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『現代イラクを知るための60章』(酒井啓子・吉岡明子・山尾大編著,明石書店,2013/3/19)

『紛争と国家建設 戦後イラクの再建をめぐるポリティクス』(山尾大著,明石書店,2013/3/26)


 【質問】
 「民主的政体」を性急にイラクに導入することは,かえって内外に混乱と不安定を招くのではないか? イラクにおいて民主主義の経験が歴史的にないではないか.

 【回答】
 イラクに民主化の経験や試みが無縁だったわけではない.

 だがブッシュ政権は,欧米的発想の通用しやすい欧米在住の個人政治家を通じて,王政期の「貴族的議会制度」の流れを汲む地方名士を登用し,それがイラク社会全体を代表しているような形式をとるためにエスニック・宗派ラインに沿った権力の分散を図ろうとしている.
 だがこうした権力のエスニック・宗派的な分散は,もともと存在している社会集団に対してなされるのではない.
 むしろこうした措置は,「権力」を前に新たな「民族」や「部族」の出現や消滅を促し,既存の社会を分断し亀裂を生むことになりかねない.
 地方に君臨する「封建貴族」に対する都市下層住民の「革命」志向という,かつて経験された展開が踏襲されるのではないか.

 以下抜粋.

〔略〕
 イラクに西欧型の民主主義制度がすぐに定着するかどうか疑わしいことは確かであるが,だがそれはイラクの政治的土壌に民主化の経験や試みが無縁だったということではない.
 いやむしろ,イラク政治のなかで政治的代表制の試み──すなわち「民主主義」の試みは,一定の力を持って存在してきたというべきであろう.

 そもそも忘れられがちなのは,現在共和制独裁政権をとるイラクやエジプトといったアラブ諸国は,イギリスの間接支配下にあった二〇世紀前半,王政のもとで一定の議会制度を導入し,限定的ではあるが民主主義的制度を採っていたという歴史的事実である.イラクの場合,イギリスの委任統治期に議会制度が導入され,それは一九五八年に王政が打倒されるまで運営されていた.むろん,そこで採用されたのが制限選挙であり,成人男子納税者の間接投票による選挙でしかない,という限界はあった.だが当のイギリスですら,成年男子による普通選挙制度が導入されたのは一九一八年であり,当時としてはそれほど「後れた」ものではなかっただろう.

 むしろ問題は,この議会が,結果的には王政を支える封建地主や有力部族長などの地方名士,あるいは軍出身の貴族など,王政時代の特権層が牛耳る存在にしかならなかったことである.
 議会は,いわば「貴族院」のような様相を呈していた.内閣もまた,常に数人の旧世代の政治家が繰り返し政権を担当し,国内的には地方での貧富格差の拡大を放置する一方で,対外的には対英条約に縛られてイギリスの代弁者を務めるのみであった.
 第二次大戦直後の自由主義的ムードのなかで,政治的自由化が大幅に進められた時期もあったが,それでも共産党などの当時の新興政治組織は政党として認可されなかった.建国期の旧世代の政権独占に対して不満を持つ新世代にとって,議会は有効な挑戦の機会を与えてくれるものではなかったばかりか,これを阻止する「特権エリート」の場となっていたのである.
 こうしたイラクでの限定的「議会制民主主義」の試みが,一九五八年に軍主導の共和制革命によって終止符を打たれることになったのは,対外的には王政自体がイギリスの間接統治に依存していたという「外国支配」が問題となったからだが,対内的には貴族層の寡頭的,封建的支配に対する反発がその理由であった.「革命」で成立した軍事政権は,このとき存在していた議会制度を必ずしも「西欧的」だからといって停止させたのではなく,むしろ「貴族のための議会制度」であるという理由で停止させたのである.
 よって,革命政権はいずれも,王政期には代表されなかった大衆を対象とした「真の民主主義」のための「暫定的措置」という自らの位置づけをした.共和制革命の主人公であったカースィム政権にせよ,その後のアラブ民族主義政権にせよ,現在のバアス党政権にせよ,いずれも「未完の革命」過程にあって未だ過渡的段階が続いている,ということを,その「民主主義」導入に至らない口実としている.
 言ってみれば,王政期の「貴族的議会制度」の試みに終止符を打ち「大衆的民主主義」へと移行しようという方向性が,「共和制革命」当時の試みのなかにあったにもかかわらず,軍政の長期化によって「大衆的民主主義」の確立に失敗した,と考えることができる.

「未完の革命」を追う人々
 このように共和制政権以降の軍政は,「貴族的議会制度」を打倒したものの,大衆を代表する政治的枠組みを「民主主義」的な制度によって獲得することができなかった.それを補うために,軍政は軍による統治にますます依存するようになり,軍政に続いて成立したバアス党政権は,軍を抑えるためにもう一つの物理的統治装置である治安組織に依存するようになった.
 こうした状況において,「革命政権」の専横に対する挑戦は,「民主主義」を求めるという形で展開されることはなかった.現在のバアス党政権などアラブ民族主義勢力が「革命」政権を謳って力に依存するのに対して,六〇〜七〇年代には,別の「革命」勢力が自らの大衆における代表性を誇示し,「大衆/国民の力」を正統性の根拠において対抗するという構造が存在したのである.
 換言すれば,七〇年代半ばまではイラクの政権側も反体制側も,どちらが大衆を掌握し大衆を「適切に」代表しているか,ということをその対立の焦点においてきたといえるだろう.その「別の革命勢力」とは,五〇〜六〇年代においては共産党を始めとする左派勢力であり,七〇年代半ば以降においてはシーア派を中心とするイスラーム勢力であった.彼らはイラク国内に緻密な組織細胞を張り巡らせ,全国的な大衆的支持基盤を確立することに成功し,政権を大衆的基盤から掘り崩すという形で,バアス党政権を脅かしてきた.そしてそれらの政治勢力は,政権への「民主的参加」ではなく「革命的政権奪取」を狙ってきたのである.
これに対してバアス党政権が対処してきた手法は,反体制派にポストを分け与えることでこれらを懐柔することであった.すなわち,大衆的支持基盤に依拠して「革命的」に政権を奪取されるよりは,政治エリート間で権力を分配するという「複数政党制」の形式を採ることを選択したのである.七〇年代前半,最大の反体制派であった共産党やクルド民族主義勢力に対して,バアス党政権が採った対応策は,形式的にせよこれらを合法化し,一定の政治参加を認め,閣僚に登用することであった.
 こうした「共闘」は,クルドの場合は七五年に,共産党は七九年に崩壊することとなるが,「民主化」や「政治参加」,「複数政党制」といったレトリックは,むしろ政権が反体制派を懐柔するために利用してきたと言ってもよい.
 一方,イスラーム主義勢力に対してバアス党政権が採った手法は,より複雑な影響を残した.
 ダアワ党などのイスラーム主義政党は,七〇年代を通じて一定の社会的浸透を果たしたのち,七九年以来「革命的」手法で政権の奪取を試みてきた.
 こうしたイスラーム政党の「革命的」台頭に対してバアス党政権が下した判断は,これを「シーア派の反乱」と見なすことであった.イスラーム主義という,いわば宗派を超えて全国に波及しかねない「革命」運動を拡散させないためには,それを限定的なものとして一定の社会集団や住民の間だけの運動に押し込めてしまう必要があった.
 その結果,バアス党政権はシーア派の高位ウラマー(宗教的知識人)を処刑したり,その家族を「イラン人」としてイランに放逐したりした.その一方で,シーア派住民がイスラーム主義に走る原因を社会経済的貧困と「シーア派」としての政治参加の不在にあると考え,低所得層のシーア派住民に対する慰撫政策を強めたり,バアス党内のシーア派党員の幹部登用を進めたのである.
 このように,バアス党政権はクルド民族に対するのと同様に,イスラーム主義勢力に対してもこれを「シーア派限定」のものと見なして,あたかも「シーア派」という社会集団が独立的に存在するかのような対処を行った.
 だが留意すべきことは,イラクにおける宗派的差異は,アラブ民族とクルド民族のような明確な自覚に基づく区別があるわけではない.世俗的社会運営を進めてきたイラクでは,湾岸戦争以前はむしろこうした宗派意識に基づく集団意識は薄められてきたと言ってよい.
 にもかかわらず,バアス党政権が「革命的」運動であるイスラーム主義に対処するうえで,あえて「シーア派」的要素を強調したことで,逆に「イラク南部のシーア派集団の一体性」という虚像が生まれたのである.

「革命は民主化しない」
 このような歴史的背景を踏まえて,次に,現在アメリカがイラクに対する「民主主義」政権構想として一体何を企図しているのか,という点を見てみたい.それは「新しい体制」を目指すと言いながら,結局は「貴族的議会主義」か「革命的」政権奪取の試みか,という過去の失敗を繰り返すことにならないだろうか.
 アメリカが湾岸戦争以降,フセイン政権に対する対抗組織としてイラク国民会議(INC)という在外の反体制統合機関を利用してきたことは,よく知られたことである.このイラク国民会議の中心人物はアフマド・チャラビだが,彼はイラク国内に支持基盤もないシーア派の元銀行家で,ただ「偶然」MIT出身であったことでアメリカに取り立てられたのだ,とは,しばしば椰楡的に言われることである.
 また,チャラビ同様に湾岸撃後,英米が利用対象とした集団にイラク国民合意(INA)があるが,INCにしてもINAにしても,アメリカが彼らに最も期待したのはイラクから亡命してくる要人の亡命窓口となることであり,彼らから国内情報を得たり内部工作に利用したりすることであった.
 だが,アメリカがチャラビを起用してイラク反体制活動に関与し始めたことでイラクの反体制活動全体が受けた影響は,ただの「偶然」ですまされるものではなかった.湾岸危機の発生によって,国際社会が一斉にフセイン政権に対する非難を強めたのを見て,海外に亡命し長年活動を続けていたイラクの反体制活動家たちは既存反体制組織の大同団結に動き,九〇年十二月と九一年三月にベイルートで大規模な決起集会を開催した.
 この決起集会が画期的であったのは,それまで反目しあっていた,大衆基盤を持つ「革命」勢力の代表的存在であるイスラーム諸政党とイラク共産党,そしてバアス党の反主流派を中心とするアラブ民族主義勢力が,クルド勢力とともに結集したことである.これまでそれぞれの「力」による政権奪取を志向していた各「革命」勢力は,とりあえずここで他派との共闘の必要性を理解し,フセイン政権打倒後の「政治的プルーラリズム(多元主義)」の方向性を模斎し始めたのである.
 とりわけ,一九九二年にはイスラーム政党であるダアワ党がその政治綱領を発表して民主的な制度(民主主義とは明言しないものの)の採択を初めて認めたし,イラク共産党は九五年の党大会で初めて党幹部を党内選挙によって選出するという「民主化」を行った.
 こうした「革命的」反体制派の変化と盛り上がりに対して,アメリカが行ったことは,これらとは別にチャラビのような欧米在住の個人政治家を取り立てて,反体制組織の統合の中心に据えようとしたことであった.INCの成立はそうした経緯から生まれたもので,アメリカの支援を得てクルド勢力はINCに積極的な役割を果たしたが,その他の主要反体制派であるイスラーム勢力,共産党,アラブ民族主義勢力は,INCの成立後数年で脱退するか,INCでの活動を凍結するかどちらかであった.
 チャラビや欧米の亡命知識人を前面に取り上げることで,アメリカはイラク国内に活動基盤を持つ主要反体割派勢力を,それらが「革命的」であるということで,取り込むことに失敗したのである.
 ある意味でこのエピソードは,アメリカの中東地域全体における「民主化」推進政策の失敗を象徴している.
 中東地域では「革命的」勢力が国民の突き上げによって徐々に「民主化」していかざるをえなくなる,という過程が,いくつか見られる.典型的な例が,イラン「革命」政権におけるハータミー大統領の出現であろう.
 だが問題は,アメリカがこうした元「革命」勢力の変化に対して極めて冷淡であることだ.「革命」勢力を「民主化」していこう,という発想よりは,新たに一から「民主的」な存在を作り上げるべきだ,という発想が根強い.チャラビら「反体制ビジネスマン」の起用と大衆的基盤を持つ「革命」勢力の反発,というアメリカの対イラク反体制派政策の失敗は,そうしたアメリカの中東政策全体の問題に繋がっている.

「民族,宗派の分権」という虚構
 だがアメリカも,チャラビ個人に反体制派を統括する能力がないことに気がついていないわけではない.とくに「フセイン政権の転覆」を目標に掲げた「イラク解放法」が九八年に米議会で可決されて以降は,フセイン政権に代わる具体的な「新政権」候補として,新たな人選が開始された.このとき以来,英米で曝かれてきた「候補」には,王政時代の外務高官や王族の末裔(シャリーフ・アリー)などの名前があげられている.
 こうした王政期からの亡命者の多くが,共和制革命で国を逃れた「旧貴族」や部族的・封建的名望家出身であり,いわば過去の「貴族的議会政治」にノスタルジーを抱く人々であると言えよう.
 だが,国を離れて何十年にもなる旧特権層の人々が,フセイン体制後のイラクの国づくりを即座に担えるわけではない.彼らが「民主化」を担うとして,かつての限定的民主主義,「革命的」勢力によって打倒された「大衆」不在の議会制度以上のものが期待できるだろうか.
 その限界を補完するため,イラクの新政権を,より「民主的」でイラク社会を広範に代表しているように見せるために,米政権がシーア派やクルド民族などの「地場勢力」に対する抱きこみを本格化するようになったのは,九九年以降のことである.この年,アメリカは初めてイスラーム主義を掲げるシーア派を中心とした政治組織,SCIRIへの支援を明らかにした.
 このことは一見,アメリカが「革命的」イスラーム勢力を「新政権」の一翼に組み込んだかのように見える.
 だが実態は,むしろ「シーア派」という宗派集団を一種のエスニック的に独自の存在と捉えて,多文化主義的色彩を「新政権」にまぶすための措置であると言えよう.ポスト・フセイン政権を構想する際,なるべくイラク全体を「代表」しているように見える体制を整えるために,「革命的」イスラーム主義組織であるSCIRIはむしろ「シーア派」の代表として支援対象に選ばれた.
 このような,「シーア派=イスラーム主義」という分類は,先に指摘したように,もともとバアス党政権が「革命的」勢力を押し込めるために採用した考え方である.イスラーム勢力の間には,本来全国政党として中央に進出していくべき性格の政党であるにもかかわらず,「イラク南部=シーア派地域」のみに限定された「地方勢力」として制約されることに,根強い不満がある.

 ブッシュ政権がフセイン後の政権構想のために接触を持っているイラク反体制派の様相を総合すると,次のようになろう.すなわち,欧米的発想の通用しやすい欧米在住の個人政治家を通じて,基本的には王政期の「貴族的議会制度」の流れを汲む地方名士を登用し,それがイラク社会全体を代表しているような形式をとるためにエスニック・宗派ラインに沿った権力の分散を図る.
 だがこうした権力のエスニック・宗派的な分散は,もともと存在している社会集団に対してなされるのではない.むしろこうした措置は,「権力」を前に新たな「民族」や「部族」の出現や消滅を促し,既存の社会を分断し亀裂を生むことになりかねない.表面的な地方分権に反発し,イラクの都市政治エリートの間に再び中央集権へめ野望が駆り立てられる可能性もある.地方に君臨する「封建貴族」に対する都市下層住民の「革命」志向という,かつて経験された展開が踏襲されるのではないか.

「暴力」に乗って「民主化」へ
 ところで,本論の冒頭で,イラクでは「革命」が常に未完であるとの認識に基づいて,党や軍が専横的な体制を維持し,できた,と述べた.彼らがなぜ「未だ革命ならず」としているかといえば,その原因はパレスチナ問題の未解決に他ならない.イスラエルによるパレスチナに対する不正の存在が,アラブ民族主義であれイスラーム主義であれ,「未だ闘争過程」としてすべての民主的なプロセスを棚上げにする口実となっている.
 その意味で,アメリカがフセイン後としてイラクに期待している政権がイスラエルに対していかなる対応を取るのかが,イラクにおける「未完の革命」意識がその後どのように国政に影響を与えるかに,大きく関わってこよう.
 アメリカの新保守主義者たちの一部が,無能であることがわかっていながらチャラビを常に支援対象としてきたことの原因には,チャラビだけがイラクの政権担当者として,戦後,イスラエルとの和平協定を結ぶ用意があるからだ,とはしばしば噂されることである.
 王政期の「貴族性」と名文化主義的分権政策を融合したようなかたちで「新政権」が成立し,しかし国内での大衆的支持基盤がそれとは別のところにあって,しかも「未完の革命」意識を抱えた勢力が存在するそのような環境が生まれるとき,すべての政治勢力が注目するのは,やはり軍の動静であろう.
 旧来の「革命的」運動が常に依存してきたのは,唯一「中央」を目指すことのできる「乗り物」としての国軍であった.アメリカの戦後構想のなかに,日本型GHQ占領というアイディアがあることは冒頭に触れたが,おそらく焦点はイラクに対して戦後日本のような徹底した武装解除と国軍の解体を行うことができるかどうか,であろう.
 いかに現政権の徹底的な排除を主張する反体制派であっても,国軍の国防・治安上の役割において「強力な国軍の必要性」を強調する.筆者は二〇〇二年五月にワシントンで開催された反体制派会議を傍聴する機会を得たが,そこでの議論もまた,戦後のイラク国軍をどうするか,という点に集中していた.アメリカの軍事行動に依存してフセイン政権を倒すことは反体制派として禍根を残す,と考えて,イラク反体制派はむしろ政権打倒の核としてイラク国軍の積極的な活躍に期待するものの,つまるところそれが,短絡的な「力依存」による政権転覆であることには変わりがない.
 「力」で政権を変えてきたという「革命的」政権奪取の手法から脱却することこそが,「民主化」の第一歩だとすれば,いずれの方法を選んだとしても,彼らは初めから「民主化」に頓挫している.少なくとも「外国」の力によって植え込まれた新政権が,制度としての「民主主義」を導入したとしても,それが新たな「革命的」勢力の,同じく「力」による挑戦を拒否できるだけの正統性を持たないことは,明らかである.

(酒井啓子 「イラク『新政権』民主化の前途多難」 from 中央公論2003.2)


 【質問】
 新イラクの要人警護などを行っている警備会社について教えてください.

 【回答】
 以下参照.

Security Companies: Shadow Soldiers in Iraq

This article was reported by David Barstow, James Glanz, Richard A. Oppel Jr. and Kate Zernike and was written by Mr. Barstow.; Eric Schmitt contributed reporting from Washington for this article. (NYT) 3545 words
Late Edition - Final , Section A , Page 1 , Column 2

ABSTRACT - Private security companies are performing crucial jobs once entrusted to military far more in Iraq than in any other conflict in American history; Pentagon is relying on them to guard reconstruction projects, provide security for American administrator L Paul Bremer III and other officials, escort supply convoys through hostile territory and to defend key locations; company executives see clear boundary between their defensive roles as protectors and offensive operations of military, but as insurgency increases, companies are becoming more deeply enmeshed in combat, in some cases all but obliterating distinctions between professional troops and private commandos; security firms have sent force of roughly 20,000 to Iraq on top of American military presence of 130,000; most security firms' recruits are former members of American military; photo; chart (L)

http://www.nytimes.com/2004/04/19/international/middleeast/19SECU.html?pagewanted=1

 また,別の報道によれば,バグダッドでは,ネパールから「出稼ぎ」に来た数百人の元兵士が,市内各所の政府関連施設などを警備,治安の一翼を担っているという.
 彼らは,米軍が委託した英国の警備会社と契約し,高額報酬を目当てに,武装勢力の攻撃の標的にもなりかねない危険な任務に就いている.
「危険なのは分かっている.だが,9人の大家族を養うために1年以上はここで稼ぐつもりだ」
と,市中心部の国際会議場で警備に当たる,カトマンズ出身の元兵士ジャンガ(48)は真っ黒に日焼けした顔で答えたという.


 【質問】
 イラク暫定統治評議会のメンバーは?

 【回答】
 2003年7月16日時点で,以下の通りだった.

 1.アフマド・チャラビ氏(58歳):シーア派.シカゴ大学で博士号取得(数学).幼少時の1958年にイラクを後にする.1989年にヨルダンで公金横領罪で欠席裁判を受け禁固20年の判決が出されている.1992年にイラク国民会議(INC)創設し代表に就任.ラムズフェルド米国務長官に極めて近いと言われている.2003年4月に帰国.
 ※後に横領で告発され,評議会がポシャることに.

 2.アブドゥル・アジズ・アル・ハキム氏:シーア派.イラク・イスラム最高評議会(SCIRI)の副代表.ちなみに,代表は実兄のムハンマド・バキル・アル・ハキム氏.同兄とイランで23年間の逃亡生活を送ってきた.SCIRIの軍事部門であるファイラク・バデルの司令官でもある.

 3.イブラヒム・アル・ジャアファリ氏(56歳):シーア派.カルバラ生まれ.モスル大学医学部卒.イラク最古の政党であるダーワ党スポークスマン.1966年に同党入党.1970〜1979年は同党でカルバラ勤務.その後イラク諜報機関に追われたためにイランへ逃亡.1989年にロンドンに移るまでイランに滞在していた.ちなみに,同党は1970年代後半に反フセイン闘争を展開し,7万7000人もの犠牲者を出したとしている.同党は1982年に潰される.

 4.ナーセル・カーメル・アル・チャドリチ氏(70歳):スンニー派.バグダッドの名家の出身.カイロ及びバグダッドで修学.その後,現在までイラクに在住.1959年に弁護士に就任するも,他方で農業関係企業の経営に当たる.国民民主党の指導者.

 5.ジャラール・タラバーニ氏(67歳):スンニー派,クルド人.クルド愛国同盟(PUK)代表.1934年クルド地域のイルビル生まれ.15歳の時にクルド民主党(KDP)に加わり1953年には政治局員に就任するが,1975年に脱退しPUKを設立.PUKはクルド地域の南東部を支配している.英語とフランス語に堪能.

 6.マスード・バルザーニ氏(56歳):スンニー派,クルド人.1946年生まれ.彼の生誕した日に山岳地帯の戦闘に優れていたことで知られる実父ムスタファ・バルザーニ氏がクルド民主党(KDP)を設立した.実父の死去に伴い1979年に党首に就任.1980年にはフセイン前大統領によって8000名が逮捕され,彼の3名の兄弟も行方不明になる「イラク人によるバルザーニ一族の大虐殺」とクルド人が呼ぶ事件が起きている.彼の出身地の村落は合計17回の焼き打ちにあっている.1991年以降,ライバルのジャラール・タラバーニ氏とクルド地域を分割し西北部を支配している.

 7.イヤード・アラウィー氏(57歳):シーア派.外科医.王制時代の保健相の孫.1961年〜71年はバース党員であったが,その後反政府活動に参加し祖国を後にしてベイルート,ロンドンへ渡る.1991年2月にイラク国民和解運動を結成.イラク戦争後にイラクに帰国.イラク国民和解運動には,多くの元バース党員及び元軍人が参加している.

 8.シェイク・アフマド・アル・ブラク・アル・ブスルタン氏:シーア派.法曹協会会長.バベル人権協会調整官.1991年よりイラク外務省で国連プログラムの従事.

 9.アドナン・パチャーチ氏(81歳):スンニー派.外相としてバース革命(1968年)以前の1965年〜67年に,アブドゥル・サラアム・アレフ,アブドゥル・ラフマン・アレフ政権に仕える.1971年にイラクを後にしてロンドン,アブダビで32年間を過ごす.特に,アブダビには23年間居住し,今日のアブダビ石油公社(ADNOC)の基礎を築いた.2003年2月,世俗の民主政権の創設を支持するイラク人の母体として独立民主運動を設立した.2003年5月に帰国している.多くのイラク国民に尊敬されている自由主義者.ブッシュ政権は一時,同人を暫定首相の候補として考えていた模様である.

 10.アケイラ・アル・ハシミ氏:シーア派.元外交官.フセイン政権崩壊後のイラク外務省を運営・管理していたフォローアップ委員会委員を務めていた.フセイン政権時代には外務省広報局に勤務.タリク・アジズ元外相に近かったと言われている.法学士.フランス現代文学で博士号取得.

 11.ラジャ・ハビブ・アル・フザアアイ女史:シーア派.ディワニーヤの産婦人科病院院長.1960年代からロンドンで暮らしていたが1977年にイラクに帰国.

 12.ハミード・アブドゥル・マジッド・ムーサ氏(62歳):シーア派.エコノミスト兼石油研究者.1978年にイラクを後にするが,反フセインの政治活動を続けるために1983年に帰国.1991年以降はフセイン政権の支配下になかったクルド地域に避難していた.1993年からイラク共産党(1934年創設)書記長.

 13.ムハメッド・バフル・アル・ウルーム氏(80歳):シーア派.ロンドンのイスラム・センター(アフル・アル・ベイト)を主催してきたリベラル派のイマーム.フセイン前大統領によって親族の大量殺害のあった1991年にロンドンに渡る.フセイン政権崩壊後の2003年4月にイラクに帰国.最近はバグダッドとナジャフを往来している.

 14.シェイク・ガジ・マシャル・アジル・アジル・ヤーウェル氏(45歳):スンニー派.モスル出身.土木技師.有力部族であるシャンマル族のシェイク・モフシン・アーデル・アル・ヤーウェル部族長の孫.シャンマル族はイラク,シリア,ヨルダン,サウジアラビアにまたがっており,宗派的にもスンニー派もシーア派もいる.同人はHicap Technology 社の副社長としてサウジアラビアに15年間居住し2003年6月4日にイラクに帰国した.

 15.モフセン・アブデル・ハミッド氏:シーア派.キルクーク出身.ムスリム同胞団のイラク内の組織であるイラク・イスラム党の書記長.なお,同党は1960年に創設されたが,1961年には活動を禁止されている.コーランの解釈本を30冊以上出している.イラク・イスラム党を再結成した容疑で1996年に拘禁された.

 16.サミール・シャーキル・マフムード氏:スンにー派.スマイディ(al-Sumaidy)一族の一員で北部バグダッドの部族の指導者.ハディーシャ出身.反体制派の中では著名な人物.

 17.マフムード・アリ・オスマン氏(60歳):スンニー派.クルド人.スレイマニヤ出身.クルド民主党に入るもその後離党し,1975年にロンドンでクルド社会主義者党を設立する.しかし,その後政治活動を離れイルビルに居住.

 18.サラハディーン・ムハンマド・バハエッディーン氏(53歳):スンニー派.クルド人.ムスリム同胞団に近いイスラム主義者.アル・タウィーラのハラブジャの宗教家系に生まれる.1994年12月にクルド・イスラム連盟(又はイスラム連盟党)の事務局長に選出される.クルド語及びアラビア語での著書が数冊ある.

 19.ユナデム・ユーセフ・カナ氏(50歳):アッシリア・キリスト教徒.クルド地域のドホーク生まれ.但し,キルクークに居住.1979年から反フセイン闘争を開始し1981年に民主アッシリア運動を創設.1992年に初のクルド地域地方政府が誕生した時の運輸・通信相.1996年に同地方政府の工業相.現在は民主アシッリア運動の指導者.

 20.ムアファック・アル・ルベイ氏:シーア派.元ダーワ党員.英国王室医師専門学校会員の内科,神経科医.穏健な知識人で人権活動家でもある.「イラク・シーア宣言」作りに参画.

 21.ダラ・ヌール・アルジン氏(50歳):スンニー派.クルド人.キルクーク出身.バグダッド控訴院裁判官.イラク革命評議会の決定(適切な補償抜きでの土地収用)に違憲判決を下したために3年間服役する.2002年10月の恩赦で釈放.

 22.ソンドゥール・チャプーク女史(35歳):トルクメン.キルクーク出身.モスール・ファイン芸術(アート)学校教員.イラク女性団体の指導者でイラク・トルクメン・フォーラム会員.既婚で二児の母親.

 23.ワーイル・アブドゥル・ラティフ氏(50歳):シーア派.1982年から裁判官.1994年に1年間投獄される.フセイン政権時代の最終地位はバスラ裁判所長.2003年7月4日にバスラ県知事に任命される.

 24.アブドゥル・カリム・マフムード・アル・ムハメダーウィ氏(45歳):シーア派.アブ・ハテムの呼称で通っている部族長.1986年までの6年間服役していた.その後,南部の湿地帯で17年間に亘り反フセイン抵抗運動を続け,「湿地帯の王子」の異名をとった.特に,アマラのヒズボラ・グループを率いてアマラの解放のために戦ってきた.

 25.アブデル・ザフラ・オスマン氏:シーア派.バスラのイスラム・ダーワ運動の指導者.新聞・雑誌の編集者であり,作家,哲学者,政治運動家でもある.

IDCJ エネルギー・環境室長/主任研究員 畑中美樹<はたなか・よしき>


 【質問】
 イラク統治評議会(IGC)は何故失敗したのか?

 【回答】
 スンニ派部族リーダーSheikh Yawar曰く,
「国が燃えている時に評議会の席に座ってプロセジュアを論議していた」
「我々はコンスタンチノープルのビザンチン人のように,野蛮人が城門まで来ていると
きに天使が男か女かを議論していたようなものだ」

 詳しくは,以下の記事を参照されたし.

Why Iraq Governing Council failed

By Dan Murphy | Staff writer of The Christian Science Monitor

BAGHDAD ――With daily gun battles between Sunni insurgents and US Marines in Fallujah, and the tense standoff between US forces and militia loyal to Shiite cleric Moqtada al-Sadr in the southern city of Najaf, the United States was expected to turn to its appointed Governing Council to mediate a peaceful solution.

The much-vaunted council was supposed to put an Iraqi face on the occupation. "The Governing Council will be involved in all the significant decisions,'' Paul Bremer, the top US administrator here, said last July. "It will be a huge step forward."

But today, Lakhdar Brahimi, the UN's Iraq envoy, is writing a transition plan for Iraq that, if he gets his way, will freeze Governing Council members out of Iraq's transitional government.

To council member Ghazi al-Yawar, the conclusion is simple. "We've failed,'' he says. With a trace of disgust, he complains that a sectarian council, more focused on survival than on serious issues, has simply added to the country's problems.

"We sit in the council while the country is burning and argue over procedure,'' says Sheikh Yawar, a Sunni tribal leader who lived abroad until last year. "We're like the Byzantines in Constantinople, debating whether angels are male or female with the barbarians at the gate."

Under Mr. Brahimi's plan for a transitional government, all 25 members of the US-appointed council would be culled in favor of a team of technocrats to be chosen next month by Brahimi's team and influential Iraqis, with US input. The group would take power in July and shepherd Iraq to elections next January - in which, ideally, they would not participate.

Aides to Brahimi say he's uncomfortable with a continuing role for the Governing Council, fearing they could try to manipulate electoral laws and procedures that would deprive any elected government of the legitimacy most believe is needed to calm tensions.

"The members of the caretaker government must be careful not to use their positions to try and give advantage to any political party or group," Brahimi told the UN Security Council Tuesday. "In order to prevent even the perception they might do so, it would be best if the members of the caretaker government" don't later run for election.

Silence as volatility grows

Governing Council member Yawar spoke two weeks ago as Iraq descended into the most volatile period to date of the occupation. But as the US has searched for Iraqi mediators, the council has been largely silent.

Instead, a Governing Council subcommittee spent the past few weeks putting the final touches on a new national flag. Abandoning the current flag - with the words "God is Great" in Arabic and the red, black, and green color scheme favored by almost all Arab nations - the new flag is mostly white, with blue stripes and a blue crescent symbolizing Islam.

But to many, it resembles Israel's flag - and it has crystallized the view of many that the council is out of touch.

"Unfortunately, the Governing Council has failed to play a constructive role in fixing Iraq's deep and important problems,'' says Ayatollah Imad al-Deen Awadi, a Shiite cleric, who believes the unpopularity of the council has driven many Iraqis to religious figures for political leadership, like Shiite cleric Sadr, whose anti-US militia control the shrine city of Najaf.

"The people are suffering and they're worried about the flag," says an incredulous Wissam al-Ekabi, a student at Baghdad University. "The Governing Council is supposed to be fixing the security situation and creating jobs. But this seems to be all they're up to."

His friend, Alaa Muhammed, adds: "They clearly didn't talk to many Iraqi people about this. The flag is meaningless, just like the council."

Hopes of preserving a role

Brahimi's growing influence over the transition process, as the US seeks to broaden international involvement here in response to failing support for occupation inside Iraq, has been deeply threatening to some members of the Governing Council, who have gone on the offensive against Brahimi in the hopes of preserving a role for themselves in the transition.

Leading the charge has been Ahmad Chalabi of the Iraqi National Congress (INC).

The former exile's political movement was funded for years by the US government, and he was originally slated by the Pentagon to run Iraq's postinvasion government. But his lack of evident domestic support forced that plan to be scrapped last April. And Mr. Chalabi has increasingly fallen out of favor with the US.

Chalabi told Fox News Sunday that Brahimi is "a controversial figure. He's not a unifying figure." Al-Mutamar newspaper, linked to Chalabi's INC, has grown increasingly strident in its attacks on Brahimi.

In a front-page opinion piece Wednesday, the paper accused Brahimi and Adnan Pachachi, a Governing Council member who has welcomed UN involvement, of "cooking up a plan" to deny a political role for legitimate Iraqi leaders so that they can form a government "from behind the curtains."

The paper also alleged that the marriage of a Brahimi sister to a member of Jordan's royal family has tainted his independence. Chalabi was convicted in absentia on embezzlement charges in Jordan in the early 1990s, and is still a wanted man in the kingdom.

"Politicians like Chalabi know that their best chance at power is maintaining their current, appointed positions,'' says an Iraqi political scientist who is advising Brahimi on the transition plan. "The moment they come up against free and fair elections, they're finished."

Brahimi says it needs to be recognized that no Iraqi government will be truly representative until elections are also so, and has urged that the transitional government refrain from locking Iraq into any policies that could fuel the country's internecine conflicts.

"The caretaker government also needs to be mindful, at all times, of the fact that it has not been democratically elected,'' he told the UN Security Council. "It should therefore [refrain] from entering into long-term commitments that can and should await decision by an elected government. There is no substitute for the legitimacy that comes from free and fair elections."

http://www.csmonitor.com/2004/0429/p06s02-woiq.html

 また,Paul Krugmanも,New York Times, 2004/6/29において,"Who Lost Iraq?"と題し,CPAをはじめ米国の占領政策の失敗について辛口批評している(有料).


 【質問】
 選挙は早期に実施すべきか?

 【回答】
 フセイン・アル・シャリスタニ HUSSAIN AL-SHAHRISTANI によれば,早期に実施すべきであるという.
 同氏はイラクのシーア派の有力宗教指導者シスタニ師のアドバイザーであり,サダム政権で10年以上の監禁を受けていた人物.

 "Election Fever"という論文の中で,同氏は,現状の混乱と戦闘をCPAの政策的失敗として幾つかその理由を挙げ,現状は「内戦」ではなく政治的権力闘争だとしていて,早期の民主的選挙とイラク人による地方自治確立が必要と言う.
 彼によれば,イラク人はサダムの再来も内戦もサドル師の言う反米闘争も望まないが,自分達の生活を規定する自治政府を自分達の手にすることは望んでいる.
 アメリカは早期にイラクの民主的選挙を進めるべきで,それがアメリカへのイラク人の支持を得る方法である,という.

 ロバート・ケーガン Robert Kagan も,早期の政権委譲と選挙を主張する.

Democracy Now
From the May 17, 2004 issue: The Bush administration seems not to recognize how widespread, and how bipartisan, is the view that Iraq is already lost or on the verge of being lost.
by Robert Kagan and William Kristol
05/17/2004, Volume 009, Issue 34

WE DO NOT KNOW how close the American effort in Iraq may be to irrecoverable failure. We are inclined to believe, however, that the current Washington wisdom--that the United States has already failed and there is nothing to do now but find a not-too-damaging way to extricate ourselves--is far too pessimistic, a panicked reaction to the difficulties in Falluja and with Moktada al-Sadr, as well as to the disaster of Abu Ghraib. We are also appalled at the cavalier and irresponsible way people on both left and right now suggest we should pull out and simply let Iraq go to hell. We wonder how those who, rightly, complain about the American mistreatment of Iraqi prisoners, can blithely consign the entire Iraqi population to the likely prospect of a horrific civil war and the brutal dictatorship that would follow. Spare us that kind of "humanitarianism."

Thank goodness the president says he remains committed to victory. Thank goodness there are stalwarts like Senators Joe Biden, Joe Lieberman, and Evan Bayh in the Democratic party who are fighting against that party's growing clamor for withdrawal. But loss of confidence that the war is winnable goes well beyond left-wing Democrats and isolationist Republicans.(←この二つが彼らの敵です)

(中略)

Among the biggest mistakes made by the Bush administration over the past year has been the failure to move Iraq more rapidly toward elections. It's true that many, inside and outside the administration, have long been clamoring to hand over more responsibility to Iraqis, responsibility above all for doing more of the fighting and dying. But the one thing even many of these friends of Iraq have been unwilling to hand over to Iraqis is the right to choose their own government. This is a mistake. (なぜ早く政権渡さなかったんだ!と怒ってます)

(中略)

We don't claim to have a silver bullet. But we believe one answer to the current crisis would be to move up elections by several months, perhaps to September. The administration could announce very soon that nationwide Iraqi elections will be held on September 30(9月30日にしろと言ってます)

(中略)

Accelerating the elections would have several virtues: First, it would change the subject. Instead of focusing on their anger at Americans, Iraqis would be compelled to begin focusing on the coming elections, where each and every Iraqi adult will have a chance to participate in shaping the future

選挙を早めるといい理由は・・・・1,話題を変えることができる.

Second, with elections coming quickly, those who continued to commit violence in Iraq would be understood to be attacking not only the United States, but also the elections process, and therefore democracy.

2,反乱軍が民主主義を攻撃していると思わせることができる,よってやつらは反アメリカじゃなくて反民主主義になるのだ,だって.

Third, with elections pending, American military actions could be seen not just as an effort to suppress rebellious Iraqi movements but as a vital support for the elections process, and for democracy.

3,反アメリカよりも選挙妨害と見なされるようになる,と.

Fourth, and not least important, the holding of elections in Iraq within a few months might give Americans here at home greater confidence that things can be turned around in Iraq.

4,アメリカ人にも自信を与える.

Finally, the administration should use the new date for elections as an opportunity to make one more run at Europe and the international community for support. It could challenge the French and Germans to send troops to Iraq not to aid our occupation but to support elections. And aside from troops, Europeans could provide vital money and technical assistance to the elections process

5,ヨーロッパも呼べる,

As we say, this proposal is not a cure-all. It carries its own risks as well as benefits. If someone has a better idea, we're happy to hear it. But if the administration does not take dramatic action now, it may be unable to avoid failure

もっといいアイディアがあったら聞くぞ!と.

http://www.weeklystandard.com/Content/Public/Articles/000/000/004/056mvrqy.asp


 【質問】
 イラク暫定政府はどの程度の権限を持つことになるのか?

 【回答】
 ブッシュ大統領の演説や米英の国連安保理決議案草稿から判断すると,暫定政府は国際政治上の主権,法的主権はもつが,事実上の主権は持てそうにないと考える専門家もいる.

 イラクの暫定政府は正統な政府として認められる.
 しかし,暫定政府の事実上の主権はイラクに十三万八千人の米軍が駐留し,またイラク側が十分な防衛能力を持っていないことによって大きく損なわれることになる.
 また,暫定議会選挙が予定されている二〇〇五年一月までは,イラク政府は新たに法律を導入することも,長期的な国際合意を結ぶこともできない.
 そしてまた,専門家によれば,暫定政府はイラク軍の完全な指揮統制権を持たないし,安保理の決議がなければ,米軍や外国の部隊を国外へと追い出すことはできない.

http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/Iraq/IraqToday.htm


 【質問】
 国連はどのように暫定政府のメンバーを選んだか?

 【回答】
 ブラヒミはイラクの政治指導者,民間指導者,宗教指導者,イラク統治評議会のメンバー,その他のイラク人と会って,閣僚候補者のリストを作成した.彼は,CPAのポール・ブレマー行政官,コンドリーザ・ライス米大統領補佐官の側近のロバート・ブラックウェルとも協議し,六月一日に閣僚リストを発表した.

 その結果,シーア派のイヤド・アラフィが首相職を担い,大統領にスンニ派のガジ・ヤワル,二人の副大統領ポストにはシーア派のイブラヒム・ジャファリ,クルド人のロジェ・ヌーリ・シャウィスが指名された.

http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/Iraq/IraqToday.htm


 【珍説】
「イラクの暫定政権は,アメリカの傀儡政権だ!!」

 【事実】
 ヤワル大統領はイラク民衆の8割以上の支持を得ているわけですが,なにか?

 「暫定政権信任」68%…イラクで世論調査 [読売新聞 2004/6/25]

アラウィ首相・・・支持率73%
ヤワル大統領・・・支持率84%


 【質問】
 2005年1月30日に実施されたイラクの総選挙の仕組みは?

 【回答】
 二つの無記名投票,クルド地区では自治議会議員選挙も行われた.立候補者は極めて多数に上ったという.
 以下引用.

 イラクの有権者は二つの無記名投票をおこなう権利を与えられた.国民議会議員選出,地方議会(18の地方州がある)議員選出である.
 クルド地区の3州(ダホウク,エルビル,スライマニア)では,有権者は三つ目の投票即ちクルド自治議会議員の選出もおこなった.

 今回の選挙にはさまざまな党派が立候補者をだし,有権者の持つ選択の幅が大きかった.
 計111の政党,連合及び無党派が立候補者をだしたが,候補者数は合計7471人で,275の国会議席を争った.
 地方議会選挙の方は,議席総数748(各州41議席,バグダッドは特別で51議席)を,7850人の候補者が争った.
 クルド地区の自治議会は議席数111で,499人が立候補した.国会,地方議会,自治議会で15820人が立候補し,1134の議席を争った勘定になる.
 平均すれば1議席に候補者14人の割合である.
 西側の基準からすれば,立候補率が高い.ほぼ半世紀に及ぶ独裁政治と抑圧から解放され,その開放感が一気に民主的動きにつながったとみれば,容易に理解できる.

ニムロッド・ラファエリ from MEMRI, 2005/2/16


 【質問】
 総選挙の結果は?

 【回答】
 投票率は59%.
 クルド,シーア派,アラウィ派の投票数の87,6%を占めたという.
 以下引用.

-----------------------ここから引用----------------------------------

 イラク独立選挙管理委員会(IECI)の発表した数字によると,登録有権者数1420万人(海外の登録有権者を含む)のうち,約59%にあたる845万人ほどが投票した.
 選挙結果を肯首できぬ人が異義の申立てができるように,正式認定は結果発表の日から3日後におこなわれる.
 アル・ラミ(`Adil al-Lami)はIECI事務局長として,問題視されかねないのは投票結果表ではないと指摘した.
 選挙管理委員会は,治安問題を考慮してモスール市のほかスンニトライアングルの数都市で投票用紙箱を聞かなかったという話の方が,むしろ問題視される可能性がある.その結果有権者15000人ほどが投票の機会をなくしたという※1.

 得票数からみた議席配分は次の通り.

政党候補者数得票 議席

イラク・イスラム労働運動11143,205 2

クルディスタン同盟130 2,175,551 75

統一イラク同盟(シスタニ後援) 169 4,075,295 140

トルコメンイラク戦線 175 93,480 3

ラフィダイン(アッシリアキリスト教) 204 36,255 1

イラク(アル・ヤウェル大統領派) 255 150,680 5

国民民主同盟 258 36,795 1

イスラムクルド社会 283 60,592 2

イラクリスト(アラウィリスト) 285 1,168,943 40

和解と自由の党 311 30,796 1

共産党 324 69,920 2

国民選良幹部党(親サドル派) 352 69,938 3

合計 8,011,450 275

議席配分手続

イラクの国民議会議席275は,次の方法で配分される.

※ 有効投票数(8,456,266)を275で割り,まず得票数30750票で1議席とする.

※ 上記得票数に達しなかった党派は議席を確保できない.即ちきり棄てとなる.

※ その分だけ票数がきり棄てられ,8,011,450票を以て議席配分の基準数字とする.

※ それを275で割った数即ち29132票で1議席とする.

※ 上記計算で残った議席は,端数の一番多い党派に1議席加えてバランスをとり,275議席とする※2.

 予期されていたように,3派で議席の大半をおさえた.
 即ちクルド(130議席),シーア派(169議席),アラウィ派(185議席)である.この3派が投票数の87,6%を占めた.
 スンニ派が多数投票したとしても,3派の得票数は同じであったかも知れないが,全体に占める割合は小さくなっていたであろう.

-----------------------引用ここまで----------------------------------

ニムロッド・ラファエリ from MEMRI, 2005/2/16


 【質問】
 新生イラク軍の現状はどうなっているのでしょうか?
 装備も充実し,一通り軍隊としての体裁を整え終わったのか,
 それともまだ発展途上なのですか?

軍事板

 【回答】
 現在,イラク陸軍は10個師団整備終了.
 うち1個は機械化歩兵師団.
 他は軽歩兵師団.
 さらに2個師団の増設中.
 また,家族というか部族のもとを離れた地域に部隊を送り込む能力を確保するための制度や,減耗を補うために人員規模を拡大している.

 支援については自動車輸送連隊を9個整備しているほか,国家全域への補給廠も整備.

 空軍は小規模.
 輸送隊が将来的にはC-130 6機となる.
 このほか哨戒ヘリ,哨戒専用機などもあり.

 海軍も小規模.ごく小規模の海兵隊もある.

 この手の話は警察,施設警備隊なども含めて,DoDのサイトで4半期毎の議会向け報告書の一般公開版があるので,それを読むと分かります.

軍事板

 この件については,
Creating an Iraqi Army from Scratch :Lessons for the Future
AEI:イラク軍をゼロから作るという経験,将来の為の教訓

By Col. Frederick Kienle, U.S. Army Posted: Friday, May 25, 2007

というページがある.
 これはちょと面白い書き物で,アメリカ軍の中の人が書いている,2003以降のイラク軍の育成に関わる試行錯誤の経過といったもの.
 イラク戦争で,アメリカ軍がバース党とシーア派の政府組織や軍を壊滅させた後に,全くゼロの状態から,選挙制度や憲法,イラク議会や警察,といったものと同じようにイラク軍を作り上げる為に,迷いながら苦労してきたことが伺える.

 これを読んでいると,ブレーマー暫定イラク統治の時代の,バース党排除などの判断がどの程度妥当であったかとか,考えることは多そうな.
 最強の多国籍軍があるとしても,自ら国を守り,自国の治安を確保する警察や軍無しにイラクの安定はあり得ない.
 その再構築の困難さや遅れが,イラクの大きな問題のひとつであった.
 その育成過程で,軍のアドバイザー(イラク軍に入り込んで助言できる人材)の果たした役割は重要である.
 そうしたことの果たせる人材が,将来の紛争でも重要であろう.

 これを読んでみると,初期のイラク暫定政権(ブレーマーCPA)はイラク国内の宗教対立紛争がやテロが深刻なレベルで起こるとは予想しておらず,イラク軍は国境警備などの対外的な対応のため必要という議論になっている.
 イラクの警察や軍をゼロにリセットした為に,隠れていた宗教対立テロなどが顕在化するチャンスを与えた,といえるのかも.

 また,占領統治軍がイラクの軍などの体制を再建する上で,アラビア語が大きなネックになっていることは明らかで,これは難しい課題.

ニュース極東板

 また,
The Real Surge
By DJ Elliott November 23, 2007 10:44 AM

によれば,2006年11月にマリキ政権は,治安改善の為にイラク軍の兵力増強が必要であると判断したという.
 イラク政府の作った計画は3個師団(division),5旅団(brigade),20大隊(battalion),およびイラク軍特殊部隊大隊(ISOF battalion)の追加である.
 政府はさらに既存のイラク軍の人員を110%増加させるとした.
 この計画の時点のイラク軍は10個師団,35旅団,102大隊で,ISOFが2大隊であり,多くのイラク軍の組織は人員充足率が65%程度であったという.

 この後,イラク軍は12師団,41旅団,123大隊および4大隊のISOFに成長した.
 イラク軍の増強の詳細について,表にしたものがあるので参照してほしい.
http://www.longwarjournal.org/multimedia/IA%20expansion.JPG

 アメリカ軍は2007年2月に追加した兵力を2008年6月に元に戻す予定であるが,その時点ではイラク軍は13師団,49旅団,154大隊,6個のISOFに成長している予定.
[・・・]
 計画によれば,2009年初旬にアメリカ軍イラクで10戦闘旅団に縮小する頃には,イラク軍は52旅団162大隊,7個のISOFに成長しているはずだという
 イラク軍には追加の武器装備,補給システム強化,技術大隊の創設が予定されている.
 アメリカ軍のイラク軍育成支援グループは,14000人から33000人に増加される.
[・・・]

ニュース極東板
青文字:加筆改修部分

イラク治安部隊のRPG-7射手
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 新イラク軍に配備される戦車は?

 【回答】
 近代化改装されたT-72が主力になる模様.
 また,M1A1 Abrams 戦車×140 両も保有する計画.

――――――
http://www.kojii.net/news/news090123.html

 DSH (Defense Solutions Holding, Inc.) は,DefenseNews の 2009/1/12号で
「イラクでは T-72 戦車×2,000 両の調達を計画しているが,そのイラクが DSH に対して T-91 戦車の近代化改修を発注した」
と報じた件についてコメント.
「アメリカ政府に対して,FMS (Foreign Military Sales) の提案は行ったが,まだ何も確定していない」
とのこと.(DSH)
――――――

 関連記事.
「Defence News」:イラク,2000両のT-72の購入を計画

以下,箇条書きで紹介.

・米国防総省と米防衛産業筋が明らかにした情報.
・イラクは米軍撤退後に備えて最大2000両の改良されたT-72戦車の調達を計画
・「T-91」に近代化される.*「T-91」の詳細は不明.ポーランドのPT-91「トワルディ」か?
・T-72はチェコ,スロバキア,ポーランド,ウクライナなどの東欧諸国から調達され,米国企業により近代化を受ける
・退役陸軍大佐のTim Ringgold CEOはT-72の近代化について,デジタルディスプレイ,新型通信機,赤外線暗視装置,レーザー照準装置を装備させると語る.イラク当局者は数週間以内に契約に署名するであろうと述べた.
・国防総省当局者は,取引が成功する可能性が高いとし,また現在149両の戦車を保有するイラク軍は,ここ数年で多数のT-72を含む2000両の戦車を購入する事を望んでいると述べた.FMS物件にて処理されるであろうとした.
・イラク国防省のワシントン駐在報道官はノーコメント.
・Tim Ringgoldによると,作業は2月から始まり数ヵ月後に引渡しが開始されるとしている.イラクは戦車1両につき300万ドルを支払う.
・イラクは2005年にハンガリーから77両のT-72を購入しており,ここ数ヶ月以内にアメリカからエイブラムズ戦車140両とストライカーAPCを400両を受領する.
・Tim Ringgoldによると,イラクは4000両の装甲戦闘車両とさらに多くのエイブラムズの調達を望んでいるが,改修されたT-72は1000万ドルのエイブラムズよりもはるかに安く,イラク軍をより低コストで武装させる事が出来るとした.また,イラク軍は2003年にアメリカ軍に破壊されるまでに2000両のT-72を運用していた経験があり,T-72には精通している事も指摘した.
・イラクの武装化は,アメリカの撤退後に力の空白が生じる事を防ぎ,イランなど隣国の脅威に対抗する事を可能とする.
・T-72については,市街戦での有効性を指摘すると共に防御力の不安を懸念するアナリストもいるが,改装により米軍との共通性を高め,性能を向上させる事を肯定的に評価するアナリストも存在する.「近代化されたT-72 は,イランへの抑止力となり,国内の反乱勢力に対する強力な防御手段となるであろう」

 一方,こちらの報道ではロシアから購入すると報じられている.
イラク,2000両のロシア戦車を購入

 イラク政府は2000両の戦車を購入するロシアとの大規模な兵器取引を交渉しているとの事.
 しかし,より新しい戦車(記事ではT-82,T-92と表記されている.
 おそらくT-80,T-90か)ではなく,湾岸戦争やイラク戦争で大きな被害をこうむったT-72なのかは明確では無い.
 アナリストは,取引が透明性に欠け,賄賂や手数料など羽発生する事を懸念している.

軍事板
青文字:加筆改修部分

――――――
イラク向け M1 (DSCA 2008/12/10)

 米 DSCA (Defense Security Cooperation Agency) は議会に対して,イラク 向けに FMS (Foreign Military Sales) 経由で M1A1 Abrams 戦車×140 両 などを輸出すると通告した.
 すべてのオプション契約分まで実現した場合の 総額は,21 億 6,000 万ドル.
(以下略)
――――――

――――――
イラク,2000両のT-72の購入を計画

 Tim Ringgoldによると,イラクは4000両の装甲戦闘車両とさらに多くのエイブラムズの調達を望んでいるが,改修されたT-72は1000万ドルのエイブラムズよりもはるかに安く,イラク軍をより低コストで武装させる事が出来るとした.
 また,イラク軍は2003年にアメリカ軍に破壊されるまでに2000両のT-72を運用していた経験があり,T-72には精通している事も指摘した.
――――――

 米軍が改造したT-72が光臨するのか!?
 かつての敵であった戦車を改造して配備させるとは・・・時代も変わりましたなぁ.
 東欧諸国の魔改造T-72を参考にするのなら,個人的にはポーランドよりもチェコのT-72CZを!

軍事板
青文字:加筆改修部分


 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ・∀・)< エイブラムズは高いし扱いづらいからT-72の方がイイヨ
 ( 建前 )  \_______________
 | | |
__(__)_)______________
 ( _)_)
 | | |
 ( 本音 )  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( .A.)< T-72がお似合いだぜwww 歯向かった時に楽だからなwww
  ∨ ̄∨   \_______________

CRS@空挺軍 in mixi,2009年02月07日08:08


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