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「ダイヤモンド・オンライン」◆(2012/06/26) NPOは,民間企業以上にガバナンスを重視せよ 非営利団体が「ビジネスの視点」を持つことの意味
『アマチュアはイラクに入るな プロのNGOが紛争地でやっていること』(吉田鈴香著,亜紀書房,2004.8)
自己責任とか以前に,紛争地にアマチュアが入る事がダメなんですという本.
―――キルロイ
【珍説】
「人質になった人達は純粋な気持ちでイラクへ行ったのだから,賞賛されるべき.非難するなんて筋違いだ」
純粋な気持ちは尊い,何物にも変えがたい.
だから結果はどうあれ,褒め称えよう.
退避勧告が出ていたとしても,自己責任だなんて言っちゃダメ.
非難している人達は,行動するNGOを羨んでいるから苛めるんだ.
【事実】
・・・・「動機は純粋だったのだから,それは美しい.非難する声は大きいが,皆で許して上げましょう」・・・か.
そういえば戦前にもそういう事件がありました.うん,歴史は繰り返すと言う奴だね.
ま,でもそれは・・・
「5・15事件」とか,「2・26事件」なんだけれど
事件当時,日本の世論はクーデター側の青年将校を非難する声で大勢が占めましたが(当然か),一部の意見で「彼らは国を良くしようとする思いで,純粋な気持ちで事を起こしたのだから許してやれ」という論調でした.まぁ,赤穂浪士の助命嘆願みたいなものですか.
え? クーデターとボランティアを一緒にするな?
・・・下は,イラクで捕まって解放された渡辺さんの発言から.
「自分は共産主義者で日本政府に対し反戦活動を行っている.
『日本政府はたすけてくれないな』と思っていた」
By渡辺修孝さん
奇妙な事に,反政府って点では一致するわけで・・・
中東地域研究者の池内恵氏も,今回の事件の背景に組織力を欠いたNGOの問題があること指摘して,次のように語る
(座談会「自衛隊撤退は誰も望まない」=『文芸春秋』).
また,読売新聞夕刊より抜粋.
「今回人質となったNGO関係者たちはいわば"ひとりNGO"とでも呼ぶべき存在で,その活動も"実質的効果よりも個人の心情的あるいは政治的関心に沿っ"ている.
こうした支援のありかたは "現地のニーズには応えていないけれど,悪意はないから,イラクの人たちはもてなしてくれる".
さらにこんな辛辣な言葉が続く.
『"ひとりNGO" がイラクの人々を助けていたのではなくて,イラクの人々の善意とホスピタリティが "ひとりNGO"を支えていた』」
ボランティア歴の長い曽根綾子も,次のように述べる.
現在のイラクというのはボランティア活動をするには大変難しいところですね.
日本人からは,「イラク国民」のために働く日本人を誘拐するとは何事だという声も聞こえましたが,しかし「イラク国民」などというものは実際には存在しないんですから.
イラクは徹底した部族社会で,彼らが問題にするのは「どの日本人がどの部族のために働いているか」だけです.
日本人のボランティア活動によって,利益を得るのが自分の部族でないなら,そのボランティアをしている日本人は「いいことをしている人」ではなく,「全く縁のない人」か,むしろ「悪いことをしている人」になりますよ.
〔略〕
さらに,海外での日本人のボランティア活動について,奇妙に感じていることがあります.
それは,ボランティアに行く場所に流行が見られることです.
例えばアフリカだったら,以前にはビアフラがあって,その後にエチオピアといったように,とにかくニュースで大きく取り上げられ,スポットライトが当たっている地域に人や物を送るボランティア組織が続出するという傾向です.
〔略〕
日本からのボランティア活動が,スポットライトの当たるところばかりで行われているという現状は,昔から変だと思っています.
もちろん,ボランティア活動の場をイラクに定めるということは結構だと思います.
でも,その理由が
「今,戦争が起きて注目されているから」
ということだとしたら,それは間違いです.
「今が大変だから」ではなく,30年先,50年先に生きるような活動,長期的かつ恒常的な活動でなくては意味がないでしょうね.
曽野綾子 from SAPIO 2004/5/26号,p.72-73
【質問】
ただ援助物資を配れば,それで援助したことになるのか?
【回答】
ならない.
なんとなく「良いことがしたい」という気持ちで出かけていき,その土地で自分のやりたいことをやり,
「ああ,俺は頑張った」
と思って帰ってくるだけでは,ただの自己満足でしかない.
実際の国際協力は,非常に緻密な計画の下に成り立っている.
例えば緊急医療援助計画では,まず人口動態とそれに対する医療施設割合を調査,医療統計指標を考慮して最終目標
Goal を掲げる.
次いで,そのゴールに到達するための小目標(これを構成要素
Component と呼ぶ)を設定する.
そして,それぞれの構成要素を達成するため,更に細かい項目,実行目標
output や活動 activities を多数設定.
上記全ての activities が,何年何月何日までに達成されなければならないかも設定.この達成期間設定は,国際協力では最も重要であるという.
さらに,
・それぞれの活動を客観判断するための指標(複数あり,数字で結果が出るデータ)は何か?
・それがうまくいったという判断基準はどの程度の数字で,更にそれをどこに提出・報告するのか?
・計画遂行を困難にする,どんなことが予想されるか? その場合の対策は?
などを全て詳細に計画.
さらにまた,そのプロジェクトが,その社会で強い立場にある民族や団体などのみが利益を受けないようにチェック.
環境問題や,持続可能な援助となるかも必ず検討される.
内部監査の他,外部の組織からも監査が入る.資金を供給する機関に1円単位の詳細な報告をする.
対費用効果も審査の対象になるという.
第5に,安全管理も必要である.誰かが拉致されたり殺害されたりすると,該当組織だけでなく,国際協力活動そのものに広範な悪影響を及ぼす.
また,外国から運んでくる医療物資は,基本的に値段が高く,盗難に遭い易いため,その対策も必要.
第6に,現場ではなかなか思い通りにならないので,その時点で最も重要なことから実行していく「分析能力」が,実は最も大切である.
なお,ばら撒くだけのジコチュー援助を米軍がやったことが,トラブルをアフ【ガ】ーニスタンで引き起こしたという.
建築一つとっても,プロのNGOが建築する場合は,何年間運用されることを前提に建てるのか,毎年のメンテナンスをどう行い,どんな項目をチェックするのか,不具合が生じた場合はどう修理するのか,最終的に地元住民だけでもメンテナンスが可能なように,どんな研修を現地で行うのか,などが明確に決められている.こうした配慮により,「持続可能な援助」が可能となる.
しかし米軍のような素人が,どんなボランティア活動をやっても,それは「持続可能な援助」とはならない.
それどころか,米軍が「偽の援助」を行いだしたことにより,本物の国際ボランティア組織までが米軍と間違えられてターリバーン残党から攻撃を受けることになり,その結果,殆どの組織が撤退,「持続可能な援助」ができなくなったという.
詳しくは,山本敏晴著「アフガニスタンに住む彼女からあなたへ」(白水社,2004/8/10),p.75-93, 120 &
200-208を参照されたし.
他にもこんな「ばらまき型迷惑援助団体」のケースもあります.
以下引用.
先日,日本国際医療学会というのに行ってきまして.
国際医療っつーのはつまり国際貢献活動の中の医療担当って訳ですな.
で,今の国際医療貢献活動が持つ問題がいろいろお題に上がっていた訳で.
学会が目的とするのは「最終的には,現地の人たちが自助努力を出来るようになること」なんですが, 世間にはそうでない団体も多々ある訳です.
ビル・ゲイツが莫大な金を様々なNGOに拠出していることはご存じでしょうか?
しかし彼のこと,金を出すからには「一定の期間で」「数字で示せる成果を」出すことを相手のNGOに要求する訳なんですな.
NGOとしては大きな金づるを失う訳には行きませんから,手っ取り早く結果を出すため,現地の政府機関その他から有能な人材を引き抜き,打ち上げ花火的なイベントをやって,
「さあ成果が出ました」
で,活動期間が終わり,そのNGOが引き上げていったあとは,有能な人材を引き抜かれてしまった政府機関その他は混乱.
彼らNGOの活動も継続性は無し.
一つの例としてあげられていたのが,ラオスにおけるポリオ・ワクチン・キャンペーンです.
ビル・ゲイツから金を出された団体が参入して,その団体は一気にその国の接種数の3割から4割を獲得する.
しかし,国全体の接種数は落ちている.
何ぢゃそりゃ.
つまり,既存の団体や政府機関から有能な人材が引き抜かれてしまったせいなんですよ.
しかも,大量のワクチンバイアルを送ったは良いが,地域ごとの需要をよく考えて無くて大量のワクチンが無駄になったり.
今ぢゃラオスのポリオワクチンの半分以上はそのNGOが接種している.さぞかし誇らしげにゲイツに報告していることでしょう.
しかし,来年にはその団体はラオスのポリオワクチンキャンペーンを終える予定なんだとさ.
結局,こうしたNGOは自分の食い扶持を確保するために問題を拡大再生産しているようにしか思えない.
ゲイツから出された金の一部はNGOの構成員の生活費に充てられていることは疑いがないし.
これぞプロ市民の典型なり.
ネオ筑摩屋 松坊堂 in mixi支隊
【質問】
国際協力において,
「自分の命を投げ出して,貧しくて困っている人をできるだけ助けてあげよう」
という心構えは必要なのか?
【回答】
必要ないどころか,むしろ有害.
本当に意味のある国際協力をやろうと思った場合,最終的に現れてくる客観的評価(数字としての結果)のほうが遥かに重要になる,という.
以下引用.
ヒーロー気取りの「かっこつけ」をし,非常に危険な状況の中に自らを晒し,結果,死んでしまったり,拉致されてしまうことなどをしてはいけない.
なんでかというと,一人の人が危険な状態になった場合,しかたがないのであなたを救うために,組織の残りの人たちが必死になってあなたを助けようとする.
すると,その人達も撤退できないことになり,その人達にまで危険が及ぶことになる.
まかり間違って誰かが死んだ場合,上官である安全管理担当者の能力が足りなかったと判断され,彼または彼女は首になる可能性がある.
さらにそれだけでは済まず,組織全体としての安全管理システムが甘かったと判断され,このプロジェクトの全面的な打ち切りが検討されることになる.
すると,年間予算で数億円を投入し,何千人,何万人の人々に対して持続的に行われている医療活動が突然,頓挫してしまうのだ.
おまけに,さらなる悪影響が生じてくる.
例えば,ある国で援助活動をしている外国人が一人死んだ場合,その国で外国人がボランティア活動することは危険だという風評が広がってゆく.
すると,他の国際協力団体にまで悪影響が及んでいくのだ.すなわち,他団体も撤退や活動縮小が検討される.医療援助団体だけでなく,教育援助・経済援助・道路建設等を行っているほかの組織まで活動に支障が生じていくのだ.
このようなことに絶対にならないように,国際協力に関わる人々は,絶対に自分の身を守らなければならない.自分の身を守るのは自分のためではなく,その背景にある組織のためであり,その活動のためであり,何よりもそれにより毎日援助を受けているアフガニスタンにいる人々のためなのだ.
〔略〕
レッド・アール(Red R)という,国際援助団体に参加する人々のために,「紛争地帯での安全管理の方法」を講習してくれる組織が存在するので,興味がある人はそこに参加してみるといいだろう.
http://www.redr.org/
ともかく,実際の安全管理基準は,英文のA4レポート要旨で50枚以上の分量がある膨大な内容だという事を付け加えておく.
山本敏晴著「アフガニスタンに住む彼女からあなたへ」(白水社,2004/8/10),p.86-89
国際協力に興味のある人に,まず勧めているのが,ともかく自分の目で見てみる,ということである.
初心者の人は,観光旅行でいいので,東南アジアあたりに行ってみるといいだろう.
東南アジアの国々は2004年現在,軍事政権が支配しているミャンマー以外の国は比較的落ちついている殺されたり拉致されたりする確率はかなり低い.※
また逆に,いきなりイラクやアフガニスタンに行ってはいけない.どうしても行きたい人は,前述した,国際的に信用を得ている組織(レッド・アールなど)で,紛争地帯における安全管理の訓練や講習を受けてから行くように.
そして何よりも,国際協力をやりたい人にとって,自分の身を守ることは絶対に一番大切で,何故なら,その国で行われている総合的な全ての国際協力活動が中止になってしまう可能性があるからだ,ということを忘れないように.
同,p.180
※引用者注:タイ南部やフィリピン,インドネシアの一部地域は,イスラーム過激主義テロが頻発しているので,注意が必要.
【質問】
通常,ボランティアはどのような安全対策をとっているのか?
【回答】
(1)国連の場合
Q:危険は無いのですか?
A:最大限の配慮をし,各国ごとに安全対策計画を作っています.
また紛争地域においては,日本政府から資金援助を受けて,国連ボランティアのために安全確保に関するセミナーを開いています.
治安が極めて悪化した場合には,国連が責任を持って全職員を安全な地域・国まで緊急避難させる方針を貫いています.
http://www.unv.or.jp/jouhou/q&a.html
(2)国際赤十字の場合
ジュネーヴ市外にある赤十字国際委員会の訓練校で,新入りの派遣要員は地雷原での運転法,検問所を通してもらう話術,ロケット弾攻撃を受けた際の車からの脱出法などを叩き込まれる.
訓練生は,覆面の男達による模擬ハイジャックを経験させられ,罵られたり小突かれたりの真に迫った脅しを,雨霰と浴びせられるらしい.
使用する車両に武器を積み込んだり,正規兵にしろゲリラにしろ戦闘員を同乗させることは禁物だと教えられる.
そして,彼らの身の安全は,赤十字のシンボルの捕らえどころのない不確かな権威と,自らが周到に堅持する不偏不党性にかかっていることを,肝に命じさせられる.
国際委員会の派遣要員は,おそらく将軍達を含めて,およそどんな人々よりも現代の戦争をよく知っている.他の人道的組織は,撃ち合いが激しくなると,たいてい要員をよそへ移動させるが,国際委員会は現場に留まることを旨としている.
その大型派遣団は全て,宿舎に掩蔽豪・土嚢・爆風よけ強化窓を備えている.
要員達は,現代の戦争の最も原始的な姿と,最先端のハイテクを駆使した姿との,両極端を見ている.ルワンダではフツ族民兵の暴力集団がキガリ市街を徘徊し,民間人を山刀で滅多切りしているのを車の窓から見たし,1991年1月,バグダッドに留まったスイス人派遣要員達は,「トマホーク」巡航ミサイルの凄まじい音と光のショーを目撃した.
危険な任務にも関わらず,あるいはそれだからこそか,国際委員会には常に受け入れきれないほどヴォランティアの応募がある.
応募者は「応募理由書」を提出した上に,厳しい面接を受ける.その一人から聞いた話によると,いきなりまず,
「それで,何から逃げようとしてここへきたのかね?」
と問われたという.
それは破綻した結婚生活だったり,スイスでの暮らしの息苦しいまでの安定だったり,現代の職業生活の変哲もなく単調な骨折り仕事だったり,人さまざまだ.
(Michael Ignatieff, a writer & journalist,
「仁義なき戦場」,
毎日新聞社,1999/10/30,p.147-148,抜粋要約)
(3) 日本でも,例えばNPO法人「地球のステージ」では……
――――――
「3人に謝罪求めたい」NGO理事の桑山紀彦氏
桑山さんは
「NGO活動は安全が確保されて初めて成り立つ.気持ちがあるからといって(現状のイラクで)護衛もつけずに乗合タクシーで移動するなんて安易過ぎる」
と3人の行動を厳しく非難.
「彼らの行為で『NGOの人間は皆無謀だ』とひとくくりにされてしまうのは残念.解放された時点で,きちんとした謝罪を求めたい」
と憤りを隠さない.
桑山さんたちが紛争地域で行動する場合,まずは危険情報の収集が中心.現地の国連機関の安全担当者と毎日ミーティングを行うほか,NGO同士でも情報の共有を図るという.
「きちんとした情報収集と,集団による系統だった活動が原則であり,“いけいけ”的な雰囲気であってはならない.アンマンにも国連事務所があるわけで,十分に相談すべきだった」
湾岸戦争直後のイラクに日本人医師として初めて入国し,緊急支援活動を行った経験などからイラク人の親日感情をよく理解しており,今回の事件でも解放の方向は予想できるという.
「彼らは底抜けに日本人が好きで,私自身,一度もいやな目にあったことがない.幸いなことに,まだ民間レベルで日本人への敵意はなく,犯人グループがイラク人であれば,殺すはずはないと思っている.行動が過激なのはイラク人らしいが,人の道を大きく踏み外すことはない」
◆桑山紀彦さん 医師,NPO法人「地球のステージ」代表理事.世界各地で医療関係の非政府組織(NGO)活動に携わる.イラクをはじめ,アフガニスタン,ソマリア,パレスチナなど紛争地域での実務経験も豊富.山形市在住.40歳
http://www.yamagata-np.co.jp/kiji/20040412/0000001501.html
――――――
▼(4) アフ【ガ】ーニスタンに派遣された産婦人科医,梶原容子の場合
a) 無線講習会
当時のアフ【ガ】ーニスタンでは,無線機は命の次に大切なものであり,事務所から出かけるときも戻ったときも,車の中から無線連絡をしないと,門すら開けてもらえないという.
無線は周波数さえ合わせれば,誰でも聞くことができるので,待ち伏せされ,誘拐されるのを防ぐために,固有名刺はフォネティック・コードの組み合わせで言う決まり.
人名や車名は全てコード番号.
b) 地雷講習会
地雷があるというサインや,地雷除去済みを示すサイン,うっかり地雷原に踏み込んだときの対処法,他の車の轍の上しか走ってはいけないという大原則などを学んだと言う.
c) 「正しいホールドアップのされ方」
お金を取り出そうとあわてて鞄に手を突っ込むと,銃を出そうとしていると勘違いされて撃たれるので,絶対にするな,
まずゆっくり身振りで,相手に金のありかを知らせ,できれば相手に自分で金をとらせるようにしろ,
緊急用マネーはいつでもいつでも取り出せるところに入れておけ,
間違っても抵抗したり,賊を追いかけたりするな,
といったことを学んだという.
また,ホールドアップされたときに賊に渡すための,「緊急用」の100ドル札を2枚,交付されたという.
詳しくは『アフガニスタン母子診療所』(梶原容子著,白水社,2008.10.20),p.10-14を参照されたし.▲
地元民のホスピタリティに頼っているような自称「ヴォランティア」とは雲泥の差があると言えよう.
【質問】
「一人NGO」の問題点は?
【回答】
国際ボランティア貯金をはじめ,様々な補助金や助成金が整備され,NGOが社会的に認知されるに従って,奇妙な現象も目に付くようになる.
例えば,あるNGOは,地元での全ての活動を主宰者が一人で行っている.日本では,その家族が資金集めや主宰者との連絡を行い,活動の殆どは地元で主宰者が決定していくというものである.
地元にもカウンター・パートはなく,個人的に動いて活動を進めている.
言わば個人的な活動を友人知人が支援している,「一人NGO]とも言うべき活動形態である.
しかし,この「一人NGO]はしばしばその個人的な素行について,
「地元では何をしているのか分からない」
とか,
「貴重な歴史的資料を持ち出している」
など批判されることが多く,また,活動自体にも問題がある.
元々個人の思いつきから始まっていることもあって,事業の十分な検討もなされておらず,計画性もない.
その上,カウンター・パートがいないことで,地元の事情も把握できず,技術移転も進まない。
従って地域ニーズに合わない事業となってしまう.
〔略〕
もちろんNGO活動は,個人の思いからスタートしている場合が多く,それ自体,否定されるべきものではない.
元々その国が好きだとか,旅行先で個人的に友人となって,その人間関係から援助を開始する事はよくある.
しかし対外的には,それは個人的な活動ではなく,社会的な活動として受け止められる.
仮に,その活動が個人の趣味や個人的欲求を満たすに過ぎないものであっても,NGOという名がつくことで募金が集まり,助成金を受け取る事さえできるのである(このため一方では,活動の責任が個人を離れ,NGOという「組織」に帰せられる事で,個人の責任が回避されてしまうこともある).
特に,国際ボランティア貯金などの公的に認知された資金を受け取る事は,社会的にも認知された活動として受け止められる.
したがって,個人の思いや人間関係を大切にしながらも,NGOには社会的責任を果たすことが強く求められている.
そのためには,一般の人達が参加し易い活動のあり方や,広報などの情報提供に加え,自ら事業を評価し,その成果や課題を内部に留めず,共有していく情報公開も必要となる.
このような努力を通じ,NGOの社会性を確立していくことが重要である.
(白戸洋〔松商学園短大講師〕 from 「学び・未来・NGO」,
新評論,2001/4/1, p.295-296)
古い体質の運動は
「ここにこういう大きな問題がある」
という形で,悪役を次から次へと見つけだして,そこに絶えず若い人を巻き込んでいくことで,運動が成り立っている.
それは左翼的な運動の基本型で,僕らは昔からそういう運動を見てきたので,よく知ってるんです.
〔略〕
「政治的プラトニズム」は,政治的に絶対正義を要求する考え方です.
絶対正義主義は,他者のためになることこそ良いことだという「絶対他者主義」と,一番弱い人間の立場に立つべきだという「絶対弱者主義」が柱になっている.
この考え方は,世の中の酷い矛盾から出発して,まずある種,絶対的な形で理想状態を設定する.
この発想をとると,たいてい「絶対平等主義」に近付きます.だから,それはまた絶対弱者主義を含む.
僕の考えでは,この「政治的プラトニズム」は,近代以前の専制的な社会制度に対する打ち消し(=リアクション)として出てきたものです.
あとでもう少しきちんと言いたいけれど,近代以降の社会,政治思想の基本は「ルール主義」であって,いかに様々な人間の多様な利害をルールによって調整できるか,という原理が主眼です.
ところが政治的プラトニズムは,絶対的専制の抑圧感の反動形勢として,いかに絶対的な理想社会や理想の政治を実現するか,という発想になるんです.
政治的プラトニズムは,一つ間違えると,正義のためにはどんなことも許されるというところまで行く可能性があって,一つの例が連合赤軍事件です.スターリニズムやファシズムにも基本的には絶対正義主義がある.オウムもまた同じ形です.
この政治的プラトニズムを克服しない限り,社会思想は,本当に強いものにはならないというのが僕の考えです.
日本の戦後批評というのは,そういう努力の積み重ねだったんだけれど,それがちっとも教訓になっていない.
あらゆるものを社会変革の効率性に還元してしまう考え方は,もう古くなったと思っていたのに,社会運動の場所では,実は殆ど変わらないで生き延びている.
それだとどこかおかしい.何か新しい運動論が必要じゃないか,とけっこう多くの人が思っている.
(竹田青嗣 from 「正義・戦争・国家論」,径書房,1997/9/10,p.31 & 43-44)
少し付け加えると,困っている人をサポートするときの原則があると思います.
まず大事なのは,勝手に他人の代弁をしてはいけないということ.代弁したり,代理するのではなく,第一の中心はその人を助けるためにやるという原則でする.
その人がどう感じ,何を必要としているかを知り,それをサポートする.それが基本です.
ところが,援助する人の中にイデオロギーがあると,困っている人に社会変革の「目的意識」を与えることを目標にするんですね.
本人は自分の理想を正しいと思っているので,あくまで善意のつもりでいる.
だけど,これだと困った人に手を差し伸べたり,支えたりという好意の本質が消えて,根本的には,自分の正義の実現のために困っている人を利用するという事になる.
これは心的な動機としても自己欺瞞だし,どんな民族,どんな信条を持っていようと,それはそれで置いておいて,その人が困っているときに,こちらに余裕があって助けられるという限りで助ける.
これが原則です.
同じように,困っている人をサポートしようと思って自然発生的に集まってきた人達に対しても,社会変革という目的意識を与えようとする運動家達が必ずいる.
彼らは,自分の正義を受け入れない人間は間違った反動的人間だと言いたがる.
それが,だいたい昔からの左翼的運動の発想です.
政治学と政治力学というのは基本的に違うんです.
近代社会では,社会思想の一番基本は,暴力で決着を付けることを避けるために,色々な矛盾に対して,どのように適切なルールを作り出して調停していくか,ということになる.
そのために,今まで意志が通じなかったものの間から,巧く共通了解を取り出し,できるだけ多くの人の納得を得られる方法で,大きな合意の形を作り出していく.
それが近代の政治思想,政治的努力の本質です.
マルクス主義の政治の考え方はこれとはかなり違って,政治理論というより革命思想ですから,権力奪取の方法論になるんです.
そこでは政治力学ということが重要になる.その本質は,自分達の権力を実現するために,いかに効率的に支持を集め,多数派となるか,という技術にある.
そこには,人々の間になぜ考え方の違いがあるのか,そこからどう新しい共通了解を取り出せるか,という問題の立て方は存在しない.
ただ,自分が信じる正義を実現するために,いかに多数派となるかという力学だけが重要になる.
こういう政治力学は,実はマルクス主義だけに限らず,政治の場面では普遍的にある現象です.
だけどそれは,社会のルールは,その成員の対等な権利として決定されるべきである,という近代の社会原理とは背反的なものです.
(橋爪大三郎 from 「正義・戦争・国家論」,径書房,1997/9/10,p.50-52)
たいていの政治家は,手っ取り早く政治力学をやる.
だけど,優れた政治思想家は,色々な人間が色々な考えを持つことに対して,とやかく言わない.色々な人間が色々な考え方や利害を持って生活することが近代政治の前提だから,ある絶対的な正しさや理想像を立てたりはしない.そうではなくて,利害の衝突や矛盾を調停するために,以下に合理的なルールを正当なしかたで作り出せるか,と考える.
それが政治思想の基本です.
だから,党派的な政治力学が強くなればなるほど,政治の本質は死んでしまうんです.
(竹田青嗣 from 「正義・戦争・国家論」,径書房,1997/9/10,p.52)
さっきの政治と政治力学の話ですけど,誰でもみんな自分の切実な利害を持っている.これが出発点です.
政治の場では「自分で自分を代表する」しかないのであって,そこに自分の最終的な関心がある.
そういう人々が大勢集まって政治をやっている内に,政治の力学が発生し,権力が発生するんです.大勢の権力を作って,そこにうまく自分の利害を紛れ込ませることができれば,効率良く自分の欲望を実現することができる.
その一つの方法が,「弱い者の味方をする」ということなんです.本人がどう思っていようと,「アイツは気の毒だ」とか,「かわいそうだ」とか,「弱い者を助けてやらないお前はけしからん」みたいに言って,弱い者の味方をする.
さっき,被害者や被差別者の痛みを持ち出されると,誰も何も言えないとおっしゃったけど,そのやり方は非常に強力な一つの方法なんです.そうやって権力が発生しているのではないだろうか.
〔略〕
そのことに敏感でなければならない.
そういうふうに発生していく権力に対して,
「弱い者の代表をしているお前はいったいなんなんだ」
と切り返していかなければいけない.
(橋爪大三郎,同,p.57-58)
それから一つ思うのは,マルクス主義は一応片付いて,キリスト教も我が国ではあまり影響力を持たないけれども,しかしそれで万々歳かというと,まだ難しい問題が私達には残っている.
どういうことかというと,民主主義というのも一種の絶対主義なんです.
「国民主権」というものがあるでしょう.主権というのは,最高権利ですから,なんでもできる.これは神のような権利で,とても恐ろしいことです.憲法も作れるし,国も作れるし,裁判もできるし,死刑にもできる.
そのためには,正しさの基準――何が正しいことかということに対する羅針盤のような感覚――が自分になければならない.
けれど,マルクス主義も崩れ去ってしまい,元元キリスト教も信じていないとすれば,自分が信じている「正しさ」というものはいったいなんだろうかと,みな迷うわけです.
そこで色々な症状が出てくるのだけれど,その一つの手っ取り早い方法が,人権を掲げて弱者を見つける方法です.
そこで回復されるのは
自分が正しいことをしている」
という方向感覚だと思うのです.
しかし,それは本末転倒なんです.
本当は正しい感覚があって初めて運動ができるのです.
しかし逆になってるでしょう.これは一種の病気です.
だけど,病気だという診断まではつくけれど,代わりにどうやって正しさを作り出したらいいのかということになると,これはみんなの課題だと思うのです.
(橋爪大三郎 from 「正義・戦争・国家論」,径書房,1997/9/10,p.65-66)
【質問】
NPOは稼ぎの種になるのか?
【回答】
どんなNPO法人でも稼ぎの種になるという.
以下引用.
過去にNPO法人を2つ立ち上げたことがある,関東系暴力団の組長が言う.
「要は頭です.
結論を言えば,どんなNPO法人でも稼ぎの種になる.
何故か.
NPOは非営利団体というくらいだから,収益事業をやらない限り,法人税は課税されない.
だけど収益事業はやれる.
収益事業にかかる税金は,収益から経費を引いて残った所得額の3割,所得額が800万円以下なら22%になる.
例えば収益事業の売り上げが1000万円だとする.
そこから必要経費500万円を引くと,500万円が残る.
普通ならこれが利益だが,500万円の8割,400万円は本来の非営利事業に使うことができる.
収益事業でも実際は殆ど税金がかからない.
印刷物を作ったとする.自分の息のかかった印刷屋に発注したことにして,利益をそちらに移せる.あるいは印刷屋に過大に見積もらせて,キックバックを受ける.キックバックは帳簿に載らない.
NPO法人として,なんらヤバくない.
〔略〕
こうした流れの中でサヤを取るのは簡単じゃないですか.誰だってできる.
その気になれば,保険,医療,福祉,社会教育,子供の健全育成,環境保全,どんな分野でもカネにならないことはないんです」
溝口敦〔ジャーナリスト〕 from SAPIO 2004/5/26号,p.77
【質問】
NPOが独り善がりになり易いのは何故か?
【回答】
無償性が,「正しいことをやっている」幻想を根拠なく信じるバイアスになりかねないからだという.
以下引用.
NPOはNon Profit Organizationから頭文字をとったものである.直訳すると「非営利組織」だが,誤解してはいけない.「株式配当のない営利組織」と正しく理解すべきである.
NPOは利益を生まないのではなく,利益を関係者で配分しないだけだ.
企画力,商品開発力,マネジメント力のないNPOは確実に滅びるか,詐欺的になるかのどちらかだろう.
〔略〕
経営感覚が欠如したNPOは,当然のごとく赤字を蓄積し,周囲に「迷惑」をかけざるを得ない.
スタッフとして格安または無償のボランティアに馳せ参じる若者達には,ハードルの高い入社試験があるわけでもなく,やや戯画的に言えば,課長になるのに20年かかる企業と違って,NPOなら1年目から理事やら代表やらの肩書きも簡単に手に入る.
無償性は,「正しいことをやっている」幻想を根拠なく信じるバイアスになりかねない.
〔略〕
日本語で言うボランティアには,往々にして依頼者がない.
依頼がないのに自発性だけが突出すると,正義感と使命感が独り歩きし易い.
依頼者を前提とする限り,唯我独尊は通用しない.逆に言えば,依頼者がなく,自発性を全面に出すと,独善の世界へ簡単に没入してしまう.
〔略〕
元来,依頼に万全をもって応えるのがプロの仕事というものである.
同業者ゆえに厳しく言わせてもらえば,彼らは自己評価だけ高すぎるように思う.高すぎるというより,評価は自分でするのではなく他人がするものだ,という視点が抜け落ちている.
2つ〔3馬鹿の直後に拉致された2人のジャーナリスト〕の記者会見で,自分たちの正義と仕事の重要性についてアプリオリに語る彼らの姿に,私は新鮮さすら感じた.
幼い頃から「やりたいことをやれ」と言われて育ってきたのだろう.
やりたいことをやって自立するのは,必ずしもやりたくない仕事で自立するより数段難しい,と正しく学習する機会が,いつかはあるかもしれない.
せっかく貴重な体験をしたのである.
ぜひ,これを機に自立していただきたい.
日垣隆〔作家・ジャーナリスト〕 from SAPIO 2004/5/26号,p.82-83
【珍説】
イラクの秩序安定には,軍だけではだめだ.
民間人を入れなければならない!
つまり,親米ポチが大嫌いな,左翼くさいボランティア民間人も,アメリカのイラク占領の役に立っているのだ!
アメリカにとってみたら,自衛隊も民間人もどちらも占領統治の支援者なのである.
小林よしのり from 「SAPIO」 2004/5/12号,p.56
【事実】
上述の項で述べられているように,必ずしも役に立っているとは言えないばかりか,むしろ,他の援助団体の足を引っ張る存在の民間人ボランティアも存在します.
3人の行動は残念ながら,足を引っ張る存在でしかないようです.
小林の言説は,「ボランティアだから絶対善」という信仰に過ぎません.現実はそんなに甘いものではありません.
【珍説】
親米ポチくんたちは,無謀な民間人によるアメリカ支援を妨害してはならない!
大した度胸じゃないか.
善人は危害を加えられないと信じている,あの自分探しの女性!
甘々の父に育てられ,劣化ウラン弾に魅せられた純粋まっすぐ未成年!
日本の民間人がいっさい来なくなれば,イラク人は希望を失うだろう.
自衛隊は民間人の呼び水とサマワでも思っているのだから.
「占領反対」の左巻きの人々に教えよう.
目的達成のためには,イラクへ民間人が行けなくする法律を作ることだ.
「占領賛成」の右巻きの人々に教えよう.
「親米イラクをつくる会」を立ち上げて,民間ボランティアを続々,送ることだ.
さすればアメリカに感謝されよう.
小林よしのり from 「SAPIO」 2004/5/12号,p.56-57
【事実】
上と同じ理由により,そのような教えは「デタラメ」だと言えます.
それと,「親米ポチ」の,客観的に判別できる定義を述べてください.
【珍説】
彼ら〔イラク人〕は,日本政府が「自衛隊は人道支援」といくら偽善的なプロパガンダをしても,本当は「占領支援」だと見破っている.
実は民間人のボランティアさえも現状ではアメリカの「占領支援」となる皮肉までは見抜いていないだろうが.
サマワの宿営地に篭って,イラクの国家設計にも,治安にも,自国民の救出にも関与できないで,サマワの子供に鉛筆配ったりしている半分軍隊は,あくまでも日米同盟の強化のため,占領支援のために貢献しているのだ.
小林よしのり from 「SAPIO」 2004/5/12号,p.58
【事実】
自衛隊が宿営地に篭っているのかどうかは,自衛隊のサイトを参照してください.デマだと分かりますから.
また,派遣されている自衛隊部隊は,戦闘部隊ではありませんので,治安維持活動や救出作戦などやりたくてもできません.
これは例え米軍であっても同じことです.戦闘部隊でなければそれらはできません.
そもそも,情報が何もなかったというのに,どう救出しに行けというのでしょうね.
「民間人のボランティアさえも〜」のくだりもトンデモであることについては,上述参照.
【珍説】
今井による,劣化ウランの調査は,立派な仕事である.
【事実】
本人曰く,劣化ウラン汚染の調査は,あくまで自衛隊派遣阻止のための手段.
> そもそもこういった活動をはじめたのは,市民活動が非常に衰退し,活動も現実的
> に派遣を阻止できる力がなかったからです.(中略)
> そこで考えたのが,一人でもできて,マスコミが興味を持てる活動です.自衛隊派
> 遣予定地サマワの劣化ウラン弾汚染をその対象に選びました.
http://melten.com/m/16338.html
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| | 殺伐としたこの時代に救世主が!
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ヽ | ーo , ,..o-|ノ
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|. 'ー-=ゝ. |
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|__________| 劣化ウランマン
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