※ データ保存ページ.第三者の閲覧禁止

※ 画像故障中

バファリン作戦(1)

作戦開始後

 2/14のNAVERには李泰鎮(LEE Tae-Jin/イ・テジン)教授に公開質問状を送ったスレッドが立ち並びます。

■ 親日派 李泰鎮教授にNAVERから質問状
■ バレンタインのプレゼントは貰いましたか?
■ 歴史は繰り返す(韓国国史学の場合)

 公開質問状が画像になっているのは機械翻訳を防いでNAVERの韓国側ユーザーに情報を与えないようにする目的と、改竄されて偽の質問状が出回るのを防ぐ目的があったようです。読めていなければ、具体的に反論する事もできないからです。

 しかし、そこは韓国側ユーザーはタイトルだけで罵倒するという条件反射を持っていますから、コメントを書き込む人は後を絶ちませんでした。
 それに対しての対応は「質問状を読んでから言え」で全て済まされていました。こういうところの対応を簡略化する目的もあったようです。

 NAVER内で李泰鎮(LEE Tae-Jin/イ・テジン)教授の酷さを喧伝しまわる日本側ユーザーに対して、韓国側は質問状が読めないこともあり効果的に反論できません。
 何よりも組織的にスレッドを立てる「総督府」と個人個人で対応する韓国側ユーザーとでは差があります。

 そんな中、李泰鎮(LEE Tae-Jin/イ・テジン)教授から総督府に返信が来ます。

2005/02/19 (土) 乾坤一擲(1) :【NAVER総督府日報
2005-02-19 驚愕!李泰鎮(イ・テジン)教授から返事! :【dreamtale日記
■ ( ´H`)y-~~李泰鎮 :【木村幽囚記

【一通目】
1)三月中旬に回答する予定である。
2)回答の際の参考にしたいので、貴下の身分を知りたい。

【二通目】
1)回答はNAVER上で公開されるのか?
2)NAVERに公開するか否の返答があれば、回答を作製する助けとなる。

 質問の回答を約束しています。しかし、総督府側が求めている2月中の回答には延期を求めたようです。しばらくはその話題のスレが立ち並びます。
 NAVER内で興味を定期的に引くために情報を小出しにするためか、2/22に総督府側が一部情報統制を解除して、李泰鎮(LEE Tae-Jin/イ・テジン)教授に送った質問状の中の14番の質問に付いて解説を始めます。

 そのスレの画像はアップローダーから画像が消えたためか、今では見られないので、私が保存しておいた画像で解説します。

■ 明成皇后が殺害された場所は庭先だった :【朝鮮日報
   ↑の日本語版と韓国語版[click]を見てもらうと分かるのですが、日本語版と韓国語版だと掲載されている画像が違うのです。↓は韓国語版の画像です。

 そしてこちらが総督府側が手に入れてきた原史料の写しの抜粋です。

 見てもらえば分かる通り、韓国語版の手書きの画像は史料ではありません。しかも、ところどころ写し間違えてます。極めつけは下です。振り仮名がふってあります。

 ■ 明成皇后が殺害された場所は庭先だった :【朝鮮日報
   をもう一回見てもらうと分かるのですが、記事の冒頭で

明成皇后が殺害された地点と殺害の過程を詳しく記録した日本側の資料が初めて公開された。

 と書かれているので、普通に見ればこれがその史料だと思ってしまいます。で、実際この手書きのメモは何かというと韓国語版を機械翻訳したら
『▲ 明成皇后弑害概念も(上)と取材内容筆写本(下) /ユ・ソクぜ 記者』
 と書いてありました。

 「史料発見」と言う記事ならば、本物の複写写真を掲載するのが普通です。朝鮮日報の韓国語版の記事も他は複写を載せています。なのに、肝心の明成皇后暗殺の過程が記されているという史料は、記者のメモ。
 取材内容筆者本って!記者のメモを乗っけて日本語を読めない人たちを印象操作ですか。日本語版にこれを掲載すると史料でないのがばれるからわざと乗せなかったんですね。

 この朝鮮日報の記事と質問状をよく読んでもらうと、本当にこれが韓国一の国立大学の史学科教授の発表ですか?という内容であることが分かります。

 歴史の解釈とかの以前に史料を正確に読めていないのです。読めていないどころか、史料に書いていないことまで書いてあります。分かりやすいところを列挙しておくと

明成皇后が殺害された地点と殺害の過程を詳しく記録した日本側の資料が初めて公開された。(赤字マークは私がしました)

 この、初めてからして間違っていて、35年以上前から日本の80以上の大学で閲覧できる状態の史料なんだそうです。

さっきの手書きのメモが書いてある画像の上に明成皇后が暗殺された時にいた景福宮の画像があり、そこに@〜Cの番号がふってあります。

報告書は当時、@乾清宮内の長安堂には高宗が、坤寧閤には明成皇后が滞在しており、この中、どこか確認されない場所から明成皇后を捜し出したと記録した。

 引き続き日本人たちは、A長安堂と坤寧閤の間の庭に皇后を引きずり出して殺害、B皇后の遺体を坤寧閤の一部である東側の建物(玉壷樓)の部屋にしばらく移した。その後、C乾清宮の東側にある人工山「鹿山」の南側で遺体を燃やしたと記録されている。 (@〜Cは私が付け加えました)

 図と対応してみていただくと分かりますが「どこか分からない場所」なのに番号がふってあるんですよ。普通に考えると@〜Bで済む話なのに、なんでわざわざ@〜Cにする必要があるのか?原史料には「図中ニ示セン(1)の所ヨリ(2)ノ所ニ引出サレ・・・」って書かれているから無理矢理に合わせたようです。
 スレッド読んだところ、実は(1)の場所は上記の地図の中に書いてあるらしいです。ただし、李泰鎮教授はまったく別の物を(1)だと思ったらしく、そのために「どこか確認されない場所」と言ったのではないか?
 と、李泰鎮教授に聞かないと分からないがという注釈つきで書かれていました。

 その他に英語版では、史料のページ数が間違っているそうです。数を数え間違えてるってどういうことよ?

韓国側ユーザーの反応

 質問状の一部が公開された後に韓国側ユーザーもスレッドを立てだします。

■ 総督府通報報告

 このスレッドで今までの総督府側の動きと、質問状の感想が書かれる。この人は李泰鎮教授にメールを送ったそうです。私はそれはできる限り事を大きくしたい総督府側の狙い通りだと思うのですが、踊らされているのに気がついていないようです。

更に「主題たちはとても幼稚で, 水準ないもの」とまだ、質問状が泰鎮教授の発表を覆す新しい史料でも発見したのと勘違いしていた様子が伺えます。史料に付いての基礎的な質問の方が泰鎮教授には恥かしいという事を理解できてはいないようです。

■ 日本人の読解力に関する報告書

 こちらも、総督府側の情報規制に綺麗に引っかかって、まだ質問状が読めていないことをカミングアウトしているようなスレッドを立ててしまっている。

2/24にようやく質問状を翻訳したと証明するスレッドが立ちます。
■ 「Trans of Saru Document
  なんか、画像をOCRで取り込んで、機械翻訳したような中途半端な訳でところどころ訳せてないのが哀愁を漂わせています。

実はこの質疑書を読む前には明成皇后が公開的場所でひかれ始まり 衆人らが見守る中に殺害された後焼却されたという事実を完全に覆すことができる確かな証拠 位は持っていると思った....

 これ読んで日韓の史学に対する姿勢にもの凄いギャップを感じました。
 だって、新発見と言って発表されたということは、過去の石塚書簡やウェベル報告は否定しちゃってるんですよ。

 その新発見の元になっている史料の基礎的なことを問題にされているのですから、解釈の相違とかで済ませられずに、はっきり白黒ついてしまうということなんですけどね。しかも、新発見の内容すらも不確実になってしまいます。

(ウェベル報告は適当なものがネットでちょっと見つからなかったんで、韓国側ユーザーが立てたNAVERのスレを乗せておきますが、機械翻訳されてるのでなれてないひとは読めないと思います。)
■ 明成皇后(明成皇后) 弑害事件の真相を極めたウェベル報告書.(1)
■ 明成皇后(明成皇后) 弑害事件の真相を極めたウェベル報告書.(2)
  面白いのはこのスレッド立てた韓国側ユーザーが泰鎮教授を擁護するコメントをよく書いていることです。

■ 質問場を検討した結果

  相変わらず質問状が与える影響をわかっていないことを自白しちゃってるのがかわいいです。このスレッドでは朝鮮日報の記事ばかりを問題にしている事を揶揄していますが、総督府側は逆に日・英・韓・中の4ヶ国語で翻訳されているこの新聞の記事の記者署名がすべて同じ記者の署名あるからこそ的を絞っているという理由に気がついていないようです。

 しかも、正確な記述を朝鮮日報がしなかったのであれば、それに抗議しない泰鎮教授の史学者としての姿勢が問われる事は考えもしてないみたいです。

■ 重意敵表現
  このスレッドではもう、内容とかではなくて泰鎮教授は答えるとは言ってないというわけの分からない内容になっています。

 確かに泰鎮教授は三月半ばの回答を約束した返信をしているので、このスレッドのいいたい事も分からないではないのですが、総督府側としては「自分が発見して発表した史料に関する質問に答えるのにどうしてそんなに時間が必要なのか?」というスタンスなので、3/1にNAVERで派手に泰鎮教授逃亡スレッドを絨毯爆撃します。

今の状況(3/6現在)

SEOUL大学教授を再評価します。 :【NAVER Japan
  現在までのまとめスレッド。

 現時点で、新たな情報を公開しながら教授の回答を待っている状態のようです。あくまで、第一弾間終了でしかないらしいので、まだまだ進展がありそうです。

 最後にフラッシュやまだNAVER上では公開されてないと思うことがかれている記述を紹介して終わります。

NAVER総督府公信108号  :【散歩道
  バファリン作戦のフラッシュ。

2005/01/15 (土) 新年会。 :【NAVER総督府日報】  

その中で、「室内ではなく、宮廷の庭先で多くの人が見守る中、殺害されたということは、当時の状況が刺客による暗殺ではなく軍事作戦同様の宮城占領事件だったことを意味する」という、李泰鎭教授の言説を紹介されていた。
しかし、少々疑問が有る。
何時の間に、今回提示された史料がこれまでの定説を覆したのだろうか。
昨日申し上げた通り、当該史料は事件に関する数多い談話筆記の一つだと思われる。
故に、李泰鎭教授の指摘は所謂「勇み足」である可能性が高い。
彼らの目的からすれば、決めを打つ方が効果的であるのだろうが、我々がそれに幻惑されてはならないと思う。

重要な論点は「日本政府」による計画的犯行であるか否かにある。
少なくとも、現時点では日本政府による計画的犯行を立証する史料は存在しない。

また、李泰鎭教授は一般的な「軍事作戦」の定義を意図的にか用いられていないようである。
修辞的表現なら兎も角、「軍事作戦」とは軍令による正規軍の投入が前提であり、死者の扱いに既定されない。
尤も、安重根の行為を「暗殺」ではなく「軍事作戦」と既定する特殊な定義に基づくものかもしれないが。

2005/02/08 (火) 六本木の狐(2) :【NAVER総督府日報】  

同史料中に興味深い記述があるので記し置く。
「豫メ大院君ヨリ国王及ビ世子丈ハ必ズ助命シ呉ルベシトノ依頼アリタルトカニテ、
 一仝異義ナク其場ヲ立退キタリシカバ国王及世子ハ身ヲ振ハシテ取リスガリツツ頻リニ保護を頼ミ給ヒタリ」

 このまま、引き続き従軍記者気分で記録していきたいと思います。100以上あるスレッド見た私はそうとうな暇人です。それでわ。

このページの上部[click]にまだまとめ終わっていない、その後の動きを載せてあります。

 このテキストにリンクしていただけるようでしたら以下のURLにお願いします。
Page URL:http://homepage3.nifty.com/heckel/bafarin/bafarin01.htm