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小川和久 in twitter◆(2011/12/07)
日本の集団的自衛権の議論はおかしい.
集団的自衛権の本質はアテになるかどうか.
米国の同盟国で片務的でない国は皆無.
最も双務性が高いのは日本.
国際平和協力活動は,集団的自衛権の対象ではない.
隣にいる「友軍」は中国軍かもしれない.
「任務への攻撃」に反撃するか,救援するか.
一般論は不可.
「国立国会図書館」:集団的自衛権の法的性質とその発達―国際法上の議論:安全保障の今日的課題(登録日:2009-02-24)(PDF)
『新版 集団的自衛権 新たな論争のために』(佐瀬昌盛著,一藝社,2012.7)
【質問】
集団的自衛権とは?
【回答】
▼ ある国が武力攻撃を受けた場合,これと密接な関係にある他国が共同して防衛にあたる権利.
1945年に署名・発効した国連憲章第51条において初めて明文化され,国連加盟国に認められている.
そして,集団的自衛権の解釈は,次の三つに大別される.
1) 個別的自衛権共同行使説 ;集団的自衛権は,一国に対する武力攻撃が行われることによって,他の諸国も各自の個別的自衛権を共同して行使する,又は地域的安全保障に基づいて共通の危険に対処するための共同行動をとるか,いずれかの場合とする定義
2) 個別的自衛権合理的拡大説;集団的自衛権は,自国と密接な関係にある他国に対する攻撃を,自国に対する攻撃とみなし,自国の実体的権利が侵されたとして,他国を守るために防衛行動をとる権利であるとする考え方
3) 他国防衛説 :集団的自衛権とは,他国の武力攻撃に対して,自国の実体的権利が侵されていなくとも,平和及び安全に関する一般的利益や被攻撃国の国際法上の権利(領土保全・独立等)を守るために,被攻撃国の自衛行動を支援する権利であるとする考え方
簡単に喩えて言うならば,
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「おまえが同僚を撃ったら,俺が撃たれたのと同じだからおまえをバズーカで撃つぞ」
ってのが集団的自衛権.
重要なのは,「犯人が撃ってくる,或いはすぐにでも撃ってくる可能性があり,警官と同僚警官の双方にリスクがある」場合でないと,同僚を庇って撃つ,てのができない.
6:46 7月2日(水)
加藤AZUKI@かき入れ時 @azukiglg in twitter
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/484226684560752641?p=v
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ということになるだろうか.
【参考ページ】
http://kotobank.jp/word/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%9A%84%E8%87%AA%E8%A1%9B%E6%A8%A9
http://mediawatchjapan.com/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%9A%84%E8%87%AA%E8%A1%9B%E6%A8%A9-%E8%AB%96%E7%82%B9%E6%95%B4%E7%90%86/
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/073002.pdf
【ぐんじさんぎょう】, 2014/07/08 20:00
を加筆改修
▲
同盟国が攻撃を受けた場合,それを見殺しにせず,自国が攻撃を受けなくても
同盟国と共に戦う資格を保有するという概念.
独立国家が個別に保有する自然権で,国連憲章第51条にも記載されている.
「各加盟国は個別的,または集団的自衛の固有の権利を有する」
(国連憲章51条)
集団的自衛権行使(発動)とは同盟国からの要請を受け,その要請を受諾し同盟国とともに戦いに参加するこ
と.国家(機関)理念の崇高さ,同盟国との信頼関係を世界に示すための外交政策のひとつ.
理論上は,国益に資さないと国家(機関)指導部が判断した場合は,要請を拒否することができる.
内閣法制局が法律解釈して済むレベルの話ではなく,国家のトップのみ扱うことが許される政治判断である.
日本の国内事情をよく知る米国は,現状のわが国には絶対に要請しない.
イラク派遣の場合,わが国は独自に部隊を派遣している.
このことをくどいほ ど主張しているのは,集団的自衛権を行使していない事実をはっきりさせるた
めである.
姑息とも言えるやりかただが,米国はその真意を理解しており,日本のとった
行動を高く評価した.
結果,米国は国益に関係のない拉致問題を支援し,わが国
はその進展を見た.
敵性勢力の弾道ミサイルが領土内に打ち込まれると想定した場合,それが在日米軍基地を対象とするのは明白で,その際,自衛隊は当然迎撃を行なうが,現状では集団的自衛権行使の宣言が迎撃後になってしまうのは明らかである.
事後報告で宣言した場合,国会が政局化し,国論は二分され,政情不安が発生する恐れが想定される.
有事に政情不安をもたらすことのないよう,政府は「集団的自衛権行使」を平時に明言しておくべきと考える.
対象となるわが国の同盟国は米国のみであり,近隣諸国との外交上も大きな意味があると考える.
【質問】
集団的自衛権行使を憲法は禁じているのか?
▼ 【回答】
いいえ.
相反する見解がある.
ごく大雑把に纏めれば,
軍事学的立場にある側は「集団的自衛権行使を必ずしも憲法は禁じているわけではない」
法学的立場にある側は「違憲である」
という見方が多い模様.
前者においては,以下のような合憲論がある.
すなわち,
「憲法が禁じているのは,9条2項での『国家間の紛争を武力で解決することはしない』であって,集団的自衛権行使とは何ら関係がない」
と,論旨を要約できよう.▲
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すでに皆さんご存知のように,自衛権は国連憲章で認められた国家の権利であり,それを行使するかどうかは政府に委ねられているわけです.
集団的自衛権というのは,同盟国が攻撃を受けた際,自らは無事でも,同盟国を見殺しにすることなく一緒に戦うことを指します.
しかし,それを行使(実行)するか否かは,軍最高司令官(日本でいえば首相)の意思決定ひとつにかかっています.
すなわち,集団的自衛権行使という言葉は,法律用語ではなく,指導者の意思決定にかかわる純然たる政治用語なんです.
憲法で規定されているわけがありません.
憲法が禁じているのは9条2項での「国家間の紛争を武力で解決することはしない」ということで,これはこれで大問題ですが,集団的自衛権行使とは何ら関係がありません.
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政府憲法解釈は,
「国際法上,国家は,集団的自衛権,すなわち,自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を,自国が直接攻撃されていないにも関わらず,実力をもって阻止する権利を有するものとされている.
我が国が,国際法上,このような集団的自衛権を有していることは,主権国家である以上,当然であるが,憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は,我が国を防衛するため必要最小限の範囲に留まるべきものであると解しており,集団的自衛権を行使することは,その範囲を超えるものであって,憲法上許されないと考えている」(1981年5月,政府答弁書(8))というものである.
しかし,
(1) 政府憲法解釈において,個別的自衛権と集団的自衛権との間に線引きをしていることは,法の一般原則=民放や刑法の正当防衛の考え方(9),に反する.
そもそも,日本語でこそ,別の言葉が当てられているが,「正当防衛」と「自衛」は,英語ではどちらもself-defenseであり,フランス語でもどちらもlégitime défenseだ.
私人間の「正当防衛」の場合と国家がからむ「自衛」の場合とを別に論じることなど不可能なのだ.
いわんや,その正当防衛=自衛,にあって,守られる対象が自分(自国)の場合と他人(他国)の場合とを区別する考え方など,存在しうるわけがない.
(2) 政府憲法解釈が,極めて狭い集団的自衛権の定義を採用していることもおかしい.
政府の憲法解釈は,自分(自国)の正当防衛(自衛)=個別的自衛権の行使と,他人(他国)の正当防衛(自衛)=集団的自衛権の行使,とを区別しているだけでなく,自分(自国)と密接な関係にある他人(他国)と密接な関係にない他人(他国)とを区別し,後者を対象とする正当防衛(自衛)を集団的自衛権論議の対象から外すというとんでもないものである(10).
また,集団的自衛権の行使を,「武力攻撃を……実力をもって阻止する」ことに限定していることも,政府自らのかつての集団的自衛権の定義を著しく狭めたものであり,恣意的である.
(3) 集団的自衛権の保有と行使と分離できるとしていることも非論理的である.
政府の憲法解釈は,個別的自衛権の保有とその抑制的行使を認めながら,集団的自衛権については,保有を認めつつも一切の行使を認めないという非論理的なものだ.
その詳細については,注8の佐瀬昌盛氏の書にゆずる(氏は,「国際法上」保有を認めながら,「憲法上」行使を認めない政府解釈の非論理性を完膚なきまでに論証している).
(4) 日本が締結している様々な条約に抵触する憲法違反の解釈である.
日本国政府は,日本国憲法が1946年に公布された後,次に掲げるように,5度にもわたって日本が「個別的または集団的自衛の固有の権利を有する」と国際条約上確認を繰り返してきている.
(a) 国際連合憲章(1945年発効.日本の国連加盟は1956年)第51条には,
「この憲章のいかなる規定も,国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には,安全保障理事会が国際の平和および安全の維持に必要な措置をとるまでの間,個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない」
と記されている.
(b) 日本国との平和条約(1951年調印)第5条(C)項では,
「日本国が……個別的または集団的自衛の固有の権利を有すること……を承認する」
としている.
(c) 旧日米安保条約(1951年調印)前文では,
「国連憲章は,すべての国が個別的または集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」
としている.
(d) 日ソ共同宣言(1956年署名)第三項第2段では,
「日本国およびソヴィエト社会主義共和国連邦は,それぞれ他方の国が……個別的または集団的自衛の固有の権利を有することを確認する」
としている.
(e) 新日米安保条約(1960年調印)前文では,
「両国が……個別的または集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」
ている.
これら条約における「集団的自衛の固有の権利を有する」の意味は,既に述べたような法の一般原則や国際通念に則って理解されなければならない.
日本国憲法は,第98条で,
「日本国が締結した条約……は,これを誠実に遵守する……」
としているのであるから,第9条の解釈も,日本がこのような意味で「集団的自衛の固有の権利を有する」ことを否定するようなものであってはならないはずだ.
しかるに,政府憲法解釈は,これら条約の該当箇所を真っ向から否定するものであり,憲法違反である.
すなわち,政府憲法解釈は,およそ法律解釈の名に値しない代物なのだ.
それだけではない.
何よりも私が問題視しているのは,こんな政府憲法解釈は道義に反するということだ.
自分の身を守ることなど,当り前の話であり,どんな動物でも行っていることである.
その一方で,動物が決してできない,人として一番尊い行いは,自らの命を顧みずに危機に瀕している見ず知らずの他人を救おうとすることであろう.
現行の政府憲法解釈は,言わば,他国(他人)のことを見て見ぬ振りをしなければならないと言っているに等しい.
これは政府によるエゴイズムの奨励で在り,戦後日本の道義が廃れる大きな原因の一つになっていると私は思っている.
政府憲法解釈がエゴイズムの産物であることは,「自国(自分)と密接な関係にある外国(他人)を救うことを集団的自衛権行使の定義とする所に端的に現れている.
救うかどうかを考慮する相手を家族や友人だけに限定し,しかも考慮の結果これらの人々も救ってはいけないことにしたというのであるから,何をかいわんやである.
(8) 佐瀬昌盛『集団的自衛権 論争のために』PHP新書,2001年,124〜125頁.------------太田述正著『防衛庁再生宣言』(日本評論社,2001/7/5),p.71-74
(9) 「他人ノ不法行為ニ対シ自己又ハ第三者ノ権利ヲ防衛スル為メ已ムコトヲ得スシテ加害行為ヲ為シタル者ハ損害賠償ノ責ニ任セス」(民法720条1項).
「急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛する為め已むことを得ざるに出でたる行為は之を罰せず」(刑法36条1項).
(10) 佐瀬,前掲書,114頁.
「週刊オブイェクト」●軍事評論家
の,太田述正に関するエントリを見ても分かるように,自己検証能力欠如という点において,太田個人の平均的信頼性には問題があるようだが,これは元ソースが明確であり,その限りにおいては一定の信頼性があると思われる.
▼ 一方,法曹側の人々は,そもそも憲法9条原理主義の立場に近い.
それは日本弁護士連合会(日弁連)の平成26(2014)年5月30日の定期総会における決議文,
>憲法第9条は一切の武力による威嚇・武力の行使を放棄し,他国に先駆けて戦力の不保持,交戦権の否認を規定して,軍事力によらない徹底した恒久平和主義を実現しようとするものであって,これらは世界に誇りうる先駆的意義を有する.
>
>憲法の徹底した恒久平和主義の下における外交・防衛政策は,軍事力によるのではなく,あくまでも平和的方法による国際的な安全保障の実現でなければならない.
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/assembly_resolution/year/2014/2014_2.html
からも容易に推察される.
「地球市民集会 〜憲法九条を守れ〜 11月2日 弁護士会館」
「兵庫県弁護士会主催憲法市民集会「語り合おう憲法〜憲法9条と自衛隊・イラク戦争〜」」
「日本弁護士連合会憲法委員会 講演会「憲法9条・日米安保・日本の平和主義」」
など,いわゆる護憲活動も盛んなようである.
その流れから,集団的自衛権に関しても反対の立場にある.
すなわち,集団的自衛権についての旧来の政府見解を支持し,解釈変更は許されない,としている.
以下引用.
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憲法9条1項は戦争を放棄しているが,自衛のための抗争は放棄していない.
一方,憲法9条2項は戦争・戦力を放棄しているが,自衛のための“必要最小限度”の実力行使は禁止していない.
そして,次の3つの条件を満たす場合にかぎり,“必要最小限度“の実力行使として許される.
(1)我が国に対して急迫不正な侵害があったこと
(2)これを排除するために他に適当な手段がないこと
(3)その急迫不正な侵害を排除するために必要最小限度の実力の行使にとどまること
このように政府は,自衛権の行使を理解してきました.要するに,(1)日本に対する攻撃が開始され,(2)他の手段がないならば,(3)やりすぎない限度で武器を使えるということです.
集団的自衛権は,国連憲章51条により,国際法上認められている権利.
そのため,日本も集団的自衛権は持っている.
ところが,集団的自衛権を行使することは,(1)の日本に対する急迫不正の侵害がないため,“必要最小限度”とはいえない.
だから,日本は,国際法上は集団的自衛権を持っているけれども,その行使は憲法9条により禁止されている,とされてきたわけです.
http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_1774/
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ところが,現在,政府は,この政府解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認しようとする方針を打ち出しています.
しかし,これまで政府は,集団的自衛権の行使は許されないとする解釈に関し,政府による法令の解釈は「論理的な追求の結果として示されてきたもの」と説明していました.
長年の議論によって積み重ねられてきた解釈を変更することは,立憲主義の観点から極めて問題があります.
戦争と武力紛争,そして暴力の応酬が絶えることのない今日の国際社会において,日本国民が全世界の国民とともに,恒久平和主義の憲法原理に立脚し,平和に生きる権利(平和的生存権)の実現を目指す意義は依然として極めて大きく重要です.
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http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/constitution_issue/matter.html
▼ 以下は編者の私見である.
集団的自衛権を巡る問題は,結局ツール(道具)の問題にすぎない.
憲法も集団的自衛権も,国家存立とその有り方をどのようにするかのための道具立ての一つにすぎない.
道具が古ければ変えられる.
しかし重要なツールであるから,安易に変えるのもまずい.
それだけの話に過ぎない.
しかるに,集団的自衛権を巡る議論は,少なくとも日本においては,国家存立とその有り方をどのようにするかの話がどこかに行ってしまい,ひたすら道具を変える/変えるなの話をしているにすぎない.
これでは結局,最後は「道具」に対する信仰告白合戦にしかならない.
本件の「議論」が堂々巡りにしか見えないのは,そのためであろう.▲
【質問】
憲法における解釈変更は,解釈改憲と呼んでいいのか?
【回答】
上智大学教授,村瀬信也によれば,それは短絡思考であるという.
法の解釈はもとより一義的ではなく,政府が一定の事情の下,その変更に合理性・実効性が認められ,かつ,その変更に対する国民の支持があるならば,現行法の枠内で正当化されるだろうという.
詳しくは
『ジュリスト』,2008.2.1号,p.93
を参照されたし.
▼
一方,伊藤建(たける)弁護士は,「憲法9条とは矛盾しないから解釈改憲ではない」という安倍政権の理屈を紹介した上で,以下のように述べている.
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「反対のポイントは,3つあります.
1つ目は,そもそも『集団的自衛権の行使を認める必要はない』という主張です.
日本が他国の戦争に巻き込まれることになる,政府が集団的自衛権の行使が必要だと主張する場面は非現実的だ,これまでの個別的自衛権の行使でも十分対応できる,と指摘されています.
2つ目は,『集団的自衛権の行使は憲法9条の解釈の限界を超えている』という主張です.
憲法9条が許しているのは,日本の自衛のために実力行使をすることだけだ.
日本が攻撃されていないのに,他国のために実力行使ができるという集団的自衛権の行使は,解釈上認められないと指摘しています.
3つ目は,『閣議決定による解釈改憲ではなく,憲法改正によるべきである』という主張です.
憲法は,政府を縛るために国民に与えられたもの.
そのため,縛られる側の政府が勝手に憲法解釈を変更することはできない.
変更するならば,憲法改正手続により,各議院の総議員の3分の2以上の賛成と国民投票による承認という難しい“入学テスト”をクリアするべきである,というわけです.
http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_1774/
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一つ目のポイントはともかく,他の二つはそれなりの説得力を持つだろう.
集団的自衛権の解釈変更をまとめた図
(こちらより引用)
▲
【質問】
どんな理不尽な解釈であれ,それを憲法改正手続きによらず,政府の憲法解釈変更により改めることは,恣意的な憲法解釈変更への道を開くことになるのでは?
【回答】
これまでも変更されているので問題ないと,太田は述べる.
以下引用.
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実際問題として,政府の憲法第9条に係る解釈は,過去3回(数え方によっては5回)も変更されてきて,4通りもあるのだ.
<個別的自衛権関係>
(1) 日本国憲法審議(1946年)の際の政府憲法解釈
(2) 警察予備隊発足(1950年)時の政府憲法解釈
(3) 保安隊発足(1952年)時の政府憲法解釈
(このときは「戦力=近代戦争遂行能力」だったが,自衛隊発足(1954年)時には,これが「戦力=必要相当な範囲を超える実力行使」と言い換えられ,それがさらに「戦力=必要最小限度を越える実力行使」に言い換えられて現在に至っている)
<集団的自衛権関係>
(4) 日米安保改定(1960年)時までの政府憲法解釈
(自国と「密接な関係のある」「外国」に対する基地提供や経済援助による集団的自衛権行使を認めていた(11))
(5) 現在の政府憲法解釈は,(4)を含め,一切の集団的自衛権の行使が禁止されているというもの.
したがって,これほど理不尽な解釈であれば,それを4回目(数え方によっては6回目)の憲法解釈変更の対象にすることに何ら問題はあるまい.
新たな9条解釈はこうなる.
「我が国は,(個別的と集団的とを問わず)自衛権を保有しており,その行使に当たっては,必要最小限度の武力行使ができる」
(11) 佐瀬昌盛『集団的自衛権 論争のために』PHP新書,2001年,147〜148頁.------------ 太田述正著『防衛庁再生宣言』(日本評論社,2001/7/5),p.74-76「週刊オブイェクト」●軍事評論家
の,太田述正に関するエントリを見ても分かるように,自己検証能力欠如という点において,太田個人の平均的信頼性には問題があるようだが,これは元ソースが明確であり,その限りにおいては一定の信頼性があると思われる.
▼
一方,伊藤建(たける)弁護士は,国民が判断すべきことだと述べている.
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「許すか許さないかは,主権者であるみなさん自身が選挙において判断するべきことです.
とはいえ,『集団的自衛権の行使は不要である』という憲法学者のみならず,かつて自民党の勉強会に招かれ,『憲法9条を改正して集団的自衛権の行使を認めるべきだ』と主張していた小林節・慶應大名誉教授や,元内閣法制局長官である大森政輔氏,阪田雅裕氏,山本庸幸氏の3人までもが『解釈改憲は許されない』という意見を表明している点は注目すべきでしょう.
今回認められた集団的自衛権の行使は,個別的自衛権の行使に毛が生えただけだとの見方もあります.
しかし,その毛を生やすか否かについて,国民的な議論を尽くしたうえで,憲法改正手続により国民自身が決断するべきである.
それが憲法の流儀だということです.
解釈改憲を許すならば,次回の選挙で自民党・公明党に投票すればよいでしょう.
他方,許さないならば,自民党・公明党ではない議員に投票しなければなりません.
自民党・公明党が嫌だから選挙に行かない,というのはダメです.
残念ながら,誰にも投票しなければ,みなさんの意見は無視されるだけです」
http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_1774/
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後者の意見のほうが,より説得力を持つように思われる.
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【質問】
集団的自衛権行使の制限は,法律判断のレベルなのか?
それとも単なる政策的判断のレベルの問題なのか?
【回答】
前者は憲法解釈説,後者は政策説と称されるが,上智大学教授,村瀬信也によれば,従前から政府部内では見解の相違があり,政府として最終的に「不行使」を確認した1981年「答弁書」においても,両説が並存しているという.
しかし憲法9条は自衛権を何ら規定しておらず,少なくとも規定上からは,「個別的自衛権についてはこれを容認し,集団的自衛権については,その保有を認めつつ,行使を認めない」ということの根拠を見出すことはできないため,「憲法解釈説」では根拠に乏しく,「政策説」が妥当であるという.
国家が国際法上認められている権利を,政策的に権利放棄または一方的停止をすることは国家の自由であり,安全保障の分野でも,権利の行使を控えることは良く見られる現象であるという.
(たとえば,非同盟中立主義を掲げる多くの国々が,「政策」として中立政策をとっている場合,同盟の権利から見れば,単にその権利を政策として放棄ないし停止しているに過ぎない)
詳しくは
『ジュリスト』,2008.2.1号,p.94-96
を参照されたし.
unknown
▼ 2014年7月1日,自民党と公明党はこれまでの憲法解釈を見直し,集団的自衛権の行使を容認することで合意しました.
これにより集団的自衛権の行使が可能になりました.
集団的自衛権の行使容認で自公が合意,今夕に閣議決定へ | Reuters
集団的自衛権は同盟国が攻撃された場合,攻撃を受けていない自国がその同盟国と共に共同で防衛する権利の事です.
戦争に巻き込まれるという議論を聞きますが,逆に言えばその同盟国が攻撃されなくて,その国が勝手に戦争を始めてもその戦争に付き合う義務は存在しないと言う事も言えます.
集団的自衛権が行使された最近のケースとしては,アメリカ同時多発テロ事件の際にNATOは集団的自衛権を発動,NATOのAWACS(機体はルクセンブルク所属)が米本土で活動したケースがあります.
アフガニスタン侵攻における国際治安支援部隊(ISAF)の派遣については,正しくは国際連合安全保障理事会決議1386に基づいて創設されたもので,集団的自衛権とは関係はありません.
さて,ロイターでの報道を見ると,自公が合意した集団的自衛権行使の要件は以下の通りです.
閣議決定の文案は,日本と密接な関係にある国が攻撃された場合,
1)日本の存立が脅かされ,国民の生命,自由と幸福の追求権が根底から覆される明白な危険がある
2)日本の存立を全うし,国民を守るために他に適当な手段がない
3)必要最小限の実力行使にとどまる
──の3条件を満たせば,集団的自衛権は「憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」としている.
我が国の存立や国民の生命と財産,人権が脅かされた場合には行使は可能とされています.
これは具体的には,これまでいろいろ制約があった海外での邦人救助やPKOでの駆け込み警護を意味します.
ただし,例えばインド洋において米海軍の艦艇が何者かに攻撃されても,日本には防衛する義務は存在しない事にもなります.
これは日米安全保障条約の極東条項では「大体においてフィリピン以北,日本及びその周辺地域」とされているためです.
極東 - Wikipedia
日米安全保障条約(新) - 東京大学東洋文化研究所
>第四条
> 締約国は,この条約の実施に関して随時協議し,また,日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも,いずれか一方の締約国の要請により協議する.
おそらくこの極東条項が集団的自衛権行使の根拠となりえます.
太平洋安全保障条約や米韓相互防衛条約でも締結国の領土保全や政治的独立が脅かされた場合には,いつでも協議を行うとされており,ドミノ理論を以ってベトナム戦争での派兵の根拠ともなりました.
(もっともかなり苦しい言い訳にしか見えませんが).
しかし日米安保条約では,ベトナム戦争はこの極東条項範囲外でしたので協議もなく,米戦略航空軍団(当時)のB-52Dの出撃基地である嘉手納基地があった沖縄県は,当時は米軍占領下にありましたので基地使用に関する協議は行えませんでした.
ただ,この極東条項における集団的自衛権の適用が今回可能になります.
まぁ確かに,朝鮮半島有事や台湾有事は我が国の安全保障に直結するのは確かですが,この規定だと極東以外で,かつイラク戦争のようにアメリカの侵攻においては集団的自衛権の行使は不可能で,極東以外では邦人救助やPKOの駆け込み警護のみ,集団的自衛権の行使が可能になります.
ですので集団的自衛権=戦争に巻き込まれる,というのはむしろ飛躍した議論で,むしろ日本国憲法第9条第1項にある侵略戦争の禁止条項の悪用が問題にされそうな気がします.
憲法第9条第1項は侵略戦争を禁止する一方で,防衛戦争は禁じていませんが,それと同時に制裁戦争も禁じていません.
つまり制裁戦争に参加してもいいという事になります.
そうなるともしアメリカが某国への侵攻を制裁戦争だから参加すべきとなれば,その戦争に参加が可能になる危険性があります.
集団的自衛権よりむしろその方が,戦争に巻き込まれる可能性が高いのです.
ですから日頃のニュースを十分チェックし,国家の主権者たる国民の憲法に書かれていない義務である政治の監視は行うべきでしょう.▲
ねらっずーり in mixi, 2014年07月06日
青文字:加筆改修部分
【質問】
集団安全保障下の国際平和活動に関する武器の使用は,憲法9条で禁止されている武力行使に当たるのか?
【回答】
上智大学教授・村瀬智也によれば当たらないという.
なぜならば集団安全保障は言うまでも無く,集団的自衛権とは別物であり,国際平和活動のために軍事力を用いることは,そもそも個別国家が行う「武力の行使」ではなく,国際の平和と安全の維持という国際公益を実現する目的で,国連安保理その他の権限ある機関の決議・要請によってとられる「強制行動
enforcement actions」であり,そこでの軍事活動は「武器の使用
use of weapons, arms」として,「武力の行使」とははっきり区別しなければならないという.
そしてこうした区分は,国際法のイロハに属する常識であり,その任務が各国部隊のチームワークで成り立っている以上,他国部隊への「駆け付け警護」などは当然の任務と考えられる,と村瀬は述べている.
詳しくは
『ジュリスト』 2009.2.15号,p.53-54
を参照されたし.
こうした国際常識に背を向けようとするならば,鎖国でもするしかないだろうね.
【質問】
国連の活動とはいっても,日本がその意思によって受け入れたものである以上,「わが国の行為」であることに変わりは無いのではないか?
【回答】
上智大学教授・村瀬智也によれば,我が国が受け入れるのは,国連などの「決議」ないし「要請」によるものであり,そのことを無視して,「わが国の行為であることに変わりは無い」などと短絡するのは誤りであるという.
また同様に,作戦上の指揮権が国連側にあるのか,部隊派遣国側にあるかについても,その組織ないし任務の国際的正確を変えるものではないという.
詳しくは『ジュリスト』 2009.2.15号,p.54を参照されたし.
【質問】
国連の活動とはいっても,それが「国際紛争を解決する手段」であることには変わりはないので,憲法9条の禁止する「武力の行使」に当たる行為については,日本はそれを許されないのではないか?
【回答】
上智大学教授・村瀬智也によれば,憲法9条で規定しているのは,「日本が当事者となっている」国際紛争を解決する手段という意味であり,日本が当事者となっていない国際紛争,すなわち「第三国間の国際紛争」の解決努力に日本が参加することを禁じる趣旨では毛頭なく,むしろ,憲法前文等の趣旨からは,積極的にコミットすることが求められている分野であるという.
また,集団安全保障の下でとられる軍事的措置は,「強制行動 enforcement actions」と呼ばれるように,国際公益を実現するための措置であり,国際的な法執行・警察行動としての「武器の使用」であることは,ケルゼン H. Kelsen の1848年の論文 "Collective Security and Collective Self-Defence under the Charter of the United Nations", American Journal of International Law, vol.42 以来の,世界の国際法学者の常識であるという.
これは個別国家が自国利益の追求のために,自国が当事者となっている国際紛争解決のために行う「武力の行使」とは,全く異質な行動であると,村瀬は述べている.
詳しくは
『ジュリスト』 2009.2.15号,p.55
を参照されたし.
【質問】
日本政府は,国連軍などの武力行使と一体化すると違憲になるという見解だが?
【回答】
上智大学教授・村瀬智也によれば,そのような一体化論は,そもそも論じる意味がないという.
なぜなら上述のように,国連の集団安全保障等の下に行われる強制行動その他の軍事行動は,個別国家が行う「武力行使」ではなく,憲法9条の枠外でとらえるべきものであるからだという.
しかも,国連PKOなどは,国連の統一的コマンドの下でその任務を遂行することが不可欠であり,「一体化」された軍隊として行動することは,むしろ基本的要請であるという.
詳しくは
『ジュリスト』 2009.2.15号,p.55-56
を参照されたし.
【質問】
集団的自衛権が容認されると,戦争に巻き込まれるの?
【回答】
うーん…,どういう状態を「巻き込まれた」とするかの定義にもよるのだけれど,日本が国際社会の一員である以上,集団的自衛権の有無に関わらず,巻き込まれるときは巻き込まれるのではないかなあ.
例えばいわゆる周辺事態のケース.
マラッカ海峡などをはじめとして,日本の海運ルート上で武力紛争が起これば,それだけでロイズの保険料がハネ上がって,物価にダイレクトに影響するし,最悪通れなくなるという事になれば,エラいことになるからなあ.
そういったときに,「九条のためなら,たとえ餓死してもOK」みたいな人たちはともかく,大多数の人はそうではないのだから,紛争解決のために必要なら武力行使せざるを得なくなると思うし,そうなれば典型的な「巻き込まれ」だしなあ.
それがどうしても嫌やというなら,江戸時代のように完全自給で賄うしかない(事実,そう主張していた人もいたはず)のだが,たしか完全自給自足で賄える人口は,6千万人かそこら,天候不順の時には飢饉リスクあり,ではなかったかなあ.
もちろん生活水準は,江戸時代の農民のランクに落ちるしね.
中東派兵を懸念するtweetも見たことがあるけれど,まあ資源をこれほど輸入している国が,「紛争については知らんぷり,他国に全部お任せ」では通らんだろうしなあ.
国際社会は,日本のために奉仕する存在ではないのだから,そんな自己中心的な国は,袋叩きになるだろうしなあ.
まあ,だから,資源輸入が大ピンチになれば,否応なく巻き込まれるよね?
実際に湾岸戦争でもイラク戦争でも,そのそれぞれの当時の日本にできる範囲での貢献を要求されたよね?
そして日本は掃海部隊や復興支援部隊を送ったよね?
そういうのも「巻き込まれ」だよね?
それがどうしても嫌やというのなら,やはり飢饉上等!の完全自給自足を目指すか,さもなきゃ,大国に頭を下げて,大金も積んで,「代わりにやってもらう」しかないのだけれど,頼まれた側が気が進まなければ,日本は詰むよなあ.
しかも大国によっては,えげつないほどの対価を要求されそうだしなあ.
たとえば中国に頭を下げた場合に,どれほどの対価を要求されるだろうかと考えると,寒気がするよね.
同盟国,すなわちアメリカの始めた,日本とは全く無縁の紛争に,日本が狩り出されることを懸念する声もあるけれど,これも集団的自衛権の有無とは関係なく,アメリカが必要とすればそれを要求してくるしなあ.
たとえば南スーダンなんて,アメリカの都合で要求されて自衛隊を派遣している典型例だと思うんだがなあ.
国連常任理事国入りを目指して実績を積みたい日本外務省の思惑と,アメリカの要求とが一致した例だよね.
しかも南スーダン国内では内戦も起こって,初の発砲という事態もあり得たんじゃないかと思うのだけれど,集団的自衛権を巡って吹き上がっている「巻き込まれ」論者は,この件には殆ど何も言っていないよね?
それが嫌だというのなら,同盟を破棄して,一国防衛主義を目指すしかないのだけれど,それがどんなに重い負担になるかは,いまさら言わなくても分かるよね? 同盟という概念自体が,複数国で負担しあって,それぞれの国の負担を軽減しようというものだからね.
「お前らは俺を助けろ.俺はお前を助けないけどな」
なんて態度は,国際社会ではもちろん,日常社会ですら通用しないからね.
実際,日英同盟が壊れた一つの要因にもなったからね,そういう態度は.
もちろん実際には第一次大戦では,日本は海上護衛では英国を助けたのだけれど,ヨーロッパの塹壕で,肩を並べて助け合わなかったというのは,悪印象をもたらしたし,ネガキャンの材料にもなるからね.
以上,そんなわけで,集団的自衛権と,戦争に巻き込まれるかどうかは,全くの別問題だと思うのだがなあ.
【質問】
日本みたいに片務的な安全保障条約が結べてる国にとって,集団的自衛権の行使って,戦争に巻き込まれる可能性が高くなるだけじゃないんすか?
【回答】
戦争に巻き込まれる,巻き込まれないって,最大要因は地理的条件だから,外交関係はあまり関係ない.
例えば,サンマリノ共和国は,その防衛は条約に基づいてイタリアが責任を持つことになっている.
で,イタリアは旧ユーゴ紛争がらみで派兵したことがあるけど,サンマリノは旧ユーゴ紛争に巻き込まれましたか?
パラオ共和国,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国なども,アメリカと片務的な安保関係にありますが,それで対テロ戦争に巻き込まれましたか?
ついでに,第二次大戦中のイランは,中立を宣言したにも関わらず,「ソ連への補給路が必要」との理由で,英ソ両国から攻撃されてますが.
戦争・国防板,2009/07/30(木)
青文字:加筆改修部分
本日8月15日は終戦記念日です.
そして今年の終戦記念日は終戦から70年となります.
その終戦記念日に,安倍晋三首相は内閣総理大臣談話を発表しました.
平成27年8月14日 内閣総理大臣談話 | 平成27年 | 総理指示・談話など | 総理大臣 | 首相官邸ホームページ
この談話についてはアメリカ,オーストラリア,フィリピンが歓迎の意を表明,
台湾も特に批判はしない表明を出しています.
「日本はすべての国の模範」,米が戦後70年談話歓迎 | Reuters
70年談話,海外反応は様々 メディアは厳しい声も :日本経済新聞
現在,我が国の国会では安保法制が議論されています.
これは集団的自衛権の行使のための法整備です.
集団的自衛権は内閣法制局では
「合憲だが政治上の理由から行使できなかった」
という解釈でしたが,この解釈を変更した事になります.
つまり内閣法制局の解釈であって,憲法論争まで発展する事ではないという事です.
正直,当方としては「安保法制は戦争法」というレッテル貼りにも「戦後レーシム」の脱却とやらにもあまり興味がありません.
しかし重要なのは集団的自衛権の行使のための法律ではなく,どうしたら戦争を防止出来るか,どうしたら集団的自衛権の行使を防ぐかという事です.
つまり法律とそれを行使するまでの課程は全く別問題であり,問題はそれをどう行使しないようにするのかという事です.
そのためには外交努力も不可欠です.
また,集団的自衛権は,例えば我が国の同盟国であるアメリカの軍が攻撃された場合に反撃のために武力行使を含む支援を行う事ですが,どうしたら米軍への攻撃を防げるか,という事.
そうなれば外交努力だけでなく攻撃を防ぐための装備とそれを運用するための訓練,その装備を運用するための人員の教育もまた不可欠となります.
よく言われるのが,相手国が我が国本土にミサイルを撃ち込んでくるA2ADの脅威に対抗するために,我が国も相手国を攻撃出来るミサイルを導入すべきだという意見です.
これは多分相互確証破壊からヒントを得た意見なのでしょうが,これは核弾頭を搭載した弾道ミサイルや巡航ミサイルにのみ通じる話で,通常弾頭搭載のミサイルだと,かえって両国間で緊張を増してしまう結果に繋がりかねません.
むしろそれならばそのミサイルを迎撃し,相手側の攻撃を無力化する方が,相手側もミサイルを撃っても効果がないという事で,これもまた抑止力となります.
中には「『戦争はだめ』では生き残れない」などと言う人もいますが,戦争とは外交のぶつかり合いの延長で最終手段です.
その最終手段に至らないためにはどうすべきかという事をまず考えるべきです.
そうなると結論に達するのは,上記のように外交努力と相手側の攻撃を無力化するための装備の導入・運用・訓練,つまり抑止力という事になります.
「『戦争はだめ』では生き残れない」という人は,敗戦の可能性というのを理解していないのでしょう.
こんな事は小学生でもわかる話ですが・・・.
一方で,仮想敵国との軍事交流も不可欠です.
今年の米・モンゴル共同主催のPKO(国連平和維持活動)共同訓練「カーン・クエスト」では,陸自と中国陸軍が共同訓練を行いました.
ウクライナ紛争や南シナ海情勢の悪化で新冷戦が勃発しましたが,一方で冷戦がエスカレートしないようにPKOの枠組みでの合同軍事演習を行う事は歓迎すべきでしょう.
自衛隊員がAK小銃を使って中国軍と共同訓練するという新鮮な光景…モンゴル開催の合同演習カーンクエスト2015! : 軍事・ミリタリー速報☆彡
戦争は絶対に避けなければなりません.そのためにどうすべきか.
今年の終戦記念日はまずそれを考えるべきではないかと当方は思います.
ねらっずーり in mixi, 2015年08月15日
青文字:加筆改修部分
【質問】
集団的自衛権の行使を認めてしまえば、米国が求めてくる軍事協力を拒否する非常に有効なカードを失うことになるのでは?
【回答】
それは集団的自衛権の有無の問題ではなく,外交交渉能力の問題ではないかなあ.
まず,
「お前の国にはお前の国の事情があるかもしれないが,俺の国には俺の国の事情がある.
だから話し合いで,どちらがどれだけ歩み寄るか決めよう」
というのが外交だよね?
だから向こうがよほど困っているときなら,日本の事情がどうあろうと,「何とかしろ」と要求してくるだろうし,現実にもそういうことは多々ある.
たとえば,朝鮮戦争の時に日本に掃海させた,なんて事例は,思いっきり軍事協力だよね?
今より日本人の軍事アレルギーも相当強かったのだけれど,それでも日本政府はこの軍事協力を拒否できなかった.
この例を見ても,決して集団的自衛権の放棄それ自体は,軍事協力を拒否する有効なカードというわけではないことが分かるよね?
よく,ヴェトナム戦争が引き合いに出されて,
「(集団的自衛権を放棄する)平和憲法が日本にあったから,日本はヴェトナム戦争に参戦させられずに済んだ」
という主張も聞くのだけれど,それもどうかな?と思うんだよね.
そもそも,アメリカが日本にヴェトナム戦争に派兵するよう要求してきたことなんてあったっけ?
上記のような主張をしている人は,おそらく,韓国軍がヴェトナム戦争に参戦したことが頭にあって言っているのだと思うのだけれど,韓国が参戦した理由は,戦争特需狙いなど色々あって,決して「アメリカの要求に抵抗し切れず,やむなく参戦」というような性質のものではなかった.
だいたい,SEATOという,東南アジア版NATOのような条約機構の一員だったわけだしね,韓国は.
仮に,日本がアメリカからヴェトナム戦争参戦要求されたとしても,そして仮にその当時の日本が,集団的自衛権行使を認めていたとしても,断り方は幾らでもあったろうと思うんだよね.
基地を日本が提供していることを理由に,「すでに十分に貢献している」と主張してもいいし,当時,左派の東京都知事が誕生したことなどを挙げて,左傾化懸念を伝えてもいい.
ニュージーランドのように,少数の特殊部隊派遣でお茶を濁す手もあるしね.
(余談だけれども,「平和憲法が日本にあったから,日本はヴェトナム戦争に参戦させられずに済んだ」と主張している人々と,同じ種類の人々が,かつては,在日米軍基地がヴェトナム戦争の後方兵站基地として使われていることを理由に,「日本はヴェトナム戦争に事実上参戦していた」と主張していたのだけれど,論理的整合性はどうなるのかなあ?)
ただ,集団的自衛権の有無に関係なく,日本が仮にアメリカからヴェトナム戦争参戦要求されたとしても,きちんと断りきれたかどうか.
ちょっと疑問だね.
なぜ日本が対米外交では弱いかと言えば,一つには,日本の国益よりも相手国の利益を配慮する傾向が,日本外務省の体質としてある(いわゆるチャイナ・スクールの問題などは有名だよね?)からだけれど,もう一つには,そもそも日本自体が国家戦略策定を,アメリカのシンクタンクに依存しているという理由があるかららしい.
そら,アメリカ人に日本の戦略を作らせれば,必然的にアメリカの不利益にはならないものにしかならんわな.
と,なると,米国が求めてくる軍事協力を何でも受け入れてしまうようなことにならないためには,集団的自衛権を放棄するとかの話ではなく,日本独自の優秀なシンクタンクを作り,自前で国家戦略を作れるようにしたほうが有効なんじゃないのかな?
幸い,小川和久氏のように,シンクタンク作りに情熱を傾けている人もいることだし,間違った方向に努力するくらいなら,そうした人に資金援助したほうがマシだと思うのだがなあ.
【質問】
集団的自衛権を持つということは,他国が戦争に巻き込まれたときは,日本も,戦争に巻き込まれても何らかの行動を起こすべき,ということでしょうか?
【回答】
こういうのはケースバイケースでしょう.
日本にとって,その国々による国際紛争が重大な影響を及ぼすとなったら・・・対岸の火事と決め込むわけにはいかないでしょうね.
・・・で,逆に聞きますが,「日本は軍事的オプションは一切放棄」が,本当に「平和」というものの実現に貢献するのでしょうか?
こういう例え話がヤフー板にありました.
>引用開始
町内会でドブさらいをやる事になったとします.
「我が家では,そういう汚い事はしないと決めてますので」
という理由で参加せず,
「その代わりお金は出します」
と言い続ける家があったとします.
そんな家を町内会の人たちはどう思うでしょう?
当然
「勝手な家だ」
と顰蹙を買い,町内での信用を失うでしょうね.
(近所付き合いにも重大な支障が出るでしょう.)
湾岸戦争の時の日本はまさに,この「勝手な家」だったと私は思います.
で・・・日本という国家は「通商」で成り立っている国であります.
町内で例えれば「店を経営している」事になると思いますが・・・お店をやっていて,町内から信用されず,それどころか顰蹙を買って・・・成り立つでしょうか?
私は成り立たないと思います.
そういう店は遠からず潰れますよ.
>>引用終了
日本だけ,軍事という汚れ事を忌避し,他の国々にそれを押し付け続け,その結果だけを享受することが本当に「平和」に繋がるのでしょうか?
私は大変疑問です.
改めてお聞きします.
貴殿ら〔護憲論者〕の仰る「平和」とは一体なんですか?
ちなみに,日本独自で防衛体制を整え,米国依存の部分を可能な限り減らし,また国際法上妥当,あるいは人道上やむなしという米軍の軍事行動に関しては強調路線を取り,あちらにある程度日本を「頼り」にするような土壌作りも必要だと思います.
その事こそが,アメリカという暴れん坊の首に鈴をつける事になる・・・私はそう考えます.
▼ 村瀬信也(上智大学教授)は,「巻き込まれて……」論を以下のように批判している.
――――――
他国が攻撃された場合については,集団的自衛権を援用する以外に対応すべき手段はない.
我が国が行使できるのは個別的自衛権だけ,という政策を維持するのであれば,結局のところ,「一国平和主義」の殻に引きこもり,息をひそめているしかない.
しかし,それでは日本の平和さえ確保できない時代である.
とすれば,個別的自衛権を「膨らませる」のではなく,端的に,必要最小限度での集団的自衛権の行使を容認することが必要であると考えられる.
―――――― 『ジュリスト』,2008.2.1号,p.108
▲
【珍説】
■深化した日米同盟 小泉政権の5年半
>「非核市民宣言運動・ヨコスカ」の広沢努さんは「米国から強い圧力を受け,言いなりに同盟強化の路線が敷かれてしまった.集団的自衛権行使が現実味を帯び,今後に与えた影響は大きい」と指摘.「日本が独自に軍備増強を進める動きに通じるだけに市民の関心を呼び起こす広範な運動を展開させたい」と警鐘を鳴らす.
----
【事実】
・・・??? 何を言ってるんだろう,この人.
集団的自衛権というのは集団で敵に対処できる権利です.
どうしてそれが「日本が独自に軍備増強を進める動きに通じる」のか,分からないです.
日本は現在,軍縮している筈ですが・・・.
【質問】
「集団的自衛権行使を検討する有識者懇談会」のメンバーは?
【回答】
以下の通り.
柳井俊二(元駐米大使)
西元徹也(元統幕議長)
岡崎久彦(元タイ大使)
岩間陽子(政策研究大学院大学准教授)
葛西敬之(JR東海会長)
北岡伸一(東大大学院教授)
坂元一哉(阪大大学院教授)
佐瀬昌盛(拓大海外事情研究所客員教授)
田中明彦(東大教授)
中西寛(京大教授)
西修(駒沢大教授)
村瀬信也(上智大教授)
わが政府が集団的自衛権行使容認を視野に入れた有識者懇談会の設置を決めたことに対し,元米国務副長官のアーミテージ氏は二十六日,
「勇気づけられる動き.日本がより柔軟になるなら米は歓迎する」
と評価しました.
⇒海外の声を通じて国内事情を評価するのはなんとも情けない話です.
「わが政府が,新たな憲法解釈で集団的自衛権を容認することを米が評価した」
という意図的な誤報が大手を振ってまかりとおる現状は,不安でなりません.
先ほども書いたとおり,集団的自衛権行使というのは,自衛隊最高司令官たる首相のリーダーシップに属する「活きた政治用語」です.
国家の意思決定,最高司令官のリーダーシップの問題です.
机上で固定化された法解釈用語ではありません.
【珍説】
拡大解釈をどんどん進めようとしているようです.
------------------------------------------------------ここから引用----
久間防衛庁長官:集団的自衛権「正当防衛で可能に」
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061016k0000e010066000c.html
久間章生防衛庁長官は16日午前の衆院テロ防止・イラク復興特別委員会で,憲法解釈で禁じられている集団的自衛権行使の問題について「(日本と米国の艦艇が)連れ立っていた時に相手が襲ってきたら,(日本が)一緒になって防御するのは正当防衛が成り立つんじゃないか.(日本は)武器等防護の規定に基づき反撃せざるを得ない」と述べた.
政府見解はこれまで,米艦艇の防御については憲法解釈の問題から「我が国が自衛の目的以外の場合については米艦艇を守れない」としていたが,どういうケースが集団的自衛権行使に該当するかはあいまいだった.久間氏の発言は,公海上で米艦艇が攻撃された場合,補給活動などで一緒にいる自衛艦が応戦しても集団的自衛権の行使ではなく,正当防衛にあたるとの認識を示したとみられる.
-------------------------------------------------------引用ここまで---
あつこば(小林アツシ) in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)
【事実】
いえ,拡大解釈ではないんです.本来の解釈に戻しただけですから.
実は日本政府は当初,集団的自衛権は行使できる,という立場だった.
その後,権利としては持っているが行使できない,と厳格に解釈.
また,小川和久は,「集団的自衛権」議論上における虚妄について,次のように指摘しています.
------------
集団的自衛権という権利はあるが行使はできない,いや,やっぱりあるのは個別的自衛権だけだなどというのは,私は軍事について何も知らない官僚の戯れ言であると思っています.
そもそも日本は,通常言われている集団的自衛権の行使については,9条を絵に描いたような軍事力である自衛隊しか持たない現状では,そもそも戦力投射能力がないのですから,やりたくてもできません.
アメリカでも他のどこの国でもよいが,同盟国が叩かれていても助けに行けないのであれば,集団的自衛権もへったくれもないわけです.
現状で日本に可能な集団的自衛権の行使があるとすれば,在日米軍基地という戦略的根拠地を維持し,守ることによって,アメリカの戦力投射をサポートすることだけでしょう.
この現実を日本は明らかにしなければなりません.
そこにおいては,アメリカが日本列島を足場に戦力投射を行なうときは,日本が掲げる平和主義や国連中心主義という理念に叶う場合にだけ許容する,日本の原理原則と矛盾する場合は,在日米軍基地の使用を拒絶するということがあっていいのです.
このように,日本は既に集団的自衛権を行使しているとも言えるのです.
しかし,日本政府や日本国民にその自覚が全くない.日本は,世界に対しても何も説明してこなかったのです.
------------小川和久著『日本の戦争力』(アスコム,2005.12.5),p.284-285
強調:引用者
上記論理に特に齟齬はなく,よって信頼できるものと愚考する.
【質問】
安倍政権での,解釈改憲による集団的自衛権容認(2014年)には問題はありますか?
【回答】
問題があると言わざるを得ないんじゃないかな?
まず,よく指摘されているのが,
「こんなやり方が認められてしまうというのであれば,政権交代のたびに解釈改憲することが可能になってしまう」
ということ.
国際環境の変化に対応できない,硬直した憲法も確かに困りものだけれども,政権交代ごとに意味がほいほい変わってしまうような憲法も,それはそれでどうなの?と感じる人は,決して少なくないと思うんだよね.
でも,そういう手続き論以上に問題なのは,
「どういう目標があって,そのためにどういう形に変えたいのか?」
が全く見えてこないことだと思うんだ.
地政学者の奥山真司氏の論に「戦略の階層」というものがある.
http://mltr.ganriki.net/faq12s.html
https://www.youtube.com/watch?v=ix5_qAlNamo
この考え方を応用して言うと,法律というものは戦略や政策を実現させるための戦術を成功させるためのツール,道具でしかない.
普通なら,どういう世界観の下,どういうことを実現したいのか,そのためにどういうふうにアクションを起こしたいのか,そしてそのためにはどういう道具を揃えたいのか,といった順番で物事を進めなければいけないんだ.
道具を先に揃え,それから使い方を決めようなんて,やり方として不自然だからね.
幼稚園で,
「紙とハサミがあるから,じゃあ,それを使って切り絵を作りましょう」
というレベルの話なら,そういうやり方もなくはないのだけれど,国家戦略が関係してくる問題までが,そうであってはまずいと思うんだ.
「世界観を示せ」
なんて,それまでそんなことをあまりやってこなかった国の政治家に,それを要求するのは酷かもしれない.
でも,国家戦略,具体的な目標を掲げることくらいはできるよね?
たとえば,
「尖閣諸島から中国の侵略の懸念を一掃する」
でも,
「歴史プロパガンダ戦に勝つ」
でもいい.
そういった具体的な目標を掲げれば,たとえば
「尖閣諸島周辺に,物理的に中国勢力が近付けないようにする」
「中国政府に尖閣諸島進出を諦めさせる」
「国際社会に広く訴えて,中国非難の姿勢を喚起させる」
などといった,具体的なそのための方策ができあがる.
具体的な方策が出来上がれば,たとえば
「そのためには自衛隊の西方シフトが必要です」
「そのためには宣伝機関を設けます」
そして
「そのためには集団的自衛権を容認し,日米同盟をさらに密接にすることが必要です」
といった「必要なものリスト」が出来上がってくる.
そういった文脈の上での集団的自衛権容認なら,賛成してくれる人も今より多かったろうと思うし,反対派も反対派で,具体的な対案を出さなければならなくなる.
結果,議論が深まるわけだ.
ところが,今回のはそうではない.
具体的に何を実現したくて集団的自衛権容認に踏み切ったのか,その具体的目標が殆ど何も分からないよね?
駆け付け警備も邦人輸送艦船護衛も,道具〜戦術レベルの話だし.
これでは改憲のための改憲と言われても仕方ないし,余計な疑心暗鬼も生む.
もちろん,支持なんてされない.
実際,支持率は半数以下に落ちてしまったよね?
まあ,その支持率にしても,そもそもアベノミクス頼みのものだったのだし,とりあえずは経済政策のほうをしっかりやるべきではないのかなあ?
【珍説】
>国連軍であろうと,アメリカ軍との共同歩調であろうと,有事には「集団的自衛権の行使」は必須
という事であれば,少なくとも現在の憲法がある以上は,憲法違反ですので自衛隊は海外に派遣してはいけませんね.
法治国家としては,海外派兵(派遣)するのであれば,憲法を変えてからにするべきです.
>「思う」「思わない」で話を進めても意味はないですね.
「現状を考えるとアメリカの戦争に付いていくという流れになります」
という表現に変えてもいいです.
>>在日米軍を追い出せ
>という話になると,タケルさんと同じく,その後のビジョンについて伺いたい.
正直言って,「その後のビジョン」については難しいですね.
ただ,少なくとも,
今回の米軍再編はおかしい.
日米安保を容認する立場から見てもおかしい.
単独行動主義で先制攻撃戦略を取るアメリカに盲従するのはマズイ.
という事は言えると思います.
現実的には,在日米軍の段階的な縮小を目指し,アジア各国との外交(軍事力によらない)に力を入れるべきです.
経済的にもいきづまっている日本で,軍拡はよくありません.軍縮の道を探るべきでしょう.
あつこば(小林アツシ) in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)
【事実】
>憲法違反ですので自衛隊は海外に派遣してはいけませんね.
つまり,平和維持活動も駄目と.
「おまえら,平和維持活動やっててよ,俺はとりあえず平和になるように祈ってるからさ」
ということですな.
少なくとも,私はそういう類の人間は信用できませんね.
>「現状を考えるとアメリカの戦争に付いていくという流れになります」
>という表現に変えてもいいです.
「なります」と「思います」は単に表現が違うだけで,言ってることは同じですよ.
「私はそうならない流れになります」
といわれれば,ハイおしまい,でしょ?
>単独行動主義で先制攻撃戦略を取るアメリカに盲従するのはマズイ.
盲従はまずいですね,だから議論しなければならない.
でも
「こう思うから」
「こうならなければならない」
では,議論のしようがないと思います.
>軍縮の道を探るべきでしょう.
日本は軍縮中なわけですが・・・
【珍説】
憲法を変えてから行くのであれば〔平和維持活動も〕OKです.
PKOも憲法を変えてからにするべきでしたね.
あつこば(小林アツシ) in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)
【事実】
改憲議論にすら50年以上かかっていることを考えると,実際に改憲するまでには,まだまだ相当の年月がかかることが予想されますね.
それまでの長い長い年月の間,
「おまえら,平和維持活動やっててよ,俺はとりあえず平和になるように祈ってるからさ」
と.
事実上の反対と何が違うんだか.
そもそも上述のように,別に「憲法は集団的自衛権を否定している」と決まったわけじゃないし.
【珍説】
私は,「集団的自衛権」行使や「憲法改定」はアメリカ側の要求だと思っています.
有名なところでは,アーミテージ報告がありますが…….
以下,勝共連合がやっているという『世界日報』のサイトから,レーガン政権時代の元米国防総省日本部長ジェームズ・アワー教授へのインタビューです.
(2005年11月13日となっています.)
日本が集団的自衛権を行使する政策に変えなければ,日米間で合意した米軍再編は実行できない,と言い切っています.
http://www.worldtimes.co.jp/special2/nitibei/051113.html
------------------------------------------------------ここから引用----
元米国防総省日本部長のアワー教授に日米間および日米同盟のアジアにおける課題について聞いた.
-------------------------------------------------------中略---------
メディアは,普天間飛行場の移設問題ばかりに注目しているが,個人的にはそれほど大きな問題ではないと考えている.基地の共同利用を含む,自衛隊と米軍の任務・役割の分担についての合意の方がもっと重要だ.本当の問題は,日本がどれくらい真剣に合意を実行するかだ.
-------------------------------------------------------中略---------
まず,役割と任務の分担に関連し,最も重要なものの一つがミサイル防衛だ.だが,日本が集団的自衛権に関する現在の政策(注:権利はあっても行使はできない)を維持していくならば,日本は今回の合意を実行することはできない.
-------------------------------------------------------引用ここまで---
上記は古い発言でしたが,昨日,こんなのが出てきました.
米司令官,集団的自衛権行使の必要性主張
http://www.sankei.co.jp/news/060907/sei005.htm
------------------------------------------------------ここから引用----
在日米海軍のジェームズ・ケリー司令官は7日,日米両国が進めるミサイル防衛(MD)の効果的運用には,日本側が憲法解釈上禁じている集団的自衛権を行使する必要があるとの認識を示し,「日本国内で憲法(9条)の改正を含め,議論が深まるのを期待する」と述べた.在日米軍の現役最高幹部が憲法問題で踏み込んだ発言をするのは極めて異例.
-------------------------------------------------------中略---------
ケリー司令官は,MDで敵の弾道ミサイルを捕捉し,迅速に判断して撃ち落とすには「指揮統制や集団的自衛権の問題がある」と指摘し,既に日米間の協議が始まったことを明らかにした.
また,日本近海でMD任務に就く艦艇への敵の攻撃を例に挙げ「海上自衛隊が攻撃された場合,米海軍は守れるが,逆のケースでは海自は米海軍を守れない.互いを守り合う仕組みが必要だ」と強調.
-------------------------------------------------------中略---------
さらに同司令官は「集団的自衛権が行使できるようになれば『セルフ・ディフェンス・フォース(自衛隊)』の『セルフ』の部分が取れる」とした上で「第二次大戦を経験した人たちには抵抗感があるだろうし,昔に戻ることにいろいろな意見があると思うが,議論してほしい」と述べた.
-------------------------------------------------------引用ここまで---
「集団的自衛権行使を」在日米海軍司令官,憲法改正議論促す
http://www.chunichi.co.jp/00/sei/20060908/mng_____sei_____001.shtml
------------------------------------------------------ここから引用----
在日米海軍のジェームズ・ケリー司令官は7日,神奈川県横須賀市の横須賀基地で記者団と懇談し,ミサイル防衛(MD)で日米両国が協力して北朝鮮の弾道ミサイルに対応していくために「集団的自衛権を行使できるよう憲法改正の議論が深まっていくことを期待したい」と述べた.
-------------------------------------------------------中略---------
また,北朝鮮のノドンが日本に向けて発射されたら着弾するまでに10分もかからず,撃墜するにはわずか2分30秒の間に対応しなくてはならないと説明.この短時間で迎撃用ミサイル「SM3」を発射する最終決定についても「だれが判断するのか決まっていない」と問題提起した.
MD体制の整備に関連した集団的自衛権や指揮統制の問題について,ケリー司令官は制服組を含めた日米の外務,防衛関係者による協議がスタートしたと説明.今後,1年間かけて話し合いを進める中で,日米の艦船が相互に守り合う仕組みの構築に期待感を示した.
-------------------------------------------------------引用ここまで---
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10060028&comm_id=1102122
の23:で,
ミサイル防衛を理由に,なし崩し的に集団的自衛権を認めざるを得ない状況を作り,そうした現実に合わせるために憲法を変える,という話が出てきそうです.
と書きましたが,まさしくミサイルにかこつけて集団的自衛権を認めろという要求が出てきましたね.
iあつこば(小林アツシ) n mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)
【事実】
つまり,あつこば氏は,
「集団的自衛権の行使=アメリカと一緒に戦争しましょう」
という理論を展開されたいので?
というか,それで何か困るんですかい?
米軍が日本に求めているのは,後方支援であって,前線で一緒に戦うことではありますまい.
あつこば氏の引用した文章からも,それは見受けられませんよね.
つまり
「集団的自衛権」=アメリカの要求
であっても,
アメリカの要求=前線で日本が一緒に戦うこと
と解釈できない以上,メリット・デメリットを比較するのが筋でしょう.
あつこば氏のは「集団的自衛権イクナイ」以上の理屈が見えませんよ.
長々引用してないで,持論を展開してください,根拠付きで.
【珍説】
「後方支援」だから米軍といっしょになって戦争しても良い,という事にはならないでしょう.
また,「後方支援」だから絶対安全だ,という事も無いでしょう.
あつこば(小林アツシ) in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)
【事実】
ええ,ですよ,
だから?
集団的自衛権の行使=アメリカと共同して戦争
じゃありませんよ?
それこそ,日本が独自交戦規定をちゃんと定めれば良いだけの話です.
〔略〕
国連軍であろうと,アメリカ軍との共同歩調であろうと,有事には「集団的自衛権の行使」は必須になりますが,それはご理解いただけましたか?
【珍説】
中国や北朝鮮がアメリカに対して撃ったミサイルを日本が撃ち落とす事になったら,「後方」というよりも最前線になってしまいますね.
あつこば(小林アツシ) in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)
【事実】
???
えーと・・・「ミサイルを打ち落としたら最前線」の意味が分からないのですが・・・.
話が飛躍してますよ.
中国や北朝鮮がアメリカに対してミサイルを撃つということは,両国が戦争状態ということですから,そもそも同盟国たる日本とも敵対関係です.
で,同盟国である日本が中国からのミサイルをMDで迎撃したとして,なぜに「最前線」に飛躍するんですか?
【珍説】
>「ミサイルを打ち落としたら最前線」の意味が分からないのですが・・・.
あ,つまり,ミサイルを撃たれたアメリカから見た場合に,中国や北朝鮮に近い日本は最前線になるのでは?,という意味です.
「最前線」という言葉はまずかったかもしれませんね.
あつこば(小林アツシ) in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)
【事実】
これならば,〔在日米軍が存在する〕現状と何が違うのか?となってしまいます.
>在日米軍を追い出せ
という話になるのであれば,その後のビジョンについて伺いたい.
+
【質問】
他板での話題なのですが,
「集団的自衛権を認めないと,自衛隊(あるいは改憲後の自衛軍)は国連の集団安全保障に基づく軍事行動には参加できない」
との問題提起に対し,
「集団的自衛権を認めなくとも国連の軍事行動に参加できる」
との反論がありました.
具体的には↓
「集団安全保障は法的には,個別国の自衛権の発動でない武力行使である.
それが国際政治学や国際法での常識」
http://money3.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1093184644/423
http://money3.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1093184644/444
http://money3.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1093184644/455
集団的自衛権と集団安全保障は別物であり,個別的自衛権に限定された現行憲法下における制約の元でも,国連の錦の御旗があれば海外で武力行使できるという意見のようですが,私は強引すぎる解釈だと考えます.
賢明な軍事板住人の皆様はどう思われますか?
【回答】
(1)集団的自衛権(の行使)と集団安全保障体制は,確かに別個の概念というのが多数説です.
以下引用.
------------
集団的自衛権の行使は,早い話「共同防衛」で,自国と密接な関係にある国が武力攻撃等を受けた場合に,それを自国の攻撃と見なして共同して防衛するというものです.
つまり集団的自衛権は,「個々の国家の自己保存という個別的利益にかかわる」モノです.
(なお,集団的自衛権の性質に関しては学説の分布もあるのですが,それについてはここでは触れません)
これに対し,集団安全保障体制は,一定の国際機構内で,加盟国間の武力行使を禁じ,これに違反した国に対して他の加盟国が(武力によるものを含む)制裁を加えるというもので,これは国際(地域的)「平和という公共利益の実現にかかわる」モノです.
------------「安全保障学入門(新版)」(亜紀書房 2001年) 315-317頁
(2)日本が集団安全保障のもとづく軍事行動に参加することに関しては,様々な立場があり得ますので,ここでは政府の立場を見ておくにとどめます.
日本政府は,周知の通り例えば自衛隊が国連軍に参加することに否定的だったのは,(「集団的自衛権を行使できない」からではなく),そもそも自衛隊が(個別的)自衛権発動の場合を除き,実力(武力)を行使することが出来ない,と解釈してきたからです.
「…当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであれば,自衛隊がこれに参加することは憲法上許されないと考えている…」
(昭和55年10月28日,衆議院稲葉誠一議員質問主意書に対する答弁書)
「(国連軍)「参加」とは,当該「国連軍」の司令官の指揮下に入り,その一員として行動することを意味し,平和協力隊が当該「国連軍」に参加することは,当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであれば,自衛隊が当該「国連軍」に参加する場合と同様,自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものであって,憲法上許されないと考えている.」
(衆議院国際連合平和協力に関する特別委員会,平成2年10月26日,中山太郎外務大臣答弁)
つまり,日本が(武力行使を伴う)国連軍に参加する場合は,少なくとも上記のような政府解釈を変更しなければならないことになります.
なお,この手の問題は特にそうですが,自分の主張に沿うように解釈する主張も多くあります.
例えば「集団的自衛権を発動したい」と思ってる人が都合よく,「集団的自衛権はどの国も最初から持ってる」と解釈するとか.
ですから,「あなたがそう思うなら,それでいい」としか言えない面もあります.
軍事板,2004/09/03
青文字:加筆改修部分
【質問】
集団的自衛権は徴兵制につながるの?
【回答】
色々調べたのだが,よく分からない.
というのも,「集団的自衛権容認」⇒「A」⇒「徴兵制復活」の「x」の部分の理屈が,よく分からないからだ.
ある言説によれば,
「自衛隊は戦わない,戦死しないことが分かっているから応募する人がいるのであって,死ぬことがありうるというものに変われば,応募者は減って定員割れを起こす」
⇒「その穴を埋めるには,徴兵制を復活させるしかない」
という論理らしい.
ただ,これが徴兵制復活論者の最近の主流トレンドなのかどうかは不明.
それにそもそも,本当に定員割れが起こりうるだろうか?
昨晩,寝る前にNATO諸国の兵役の志願倍率など探してみたのだが,あまり参考になりそうなデータが出て来ない.
グルカ兵の志願倍率などは,状況が特殊すぎて参考にならんしなあ…
twitter上のソース不確かな情報によれば,自衛隊も今でも志願倍率が5倍くらいあるらしいのだが,景気の変動にも大きく左右されるなど,考慮すべき事項が多過ぎて,答は出せない.
そんなわけで,徴兵制復活論者の皆様におかれましては,ぜひその主張の根拠となるデータを提示していただきたく.
あそこまで断言なされるからには,きっと確固たる客観的データがおありであろうから.
期待しておりますですよ.
【質問】
http://togetter.com/li/687487
↑集団的自衛権で貧困層が戦地に行く破目になるって本当?
【回答】
集団的自衛権とは関係ない話だよね,としか.
上記纏めに載っている話の不自然さについては,すでに数多くのコメントがついているけれど,サモア諸島だかマーシャル諸島だかの住民が,イラク戦争に運転手として出稼ぎに出た話自体は,当方も何かの本で読んだ覚えがある.
(ちょっと探してみたが,残念ながら書名不明)
というか,その本が,上記纏めの元ネタなんじゃないかな?
それを元ネタに,いろいろ想像で話を膨らませた結果,ボロがぼろぼろ出ている…,と,そんなところなんじゃないかな?
そして,そういう運転手などは,米軍の委託を受けて,いわゆる民間軍事会社が募集をかける.
非戦闘部門の,民間会社へのアウトソーシングという,ラムズフェルドの置き土産だよね.
上述のサモア人のアルバイト運転手は,民間企業に応募して,民間人の資格でイラクに行ったわけ.
つまり,日本の外の企業の活動だから,日本政府がたとえどんな法律を作ろうと,その海外企業には何の影響もない,ということは分かるよね?
もちろん,その海外企業に日本人が応募する場合もあり得る.
ありえるんだけれど,それは貧困層なんだろうか?
たとえば,最低でも意思疎通ができる程度には英語に達者でなければならい.
通訳付きで日本人のアルバイト運転手を雇うくらいなら,英語を使える他のアルバイトを雇った方が安いからね.
で,英語が達者な日本人なら,わざわざイラクまでバイトしに行かずとも,もっと安全で給料も同等以上の職が,いくらでもありそうな気がするんだけどな.
仮にそんな奇特な日本人がいたとして,日本政府は彼を邪魔立て出来るだろうか?
仮に集団的自衛権が認められない状態が続いているとしても,彼が自由意思でイラクに行く限り,集団的自衛権は彼の意思決定に何の影響も与えないよね?
現実にも,集団的自衛権が認められていなかった過去の日本でも,民間軍事会社に雇われた日本人が,少なくとも一人イラクで死んでいる.
斎藤昭彦さんがそうだよね.
彼はトラック運転手ではなく,空挺団出身などの経歴を生かして,警備主任の職に就いていたそうだけど.
つまり,集団的自衛権の有無に関係なく,これまでも日本人は,もしその意思があるのならば,民間軍事会社と契約して戦地に行くことができていたし,今後もできるわけだ.
そしてどうやら,それにはいわゆる貧困層よりも高いスペックが要求されそうだ.
でないと民間軍事会社も契約してくれそうにない.
まあ,集団的自衛権を拒絶したいあまり,何でもかんでもネガキャンのネタにするのはよしたほうがいいよね.
「大言して人を欺くようなものがおれば,その人は天性はすぐれていても,皆から憎み卑しめられる.
彼が人を欺こうとすれば,腹の中ではかえって,欺いた彼をあざ笑うであろう」
と,王陽明も言っていることだしね.
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