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◆◆◆「単一民族」論
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 【質問】
 総論的に言って,アイヌ否定論とはどんなものですか?

 【回答】
 アイヌ否定論には,これまで見た限りではふたつのヴァリエーションがあります.

 ・アイヌはかつては独自性があったかもしれないが,明治以降の同化政策の結果日本に同化したので,もはや独自の民族とはいえない,という,「少なくとも今,民族ではない」論
(「民族」に学問的な定義を下すことが可能であるという誤謬)

 ・かつてのアイヌは,日本との混淆の歴史などから鑑みて,あくまで「日本民族」という大きな単位の中の地域差がある集団のひとつであって,独自の民族ではなかった,という「そもそも昔から民族ではなかった」論
(「日本文化」も大陸やイベリアなど,様々な文化の混淆の中で生まれたことを無視している.
 また,アイヌの大陸との繋がりを都合良く無視している)

 これらが組み合わさった形で主張されることも,しばしばあります.

 これらを批判していて思うことは,「民族」という概念の了解のされ方そのものに問題があるということです.
 たとえば,第一のヴァリエーションは,「民族」という単位の設定が,各地域によってまちまちであることが知られていないがゆえの問題でしょう.
 第二のヴァリエーションは,「縄文人」という「種族/人種」(これらも不適切な概念ですが,あえて使います)と「民族」がごっちゃにされているという問題や,「民族」の血統や文化は「純粋な」ものでなければならぬという,誤った信念に基づいているという問題が,その主張の根底にあります.

 なので,この問題は単にトンデモ主張に反駁して「はい,終わり」という性質のものではなく,義務教育段階において,「民族」という問題にあまり触れようとしない,日本の教育の問題でもあると考えます.
 単にトンデモ主張にカウンターをぶつけるというだけでは駄目で,もっと大きな視野で考えていく必要があるのでしょう.

 とはいえ,自分にそこまでの力量はないので,色々なひとにこの問題に取り組んで欲しいなぁと思います.
(もう取り組んでいるひとが何人もいるのは承知ですが,それ以外にも).

「ストパン」■(2010-02-13)[アイヌ否定論]アイヌ否定論批判のために
青文字:加筆改修部分


 【質問】
――――――
 日本において単一民族国家であることを主張することが,マイノリティを無視することになるでしょうか?

――――――「皇国の興廃,この一文にあり」(blog)◆単一民族,なぜ問題なのか?

――――――
 単一民族国家であるとの見解が即ち少数の異民族を排除することを意図したものではない.

――――――「侍蟻 SamuraiAri」(blog)◆[麻生内閣]言論テロに斃れるな!

 【回答】
 いや,だから,「単一民族」という発言の裏には,少数民族の無視が含まれているってわからないのかなぁ.
 「単一」って事は要するに,他の民族の存在を認めていない,って事でしょ?
 少数民族の存在を無視するに等しい発言だから,「単一民族」発言をした中山国交相(当時)に対して,アイヌは怒ってる訳.

 これが,誰にも知られていない山奥の100人程度の人たちだったら,中山の発言も仕方ないかもしれないよ.
 でも,アイヌは何十年も
「民族と認めてくれ」
と請願し続けてきて,その為の運動もやってきて,中曽根発言に抗議したりして,先日にはアイヌを先住民族と認定する決議が出るような状況にまでなっている訳で,市井の庶民ならともかく,一国の大臣がそれを知らない筈がないでしょう.
 だから悪質だと言われるの.

 もう一度考えてみ?
 一国の大臣が,国民の中の一集団を存在しないものであるかのように扱ったんだぜ?
 アイヌが怒るのも当たり前だよ.
 中山は結局その抗議を受け入れて撤回・謝罪したけれど,当然だよな.

 まあ,この発言はまだマシな方なのかもしれない.
 何故なら,「侍蟻」のコメント欄には,もっと酷い発言が書き込まれているからだ.

――――――
1. Posted by 憂日隊 2008年09月27日 22:54

管理人様,大変です!中山国交相が圧力に屈服し辞任をしそうです.
これ以上アイヌヒトモドキと癒着する日狂アカ集団の言葉狩りを許していいのですか!
総連と同調する日狂へ断固抗議し国交相を支持して下さい.
――――――

 〔略〕

※ 普天間など,国家安全保障問題に対するルーピー鳩山内閣(当時)の不勉強ぶりをみるに,大臣が本当に知らなくても不思議ではないと思う今日この頃.
 もっとも,それはそれで問題だろうが.

「ストパン」■(2008-09-28)中山前大臣の失言の意味がわかっていない人たち
青文字:加筆改修部分

 整理しておくと,民族問題へのアプローチとしては,おおまかに次の2つの流れがある.

・本質主義(Essentialism),原初主義(Primordialism)

・構築主義(Constructionism),手段主義(道具主義,Instrumentalism)

 前者は,アイデンティティや民族性というものには,歴史的に継承される生得的な固有性,普遍性があるという考えで,後者はアイデンティティが後天的に作られ,操作されるものとみる.

 最近の研究では後者の考え方が主流で,この前紹介したアンダーソンの「想像の共同体」も後者に属する.
 A・D・スミスは,その著書で両者を極端だと批判して,「エトニ(ethnie)」概念を提唱したが※1,これは佐原徹哉によって
「ネイションに規定された前ネイション意識」
と批判されている.※2

 両者のうちで,後者は民族主義を相対化する役割を果たし得るのに対して,前者は民族主義を補強する役割を果たす,と,大雑把に言い切ってしまってもいいだろう.

 昨今のアイヌに関する論争で,「単一民族」を主張する人たちは,ぼくの見る限り,縄文時代をも自民族の歴史と見なす,本質主義の泥沼に嵌り込んでいるように見える.
 本質主義は楽ではあるけれど,「民族」というものの中に存在する多様性を,捨象する事にもなりかねない.
 「日本は単一民族国家」という発想には,多様性を捨象し,アイヌや琉球の独自の歴史を,無遠慮に「日本」に組み込む論理が含まれてしまっている.※3
 正直,ぼくはどれだけ説得されようと,それに賛同できそうにない.

 ちなみにぼくは,これまでの発言でわかるとは思うが,構築主義.

※1:アントニー・D・スミス著,巣山靖司,高城和義他訳『ネイションとエスニシティ――歴史社会学的考察』名古屋大学出版会,1999.

※2:佐原徹哉『近代バルカン都市社会史――多元主義空間における宗教とエスニシティ』刀水書房,2003,p.21.

※3:「蝦夷(えみし)=アイヌ」論なんかもそういう構造を持っているように思う.

「ストパン」■(2008-10-01)[民族][ナショナリズム]本質主義と構築主義

 上記をもうちょっと詳しく.

 ゲルナーら構築主義者は,ネイションは近代の構築物であると論じるが,それに異議を唱えたのがA・D・スミスだ.
 彼はその1986年の著書,The Ethnic Origin of Nations(巣山靖司,高城和義他訳『ネイションとエスニシティ――歴史社会学的考察』名古屋大学出版会,1999)の中で,ネイションの基盤となる人間集団としてのエトニ(ethnie)を提唱する.

――――――
 これまでの議論を基礎とすれば,エトニ(エスニックな共同体)は,いまやつぎのように定義される.
 エトニとは,共通の祖先・歴史・文化をもち,ある特定の領域との結びつきをもち,内部での連帯感をもつ,名前をもった人間集団である,と.
 私は,このような共同体が,〔……〕歴史のあらゆる時代において,広く分布してきたことを示したい.〔……〕

――――――アントニー・D・スミス(巣山靖司,高城和義他訳)『ネイションとエスニシティ――歴史社会学的考察』名古屋大学出版会,1999,p.39

 この論は意外に受け入れられているようだ.

 ネイション以前にも,例えば「ギリシア」や「中華」のような集団意識はあった訳で,それをエトニと位置づけることは,確かにわかりやすい.
 そしてスミスの言うような条件を備えた集団は,歴史上に確かに存在しただろう.
 だが,それがネイションに繋がるというのは飛躍である.
 それは近代以降のアイデンティティの操作について,あまりに無頓着だ.
 ゆえにエトニなるものは,佐原の言うように「修正された本質主義」の産物に過ぎず,「ネイションに規定された前ネイション意識」であり※2,一見便利な説明概念のようにも思えるが,ネイションの「本質」なるものを無自覚に認めてしまいかねない概念であるといえよう.

 たとえば近代中国のナショナリズムについては,諸列強の進出による分割(瓜分)への恐怖から国土の一体感が生起したとする考察がある.
『愛国主義の創成 ナショナリズムから近代中国をみる』(吉澤誠一郎著,岩波書店,2003/03)

 この論に従えば,「中華」の纏まりのようなものが,直線的にネイションに結びついたのではなく,むしろネイションの創出の中で,従来の纏まりが利用された,ということになるだろう.
 その過程で,当時清朝の版図に含まれていたチベット,新彊,モンゴルを,「中国」の領域の一部とみなす意識が芽生えていく.

 また,わが国の場合を考えると,下々の人間にとっては,天皇はまったく聞いたこともないか,「よくわかんないけど京都にいる偉いひと」的な扱いであって,その政治的意識は地方領主に向けられていたといっていい.
 ゆえに明治政府は,天皇の存在を国民に浸透させることに注力した.
『天皇の肖像』(多木浩二著,岩波書店,2002/01)

 「日本」「中華」という枠組みは,確かに昔からあったかもしれないが,その枠組みが国民統合を促したのではなく,国民統合のためにその枠組みが利用されたのである.
 国民国家の創出においては,「ナショナリズムがネイションに先行する.
 ネイションが国家やナショナリズムを創り出すのではなく,その逆」なのだ.※3

 スミスの措定するエトニなるものは,安易で理解を誤らせかねない概念である.
 結局それは,ナショナリズムの言説に寄り添ってみせただけだ.
 ぼくは,彼が

――――――
 数世紀前に祖先が,血と汗によってつくりだした民族的なアイデンティティのうえに,どっかりと腰をすえてなんの不安も抱いていない西ヨーロッパの傍観者が,19世紀のヨーロッパや20世紀のアフリカやアジアの民族主義的知識人に対して,彼らが美辞麗句をあまりにも多く使いすぎるとか,学問的にみて誤った指導しかしていないとして,軽蔑しあざけり笑うことが,流行となっている.

――――――スミス前掲書,p.2.

と,痛烈な筆致で,確立されたネイションの住民の無自覚な傲慢を批判し,ネイション確立のために苦闘する多くの人びとに寄り添ったことについて,その気持ちがわからない訳ではないが,やはりそれは探求者の態度ではないと考える.

 東欧史をやっている一学生の立場から言わせてもらうと.東欧史をやる人間は,必然的にネイションとは近代の構築物に過ぎないということを思い知ることになるのだが,そうでない地域においては,しばしばネイション以前と以後の区別が不明瞭になりがちだ.
 たとえば中国や日本,それに西欧諸国.
 この辺りが未だ,日本人に本質主義的民族観が残存している理由だと思う.
 その観念が,少数民族や少数言語に対する無理解を生んでいるのではないか.
 どのようにそのような観念を取り払っていくかが求められているのだろう.

 最後に偉大な歴史家,ホブズボームの言葉を引用して終わりにする.

――――――
 最後に私は,ネイションやナショナリズムを真摯に研究する歴史家は,明確な政治的意志を持ったナショナリストではありえない,ということを付け加えないわけにはいかない.
 〔……〕ナショナリズムは,明らかに間違ったことを信じるよう要求することがあまりにも多い.
 ルナンが述べたように,
「自己の歴史を誤解することは,ネイションたることの一部である」
 歴史家は職業上誤って解釈しないこと,あるいは少なくとも誤って解釈しないよう努力することを義務づけられている.
 〔……〕歴史家は,書庫や書斎に入るときには,彼あるいは彼女の信念を置き去りにしなければならない.
 何人かのナショナリスト的歴史家は,これまでそうすることができなかった.
 〔……〕
――――――※5
※2:佐原徹哉『近代バルカン都市社会史――多元主義空間における宗教とエスニシティ』刀水書房,2003,pp.20-21.

※3:E・J・ホブズボーム(浜林正夫,嶋田耕也,庄司信訳)『ナショナリズムの歴史と現在』大月書店,2001,p.12.

※5:ホブズボーム前掲書,p.15.傍点を太字にし,脚注を省略した.

「ストパン」■(2009-04-26)[民族][ナショナリズム]ナショナリズムにおける本質主義批判のために――エトニ,あるいは,ネイションの基盤となるものについて
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 アイヌ系日本人がいわゆる和人と人種が異なる,というのは初耳である.
 人類学・考古学・歴史学を無視した暴論である.
 座長が有名な法学者だというから,おそらく有識者諸氏は優秀な方々ばかりなので,ご自身を名誉白人かなにかだと思っておられ,結論を出したのであろう.
 右を見ても左を見ても,アイヌ系日本人といわゆる和人との人種差など,意識にも上らないのが,普通に暮らす日本人の感覚である.
 国内に,在りもしない人種問題を起こそうということか.
 有識者の有識度,不見識にはあきれ果てる.

――――――的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p..162

 【再反論】
 これは的場が,有識者懇の次のような主張

――――――
 (……)さらに,我が国が締結している「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」第2条2(注) が,締約国は特定の人種への平等な人権保障のために,特別な措置をとることができるとしていることも,視野に入れる必要がある.

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai10/siryou1.pdf
――――――

を取り上げた上での批判.

 日本語において「人種差別」と「民族差別」は意味的に区別されるが,英語の「racism」はそうではない※4
 国連が作った条約が,日本語の「人種差別」の意味に基づいてると,本気で思ってんのか?
 英語に決まってんだろうが.
 国連の人種差別撤廃条約をちゃんと読め.

――――――
1 この条約において,「人種差別」とは,人種,皮膚の色,世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別,排除,制限又は優先であって,政治的,経済的,社会的,文化的その他のあらゆる公的生活の分野における,平等の立場での人権及び基本的自由を認識し,享有し又は行使することを妨げ,又は害する目的,又は効果を有するものをいう.

http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/GAIKO/jinshu/conv_j.html
――――――

 というわけで,民族差別も人種差別に含まれるようです.
 残念でした.

 しっかしこれも凄い論理だよなぁ.
 的場の理解によれば,中国人がいくらチベット人を差別しても,あるいはドイツ人がいくらユダヤ人を差別しても,その他あらゆる「同じ肌の色どうしの差別」の事例において,国連は口を出すことができないらしい.
 何のための条約だよ(笑)

 こんな主張はイチャモンとしか呼べない.
 的場を擁護する人たちに,こういった主張について,どう思うのかを聞いてみたい.
 筆頭は産経新聞かな※5
 あとは,id:saboten2008氏とか,的場の本を
「開拓民の子孫としての立場からの,冷静な意見」
と呼び,
「歴史観の違いを認識し,双方の意見を交換するような『懐の深さを』見せない限りは,アイヌは逃げているとしかいえまい」※6
と断言する砂澤陣氏とか.

※4:cf. 人種差別 - Wikipedia.
そもそも「race」や「人種」という語の意味自体,歴史の中で変遷を遂げている.
cf. Nation-ethnic group(メモ) - Living, Loving, Thinking.

※5:的場光昭の著書を産経が好意的に紹介してた件 - Danas je lep dan.

※6:アイヌ先住民族・その真実 的場光明著 - 後進民族アイヌ

「ストパン」■(2010-04-03)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(3)
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
――――――
 少なくともわしは今後,『日本は多民族国家』とは言わない.
 『日本はほぼ単一民族』という表現は使うかもしれない.
 アイヌの人たちに関しては『アイヌ系日本国民』で問題ないと思う.

――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.65

 【事実】
 だからお前が先に「民族」の定義を示せよ,ダブスタ野郎.
 というか「日本は多民族国家」って,小林は別に今までも言ってないよね?
 何が言いたいのやら.

「ストパン」■(2008-11-03)[アイヌ否定論]小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(3)
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 アイヌとは「人間」という意味だ.
 「民族名」ではない.

――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.65

 【再反論】
 アイヌが自分たちをカムイと対比させて,「人(アイヌ)」と自称していたのを,後に民族名として採用したんでしょ.
 何,意味不明の屁理屈を捏ねてるの?

 世界の民族の中には,「人」を意味する民族名を名乗る人びとが多くいる.
 例えば,ニュー・ジーランドの先住民族マオリは「人間」という意味だし,北米のチェロキーは自らをアニユァウィヨァと呼称するが,これは「これらはすべての人間である」という意味だ.
 小林の論は世界の先住民族について,彼が無知である事を証明したに過ぎない.

「ストパン」■(2008-11-03)[アイヌ否定論]小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(3)
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 北海道には何種類ものエスニック・グループが住んでいたが,「アイヌ」で一括りにはできない.
 それは「蝦夷」とか「土人」で一括りにしていたのと同じ発想である.
 樺太に住んでいるのは樺太アイヌではない.「エンチゥ」という自称がある.
 千島に住んでいる民もまた別の部族である.

――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.65

 【再反論】
 これらの主張を通じて小林は何が言いたいのだろう?
 現在の北海道,およびその周辺の島嶼で独自の文化を培ってきた人びとを,「アイヌ」で一括りにするな,という事か.
 要するに政府宣言は不適切だ,と言いたいのだろう.
 じゃあ,「現在の北海道およびその周辺の島嶼で独自の文化を培ってきた諸民族」と,宣言が修正されたら満足するの?

「ストパン」■(2008-11-03)[アイヌ否定論]小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(3)
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
――――――
 さらに言うなら,今現在,両親が和人と混血してない,純粋なアイヌという者はいない.
 和人との通婚率は90%以上である.

――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.

 【事実】
 民族って,血のみで定義されるものじゃないだろう.
 例えばアイヌには,和人が生活苦から捨てた幼子を,引き取って育てる,という慣習があった.
 そうやって引き取られて,文化の伝承者になっているアイヌの方もおられる.

 あと,フィールドワークした人の報告なんかを読むと,「純粋なアイヌの家系」が続いている例が見出せる.※3
 何を根拠に,小林が「いない」と決めつけたのかが非常に気になる.

 和人の血をひいていても,自らをアイヌと自覚する人もいる.
 民族とは,「科学的に」測定される値に基づいて導出される概念ではなく,最終的には一人一人の自意識に基づくものだ.
 日本人と海外出身の人との間に生まれた子供の事を考えてみるといい.
 彼らは,場合によっては「自分は日本人だ」と考えるであろうし,もしくは「日本人であり,○○人でもある」や「○○人である」と言うだろう.
 〔略〕

※3:中川裕『ことばを訪ねて アイヌ語をフィールドワークする』大修館書店,1995.
 ページ数は失念したので後に追記する.

「ストパン」■(2008-11-03)[アイヌ否定論]小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(3)
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 現在では純粋なアイヌの人というのは存在していません.
 アイヌ語を日用語として流暢に話す人も,狩猟だけで生計を立てる人もいません.

 それにもかかわらず税金を投入し,資料館を建てる,修学を支援する,
 さらには「日本は侵略国家だった」と,詫びる必要があるのでしょうか?

国民が知らない反日の実態 - アイヌ問題
――――――

 【再反論】
 そもそもアイヌって,狩猟や漁撈だけで生計を立てていたわけでは決してないんだが.
 江戸幕府は何度も,アイヌの山丹貿易を規制しようとしてたぞ.
 アイヌのことを碌に知りもしないで,イメージだけで書いてんじゃねえよ.※2

 そして「純粋なアイヌの人」がいないのも※3,「アイヌ語を日用語として流暢に話す人」がいないのも,日本による同化政策が原因だろうが.

 修学支援については,合理的な根拠がある.
 アイヌと和人との学歴の差は,統計上如実に表れている.
 たとえば,30歳未満のアイヌの大学進学率は,全国平均の半分以下だ.※4

 で,資料館にまでケチつけるって,お前らどんだけ文化的でない生活を送ってんの?

※2:まあ,かくいうぼくもアイヌ史を体系的に学んだわけではないのだが.

※3:ひょっとしたらどこかにご存命かもしれないが.

※4:アイヌ民族 生活保護,道平均の2倍超 暮らし「苦しい」36% 北大など調査 - 北海道新聞

「ストパン」■(2009-06-20)[アイヌ否定論][デムパ]アイヌへの支援を「反日」と呼ぶ醜悪さ
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 ちなみに,ナチズムに対する反省から,ユネスコは1951年に人類学者を招請して,「人種と人種差別の本質に関する声明」を発表.
 その中で
「純粋な人種が存在するという証拠はない」
と明言している.

――――――小林よしのり「国民としてのアイヌ」『わしズム』28,2008,p.19

――――――
 「民族」という用語は,文化集団を意味する場合もあれば社会集団を意味する場合もある.
 宗教によって枠づけられる集団のこともあれば,言語によって枠づけられる集団のこともあり,それにはまた,専門用語と通俗的用語との間のずれもある.
 (……)
 日本語の「民族」という用語は非常に幅のある言葉で,使い方や解釈の仕方によっては,誠に危険な言葉なのである.
――――――河野本道「〈アイヌ系日本国民〉を『アイヌ民族』と言えない学術的根拠」同,p.63

――――――
 そもそも,学問的には,純粋な「人種」とか純粋な「民族」の存在が認められているというわけではない.

――――――同上

 【再反論】
 この辺の主張を見ていて思うのは,「純粋な人種/民族」は存在しない,という,様々な学問(生物学だったり文化人類学だったり歴史学だったり)の成果が都合良く切り取られて悪用されているということ.

 上記引用文章のどれも,そこだけを取り出せば,至極真っ当な見解である.
 だが問題は,
「だから『純粋な』アイヌなんて存在しない.
 そもそも存在するわけがない」
という,学問的には真っ当な主張が,
「ゆえに彼らを『アイヌ』と呼ぶことは難しい」
という,謎の変換をされてしまう回路にある.
 それを言うなら同様に,「和人」「日本人」だって存在が怪しいはずなのだが,何故か彼らは「日本は単一民族国家である」※4と主張する.

 「純粋な○○人」は存在しない,という公理がふたつの自称民族のどちらか一方にだけ当て嵌められる回路――これを差別的と言わずして何と言おう.
 「日本人」も「アイヌ」も自称に過ぎない.
 だが,学問の側が提起してきたのは単にそれだけではなく,だからこそ個々の「民族」の声に耳を傾けるべきだ,ということではなかったのか.
「純粋な○○人は絶えた.
 お前たちは偽物だ」
という主張の暴力性が,問題にされてきたのではなかったのか.
 まさしく,「学問の暴力」として.それは,文化人類学が通過してきた道,場所によっては今なお通過している道だというのに.

 彼らはこうやって学問の蓄積を台無しにする.
 日本人が洋服を着てiPodを使って,大量の借用語を混ぜながら会話し,お祭りの時だけ法被を纏うのは許しても,アイヌが同様のことをすると,
「文化を失っているじゃないか」
と言う,このダブルスタンダードこそが差別である.

 ある文化人類学者は次のように指摘した.
「現代の日本社会に住む,『日本人』でない人はいわゆる『他者』であり,日本人の想像の中で独特な生活スタイルをしていると信じられている」※5
 当たり前だが,インディアンだってジーンズを穿くし,チベット人だってモバイルを操る.
 それと同じように,アイヌも振る舞っているだけだ.

 ジーンズを穿き,ロックを聴き,ガムをくちゃくちゃ噛みながら,
「先住民なんだから物々交換しないと」
とジョークを言い,それに応えて自分のこれまでの人生を物語る,若いインディアンが登場する映画に寄せて,あるインディアン研究者は次のように書いた.

――――――
 時代は変わり,生活はアメリカ人一般とそう変わりはなくなっても,物語という先住民の口承伝統は,日常生活の中に息づいていることが伝わってくる.
 先住民は高貴なる野蛮人でも,血に飢えた殺人鬼でも,天性のエコロジストでもなく,他の民族と変わることのない,人間の普遍的属性を持つ.
 ただしインディアン性を際だたせる習俗や儀式は失われても,世代を超えて固有の伝統の何かが生き残っている.
 これが現在のインディアン社会のリアリティである.

――――――阿部珠理『アメリカ先住民 民族再生にむけて』(角川学芸出版,2005),pp.166-167

 僕も普段は洋服を着て朝食にはパンを食べて暮らしているが,神社に行けばそこに神を感じるし,実家に帰れば仏壇を拝む.
 そして,まるで伝統とは無縁の音楽を聴きながら,自分を「日本人」と定義する.
 そういうものだ,現代の民族文化とは.

 また小林は,アイヌ(および,沖縄人)の定義をめぐって,「血にこだわって偏狭な『民族主義』に陥」っていると批判する※7
 仮にアイヌ協会が,単にアイヌの血を引いているからという理由で,自分をアイヌではなく和人とアイデンティファイしているひとを捕まえて,無理矢理「アイヌ」と呼んでいるのなら,僕はそれを批判するだろう.
 だが,現実に行われているのはその逆,単に和人の血を引いているからという理由で,自分をアイヌとアイデンティファイしているひとに向かって,「お前はアイヌ民族なんかじゃない」と呼ぶ行為だ.

 和人にも要求されていない「純粋な文化」を,アイヌにだけ求めるような言説は,差別的である.
 いくら「アイヌを差別する意図はない」などと言おうが,変わりない.
 このことは,繰り返し強調しておきたい.

 関連エントリ:
「われわれ」を想像する権利 - Danas je lep dan.

※4:小林「国民としてのアイヌ」p.19.

※5:中村尚弘『現代のアイヌ文化とは――二風谷アイヌ文化博物館の取り組み』東京図書出版会,2009,p.83

※7:小林「国民としてのアイヌ」p.14

■(2010-04-04)[アイヌ否定論]学術的成果を悪用する回路――「純粋な民族はいない」論をめぐって
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 的場先生は「虐殺」,すなわち故意または過失による現実の大規模な(物理的)殺傷行為がそれぞれの地域の先住民に対して行われたかどうかについて記述しているのに対して,id:mukke氏は,故意とも過失ともおよそ関係のない疾病の伝播がそれに相当する(=間接虐殺)としている.たしかにレキシ学の見地からは開拓・進出(侵略?)を疾病による殺戮とする(修辞的)記述法もあるのだろうが,そもそも意思の伴わない「殺戮」などというものがあり得るのだろうか? ある人が有る行為について非難されるとするならば,その行為がその人の意思に基づいて行われていなければならないはずだ.

痛みに耐えかねて - さぼてん日記
http://d.hatena.ne.jp/saboten2008/20100310/p1
――――――

 【再反論】
 だから,的場センセイの主張する,
「故意または過失による現実の大規模な(物理的)殺傷行為」
が,そもそも間違いだっていう話をしてるんですけど.
 現実に蝦夷地と北米で起きたことは同じだということを述べているのであって,ついでにそれが北米の先住民族に対しては同情を示しつつ,アイヌへの同情を示さない,的場センセイのダブルスタンダードへの批判になってることは理解してますか?

「ストパン」■(2010-03-11)[アイヌ否定論][デムパ]日本語でおk
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 さてid:mukkeさんは的場氏に対して「これは議論ではない」「破壊する」と脅しをかけている.
 いかにも穏やかではない.
 ということは,的場氏の側に立つことになる私に対しても,「破壊する」と脅迫するものと理解してよいのであろう.
 (タメ口で罵倒されるのはあまりいい気はしないが)実に結構なことで,私は元々「破壊される」ほど大層な意見は述べていない.
 ただ,ありあまる書物の知識を振りかざして,実社会で地道に生きる人たちを病原菌呼ばわりする,腐ったインテリの「上から目線」発言を見聞すると,反吐を催すという,ただそれだけである.

痛みに耐えかねて - さぼてん日記
――――――

 【再反論】
 ちゃんと日本語を読みましょう.
 「破壊する」のは的場センセイではなく,的場センセイの主張が拠って立つ基盤です.
 この程度で脅迫などと言うぐらいなら,はじめから何も発言しないことです.

 まあそれはそれとして,「実社会で」「地道に」みずからの民族文化を保存し,言語を復興させる努力をしながら,
「民族と認めて欲しい」
と言っていた人びとに対して,ろくな知識もないくせに,
「お前らは民族なんかじゃない」
と言ったのは的場光昭です.
 上から目線はどちらですか.
 恥を知りなさい.

 北海道開拓民が汗を流したこと,懸命に生きてきたことは何ら否定しません.
 けれど,それが他の誰かの運命を破滅的に狂わせてしまうことだってあるのです.
 パレスチナに入植したユダヤ人も,北米を「開拓」したヨーロッパ人も,ウイグルに移民した漢人も,みな懸命に生きてきました.
 彼らに寄り添うことも大切でしょう.
 子孫が彼らの努力を誇りに思う気持ちもわかります.

 けれど,同時に彼らの懸命な生の営みによって,他の集団の生の基盤が脅かされ,破壊されたのも事実なのです.
 そこを厳粛に見つめる必要があります.
 以下引用.

――――――
 実際に飛騨屋の場所でアイヌ支配を行なっていた「番人」が多くは大畑の住民で,彼ら自身も飢饉で食い詰めて,飛騨屋に雇われた人々であることも記憶されていい.
 彼らは彼らなりに必死に生きていたのだ.
 現在クナシリメナシの慰霊祭では,殺された71人の和人の番人たちの慰霊も合わせて行われるよし.

 彼らを非難するのはたやすい.
 しかし彼らを単純に,「暴虐な和人」という図式で片づけることで抜け落ちるものがある.
 抜け落ちたすき間に,
「日本人は遠い異郷の地で頑張っていたのである」
というプロパガンダは容易に入り込む.
 私の考えではむしろ,飛騨屋サイドの事情を「無用なていねいさ」として切り捨てることの方が,悪質なプロパガンダに力を与えることになるのではないかと考える.

 一人一人の人間は,与えられた運命を懸命に生きてきた.
 しかしそれが,収奪にも破壊にもつながるのである.
 それは現在の私たちにも言えることである.
 一人一人の事情にていねいに寄り添うこと,その上で巨視的な視野で位置づけること,これこそが現在必要とされている歴史叙述である,と考える.
 ていねいな目配りは必要であるし,不要なていねいさなどないと考える.

「無用なていねいさ」 - 我が九条−麗しの国日本
――――――

「ストパン」■(2010-03-11)[アイヌ否定論][デムパ]日本語でおk
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 北海道で最も古い神社は,函館市の船魂神社である.
 [建立は]1135年.
 なんと鎌倉幕府成立の1192年よりも古い.
 北海道島にアイヌ文化が成立したのは鎌倉時代以降のことで,3大系統7分派に分かれた.
 つまり北海道の「先住民族」は,アイヌに限られるわけではない.
 すでに和人も混住していたのだ.

――――――小林よしのり「自称アイヌは実は日本人である」 in 『SAPIO』 2009.9.9号,p.58

 【再反論】
 彼は誰に向かって書いているのだろう?
 北海道においてアイヌと和人の混住があったことは,誰も否定していないのに.

 問題は,特に江戸時代以降における両者の関係性である.
 和人の持ち込んだ経済システム,伝染病といった諸要因によって,アイヌ社会が徐々に和人社会に従属させられていき※7,抗う力を失い,最終的に明治政府による入植で少数民族に転落した,その過程からアイヌは「先住民族」と呼ばれているのだ.
 勝手に脳内で,字面だけをもとにこねくり回した「先住民族」の定義を持ち出されて,語られても困る.
「軽音楽って軽い音楽って書くぐらいだから,カスタネットとかが主体なんでしょ?」
って言われたら困るのと同じだ.
 「まずは勉強しろ」としか言えない.

※7:この過程については,ブレット・ウォーカー(秋月俊幸訳)『蝦夷地の征服1590-1800――日本の領土拡張にみる生態学と文化』北海道大学出版会,2007が詳しい.

「ストパン」■(2009-09-29)[アイヌ否定論]アイヌの運動を「利権狙い」と決めつけ,彼らを「自称アイヌ」と呼んで恥じない小林よしのりの醜悪な姿
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
[アイヌが源義経への信仰を持っていた,と述べた後で]
 こうした伝説が信じられるほど,昔から,アイヌと和人は親密な交流や混住をしていたのだ.

――――――小林よしのり「自称アイヌは実は日本人である」 in 『SAPIO』 2009.9.9号,p.59

 【再反論】
 だから何?
 だいたいそんなこと言ってたら,アメリカ大陸への移住者と先住民の間には,結構良好な関係が構築されてた例も多かったんだが.
 まさか,アメリカの先住民史は迫害と虐殺だけの歴史だった,なんて思っちゃいないだろうね?
 「平和的な」交易が,先住民を衰頽させたという背景も押さえておこうね.

「ストパン」■(2009-09-29)[アイヌ否定論]アイヌの運動を「利権狙い」と決めつけ,彼らを「自称アイヌ」と呼んで恥じない小林よしのりの醜悪な姿
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
道産子のスタッフに聞いても,日常で一度もアイヌと会ったことがなく,アイヌの存在を意識したこともなかったという.(p.10)

――――――小林よしのり in 『沖縄とアイヌの真実』(西村幸祐著,オークラ出版,2009/01/29)

 【再反論】
 それ,単にトッキーが無知なだけじゃね?
 そりゃあ,アメリカやオーストラリアや中国でだって,先住民族の存在を意識せずに暮らすことは可能だろうさ,けれどだからといって,それらの国々の先住民族が胡散臭いというわけではない.
 そもそも,少数民族をめぐって問題とされているのが,日本社会における「無視」なんだけど※1,その辺のことを全く理解してないのか.

――――――
 近代以降〔日本の政策を〕一貫して流れているのは,アイヌ民族への無視である.
 無視というアイヌ観が,開拓政策によるアイヌの生活困窮や精神的な抑圧に作用した.
 アイヌの同化は,明治初期の一時期を除き,それ自体を目的にしたというより,土地の開拓や北海道の「民度」向上のために障害となる「劣等」なアイヌを,どう和人並に近づけるかという問題となって浮上する.
 対応するのは,天皇により統治される国の夷狄となって,天皇の徳を高めるために存在するという,基本的な蝦夷観であり,アイヌ自身による日本人としての自己実現の言動が,社会に向かって発揮されることさえも,和人側からはアイヌの内部における民族精神は無視して,「目覚めた」アイヌというとらえ方になった.

――――――『エミシ・エゾからアイヌへ』(児島恭子著,吉川弘文館,2009/05),p.170
〔〕内は引用者による補足.

※1:この点については,取り敢えず,「民族」なき国家の「民族」 - Danas je lep dan.も参照.

「ストパン」■(2009-06-16)[アイヌ否定論]今さらだが『沖縄とアイヌの真実』を読む


 【反論】
――――――
〔北海道での取材旅行で〕見た目でアイヌ系だとわかる者には一人も出会わなかったし,アイヌ語の単語は勉強していても,アイヌ語で会話している者など誰もいなかった.(p.11)

――――――小林よしのり in 『沖縄とアイヌの真実』(西村幸祐著,オークラ出版,2009/01/29)
〔〕内は引用者による補足.

 【再反論】
 見た目が何なんだ? お前はドイツ人とポーランド人を見た目で区別できるのか?

 ちなみにアイヌ語会話については,mixiのアイヌ関連コミュニティにおいて,
「中央線で知人と延々,アイヌ語で雑談していた」「日常会話程度なら結構できる」ひとたちが話し合っているので覗かれてみては如何.
 そして,彼らが街でアイヌ語を喋らないのは,話者数が少ないからだ.

「ストパン」■(2009-06-16)[アイヌ否定論]今さらだが『沖縄とアイヌの真実』を読む


 【質問】
 以下は本当ですか?

――――――
 今年6月には国会でアイヌの「先住民族決議」が全会一致で可決された.
 そのニュース映像が流れた時,国会議員は全員,「心優しき善いことをした」という自己満足な顔をして傍聴席の民族衣装を着たアイヌ代表らに拍手を送っていた.
 なにしろ「全会一致」だからすごい.
 国民であるわしは,こんな決議のことは全く知らなかった.
 政治家の間でも議論すらされてないのだ.
 政治家もアイヌについて無知なままで,勉強もせず,決議を通しているのである.

――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.60

 【回答】
 今回の決議を主導した,超党派のアイヌ議連に参加した鈴木宗男議員によれば,その参加者によって各政党内部での報告会は随時行われ,党内手続きはきちんととられていたという.※2

 今回の決議について知らなかったのは,単なる小林の知的怠慢である.
 国会で決議されるだろうとの情報は,既に決議の前週の段階で流れていた.※3
 アイヌ問題に興味があれば,あるいは毎朝新聞をチェックしてさえいれば,決議を事前に知る事は十分に可能であった.
 単に小林がそのどちらでもなかったというだけの事だ.

 ちなみに,かつて小林は,戦後全会一致で決議された戦犯赦免決議を熱烈に支持していた.
 あんな自己満足な顔で全会一致で通された決議を,である.
 そちらについて違和感は感じないのだろうか?
 つくづく小林主体思想というのは難しい.

※2:鈴木宗男「我々アイヌ議連が目指したもの――議場で見せたアイヌの人々の美しい涙」『月刊日本』2008年8月号,p.53.

※3:「アイヌは先住民族」とする国会決議案が提出へ - nasturtium

「ストパン」■(2008-11-01)小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(1)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
――――――
だが直ちにわしの脳裏に浮かんだのは…
「アイヌが先住民族だと決議されたら何が変わるのだろう?」
「アイヌに特権が発生するのだろうか?」
「北海道の開拓者は侵略者だったのか?」
「まさか北海道の住民は全員,本州に退去させられるのか?」

――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.60

 【回答】
 さり気なくアイヌを「北海道の住民」と認めていない筆致からも,小林の本音が察せられようが,それはおいても小林の認識のお粗末さには,いつもの事ながら開いた口が塞がらない.

 北海道「開拓」が,西洋によるアメリカ大陸の植民地化と同じように,先住民の土地や漁撈に携わる権利などを奪いながら進行した事は歴史的事実である.
 アメリカ大陸でネイティヴ・アメリカンが駆逐され,彼らの天地が白人の大農場に変わった事を「侵略」と呼ぶのなら,当然日本の北海道「開拓」も侵略と呼ばれてしかるべきではないのか.
 アメリカの先住民抑圧を非難しながら,日本のアイヌ支配に疑問を抱かない,小林の知的貧困が見て取れる.

 またアイヌは常々,先住民と認めて欲しいという願いを発していた.
 「日本は単一民族国家」などという妄説によって否定されるのは,彼らが現在の北海道および周辺の島嶼で独自の歴史を歩んできたという,彼らの誇りそのものである.
 この決議はまず第一に,彼らの誇りの為になされたものであろう.それをあっさりと「利権狙い」と決めつけられるとは.保守が聞いて呆れる.
 他民族の尊重なくして何が保守か.

 ちなみにここで引用した最後の一文であるが,アイヌを北海道の住民扱いしていないという点以外にも,ウタリ協会がそのような事を,一度も公式に求めた事はないという事も知らないで,アイヌが民族浄化をしようとしているかの如き書き方をするという大きな問題を孕んでいる.
 よく通したな,『SAPIO』編集部.
 誰か小林の為にもチェックしてやれよ.

「ストパン」■(2008-11-01)小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(1)
青文字:加筆改修部分



 【珍説】
――――――
 極端に言えば,アイヌの民族自決権を認め,北海道を譲って,自治政府を作らせなければならない.

――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.60

 【事実】
 小林の安直な被害妄想が,如実に表れている一コマであろう.
 ウタリ協会が公式にそのような立場を取っている,という根拠を挙げよ.
 国連宣言の条文を見るだけでなく,現にわれわれ和人の隣で生活しているアイヌを見よ.
 彼らが何を求めているかも知らずに,脳内で練り上げた極論を吐いてるんじゃねえ.

 ちなみに,運動の論理とは別の「生活の次元」における個々人としてのアイヌについては,以下の書籍を参照する事をお勧めする.
『首都圏に生きるアイヌ民族 「対話」の地平から』(関口由彦著,草風館,2007.11)

「ストパン」■(2008-11-01)小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(1)
青文字:加筆改修部分



 【反論】
――――――
 実際わしは北海道取材で,「アイヌが自治政府を作っておまえは和人だから出て行けと言われたら,喜んで北海道から出て行く」と語るアイヌ関係の施設で働く日本人にも会った.(p.61)

 アイヌ系の人々の中には,アイヌ語を義務教育で教えろとか,アイヌ語を公用語にしろとか,土地・資源に関する権利も含め,アイヌ民族のすべての権利を回復するよう求めている者もいる.
 日本政府の明確な謝罪まで求めているのだ.

 「先住民族決議」が通ったことで,彼らに過剰な期待を持たせ,結局は失望して反日運動となり,逆に差別が再生産されはしないか?
――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.61

 【再反論】
 アイヌが自らの言語をアイヌの子女への教育に導入しろ,と要求する事のどこが不当なのだろうか?
 言語を奪われた先住民は,おとなしく征服者の言語を喋ってろ,という事か?

 自らのルーツを探し求め,アイヌ語を習い始める大人も多いという.
 自らをアイヌと規定する人びとの子女への教育にアイヌ語を導入しろ,というのが何故不当な要求であるかの如く扱われるのか,ぼくにはさっぱり理解できない.

 公用語に関しては,意見が分かれるところだとは思うが,そもそも話者数が少ない言語が,象徴的に公用語とされる事は珍しくない.
 それは「われわれが少数者を尊重する」という姿勢の象徴なのだ.
 話者数が少ない先住民の言語を公用語に,というのも,特段非現実的な要求とは思われない(南アフリカの例を見よ).

 公用語について,以下のエントリも参照.
母語を取り戻そうという渇望 - Danas je lep dan.

 そして引用した最後の一文は酷い.
 アイヌが権利を要求し過ぎたら差別されるよ,という忠告に見せかけた脅迫にしか見えないし,そうだとしか考えられない.
 真に差別を憎むのであれば,
「差別されそうな運動はやめとけ」
と彼らを抑圧するのではなく,彼らがそれによって差別を被った時に敢然と弁護すべきではないのか.
 小林の言説は差別者への加担でしかない.

 アイヌが被ってきた差別の歴史,抑圧の歴史を糾弾し,権利の回復を求める運動に対し,差別をちらつかせて封殺を試みる――言論人として,いや人として醜悪の極みである.

>アイヌ関係の施設で働く日本人

 「そういう日本人もいる」というだけの話ですね.
 話を個別の次元に落とし込んでないで,ウタリ協会が民族浄化を要求しているとする根拠を出すべき.

「ストパン」■(2008-11-01)小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(1)
青文字:加筆改修部分



 【反論】
――――――
カナダやアメリカやオーストラリア,ニュージーランドなど,確実にその地には先住民しかいなくて,虐殺し,民族浄化して作られた国々は,この国連宣言に反対を表明している!
 ちゃんとした国家観を持った政治家や官僚がいれば,この方が常識だろう.

――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.61

 【再反論】
 アングロ=サクソンのグローバルスタンダード押しつけを批判してたのは,どこのどいつだよ.
 というか,ラテン・アメリカ諸国が賛成してるのは都合良く無視ですか.※5
※5:Wikipediaにおいて,国連宣言への批判が紹介されている.
先住民族の権利に関する国際連合宣言 - Wikipedia
 しかし,各国において先住民族が辿ってきた痛ましい歴史を考慮すると,ぼくはあの決議は歴史的に重要なものであったと,高く評価したい.

「ストパン」■(2008-11-01)小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(1)
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 【質問】
 以下の見解はどうでしょう?

――――――
 [……]矛盾を帯びたあいまいな言葉が生み出され,それゆえに「理解しがたさ」が常につきまとう日常の生活とは,一つのかたちに固まることのない水の流れのような流動性を持っている.
 それは,矛盾のない首尾一貫した論理を要求される運動の場とは異なる性質を帯びている.
 その意味で,運動の論理の世界と日々の生活の世界は,切り離されている.
 しかし,日々の生活が,そのような論理の世界からまったく独立して存在しているかといえば,そうではないだろう.
 なぜなら,本書の語り手たちは,それら二つの世界を巧みに往復しているといえるからである.
 彼(女)らは,一方で,運動の場においては,「弱者」「被害者」としての「アイヌ民族」という型にはまった言葉を用いて一定のストーリーを語り(あるいは,それに賛同し),他方では,それらの平板な言葉では語り尽くせない感覚をもって,日々の生活を営んできたのである.※4

――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.60

 【回答】
 極論でもって彼らの主張を総括しようとする事は,結局の所アイヌをわれわれと同じ生活者であるという観点から見ていない,という事ではないのだろうか.
 アイヌを実体を持った同胞と見ない事によってはじめて上述のような極論を吐けるのではないか,とぼくは疑っている.

『首都圏に生きるアイヌ民族 「対話」の地平から』(関口由彦著,草風館,2007.11),pp.13-14

「ストパン」■(2008-11-01)小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(1)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
理解不能 2008/10/05 12:56

 あのさー,アイヌの人たちが,旧土人法が2度目に改正された1930年代に伊勢神宮を訪れて,日本人になれたと喜んで俳句を詠んだ事を知らないのかい?
 そもそも,土人法自体,戦前の国会で否決されそうになると,沙流系アイヌ人が上京して可決させるために,請願活動までしてますよね?
 これも,『暴力的に日本国家』に入れようとした行為でしょうか?

 【回答】
Mukke 2008/10/05 22:07

 あー,あなたの発言の元ネタってこれかな?
http://iza0606.iza.ne.jp/blog/entry/652248/

 まず,あなたの発言の間違いを指摘しておくと,この時詠まれたのは詩ね,俳句ではなくて.
 そして上記の詩は,河野本道『アイヌ史/概説――北海道島および同島周辺地域における古層文化の担い手たちとその後裔』北海道出版企画センター,1996,p.142-143に載ってるんだけど,その数頁後にこう書いてある.

――――――
 ところが,日中戦争,日ソ軍事衝突,第2次世界大戦と続いたとりわけ顕著な戦時下において,国内的に差別する対象を認め,あるいは,国外的に敵対する対象を見定めたことにより,多くのアイヌ系の者としては,積極的に大日本帝国の国民(臣民)として生きることこそ,社会的地位の向上が果たし得るという錯覚に陥ったと考えられる.
 確かに以前の経験からしても,多くのアイヌ系の者にとって,戦争は「和人」と肩を並べることのできる,あるいは,「和人」を追い越すことさえできる絶好のチャンスであった.
 しかし,大日本帝国の帝国主義の破産とともに,すでに大日本帝国の国民化し,それを積極的に担ったアイヌ系の者の生き方は,もはやあえなく通用しないものとなってしまった.

――――――p.144-145

 旧土法に関しては,取り敢えず次のURLを.
http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20080329/1206788178

 そんなに単純な話じゃないんだよ.
 例えば,「アイヌ」は遅れた存在だから早く「和人」に追いつけ,という教育がなされた事例だってあるんだ.
 そういう教育を受けてきた人たちが,「文明化」を喜び,日本人になれたと言って詩を詠む.
 これを「彼らも喜んでいたじゃないか」といって片付けてしまうのは,あまりに表面的なものの見方しかできていないんじゃないか?

 あとはまあ,クナシリ・メナシの戦いとか色々あるよね.
 その辺りも含めて,ぼくは暴力的だったと思うよ.

「ストパン」■(2008-10-04)コメント欄
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 もちろん日本の歴史の中でアイヌを不当に扱った側面があったことは否定できません.

 でも日本が北海道を開拓しなかったら,どうなっていたでしょうか?
 明治維新が始まったころ,ロシアは南下政策をとっていました.
 これは一年中,海が凍らずに利用できる不凍港を確保するためです.
 そのため当時は,北海道周辺に多くのロシア船が出没していました.
 ロシアが北海道を占領する危険性が,大いにあったのです.

 その頃の日本とロシアの国力は,桁違いです.
 ロシアと戦っても勝てる見込みは全くありませんでした.
 下手をすれば,日本はロシアに軍事占領されていたかもしれないのです.
 だから明治政府は北海道開拓使を設置し,早急な開拓を行ったのです.
 そうして主権を確立していきました.

 さて,その頃のアイヌに自らで近代化を行って,軍事国ロシアに対抗する力はあったでしょうか.
 残念ながら無かったというしかありません.

 当時,世界は植民地主義の弱肉強食的な時代でした.
 今の価値観では考えられないのですが,欧米列強の侵略は全世界に及び,大東亜戦争直前にアジアで独立を果たしていたのは日本,タイ,チベットの三カ国だけでした.
 明治政府は必死で富国強兵・殖産興業に努め,欧米の植民地に日本がなってしまわないように努力したのです.
 もし日本が北海道を開拓しなければ,アイヌはいずれにしろロシアによって滅ぼされたでしょう.

 チェーホフの著書『サハリン島』には驚愕の事実が書いてあります.
「千島,樺太交換条約でロシア領になった樺太のアイヌ人の人口が,30年足らずで半減している」と.
チェーホフ
 北海道開拓は日本にとっても,アイヌにとっても避けられない道だったのです.

国民が知らない反日の実態 - アイヌ問題
――――――

 【再反論】
 これは全方位反日認定に定評のある※1,「国民の知らない反日の実態」というサイトだが,……頭が痛い.

 取り敢えずツッコミ所としては,

・あれ? 北海道が日本領なのは確定事項?

・ロシアが酷いことしたからといって,日本が良いことしたとは言えないよね?

・開拓の過程でアイヌの土地を奪ったことは,ガン無視かよ?

・朝鮮の独立は日本が奪ったよな?

 ……他にあるひといたらどんどん挙げてって下さい.
 一々数え上げるのも虚しいわ.

※1:http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/35.html

「ストパン」■(2009-06-20)[アイヌ否定論][デムパ]アイヌへの支援を「反日」と呼ぶ醜悪さ
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 「アイヌ民族」と自称※6する新党大地副代表の多原香里氏は,こんなことを言っている.

「かなり前のことなのですが,ある日本人男性に
『北海道は日本領になって良かったのだよ.
 そうでなければ,あなたたちアイヌ民族はロシアに侵略されるところだったのだから』
と言われたことがあります.
 私は
『日本よりロシアの方が良かったわ.
 彼らは民族という単位を尊重しているし,ロシア語は国連公用語の一つだもの』
と答えたことがあります.
 はたして,日本人は私たち新参者の国民に
『日本国民になって良かっただろう』
と,堂々と問うことができる材料を持っているのでしょうか」

 ちなみに多原氏は母親がアイヌ系だが,父親が和人だから,半分以上,和人である.※2
――――――
――――――
「そして,本当にアイヌはロシア人になった方が幸せだったのか?」※3
「アイヌはロシア人になった方が幸せだったなんてことは,日本のサヨク学者でさえ言っていない.」
「上村英明氏は次のように書いている…」
「カムチャッカ半島に渡り,ロシア国籍を取得した千島アイヌのその後も不幸なものでした.
 これらアイヌは半島中部に強制移住させられますが,故郷に近い南部に勝手に再移住したため,ロシア政府によってコサックに奴隷として売られました」
「多原香里氏は日本の政党の副代表で,2度も国政選挙に出馬している.」
「そんな人物が,
『日本よりロシアの方が良かった』
とか
『彼らは民族という単位を尊重している』
などという説を公言しているのは,実に不安である.」※4
――――――

 【再反論】
 これは多原が
,佐藤優との往復書簡の中で次のように書いたことへの「批判」

――――――
 かなり前のことなのですが,ある日本人男性に
「北海道は日本領になって良かったのだよ.
 そうでなければ,あなたたちアイヌ民族はロシアに侵略されるところだったのだから」
と言われたことがあります.
 私は
「日本よりロシアの方が良かったわ.
 彼らは民族という単位を尊重しているし,ロシア語は国連公用語の一つだもの」
と答えたことがあります.
 はたして,日本人は私たち新参者の国民に
「日本国民になって良かっただろう」
と,堂々と問うことができる材料を持っているのでしょうか.
 内国植民地と被支配民の忘却が,支配者に無神経な論理を与えているようにも思えます.

 日本人は,植民者としてまた支配者としての自分を,日本を意識していないようです.
 (……)
 この支配者対被支配者の関係を解消し,植民地主義に代わる新たな接着剤を見つけない限り,少なくとも南北端の日本国家統合は崩れ行くと想像しています.
 (……)
 結局のところ,沖縄の人たちもアイヌ民族もその個性を消して,日本人のようになることはできません.
 また,そのように努力している彼らを,日本人は包摂しようとはしません.
 それならば,お互いの違いを乗り越え認め合うという寛容の心が,これから国家統合を支えると想像しています.
 (……)※1
――――――

 ちなみに多原は,『部落解放』誌上に連載を持っており,そこで小林への反駁はなされているらしいが,残念ながら僕は,それを参照する機会に恵まれていない.

 この他にも,小林はチェーホフの『サハリン島』の叙述などを引き合いに出し,いかにロシアがアイヌに対し非道な扱いをしてきたか,ということを強調する.

 さて,一読していただければわかるだろうが,小林はふたつの誤謬をおかしている.

 ひとつめは,多原の発言を,本心からの願望であると捉えていることである.
 この往復書簡を読むと,多原が「ロシアの方が良かった」と発言しているのはこの一度きりであり,その他の箇所では日本のアイヌ政策批判,そして日本国家の枠内における地位向上を語っている.

 素直に読めば,多原の発言は皮肉や売り言葉に買い言葉といった類のものであって,それを彼女の政治的主張と思う方がどうかしている.

 ふたつめは,ロシアの民族政策について無知だということだ.
 小林は「『彼らは民族という単位を尊重している』などという説」と呼ぶが,小林が例示した帝政期はおくとしても,ソ連,および現在のロシア連邦においては,少数民族の言語・文化が,少なくとも形式上は尊重されていたことはもはや,ロシア史や少数民族問題を論じる上では常識である.
 ソ連では,少数民族の人口に応じて共和国,自治共和国,自治州,自治管区といった単位が形成され,独自の民族語の地位もそれなりに高かった.
(そもそもロシア語は建前としては公用語ではなかった)
 現在のロシア連邦も,内部に幾つもの少数民族地域(タタールスタン共和国など)を抱えている.
 アイヌ語や琉球(諸)語の存続を許さなかった日本と比べたら,雲泥の差であろう.
 彼らが「民族という単位を尊重」しているのは間違いない.※7

 無論,その「尊重」といっても度合いがあって,リトアニア人やタタール人などの,数が多く,存在感のある民族に比べて,数が少ない北方の少数民族であるアイヌは,果たして自治地域を貰えただろうか?という疑問もあるし――ただ,人口が四桁のコリャーク人でさえも自治管区の地位を享受していたことを思えば,数万人規模のアイヌは自治管区を貰えていたかもしれない――,国境地帯に居住し日本と関わりを持っていた少数民族という立場からすれば,スターリンの強制移住の対象となる恐れもあったであろう――朝鮮人がそうなったように.
 また,民族の伝統を受け継ぐ指導者が,粛清される可能性も高かった.

 それでも.少なくとも彼らは「民族」という単位を重んじ,形式的にはその文化を尊重する政策を採用したし,今もしている.
 これは中国も同じだ.
 日本の少数民族政策は,この2ヵ国と比べたら制度面において明白に遅れていると言わざるを得ない.
 そのような多原の真摯な批判を,小林は無知と曲解に基づいて葬り去る.
 多原は「民族としての尊厳」から
「(たとえ物質的に満たされていなくても,民族としての存在が公的に承認される)ロシアの方がマシ」
だったと言った.
 それを小林はいつの間にか,物質的豊かさの問題にすり替える.
 ことアメリカに関しては,日米同盟堅持を主張する親米派を,
「物質的豊かさよりも誇りが大切だ!」
として非難する小林だが,どうもアイヌに関しては違うらしい.

 他にも小林は面白い主張をしている.

――――――
 アイヌは北海道・千島・樺太に存在した「民族」だと多くのアイヌ関係の本に書いてあるが,広大な北海道,および海を隔てた樺太・千島に,統一された民族が存在したわけがない.※5
――――――


 本州は北海道よりも広くて,九州や四国,沖縄とは海で隔てられているから,そんなところに統一された民族が存在したわけはないですよね!
 自爆してどうする.

※1:佐藤優,多原香里「日本の国家統合としてアイヌ・沖縄問題を考えよ!(上)」『月刊日本』2008年7月号,p.65.

※2:小林よしのり「国民としてのアイヌ」『わしズム』28,2008,p.39.出典注記は枠外に存在する.

※3:同.

※4:同,p.40.

※5:同,p.41.

※6:ここでの「自称」という醜悪な表記について,多原は抗議したが,マトモに取り合ってもらえなかったらしい.
 その顛末については以下のエントリで扱った.
じゃあ,その「正統な学者」とやらを連れてこいよ - Danas je lep dan

※7:イスラーム圏諸民族へのソ連/ロシアの政策を見る限り,その意見には納得できない.
 簡単に言えば,「尊重するための制度がある」=「尊重されている」,ではないように思えるのだが……? (編者)

「ストパン」■(2010-06-20)[アイヌ否定論]皮肉も理解できず,ロシアへの無知を晒す小林よしのり
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 自分たちの利権のために国を売る,お手本のような演説である.
 これを聞いた各国代表団は,日本は大変な人種差別国であり,ネイティブアメリカンやアボリジニが経験したようなジェノサイドやエスノサイドを,アイヌも「共通に味わわされた」と思ったに違いない.※12
――――――

 【再反論】
 上記文中の「演説」とは,1992年にアイヌ代表が国連で行った,以下の演説を指す.

――――――
 19世紀の後半に,「北海道開拓」と呼ばれる大規模開発事業により,アイヌ民族は,一方的に土地を奪われ,強制的に日本国民とされました.
 日本政府とロシア政府の国境画定により,私たちの伝統的な領土は分割され,多くの同胞が強制移住を経験しました.

 また,日本政府は当初から,強力な同化政策を押しつけてきました.
 こうした同化政策によって,アイヌ民族は,アイヌ語の使用を禁止され,伝統文化を否定され,経済生活を破壊されて,抑圧と収奪の対象となり,また,深刻な差別を経験してきました.
 川で魚を捕れば「密漁」とされ,山で木を切れば「盗伐」とされるなどして,私たちは先祖伝来の土地で,民族として伝統的な生活を続けていくことができなくなったのです.

 これは,どこの地でも先住民族が共通に味わわされたことであります.
 第2次世界大戦が終わると,日本は民主国家に生まれ変わりましたが,同化主義政策はそのまま継続され,ひどい差別や経済格差は依然として残っています.
 私たちアイヌ民族は,1988年以来,民族の尊厳と民族の権利を最低限保障する法律の制定を政府に求めていますが,私たちの権利を先住民族の権利と考えてこなかった日本では,極めて不幸なことに,私たちのこうした状況についてさえ,政府は積極的に検討しようとしないのです.

私たちについて/アイヌ民族の歴史 - 北海道アイヌ協会
――――――

 しかし,そもそも「同化政策」って「ethnocide」とも訳せるので※13,別に間違ってはないですよ.
 ていうか,同じことはスウェーデン,フィンランド,ノルウェイ,ドイツ,スペインといった諸国でも指摘されていることであって,日本についてもそれがいわれたからといって,国際的評価ががた落ちする,なんてのは少し自意識過剰が過ぎます.
 むしろ,先に挙げた国々は,現在(限界はあるにせよ)先住民族や少数民族の独自性を擁護し,その文化を発展させる政策を採用しており(オーストラリアやニュージーランド,カナダもそうですね),過去の政策を転換したとして,国際的に一定の評価を得ています.
 逆に日本が,アイヌに対するエスノサイドの歴史を認めず,その先住民族としての権利を尊重しないのなら,認めるよりも国際的には悪評が立つでしょう※14.

 その意味で,一昨年の先住民族決議を僕は評価しています.

※12:砂澤陣「全国紙が書かないアイヌ利権の腐臭3――『歴史』を利権にするプロ・アイヌの野望」『正論』2010年7月号,p.214.

※13:同化政策 - Wikipedia
Pokerface氏の指摘を受け文を修正.

※14:実際,国連の人種差別撤廃委員会からは批判されてますしね.
国連・人種差別撤廃委員会による日本審査概略 - Gazing at the Celestial Blue.

「ストパン」■(2010-06-07)[アイヌ否定論]砂澤陣氏の誤謬を糺す
青文字:加筆改修部分



 【反論】
――――――
 だが,アイヌの歴史は,ネイティブアメリカンやアボリジニなどの歴史とは明らかに違う.
 彼らファーストネイションはヨーロッパ系民族から一方的に虐殺され,あるいは追放されたが,アイヌと和人との関係は1千年以上も続いているのだ.
 もちろん,旧土人保護法に代表されるような明治期以降の同化政策には問題点が多く,結果的に,伝統的なアイヌの生活様式を破壊することにつながったことは事実だ.
 しかしそれは,現代の価値観から見ればのことであって,当時の日本政府の目的が「保護」にあったことは間違いない.※15
――――――

 【再反論】
 明治期日本の対アイヌ政策の根本が「保護」にあった,というのは事実でしょう.
 アイヌ出身の歴史家で,新党大地から国政選挙に出馬したことで知られる多原香里氏も,「開拓使がアイヌ民族に配慮して,善意から行動していたことがうかがえる」※16とその著書の中で書いています.

 問題は,その「善意」によってもたらされた結果であるわけです.
 「地獄への道は善意の石で敷き詰められている」という諺はご存じでしょうか?

 さらにいえば,アメリカやオーストラリアで採られた政策にも,「保護」を目的としたものはあります.
 たとえば,ペンシルヴァニア州の「先住民学校」は,子供たちに文明を教えることで彼らを幸せにしようという目的から設立され,その「寄付者には,『同化』が最善の策だと信じるインディアンの人権擁護団体が,名を連ねてい」ました※17.
 その結果起こったことが,「先住民としての自尊心の破壊」であり,「彼らの『母』を踏みにじ」ることだったとしても※18,その根本には「善意」があったのです.
 オーストラリアにおいても,初期の入植者たちが迫害や虐殺を行ったことを,本国の住人が非難した結果,アボリジニの「保護」地域が設定されました※19.

 これは両国の政策を免罪しているのではありません.
 目的がいかに善意に満ちたものであろうとも,それが負の結果をもたらすこともある,といいたいのです.

 ところで,「現代の価値観から見れば」野蛮なインディアン迫害も,「当時」にあっては,西部に文明化をもたらす「明白な天命」だったのではないでしょうか.
 何故あなたは,インディアンに対して
「しかしそれは,現代の価値観から見ればのことであって,当時のアメリカ政府の目的が『近代化』にあったことは間違いない」
といわないのですか?
 そういうのをダブルスタンダードっていうんじゃないでしょうか.

 そういえば,漢人とチベット人の関係も1000年以上続いていますね.

 インディアンの歴史とアイヌの歴史の類似性については,以下を参照して下さい.
的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(1) - Danas je lep dan
※15:砂澤陣「全国紙が書かないアイヌ利権の腐臭3――『歴史』を利権にするプロ・アイヌの野望」『正論』2010年7月号,p.215.

※16:多原香里『先住民族アイヌ』にんげん出版,2006,p.140

※17:阿部珠理『アメリカ先住民――民族再生にむけて』角川学芸出版,2005,p.69.

※18:同,p.70.

※19:鈴木清史『都市のアボリジニ――抑圧と伝統のはざまで』明石書店,1995,pp.19-20

「ストパン」■(2010-06-07)[アイヌ否定論]砂澤陣氏の誤謬を糺す
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
マスコミの犠牲になった中山成彬前国土交通相 - せと弘幸Blog『日本よ何処へ』

 何も間違ったことなどは言っていません.それがどうしてこうも問題にされたのでしょう.それは「単一民族」という言葉が使われたからに違いないのです.

 中山氏は「日本はずいぶんな内向きな単一民族」と述べています.
 この単一民族という言葉の中には,当然アイヌの人も入っており,この場合は<単一民族的なあり様>を問題にしているのが分かります.

 しかし,マスコミはこの「日本は内向きな『単一民族』というか」の発言の中から,内向きという言葉を消してしまった.
 「日本は単一民族」との発言が問題として,大騒ぎとしたのです.将に歪曲報道の典型的なものでした.

 シナ・中国やロシアなどが「多民族国家」であれば,日本は「単一民族国家」です.それ以外に表現する言葉はありません.

 中山氏は引退を表明しました.マスコミの捏造報道の犠牲者と言って間違いありません.
----------------------------------------------------

――――――
「単一民族」への抗議は言論弾圧か?
ご存じのようについ最近も中山国交相(当時)が「日本は内向きな単一民族」と発言したら,マスコミが一斉に三大失言の一つとして騒いで辞任に追い込まれた.

 中山氏の発言が,
「まるで単一民族のように内向きではないか?」
という意味ならば,「単一民族」は比喩に使った言葉に過ぎない.

――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.59

 【事実】
 まず第一に,中山の問題発言は3つあり,その中でも問題視されたのは「日教組」云々の発言であったと指摘したい.
 「ゴネ得」「単一民族」について中山は謝罪しており,「辞任に追い込まれた」のは,主として,日教組関連の発言を彼が撤回しなかったからだ.
 アイヌ関連の発言のみで,辞任に追いやられた訳では決してない.

「ストパン」■(2008-11-01)小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(1)
青文字:加筆改修部分

 「島国で閉鎖的」と言いたいだけなら,わざわざ「単一民族」なんていう言葉を使う必要はないんだけどね.
 素直に「島国だから」と言やあいい.

 そもそも,「単一民族」というのは,かつて中曽根康弘首相が使ってアイヌが猛烈に抗議した,という過去のある言葉であり,それを出す必要のない局面で,無神経に口に出した事が問われているんだと思ったが.
 アイヌ先住民族決議,数ヶ月前だぞ?
 何故今,アイヌがその使用に抗議してきた過去を持つ言葉を選んだのか.
 その無神経さが非難を浴びたんだ.
 その点で,マスコミの報道は間違ってはいない.
 だってそれ以外には解釈できないもの
(常識的に考えて,「内向き」という性向を共有するだけの集団を,"民族"とは呼ばない)※2

 それから,「単一民族」にはアイヌが含まれてるだの何だのと言っているが,馬鹿を言え.
 「単一」という単語は,文字通り「ひとつの民族しかいない」という事を意味している.
 いくら取り繕おうが,それは否定できない.
 だから中山も謝ったじゃないか.※3

 ひとつの民族のみによって構成されている国家は,世界に殆どなく,日本も例外ではない.※5
 日本もロシアや中国と同様に多民族国家だ,
 質が違うだけで.

 いい加減にぼくらは,その現実を見るべきだと思う.
 彼らの存在を,「単一民族国家」などという言辞で抹殺しようとするのは時代錯誤だ.
 それは,日本が彼らを暴力的に日本国家に組み入れていった歴史を,無視しようとする事でしかないのではないだろうか.
 そのような歴史認識は,誰にとってもマイナスになるだけだ.

※2 そもそもアイヌや日本人は,決してすべてが内向きな訳じゃないんだけどね.
 例えば,千島樺太交換条約当時,北千島のアイヌはロシア領と頻繁に行き来していたし,環オホーツク海交易圏の存在は有名.

※3 中山国交相の問題発言でウタリ協会など相次ぎ抗議 - 産経新聞

※5 そもそも,政府は少なくともアイヌをマイノリティと認めている訳で.

「ストパン」■(2008-10-04)瀬戸弘幸,中山前国交相を弁護する
青文字:加筆改修部分

 小林に問うが,「比喩」ならばどのような言葉を使っても許されるというのか?
 かつてアイヌは,政府による苛烈な同化政策に晒された.
 蛮族はさっさと文明人である日本人に同化しろ,そのような言説が大手を振ってまかり通った時代があったのだ.
 ゆえに,過去アイヌは少数民族の存在を圧殺するかの如き「単一民族」という言葉に対し,敏感に反応したのだし,その言葉が不適切なものとして批判されても来たのだ.

 いくら「比喩」とはいえ,使うべきでない言葉がある.
 それが認められないのならば,アイヌに対するものに限らず,差別はいつまで経ってもなくならないだろう.
 何故なら差別は,そのようなさり気なく使われる言葉から滲み出すものだからである.
 これを認識できない小林が,「差別は断固としていけない!」(p.66)などと言ってみても,何らの説得力も持ちようがない.

「ストパン」■(2008-11-01)小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(1)
青文字:加筆改修部分

 ただし中山発言の件は別として,日教組が旭丘中学事件などに見られるように,問題があるのも確かなので,その点は誤解なきよう.
 最近(2010年)は北教祖事件もありましたね.


 【反論】
――――――
富岡 そうやって[渡来人にまで――引用者註]ルーツを遡れば,朝鮮半島系や大陸系などいろいろあるでしょうから,その意味では「日本は単一民族ではない」とも言えるわけですが,たとえば中山前国交相が口にして謝罪させられた「単一民族」というのは,そういう話ではないですよね.
 アメリカのような国に比べると,日本はみんな髪の毛が黒くて風貌も似ているから,ほぼ同一の民族だろうという,素朴な感覚でしょう.
 少なくとも近代国家になって以降の日本の場合,おおむね単一民族だという認識は共有できるはずです.

――――――宮城能彦,富岡幸一郎,小林よしのり「“単一民族”と言っただけで謝罪を求めるのは言葉狩りだ」『わしズム』28,2008,p.53

 【再反論】
 『わしズム』に載ってた小林以外の論説も読んでいたら,頭がクラクラしてきた.
 中でもこの,文芸評論家の富岡幸一郎というひとの発言が凄い.

 この理屈凄いなー.
 世界中の民族問題の半分程度は,これで消滅するような気がする.
 ですよねー,ドイツ人もポーランド人もユダヤ人もほぼ同一民族ですよねー,ドイツ人とチェコ人なんてほぼ同じなのに何でハプスブルク帝国は崩壊しちゃったんでしょうねー,チベット人も漢人も髪は黒いですよねー,ツチ族もフツ族も同じようなもんですよねー,ってアホか.

 素直に「日本は一民族の占める割合が高い国」なら,少なくともアイヌ協会は文句を言わないと思うのだが,どうしてこんなアホな理屈を振り回してまで,「単一民族」に拘るかね.

「ストパン」■(2010-04-13)[アイヌ否定論]アイヌ民族を否定するひとの認識はこの程度です
青文字:加筆改修部分


 【反論】
――――――
 さて一体,民族って何なのだ?
 アイヌや琉球の民は,「古来から日本人とは無縁で,日本人の文化も取り入れておらず,よって明治以降,彼らを日本国民にすべきではなかった」のか?

――――――『わしズム』 2008/11/29号,p.2

 【再反論】
 異民族間での混淆は普通にある.
 何故そこで「純粋じゃなければ民族じゃない!」になるの?
 どこのヒトラーですか.

 それに,小林は肝腎な事を忘れてる.
 アイヌや琉球は明治になってはじめて,天皇の権威に組み入れられたんだぜ?

「ストパン」■(2008-11-06)[アイヌ否定論]小林よしのりは自分の主張の独善性に気付くべきだと思う
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
――――――
 わしという人間は,実は熊襲の子孫かもしれず,隼人の子孫かもしれず,朝鮮からの渡来系かもしれない.
 わしの血筋は「和人」や「大和民族」という純粋種ではなく雑種である.
 わしは単なる日本国籍を持つ日本国民だとしか思っていない.

 血にこだわって偏狭な「民族主義」に陥る,一部のアイヌ系や沖縄の左翼らは,実に時代錯誤ではないか?

――――――『わしズム』 2008年秋号,p.14

 【事実】
 誰が熊襲や隼人レヴェルの話を問題にしている?
 今現在,それらを名乗るエスニック集団が存在しているとでも?
 話をそらすなよ.
 誰も「血統」のみを問題にはしていない.
 そのアイデンティティを問うている.
 アイヌの血を引いていたとしても,アイヌとしてのアイデンティティを持っていない人を,アイヌとは呼ばないし,和人の血を引いていても,自らのルーツがアイヌである事を強く意識するのであれば,その人はアイヌだ.

 ちなみに,小林が数字を引用している,「ウタリ生活実態調査」におけるアイヌの定義は,
「地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる人,また,婚姻・養子縁組等により,それらの方と同一の生計を営んでいる人と定義し,自らが表明する人」だ.※2

 「血」をアイヌであるか否かの唯一の判断基準として用いるのは,小林の言うように問題である.
 だが小林は,そのような主張の存在を,具体的に例証していない.
 彼は藁人形を叩いているだけだ.

 あと,「単なる日本国籍を持つ日本国民」ってのが曲者なんだが.
 民族と国家の境界が一致する,というのは「一民族一国家」モデルでしか出てこない発想で,その発想が今あちこちで批判を浴びている,というのがわからんのかこの御仁は?
 共同体の想像のされ方が問題になっているというのに,そこに気付かず無造作に,「日本」という枠組みを肯定してみせる彼に,このようなセンシティヴな問題を扱うだけの知的素養があるとは,到底思えない.

※ ウタリ協会の定義による

※2:URL:http://www.ainu-assn.or.jp/about03.html
 強調引用者.
 なお,言語学者の中川裕は,この数字を,
「アイヌ人であることを自分で意識しながら,それを隠している人がまだまだ大勢いると考えられる」
がゆえに過小なものだと評価する.
(中川『ことばを訪ねて アイヌ語をフィールドワークする』大修館書店,1995,p.183)

「ストパン」■(2008-11-08)[アイヌ否定論]藁人形叩きにいそしむ小林よしのり
青文字:加筆改修部分


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