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◆◆◆朝鮮戦争以降
<◆◆通史
<◆北韓 目次
<東亜FAQ目次
※「北韓」:朝鮮民主主義人民共和国の韓国側呼称."北朝鮮"と呼ぶより厭味.
「2ch. 軍事板」◆(2001/02/07~) 朝鮮戦争参加国の戦略・兵器・作戦
レス回収済
※レス回収基準値 v.e.r. = 7
「2ch. 軍事板」◆(2002/11/22~) 朝鮮戦争を語ろう
レス回収済
※レス回収基準値 v.e.r. = 7
「2ch. 軍事板」◆(2004/04/23~) 【将軍様暗殺?】北朝鮮大爆発事件の謎を解け
レス回収済み
※レス回収基準値 v.e.r. = 7
American Aces of World War 2(朝鮮戦争,ヴェトナム戦争の両陣営エースについても記述)
「D.B.E. ミニ型」(2010/06/06)◆ソウル旅行記 3日目 韓国戦争記念館その2
「D.B.E. ミニ型」(2010/06/06)◆ソウル旅行記 3日目 韓国戦争記念館その3
「MURAJIの戯れ言so-net blog版」◆(2010/06/04)ソウルの戦争記念館
「Togetter」◆(2010/09/13)仁川上陸作戦時の日本人LST船員さんのお話と,作戦時の仁川港の重要性
「VOR」◆(2012/08/15)北朝鮮,朝鮮解放で戦死したソ連兵を追悼
「VOR」◆(2012/08/23)ソビエト戦闘機 米軍機を1000機以上撃墜
>露国防省空軍報道情報局報道官のドリク大佐はインターファックス通信に対し,ソ連戦闘機は朝鮮戦争時,約1100機の敵航空機を撃墜した,と明らかにする.
「VOR」◆(2012/10/02)韓国と北朝鮮の離散家族の面会 著しく減少
「軍事板仮まとめ」◆(2011/02/05) 朝鮮戦争初期の特殊作戦例 北のコマンドについて
フラッシュ(分かりやすい「朝鮮戦争フラッシュ」あり)
「偏読日記」◆(2010/09/06)韓国戦争記念館に行ってきた
>全部で300枚弱も撮影した写真は
>a-park’s fotolife - 韓国戦争記念館にアップロードしました
『英国空軍少将の見た日本占領と朝鮮戦争』(サー・セシル・バウチャー著,社会評論社,2008.12)
『クリムゾン・スカイ』(ジョン R. ブルーニング著,光人社NF文庫,2001/11)
今までの朝鮮戦争航空史(米国マンセー)から,ロシアも含めた当事者の話を丹念に掘り起こして,読み物としてまとめてあります.
朝鮮戦争の航空戦も,結局地上戦と同じく膠着状態に陥り,政治家の思惑によって,政治戦に変えられていく様子がありありと映し出されてきます.
ベトナム戦争での米敗戦の萌芽は,この時から始まっていたのですね.
あと,南北朝鮮の当事者の話が入っていれば,もっと迫真に満ちたものになったのと,訳が所々違和感あるもの(B-29をスーパーフォートと訳したり)になっているのが,少々気になりましたが,いい本でした.
------------眠い人 ◆ikaJHtf2 :軍事板,2001/11/21
読み応えのある本でした.
現代の米航空兵力のドクトリンや技術の萌芽が,至る所に見られ,戦闘爆撃機というものの登場理由や,機銃の脇役化などの過程が,たいへんよく分かりました.
私の中での,二次大戦から現代へのミッシングリンクが,埋まったように思います.
強く薦めます.
------------system:軍事板,2001/11/21
セイバー以外にも,海軍のF9Fとかスカイレイダーとか,空軍のB-29とか,様々な職種の操縦士達のエピソード集で,パラ読み出来るのでオススメ.
「コールデスト・ウィンター」でもそうだったけど,この本の著者も,米国の朝鮮戦争への無関心さを嘆いていて興味深い.
パイロット達はほとんどが,朝鮮戦争の体験を歴史家達に求められることもなかったし,当時の戦闘記録が,空軍から公文書館に移行されても,殆どがダンボールに入った状態で,まともに整理もされてなかったとか.
------------軍事板,2012/04/18(水)
『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』(デイヴィッド・ハルバースタム著,文藝春秋,2009.10)
誤字(誤植)と訳として疑問がある箇所が,所々見受けられた.
巻頭に軍事用語集として,銃と砲の項目をわざわざ作っているのにもかかわらず,やたらと出て来る30㍉機関銃だの50㍉機関銃だのの記述が,気になってしょうがないんだが(笑)
発売する前に,いさくか誰かに軍事用語の監修を頼めよ.
(そのわりには,地図の日本海/東海併記には気が廻るんだよな(笑))
内容は戦争全体を俯瞰するものではなく,著者が選択した,重要と思われる政軍関係と戦役に項が割かれる.
人物描写が中心で,マッカーサーを軸としながらも,大統領から下士官まで両陣営を幅広く扱っている.
悲惨な米軍の状況と,中国軍の戦略が醍醐味.
参考文献で『マオ』があったのが残念であったが,センセーショナルな叙述に偏るのは著者の職業上,仕方がない.
総じて「読み物」としては評判通り秀逸で,飽きることなく読めてしまう.
面白い.
が,あくまでも「娯楽作品」として扱うのが妥当と思われる.
――――――軍事板,2009/10/26(月) & 11/02(月)
面白い.
翻訳も自然.
政治記述と軍事記述が半々くらいか.
マッカーサーの個性を徹底的にこき下ろしてあるが,やはり本気出した時のマッカーサーは,天才と認めざるを得ない.
ただ,やはり兵器に詳しい翻訳者ではなかったようで
P125,T-34の主砲が35mm砲(85mm砲の見間違え? よりによってT-34スペック紹介の時だからまずいミス)
P218,50mm機関銃(まぁ,米軍定番の謎の装備ですな.)
兵器以外ではかなり信頼できそうな翻訳です.
戦闘描写もすごい.
両軍混乱していて,指揮所の中に米中双方の兵士がいて,そのまま普通にすれ違ってたり・・・観察しあってるとか(笑)
米軍は「プロ」と「そうでない人」,一番やっかいな「言葉の通じない韓国兵」を,同時に指揮しないといけないつらさ.
数合わせの混成部隊は,うまくいきませんな.
下巻最初は,酷寒の戦場.
寝るときにクツを履くか履かないか,それが生命に関わる重大問題だという,つらい物になっていきます.
そういえば本の表紙も真っ白です.
日系二世の士官,タカハシも出てきます.
タカハシさんは日本語も話せるという特技があった為,1950年代の一般的な韓国人,韓国兵とある程度コミュニケーションが取れました.
でも,米軍はその能力を有効に活用していなかった模様.
彼は常に損な役回りを命ぜられながらも英雄的に戦って,部隊がほぼ全滅した後に一時的に中国の捕虜になり,
「日本人まで陸戦に参戦か?」
と中国前線部隊に混乱を巻き起こした後に,護送中に脱出して生還します.
タカハシさん一人ですごすぎる.
彼の日本語の特技が役立った事は,一回ありました.
2人の韓国兵らしき者が突然陣地に来て,重要な敵情を教えにくるのですが,タカハシが日本語で質問しても2人とも日本語が全くわからないのです.
これでニセ韓国兵と判断し,中国兵が近くまで来てるんだな,と推測できました.
全体としては政治面,米軍の失策と個々の部隊の英雄的戦闘を綴った本でした.
問題のある将官はさっさと更迭するのが,米軍の基本姿勢かと思っていたのですが,朝鮮戦争ではそれがうまく機能していなかったような?
読後のさっぱり感がない.
引き分けの為に死す,ですか・・・
――――――軍事板,2010/05/23(日)~05/24(月)
青文字:加筆改修部分
リッジウェイさんがカッコ良いんだよな.
マッカーサーとマオが同じ過ちを犯したという見方も面白い.
とんでもなく勝ち出したら途中でやめられない,というのはギャンブルと同じだね.
あるいは,成績が良い営業マンにさらなるノルマが課される感覚だろうか.
読み物としては面白いからスイスイいける.
ただしユンチアンとかまともに取り入れてるから,そのへん注意が必要.
基本,面白ければなんでもあり見たいな感じだな,人物描写は.
――――――軍事板,2010/05/27(木)
朝鮮半島の戦場に限らず,米中ソ朝の各国の国内政治・社会情勢等も戦前に遡って分析し,
「なぜあの戦いが起こったか?」
を,分かりやすく解説している.
大戦後のアメリカが,決して戦勝の栄光に包まれた未来の超大国などではなく,むしろそんな役割を押しつけられ,迷惑に思い,混乱迷走している巨人,というのは衝撃的.
そして,マッカーサーをはじめとする東京の米軍司令部が,いかに「民主主義」とはかけ離れた連中だったのか,という点にかなりの量を割いている.
無能を通り越して完全な害悪でしかない司令官達の振る舞いを見ると,よくこいつら勝てたな,と感心する.
戦後アメリカについての解説書としても良書.
誤訳なんかも,個人的には気にならなかった.
ただ,強いて言えば,やたらと朝鮮民族について持ち上げた記述が目立つ.
いわく,
「日本は朝鮮に,史上稀に見る残虐非道な統治を強いた」
「朝鮮民族はその潜在的な能力により,戦後最も民主化・近代化に成功した国家」
作中でアメリカのチャイナロビーが,蒋介石の国民党政府中国に幻想を抱いていた,本当の中国でなく,彼ら自身の幻想の中の中国を見ていた,と皮肉まじりに書いているが,ハルバースタム本人も朝鮮に対して,似たような状況に陥ってるようなのが,何ともはや.
――――――軍事板,2010/11/05(金)
青文字:加筆改修部分
文章はとても自然で,政治的・軍事的にマニアック.
マッカーサーから一兵士に至るまで,具体的に書かれている.
それなのに50mm機関砲などの,お約束兵器(=誤訳)が出てくる本.
------------軍事板,2011/03/03(木)
青文字:加筆改修部分
読了.
訳のひどさはあったけど,当時の米軍の空気を描いているのは貴重だと思う.
本当に第2次大戦に参加した将兵の復員って,「根こそぎ」やっちゃんたんだね.
緒戦の米軍の敗退にも納得がいった.
――――――軍事板,2011/08/10(水)
『図説朝鮮戦争 ふくろうの本』(田中恒夫著,河出書房新社,2011.4)
元防大戦史教官の制服組,「朝鮮戦争・多富洞の戦い」の著者で,「韓国戦争」の共訳者…が「図説」を出したらどうなるか.
はっきり言って,おそらく一般人ドン引き,この板の住人なら狂喜ものの,作戦図で綴る朝鮮戦争戦史になっとります.
朝鮮戦争を題材にして,ハイム・ヘルツォーグの「図解 中東戦争」から地図を少し減らし,文章を大幅に減らし,写真を大幅に増やした感じ.
図説って(地)図説なんだな,この場合.
「ふくろうの本」でいつまで出してられるか,かなり疑問な濃い内容なので,早めに購入推奨.
――――――軍事板,2011/06/14(火)
『朝鮮戦争』(学研,2007.7)
『朝鮮戦争』新装版(マシュウ・B・リッジウェイ著,恒文社,1994.10)
朝鮮戦争の通史を期待すると×.
やはりリッジウェイ交代前後の,政治と軍(つまりマッカーサー)とのやり取りなどが詳しいです.
(まあ当事者ですし・・・)
あとは交代後の戦線膠着後の戦闘と,休戦協定に向けての話が中心.
――――――Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2009/07/18(土)
『朝鮮戦争 勝利なき戦い』上下(ジョン・トーランド著,1997.7)
『朝鮮戦争と中国』(服部隆行著,渓水社,2007.2)
『朝鮮戦争の社会史 避難・占領・虐殺』(金東椿著,平凡社,2008.10)
韓国で出された,民衆から見た朝鮮戦争の体験を描いた大著.
権力者側,あるいは軍側の視点だけではなく,半島の人々が体験した経験を再構築することで,朝鮮戦争が韓国に与えた影響を探ろうとしているもの.
権力側から,或いは軍側の視点から見た本と比べて読むと良いのではないだろうか.
――――――眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
朝鮮戦争に関しては,和田春樹氏の名著が秀逸の出来なのだが,半島の人間が書いた朝鮮戦争の考察として画期的な本ではある.
そもそも,日本敗戦から朝鮮戦争に至る朝鮮半島の内戦や左右のテロと言ったものは国内外で殆ど取上げられていなかった訳で….
北では言わずもがな,南に於ても,特に軍関係者が多数当事者として絡んでいた事件が多い為,こうした事象を取上げる事は,李承晩から延々と続く韓国政府の正当性に疑問を投げかけられかねない.
この為,李承晩が退陣し,パクチョンヒのクーデターまで一時的に盛上がりを見せた真相追求が尻窄みとなった.
以後,これについて語る事はタブーとなっていたのであるが,文民大統領登場により,これが少しずつ溶け出し,オーラルヒストリーを集める事も可能と成ってきた.
この著者自身が,前政権に発足した「真実・和解のための過去史整理委員会」の中心メンバーなので,生のソースを利用出来るのにせよ,従来触れる事が出来なかった建国期~朝鮮戦争に至る時期の内戦,テロについての考察が殆ど初めて白日の下に曝け出された意義は,極めて大きい.
当然,北の資料は未だに得られていない為,北側で金日成とその取巻き,北侵した国連軍と韓国軍がどの様な事をしてきたかは不明な儘であり,その意味に於ては研究は未だ不完全であり,どちらかと言えば資料の得やすい李承晩と彼の取巻き達が行った蛮行が中心で,また,南側でも北側が行った蛮行については,余り触れられていない.
また,こうしたテロリズムの源泉を未だ「日帝」に帰するのは相変わらずな仕様だと言うべきか,その辺り,不満が残る.
熟々,歴史研究の難しさを感じさせてくれる本ではあるが….
――――――眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/03/29 21:51
韓国の市民団体の人が書いてるけど,何というか向こうも大変だなあ・・.
南北両軍の戦争犯罪について記してるけど,比重的には韓国軍への非難がかなりを占めてる.
資料入手の制約もあるだろうし,利敵行為とまでは言わないけど.
著者は韓国の「真実・和解歴史委員会」の委員らしい.
――――――軍事板
『朝鮮半島空戦記』(R・P・ハリオン著,朝日ソノラマ文庫,1990.10)
前半の戦争が始まる前の,空軍独立問題や海兵隊存続問題,レシプロからジェットへの機材の切り替わり……
本編よりもそっちの方が面白いな(笑)
北朝鮮がソ連製だけでなく,米製英製に旧日本軍(!)のレーダーも使用してたのに驚いた.
未確認ながら,ドイツ軍使用のレーダー波らしきものも感知されたらしい(笑)
――――――軍事板,2009/10/17(土)
『若き将軍の朝鮮戦争 白善燁回顧録』(白善燁著,草思社,2000.5)
佐々木春隆を読んでいるような感覚になる本.
最初から日本語で書かれている事に驚く.
(訳書ではないですよね?)
------------軍事板,2011/03/03(木)
日清戦争から説き起こすあたりがいいね.
あと,回顧録につきものの筈の悪口が,殆ど無いのが面白い点であり,面白くない点でもある.
――――――軍事板,2011/06/14(火)
【質問】
そろそろ次が起こりそうな気配濃厚なので,今のうちに朝鮮戦争のおさらいをしておきたいですな.
本棚見ても,『クリムゾンスカイ』くらいしか持ってないなぁ.
【回答】
児島襄の「朝鮮戦争」はどうだろう.
アドバンスト杜聖 ◆REH634FRNQ in 軍事板,2010/05/20(木)
青文字:加筆改修部分
朝鮮戦争,特に戦術オタには下記オススメ.
「陸戦史集」 陸戦史研究普及会編 原書房
第1巻 朝鮮戦争1 国境会戦と遅滞行動
第4巻 朝鮮戦争2 釜山橋頭堡の確保
第8巻 朝鮮戦争3 米海兵隊の中共軍重囲の突破
第10巻 朝鮮戦争4 仁川上陸作戦
第25巻 朝鮮戦争8 陣地戦への移行
あと,下記はまだ入手がラクです.
「北朝鮮特殊部隊」ジョゼフ・バーミューデッツ著(並木書房)
英ジェーン版を第1版とし,98年に米海軍協会から発行された増補第2版の全訳.
北朝鮮特殊部隊,いわゆる「ゲリコマ」部隊の歴史,組織,編制,運用などを詳細に解説.
これ読んで,ゲリラとコマンドの違いを理解しておくと吉.
Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2010/05/20(木)
青文字:加筆改修部分
一方,民衆史的な朝鮮戦争関係の本は,未だ地雷が多いですね.
参考文献や,視点としては面白いのが多いのですが,冷静な議論が出来ていないのが残念.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2010/05/20(木)
青文字:加筆改修部分
朝鮮戦争なら学研の赤本,それも旧版の上下巻のやつが,分り易い・読み易いでお薦め.
または,かや書房の『韓国戦争』(韓国国防軍史研究所編)が鉄板ではなかろうか.
(そういえば方虎山って,どうなっちゃったんだろうな)
『若き将軍の朝鮮戦争 白善燁回顧録』
は,絶版なので中古で買うしかないが,これも朝鮮戦争に関する一押しの書籍の1つ.
軍事板,2010/05/20(木)
青文字:加筆改修部分
▼ 白善燁著作関連では他に,
「対ゲリラ戦」
「指揮官の条件―朝鮮戦争を戦い抜いた軍人は語る」
「韓国戦争一千日」
Lans ◆xHvvunznRc :軍事板,2011/03/06(日)
青文字:加筆改修部分
▲
『ザ・コールデスト・ウインター』
も面白い.
偉人の人物描写には誇張とかありそうだけど,実戦参加者の証言やGHQ内の様子や米の政軍関係,
第二次世界大戦下と比べて 当時の米軍のレベル低下による悲愁が,戦史を通して良く分かる.
三野氏の『わかりやすい朝鮮戦争』を今読んでる.
俺は朝鮮戦争詳しくないから,嘘が書いてあってもわからんけど,まああからさまに変なところはない気がする.
で,この本の最後に読書案内があって,朝鮮戦争の基本書として
1.佐々木春隆氏の「朝鮮戦争」(原書房)
2.児島襄氏の「朝鮮戦争」(文春)
3.陸戦史研究普及学会の「朝鮮戦争」(原書房)
を挙げている.
3は各戦闘に特化した,かなりミクロな本,
▼韓国側の視点で描かれた本で,三野氏お勧めの1冊.
1は韓国側の視点で描かれた本で,三野氏お勧めの1冊.※▲
2は逆に大局に立った本だが,会話調を挿入して文章を和らげている.
▼(参考文献紹介の311~312ページに記述あり)▲
ただ,3冊とも航空戦にほとんど触れられていないのが,氏にはちょっと不満なようだ.
航空戦については米海軍と海兵隊の限定だが,朝日ソノラマの『朝鮮半島空戦記』が良い.
このほか,軽く読めてわかりやすい入門編としては,
小谷秀次郎氏の「朝鮮戦争」(サンケイ出版):写真が多い
神谷不二氏の「朝鮮戦争」(中央公論):戦争の外的状況を概説
の2冊を三野氏は挙げている.
これらの本もどうでしょう.
朝鮮戦争―金日成とマッカーサーの陰謀
朝鮮戦争―米中対決の原形
あと,簡単に手に入るものだと,
リッジウェイの回想録とか.
『朝鮮戦争』 新装版(マシュウ・B・リッジウェイ著,恒文社,1994.10)
トーランドの本とか.
『勝利なき戦い朝鮮戦争』(ジョン・トーランド著,光人社,1997.7)
中国・ソ連・北朝鮮の3カ国の視点からのものでは,草思社から出てる
トルクノフ『朝鮮戦争の謎と真実』
が,ソ連崩壊後に公開された一次資料,特にスターリンが偽名で発した電報を豊富に引用しながら,共産陣営の視点から朝鮮戦争を描いてる.
ちなみに,ソ連崩壊後に出てきたスターリン関連の新情報は,本邦未訳文献がたくさんあるみたいだけど,ハードカバーで訳書を出してくれる出版社はジリ貧で減りつつあるな.
あとは北朝鮮スレッドのテンプレに,お勧め書籍がある.
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1272634219/l50
wikipediaでも大筋は結構読める.
さて,新たな戦争,予想できない事も起こるだろう・・・
危機に備えよ.
書店に朝鮮戦争コーナーができるのも,時間の問題かも.
でも出来うる限り平和を望む.
戦争は本の中でもうたくさん・・・
軍事板,2010/05/20(木)
青文字:加筆改修部分
▼大筋でよければ,以下のFlashがお勧めです.@世界史版
「朝鮮戦争前編ver1」
「朝鮮戦争後編ver2」
Fabius(KT) _ Felix in 「軍事板常見問題 mixi別館」
2010年06月02日 20:45
青文字:加筆改修部分
▲
▼※ この記述を元のスレッドで書いたのは私なんです(証明が難しいですが・・・)が,今このサイトを見直していて,自分の誤記に気付きました.
細かいことではありますが,他人の著作に関する事項なので,申し訳ありませんが訂正をお願いします.
名無し戦車兵 in FAQ BBS,2010/10/16(土) 23:24
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
軍事的視点から朝鮮戦争を知る事の出来る本って,何があるのでしょうか?
ミクロ的にもマクロ的にも知りたいのですが.
絶版本でもかまいません.
よろしくお願いします.
【回答】
比較的ミクロで分かりやすいと言えば,「若き将軍の朝鮮戦争」
とはいえ,将軍の視点からだからなぁ・・・
無茶苦茶ミクロとも言えず.
あと,題名失念したが,文春文庫から出ている本も.一冊物.
局地的な内容なら,「多富洞の戦い」(かや書房,だったかな?)
後は韓国陸軍が作った戦史も,日本語訳されているはず.
殆ど題名とか著者を思い出せない.スマソ.
ミリ屋哲:軍事板,2001/07/16(月)
青文字:加筆改修部分
白善?Y「若き将軍の朝鮮戦争」草思社
萩原遼「朝鮮戦争」文春文庫
田中恒夫「朝鮮戦争 多富洞の戦い」かや書房
韓国国防軍史研究所「韓国戦争」かや書房
のことですね.
萩原遼氏の「朝鮮戦争」は,軍事よりは政治・外交史的側面に重点が置かれているようですが,中身は良いらしいです.
「韓国戦争」は,いつ頃になれば2巻以降が出るのか気になるところです.
あと,思いついたのをいくつか羅列してみます
神谷不二「朝鮮戦争」中公文庫
リッジウェイ,M.B「朝鮮戦争」恒文社
陸戦史普及研究会「朝鮮戦争(1~10)」原書房:絶版
佐々木春隆「朝鮮戦争/韓国編」原書房?:絶版
北鮮側の公刊史は,日本語訳が出ていました.
朝鮮人民民主主義共和国科学院歴史研究所(編)
「朝鮮人民の正義の祖国解放戦争史」外国文出版社
長い名前…
おまけですが,米軍の公刊戦史「南は洛東江から北は鴨緑江まで」を,全文WEBで閲覧できます.
英語です.
http://www.army.mil/cmh-pg/BOOKS/KOREA/20-2-1/toc.htm
軍事板,2001/07/16(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
トーランドの『朝鮮戦争 勝利なき戦い』は通史として読めますか?
【回答】
上巻のみ保有.
内容からして概観通史として,かなりいけます.
ただ,トーランドらしく,全体像を描きながら個々の個人エピソードも組み込まれてます.
しかし作戦や戦術解説は期待しないよいうに,
そちらは原書房「陸戦史集」シリーズをお勧め.
Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2009/07/19(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
朝鮮戦争前は,37度線が米ソの境界線だったようですが,そのときは38度線は,特に意味の無いものだったんですか?
開戦後,駐留していたソ連軍はどうしたのですか?撤退したのでしょうか?
【回答】
開戦前から38度線が国境.
それ以前,日本統治時代も,日本陸軍も38度線を境に南部を第17方面軍(大本営直轄20・1・22),北部を関東軍の直轄にしている.
朝鮮戦争後の休戦交渉では,
「このへんで朝鮮半島ってちょうど半分に分けられるよね」
「じゃあ,そうしよう」
という極めていいかげんな話し合いで決めた…というのが通説.
実際には,アメリカ的に
・38線より下がると,山岳地帯よりも平原地帯になる.
よって,有事の際の防衛がし辛く,また北側の国家(ソビエトの配下になる国家)の農業生産力が確保されてしまう
・黄海に面した重要な港湾を北側の領土にしないため
・半島の西側はちょうど臨津江に38度線が重なるので,将来有事の際にソウルの防衛がしやすい
というのが念頭にあったので,38度線が分割線として提案された,と言われている.
【質問】
年代による韓国軍の兵力推移について教えてください
今は65万ぐらいだったと思いますが,建国以来どのような規模の軍備を持っていたのでしょうか?
また,朝鮮戦争時の韓国軍の兵力はどれぐらいだったのでしょうか?
【回答】
韓国では当初,30以上の軍事団体が乱立していた
駐韓米軍司令官ホッジ中将(画像左側の人物)は,創軍計画書を提出するとともに軍政庁内に委員会を設置,韓国の国防計画を樹立することにした.
1945年11月13日,軍政法28号により国防司令部を設置,隷下に軍務局と警務局を置き軍務局に陸軍部と海軍部を設置した.
1 国立警察を補強するため国防軍を創設し発展させる
2 国防軍の兵力は45000名として陸軍と空軍に区分し,陸軍は3個歩兵師団,1個軍団として編成し
空軍は1個輸送飛行中隊と2個戦闘飛行中隊および軍務部隊をもって編成する.
3 海軍すなわち海岸警備隊は5000名に制限する.
朝鮮国防警備隊は当初25000名と海岸警備隊を設置することになり,1946年4月1日までに8個連隊の創立を完了した.
1947年10月には警備隊を50000名に増強,1948年8月15日に,大韓民国政府の樹立と共に,国防警備隊は国軍として成立することになった.
開戦時,韓国軍の兵力
陸軍
8個師団(22個連隊) 67416名
支援部隊等 27558名
計 94974名
海軍 7715名
海兵隊 1166名
空軍 1897名
装備
戦車 無し
装甲車 27両
自走砲 無し
砲
105mm榴弾砲 91門
迫撃砲 81mm 384門
60mm 576門
対戦車砲 57mm 140門
2.36インチバズーカ 1900門
航空機
L-4 8機
L-5 4機
T-6 10機
高射砲 無し
艦艇
警備挺 28隻
補助艦 43隻
波江 in 軍事板
【珍説】
戦後,韓国政府が日本の対馬に侵攻するため,軍を南下させて侵攻の準備をした.
これにアメリカが激怒,朝鮮半島の防衛を拒否してアメリカ軍を朝鮮半島から撤退させた.
これが原因で,朝鮮戦争が勃発した.
【事実】
朝鮮戦争勃発時には,韓国軍には第1,2,3,5,6,7,8,そして首都師団がありました.
その内,38度線付近に配備された師団は第1,6,7,8,首都師団であり,予備が2師団,南部に配置されたのは第3,第5師団のみです.
日本侵攻など行える戦力配置ではありません.
軍事板
また,児島襄「朝鮮戦争1」(文春文庫)によれば,
「韓国軍八個師団のうち,三八度線に配置されている五個師団には定数の
M1小銃,カービン銃が支給されているが,後方の三個師団の主要銃は旧日本陸軍の九九
式小銃である.
火器の一五%,車両の三五%が老朽化し,弾薬,燃料の備蓄は戦時必要量の一~二日分しかない」
という状況だったそうです.
これでは侵攻作戦など……
極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS
アメリカ軍が朝鮮半島から撤退したのはソ連との協定で,ソ連軍も同時に北朝鮮から撤退する約束をしたからだよ.
このデマは歴史の基本すら押さえていない,質の悪いものだね.
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年05月01日 12:16:00
撤退は協定通りでも,いわゆる「アチソン宣言」は,南北同時選挙を蹴って南単独で選挙をやった李承晩に愛想を尽かしたからだった気が.
それで「南には今人望がないニダ.今なら半島を共産国家に統一できるニダ」と豚パパがやっちゃったのが朝鮮戦争だったかと.
Posted by 名無しRPG7信者 at 2007年05月01日 12:32:59
以上,「週刊オブイェクト」コメント欄,2007年05月01日付より
【質問】
日本侵攻など夢のまた夢のはずなら,どうして連中,竹島占領しているのですかね?
朝鮮戦争が1950年,竹島占領が1952年.
わずか2年みたいですが.
Posted by G at 2007年05月01日 11:12:13
【回答】
竹島は無人だったから.
それよりも当時の対馬にはアメリカ軍が居たんだが,どうやって〔韓国が日本に〕侵攻するの?
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年05月01日 12:00:36
「対馬は我が領土」とか寝言は抜かしていたけど,占領準備なんてしていない.
1948年のチェジュ島での反乱鎮圧にも梃子摺っていた韓国が,対馬侵攻すら出来るわけが無い.
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年05月01日 12:16:00
以上,「週刊オブイェクト」コメント欄,2007年05月01日付より
【質問】
朝鮮戦争前に米ソ両軍が朝鮮から撤退したのは何故ですか?
ドイツのように米ソが睨み合っていれば,戦争など起こらずに済んだし,北朝鮮もあんなドキュソ国家にはならなかったと思うのですが.
【回答】
睨み合っていれば戦争にならない?
そんな事はありませんにょ.
「朝鮮半島のような“どうでも良い地域”に大軍を張り付かせるのは,お互いに無意味だから止めましょう」
という事で合意したんだにょ.
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【質問】
北韓軍の南侵作戦計画を策定したのは誰か?
【回答】
ソ連軍軍事顧問団だった,と李徳斌(戦史研究家)は述べる.
------------
当時,スターリンは3千人以上の軍事顧問団を北韓に派遣し,北韓軍を指導させた.これは北韓軍45人に顧問一人の割合だ.
ソ連の軍事顧問の使命は,北韓軍の訓練・共同の作戦指揮だった.
作戦の策定については,一から十までソ連軍の参謀団によって決定.その内容は逐一スターリンに報告された.
戦争に参加した北韓軍幹部によると,「金日成はソ連の言いなりだった」という.
重要な事は北韓軍の最高幹部や政府指導者と話し合って決めることになっていたが,金日成はその前に,ソ連軍顧問団と相談して決めており,国内幹部との話し合いは,言わば「儀式」だった.
ある北韓の将軍は語る.
「開戦の6月25日も,ソ連の軍事顧問団の提案だった.その日は日曜日だったからだ.ヒトラーがソ連を攻めたのも6月22日の日曜日で,それに倣ったわけだ」
金日成が「ソ連のいいなり」だったのは,かつて金日成がソ連極東方面軍歩兵第88旅団の大尉として,対日工作に従事していたという関係の延長だろう.
------------( from "SAPIO" 2003/7/23,p.81,抜粋要約)
【質問】
何故スターリンは北韓軍南侵に賛成したのか?
【回答】
極東拠点を求めたため,と李徳斌(戦史研究家)は述べる.
金日成は1949/3/4~4/7,モスクワに滞在し,3/5,クレムリンでスターリンと会った.
スターリンの通訳が残した資料によると,金はスターリンに対し,朝鮮半島武力統一の可能性について話を切り出したが,このときは,スターリンは強く反対している.
同年9月にも金は訪ソしたが,この際もスターリンは気負う金を宥めた.
しかし1950年2月,中ソ友好同盟相互援助条約が締結.この条約において,ソ連は新彊ウィグル自治区の他,極東の拠点としていた大連,旅順の軍港の使用や,東満州鉄道における利権返還を約束させられる.
スターリンはこの代わりを朝鮮半島に求めた.詰まり,北韓の清津や元山,南浦,韓国の釜山などの港だ.
1950年4月,スターリンは金をモスクワに呼ぶ.
金は北韓軍の優位性を誇大に吹聴.
スターリンは金に同意することになるのである.
( from "SAPIO" 2003/7/23,p.82,抜粋要約)
【質問】
毛沢東は北韓軍の南侵計画を知っていたか?
【回答】
李徳斌(戦史研究家)によれば,中国の研究者の間では「長年の研究の結果,毛沢東は北韓軍の南侵計画を知らなかったという結論を導き出すことができる」(広西師範大学出版社発行『中ソ同盟と朝鮮戦争の研究』)というのが定説になりつつあるという.
「毛沢東は,金日成が軍事的手段を用いて朝鮮半島を統一することには同意していたが,その時期を知らされておらず,朝鮮に派兵することなど迫られていなかった」
これが中国の研究者の結論である.
ある元北韓軍高官は回想する.
「戦争勃発前,ソ連から北韓向けの武器や援助物資は,全て海路で運ばれた.中国領を通らなければならない鉄道は使用しないように指示が出されていた.
このような特別な配慮は,中国に北韓が行っている戦争の準備を知られないためだった」
( from "SAPIO" 2003/7/23,p.82-83,抜粋要約)
もちろん,異説もある.
【質問】
韓国では朝鮮戦争のことをユギオと言うそうですが,この「ユギオ」という言葉は元々どういう意味の言葉なのでしょうか?
【回答】
朝鮮戦争が勃発した6月25日のこと.
韓国語では数詞は,
0「ヨン」,1「イル」,2「イー」,3「サム」,4「サー」,5「オー」,6「ユク」,7「チル」,8「パル」,9「クー」,10「シプ」
これで「6・2・5」を発音すると「ユクイーオー」→「ユギオー」.
【質問】
欠席すれば侵略と断定されるという結果は見えていたのに,それでもなおソ連が朝鮮戦争についての国連安保理をボイコットしたのは,戦争も覚悟していたからなんでしょうか?
ボイコットするメリットがわかりません・・.
【回答】
当時のソ連は,
「(台湾に追い出された)国民党政権じゃなく,(本土を掌握した)共産党政権が,国連で中国の席に座るべきだろゴラァ!」
ということで,出席をボイコットしておりました.
ソ連もアメリカ(+意志を同じくする国々)と決定的に対立したくはなかったのです.
国連決議が成立せずとも,多国籍軍という形で救援は派遣されたでしょうから.
【質問】
英連邦朝鮮派遣軍の兵站・医療体制は?
【回答】
1950年10月24日,BCOFは英連邦第27歩兵旅団を含む英国,オーストラリア,ニュージーランド各国全派遣部隊の管理責任を引き受けることになりました.
この関係は,「英連邦朝鮮派遣軍の非作戦指揮,管理及び兵站支援に関する計画」で規定されました.
11月9日,オーストラリア国防委員会は朝鮮派遣軍の管理と維持に関する暫定計画を支持し,関係先に配布してコメントを求めました.
この計画により,朝鮮派遣軍はBCFKとして呼ばれる様になり,BCOF総司令官のロバートソン中将がBCFK総司令官も兼務するようになりました.
派遣軍の作戦指揮は国連軍司令部に属していましたが,非作戦指揮権は,参加国公認の参謀本部代表を交えたオーストラリア国防機関にあり,ロバートソン総司令官が代行して執行することになっていました.
また,各国各軍の司令部の責任である補給に関しては,BCFKが直接に各軍司令部と対応することになります.
軍部隊の定員編成は各部隊の属するそれぞれの軍によって設定され,兵員・人事管理に関してBCFKは,カナダ陸軍第2管理グループ,オーストラリア陸軍派遣軍,ニュージーランド朝鮮派遣軍及び東京駐在のインド連絡代表部を通じて任務を遂行することになりましたが,英国軍に対してだけは,これらの機能をBCFK自身が責任を持って行うようになっていました.
11月27日,総司令官に対して最初の指令が出されました.
これは司令官の責任を明確にするものであり,総司令官とオーストラリア陸軍参謀本部及び他の英連邦軍司令部との関係を定めていました.
総司令官は,朝鮮半島と日本に駐屯するBCOFとBCFK両軍の維持に責任を負い,野戦に於て英国,オーストラリア,ニュージーランド,カナダ各軍に与えられた作戦任務に関わると共に,その目的遂行のために,関連する各軍司令部と密接な連絡を保つことになっていました.
また,朝鮮半島にある野戦指揮官から,作戦上彼の部隊の使用方法に関して総司令官に抗議が出された場合,総司令官は此の事を在朝鮮国連軍司令部に表明し,オーストラリア参謀本部委員会にも報告する事になっていました.
何れにしても,総司令官の任務で重要なのは,BCFKの利益を保護することでした.
なお,その後カナダ軍もBCFKに遅れて参加することになり,カナダが従来より主張していた国連中心の考えを配慮して,規定が一部修正されています.
11月と12月,BCOFとBCFKは活発に活動しました.
特に中国軍参戦により戦局が悪化したため,通信部隊と医療部隊の活動は目覚ましいものがありました.
当時,BCOFのBCFKに対する全面支援についての指令が出されていないにも関わらず,ロバートソンはBCOF総司令官として,英連邦からの要求に資源が許す限りそれを受け容れるという方針を貫きました.
その結果,特に英国陸軍から感謝され,BCOFの存続が確実になりました.
こうしてBCFKに対する兵站支援はBCOFが中心となりました.
勃発当時,かなり縮小されたとは言え,呉基地を中心にBCOFがまだ平常通り活動を続けていたのもあります.
BCFK展開に際して,無駄な設備投資を避けるためにも,BCOFへの依存が高まりました.
例えば,BCOFの通信部隊と暗号部隊は,日本内外の英連邦通信の総てを扱いましたし,軍需品,工兵についても同じ様にBCOFの施設や人員を利用してBCFKの兵站支援を行いました.
医療,病院についても同様です.
当時,BCOFには呉にBCOF総合病院,東京にBCOF保養隊,岩国にオーストラリア空軍病院がありましたが,これらはBCOF解消により定員割れしており,受け容れ体制は施設,陣容とも不充分でした.
そこに朝鮮戦争が勃発したのですが,兎に角,BCOF総合病院のスタッフと機材を中心にオーストラリア陸軍野戦病院班が編制され派遣されました.
9月15日の時点で,この朝鮮派遣軍野戦病院へ入院したのは,97名を数えています.
10月に入っても総合病院の医療スタッフの不足に悩まされていましたが,11月初旬にオーストラリアから外科専門医2名,英国陸軍第29総合病院の第1陣が到着し,11月27日に英国第29総合病院の本隊が,更にオーストラリア婦人看護要員の第1陣が到着したことにより,漸く医療従事者の不足も緩和されましたが,戦傷で一番多い外科専門医は長らく不足に悩まされています.
10月後半からは英国陸軍第29総合病院のスタッフがBCOF総合病院と合同で機能出来るように,拡張工事が実施されて433床が増設され,12月31日までに650名の患者を収容することが出来る様になりました.
また,広町虹村の家族住宅が1軒,病院に転用されました.
東京のBCOF保養隊には東京地区のBCOF軍人に加え,BCFKの軽傷者が収容されました.
この間,オーストラリア空軍病院は,医療従事者に余裕が出来て有効に機能しました.
因みに,12月15日現在のBCFK野戦病院への入院患者は,319名に増加しています.
1951年第1四半期になると,BCOF総合病院の増床工事が昨年末に完了し,一般・外科病棟が585床,特別病棟115床の700床となりました.
この他,宮島の保養センターに回復期間者を収容するのに120床,虹村病院に20床が設定されています.
東京のBCOF保養センターは,BCOF軍人,東京の米軍病院に入院していたBCFK負傷兵に加え,休暇中の第27歩兵旅団と英国陸軍第29歩兵旅団に対する医療業務を実施しています.
更に,オーストラリア空軍病院には3月15日現在,英国陸軍の負傷兵391名を含む,679名の患者が入院していました.
なお,オーストラリア空軍病院の患者が急増したのは,医療副部長が1951年1月9日から13日にかけて朝鮮半島に渡って,BCFKの患者を直接オーストラリア空軍機で岩国に移送することを,米陸軍第8軍との間で決定したことに起因しています.
この業務は1月16日から開始され,患者は朝鮮半島から岩国に運ばれ,呉のBCOF総合病院へ救急列車「ボンベイ」で移送されました.
呉で応急治療を受けた負傷将兵は,その後,体力が回復すると岩国からオーストラリアや英国などの本国に還送される様になっています.
この様に,極東に於て一時は「忘れられた軍隊」とまで言われたBCOFは,朝鮮戦争の勃発で息を吹き返し,BCFKの兵站支援基地を提供する役割を担いました.
BCFKは呉に安全な基地を有していることで,兵員の輸送や訓練が出来,休暇中の将兵に娯楽や文化施設,ホステルが提供出来,物資の補給が可能になったのです.
こうして重要な役割を果たしたBCOFでしたが,次第に任務がBCFKに取って代わられ,1952年4月28日に日本との講和条約が発効したことにより廃止となり,呉には国連軍の一部としてBCFKのみが駐留することになったのです.
少し性格は違いますが,進駐軍要員健康保険により,1950年12月には蔵本通4丁目に呉中央診療所,1951年5月には広町末広に呉中央診療所広分室が開院しました.
こちらは日本人従業員の健康診断を主任務にしていましたが,一般市民の疾病治療にも当たっています.
戦後直ぐの時代は,日本の衛生状態は極度に悪化しており,日本脳炎,結核,腸チフス,コレラ,インフルエンザなどの伝染病に悩まされました.
伝染病対策には,BCOF将兵のみならず,日本人に対しても徹底的な予防接種,DDT散布を実施し,蚊,蠅,鼠等の駆除が徹底して行われました.
伝染病の中で最も猛威を振るったのがBCOF将兵の性病です.
1946年6月1日には総司令官自ら出席し,対策会議が開催されました.
席上,オーストラリア軍将兵に特に性病感染者が多く,第130総合病院に性病患者用の病室を増設する必要がある事が報告されました.
そして,以下の4点が決定されます.
(1) キャンプ内や地元の町村での映画館,クラブ,スナック,バーなど慰安施設の充実に特に配慮する.
(2) 性に関する衛生教育の実施
(3) 指揮官による個人的な対話
(4) 予防具を使うという命令に従っていない時は処罰及び罰金の支払を課せられ,休暇の特権を失うなどの懲戒処分.
憲兵のパトロールを増やし,性病に罹った将校は本国送還とする.
こうした努力にも関わらず,1947年5月6日までにオーストラリア陸軍将兵671名を含む,総勢1,056名だった性病感染者は,6月5日までにオーストラリア陸軍将兵1,268名を含む,総勢1,968名に,8月31日までにオーストラリア陸軍将兵2,982名を含む,総勢4,769名に倍増し,9月,オーストラリア陸軍将兵3,491名を含む,総勢5,823名,10月までにオーストラリア陸軍将兵3,782名を含む,総勢6,831名と,毎月1,000名ずつ増えて行きました.
事態に対処するため,9月22日には関係者がオーストラリア陸軍第34歩兵旅団司令部で会議を開催し,性病感染売春婦の発見と入院治療を徹底するため,囮作戦と風俗取締班の編成が決定されました.
その内前者は,仁賀田から広島までの6箇所8班体制(1班には19名の兵員と幌付き2.5トントラック1台を充当)で,売春婦に誘われたら,途端に「MPだ,付いて来い!」と捕まえてトラックに乗せ,日本の警察に引き渡して,病院に連れて行き,検査を受けさせるというものでした.
後者は6名の憲兵で編成され,第92総合病院に入院している将兵から接触女性の氏名と住所を聞き出し,それを確認して病院で検査治療を受けさせることになっていました.
更に,「占領地女性との交際禁止に関する日々の命令」が再度出され,立入禁止区域が決められましたが,これは兵士に大きな不満を与えることになります.
そこで,憲兵隊長のヘンダーソン少佐は,衛生管理した一定の特飲地域への立入を許可するという計画を立案し,基地司令官ウィルソン准将の一応の同意を得ました.
ただ,これは最終的な承認までには至らず,立入禁止区域はそのまま残されています.
勿論,こうした措置が長続きしなかったのは自明の理で,結局は元の木阿弥に戻ってしまいました.
因みに,歯科に関しては,1946年5月までに歯科将校と歯科技工士が呉に到着して,診療体制を整えていますが,ニュージーランド空軍が歯科医1名に対して兵員300名,英国海軍が歯科医1名に対して兵員350名なのに対し,インド陸軍では歯科医1名に対して兵員10,000名と最も治療機会が少なかったりします.
この為,9月にはインドから歯科医が派遣されてそれを是正しています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2012/09/15 23:08
青文字:加筆改修部分
【質問】
フランス軍外人部隊って,朝鮮戦争に参加したの?
wikiには該当する記述がなかったんだけど.
【回答】
フランスは朝鮮戦争に,本国軍,植民地軍,外人部隊,の志願兵からなる1個大隊を派兵していて,
第1中隊:植民地軍
第2中隊:本国軍
第3中隊:空挺部隊(本国軍,植民地軍,外人部隊の混成)
という編制だったので,参加したのは空挺部隊のみかな?
それとも一部は,第1中隊に配属されたのか・・・
軍事板,2011/08/10(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
朝鮮戦争開戦時,韓国側には対戦車装備がなく,戦車もなかったと聞きますが,実際の南下対策はどんなものだったのでしょう?
対戦車砲や対戦車地雷,せめて運用が簡単なバズーカくらいはあったのでしょうか?
そして,それら対戦車砲やバズーカで,押し寄せるT-34戦車にどれほど損害を与えられていたのでしょうか?
【回答】
戦車は「山がちの朝鮮半島では機動戦は難しいし,起伏の多い地形では戦車の運用は困難だろう」ということで,ほとんど配置されていなかった.
韓国軍は僅かに2個中隊程度のM8装甲車を持っていただけで,駐留米軍もM24軽戦車を主力にしていた.
これらは開戦初頭に北韓軍のT-34/85にあっさり蹴散らされ,ほぼ全滅する.
対戦車砲はあったが口径が小さすぎ(57mm)て歯が立たず,対戦車ロケット・ランチャーも口径が小さい上,弾薬の保管状態が悪くて不発が続出し,ちっとも役に立たなかった.
これに慌てた米軍が,まだ開発テスト中のM20スーパー・バズーカを急遽送ったのは有名.
あと,韓国軍の首脳部はみんな日本軍出身だったので,爆薬や地雷を抱いて戦車に体当たりする日本軍伝来の戦法を現場に強要し,戦果と引き換えに多大な損害を出した.
アメリカ軍は体制が整うまでは,北韓の戦車に対しては航空機からの爆撃で対抗,特にナパーム攻撃が有効と言うことでナパームを使いまくった.
北韓の戦車部隊は釜山前面まで迫った段階で,補給不足で急速に稼動数が減り,国連軍の仁川上陸以後はスーパー・バズーカの投入と航空攻撃でほぼ壊滅した.
軍事板,2006/05/31(水)
"2 csatornás" katonai BBS, 2006/05/31 (szerda)
青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész
【質問】
白将軍ってどうよ?
【回答】
http://www.hani.co.kr/arti/specialsection/newspickup_section/350134.html
より.
――――――
軍事評論家協会の朴キョンソク会長(予備 役陸軍准将)は,
「白将軍は国軍の長老将軍であり,国家に寄与したところが大きいが,名誉元帥推戴は一顧の価値も無い」
と語った.
朴会長は,
「日本の傀儡国家・満洲国の陸軍中尉出身である白将軍を,名誉元帥に推戴することは国軍の建軍理念を毀損する.
国軍の脈を満洲軍に置いたら後日,抗日闘争勢力が主力であった北朝鮮人民軍が伝統性で優位を占めるかもしれない」
と述べた.
朴会長はまた,
「北朝鮮人民軍の南侵時,開城と38度線を警戒する第一師団長だった白善燁将軍は,春川戦線での第六師団の善戦にもかかわらず,まともに応戦も出来ずにほとんど全ての装備を捨てて敗走し,ソウル早期陥落の原因を提供した」
として,「朝鮮戦争の英雄」という評価にも意見を異にした.
――――――
白将軍は政治史的な文脈で考えれば,「軍の中で実権を握れず,主流派になれなかった人」なんだよねぇ……
回顧録だって何故かみんな称揚するばかりで,公刊戦史や他の史料と付き合わせて史料批判してる日本人は,ほとんどいないし.
正直みんな白将軍に甘すぎだと思う.
握ってなかったから完全にパージされてないのだろうけど,本人にそもそもその気があったのか?とかは気になる.
そういう生臭い部分の研究は,もう少し時間が経たんと駄目だろうなぁ.
軍事板,2009/07/19(日)
青文字:加筆改修部分
政治にあまり深く関らなかったからこそ,比較的自由に書籍を残すことができ,日本でも評価が高まったんではないかと.
政治的なつながりがあれば,朴大統領の過去を暴露するなんてできないでしょうし.
参謀総長に何度か就任し,引退後は大使を歴任した人物に,「主流派ではない」,「政治に関わってない」と評価を下すのは違う気もしますが(笑)
軍人として求められる政治的役割に,(よくも悪くも)徹したといったところでしょうか.
46式 in 軍事板,2009/07/19(日)
青文字:加筆改修部分
日韓関係,米韓関係の改善などを目的に,名誉元帥に祭り上げても,時,既に遅し,ということになるのか,などと,嘯いてみたり.
歴史的経緯から,韓国への譲歩,配慮などは,北朝鮮への譲歩,配慮と,同様に,百害あって一利なし,というだけのことであり.
韓国,北朝鮮など,特定在日外国人,特定帰化人の中の人の国籍を区別することに,実質的な意味はなく,日本国と,朝鮮半島との関係の再構築は,日本国に忠誠を誓う帰化システム整備,死刑を含むスパイ防止法に,「再入国不可を含む帰国事業」「厳格な帰化再審査」といった,百万人以上の寿ぐべき母国への帰還など,人道的な「御一新」が,大前提,というだけのことであり.
日本国との間に,領土領海問題を抱えた国家,国民の場合は,帰化,永住権などに,制限を設けるべき,ということになるのか,などと,嘯いてみたり.
韓国の民主化を検証する時代の到来,ということになるのか,金大中事件などの検証する時代の到来,ということになるのか,などと,電波の発信など試みてみたり.
白善燁の中の人に,含むところなどなく,単に,韓国の国是としての反日,反日教育,民族のアイデンティティ化した反日感情など,どうしようもない,というだけのことであり.
韓国の歴史は,韓国の初代大統領である李承晩の中の人により,どうしようもなくなった,ということになると,米国の責任など,ということもあるのか,などと,電波の増幅など試みてみたり.
俄将軍 in 軍事板,2009/07/20(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
「ザ・コールデスト・ウインター」を読んでから「若き将軍の朝鮮戦争」を読んだが,韓国兵の評価ってどっちが本当なんだろう?
【回答】
俺も両方読んだけど,当然白将軍の身びいきはあるだろうけど,どちらの評価も正しいんではないかと思う.
朝鮮戦争勃発時の韓国軍は,まだ編成途中で,訓練も行き届かず,しかも装備品も劣悪,さらに砲兵も戦車もなしと来ている.
ぶっちゃけこれでは,戦意が低く,北朝鮮軍に押し切られても仕方がないと思うんだ.
米軍の介入でかろうじて,釜山包囲網の防衛に成功した頃から,ようやく韓国軍にも優秀な装備があてがわれたし,後方で訓練も出来るようになった.
だから戦意と戦力が向上して,米軍が頼れるようになったということだと思う.
軍事板,2011/03/03(木)
青文字:加筆改修部分
韓国軍については「陸戦史集」などでも,初期の敗退は必ず韓国軍部分から崩れているので米軍の信頼を失ったようです.
一部の部隊(まあ,そこが白部隊なのですが(笑))は,割りと頑張ってましたが,あくまでも,一部部隊の奮戦にすぎず,厳しい言い方ですが,戦局に大きな影響を及ぼす程のものではなく,結局,周囲の敗退により白部隊も後退してますので,米軍の韓国軍全体に対する評価を変えるほどものではなかったと思います.
ですが,釜山橋頭堡の戦いで白部隊の奮戦あたりから,一部米軍との連携が取れ始めています.
(この段階では,あくまでも実際に組んだ部隊同士というレベルにすぎませんが…)
その後の韓国軍の再編成が進むにつれ,韓国軍の評価もあがってきてますが,米軍は最後まで「韓国軍のメンタリティ面」については,若干の懸念をもっていた可能性があります.
特に,今回は同民族の戦争であり,恨みの連鎖による非人道的行為が行われやすいのですが…
基本的に米軍はそういったものに,強い嫌悪感を抱きやすいように思えます.
(自分のことは棚にあげて…)
特に朝鮮戦争は,米軍兵士にとって他人を助ける正義の戦争でしたので,現場では頼りにしつつも,そういった一種の嫌悪感がぬぐいきれてなかった可能性があります.
そのあたりが,書籍による温度差にも出てるのではないかと推測します.
Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2011/03/04(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
崔榮喜大佐の秘密の大隊について教えられたし.
【回答】
朝鮮戦争でのお話.
釜山橋頭堡にて多富洞を守っていた白将軍の第一師団は,左翼の要地である328高地を第15連隊第1大隊に,その南西にある260高地を第3大隊に守らせ,第2大隊は抽出して右翼の第11連隊に配属させていた.
つまり,左翼を守る第15連隊には,予備の大隊は存在しなかった.
ところが北朝鮮軍の攻勢がはじまると,第1大隊は北朝鮮軍の火力に圧倒され敗退.
328高地を奪取されてしまう.
この報に驚いた白将軍が現場へ駆けつけると,混乱した大隊が退却してくる光景が見えた.
思わず絶句してしまう白将軍だったが,連隊長の崔榮喜大佐は「対戦車砲で手前の丘を撃つ」ことで,将兵たちを押し留めるのに成功し,ただち部隊の再編成を開始した.
そしてその間に,どこからともなく新手の大隊が現れて,328高地に向かっていった.
この素早い対応に感心した白将軍だったが,よく考えると何かがおかしい.
……第15連隊には予備はいないはずなのに,この大隊はどこから湧いてきたのか?
白将軍が疑問をぶつけると,崔大佐は驚くべき説明を始めた.
「実は勝手なことをやりまして……」
なんと彼は,募集班を大邱へ派遣し,独断で3000人もの人員を集めて階級を与え,大隊3個と補充大隊1個に編成していたのだった.
白将軍いわく,
「第15連隊からの武器・弾薬の補充請求は異常に多く,不審に思っていたが,まさかそこまでやっていたとは思わなかった」
なおソースは「若き将軍の朝鮮戦争 白善ヨプ回顧録」
ソース元からの文章の引用・要約を含みます.
フナムシ in mixi,2010年07月22日07:48
【質問】
咸平11師団事件とは?
【回答】
陸軍11師団2大隊5中隊の軍人らが,1950年11月20日ごろから1951年1月14日にかけ,全羅南道咸平郡,長平郡,光山郡などにて,パルチザンに協力したとして,住民258人を銃殺または負傷させた事件.
一部の住民が鉦(かね)やケンガリ(韓国の伝統打楽器)などを鳴らしてパルチザンを鼓舞したり,食料を提供するなど協力したとされたため,感情的報復を受けたと見られている.
【参考ページ】
2010年7月6日11時43分,YONHAP NEWS
【質問】
「軍ハネ」って何?
【回答】
「藤崎一輝の仰天な日々」:仰天な寝台車
「藤崎一輝の仰天な日々」:軍ハネの贅沢
によれば,朝鮮戦争勃発を受けて米軍兵士を大勢,西日本に輸送しなければならなくなったために作られた寝台車です.
3等客車を改造して座席を取り払い,左右の壁にキャンバスベッドを二段式で取り付けました.
通路幅がめっちゃ広くなっただろうと思われますが,まあ,同ブログ著者も推測しているように,装備で通路は埋まっていたでしょう.
詳しくは上記ブログをどうぞ.
【質問】
立花金属工業や日本アルミニウム工業で生産されたアルミ製梯子は,何に使用されたのか?
【回答】
1950年8月,日本アルミニウム株式会社は米海兵隊調達部より,長さ17ftのアルミ製梯子60基を10日以内に納入する命令を受けました.
当時,アルミ製梯子は同社の独壇場で,大阪市や神戸市の消防車用に納品していた二段梯子も,同社製品でした.
その命令に対し,日本アルミニウムは,尼崎市水堂にあった旧立花工場を前年に分離独立させた立花金属工業に,梯子の側板を押出材で生産させ,横段と組立は自社でやる事にしましたが,流石に10日で60基は無理と交渉し,何とか期限を14日に延長する事で合意が成立しました.
この頃,丁度,関西地方をあの有名なジェーン台風が襲い,立花金属工業は工場の屋根を吹き飛ばされました.
しかし立花金属工業の社長は,海兵隊の強請にも関わらず,意気軒昂で,工場の屋根が吹き飛ばされようが,
「何かわからんが,よっしゃ,やったる!」
と,屋根のない工場で陣頭指揮に立ち,9月10日に完納させる事が出来ました.
因みに立花金属工業には,2,000tプレス機,800tプレス機,600tプレス機が各1台,400tプレス機5台に伸管装置や鋳造設備を持つ,アルミニウム抽出では日本屈指の会社だったりします.
元々,立花金属工業の大元は,1926年に大阪に設立された木下鉄工所です.
この会社は立花金属工業の社長,木下寅市と言う人が,呉海軍工廠からスピンアウトして,日本アルミニューム製造所の下請作業を行う為に設立した会社で,以後順調に業績を伸ばし,1935年に600t水圧プレス機を設置し,日本アルミニュームから直径6in,長さ500mmのビレットを購入して,各種の条や伸管を製作していました.
1938年,日本アルミニューム製造所から55%の出資を受けて子会社となり,1,000t水圧プレス機を設置,航空機部品の生産を始めました.
1940年11月には,日本アルミニューム製造所に合併され,2,000t水圧プレス機1台,1,000t水圧プレス機2台の陣容で,アルミニウム押出型材を主力として,製品は全て,三菱重工名古屋ほか,各航空機製造会社へ納入されていました.
更に,押出部門を拡張する為,1942年9月に銅,亜鉛,アルミなどの合金圧延を行っていた日本機材を買収して立花工場とし,1944年4月に新潟に月産1,000tの工場を建設する事となり,最終的に三菱本社,商事,鉱業からの出資も得て,三菱軽合金工業となります.
木下工場はこの時点で,月産実績195t(目標は280t(棒190t,管25t,線鋲材35t,型材25t,鋳造品5t)),立花工場は月産実績36t(目標は100t)となっていました.
1945年6月に木下工場は爆撃を受け,壊滅しましたが,立花工場は生き延び,1946年に財閥解体と賠償指定を逃れる為,三菱軽合金から日本アルミニウム工業に改称し,1949年に,立花工場を立花金属工業として独立させていた訳です.
さて,余談は扨置き,その梯子がどの様に使われたか,と言えば,1950年8月~9月と言う時代背景は,朝鮮戦争が勃発して,国連軍は押しに押しまくられている状態.
其処で国連軍司令官MacArthur元帥は,戦線の一発逆転を狙って,敵の防備が手薄な仁川に上陸する事を主張します.
Washington側は,仁川港は干満差が大きすぎ,大部隊の上陸時に干潮となると泥沼ができて,致命傷となりうる,しかも仁川では現時点での戦線に余りにも遠すぎ,作戦の効果が期待できないとして群山上陸を推しましたが,MacArthurは全く自説を曲げず,結局,Washington側は本国で鳩首協議をした上,敵の防備が手薄ならば仁川,あるいは仁川南部に水陸両用部隊による上陸作戦に同意し,かつ,郡山地区の敵包囲作戦の準備にも同意すると言う,どっちつかずの指示を出しました.
結局,8月30日にMacArthurは仁川上陸作戦の指令を下し,9月10日まで,Washington側に作戦の詳細を送付しなかったりします.
9月15日,仁川にMacArthur自らが乗り込み,上陸作戦を指揮する事になりました.
因みにこの時,毛沢東と周恩来は,幕僚達と米国側の出方を予想し,ほぼ防備の手薄な地点に対する水陸両用作戦を仕掛けてくると判断,上陸の可能性の高い西海岸の5地点を選んで,潮の干満から,上陸日まで想定して,金日成にこれらの地点の防備を強化する様,伝達していました.
既に9月10日には海兵隊の航空機28機が,三次に渉って仁川港沖の月尾島に設けられたトーチカ群をナパームで攻撃し,14日には5in砲を中心とする1,700発の艦砲射撃が行われ,金日成は,占領地の絶対死守宣言を全軍に発します.
9月15日午前6時,月尾島のグリーン・ビーチに対する揚陸作戦が開始され,午前8時に島を確保する事に成功しました.
仁川は午後5時22分,第5海兵隊と第1海兵隊が上陸地点レッド・ビーチと4km南東のブルー・ビーチに向い,その上陸時,防潮堤に舟艇が接触すると同時に,正面前方に梯子を2本掛けて攀じ上り,その後の戦闘を通じて,海兵隊20名の戦死者と179名の負傷者を出して,午後7時にレッドビーチを確保します.
9月16日の明け方にはほぼ仁川を制圧し,海兵隊は韓国軍に残滴掃討を委ねて,ソウルへの進撃を開始しました.
つまり,立花金属工業や日本アルミニウム工業が生産したアルミ製梯子60基は,この仁川上陸作戦で活躍した訳です.
しかし,彼らも自社の製品がこんな所で活躍していたとは夢にも思わなかったでしょうね.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年10月20日21:40
【質問】
朝鮮戦争で中国のやった人海戦術によって国連軍は一挙に押されましたよね?
当時の中国の装備見てたら,そりゃ最初は驚いて多少は退くだろうけど,いくら圧倒的な人数とはいえ,ソ連ほどに戦車が強かったわけでもなく,装備も強力だったわけではない.
簡単に盛り返せそうに思うけど,なんで48度線まで押しやられて,そのまま拮抗状態になったんでしょ?
【回答】
まず,「38度線」な.48じゃなくて.
国連軍,というかアメリカ軍は中国の介入を全く予想していなかった
(実は情報はあったけど,政府と軍の上のほうが信じなかったため,握り潰した)
ので,前線部隊にとっては中国の大規模介入は「奇襲」状態だった.
更に,最初に中国軍が介入してきた時は,国連軍部隊を山岳地域に細く長く進軍させて,機動的な対処が難しくなったところで,密かに後方に回りこんでから一気に攻撃する,という戦略をとったため,退路を断たれた状態になった国連軍側は大損害を受けることになった.
ただ,中国軍は「数日分の補給だけを整えて一気に攻撃,物資が尽きたら撤収する」という戦術を繰り返したため
(というか,補給が潤沢ではなかったので,それしかできなかったとも言える),
最初の数日を凌げば,後は中国側が勝手に撤退するか自滅する,というパターンを繰り返したので,総体で見ると中国軍は,数の優位をあまり生かせてはいない.
尚,中国軍はソビエトから提供された援助品で編成した戦車部隊を,対朝鮮用に中朝国境に集結させたが,これらは「虎の子」扱いされて,朝鮮戦争にはほとんど投入されていない.
JS-2,JSU-152,T-34/85といった強力な戦車部隊だったが,これらが国連軍の戦車と交戦した記録はほとんどなく,北朝鮮が装備していたT-34/85,Su-76は,仁川上陸以後は補給の不足と,アメリカが急遽投入した「スーパー・バズーカ」,それに航空攻撃でほぼ全滅して,戦争終結まで戦力として回復しなかった.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
こんなことは本当に可能ですか?
【回答】
こんな事やったら,反動で歯がボキボキ折れてくぜ.
やってみろや北韓軍.
マキシムの弾帯って何発なんだろ? 手が使えないって事は,撃ち尽くしたら終わりだろ.
幾らなんでも,こんなの信じるのは子供くらいだろー.
あまりの馬鹿馬鹿しさに450人が卒倒した,という意味かも(笑).
【質問】
朝鮮戦争に参戦した中国軍の兵力は?
【回答】
朝鮮戦争に参加したのは人民解放軍第四野戦軍.
これは,
「全体が六部隊に分かれ,各部隊には3万名からなる四個の部隊があり,その各部隊は一万人規模の3個師団から成っていた」
デビット・ハルバースタム「フィフティーズ」
【質問】
朝鮮戦争で,中国人民解放軍は強かったから米・国連軍を一時的に押し戻したのですか?
それともハワイ海戦のように,米側が油断していたから一方的に押し戻されただけなのでしょうか?
それと,米・国連軍は三十八度線で膠着状態に陥って北上できていませんよね?
やはり中国人民解放軍の人海戦術は,米軍に対して軍事的脅威を与えられるほど強い軍隊だったのでしょうか?
民族感情を抜きにして客観的なお答えを頂けると喜ばしい限りです.
【回答】
簡単に言えば物量が全て.
国連軍が押し戻されたのは,
・マッカーサーが,中国軍の集結について警告を受けていたのにもかかわらず本気にしなかったから
・一気に北進したため各師団の連携が取れず,容易に中国軍の浸透を許したため
・朝鮮半島は北上すると東西に広くなるため,戦線が貼れなかった
・中国軍の戦力を低く評価していたため
その中国軍の人海戦術は,交戦初期の国連軍にショックを与えたが,攻撃衝力が持続せず,また火力が貧弱だった.
半島中部の山岳地帯では軽歩兵が活動しやすいため,中共軍に有利だったが,輸送力,補給能力の低さにより中共軍は大損害を出している.
また,元山に上陸した米海兵第3師団が突出しすぎたところを,中共軍1個集団軍9個師団が包囲追撃しているが,結局海兵3師団を取り逃がしている.
ここらへんで中国軍の限界が分かる.
【質問】
「ハンマー・アゲンスト・アンヴル(Hammer
against anvil)」とはどういう意味なんでしょうか?
【回答】
鉄床(かなとこ)に鉄槌を打ち込むかのように敵軍を粉砕する様子.
機動力の有る大部隊(「鉄槌」)を用いて,その背後に築いた堅牢な部隊(「鉄床」)に敵軍を追い込み,挟み撃ちにする戦術.
「鉄床」は,河川や湖沼といった自然の地形の場合もある.
http://wiki.answers.com/Q/What_is_the_hammer_and_anvil_concept_in_conducting_war
朝鮮戦争では,釜山に追い詰められた米軍は劣勢を挽回すべく,米海兵隊を主力とした国連軍を北朝鮮軍の背後,仁川に強襲上陸させ(仁川上陸作戦,クロマイト作戦),それと呼応して釜山周辺の米第8軍が反攻・北上し,北朝鮮軍を挟撃,壊滅させた.
両者はそれぞれ,マッカーサーの「鉄床」と「鉄槌」と呼ばれた.
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,813329-1,00.html
http://www.history.army.mil/brochures/KW-Outbreak/outbreak.htm
【質問】
朝鮮戦争で戦線が膠着した後,もう一度敵の後方に上陸作戦やろうという計画はなかったの?
【回答】
1951年に入って三八度線を境に,国連軍と共産軍がにらみ合うようになってから,後方への上陸を含む大規模な国連軍の反攻作戦は計画されていません.
これは,北進を強硬に主張していたマッカーサー元帥が解任されたことで,国連軍側が交渉による休戦を行うことに一本化されたことと,国連軍と共産軍の戦力がほぼ拮抗したために,三八度線を超える大規模な反攻作戦が難しくなったことがあります.
ただし,マッカーサー元帥は独自の構想として国府軍を国連軍に引き入れ,米軍の増援の下,北朝鮮の北端の東西海岸に上陸させて,中国軍の後方を遮断するというプランを持っていました.
その中には北朝鮮全域に大爆撃を行い,「放射性廃棄物」を散布して,朝鮮と満州を結ぶ補給ルートを遮断するという計画も含まれていました.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
朝鮮戦争でマッカーサーが解任されずに北韓を壊滅させていれば,横田さんの慟哭は無かったのでは?
中国東北部への核攻撃こそ,倫理,道徳を排除した純粋なタクティクスとしてそうすべきだったと言う専門家も,今でもいますけど?
(いかくん.腹に剣)
【回答】
そうしなくて良かったという専門家が圧倒的多数ですが?
具体的な専門家の名前を挙げて欲しいな.
まぁ,マッカーサー構想を実現するのは,恐らく物理的に不可能だったわけですが.
ちなみに,朝鮮戦争におけるマッカーサー構想として一番大規模なものは
・30~50個の原爆を満州に投下
・蒋介石軍50万を中国本土に送り込む
・中朝国境に放射能コバルトをばら撒き,少なくとも半減期の間中国の介入を阻止する
という,プランだったりします.
このプランを実行した場合,少なくとも西欧各国の支持を失うことは確実でしょうし,最悪の場合,西欧への報復攻撃が行われる可能性も否定できないでしょう.
実際,原爆の使用を仄めかしたトルーマンに対し,アトリーが物凄い勢いで考え直すように迫ってますから.
直接的な影響としては,フォールアウトが恐ろしいですな.「核の冬」とまでは言いませんが.
また,本国ががら空きになる台湾を維持できるかどうかも不安ですね.
アメリカもソ連も,ようやくWW2が終わって,もう総力戦をやろうっていう雰囲気じゃなかったんだよ.
そういうのを理解しなかったマッカーサーの政治的センスなんてそんなもん.
【質問】
僕の高校の歴史の先生が言っていた
「朝鮮戦争が無ければ,日本が高度経済成長に突入するのは数年は遅れていただろう」
という理論は鵜呑みにできるものですか?
【回答】
朝鮮戦争と日本の戦災からの経済復興が直接関連しているのは間違いないです.
1950から53年まで,米軍が日本に発注した軍需物資は30億ドルに達しています.
日本の鉱工業生産は1951年に大戦前の水準を突破しています.
朝鮮戦争が無かった場合の日本の経済成長がどの程度になったかは,さまざまな推計がなされています.
1951年の経済成長は実際には12%でしたが,戦争がなかった場合,この値は最低4.9%でしかなかったという試算がされています.
1955年には高度経済成長が始まるとされているので,朝鮮戦争がなかったら,日本の高度経済成長は遅れたどころか,ずっと規模の小さなものになっていた可能性があると思われます.
朝鮮特需は確かにさみだれ的で不安定ではありましたが,戦争で大きな打撃を受けた製造業の基礎生産力や技術力を回復,向上させ,後の高度成長につながりました.
これが,「紅茶キノコ」特需や「ナタデココ」特需のような,一過性で次の経済発展につながらないような物であったなら,その後の日本は全く変わってしまったと思われます.
【質問】
東京タワーは,朝鮮戦争で使われた戦車などをリサイクルして作られたとのことですが,なぜそんなことをしたのですか?
【回答】
十分に工業力を回復できておらず,東京タワーを建設するのに必要な良質で大量の鉄材を,自前で供給することが出来なかったため.
当時,米国国務省から認められた,米国からの屑鉄輸入は8500t.
一方,米国戦車90両分の総トン数は,3千数百万トンあった.
この分は別枠.
それだけの戦車を尾関商店という会社が落札,高野静雄が解体を請け負った.
場所は埼玉県の所沢.
西武線新所沢駅と航空公園の間のあたり.
フェチ ◆kK77XB6/ug : 軍事板,2003/03/09
青文字:加筆改修部分
ちなみに,この逆パターンとしては,太平洋戦争中に鉄材が不足して,一般家庭から金属製品の供出が始まった頃,大阪の通天閣も解体されて,軍事用鉄材として供出された,という話がある.
http://www.shinsekai.ne.jp/rekishi/5.html
軍事板,2003/03/10
青文字:加筆改修部分
【質問】
つげ義春の『大場電気鍍金工業所』に付いて質問です.
朝鮮戦争時,日本の零細メッキ工場がアメリカの仕事として,ライフル弾頭のようなものにバフかける仕事をするシーンがあるのですが,これは一体何に使われていた物なのでしょうか?
>「これ? ピストルの弾みたいだな」
>「散弾だよ.バク弾のなかにごっそりつめこんどくんだ」
といったキャラクターの会話がありました.
また,錆を取る為に硫酸に漬けるといった描写があるため,真鍮ではなく鉄製だと思われます.
当時の榴弾・榴散弾あるいは航空機用爆弾に.ライフル弾様の子弾(で良いのだろうか)を入れたものがあったか気になっています.
【回答】
小銃の弾頭には被甲をするもの.
用途は色々あって,用途ごとに被甲をする金属も変わる.
一般的には鉛の弾丸に,鉄の被甲を被せている.
フルメタルジャケットとかパーシャルジャケットとか.
被せないものはソフトポイント弾とか.
榴弾のなかに銃弾の弾頭…というのは無いと思う.
つげ氏の描写が現実的に忠実なら,
「ピストルの弾丸みたいだけど,なにこれ?」
「弾丸じゃないよ,それは散弾で爆弾の部品,中に詰めるんだ」
っていう意味の会話になる.
つげ氏がどう描いてるのか,絵も,また氏の意図も不明なんで,「銃弾の弾頭を榴弾に詰めている」というシーンであることも否定できない.
が,そうであるとも言い切れないので,はっきりした事は言えない.
軍事板,2009/10/13(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
朝鮮戦争の時ってジェット戦闘機が活躍したようだけど,そんなに普及してたの?
【回答】
初期は少なかったけど,一旦,登場するとあっという間に普及した.
アメリカ軍側は,3軍の主力戦闘機はジェット化されていた.
ただ,これらは直線翼の非音速機で,「レシプロ機のエンジンだけジェットになった」というところ.
超音速が出せるような「ジェット戦闘機」は,戦争中盤になってから登場した.
勿論,レシプロの戦闘機も普通に現役だった.
日本占領軍の戦闘機隊もF-51からF-80への更新途中で,急遽出撃のためにF-80からF-51に再転換した部隊まで現れた.
ジェット機の配備が進んだのは,増援の到着で戦線にある程度余裕ができたのと,ミサワ・タンクと呼ばれる大型増槽による作戦行動半径の増加,
それに,Mig-15にはF-51やF4Uでは全く対抗できなかった,等の理由がある.
まぁMig-15にマトモに対抗できる戦闘機はジェット機の中でもF-86Aの到着を待たねばならなかったが.
なお,共産軍側の戦闘機はほぼレシプロ機で,登場するやアメリカ側をあっと言わせたMiG-15は,「主力」という程の数にはなっていない.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
朝鮮戦争では空中給油は実行されたの?
【回答】
「航空ファン別冊 朝鮮戦争航空戦」(1985年刊行)75ページ右下の記事より抜粋.
――――――
「(前略)1952年5月28日,三沢を飛び立った12機のF-84は板付で最後の給油を受け,500lb爆弾2発を搭載し,サリウォンへ向かった.
攻撃終了後,テグ上空のランデブー空域でKB-29から給油を受けた9機のF-84は,ジョンソン基地へ向かったが,十分な給油を受けられなかった3機はテグに着陸し,最初のハイ・タイド作戦は無事終了した.
その後,6月7日,6月22日,そして7月4日にも,116FBWによって3回のハイ・タイド作戦が実施された」
――――――
ちなみにF-84Gは,左翼付け根にフライング・ブーム式受油レセブタクルを設けていたが,極東地域に同方式のタンカーが無かったため,ドローグ・アンド・ブロープ方式のブロープを設けた翼端チップタンクを装備している.
KB-29を運用していたのは横田の43ARS,DET-4との事.
ソース元でもこれしか記事無いとこ見ると,多分に実験的な作戦という意味合いが濃かったみたい.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問 kérdés】
太平洋戦争に比して朝鮮戦争ではB-29はそんなに活躍できなかったの?
【回答 válasz】
できなかった.
MiG15の登場以前のB-29は,高度1万フィートの低空を護衛戦闘機なしで何度も目標上空への進入をやりなおして高精度の爆撃を行っていた.
MiG15が出てきてからは護衛戦闘機との調整が必要で,航路は限定され,高度も高くとり,爆弾搭載量も減った.
なによりRB-29やRB-45といった偵察機が狙われたことで,爆撃目標に関する情報の入手が困難になり,爆撃効果が減じられた.
1951年4月12日の「3機のB-29の損失」は,極東空軍爆撃コマンドに縦深の奥にある攻撃目標に挑むことをあきらめさせた.
故障機を除いて39機が護衛戦闘機を伴って目標に向かったのに,護衛戦闘機はB-29を守れず,爆撃にも失敗したからだ.
10月に昼間爆撃で飛行場潰すつもりで9機を護衛戦闘機付けて送り出したら,50機のMiGに迎撃されて6機が撃墜という最悪の損害比率にも見舞われた.
アメリカは10月23日の損害をブラックチューズディと呼んでいる.
http://www.koreanwar-educator.org/topics/b29s/b29_black_tuesday/p_b29_black_tuesday.htm
これを受けた10月28日の会議で夜間爆撃にシフトする決定を下したわけだが,レーダーは増強される,サーチライト戦術も使ってきて撃墜機も出る,電子戦で対抗しようにもジャマー使ったら自分の航法装置SHORANと爆撃レーダーも邪魔されて高度2万5000フィートに引き上げられたもとこ相まって外しまくってる.
ただし「まともな建物が残らなかった」ほどの爆撃ってのは,「MiG15が出てくる前の」戦争の最初の2か月で済ませている.
北朝鮮に人口10万以上の都市は50万の平壌しかなかったし,「民間人を攻撃したというプロパガンダに利用されたくないから」と,日本本土爆撃で有効だった焼夷弾を使わないくらいの舐めプだった.
5個爆撃集団を投入して,仁川上陸作戦が成功裏に終わって北朝鮮が潰走した10月には,うち2つがB-36とB-47への改編のために国に帰ってる.
ふみ ◆Y.QUKJBduY : 軍事板,2020/02/08(土)
Fumi ◆Y.QUKJBduY : "5 csatornás" katonai BBS, 2020/02/08(szombat)
青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész
【質問】
朝鮮戦争のときにミグ15が初登場して宿敵アメリカのB-29をガンガン落としたとき,どれくらいアメリカは驚いたんですかね?
【回答】
「東側がジェット戦闘機を実用化したことは知っていたが,既にここまでの完成度なのか・・・」
ということには驚いたみたい.
でも,B-29はもうすでに旧式である,ということは認識してたので,損害が多い事自体は普通に受け止めていたようだ.
ジェット戦略爆撃機は続々開発,試験中だったしね.
また,MiG-15が米軍のレシプロ機を圧倒し,制空権を奪いかけ,アメリカにかなりの衝撃を与えたのは事実だが,米空軍もすぐさまF-86を投入し,対抗した.
その後,互いに機体の改良版を投入し続け,競争しあったが,最終的にはF-86がミグを圧倒するに到った.
(性能面,搭乗員の技量面,補修を含む運用面で)
これが大体のあらすじ.
それよりは,最新鋭のジェット戦闘機を(実際の運用はソビエト軍人が行ってたとはいえ)表向きは派兵はしていない戦争に投入してきたことは,朝鮮戦争に対するソビエトの本気度の高さの表れと考えられ,米軍幹部と政府には
「ここからソビエトとの全面戦争の扉が開かれるのでは・・・?」
という恐怖が現実のものとなった.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧日本軍のB-29撃墜は518/28550,朝鮮戦争での共産軍のB-29撃墜は34/21000だそうですが,なんでこんなに朝鮮戦争での撃墜数が少ないんですか?
【回答】
全く異なる条件下での作戦だったからです.
朝鮮半島に出撃したB-29が目の前の日本を基地としていたのに対し,マリアナから日本に出撃したB-29の場合は,遥か彼方の日本列島に向けて長時間の洋上飛行を強いられたのが大きな原因の一つです.
日本上空もしくはその付近で,被弾もしくは故障により正常な飛行が困難となった場合,それは機体を失う事を意味する事が多かったのです.
対空砲火や戦闘機での迎撃による直接的な撃墜よりも,マリアナもしくは不時着場である硫黄島までの帰投が困難だったという事実があります.
片道2000km以上の距離.硫黄島が米に占領されるまでは不時着すべき場所も無かった.
ということは,些細な被弾やトラブルが機体喪失につながるのです.
当初は護衛戦闘機が付けられなかったこともポイントです.
さらに,太平洋戦争時の米軍にとってもB-29は先進技術の塊でした.
可動率も,他国であれば実用化を諦めるであろうレベルでありました.
したがって,飛行中の重大トラブルは即墜落を意味していました.
朝鮮戦争では,日本の米軍基地から朝鮮半島への出撃です.
トラブったときは半島の南側へ緊急着陸できます.
朝鮮戦争当時であれば運用的にも若干こなれてきていますし,また飛行距離も日本本土を基地にできることから圧倒的に短くなり,バックアップ体制も万全でした.
その上,護衛戦闘機も当初から付けやすく‥と条件的には最初からずっと楽なんです.
なお,共産軍(含むソ連義勇航空隊)の戦力も低かった・・・と言われていますが,このへんはソ連崩壊後の新資料により,最近の定説は変わってるかもしれません.
軍事板,2004/09/18
"5 csatornás" katonai BBS, 2004/09/18
青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész
▼ もうひとつの要素として,北朝鮮側によるB-29迎撃戦闘そのものが滅多に起きなかった点がある.
つい,B-17対ドイツ空軍みたいな戦いを想像してしまうが,B-29対ミグ15はレアケースだったのだ.
まれに起きてしまうとB-29はかなりの損失率を記録するので,米側が逃げ回っていたとも言える.▲
軍事板,2020/02/05(水)
"5 csatornás" katonai BBS, 2020/02/05(szerda)
青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész
【質問】
朝鮮戦争における,艦上戦闘機F9F-2パンサーの空母運用上の問題点は?
【回答】
・目標到達時間合わせの問題
・滞空時間の短さ
・低温下の燃料問題
・接触事故多発
があったという.
以下引用.
F9F-2パンサーを除けば低速のレシプロ機だったため,レシプロ機はジェットに先行して発艦させ,目標到着時間を合わせる必要があり,また,F2F-2は初期のジェット機特有の滞空時間の短さにもてこずった.
〔略〕
F2F-2/5パンサー戦闘機が搭載するジェット燃料は,直前にオイルを混合しなければならなかったが,冬季に低温の朝鮮半島沿岸では,常温で混ざらないという問題が発生し,過熱し混合しなければならなかった.
また,主翼を上方に折り畳んだF9F-2では,給油は,高い主翼端にはしごをかけねばならなかった.
機体整備と弾薬補給は夜間格納甲板で行われたが,極限まで艦載機を増やしたため,接触事故も多発した.
そのような状況で,ステアリング機構を持たないF9F-2パンサーを甲板上で取り回すには,牽引用の棒を前脚につけたままにし,甲板員が人力で行うという方法も考案されている.
西村直紀 from 「世界の艦船」2005年4月号,p.92-94
【質問】
板門店って何?
スイーツとかあるお店?
【回答】
板門店(パンムンジョム)は,ソウルから北西に62km,ピョンヤンから南に215kmほどの場所に位置する.停戦ライン上にある村の名前.
板門店の名は休戦会談の場所が現在の所に移されてから,この会談に參加する中共軍の代表達が,ここを捜しやすくするために,当時,会談場所の近くにあったたばこ屋を兼ねた店を.漢字で「板門店」と表記したことに由来する.
同村で朝鮮戦争における.北韓軍と「国連軍」との停戦条約が1953年に調印され,同年10月以降は,両国間の停戦を監視する「中立国監視委員会」と「軍事停戦委員会」の本会議場が設置され,以来,停戦協定遵守の監視を行っている.
公式にはここは,国連軍と北韓軍の共同警備区域「Joint
Security Area:JSA」と呼ばれていて,韓国や北韓の行政管轄権がない特別な所とされている.
【参考ページ】
http://www.hanmonten.com/hanmonten_frame.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~stssk/nobi/0015-1.html
http://www.go2korea.co.kr/Goods/Goods_Main.aspx?GoodsCode=1
http://www.seoulnavi.com/miru/322/
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/kyodokeibi.html
【ぐんじさんぎょう】,2010/07/14 21:00
を加筆改修
【質問】
中韓が国交正常化した時に,韓国は朝鮮戦争の侵略に対する謝罪と賠償は要求したのかな?
【回答】
1994年の中韓国交樹立の際には,謝罪も補償も要求しませんでした.
【質問】
「現在も,朝鮮戦争は継続中(停戦中)であり決して終戦には至っていない.
連合軍司令部は今も福岡にあり,機能してるかどうかは別として消滅してはいない.
よって,北朝鮮は朝鮮戦争を宣戦布告無しにいつでもおっぱじめることが出来る」
というのは本当ですか?
【回答】
朝鮮戦争は建て前では,戦争が一時停止中なので,やろうと思えばできる.
国連軍司令部(戦闘司令部)があるのは韓国の竜山で,
国連軍司令部(後方司令部)があるのが神奈川の座間.
アメリカ,イギリス,オーストラリア,カナダ,フィリピン,フランス,ニュー・ジーランド,タイが国連軍司令部に人員を派遣しているが,アメリカ以外は駐在武官が兼ねている.
【質問】
朝鮮戦争で米軍に助けられたことを,今日の韓国人はどう思っているのか?
【回答】
産経新聞ソウル支局長,黒田勝弘によれば,「アメリカは国益でそうしたのだから,お互い様だ」と.
以下引用.
黒田 うーん.実感,実態としてはやっぱり,アメリカのおかげで国が守れたと,みんな知っているわけですよ.アメリカのおかげで国の発展があったというふうに思っています.
ところが,それだけでは心理としては鬱憤でしょう.
そこで心理的バランスをとるために,アメリカは我々のことだけを考えてそうしたのではなく,自らの国家利益からそうしたのだ,となる.
井沢元彦 だから,感謝する必要は全くないということですね.
黒田 そう.そんなに感謝することはない.お互い様だ,と.
その傾向は最近,若い世代を中心に,非常に強いです.
井沢 物凄くプライドが高いんですかね.
そういうとき,日本人だったら,感謝しつつ,自分達が力不足であったところも素直に認めると思うのですが.
こういう自尊心は,私は儒教から来ているのではないかと考えています.
黒田 儒教も要因の1つでしょうが,もう1つ,地政学的理由があると思います.
この地は昔から,周囲を巧く利用しながら,自分を保持してきたわけです.
つまり,周囲の対立を利用し,両天秤にかけたり,ときには引き込んだり.
要するに,外国勢力はいつも利用する存在だという考えが,徹底的に民族の体験としてあるんじゃないでしょうか.
井沢 利用するということは,尊敬するということにはならないわけですね.
黒田 ええ.アメリカあるいは日本に対しても,感謝ということはありえない.日本支配からの解放だって,アメリカなどの連合軍のおかげとは言いたくない.対外関係とは,互いに利用し利用される関係なのだとドライに見ている.
失敗すれば,自分達が悪かったと反省するよりも,あいつが悪かったからと言って安心するのですね.
(from SAPIO 2003/11/26号,小学館,p.93-94)
例えばこんな事例も.
初の指揮権で韓国揺れる 「親北」論文の教授捜査で
【ソウル13日共同】 韓国で「親北的」な論文を発表した大学教授への国家保安法に基づく捜査をめぐり,千正培法相が12日,検事総長に対し教授を拘束しないよう命ずる指揮権を発動,波紋を広げている.
韓国紙によると,法相の指揮権発動は史上初で,保守系団体などは反発,韓国政界も賛否が真っ二つだ.
論文の執筆者は東国大学社会学科の姜禎求教授(60).
朝鮮戦争(1950-53年)を北朝鮮による「統一戦争」だったとし,
「米国が介入しなければ戦争は1カ月以内に終わった」
「戦争で生命を奪われた400万人にとって,米国は命の恩人ではない」(強調,引用者)
などとする内容で,ネット新聞を通じて7月に発表された.
これに猛反発した保守系団体が,姜教授を国家保安法違反で告発.捜査に着手した警察は,論文に「利敵性がある」として同法違反容疑で拘束すべきだと判断したが,千法相は12日に突如,不拘束で捜査するよう命ずる指揮権を金鍾彬検事総長に発動した.
韓国:検事総長が提出の辞表を受理
【ソウル堀山明子】韓国の青瓦台(大統領府)は16日,金鍾彬(キムジョンビン)検事総長が提出した辞表を受理すると発表した.
「朝鮮戦争(50~53年)は北朝鮮による統一戦争だった」
などと論評を書いた東国大学社会学科の姜禎求(カンジョング)教授(60)の逮捕方針を決めた検察当局に対し,千正培(チョンジョンベ)法相は12日,拘束しないよう指揮権を発動.検察当局は命令を受け入れたが,金総長は
「検察の中立性を損なう」
として辞表を提出していた.
野党・ハンナラ党は,千法相の解任決議案を提出する構えを見せており,総長の辞任問題が法相解任を巡る与野党の攻防に発展する可能性が高い.
朝鮮戦争では洒落にならない数の米国の若者が他国の助太刀のために命を落としたのに,韓国人は感謝どころか恨み節しか言ってこない…というのは,アメリカ人の間では広く根付いている苛立ちのようですね.
学生時代にお会いした「12月7日に真珠湾にいた」という元米兵のご老人も,似たような事を視線を落として言っておられました.
まぁ,当時は朝鮮戦争の事を殆ど何も知らなかったので,なんのことやらいまいちピンとこなかったわけですが.
【質問】
なぜ韓国の小学生の5人に1人が,「朝鮮戦争は日本が韓国を侵略した戦争」と思い込んでいるのか?
【回答】
ソウル在住10年以上になる黒田勝弘によれば,金大中~盧武鉉政権での対北融和政策と,エンドレスで続いている反日の刷り込み,刷りなおしのせいだという.
今や学校では,お母さんから朝鮮戦争の話を聞いて「金日成は悪いヤツ」と書いた子供の作文に,先生が「子供たちに北への対立感情を持たせるような守旧的な話はしないでください」と注意書きをして,持って帰らせているような状況があり,その一方で日本については,とくに政府,マスコミ,教育界を挙げて「日本が独島(竹島)を奪いにくる!」という“独島ナショナリズム”が強調され,子供たちの頭に「日本は悪いヤツ」イメージを繰り返し刷り込んでいるという.
その結果,韓国の有力月刊誌「月刊中央」2007年7月号が実施したアンケート調査では,「誰がどのように引き起こしたか」という質問に対し,72%が「北韓(北朝鮮)が南韓(韓国)を侵攻した」と正しく答えたが,一方で「日本が韓国を侵攻した」という回答が22%もあったという.
さすがに,「南が北を侵攻した」は2%にとどまったが.
詳しくは
2007/6/19付,産経新聞
や
『SAPIO』2007/7/25号
を参照されたし.
【質問】
2012年の北韓のミサイル発射予告後に,オバマ大統領が視察した「軍事境界線」って何?
【回答】
軍事境界線(MDL:Military Demarcation Line)は,実効支配地域を分割する境界線.
韓国と北韓とのMDLは,特に南北軍事境界線と呼ばれることもある.
(南北ベトナムが並立していた時代には,北緯17度線が軍事境界線とされていた)
1953年7月27日の休戦協定により発効した,朝鮮戦争の休戦ラインであり,北緯38度線とほぼ重なるが,西海岸では北韓が38度線の南に食い込み,東海岸では韓国が北に食い込む形となっている.
この線を挟んで,両軍の間で銃撃戦が発生することも数多く,1960年代から1980年代にかけては,ほぼ毎年死傷者を出している.
【参考ページ】
http://goodboone.com/izime/education/post-345.html
http://kotobank.jp/word/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120325/kor12032513260003-n1.htm
【ぐんじさんぎょう】,2012/04/29 20:30
を加筆改修
【質問】
1996年以降の北朝鮮による主な挑発行為を教えてください.
【回答】
1996年4月4日:軍事境界線(MDL)および非武装地帯(DMZ)の任務放棄宣言
1996年4月5~7日:軍事境界線上の共同警備区域(JSA)に対する武装兵力超過投入(200~300人)および重火器搬入
1996年9月18日:北朝鮮潜水艦が江原道・江陵沖合いで座礁(26人搭乗)
1997年10月17日:武装兵12人が板門店に近い「自由の村」で韓国住民2人を拉致
1998年2月2日:JSAの北朝鮮兵1人が2回にわたりMDLを越え韓国側へ
1998年3月12日:北朝鮮兵12人がMDLを40~50メートル越境(韓国軍は約20発警告射撃)
1998年6月11日:北朝鮮軍詰め所から韓国軍詰め所方向に自動小銃4発発射
1998年6月22日:江原道・束草の沖合いで北朝鮮のユーゴ型潜水艇(工作員潜搬入用潜水艇)1隻(遺体9体)発見
1998年7月12日:江原道・東海の海岸で武装スパイの遺体1体と侵入用水中推進器1台を発見
1999年6月15日:北朝鮮警備艇が黄海上の北方限界線(NLL)を越え韓国側へ.第1延坪海戦が発生
2001年9月19~20日:北朝鮮が京畿道・鉄原のDMZでMDLを越え韓国側へ(韓国軍は警告射撃)
2001年11月27日:北朝鮮が京畿道・坡州のDMZで韓国軍詰め所に機関銃2~3発発射
2002年6月29日:北朝鮮警備艇がNLL侵犯.第2延坪海戦が発生
2003年2月20日:北朝鮮「MiG-29」1機がNLLを13キロメートル南下(韓国軍は戦闘機出撃)
2003年7月17日:北朝鮮が京畿道・漣川のDMZで14.5ミリ機関銃4発を発射(韓国軍は警告射撃)
2003年10月30日:北朝鮮警備艇がNLL越え韓国側へ(韓国軍は警告射撃)
2004年7月14日:北朝鮮警備艇がNLL越え韓国側へ(韓国軍は艦砲射撃)
2004年10月10日:北朝鮮潜水艦が東海(日本名:日本海)侵入との諜報(韓国軍は爆雷投下)
2004年11月1日:北朝鮮警備艇3隻,延坪島沖合いなどでNLL越え韓国側へ(韓国軍は警告射撃)
2009年9月4日:北朝鮮警備艇1隻が白リョン島沖合いでNLL越え韓国側へ
2009年11月10日:北朝鮮警備艇が黄海NLLを侵犯し南下,艦砲50発余りを発射.韓国軍は応射(大青海戦)
2010年3月26日:白リョン島沖合いで1200トン級の韓国海軍哨戒艦が北朝鮮魚雷攻撃により沈没.乗組員104人のうち46人が行方不明に.
2010年8月19日:北朝鮮軍が白リョン島北方の海上に海岸砲10発余りを発射
2010年11月23日:北朝鮮軍が延坪島に砲撃
【参考ページ】
聯合ニュース,11月23日(火)20時12分
【質問】
李中尉亡命事件とは?
【回答】
韓国合同参謀本部関係者(匿名)によれば,2008.4.28未明,北韓軍の李中尉が南北を隔てる軍事境界線の西側から,北韓を脱出して韓国側の監視所に到達し,政治亡命を求めた事件.
報道では姓しか公表されていない模様.
北韓軍人の韓国亡命は約10年ぶりだという.
【参考ページ】
2008.4.28,CNN
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