c

「アジア別館」トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

◆◆◆漢朝以降 Han-dinasztia
<◆◆戦史
<◆中国
東亜FAQ目次


(画像掲示板より引用)


 【link】

「Togetter」◆(2013/05/11) 曹操と曹騰の間に挟まれた謎の人物曹嵩

「あんそく」:やる夫が五胡十六国時代の覇者になるようです 【序章】

「あんそく」:やる夫が五胡十六国時代の覇者になるようです 【第1話,第2話】

「あんそく」:やる夫が五胡十六国時代の覇者になるようです 【第3話】

原田実 in twitter (2012/07/20)◆
 宦官で色目人の手柄は国の恥ということで,著書まで焼き捨てられたのに.
@yamamoet 最近の中国人は海に関心を持ち鄭和を持ち上げるけど,彼がイスラム教徒だって知らないのだろうか?
 インド洋圏を千年に渡って支配してたのはイスラム教徒であって,決して中国人じゃない^^;

「北京東京趣聞博客(ぺきん・とうきょうこねたぶろぐ)」◆(2010/06/16)ウーアルカイシ氏の望郷

●三国志

「D.B.E. ミニ型」「三国志」の英雄・曹操の墓発見…中国テレビ報道
>中国だからどうか… などという偏見混じりで見たものの,結構マジっぽい感じ?

D.B.E. ミニ型」:諸葛亮

D.B.E. ミニ型」:中国で銃器約188万丁など押収
>押収したのは,このほか軍用銃弾385万発,雷管1317万個,放射性物質2176個など

D.B.E.三二型」:【三国志】もしも馬謖が 松岡修造だったら 【泣いて馬謖を斬る】

D.B.E. ミニ型」(2010/10/16)◆(情報元everything is gone) 横山三国志の「むむむ」を全て集めてみた

「SLPY」:曹操喫茶って絶対売れると思うんだ・・・

「SLPY」:特攻の拓風に三国志を語るスレ

「VIPワイドガイド」:りょ・・・・・呂布だー!!呂布が出たぞー!!!!うわー!!」

「朝目新聞」関係ないAAに三国志の台詞を喋らせるスレ  (of SLPY)

朝目新聞」●日中で違う三国志についての認識 曹操編  (of 「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む /by D.B.E三二型)

朝目新聞」(2010/09/30)●暇だから孔明ん家と赤壁行ってきた

「おはようwwwお前らwwwwwwww 」:三国志の時代に2ちゃんがあったら立ちそうなスレ

「戦国・三国ちゃんねる」:実は三国志で一騎打ちなんてやってないんだよバ~カ

「メガとんトラック」◆(2010.2.21)「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む:日中で違う三国志についての認識 呂布編 - livedoor Blog(ブログ)

●書籍

『五胡十六国〔新訂版〕』(三崎良章著,東方書店,2012/11)


 【質問】
 陳勝・呉広の乱はなぜ大きな叛乱となったんですか?

 【回答】
 当時,秦では労役の召集期限に遅れたら理由に関わらず死刑,というめちゃくちゃ過酷な体制をとっていた.
 陳勝と呉広の率いていた部隊は目的地への途上,水害に遭って,期日に間に合わないことが確実となった.
 二人は「どうせ殺されるなら,戦ってやる」ということで部隊を率いて反乱を起こした.

 それに,陳王の部隊は元六国の民で,元から秦に忠誠も誓ってなければ,秦軍として登用されていたわけでもない.
 それに当時は,国家に対する忠誠心で戦うという概念がほとんどなくて,基本的に直属の将軍に従うという私兵の集まりに近い集団だった.
 陳王も,自分個人への忠誠心を高めるため,いろいろ小細工をしている.

世界史板


 【質問】
 中国の反乱の歴史見てるといつも思うんですが,通信設備が未整備の時代に,あれだけでかい国の中で,どうやって反乱に呼応して蜂起したりできるんですか?
 陳勝の乱,黄巾の乱,紅巾の乱,太平天国等々,一斉に蜂起している気がするんですが…

 【回答】
 陳勝・呉広の乱は場合は呼応してる訳じゃなく,単にキッカケに過ぎない.
 元々,不平不満が募っていたから便乗,各地で爆発しただけ.

 大体は発生した周囲のみでまず同調勢力を吸収して,プロパガンダを流して遠くの勢力も同調させるパターンが多いかな.
 陳勝や黄巾,太平天国などどれも一枚岩じゃなくて,混乱を聞きつけた各地の軍閥などの勢力が混乱に乗じて勝手に名乗ることもあるし.

 黄巾の乱,紅巾の乱とかは宗教ネットワークで繋がってたからな.
 檄文飛ばしたり,色々根回ししていた.
 まあ,こちらも勢いに便乗してる勢力も多々いる訳だが.

 つまり,表面上全土で100万人の一斉蜂起!だとしても,内部では反乱のお題目だけ頂戴して好き勝手やってる地方勢力が多いってこと.
 これなら別に反乱軍の首魁が反乱の申し合わせをするわけじゃないので,それほど通信が発達してなくともどうになかる.

 あと,全く通信設備が未整備って訳ではない.
 公的じゃなくても裏社会で結構ネットワークが完成してたりするし,それに少なくとも秦代にはそこそこ通信設備が整っていたはず.
 さすがに華北と華南で同一勢力が呼応して反乱することはない.

世界史板
青文字:加筆改修部分

猫の乱
(作・ミリグラム)


 【質問】
 劉邦は朱元章と同様,最下級身分から成り上がった,という記述があったのですが,貧農で家族が餓死し乞食となった朱元章は分かりますが,劉邦は何者ですか?
 唯の農民が,配下を集めて反乱は困難ですよね?
 中華では農民が最低身分なんですか?
 劉邦は『丁長』だかそんな役人という記述も見たのですが,それなら全然最下級じゃないじゃないですか?

 【回答】
 劉邦は豪農.
 唯の農民でも,配下を集めて反乱を混乱時のどさくさまぎれになら起こせる.
(陳勝・呉広の乱)
 他に農民じゃないが,塩の密売人の黄巣や駅夫の李自成も反乱を起こしている.
(黄巣の乱・李自成の乱)

 それと,沛では劉邦は仲間に担ぎ上げられた.
 いざとなったら劉邦に全てなすりつける為.
 亭長は簡単に言えば,町の町内会長レベルの役人で,なる事はそんなに難しくは無い.

 最低身分つーか下層階級の農民から皇帝にまでなった人物は,歴代統一王朝の中で劉邦と朱元章ってだけで,農民より下の身分は存在するし,後趙の石勒のように,奴隷から統一王朝じゃないが皇帝にまで登り詰めた人物も存在する.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 張良は劉邦の配下としてすごく活躍したのに,なぜ彼は劉邦の死後,ショウカやソウサンみたいに出世しなかったのでしょうか?

 【回答】
 保身のためと考えるのが妥当だろう.
 張良は,劉邦や呂后の性格をよくわかっていたし,また,たとえば呉が楚に勝った後に伍子胥がどんな運命を たどったか,越が呉に勝利した後に范蠡どうしたかなどの,歴史知識も当然あった.
 だから彼には,この先,漢王朝創業の功臣達,その中でも特に,後から加わったいわば外様の家臣たちが,やがてどうなるか,容易に予測できた.
 劉邦に疑われたり,呂后に嫌われたりしたら最後だ.
 だから,「狡兎死して走狗にらる」ことにならないよう,先手を打って事実上隠遁し,
「自分は老荘思想に傾倒しているので,世俗的な権力欲はありませんよー,無害な存在ですよー」
とアピールすることで保身した.

 張良は呂雉の複雑さをよく知ってたから,呂雉が自分を頼ってくるように仕向けたとも考えられる.
 呂雉は,蕭何や曹参のような沛県勢力ではないし,張良自体も,韓の新鄭の出身で「親藩」の沛県勢力ではない.
 保身を図るためには,いろいろ考えがあったのかと思うが.

世界史板,2010/05/27(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 殷の時代の中国人は白人っていうのは本当ですか?
 あと漢民族は漢王朝とともに消滅したらしいのですが,今いる連中となにか差異はあるの?

 【回答】
http://sayer.lab.nig.ac.jp/~saitou/japanese/human.html
ここの<第12回春秋戦国時代に欧州人?>って記事のことかな.

 白人も当然居たはず.
 紀元前6000年~3000年の間に絹の製法という秘匿技術が開発され,その交易があったからね.
 ただ,全員が白人という話ではないでしょ.

 殷の人々は白人かどうかは分からないけど,元々中原の民では無いと言われてるな.
 あと中華は多民族の寄り合い所帯.
 中原と呼ばれる地域に後から後から周りの地域が進攻.
 進攻した側が中原に合併・吸収され,始皇帝統一の時の領域が中華の元となった.
(秦・楚・燕・呉越は元々は外国だった)

 その後さらに他の地域も併合されて,清代には現在の中華人民共和国の領土とほぼ同じ大きさになって行った.
 秦の後を受け長期統一王朝を樹立したから,また塞内に住まう民族を漢民族と呼ぶ様になったと思う.

 しかしこの漢民族と言う括りも,五胡の流入に依り崩壊.
 民族が対立するのは元々,全然関係ない民族の寄り合い所帯なのと,塞外の異民族流入(流入した異民族も多くは漢化して同化するし).
 南船北馬と言う言葉がある様に,地域に依って習慣,風習,食物etcが全然違うからで,しかも力で無理やり抑えて統一しているのが段々と緩んでくるから.

 それに中華の歴史は裏切り,騙し合い,集合離散,破壊と創造の繰り返しだからな.
 寧ろ上手いこと治まってる状態を維持する方が難しい.

世界史板
青文字:加筆改修部分

▼※
>しかしこの漢民族と言う括りも,五胡の流入に依り崩壊.

という部分は,かなり不足しているものと考えます.
 この回答者は,おそらく,西晋の崩壊時あたりを想定して,「五胡の流入」という表現を使っているものと推察致しますが,この時代,既に匈奴や鮮卑,(テイ)族などはその領域内に漢族と共に居住しておりました.
(テイ)族は「斉万年の乱」を起こしています)
 例えば,太原では匈奴と漢族の混淆が進んでいたことがわかっています.(晋書 匈奴伝)

 晋の江統は,こうした領域内に居住する異民族を,塞外の地に強制移住させ,以て治安の安定を図ろうとしました.これを徙戎論と言います.

http://www.3guozhi.com/zaka2/ss2.html
こちらのサイトで訳されていますが,『關中之人百余萬口,率其少多,戎狄居半』とありますように,その数は無視出来るものではありません.

 つまり,「五胡の流入」と言うよりは,当時,既に晋の領域内に居住していたこれらの民族が,傭兵として八王の乱のときに活躍したり,反乱を起こしたりしたわけです.

●=「低」の右側

名無しルーデル神教教徒 in FAQ BBS,2011/6/9(木) 12:55
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 中国の新(8~23)の時代に起こった赤眉の乱で,眉を赤く染めたのは自軍と敵軍とを区別するため,漢を表す色の赤を塗った,と本で読みました.
 しかし,後漢のときに起こった黄巾の乱では張角が
「蒼天(漢王朝)すでに死し,黄天(黄巾軍)まさに立つべし」
と唱えています.
 ここでの漢の色の違いはどこから来るのでしょうか?
 おそらく,陰陽五行説からきているのではないかという意見がありますが,よく分かりません.
 どなたかわかりませんか?

 【回答】
 五行における色の対応は, 火:赤 水:黒 金:白 木:青 土:黄

 漢は最初水徳だとしていた.
(三皇五帝→夏→殷→周→秦と続き,秦が永遠に続く…として始皇帝は水徳を名乗った.漢はそれをそのまま継承した)

 後に,この後はまた最初に戻るとされ,それで土徳になった.
 元々の伝説関係の由来から,漢は火徳にもゆかりがあった.
 というわけで,漢王朝が何徳の王朝かは見解が色々ある.

 他方,蒼という字には年老いたという意味があり,黄という字には若いという意味がある.
 張角は新王朝樹立の意思表明をしただけ,という説もあったり.

 ちなみに宋王朝の時には,王朝内部で「宋は何の徳を祭るべきだ」のような議論がなされたりもしてます.
 国の重要な職務とされた祭祀の問題で,それに政治的な意図も加わって色々あったようです.

 また,眉を赤く染めたのは,たまたま赤い染料が大量にあったからで,漢王朝の色とは関係ないと言う話もあるんだけどね.
 もし青や他の色だったら赤眉の乱ではなく,青眉の乱とかと呼ばれていたかも知れない.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「三舎を避く」って何?

 【回答】
 晋の文公が,城僕の戦いの前に軍を三舎(90里)後退させたという故事からできた言葉.
 晋の文公は亡命中に楚の成王に厚遇され,その返礼として,中原で相対した場合に軍を90里後退(三舎を避け)させるという約束をしていた.
 現在では相手を一目置く,敬遠するという場合に用いられる.
 出典は『春秋左氏伝』.


 【質問】
 古代中国の墨家はあらゆる分野の最新の技術と科学を研究し,依頼があれば誰にでも無償で軍事の指導を行っていたと言われていますが,無償で軍事指導をしていて,どうやって研究費を捻出していたんでしょうか?

 【回答】
 墨家の開祖墨子が工匠であることに象徴されるように,元々墨家は職能氏族の集団(ギルド)をベースとしてできたもの.「墨」が指す本来意味は建築,築城の専門集団と言われてる.「墨」は大工が持つ墨壷(墨糸で線を引くもの)から来ている.
 活動の根源は宗教の例にもれず,信徒等からの寄進・布施が主体だが,質素を旨とする教義形態から,それ程大きな予算は必要ではなかった.
 また,特徴として特に農工業分野での技術指導を行うことで,
信徒の経済的な底上げ→信徒と寄進増
のスパイラルができていた.
 墨家はかなり広大な本拠地(名称失念)を持ち,そこで自給自足していた.
 戦闘部隊から,農耕,薬品,動物や虫を操る専門家までがいたそうな.

 初期の技術的優位性は主に各国・地域の技術を収集・応用することで,中期以降はこれに加えて信徒の優秀な子息を集め育成することによる.
 それと,軍事指導は防衛戦・策に限定されていた.
 但し,末期には兼愛・非攻を実現する為には強力な中央集権体制による統一が必要,として教義を変更し,奏・漢帝國の成立に協力する.
 漫画の「墨攻」は,この中期末~末期初を描いてる.

軍事板

 なお,漫画の「墨攻」ですが,あれはもともと酒見賢一氏の同名の小説の漫画化です.
 そんで小説版からして作者の創作てんこもり(なにしろかの「後宮小説」の作者ですから)な上に,漫画版はさらに脚色が加えられているので,この作品の名前をあげるのはどうかなあと思ったり.
 いや,抜群に面白いのでぜひ読んでもらいたくはあるのですけれども.

唯野 in mixi支隊


 【質問】
 三国志はそんな詳しくないんだが,演義か正史かで,カトリックとプロテスタントくらいには違うのか?

 【回答】
 『三国志』は,陳寿の著した歴史書.
 司馬遷の史記と同じ様なもので,中国の官製の歴史書.
 俗に『正史』と呼ばれてるのはこっち.

 『三国志演義』は,羅貫中の著した小説作品.
 上の『三国志』を元に,七割が正史・三割が創作とされてる.
 日本の吉川英治の小説は,こっちを元にしたもので,横山光輝やコーエーは,更にこの吉川作品を元にしてる.
 このため紛らわしいが,日本で『三国志』というと,この演義の方を指すことが殆ど.

 ちなみに例外は蒼天航路で,正史を元にしてる.

漫画板,2013/07/12(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 曹操が暗記するほど読んだといわれる書は孫子ですか?

 【回答】
 Yes.
 しかし暗記なんてレベルじゃない.完璧に理解した上で,孫子の完成度をぐーんと高めたのが曹操.
 現在テキストとして用いられる孫子は,大抵の場合,曹操が孫子に注釈をほどこした「魏武注孫子」.

 そんなわけで,
「そもそも孫子を著したのは曹操なんじゃねぇの?」
なんていう人までいたりする.
 ま,さすがにそりゃないだろうけどね.

(世界史板)


 【質問】
 ウィキペディアには,
>後漢末・三国時代を舞台とする説話や講談は古くからあり,
>すでに北宋の時代には劉備と蜀漢を善,曹操と魏を悪役とするイメージが
>定着していたという記録がある.

とあるんですが,なんで蜀が善という考え方が広まったんでしょうか?

 【回答】
 劉備は漢の皇室の分家の末裔だから,後漢の正当な後継者で,曹操は後漢から天下を簒奪した悪党,という構図.
 これが日本だけの見方ではない証拠に,中国人は長年関羽を関帝(神様)として祀ってきた.
 っていうか三国志演義はまさにこの構図.

 曹操は宦官の孫だったり,徐州で大虐殺やったり,儒者を弾圧したりしたので,在世当時から大悪人としての風評が大きかった.
 劉備はまあ,やってることはただの弱小軍閥の親玉なんだが,「漢朝・劉氏」で売り込んだので,当時から評判はよかった.
 シナ人の多くは今も漢民族と自称するし,孔明・関羽・張飛とか民衆に人気のある武将もいるし,判官びいきもあるし.
 陳寿が『三国志』を書いたのは晋の時代だが,晋は魏から禅譲された形で簒奪しているので,前代の魏はあんまりよく書かれず,陳寿の母国であった蜀漢は,正統王朝に準ずる形式(先主伝など)で書かれた.

 また晋が江南へ移ると,もといた華北よりも江南文化をひいきにするようになったが,孫呉をあまりもちあげると治安上よろしくないので,民間に人気のある蜀漢を持ってきて称揚した.
 習鑿歯という人は,蜀漢に仕えた人物の子孫だったが,東晋の末に軍閥の桓温が帝位を簒奪しようとしたので,
「魏は簒奪者であり,晋が蜀漢を滅ぼして,ようやく漢が滅んだ」
という蜀漢正統論を説いたという.

 まあ,蜀を実際に倒したのは魏の軍なんだが,すでに司馬氏が完全に実権を握っていた頃.
 漢人が北方民族に圧迫されてたのと,魏が漢を簒奪し蜀を苦しめたのを重ね合わせ,北伐を繰り返した蜀の孔明を善玉にしたのが,原因のひとつではあろう.

 ただし,関羽が神格化されたのは意外に遅く,唐宋の頃にようやく護法神として信仰された程度.
 「関帝」とされて,信仰が国家規模で盛んになるのは,南宋以降になる.

世界史板,2010/05/20(木)
青文字:加筆改修部分

▼ 上記回答ですが,誤解を招きかねない点,説明が不足している点があると考えます.

>っていうか三国志演義はまさにこの構図.

まず,この箇所ですが,宋代に三国志を題材としたものは「三国志平話」であって,演義ではなく,しかもこの違いは無視できるものではありません.
 三国志平話においては,高祖に粛清された韓信,彭越,英布が曹操,劉備,孫権に,加害者である高祖と呂后が献帝と伏皇后に,そして天界での裁判において,韓信らの冤罪を証言した?徹が諸葛孔明に,裁判を進行させた司馬仲相が司馬仲達に,それぞれ生まれ変わると言う設定から話が始まるもので,「三国志演義」とは色彩がかなり異なります.

>陳寿が『三国志』を書いたのは晋の時代だが,
>晋は魏から禅譲された形で簒奪しているので,
>前代の魏はあんまりよく書かれず,陳寿の母国であった蜀漢は,
>正統王朝に準ずる形式(先主伝など)で書かれた

 蜀志における劉備の伝が,諡号の昭烈帝を使わず,「先主伝」とされていることからも明らかなように,陳寿の「三国志」は蜀漢を正統王朝とはしていません.
 また,漢魏革命は「魏武輔漢の故事」とも言われ,後世の禅譲の模範となっており,その影響は,「清室優待条件」の
「大清皇帝辞位の後尊号猶を存して廃せす,中華民国は各国君主を待つの礼を以て待遇す」
にも見ることが出来ます.
 これは東漢の献帝が魏の文帝に禅譲し,山陽公となったあとも,皇帝としての自称などを許されたことに由来しています.

 蜀漢正統王朝説を大成させたのは,南宋の朱熹でしょう.
 司馬光が「資治通鑑」において,三国時代の年号を魏のもので統一したのに対し,朱熹は「資治通鑑綱目」で蜀漢のそれを使い,蜀漢こそが正統王朝であるとの立場をとっています.
 こういった流れで,元代には科挙に蜀漢正統王朝説が取り入れられ,この文脈上に,明代に劉備を善玉とする「三国志演義」が成立したのです.

名無しルーデル神教教徒 in FAQ BBS,2010/7/27(火)
青文字:加筆改修部分

 【参考ページ】
三国志平話 - Wikipedia
三国志平話とは?
三国志平話とは
資治通鑑綱目 とは - コトバンク
中国社会の変化と北方民族の進出
~ 曹操の評価 ~


 【質問】
 軍師という熟語は,諸葛亮の軍師中朗将からというのは本当ですか?

 【回答】
 いいえ.

 中国では,周の文王が呂尚を師に立て,子の武王のときついに殷を滅ぼしたことが『史記』+に見えるように,古くから軍師にあたる者が存在しました.

 ある程度効力のある官職として文献に始めて出てくるのは魏志の武帝紀の中にある
「三年春正月,公許に還り,初めて軍師祭酒を置く.」
のくだりかと思われますが,光武帝の時代,隗囂が反乱を起こした際に部下を「軍師」に任命してるということがあったようなので,単純に一番最初というとこっちになるのかな?^^

(「はてな」)

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 三国志には,劉備玄徳が田舎の農家で人肉を食べる生々しいシーンが出てくるけど,中国で人肉食はありえたことなの?

 【回答】
 「三国志演儀」は創作,脚色てんこ盛りで資料には成り得ない.
 中国では昔から三国志は人気のある話で,数多くの「三国物語」と言える話があり,曹操を主人公にした物,孫権を主人公にした物,劉備を主人公にした物と様.
 どの話も主人公の敵は悪逆非道な人として書かれ,敵の人格をおとしめるエピソードも数多くある.
 劉備の人肉食のエピソードは,そのネガティブ・キャンペーンの一つと思われる.

 しかし正史三国志,魏志ゾウコウ伝(字が出ない)には,袁紹に攻められた軍閥の主・ゾウコウが篭城のさなか,最後に自分の愛妾を殺して肉を入れた粥を作って配り,感激した兵士達は全滅するまで戦ったという記述がある.

 また,マンガの「蒼天航路」には,董卓が反逆者の目をくりぬいたり腕をぶっちぎったりして,さらに釜茹でにして余興とし,列席者は恐怖に青ざめるが,董卓だけは一人平然と煮えた人肉を食う!……というシーンがあるが,これと全く同じ記述が正史の董卓伝に登場する.
 初期の「蒼天」は,こういう正史ネタが細かくちりばめられてあって感心したもんだなぁ.

 さらに,「魏志」の太祖武帝紀(曹操の伝記)なんかを通読すると,
「なんたらの何年に飢饉が発生し,人が人を食い合った.」
「ひどいありさまで,人が人を食い合い…」
とかサラっと出てきたりする.
 正確な引用は出来ない…ちくまから出てる三国志・魏志(1)だが,ダンボール箱の底に埋まってるだろうから掘り起こせない(°∀°)
 もちろん飢饉のときに人肉食が流行るのはその他の世界の地域でも似たようなものだろうが,中国の場合は前述のゾウコウ伝に限らず,晋の文公に介子推が腿の肉を裂いて献じた話とか,敵を辱めるためにそいつの死体を料理する,漢の彭越の話とかあって,「嫌悪すべきもの」とは限らず「忠誠や愛情を示すポジティブなもの」として描かれることも多いのは否めない.

 16世紀に著された有名な漢方の研究誌「本草綱目」では,人間の各所の肉のみならず,髪の毛や排泄物や精液に至るまで,その薬用としての利用方法・効能が書き記されている.

 薬用以外だったら「両脚羊」というものが,宋の「ケイ肋編」(だったかな? また漢字が出ないが,鶏に似た字)という本
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4270_14876.html
に,食材として登場する.
 昔,立ち読みした本に同じ出典でその製法まで記してあってウボァーって思った事がある.
 農村で女性を捕まえたり買ったりして,手足頭を切り落として腹を割いて,内臓全部出して塩をすり込んで干すんだったか.

 で,そこには結びとして

 經傳詩文によつて,支那人の長所美點を會得するのも勿論必要であるが,同時にその反對の方面をも,一應心得置くべきことと思ふ.
 食人肉風習の存在は,支那人に取つては餘り名譽のことではない.
 されど儼然たる事實は,到底之を掩蔽することを許さぬ.
 支那人の一面に,かかる風習の存在せしことを承知し置くのも亦,支那人を理會するに無用であるまいと思ふ.

と,書かれている.

 それから,これはもう最近の話になっちゃうが,文化大革命では「反革命分子」「資本家」「階級の敵」をリンチし,八つ裂きにして肉やら臓器やらを民衆が我先にとつかみとり,家に持ち帰って食ったとか,そのような指摘が中国人自身からされていたりする.
 ソースは「食人宴席」(鄭義著,)
 著者は天安門事件で指名手配されたバリバリの民主化運動家,訳者は大陸大嫌いの台湾人・黄文雄なので,いささかバイアスがかかっているかもしれんが,しかし,記述としては,西洋人や日本人の支那旅行記に散見される,
「死刑のあと,死刑執行人や見物人の間で人肉の売買が始まる」
というヤツと一致しており,まるきりガセネタと言い切れない面がある.

 平時から市場に人肉が並んでいる様子
http://hk.geocities.com/ennet369/
(グロ注意)

 中国の人肉食は,普遍的とまでは言いきれないものの,他地域の文明と比べてハードルが低いのは明らか.
 それを決定付ける,たったひとつの究極的な証拠,などというものはないが(というか不可能だ),しかしそれを裏付ける膨大な史料や証言には事欠かない.

軍事板

 武帝紀の該当部分,抜き出しますね.

「この年(興平4年=西暦194年),穀物は一石五十余万銭に高騰し,人間同士が食い合うほどだった.そこで軍吏や兵士の新たな募集を取りやめた」

 この光景を目の当たりにしたあと,曹操は屯田を推し進めていくようですね.

 次にゾウコウ伝.
 ()は私の入れた分で,[]は本文中の挿入です.ちなみに筑摩書房の世界古典全集版です.

「袁紹はゾウ洪の手紙を読み,降伏の意が無いことを知ると,兵を増強して激しく攻め立てた.
 城中では料米が底を突き,(中略:内容は城中の一致団結振り)最初はまだ鼠を掘り出し,[獣の]筋や角を煮て食べていたが,後にはもはや食べられるものはまったくなくなってしまった.
 主簿が,内むきの台所に米三斗(漢代の斗は今の升に近い:約5.4リットル)があるから,半分に分けて少しずつ粥を作りたいと言上した.
 ゾウ洪はためいきをついて,
『わしだけがこれを食べてなんとする』
といい,薄い粥を作り,みんなに分けてすすらせ,自分の愛妾を殺して将兵達に食べさせた.
 将兵達はみな涙を流して,顔を上げられるものも無かった.
 男女七,八千人が枕をならべて死亡したが,離反したものは一人も無かった」

 さらに董卓なのですが,董卓自身が人肉を食う,と言うのは蒼天航路のほうだけで,正史にはありませんでした.おそらくレス主の方が言うのは

「かつてビ(眉+おおざと,董卓の本拠地)に出かけ砦を巡察することになり,公卿以下そろって横門の外において送別の宴をもよおした.
 董卓はあらかじめ幔幕を張って準備しておき,酒宴となると,反乱した北地郡の降伏者数百人を中へ引き入れ,席上,まずその舌を切ってから,手足を切ったり,眼をくりぬいたり,大鍋で煮たりした.
 まだ死にきれない者が,杯やテーブルの間を倒れて転げまわり,集まった人々がみな慄然としてさじや箸を取り落としても,董卓は平然として飲み食いを続けていた」

というシーンをアレンジした,「蒼天航路」の宴席のシーンだと思われます.
 私,この漫画読んだのですが,人を食っていたか失念してしまいました.なんにせよ,「漫画の話」です.

 んで,個人的に興味深いのは曹操の幕僚グループ,程イク(日の下に立)の話.

「『世語』にいう.
 そのむかし,太祖(曹操)が食料に欠乏したとき,程イクはその出身の県を略奪し,3日分の糧食を提供したが,人間の乾肉をかなりまぜた.
 その結果,朝廷における人望を失った.
 だから官位は公にまで上らなかったのである」

 世語は,註にに引かれた野史の中では比較的成立年代が古いようですので,比較的当時に近い時代,人肉を食料とすることは余りよい印象をもたれていなかった,すくなくとも公卿のすることでは無いと思われていたことの証左になると思います.

 その他,王忠は飢饉のときに人をたべたことを,曹丕が馬の鞍に髑髏を下げてからかったと言うエピソードがあります.

黒木竜 in 「軍事板常見問題 mixi別館」

▼ なお,中国語の「人肉」には,「人間の肉」以外の意味もあるので,注意が必要.
 現代の,ネット社会での話限定ですけどね.
 以下引用.

――――――
4) 人肉
 昔々,犯人を指名手配し,各賞金稼ぎが賞金首を狩っていた.
 この賞金首は人肉と呼ばれた.
 今,「人肉」は様子を変え,最短時間である背後の真相の「致命的な奥の手」を暴き出すという意味になった.

 「人肉」,正式名称は「人肉捜索」は,現代の情報テクノロジーを用い,全国各地のインターネット利用者の力を集めて,各自が各種のルートを使ってターゲットの断片的な情報を入手,その後,すべてを取りまとめて「人肉」ターゲットの完全な資料をつくることである.

 従前のネットのサーチエンジンと比較して,「人肉捜索」は人と人との間の情報伝達にさらに依存するもので,したがって,これでようやく真の「人を基本にする科学技術」であると言う人もいる.
 「人肉捜索」は中国のインターネットでは何年も行われていることだが,少しも衰える気配はない.
 昨年発生した「人肉捜索」は,高級たばこを吸っていることで問題になった南京市江寧区不動産管理局の周久耕局長,一夫二妻で問題になった江蘇省徐州市泉山区区委の董鋒書記等である.
 中国のネット利用者が成長し続ける限り,このような人間の力による捜索体験は発展し続けるだろう.
〔聯合早報,2009年1月25日〕

――――――電子マガジン《中国最新情報》  No.476 2009年2月17日

(朝目新聞より引用)


目次へ

「アジア別館」トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ