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◆◆◆自衛隊史
◆◆組織総記
◆日本・自衛隊FAQ目次
東亜FAQ目次


 【Link】

『自衛隊』(朝日新聞社,1968年)

 「自衛隊の実態を知ること」がテーマの新聞連載をまとめたもの.
 当時の自衛隊の実情が,事細かに書いてある.
(大正生まれの陸曹とか.
 大正生まれで昭和10年代前半に,兵隊やら水兵から陸海軍に入って,昭和30~40年代に陸曹やら海曹やってた年代は,べテラン中のベテランで,草創期の自衛隊を一身に支えたといっても過言ではない.
 昭和19~20年に陸士や海兵に入って終戦を迎え,戦後自衛隊に幹部入隊したクラスなんか,実務レベルでは小バカにされてたらしい)

 一方で,現在に繋がる問題提起も多くある.
(有事における避難民の取り扱い,間接侵略への対応とか)
 当時にこれだけ踏み込んだ内容書いたのは,素直にすごい.

 巻末資料には自衛官の懲戒基準なども.

 まぁ,一番面白かったのは,これ書いた取材班の中に,細川護熙がいたことだったんだけどね.

------------軍事板,2012/04/21(土)
青文字:加筆改修部分

『北海道の11日戦争』(佐瀬稔著,講談社,1979)

 著作された時代が冷戦時代であり,ベレンコ中尉の事件も起きた後なので,内容に生々しいものが感じられました.
 自分は昭和61年生まれで,物心ついた頃には冷戦が終わっていたので,この時代の緊張感が(超法規行動等)ひしひしと伝わってきて,非常に楽しめました.
 しかし一番楽しめたのは,T-72の評価でした(笑)
 印象にの残ったのは作中で老兵が
「お前がオレくらいの年になるころには,世の中は変わっている.
 自衛隊に石を投げる者はいなくなっているかもしれないし,あるいは逆に,自衛隊がなくなっているかもしれない.
 どちらにしても,お前が若い者に,オレよりはうまい説明ができる世の中になっているだろう……」
と,自分の息子ぐらいの隊員に対して心で想う所です.

 昨年海自に入隊した親戚が,制服外出の際,おばちゃんに石投げれたっていっていたので,案外何も変わっていないのかなぁ…orz

――――――軍事板,2009/09/05(土)

 【質問】
 自衛隊はどのようにして誕生したのか?

 【回答】
 冷戦激化により,アメリカ側は日本に対し,防衛力急増を要請.
 これに対し,日本側は,それは法的,政治的,社会的,経済的,物理的に無理だと回答.
 そこで防衛力漸増を目的とする形で,保安隊・警備隊が自衛隊に改組された.
 以下引用.

 〔冷戦激化に対し,〕53年10月には日米間で池田・ロバートソン会談が開かれています.これは自由党政調会長だった池田勇人特使と米ロバートソン国務次官補の会談で,アメリカ側が日本の防衛力の急増を期待したのに対し,日本側は法的,政治的,社会的,経済的,物理的に制限があると主張しました.
 当時の状況が伺える興味深い内容ですから,10月19日付けの池田特使覚書の概要を紹介しておきましょう.
 法的制限とは憲法上の制限で,憲法9条があり,改正手続きを特に困難にしてあるから,近い将来の憲法改正は望み薄だということです.
 政治的ないし社会的制限とは,
「日本人は占領8年間において,何事が起ころうと銃を取るなと教えられた.
 かかる教育によつて最も影響を受けたのは,最初に徴募を受けるべき若者達である.
 その外に婦人,知識層,遺家族達がおり,これらの人達は右以外の説得は到底聞き入れない」
ことで,これはあなたがた占領当局の政策のせいだ,といわんばかりです.
 経済的制限は,生活水準が他国とは比べものにならない段階で無理であるとし,本会計年度は国家予算が1兆円のところ,災害による被害は1500億円で,台風が来るから大変だと言っています.
 物理的制限とは,兵士を募集する難しさのことで,憲法上徴兵はできないし,教育するにしても相当の時間がかかり,多数の青年を急激に募ることは日本においては不可能であるか危険だ(青年達が政府に銃を向けないとも限らない)というのです.

 このような日本側の言い分に対してアメリカ側が述べたのは,簡単に言えば,
「分かった.防衛力の急増が無理なら,防衛力の漸増を」
ということでした.
 翌1954年3月には日米相互防衛援助協定(MSA協定)が調印されます.
 これはアメリカが武器その他の援助をする代わりに,日本に防衛力の一層の増強を義務付けたものです.
 〔略〕
 この協定を受ける形で1954年6月九日,防衛庁設置法と自衛隊法(防衛2法)が公布され,7月1日に施行されます.
 これが自衛隊の創設で,それまでの保安隊は陸上自衛隊に,警備隊は海上自衛隊に改編されました.
 同時に航空自衛隊が新設され,陸海空の3つの自衛隊を統括する防衛庁が,総理府の外局として設置されました.

小川和久著「日本の戦争力」(アスコム,2005.12.5),p.

 小川和久は,日本では信頼度の高さでは1,2を争う安全保障の専門家であり,その記述もまた信頼度が高いと愚考する.


 【質問】
 戦後日本の再軍備は,アメリカの都合だったんですか?

 とある本に,

「今の憲法は,アメリカに押し付けられたものだ」
と言い得るならば,
「平和憲法がすでに施行されていたにもかかわらず,アメリカの都合で再軍備を押しつけられたのだ」
とも言い得るのである.
 どちらかと言えば,後者の方が事実関係としては正しい.

林信吾著『反戦軍事学』(朝日新聞社,2006/12/30),p.64

などと書いてありましたが.

 【回答】
 いや,日本を非武装にして国際管理するための前提条件が崩れた以上は,アメリカが一国で管理をするか,日本を武装させるしか他に方法がないんですけど…….
 軍政当局であるGHQが「非武装中立など国際法的にありえない」ということを,まさか知らなかったはずもないでしょうし.
 そして朝鮮戦争によってアメリカに日本管理の余裕がなくなったら,残る選択肢は一つだけですけど…….
 前提条件が崩れたのは,アメリカの都合じゃあないですよね?

 もっとも,もし当時の日本国民に国民投票をさせたら,ひょっとして反軍アレルギーが過ぎて再軍備にNOを言ったかもしれませんけどね.
 私見では,日本人がそんな選択をするほどアホとは思いませんが,アホ扱いしたい人もいるでしょうから,そのへんはご自由にお考えください.

written by 吉田茂(うそ)


 【質問】
 保安隊(自衛隊)発足時,元日本軍軍人は入隊できたのでしょうか?
 入隊できる階級と出来ない階級はあったのでしょうか?

 【回答】
 共産党員とそのシンパが周りにいる人以外は入隊可能でした.
 階級に関しては色々ありまして…警察予備隊の場合….

 例えば,服部卓四郎元陸軍大佐は当初,警察予備隊の総隊総監(参謀総長)に,同期の西浦進元陸軍大佐が副総隊総監になる予定だったりします.
(民政局の反対で没になりましたが)

 GHQの内部抗争と,公職追放の影響で,旧軍将校は一人も入れないとか,逆に入れようとするとかしていましたが,結果的にRidgewayになって風通しが良くなり,吉田首相のブレーンだった,辰巳栄一元陸軍中将に内情を調査させて,とてもじゃないが,現在の状況では戦力にならないことが判明.
 1950年12月に陸士58期生,海兵74期生をまず公職追放解除し,翌年3月より,彼らと陸海軍諸学校卒業者に「特別募集」が行われ,幹部候補生として採用されました.

 1951年8月以降,陸士40期以降,海兵56期以降が追放解除され,中・少佐以下の幹部に勧誘が掛けられています.
 次いで初級幹部として,元大尉,元中尉を採用します.
 そして,1952年7月14日に,制服組の中核となる陸士34期~39期,海兵52期の元大佐が採用されました.

 流石に将官クラスは採用出来ませんでしたが,将官クラスはブレーンとして色々部下の面倒を見ていた様です.

▼ 以下,上記の裏づけになりそうな文章を引用.

――――――
 大森元陸将の語る初期の思い出話に興味深いことがあります.
 とにかく軍事素養がある指揮官がいなかった.
 元将校などの正規軍人は入隊していない.
 隷下(れいか)の善通寺(ぜんつうじ)の部隊などでは,隊員が選挙で隊長を選んでいたそうです.

 また,第9師団長まで務められた白井明雄氏(1929年生まれ,52年幹部候補生採用)の記憶では,部隊幹部は外地(がいち)からの引き揚げ者だった官吏や,会社で管理職経験のあった人を選んでいた.
 隊員の教育にあたった米軍顧問や通訳,幹部のやりとりを見ていて,こんな幹部の指揮で戦場に出たら,たちまちやられるなと思った.

http://www.melma.com/backnumber_174026/
――――――

 しかし,旧軍軍人を警察予備隊に入れたことについては疑問の声もある.
 警察予備隊一期生・佐藤守男は,次のように批判している.

------------
 旧陸海軍の絹の衣を引きずった彼らの入隊を,吉田[茂]がなぜ許したのか,私には理屈抜きに理解できない.
 保安隊という新しい組織が,必ずしも彼らの経歴や能力を必要としていなかったからである.

 彼らは多かれ少なかれ前大戦時,戦争遂行を指導した立場にあった.
 そしてソ連の対日参戦の情報を,あるいはアメリカの原爆使用の兆候を知り得る職務にあった.
 もしそうだったとしたら,未然に同胞を一人でも救い得なかったのは何故か,疑問が膨らむ.

 堀丈夫元陸軍中将(2.26事件当時の第1師団長)は
「負けた戦を得意になって書いて銭を貰うな!」
と,養嗣子・堀栄三(元大本営情報参謀)の執筆作業を厳しく叱責し,
「比島決戦だけでも47万7000名が戦没している.
 その人たちは書くことも喋ることも訴えることもできないのだ」
と諭した.
 まさに「箕山之節」を地で行く話である.

 誤った戦争指導と稚拙な戦略に殉じて,戦場に散華していった英霊300万の無念を思う時,彼等旧陸海軍高級幹部の採用人事は,とても納得できるものではない.

------------佐藤守男『警察予備隊と再軍備への道』(芙蓉書房出版,2015),p.100-101

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/07/01(金)
青文字:加筆改修部分

警察予備隊時代の訓練の様子
左上:M2重機関銃射撃訓練
右上:通信訓練.右端のおっさんが手回し発電機を動かしてる.円陣のまん中にあるのがアンテナ.
左下:どう見ても道路修理だなあ.後ろの意味ありげな連中は単なる「待機」「実技順番待ち」ポーズだろう.
右下:架橋訓練と思われ.
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 自衛隊が最初に設立されたときの「警察予備隊」という名称ですが,これは一体どういう意味だったのでしょうか?
 日本以外にもありますか?

 【回答】
 police reserveという組織はあちこちにありますよ.

 政情不安な国でよく暴動とか反政府デモか起きて鎮圧に出動してる,「治安維持部隊」とか「治安部隊」とかTVで説明される部隊があるでしょ?
 あれが police reserve です.

 ここでいう「予備(reserve)」というのは.補欠という意味合いではなく,重大な局面に投入するとっておきの戦力ということと思えばいいでしょう.

 設立時はさておき,今だと警察の「管区機動隊」が一番近い表現でしょう.
 機動隊も設立当初の名称は,「方面予備隊」「警視庁予備隊」って名前でしたし.

軍事板


 【質問】
 警察予備隊に2等警査として最初に入隊した人って,何年何月に入隊したの?

 【回答】
 募集は幹部に先立って,1950年8月13日から,全国の警察で募集受け付けを開始.
 入隊は8月23日に,7,557名が国警各管区学校に入校し,訓練を受けています.
 因みに,占領軍と日本政府の間で彼らに対する給料問題が紛糾し,正規給与は3ヶ月遅配したりしています.
(一応,当面の月給は支給されましたが)

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2007/07/29(日)


 【質問 kérdés】
 在日米軍事顧問団って何?
 3行で教えて!
Mi az Katonai tanácsadó csoport Japán?
Kérem, mondja meg a három sorban.

 【回答 válasz】
 在日米軍事顧問団は,警察予備隊~自衛隊発足に当たり,主として陸自と空自の編制・装備・教育訓練などの指導監督を実施した組織.
 1950年7月14日,警察予備隊の創設ならびに育成,指導という任務のために設置された,GHQ民事局別館(Civil Affairs Section Annex :CASA)をそのルーツとし,1952.4.28のサンフランシスコ講和条約発効に伴ってGHQが消滅すると,米極東軍司令部内に設置された「在日保安顧問部(Safety Advisory Section Japan : SASJ)」に引き継がれた.
 1953.1.1,SASJは「在日保安顧問団(Safety Advisory Group Japan : SAGJ)」と改名され,さらに1954.5.1,日米相互防衛援助協定)の発効に伴い,同協定第7 条の規定によって,米軍事援助顧問団の設置,任務,待遇,特権等が正式に定められ,名称も「在日軍事援助顧問団(Military Assistance Advisory Group Japan :MAAGJ)」となった.

▼ 佐藤守男『警察予備隊と再軍備への道』(芙蓉書房出版,2015),p.36-37
によれば,警察予備隊第1期の入隊当初,隊員の階級は全員2等警査であり,キャンプには幹部が一人もいなかった.
 そのため,CASAが当該過渡期,事実上の警察予備隊本部であり,各キャンプのレベルでは隊員1000名につき1名,最大限2名の少佐級の米軍将校が配置された.
 また,キャンプの大部分には米軍将校1名,下士官2名が派遣されたという.▲

▼ そして
増田弘『自衛隊の誕生』(中公新書,2004),p.22-24
によれば,初期にはCASAが駐屯部隊の指揮官として,入隊決定後における予備隊各部隊の編制・管理・訓練実施にあたり,一部には人事にも関与したという.
 しかし日本側による正式幹部の任命,部隊長等の補職,部隊組織が固まるに従い,次第に指揮官的立場から顧問的立場へと変わり,主として援助と助言を行ったとされている.▲

▼ また,
読売新聞戦後史班編『「再軍備」の軌跡』(中公文庫,2015),p.186
によれば,駐屯地運営は
・国警本部から派遣された係官を中心とする業務団
・米軍顧問を中心とする権力団
・仮部隊長群
が,それぞれ並行して業務を実施.
 この中で顧問団は事実上の最高権威者であり,あらゆる人事・管理・運用・命令権を握り,国警は業務事務運用の手続きをとり,仮部隊長は以上の指示に基づいて部隊を指揮したという.▲

 【参考ページ】
http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j16_2_6.pdf
http://www.nids.mod.go.jp/publication/briefing/pdf/2013/briefing_178.pdf
http://nagaikazu.la.coocan.jp/05kisoen/records/masuda.html

MAAGJ組織図
(こちらより引用)

 余談だが,1950年代後半からMAAGJの職務についていたうちの一人に,ジョン・ヒロム・喜多川という,ロス生まれの日本人がいた.
 彼は米国籍であるために1952年,徴兵されて朝鮮戦争に従軍し,当地では戦災孤児の世話をしていた.
 彼はMAAGJ時代,現在はNHKの建物がある,渋谷・代々木公園内の米軍宿舎「ワシントンハイツ」に住んでいたが,公園で野球をしている少年たちを集め,少年野球チーム「ジャニーズ」を結成してコーチをしていた.
 喜多川は力道山と交遊関係にあったため,力道山らがチームを後援しており,そのため,全国レベルの能力のある少年たちが集まるようになった.

 チームの中に,レギュラー・ポジションを確保できなかったが,喜多川の印象に残る子供が4人いた.
 喜多川は彼らに,野球とは別の夢を持たせてやりたいと思い,それをショービジネスの場に求めた.
 彼自身,戦前からすでに日本の芸能界ともつながりがあった.
 そして1963年,彼ら4人,飯野修実,真家弘敏,あおい輝彦,中谷良から成るグループ「ジャニーズ」が日劇デビューした――というのが江木敏夫『ジャニー喜多川さんを知っていますか』(KKベストセラーズ,1997)が述べるところによる,ジャニーズ事務所の物語の始まりである.

【ぐんじさんぎょう】,2017/2/28 20:00
を加筆改修


 【質問 kérdés】
 ホイットフィールド・シェパードって誰?

 【回答 válasz】
 ホイットフィールド・P・シェパード少将 Major General Whitfield P. Shepard は,マッカーサー統治時代のGHQの将官の一人.
 一兵卒からの叩き上げの将軍というレア・ケースの一人でもある.
(写真1)

 1894年,ニューヨーク州シラキュース生まれ.

 第一次大戦に二等兵として従軍.
 1920年,士官任官.
 第二次大戦中は北アフリカ,イタリア,南フランスを転戦.
 1944.8.27,レジオン・オブ・メリット勲章受章.
 第6軍団参謀次長として,欧州で終戦を迎える.

 帰国後,歩兵学校教頭に就任.
 1949年,横浜駐屯の第8軍司令部に赴任し,軍政関係を担当.
 1950年1月,GHQに新設された民事局の局長に就任.
 自衛隊の前身・警察予備隊設立を指導した.
 1951年秋,帰国.

 その後,トルコでNATO軍としてトルコ軍養成にあたった後,退役.

 晩年はカルフォルニア州メンローパークに隠棲した.

 google検索では情報を殆ど収集できない点から推測するに,地元の名士というわけでもないのかな?

 【参考ページ Referencia Oldal】
読売新聞戦後史班編『「再軍備」の軌跡』(中公文庫,2015),p.125-128, 133-134
Lt. Donald G. Taggart『History Of The Third Infantry Division In World War II』(Lucknow Books,2016/3/28) ※写真1引用元
https://www.tracesofwar.com/persons/40733/Shepard-Whitfield-P.htm

mixi, 2018.2.18


 【質問 kérdés】
 フランク・コワルスキーとは?

 【回答 válasz】
 フランク・コワルスキー・ジュニア Frank Kowalski Jr. 大佐は米国日本占領軍軍事顧問団本部幕僚長.

 1903年,ポーランド移民の子としてコネティカット州に生まれる.
 1930年,ウェストポイント卒業.
 1937年,マサチューセッツ工科大学で機械工学(兵器)の修士号を取得.
 1938年,歩兵士官コース修了.

 1941~1943年,フォート・ドラム訓練センターに勤務.
 1943~1944年,アメリカ陸軍指揮幕僚大学入学.
 1944年,欧州戦線に派遣され,アイゼンハワー大将のもとでSHAPEのG-3(訓練担当)幕僚を務める.

 1947年12月,日本に赴任し,京都,大阪,中国,四国などの地方軍政部で地方行政を指導.
 1950年4月,シェパード少将の下でGHQ民事局次長に就任し,警察予備隊設立を指導.

 1945~1956年,胃の手術のため入院.
 占領軍の軍事顧問団本部幕僚長として1952年まで滞日.

 1953年,ヴァージニア州フォート・ピケット司令官就任.
 1958年退役.
 1959~63年,連邦議会下院議員.
 写真1は1961年当時のものである.
 1962年,上院に立候補したが選挙戦に破れる.
 1963~1966年,破壊的活動統制委員会 ( SACB )にて「アカ狩り」に従事.
 1966年,引退してバージニア州に隠棲.
 1975年,心臓病で死去.

 著書に『日本再軍備』(1969年)などがある.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://kotobank.jp/word/フランク+コワルスキ
読売新聞戦後史班編『「再軍備」の軌跡』(中公文庫,2015),p.136-137
http://bioguide.congress.gov/scripts/biodisplay.pl?index=K000320
http://www.arlingtoncemetery.net/kowalski.htm
https://www.findagrave.com/memorial/7190102 ※写真1引用元

mixi, 2018.2.19


 【質問 kérdés】
 CASAはどのようにして誕生したのか?

 【回答 válasz】
読売新聞戦後史班編『「再軍備」の軌跡』(中公文庫,2015)
によれば,GHQ内の縄張り争いの結果だという.
 G2のウィロビー少将は,日本の警察をコントロールしていたので,警察予備隊も自身の管轄下に入るべきだと考え,復員局に優秀な旧軍軍人をスタッフとして抱え,以前から再軍備に備えていた.
 しかしG3のライト准将は,ウィロビーの縄張り拡張に反対.
 ホイットニー民政局長も,また反対した.
 そこで彼ら3人以外に任せることになり,かつ,軍事的要素を表向きにできないことから,民事局長のシェパード准将に任されることになったという.

 詳しくは同書p.93-94,およびその元ネタとなっている
コワルスキー『日本再軍備』(サイマル出版会)
を参照されたし.

mixi, 2018.2.17


 【質問 kérdés】
 CASAの陣容は?

 【回答 válasz】
 当初CASAは,シェパード少将以下30余名の将校の他,下士官など少数の人員で業務開始.
 1950年12月には,将校約60名その他.
 1951年9月時点で将校277名,下士官・兵449名.
 1952年3月時点で将校322名,下士官・兵524名と拡大していった.

 本部は江東区越中島の旧東京高等商船学校に置かれ,シェパード団長の下に
管理部,
人事部,
情報部,
訓練部,
管理部,
総務課,
監察課,
警務課,
法務課,
保営課,
衛星課,
武器課,
通信課,
施設課,
補給課,
化学課,
輸送課
が設けられ,警察予備隊の管区総監部,病院,補給処などに設けられたCASA支部を統括すると同時に,日本の国家警察本部,警察予備隊本部,および総隊総監部と密接な連絡を保って業務を進めた.
 また,北海道,関東,近畿,九州の4つの地方民事部を,1951年まで出先機関として活用した.

 【参考ページ Referencia Oldal】
増田弘『自衛隊の誕生』(中公新書,2004),p.19-21
http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j16_2_6.pdf

mixi, 2018.3.9


 【質問 kérdés】
 在日米軍事顧問団は警察予備隊の兵站をどのようにサポートしたのか?

 【回答 válasz】
 佐藤守男によれば,CASAに与えられたマッカーサーの至上命令は,朝鮮戦争勃発によって朝鮮に出動した在日米軍師団の抜けた基地に,日本人の地上部隊75,000名を可及的速やかに配置することだったという.
 そのため約3か月以内に隊員75,000名を募集採用し,各キャンプ(駐屯地)に配置するという事業が,CASAおよび国家地方警察によって推進された.
 特に1950.9.1,最後に日本に残っていた在日米軍師団である第7歩兵師団が朝鮮半島へ渡ると,日本国内は完全な無防備状態,とりわけ北海道防衛に穴が空く事態となったため,9.10までの警察予備隊北海道配備が厳命されていた.

 CASA隷下の全国地方民事部(8ヶ所)は,警察予備隊のキャンプ選定や武器・装備品受け入れに全力を傾注.
 第1期生の各管区警察学校から指定地への移動は,CASAからその都度,「部外秘 restricted」で指示され,隊員輸送はCASAから国鉄に指示された特別臨時列車によって実施された.

 教育訓練計画も全て軍事顧問団の指示・監督・指導に基づいて実施された.
 訓練プログラムは米陸軍の基本訓練計画のコピーに,若干の手直しを加えたものだった.
 教範類の選定・翻訳・編集・校正・印刷・配布などすべてに渡ってCASAの指示の下に行われた.
 しかしCASAは,一切軍事用語を使用しないように指示し,また,翻訳を軍事用語に不慣れな民間人に担当させたため,意味不明な訳文が続出.
 それを使用する実働部隊側にとって大きな障害となった.

 また,10月まで警察予備隊各駐屯地には全く武器が無かったので,CASAは在日米軍兵站部に新品のカービン銃74,000丁を請求,受領し,各駐屯地の米軍顧問団に配分された.
 各駐屯地の米軍顧問団はこれら銃を使用の都度,下士官が通訳を連れてきて,その立ち合いの下に厳格に貸し出した.
 使用後は顧問団の責任によって,宿舎内の武器保管庫に格納・施錠され,毎日保管庫の点検が行われた.
 警察予備隊には銃に関する一切の責任も権限も付与されなかった.
 これは,この銃が米極東軍事特別計画に基づく援助であり,アメリカ政府の資産だったためである.

▼読売新聞戦後史班編『「再軍備」の軌跡』(中公文庫,2015),p.26
によれば,演習で実弾射撃すると,空薬莢まで顧問団は数えたという.
 今日でも自衛隊は空薬莢まで数えることが知られているとが,もしかしたらそれは,警察予備隊時代の顧問団のこのやり方を,官僚的前例主義で踏襲しているのかもしれない.▲

 様々な理由から退職者が出たが,納得させるだけの退職理由を米軍顧問団に提出しなければならず,その英訳書類が必要となった.

 CASAはまた,隊員募集・採用と並行して,中堅幹部要員の教育にも着手.
 各駐屯地の隊員の中から,幹部としての資格・能力を持っている者を選抜し,江田島学校に入校させた.
 同港における約40日間の教育の後,その一部をさらに越中島幹部学校で教育.
 適格者を幹部として任用した.

▼ さらに予算も全て顧問団が掌握していたという.
 以下引用.

------------
 予備隊内局が動き出すまで予備隊の会計を担当した,国警会計課長の三輪良雄氏は,防衛事務次官を経て,現在弁護士である.
「予算と買うものが決まっていたので,小切手で支払う作業をやった.
 購入物品と支払金額を,毎日顧問団に報告しなければならなかった.
 ある時,福助足袋の靴下だったか,支払い報告がダブってしまった.
 顧問団に軍属で通訳をしている二世のアカシ(ミス・エミ明石)という大変な女傑がいて,すぐ電話ですよ.
 二重に支払ったのではないかとね.
 報告ミスだというと,
『あなたがサインしているんですよ』
とやられた.
 あの女史,きついなァとぼやいたことを覚えていますよ.

 顧問団で調達したものも予備隊で使うのは国警で支払ったが,米軍人の中には悪いのもいて,売り込み業者のカネで飲み歩いているといううわさが絶えなかった」
------------

 さらにまた,将来的には隊員の米国留学を行うため,習志野特科学校の中に英語学校を開設.
 これが陸自の語学教育の嚆矢となったという.

 詳しくは,
佐藤守男『警察予備隊と再軍備への道』(芙蓉書房出版,2015),p.45-102
その他を参照されたし.

mixi, 2018.1.18


 【質問 kérdés】
 軍事顧問団の駐留問題とは?

 【回答 válasz】
 日本が独立を回復した後,軍事顧問団は「在日保安顧問部SASJ」と名を改めたが,その駐留形態をどのような形にするかが問題となった.
 日米双方に様々な意見があり,完全撤退を主張する者から,旧軍将校の影響力を抑えるために引き続き各キャンプにSASJ将校が駐留する形を維持すべきと主張する者まで,意見百出した.
 結局,引き続き各駐屯地にSASJ将校は駐留することになったが,米軍は彼らに通達を出し,指揮権はあくまで日本側にあることなどを確認することとなった.
 しかし,その後も駐留問題は尾を引いたという.

 詳しくは
増田弘『自衛隊の誕生』(中公新書,2004),p.31-36
を参照されたし.

mixi, 2018.3.12


 【質問 kérdés】
 MAAGJは,それまでの軍事顧問団とはどのような違いがあったのか?

 【回答 válasz】
 MAAGJ(在日軍事援助顧問団)は,1954.5.1発効したMSA協定(日米相互防衛援助協定)第7条を根拠として設置されたもので,CASA,SASJ,SAGJの後継組織である.
 これまでの顧問団は専ら日本の陸上部隊「保安隊」に対する指導・助言を行ってきたのに対し,陸海空3部隊の指導と助言を行うため,陸軍部の他に海軍部,空軍部を併設した.
 保安隊が「陸上自衛隊」,海上警備隊が「海上自衛隊」へと編成替えされると共に,航空自衛隊が新たに発足することに対応した措置だった.
 また,これまでの顧問団が米極東軍司令官隷下だったのに対し,MAAGJはアメリカ大使館の一部となり,米大使館の長の指揮・監督の下に行動することになった.
 これにより顧問団長の他,陸海空軍の先任将校,次席将校には外交官としての身分が与えられることとなった.

 なお,MAAGJ新設を巡ってアメリカ側では,米軍部対国務省,また米陸軍対海空軍という二重の主導権争いが生じたという.
 ま,役所なんてどこもそんなものである.

 詳しくは
増田弘『自衛隊の誕生』(中公新書,2004),p.81-101, 163-169, 219-224
を参照されたし.

mixi, 2018.3.13


 【質問】
 冷戦時代,自衛隊がロシアからの侵略を北海道上陸と想定して,これに対処することを主に考えていたのは何故でしょうか?

 【回答】
 最大の仮想敵国がソ連だったからです.
 陸上自衛隊の13個師団のうち,実に4個師団が北方に配備されていましたし,新式の装備品も優先的に渡されていました.

 地勢から言って,ソ連が太平洋艦隊を太平洋に出すには海峡を確保しなければなりません.
 また,北海道以外の日本海側地域に上陸するためには,ソ連の上陸船団は,延々丸1日以上をかけて,日本海を横断しなければなりません.
 奇襲の要素は失われますし,海自・空自からの波状攻撃を受けることになります.
 まして太平洋岸への上陸など論外です.
 しかし,北海道ならば,ソ連からの距離が近いので,奇襲上陸が容易なのです.
 そもそも,旧ソ連には大型揚陸艦が十分に無いので,対岸から小型揚陸艇とヘリが使える戦場を選ばなければならない必要もありました.

軍事板,2006/01/20(金)
青文字:加筆改修部分

 冷戦は遠くなりにけりでつか.

 ソ連から見た場合,補給はどうします?
 北海道なら,北方領土,樺太から指呼の間ですし,間宮海峡,宗谷海峡さえ護りきってしまえば補給は幾らでも受けられます.
 新潟なら,補給ルートは日本海を隔てた長大なものとなり,ソ連の海軍力ではなかなか護り切れません.

 正しいか正しくないかと言う二元論ではなく,あくまでも,北海道への侵攻は選択肢の一つに過ぎませんが,その選択肢でも可能性が高い部類に入ります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/01/20(金)
青文字:加筆改修部分



 【質問】
 新潟あたりに上陸,関越沿いに首都圏へ侵攻したほうが,より早く東京に到達できると思うのですが,これら北海道上陸以外の可能性は検討・対処されていたのでしょうか?

 【回答】
 新潟に上陸するという想定は,「裏日本侵攻論」として「北海道重点防衛」へのアンチテーゼとして議論されていました.
 ただこの案,侵攻路が日本海横断になるために察知しやすく,また航空支援がえらく大変になるため,陸海空自衛隊が相対的に優位になれる,というのが大きな問題点です.

 ただまあ実際は,極東ソ連軍の実力をあまりに過大に評価しており,裏日本侵攻どころか北海道侵攻すら無理,というのが実態でした.

軍事板,2006/01/20(金)
青文字:加筆改修部分

 1976年12月9日~14日に宇都宮駐屯地で,栗栖幕僚長を統裁官として実施した方面隊対抗指揮所演習は,二個師団を下らない戦力の敵が,仙台以北,利根川以南で侵攻準備中で,12月中旬に攻撃を開始するので,この敵を撃滅すると言う想定の下,実施されています.
 決して北海道だけと言う訳ではないです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/01/20(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日曜日の「たかじんのそこまで言って委員会」に太田述正氏が出演し,
「冷戦時代の対ソ連脅威論は幻だった」
と言って,志方氏が絶句する場面がありました.
(当時の防衛白書は,対ソ連の脅威がメインだったため)

 志方氏に対して,太田氏は当時の防衛白書を作る側で
「当時からソ連の脅威は嘘だった」
「行間を読めばわかったはず」
と言っていましたが,これはどれくらい信憑性あるんでしょうか?
 これは「吹かし」の可能性が高いということなんでしょうか?

 ソ連が日本への大規模な上陸は無理であっただろうという説は見たことあるのですが・・・.

ますたーあじあ

 【回答】
 後知恵で「幻だった」というなら正解でしょう.

 ただ,当時はソ連海軍の中でも太平洋艦隊は最強でしたし,ソ連軍自体も過大評価される傾向がありましたので(日本に限らず,アメリカでも)

 当方はその番組を見ておりませんし,また,どのような分析を経て太田氏がそのような結論にたどり着いたかが問題の焦点ではないかと存じます.

 もし,情報を複眼的に総合・分析し,ソ連軍の実力を極めて正確に掴んだ上での結論であるとするならば,それは太田氏の大金星だったと言うことになります.

 ただ,太田氏の経歴(主として施設畑)から考えるに,本職の自衛隊の情報分析セクションを凌駕するような,そうしたことがあった可能性は低いと思われますし,先のJSF氏との論争や,先日upした「レッド計画」についての記述を見ましても,結論が先にありきで,そのための我田引水な「分析」をする傾向が強い人物であることから推測しますに,単なる「たまたま当たった」以上のものではないだろうと愚考いたします.

消印所沢

 まだ二回目は見てないのですが,太田先生,ちょっと飛ばし気味な感じがします.
 本人は「防衛白書の行間を読めばわかったはず」と言いたかったのではなく,「春秋の筆法で」と言いたかったんだそうです.
http://blog.ohtan.net/archives/2007-11.html#20071105

バグってハニー

 その白書も読まずに,他所の国の機関が編纂した本から自衛隊のデータを丸引きしてたくせに,何を言う>太の田
 悪い冗談にしか聞こえんぞ.

メッサー=ハルゼー

 …ていうかさぁ,ベレンコ中尉亡命事件であんだけ蜂の巣突いたような状況になってさぁ,確かに画像を投稿したときにCap.higeさんのおっしゃったように,アメリカの技術将校さんだとかが酒盛りしてて,現場ではすぐ帰れると空気も流れていたとの話もあるけどさぁ,いろいろあったけど,函館在住の人間だったら旧ソ連の特殊部隊が機体を奪還しにくるとか,(ギャラクシーで百里基地に)輸送する際に撃墜しにくるとか噂が流れてビビっていたはずだよ…
 まだ私は生まれて間もなくだったので,あくまで伝聞ではありますが.

 あくまで参考程度に,ウィキペディアより

ぎんなんそう

 たまに古本屋で,私の幼少期(80年後半~90年前半)刊行のソ連脅威本って結構あるなぁ.

 志方先生は北部方面時代,夜中に電話が鳴ると
「ソ連軍が上陸したか!」
といつも思ってたそうだ.

島の人

 つか,同時代を生きてきた中年軍ヲタにとっては,論ずるまでも無い事.
→ソ連の脅威
 海自は80年代半ばまで対潜専門部隊で,対水上艦戦闘能力は,実質「無」に近い物であったし,対空戦闘能力も「無いよりはマシ」程度.
 空自は実質「対爆撃機要撃部隊」に近い物が有り,戦術戦闘機による低高度侵入には打つ手が無い事は,Mig-25亡命事件で証明された通りだし,対艦,対地戦闘能力は,80年代初頭までF-86Fを使っていたくらいの寒さ.
 陸自はもっと悲惨で,主力は500両程度しか無い,61式MBTと言うMBTとは名ばかりの実質駆逐戦車で,74式はようやく戦力化しつつあったと言う現状だったんですがね.
 歩兵の装甲化は,今も昔も手付かずだし…
 全く「アメリカの増援頼み」だった訳ですが,80年代初頭の国土防衛は.

 実際,米ソが激突まで行かないにしても,緊張が高まった段階で,
「オホーツク海を原潜の聖域にする為の北海道への限定上陸→占領」
の危険性は常に言われていましたよ.
 90年代半ばに明らかになりましたが,実際,役所に入り込んだ工作員の尽力で,当時のソ連は北海道の全住民の最新の住民票を入手していたくらいですから.
(北海道や沖縄のマスコミが左掛かっているのは,その当時の下準備のお陰と言う説も有ります)

新所沢の三等兵◆Uk

「ソ連脅威論は嘘」
というのは
「ソ連は日本にとって脅威ではなかった」
という意味ではなくて,日本の防衛力整備計画がソ連という脅威から日本を守るためだ,という説明が嘘だったという意味だと思いますが.
 むしろ,自衛隊(特に海上自衛隊)は米軍のグローバルな戦略に組み込まれており,「自衛」というよりも積極的な攻撃的役割が期待されていた,俺はそれに気付いていたがそんなことを防衛白書に書くわけにもいかなかった,それでも行間を読んでもらえば分かるようにはしといた,というような意味だと思います.

太田コラム#2161から引用

―――
<たかじん視聴者>
 ソ連の脅威論が嘘だということについてブログで解説をお願いできませんか?

<太田>
 ソ連脅威論が嘘だと知っていて白書で脅威論をぶったのかと「たかじん・・」で常連出場者達から突っ込まれた時,
「行間を読んでもらえば(ソ連脅威論が嘘であることが)分かるようにした」
という趣旨の発言をしましたが,これは「春秋の筆法で」と言おうとして,むつかしい言い回しをし過ぎるという批判が起きるかもしれないと思い直し,
「行間を読んでもらえば」
と発言したものです.
 結構私も色々考えながら出演していたのですよ.

 さて,ご要望についてですが,コラム#30と58をお読み下さい.
 それだけでは身も蓋もないので,ちょっとサービスしましょう.(国家機密をバラしたと逮捕されない方に賭けましょう.)
 私がかつて防衛庁防衛局防衛課(当時)で防衛政策を担当していた1980年代初頭,初めての(日本がソ連の侵攻を受けた場合に発動される)日米共同作戦計画案が統幕から私の所に回付されてきた時のことです.
「自衛隊は,無制限対潜水艦戦を発動する」
というセンテンスを発見した私は,
「大変です」
と言って防衛課長室に飛び込んだことを今でもはっきり覚えています.
 この一見何の変哲もないセンテンスの行間を読むことで,私は極東における対ソ戦での米国の大きなねらいの一つが,ソ連の戦略核搭載原子力潜水艦の撃破にあることに気付いたのです.
 その後今度は,この共同作戦計画において,米軍が異常に大きな兵力を日本列島に展開することになっているのも気になり始めました.
 その頃,海幕防衛課のスタッフ達と議論をしている中で,私は,米軍の大兵力の日本展開目的が,日本防衛というよりは対ソ侵攻を目的としているに違いないという心証を得,自分で様々な米国の公刊資料を読み,米国が,欧州や中東でソ連軍が侵攻してきた時に,極東というソ連にとって最も軍事的に脆弱な地域で反攻作戦を行う計画を持っていることを「発見」したのです.
 ご参考になりましたか?
―――

 テレビなんて,思ってることだいぶはしょらなきゃならんでしょう.
 言葉尻だけを捕らえて批判するのではなくて,#30と#58を読まなきゃ仕方ないと思うのですが....

 私が調べた限りでは,「水平エスカレーション戦略」という言葉は太田先生だけの発明ではないです.
 プラウダなどの当時のソ連の新聞に,日本の対潜哨戒機整備計画を脅威と受け止めている論説があったことも確かです.

 昔,私が言及したレシェク・ブシンスキー(Leszek Buszynski)オーストラリア国立大学(当時)日本国際大学教授(現,名前からしてロシアの研究者?)の
International Linkages and Regional Interests in Soviet Asia-Pacific Policy
(Pacific Affairs, Vol. 61, No. 2. (Summer, 1988), pp. 213-234.)

という論文には,以下の記述があります(pp.216-217).

[quote]

Japan's role is to assist the imposition of a blockade in time of conflict by closing the Tsushima, Tsugaru and Soya straits, to cooperate in anti-submarine warfare (ASW) and to intercept Soviet bombers.lO
The Reagan administration's efforts to induce Japan to shoulder some of the burdens of maintaining Northeast Asian security have borne fruit under Nakasone's government as a response to external factors, notably the per-ceived threat from the Soviet Union.11
(中略)
In December 1986 the Japanese cabinet formally endorsed the decision to increase defence spending from 0.997 percent to 1.004 percent of GNP, a 5 percent increase for the 1987 defence budget.13 Projected force deployments under the fifth defence plan included an ASW and air interdiction capability which would significantly enhance Japan's defence cooperation with the United States.14

(めんどくさいから意訳)
 米ソ衝突の際の日本の役割は三海峡封鎖,ASW,ソビエト爆撃機の迎撃であった.
 レーガン政権は日本に応分の負担を要求し,中曽根政権はソ連脅威論を利用してこの要求に応えた.
 1987年には防衛予算がGNP比1%を突破し,第五次中期防に従いASW力が整備された.

[/quote]

 これに対するソ連の反応.
 イズベスチヤからの引用(1986年の解説記事).

[quote]

Computer maneuvers of combined American-Japanese forces, based on the scenario of a conflict in Europe, were seen as evidence of a desire to launch a preemptive strike against Soviet naval forces in the Far East. According to this commentary, such maneuv-ers indicated a significant transformation of Japan's role from a defensive posture to an obviously offensive one in line with the dictates of the maritime strategy.17

日米共同のシミュレーション演習は極東のソ連海軍に対する先制攻撃とソ連では受け止められた.これは,日本を防御的役割から攻撃的役割へと変貌させるものだと解説記事で批判された.

[/quote]

 前のページ(p.215)には「水平エスカレーション戦略」という言葉が出てきます.

[quote]

The American answer to Soviet preponderance in Europe was to formulate a strategy for a response to any conflict in Europe in the Asia-Pacific region in which the United States could claim primacy. This strategy, known as "horizontal escalation," was to serve as a deterrent against any Soviet attempt to unleash war in Europe.

[/quote]

 当たり前ですけど,ソ連に侵攻するのは米軍です.
 自衛隊にはそんな能力はないですから.
 ただ,海上自衛隊のASW力がそのお先棒を担ぐ(戦略原潜,ソ連の第二撃能力を叩く)ということですね.

 太田コラム#30とブシンスキーの論文には80年代にソ連侵攻のための兵力(三沢のF-16など)を米軍が着々と整備していくさまが描写されています.
 日本のP3C配備もその一環だと.
 欧州正面で戦端が開かれた際には,極東では日米が協同してオホーツク海の戦略原潜とその基地に先制攻撃をかける.
 こういう自衛隊の役割は,大方の日本人が想定していた,純粋に防御的な役割からずいぶんと逸脱しているのと違いますかねえ.

バグってハニー

> こういう自衛隊の役割は,大方の日本人が想定していた,
>純粋に防御的な役割からずいぶんと逸脱しているのと違いますかねえ.

 当時,リアルタイムで「丸」やら「世界の艦船」や「航空情報」を読んでましたが,軍事マニアの間では想定されてましたよ.一般国民はともかくとして.
 防衛庁は否定も肯定もしませんでしたが.

>極東では日米が協同してオホーツク海の戦略原潜とその基地に先制攻撃をかける.

 上段で御自身が述べられている通り,あくまでも日本はディフェンスオンリーで,先制攻撃は掛けません.
 やるとしたら米軍な訳で.
 その際は日本は三海峡を閉鎖してASWを行うのですが,あくまで本土防衛として自国の領域内で行うと言うのが,当時の防衛庁の見解でした.
 三海峡の内,津軽海峡と宗谷海峡に面している北海道防衛の保障占領を防ぐ意味での第七師団の機甲化と90式MBT,89式IFVの開発だったり,海上で迎え撃つ為,松島からでも宗谷海峡まで行動できるF-2の開発だったりする訳です.
 両者とも,80年代前半に開発がスタートしていますね.

新所沢の三等兵◆Uk

 解説どうもありがとうございます.

 これはあくまでも抑止戦略なんで,本当に起きる必要は全然ないんで,日本が実際に先制攻撃できるかどうかで悩む必要はあまりないかなあと.
 それよりもソビエトがどう知覚したのかが大事かなあと.
「日本は平和憲法だから,攻撃力がいくら高まっても心配する必要はない」
というふうには考えんでしょう.

 そういった意味でブシンスキー教授が引用していた,イズベスチヤやプラウダの記事が興味深かったです.

 どっちみち米軍がオホーツクの制空権を握るまでは,日本のP3Cには出番はなくて,それまでには日本の領土に対しても何らかの攻撃があるでしょうから,
「日本が先制攻撃する」
という言い方は語弊があったかもしれないです.

バグってハニー

以上,「軍事板常見問題 mixi支隊」より

▼ ある艦長経験者の話.
 3尉の頃に護衛艦に配属された頃は,ソ連の潜水艦とすごい緊張感でもって追いかけたり追いかけられたりと,まあトムクランシーの映画ばりの日々だったそうだ.

 で,それから陸上勤務が続いて,艦長になって帰ってきたら・・・
 ロシアの潜水艦が水上航行してるの見つけて,あぜんとしてしまったとか.

 しかも,こちらを見つけてるのにそのまま水上航行続けて,接近してみると艦橋にいる2人のロシア人が,こっちをうつろな目で見ながらそのまま去っていったと.

 ああ・・・時代は変わったなぁ,ってね.

緑装薬4 ◆8R14yKD1/k in 自衛隊板,2009/09/05(土)
青文字:加筆改修部分

ベレンコ中尉亡命事件時の模様


以上,「軍事板常見問題 mixi支隊」より


 【質問】
 函館空港に強制着陸したMig-25を百里基地に輸送する時,自衛隊は最大限の警戒態勢を敷いたはずだが,その辺に関するエピソードをご存知の方がいらしたら,書き込みお願いします.

 【回答】
 有名な話だが北部方面隊,東北・東部方面隊の部隊には「現場の判断」という名目で実弾が配られた.
 陸自の高射特科は実弾装填状態で24時間体制を取り,空自も東日本の全高射隊に即応体制を取らせ,スクランブル待機する機数を増やした.

 あとは,この本を買って自分で読んでください.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4059010723/503-5418367-5068713


 【質問】
 新型インフルエンザ対策に係る,自衛隊の検疫支援の内容は?

 【回答】
 防衛省のHPによれば,以下の通り.

――――――
場所:成田国際空港検疫所
期間:4/30~5/13 
派遣部隊・機関:自衛隊中央病院,東部方面隊(東部方面衛生隊),
          中央即応集団
派遣実績:医官7名,看護官7名

場所:成田国際空港検疫所
期間:5/6~5/10
派遣部隊:東部方面隊(第1師団,東部方面衛生隊),中央即応集団
派遣実績:准看護師20名

場所:中部国際空港検疫所
期間:5/6~5/10
派遣部隊:第10師団
派遣実績:准看護師5名

場所:関西国際空港検疫所
期間:5/6~5/10
派遣部隊:第3師団
派遣実績:看護官1名,准看護師4名

――――――http://www.mod.go.jp/gsdf/news/infulenza.html

 【質問】
 自衛隊自身の新型インフルエンザ対策を教えてください.

 【回答】
 事情は知っているのだが,保全のため一応広報の人に聞いてみた.

●朝礼前と日夕点呼前に検温して,異常のあったものはすみやかに受診もしくは隔離する.
●部隊内で大規模な流行があった場合は,当該部隊の外出を許可しない.
●当然,予備自衛官補も同様のため,流行に巻き込まれた場合は訓練終了後も駐屯地から出られない可能性があるらしい

クローム・ツァハル in mixi, 2009年09月09日01:44


 【質問 kérdés】
 「結びの里」問題って何?

 【回答 válasz】

 荒谷卓・元陸自特殊作戦群長が,主宰している「結びの里」にて自衛官を招いて私的戦闘訓練を行っていた事が,大きな波紋を呼んでいる.
 SNSはもとより各種週刊誌,さらにはアメーバニュースでも取り上げられており,第二の田母神事件の様相さえ示している.

自衛官に私的戦闘訓練 特殊部隊の元トップが指導 | 共同通信
https://this.kiji.is/725681850000359424

 荒谷氏の私的戦闘訓練については自衛隊情報保全隊も把握しており,岸防衛相も自衛隊法違反には該当しないとしているが問題はそこにあるのではない.
 問題は荒谷氏の思想にある.
 荒谷氏は世界の富裕層が世界政府を作るなどという,Qアノン紛いの陰謀論を唱えてる点にある.

「奴らが戦いを仕掛けてきたら…」自衛隊・元特殊作戦群長の終末思想をひもとく | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/43104?page=5

 さらに問題なのは,荒谷氏が新右翼団体・一水会と友好関係を結んでおり,一水会の講演には講師として何度も招かれている点である.

https://twitter.com/issuikai_jp/status/1353487242715492352?s=09
https://twitter.com/issuikai_jp/status/1062848798567751685?s=09

 新右翼団体は,現在の日本国憲法に基づく国家体制をアメリカ占領軍が作り上げた体制であると見なし,日本国憲法を占領憲法と呼んでいるだけでなく,反米運動の為なら左翼団体との共闘すら辞さない団体である.
 下部組織の統一戦線義勇軍は数々のテロ活動を行ってきた経緯がある.
 現在一水会と統一戦線義勇軍は路線対立から訣別したようだが,一水会のツイートに統一戦線義勇軍のメンバーがリツィートしたりしているのを見ると,完全には訣別はしていないようだ.

 また,一水会の発言はこれだけにとどまらず,連日荒谷氏を擁護するツイートをしている.
https://twitter.com/issuikai_jp/status/1353610839283048448?s=09

 さらに荒谷氏が主宰するむすひの里はかつて三島由紀夫か創設し,後に陸自東部方面隊本部で立て篭ったテロ事件を引き起こした新右翼系の楯の会に酷似していると言われている.
 実際荒谷氏は自衛隊を天皇陛下をお護りする国軍にすべきとし,国がそれをしなければ義勇軍を設置すべきと主張している.

“現役自衛官に私的訓練” 指導にあたった荒谷卓氏が共同通信の報道に生反論…50年前の三島由紀夫の問題意識が表面化?(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/4370c303ff561deb24b4f421a51bee01ca169b31?page=2

 このむすびの里にて自衛官を呼んで合宿と称した戦闘訓練を行うのは,贔屓目に見ても問題がある.
 荒谷氏は思想教育は行っていないと言っているが,仮に思想教育は行っていなくともカリスマ性がある荒谷氏に陶酔し,その自衛官がテロ行為を行う可能性は排除できない.
 実際ドイツではドイツ連邦陸軍特殊作戦部隊(KSK.Kommando Spezialkräfte)のラインハルト・ギュンツェル准将が,反ユダヤ主義発言を行ったドイツ保守政党・CDUのマルティン・ホーマン議員に激励の手紙を送って早期退役(事実上の懲戒免職)させられたが,以降KSKやドイツ連邦軍内部にネオナチシンパが増殖し,マキシミリアン・T元中佐がドイツのガウク前大統領の暗殺を難民に扮して行おうとして,オーストリア警察に逮捕されるという事件が起きている.
 これによりKSKの一部中隊が解体されて,ドイツ軍の特殊作戦能力が落ちるという深刻な問題が発生している.

連邦軍将校によるテロ未遂と国防大臣の苦悩 -
http://www.newsdigest.de/newsde/column/dokudan/8688-1054/

https://twitter.com/rockfish31/status/1278091410630037505?s=09

ドイツ軍特殊部隊を一部解体へ,隊員多数が極右主義者か
https://www.cnn.co.jp/world/35156210.html

 さらにアメリカでは,トランプ前大統領支持者による連邦議会議事堂襲撃事件に,現職の軍人や州兵が参加しており,バイデン現大統領の就任式典の警備を担当するコロンビア連邦特別区州兵の身元や思想チェックをFBIが行うという事態にまで発展.

 イギリスでは軍にいるネオナチ分子が摘発されるなど,西側軍隊の荒廃を示す事件が後を立たない.

FBI,内部攻撃の懸念が高まる中,ワシントンDC入りした州兵を入念に検査|ARAB NEWS
https://www.arabnews.jp/article/features/article_31542/

英陸軍兵士4人逮捕 ネオナチ組織参加の疑い - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/41170544

 以上の事例を見ると,どうしても荒谷氏の行動には問題が無かったとは間違っても言えない.
 もちろん荒谷氏にも言い分はある.
 この私的戦闘訓練は徒手訓練,つまり格闘技訓練であり毎年開催している事,また,これを報じた共同通信の伊藤記者の問題ある取材姿勢を指摘している.

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=449291152874043&id=100033794853264

 しかし問題は荒谷氏の思想である.
 もちろん伊藤記者やの取材姿勢は感心できないし,伊藤記者は批判されるべきだが,だからと言って荒谷氏の思想に問題が無かったとは言えない.

 軍の中でも特殊部隊は機密性から国家の中の国家を作りやすい傾向があり,特殊部隊による不祥事も発生している.

https://twitter.com/OkazakiMiai/status/1353931668109709312?s=09

 荒谷氏を批判しても抜本的な改革をしない限り荒谷事件の再来は防げない.
 荒谷事件を防ぐにはどうしたら良いのか.

 情報保全隊と警務隊が協力してコミッサール(政治将校)を設置すればいい.
 名称を「部隊監理幹部」として各部隊に設置し,司令官や部隊を監視する.
 共産圏のコミッサールには司令官や部隊監視だけでなく,横暴な将校の内部告発的窓口やカウンセリングの役割を担うなどメリットもある.
 自衛隊のいじめ問題の解消も兼ねて,防衛監察本部の元にコミッサールを設置し,情報隊と警務隊の指揮権をコミッサールに移譲して権限を分散すれば,指揮官は作戦と教育だけに没頭出来る.

政治将校
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%B0%86%E6%A0%A1?wprov=sfla1

 また,自衛隊情報保全隊のエージェント網を自衛隊内部に設置するべきだろう.
 ドイツ軍事保安局では連邦軍内部にエージェント網を敷いていないし,自衛隊情報保全隊も敷いていない.
 しかし自衛隊ではエージェント網を敷いて,防諜や不穏な思想を持つ自衛官の摘発を行うべきだ.

軍事保安局 (ドイツ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E4%BF%9D%E5%AE%89%E5%B1%80_%28%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%29?wprov=sfla1

 なお,情報保全隊に新たな負担をかけないよう,情報保全隊の一部任務は公安警察が行うべきだ.
 当方は情報保全隊の左右過激派や市民団体への監視は,今回の荒谷事件もあり,むしろ大いに行うべきだと思っているが,情報保全隊の人員から考えて,エージェント網の任務まで追加したらいくら何でも酷である.
 団体監視はそのノウハウもマンパワーもある公安警察に一任すべきだ.

 正直,これ程気の進まない提案も今までにないが,こんな提案しなければならないくらい西側軍隊(自衛隊)は荒廃している.

 なお,自衛官の名誉の為に言わせて貰うと,大半の自衛官は我が国の国家体制には不満は抱いていない.
 当方の父は元陸自で満期退職後は千葉県警に入ったし,元空自の当方の叔父は空曹長まで上り詰めて定年退職したが,国家体制への不満は一度も口にしなかった.

ねらっずーり in mixi, 2021年1月31日
青文字:加筆改修部分

 元陸自特殊作戦群の荒谷元一等陸佐の件で新たな情報が来た.
 本来なら田母神論文事件同様に軍事マニア界隈は批判しなければならないが,誰もしないようだから当方が代行して書きたいと思う.

「行動する時が来た」「靖国の英霊と会話できる」陸自特殊部隊元トップの“危なすぎる世界観” | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/43141?page=3

 荒谷氏は陸自に入隊前から三島思想に被れており,入隊後も三島思想を捨てなかった.
 そればかりか歴史観に関する座学では教官と対立し,陸自の制服姿で三島由紀夫の追悼集会(憂国忌と呼ぶらしい)に参加し,調査隊(現自衛隊情報保全隊)の監視対象者になっていた.
 そんな人物が何故陸自の特殊作戦群の司令官になり得たのだろうか.

 調べてみると自衛隊の人事は各方面隊(陸自)・地方隊(海自)・航空方面隊(空自)が担うが,特殊作戦群は初期は陸上幕僚監部,つまり陸幕が担っていた.
 しかし人事のガイドラインや規則は防衛省人事教育局が定めていた.

http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2011/2011/html/ns341000.html
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1960/ax19610203_00004_000.pdf

 当方は荒谷事件の教訓から文官統制に戻すべきと主張したが,文官統制は実は人事教育面で現在も続いている(部隊教育を除く).
 これは二・二六事件の青年将校が同期で同じ部隊にいた事による反省から,人事面は警察官僚からの出向による防衛省官僚が掌握する事で,防大や幹部候補生学校の同期の幹部が同じ部隊に所属しないように,人事を決めていた事による.
 これは1992年のQ&A誌(平凡社)に書かれていた.
 これまで自衛隊の文民統制が守られてきたのは,人事の文民統制があったためでもある.
 柳内伸作事件,田母神事件などローンウルフ的な幹部自衛官による文民統制逸脱はあったものの,いずれも懲戒処分により自衛隊を追い出された事で事なきを得たが,退職した幹部自衛官との交流は盲点だったと言えるだろう.

 それにしても人事教育局や陸幕は,どうして情報保全隊の監視対象者だった荒谷氏を特殊作戦群の司令官にしたのか.
 推測だが,問題児だった荒谷氏を米陸軍デルタフォースに派遣して,三島思想を改めるように模索したのだろう.
 しかし結果は余計悪化させただけに終わったようだ.

 荒谷事件により防衛省や各幕僚監部は,規則や自衛隊の座学たる精神教育の変更を余儀なくされるだろう.
 冠婚葬祭以外での制服の着用は制限されるだろうし,三島の追悼集会への参加も禁止されるかも知れない.
 画像のように自衛隊には自衛官の心がまえが5項目あるが,これに憲法の遵守が加わるだろう.
 場合によっては個人の充実から憲法の遵守に変わるかも知れない.
 そうなると新しい教科書の導入が必要になる.

 また,自衛隊の人事も防衛省人事教育局に一元化されるかも知れない.
 地方は地方防衛局が担う事になる可能性もある.

 荒谷氏を一等陸佐に昇進させ,特殊作戦群の司令官にした防衛局人事教育局と陸上幕僚監部の責任は重い.

ねらっずーり in mixi, 2021年02月06日
青文字:加筆改修部分


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