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【質問】
「先住民族」の定義は,的場光昭の言うように,明示されていないものなのか?
【回答】
「先住民族」の定義をでっち上げる手口について
アイヌ否定論者がしばしば問題にするのは,「先住民族」の定義が宣言文や決議文に明示されていないことだ.
だが,国連の中では先住民族に関する議論は積み上げられてきていた.
そのひとつが,1982年のコーボ報告書だ.
コーボ報告書は,国連の先住民族政策でどのような位置を持っているのかといえば,以下の通りだ.
――――――
[先住民族の権利に関する]宣言は採択までに起草から22年以上経過した.
1982年に経済社会理事会 (ECOSOC) はホセ・マルチネス・コーボ特別報告者の先住民への差別問題に関する調査報告書を受け,国際連合先住民作業部会 (WGIP) を立ち上げた.
先住民保護のための人権基準を開発することを任務とし,1985年に,作業部会は先住民族の権利宣言の草案策定に取り組み始めた.
草案は1993年に仕上がり,少数者の差別防止および保護に関する国連人権小委員会に提出され,翌年に承認された.
先住民族の権利に関する国際連合宣言 - Wikipedia
――――――
当然,国連宣言はコーボ報告書の定義に基づいていることになる.
では,ここで報告書を見てみよう.
――――――
279.先住のコミュニティ,(先住の)民族及び国民とは,自己の生活領域において発達した,侵略前及び植民地化前の社会と歴史的連続性を有し,自己の領域又はその一部において,現在優勢であるところの社会のなかの他の部分と,自己を異なるものと見なす者である.
先住住民は,現在,社会の非支配的部分を構成し,並びに民族としての存在が連続していることを基礎として,その先祖伝来の領域及び民族のアイデンティティを,自己自身の文化様式,社会制度及び法制度に従って,維持し,発展させ及び将来の世代に伝えることを決意している.
http://www.chikyukotobamura.org/passed_special/special20080626s.html
――――――
ここで言われる「歴史的連続性」とは,以下のように定義される.
――――――
280.この歴史的連続性とは,次にかかげる要素のうちの1以上が,現在にいたるまでの長期にわたる期間において連続していることにより構成することができる.
(a) 先祖伝来の土地の占拠又は少なくともその一部の占拠
(b) (a)にいう土地の始源的な占拠者との共有
(c) 一般的な意味での又は特殊な表現による文化(例えば宗教,部族制度の下での生活,先住民コミュニティの構成員であること,衣服,生活様式など)
(d) 言語(唯一の言語として,母語として,家庭若しくは家族における習慣的コミュニケーション手段として,又は一般的な若しくは標準的な言語として使用されているかは問わない.)
(e) 国の一定の部分または世界の一定の地域における居住
(f) その他の関連ある要素
http://www.chikyukotobamura.org/passed_special/special20080626s.html
――――――
どう見ても,アイヌはここで云う「先住民族」に該当する.
彼らは北海道という伝来の地で暮らし,伝統儀式を継承し,アイヌ協会というコミュニティを構成している.
また,国内でも,行政ではなく司法によるものだが,アイヌを国連のいう先住民族に該当するとした,公的な判断がある.
有名な二風谷ダム裁判の判決文だ.
――――――
(……)アイヌ民族は,我が国の統治が及ぶ前から主として北海道に居住し,独自の文化を形成しており,これが我が国の統治に取り込まれた後も,その多数構成員の採った政策等により,経済的,社会的に大きな打撃を受けつつも,なお民族としての独自性を保っているということができるから,先住民族に該当するというべきである.
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/5596/
――――――
他にも,たとえばジュリアン・バージャーの定義などがあるらしいけれど,ここでは触れない.
以上のように,たとえ宣言文や決議に明記されておらずとも,その範囲を(政治的に)確定する試みはなされてきたのだ※2.
さて,では的場がどのように「先住民族」を定義しているかを見てみよう.
まず彼はみずからの定義の方法論を次のように述べる.
――――――
(……)国連宣言文があげる,先住民族の権利の内容のいくつかから推し量ると,概ね次のような条件を満たしたものが国連宣言にいうところの“先住民族”ということになります.※3
――――――
どうやら,国連宣言には先住民族が虐殺に晒されない権利などを定めているのだから,そういった酷いことを受けてきた集団のみが先住民族だ,と言いたいらしい.
日本国憲法には拷問の禁止(36条)や差別されない権利(14条)などが書かれているが,拷問されたり差別されたりしなければ日本国民ではないことになってしまうのだろうか.
ある集団に,どのような権利が保障されているかということと,その集団がどのように(政治的に)定義されるものであるかというのは本来別の問題だ.
そして的場は上述の方法論に基づいて,以下のような珍妙な「定義」をでっち上げる.
――――――
(1)他民族の侵略により植民地化された地域に元々住んでいて人権や基本的自由を剥奪されてきた人々.
(2)独自の政治的・経済的および社会的構造を有し,哲学的精神的伝統や歴史を有する人々.
(3)尊重されるべき独自の伝統的習慣や知識文化を有する人々.
(4)侵略者によって集団的虐殺や子供の親からの引き離しを受けた人々.
(5)侵略者によって民族根絶政策を受けた人々.
(6)侵略者によって文化的集団虐殺をされた人々.
(7)独自の言語を使用する人々.
(8)侵略者の建てた国家に差別されてきた人々.
(9)大航海時代以後白人によって土地を奪われ,迫害を蒙った人々.※4
―――――――
どこからどう突っ込めばいいのだろう.
確かアオテアロア(ニュージーランド)の先住民族マオリは,虐殺なんてされてなかったように思うんだけど,先住民族議席を持ってるマオリは,先住民族じゃないことになってしまうのだろうか.
あと,ハワイでも確か虐殺なんてされてなかったよなぁ.
ハワイ人は先住民族じゃないのですね,わかります.
ていうかこの定義だったら,イエローな中国人に侵略されたチベット人は,先住民族じゃなくなるじゃん……
的場は,以上のデタラメな定義に基づいて「検討」していくけど,とんでもなく狂ってる定義を元にして,まともな論理がこね上げられるはずもない.
彼は次のように言う.
――――――
(2) 残念なことにアイヌは,文字を持たなかったために,独自の政治的経済的社会構造を持ちませんでした.
それは彼らが農耕民族ではなく,狩猟採集民族であり,大きな組織や統制のとれた集団行動を必要としなかったことも大きく影響しています.※5
――――――
そんなこと言ったら,ネイティヴ・アメリカンの多くもイヌイットもインディオもアマゾンやブラック・アフリカの原住民もアボリジニも,先住民族じゃなくなるじゃん.
インカやアステカの末裔とかぐらいしか,先住民族じゃなくなるぞ.
同様の過ちは小林よしのりも犯していた.
以下参照.
アイヌだけでなくアボリジニにも無知な小林よしのり
- Danas je lep dan.
――――――
(4) スペインやポルトガルによる中南米のインディオの大虐殺は特に有名です.
北米でも1千万人いたインディアンは,9割を殺されました.
(……)
このようなことは,我が国のアイヌにはありませんでした.※6
――――――
まずもって,北米などの地域での急激な人口減少の要因は,虐殺だけではない.
虐殺行為がなかったとは言わないが,直接的な虐殺で減少した人口は,全体から見れば微々たる数字だ(そもそも,どうして原爆のような大量破壊兵器を有していなかった当時のヨーロッパ人が900万人ものネイティヴ・アメリカンを殺せようか?)※7.
では何故ネイティヴ・アメリカンやインディオは減少したのか?
それは,「開拓者」が持ち込んだ未知の伝染病や,接触によって引き起こされた社会構造の変化(つまりは,資本主義体制への従属的な包摂)による,伝統社会の崩壊などが原因となっているのだ.
「銃」だけではなく,「病原菌」もまた大きな役割を果たしていた.
こんなことは,多少なりとも世界の先住民族問題に関心があれば,常識に属す.
先住民族の人口減少のすべてが,直接的な虐殺によるものだなんてのは,
「地球に小惑星が落下して,恐竜はそれにぶつかって絶滅しました」
と言っているようなものだ.
重要なのは,衝突の直接的な被害ではなくて,それがもたらした気候変動などの,より大きなスケールでの変化である.
そして歴史学者は,上のような,ネイティヴ・アメリカンを従属的な地位に転落させたメカニズムが,蝦夷地でも作用したことを明らかにしている.
たとえば,和人は「蝦夷地に全く新しい伝染病をもたらし,そのことはアイヌたちの自治を弱体化させ,ついには彼らの土地が日本に併合されることに抵抗する能力を失わせた」※8.
――――――
さらに伝統的習慣の最たるものとしての葬儀では,ほとんどの自称アイヌ系の人々も仏式であり,家に仏壇を置いて祖先を供養しています.(……)※9
――――――
インディオやその他の先住民族には,キリスト教に改宗したひとが沢山いますね.
それが?
だいたい,そもそも論で言えば仏教は,日本にとって外来宗教だろうが.
火葬なんてのは古代日本にはなかった.
日本人なら土葬しろ,土葬※10.
……取り敢えず,他にもツッコミ所は多々あるのだが,「先住民族」をめぐる嘘については,この辺りで筆を置くことにする.
最後に,的場の言葉を紹介して終わろう.
彼は国連宣言を受け入れた日本政府の姿勢を,「新たな野蛮国宣言をしただけ」※11と批判する.
だが,ある集団に保障された権利の内容を,そのままある集団の定義に用いて,国際的な宣言を拒否する国があるとすれば,そういった国こそ法律学以前に,小中学校レヴェルの論理がわからない野蛮国なのではなかろうか.
わざわざ祖国をそんな国に見せようとするとは,的場は余程の「反日」に違いない(皮肉).
※1:ピエール・ヴィダル=ナケ(石田靖夫訳)『記憶の暗殺者たち』人文書院,1995,pp.9-10.
※2:この辺は,人権擁護法案をめぐる議論の中でも出てきた論点だろう.
「人権」の定義や欠格条項が存在しないことを,一部の反対派はあげつらったが,それらは他の法律との関わりで理解されるべきものだった.
無論国内法と国際機関における蓄積とを同列に語ることはできないが,今回否定論者が繰り返している間違いも,同様のものといえよう.
※3:的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p.19.
※4:同,pp.19-20.信じられないだろ,丸囲み数字を()囲み数字に改めた以外は原文ママなんだぜ,これ……
※5:同,p.21.
※6:同,p.22.
※7:当たり前だが,これは「原爆のような大量破壊兵器がなければ,30万人も殺せないはずだ」と主張する南京事件否定論者のパロディであって,僕の本心ではない.
なお,的場は南京事件否定論者であることを述べている.同,p.94.
※8:ブレット・ウォーカー(秋月俊幸訳)『蝦夷地の征服1590-1800――日本の領土拡張にみる生態学と文化』北海道大学出版会,2007,p.254.
※9:的場前掲書,p.22.
※10:真面目な話,僕は死んだら火葬ではなく土葬にして欲しい.
灰になるまで焼かれるぐらいなら,土に還りたい.
俺の田舎では,数十年前まで埋めてたらしいから(今も田舎の墓地には不自然なスペースが幾つもあって,ああ土葬の跡だ,というのがわかる),できないことはないと思うんだが……
許可下りないだろうなぁ(嘆息).
実際,傍系の皇族方にしたところで,土葬じゃなくて火葬されちゃってるわけで,一般庶民の俺が灰になることを拒むことはできないのかもしれない.
※11:的場前掲書,p.94.
「ストパン」■(2010-03-10)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(1)
青文字:加筆改修部分
【珍説】
――――――
id:mukkeという人物が,その的場光昭先生の著書を手ひどく中傷する作文を発表している.
いつも遠回しにつぶやくばかりだったが,今回ばかりはさすがに痛みに耐えかねるというといささか大げさだが,堪忍袋の緒が切れた.
何しろ開拓者を「病原菌」呼ばわりしてくれたわけだから,ここで黙っているわけにもいかない.※1
痛みに耐えかねて - さぼてん日記
――――――
【事実】
誰も開拓者を「病原菌」なんて言ってません.
近世から近代にかけて和人が持ち込んだ「病原菌」が,アイヌを減少させた,という話をしています.
日本語が読めないのですか?
「ストパン」■(2010-03-11)[アイヌ否定論][デムパ]日本語でおk
青文字:加筆改修部分
ちなみに,知里真志保の一高時代の日記より.
――――――
我々ハ物心ガツイテ以来,『アイヌナルガ為メ』随分ト運命ノ迫害ヲ経験シテ来タ.
社会カラボイコットサレテ来タ.
コノ迫害侮蔑ハ社会的デアルト同時ニ歴史的デアル.
カクシテ我々ハ悲シイ『諦メ』ヲモタナケレバナラナイ.
アイヌハ『バチルス』デアル.
――――――
「ストパン」■同上コメント欄より
※Wallerstein,2010/03/12 18:15のレスより孫引用
青文字:加筆改修部分
Mukke 2010/03/13 08:22
Wallersteinさん>
ありがとうございます.
そこら辺の知里の葛藤をまったく考えずに,知里の都合の良い発言ばかりを抜き出すことが,いかにアイヌを傷つける行為か,というのを,知里を利用した否定論者にはしっかりと考えて欲しいものだと思います.
「ストパン」■同上コメント欄より
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
一般に民族の定義は,「同一の人種的並びに地域的起源を有し,または有すると信じ,歴史的運命および文化的伝統,特に言語を共通にする基礎的社会集団」(『広辞苑』)とされています.
この定義に従って,現在のアイヌ人といわゆる和人が別々の民族であるのか,また日本は多民族国家なのかを考察してみましょう.
――――――的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p.28
【再反論】
的場がみずから言うように,人類学や考古学や言語学に基づいた「様々な客観的事実」に基づいて「民族」を論ずるのであれば※2,一般に通用している語の意味を掲載した国語辞典ではなく,人類学や社会学の文献にあたって,「民族」の意味を確かめるべきであろう.
ちなみに,岩波書店が出している「岩波講座文化人類学」シリーズには,
「民族とは何かという問いに,あいまいさをまじえずに答えることは不可能である」※3
と書かれている.
こうやって,恣意的な「定義」が作られていく.
国語辞典は,今の日本語話者が,どのような意味を込めて「民族」という語を使っているのかを教えてはくれるが,学術的に「民族」とはどのような存在なのかを教えてはくれない.
前者と後者を混同させることで,的場は読者を混乱させる.
実に詭弁的な手法である.
※2:同,p.170
※3:内堀基光「民族の意味論」 from 『民族の生成と論理』(岩波講座文化人類学5)岩波書店,1997,p.16
「ストパン」■(2010-03-11)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(2)
青文字:加筆改修部分
【反論】
―――――――
昨年私が直接北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)に問い合わせましたところ,
「アイヌの血を引くと確認された者,およびその家族・配偶者・子孫がアイヌである.
また,養子縁組などでアイヌの家族になった者も含まれるが,これは本人一代限りにおいてアイヌと認め,同協会への入会が認められる」
という実にあいまいなものでした.
―――――――
―――――――
先に引用した広辞苑の定義とは似ても似つかぬ珍妙な定義です.
それどころか最近の遺伝子研究に従えば,日本人の多くは同協会のいうアイヌ民族になってしまいます.
(……)
―――――――的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p.78
【再反論】
北海道ウタリ協会の回答は,北海道が実施した「ウタリ生活実態調査」におけるアイヌの定義,すなわち
「地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる人,また,婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる人」※23
とほぼ同じである.
特段問題のないように思える定義なのだが,的場はそれを批判する.
的場センセイ,あなたはどれだけ日本語力に欠如しておいでなのですか.
あなたが主張していたのは,
「アイヌも和人もウチナンチュも同じ起源だ!」
ということであって,
「和人とウチナンチュの起源はアイヌだ!」
ということではないでしょ?
縄文人が和人やアイヌに分化したのであって,和人がアイヌから分岐したわけではない※25.
それとも的場センセイは
「和人の起源はアイヌだ!」
と主張したいのだろうか.
だとしたら,江上波夫が提出した以上に,奇っ怪極まる起源論だと思うので,是非一度お医者にかかってみてはいかがだろうか.
あ,失礼,ご自身がお医者であられましたね.
※23:私たちについて/アイヌの生活実態 - 社団法人北海道アイヌ協会
※25:このエントリでは無批判に「縄文人」という語を用いているが,無論それが直接大和民族やアイヌに繋がるわけではない.
大和民族もアイヌ民族も,それぞれ違った経路で,大陸からの影響を受けて歩んできたのだから.
cf. アイヌとは何か - 我が九条−麗しの国日本
「ストパン」■(2010-03-11)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(2)
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
強いて言えば,私は,アイヌを「民族」としては考えていない.
理由はさまざまだが,何より,現代アイヌ自身による定義の確立がなされていないのに,利権のため,明確な論議もなく,「民族」という言葉を都合の良いようにしか利用していない点に,強い憤りを感じている.
アイヌの代表のような顔をしているアイヌ協会ですら,「アイヌとは何か」という問いに,はっきり意見を言えないのである.
――――――※2
【再反論】
それをいったら,いわゆる「大和民族」にも定義はありません.
ある人類学者は,アイヌにのみそういった「民族の定義」が要求される構造を,次のように批判しています.
――――――
また,アイヌの人々にたいして「民族とは何か」という疑問への回答を迫り,その回答が提示されない限り,アイヌ新法の成立へも動き出さないのが,政府の見解であった.
逆に,「日本民族とは何か」と問われたとき,答えに窮する人が圧倒的に多いはずだ.
自己の「民族」的な定義すらも論争の対象にしかすぎない和人が,アイヌにだけ不協和音のない定義を求めるのは,きわめて不条理である.(……)
――――――※3
そもそも学術的には,既に「『民族』にまつわる自明性」は「実証の場でつき崩」され,「ある『民族』的な集団の客観的な指標とみなされてきたもののすべてをかね備えた集団のみを『民族』とすることはとうていできないだけでなく,こうした指標のうち特定のものに優先権を認めることすら困難になってい」ます※4.
「民族」に明確な定義を与えることができる,というのは非学問的な態度です.
かつて,カウツキー,バウアー,スターリンといったマルクス主義の理論家たちが学問的な定義付けを試みたことがありますが※5,現在ではそれらの説は否定されています.
ちなみに,的場光昭によれば,
――――――
昨年私が直接北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)に問い合わせましたところ,
「アイヌの血を引くと確認された者,およびその家族・配偶者・子孫がアイヌである.
また,養子縁組などでアイヌの家族になった者も含まれるが,これは本人一代限りにおいてアイヌと認め同協会への入会が認められる」
という,実にあいまいなものでした.
――――――※6
とのことですので,「アイヌ協会ですら,『アイヌとは何か』という問いに,はっきり意見を言えない」というのは間違いでしょう.
彼らは定義を示しています.
(その定義の良し悪しは別問題です.
私見では,少数民族においてはよく見られる定義であり,特に問題はないかと思いますが)
「もっと厳密な定義が必要!」というご意見でしたら,以下をお読み下さい.
アファーマティヴ・アクション,或いは民族政策の対象をどう区画するか?
- Danas je lep dan
※2:砂澤陣「全国紙が書かないアイヌ利権の腐臭3――『歴史』を利権にするプロ・アイヌの野望」『正論』2010年7月号,pp.216
※3:太田好信『トランスポジションの思想――文化人類学の再想像』世界思想社,1998,p.125.
※4:内堀基光「民族論メモランダム」田辺繁治編著『人類学的認識の冒険――イデオロギーとプラクティス』同文館,1989,p.29.
※5:マルクス主義における「民族」――エンゲルスからユーゴスラヴィアまで - Danas je lep dan.
※6:的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p.78.
「ストパン」■(2010-06-07)[アイヌ否定論]砂澤陣氏の誤謬を糺す
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
恣意的なアイヌ登録が横行する日本と,エライ違い
→『Cherokee Nationには,現在22万人以上のチェロキーが登録されている.
当然,混血が多くなっているが,8分の1の血縁まで登録できると聞いた』
http://goo.gl/tBQv
http://twitter.com/miro_cherry/status/22065500977
――――――
【再反論】
いやいやいや,チェロキーのような「大きな」民族と,アイヌを一緒くたにしてはマズいでしょう.
どうしてチェロキーが「混血」の度合いに制限を設けているかというと,それは大きな集団であるため,比較的「純粋」に近い構成員だけで,充分な数を確保できるからに他なりません.
民族語もある程度保存されています.
(もっとも,家庭でも民族語を用いる割合が人口の20%を超えるナヴァホには及びませんが)
一方で,アイヌは「小さな」民族です.
民族語の母語話者は殆どおらず,民族語を用いることができる人もいますが,活発に用いられているとはいえません.
混血が進み,多くの成員には何かしら「和人」の血が入っています.
そのような状況で,厳格な判断基準をもって「民族」の境界を定めることは非常に難しいものがあります.
ゆえに,チェロキーほど大きくない民族は,チェロキーより遥かにルーズな規定でもって,部族の構成員資格を定めていることが多いです.
「ストパン」■(2010-08-28)チェロキーとアイヌとの不適切な比較について――誰が「民族」を認定すべきか?
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
日本も米国を見習って,不正だらけのアイヌ協会でなく,行政が責任をもってアイヌ認定をしたほうがいい
→『連邦政府の承認』インディアン
http://twitter.com/miro_cherry/status/22147353981
――――――
【再反論】
「米国を見習って」ですか……
これがまだ,「チェロキーやナヴァホやスーを見習え」なら,論理として一貫しているとは思うのですが
(それらの民族を見習うべきかどうか,という妥当性を抜きにしての話ですよ!),
この発言は色々と意味不明です.
まず第一に,連邦政府によるインディアンの部族としての承認は,
「そういう部族が存在することを承認する」
という類のものです.
で,そういう承認を求めているのであれば,既になされています.
2008年,国会で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択されました.
――――――
一 政府は,「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を踏まえ,アイヌの人々を日本列島北部周辺,とりわけ北海道に先住し,独自の言語,宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること.
http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/ketsugi/169/080606-2.html
――――――
これを受けて,福田康夫内閣は以下の談話を発表します.
(内閣は,言うまでもないですが行政府の長です)
――――――
3.また政府としても,アイヌの人々が日本列島北部周辺,とりわけ北海道に先住し,独自の言語,宗教や文化の独自性を有する先住民族であるとの認識の下に,「先住民族の権利に関する国際連合宣言」における関連条項を参照しつつ,これまでのアイヌ政策をさらに推進し,総合的な施策の確立に取り組む所存であります.
http://www.kantei.go.jp/jp/tyokan/hukuda/2008/0606danwa.html
――――――
アイヌ民族という集団の存在は,行政レヴェルでとうに「承認」されているのです.
第2に,もしmiro_cherryさんの唱えているのが,「誰が『アイヌ』の構成員であるか?」の裁定を,アイヌ民族ではなく,行政に全面的に委ねようという主張なのであれば,アメリカはそんなことやってないです,でお終いでしょう
.アメリカは個々の部族に,その構成員の資格を決める権限を委ねているのですから.
このことは,miro_cherryさんが引き合いに出したウェブサイトにも書かれていることです.※1
――――――
この再認定要求の流れとして,混血度の高い部族ほど,「何分の一までの混血なら部族員とみなす」と部族独自の混血度の規定を設け,規定を緩めて再結集しようとする傾向があり,ふた桁以上の混血度でも正部族員と認める部族もある.
(この規定でいけば,16分の1チェロキー族の血を引いているビル・クリントンも,正式なインディアンということになる)
年々この要求は広がりつつあり,連邦側も対応に苦慮している.
とはいえ,混血と同化を押し付けてきたのは連邦政府のほうである.
http://wapedia.mobi/ja/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3?t=10.
――――――
無論別のツイートでmiro_cherryさんが例に挙げたように※2,個々のインディアンが政府から何かしらの援助を受けようと思った場合には,「誰がインディアンであるか?」という,行政の定めた基準に則って認定がなされるわけですが,それと個々の部族の成員認定は基本的に別です.※3
要するに,アメリカには「インディアン」の定義が幾種類も存在するわけです.
その中の都合の良い定義を引っ張ってきて,「米国を見習え」とする主張に対しては,こう答えさせていただきます――
「じゃあ,チェロキーじゃなくて,ほぼ無条件に部族の構成員となることを認めている,弱小部族の認定方式を参考にしましょうか」.
そもそも,上で挙げたサイトには,行政の認定が得られず,苦しんでいる部族の実態も描写されています.
(行政の側が,記録が散逸してしまったような部族には,乗り越えられないハードルを「認定」に際して課している)
その辺を無視して論じられても困りますね.
ちなみに,ドイツにはソルブというスラヴ系先住民族が居住していますが,彼らがどのように定義されているかを見てみましょう.
――――――
第2条 ソルブ民族(ヴェンド)に属することを表明した者は,ソルブ(ヴェンド)民族に所属する.
この表明は自由であり,これを否認し,または審査することは,許されない.
この表明によって,その市民に不利益が生じてはならない.
(ブランデンブルク州のソルブ法)※4
第1条 ソルブ民族に属することを表明した者は,ソルブ民族に所属する.
この表明は自由である.
これを否認し,または審査することは,許されない.
この表明によって不利益が生じてはならない.
(ザクセン州のソルブ法)※5
――――――
チェロキーに比べて,とても緩やかな定義ですね.
僕は,多数派の中に埋もれてしまっている少数民族の定義は,このぐらい緩やかな方がいいのではないかと思います.
そもそも何故アイヌに混血が多くなってしまったのかといえば,北海道を「開拓」しに「和人」が沢山入ってきたからですよね.
その辺の因果関係も忘れてはならないでしょう.
「アイヌ認定の基準が曖昧」※6であることに疑問を抱き,
「アイヌ民族が居るなら,なぜアイヌの基準が曖昧なのでしょうか」※7
と問いかけるmiro_cherryさんには,是非,世界の先住民族について学んでほしいと願います.
インディアンだけが先住民族じゃないし,インディアンといっても色々いるのです.
「『アイヌ民族』の基準は,知れば知るほど胡散臭い」※8?
あなたが世界の先住民族について無知なだけではないのでしょうか.
それから,縄文時代にまで遡って,「同じ民族」を云々するくらいなら※9,いっそ人類皆兄弟,とでも主張されてはいかがでしょうか.
縄文人にまで遡れば,和人とアイヌは同じ?
なら,アフリカにまで遡れば,インディアンと白人だって同じ集団でしょう.
そんなエセ科学的な人種論に乗せられてはいけません.
加えてmiro_cherryさんは,知里真志保が「アイヌ民族は存在しない」と言った,というその一事をもって「アイヌ民族は存在しない」と結論づけていますが※10,それは幾つもの理由からおかしな主張です.
第一に.知里の主張を尊重しながら,一方では「アイヌ民族は存在する」と言っている,現在の多くの学者の主張を尊重しないことに対する理由が示されていません.
学者の主張だから尊重するというのなら,同様に現在の学者の意見に対しても,同様の敬意が支払われねばおかしいはずです.
知里の主張だから尊重するというのなら,知里のみがそのような敬意に値する理由を示さねばなりますまい.
第二に.既にmoriteppeiさんが指摘されていますが※11,知里は民族学や人類学の専門家ではありません.
第三に,知里の時代と現在とでは,「民族」という概念そのものが大きく変化を被っています.
知里が当時の,しかも専門外の分野の「常識」に影響されて主張した言説は,現在の「民族」をめぐる学問状況においては,既に「時代遅れ」と見なされ得るものです.
知里の言説のみを根拠に,アイヌ民族を否定しようなどというのは,根本的に間違った議論といえます.
ちなみに,miro_cherryさんは
「正義を気取るなら,アイヌ利権にも厳しくあるべきです」※12
と仰いますが,貴兄に反論したmoriteppeiさんやその他の方の中で,あからさまな不正(領収書の不正記載とか)を擁護しているひとっているんでしょうか?
少なくとも僕に限って言えば,切り離して論じろ,と言っています.
アイヌ協会が不正にまみれた組織なのだとしても,それはアイヌ民族という実体が存在するかしないかとは,別の問題ですよね?
アイヌ協会による不正を糾弾するのは結構ですが,どさくさに紛れてアイヌ民族を否定されても困る,と言っているのです.
〔略〕
※1:別のツイートでは,この箇所を引用している.
http://twitter.com/miro_cherry/status/22147629951
知っていて,なお片方の視点でしか書かないのは,公平さを失してやいないだろうか?
※2:http://twitter.com/miro_cherry/status/22065363499
※3:この辺,詳しくは,鎌田遵『ネイティブ・アメリカン――先住民社会の現在』岩波新書,2009を参照.
※4:渋谷謙次郎編『欧州諸国の言語法――欧州統合と多言語主義』三元社,2005,p.311.
※5:同,p.315.
※6:http://twitter.com/miro_cherry/status/22188333979
※7:http://twitter.com/miro_cherry/status/22170856558
※8:http://twitter.com/miro_cherry/status/22172291368
※9:http://twitter.com/miro_cherry/status/22149426493
&http://twitter.com/miro_cherry/status/22149561906
※10:http://twitter.com/miro_cherry/status/22165646182,http://twitter.com/miro_cherry/status/22166395738,http://twitter.com/miro_cherry/status/22166576586
※11:http://twitter.com/moriteppei/status/22225923992
※12:http://twitter.com/miro_cherry/status/22269426581
「ストパン」■(2010-08-28)チェロキーとアイヌとの不適切な比較について――誰が「民族」を認定すべきか?
青文字:加筆改修部分
Mukke 2010/08/30 20:33
〔略〕
ちなみにザクセン・アンハルト州,シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の憲法では,特別な限定を設けず,民族的少数者およびVolksgruppenへの帰属は自由,となっています.
それからザクセン,ブランデンブルク両州のソルブ法では,「ソルブ民族の先住地域」が指定され,それらの地域において,先住民族としての扱いを受けることになっているようです.
「ストパン」■(2010-08-28)コメント欄
青文字:加筆改修部分
【反論】
----------------
『インディアンは,連邦と州の双方から縛られている.
自主独立の強さで知られるイロコイ連邦の一部は,この部族議会を置いていない.
つまり,連邦からの金銭的な援助をいっさい断つことで,連邦が干渉できない自治力を維持している』インディアン
http://goo.gl/4mg8
http://twitter.com/miro_cherry/status/22680400638
----------------
【再反論】
アイヌと比較するのに,チェロキーみたいな大きな部族は不適切だ,と言ったら,チェロキーより政治力が強いイロクォイ*1の例を持ち出されましたの巻.
根本的に読めてないのですねぇ.
「ストパン」■(2010-09-05)[デムパ]「利権擁護」と喚いておけば反論になると思っているひと
青文字:加筆改修部分
【反論】
----------------
なんちゃってアイヌにも,こんなのが混じってるかも.
→『米国で数年前,不法滞在の韓国人が先住民のインディアンの身分証明書を偽造し,自分の写真を張って米国市民になりすましていたという面白い事件があった…』
http://goo.gl/OWMU
http://twitter.com/miro_cherry/status/22398706216
----------------
【再反論】
色々な意味で酷いな.
まず,何の根拠もないよね,それ.
ていうか,ここで例に挙げられているアメリカの事例で,悪いことしたのは「不法滞在の韓国人」であって,インディアンじゃないよね?
そしてこの事例は,「インディアンの認定基準の曖昧さを利用して」ではなく,「文書を偽造することで」起こされた事件なのだから,仮にそういう事件が起こったとしても,問題があるのは認定基準ではなく,簡単に偽造できちゃう身分証を発行しちゃうことだよね.
要するにあなた,先住民族に文句つけたいだけなんでしょ?
「ストパン」■(2010-09-05)[デムパ]「利権擁護」と喚いておけば反論になると思っているひと
青文字:加筆改修部分
【反論】
----------------
〔略〕
アイヌの権利・救済を主張するご立派な倫理観・正義感を,アイヌ詐称や不適切な会計処理に向けて欲しいのに,絶対そうならない.
それどころか,税金詐取の温床になっている曖昧なアイヌ基準を擁護してばかり….
既得権益を正当化したい魂胆がミエミエですよね.
http://twitter.com/miro_cherry/status/22790382112
----------------
【再反論】
俺がアイヌ協会の不正とかいわれる問題に取り組んでいない理由は2つ.
第一に俺は本州在住の和人であり,アイヌ協会の内実についてまったくの無知だから.
アイヌ協会の言い分と,砂澤氏ら批判派の言い分の,どちらが正しいのかを客観的に検証する術を持たないから.
よくわからない分野に手を突っ込んで,火傷するのは避けたい.
俺の砂澤氏へのトラバ見てみ?
砂澤氏の民族問題や少数言語問題への認識について突っ込んだことはあるけど,砂澤氏の不正追及については基本的に何も言ってないでしょ?
第二に,そもそも俺は金銭的な不正という問題に,さほど興味が湧かないから.
俺のブックマークを見てもらえばわかるけど,たとえば現在話題になっている民主党の小沢前幹事長の汚職とか,そういう話題はちっともチェックしてないでしょ?
試しに「汚職」ってタグ見てみ?
ここ最近殆どブクマしてないのがわかるから.
自分の興味関心も知識もない分野に,わざわざ首を突っ込むほど俺は酔狂じゃないんで.
俺にその分野へのコミットを要求するなら,その分の金よこせ.
で,これ,文章の中身入れ替えたら,直ぐさま自分に返ってくるブーメランだって,ご本人は気付いていないのだろうか?
「アイヌ協会の不正や利権には目を向けるのに,アイヌの権利には無頓着なこの類のひとって,一体何なんだろう」
(無論皮肉であって,個人的にはそういうひとがいても問題ないと思いますが).
ところで,本州在住の和人がアイヌ協会を擁護すると,既得権益がもらえるなんて知りませんでした.
何て太っ腹な組織なんだろう!
「ストパン」■(2010-09-05)[デムパ]「利権擁護」と喚いておけば反論になると思っているひと
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
(……)結局現在では遺伝子分析によってアイヌ人も和人も沖縄人も同一起源であり,混合を繰り返してきたことが明らかになっています.
つまり,和人とアイヌ人は単一民族の条件の一つである,「同一の人種的並びに地域的起源を有し」ています.
――――――的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p.29
【再反論】
遺伝上の起源などは,「民族」の定義にまったく関係ない.
そんなことを言うのなら,人類は皆アフリカで生まれたミトコンドリア・イヴの子孫なのだから,人類皆同一民族と言ったっていい.
人類のアフリカ起源説は,遺伝学的に証明されているのだから.
「民族」が問題になるときの「起源」というのは,そういうことではない.
それは記憶の中の起源である.
日本神話と琉球神話とアイヌ神話は,それぞれ別の起源について述べている.
大和民族は遺伝的に見るのならば,縄文系と弥生系の混血によって生じた.
だがそれでも共通の神話体系を有し,みずからを同一の起源を持つ集団と見なしている.※5
広辞苑の言う,「同一の人種的並びに地域的起源を有し,または有すると信じ」るとはそういうことだ.
※5: 取り敢えずここでは,議論を単純化させるため,「大和民族」内部の多様性については一旦脇に置く.
「ストパン」■(2010-03-11)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(2)
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
憲法36条,14条について「拷問されたり差別されたりしなければ日本国民ではないことになってしまうのだろうか云々」という説を披露している.
制限規範である憲法の本質に鑑みれば前2条は「(国家によって)拷問されたり差別されたりする可能性」を主権者たる国民が予め排除したということであって,「拷問されたり差別されたり」する現実の行為がなくとも日本国民は当然日本国民であるはずである.
国民(または少数民族)は憲法制定(立法)という政治的行為によってその権利を記述するのであるから,権利保障と「集団の政治的定義」が無関係であるとするのは乱暴な議論である.
ついでに言うと36条は「公務員(警察官,検察官等)による」拷問,残虐刑を禁止したものであって,民間人(開拓者!)による拷問等を対象としないことは文理上明らかである.
痛みに耐えかねて - さぼてん日記
http://d.hatena.ne.jp/saboten2008/20100310/p1
――――――
【再反論】
ええ,1文目と2文目に関してはマッタクソノトオリですね.
同じことを的場センセイにも教えてあげて下さい.
僕は彼の先住民族に関する論理を,日本国民に適用したに過ぎません.
3文目は意味がわかりません.
そして最後.
ここで拷問の話を出したのはあくまで例示であって,誰も開拓者がアイヌに拷問を加えた,なんて話はしてません.
「ストパン」■(2010-03-11)[アイヌ否定論][デムパ]日本語でおk
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
一つ,私の明確な見解を書いておくが,民族の定義というジャンルに,別に血の濃い薄いをとやかく言うつもりは無い.
がっ!政策を受けるということに関して言うと,戸籍謄本などの調査を含め明確な証が必要だと考える.
又,結婚すれば連れ子も何もかも「アイヌ」という解釈や,同棲してればアイヌ!,養子もアイヌ!,こうしたエンドレス的な政策受給アイヌ生産には,断固反対する.
論議・・・ - 後進民族 アイヌ
――――――
【再反論】
ええ,それはひとつの考え方ですね.
たとえば,アメリカやブラジルではそういった考え方を採用しています.
厳密な定義を設定し,それに基づいて政策の受益者となる資格があるか否かを判定する,というものですね※1.
ただし,そのようなアプローチを採用するに際して問題となるのが,アイデンティティと認定の結果が異なる事例が生じ得る,ということです.
自分で「○○民族」だと思っていても,その基準から外れてしまったら,政策の恩恵にあずかれません.
たとえばアメリカには,文書でみずからの来歴を証明する手段を持たないため,連邦政府から公認されない先住民部族が幾つも存在します.
またブラジルでは,双子の兄弟の片方だけが「黒人」と認定され,もう片方が「黒人」と認定されなかったという事件がありました.
このように,その基準の運用に際しても問題が生じる可能性があります.
もうひとつの考え方として,そのような厳密な審査を行わない,というものがあります.
たとえばドイツは,個人のアイデンティティを審査することは不当だとの考えから,ソルブ人の定義を完全に「帰属の表明」に委ねています.
また,ソ連や中国においては,片親が少数民族出身であれば,自由に少数民族であると名乗ることが出来,政策の恩恵にもあずかれました.※※
このようなアプローチにおいては,まさに砂澤氏の指摘するような,「恩恵にあずかるために名乗る」ということが問題になってきます.
たとえばソ連では,ロシア人と少数民族の間に生まれた子供は,少数民族を名乗ることが多かった,といわれますし,中国は漢族から少数民族への「転向」問題への対応に苦慮しています.
要するに,どちらが大切か?という話です.
個々人の履歴を精査してまでも「インチキ」を排除しようとするか,それとも「インチキ」をある程度仕方ないと諦めてでも,自由に少数民族であると名乗ることができる環境を重視するのか.
この問題に正解はありません.
ただ少なくとも,子供に関しては,片親がアイヌであるなら「アイヌ」として,何ら問題ないだろうと思います※2.
問題は配偶者や養子です.
「アイヌと結婚したからといって,アイヌになるわけないだろ」
というのもひとつの考え方でしょうが,視点を変えてみると,たとえば日本国は別民族に生まれながらも,「日本人になりたい」として帰化した人びとを,大量に受け入れているわけですね.「日本人」として.
生まれが違っても,後から「日本人」になることが許されるなら,生まれが違っても,後から「アイヌ」になることが許されても良いのではないでしょうか?
なので,「帰化申請」のようなものを,一定の条件下で――たとえば文化伝承活動への参加など――認めても良いのではないか,というのが僕の考えです※3.
※1:厳密には,連邦政府の定める資格と,個々の部族の成員となる資格とは異なる運用がなされていて,後者に関しては厳格な基準を持たない部族も多いのだが,取り敢えずそれは脇に置く.
人口が多く「血の濃い」ひとだけで,十分な人口を確保できる部族や,カジノ経営などで潤う部族は,厳格な基準を採用したがる傾向があるように思う.
※2:本人がアイヌとしてのアイデンティティを抱いている場合に限るのは前提.
※3:審査の主体を誰がするのか,というのが問題になってくるとは思うが.
※※:中国の場合,どうやらあくまで「恩恵」は書類上だけのものでしかないらしく,それが少数民族の不満爆発の一つの根源となっている模様.
「ストパン」■(2010-05-04)[民族]アファーマティヴ・アクション,或いは民族政策の対象をどう区画するか?
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
日本の国会議員は,全会一致でアイヌを「先住民族」と定義したのだろうが,そもそも「民族」「先住民族」の定義すらしていない!
――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.61
【再反論】
アイヌに関して執拗に「民族の定義」を問い質す奴に限って,「大和民族」の存在は無条件に前提としているのがデフォな訳だが
(そう言われたくなくば,中山前国交相にも民族の定義を聞いてこい)
そもそも,「民族」について定義を定める事ができる,なんて思う事自体がアホである.
定義なんてできる筈がない.
「そう名乗っていたら民族」というのが,精一杯のところだろう.
何故このような主張は,「大和民族」相手の時にはなりを潜めているのに,アイヌや沖縄相手に突然出現するのか.
そこにかつて彼らに対し行われた,苛烈な同化政策と同じ精神構造を見る事ができるように思うのは,ぼくだけか?
時間がないので,前半部分についてはこの程度にしておくが,これだけでも珍妙な記述のオンパレードで,このような言説がまかり通る事自体が日本の恥だと思えてくる.
これらの記述は,アイヌに対し非常に侮辱的なものであるようにぼくには思われる.
こんな言説を蔓延らせてはいけない.
「ストパン」■(2008-11-01)小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(1)
青文字:加筆改修部分
【反論】
Mukkechimpo 2009/02/04 09:06
定義する必要がないなら,アイヌ民族なんていない,と言ったっていいわけだ罠.
自滅行為乙であります.
自分が何も言っていない,ということを理解するために,自分の文章をきちんと読んでくださいね.
頭使ってさぁ.
【再反論】
Mukke 2009/02/05 03:27
だから,こっちのエントリちゃんと読んでくれませんか?
「誰もが納得し得る客観的な定義」なんてものは設定しようがなくて,結局は個々人の帰属意識に委ねるしかない,って書いているんだが.
定義を出せ,というなら,これが定義だよ.
取り敢えずこれでも読め.
そして考えろ.
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20090119/1232368527
「ストパン」■(2008-11-03)コメント欄
青文字:加筆改修部分
【反論】
Mukkechimpo 2009/02/05 10:03
なに? 個々人の帰属意識にゆだねる,というのが定義のつもりだったの?
ウソでしょ.
じゃあ俺がスンバラリア民族だと思えば,スンバラリア民族になるんかいな.
んなアホな(笑)
【再反論】
Mukke 2009/02/05 21:30
ぼくは何度もそう言っていた筈だがねぇ?
上のコメントでも書いたでしょ?
「厳密な定義を示すのは難しいから,歴史的・文化的経緯を考慮しつつも,結局は個々人の自意識に頼るほかない」
って.
そもそも,近代的な「民族」なんて,アンダーソンが言うように各人の自意識によって成り立っている訳で.
民族をわける客観的な指標が存在しない以上,最終的には自意識に頼るほかないだろう?
繰り返すが,「万人を納得させ得る,客観的な『民族』の定義」なんてものは,設定しようがないんだよ.
これを最初に出しとけば良かったな.
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20081108/1226146816
>じゃあ俺がスンバラリア民族だと思えばスンバラリア民族になるんかいな
アイヌの訴えという,具体的な文脈の中で語られている事柄に対し,このようなふざけた対応しかできないとはね.
きみの脳内には1か0かしかないのか.
まあ,真面目に答えてやろう.
きみが,おふざけではなく真摯に,何らかの理由でいわゆる日本民族とは違う,スンバラリア民族だというアイデンティティを持っているのだとしたら,ぼくはそのアイデンティティを尊重する.
その人の「名乗り」を簡単に否定する事は,その人の尊厳を軽んじる事だからだ.
「ストパン」■(2008-11-03)コメント欄
青文字:加筆改修部分
【反論】
Mukkechimpo 2009/02/06 20:18
お前が尊重するかしないかなど聞いていない.
現実的に存在していない民族の一員だと名乗っても,そんなものが学術的に認められるわけもないだろうと言っているだけだ.
スンバラリア民族というものは学術的に存在していないのだから,俺がいくらスンバラリア民族だと主張しても,「個人の趣味」としてしか認められない.
アイヌ民族というのも学術的に存在していないのだから,いくら「おれはアイヌ民族です」と主張しても「個人の趣味」としてしか認められない.
「いや,学術的に存在している」と主張するのであれば,きちんとその定義を示すことだ.
本人が言っているから,なんてことが学術的根拠として認められるなら,俺がスンバラリア民族ということも認められてしまうな.
そんなアホな話はない.
さあ答えてくれたまへ.
【再反論】
Mukke 2009/02/06 23:45
きみがものごとの重み付けができない人間だというのはよくわかった.
北海道周辺の島嶼において,独自の言語と独自の風俗を保ちながら暮らし,近世以降の「和人」の進出で,その経済的支配を受け(直接的には受けなかった集団もいる.千島アイヌなど),明治以降日本に組み入れられた人びと,というのが大まかな輪郭だろうか.
で,その人たちの末裔の中で(アイヌの中には,和人の子を養子として育てた例もあった.そのような場合は,血統にこだわらず,その人の自意識を重んじるべきだろう.現に和人の血を受け継ぎながらアイヌ文化の伝承者となっている女性もいる),「自らをアイヌだと定義する人」がアイヌ,というのがまあ,大雑把かもしれないが(アイヌ問題を論じる上での)共通了解だろうとは思うのだが.
そして小林は,「自分をアイヌと名乗っている人」に対して,
「でも日本語を喋ってるじゃん! 和人と結婚しまくってるじゃん!」
と主張している訳だ.
それに対して,
「でも最終的には『民族』ってのは自意識で決まるもんだろ?
つーか,彼らがそのような状況に至った経緯を考えろよ」
と言ってる訳.
実際,客観的な定義なんて決めようがないのよ.
「民族」の定義もないし,「血」を基準にしたら,自分をアイヌだとは思っていない人を,無理矢理アイヌに含める事になるし,和人からの養子だった人をアイヌとして認めない事にもなる
(「家」概念を援用するなら,そうはならないかもしれないが.
日本のいい家って結構養子縁組しまくってるし)
だから
「客観的な誰もが納得し得る定義なんて出せる筈もない」
「最終的にはアイデンティティの問題」
と言ってたんだが.
「ストパン」■(2008-11-03)コメント欄
青文字:加筆改修部分
たとえて言えば,こういうこと.
「ユダヤ人」を厳密に定義しようとするのは,ナチスも悩んだくらい非常に困難.
このときに,
(a) しかし「ユダヤ人」という大雑把にカテゴライズされる集団は,現実に存在する
とするのが普通の世間.
(b) ゆえに「ユダヤ人」など存在しない
とするのが小林よしのり理論.
【反論】
kjnkdm 2010/01/23 23:04
>「大和民族」の存在は無条件に前提としているのがデフォな訳
小林氏の「民族の定義」が指す意味を履き違えてます.
どこからどこまでが○○民族か・・・という意味での定義ではなく,法律上の「民族」という言葉自体の意味が不明だといっているんですよ.
【再反論】
Mukke 2010/01/24 21:13
まず第一に.小林はその後「民族」の定義をめぐって法的な議論などは展開しておらず,「どこからどこまでが○○民族か」という話を専らしている.
第二に.「民族」に法的定義があるかどうかは国によって違う.
別になくたっておかしくない.
たとえばドイツのソルブ法には,「民族」の定義などどこにもないが,それでもちゃんと運用されている.
「ストパン」■(2008-11-01)コメント欄
青文字:加筆改修部分
【珍説】
――――――
疑念は文化人類学者河野本道氏の話を聞いて氷解した.
学術的にアイヌ系の人々を「先住民族」や「民族」と認めることはできず,「アイヌ民族」と呼ぶこと自体が適当ではなかったのだ!
――――――小林よしのり in 『沖縄とアイヌの真実』(西村幸祐著,オークラ出版,2009/01/29),p.11
――――――
〔ヤマトタケル伝説などを参照した後で〕このように長い時間をかけて日本国家の統一,同化は進み,最後にそれが到達したのが南端の沖縄,北端のアイヌだったのだ.
現在,自分は熊襲民族だとか隼人民族だとか渡来民族だとかいう人はいない.
沖縄,アイヌも同じで,ただ日本に同化する時期が数百年ほど遅れただけである.
――――――同,p.12
【事実】
河野本道氏以外の多くの学者は「アイヌ=民族」と言っておりますが,何か?
純粋に学術的な「民族」の定義なんて存在しませんが何か?
後段に至っては,ご都合主義的で醜悪なエスノセントリズムに吐き気がする.
まず,近世・近代と古代を一緒くたにするのは詭弁.
近代以降の「同化」と古代の「同化」は破壊力が違うし,現在に及ぼす影響も当然違う.
そしてこれは破綻した論理だ.
現在,「熊襲民族だとか隼人民族だとか渡来民族だとか」主張するひとがいないことをもって,沖縄やアイヌが「民族」と主張していることを不自然だということはできない.
小林の主張は単なる詭弁だ.
現に申し立てをしているひとの訴えを,申し立てていないひとを引き合いに出して相殺しようとするとは.
「ストパン」■(2009-06-16)[アイヌ否定論]今さらだが『沖縄とアイヌの真実』を読む
青文字:加筆改修部分
Mukke 2009/06/19 22:37
ぼくからすれば,どうしてそこまで観念的な「大和民族」に拘るのかがよくわからないのですが,とにかく彼はそういう思考回路で動いていて,アイヌ語と日本語の類縁関係が証明できないことや,琉球の王朝観念が「万世一系」ではないことなどを無視して,他者の発言から都合の良いところばかりを拾い上げているんですよね.
マイノリティを尊重することと,愛国心は何ら矛盾しないことのはずなのに……
【珍説】
――――――
「そもそも『民族とは何か』という定義は確立していない.[……]」
「だから定義次第で,『日本は単一民族国家である』とは十分言える.間違ってない」
ネーション・ステート(nation state)のnationは「民族」である.
stateは「国家・政府」である.
国家を形成する「言語・文化・歴史」のポテンシャルを持っている集団を,「民族」というのであって,それ以外はethnic「種族・部族」である.
国会の先住民族決議は,そもそも「民族」「先住民族」の定義さえしていない.
アイヌはnation「民族」とは言えない.
過去にも,現在も「民族」であったことはない」
――――――小林よしのり「国民としてのアイヌ」
in 『わしズム』28,2008,p.19.
【事実】
何度読んでもツッコミ所満載で頭がクラクラしてくる文だ.
そもそも,「ethnic」って普通形容詞だから※2.
英語で言いたいのなら,「ethnicity」か「ethnic
group」を使いましょう.
両方,ナショナリズム研究や民族問題研究の分野では頻出語彙です.
普通に「エスニシティ」というカタカナ表記で通じます.
悪いこたぁ言わねぇから,ちったぁ本読めよ,な?※3
この文章の詐欺的な主張については,既にid:kokogikoさんが指摘している.
わしズムを読んで「アイヌは民族じゃないよ だから先住民族ではあり得ない」というような奴には,「国連先住『部族』の権利に関する宣言だよ」で問題ない
- ここギコ!
kokogikoさんの指摘するように,日本語の「民族」というのは多義的な語である.
そこにはethnicityとnation双方の意味が含まれる.
一方nationの語を,日本語では「民族」「国民」と訳し分ける※4.
日本語の文脈においては,「民族」も「nation」もそれぞれに多義的な語なのだ.
その意味をひとつに限定し,「その意味においては」アイヌは民族ではない,とか言われても困る.
kokogikoさんが「詐欺」と呼んだのは,実に適切と言わねばならない※5.
そして小林は,この間違いを恥ずかしげもなく反復する.
『SAPIO』9月9日号に掲載された,彼の漫画のタイトルは,「自称アイヌは実は日本人である」(pp.55-64)
――よくもまあ,こういう醜悪な題を付けられるものだと感心する.
あまりの醜さに怒りで体が震えた.
他者のアイデンティティの表明を,「自称」と一言で片付けてみせるその神経には反吐が出る.
しかも,よりにもよって同じ国民に向かって……
※2:気になって辞書を引いたら,一応「n 少数民族の一員;[pl]民族的背景」という意味も片隅にあったが,どちらにせよ「部族」を指す語ではない
※3:てか本読む以前に英語で-icって語尾だったらフツー形容詞じゃね?
※4:わかりやすい例示としては,塩川伸明『民族とネイション ナショナリズムという難問』岩波新書,2008,p.9.
※5:「アイヌ民族の定義」に関しては,前に書いた.
なんか,「アイヌ」と「アイヌ民族」の定義は違うらしいです.- Danas je lep dan..
「ストパン」■(2009-09-29)[アイヌ否定論]アイヌの運動を「利権狙い」と決めつけ,彼らを「自称アイヌ」と呼んで恥じない小林よしのりの醜悪な姿
青文字:加筆改修部分
この,小林的「定義」に関し,同ブログ・コメント欄において以下のような指摘があるので,引用させていただく.
――――――
電羊齋 2009/09/30 16:11
〔略〕
小林よしのりの「民族」の定義ですが,実は中国政府の定義そっくりなんですよ.
中国の御用学者の論を要約すると,まず中華民族 Chinese nation を国内各民族ethnic group(中国語では「族群」)の上位集団と位置づけ,次にnationという言葉に「国家・国民」という意味が含まれていることを利用し,中華民族=中国国家と位置づけ,政府とその母体である漢民族が,少数民族・先住民族に対し上位に立つことを正当化しているのです.
小林よしのりって,ひょっとして中国共産党の工作員ですか?(笑)
Mukke 2009/09/30 21:59
>中国政府の定義
なるほど.流石に中国は勉強してもっともらしい定義をでっち上げていますね.
nationとethnicityの関係には様々な議論があり,中国の言うように,ethnicityはnationの下位区分という議論も確かにあります.
(僕は,両者はそもそもの拠って立つレイヤーが違うものだと認識していますが)
個人的に,様々なethnicityを統合して,その上に立つ「国民」という概念はあってもいいと思うのですが(何だかんだでナショナリストなので),その「国民」とは決してひとつのethnicityの拡大であってはならないと思います.
新しいnationは様々なethnicityを包括するものでなくてはならない.
中国の理論には一定の説得力がありますが,この点で歪んでいる.
そして仰るように,中共の理論と小林の理論は,奇妙な相似形を描いていますね.
――――――
小林の「反中」はニセモノ・偽装ではないか?というのも,しばしば指摘されるところ.
ちなみに,語源がどうこうとやるのは詭弁の一つだが,小林はこれを常套手段としている.
彼が「ゴゲンガー」と始めたら,その時点で眉に唾して読むのが正解.
▼ 【追記】
なんか小林よしのり大先生が新しいご著書を出していて,金欠で他にも買わないといけない本があるというのに,そんなもんに金を払ってる余裕はないから,パラパラと立ち読みしてみたのだけれど,彼は未だに例のnation関連の間違いを繰り返しているようだ.
「ストパン」■(2009-10-25)[アイヌ否定論]アイヌだけでなくアボリジニにも無知な小林よしのり
▲
【珍説】
「自前で独立国家を形成できるだけのポテンシャルのある集団を『民族(nation)』という.
白人侵略前のオーストラリアにはおよそ30万人のアボリジニがいて,この条件を満たしているけれど,アイヌは違う.
過去にも現在にも彼らはnationであったことはない」
【事実】
なんか小林よしのり大先生が新しいご著書を出していて,〔略〕,巻末のトッキーとの座談会(?)で主張していたのがこれ※1.
…….
イギリスがオーストラリア入植を開始した当初,その地にはおよそ70〜100万の先住民がいたわけですが,彼らの言語は300以上に細分化され,共通語はなく,政治的にも500以上の部族にわかれてて,連合体を形成したことすらなかったんですけどー?※2
もっと言えば,折に触れて小林が例に出すネイティヴ・アメリカン※3だって,スーとかシャイアンとかナヴァホとか様々な部族にわかれれて,更に彼らの言語は方言どころか様々な語族にわけられるほどの多様性を持つんですけど?※4
小林センセー,あなたは確か,アイヌが政治的統一体を形成したことがなく,その言語もバラバラだったことをもって,
「アイヌという枠で彼らを括るのは間違い」
って言ってませんでしたっけ?
もう,われわれ凡人では,小林大先生の変幻自在なスタンダードにはついていけません(><)
……当たり前だが,アメリカやオーストラリア,それに北海道周辺の先住民族の「一体性」というものは,それが堅固な国家組織のようなものを念頭に置くのならば,存在したことなどはなかった.
だが,彼らは征服者から一体のものとして見られることで,一体性を後天的に獲得したのだ.
彼らの申し立てる一体性,それは征服の中で形成されたものかもしれないが,それでも彼らのアイデンティティの重要な一部なのだ.
彼らは実際にそのように扱われ,そしてそのように扱われる中で,自意識を高めていったのだから.
それに,それを言うのであれば,征服者の側のアイデンティティも怪しいものだ.
対馬藩の家臣は,当たり前のように朝鮮の官位を授かっていたという※5.
堅固な「日本」なるものは,そもそも想定し得るのか?
それが成立したのも,ごく最近のことではないのか?
この辺は,前に書いた
「われわれ」を想像する権利 - Danas je lep
dan.
というエントリも参照して欲しい.
小林は,自分の足下に目を向けてみるべきだろう.
他者の存在の根拠を問いながらも,しかし彼の眼差しは,決して自らの根拠には向かない.
「物語」としての「神話」を尊重するよう言いながら※6,アイヌのアイデンティティは
「『自称』に過ぎない」
と切って捨てる.
それはなんて醜悪な姿だろう.
右翼だからこそ,このような主張が野放しにされることはあってはならないと思う.
※1:記憶のみに基づいて書いているので,不正確な部分などは多々あると思いますがご容赦を.主張の読み間違いなどはすべて僕の責任です.
※2:前川啓治「オーストラリア・ニュージーランド」前川,棚橋訓編(綾部恒雄監修)『オセアニア』(講座世界の先住民族――ファースト・ピープルズの現在09)明石書店,2005,pp.19-20.
※3:この用語は問題を孕んでいるらしい.当事者は「インディアン」と呼ばれることを望んでいるのだとか.
cf. ネイティブ・アメリカン - Wikipedia
※4:cf. アメリカ・インディアン諸語 - Wikipedia
※5:テッサ・モーリス=スズキ「『わが国固有の領土』――日本史における境界とネーションをめぐるイメージ」大澤真幸,姜尚中編『ナショナリズム論・入門』有斐閣,2009,p.97.
当たり前だが,この事実をもって,韓国の一部勢力による対馬への領土要求が,正当化されるはずもない.
※6:無論,ネトウヨのひとりとして神話の尊重自体には賛成する.
「神話」との断り書きをつけるなら,教科書に載せたっていいだろう.
ただし,沖縄やアイヌの神話が同様に尊重される限りにおいて,だが.
「ストパン」■(2009-10-25)[アイヌ否定論]アイヌだけでなくアボリジニにも無知な小林よしのり
青文字:加筆改修部分
▼ 補足的なものを書く.
ここで取り上げたいのは,小林の
「nationが民族なのであってethnicは部族に過ぎない!」
という論法.
〔略〕
ナショナリズム論に馴染みのないひとも多いだろうと思うので,どこがおかしいのかをちょっと噛み砕いて説明する.
まず,小林が名詞として用いている「ethnic」という語は形容詞である.
辞書を引けば,「民族の」という意味が出てくると思う.
ではnationalやracial※1といった他の語と比べてどういう意味が付与されているかというと,それは民族や国民を規定する要素の中でも,文化的な同質性(言語,習慣など)を共有する,という意味である.
たとえば,「日本国民」と「エスニックな日本民族」※2は違う.
前者はアイヌなどの北方民族,沖縄の人びと,小笠原の欧米系島民,帰化した日本国民といった多種多様な人びとを含むが,後者は含まない.
また,民族浄化(ethnic cleansing)という行為も,同じ国籍を持つ人びと(=同じ国民)を,文化的境界によって区切られた「民族」の線に従って追い出そうとする営みだからこそ※3,nationalではなくethnicという語をつけて呼ばれるのだ.
ボスニア人,セルビア人,クロアチア人はどれもnation(narod)と呼ばるるに足る人びとだったが,彼らを浄化しようという試みは,ethnicの形容詞を冠される.
無論,政治的にnationと呼べるほど成熟していないと思われる集団については,ethnicityやethnic
groupといった語で呼ばれることがある.
また,同じ民族の中の独自の地方や,民族の狭間に位置する人間集団なども,その語で呼ばれることがある.
だが,一方では「エスノナショナリズム」「エスノクラシー」※4という語は,今やナショナリズム研究の分野で立派に市民権を獲得していて,nationでないならethnicだ,「民族」と呼べるのはnationだけだ,のような議論は,そういった蓄積を無視し過ぎている.
ナショナリズム研究の大御所ハンス・コーン(Hans
Kohn)は,ヨーロッパにおけるナショナリズムの類型をふたつに分類し,フランス,イギリスに代表される,合理的で自由主義的,市民的な「西のナショナリズム」と,東欧諸国に代表される,非合理的でエスニックな同質性を重んじる「東のナショナリズム」という枠組みを唱えた.
現在それは,安易な二分法および西欧優位主義に陥っているとして,批判を浴びているが※5,その枠組みは東欧史研究などの諸分野において,大きな影響力を発揮してきた.
このように,ethnicという形容詞とnationという名詞は普通に結びつき得るものであって※6,
「両者は異なるものだから,両者の間に線引きをしよう」
などと言い出す人間は,「民族」について何もわかっていないに等しい.
そのような人間に,「民族」を論ずる資格などない.
ethnicという語は,単なる「部族」と矮小化していい語ではない.
それはnationについて語る上で,欠かせない単語である.
※1:racialは「人種的」.つまり身体的特徴による区分.
ただし,「人種」の語は古い文献(特に日本語)では「民族」の意で使われる場合も多く,注意が必要.
※2:厳密に言えば,日本全土を覆った統一文化なんてものを措定できるわけがないのだけれど,そこはわかりやすさ優先ということで,追及しないどいてくれると助かる.
※3:「民族浄化」という語が世界に広まったきっかけが,同じ国籍を持つ人間どうしの殺し合いであったクロアチア戦争,ボスニア戦争であったことを想起せよ.
※4:佐藤優が著書の中で呼ぶところの「エトノクラツィヤ」.
※5:たとえば,佐藤成基「ハンス・コーン『ナショナリズムの思想』」大澤真幸編『ナショナリズム論の名著50』平凡社,2002,pp.85-87.
※6:つか,nationの性格について考える上で,それはcivicなものなのかそれともethnicなものなのか,みたいな問題の建て方はよく見られる
(コーン的二分論に影響された問題設定ではあるが).
「ストパン」■(2009-10-02)[ナショナリズム][アイヌ否定論]ethnicとnationは対立概念でも何でもない
青文字:加筆改修部分
▲
【反論】
――――――
※Volk 人種・言語,習慣によって文化的に統一された集団が対象.
※Nation 国民・国家統一された政治的単一体を強調する.
つまり知里教授は明治以前には,誤解を避けるためにあえて学術用語を用いますが,フォルクとしてのアイヌ民族は存在したが,明治以後アイヌはナチオンとしての日本民族の一部になったのであり,昭和三十年の時点[――つまり,平凡社の百科事典に知里が「アイヌ」の項目を執筆した時点――]で,アイヌ民族というものがあるわけではないとおっしゃっています.
――――――的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p.31.[]内は引用者による補足
【再反論】
これは的場が,知里真志保の
「民族としてのアイヌはすでに滅びたといってよく,厳密にいうならば,彼らはもはやアイヌではなく,せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである」※6
という言葉と,比嘉春潮という民俗学者の
「フォルクとしての沖縄民族はかつて存在したが,今日沖縄人は,ナチオンとしての日本民族の一部」※7
という言葉を引いての主張.
nationはともかく,Volkが学術用語ってのは初耳.
確かにVolkは,18-20世紀初頭ら辺のドイツ民族主義を論じる上では,今も出てくる単語だけど(「フェルキッシュな」ナショナリズム,とかいう風に使われる),少なくとも日本の文化人類学での学術用語としては,聞いたことがない.
いやまあ,ドイツをフィールドにした研究とか,ドイツ語圏の研究とかでは使われてるかもしんないけどさ.
「Volkが学術用語だったのって,いったい何十年前の話ですか?」っていうレヴェル.
文化人類学の研究史には詳しくないので,教えて,エロいひと!
で,nationは今も確かに学問の現場では使われてはいるけれども,「学術用語」というよりも「分析の対象」なのでは?
(政治思想とかの分野では違うのかもしれないけど,少なくとも人類学や社会学においては)
nationに厳密な定義ができるなんて思ってる研究者が,どんだけいるよ?
たとえば大澤真幸なんかは,nationを定義することはあまりに困難な試みであり,
「フランス人はフランス人なのだ,と単純に同語反復的に繰り返すしかない」※9
と言っている.
知里や比嘉の理解は,現在の学問的水準から言えば誤りである.※10
先に言及した「岩波講座文化人類学」では,次のように述べられている.
「多くの文化人類学者(民族学者)にとっては,アイヌの人びとが民族とよばれることは,ほとんど自明のことがらに属している」※11
と.
また大澤は,20世紀末期に少数民族の復興運動が活発化したことと関連して,
「先住民――たとえば日本のアイヌ民族――の復権運動やその歴史の発掘もまた,この種のナショナリズムの内に数えることができるだろう」※12
と書いた.
そもそも「民族」を学問的に定義できる,とか,nationとVolkを学問的に判別できる,などというのは,現在の学問的水準に照らして間違いなのだ.
僕は文化人類学や民俗学の研究史には明るくないので,知里や比嘉の時代の学問的水準ではどうだったのかは知らない※13.
しかし少なくとも,現在,彼らの主張は誤ったものである,ということだけは言える.
同じことは,以前,小林よしのりに対しても指摘した.
じゃあ,その「正統な学者」とやらを連れてこいよ
- Danas je lep dan
※6: 『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p31.
原典は,『世界大百科事典』平凡社,1955の「アイヌ」の項.
※7:的場前掲書,p.31.原典は,比嘉『新稿沖縄の歴史』三一書房,1970.「縄」は旧字体.
※9:大澤真幸『ナショナリズムの由来』講談社,2007,p.74.
※10:知里の発言の背景とかについては,id:Wallersteinさんが詳しいと思うので,コールしておく
※11:内堀基光「民族の意味論」『民族の生成と論理』(岩波講座文化人類学5) 岩波書店,1997,pp.3-4.
※12:大澤真幸『ナショナリズムの由来』講談社,2007,p.441.
※13:「民族」の定義といえば,かつては,社会主義民族理論という分野があったな.
cf. マルクス主義における「民族」――エンゲルスからユーゴスラヴィアまで - Danas je lep dan
しかしそれも現在では分析の対象だが.
cf. 丸山敬一『マルクス主義と民族自決権』信山社,1989;丸山敬一編『民族問題――現代のアポリア』ナカニシヤ出版,1997;田中克彦『「スターリン言語学」精読』岩波現代文庫,2000
「ストパン」■(2010-03-11)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(2)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ドイツ語(というかヨーロッパ語)ではNationとVolk(まあPeuple,peopleもそうですが.)の間には階層間(というか参政権を持つ,持たないといった)区別がもともとはあったような記憶があるのですが.
Johann Gottlieb,2010/03/12 12:41
【回答】
そうですね.
その辺はケドゥーリーなんかも指摘していたように記憶します.
また,福井大学の中澤准教授は,natio概念が近代nation概念に拡張される過程を,
「語源である『出生』から派生した特権身分的,かつ階層限定的な語義をもつナティオ概念が,ローマ共和政の伝統に根ざす『ポプルス』(populus)概念を梃子としながら,言語・文化的系譜を同じくする集団としての『ゲンス』(gens)概念と同一視される過程」
(『近代スロヴァキア国民形成思想史研究 「歴史なき民」の近代国民法人説』刀水書房,2009,p.6)
と説明しています.
Mukke,2010/03/13 08:13
以上,「ストパン」■(2010-03-11)コメント欄より
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
私が理解している限り,アイヌの文化,踊り,祭事の違いや,自立的集団形成をなしていない歴史を考えると,アイヌは三体系七分派に分かれる.
その意味で,ひとくくりに「民族」とするのではなく,「部族」として解釈する方が整理しやすい.※7
――――――
【再反論】
北欧のサーミ(古いいい方をすれば,「ラップ人」)やドイツのソルブも幾つもの系統に分かれており,独自の集団を形成したことはありませんが,先住民族として国際的に認知されております.
また,両民族の言語は複数の標準型を持っています.
つまり,それぞれの独自の方言を保持したままで,ひとつの「民族」を名乗っているということ.
これは,複数の方言を持つアイヌ民族にとって,貴重な先例となるのではないかと思います.
――――――
純粋に言語学的に見れば,[サーミ語の――引用者註]主要方言間の違いは大きく,それぞれをむしろ個別言語と考えることができる.
地理的にたがいに離れている主要方言間の違いは,特に大きなものとなっており,たとえば南サーミ語と北サーミ語との間の違いは非常に大きく,それぞれの話者がそれぞれの言語で意思の疎通を図ることは不可能である.(……)方言間の違いにもかかわらず,サーミ人はむしろそれらの共通性を強調したいと考えている.1971年のサーミ文化政策綱領においては,「われわれサーミ人は1つの民族である」と表明されている.(……)※8
――――――
さらにいえば,理論上,「民族」と「部族」の峻別は困難です※9.
砂澤氏は何の説明もなしに,「民族」「部族」といった言葉を使用しておられますが,その定義はどのようなものでしょうか?
その定義は学問的検証に耐えるものですか?
学問のことなど言っていない,という反論があるかもしれませんが,それならそれで,
「多くの文化人類学者(民族学者)にとっては,アイヌの人びとが民族とよばれることは,ほとんど自明のことがらに属している」※10
ことぐらいは押さえた上で,つまり,それが学問的に無意味な主張であることぐらいは自覚された上で発言していただきたいものです.
※7:砂澤陣「全国紙が書かないアイヌ利権の腐臭3――『歴史』を利権にするプロ・アイヌの野望」『正論』2010年7月号,pp.216.
※8:オレ・ヘンリック・マッガ(吉田欣吾訳)「サーミ語」Allan Karker,Birgitta Lindgren,Stale Loland編(山下ほか訳)『北欧のことば』東海大学出版会,2001,pp.178-179.
※9:たとえば,『イスラーム世界とアフリカ――18世紀末-20世紀初』(岩波講座世界歴史21)岩波書店,1998所収の諸論文を参照.
※10:内堀基光「民族の意味論」『民族の生成と論理』(岩波講座文化人類学5)岩波書店,1997,pp.3-4.
「ストパン」■(2010-06-07)[アイヌ否定論]砂澤陣氏の誤謬を糺す
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
そして現在,民族の条件の一つである独自の言語,すなわち本来のアイヌ語を自由に話せる人はいない.電気も水道もなく完全に自然と調和した生活を送っている人もいない.何より,純血のアイヌはいないということを,忘れてはならない.(……)※20
――――――
【再反論】
凄い論理ですね.
「民族の条件の一つ」である言語が欠けたアイヌは,民族としての資格が疑わしい,ということでしょうか.
まるでスターリンのような論理です※21.
1981年に行われたアイルランドの国勢調査では,エール語が話せるひとは国民の3割強に過ぎず,日常的使用者となると,西部のごく一部に限定されていたそうです※22.
それでも,彼らは独自の民族です.
現在イスラエルの公用語はヘブライ語(と,アラビア語)ですが,もともと儀式でしか使われていなかったその言語を復興させたのは,ひとりの言語学者であり,最初のネイティヴ・スピーカーはその学者の息子でした.
現在,イスラエル人はひとつのネイションをなしています.
一時期,インディアンのモホーク民族では民族語話者が5%にまで減少しましたが※23,言語教育に力を入れた結果,数十人の若者が伝統儀式に参加できるほどの語学力を備えるに至っています※24.
彼らはれっきとした先住民族です.
そして,アイヌ語教育はあちこちで行われており,アイヌ語の定期刊行物も刊行されています.
彼らは,無論,独自の民族であり,先住民族です.
「電気も水道も〜」云々については以下を参照して下さい.
学術的成果を悪用する回路――「純粋な民族はいない」論をめぐって
- Danas je lep dan
「純血」云々についてですが,インディアンにもアボリジニにも,混血が進んだ結果「白人と見分けのつかない」ひとはいますよ※25.
……以上で,砂澤氏の主張のおかしな点は,だいたい指摘できたと思います.
他にも細かい箇所はあるかもしれませんが,その指摘は後日にするか,もしくは別のひとに委ねます.
取り敢えず,いいたいことは,あなたの主張は間違った箇所があまりにも多い,ということです.
タイプミスや誤変換なら何もいいませんし,専門家でないと知らないような箇所が曖昧なのは仕方ないですが,こうも基本的な間違いが頻出する文章というのは,流石に問題大ありだと思うのですが,いかがでしょうか?
最終的には,これらの誤りはあなたの主張の正当性を大きく損なうでしょう.
今のうちに訂正なさることをオススメします.
(このエントリは,砂澤氏の最新のエントリにトラックバックを送っています.
IDトラックバックのような機能があれば便利なのですが……)
※15:砂澤陣「全国紙が書かないアイヌ利権の腐臭3――『歴史』を利権にするプロ・アイヌの野望」『正論』2010年7月号,p.215.
※21:スターリン期の民族浄化(民族強制移住)の背後には,複数の条件をもって「民族」を定義するスターリンの理論があった,と田中克彦は指摘する.
その内,「地域の共通性」が欠ければ,彼らは「民族」としての地位を失うのだから.
田中克彦『「スターリン言語学」精読』岩波現代文庫,2000,pp.51-53.
あと,彼がユダヤ人ブンドの「民族」としての主張を弱めるために,「民族」規定の「言語」「地域」に拘ったのは,あまりにも有名.
彼のブンド批判については,イ・ヴェ・スターリン「マルクス主義と民族問題」『スターリン全集』(スターリン全集刊行会訳)2,大月書店,1952,pp.368-383.
彼は次のように主張している.
「たがいに完全にきりはなされ,ことなる地域にすみ,ことなる言語をつかっている(……)ユダヤ人について,どんな(……)民族的結合をうんぬんすることができるであろうか」(同,p.333).
的場光昭,小林よしのり,そして砂澤氏らの披瀝する「民族」観は,スターリンの唱えたそれと重なって見える.
※22:木村護郎クリストフ『言語にとって「人為性」とはなにか――言語構築と言語イデオロギー:ケルノウ語・ソルブ語を事例として』三元社,2005,p.47.
※23:Pokerfaceさんの指摘により訂正.
※24:阿部前掲書,pp.80-81.
※25:同,p.32;鈴木前掲書,p.110
「ストパン」■(2010-06-07)[アイヌ否定論]砂澤陣氏の誤謬を糺す
青文字:加筆改修部分
【珍説】
――――――
今や旭川アイヌ協議会などは「内閣官房アイヌ政策推進室」に対して,「5兆円の賠償請求」「国会・地方議会にアイヌ特別議席の確保」「アイヌ語教育の必修」を初めとするデタラメな要求を提出し,とうとう「天皇の謝罪」を求めるまでになっている.
自らも半分以上は和人の血であることを隠しながら,被害者史観,シャモ(和人)憎悪の利権要求運動によって人工的に「アイヌ民族」を作り出そうという試みは,真の差別の解消につながらない!
――――――小林よしのり「自称アイヌは実は日本人である」
in 『SAPIO』 2009.9.9号,p.64
(信じがたいが原文ママ)
【事実】
とうとうアイヌの民族運動を「利権要求運動」ですってよ,奥様.
同じ国民であるアイヌの民族運動に対してこの扱い.
堕ちるところまで堕ちたな,小林.
アイヌの要求が過大なものだと思うのであれば,それを批判すればいい※11.
不当な利権が生み出されているなら,その構造を批判すればいい※12.
だが小林はそれに留まらず,アイヌが民族として復興しようとすることそれ自体を批判の俎上に上げ,運動と「個」の間を生きている様々な人びとを,十把一絡げに「運動に依存している,自立できない人びと」であると描く.
運動に気ままに参加して,何とか生活と民族意識とを両立させようとしている,そういう人たちの生活誌が出版されているというのに※13,小林は2名のアイヌの意見をもとに,彼らを「自立していない」と決めつける.
アイヌの民族運動が「和人憎悪」だって?
そして,「『差別の再生産システムに警鐘を鳴らしている」※14と叫ぶ彼の姿は,ここ数日,「はてな」で話題になっている「差別のアウトソーシング」※15そのものだ.
このような醜悪な言論が,商業誌においてなされていることに,僕は戦慄を禁じ得ない.
どこかのアホがネット上に書き散らかしているのではなく,(過去の)作品が高く評価されている著名な漫画家がこれを書いているのだ.
いつかこのような議論が,南京事件否定論のように「カジュアルな」議論になってしまうかもしれない.
僕はそれを懸念する.
差別を再生産しかねないのは,誰がどう見たって小林の方だ.
※11:なお,旭川アイヌ協議会が政府に提出した要求項目の中に「アイヌ語教育の必修」などはどこにもない.
おそらく,
「日本の公教育機関で,アイヌ民族の言語を学べ,アイヌ民族の立場からその歴史と文化への正しい理解を醸成する系統的な教育カリキュラム・制度を保障すること」(旭川アイヌ協議会申し入れ項目 - アイヌ・沖縄を考える会ブログ)
という箇所を誤読したのだろう.※16
どうやら小林は,選択制カリキュラムというものを知らないらしい.
※12:たとえば「アイヌ修学資金」がまったく返還されていないという問題.
小林はこれを,アイヌ利権の最たるもののひとつと見なしているようだが,んなもん当該奨学金のシステムの問題だろ.
ちなみに現在,全国的に奨学金の未返還問題というのが,大学教育における重大なイシューのひとつになっている,
(大学のキャンパスを歩いていると,「奨学金は必ず返済しましょう!」というポスターが,いくつも目につく)
別にアイヌ修学資金だけに限った問題じゃない.
ひょっとして小林は,そんなことも知らないのか?
※13:関口由彦『首都圏に生きるアイヌ民族――「対話」の地平から』草風館,2007.
※14:小林「自称…」p.64.
※15:この議論については,ひとまず,
差別のアウトソーシングがわからない? 『人間失格』読め! - ビジネスから1000000光年
がよく纏まっている.
すべてに同意できるわけではないが.
「ストパン」■(2009-09-29)[アイヌ否定論]アイヌの運動を「利権狙い」と決めつけ,彼らを「自称アイヌ」と呼んで恥じない小林よしのりの醜悪な姿
青文字:加筆改修部分
Mukke 2009/10/02 21:30
まあ,利権と膏薬は何にでもひっつきますから,アイヌ政策で利権が生じないとは僕は決して言いません.
ただし,それゆえにアイヌ政策を否定する人間には,すべての行政サーヴィスを断って暮らせと言いたいですね.
※16:本サイトのあちこちに事例がありますが,小林の誤読なんて,毎度のことです.
【反論】
――――――
私たちが旅行をしてみたり,テレビで紹介される人々の暮らしは,およそ日本国内であれば住民は言語や風習そして信仰(の多様さ)において,つまり文化のすべての方面においてほぼ共通しており,どこへ行っても,また見ても聞いても,日本人としての共感を抱くことが可能です.
しかし仔細に見れば,東京と北海道のように離れた地域だけでなく,山一つ川一本隔てた町や村にも,各地それぞれに独自の趣を異にした文化があることも,また事実です.
しかしその根底には,誰もが認めざるを得ない文化的共通性があり,これによって日本民族の範囲が自然に定まってくるのです.
――――――的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p.34
【再反論】
これはナショナリストの議論であって,学者の議論ではない.
これを学問的議論と呼べるのは,いったい何十年前の話だろうか?
ひょっとしたら的場の時間は,19世紀で止まってしまっているのかもしれない.
その「共通性」をどのように括るか,「独自」な文化の間にどのように境界線を引くか,というのはまったく恣意的になされてきたことだ.
「根底」に「誰もが認めざるを得ない文化的共通性」など存在しない.
それが存在する,という感覚それ自体が,歴史的に形成された錯覚なのだということを,「学問的論議」を自称するのであれば憶えておくべきだ.
「ストパン」■(2010-03-11)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(2)
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
民族問題は現在もヨーロッパをはじめ,お隣の支那大陸などでも大きな問題となっていますが,それは彼等が人種や言語・宗教・生活習慣といった,民族の壁をなかなか乗り越えることができず,惨憺たる戦い,そして支配・被支配の歴史と,せいぜい界を接しての対立の歴史を積み重ねてきた結果です.
――――――的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p.32
【再反論】
こういう文章を読むたびに,
「ああ,こういう議論を大真面目に展開できるひとって,本当に民族問題について無知なんだなぁ」
としか思えなくなってくる.
人種と言われても,普通,ドイツ人とポーランド人とチェコ人とフランス人の見分けは,簡単にはつかんと思うのだが※15.
生活習慣ってアンタ,西ヨーロッパどころかバルカンでも,異民族間の生活習慣はある程度似通ってるぞ.
ていうかユーゴスラヴィア内戦で激しく矛を交えたセルビア人もクロアチア人もボシュニャク人も,話す言語はセルビア・クロアチア語なんだが※16.
そもそもユーゴスラヴィア内戦においては,同じ体制下で似たような生活をしてきた同質の民衆が,同様の思考様式に従って,「民族浄化」に突き進んでいったことが明らかにされている※17.
もうね,「民族」について学術的な議論をしようと思うのなら,頼むから少しは社会科のお勉強をして下さい.
前にも似たようなことは書いたな.
自称ジャーナリスト・瀬戸弘幸の捻じ曲げる現代史
- Danas je lep dan.
「単一民族」を主張する人びとは,どうやら「異民族は必然的に対立する」と見なしているようだ.
無論,世界中で多くの民族紛争や言語紛争が起きていることを否定はしない.
それを憂慮する気持ちもわかる.
だが,だからといってアイヌ民族を否定する,などというのは転倒した論である.
そもそも現にアイヌ民族が,「民族としての承認と尊厳の回復」を求めているではないか.
民族問題は現にあるのだ.
「日本は単一民族であって民族問題は存在しない」
と言っていれば,民族問題もなくなる,とでも思っているのなら,それは
「憲法九条があれば有事は起きない」
と考える,憲法九条信者と同一の思考構造ですね,と言っておく※18.
少数民族問題は,「程度の差はあれ,ネーションにおいては(……)不可避であ」り※19,どのような公正な政治システムの下であっても,彼らが「ある程度の疎外感を感じるのは不可避であろう」※20.
少数民族を否定することによって,この問題を解決することはできない.
むしろそうした態度こそが,少数民族問題を激化させるのである.
この問題をやわらげようと思うのなら,彼らの尊厳を,多数派民族の尊厳と同じように尊重し,可能な限り彼らを疎外しないシステムを構築することである※21.
的場は民族問題を憂慮しながら,実際はそれの拡大再生産に荷担しているのだ,と言わざるを得ない.
※15:そもそもこういう地域では「○○系××人」が多いしね.
ナチ高官に,「〜スキー」というスラヴ系を先祖に持つことを示す苗字の奴がいたり,逆にチェコ民族主義者に,「〜ブルク」という苗字の奴がいたりする.
ハンガリーにある「ホルヴァート」という苗字だって,「クロアチア人」っていう意味だしな.
それが更に,ハンガリー系クロアチア人の苗字になってたりして,もうカオス(笑)
あと,有名どころでは,フランス系であることを苗字が示すルフトヴァッフェのエース,ハンス=ヨアヒム・マルセイユとか.
※16:当事者たちは,それぞれが別言語なのだと強調しているが,19世紀の民族運動の時代から共産主義政権下に至るまで,それらは同一言語の別変種として扱われていた.
最近,「ボスニア語」といった新言語(さらには「モンテネグロ語」まで!)が出現しているが,それらに関しては,独自の言語とする根拠は怪しい.
cf. 齋藤厚「『ボスニア語』の形成」『スラヴ研究』48,2001.
無論,だからといってボシュニャク人のアイデンティティを否定しようというのは誤りである.
※17:佐原徹哉『ボスニア内戦――グローバリゼーションとカオスの民族化』有志舎,2008,pp.304-305.
※18:念のために書いておくが,これは護憲派すべてを指しているのではなく,あくまで「お花畑」な人びとを指している.
※19:大澤前掲書,p.94.
※20:ヤエル・タミール(押村他訳)『リベラルなナショナリズムとは』夏目書房,2006,p.341.
※21:この辺を僕は何度か主張してきた.
cf. 真の「国民統合の象徴」のために - Danas je lep dan
「ストパン」■(2010-03-11)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(2)
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
「和人」だか何だか知らないが - 胡散臭さがなんかいい
民族など存在しない.ヒトはヒトなのである.
――――――
――――――
usankusa 2009/01/15 01:04
コメントありがとうございます.
でも「民族」概念そのものがフィクションですよね?
所詮フィクションである民族概念に拘ることでかえって問題の解決を困難にしているような気がしてならないのです.こんにち,「和人」は単一の言語,単一の文化を持つ集団であると言えるのでしょうか.他の民族もまた然り.
少数者がその存続のために民族概念を持ち出すならまだしも,少なくとも多数の側が「和人」(やまとんちゅ,なんてのもそう)などと自分たちを規定することは,無邪気だな,本当に解決する気あるのかな,と私には思えてしまうのです.
――――――同上コメント欄
【再反論】
ぼくは何度も言うように構築主義者である.
つまり,民族の永続性というようなものを信じていない.
ethnic groupとしてはともかく,nationとしての「日本民族」なるものは,近代の被造物であると捉えている.
しかし.「近代の被造物」という言い方をする以上,それが現に存在している事もまた,認めねばならないとも考える.
構築主義者が本源主義者を糾弾する文句として,たとえば「人間を分類する自然で神与の仕方としての民族,ずっと遅れてやってきたが生得の政治的運命としての民族,それは神話である」(E・ゲルナー)※1のような言葉がある.
けれどこの言葉は逆に言うなら,近代に構築された民族の存在を否定してはいないのだ.
神話として否定されるべきは,「民族」が古来から姿を変えながらも存在してきたという本源主義的な考えであって(日本の例でいえば,縄文時代まで遡って単一民族と強弁するとか),今民族が「ある」という事,より正確に言えば,現在の個々人の帰属意識が「民族」にあるという状態を否定している訳ではない.
その意味で,民族とは,usankusa氏の仰るように元来はフィクションではあるけれども,それが多くの人によって想像され共同体の編成を促しているという点において実体である.
個々人の自意識によって立ち上げられた,まさに「想像の共同体」として.
そしてその「想像の共同体」は,簡単に否定してはいけないものである.
そこに自らの帰属を委ねている多くの人がいるのなら.無論多くの人が賛同したからといって,ファナティックな民族主義は許されない.
民族は,尊重されねばならないが,しかし絶対視もしてはいけない.
われわれはいとも簡単に,少数民族に対し有形無形の圧力をかける事のできる社会を生きているからだ.
そのような社会においてわれわれが民族を尊重するというのは,つまりは個々人のアイデンティティを尊重するという事である.
個々人は,自らの望む「民族」に帰属でき,何びともそれを拒む事はできない.
ぼくは,「民族」それ自体に反対するものではない.
けれど他者をその鋳型に嵌め込もうとしたり,他者をそれのみで推し量ろうとする事,つまり民族主義には反対する.
勿論,usankusa氏が,自分を何らの民族にも帰属していないと考えるのは自由であり,そのような表明も尊重されるべきだろう.※2
他者の表明する民族的帰属を尊重する事――これが,ほんとうに民族を尊重する事なのだろうと,ぼくは思う.
だからこそ,他者のそのような表明を踏み躙る「単一民族」発言などに我慢がならないのだ.
そしてまた,民族は存在しないなどといった主張にも,軽々しく首肯する事はできないのだ.
※1:アーネスト・ゲルナー著,加藤節監訳『民族とナショナリズム』岩波書店,2000,p.82.
※2:例えば,旧ユーゴスラヴィアにおいてそのような選択の自由は憲法に明記されていた.
いわゆる74年憲法(Ustav iz 1974)の第170条には,次のように規定されている.
「市民は民族意識を明らかにする自由,民族の文化を表現する自由,そして自らの言語と文字を用いる自由を保障される.
市民はいかなる民族ないし少数民族に帰属するかの表明を強制されず,民族ないし少数民族の一つへの帰属の選択を強制されない」
(柴宜弘「ユーゴスラヴィア」柴,中井和夫,林忠行『連邦解体の比較研究――ソ連・ユーゴ・チェコ』多賀出版,1998,p.70)
この条文を根拠に,ユーゴスラヴィアの国勢調査において民族的帰属の表明を拒否する人は,1981年には4万6698人いた(同,p.71).
「ストパン」■(2009-01-19)[民族][ナショナリズム]真に他民族を尊重するということ
青文字:加筆改修部分
▼ 補足のようなもの.
ぼくは前々から,構築主義※1を支持しながら,アイヌなど少数民族の民族復興運動をも同時に支持している事について,矛盾があるのではないかと感じていて,その二つの立場の整合性を取ろうとしたのが前掲エントリなんだけれど,図書館で雑誌をパラパラとめくっていたらしっくりくる表現を見つけた.
――――――
〔……〕
ある人間の集団を「民族」であるか否かを決定できるのは,はたしてだれなのだろうか.
その集団の外部にいる人間,「差別と迫害」を繰り返してきた集団なのだろうか.
当事者以外,そのような権利を有する者は存在しないと確信する.
〔……〕
そもそも,民族とは「想像された政治的共同体」にすぎないと考えるが,他の諸民族が抱き続けるのと同じ「幻想」を,ロマ民族も抱こうとする権利すら奪おうとする姿勢は,極めて不平等ではないだろうか.
――――――金子マーティン「継承される『ジプシー』に対する誤謬――大里賢太論文への疑問」『歴史学研究』第775号,2003年5月,p.36.
※なお,ここで批判の俎上に上げられている大里氏の論文については,未読である事を予めお断りしておく.
▼ この文章中における「ロマ」は,「アイヌ」その他の,承認を求める多くの少数民族※3に置き換えられる.
アイヌが統一された「民族」であった事がないという主張は,2つの事を無視している.
まず,「大和民族」だって幕藩体制の中で,バラバラの帰属意識とともに生きていたのを,明治以降の国民創出政策で「作られた」のだという事.
そして,アイヌは「今」,民族になっている,もしくは,なろうとしているのだという事.
日本は1868年から,ドイツは1871年から「近代統一国家」の仲間入りをしたが,はたして「近代的な民族」が最初から日本やドイツに存在したというのだろうか.
国家権力による絶え間ない教化を通じて,「民族意識」が徐々に形成されていったのではなかったのか.
現在でこそ地方色が薄れ,均一化した「民族文化」(実は多数派主導民族の分化)への画一化が急速に進んでいるが,日本もドイツも最初から均一な言語・宗教・文化の集合体であったわけではない.
ましてや,独自の「民族国家」を形成したこともなく,世界各国に散在するロマ民族が,文化的に単一な集団であろうはずもなく,多様な言語(方言)や宗教を保持する集団であることは,むしろ当然だろう.
しかし,そうであるからといって,「民族とは程遠い集団」であるなどと強弁するのは,多数派構成員による傲慢であり,ロマ民族のおかれた社会的現実,また現在のエスニシティ運動から目を背けた見解だろう.※4
金子氏が批判する言説は,まさに,小林よしのりに代表されるアイヌについての言説そのものだ.
想像された民族という心地よい微睡みの中で,彼らは,彼らよりも弱小な人びとの,想像する権利にケチをつけるのだ.
「そんな想像はデタラメだ!」と.
そのようなダブルスタンダードが,悲しいかな一部ではまかり通ってしまうのだ.
それを,自国民,つまり同胞に対してやっている人間がいるという事が,ぼくには物凄く悲しい.
勿論,例えば先に挙げたエントリで批判したusankusa氏のように,想像上の産物であるアイヌ民族,大和民族を否定する,というのは一貫している.
けれど,「民族」という枠組みでものごとを考えてしまいがちな,ぼくも含む空想好きの人間は,他者の空想する権利を妨げてはいけない,そう思う.
われわれも,その空想の中に安住しているのだから.※5
そして他者のそのような権利を承認してはじめて,日本人やドイツ人やその他の民族・国民であると名乗る事が,できるようになるのだ.
※1:構築主義と本源主義の違いについては,本質主義と構築主義 - Danas je lep dan.を参照.
※3:ひょっとして,アイヌを民族と認めたら独立や利権がどうのこうの言ってる人たちって,「承認の政治」ってのがわかってないんだろうか? まあぼくも囓った程度だが.
※4:金子前掲論文,pp.36-37.
※5:日本国の体制そのものが,民族という擬制を前提に成り立っているというのは,今更説明するまでもないだろう.
「ストパン」■(2009-02-24)[民族][ナショナリズム]「われわれ」を想像する権利
青文字:加筆改修部分
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