c
(画像掲示板より引用)
「Close To The Wall」■(2010-04-26)[本]小笠原信之 - アイヌ近現代史読本
「神保町系オタオタ日記」■(2010-11-12)[催眠術]アイヌ研究者吉田巌の催眠術修行日記
「ストパン」■(2010-02-13)[アイヌ否定論]アイヌ否定論批判のために
「ストパン」■(2010.3.10)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(1)
「ストパン」■(2010.3.11)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(2)
「ストパン」◆(2010/04/03)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(3)
「ストパン」◆(2010/04/04)[アイヌ否定論]学術的成果を悪用する回路――「純粋な民族はいない」論をめぐって
「ストパン」■(2010/04/09)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(4)
「ストパン」■(2010/04/13)[アイヌ否定論]アイヌ民族を否定するひとの認識はこの程度です
「ストパン」■(2010/04/14)[アイヌ否定論][デムパ]カジュアルな「単一民族」論
「ストパン」■(2010/04/16)[アイヌ否定論]砂澤陣氏の論説を読んで考えた
「ストパン」■(2010/04/18)[アイヌ否定論]砂澤陣氏への応答――他者の民族的帰属を否定するということ
「ストパン」■(2010-04-25)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(5)
「ストパン」■(2010/05/04)[民族]アファーマティヴ・アクション,或いは民族政策の対象をどう区画するか?
「ストパン」■(2010/05/30)[アイヌ否定論]問題なのは「歴史観の違い」ではない
「ストパン」■(2010/06/07)[アイヌ否定論]砂澤陣氏の誤謬を糺す
「ストパン」■(2010/08/28)[アイヌ否定論][民族]チェロキーとアイヌとの不適切な比較について――誰が「民族」を認定すべきか?
「我が九条 − 麗しの国日本」◆(2006/08/27)アイヌ勘定
『「アイヌ先住民族」その真実 疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』(的場光昭著,展転社,2009/11)
何度か『正論』にアイヌ民族を否定する文章を書いていた的場光昭とやらいう医者が,とうとうアイヌ否定論の本を出した.
今のところ,このような議論はさほど目立ったものではない――南京事件否定論やホロコースト否定論に比べれば.
だが,これをこのまま放置しておいてもいいものでは決してない.
的場の主張は,小林よしのり,西村眞悟,鎌田告人といった否定論者たちの主張と連動している.
実質,彼と小林が,この分野における最も影響力のあるイデオローグとみていいだろう.
彼の主張がどれだけ馬鹿げたものであるかについては,本サイトの各項目参照.
また,過去の的場のトンデモ史学については,以下を参照のこと.
要するに,明治日本は盗賊の論理で動いていた訳ですね - Danas je lep dan.
――――――「ストパン」■(2010-03-10)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(1)
青文字:加筆改修部分
『先住民族の「近代史」 植民地主義を超えるために』(上村英明著,平凡社,2001/04)
アイヌに関する文献を読んでいて,参考文献として挙げられていたので読んだ本.
先住民族の領域が国家に組み込まれる(=植民地化される)中でどのような事が起きたか,彼らは国家からどのように扱われたか,という内容.
前半はアイヌなど日本の,後半は世界の先住民族が対象となっている.
アイヌは「未開人」との眼差しを注がれ続けた.
アイヌ語研究の泰斗金田一京助ですら,アイヌが「日本」に同化する事を当然視していた事からも,それは窺えるだろう.
人類館事件は有名だが,オリンピックと同時に行われた「先住民族スポーツ大会」の事は,あまり知られていないように思う.
セント・ルイスで行われたそれにはアイヌも参加し,他の多くの先住民族と同じく「見せ物」にされた.
それを扱うのが第1章「近代オリンピックと先住民族――文化とスポーツの国際化と民族差別」だ.
第2章「アイヌ民族と『日本人』の極地探検――先住民族の『遺産(知的所有権)』とその収奪の歴史」では,白瀬の南極探検に協力した樺太アイヌを扱い,先住民族の知的蓄積が帝国主義に利用されていく過程を追う.
先住民族の蓄積は,世界各地で利用されていながら,その正当な対価を彼らは得てこなかった.
アイヌと並び,沖縄人も先住民族と定義付けをする事ができる.
第3章「近代国家日本と『北海道』『沖縄』の植民地化――アジアにおける『先住民族』形成の一事例」では,アイヌモシリと琉球がどのような論理で,「日本」に併合されたかを扱う.
幕府や明治政府が対外的に主張した論理は,冊封体制と呼ばれる東アジアの国際秩序体系をなぞったものだった
(例えば,ロシアに対しては,アイヌが日本に対し「朝貢」しており,それゆえに日本の属民である,との論理が組み立てられた).
第4章「大規模『水銀中毒』と先住民――技術革新と経済成長,そして環境破壊と人権侵害」では,南米が植民地化された後,ポトシなどの鉱山開発によって有毒物質が垂れ流され,深刻な被害を先住民社会にもたらした事を取り上げる.
水俣病の何世紀も前に,このような問題は起きていたのだ.
技術革新の裏には,公害病で苦しむ名も無き先住民族がいた.
周知の通り,アメリカ合衆国はネイティヴ・アメリカンを迫害した.
だがアメリカは彼らを迫害しただけでなく,彼らから政治体制を学んでもいた.
第5章「『合州国』と『国際連合』を生み出した先住民族――先住民族の政治的知恵としての『連邦制』」では,アメリカの建国が先住民族によるイロクォイ連合にヒントを得たものである事が扱われる.
アメリカの先住民族は,今でも広範な自治権を持ち(独自のパスポートを発行している民族さえある),独自の社会を維持している.
翻ってわが国ではどうだろうか,と考えてしまう.
第6章「核開発と先住民族の『核植民地化』――核開発を可能にした民族差別の構造」では,ウラン鉱山や核実験場の立地が,先住民族の土地に集中している現状.
核開発は,多くの先住民族の犠牲の上に成り立っている現状を告発する.
ビキニ環礁での水爆実験は有名だが,その他にも多くの核開発が先住民族の土地を収奪して行われ,多くの被害者をうんだ
(アメリカはネイティヴ・アメリカンの,イギリスはアボリジニの,フランスはポリネシア人の,ロシアはネネツ人やチュクチ人の,中国はウイグル人の土地を実験に利用した).
著者はそれを「核のレイシズム」と呼び,弾劾する.
本書はその題の通り,先住民族の辿った近代史とはどのようなものだっかかを素描している.
彼らは劣位に置かれ,権利を奪われ,近年になってようやくその声が世界に響くようになってきた.
無論,声をあげる事もできずに消滅してしまった民族もある.
先住民族問題は,帝国主義と国民国家の生み出した近代的な問題である.
それゆえ,その問題は国民国家の相対化という視点から語られる必要があろう.
だがナショナリズム論の多くは,構築主義の立場に立つものではあっても,著者が指摘するように優位にある民族のそれを俎上に上げるだけで(アンダーソンなど),先住民族についてあまり触れてこなかった.
先住民族問題について考える時には,彼らの辿った苦難の歩みに思いを馳せない訳にはいかない.
本書はその点で,先住民族について考える上で必携のテキストだろうと思う.
――――――「ストパン」■(2008-11-09)[読書][民族][歴史]近代的問題としての先住民族問題
『北方探検記 元和年間に於ける外国人の蝦夷報告書』(H.チースリク編,吉川弘文館,1962年)
最近,必要があって読んだが,なかなかおもしろかったので紹介したい.
江戸時代初期,江戸幕府がキリスト教禁止政策を採ったにもかかわらず,果敢にも日本国内に潜入し,布教活動を行い,遂には殉教したイエズス会宣教師がいた.
ジェロニモ・デ・アンジェリス神父とディエゴ・カルワーリュ神父である.
彼らが日本,特に東北地方や当時蝦夷地と呼ばれた北海道を探検し,イエズス会に報告した報告書が,イエズス会本部に保管されていることが,昭和時代に聖心女子大学のH.チースリク氏によって発見された.
それを全文翻訳し,解説したものが本書である.
江戸時代初期の東北地方・北海道地方について書かれた史料は,日本国内には意外に少なく,外国人の目から見た当時の同地方を記述した貴重な史料となっている.
北方史的には,松前の殿様が宣教師に,
「天下(徳川将軍)はキリスト教を禁止したが,松前は日本ではないので,自由に布教してよろしい」
と述べたことが,当時の国家意識を物語る記述として注目されてきたそうである.
もちろん,アイヌ民族の文化や風習についても記述されている.
それ以外にも,南部と伊達がむちゃくちゃ仲が悪く,布教に比較的寛容であった伊達政宗が,南部の幕府への讒言で失脚しないよう,宣教師たちが配慮し,南部領内での布教を敢えて避けたとか,佐竹義宣の妻がキリシタンで,夫から棄教を迫られて拒絶して激怒されたとか,大名の名が「佐竹右京大夫殿」とか「津軽越中殿」などと記されているのに,伊達政宗と上杉景勝だけがなぜか,「政宗」「景勝」と下の名で呼び捨てにされているとか,興味深い記述がたくさんあった.
ちなみに宣教師たちは,日本語とポルトガル語をごちゃまぜにした言葉を話していたようで,報告書にも日本語の単語をたくさん,そのまま書いているそうである.
しかし,私がいちばん感動したのは,宣教師たちがいかなる困難をものともせずに,果敢に布教活動を行っていることである.
そもそもまず,日本に行くのにものすごく苦労している.
シチリア島出身のアンジェリスは,ジェノヴァからリスボンに行き,そこでインド行きの船に乗ったが,喜望峰で暴風雨に遭い,九死に一生を得ている.
しかも,その後イギリス軍に見つかり交戦,降伏し,捕虜としてイギリス本国まで連行されたりしている.
それでもアンジェリスはあきらめずに,日本を目指し,遂に到着したのである.
ちなみにマカオで1年以上滞在し,日本語を学んでいる.
日本に着いてからも苦難の連続である.
徳川家康が最高権力者であった時代には,表向きはキリスト教は禁止であったが,実際は事実上黙認で,家康の居城静岡にも布教所があったほどである.
だから来日当初は,布教は比較的順調であった.
しかし,家康の最晩年に禁教方針は強化・徹底される.
その後は,すさまじい貧困と闘いながら,鉱夫や商人などに変装し,日本人信者の助力を得て,日本国内で潜伏活動をする.
奥羽山脈を越えるときは,関所を避けるため,真冬の大雪が積もった,道のない道を命がけで徒歩で越えた.
禁教方針が強化されたとき,外国人宣教師は全員国外追放となったので,それに従って国外に退去すれば,少なくとも殺害されることはなかった.
しかし,アンジェリスは日本にとどまることを決意する.
カルワーリュは一度国外に出たものの,すぐにまた日本に戻ってくる.
そして2人とも,最後には遂に逮捕され,処刑されるのである.
アンジェリスは江戸で火刑に処せられる.
カルワーリュは仙台で捕らえられ,真冬の広瀬川に裸でつけられるという,残虐な方法で処刑される.
死体はバラバラにされて川に流されたが,首だけは残され,今でも信者が大切に保存しているそうである.
外国との貿易を重視する伊達政宗は,前述したように当初はキリシタンに寛容だったが,幕府の弾圧が強化されるに伴い,自領でも弾圧を開始したのである.
彼らをそこまで駆り立てた情熱は,何なのであろうか?
キリスト教に対する篤い信仰なのだろうか?
それとも,日本という国を深く愛していたのだろうか?
私は,彼らの不屈の闘志に感動を覚えるのである.
――――――「新はむはむの煩悩」,2010年11 月29日 (月)
『まつろはぬもの』(シクルシイ著,寿郎社,2010.11)
「戦場の狗」の著者の新しい本が出ていたので読んでみた.
まつろはぬ・・は従わざる者といった意味らしい.
戦場の狗が戦闘詳報的なものとするとこちらは,人間の会話,心の動きといった,前著を補完するような内容.
個人的には大変ウレシイ.
「戦場の狗」では,著者にあまり人間味を感じなかったが,今回のは全然違う.
あとがきにもあるが,本の内容って編集者の匙かげん一つで,結構変わってしまうものなんだねぇ.
まあ,当たり前か.
ある種,映像制作なども一緒なのだろうが.
――――――軍事板,2011/03/06(日)
【質問】
なぜ本サイトでアイヌ問題を扱うのですか?
【回答】
(1) リクエストがあったため.
(これが最も大きな理由)
(2) トップページの「本サイト問い合わせ上の注意」にある,「グレー・ゾーン上の項目」に該当すると考えられるため.
別項目にて詳述されているように,最大の民族集団が人口に占めるシェアが,45〜90%の範囲にある社会では,内戦が発生するリスクが50%高くなる.
2010年現在,アイヌ人との間で紛争が発生する兆候は全く無いが,将来もそうだとは誰にも断言できない.
少数の優れた煽動者は,社会をたちまち憎悪で沸き立たせることができるからである.
その点で,旧ユーゴなどで起きた事例を,反面教師としなければならない.
(3) 日本国内の極右勢力は,アイヌ人のアイデンティティを否定するかのような発言を繰り返しているため,極右テロリズムとの関連においても,情報蓄積は重要と考えられるため.
そしてそれには,何らかの事件が発生してから,あわてて情報収集を行うより,普段から少しずつ収集していたほうが,作業上効率が良いと考えられる.
2010.9.19
【質問】
アイヌとは?
【回答】
アイヌとは,「人間」という意味で,北海道,本州北部,樺太南部及び千島列島に居住していた民族の呼称です.
北海道に限定すると,行政が把握しているその数は2008年現在で23,782名とされており,道内73の市町村に住み,日高支庁管内と胆振支庁管内で約60%を占めています.
但し,民族的差別が大きいこの国で,アイヌを名乗る事が出来ない人も多く,実数は5万とも6万とも言い,全国に拡大すると更に増えることになります.
日本と言う国には,大和民族というか日本人しかいないと思われがちですが,実際には相当数のエスニック集団が存在しています.
昨年だったか,日本全国の言葉を正確に分類すると20数語に分かれると言う調査結果もあったりするので,言語面で分類するならば,本当は自らが気にしていないだけで,相当数の民族が混交して生活している国だったりする訳です.
ですから,
「純血のアイヌは今何人いるのですか?」
と言う問いは凄く愚かな問いで,逆に,
「純血の日本人っているのですか」
と問い返されるのがオチです.
そもそも,南北に長い日本には,古来から様々な民族が渡ってきているので,様々な民族のDNAが混交して,どれが正当な日本人かは判らなかったりします.
それはさておき,アイヌ最大の民族団体である,北海道ウタリ協会に於けるアイヌの認定基準は,以下の通りです.
即ち,まず,アイヌの血を引く者,次いで,アイヌの血は引かないが,アイヌとして育てられた者,それからこうした人たちと婚姻関係にある者の3つです.
まぁ,ユダヤ教徒やキリスト教徒と同じく,アイヌのアイデンティティを備えている人々は全てアイヌであると言った方が,すんなり行くのかも知れません.
現在,アイヌ文化は現状のマスプロ文化に益々取って代わられ,葬儀にしても,古式に則った葬儀は,1992年の貝澤正氏以降,少なくとも公式記録ではありません.
因みに,「和人」と言う言葉自体も,アイヌと区別する大和民族の優越さを含んだ呼称です.
アイヌの方から見ても,元々和人を指す言葉は,シ・サム・ウタラ(良き隣人)だったのですが,コシャマインの反乱など100年周期に起きたアイヌの反乱で,アイヌが悉く押さえ込まれてからは,シャモと呼ばれ,悪い意味で使われる様になっています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/10/02 22:37
【質問】
Mukke 2010/06/02 21:57
〔略〕
僕が過去に読んだアイヌ史関連図書は,
秋月俊幸『日露関係とサハリン島』(筑摩書房,1994)
植木哲也『学問の暴力』(春風社,2008)
ブレット・ウォーカー『蝦夷地の征服1590-1800』(北海道大学出版会,2007)
宇田川洋編『クマとフクロウのイオマンテ』(同成社,2004)
小川正人『近代アイヌ教育制度史研究』(北海道大学図書刊行会,1997)
上村英明『先住民族の「近代史」』(平凡社,2001)
樺太アイヌ史研究会編『対雁の碑』(北海道出版企画センター,1992)
菊池勇夫『エトロフ島』(吉川弘文館,1999)
河野本道『アイヌ史/概説』(北海道出版企画センター,1996)
小坂洋右『流亡』(北海道出版社,1992)
児島恭子『エミシ・エゾからアイヌへ』(吉川弘文館,2009)
佐々木利和『アイヌ文化誌ノート』(吉川弘文館,2001)
ザヨンツ・マウゴジャータ『千島アイヌの軌跡』(草風館,2009)
瀬川拓郎『アイヌの歴史』(講談社,2007)
多原香里『先住民族アイヌ』(にんげん出版,2006)
東京アイヌ史研究会編『≪東京・イチャルパ≫への道』(現代企画室,2008)
東村岳史『戦後期アイヌ民族―和人関係史序説』(三元社,2006)
的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』(展転社,2009)
ぐらいです.
これらの内,的場の本は論外で,河野氏の本も微妙というのは聞いておりますが(実際古くさい),他に「今の水準からいくとおかしい本」などはありますでしょうか?
ご指摘願えれば幸いです.
あと,専門外の分野を体系性とかを無視して,気分で読んでる感じなので多分,必読書が抜けてたりすると思いますが(汗),もしよろしければそちらもご教授下さい.
個人的な意見としては,本質主義的民族観が蔓延する社会においては,少数民族集団の主張がある程度,本質主義寄りになってしまうのも「仕方ない」現象だろうと思います.
E氏がどうかはわかりませんが,アイヌ協会に対して僕はそう感じます.
【回答】
Wallerstein 2010/06/02 22:19
私からすれば,そうおかしいものは的場氏と河野氏以外には見当たりません(笑)
菊池勇夫さんも,私の周囲では今一つですが,これは人間関係も絡んできますので,一概には言えないかと(苦笑).
菊池氏や榎森進氏,海保峯夫氏,岩崎奈緒子氏の議論と,アイヌ史研究の主流はかなり食い違っていて,特に榎森氏の感情的な岩崎氏批判は,一読の価値があるかと思います.
榎森氏の姿勢が窺えて面白いです.
何が何でも和人とアイヌを二項対立で捉える図式に疑義を呈した岩崎氏に,感情的に反発する榎森氏という図式で,菊池氏も岩崎氏の議論にはかなり反発していらっしゃいます.
しかし近年の研究では,少しずつアイヌと和人の二項対立を相対化する研究視座が導入されつつある,という段階かと思います.
児島恭子氏の著作は,非常に優れた研究だと私は思っています.
菊池氏の『エトロフ島』も,非常に評価の高い本だと思います.
〔略〕
Mukke 2010/06/02 23:39
Wallersteinさん>
丁寧にご教示いただきありがとうございます.
岩崎氏の本は,読もうかどうか迷いつつもまだ読んでいなかったのですが,時間があれば読んでみますね.
菊地氏については,『アイヌ民族と日本人』という本に興味があったのですが,それも評価は微妙でしょうか?
(タイトル的に地雷臭が漂っていたので,中々手を伸ばせずにいました)
〔略〕
Wallerstein 2010/06/03 00:02
菊池氏の本は,そう悪くはないと思いますよ.
ただ,菊池氏の岩崎氏評には,首肯できない点が多いですが.
もっとも岩崎氏も,和人の「新技術」を高く評価しすぎる嫌いがあると私は考えています.
〔略〕
榎森氏の新谷氏批判は,それはそれで非常に正しいと私は考えていて,新谷氏のあまりにもアイヌに入れ込んだ『アイヌ民族抵抗史』を弁護する花崎皐平氏はちょっと,と思います.
新谷氏と一緒に行動していた結城庄司は,ウタリ協会のあり方を大きく変えた人物として,私は理解しています.
〔略〕
「ストパン」■(2010-05-30)コメント欄
青文字:加筆改修部分
【質問】
観客 2008/12/04 23:15
小林よしのりと国家を批判するために,アイヌの民族性をあおってるんですね.
【回答】
Mukke 2008/12/04 23:31
いやー,むしろ小林や国家がアイヌの民族性を剥奪しようとしている,或いはしてきた過去があるからこそ,それらを批判しているのだけど?
国家を叩いてるというよりも,国家を出鱈目な方法で弁護する歴史修正主義を叩いてるんだが.
「ストパン」■(2008-11-06)コメント欄
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
確かに,小林先生や的場先生と私の歴史認識の相違点はあろうが,それが何だというのだろうか?
相違点が無く全てにおいて合致しているほうが,不自然ではないだろうか・・・・?
相違点があることを認識しあいながら論議できる環境の方が,どれ程に健全かと思う.
何十年にも及ぶ,行政との癒着に胡坐をかいた不正問題に一石を投じることと,「差別」「人権」「先住」という言葉が安易に使われ,不用意に政策に取り組まれ,税金を無駄に使っている現状では,タブーといわれてきた「アイヌ問題」に,多方面から論議されるというのは良いことではないだろうか?
特に客観的な歴史の見解が必要な場面で,こうした人達の意見は重視されるべきだと私は思う.
主観的な歴史見解に偏ってしまっている「アイヌ史」は,客観的冷静な見解があってこそではないだろうか.
北海道アイヌ協会の不正について - 後進民族 アイヌ
――――――
【再反論】
ええ,あなたと的場や小林の間に横たわっているものが「歴史観の違い」程度なのであれば,僕は何も言いません.
僕が問題視しているのは,的場たちが嘘をついていることです.
嘘,というのが不穏当な言い方であるのなら,彼らは学問的にまったく価値のない主張を繰り返している,と言いましょう.
的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(1)
- Danas je lep dan
的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(2)
- Danas je lep dan
的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(4)
- Danas je lep dan
学問的に価値のない主張が,果たして「客観的冷静な見解」なのでしょうか?
僕は疑問に思います.
「江戸幕府はあった」というひとと,「江戸幕府はなかった!」というひととの歴史をめぐる議論は,果たして有益な対話でしょうか?
僕はそうは思いません.
そんなものはただのノイズです.
真面目な議論においてノイズを「重視」すべきではなく,そういう意味では,的場の主張を歯牙にもかけぬ政策担当者の見識に,僕は敬意を払います.
「ストパン」■(2010-05-30)[アイヌ否定論]問題なのは「歴史観の違い」ではない
青文字:加筆改修部分
>相違点があることを認識しあいながら論議できる環境
小林よしのりなんぞは,ちょっと批判されると途端に,相手を醜悪に描いて(川田龍平の例など),相手の言葉をわざとかどうかしらないが曲解して印象操作し,なおかつ罵倒の限りを尽くしますが.
それのどこが
「相違点があることを認識しあいながら論議できる環境」
なんでしょう?
相手にそういうものを求めたいのなら,まず御自身が小林と距離を置くなどして,そういう環境を整えるべきでしょう.
「ストパン」■(2010-05-30)[アイヌ否定論]問題なのは「歴史観の違い」ではない
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
色々なメールや感想を多くいただきます.
でも,読んでいて不思議に思うのが,アイヌ協会の不正よりも
「何処で意見するのは間違っている」
「何の本は右寄りだから変だ!」
「アイヌを絶滅させたいのか?」
とか,
「誰の本は間違っている」
「誰の見解は腐っている」
とか.
そうした意見も解らなくはないのですが,一つ質問したい.
貴方ならどうするというのだ?
貴方ならどうできるというのだろうか?
北海道アイヌ協会の不正について - 後進民族 アイヌ
――――――
【再反論】
僕であれば,嘘や無価値な主張を平然と続ける輩からは距離を置きます.
自分の主張がそのような主張と同列に見られてしまうというのは,耐え難いことだからです.※
無能な味方が一番厄介なのですから.
僕は,過去にアイヌ協会の不正に対する「タブー」のようなものがあったかどうかは知りません.
けれど,もしも過去にそのようなものがあったのだとしても,現在,協会の不正は北海道新聞や道議会でも取り上げられ,問題にされています.
風向きは変わったのではないでしょうか.
不正を問題にしたいのであれば,そのためのお膳立ては整っているように思えます.
わざわざ彼らと手を組まずとも,それはなせるのではないでしょうか?
※ 「耐え難い」ばかりではなく,第三者から見れば,そうした嘘や歪曲のため,主張全体が胡散臭く見られる効果を生む可能性が高い.
つまり,世論に訴えかけようとする上で,かえって逆効果になりかねない.
たとえば,ネオナチやKKKと行動を共にする人物の言葉が,社会に対してどれだけの影響を与えられるか,考えてみるとよいだろう.
「ストパン」■(2010-05-30)[アイヌ否定論]問題なのは「歴史観の違い」ではない
青文字:加筆改修部分
【珍説】
――――――
そこで読者諸君に頼みたい.
この問題の経緯をつぶさに説明していくから,どうかわしを応援してほしい.
わしがやらなければ誰もやらないぞ!
わしは『弱者権力』と『大マスコミ』の怠慢に挑む!
――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.64
――――――
直ちに河野氏にアポを取って,宿泊していたホテルまで足を運んでいただき,話を伺った.
――――――同,p.63
――――――
北海道ウタリ協会のアイヌ史編集委員も務められた河野氏の話を聞いて,やっとわしは被害者史観で書かれたアイヌ史の矛盾点を整理できた.
――――――同,p.63
【事実】
アイヌの「弱者権力」に挑む小林センセイは,どうして河野本道氏がアイヌから訴えられた過去を持つ事について言及しないの?
http://www.alles.or.jp/~tariq/trial/kouno020627.html
さて,「被害者史観」とあるが,いったいどこを指して彼は言うのだろうか.
幕藩体制下での過酷な対アイヌ政策?
生業を,土地を奪われた過去?
差別に晒さらされ続けた/続ける事?
少なくとも河野氏は,以上のすべてを肯定してるよね?※2
※2:河野本道『アイヌ史/概説――北海道島および同島周辺地域における古層文化の担い手たちとその後裔』北海道出版企画センター(北方新書),1996,p.98,p.131,pp.165-166.
「ストパン」■(2008-11-03)[アイヌ否定論]小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(3)
青文字:加筆改修部分
【反論】
Mukkechimpo 2009/01/29 18:29
河本さんの裁判に小林もわざわざ触れておいた方が良かったですかね.
アイヌの訴えが棄却されました.って.
別にそれでもいいんでしょうけど,あなたってなかなか残酷ですね.
【再反論】
Mukke 2009/01/29 22:48
河本って誰だよ(笑)
それはさておき,いや,だって触れてない方がおかしいだろ?
小林にとっては,
「アイヌが弱者権力を行使しようとした一例」
じゃんか.
それに何故,河野氏と会ってそれを漫画にまでしているというのに,彼の裁判には触れていないんだ?
これは小林の知的誠実さを凄く疑わしいものにさせるのだが.
知らないのなら,そりゃ勉強不足だし,河野氏に対する否定的な評価をチェックもせずに,彼の言説を鵜呑みにした事になる
(勿論,河野氏の側が全面的に正しいかもしれない.
でもそれは,チェックしないとわからない).
知ってて書かなかったなら,なお不思議だ.
これこそ「弱者権力」が行使された一例であって,その「被害者」と会っているというのに,小林は何故それに触れようとしないんだ?
不自然だとは思わないのか?
「ストパン」■(2008-11-03)コメント欄
青文字:加筆改修部分
【反論】
243 :名無しさん@九周年:2009/01/11(日)
14:44:40 ID:+h36GJpm0
新しい差別を作り出そうと必死ですね.
狙いは分断ですか?利権ですか?反日なのは間違いないですね.
859 :名無しさん@九周年:2009/01/11(日)
15:19:25 ID:l8NS3qKf0
>>821
68年は長すぎだろwww
ぶっちゃけ,もうほとんど融和しちゃってるし
いまさら差別する理由はなんも無いんだけどね…
966 :名無しさん@九周年:2009/01/11(日)
15:26:48 ID:6nP3nwh20
こうやって過去の事を蒸し返して日本人同士を対立させるのが
毎日新聞の目的なの?
【毎日新聞】 「お前アイヌだろ.気持ち悪い」「あそこの家はアイヌなんだよ」…今なお消えぬ格差,「血」隠す苦悩…北海道 - 痛いニュース(ノ∀`)
【再反論】
ここで言われている「分断」とは何なのか?
例えば,アイヌ独立国家論は少数派である.
大方の人は,「日本国」という枠組みの内部での解決を求めている.
国家を分断する,などというのは杞憂というか妄想に近い.
(そもそも論として,何故「日本国」という枠組みを無条件で承認せねばならんの?――というのもあるが,ここでは触れない)
今時,ひとつの民族の承認が即,その民族の分離独立に繋がるなんてのは有り得ない.
(身近な例でいえば,台湾を見よ)
では彼らが恐れている「分断」とは何か.
ひょっとすると,彼らは「均質で単一な日本民族」像が破砕される事を恐れているのではないか?
ぼくが今更言うまでもないように,「単一民族」なんてのはエスノサイドの肯定でしかない.
もしくは,おぞましい血統主義の現れでしかない※2.
エスノサイドの完了した状態を指して「融和」といい,それを掘り崩そうとする営みを「分断」というのなら,それはなんという強者の傲慢だろうか.
「分断」という言葉は,かつてアイヌに対するエスノサイドを繰り広げたのと,同一のメンタリティの現れである.
「差別には反対だけど」という前置きで語られる,それらのエスノサイド肯定論は,パフォーマティヴに差別を肯定しているのだ.
そしてその暴力性が,自覚されずにいる事が問題なのだ.
「風化」を望む言説――それは,善意から出ているのかもしれないが,しかし差別者,抑圧者の片棒担ぎにしかなっていないのである.
「風化しかけた」差別.無論差別は根絶されるべきものである.
しかし上記のような文脈における「風化」とは何か?
それは,「アイヌの根絶」といったい何処が違うというのか?
アイヌ語やアイヌ文化が滅びていくのは「仕方のない事」であり,それらは博物館の中には残されるべきだが,という主張もある.
しかし,アイヌ語なんてどうせ滅びるべきものだから放っておけ,けれど貴重なのでアーカイヴには残させてね,なんてのは無慈悲な搾取に他ならないと思うのだがどうか.
それはアイヌ語を「化石/標本あつかい」※3している.
われわれは,やろうと思えば言語を復興させる事ができる.
(欧州各地の少数言語復興政策を見よ)
それなのにそのような搾取を強いるというのは,植民地支配と変わらない.
ちなみに誤解している人もいるが,公用語というのは必ずしも話者数の多い言語ではない.
例えばポルトガルにおけるミランダ語もそうだ.
1999年に公用語に指定されたミランダ語は,都市部を除くと2000人ほどの,60歳以上が多数を占める人びとによってしか話されていない※4.
にも関わらず,ポルトガルはミランダ語を公用語と認め,教育の普及がはかられている.
要するに,公用語認定というのは,われわれが少数者を尊重するという姿勢の現れなのだ.
<1/24追記>
ミランダ語は,確かに国内で使用できる言語として認められてはいますが,「公用語」とまでは認められていないようです※5.
ポルトガル政府は,ミランダ語言語法制定の3年後,憲法を改正しポルトガル語を公用語にしており,現在のポルトガルの公用語はポルトガル語のみのようです.
不正確な記述をしてしまった事を訂正し,お詫びします.
だいたい,「アイヌ語を公用語に」という叫びの,どこに非難されるべき要素があるのか,ぼくにはさっぱりわからない.
祖父母の言語を学校で教えられるようにしてくれ,という要求は,本来保守派・民族派こそが首肯するべきものではないのか.
けれどアイヌや沖縄に関しては,そのような人たちが「新しい利権をゆるすな!」とか何とか言っている.
「日本語で画一的に行われる教育」という,自明性を脅かすものへの攻撃――それは繰り返すがエスノサイドの肯定である.
「アイヌ差別には反対だけど」――このような枕詞でもってエスノサイドは肯定され,無条件で“国民国家・日本”の枠組みは承認される――「過去の事を蒸し返すな」「寝た子を起こすな」※6
このような論理を克服できた時,われわれは真に「差別を克服した」と言い得るのではなかろうか.
※2:血液型がどうとかDNAがどうとかいうアレね.
この平成の御代にもまだ「血」のみで民族を推し量ろうというナチス的心性の持ち主がいるというのには空恐ろしいものがある.
※3:ましこ・ひでのり「『沖縄方言論争』というアリーナのゆくえ」『ことばの政治社会学』三元社,2002,p.114.
※4:浅香武和「消滅の危機にある公用語・ミランダ語」『月刊言語』2008年4月号,pp.82-83.
※5:寺尾智史「ポルトガルの少数言語ミランダ語――その特徴と保全の現状」『月刊言語』2008年7月号,pp.94-95.
※6:これは,時として少数者の側から発せられる言葉でもある.それを「ほら,彼らも納得しているじゃないか」などと解釈する人がいる,というのが困りものだが.
「ストパン」■(2009-01-17)[民族]「アイヌ差別には反対だけど」「過去の事を蒸し返すな」
青文字:加筆改修部分
【質問】
以下の意見はどうでしょう?
――――――
差別は断固としていけない!
〔略〕
アイヌと云う概念が,我々,内地の者にとっても新しくよい概念になるように受け取るためには,どうすればいいのか?
それは,あいつらは抗議してくるから触らぬ神に祟りなしだと偽善を決め込むことではあるまい!
それは結局は差別の再生産に繋がるだけなのだ!
――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.66
【回答】
小林は一見,マトモな事を言っているかのように見える.
だが今までのエントリで見てきたように,彼の用いる論拠はデタラメなものであるし,彼の言動からはアイヌへの侮蔑が透けて見える.
そしてこの言葉も,アイヌの側に与する人間を,「偽善」「触らぬ神に祟りなし」などと切って捨てるものだ.
小林のアイヌ認識は,かようにデタラメなのである.
この醜悪な言説がスタンダードとして扱われるようになってはならない.
小林を論拠にしてアイヌ問題について語る輩への反論は,逐一なされる必要がある.
デマは放置するのではなく,叩き潰すべきである.
そのようなデマが生まれる根は,徐々に根絶されるべきである.
このような妄論が跋扈しないような言論空間を,ぼくは欲する.
「ストパン」■(2008-11-03)[アイヌ否定論]小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(3)
青文字:加筆改修部分
【反論】
大江ヒカリ 2009/07/03 14:34
「土人」は差別用語ではありません.
単に「その土地に住む人」の意(当時).
広辞苑参照の事.
【再反論】
Mukke 2009/07/05 20:36
「あらゆる語は差別に用いることができる.
言いかえれば,あらゆる語は潜在的に差別語である」
(田中克彦『言語からみた民族と国家』岩波現代文庫,2001,p.317)
【反論】
――――――
ちょうどその頃だったと思うが,NHKでも,東京で暮らすアイヌの若者が自らの出自をカミングアウトして,誇りを持つ活動をやっている姿を追うドキュメンタリーをやっていた.
少なくとも東京では,黙ってりゃ誰も気付くはずのない容姿の若者だった.
今どき平井堅くらいの濃い顔の者はいるし,ハーフやクォーターの方がモテる時代だ.
だが,その番組に出た姉弟は,容姿が他人と違うと思い込んでいたらしい.
アイヌの誇りに目覚めた姉が,出自を隠していた頃も,友人がアイスと言っただけでアイヌと言われているような気がして緊張したと,苦悩の体験を語っていた.
出自を隠すと罪悪感が募るらしい.
部落問題に似ている.
だが自らの差別体験を語る彼女の前に,出自を隠しようのない黒人と日本人の混血の子がいたのが,益々わしの違和感を拡大させた.
黒人とのハーフの方が,もっと辛かったのではないだろうか?
出自を隠せる者は,隠してたっていいじゃないか.
日本国民であることには変わりないし,なんで後ろめたさを感じる必要がある?
わしはそう思ってしまった.
しかし今もまだ,部落や,在日や,アイヌ出身だからと,差別する者がいるのだろう.
実に馬鹿馬鹿しい.
そのような差別者は,よっぽどコンプレックスの強い,品性下劣な奴なのだ.
――――――『わしズム』 2008/11/29号,p.0-2
【再反論】
「黒人とのハーフの方が,もっと辛かったのではないだろうか?」
と,被差別体験を語るものに問いかける神経を,ぼくは疑う.
何故差別の階層構造を内面化せねばならないのか.
何故彼らの苦悩を,比較級で語らねばならないのか.
何故「もっと悲惨な子がいるんだから我慢しましょうね」と,差別(もしくは,それへの恐怖)に悩む人に言わねばならないのか.
彼らの苦悩は決して比較級で語り尽くせない,彼らだけのものだった筈なのに.
こうして小林の中で,アイヌ差別の問題は相対化される.
その相対化の眼差しは,
「どうしてこいつらは,こんな些細な事で騒いでいるんだろう」
というところにまで行き着きかねない.
そしてその眼差しが,アイヌに対する新たな偏見を生むのだ.
そもそも,「少なくとも東京では,黙ってりゃ誰も気付くはずのない容姿の若者」が,何故「友人がアイスと言っただけでアイヌと言われているような気がして緊張」するような精神状態に置かれたのか.
過去に彼らが深刻な差別を,われわれ和人から被ってきたからだ.
それがなければ,彼らは出自で思い悩まずにすんだだろう.
さて,小林は「よっぽどコンプレックスの強い,品性下劣な奴」が差別をするのだと言う.
彼の論理によるならば,逆に言えば,多くの「普通の人びと」はイノセントなのだ.
彼の論理によるならば,差別者は社会の道を外れたケダモノなのだ.
彼は差別者特殊論に,話を持ち込もうとする.
だが,それも欺瞞である.
社会的文脈と無関係で存在する差別なんてものはない.
ナチズムと戦った筈の強制収容所からの生還者にすら,差別は宿っていた.※1
誰にでも差別は宿り得るのだ.
小林にも,あなたにも,無論ぼくにも.
そして被差別者自身にも.
小林の論は,差別者を矮小化する事で,そのような差別を引き起こすような社会構造を作り上げた政策を,免罪している.
あと,「同じ日本国民」というけれど,大多数の日本人の中に「あるべき日本人像」というステレオタイプがあって,そこから外れていると見なされたからこそ,差別が起きた/起こる訳で.
※1:「生きるに値しない命」の選別と,その反復 - Danas je lep dan.
「ストパン」■(2008-11-06)[アイヌ否定論]小林よしのりは自分の主張の独善性に気付くべきだと思う
ちなみに,こんな映画もあり
【珍説】
――――――
また「アイヌ民族の墓を荒らした遺骨収集の経緯」の調査を[旭川アイヌ協議会は――引用者註]求めていますが,日本政府および日本の学者たちは決してアイヌの人骨を粗末には扱わなかったはずです.そのことは次の経緯から容易に想像がつきます.
慶応元(一八六五)年,函館のイギリス領事官員[原文ママ――引用者註]とイギリス人博物学者がアイヌの墓を発掘して計十七体のアイヌ人骨を盗掘しました.アイヌの訴えで箱館奉行はイギリス領事ハワード・ワイスに盗掘事件の究明と人骨の返還を強く要求し,当該領事館員ら三名は処罰され,またハワード・ワイス領事も解任されています.またこの際アイヌ遺族には二百五十両(現在のお金に換算して約二千五百万円)の賠償金が支払われているからです.
さらにアイヌ語保存のために調査に来た日本人学者たちは,多大の代価を支払ってアイヌの古老からアイヌ語の聞き取り調査をした事実からしても,北海道大学などに保存されているアイヌ人骨にも,遺族に同意のもと[原文ママ――引用者註],多大の代価が支払われたうえでの発掘調査だったと考えるのが普通ではないでしょうか.
――――――的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p.86
【事実】
実に素敵な論法すぎて眩暈がしてくる.
「粗末には扱わなかったはず」「考えるのが普通ではないでしょうか」だそうですよ.
史料の僅少な古代史であればともかく,きちんと記録も残っている近代史に関して,よくこんな台詞が吐けるなコイツは.
以下の記述は,次の本に大きく依拠している.
『学問の暴力 アイヌ墓地はなぜあばかれたか』(植木哲也著,春風社,2008/6)
まず,的場が扱う江戸時代の事件について触れておこう.
的場は主語を曖昧にしているが,アイヌに250両の慰謝料を支払ったのは英国側である.
そして,
――――――
落部[盗掘が行われた集落――引用者註]では,この金を使って13名のアイヌの墓碑を建立した.
ただし,アイヌは御会所の庭に土下座して座らされ話を聞かされただけで,誰も慰謝金を受け取らなかったという話が,[戦前に出版された――引用者註]『落部村郷土史』に記されている.
慰藉金は村役人が処分したという噂だったが,役人が怖くて誰も請求できなかったそうである.
――――――植木哲也『学問の暴力――アイヌ墓地はなぜあばかれたか』春風社,2008,p.14
明治期には,小金井良精という学者がアイヌの墓を盗掘している.
彼はアイヌに無断でその墓地を暴いた.
アイヌの若者が雇われて協力をしたこともあったが,基本的に彼はアイヌの許可を取らず,むしろアイヌの眼をはばかっていた※3.
明治から大正にかけて,清野謙次という学者もまたアイヌの人骨を蒐集した.
彼もアイヌの眼を避けて盗掘を行っている※4.
どちらも学界では大物であり,その蒐集には和人の有力者が協力していた.
また,アイヌに対しては人目を憚った彼らも,学界では堂々と発表し,受け入れられている.
他にも幾つか例があるとは思うが,この2つを示せば的場の主張への反証としては十分であろう.
〔略〕
しかし,「はずがない」論法って無敵だよな.
以下,応用例.
「中国は多民族国家であり,民族語教育など少数民族の文化を尊重する政策を行っています.
そんな彼らがチベットやウイグルで少数民族の宗教を軽んじたりするはずがありません!」
ところで,的場のこの主張に対しては,既に砂澤陣氏がその誤りを指摘している.
――――――
それに盗掘例は,これだけではありません.
何処かのコレクションの例もそうですが,「盗掘」という行為自体が,研究という名目の為に多く行われた事実に当時の「差別」を私は感じます.
アイヌ先住民・その真実・2 的場光昭著 - 後進民族 アイヌ
――――――
これに対し,的場は
――――――
的場光昭です.
貴重なご意見有難うございました.
砂澤様が体験された事例については,もし拙著改定の機会が与えられましたならば書き添えたいと存じます.
イデオロギーに毒されていない,こうした建設的な意見の積み重ねが,真の意味で差別の実態を明らかにし,誤解を解消して問題解決へと向かう最良の近道だと思います.
議論の勝ち負けではありません.
それぞれの正しい部分はこれを明記し,それぞれの誤りは互いに改めるということからしか,百年の誤解や対立,差別をなくす方法はないと思います.
| 2009-12-01 | 的場光昭 #79D/WHSg
――――――
と回答しているので,将来,もしこの本に増刷がかかったとしたら(考えたくもない悪夢だが),この記述は訂正されるかもしれない.
つまり,この本の当該部分は,現在,まったく無意味になったということだ.
しかしながら,そのことをなるべく周知する必要があると考え,このエントリを書いた.
的場が訂正せず放っておく可能性も,ないとはいえない,という理由もあるが.
それにしても,「建設的な意見」をアンタが語るなよ(失笑)
※3:植木哲也『学問の暴力――アイヌ墓地はなぜあばかれたか』春風社,2008,pp.55-58.なお出典注記は略した.以下同様.
※4:同,pp.73-76
「ストパン」■(2010-04-23)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(5)
青文字:加筆改修部分
【質問】
シャクシャインの戦いにおける,アイヌ軍の編成,武器,兵糧について教えてください.
どこを見ても詳しい資料がありません.
どなたかアイヌ史に詳しい方お願いします.
【回答】
アイヌ自身が文字を持ってなかったので,詳しい文献は残ってません.
松前藩の兵士が毒矢や山岳戦で苦戦した記録があるだけです.
まあアイヌは狩猟民族ですから,狩りの為の道具や狩猟チームがそのまま戦闘に応用できました.
逆に統一国家を持てなかったので,アイヌ軍は諸族連合にすぎず,大和側の工作であっさり協力が瓦解したりします.
この辺の事情は,アイヌより早く同化された蝦夷達の記録からもうかがえます.
モッティ ◆xH11P.V9Ag in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
帝政ロシアによるアイヌ人統治の歴史について教えられたし.
【回答】
さて,今日からはまたアイヌの話に….
と言っても,北海道のアイヌでは無く,千島のアイヌの話です.
16世紀末に東進を始めたロシア人は,17世紀末までにシベリアとカムチャツカに到達します.
その目的は,大航海時代のポルトガルやスペイン人と同じで,両国の人間が,新世界を目指し,香料を得ようとすると共にカソリックの支配圏を拡げようとしたのに対し,ロシア人は,欧州との交易の為に,毛皮を獲得するのが第1の目的であり,第2の目的は,自国の支配権を拡げると共に,ロシア正教の普及にありました.
そう言う意味では,大航海時代の両国と大して変わらなかったりします.
それが海から行くか,陸から行くかの違いだけです.
シベリア,カムチャツカに住んでいた先住民のキリスト教化政策の基礎は,彼らをロシア文化に併合し,同化させることにありました.
つまり,先住民が信仰していた異教を排除すると共に,多民族の習慣や生活様式をロシア様式に統一し,心の底からロシア人としてしまおうと言うものです.
そう言う意味では,スペイン人やポルトガル人よりも徹底していたと言えます.
この様に,東へ東へと進み,18世紀初頭にロシア人は千島列島に辿り着きました.
東方に進出したロシア人は商人,狩猟家,シベリア及びカムチャツカの様々な町で集められた農夫,そしてその中には懲役刑や流罪に処せられた人々も勿論いました.
こうした人々はキャラバンを組んで,東に向かったのですが,キャラバンを統率する為の航海者や先導者の他,発見した諸地域に関する情報を集め,その地域からヤサークを取り立てる為にコサックが1〜2名同行していました.
ロシア人の東進中に,狩猟で得た毛皮は税の形で,国庫に大きな収益を齎し,発見された諸地域の先住民から取り立てたヤサークも,国庫の収入源となったからです.
帝政ロシアでは政府も,この動きを後押ししていました.
これは,先住民をロシアの支配下に置けば,ロシア帝国の領土が拡大されていく為に他なりません.
女帝のヨアンノヴナは,1733年9月20日付の布告で,次のように書いています.
――――――
国庫に負担を掛けず,商人,狩猟家は遠方への道を自ら探し出した方が良い.
カムチャツカ等,以前に未知で会った地域はこの様に商人,狩猟家の御陰で発見されたのだから.
――――――
こうして毛皮獣の狩猟を推進するよう,プリエンシチェエフ知事に訓令しました.
但し啓蒙君主らしく,先住民と接触する際には彼らを虐待せず,親切に扱うようにと言う警告を出しています.
ロシア人は東進を続け,1697年にはカムチャツカに達しました.
「カムチャツカの征服者」と呼ばれたアトラーソフは,コサック隊と共にロパトカ岬に達し,そこから千島列島を望見し,同地のカムチャダールからこの島々に関する事情を聞きました.
また,アトラーソフは東進の際,ユカギール,コリヤーク,カムチャダール等の先住民から,ヤサークとして多数の猟虎,黒貂,狐などの貴重な毛皮を取り立て,極東に商人の関心を起こさせると共に,カムチャダール集落で捕虜となっていた,日本人漂着者の伝兵衛と言う人物と面会を果たしています.
この伝兵衛はモスクワに連れて行かれ,1702年にはピョートルI世に謁見しました.
ロシア人には道で会った日本及び日本と,カムチャツカの中間にある島々についての伝兵衛からの報告は,ピョートル1世に日本との交易に関心を持たせ,シベリア当局に対し,日本に至る航路の探索と千島列島に関する情報を集める切っ掛けになりました.
その後,ロシア人は毛皮を求めながらカムチャツカを経由し,日本への道を探り,千島の存在を確かめることに務めました.
しかし,先住民であるカムチャダールの抵抗を受け,千島列島に渡航するまでにはそれから数年の歳月を要することになります.
ロシア人による千島列島の実際の征服と探究は,1711年から開始されました.
1711年,アンツィフェロフとコズィレフスキーを首領とするコサック隊が,千島列島の最北端にあるシムシュ島と2つ目の島であるパラムシル島に足を踏み入れました.
彼らの千島遠征の目的は,ヤサークの徴収により島民をロシアの支配下に置くことであり,島民の習慣,来島する人に対する彼らの反応,島の自然環境についての情報を得ることでもありました.
アンツィフェロフ等は先ずシムシュ島に赴きますが,この島には千島アイヌの他,ロシア人からの迫害を逃れる為に渡島したカムチャダールが居住すると言う事を確認したものの,ヤサーク徴収の目的は,彼らの方が大勢で,余りにもアンツィフェロフ等が無勢だった為に叛乱を起こされて目的を達成できず,這々の体で帰るしか有りませんでした.
1713年,コズィレフスキーは再び同じ目的で,コサック隊と共にシムシュ島とパラムシル島に到着しました.
島民は今回もロシア人と交戦しましたが,ヤサークの取り立てについては成功を収め,また,千島の他島並びに千島アイヌの日本人との物々交換に関しての情報を得ることが出来ました.
最初,ロシア人は北千島4島の千島アイヌにだけヤサークを課しました.
狩猟が出来る千島アイヌだけで無く,ロシア人は出会った全員から主に猟虎を中心とする各種の毛皮を取り立てたのです.
ロシア人はヤサークを支払った者の姓名を記録し,受取証を手渡しました.
この形態は1731年まで続き,1731年以降はシベリア当局の命令で,ヤサークの数量が決定され,1人に付き毛皮1枚と制限されるようになりました.
毎年交代した徴税人はヤサークの新支払人の名を書き加えましたが,島を去ったり死亡した人物の姓名を削除しなかった為,結果的には記録された納税義務者の人数が増加したにも関わらず,納税額が増えていませんでした.
これに対しシベリア当局は,徴税人の活動に不満を抱き,もっと積極的な対策を講じることにするよう請求しました.
その為,ロシア人はヤサークの徴収を強化し,北千島を去った人間の分も残留者から求めるようになったのです.
しかしながら,この政策は逆効果でした.
ヤサークの支払いは島に留まった人々の負担になりましたが,未納税額は絶えず徐々に増加しました.
そこで,ロシア人は死者の分も要求し始めることになり,更に自分の安全を保障する為に,千島アイヌを人質に取る制度を導入し始めました.
当然,これに対する抵抗が始まります.
ヤサークを支払う為の十分な獲物が北千島にいないと言って,狩猟にかこつけ,ロシア人が未だ渡来していない南の千島に移住し始めたのです.
彼らはロシア人から「逃散人」と称されました.
彼らは第2島のパラムシル島を去り,第7島のシャシコタン島から第9島チリンコタン島までに逃れ,更にそれ以南,主に第14島のウシシル島にまで逃れました.
チリンコタン島までの逃散人は偶に,ヤサークを支払いにパラムシル島に帰っていましたが,それより南の島に移住した逃散人は北千島に戻らず,ヤサークの支払いを止めました.
こうして,ヤサークの支払いが滞った事は,逆に南千島に対するロシア人の興味を惹くことになり,次第に千島列島を南下し始めます.
そして,逃散人を追いかけて,ヤサークの取り立てをして千島アイヌをロシアの支配下に置こうと努めた訳です.
再びロシア人は,千島列島を南方に進行する際に,出会った千島アイヌ全員の名を記し,既にヤサークを課している島民からも毛皮を徴収しました.
こうした二重課税のパターンは非常に多く,1734年にノヴォグラブリェンニイに依ってロシアに従属させられ,ヤサークが課せられた第5島オンネコタン島から第9島チリンコタン島までの千島アイヌの大部分は,ヤサークの支払いを終えて出稼ぎに来た第2島パラムシル島の人々だったりします.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2011/02/23 23:46
青文字:加筆改修部分
帝政ロシアでは先住民の統治手段として用いた方法は,先住民の首長を利用しての先住民の間接支配でした.
千島でも,千島列島を管轄したボルシェレツク当局が,首長ストロージェフ・ニコライに島回りをさせて,逃散人を北千島に帰島させることと,南千島に居住していた島民をロシア支配下に置くことを司令しています.
ストロージェフは,逃散人を連れ戻すのには成功しませんでしたが,「千島アイヌを説得する為には彼らに貢ぎ物を与え,相応しい人を首長として任命すれば,彼らを従属させるのは困難では無い.但し,彼らにはロシア人が彼らを人質に取らない事を保障する必要がある」という報告を当局に寄せています.
1755年には,ストロージェフに代って,商人レビエヂエフ・ラストチキン,シェリホフと通訳アンチピンが千島列島に派遣されました.
今回の課題は千島列島の自然環境と島民の習慣を調査し,日本人との接触に当たって,彼らがどの様なロシアの文物を好むのか,これらの交換で,日本のどんなものが手に入るのか,如何に日本に関する情報を集めるかであり,副次的な任務として,どの国の支配下にも置かれていない島民をロシアの支配下に置き,出会った逃散人からヤサークを取り立て,彼らを北千島に帰すことも指示されていました.
ただ,逃散人がパラムシル島に帰るのを望まない場合はそれを強制しないことになっていました.
更に,千島アイヌと接触する場合は,彼らに貢ぎ物を提供し,暴力による要求をしてはいけないとも厳命されていました.
ラストチキン等の一行は,前任者と同様に逃散人を北千島に連れ戻すには失敗しましたが,南千島の4島に住む蝦夷アイヌ1,500名からヤサークを徴収し,彼らをロシアの支配下に置きました.
1761年にはソイモノフ・シベリア知事が,ヤサークとして徴収されている毛皮の種類と枚数,ヤサークを支払っている千島アイヌの数,彼らの職業を調査するように命じました.
また,その他にどの様な方法で南千島の島民をロシアの支配下に置くことが出来るかと言うことに関心を持ちました.
この課題を果たすことをボルシェレツク当局から委任されたのが,カムチャツカの首長であったブチン・ヤコヴとパラムシル島の首長であるチキン・ノヴォグラブリェンニイの2名でしたが,千島列島の第7島であるシャシコタン島にまで南下したにも関わらず,島民から情報を得ることはおろか,ヤサークを取り立てることも出来ませんでした.
1766年にブチンが死んだ後,チキンはボルシェレツク当局によって再び南千島に渡航しました.
チキンの同行者としては,シムシュ島の首長チュプロフ及びコサック・チェルニィがいました.
今回は前回と異なり,千島列島を南下し,そこに居住する島民に対する乱暴な行動や不正を行わず,彼らを懐柔しながら説得してロシアの支配下に置くことになっていました.
また,パラムシル島の女子を含めた63名の逃散人をパラムシル島に帰らせ,毛皮や品物の形でヤサークを徴収するものの,必要以上の徴収はしないこと,また,彼らには貢ぎ物を渡して懐柔することが指示されました.
更に,千島アイヌと他民族との交易,彼らの習慣,宗教,生活様式,性格,衣装,彼らが所有する武器,千島の資源,特に銀鉱や金鉱,真珠の調査並びに彼らが居住する島に日本人が渡るかどうかを確認することも指示されました.
チキンの仲間は千島列島に到着した後,命令通りに千島アイヌの人口を調査します.
その結果,1766年時点で第1島シムシュ島,第2島パラムシル島,第14島ウシシリ島に居住していた千島アイヌ262名の内,121名からヤサークを徴収することになりました.
当時,第18島である得撫島まで南下したチキン等は,同島の千島アイヌからヤサークとして猟虎の毛皮4枚並びに狐の毛皮5枚を徴収することにも成功しました.
しかし,彼らを懐柔するのに長けていたチキンが此処で急死し,その後チュプロフとチェルニィが探検隊の責任者となります.
チェルニィは狡猾で獰猛な人物で,渡航した島で出会った逃散人は尽く逮捕し,小屋を作り,チェルニィの犬に餌をやる為に海獣の狩猟を強いられました.
罪を犯した逃散人は,刑罰として革紐で縛られました.
1768年,チェルニィは第19島の択捉島まで南下し,そこに居住した蝦夷アイヌをロシアの支配下に置くことに成功します.
しかも,同島の首長は第19島の択捉島より南方にある大きな島,つまり蝦夷ヶ島までの蝦夷アイヌをロシアの支配下に置くことに協力する事をチェルニィに約束しました.
このまま行けば,今頃,北海道はロシア領になっていたかも知れません.
ところが,チェルニィは先述の通り,狡猾且つ獰猛な人物でした.
1769年の春,チェルニィは第18島得撫島を去った後,北上し始めました.
第16島のシムシル島に到着した時,彼の横暴さに恐怖を抱いた逃散人は,パラムシル島に帰ることを拒絶します.
逃散人は南千島に留まることを許されたらヤサークを支払い,ロシア人が親切に扱ってくれたら後に北千島に戻ることをチェルニィに約束しました.
しかしながら,チェルニィはその申し入れを拒否し,彼らを強制的に第14島ウンシル島に連れて行きました.
同島でも彼らは再び解放を哀願しますが,チェルニィは相変わらず拒否した上,一番頑固な者に対して身体刑を執行し始めました.
彼らは同族の女子2名が後ろ手に縛られているのを見て,恐怖の余り,ある者は断崖に逃げ,又ある者は船で海に逃れました.
逃れるのが間に合わなかった女子は殺され,男子6名が連れて行かれました.
手をきつく縛られた結果,1名が船で死亡し,その死骸は「ロシアではこの様に扱う」と言いながら,海に投げました.
生き残った者達は,第5島オンネコタン島まで北上させられ,昼は船を漕がされ,夜は足を縛られました.
彼らが解放されたのは,オンネコタン島でのことですが,彼らはチェルニィが行った残酷な行為には口を閉ざすと言う事を宣誓させられています.
3年に亘るチェルニィの巡航の結果は,ヤサークとして徴収された猟虎の毛皮600枚,大量の熊,狐の毛皮ですが,逃散人を北千島に帰すことは相変わらず失敗しました.
その上,チェルニィが島民を乱暴に扱った結果,彼らはロシア人に対する憎悪の念を抱き始め,ロシア人とその手先との接触を避けることになります.
1770年には猟虎の狩猟の為,ヤクーツクの商人プロトジヤコノフが千島列島に渡航しました.
この一行はチェルニィよりも乱暴で,第18島得撫島で越冬した際,千島アイヌから食糧や日本製の様々な物品を略奪し,彼らを脅迫して,ヤサークの支払いを要求しました.
これにはアイヌ側も流石に立腹し,1771年と1772年に逃散人と蝦夷アイヌの連合軍が,プロトジヤコノフの仲間22名を殺害しました.
プロトジヤコノフは這々の体で逃げ帰りますが,それでも猟虎の毛皮215枚を持って帰っています.
1778年にも再び南千島の蝦夷アイヌをロシアに服属させ,日本人との目的を試みるという目的で,シャバリンが千島列島に渡航しました.
今度は懐柔の方が中心で,これにより択捉島のアイヌ47名をロシアに服属させることが出来ました.
この様に,ロシアでは狩猟家,商人,コサックとその影響下に置いた先住民の首長が,入れ替り立ち替り千島にやって来た訳ですが,急速に拡大したロシア帝国としては,征服された地域を巡視する困難や,先住民を酷使した結果,周辺地域の離反が強まり,1779年にはエカテリーナII世が,既に支配下に置いた千島列島の島民からのヤサークの徴収を中止し,今後は彼らに強制せずに,寧ろお互いの物々交換や狩猟の利益の為に友好的な関係を維持することを命じています.
しかし,この命令は末端まで実施されず,ヤサークは絶えずカムチャツカ当局に徴収されていたのです.
1812年の調査では,千島アイヌが当時払っていたヤサーク高は,猟虎の毛皮41枚,狐の毛皮23枚です.
これは露米会社が千島列島で植民地を設立し始めた頃に明らかになりました.
そこで,露米会社当局はヤサークの不法徴収を中止させる為,大蔵大臣に文書を出しました.
ヤサーク中止の理由としては,ヤサーク高が余りに少なく,これを徴収するのに千島列島に管理を派遣するのは国庫負担であり,露米会社の活動と千島アイヌの自由を束縛すると言うことを挙げています.
なお,ロシア人は千島アイヌからのヤサーク取り立て中止により,アイヌが日本との貿易で仲介者の役割を果たすことを期待し,日本の港の開放に繋がるのでは無いかと言う期待を持っていました.
情報を受けた大蔵大臣は,イルクーツク当局に説明を求めます.
その報告書により,千島列島では相変わらずヤサークの徴収が続いていることが判明しました.
千島列島のロシアに近い3つの島に住む千島アイヌ51名は,268ルーブル40コペイカのヤサークを支払っていたのです.
大蔵大臣は,1830年9月に千島アイヌのヤサーク徴収を完全に中止する様,シベリア委員会に依頼し,1830年11月9日にシベリア委員会はカムチャツカに近い千島列島に居住する千島アイヌからのヤサーク取り立て廃止を命じ,,千島列島を露米会社の管轄下に置くことになります.
ところが,カムチャツカの長官には,千島列島を露米会社の管理下に置くという情報が伝わらなかったので,1831年に千島アイヌから猟虎の毛皮4枚,黒狐の毛皮20枚,赤狐の毛皮14枚のしめて1,312ルーブルに達したのですが,これを発見した露米会社当局は,この毛皮を市場価格で販売し,受け取ったお金を露米会社の千島支部に譲渡することを大蔵大臣に要請します.
以来,ヤサークの徴収は停止されますが,狩猟した毛皮を露米会社に提供することになります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2011/02/24 23:53
◆◆◆アイヌ協会
【珍説】
――――――
わしは疑問がいっぱいあったので,北海道ウタリ協会に取材を申し込んだ.
初めはすんなりOKが出て,参考図書の指定もあったのでそれを読んでいた.
すると突然,取材拒否の知らせが来た!
取材者が小林よしのりだと協会内部の者が知った途端,態度が豹変したのだ.
「小林よしのり及び『わしズム』への不信感」が取材拒否の主な理由だという.
ウタリ協会は,その密接な関連団体である「財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構」に,国庫から,そして北海道からも,毎年6億から7億にのぼる多額の助成金が投入されている.
いわば公的な機関のはずである.
それが小林よしのりの取材だけは受けないと言うのだ.
――――――小林よしのり in 『SAPIO』 2008/11/12号,p.62
――――――
わしはさらに念には念を入れて,『わしズム』誌上でのウタリ協会代表との対談を申し込んだ.
だがウタリ協会は,これも「小林よしのりへの不信感」を理由に拒否してきた.
「こんな馬鹿な話ってあるか?」
「ウタリ協会は小林よしのりを差別しとるのか?」
――――――同,p.64
【事実】
助成金を受け取っていたら公的機関だったのか.
初めて知った.
助成金って,私学から中小企業から不妊治療にまで幅広くばら撒かれているんだけど,受け取ったらみんな公的なの?
実に斬新な論理だね.
あと,「小林よしのりへの不信感」は当然だろう.
『沖縄論』で,琉球王国の併合を「民族の統一」と捉え,琉球民族など存在しないかのように語っていたのは,どこの誰だ?
ウタリ協会の側からすれば,「単一民族」論を繰り返されるだけとも思えたのだろう.
ぼくは,このような理不尽な喧嘩を売られねばならぬウタリ協会に,心から同情する.
取り敢えず,お前は日頃の態度を少しは顧みろ,という事だ.
そして引用した最後の文.
〔略〕
あまりにも醜悪である.
〔略〕
かつてアイヌは深刻な差別を味わった.
「土人」「蛮族」と貶められ,見せ物とされ,「へえ,アイヌでも字が書けるのか」「あ,犬が来た」などと嘲弄の言葉を投げつけられ,「滅びゆく種族」「滅んだ種族」として扱われた.
そのような来歴を持つ人びとの前で,「ウタリ協会は小林よしのりを差別しとるのか?」などという被害妄想を喚き散らす事がどれだけ醜悪か.
これでようやく半分を過ぎた,と思う.
コマごとに突っ込み所が次々と出てくる漫画というのも,ある意味斬新だ.
正直読んでいて疲れ,もしくは眩暈を憶える.
このような言説が広く流布されるようになったらと,想像するだけでも寒気がする.
アイヌを,南京事件論争のような不毛な政治闘争に巻き込まない為に,わが国の誇りの為に,このような愚かな言説とその派生物は,徹底的に批判されてしかるべきであろう.
「ストパン」■(2008-11-02)[アイヌ否定論]小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(2)
ちなみに,小林の北海道取材への協力者として,「的場光昭氏(医師)」の名が挙げられている(p.62).
ああ,西村眞悟といっしょになってデタラメを書いていた,あの的場センセイですか.※1
流石よしりん!
協力者選びの段階からダメダメだぜ!
※1:彼の信頼性については,西村眞悟衆議院議員のアイヌに関する認識はデタラメだ - nasturtiumを参照.
「ストパン」■(2008-11-03)[アイヌ否定論]小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(3)
青文字:加筆改修部分
「小林じいちゃんも,もうイイ歳なんだから,区別と差別の違いくらい,ちゃんと覚えようね」
「そんな取材協力者では,不信感を増大されても無理ないよね」
というお話でした.
【珍説】
――――――
「とにかく左翼のわしへの攻撃はすごい.」
「沖縄もアイヌも左翼の解放区だったのにわしに暴かれたことがよほど痛かったらしい.」(小林,p.55)
――――――『SAPIO』 2009.7.8号
【事実】
お前は何も暴いてねーよ(笑)
河野本道や西村眞悟や的場光昭の主張を繰り返してただけだろ(笑)
ひとの本に書いてあったことを漫画に起こしただけで,「わしが暴いた」って,どんだけ自意識過剰やねん.
次の本に目を通して貰えれば,小林が単なるコピー機にしか過ぎないことがわかってもらえると思う.
『アイヌ史 概説―北海道島および同島周辺地域における古層文化の担い手たちとその後裔』
(河野本道著,北海道出版企画センター,1996/01)
無論,他人の研究結果をより一般向けにわかりやすく紹介することは,学問の普及のために大切なことだろう.
けれど,それは紹介者が紹介者としての分をわきまえている限りにおいてだ.
己の分を忘れたら,それは単なる剽窃屋に堕したということだ.
「ストパン」■(2009-07-06)[アイヌ否定論]じゃあ,その「正統な学者」とやらを連れてこいよ
そもそも小林が,ネットで言うところの「コピペ厨」に過ぎないことは,これまでも散々指摘されてきたところ.
【珍説】
――――――
小林よしのり氏が,「沖縄とアイヌの真実」のために取材を申し込んでも,なぜか拒絶されました.
此処から,この団体の閉鎖性が見て取れます.
この団体は言論に対して,恫喝によって対処するなど,まさにアイヌ版部落開放同盟と考えても良いでしょう.
国民が知らない反日の実態 - アイヌ問題
――――――
【事実】
「なぜか」って,理由ぐらいわかんだろ.
あと,彼らの脳内では「抗議」=「恫喝」というのがデフォなのか?
ちなみにアイヌ協会の抗議活動は,当の『沖縄とアイヌの真実』に掲載された記事によると,「常識の範囲に留まっており,暴力的な威嚇をしたことはない」※5らしいぞ.
※5:野村旗守「ウタリ協会とは何か」西村幸裕責任編集『沖縄とアイヌの真実』(OAK MOOK 270)オークラ出版,2009,p.103
「ストパン」■(2009-06-20)[アイヌ否定論][デムパ]アイヌへの支援を「反日」と呼ぶ醜悪さ
青文字:加筆改修部分
【質問】
『正論』2010年5月号に掲載された,砂澤陣氏の論説「全国紙が書かないアイヌ利権の腐臭1――税金にたかるプロ・アイヌの実態」(pp.238-245)によれば,北海道アイヌ協会は腐敗しているそうだが?
【回答】
まず,先日発覚した北海道アイヌ協会釧路支部の不正がある以上※2,砂澤氏が指摘するような不正行為は,ある程度恒常的に行われていたと見るべきだろう.
僕は道民ではなく,アイヌ協会と繋がりも無いので,実態が想像できないのだが,4万5000円のロープを75万円と請求したり,購入していない工具代金を請求していた※3,などというのは弁護の余地のない不正行為だ.
架空請求や水増し請求なんてのはただの犯罪で,許されて良いことではない.
砂澤氏がこういった方面でアイヌ協会を批判するというのなら,僕はそれを支持する.
だが問題は,彼がアイヌ否定論を唱えるひとたちと手を組んでしまったところにある.
これはおそらく,考えられ得る限り最悪の選択だろう.
砂澤氏個人は,みずからを「アイヌの血を引く日本人」※4と規定する.
無論,彼個人がどのようなアイデンティティを抱こうが自由だ.
だが,自分を基準にして,他人のアイデンティティを否定するような行動を取ってしまってもいいのだろうか.
砂澤氏が
「自分はアイヌ系日本人だ」
と表明することと,
「アイヌ民族などというものは存在しない.
いるのは『アイヌ系日本人』だけだ」
と表明する人びとと手を組むのとは,全然違った問題だ.
前者は本人の自由であり,何ら責められるべきことではないが,後者は,他者の民族的帰属意識を踏み躙っているという点で,当然に責められるべき行いである.
さて,砂澤氏の論説にみられる幾つかの問題点について指摘したい.
砂澤氏は,
――――――
アイヌの言葉や刺繍,踊りなどの継承も,かつては親から子へ,先輩から後輩へと自然に引き継がれていたはずである.
しかし協会のプロ・アイヌが絡むと,補助金対象の「アイヌ語教室」や「刺繍講座」となり,肝心なことは教えずに,気に入らなければ受講者を締め出すことさえする.※5
――――――
と言う.
後段のそれらの教室の運営状況については,実態がわからないのでひとまずは何も言わない.
指摘したいのは前段である.
現代において,マイノリティ言語が組織的なてこ入れなしに生き延びることは殆ど不可能に近い.
公用語やメディアで用いられる言語の力は,圧倒的である
(自治州においては圧倒的多数派であるはずのカタルーニャ語さえ,その地位を維持するのに多大な努力を払っている.
スペインにおけるカスティーリャ語の力が非常に強いからだ).
もはや少数言語は,「親から子へ」では守りきれない時代なのだ.
少数言語を守り,維持し,その使用範囲を拡大していこうと願うのであれば,何らかの組織によるてこ入れが欠かせない
(たとえばドイツのソルブ語の場合,カトリック教会がその役割を果たしている).
また,みずからをアイヌと自覚し,アイヌ語を学びたいと考えるひとの中には,既に親がアイヌ語を解さないひとだって多いだろう.
そんな状況で,アイヌ協会が「アイヌ語教室」を開くことを批判するのは(その運営面を批判するのなら支持するが),アイヌ語は滅びろ,と言っているのに等しい.
――――――
一方で,正しく継承されるべきアイヌの伝統文化が汚され,どんどん異質なものになっていくのを,私は憂えている.
現代アイヌ文化か何だか知らないが,アイヌの唄をラップ風にして,「アイヌキモイとか言われた〜」などとわめいている自称アーティストもいる.
それのどこが,誇りある文化なのか.※6
――――――
伝統文化が,きちんとした形で継承されるのは大切だ.
これまでに道がアイヌ協会に払っていた補助金は,それを目的としたものだろう.
「正しい継承」が必要ということには同意する.
だが,それは伝統文化の改変を排除するということではないはずだ.
大和にも沖縄にも,先祖代々の伝統を「正しく」継承する人びとがいる一方で,伝統文化の「カッコイイ」ところだけを取り出して,ポピュラーカルチャーに流用しているひとがいる.
それのどこがいけないのだろうか.
アイヌだけ「純粋な文化」が求められる必要性があるとは思えない.
参考:
学術的成果を悪用する回路――「純粋な民族はいない」論をめぐって
- Danas je lep dan.
砂澤氏は,
「恐ろしく不正が多く有り過ぎて,本当に困ります」※7
と言う.
不正の告発は大切なことだ,というのは冒頭に書いた.
だが,正当な批判と「言いがかり」を峻別することもまた,重要なことである.
砂澤さん,あなたはアイヌに対して言いがかりをつけている連中に,荷担しているようにしか見えない.
どうか,今一度,その姿勢を考え直してもらいたい,そう思う.
(※このエントリは,砂澤氏のブログにトラックバックを送っています)
※2:cf. http://h.hatena.ne.jp/Mukke/9234091294769743446,http://h.hatena.ne.jp/Mukke/9234093263352375682,
http://h.hatena.ne.jp/Mukke/9259268666167214954
※3:砂澤「全国紙が書かないアイヌ利権の腐臭1――税金にたかるプロ・アイヌの実態」,p.239.
※4:同,p.238
※5:同,p.244
※6:同,p.245
※7:正論5月号 - 後進民族 アイヌ
「ストパン」■(2010-04-16)[アイヌ否定論]砂澤陣氏の論説を読んで考えた
青文字:加筆改修部分
【反論】
woodsmith 2010/05/30 22:24
世の中,そんなに簡単じゃないですよ.
君?が尊敬してる教授らが出している連中が不正に加担し
適当な資料を山の様に出しているのですよ.
風向きは変わってなどいないですよ.
少し外に出てリアルな社会体験をしてみて下さい.
【再反論】
Mukke 2010/05/30 22:46
>君?が尊敬してる教授らが出している連中が不正に加担し
>適当な資料を山の様に出しているのですよ
僕がアイヌ研究の成果だけを基にして発言しているとでも?
違いますよ.
僕は,アイヌとは無関係になされた,歴史学その他の人文系学問の成果をも基にして発言しています.
そもそも僕のホームグラウンドは,アイヌ史でもアイヌ研究でもないですし.
「仮に」アイヌを専門に研究している人の多くが,適当なことを言っているのだとしても,的場光昭の「民族」に関する理解やその他が間違っていることには,変わりありません.
で,たとえばこれまでに出された学術的成果のどの部分が,具体的に「適当」なんですか?
>風向きは変わってなどいないですよ
道新に記事が載り,道議会で追及が行われる.
このような状況にあってもなお,不正を告発するのは「タブー」なのでしょうか?
生憎と僕は協会関係者ではないし,道民でもないので,その辺にどれだけの闇があるのかはわかりませんが……
>少し外に出てリアルな社会体験をしてみて下さい
あなたも,少しはちゃんとした,学問に関する本を読んで勉強なさった方がいいと思いますよ.
Wallerstein 2010/05/31 14:09
woodsmithさん,はじめまして.
北海道から遠く離れて地で,一人で細々とアイヌ研究を片手間に行っております.
本業は鎌倉幕府や室町幕府の対外関係史を専攻し,日本中世史を大学で講じております.
多分,woodsmithさんが念頭に置いていらっしゃる歴史学系で言えば,E先生とかは,おそらくMukkeさんは誰か思いつかないでしょう.
Mukkeさんが念頭に置いていらっしゃる研究は,woodsmithさんは誰か思いつかないでしょう.
私の率直な意見を言えば,E先生は終わっています.
woodsmithさんがE先生及びその周辺に対して批判するのは,非常によく分かりますが,アイヌ研究はそういう場所からはすでに離れております.
woodsmithさんの「アイヌ研究者」に対する論難も分からないではありませんが,Mukkeさんと議論をしようしても,議論がずれています.
woodsmithさんも
「少しはちゃんとした学問に関する本を読んで勉強なさった方がいい」
というのは正しいと思いました.
woodsmithさんの民族論はすでに,アイヌ研究の常識とは大きくかけ離れております.
そのような古い民族論を墨守しているのは,研究者で言えば河野本道氏と,woodsmithさんが批判しているアイヌ協会周辺の研究者位でしょう.
最近出た「アイヌの歴史」なる大部の著作を見れば,古色蒼然たる民族論に唖然とします.
もとよりMukkeさんは,そのようなものを相手にしてはいらっしゃいません.
それどころかMukkeさんは,そのような研究者すらご存知ないかもしれません.
その意味で的場光昭氏の議論も,古色蒼然たる議論でしかありません.
そのような古色蒼然たる民族概念を基にした,E先生に対する評価は,私の周辺では20年前ほどから
「ウタリ協会のブレーンがEさんでしょ? ダメだよ〜」
となっていましたし,十数年前には
「Eの○○(罵倒後のため自粛)が」
と言われております.
確かに開拓記念館に行けば,河野本道氏に対するひどい扱いがなされているのはよく分かります.
今でも河野氏に対する個人攻撃は,開拓記念館で行なわれているのでしょうかね.
あれはひどいと私も思いましたけどね.
問題は運動論としての是非でしょう.
「無能な味方が一番厄介」
というのは,私もそう思います.
太田龍という極左運動家(当時)に扇動された,70年代のアイヌと同じ轍を踏んでいるのではないか,と私は危惧しております.
「ストパン」■(2010-05-30)コメント欄
青文字:加筆改修部分
【反論】
Pokerface 2010/06/03 15:48
〔略〕
的場氏のように「デタラメ」が分かりやすければ良いですが,「学問」や「中立性」を標榜しながら,現状を固定しようとしている研究者たち(人類学者にも限られません)にも,大いに問題ありでしょう.
しかし,それは一般の人にはもっと分かりにくいし,それを議論する言葉を教育・訓練されてこなかった,砂澤氏を含むアイヌの人々にも難しい問題でしょう.
的場氏らに対する批判は,最近では研究者の間からも散見されますが,この後者の学者・研究者に対する批判は,ほとんど目にしたことがありません.
Wallersteinさん,その辺の論文を期待しています.
【再反論】
Wallerstein 2010/06/03 15:59
「「学問」や「中立性」を標榜しながら現状を固定しようとしている研究者たち(人類学者にも限られません)にも大いに問題あり」
これは非常によく分かります.
常に唯物史観の立場に立つ歴史学者は,史論史学や文明史学の後継を自認しながら,いわゆるアカデミズム史学に対する批判的視座を維持してきたわけですが,ご存知のように唯物史観の立場に立つ研究は,それはそれで問題を孕んでおり,また唯物史観の立場に立つ研究が,また一つの権威として確立してしまった側面もあります.
アイヌ研究者がアイヌを学術対象としてしか評価せず,不信感を抱いてしまいがちな事情については,学術研究では常に意識はされておりますが,的場氏自身が,人類学者によるアイヌの人権侵害を隠蔽しようとして,その過ちを砂澤氏に正されていることが,Mukkeさんのエントリにありますが,「「学問」や「中立性」を標榜しながら現状を固定しようとしている研究者」には,的場氏が依拠した,アイヌを否定しようとする研究者にもあるわけで,研究者は一面ではない,ということも指摘しておきたいと思います.
「ストパン」■(2010-05-30)コメント欄
青文字:加筆改修部分
【質問】
以下にもあるように,アイヌ協会は説明不充分なのでは?
---------------
the_sun_also_rises [Mukke]id:Mukkeアイヌ協会の不正問題は逆にチャンスにしてほしい.差別問題の前進には差別者への非難よりも世間の無関心層をどう取り込むかが問題だと思う.真正直な反論は逆効果になる場合だってある.id:y_arimありがと(続く
はてなブックマーク - はてなブックマーク - 未ブックマークエントリー
---------------
---------------
the_sun_also_rises [Mukke]id:Mukke id:y_arimアイヌ協会の場合必要なのはコンプライアンスの確保と広報活動だ.それが不十分だから非難を招く.まずは襟を正しその認知をえる活動に全力を尽くす.僕が責任者ならばそうする.反論はその後だと思う.
はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - 未ブックマークエントリー
---------------
【回答】
無闇に攻撃的になるのは,世間の認知を得る上で好都合な戦略とはいえない,というのは一般論としては――僕も過去に「反日上等!」の件に関して散々言ってきたことなので――正当だと思う.
そして不正問題で北海道アイヌ協会が襟を正す必要が,というのにも同意だ.
あなたに対し攻撃的になってしまったことは,上でも書いたが申し訳ない.
ただ一方で,あからさまな嘘や間違いについては,その都度指摘していくことが必要だと思う.
これは僕が,小林よしのりや的場光昭に対して行ってきたことだけれども,その口調はともかく,内容は間違っていなかったと思うし,それはうっかり的場たちの主張を信じそうになってしまった「無関心層」に届けられるべきなのではないか,と.
「真正直な反論」こそが,的場や小林に対抗する上では,必要なんじゃなかろうか.
それから,アイヌ協会は広報を尽くしていると思う.
ホームページもちゃんと作っているし,アイヌの権利向上に向けて様々な活動をしている.
今回発覚した不正に関しては,これから糺されるべきだろう.
それらを優先すべき,というのは確かに道理ではある.
しかしそれは,「嘘や差別への反論を後回しにすべき」という結論を導き得ないのじゃないだろうか.
両方大切にすべきなんだと思う.
この件に関しては,有村さんが以下のような批判をしているので,そちらも.
--------------------
y_arim [メタブクマの翼]id:the_sun_also_rises 「説明が不十分」式の批判にはあんまり賛成しない.(1)自分たちに理解しようとする姿勢はあったか?(すなわちある種の責任転嫁)(2)的外れなイチャモンをつけるヤツの存在(3)人は見たいものしか見ない
はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - 未ブックマークエントリー
------------------
「ストパン」■(2010-09-08)[独り言]id:the_sun_also_risesさんへの応答
青文字:加筆改修部分
◆◆◆アイヌと北海道開拓
【反論】
――――――
――――それと,最近北海道の平取町とか,阿寒町あたりで「アイヌ暴動」とかありましたか?
聞いたことがない.
というかね,北海道の出来事を無理矢理中共の植民地支配に擬することからして,ちょっと感覚がずれていると思うんだ.
もっとも,アイヌに対する贖罪意識というようなものは,少なくない数の道民(国民)が持っていると思うから,そういう部分につけ込んで,結果として中共の野蛮な植民地支配を,正当化する言説につなげていくという危うさというものは,常に我々の中にあると思うね.
和人はボートピープルになれ? - さぼてん日記
――――――
【再反論】
誰もそんなことがあったなんて言ってないし,中共のチベット支配を正当化してもいない
(カルデロンのり子さんの残留を擁護することは,不法入国を正当化することになるのだろうか? そんなわけはない!).
そもそも,僕はちゃんと示しているが,僕の元エントリは,ウイグルに対する中共の支配を批判するエントリから,派生した議論が元になって書かれたものだ.
ウイグル情勢が酷すぎる件 - Danas je lep dan.
だいたい,僕のブログのカテゴリ一覧を見れば「チベット」というカテゴリがあり,そこでは中共のチベット支配が激しく批判されていることがわかったはずだ.
僕は過去以下のように書いてきているのだが,それに気付かず「中共の野蛮な植民地支配を正当化」しているなどと評されるのは,あまりにも,あまりにも屈辱的だ.
――――――
見事なエスノサイドですね.
最低です.
中国はチベット民族を破壊しようという意志を,行動で表しています.
このような蛮行を,ぼくは絶対に許せません.
中国は文明国でありたいのなら,このようなエスノサイドを即刻中止し,チベット人の伝統や文化を伝える自由を承認すべきです.
それはチベットの為だけでなく,中国の為にもなる解決策であり,何故中国がこれを執拗に拒み続けているのか理解できません.
チベットで行われているエスノサイドについてのメモ - Danas je lep dan.
――――――
――――――
われわれは要求する.
チベットに自由を.ジェノサイドを中止し,少数民族が尊重される真の多民族社会を.
(……)
それができないというのなら,中国に世界の指導者の一員たらんとする資格はない.
チベット動乱から半世紀 - Danas je lep dan.
――――――
――――――
中国の統治は「解放」なんかではない.
それはチベットの隷属,植民地化に過ぎない.
「チベットの繁栄」というのは,チベットに入植してきた漢人たちの繁栄であり,そしてそれを支持する一部のチベット人の繁栄に過ぎない.
チベットの誇る文明は,共産党の介入によって引き裂かれてしまっている.
そんなものを,われわれは断じて「繁栄」とは認めない.
いつわりの「農奴解放記念日」 - Danas je lep dan.
―――――――
そして,上のような認識に立ちながらも,それでも,個々の漢人がチベットから追放されるようなことは許されないと考えて書いたのが,「故郷」をめぐる一連のエントリだ.
奪われた祖国を求めて - Danas je lep dan.
故郷権(Heimatrecht) - Danas je lep dan.
これらの主張を「侵略者を利するものだ」として批判するのは構わないし,そういう批判は出てきて当然だとも思っているが(実際,ブコメで批判されたことがある),主張の内容を履き違えて頓珍漢な批判をされるのは耐え難い.
しかしながら,僕はid:saboten2008氏に希望を見出してもいる.彼はアイヌの先住民族としての尊厳を認めている.
そして,「開拓」をめぐる意見の相違の根底には,彼の,みずからの祖先への誇りがある.
そこについて,彼と話をすることはできるのではないか.
「開拓」を肯定するあまり安直にアイヌ否定論に飛びついていない辺りに,僕は対話の可能性を見出したい(とはいえ,「的場と同じ立場に立つ」と言っていたのには引っかかるが……的場の主張を吟味した上で的場を支持しているのか,それともそうでないのか).
「ストパン」■(2010-03-12)[デムパ]あまりにも酷すぎる曲解と,一抹の希望の光
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
開拓が悪であるという以上,その担い手が非難を免れることはないのだろう.
ならば彼らが望むことは何なのか.
私たちから故郷を奪い去るということなのか.
開拓者は抹殺されるべきか - さぼてん日記
――――――
【再反論】
上記エントリで取り上げられているのは,おそらく僕の
鈴木宗男議員の先住民族観を批判する - Danas
je lep dan.
であろう.
違う.そうではない.
歴史の針を元に戻すことはできない.
今更,北海道がアイヌだけの天地になるなんてことはできない――今更,エストニアをエストニア人だけの国にすることができないように,或いは南アフリカを黒人だけの国にすることができないように.
だから,すべきなのは,過去に犯した過ちや罪を認め,その認識の上に立って共通の未来を建設することである.
和人は北海道で生きていかねばならないし,そうすべきなのだ.
誰も故郷を奪われてはいけない.
その思いは,おそらく僕とid:saboten2008氏にある程度共通するものだろう.
そして,彼がアイヌの独自の民族としての尊厳を認める以上は,そこに歩み寄りの余地があるのではないか――僕は,そう期待している.
「ストパン」■(2010-03-12)[デムパ]あまりにも酷すぎる曲解と,一抹の希望の光
青文字:加筆改修部分
【珍説】
――――――
そもそも,「和人に奪われた土地や資産」という観点がおかしい.
平成13年当時の教育出版の中学歴史教科書にも,
「土地を所有する観念のなかったアイヌの人たちの土地を,持主のない土地として没収し,国有地にして奪った」
という表現がみられた.
所有する概念のない者から奪うということ自体が矛盾であり,教科書の表現としては不適切だが,実際には奪うどころか,明治32年制定の北海道旧土人保護法により,
「北海道舊土人ニシテ農業ニ從事スル者,又ハ從事セムト欲スル者ニハ,1戸ニ付土地1萬5千坪以内ヲ限リ無償下付スルコトヲ得」
としたのである.
――――――『正論』 2008年12月号,的場光昭「『単一民族』否定論の押し付けに異議あり――中山発言に小躍りした面々に問う.批判に名を借りたアイヌ反日化の“悪意”はないか」(pp.233-234)
【事実】
「近代的な土地を所有する観念」をアイヌは持っていなかったというだけであって,「ここは俺らの共有地.向こうはあいつらの共有地」的な認識はあった.
そこに和人が入ってきて土地を開墾しだしたのを,「奪った」って言っているんだよ.
センセイは「旧土法で土地を与えたじゃないか」と開き直るが,そういうのを普通は「盗人猛々しい」という.
アイヌに「与えた」土地の,元々の持ち主は誰でしたか?
その程度の事も分からないのだろうか.
他にも突っ込み所は満載だけど,時間がないので今日はこの辺で.
しかし,『正論』ってこんなレヴェルの文章でも通るんだね.
こんなもん読んでたら,そりゃ空軍のエリート軍人だってアホになるわ.
※ 的場センセイについては,くどいようだけれど,
西村眞悟衆議院議員のアイヌに関する認識はデタラメだ - nasturtium
を参照.
「ストパン」■(2008-11-18)[アイヌ否定論][デムパ]要するに,明治日本は盗賊の論理で動いていた訳ですね
青文字:加筆改修部分
【珍説】
――――――
富岡 アイヌの場合,定住して農耕をするわけではなく,自然の中で狩猟する民族ですからね.
そういう意味では
「ここはわれわれの領地だから,日本人は出ていけ」
という論理は成り立たない.(……)
――――――宮城能彦,富岡幸一郎,小林よしのり「“単一民族”と言っただけで謝罪を求めるのは言葉狩りだ」『わしズム』28,2008,p.58
【事実】
いや,狩猟民にもテリトリーはあるから.
ていうか,誰のものでもないからって,他人が勝手に入植してきたら,そこで「狩猟」が成り立つわけないじゃん.
ちょっとは常識を働かせてくれ,頼むから.
だいたいそんなことを言ったら,インディアンやアボリジニやモンゴルはいったいどうなるんだ.
内モンゴルは誰も使ってない土地に漢族が入植して切り開いた,とでも言うのか?
「ストパン」■(2010-04-13)[アイヌ否定論]アイヌ民族を否定するひとの認識はこの程度です
青文字:加筆改修部分
ちなみに狩猟民や遊牧民のテリトリーと,農耕民のそれとの対立は,世界各地で見られ,ときとして流血沙汰にまで発展している,
そんなことは,民族問題を語る上での初歩だと思ったのだが,「小林よしのりと愉快な仲間たち」にとっては違うらしい.
【質問】
鐘の音 2010/04/14 00:39
アイヌって,農業をやってなかったでしょうか?
私の記憶では,どう思い出してもやっていたことになっているのですが.
当然,シャモが来る前に狩猟採取のほかに農耕はやっていた民族のはず.
【回答】
Mukke 2010/04/14 20:49
それは聞いたことがあります(多原氏の本などで).
しかし残念ながら僕は,前近代のアイヌ史については不案内なため,その規模などがわかりませんでした.
なので,ここでは富岡の主張が事実と仮定した上で,その言説のおかしさについて述べるという体裁をとっています.
なお同コメント欄によれば,『アイヌ神謡集』等からも分かるように,アイヌは古くから農耕を行っていたという.
以下引用.
――――――
s-ryoo 2010/04/15 09:24
〔略〕
アイヌが古くから農耕を行っていた事は,『アイヌ神謡集』を読めば判ります.
「梟の神が自らうたった謡」には,このカムイユカルが作られた時代において,既にアイヌの社会に貧富の差があった事が示唆されています.
貧富の差があったとは,すなわち農耕が行われていたという事です.
17世紀のアイヌの農耕遺跡が見つかっていますから,17世紀頃までは農耕が行われていたのでしょう.
アイヌが農耕を放棄せざるを得なくなったのは,アイヌが金属精錬の技術を持たなかった為でしょう.
和人との交易によって入手していた農機具が,和人との力関係のバランスが崩れて入手出来なくなった時,既にアイヌには石器で農機具を作る技術は失われていて,狩猟採集生活へと撤退せざるを得なかったのでしょう.
ただし千島アイヌと呼ばれる事もあるクリル人は,ほぼ純粋な狩猟採集民だったようです.
言語の上ではクリル語はアイヌ語の方言のようなものだったようですが,衣食住など文化の違いが大きく,私はクリル人はアイヌには含めず,独立した民族と考えるべきだと思います.
日本書紀には「粛慎(みしはせ)」という民族が,阿倍比羅夫と戦ったと書かれていますが,私はこの「みしはせ」こそがアイヌであり,misihaseはアイヌ語で首領を意味するnispakeから来ていると考え,「蝦夷(えみし)」はアイヌではなく,東北地方の住民の先祖であろうと推定します.
s-ryoo 2010/04/15 09:40
狩猟採集民であっても,入会(いりあい)権というものが有りますね.
入会権とは,その土地で自由に狩猟が出来る権利です.
ネイティブアメリカンと白人とのトラブルは,土地の私有という概念の無かったネイティブアメリカンの側では,白人に入会権を認める代償として金を受け取ったつもりだったのが,白人はこれで自分の土地になったと考えて,柵を作り,ネイティブアメリカンが立ち入れなくした.
この考え方のズレにあったと読んだ事があります.
――――――
――――――
鐘の音 2010/04/16 00:18
前近代のアイヌの農業について,ちょっとだけ調べてみました.失礼します.
参考にしたのは
『アイヌ文化の基礎知識』(監修:アイヌ民族博物館 1993年 草風館)
『日本の食生活全集48 聞き書 アイヌの食事』(萩中 美枝 他 1992年 農山漁村文化協会)
の2冊です.
稗,粟などが栽培されていたようです.
日高地方のアイヌの祭壇には,必ずヌカを祭るムルクタヌサと呼ばれる場所があり,使わなくなった臼などの畑作に関連する道具を神におくるという風習があり,少なくとも日高地方のアイヌの生活には密着していたのではないかと思います.
畑は,家の近くや川沿いの土の柔らかい土地が選ばれ,簡単に土地を耕した後,種をまき,肥料はやらず除草は数回行い,ピパと呼ばれる貝包丁で,穂だけを摘み取りました.
肝心の規模については詳しく判りませんでした.申し訳ございません.
ただ,女性や老人が主に農耕をやっていたと言うことから,食生活の需要を全てまかなえるほどではなかった想像しています.
――――――
「ストパン」■(2010-04-13)コメント欄
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
[……]ですが,昨今のアイヌ論議には,肝心な部分が欠けてゐるのではないでせうか.
アイヌの人々に対する「差別」や「迫害」は,事実に基づかないことまでが様々に論じられても,国家のために北海道開拓に尽くした屯田兵や,民間の開拓民の労苦が,話題に上ることはありません.
それどころか,アイヌの人々を「差別」し,「迫害」した張本人であるかのやうな悪イメージさへ持たれてゐるやうに思ふのです.(p.143)
――――――鎌田告人「『アイヌ被害者』論では語れぬ北海道開拓使の真実」
in 『正論』平成21年1月号,pp.143
【再反論】
著者の鎌田氏は比布神社の宮司で,日本会議上川幹事長(同,p.143).
彼は上記文章に続けて,北海道に入植した屯田兵や開拓民が,いかに苦労して未開の大地を「開拓」していったか,という物語を滔々と語り始める.
当然ながら,彼の紡ぐ「物語」にアイヌはいない.
まるで北海道全土が,誰のものでもない「未開の地」で,和人の入植者が振るう斧を待っていたとでも言うかのように.
いや,おそらく彼にとってはそうなのだろう.
彼にとっては,北海道を「開拓」した人びとの労苦のみが見るに値し,彼らが――「勤勉」な「開拓者」だった彼らが――追いやり,差別した人びとの辛苦はどうでもいいのだろう.
そしてわれわれが振り払うべきは,批判すべきはそのような無関心である.
「ストパン」■(2008-12-14)[アイヌ否定論][デムパ]「同胞のいない歴史」を超えて
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
今の北海道があるのは,いはゆる「和人」がアイヌから土地を奪ひ,富を略奪したからあるのではありません.
屯田兵やその家族,民間の開拓民,さうした先人達が未開の地を拓き,我が身を犠牲にして守り抜いてきたからこそ,北海道はあるのです.
アイヌの文化,伝統は尊重され,継承されなければなりませんが,そのために北海道開拓と防衛の歴史が歪められ,先人達の功績が貶められては誠に申し訳ないと思ひます.
死者は語らずと言ひます.
なればこそ先人の名誉を守り,その偉業を称へることこそは,今日に生きる我々の使命であり,責務であると〔ママ〕.
――――――鎌田告人「『アイヌ被害者』論では語れぬ北海道開拓使の真実」 in 『正論』平成21年1月号,pp.149
【再反論】
こうして物語は紡がれてゆく.
アイヌのいない物語が.
収奪も抑圧も差別もない,「美しい」物語が.
違うだろう.
国民としてのわれわれが受け継ぐべきは,本当にそんな歴史なのか?
それは単なる自己満足に過ぎない.
本当に右派がアイヌを「国民として」統合しようと願うなら※,そのような汚点すらも「国民=われわれの歴史」として,包摂していく覚悟が必要なのではないのだろうか.
正当化ではなく,自己と切り離しての断罪でもなく,自己の行為としてそれを受け入れる姿勢こそが,われわれに求められているのではなかろうか.
過去や同胞を切断して成り立つ「国民の歴史」を受け入れるというのは,実に愛国者らしからぬ振る舞いであり,著者の鎌田氏,およびこの原稿を通した『正論』編集部には,猛省を求めたいところである.
※ 無論,この「統合」というフレーズ自体が日本中心主義の産物ではないか,といわれれば窮するしかないのだけれど.
「ストパン」■(2008-12-14)[アイヌ否定論][デムパ]「同胞のいない歴史」を超えて
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
上記は一つの例だが,最近,アイヌ擁護の立場から北海道開拓を糾弾する論調をよく目にする.
元々,私は「アイヌ問題」に関しては,政府はアイヌの側についてもその歴史的経緯を考慮し,誠実に対応するべきであるという考えであり,このようなことを言う人に対して,あまり厳しいことは申し上げない方がいいかと思っていたが,これはちょっといかがかなと思う.
というのも,開拓農民そのものが,「収奪」「差別」「抑圧」の対象であったことについて,あまりにも無頓着過ぎるからである.
「収奪」とは内地の大資本によって,「差別」とは彼らを「追放」「疎外」した内地によって,「抑圧」とは北海道の過酷な自然環境,わが国辺境としての軍事的安全弁たる位置付けによってである.
(……)
そして「道民のいない歴史」へ - さぼてん日記
――――――
【再反論】
最初に一言言っておきたい.
トラックバックは,僕も送らずにひとを批判することはあるから,送ってこないのは別に構わない.
だが,僕の文章を引用したり,或いは僕の文章を改変して僕を批判するのであれば,最低限,典拠は明示して欲しい.
無論,典拠が示されているエントリもあるのだが,典拠が明示されずに批判するエントリが多すぎる.
それでは,引用が元の文脈から完全に切断されてしまう.
その引用の仕方は,あまりにも不公正だ.
漠然とした「風潮」や「よくある意見」を批判するのであればともかく,特定個人の文章を取り上げて批判する以上,それは最低限の節度ではないかと思う.
上記エントリは,ほぼ確実に僕の
「同胞のいない歴史」を超えて - Danas je lep
dan.
というエントリを元にしていると判断しても良いだろう.
さて,開拓農民が収奪され,差別される存在であったというのは,おそらくその通りなのだろう(内地から追いやられた佐幕派が入植したケースもある).
けれど彼らがアイヌへの収奪・差別・抑圧に荷担し,その受益者であったというのもまた,事実である.
抑圧者が,別の視点から見れば被抑圧者であったという構造において,被害者であり加害者であった人びとに目を向ける必要がある,というのは同意だ.
だが,だからといって北海道全体が,まるで「無主の地」であったかのように描くことが許容されるわけではない.
「ストパン」■(2010-03-12)[デムパ]あまりにも酷すぎる曲解と,一抹の希望の光
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
「北海道に入植した屯田兵や開拓民が,いかに苦労して未開の大地を「開拓」していったか,という物語」があるという.
物語,作り話,そうするとたとえば「さぼてん日記」の筆者は,その虚構のなれの果て(のひとつ)ということになるのだろうか.
アイヌ民族など北海道の先住者に対する相応の補償や,歴史的再評価は確かに必要であろうが,そのために,我々大多数の道民を虚偽の産物として,国民の歴史から排斥することが,愛国者として正しい行為であるとは思えないのである.
我々の祖先が未開の大地を開拓したことは,ここ〔=北海道〕で生を受けた我々にとって譲ることのできない,最も基本的な事実である.
それを「物語」として観念的に断罪することが,何を意味するのか,冷凍庫の中で頭を冷やして,少し考えて見てもよいのではないかと思う.
そして「道民のいない歴史」へ - さぼてん日記
――――――
【再反論】
曲解はやめて欲しい.
僕はきちんとエントリで書いたはずだ.
――――――
こう言って彼は,北海道に入植した屯田兵や開拓民が,いかに苦労して未開の大地を「開拓」していったか,という物語を滔々と語り始める.
当然ながら,彼の紡ぐ「物語」にアイヌはいない.
まるで北海道全土が誰のものでもない「未開の地」で,和人の入植者が振るう斧を待っていたとでも言うかのように.
いや,おそらく彼にとってはそうなのだろう.
彼にとっては,北海道を「開拓」した人びとの労苦のみが見るに値し,彼らが――「勤勉」な「開拓者」だった彼らが――追いやり,差別した人びとの辛苦はどうでもいいのだろう.
そしてわれわれが振り払うべきは,批判すべきはそのような無関心である.
「同胞のいない歴史」を超えて - Danas je lep dan.
――――――
誰も開拓民の払った労苦を否定してはいない.
僕が「物語」と呼んで批判しているのは,「北海道全土が誰のものでもない『未開の地』で,和人の入植者が振るう斧を待っていた」ということが,暗黙の内に示される鎌田の語り口である.
だいたい,僕は「物語」を「作り話」の意味で使ってなどいない
(使う時もあるが,今回はそれではない).
「史実が都合の良いように歪められた語り」を,物語と呼んでいるのだ.
「ストパン」■(2010-03-12)[デムパ]あまりにも酷すぎる曲解と,一抹の希望の光
青文字:加筆改修部分
【反論】
――――――
そうはいっても,一方で「アイヌの土地を,人権を守れ」と叫びつつ,他方で「日露友好万歳,千島樺太引揚者なんて知らねえよ」と居直る若い人を見ていると,当方いささか笑いを催してくるのである.
どこかに掲示してあった「民族浄化」の定義によれば,引揚者はことごとくその被害者である.
国家権力によって土地と生存を奪われたというなら,その点に関してはアイヌとまったく同じである.
彼らはその上に「郷土があること,または,あったこと」すら滅却されようとしているのである.
彼らはアイヌ民族などと異なり,日本人と民族的差異がないというただその一点により,国家はもちろん,マスコミから無視され続けている.
ワーケ - さぼてん日記
――――――
【再反論】
僕のことではないというなら別に構わないが,少なくとも僕は「千島樺太引揚者なんて知らねえよ」なんて言ってない.
――――――
北方領土を故郷とする日本人は,高齢化が進行している.
既に何人ものひとが,故郷の土を踏まぬまま亡くなっている.
こんなに悲しいことはない.
交渉さえ終わり,問題が解決しさえすれば,彼らは――そこが日本領であれロシア領であれ――故郷に帰れるのだ.
択捉島を放棄するにしても,領土要求の放棄と引き替えに,日本人旧島民への便宜を図ってもらうことだってできるだろう.
そして現在,近くにあるのに行けないこの島々に,旧島民だけでなくすべての日本国民が足を踏み入れられるようになる.
これは日露双方にとっての利益だ.
鳩山政権で北方領土はどうなるのか(追記あり) - Danas je lep dan.
――――――
――――――
まずは,紫音さんがされたように,自分の考える解決のようなものを書き出してみます.
(……)
7.日本国民の内,ソ連による占領以前に同地域に居住していたもの,およびその直系の親族とその配偶者は,かつて居住していた島に帰還できる.
彼らが択捉島に帰還する場合,ロシア政府およびサハリン州政府は,日本語による行政サーヴィスや,ロシア語講座の設置といった処置を講じねばならない.
その費用は日本政府が援助できる※2.
(……)
9.7で規定された日本国民による国後島以南の島々への居住を,日本政府は支援する.
また,その際にロシア国民との間に発生したトラブルについては,日露両国の法曹が参加する機関,もしくはロシア連邦の法曹が協力する,日本国の法廷によって解決されるものとする.
(……)
12.日露両政府は,サハリン島およびウルップ島以北のクリル列島についても,上の条項に基づいた処置がとられるよう協議する.
北方領土問題についての私見 - Danas je lep dan.
――――――
以上のエントリが示すように,僕は旧島民のことも考慮に入れた上で三島返還を主張している.
「あいつはこう言っている」などと決めつける前に,せめて同じ人間が同じカテゴリで書いた,他の文章ぐらい参照してはどうか.
「ストパン」■(2010-03-12)[デムパ]あまりにも酷すぎる曲解と,一抹の希望の光
青文字:加筆改修部分
【珍説】
――――――
このような状況下で,明治八(一八七五)年の樺太・千島交換条約によって,樺太アイヌは日露どちらかへの帰属を自らの意志で決定したのです.(……)
――――――的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,pp.61
【事実】
千島樺太交換条約締結後,それまで日露雑居地であった樺太に居住していたアイヌ800人以上が,北海道の対雁(ついしかり)に強制移住させられた.
それは多くの概説書に記された有名な事件だが,否定論者はこれに狙いを定めたようだ.
まず的場は,ロシア人の樺太での先住民族への支配がいかに過酷なものであったかを述べ※1,そして上記のように続けている.
この条約によって,アイヌは日露どちらかの国籍を選択させられた.
的場は無視しているが,その際,日本国籍を選択したアイヌは,樺太に留まることが許されなかった.
日本側の役人が,樺太島民に発した布告をみよう.
――――――
第六,全島ノ土人永ク我ガ臣タラン事ヲ欲セバ更ニ所属ノ地ニ赴クベシ.
又在来ノ地ニ永住ヲ願ハバ其ノ籍ヲ改ムベシ.※3
――――――
また,この布告の一月前,東京で調印された交換条約附録もみよう.
――――――
第四條 樺太(サカリヌ)島及クリル島ニ在ル土人ハ現ニ住スル所ノ地ニ永住シ且其儘現領主ノ臣民タルノ權ナシ故ニ若シ其自個ノ政府ノ臣民タラン?ヲ欲スレハ其居住ノ地ヲ去リ其領主ニ屬スル土地ニ赴クヘシ又其儘在來ノ地ニ永住ヲ願ハヽ其籍ヲ改ムヘシ各政府ハ土人去就決心ノ爲メ此條約附?ヲ右土人ニ達スル日ヨリ三ヶ年ノ猶豫ヲ與ヘ置クヘシ此三ヶ年中ハ是迄ノ通樺太島及クリル島ニテ得タル特許及義務ヲ變セスシテ漁獵及鳥獸獵其他百般ノ職業ヲ營ム?妨ナシト雖モ總テ地方ノ規則及法令ヲ遵奉スヘシ前ニ述フル三ヶ年ノ期限過キテ猶雙方交換濟ノ地ニ居住セン?ヲ欲スル土人ハ總テ其地新領主ノ臣民トナルヘシ
千島樺太交換條約附録 - Wikisource
(強調引用者)
――――――
ちなみに和人は,ロシア領樺太に留まって生活することが認められている.
――――――
第一條 交換濟ノ各地ニ住ム日本及露西亞ノ臣民現ニ其所有セル地ニ在住セント願フモノハ自個ノ職業ヲ十分營ムヲ得且其保護ヲ受クヘシ又現在所有地界限中ニテ漁獵及鳥獸獵ヲ爲スノ權ヲ有シ且其生涯中自己ノ職業上ニ關スル償ム税ヲ?スヘシ
千島樺太交換條約附附録 - Wikisource
――――――
先住民族だけが故郷からの退去を迫られたのだ.この条約の孕んでいる差別性について,的場は口を噤んだ挙げ句,より恥知らずな主張へと突き進む(⇒別項へ)
※1:的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,pp.60-61
※3:樺太アイヌ史研究会編『対雁の碑 樺太アイヌ強制移住の歴史』 北海道出版企画センター,1992,p.59
「ストパン」■(2010-04-09)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(4)
青文字:加筆改修部分
【珍説】※1
――――――
樺太アイヌの山辺は,樺太千島交換条約の際に,9歳で北海道対雁(ついしかり)に移住する.
サヨクはこれを「強制移住」と糾弾するが,山辺の叙述では移住はアイヌ自身の選択であり,しかも移住後3年間は食料を支給され,学校卒業後に働いた漁場も豊かで,何一つ不足はなかったという.
しかし,明治19年にコレラと天然痘で,樺太アイヌ移住者の1/3ほどにあたる三百数十人が死んでしまう.
サヨクはこれを,和人が樺太アイヌを強制移住で死に追いやったと喧伝する.
だが,この年は全国でコレラと天然痘が大流行し,14万人もの死者が出ているのだ.
サハリン・アイヌは,もともと暮らしていたサハリンに残るか,それとも日本の領土へ移住するかを選択するように求められた.
〔千島樺太交換条約締結〕当時,サハリン・アイヌの多くは漁場で雇われており,雇い主である伊達,栖原ら漁場請負人が漁場を閉鎖して引き揚げることを決めたことから,全体の約3分の1に相当するサハリン・アイヌが,対岸の北海道・宗谷地方への移住を決心したといわれている.
「このころまでに,彼らの生活は漁場がなくては成り立たなくなっており,漁場主との深い関係,そして日本政府の保護を信じたことが,サハリン・アイヌを移住に踏み切らせた」
と,この問題に詳しい田崎勇氏は述べている.
また,日本政府の理事官長谷部辰連が島民に出した布達では,日本人は日本国籍のままでサハリン島に残って自分の職業を営むことができたが,先住民は国籍の属する領土内に居住しなければ権利を得ることができなかったために,日本国籍を選んでサハリンに住み続けることはできなかった.
このこともサハリン・アイヌの決断に少なからぬ影響を与えたものと思われる.
移住は翌1876年(明治9年)の9月から10月にかけて行われ,宗谷に旅立った人数は841人にも上ったといわれている.
しかし,開拓使は当初から,彼らをさらに内陸の北海道中央部・石狩地方対雁(現在の江別市)に移し直して,農業に従事させる方針であった.
説得が続けられたが,どうしても内陸への移住は聞き入れられない.
逆にサハリン・アイヌの側から
「石狩の地は海に遠く,生活ができない.
集団での生活は,病気の流行には危険である.
強行するなら単独で樺太へ渡り,途中海で死んでもいとわない」
などとの強い請願書が提出されるほど,反対は強硬であった.
サハリン・アイヌの人々が
「石狩か厚田地方の海に近いところならば」
とまで譲歩したことから,開拓使は彼らを船に乗せることに成功し,銭函沖辺りで,対雁移住がもはや変更できないことを申し渡した.
船中は騒然としたという.
しかし,この時サハリン・アイヌには既に抵抗する余地は残されていなかった.
開拓使は,移住させた人々が農業に意欲を示さないのを見て,労働に耐える者は海の近くに出して漁業に従事させる.
しかし,最初は順調だった漁場経営も,のちに不漁続きで困難に陥り,1886年(明治19年),1887年(同20年)とコレラ,天然痘が流行すると,人口も一挙に半減して,労働力も失われた.※2
――――――『わしズム』 2008.11.29号,p.37-38
【事実】
ああ,確かに移住は「樺太アイヌの選択」だね.途中までは.
しかし幾ら言葉を繕っても,「騙し討ち」としか表現の仕様がないだろ,これは.
で,食糧を支給したとか言ってるけど,上に挙げた状況で食糧支給しない国家があるとしたら,それはどれだけ鬼畜なのさ.
んな当たり前の事持ち出されて正当化されるような事か,これが?
病気の件にしても,アイヌ自身が
「集団で住んだらいずれ病気が大流行しかねない」
って危惧している訳で,「仕方ない」で済む話じゃないだろう.
小林がソースとして挙げた本は,まだ読んでいないので,その本についての論評はしないけれど,小林の言い分は明らかに史実を歪めている.
ああ,確かに樺太アイヌの移住は自らの意志だったさ.
(国籍規定の先住民差別を除けば.
それともこの規定も,「国防上の理由」とやらで正当化されるのだろうか?)
けれど対雁移住までのプロセスを見ると,開拓使が彼らの意志を無視して,強引に彼らを希望とは違う場所に移住させてしまった事は明白であって,それを「強制移住」というんじゃないか.
いつもの事だけど,本当に史実の歪曲が大好きな人だよなぁ.
※1 「珍説」というより「悪質な歪曲」という表現が正確だが.
※2 小坂洋右『流亡――日露に追われた北千島アイヌ』北海道新聞社(道新選書),1992,pp.25-27.強調引用者.〔〕内は引用者が補った.
「ストパン」(2008-11-11)■[アイヌ否定論]どう見ても強制移住です,本当に有り難うございました
青文字:加筆改修部分
Mukke 2008/11/13 20:07
最初,宗谷に移住したアイヌは,樺太よりも環境が良いと喜んで,そこに定住する決意を固めていたようです.
けれど無理矢理,黒田清隆開拓使長官が移住させてしまった(反対する官吏もいました).
その結果,多くの死者を出した――.
日本近代史の暗部としか言いようがないですね.
同コメント欄
青文字:加筆改修部分
【珍説】
――――――
開拓使は日本への帰属を希望した樺太アイヌ(百余戸,八百数十名)を一旦宗谷へ落ち着かせたものの,自然環境が厳しく生活維持は困難であり,また彼らを樺太付近に置くことは国際紛争のもととなることを恐れ,石狩の対雁(現江別市)へ移住させることにしました.
ロシアが自国の少数民族保護と称して,国境を超えて兵を進めるということは,現在でも行われていることを思えば,強国ロシアを恐れる開拓使の判断は当然でした.
開拓使が提示したこの移住に,樺太アイヌたちは異議を唱えたため,酋長格十人が江別太を実地踏査して,結果がよければ応ずることになりましたが,結局彼らは移住を拒否し,開拓使はさらに厚田・石狩の漁場を与えることによって,はじめて双方の合意が得られたのでした.
――――――的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,pp.62
【事実】
わー.すげー紳士的な交渉の風景っすねぇ(笑)
さて,では実際にどのようなプロセスで移住が行われたのかを概観してみよう.
そもそもアイヌは,祖先の墳墓のある故郷を捨てて他の地に移住するつもりなど,さらさらなかった.
だが,彼らの生活はあまりにも,和人の漁場請負人と緊密に結びついており(彼らは白米を常食とするようになっていた),また島に残留した場合,ロシア人による苛烈な統治を受けることになるという恐怖もあった※5.
そして結局,彼らのうちかなりの数が,日本政府による保護を信じて移住を決意することになる.
開拓使は当初移住に消極的であったが,徐々に彼らを石狩に移住させる方向に傾いていく.
だが樺太アイヌは,それに強硬に反対する.
せめて少しでも故郷に近い場所として,彼らは宗谷への移住を望んだ(開拓使は,その裏に彼らを労働力として確保したい,かつての漁場請負人たちの策動があったのではないかと疑った).
結局,冬が間近に迫っていたので開拓使側が折れ,明治8(1875)年9月,樺太から宗谷へと彼らは渡った※6.
彼らの宗谷での暮らしは,比較的に安泰なものであったという.
だが,在来の宗谷アイヌとの対立が生起した.
そして何よりも開拓使じしんが,この移住を一時的なものと見なしていたのである.
開拓使は,いずれ彼らを石狩に住まわせるつもりであった.
この間,アイヌに同情的なことで知られ,「アツシ判官」とまで呼ばれた官吏松本十郎は,より好適だと思われる北見への移住を献策したが,開拓使長官黒田清隆はそれを拒絶した※7.
開拓使はアイヌの説得を始めた.
徐々に彼らの態度は軟化し,石狩を視察してもいいと言うようになる.
彼らを連れて石狩への視察行が組まれた.
そこで,彼らは移住への承諾書に拇印を押させられることになる.
彼らが帰った後,開拓使に嘆願書が提出された.
そこには,
・海から遠すぎて漁業ができない.俺らは漁撈の民.どうやって暮らせと(海業無之候テハ兎角身成行不相立)
・こんなごみごみした土地に密集して住まわされたら伝染病の危険がある(第一瘡○[「悪」にまだれ]流行ニ係リ候テハ一人モ存命無覚束)
・うっかり承諾書にハンコ押したことは,家宝を差し出し,押した連中の役職を剥奪して償う
・それでも連れてくというなら,樺太に帰る.
途中で溺れ死んでも構わない(私共手造船へ乗組,浪波ノ為海死致候共決シテ厭イ不申)※8
などの抗議が書き連ねられていた.
だが,開拓使は移住計画を進めていた.
当時の開拓使文書には,
「ただしアイヌに対して,そのことが漏れぬように取りはからえ」
というような意味の文言が見出せる※9.
開拓使は彼らを農耕民に変え,北海道「開拓」の一翼を担わせようとしていた.
開拓使は,石狩・厚田の漁場を提供すると言った.
対雁移住による農民化ではなく,沿岸部で漁民として生きる道を提示され,ついにアイヌは折れた※10.
1876年6月,彼らを乗せた船が宗谷を発つ.
ちなみに松本十郎によれば,銃を持った巡査が配置されアイヌに銃を向けて船に乗せたという※11.
そしてこの巡査は,開拓使が,アイヌからの「苦情百出」を予想して配置したものだったのである※12.
何故,そんな予想が立てられたのか.
それを知るためには,船の中で何が起きたのかを知る必要があろう.
樺太アイヌ史研究会の本から引用する.
――――――
七等出仕鈴木大亮は,彼等に対し,移住先が対雁であることをどこで宣告すべきかについて苦慮していた.
いよいよ船が銭箱沖にさしかかった時,彼は一同を集め対雁移住がもはや変更できない旨を申し渡した.
果たせるかな船中は騒然として,官吏の慰諭警官の制止も聞かぬまま船は石狩川を遡り,対雁に着し上陸したが,彼等は強硬な態度を変えず,口約に違反した旨を責め,対雁に永住する意志は無いと居家建設を拒み,仮小屋のまま数日を過ごした.※13
――――――
樺太アイヌは,最終的に,石狩・厚田の漁場を提供されることで,居を構えはじめることになる※14.
さて,この過程を見てなお,
――――――
樺太から宗谷への移住は彼らの自由意志に基づいて,宗谷から対雁への移住は双方の合意に基づいて行われたというのが事実です.※15
――――――
と言いつのることはできるだろうか.
これが合意といえるのなら,逆に何をもって強制といえるのだろうか.
中共のチベット侵略も,「十七条協定に基づいていたから合意の上の行動」だとでも?
的場は,樺太アイヌに対し大きな予算が組まれたことを挙げ,彼らに対し
「いかに多額の資金援助がなされたか想像してください」※16
と言っているが,無理矢理連れてきたのなら責任を持って援助して当然だ.
的場の理屈でいえば,誘拐犯が連れてきた子供を手厚くもてなせば,罪が減じられるとでも思っているのだろうか(そりゃ情状酌量の対象程度にはなるかもしれんが).
そもそも開拓使が彼らを強制移住させなければ,そこまでの予算が必要となったかどうか怪しい.
農業経営の資本金などにも,かなりの予算がつぎ込まれたからだ.
また,的場は樺太アイヌに伝染病が流行し,350人以上(!)の犠牲者が出たことについて,通説を批判し,
「『強制移住』がストレスとなり,体力を低下させたため,多くの犠牲者を出したのではなく,衛生知識の欠除による要因が大きかったのです」※17
と,アイヌに責任をなすりつけるが,アイヌ自身が
「そんな狭いところに押し込められたら,伝染病の流行にやられる!」
として反対していたことは,都合良く無視する.
的場は,「強制移住」を主張する人びとは,
「こうした事実をどこにも書かないで,著書や記事で“強制移住事件”という言葉を使い我が国の歴史を貶しめ歪曲しています」※18
と言う.
だが,日本国民であるアイヌの歴史を貶め,歪曲しているのは的場の方だ.
このことを僕は何度でも言う.
同胞に対するこのような不正義を許していいものだろうか?
否.
※5:樺太アイヌ史研究会編『対雁の碑 樺太アイヌ強制移住の歴史』 北海道出版企画センター,1992,p.65
※6:同,pp.72-74.
※7:同,p.92-97.
※8:同,pp.100-102.返り点などは省略した.
※9:同,p.103.
※10:同,p.107.
※11:同,p.111.
※12:同,pp.115-116.
※13:同,p.116
※14:同,pp.116-117
※15:的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実――疑問だらけの国会決議と歴史の捏造』展転社,2009,p.62.強調原文ママ.
※16:同.
※17:同,p.67.
※18:同
「ストパン」■(2010-04-09)[アイヌ否定論]的場光昭『「アイヌ先住民族」その真実』のデタラメ(4)
青文字:加筆改修部分
軍事板FAQ
軍事FAQ
軍板FAQ
軍事まとめ