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「Times of India」◆(2012/12/09)We will
never recognize Israel, Hamas leader says
in Gaza speech
「VOR」◆(2012/12/09)ハマス:イスラエルを承認しない
「VOR」◆(2013/03/14) アッバス氏 モスクワでプーチン大統領と会談 パレスチナとイスラエルとの和平交渉再開を議論
「VOR」◆(2013/04/02) ハマスのリーダー,政治局長に再選される
「WP」◆(2011/06/19)Senior Hamas leader says armed resistance best way to fight Israeli occupation
「中東の窓」◆(2013/04/02) ハマス政治局長の再任
「中東の窓」◆(2013/09/16) エジプトとハマスの敵対関係
「日本語で読む中東メディア」:2009/08/17コラム:ハマースによるイスラーム主義グループ掃討作戦 (al-Hayat紙)
「ワールド&インテリジェンス」◆(2012/11/25) ハマス 1996
【質問】
ハマスとは,どのような組織か?
【回答】
★ハマス HAMAS
名称はイスラム抵抗運動(Harakat al-Muqawwima
al-Islamiyya)のアラビア語の頭文字から取ったもの.
「炎上」「熱狂」という意味も.
1982年,ムスリム同胞団のアハマド・ヤシン師が,ガザにおいて個人の資格で組織化に着手.
かねてよりガザ地区に組織構築の必要性を認めていた同胞団はこれを承認,バックアップした.
初期の段階では(PLOの対抗馬として育てるべく)イスラエル当局のサポートもあったと噂されるが…
当初は社会福祉を目的とした非政治団体だったものの,やがて過激な武装組織を抱えるようになり,活動は徐々に先鋭化していく.
1987年12月8日,ガザ地区で起こった交通事故から偶発的にインティファーダ(蜂起)が発生,占領地全土へと拡大.
これを見たヤシン師は,大衆運動のパワーを組織に取り込むべく,ハマスを結成する.
インティファーダ自体は徐々に失速していくが,これに取って代わるようにハマスの活動は盛んになっていく.
あくまで建前は非武装闘争であったインティファーダと異なり,ハマスは軍事革命を目指し襲撃隊を組織.
攻撃対象はイスラエルはもちろん,それに与するパレスチナ人,またイスラムに反する行動を取った者まで含まれ,売春婦狩りなど壮絶な血の粛清も行っている.
これに伴い,89年,ハマスは非合法化された.
さて1990年8月,イラクはクウェートに侵攻,これに対抗して米軍がサウジへ展開,翌年1月の湾岸戦争へと繋がっていくが,当然にパレスチナも,その影響を受けた.
「リンケージ」という見え見えの罠に嵌り,また反イスラエルを叫ぶ民衆の声も無視できず,PLO議長アラファトは「イラクへの理解を表明」という大悪手を打ってしまう.
激昂した湾岸諸国はPLOへの援助を打ち切り,自国からパレスチナ人労働者を追放.
このことは,決して豊かとは言えないパレスチナにとって,経済的に大打撃となった.
一方の湾岸諸国,PLOへの援助は止めたものの,じゃあ彼の地をほったらかしでいいのかと言えばそうもいかないので,代替の援助対象として選ばれたのが他ならぬハマスである.
こうしてハマスには潤沢なオイルマネーが流れ込み,組織は急成長を遂げた.
1993年,PLOはオスロ合意にて,対イスラエル武力闘争を放棄.
この「歴史的和解」に断固,異議を唱えたのがハマスであった.ハマスは「オスロ合意はシオニズムへの降伏」であると糾弾し,イスラエル解体,パレスチナ国家樹立の為の武力闘争の継続を宣言.
ここにイスラエルとハマスの血で血を洗う抗争劇が幕を開ける.
同時にPLOとハマスの対立も始まる.
96年3月,和平の行方を懸念したアメリカ他の圧力を受け,パレスチナ自治政府はハマス・メンバーの一斉逮捕を断行.400名以上が中央刑務所に送られた.
また当時は和平強調路線の成果が見えてきたこともあり,あくまで強硬路線を貫くハマスは,明らかに民衆の支持を失いつつあった.
98年,99年はハマスにとって,どん底の時期にあったと言ってもいいだろう.
一時は組織の弱体化に伴い,武力闘争の継続すら危ぶまれたハマスであったが,和平協調路線の停滞,イスラエルの横暴,自治政府の腐敗等に絶望した民衆の支持が,ブーメランのように戻ってきたことで,再び蘇ることになる.
以後,ハマスは自治政府の与党ファタハに対する,ある種の野党的な存在としての地位を固め,自治区住民の不満の受け皿となってゆく.
現状では,イスラエル=自治政府間の和平が進展を見せると支持を失い,逆に平穏が失われると支持が集まるといった具合で,非常に分かり易い(ゆえに武力闘争に固執するという面もある).
★ハマスの組織
主なスポンサーでは,サウジアラビアを代表とする湾岸諸国,イランなどの名前が挙げられている.
また,シリア,スーダンに支部を設けている.
基本的に一国イスラム革命主義を採り,海外での活動は限定的.
政治部門…
穏健派.社会福祉を担当.住民に教育,医療,法律相談等を無償で提供している.
また武力闘争で戦死した兵士の遺族や,イスラエルによって損害を被った住民に対する物質的・精神的,両面でのケアも行っている.
ムスリム同胞団の色が濃く,選挙への参加やファタハとの共闘を主張.
和平路線が進展を見せると,テロ活動の中止を宣言したりする(大抵の場合,軍事部門に破られるが).
軍事部門…
強硬派.武力闘争を担当.イスラエルや融和派住民に対し,様々なかたちで攻撃を行う.
和平路線を断固として拒否.鳩が飛びそうになると集中的にテロを起こして妨害する.
イスラム聖戦,ヒズボラと関係が深い.
警察や情報機関の追及をかわす為,細胞単位で活動しており,悪名高きイズ・アッディーン・アル・カッサム旅団も,構成メンバーは30名以下と言われている.
よく,反イスラエル・デモなどでカラシニコフを振り回しているおっちゃんがいるが,ありゃ単なるシンパである.勘違いしないように.
一連の徹底した取り締まりで実態は弱体化しており,防護壁の完成以降,イスラエルの損害は激減している.
2指導者の暗殺に対しては,「100倍返ししちゃる」と意気込んでいるが,実現はかなり厳しいと思われる.
★ハマス憲章「ミサーク」/1988年8月18日発表
第1章 第5条
ハマスの最終的目標はムハンマドをモデルとし,クルアーンを憲法とするものである.
そのためハマスの規模はムスリムのいるところ全てに広がる.
第7条
イスラム抵抗運動は,一連の反シオニスト侵略闘争のひとつである.
第3章 第11条
パレスチナの地は未来のイスラム世代に捧げられたワクフ(宗教寄進財産)地である.一片たりとも放棄してはならない.
第13条
いわゆる平和的解決はイスラム抵抗運動の諸原則に反する.
第15条
敵が占領しているイスラム領土を解放するため,ジハードがイスラム教徒の義務である.
第17条
シオニズムの反イスラム運動に加担する邪悪なものは,イスラムが権力を把握した暁,すべて抹殺される.
第4章 第32条
イスラム抵抗運動は,戦争挑発者のユダヤ人と世界シオニズムに対する大衆闘争の尖兵である.
上は抜粋であるが,ハマスの最終目的であるイスラムに基づく国家建設,イスラエルの解体,和平路線の否定が明確に記されている.
これらの項目は,パレスチナ人の中に存在する多くの世俗的な人間,現実主義者,キリスト教徒には受け入れ難いものであり,ハマスの限界を示しているとも言えよう.
★ハマスの指導者たち
アブデルアジズ・アル=ランティーシ…
1947年?,イスラエル南部のヤブネで生まれる.
幼少時に難民としてガザに逃れ,長じてエジプトのアレクサンドリア大学で医学を学ぶ.
専門は小児科だそうだが,物騒なドクターもあったものである.
この頃からムスリム同胞団に参加.過激派とも関係を持つ.
ハマスを創設した7人のうちのひとりで,ヤシン師の存命中はスポークスマンを務める.
組織内でも最強硬派に属し,「スペインから新疆(中国)までの統一大イスラム国家建設」を主張.
ヤシン師暗殺に伴い,最高指導者の地位に就くが,(本人も言うように)師の後を継げるほどの器ではなかった.
ファタハとの対話ではオスロ合意の破棄を迫り,イランやヒズボラに対しては実力行使を要請するなど,あまりな強硬姿勢がイスラエル当局の懸念を買い,あっさりと消される.
マフムード・アッザハル…
現最高指導者.
かつては強硬派であり,イスラエルの暗殺対象となっていた.
2003年9月,IAFのF16戦闘機の爆撃により自宅を吹き飛ばされ,長男を失っている.
その後,穏健派に転向.ランティーシの最高指導者就任についても,強く異議を唱えた.
イスマイル・ハニヤ…
組織のスポークスマンを務める.
穏健派にして現実主義者.ファタハとの共闘の道を探っている.
ハレド・メシャル…
政治部門の指導者.今となっては数少ない強硬派の生き残り.
イスラム世界革命を主張する.
ランティーシの最高指導者就任に伴い,ガザ地区の指導者に任命されるが,今はシリアの首都ダマスカスに在住.
イスラエルのエズラ無任所相から,「(ランティーシの)次はお前の番だー」と名指しされている.
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ハマスは,表向きはインティファーダの発生を静観していたムスリム同胞団が,闘争に参加するための別組織として1988年2月に設立したものの,急速に高まった民衆蜂起の中,瞬く間に本体の同胞団を飲み込んでしまった,という経緯で成立した組織である.
ハマスは創設日をインティファーダ発生前後の1987/12/14としているが,これは「公式発表」である.
創設の中心となったのはアハマド・ヤシンで,彼は88年8月に「ユダヤ人に対する聖戦」を宣言し,インティファーダ闘争指導部を設立.
さらにハマスは,その地下組織である軍事部門「イッザルディン・アル・カッサム旅団」を中核に,テロ行為を激化させた.
ヤシンは,89年5月のイスラエル兵誘拐事件に連座,活動家260人と共に投獄される.
主な資金源はサウディアラビア財団,サウジ情報部,海外パレスチナ人,イランからで,アメリカ(ダラス,ニューヨーク,スプリングフィールド,シカゴ,カンザスシティ)およびロンドンなどにも支部があり,そこからの資金も流入している.
90年の湾岸戦争も,ハマス急成長に一役買った.ムスリム同胞団とのライバル関係から,それまでPLOをメインに支援していたサウディアラビアが,イラク寄り発言を繰り返したアラファトに腹を立て,支援相手をハマスに変えてしまったのだ.
ハマス側も,これを巧妙に利用した形跡がある.ライバルPLOとの主導権争いに勝利するため,あえてサウディ批判を控えたのだ.
そのため,一気に潤沢な資金が流れ込んだハマスは,組織基盤を整備,地下抵抗運動のための兵員・武器を充実させることができた.
先行の「イスラーム聖戦」などが,いつまでもシャカキ派によるセクトの域を脱せずにいる中,ハマスはいち早くパレスチナ抵抗運動の主役に浮上したのである.
イスラエル治安当局は,これに相当,危機感を抱いたと思われる.
取締りを強化すると共に,92年12月には,ハマスと「イスラーム聖戦」の過激活動家423人を陸路レバノンに追放するなどの措置をとった.
結果的に言うと,このレバノン追放が,新たなテロ予備軍を大量に作ってしまったことになる.パレスチナのイスラーム過激派が,シーア派過激派のヒズボラと本格的に共闘するきっかけを与えてしまったからだ.
湾岸戦争でサウディのイスラーム過激派支援がストップした間隙に,スンニー派組織への接近をイランは図ったが,このイランの戦略にマッチしたのが,このときのハマスと「イスラーム聖戦」だった.
イスラエル当局の締め付けが強化されていた92年10月,既にハマス代表がテヘランを訪問,イランの支援を取り付けていたが,これを受けたイランは,直接的には配下のヒズボラに,彼らへの支援を指令.
これにより,ハマスと「イスラーム聖戦」は,レバノン内のヒズボラ・キャンプで軍事訓練を行うようになる.
イラン=ヒズボラの殉教思想が,ハマスと「イスラーム聖戦」に強烈に植えつけられたのは,この頃だったと考えていいだろう.
(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕
「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.162-165,抜粋要約)
ハマスが勢力を拡大していく過程では,意外なことにその仇敵が手を貸したという説が,現在では有力だ.
ハーマン・アイルツ元駐エジプト米国大使は,
「モサドはPLO主流派ファタハと対抗させようとしてハマスの勢力拡大を支援した.そしてハマスをモンスターに育ててしまったのだ」
と指摘したことがある.
イスラエル人やパレスチナ人の専門家にも,こうした見方を取る者は多い.
(中西俊裕=日経新聞国際部記者 from 「だれでもわかるイスラーム」,
河出書房新社,2001/12/31, P.71)
2004/9/19,ガザ地区で走行中の車へのイスラエル軍ミサイル攻撃により,ハマスの軍事部門「カッサム部隊」幹部が死亡.
2004/10/14には,国防軍がヘブロンでハマス幹部のカワスメを逮捕.潜伏先を包囲したところ,全く無抵抗で投降した.自白により,ハマス組織の全容が明らかになると期待されている.
2004/11/21には,イスラエル軍は21日,ガザ地区を空爆し,イスラム原理主義組織ハマスの軍事部門幹部,アドナン・アルグール氏(45)を殺害.
目撃者によると,ガザ市で同氏の車をロケット弾が直撃,側近と共に死亡した.
同氏は1987年以来,イスラエルが行方を追っていた大物の一人.イスラエルやユダヤ人入植地に撃ち込まれ,シャロン政権に脅威となっていたロケット「カッサム」の生みの親としても知られていた.
イスラエル軍によると,同氏はハマス軍事部門のナンバー2だった.コーヒーによる毒殺など,数度にわたり暗殺未遂事件に遭ったが,イスラエル軍による追求の手を逃れていた.
同氏の死は,ハマスにとって打撃になると見られる一方,ガザ地区撤退を推し進めるシャロン首相にとっては,反対している極右勢力への反撃となる可能性もある.(ロイター)
2004/12/5,IDFはツルカームでハマス幹部のテイクを逮捕.
2005年11月15日,IDFがナブラスで爆弾工場摘発作戦を実行中,銃撃戦となり,ハマスの指導者ヒナウィを射殺.
ツルカームではIDFがハマスの司令官サラヒディンを殺害.
(新聞報道)
自治区のアル・アッヤム紙は2005年5月3日付でPA治安機関が,ロケット発射準備中のハマス軍事部門アル・カッサム隊メンバー3名を逮捕,と報じた※71.
ところがハマスは,逮捕されたのは1名で,それもすぐに釈放された,と主張している.
PA内務省の発表によると,エジプト大使館の介入と後押しのもとでハマス指導部と長時間話合った後,その人物は釈放されたという.
ハマスのスポークスマン,アブ・ズヘイリは,逮捕に正当性なしと主張し,
「武器を並べ,あたかもテロ細胞から押収したかのようにメディアに見せた」
としてPAを非難した.
アブ・マゼンは,この事件にかかわった幹部の処罰を求め,紛争は武力ではなく直接の話合いで解決せよと呼びかけた※72.
5月18日,PA治安部隊がハーンユニスからイスラエル人居住地への砲撃を阻止しようとした.それに対してハマス活動家は治安部員に発砲し,3人を傷つけた※73.
※「71」Al-Ayyam (PA), May 3 ,2005.
※「72」Al-Ayyam (PA), May 4 ,2005.
※「73」Al-Ayyam (PA), May 19 ,2005.
(C・ジェイコブ=MEMRI研究員,MEMRI, 2005/5/24)
【質問】
イッザルディン・アル・カッサム旅団とは?
【回答】
1993年,PLOがイスラエルとの電撃的和解に乗り出すと,ハマスは,国内随一の対イスラエル抗戦派という看板を手に入れ,更に支持を増やしていった.
その頃,ハマスは既に一つの方針を取り入れていた.「目に見える行動」,つまり政治運動・慈善運動・投石デモなどを指導する「政治部門」と,「目に見えない行動」,つまり地下に潜行してテロを行う「軍事部門」を分離したのである.
その後者がイッザルディン・アル・カッサム旅団である.組織名は,第2次大戦前に活躍,殉教者となったシリア出身の反ユダヤ活動家の名前に因む.
こうした組織運営のおかげで,テロ部門は潤沢な軍資金を獲得しながら,完全な秘密部隊として効率的にテロを遂行できるようになっていったの.
軍事部門と言っても,カッサム旅団はテロのみを行う部隊だった.
この時期,占領地の投石デモなどでは,よく自動小銃を掲げた覆面のハマス支持者達が登場したが,あれはカッサム旅団メンバーではない.カッサム旅団メンバーは数十人程度に制限され,その正体は完全な秘密事項とされた.
強力なイスラエル情報機関から逃れるため,細胞単位で活動したが,その一つが,ヨルダン川西岸北部を拠点とする別働隊アブドラ・アザム部隊だった.アブドラ・アザムは,パキスタンでアフ【ガ】ーン義勇兵の組織化を指揮したとして知られるヨルダン人であり,この組織名からは,メンバーがアフ【ガ】ーン帰還兵であることが推測される.
治安当局の追撃を受けるカッサム旅団は,その後方支援拠点を国外に置いていたようだ.
湾岸戦争後のイラクからパレスチナ人が大量流入したヨルダンの,ハマス・アンマン支部がこの時期,ハマス過激勢力の牙城となっており,カッサム旅団がその指導部と連動していた可能性は高い.
ヒズボラの影響を受けたことは確実だが,スンニー派のカッサム旅団が,どのようなきっかけで実際に自爆テロの道を選ぶようになったのかは分かっていない.
ただ,イラン=ヒズボラと接近した当時のカッサム旅団は,イスラエル当局の猛烈な追撃を受けており,1993~94年の時期,既に凄まじい戦いの中に両者はあった.
司令官にしても,ハミド・クリナウィが93年10月,イマド・アケルが同年11月と,次々とイスラエル軍に殺害されている.カッサム旅団は追い込まれていたのである.
94年2月に発生した「ヘブロンの虐殺」も,大きなきっかけの一つだっただろう.極右ユダヤ主義テロ組織「カハネ・ハイ」のテロリストが,ヘブロンのアル・イブラヒム・モスクで自動小銃を乱射,パレスチナ住民29人を殺害した事件だ.
カッサム旅団が「イスラーム聖戦」と競うように連続自爆テロを仕掛けたのは,94年10月からだ.
初めはテルアビブのバス車内で遂行され,続いて
同年11月にガザ,
95年1月にネタニヤ(「イスラーム聖戦」が実行),
同年4月にガザ,
同年7月にテルアビブ,
同年8月にエルサレム,
とそれは続いた.
その間,イスラエル治安当局によるイスラーム・テロリスト狩りも行われた.
カッサム旅団司令官タヘル・カファシナフが95年6月にイスラエル軍特殊部隊により殺害されると,同年10月には,「イスラーム聖戦」司令官ファティ・シャカキが,滞在先のマルタでイスラエル情報部により暗殺.
翌96年1月には,「カッサム旅団で最も危険なテロリスト」と言われていた爆弾製造専門家ヤヒヤ・アヤシュ(通称「エンジニア」)がガザに潜伏中,イスラエル情報部により爆殺.
アヤシュ暗殺は,結果的に自爆テロの火に油を注いだ形になる.アヤシュの配下達は「ヤヒヤ・アヤシュ門下生」という組織名を名乗り,96年2月~3月の2週間の間に,エルサレム,テルアビブ,アシュケロンの連続4件の自爆テロで,計65人を殺害(1件のみ「イスラーム聖戦」との共同作戦).
これらの集中的無差別テロには,イスラエルだけでなくパレスチナ警察も捜査に乗り出したが,その結果,イランからカッサム旅団に数百万ドルの資金援助が行われていることが突き止められ,アラファトもイランを名指しで非難.
一方,イスラエル当局は800人以上の容疑者を逮捕.連続自爆テロはひとまず収まった.
その後もイスラエル当局によるカッサム旅団狩りは続けられ,1996/4/20には副司令官アドナン・グール,5/17には連続自爆テロの主犯ハッサン・サラメが逮捕されている.
自爆テロで狙われたのは,殆どが休日のスーパー・マーケットだったり,満員のバスだったりと,およそ軍事目標とは言えない標的だった.
競われたのは,ただひたすら「どれだけ多くのユダヤ人を殺せるか」であり,そこには殉教思想の熱情より,復讐の暗い怨念が感じられた.
自爆テロの実行犯は当初,その多くが組織に一本釣りされた,「肉親をイスラエルに殺された若者」だった.オルグは,ヘブロン周辺のダヒリア,ファウワル難民キャンプ,ジェバリア難民キャンプなどでしばしば行われた.
それがいつしか,「普通のインテリ学生」が加わるようになっていく.若者が染まり易いのは,どの運動も同じだ.
(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕
「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.165-170,抜粋要約)
ラファでIDFの銃撃によりパレスチナ人青年3名が死亡すると,カッサム隊(`Izz
Al-Din Al-Qassam)は,イスラエルの居住地にロケット及び迫撃砲を数十発撃ちこんだ※64.
ハマスのスポークスマンアブ・ズヘィリ(Sami
Abu Zuheiri)は
「若者3名の殺害は鎮静の重大違反である.
我方と抵抗勢力は,この敵対行為に対する反撃権を保有する」
と言った※65
※「64」Al-Quds (Jerusalem), April 8 ,2005
※「65」Al-Quds (Jerusalem), April 10 ,2005.
(C・ジェイコブ=MEMRI研究員,MEMRI, 2005/5/24)
【質問】
イランは,ハマスのテロにどの程度関与しているか?
【回答】
ワシントン・タイムスによれば,「サウジ
アラビアが現在,米政府に協力してハマスへの資金援助をやめているので,
イランがそのすき間に入り込んできた」とされている.
現在のイスラエル・パレスチナ紛争が2000年9月29日に始まって以来,イスラ
エルは警戒心をもって,イランと(イラン政府の代理人を務める)ヒズボラが武
器の供与,訓練,そして,パレスチナ人への補給サポートの面でますます活発な
役割を果たしているのを見守っている.
ヒズボラは,ヨルダン川西岸やガザ地区 のパレスチナ人に武器を密輸するための大掛かりな企てに数回関与している.
例えば,2002年1月,イスラエルは,カリンA号を拿捕(だほ)した.同号は,ヒ
ズボラによって訓練を受けた乗組員を乗せてイランから出航した.
5月にはイスラ エルは,爆弾の材料やヒズボラの爆発物作りのプロを乗せた船がレバノンからガザに向かうところを逮捕した.
同組織はまた,レバノンの売薬業者を使い,
イスラエル系アラブ人を集めて諜報活動に従事させた.
対イスラエ ル攻撃のためのイラン政府によるパレスチナ人募集の一環と
して,見掛け上人道目的の組織を作り,イスラエル人によって負傷させられたパレスチナ人をイランに空輸するのにこれを使った.
そして,イラ ンで彼らはリクルートされ,ヒズボラに入れられた.
その後彼らは,対イスラエル攻撃を実施するためにヨルダン川西岸に送り返された.
ヒズボラは,2002年3月 27日,ネタニヤのホテルで行われた過ぎ越しの祭りの祝宴で起きた29人皆殺し事件を含む自爆攻撃に使うための爆弾作りをハマスがするのを手伝った.
もっと最近では,ヒズボラとハマスは,10人のイスラエル人を殺害した3月
14日自爆事件を計画した.ハマスとアルアクサ殉教者旅団によって遂行されたその襲撃の目的は,港で可燃性材料を爆発させることだった.
イランはヒズボラに年間約1億ドルの援助金を与えている.ハマスは3000万ド
ルの運営費を持っていると伝えられる.
昨年の夏には,その資金の半分以上がサ ウジアラビアから来た.
米国とイスラエルの役人によると,その時以来,サウジ
アラビア人は,テロ・グループに送金していた民間の慈善団体の取り締まりを開
始したのだと言う.
「ワシントン近東政策研究所」でテロの研究をしている上級研究員のマシュー
・レビット氏によると,問題はイランがハマスへの援助を増やすことによって減っ
た分のギャップの穴埋めをしたらしいことだという.
その援助はハマスの運営費 の10%からおそらく50%以上に跳ね上がっているだろう.
イランはまた,パレス チナ人のイスラエル攻撃を奨励するための金銭的刺激策を制度化した.
〔略〕
With Saudi Arabia now cooperating with
Washington to halt funding for Hamas, Iran
has stepped in to fill the void.
Since the current Israeli-Palestinian
conflict began on Sept. 29, 2000, Israel
has watched with alarm as Iran and Hezbollah
(acting as Tehran's proxy) have taken an
increasingly active role in providing arms,
training and logistical support to the Palestinians.
Hezbollah has been involved in several large-scale
attempts to smuggle arms to the Palestinians
in the West Bank and Gaza. In January 2002,
for example, Israel intercepted the Karine
A, which sailed from Iran with a crew trained
by Hezbollah. In May, Israel seized a boat
carrying bomb material and a Hezbollah explosives
expert, as it sailed from Lebanon to Gaza.
The organization has also used Lebanese drug
dealers to recruit Israeli Arabs to engage
in espionage operations. As part of Tehran's
effort to recruit Palestinians to carry out
attacks against Israel, it created an ostensibly
humanitarian organization to fly Palestinians
wounded by Israel to Iran, where they were
recruited to join Hezbollah. They were then
sent back to the West Bank in order to carry
out attacks against Israel. Hezbollah has
helped Hamas build bombs for suicide attacks,
including the March 27, 2002, massacre of
29 persons at a Passover seder at a Netanya
hotel.
More recently, Hezbollah
and Hamas planned the March 14 suicide bombing
that killed 10 Israelis. The purpose of that
attack, which was carried out by Hamas and
the al Aqsa Martyrs' Brigade, was to detonate
flammable materials in the port.
Iran provides Hezbollah
a subsidy of approximately $100 million a
year. Hamas reportedly has a budget of $30
million -- last summer, more than half of
that money came from Saudi Arabia. Since
that time, American and Israeli officials
say, the Saudis have started to crack down
on private charities that were funding terrorist
groups.
The problem, according
to Matthew Levitt, senior fellow in terrorism
studies at the Washington Institute for Near
East Policy, is that Iran has apparently
stepped in to fill the gap by increasing
its assistance to Hamas, which has jumped
from 10 percent to possibly more than half
of the group's budget. Iran has also instituted
a system of financial incentives to encourage
Palestinian attacks against Israel.
〔略〕
【質問】
イスラエルに暗殺されたハマスのヤシン師とは,どのような人物か?
【回答】
〔略〕
Yassin is lionized in certain quarters of
the media as a Muslim spiritual leader, but
his enduring legacy is the skill he exercised
to motivate Muslims to kill Jews by killing
themselves.
ヤシンはある方向の一部のメディ アによって,イスラムの精神的指導者などと持ち上げられている.しかし,彼の不朽の遺産は,自殺によってユダヤ人を殺害するようイスラム教徒をけしかけるために用いた手管である.
Since the current war
began on September 29, 2000, Hamas, under
Yassin's leadership, has carried out more
than 400 attacks, in which it killed 377
Israelis and wounded 2,076 others. (This
would be equivalent to killing nearly 19,000
Americans and wounding 100,000 others over
41 months.) This includes 52 suicide attacks,
in which 288 persons were killed and more
than 1,600 wounded. Civilians, not Israeli
soldiers, were Yassin's preferred targets.
Teenagers at discotheques, families dining
at pizzerias, students and workers on commuter
buses and families sitting down for Passover
seders were among those killed in terrorist
bombings blessed by Yassin and carried out
by Hamas.
2000年9月29日に現在の戦争が始まって以来,ヤシン指導の下,ハマスは,400
回以上の攻撃を実行し,その間,377人のユダヤ人を殺害,2076人を負傷させた.(これは米国人口比に直すと,3年5カ月間に米国人1万9000人近
くを殺害し,他に10万人を負傷させたことになる――〔日本人口で考えるなら,約1万人が殺害された計算〕).
これには自爆攻撃52件が含まれ,ために288人が殺され,1600人以上の一般市民――イスラエル兵ではなく――が負傷した.ヤシンが民間人を好んで標的にしたからである.
ディスコの10代の若者,ピ ザ・レストランで食事中の家族,通勤バスに乗っていた学生や勤め人,そして,
「過ぎ越し」の祝いの席についていた家族などが,ヤシンに祝福されたハマスの爆弾テロで死亡している.
〔略〕
Israel is embroiled in an existential conflict
with Hamas -- a terrorist group committed
to wiping the Jewish state off the map. Just
as the United States is determined to kill
bin Laden and senior al Qaeda operatives
before they kill more Americans, Israel understands
that it must do the same to Hamas' leadership.
"It is the natural right of the Jewish
nation, as it is the right of any people,"
Prime Minister Ariel Sharon rightly said,
" ... to hunt down those who wish to
exterminate them."
イスラエルは,ユダヤ人国家を地図から消し去ることに余念のないテロ集団で
あるハマスとの生存をかけた闘争に巻き込まれている.ちょうどビンラ
ディンやアルカイダの幹部工作員に,これ以上米国人が殺されないうちに,米国
がそういった連中を殺そうと決意しているのと同じように,イスラエルもハマス
幹部に同じことをしなくてはならないと理解している.
アリエル・シャロン首相は正確に述べている.
「皆殺しを願っている者を追い詰めることは,万人の権利であるように,ユダヤ国家の生得の権利である」
After Israel jailed Yassin
for ordering the kidnapping-murder of Israeli
soldiers in 1989, it tried the conciliatory
approach with this arch-terrorist. In 1997,
during the Oslo peace negotiations, Palestinian
Authority Chairman Yasser Arafat successfully
persuaded Israel to release Yassin, arguing
that he would work to subdue violence. He
did precisely the opposite, and used his
freedom to travel to Saudi Arabia to raise
money to finance more terror.
1989年にイスラエル兵に対する誘拐・殺人を命令したかどでヤシンを投獄した後,イスラエルはこのテロリストの親玉に融和的アプローチを試みた.1997年,
オスロー和平交渉の最中,ヤセル・アラファト・パレスチナ自治政府議長は,暴力を抑えるよう働き掛けると言ってイスラエルを説き伏せて,ヤシンを釈放することに成功した.
ところが,彼は正反対の行動に出て,自由の身を利用して,よ
り多くのテロへの援助資金を調達するためにサウジアラビアに出掛けたのだった.
Defenders of Hamas argue
that terrorism is only one part of the Yassin
story, that the extensive network of schools
and social services managed by Hamas are
more important. They misunderstand the reality
that for Hamas -- like other fascist movements
-- such services are to lure the unsuspecting,
and for exerting control over them. (Mussolini's
Fascist Party and Hitler's Nazi Party provided
extensive social services, too.)
ハマス擁護者は,テロ行為はヤシンの人物像の一面にすぎず,ハマス
が管理している,広範囲な学校や社会奉仕のネットワークの方がもっと重要である
と主張する.
そう言う人は,ほかのファシストの活動でも見られるように,ハマ
スにとって,そのような奉仕活動が,疑うことを知らない人たちをおびき寄せ,彼らを支配するためのものだという現実を,見誤っている.(ムッソリーニのファシスト党やヒトラーのナチ党も広く社会奉仕を行なった).
Yassin's social work was
similar to "the good works" of
Mafia boss Al Capone, renowned in certain
neighborhoods for his contributions to Chicago
charities, such as helping orphans and the
poor. But Capone was a thug and a murderer,
who destroyed untold lives -- just like the
properly executed Sheikh Ahmed Yassin. March
25, 2004
ヤシンの社会事業は,孤児や貧困者援助のようなシカゴの慈善事業に対する貢献で,ある一定
の近隣社会には知れ渡っていた,マフィアの親分,アル・カポネの「善行」に似ている.
しかし,カポネは無数の人命を奪った 凶悪な殺し屋だった――まさしく,正当に処刑されたシェイク・アフメド・ヤシンと同じように.
(ワシントン・タイムズ, '04 Mar. 25)
★アハマド・ヤシン師 Sheikh Ahmed Yassin
1935年,ガザ地区のアル・ジョウラ村で生まれる.
16歳の時に,サッカーの試合中に大怪我を負い,全身麻痺.以後,車椅子の生活を余儀なくされる.
長じて教職に就くが,1960年代中頃からのアラブ社会におけるナセリズムの高揚に影響を受け,イスラム主義団体「ムスリム同胞団」に参加.
80年代から反イスラエル闘争の指導者として台頭.
83年に禁固13年で投獄される.
85年に捕虜交換で釈放されると,ムスリム同胞団パレスチナ支部幹部の数少ない過激導師として,ガザを拠点に活動を続ける.
87年12月に占領地の民衆による蜂起「インティファーダ」が始まると,ムスリム同胞団も住民と共に立ち上がるべきだと主張.
88年2月,最高指導評議会黙認の下,別組織としてハマス結成.事実上の最高指導者となる.
88年8月,インティファーダの火がさらに燃え広がる中,「ユダヤ人に対する聖戦」を宣言.ハマス内にインティファーダ闘争指導部を設立し,「武装闘争」路線を主導.
89年5月,イスラエル兵誘拐事件を首謀したとして逮捕され,ハマス活動家260人と共に投獄.ヤシンの量刑は,終身刑プラス15年.
97年9月,再び釈放.釈放のきっかけは,アンマンに侵入したモサド工作員2人が,ハマス政治局代表ハリド・メシャル暗殺に失敗し,ヨルダン治安当局に逮捕された事件.イスラエルは,ヨルダンに工作員引き渡しを願い出るが,その交換条件として示されたのが,ヤシンを含む56人のパレスチナ政治犯の釈放だった.
2対56の「捕虜交換」で釈放されたヤシンは,アンマン経由でガザに凱旋し,ハマス最高指導者として復帰.
呼称が「Spiritual Leader」とあるように,実務面で采配を揮っていたわけではなく,あくまで組織の精神的なバックボーンであった.
例えば,「イスラムでは自殺は罪っしょ?」というツッコミに対し,「自爆攻撃はジハードだから無問題オッケー」と答を用意したりするのが主なお仕事.
合議の席でも自らの意見は述べるものの,それを押し通すようなことはなかったようだ.
ガザにおいてヤシン師はアラファトに匹敵する偉大なるカリスマであり,清廉性という意味では,アラファトを遙かに凌ぐ指導者であった.
また,とかく各人がバラバラな方向を向いているハマスという組織において,それをなんとかひとつにまとめておくことができる,ただひとりの存在であったと言えるだろう.
(イスラエル国防相 ◆3RWR.afkME
&黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕
「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.170-172,抜粋要約)
【珍説】
■イスラエル――米国が暴走を許した
問答無用の暴挙とは,まさにこのことだ.
・・・
それだけではない.テロ組織に対する行動を含めて,イスラエルが自衛権をもつことをわざわざ表明したのだ.まるでランティシ氏殺害にお墨付きを与えたようなものである.そのせいだろうか,
今回の事件に対してホワイトハウスは明白なイスラエル批判を避けた.
朝日社説 Apr. 19, '04 http://www.asahi.com/paper/editorial.html
【事実】
朝日の言っているのはあまりに単純・単細胞の幼児的な問題分析.
この問題を巡る権力闘争(パレスチナ文民政府,ハマス,ヒズボラ,ファタ,イスラエル)の微妙な立場と思惑は,例えばフィナンシャルタイムズ↓が簡潔にまとめている
【質問】
今のハマス指導者のアッザハルは,まともなヤツなの?
【回答】
アッザハルは,息子をIAFの爆撃で殺されて以来,対イスラエル妥協派に転向してるぞ.
「妥協派」だと語弊があるなら,「停戦派」といってもいい.
その意味でいえば「まともな」後継者ではあるわな.
現幹部で威勢がいいのは,ダマスカスに引っ込んでるメシャルぐらいだ.
【質問】
なぜハマスは和平プロセスに反対するのか?
【回答】
ハマスの思想的リーダーの一人,マフムード・ハレド・アル・ザハール(50:当時)が,布施広に答えたところによれば,次のようになる.
・PA(自治政府)を組織するPLOへの不満.
「彼ら(PA)は,平和と呼ばれる状態に満足しているが,それはイスラエルの安全のための平和であって,パレスチナ人本来の平和ではない.PAは治安維持と称して,大量の,しかも無実のパレスチナ人を収監したり射殺したりしている.これは同胞に対する犯罪に他ならない.
PAは腐敗し,商人に成り下がっている.
彼らは最早,イスラエルが我々にしてきた事を非難する権利さえない」
「今,我々は1万7千人の(PAの)警察官を有し,一人当たり1400ドルも(給料を)払っている.
警察官は交通整理のために百人いればたくさんだ.
警察官に払う金をなぜ,農業振興や下水道などのインフラ整備に使わないのか」
「しかもPAは,正当に樹立された民衆の代表機関ではない.イスラエルとパレスチナ人との和平には,ファタハ(PLO主流派)の半分が賛成しただけだ.アラファトはPLO執行委員会と中央委員会で自派(ファタハ)の半分のメンバーの賛成を取り付けただけではないか.
その決定がなぜ,パレスチナ人全体の決定になるのか」
この辺は少し説明が必要である.
1993年9月の暫定自治共同宣言による,イスラエルとの和平や内定した自治構想には,PLO部内でも反対が強かった.
アラファトは,PLOの内閣に相当する執行委員会,パレスチナ人の国会(パレスチナ民族評議会,PNC)の代理機関である中央委員会(PCC)に諮り,対イスラエル和平を賛成多数で決める.国会たるPNCは開かなかった.
この辺は,アラファトの強い指導力,悪く言えば独裁性として,賛否相半ばする.
アラファト率いる最大派閥ファタハですら,大物のカドウミ政治局長(外相)が反対に回るなど,内訌の根深さを見せつけた.
「状況を変えるには選挙しかない.ただし,前提条件のない自由選挙だ.誰がパレスチナ人の代表たるべきかを投票で決めるのだ.
いわゆる暫定自治を追認するための選挙なら,我々は参加しない」
この発言の背景には,自由選挙で支持率を競えば,ハマスはPLOに勝つ,という自信がある.
実際,インティファーダの中で着実にハマスは支持者を増やし,商工会議所や労働組合の選挙などでPLOを凌ぐ力を持つに至った.
しかし,ザハールの言う自由選挙は,現実には実現不能なプランである.
イスラエル・PLOの合意によれば,先行自治から区域を広げた暫定自治に至る過程で,パレスチナ人の合議体「パレスチナ自治評議会」の選挙が必要になる.あくまで暫定自治を前提とした選挙だ.
ザハールの意見は,こうした一連のプロセスを白紙に戻せと言うに等しい.
・和平内容への不満
「どこに我々の自由があるのか.
イスラエルはなおガザの出入り口を管理し,アラファトでさえイスラエルからグリーンカード(通行証)を貰わなければ出入りできない.ここはパレスチナ人の土地だというのに」
なお,アル・ザハールはエジプト,アインシャムス大学で医学を学び,ガザのイスラーム大学付属看護学校代表を務める.
ただし,この意見はハマスの中でも強硬派の部類に入り,現実主義者も存在する.
(布施広「アラブの怨念」,新潮文庫,2001/12/1,P.39-42,抜粋要約)
【質問】
ハマスが求める問題解決の方法は何か? あくまでイスラエルと戦うつもりか?
【回答】
ザハールが布施広に答えたところによれば,以下の通り.
日本だって,国土はガザよりは広いが,それでも日本は,50年前に占領された島々(北方4島)の返還を求めているではないか.
我々は確かに物理的な力を求めている.
それは,イギリスやフランスの委任統治時代に引かれた境界を取り払うことで可能になる.パレスチナやヨルダン,シリアなどの境界は,我々が引いたものではない.アラブの国々は,英仏の植民地から作られたのだ.
アラブは本来一つであるべきだし,我々は世界中のイスラーム教徒との連帯を望む.
だから我々の構想実現には時間がかかる.小さな家に満足せず,言わば巨大なビルを建てようとしているのだから.
アラブの指導者達が,真に民衆を代表する人々であれば,我々はこんなに苦しむことはなかった.彼らは外国の圧力によってアラブに移植された指導者だ.アラブのどの国を見ても,民衆を代表する元首などいない.彼らは全て独裁的な暴君であり,イスラームを体現した国など,どこにもないではないか.
我々は植民地ゆえの病に苦しんでいる.それを治せる奇跡的な療法など,どこにもない.
(布施広「アラブの怨念」,新潮文庫,2001/12/1,P.42-43,抜粋要約)
【珍説】
2006年の総選挙が,民主的に選出されているということは,パレスチナ人民の意思がその背後にあるわけだ.
つまりパレスチナはハマスを支持しているのではなく,武力闘争を支持しているということだよね.
【事実】
これは明らかに違う.
選挙自体は(結果と併せ)まずまず正しく行われたと言っていいだろう.
ゆえにこれがパレスチナ人の選択であることは間違いない.
先ごろのイラクの選挙の時もそうだが,
「なぜ同情の対象となる立場の彼らが,我々より民主的な選挙を行っているのだろう」
と,エジプトだかの記者が嘆いていたのが,まそりゃおいといて.
パレスチナ人の中には過激な武力闘争を支持してる人もいるかもしれんが,大多数は戦争のない穏当な日々を望んでいるのであって,イスラエルを武力で駆逐できると信じてる者は殆どおらんだろう.
カッサムロケットで核に対抗できるわけがない.およそ現実性がない夢よりも,明日のおまんまだ.
ハマスのもうひとつの柱であるイスラム原理主義も,彼らと相容れるものではない.
他国に出稼ぎにいくことが多いパレスチナ人にゃ非イスラムの流儀に接した人間も多く,世俗派がかなりの割合を占める.今さらカリフ統治時代に戻れなんて言われても困るのだよ.
それに数が少ないとはいえ存在するキリスト教徒にとっちゃ,サラセン帝国の復活なんて悪夢でしかないしな.
じゃあなぜ人々はハマスに票を投じたのか? そりゃ現状への不満がたまりにたまってたからだ.
アラファト死去後に後を襲ったアッバスだが,いかんせん彼には権力基盤とカリスマがなかった.ファタハってのは元々さまざまなゲリラ組織の集合体にすぎないから,主義主張はバラバラで,ことあれば上のいうことに反抗する.
アラファトはそういう諸々を巧く操縦することで政局を乗り切ってきたわけだけど,アッバスにゃそういう芸当はできなかった.てか,できるのはアラファトぐらいだ(笑).
結局,身内による足の引っ張り合いで政治的には何一つできなかった.
また,縁故主義(nepotism)からくる腐敗の蔓延も挙げなけりゃならん.
“かわいそうなパレスチナ”には,欧米日をはじめ,世界各国から援助がじゃぶじゃぶ注ぎ込まれてるが,その殆どがファタハ幹部,その親族,メンバー他のポケットに入ってしまい,本当に国民の為になる…例えばインフラ整備などに回るのはごく一部という現実がある.
「なんでゲリラがキャデラックに乗ってるのだ?」
という指摘はずいぶん前からされてるよな.
縁故主義自体は世界中どこにでもあるものだが,中東地域のそれは極端で,まさにコネがないと何もできないってのが現状だ.
結果として恩恵にあずかれない人々の恨みのエネルギーを溜め込むことになった.
加えて,武装組織が武力を残したままで存在しているという問題点がある.
例えば政策に(かなりささいなことでも)不満があったとき,延暦寺の僧兵よろしく組織を挙げて強訴する.
具体的には近くの役所,警察,放送局を占拠したり….
その筆頭がアラファトの負の遺産でもあるアルアクサー殉教団だ.
取り締まろうにも(PAが持つ唯一の軍事力である)自治警察自体がやっぱり各種勢力の影響下にあるから,法の執行能力は殆どなかった.
ゆえに各勢力は思うが侭に振舞ってたのさ.
つまりパレスチナ自治区は法治国家として機能しておらず,フォーサイスいうところの「失敗国家」と化してたのだ.
さて選挙において,民衆の不満は行き場を探していた.
そこで選ばれた選択肢がハマス.
有権者の意思は「腐敗しきったファタハに鉄槌を加えよう」ってのが主であって,ファタハでなければ別にハマスでなくても良かったんだよ.例え日本社民党でも勝てたさ(笑).
ハマスも雑多な組織の集合体だけど,まだ一体性はある方だし,政治部門による社会福祉の実績はあるし,とりあえずまだ腐敗も目立たない.批判票を投じるにはまことに最適の存在だった.
ただ勝ちすぎちゃったことに問題があるわけで…,このランドスライドに青くなってるパレスチナ人も多いと思う.
ハマスとしても,限りなく第一党に近い第二党が理想だった.
巨大野党として政策に影響力を駆使しつつ,ファタハがヘタ打った場合は高らかに批判すればいいわけだからな.
だからこそ勝利確定後もファタハに大連立を呼びかけたり,諸派や無所属の連中を集めて政権を作らせようと粘ってたわけで.
与党になっちゃった以上,政権を担う責任てものが出てくる.
政策を実行したら,その結果は自分でかぶらなきゃならん.
ハマスの方も,現在の綱領を守ったまま国際社会の中でやってけるわけないってことぐらいはわかってる.
そこにジレンマが発生する.あっちを立てれば…ってやつだな.
あとは国政レベルの経験者が圧倒的に不足してるってのもネック.
今までは地方自治レベルが精一杯だったから,各種ポストは誰やるの?って話.
ゆえにファタハはニヤニヤしながらあっさりバトンを渡したのさ.「やれるものならやってみな」てね.
【質問】
ハマスがアル・カーイダと手を組む可能性はあるか?
【回答】
E. アルシェヒによれば,幾つかの点で困難だという.
(1)
ハマスは「パレスチナ全域にアッラーの旗を掲げる」を命題とする宗教・民族主義運動であることを強調しているのに対し,イスラーム過激原理主義はウンマ(イスラームの信仰共同体)以外のいかなる政治実体も認めず,個々のムスリム・ネーションやステートを認めていない.
そもそもハマスは,ジハードをパレスチナの外に「輸出」することに関心がない.
(2)
アル・カーイダは選挙という手法を認めていない.
このため,ハマスが2005年の地方議会選挙と2006年のパレスチナ自治政府の評議会選への参加を決定したことに対し,アル・カーイダは激しく非難している.
ちなみに,2006年1月エジプト(国民議会)選挙にムスリム同胞団が参加したときも,ビンラーディンのナンバー2,アイマン・ザワーヒリ(Ayman
Al-Zawahiri)はムスリム同胞団を非難している.
(3)
ハマスはイスラーム過激原理主義と異なり,「イスラーム首長国」樹立を宣言せず,また,シャリーアをガザ地区に強制していない.
逆にハマスはガザ地区制圧以前から,イスラームを公衆に賦課しないと約束している.
ハマスはムスリム同胞団をルーツに持つことに由来する,「アラブ地域を統一した遠い将来に,初めてイスラム・カリフ制の回復ができる」と考えている模様.
詳しくは『MEMRI』,2008/2/2付を参照されたし.
ただし,「敵の敵は味方」の論理が頻繁に見られるのも中東というところなので,上で列記された点がどの程度の障害といえるかは未知数であろうと愚考する.
【質問】
ハマスのロケット弾攻撃は,パレスチナにどれだけ貢献しているのか?
【回答】
複数のアラブ知識人は,むしろパレスチナにとっても害悪だと主張する.
以下引用.
――――――
アルアラビアTV幹部であるアルラシド(‘Abd Al-Rahman Al-Rashed)はイスラエルにはかすり傷ほどの打撃も与えていないのに,パレスチナ人に多大な苦しみを与えているとして,ハマスとその行動を非難し,次のように書いた.
「ハマスは,イスラエルの端っこにロケットを撃ちこみ,イスラエルからいつものように手荒い反撃を受ける.
その反撃は,ハマスとほかの者を区別しない.集団罰を加えているのだ.
イスラエルの対応が犯罪的であるのは論をまたないとはいえ,ハマスは150万の人民を食いものにしているのである.
苦しみをもたらした責任はハマスにある….
こんなロケット攻撃に一体何の意味があるのか…
軍事的にみてイスラエルは全く痛痒を感じない.
政治的譲歩も引きだせない.
パレスチナ人150万の苦しみを増すだけである.
ハマスのロケット攻撃は自爆攻撃を含むが,結局はガザの全住民の安全を犠牲にしている.
パレスチナ人の血が流れ,苦しみを与えるだけである.
このような攻撃に何の意味があるのか.
これまで撃ちこんだロケットを全部合わせても,せいぜいイスラエル人が10人ほど負傷しただけである…
ハマスが日頃から唱えている戦争は一体どこにあるのか…」※2
〔略〕
コラムニストのアル・イマム(Ghassam Al-Imam)はパレスチナ人の抵抗を正当化する.
しかしその方法は効果がないとして,次のように論じている.
「これは,効果的な抵抗法であろうか.
複数の調査によると,パレスチナ人の3分の2が,この抵抗方法に不満で,(イスラエルとの)交渉による問題解決を望んでいる.
ウエストバンクとガザの住民が声を大いにして叫ばなければ,アラブ世界が動くはずもない.
このつらい真実を何故,正直にジハード組織に言わないのだろうか」※3
〔略〕
ハマスとイスラム聖戦は,どうしょうもないことをやって,一段とどうしょうもない状況にはまりこんでいく.
ブリキみたいな薄っぺらなロケットを撃ちこんで,何十倍もお返しをうける.
イスラエルはジェット戦闘機や戦車,火砲,ミサイルを総動員して,民間人だろうが抵抗戦士だろうが見境いなく攻撃し,殺傷する.
イスラエルは“錐もみ”戦術を使う.
錐でもみこむように地上から進入し,可能な限り損害を与えて,さっと後退する.
自軍の損害はとるに足りないのである….」
〔略〕
ウィーン在住パレスチナ人ジャーナリストのイラボニ(Nadia ‘Ilabouni)が,外部の仕事の下請けに堕して血をながしているとして,ハマスを次のように非難した.
〔略〕
「スデロッドに対するハマスのロケット攻撃は…過去も現在も無責任な(戦術)である.
パレスチナ人に苦しみを与える結果に終り,何の益にもならない…
この(戦術の)ため,何千人というパレスチナ人が殺され,傷つき,不具になり,或いは逮捕された.
一方政治的には何も得ることがないのである….
この愚劣な戦術の続行は,集団自殺への道を歩き続けることを意味する.
パレスチナ人を先導してこの道を進むのが,ハマスである.
パレスチナ人の意志に反した自殺の道である…
ハマスは…世界の目の前でパレスチナ人を,大義を掲げる人民から惨めたらしく救いを求める生活保護者におとしめてしまった」※4
※2. 2008年1月21日付 同上
※3. 2008年1月22日付 同上
※4.同上日付www.metransparent.com
――――――MEMRI,Jan/29/2008 No.1829
現状を見る限り,これらの意見は正論のように思える.
ただしMEMRIはイスラエル・メディアであり,攻撃を受けている側が「攻撃を続けろ」とは言うはずもないので,その点は留意する必要があるだろう.
【質問】
よくハマスがM-16を持っていますが,あれはとこで手に入れて来るんでしょうか?
【回答】
・イスラエル軍からの横流し
IDF内の不心得者がお金目当てで売り払うケース.
昨年も女性兵士2名がタイーホされてます.
・海外からの流入品
アメリカ製兵器を使っている国の不心得者が(以下同文
・コピー品
鉄砲鍛冶の実力をなめちゃいけません.
ソマリアでも自家製50口径MGが売ってるらしいですよ.
イスラエル国防相 ◆3RWR.afkME :軍事板,2006/04/23(日)
Izraeli védelmi miniszter ◆3RWR.afkME :"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/23 (vasárnap)
青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész
ガザ地区は国境一本でエジプトとお隣です.
国境の地下をくぐるトンネルを住宅の床下から掘り(砂質なのでほりやすいらしい),武器を始めとする禁制品を運び込んでいるといったこともしています.
これについては,IDFのサイトにいくと,その様子が図入りで分かりやすく説明されていたりしていたときがありました.
これに対してイスラエル軍は,音響と震動で探知しようとしているほか,情報提供網などで頑張っています.
ちなみにこのようなトンネルが噂され,実際にある場所としては38度線があります.
南進用トンネルが実際に発見され報道陣に公開されました.
観光も出来たかもしれません.
軍事板,2006/04/24(月)
"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/24(hétfő)
青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész
そのトンネルについての詳しい話はここに出てます.
http://mideastreality.com/japanese/situation.html
イスラエル軍がガザから撤退してしまったので,この"Phiradelphi
Line"については,ますます警戒が難しくなっているようです.
エジプト軍が展開して警備することになっているんですが,それって有効性が疑われそうです.
あと,洋上からの密輸ルートも存在するようです.
イスラエル海軍ではガザ撤退後に哨戒艇を増強しているのですが,効果があるのか無いのか.
井上@Kojii in mixi支隊
【質問】
2008年頃からハマースへアラブ穏健派諸国が接近し始めているのは何故か?
【回答】
2008年10月19日付,「中東TODAY」によれば,以下の理由が考えられるという.
第1に,アラブ穏健派諸国のなかで,イスラム保守派の人たちが,増えてきているということ.
第2に,アラブ穏健派諸国も高インフレと経済危機に直面しているということ.
第3に,シリアのアサド大統領が,次第に現実的な選択をするようになってきているということ.
詳しくは同ブログを参照されたし.
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ