦争の知名度は,というと……
英露角遂の最後の幕は1907年の英露協商であつた.
此の協定はアフガニスタンを露國の勢力範囲外とすることが明約されて居る點で意義が深いのである.
日露戦争で負けた露國は最早中央アジアで之れ以上英國と争ふ元氣がなくなつたので日露協商と前後して英露協商を結んだのである.
日本が中央アジアに於ける英露角遂の終幕に拍子木を入れた國であつたことは,英露両國の外交的著書の中に明瞭に記述せられて居るのであるが,此のことはアフガニスタンでは知る人がいないのは勿論,日本でも同様ではあるまいかと思ふ.
(守屋和郎=元アフ【ガ】ーニスタン駐在武官?,「アフガニスタン」,
岡倉書房,1941/11/15,\1.70(外地1.87),p.65)
あと,
「日本はアフガニスタンと同じ日に独立した」
ということになっている.これもよく言われた.日英同盟を破棄した日のことなのだが(日本はイギリスに占領されていたことになってます……)
(今川夏如著「トモダチニナルタメニ」,新日本出版社,2005/8/20,p.123)
また,深田祐介の「日本商人事情」には,イラクに赴任した商社マンの話も出てきますが,敬意を持って接してもらってなどいないようです.
それどころか,
・日本人を最初にエコノミック・アニマルと罵倒したのがパキスタン元首相ブット(父).
・阪神大震災をアメリカに従った為のアラーの罰,と嘲ったのはリビアのカダフィ Muammar Gadhaffi.
であることを考えても,「あの辺の人」で日本に敬意を抱いていると言えるのは,イラン・イラク戦争時にイランに取り残された日本人を救ったトルコくらいでしょうか.
▼ 中村医師にやや近い見方が書かれているのは,今のところ1点のみ.
『海外生活の手引12 中近東篇2』(世界の動き社,1977.3)には,アフ【ガ】ーン人の対日感情について,以下のように紹介されています.
――――――
アフガン人(とくにパシトゥン族)は,日本人に対しても顔容,体躯など表面的な民族的特徴をとらえて蔑視する傾向がないでもないが,最近では先進国である我が国に対する認識が広まりつつあり,対日感情は良好である.
とくに有識者は何らの差別感も持っておらず,わが国を高く評価しつつある.
――――――p.68
▼ ようやく2点目を発見.
――――――
それまで,アフガニスタンの人から
「ロシアと戦争して勝ったのは日本とアフガニスタンだけだ.
しかも日本は第2次世界大戦でアメリカに負けても,ゼロからはい上がり,今日の大きな発展を遂げた.
だから,日本は尊敬に値する」
と,よくあちこちで言われていた.
彼らはシルクロードの交差点で生きてきた人たちだから,客あしらいのうまさは遺伝子に組み込まれている.
しかし,だからといって,根も葉もないお世辞なんか決して言ったりしない.
だから,いくぶんまゆつばものの理屈であっても,きっと本人は(ある程度は)そう信じて口_しているのだろう.
――――――『アフガニスタン母子診療所』(梶原容子著,白水社,2008.10.20),p.53-54
▲
▼ それでも,「アフ【ガ】ーン人は日本人が大好き」と言えるようなレベルの記述ではありません.▲
ましてターリバーンは過激原理主義者です.異教徒の排除というのが過激原理主義思想なのですから,タダで医療を提供してくれる日本人医師にならリップ・サービスくらい使うでしょうが,そうでない日本人に対しては,フォト・ジャーナリスト柳田大元がそうであったように,収監され,身代金を要求されてもおかしくはありません.
▼ ところで,ペシャワール会の会報にも寄稿している甲斐大策は,以下のように述べています.
――――――
〔略〕
青年〔日本人バックパッカー?〕の背中のリュックサックを見て相棒が声を上げた.
「あれは何だ?」
そのリュックサックには白布がぬいつけてあり,油性のインクで描いたらしく周囲がにじんだ日の丸があった.
その上には黒インクで,JAPAN,そして下部には,AROUND・THE・WORLDと書いてある.
相棒はアルファベットが読めない.
「太陽だよ.日本の国旗だ」
「ほう,あれが……」
その青年が国旗を背負った意図は,まさか国威発揚ではなかったろうけれど,身の安全を助けるとは思ってのことに違いない.
「日本人だと判れば得することがあるのかな,私はどうなんだろう?」
「あんたみたいな貧乏日本人は別として…….そう,得するのは私達ドライバーのほうだ.
日本人はおとなしくて,にこにこしていて,金払いがいい.ほとんどもめごとがないよ」
カーブルの雲助ドライバーの間では,各国からの団体観光客に仇名をつけて情報交換に用いていた.
サグ(犬)ドイツ人,
ショトル(駱駝)米国人,
モルグ(鶏)フランス人,
そして日本人の団体さんは,ゴスファン(羊)だった.
〔略〕
――――――『神・泥・人』(甲斐大策著,石風社,1992.2.20),p.65-66
これから類推するに,中村医師の言うところの「日本人びいき」の正体は,単に「日本人相手なら得をすることが多い」くらいの意味であったのを,中村が目いっぱい拡大解釈しただけである可能性が高いように推測されます.▲
ちなみに,中村本人もかつてはこう書いています.
――――――
彼は元来が大の日本びいきである.
(北西辺境州やアフガニスタンの人々は一般にそうである.日本があまりに遠すぎて,ファンタジーしか沸かないのである.
我々が中央アジアの血生臭い歴史を忘れてシルク・ロードに夢を馳せるようなものである.
殊にイスラムの伝承には,
『東方からある民が起きて救いに来る』
というものがある.
宿敵ロシア,英米とかつて激しく干戈を交え,今また猛烈な生産力で欧米の没落に一役買っている日本が,この『東方の民』と二重映しに見えるのだろう.
彼らは,長い欧米支配の歴史的恨みの製で親日的なのである)
――――――『ペシャワールにて』(石風社,1992/1/20:増補版),p.116
私見だが,このようなファンタジーを論拠にして外交政策を論じるなど,サンタクロースの存在を信じて外交政策を論じるのと大差ない.
(それにしても,「欧米の没落に一役買っている」って……)
それがイラク戦争後は,上記の中村医師発言は,
――イラク派兵によって日本は変わりましたか?
「日本」というブランドが大きく揺らぎました.
世界の多くの人達は,日本人が考えている以上に日本に対して親近感を持っています.
〔以下,自衛隊イラク派遣反対論を展開〕
(from 「週刊金曜日」,2005/6/10号,p.23)
と,いつのまにか「親日」規模が大きくなっています.
こういうブレにブレている発言者を信頼することはとうていできません.
次に,ビン=ラーディンをターリバーンが匿ったのは,決して掟(パシュトゥンワルィ)のためではなく,サウジアラビアとの関係が悪化したり,パキスタンが国際世論の圧力を受けるなどして,これらの国からの援助が得られにくくなったために,ビン=ラーディンの資金に依存するようになったためと言われています.
ビン=ラーディンのほうでも,積極的に金品をばら撒くことで,ターリバーンを取り込むことに成功しています.
アルカイダ兵士も,ターリバーン軍の有力な一部隊として戦闘に参加するようになっています.
つまり,アルカイダとターリバーンは後期には一心同体といって差し支えなく,掟とは無関係です.
そもそも掟と言っても,何でもやりたい放題やらせてくれるわけではありません.客人がやり過ぎれば,ホストの叱責を受けることもあります(長倉洋海氏がそれを目撃したときの様子が,氏の著書に出てきます).
その点でも,アフ【ガ】ーニスタン国内に勝手にテロリスト養成キャンプを作ったり,資金稼ぎにと麻薬をカーブール市内で堂々と栽培したり(新聞報道による)と,やりたい放題だったアルカイダは,客人失格と言えるでしょう.
それに,「アフ【ガ】ーニスタン人が客人に親切」というのは,俗説に過ぎないという話もあります.
国立民族学博物館初代館長,梅棹忠夫氏は,その著書「モゴール族探検記」(岩波書店)の中で,以下のように述べています.
「例え彼らが本当に客を厚くもてなすということがあるにせよ,それは,旅ゆく人に対する人間的な親切からではないのだ.人見知りしない人懐っこさからではない.彼らが外来者を嫌うことは,本質的にはタイマニ〔引用者注:アフ【ガ】ーニスタン北西部山岳地帯に住む,チャール・アイマク族の中の最大勢力〕と同じではないか.
他の事例と合わせて考えてみると,アーマッド・アリ〔通訳兼リエゾン・オフィサー.カーブール大学文学部助教授〕がいるときには,パシトゥーン族は親切で友好的なのだ.彼がいないときには,まるでいけない.それはアーマッド・アリがパシトゥーン族だからである.彼らの親切と友好的精神は,一種の小型の民族主義,あるいは部族主義の精神の現われなのだ.部族以外の人間は,その適用範囲に入っていないのである」
ターリバーンに同情的である元国連難民事務所カーブル事務所長,山本芳幸も,この見解を支持するかのように.以下のように述べています.
「僕の個人的ないい思い≠ニいう体験から推察すれば,少なくとも『歓待』に関しては,パシュトゥン族だけでなく,アフ【ガ】ーン人全体に共有されているように思う.
しかし,『歓待』に喜んでばかりはいられない.『歓待』はよそ者を村の伝統の奥深くまで侵入させず,玄関口で止めて喜ばせて帰してしまうという効果も持っている.『歓待』は,伝統社会の一つの防御法でもあるのだ」(「カブール・ノート」,幻冬舎,P. 20-21)
そうした事情も斟酌しない中村医師は,ターリバーンのご都合主義を肯定しているだけと言えるでしょう.
以下,パシュトゥニスタンでの事例.
その社会では,身分の高下が世襲で決まっている.
最高身分の領主の前へ出たら,無条件服従であることはもちろんだが,身分の低い者は高い者に対して,常にサーヴィスしなければならないように,子供のときから教え込まれている.
しかし,この行動原理の適用範囲は,彼らの領主の威光が及ぶ地域内,例えばナギール〔氏族名〕領内に限られている.
だからこの範囲外に出ると,彼らの人間関係を整理し,その行動に規準を与えるものがなくなってしまう.
範囲外に出ても,サリム〔人名.領主の息子〕がいるのを見出せば,サリムに従うであろう.
しかし彼らにすれば,どうしてヒマラヤの向こうの平原の住人であるバット大尉〔学術探険隊同行者〕やイナム・ラ・ハン〔同〕の言うことまで聞かねばならないのか分からないのである.
同じパキスタン人に対してさえこうなのだから,いわんや異教徒であり,異邦人である我々に,彼らが忠誠を尽くすはずがない.
我々が彼らからサーヴィスを受けるのは,彼らのサリムに対するサーヴィスの,単なる延長でアリ,サリムが尊敬している人達だから,あまり粗末にもできないということになるのであろう.
〔略〕
彼らが事毎にチップをねだったり,品物なら豚に関係のない限り,何でも「くれ」と言ったりすることも,彼らの社会と無関係ではあるまい.
身分の高い者のために,常にただ働きをしなければならない彼らの社会では,労働に対する正当な報酬という物の考え方は,はっきりしないのでなかろうか.
彼らは報酬を受け取るのでなくて,恩恵にあずかるのである.
ただ働きに対するものは,ただ貰いである.
しかし,この「くれ」が曲者である.相手によって,これが「よこせ」になり,ねだりがゆすりに早変わりする.
この場合も,相手が彼らの嵌まり込んでいる身分社会の枠外の者であると,彼らの中でこの「くれ」をコントロールするものがなくなってしまう.
我々の側から言えば,この「くれ」を封じる手がない限り,1日いくらと日当を決めてみたところで,何にもならない.それは契約の効果を持たないのである.
少し極端な言い方をするならば,彼らはふんだくれるだけふんだくったら,いつでもさっさと逃亡するだけの構えを持っていたとも言えよう.
(木原均編「砂漠と氷河の探険」,朝日新聞社,1956/3/10,P.143-145)
とあるNGO関係者の体験例.
倉庫と住宅の普請のために,ある会社から派遣されてきた建設作業員と,私達の仲間との間で,面倒な悶着が起きた事があった.
私達病院関係者のグループには,数週間前にドイツからやってきた耳鼻咽喉科の専門家,シュヴァルツ医師が加わっていたが,一件は,ある晩一緒にバレーボールの試合をやった後に起きた.
建設作業員チームの運転手が,このシュヴァルツ先生の態度が気に入らない,と文句を言ったことから始まったのだ.
これに対し,アフガン人医師のドクター・タヒルが
「客人に対して無礼ではないか」
と反撃したため,殴り合いになった.
いったん喧嘩は収まったが,2週間後,建設作業員チームがペシャワルに帰ることになった際,再燃した.
たまたまペシャワルに所用のできたタヒル医師とコーディネーターのグルドが,作業員側の車に同乗させて欲しいと頼んだところ,遺恨を持つ例の運転手に,にべもなく断られてしまった.
「お前さんは外国人の仲間だから,乗せるわけにはいかない」
というのが「乗車拒否」の理由だった.
サッダ病院側は負けずに,
「いったい,あんた方は誰から俸給を貰ってるんだ.
我々はドイツの救援組織なんだよ.
それに,シュヴァルツ先生は我々の大事な客人だ」
と,やり返した.
これには建設側も参ったらしく,2,3日後に技師が例の運転手同伴でやってきて,医師側に謝罪した.
しかし,これで一件落着となったわけではなかった.
その後,曲折を経て結局,シュヴァルツ先生を始め医師側は車に同乗して,ペシャワルに行くことになったが,建設側はアフガン人の執念深さを発揮して,このとき病院チームに復讐を試みたのだ.
医師側は乗せてもらったのはよかったが,狭い後部座席に押し込められ,ぎゅうぎゅうの目に遭わされた.
建設側の頭である技師は,最前列にゆったりと席を取り,運転手と小気味良さそうに談笑しながら,ときおり意地の悪そうな眼差しを後部座席に投げてよこしたという.
Karla Schefter著「『哀しみの国』にすべてを捧げて 看護婦カルラの闘い」
(主婦と生活社,2002/9/17),p.44-45
▼ 以下は,甲斐大策の体験談.
これもまた微妙な対応.
後段の,アフ【ガ】ーン人マインドについての記述も興味深い.
――――――
〔略〕
もう5年前になるだろうか,私はペシャーワルで,小さな机を前に腰掛けたまま6人の公安警察官から前後を囲まれて何時間も,取調べを受けたことがある.
彼らはすべて土地の人間で,官憲というよりパシュトゥン社会での伝統的な密偵といった風情の連中だった.
幸運にもスパイ容疑は晴れ,彼らは,お互いムスリム(イスラム教徒)として兄弟付き合いを頼む,と掌を返したような態度になった.
この頃,私はすでにムスリムになっていた.
しかし,近代の秩序維持の衣を着た伝統的な検索者ほど恐ろしいものはない.土牢の中にほうりこまれて忘れ去られるのではないかという恐怖が何日も残った.
そんなある日,密偵達の頭(かしら),つまり警視殿が私の部屋へやってきた.
両手には小さなボール紙の箱を捧げるように持ち,人の好い商店主の風情だった.
「先日は申し訳なかった.これは私達の心ばかりのツァプリ(サンダル)・カバブだが,熱い内に召し上がっていただきたい.
この州一番の店で今焼いたばかりです」
刻んだ青唐辛子がちらほら見える,掌より大きな,ハンバーグステーキ状のそのカバブを私は指先で崩しながら口に入れた.
その辛さに横隔膜はひきつり,私はしゃっくりと咳を連発し,涙を流した.
その一部始終を満足そうに見つめる密偵の頭は微笑みを絶やさなかったが,彼の瞳を幾度も冷たい光が横切るのだった.
頭は依然として私を百パーセント疑っていた.
その激しい不信は,異民族や他部族との攻防を生き抜いてペシャーワルという都市を押え,定住したパシュトゥンが保ち続けている心である.
しかし同時に,頭が私に謝罪し友好を表現したいとする心も百パーセント本物である.
彼らは,移動民パシュトゥン本来の激しく人を信じる心と,一方で激しく人を疑う心との両方,つまり二百パーセントの心を身につけている.
そんな彼らと付き合うには,私もまた二百パーセントの心の容量を持つ存在でなければならなかった.
〔略〕
――――――『神・泥・人』(甲斐大策著,石風社,1992.2.20),p.105-107
▲
▼ アメリカを代表する地理学者エルズワース・ハティントンは,1904年12月,アフ【ガ】ーニスタンの西部国境の砦カフィール・カラ近くの村を訪れていますが,そのときの村人の反応は,およそ歓待とは言い難いものです.
以下引用.
――――――
彼らの顔つきは,危険な空気を感じさせた.
われわれが村人たちの暴力的な尋問を避けて立ち去ろうとしたとき,立派な身なりの若い首長が,2人の兵士と共に馬に乗って現れた.
これみよがしに銃をちらつかせている.
われわれはやむなく立ち止まり,村の真中で交渉を開始した.
「ここはアフガニスタン領であり,おまえたちは外国人だ.
今来た道をもどらなければならない」
と,首長が口火を切った.
「それはよくわかっている」と,われわれは応じた.「しかし,われわれはカフィール・カラの司令官を訪ねるところだ.
どの道を行けばいいのか?」
「あっちだ」と,首長は右の方向を指差した.「しかし,お前たちを行かせるわけにはいかない」
「どうもありがとう.ところで,このお若い方は?」
われわれは首長を無視して,周囲の男たちに尋ねた.
「ハキーム・ハーン,ハキーム・ハーン.クジル・イスラムの首長だ」
と,10人以上から答が帰って来た.
〔略〕
おとなしくもどるか,それとも旅を続けるか――すぐにわれわれとアフガン人との間で熱い議論がはじまった.
われわれは馬を砦の方角に向け,話を切り上げようとしたが,この行動はハキーム・ハーンを怒らせた.
首長が鋭い口調で短く何か言うと,おおぜいの村人が前方に押し寄せ,5,6本の腕が馬の手綱やくつわをつかんだ.
やむなくこちらが拳銃を抜くと,彼らは大あわてで後退した.
仲間の体につまづいて転ぶ村人を見て,われわれは思わず笑い出したが,それが場の空気を変えた.
アフガン人たちもつられて笑い出し,お互いのあいだに友好ムードが広がった.
――――――『大冒険時代』(マーク・ジェンキンズ Mark Jenkins 編,早川書房,2007.7.25),p.126-127
▲
以下は,著者コフィが少年の頃に,戦火を逃れてイランへ脱出しようとした際の道程での出来事.
ムジャヒディンと僕たちは,次のバンダルアラヤールの村に着いた.
〔略〕
冷たい雨が降ってきた.
この村を過ぎると,また恐怖のバンド〔山〕が僕たちを待ち構えている.
ところが,数人の村の人たちが立ちはだかって,どうしても僕たちを村の中に入れようとしてくれなかった.
「今来た道を戻るか,さもなければこれから夜のバンド越えをするんだな.
とにかく,この村はお前たちを歓迎してはいないんだ」
雨の中,みんなずぶぬれになり,寒さと疲労でぶるぶる震えているというのに,彼らは吐き捨てるように言うと,僕たちを棒で追い払うのだ.
ムジャヒディンの一人が言った.
「あいつらの魂胆は分かってるさ.
あんたたちがしかたなくバンドに入ったのを見届けてから,追いかけてきてあんたらの金品を奪うって寸法なんだ」
フルグラ・コフィ著『アフガニスタンの星を見上げて』(小学館,1989/9/1),p.101-102
しかし一方,同じ本にはこんな記述も.
コヒィストーンを出発してから,今日で12日目だった.
デコンキシロックという村に着いたのは昼近くだった.
それから小さなモスクを見つけると,さっそくモスクの外で焚き火をして暖を取った.
アスラムが近所の家を訪ねて,パンと水とヨーグルトをもらってきてくれた.
イスラムの世界では,困っている人や旅人がいたら,どんな人にでも施しをするのが義務だった.
今度の旅で,僕は施しを受けるありがたさを,身にしみて味わった.
同,p.105
〔イラン国境付近で,〕村の中に入ってみると,大小のモスクが3つもあった.
僕たちを含むアフガニスタンの大部分のイスラム教徒はスンニ派だった.
ところが,たまたま最初に訪れたのは,シーア派のモスクだった.
「悪いが,別のモスクへ行ってくれ」
と冷たく断られ,しかたなく誰もいない小さなモスクを見つけると,僕たちはそこで火を起こして湯を沸かした.
同,p.108
フルグラ・コフィの記述を纏めると,旅人や困っている人に親切にするのは,イスラームの教えゆえであり,宗派や信仰心によって態度が異なってくる,ということになるでしょうか.
では最後に,パシュトゥンワルィが「客人を守り抜く」というものではないと述べている記述をもう一つ紹介しましょう.
「現地住民に対する外国人の反応を見ていると,一般に,初めは非常に気にいる者が多いが,長い付き合いをしている内に,不可解,偽善的などと評する事がしばしばである.
日本人でも
『パシュトゥヌワレイ〔原文ママ〕は武士道に似ている』
などと言う人も少なくない.
確かに尚武の気風だけ見ればそうであるが,これは表面的な観察である.正々堂々,主義や日本武士道の徳目を生真面目に厳守していたならば,パシュトゥン部族はとっくの昔に花と散って消滅していたに違いない.
アレキサンダーから英国まで,空前の大征服を何回も耐え抜いてきた彼らは,パシュトゥヌワレイの建前を美徳として誇りながら,実際の運用面ではしたたかな弾力性に富んでいる.
この点こそが,日本人である我々によく分かる,本音と建前の使い分けである.
ペシャワールの旧バザールで,『お茶でも飲んで』と言われると,相手の挙動や状況を見て,まずは断らなければならない.断るときは,『今飲んだところです.どうもありがとう』と言う.相手が本気かどうかは,こちらで察するのである.
旅行者がしばしば感激するメールマスティア(もてなし)も,決して親切のみによるものではない.
時には,大盤振る舞いは地位に相応しい権威の誇示でもあるから,振舞われる方もこれを傷つけぬよう配慮がいる.
しかし一方では,ペシャワールで目を吊り上げて1ルピーのやり取りをした者が,田舎の貧しい家庭で会うと,無け無しの物や金をはたいて精一杯のご馳走をしようとする.
この場合は,心からと思えば素直に受けるか,下心あると思えば理由を作って立ち去ることである.
また,無用な負担をかけるに忍びないこともある.
この辺りは,こちらが気を利かせてやらねばならない.
お歳暮やお中元のやり取りを心得ている日本人ならば,この辺の呼吸はよく分かる.白で黒を表現する暗黙の了解があるのである」
以上,中村哲著「ペシャワールにて」増補版(石風社,1992/10/20,
P.83-84)からの引用です.
反米のためなら以前の主張もたがえるという姿勢は,いかがなものですかな.
【珍説】
「JAPAN」の名は,日露・太平洋戦争と共に,ヒロシマ・ナガサキで広く奥地にまで知られている.
(ペシャワール会・中村哲医師「ペシャワールにて」,石風社,P. 247)
さて,ペシャワールでは,我々が想像する以上に日本は親近感を持って語られる.
日露戦争,太平洋戦争と共にヒロシマ,ナガサキを語るときの人々の反応は,まるで自分の厄災でもあるかのようである.
もちろん私が医師であることもあろうが,日本人である事は現地では「安全証」のようなものであった.
日本の起こした戦争については,その是非はともかく,「アジアは一つではない」という感じを起こさせる.
太平洋戦争は東アジアの人々にとっては迷惑千万であったが,インドやパキスタン,西アジア諸国にとっては,西欧植民地支配が終わる直接のきっかけを作った幸運だったのである.
日本が支配者として来なかったのが幸いであった.
(同「アフガニスタンの診療所から」,筑摩書房,1993/2/10, P.252)
【事実】
非常に疑わしい.
まず,上述のように,日本そのものを全く一般のアフ【ガ】ーンの人々は知らなかったという事実が存在する.
ダウド時代よりも生活水準が破滅的に低下している,'01年のアフ【ガ】ーンおよび難民キャンプで,ラジオがダウド時代以上に普及したなどとも考えられない.
次に,以下のような事例も存在する.本当に誰でも広島の原爆投下を知っているのなら,広島三朗よりも大事件であるそちらが先に出てくるのが普通だと思われるが…….
チトラール・スカウトのチェック・ポストで,
「お前はワハーンから入ってきたドクターだ」,
と張り番に捕まった.
「嘘をつくと監獄にぶち込む」,
などとしつこく尋問を受ける.
過去2回の通訳のイスラールなら巧く処理してくれるのだが,今回の通訳はしどろもどろで役に立たない.
なんだ,かんだの後,通過簿に記入署名した.
記入した日本での住所のヒロシマの文字を見た係の男は,
「なに? お前はヒロシマの一統か?」
と私に尋ねる.
ヒロシマとは,カラコルムのK2登頂者で来パ回数は50回を越えるという,チトラールの有名人で,1997年8月にカラコロムのスキルブル峰登頂後ベース・キャンプで遭難死した故広島三朗氏のことである.
「昨年もここを通り,多くの土産を,留守をしていた自分に言付けてくれた」,
とでまかせも言う.
それならばと,
「後でピュア・ウォーター(ウィスキーのこと)を届けさせる」
などと適当に話を合わせ,早々に退散を決め込む.
(平位剛「禁断のアフガーニスターン・パミール紀行」,ナカニシヤ出版,'03,P. 222-223)
▼ それどころか以下のような,より明確な証言もある.
[quote]
チャイハナ(茶店)
アフガン人はお茶が好きだ.
なにかというとすぐお茶を飲む.
茶店では時間をかけて,周囲の人々と談笑しながら,ひねもすチャイナック(ポット)をかたむける.
そのチャイナックはたいてい日本製で,彼らはこんなところから日本の存在を知る.
[/quote]
―――『アフガニスタン』(小西正捷編,講談社,1968/2/24),p.71
[quote]
実は出発前に,私はこの国の文盲率が98%程だと知っていたので,私の考えたことは「対日感情」うんぬんよりも,むしろ日本という国が一般国民に知られているのだろうかということであった.
ところがカーブルに着いて,町のほとんどの人が私を見間違えることはまずないと分かって,まったく驚いたものである.
子供までが(これがまた大変な悪たれ小僧どもであるが)私を指さしては,ジャパニ!ジャパニ!とさわぐのである.
成人のほとんどが,お茶のセットの大部分は日本製であることを知っているし(市場占有率は95%を超える),日本製タイヤを付けている自動車の運転手は,これがいかに丈夫であるかを力説する.
ちょっとした電気器具,カメラなどを扱う店では,日本製のトランジスターラジオ,カメラであればいつでも買うから持ってきてくれとしつこいほどに頼んでくる.
やかん,ナイフ,時計といったものも注目の的である.
「日本製のものは素晴らしい」
といわれて喜ばない日本人があるだろうか.
〔略〕
ところが,もう少し田舎に行くと,事情が違ってくる.
たとえばカーブルから100kmほど北へ行くと,中国人が大勢働いている工事中の農業灌漑プロジェクトがある.
このあたりだとわれわれが日本人だということはすぐには分かってもらえない.
妙な顔をして,
「あなたは中国人か?」
と聞く.
やはり様子が違うらしい.
「イヤ,日本人だ」
「ああ,そうか」
と,ここでニヤッとする.
これが親しみを示すためか,疑問が解けて満足するためかははっきりしないが,ともかく笑顔を見て気が晴れ晴れするのは確かである.
さて,もっと奥へ行ってみよう.
バタクシャンでは日本という国の存在は確かに知られているようである.
種々様々な日常品に日本製品も幾つか仲間入りしているので,やはり工業国として認識されていると感じられた.
さらに奥へ行くとどうなるだろうか.
私は,日本人としては始めてのワハン回廊を通り,また登山のために今までおそらく人間は一度も入ったことのないペギッシュという谷へも足を踏み入れた.
ここまで来ると,もう私が日本人だなどと言っても,確かな反応は期待できない.
要するに外国人なのである.
そしてこのワハン回廊と呼ばれるところは,古来シルクロードの隙路となっていたところなので,外国人には接触し慣れているように感じられた.
[/quote]
―――『岐阜大学アフガニスタン学術調査中間報告1969/6〜9』(岐阜大学アフガニスタン学術調査隊出版,1969),p.56-57
チャイナックのほうが,ヒロシマ・ナガサキよりも,アフ【ガ】ーン人にとってはよほど身近な存在であるはずだが,これまで中村医師の本にはいっさいチャイナックについての記述が出てこず,一足飛びにヒロシマ・ナガサキの話が出てきている.
不自然にもほどがあると愚考するのだが.
▲
さらに,これはアフ【ガ】ーンの例ではありませんが,新潮新書
「日本はどう報じられているか」によれば,原爆はアラブ世界でかなり政治的に使われているふしがあります.
例えば,原爆映像は湾岸戦争後のイラクで,米の残虐性を訴えるビデオが連日延々流されていた中のクライマックスとして使われていたそうです.
また,ビンラディンの9.11前のインタビューでも,米こそが日本が既に降伏していたのに,原爆で一般市民も殺したというようなことを言っていました.
ビンラディンのこの発言は誤りですが,仮に原爆投下が何時だったとしても,原爆で一般人大量殺戮というのが,アメリカに対するジハードを正当化して,アラブ内の反対意見を封じる大きな根拠になっているようです.
また「ノーモア・ヒロシマ」というスローガンも,日本が国力を蓄えて二度と落とされないようにしようとしている,という解釈であるようです.(同じ理屈は,パキスタンの核武装に際して利用されています)
9.11も日本赤軍がナガサキとヒロシマの復讐をしたと言う説が一時かなり信憑性をもって語られていたそうです.
アラブ系テロ組織であるアルカーイダが深く浸透していたターリバーンにおいて,アルカーイダの原爆観もまた浸透していただろうことは想像に難くありません.
そしてまた,「雨乞い発言」に見られるように,ターリバーンのスポークスマンと化している中村医師が,ターリバーンの原爆観(=アルカーイダの原爆観)に接して勘違いをしただろうことも,想像に難くありません.
▼ 上記の推測を裏付けるかのように,パキスタンの過激原理主義指導者が唱える以下のジハード論の中にも,「ヒロシマ・ナガサキ」が現れています.
――――――
サミュル・ハク氏は2代目.
初代は父親のモラナ・アブドラ・ハク氏で,英領インド時代,現在のインド中北部にある「デオバンド・マドラサ」の教師だった.
1947年の印パ分離独立に伴ってパキスタン側に移住し,この地にマドラサを開設した.
タリバンのイスラム原理主義は,「デオバンド派」と呼ばれる.
〔略〕
サミュル・ハク氏のジハード論,対米批判に耳を傾ける.
〔略〕
「過去20年の間に,イスラムの国が非イスラムの国を侵略したことがあったろうか.
誰が本当のテロリストか.
第1次,第2次世界大戦で2億5千万人(一般的には6千万とも7千万とも言われる)が殺戮された.
米国は広島や長崎に原爆を落とした.
イスラムの国は決してそんなことはしない」
――――――『アフガニスタンから世界を見る』(春日孝之著,晶文社,2006.210),p.105-106
ただし本書は,あちらこちらにミスリードを誘うような文章が見られるため,鵜呑みは絶対に禁物.▲
さらに,「軍事研究」誌7月号の,アラブ圏でのインターネット掲示板についての記事によれば,アラブ圏の人々は基本的に日本に興味が無く,日本の話題は殆ど無いそうです.(人質事件の時もコメントは皆無に等しかった)
たまに反米声明に「ヒロシマ」という単語が出てくるくらいで,日本の自衛隊についても殆ど放置状態・・・
ネット環境がある,比較的裕福で世界の情報を知ることの出来る人々でもこれなのですから,一般の人々が知っているかどうかは・・
【関連リンク】
「ヒロシマ平和メディアセンター」◆(2012/06/26)タリバン高官 資料館を見学 広島
> ディーン氏は「ヒロシマもアフガニスタンも同じ.米国は21世紀になっても戦争をやめずにいる」と米国を批判した.
【質問】
何度も「ヒロシマ・ナガサキ」を持ち出す中村哲医師だが,パキスタンが核実験を行ったときの,彼の反応は?
核実験を非難したのか?
【回答】
非難など何もしていない.
意味不明な「韜晦」(?)を行い,むしろ核実験を弁護しているようにさえ思える.
以下引用.
――――――
「汝罪無き者は石もてその女を打て」
という聖書の句は,罪にまみれた人間の傲慢と無力に対する深い洞察に基いています.
インド・パキスタンの核実験の深源をたどれば,アメリカ・旧ソビエトによる核軍備競争だけでなく,人類史的に人間存在の罪と矛盾を問うことになります.
中村医師は,今回の核実験について問われ,
「極貧の患者に罪を負わせる道理は無い」
と書きました.
――――――『伏流の思考』増補版(福元満治著,石風社,2009.10.20),p.199
同書はペシャワール会幹部(兼「石風社」代表)の執筆であり,ゆえに中村医師を貶める目的による歪曲が,引用文に含まれるとは到底考えられない.
ちなみに同書は,他方で「武器無き安全保障」を礼賛しているのだが,この矛盾は一体……?
著者は,熊本大学で全共闘の法文学部リーダーをしていたこともある(同書,p.247)というが,いくらそれにしても…….
【珍説】
アメリカの空爆は自由の宅急便である.そうだろ?
米のアフガンでの航空攻撃は,(いわゆる)無差別爆撃と同じ
少なくとも重慶爆撃よりはずっと民間人を殺さないようにしている.
重慶爆撃でも一応気は使ったのかも知れんが,技術の限界が有った.
アフ【ガ】ーンやイラクで誤爆があったとしたら,明確に技術の限界だろう.
誤爆を避けるためには,軍事拠点を攻撃するなとでも主張する気なんだろうか?
向こうは民間の旅客機を乗っ取り,民間のビルに突っ込むような連中や,その支援者なのに.
日本も「富嶽」という超大型戦略爆撃機を開発しようとしていたが,もしそれで大規模な戦略爆撃を米本土にできるとなったとしたら,軍需工業のみを爆撃し,民間人を殺さないようにしただろうか?
原爆の開発は日本も行っていたが,開発と運用ができるようになったら,脅しだけに使うだろうか?
すなわち,小林の米軍批判は,
「米の核は戦争・侵略目的で,ソ連や北朝鮮の核は防衛のための平和目的」
というような極論と同じ.
小林はダブスタだという意見が有るが,そんな事はありません.
その時々で違うのですから,ダブルどころじゃないし.
『小林主体思想』(『小林』はシャオリンと読みましょう)とでも言うべきです.
【珍説】
抹殺されていく歴史ってのもあるわけで,本当のこと言うなら,アメリカだってとっくの昔に大虐殺やってますよ.「誤爆」っていうのを,せいぜい数人が巻き添えになった程度の,必要最小限の犠牲であるかのように思っているかもしれないけど,そんなレベルじゃないんだよ.国連の倉庫を誤爆したとか,最近になってもカナダの兵士が5人死んだとか,わざと間違っているんじゃないかと思うくらいでたらめな爆弾の落とし方してるじゃない.わりと注目されているところですらそうなんだから,マスコミの目の届かないようなところで,村一つ全滅させるくらいのことは平気でやってますよ,そりゃ.
(小林よしのり『新ゴーマニズム宣言11 テロリアンナイト』 p.22)
【事実】
誤爆は戦争にはついて回るものであり,アフ【ガ】ーニスタン空爆の誤爆だけ率が突出して多かったことを客観的に示すデータはありません.
また,国連の倉庫などは誤爆であるがゆえに初めて注目されたものであり,それ以前から注目されていた訳ではありません.
例えば,国連倉庫の事件より後に起きた結婚式誤爆事件も,それが報道されるまでは,誰も知らない村でした.
なお,以下のような事例もあることから,結婚式への誤爆も,米軍だけに非を課すことはできないでしょう.
戦闘地域で発砲すればどうなるかは,火を見るより明らかです.
披露宴の祝砲でロケット弾発射,5人死亡
http://www.afgha.com/?af=article&sid=28595
パクティア州ガルデズで,披露宴の祝砲として参加者の1人がRPGを空に向けて発射.
これが会場近くに戻ってきて着弾したが,爆発しなかったので,参加していた司令官が触ってみたところ爆発したとか.
こちらの記事(アフガン国営通信の報道に基づく)では7人死亡,場所はパクティア州のズルマト地域となっています.
またRPGも撃ったが,爆発したのはそれではなく手榴弾だったとしています.
http://www.afgha.com/?af=article&sid=28607
#さすがに銃以上の兵器を祝砲にするのは希だと上の記事にありますが.
【質問】
「米軍によって空中投下された人道援助食糧は毒入り」の噂はどこから生じたのか?
【回答】
アフ【ガ】ーン人がパッケージの中の乾燥剤(防腐乾燥剤)を食べ,死亡例まで出たことから発生したのだという.
以下引用.
〔元グリーン・ベレーで,現アフ【ガ】ーン政府民間顧問のジャック(仮名)の〕最初の任務は,米軍による人道援助食糧の空中投下を地上で支援することだった.
アフガン人の間に広がっていた,人道援助食糧には毒が入っているという噂の調査も行った.
「誰の仕業か突き止めてみたら,アルカイダやタリバンではなかった.
それに毒も入ってなかった.
乾燥剤(防腐乾燥剤)を食べていた.食糧パックに一つずつ入っている,小さな袋入りの.
それには『食べられません』と英語,フランス語,スペイン語,中国語で書かれていた.だが,現代ペルシア語やパシュトゥン語では書かれていない.
アフガン人は香辛料だと思ったんだ!
それで重症になったり,死亡と推定された人たちもいた.死亡したある男は,乾燥剤のハンディ・ワイプを全部食べていた.ナプキンもない人々が,ハンディ・ワイプが何であるか分かるわけがない.
おそらく,いい匂いがしたから食べたのだろう」
ジャックが調べたところによると,食糧パックが衝撃で破れて中身が剥き出しになり,汚れてしまったために,食べて具合が悪くなった人達もいた.
ジャックは報告書を書いてDOD〔国防総省〕に送り,一周間ほどで問題は解決されたという.
Jon Lee Anderson著「獅子と呼ばれた男」(清流出版,2005/6/13),p.165-166
【質問】
アフ【ガ】ーニスタンのアル・カーイダ攻撃に際し,ロシアはアメリカにどんな協力をしたのか?
【回答】
中央アジアの基地の使用を,アメリカに対して容認した.
米軍はウズベキスタンのハナバード,タジキスタンのクリャブなどの空軍基地,4箇所の補修のため,2億〜2億5千万ドルを支払ったと言われる.
また,キルギススタン・マナス空港が,1年間の期限付き・有料で米軍・フランス軍に提供された.
さらにグルジアにも米軍軍事顧問団が入ったが,チェチェン武装勢力を叩くのに米軍が一定の役割を果たしてくれることをプーチンは期待していたにも関わらず,同顧問団はグルジアの特殊部隊を訓練しただけだったという.
詳しくは,江頭寛著『プーチンの帝国』(草思社,2004.6.22),p.238-240 & 245-246を参照されたし.
【質問】
アメリカの軍事行動によってアフ【ガ】ーン市民が家を失ったという申し立てがされていることについて,アメリカ政府は関心がないように思われるが?
アメリカ大使館に行った人たちは門前払いされた,つまりアメリカ政府から基本的に相手にされなかったと聞くが?
【回答】
門前払いは事実ではありません.彼らの間で相互にやりとりがありました.
ちょうど数日前,私はこの件でアメリカから来られた数人の婦人と面会しましたが,この人たちは自分がしていることを私たちに知らせ,またアメリカ大使館とも結果的に家を失った,これらのアフガン人とも連絡を取っていると言っていました.
この婦人たちはアメリカ人です.
▼ 一方,『アフガニスタン悲しみの肖像画』(グローバル・エクスチェンジ他編,明石書店,2004.9.25),p.32には,門前払いをされた実例が報告されている.
同書によれば2003年10月,カーブル州ベマルー村の絨毯職工,グル・アフマドの一家は疎開先で空爆によりグル・アフマドを含む8人が死亡,家も失った.
遺された未亡人アリファ(第2夫人)は,世話を要する子供を5人抱え,隣人の助けを借りて,米国政府宛に援助を求める英語の手紙を書き,米国大使館を訪れたが,警備員は彼女を乞食呼ばわりして叱りつけ,手紙の受け取りを拒否したという.
彼女は渡米して米国政府に話をすることを望んでいるが,米国大使館は彼女のビザ発給も拒否しているという.
詳しくは同書,p.32-33を参照されたし.
なお,カルザイの述べている「アメリカから来た婦人たち」というのが,「グローバル・エクスチェンジ」メンバーではないかと推測される.
この団体は空爆被災者の実情調査・支援を行っている.▲
【珍説】
ターリバーンがいなくなって治安が乱れ,エロ写真が巷に氾濫するようになった.
(ペシャワール会・中村哲医師)
(ターリバーンがいなくなったので)エロ写真も売るがいい
(小林よしのり『新ゴーマニズム宣言11 テロリアンナイト』 p.22)
【事実】
旅行家,下川裕治著「アフガニスタン」(共同通信社)によれば,下川氏は,ターリバーン政権崩壊直後のアフ【ガ】ーニスタンで,エロ・ビデオなるものを実際に見たそうですが,それは着衣の女性がベリー・ダンスを踊るだけの代物だったそうです(氏は,顔が露出しているということが,猥褻に相当する部分なのだろうか?といぶかしんでいます).
ビデオですらそうですから,巷に氾濫しているという「エロ写真」がどの程度のものなのか,予想はつくというものです.
傍証として,以下のような証言を挙げます.
これはソ連軍侵攻前の例ですが,女性の写真が「珍獣写真」扱いであることが分かります.
――――――
レストランを出てみると,隣の一件の建物に,人が黒山のように群がっているので近づいてみると,どうやら映画館らしい.
その人だかりは,映画館の入り口にあるウィンドーのブロマイドを覗いていたのである.
パキスタンかインド辺りのフィルムを上映しているらしかったが,そのウィンドーに貼られたブロマイドに見入る市民の視線は,どことはなしに熱っぽく,ブロマイドを眺めるというよりも凝視しているかのように私には映った.
彼らの目は一斉にウィンドウの女優のブロマイドに集注しており,なんとはなしに,その人だかりが禁断症状にある,ある種の中毒患者のように,酷く虚無的にさえ思えてくるのだ.
――――――(安川茂雄=日本山岳会員,「アフガニスタンの山脈」,あかね書房,1966/12/25,P.48)
――――――
約2時間走り続けたバスは,村にも言えない,小さなオアシスに着いた.
ダリアコーチと呼ばれるバス・ストップと言ったらよいのだろう.
1軒の休憩所があり,アフガン人がのんびりと数人屯していた.
〔略〕
なんといっても興味のあったのは,この茶店の内部の壁に一分の透き間もなしに張り巡らされたブロマイドや,絵やポスター類である.
小学生の塗り絵めいたヘタクソな物もあれば,10年以上も昔のハリウッド・スターのブロマイド,外国雑誌の表紙など種種雑多で紙屑屋みたいな光景である.
国王と総理大臣の写真外は全て女で,中には日本製のカレンダーを剥がしたと見られるポスターも数枚貼られてあった.
サンヨー電気宣伝用のカレンダーで,和服姿の日本のモデル嬢が写っている,
3年ぐらい前のものだ.
それが額に収められて,いかにも大切そうに掲かっているのだから,私達は呆気に取られてしまった.
ハナバードで白●君にブロマイド2枚出すから,そのカメラ1台と交換しようという勇ましい申し出を受けたことは,既に書いたが,女の写真や絵は,この国では想像以上に貴重性を持っているのである.
むろん,日本の若い人々でも,好きな映画スターなどのブロマイドをピンアップしないわけではないが,ここの展覧会場は些か病的であり,異常なのだ.
女ならなんでも張り巡らした……といった印象で,まずコレクションといったものだろう.
それならそれで,ヌードやセミヌードのブロマイドがあるかと眺めてみると,一枚もない.
コレクションのどの1枚をとってみても,ことさらに男性の情感を駆り立てるようなポーズの作品はなく,酷く味気ない女性のプロフィルばかりなのである.
なんのことはなく,これだけ女の写真や絵を集めたぞというだけのもので,この辺りまで来ると,女のイメージは珍獣並みになり,さらにその甘美なイメージは希少性を帯びて,いっそう強まっているかに見える.
●=竹かんむりに旗
――――――同,P.101-102
▼ 以下は,ペシャワール会の会報にも寄稿している甲斐大策の証言.
〔略〕
私は少年を映画に連れていった.
やたらと美女が現れ,勇士が活躍するパシュトゥン語による時代劇だった.
〔略〕
客の大半は男子の若者達だった.
彼らにとって,ストーリーの展開は大したことではなく,女優のクローズアップに対して,全員が息をつめ,身を乗り出し,感情を全身に込めるのだった.
スクリーンから女優の顔が消えると,場内には吐息がつくる熱っぽい気音が充満した.
〔略〕
――――――『神・泥・人』(甲斐大策著,石風社,1992.2.20),p.74-76
▲
中村医師らはアフ【ガ】ーニスタンの性の乱れを嘆いているようですが,では,ターリバーン統治下のアフ【ガ】ーニスタンでは,女性の就労が事実上不可能になったために,巷に売春婦が溢れるようになった(ラシッド『タリバン』)という性の乱れについては,なぜ口を噤んでいるのか不思議でなりません.
◆◆パキスタンの政策転換
【質問】
なぜパキスタンはターリバーン支援方針を180度転換したのか?
【回答】
メリットが大きかったからだという.
以下引用.
「まず,タリバンと同じ船に乗って沈むことが回避できる.
また,軍事報復を行うアメリカに基地まで貸さなければならなくなるということまで読んでいたから,これに協力することで,パキスタンが直面している経済危機から逃れるための色々な支援を,アメリカやその他の国々から期待できる.換言すれば,90年からの核開発制裁,98年の核実験制裁の解除が期待できる.
イスラム過激主義支援を打ち切ることで,西側諸国の心証も良くすることができる.
アフガニスタンに関与してきたことで生じたパキスタン国内の法と秩序の乱れを正すことができる.アフガニスタンは密輸と麻薬の温床になっていた.また,タリバンと結託してきた過激派が,パキスタン国内のシーア派と抗争を起こして死者を出すなどの社会問題を抱えてきた.
さらには,イスラム過激派を支援するパキスタンではなくて,近代的なパキスタンを強調できるようになる.パキスタンの中産階級は近代主義者で,ムシャラフは彼らの支援を期待できる.そうなれば,国内のイスラム過激勢力が反ムシャラフ・キャンペーンを行っても封じ込めることができる.
なによりも政策転換はアメリカが後押しするだろうし,そのことは,ムシャラフ軍政の問題を暫く棚上げにする,とまで計算できた.
パキスタンは中国と友好関係にあったので,アメリカとの接近は問題になる.だが,その中国にしても新彊自治区内のウィグル人のイスラム過激主義に悩まされてきたことから,当面は反発はない,という読みもあった.
西側の援助復活でパキスタンは財政が改善され,通常戦力の強化も図ることができ,核依存度を下げることができるというメリットもあった」
(遠藤義雄 from 「ポスト・タリバン」,中公新書,2001/12/20,P.117-118)
【質問】
アメリカ支援を表明することにより,ムシャラフ政権が潰れる可能性はなかったのか?
【回答】
遠藤義雄は,「ムシャラフ大統領は抑え切る自信を持っていたようだ」と言う.
以下,引用.
「イスラム神学校の経営者で,タリバンを育てたJUI(ウラマー聖職者協会)は,タリバン支援政策を変更することに強硬に反対した.
しかし,そのリーダー達は反政府煽動で逮捕された.
また,イスラム保守派でヘクマティアル派を支持していたJIA(イスラム協会)のリーダーも逮捕された.
両者は対立関係にあるが,いずれも国民的なカリスマ性を持った指導者を持っていないため,リーダーの逮捕で全国に渡る政治活動はできなくなった」
〔略〕
「しかし,アメリカが軍事的に挫折すれば,逆にイスラム過激主義の声が大きくなっていたかもしれない.
この点で,今回の反テロ軍事行動の行方は,パキスタンの将来を左右する性格のものとなった」
〔略〕
「ムシャラフ政権は軍政だが,強大化した3軍統合情報部(ISI)は今回の政策転換について完全に納得したわけではない.ムシャラフは抑え込みにかかっている.
幸いにもアメリカの軍事作戦が早期に成果を上げる事ができたからよかったが,もし長期化していたら,ISIはタリバン支持勢力と結託し,政府転覆の行動を起す可能性があった.
ISIの中には,これまでのいきさつからアメリカに対する不信・反感が強く,親中国派になった者が少なくない」
(遠藤義雄 from 「ポスト・タリバン」,中公新書,2001/12/20,P.117-120)
【質問】
イスラーム保守派は,パキスタン全体ではどの程度の勢力なのか?
【回答】
実はそれほどでもない.
イスラム主義政党,JUI(ウラマー聖職者協会)もJIA(イスラム協会)も,選挙ではこれまで2〜3%しか得票できないでいた.
文民政府のベナジール・ブットやシャリフの政権はセキュラーな政党(世俗政党)を背景にしており,選挙を行えば常に多くの支持を得てきた.
パキスタンでは,アメリカとの関係を改善し,経済を立て直すことに対する支持が,実は多数派を占めている.
ムシャラフの〔タリバン支援からアメリカ支持への〕政策転換は,そうした社会層の支持を得ていると言える.
詳しくは,「ポスト・タリバン」(中公新書,2001/12/20),P.119-120(遠藤義雄著述)を参照されたし.
【質問】
ペシャワールなどでの反米デモは,本当に民衆の怒りを意味していたか?
【回答】
マルマラ・クエッタ州知事の言葉を信じるならば,「ただのお祭り」.
「――〔米軍空爆において〕パキスタンがアメリカに軍事協力をすると言った日から,原理主義者による反米・反パキスタン政府デモが行われていますが,パキスタン政府転覆の可能性はあるのでしょうか?
すると,マルマラ氏は大笑いしながらこう言う.
『あのデモはお祭りみたいなものです』
――?
『デモは政府の許可を取って行っているものです.何月何日,何時からこういった内容のデモをしたいと,デモ主催者がパキスタン政府に申請し,政府がオーケーを出す.
その代わり,政府は,どこの場所で何時まで,という条件を出すのです.
例えばクエッタの場合は,デモの場所はサッカー場です.
極端な話,我々パキスタン政府は,彼らが何を叫ぼうと歌おうと踊ろうとサッカーをしようと構わないのです.
現在のデモは,そんなレベルのものです』
――しかしその割には,軍隊が出動したり,ブッシュ大統領の人形を焼いたり,かなり激しいもののようですが…….
『軍もデモ隊もパフォーマンスですが,デモ隊にとっては何よりも金ですよ.
首謀者は湾岸諸国などから,デモ代として金を貰っています.そうでなきゃ,毎週金曜日(イスラームの礼拝の日.デモはこの日に限られる),あんな埃っぽい場所へわざわざ行きません.
あとは貧しいイスラーム原理主義者,そして暇人も行ってるみたいです.なにしろパキスタンには娯楽が少ないですから』
――その割には激しく抗議してませんか?
『叫んでいるうちに陶酔してくるのでしょう.
それにメディアの力もあります.
あなたもクエッタに行けば分かりますが,あれは運動会みたいなものです.サッカー場の観客席に紐が張られ,世界中から来たメディアがそこから彼らを撮影します.
写真を撮られる機会など殆どなかった人間にとって,無数のカメラが一斉に自分達の姿を追うのはある意味,快感なんじゃないでしょうか
それに,あのデモはパキスタン政府としても必要なのです.外交上アメリカ側につきましたけど,パキスタン国内にはこれだけ熱烈なイスラーム支持者がいるんだということを,アラブ諸国にアピールできるわけです』」
(大高未貴「神々の戦争」,2001/12/20,P.161-163)
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