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中近東FAQ 目次


 【link】

「Defense News」◆(2012/10/01)Iraq To Stop Iran Flights Over Suspicions Of Syria Arms
「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/09/11)イラク  国内外で高まる宗派間の緊張 副大統領死刑判決 イランとの関係強化

「NY Times」◆(2012/01/04)Erbil Journal: Anxious Turning Point for Kurds in Iraq

Personality Identification Playing Cards(サダム・フセイン政権指名手配者トランプ,英語)
   ┃
   ┗Trading Cards: American Crusade 2001(パロディ画像トレーディング・カード,英語)

「VOR」◆(2012/02/25)プーチン首相:ロシアはシリア,イラクへの独自外交を実施

「VOR」◆(2012/07/17)ロシアと日本 イラクで石油を共同採掘

「朝目新聞」あまりにもぐだぐだなイラク軍の体操  (of おもトピ!)

朝目新聞」●米軍の駐留拠点として半ば廃墟となった「サダム・フセイン宮殿」の姿(ofらばQ)

「中東の窓」◆(2012/09/10)イラク情勢(副大統領に対する死刑判決等)

「不確かな軍事情報」:(2010-01-19)イラク:元国防相,化学兵器攻撃で4度目の「死刑」

『イラク博物館の秘宝を追え 海兵隊大佐の特殊任務』(マシュー・ボグダノス著,早川書房,2007.4)

 初めて感想書く.
 書評とか書き慣れてないけど.

 面白かった.
 まさに現代版インディージョーンズ.
 主人公は予備役大佐だった検察官だか検事だったが,911を機に復帰.
 様々な組織(FBI,税関,煙草取締局等)から集めた兵士からなる,対テロ部隊の指揮官をするが,イラク博物館から略奪された物の回収(略奪されたものをテロリストが売却しテロ資金源にならないために)を,独断で部隊を動かしておこなうことに…
 そのためか正規な補給もないため,現地の補給所の責任者に直接交渉し補給したり,イラク各地を許可申請しなくても移動できるため,他の高級将校から疎まれたり,本来の任務である対テロ部隊を行わない大佐に不満な部下や軍高官たちとの間に挟まれて,苦悩するのが中間管理職みたいな感じだった.
 一応,対テロ部隊を扱ってるけど,戦闘シーンは無い.

 イラク博物館の幹部は,バース党の出身で,博物館では戦後も彼らを使っていたので,誰が信頼できて信頼できないのかなど,それでいて彼らは何かを隠しているので,ミステリー小説のような雰囲気だった.

 この本にもハレル准将が出てきて,色々な本に登場するせいか俺の頭の中では現代版,辻ーン,フォン・メレンティンみたいなイメージになった.

-----------------軍事板,2011/11/01(火)

『グリーン・ゾーン』(ラジブ・チャンドラセカラン著,集英社インターナショナル,2010.2)

 イラクのCPA(連合国暫定当局)にまつわるヒドイ話.
 バグダッド陥落直後,2003〜2004年の話で,出版は2006年(日本では2010年)

 当初,米軍(というかラムズフェルド一派)は,戦後3ヶ月程度でイラクに政府を設置して,さっさと帰るつもりだったらしい.
 しかし,戦争で行政機能が破壊された上,フセイン派の旧権力者(バース党員,スンニ派)を公職追放したので,早期の政府樹立が不可能になった.
 それどころか最終的に何も出来ず,戦後の貴重な1年を空費することになる.

 元々の見積りが甘すぎたせいもあって,CPAの現場は常に予算・人員不足.
 アメリカには優秀な頭脳や専門家がいるはずだが,イラクに送られてくるのは専門知識のない素人ばかり.
 その理由はスタッフの人選に,まず共和党への忠誠心を問うから……
 たとえば医療分野では,イラク経験のある医療支援の専門家(元軍人)が,1週間でクビになって,共和党に近いだけの素人が代表になった.
 この人物はイラクの社会主義的な医療制度を,アメリカ流のシステムで改革しようとしたが,途中で時間がかかりすぎる事に気づいて放棄.
 結果,汚職の蔓延するシステムが残された上,必要な薬すら満足に届かなかった.

 戦前のイラクでは,(汚職はあれど)行政はきちんと機能していたようだ.
 治安も非常に保たれていた(主に秘密警察による拷問のおかげで)
 ところが,戦争で軍と警察が消滅したことから,治安機能が失われ,すべての公共施設が略奪を受ける.
 こうして,イラクからガスも水道も電気も学校もゴミ回収も,何もかもが失われた.
 子どもが学校に行っても机がない,電気がない,誘拐されるのでそもそも行かないという状況.
 戦後1年近くたっても改善はなく,治安はますます悪化する一方.
 最初はフセイン打倒を喜んだイラク人も,これじゃアメリカを支持できるはずがない.

 そんなこと露知らず,安全地帯(グリーン・ゾーン)内で妄想にふけるCPAが,この本では批判されている.
 ジャーナリストの取材による良著.

------------軍事板,2011/03/03(木)

 【珍説】
 アメリカはイラクの体制を変換しましたな,何の根拠もなしに.
 これは立派な内政干渉です.

 【事実】
 体制を変換させたのは,決議1511で暫定政府に主権を与えた国連安保理.
 それが駄目っていうなら,文句は安保理に言え.

 アメリカはフセインを追放なんてしていない.
 米軍が攻撃したらサダム・フセインは雲隠れしたんだから,自ら政府としての役割を捨てたも同然でしょ?
 政府がなけりゃ困るから,暫定政府ができたわけで.

「軍事攻撃をして国の体制が変わっちゃ駄目」
などと主張したいなら,ユーゴスラビア空爆も駄目だったって事?(笑)

 【珍説】
 ほう,決議1511が開戦前に出ていたのかな?(棒読み) 事後法は無効というのは法学上の常識だぞ.
 【事実】
 国連決議について言っておくと,あれは事後法と見るべきじゃなくて,むしろ行政法で言うところの「確認」とか「公証」とかの概念に近い趣旨なんじゃないのかな?
 この辺り解説すると面倒だし長くなるんで割愛するが,要するに事後的に「お墨付き」を与えた趣旨と見て良いだろうね.
 その辺り,事後法と区別しとかないといけないんじゃないかなー

 そもそもさっきまでイタイ主張をしてた人は,国際法と国内法の構造的な相違すらも理解していない(理解したくない)ようだったし,自力救済が原則として禁止されている国内法とは違って,国際法ってのはその解釈も法の執行についても,基本的には「侵害された国家」自体がするもんだし.

 要するに国際法ってのは,国際司法裁判所の存在をもってしても,構造的には「分権的」であるので,おいそれと合法・違法を論じられないし,ましてやそれにペナルティーを与えることはできないってこと.

 そういう形而上の,しかもアメリカを非難するためだけの議論をするよりは,どうすればイラクを良くすることができるのか?という観点に国連は立って,事後的にイラク暫定政府を承認したんじゃないかなー?

軍事板


 【質問】
 開戦前,アメリカはイラク復興費用をどのように見積もっていたのか?

 【回答】
 『ニューズウィーク』誌によれば,暫定占領当局は年内の予算として60億ドルを計上.
 例えば以下のような使途を想定していたという.

電力 2億9400万ドル
法と秩序 2億3300万ドル
修復 2億3100万ドル
防衛 1億6500万ドル
通信 1億5000万ドル

 一方,この資金の調達方法は,以下のようなものを当てにしていたという.

産油収入 34億ドル
アメリカの拠出 28億ドル
国連・国際機関の拠出 20億ドル
イラクの凍結資産 17億ドル
接収されたフセイン関連の資産 7億9500万ドル
国有企業の収入 3億7900万ドル

 しかし実際には,石油収入は2億ドルに落ち込むなど,見通しが甘かったことは否めない.
 詳しくは『ニューズウィーク日本版』 2003年7月23日号 P.31を参照されたし.

サダム・フセインの遺産(サダムの戦車コレクション)


◆◆サダム捜索


 【珍説】
 アメリカ軍はウダイとクサイの遺体を各国報道陣に公開し,世界各地で放送されましたが,これは明らかにジュネーブ条約違反.
 ジュネーヴ第3条約第13条第2項に,
「また,捕虜は,常に保護しなければならず,特に,暴行又は脅迫並びに侮辱及び公衆の好奇心から保護しなければならない」
とあるので,捕虜をテレビ出演させるのはこの条項に反します.
 死亡者については,第1〜4条約のそれぞれに,死者の宗教に基づく丁重な埋葬を行うことを定めた条文があるので,これに抵触する可能性があります.

 【事実】
「邸宅に接近したところ内部から小火器による攻撃」
「米軍は投降を呼びかけた」
「ウダイ・クサイは投降を拒否,米軍に対して攻撃をしかけた」
「米軍はこれに対して,やむを得ず防衛のための反撃を加えた」
「反撃の結果,ウダイ・クサイは死亡した」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030723-00001024-mai-int
 法的には正当防衛ですな,テレビのニュースや新聞などの情報では.

 また,ジュネーヴ条約での,死者に関する規定は第一条約の第十七条〔死者,墳墓登録機関〕で
*死体の綿密な検査
*死体への識別票の添付
*衛生上などの理由を除いて火葬にしない事
*目立つように設置して埋葬後の発掘を可能にすること
*公の墳墓登録機関を設置する事
などが規定されているが,それらを行う前にTVで公開していいかどうかはグレー・ゾーン.

 ちなみに,この戦争で最初に「死体をテレビで晒すのはジュネーブ条約違反だ」と主張したのは,自国兵の死体がイラク軍によって放送されたアメリカであり,主張するのは自由.
 実際にそれが違反行為と断定されたわけではない以上,「敵がやるなら,我々も」ということになっても,ジュネーヴ条約上は現状問題なし.

 【質問】
 ウダイ&クサイって一応民間人ですよね?
 民間人に警察ではなく軍隊が投降を呼びかけるってのも違和感があるし,相手から攻撃してきたからって反撃の仕方がちょっと過剰ではないですか?
 【回答】
 ウダイ&クサイは,戦域司令官だったので「民間人」とはいえません.

 また,もし民間人が軍人に発砲したら,ゲリラとしてその場で処分されても合法.

 【質問】
 フセインが逮捕されましたが,今後どうなりますか?

 【回答】
 フセイン支持派によるテロについては,これで組織的なテロは少しは減るのではないか?
 まず,テロの情報網がうまく機能しなくなると思われる.
 また,テロリストの内の旧フセイン派の士気も,大きく挫かれるだろう.ルーマニアで,チャウシェスクが処刑された途端,セクリタテの抵抗が弱まったという例がある.

 また,これ以降,銃撃やら自爆やらの事件が起きてもそれは,「山賊」,「暴徒」,「テロリスト」のたぐいが起したことということが確定し,鎮圧して当然の対象となる.

 ただし,フセインを救出しようと画策する残存勢力が出てこないとも限らない.

 それにまた,アルカイダによるテロについては,殆ど影響がないだろう.

(軍事板)

「イラクでの反米聖戦とアルカイダの作戦にとって,サダムの拘束はプラスだ」と,国境地帯でアルカイダと連携しているタリバンの一人,ラフマン・ホタキは言う.「多くのイラク人はサダムを憎んでいたので,戦いに参加しなかった.今後はもっと多くのイラク人が反米聖戦に加わるはずだ」

サミ・ユサフザイ(ペシャワル) & マイケル・ハーシュ(ワシントン)
from ニューズウィーク日本版 2003年12月31日/2004年1月7日号 P.36

 【予言】
 先日,田岡俊次元帥がNステで「フセインは見つからない,大量兵器も見つからない,治安も悪化してイラク情勢はますます混迷します」といった途端これか.すげえ!!
 「元帥発言=反作用の法則」は,まさに神がかりだな.

http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1071398409/l50

http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1071406826/l50


 【珍説】
 発見,発見と大騒ぎしているので,ついに大量破壊兵器が発見されたのかと思ったら,フセインが土蜘蛛のように発見されたという.
 まるで麻原彰晃にそっくりだ.

 こんな男を発見して今さらどうなる? ばかとちゃうか.

(小林よしのり「新ゴー宣」199章,from SAPIO)

 【事実】
 旧バース党残党が,サダムを再び頭として担ぎ出すことで,その勢力を再結集させる可能性もあったわけですから,決して「ばか」みたいな行為などではありません.
 例えば,何のためにルーマニアでチャウシェスクに対する裁判が慌しく行われてチャウシェスクが銃殺されたのか,よく考えてみることですな.
 また,サダムによって虐殺された勢力にとってみれば,彼を捕らえて裁判にかけることは悲願であったわけで,それを無意味と断じるのは,イラクに対する知識不足を露呈しているだけです.
 ばかとちゃうか(笑).


 【質問】
 ジュネーブ条約では,戦争終結とともに捕虜は釈放されることになっていると聞きますが,いまだにフセインはまだ戦争捕虜の身分なんでしょうか?
 別の身分において拘束中というわけではないんでしょうか?

 【回答】
 以下の条項が拘束の根拠です.

ジュネーブ第V条約 第二部 敵対行為の終了の際における捕虜の解放及び送還第百十九条〔手続の細部〕
 (5) 訴追することができる違反行為についての刑事訴訟手続がその者について進行中の捕虜は,司法手続及び必要があるときは刑の執行を終るまでの間,抑留して置くことができる.
 訴追することができる違反行為について既に有罪の判決を受けた捕虜についても,同様とする.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE


 【質問】
 バース党の残党はどうしているか?

 【回答】
 イラクでのテロへの関与が囁かれる他,フランスで息を吹き返しているという.

-----------------------ここから引用----------------------------------

 バース党の宣伝機関はパリに活動拠点を求め,そこから英,仏及びスペイン語で定期刊行物を発行,反米宣伝活動をおこなっている.
 第二次大戦時の反ナチ抵抗運動になぞって,バース党活動家は自分達の運動をレジスタンス(la resistance)と呼ぶ.二つは同じと言いたいのである.

●イラク・レジスタンス民族評議会

 民族評議会(National Council for the Iraqi Resistance)は,統一評議会(United Council for the Iraqi Resistance)ともいわれ,2003年6月に発足した.バース党活動家(闘争家と称す),イラク軍及び共和国警護隊の残党,そして“国家治安機関の英雄達”で構成される.

評議会の指導部メンバーは秘密とされる.しかし,アル・デュリ前副大統領(Izzat Ibrahim Al-Duri)がインタビューで自分がリーダーであると述べている.プレスリリースによると,バース党レジスタンスの傘下で行動する組織には,次のものがある※3.
※ イラクバース社会主義アラブ党(秘密組織)
※ (イラク)抵抗・解放運動
※ 統一評議会
※ その他“サッダムのフェダイーン隊”や“モハマドの第二軍”と名乗る武装組織※4
プレスリリースによると,共産主義者,ナセル主義者を含むさまざまな“愛国的諸団体”が後詰めで控えているという.

●情報の発信源

 評議会の資料は,Comites Irak de Baseと称する組織から発行されている.編集責任者のミシェル(Luc Michel)の住所,メールアドレスは次の通り.

128/01 rue de Montingy-B/6000 Charleroi Iraqcommitttees@yahoo.com

 別のニュースレターによると,住所は下記の通り.

39 Maagdenstraat-B/1000 Brussels

 後の発行資料では評議会のメールアドレスが,次のようになってきた.

http://comitesirak.free.fr (frはフランス)

 別の資料では情報発信源は,イラク委員会(ブラッセル)の多国間協力部として,次のところになっている.

Tel: International + 32 2 218 73 09

Fax :International + 32 2 218 73 59

Francophone Coordination(パリ)

Tel/fax : 01 43 83 75 32 International + 33 143 83 75 32

 ミシェル(Luc Michel)はニュース・レターによると,ベルギーの出版者,アラブ援護で知られる人物で,ニュースレターAl-Ba`th Al-Iraqiの編集者である.情報は次のメールアドレスで入手できる.

commiteirak@yahoo.fr.

 Me(マドモアゼル)Dominique Jourdain という人物に率いられた弁護団チームは,次のメールアドレスを使っている.

djavo@club-intenet.fr

 ニュースレターのなかには,「注意,この資料はTitle 17 U.S.C Section107にもとづき,研究及び教育目的で当該情報の入手を事前に求めた者に対し,実費で配布される」と明記したものもある.

 刊行物の大半がヤフー・フランスを経由して出されていることから,制作がその国のなかで行なわれている疑いもある.
 出資者は不明だが,自称フランス・イラク親善協会(Amities Francaise ?Irakiennes)は,サッダム・フセインが石油1510万バレルを割当ててもうけさせたイラク・フランス親善協会(Iraqi-French Friendship)と同じではないかと思われる※5.

●刊行物の内容

A サッダム・フセインの擁護

 フランス・イラク親善協会(前出)は,「サッダム・フセイン大統領に対する不当な取扱い,国際法の違反行為」と題する国際アピールをだしている.それには,署名者は「サッダム・フセイン大統領が戦時捕虜として1949年のジュネーブ協定にもとづく処遇をうける権利」があることを厳粛に表明する,とした署名用紙が付いている※6.

 2004年7月7日,「サッダム・フセイン大統領を政治掩護,運動組織化!」と題するニュースレターが発行された.
 このグループは国際委員会が発足したとし,
 「委員会は,アメリカ・シオニストの支配するメディアによる嘘と憎悪のキャンペーンに痛打を浴びせ,サッダム・フセインとバース党の正しい姿を伝え,再認識させる」
と主張する※7.

B フランス語圏の活動

 2003年発行のニュースレター(月日明記なし)は,イラクの国家紋章がついていないが(それ以降の発行分にはついている),筆致は絶叫調である.曰く,
“世界中我々に無数の味方あり,特にフランス語圏は頼もしい.ヤンキー共の占領に結着つけるだけではない.
 全員がバース党の抵抗に勝利をと,日夜願っている」とし,「バース党の勝利はサッダム・フセインの勝利なり.今やイラクの抵抗,解放運動として組織された」
(文章はフランス語からの下手くそな英語である※8).

 このニュースレターは,「イラクを踏みにじるアメリカ・シオニスト帝国主義をたたきのめす」だけではなく「ほかの第一線特に被占領パレスチナとヨーロッパでの抵抗に結集せよ.いずこでもヤンキー共の支配は風前の灯だ」と叫び,チェゲバラ調に「帝国主義には頭部がある.それはアメリカだ.その頭部は切断しなければならぬ」と書いている.

 フランス語圏はベルギー,フランス,ケベック,フランス語圏のスイスとされ,「この地域は,フランス語圏協力体制によって勢力圏となるであろう」としている.

C 占領1周年

 占領1周年に際して,統一評議会名で政治コミュニケがだされた※9.

 このコミュニケによると,
「10ヶ月前イラクレジスタンス民族評議会が結成された.バース党闘争家,軍部隊の軍人,治安機関の英雄達がこぞって参加している」
とあり,更に
「諸部族の高貴なる族長達,宗教界のムジャヒディン,外国人イスラム教徒(非イラク人の意)等々」が,「作戦実施,抵抗計画の策定,推進を目的とする組織化のため,この勇敢なるレジスタンスにきそって参加」
とある.

 コミュニケが提示する行動計画には,次のものが含まれる.

 1.占領の全面的拒否.「侵略者に奉仕し人民を裏切る背信的委員会,機関,制度等々,占領の手先と道具がつくりだすものを,すべて拒否」する.

2.三軍すべての抵抗続行.デモ,抗議,ボイコット等々あらゆる手段を投入した大衆総動員によるレジスタンス.

3.政府機関,軍を2003年4月9日以前の原状に戻す.

4.改革の青写真.コミュニケは,政治的自由を保障し,人権問題高等委員会の設置,総ての緊急法の廃止を公約している*10.

D 権限の委譲

 暫定憲法のもとで暫定政府に権限が移されることを予期して,フランスとベルギーのバース党残党は,「イラクレジスタンスは,大統領,暫定政府,国連管理下の組織を含め6月末の権限委譲後もイラクに残る団体,外国軍を攻撃対象にする」と宣言した*11.

E アル・デュリ前副大統領インタビュー

 情報通信,第47号(2004年10月17日付)は,ヨルダンの週刊誌アル・マジド(Al-Majd 2004年10月17日付)によるインタビュー記事を転載している.
 例の旧体制側55名の指名手配トランプでは,ダイヤのキングになった人物である.
 インタビュー記事は本人を「最近レバノンで開かれた秘密議会後(バース党)の党首に選出された人」と紹介している.
 フランス語版によると,レバノン又はシリアにおける秘密議会」となっているが,英語版ではシリアの名が削除されている.

 アル・デュリによると,バース党は「極めて健全な状態にあって,アラブ共同体の至高且つ崇高なる戦いを先導」している.
 対米交渉の可能性をたずねられると,アル・デュリは「アメリカの占領下では交渉はあり得ない.武器と抵抗による交渉しかない」と答えた.

 サッダム・フセインの逮捕はバース党にどう影響するかと質問されると,
「同志指導者を初め指導部の同志達におきたことは,我々にとって別に驚くことではなかった.あらゆる可能性に備えていたからだ.投獄か殉教か.覚悟の上」と答え,「はっきり言っておきたいが,我々は誰ひとりとして戦闘の性格,結果,課題について誤判断しなかった.
 占領から1年半経過した現在,世界中が長期戦の帰趨がどうなるか,知っている.
 判断を間違ったのは悪の米帝とその仲間ということも世界中が知っている」
と言った.

 レジスタンスの構成については,アル・デュリはバース党闘争家,イラク軍兵士,共和国警護隊,治安機関,サッダムのフェダイーン隊,アル・クッズ軍で構成されていると答えた※12.

 最後の質問では,アル・デュリはイラク南部のシーア派について良いことは余り言わなかった.
 シーア派組織は「領土よりも偏狭な党派主義を前面に押しだしている」と批判し,「その組織は我が人民に対する敵の犯罪行為をカバーアップしている」と言った.
 アル・デュリの反応は,シーア派に対するバース党の伝統的態度を反映している.

F アブ・ムタシム将軍インタビュー

 ニュースレター第47号(2004年11月1日付)は,アブ・ムタシム将軍(General Abu-Mu`tassim)とのインタビューをのせた.やはりヨルダン誌Al-Majd(2004年10月11日付第456号)のインタビュー記事の転載である.
 「英雄的イラク・レジスタンスの心臓部にはいりこむことができた」というふれこみで掲載されている.

 アブ・ムタシム将軍(変名)は,「レジスタンスのリーダー」にして,解体された共和国警護隊の「野戦司令官」と紹介されている.
 イラクにおけるレジスタンスについて話をしており,イラク流にいうとそのレジスタンスは「燎原の野火の如く全土にひろがり,多数の都市を制圧するに至った.そのなかにはファルージャ,サマラー,ラマディのようにニュースになっている都市のほか,バクダッド郊外も含まれる.
 アメリカはもう損害を隠しきれない.イラク人民はその損害規模を知っている.戦果拡大もできるのだ」と主張した.

 このインタビューでアブ・ムタシムは武装組織の構造と指揮系統を明らかにすることを拒んだ.
 しかし,「統合司令部があって,イラク全土のレジスタンスを統一指揮している」と述べた.
 指導部は「イラク軍の精鋭将校,共和国警護隊,サッダムのフェダーイン隊,情報・治安機関の有能人士から成る」とし,武装組織の司令部は「バース党政治部代表も含まれる.代表は軍政双方の指導部の統合調整役」という.

 最後にアラウィ政権が,サドル派のマフディ軍を無力化した点について質問され,「サドルとサドルの代理役は,政治意識のない間抜け集団である」と答えた.

※ 3 イラク委員会のプレスリリース(2004年11月15日付).
 本リポートに指摘したイラク委員会の刊行物は,すべてインターネットに掲載されている.

※ 4 イラクのナキブ内務相( Fallah Al-Naqib )は,ファルージャで,モハマド軍( Jaish Muhammad )のアフマド司令官( Mu`aiyyid Yassin Ahmad 通称アブ・アフマド)を逮捕したと発表した.
 アブ・アフマドは前バース党指導者アル・アフマド( Muhammad Yunis Al-Ahmad )と対多国籍軍作戦を協議する目的で,ダマスカスへ行ったといわれる.
 モハマド軍は,バース党の武装組織としてサッダム・フセインが没落前につくった部隊(2004年11月17日付 Al-Sharq Al-Awsat ,ロンドン).

 ※ 5 ニムロッド・ラファエリ著「サッダムの石油便宜割当―ヨーロッパ編」参照,2004  年10月1日イギリスで開催された「人道支援不正行為」会議向け論文.

 ※ 6 イラク委員会のプレスリリース(2004年1月6日付).

 ※ 7 サッダム・フセイン大統領掩護国際委員会のプレスリリース(2004年7月7日 付).

 ※ 8 英語版はアラビア語及びフランス語からの翻訳.オリジナルのテキストは極めて 御粗末な場合が多いが,なるべく原文に忠実な形で引用した. 

 ※ 9 日付は2004年4月5日でUNCIR(イラクレジスタンス民族統一評議会)のサイン入り.

 ※ 10 2004年4月5日付UNCIRの政治コミュニケ.

 ※ 11 2004年5月30日付アラブバース社会主義党(イラク)の声明.

 ※ 12 アル・クッズ軍は,“エルサレム解放”のためサッダム・フセインがつくった民兵組織.創設当時イラクの政府筋は民兵々力数百万と称していた.

-----------------------引用ここまで----------------------------------

(ニムロッド・ラファエリ博士〔MEMRI中東経済研究プログラム主任分析員〕,
from MEMRI, 2004/11/23)


 【質問】
 バース党残党のフランス政府への影響力はどんなものか?

 【回答】
 ラファエリ博士によれば,影響力を増しているという.
 以下引用.

 フランスは,イラクの将来を話合う機会が生じたら,“レジスタンス”代表も参加すべきである,と主張する.
 それはフランスのミシェル・バルニエル外相が,フランスのテレビ局France Interのインタビューで述べたもので,外相は政治プロセスの開始を求め,それには「武力によるレジスタンスの道を選んだいくつかの集団及び人士」も参加すべきである,と発言した※2.
 ※ 2 2004年9月27日,駐米フランス大使館.
 陳情書にも触れる必要がある.ブッシュ大統領,アナン国連事務総長,ブレイアー英首相その他に宛てられたもので,イラクの市民運動,イラク及びアラブの知識人達が署名している.
 その陳情書は,イラクの民主化を妨害する複数の政府を非難,フランス政府が先頭にたって妨害しているとしている.詳細は,www.petiononline.com/ocsi/petition/html.

(ニムロッド・ラファエリ博士〔MEMRI中東経済研究プログラム主任分析員〕,
from MEMRI, 2004/11/23)


 【質問】
 サダム・フセイン処刑で何が変化したのでしょうか?
 刑務所で留置されているのと,処刑されるのとの違いを教えてください.

 【回答】
 シーア派+クルド人が今のイラクの実権を握ってる以上,処刑されないっていうifは殆ど存在しないんで…恨み骨髄だし.
 時期的なところからいえば,アンファル事件の審理が終わってないのにってことで,クルド人は不満を持っているらしいが.

 バース党の残党はがっかりしてるかもしれん.
 担ぐものがなくなっちゃったから.
 テロ活動の主な部分を担ってるイスラム過激派は,特に影響なし.
 サダムさんは殉教者にするにゃ生臭すぎる.

イスラエル交通相 ◆3RWR.afkME in 世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 処刑されたサダム・フセインは替え玉で,本物は生きてるってホント?

新陰謀説:処刑されたのはフセイン元大統領の替え玉

 ここ数週間エジプトで新しい陰謀説が広がっている.
 処刑されたのはサッダム(Saddam)(フセイン元イラク大統領のファーストネーム)ではなく,替え玉だったという説だ.
 さらに,この陰謀説によると,サッダムの二人の息子ウダイ(’Uday)とクサイ(Qusay)も,イラク戦争中に殺害されたのは本人ではなく替え玉だったという.

 2007年1月初め,エジプト人の研究者兼文筆家兼ジャーナリストのアニス・アル・ダギディ(Anis Al-Daghidi)の著作『サッダムは処刑されず,ウダイとクサイも殺害されなかったーー米国の嘘と替え玉ゲーム』(363ページ)が出版された.
 アル・ダギディはその中で,サッダム・フセイン(Saddam Hussein)が逮捕されたことはなかったし,処刑されたのは彼の替え玉だったと主張している.※1

 エジプト政府系日刊紙アル・グムフリーヤ(Al-Gumuhouriyya)のコラムニスト,マフムード・ナーフィウ(Mahmoud Nafi’)はアル・ダギディの主張を否定しながら,この本の内容の詳細をこう紹介する.
「処刑されたのがサッダムではなく替え玉だったことを証明するために,アル・ダギディが第一に焦点を当てたのがサッダムの額あるいは側頭の黒子だった.
 『本物の』サッダム・フセインにはそうした黒子はなく,従って裁判に掛けられたサッダムは替え玉のミハイル・ラマダン(Mikhail Ramadhan)だった.
 替え玉の本名はマクルーフ・ラマダン(Makhluf Ramadhan)と言う・・・

「さらにサッダムの髪は濃かった.しかし,われわれが法廷で見た替え玉の髪は薄かった・・・

「イラク系イラン人医師ムハンマド・アサシディ(Muhammad Asasidi)はサッダムについて科学的調査を行い・・・逮捕され,裁判にかけられた『サッダム』の耳と,(本物の)サッダムの副大統領時代――つまり,まだ替え玉がいなかった時代――の(耳)を,コンピューターを使って比較した・・・その結果,二つの耳の間には明白な違いが発見された・・・

「イラク人の方言の区別ができるイラク人によると,本物のサッダムは写真がなくても識別できる.なぜなら,サッダムはイラク中部出身者の方言を話すからだ.
 一方,替え玉は南部出身者の方言を話した.

「さらなる証明は,サッダムと替え玉の筆跡の違いだ.それは二人の『ター』と『ヤウ』の文字と・・・発音区別符の書き方でわかる・・・」※2

エジプトの政府日刊紙アル・アハラム(Al-Ahram)は,こう書いた.アル・ダギディは著書で,サッダム・フセインの二人の息子の死を謎と指摘した.
 なぜなら,二人の死に対するサッダムの反応,二人がどのようにして死んだのか,
 また,なぜ二人の遺体が母親に引き渡されなかったのか,情報が全くないからだ.
 この本はまた(サッダムの長男)ウダイ・フセインの替え玉はラティフ・ヤヒヤ(Latif Yahya)という男だったと主張している.※3

 類似の主張を行っている人物に,カイロ大学の統計・数学の講師アディル・アブドルカーディル(’Adil‘ Abd Al-Qadir)がいる.
 彼は数学理論に基づき「アラブ・ムジャヒディーン(ジハード戦士)は刑務所からサッダムを解放することに成功した.
 彼は処刑されなかった.処刑されたのはサッダムではなく,『黒子』のある替え玉だったようだ・・・」と言う.※4

注:

(1)アル・ライ(Al-Rai’)紙(クウェート)2007年1月17日付

(2)アル・グムフリーヤ紙(エジプト)2007年1月25日付

(3)アル・アハラム紙(エジプト)2007年1月18日付

(4)アル・ライ(Al-Rai’)紙 (クウェート)2007年1月14日付

――MEMRI,Feb/4/2007

 【回答】
 南極に逃れた共和国防衛隊の残党がですね(略
 バース党はひそかにUFOを(略

Shaul in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 なにその戦車砲塔付きUFO

EF63-24 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 サハラ砂漠の奥深く,そして,中央アフリカのジャングルの中に,フセインの息子達が密かに生活し,雌伏の時を過ごしているんですね!!!!11

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 映画化決定!

新所沢の三等兵◆Uk in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 えぇと…,「どこから来た少年」にしますか?

○じゅん○ in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 製作 アルジャジーラ

肥後守 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 禁じられたアークを掘り出すんですね!11!

zen in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

・大陸に渡って大帝国を築くよ派(判官贔屓派)
・そのうち姿を変えて某国首相のブレーンになるよ派(天海=光秀派)
・薩摩に落ち延びたよ派(大坂方派)
・生き延びたのはやっぱり影武者だけど,フセインを演じているよ派(隆慶一郎派)

蒼野青 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

>そのうち姿を変えて某国首相のブレーンになるよ派(天海=光秀派)
 金多遂(新羅)=天武天皇派

水上攝提 by mail ▲

 まあ,上でフセイン生存説を主張してるのはいずれもエジプト人ですが,その他のアラブ国家まで含めて大衆には

栄光あるイラクが(異教徒の国)アメリカによって完膚無きまでに叩き潰され,その首領は(異端に)とっつかまって吊された

ことに対する不満がうずまいています.
 単に民族の誇りや宗教心からくる怒りというよりも,むしろその国で生きていく上での不満(貧困や政治的自由の欠如)がそういった形で現れてくるのですが.怒りの対象となるのはアメリカはもちろん,何もしなかった自国政府に向けられることもしばしばで,下手をすればそのパワーは暴動,反乱,革命へと繋がります.

 もちろん各国政府もそんなことは先刻承知なわけで,そこでメディアを使ったガス抜きが行われます.
 エジプトには報道の自由なんてものはありません.
 逆に言えば,新聞に載っている記事は全て政府の意向が何かしら含まれてるわけです.終わり.

Shaul in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 一般的なイスラム教徒は,我々日本人より世間の情報へのアクセスが限られています.
 そして中東のメディアには,真偽も定かでない,アメリカとイスラエルについての偏向情報が満ち溢れている一方,フセインの所業については情報が少ないです.

 このような状況では,Shaul氏言うところの
「よくわかんないけど兎に角アメリカが悪いんだろ!?」
という短絡的な怒りに民衆が飛びつくのも無理はないでしょう.

Tono in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 【質問】
 そもそも,フセイン大統領はイランやクウェート侵攻したり,クルド人を弾圧したり,石油利権を家族で奪い合ったりしとるわけでして.
 一般的なイスラム教徒から見ても,フセインが人気者とは思えないのですが・・?

 まあ,日本にも社民党信者とかいるぐらいなので,イスラム圏にも変な連中は居るでしょうけど,社会的には少数派であるように思います.

はぐれメタル=牛乳係 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 【回答】
 たしかにクルド人,イラン人,クウェート人(とイラク人の多く)はフセインの処刑を間違いなく歓迎していますが,そもそも前の2つはアラブ人じゃありません.クウェート人は数が少ないですし.

 過去は栄光を極めていたのに今は…という現代アラブ人の鬱屈ぶりは相当なもので,それがイスラム原理主義(=反欧米的価値観)に走る原因のひとつにもなっています.
 同時に,(たとえばエジプトのような)腐敗した現体制を自分に都合がいいからといって強力に支持するような国は,民衆からするとやっぱり敵なんですよ.
 詳しくは池内恵氏の一連の著書などが参考になるでしょう.

 フセインは湾岸戦争においてアラブの団結を主張,それがかなわないと見るやいきなり敬虔なムスリムを自称し,十字軍への抵抗を呼びかけました(実際それに呼応してPAなどで支持デモが行われました).
 彼の無定見ぶりはみんな分かっちゃいるんです.
 しかし,そんなフセインを旗印に掲げざるをえないところに,アラブ人の悲劇があるのです.

Shaul in 「軍事板常見問題 mixi支隊」


◆◆捕虜虐待事件


 【質問】
 最近問題になっている米軍によるイラク捕虜虐待に関してなのですが,気になる事が2つあります.よろしくお願いします.

1 なぜ米軍はわざわざ虐待の証拠になる写真を撮って残しておいたのか?
  しかも米兵の顔がモロ出し.こういうヤバイ写真を撮るのに米兵が写らないようにしたり,マスクを被っていないのはなぜか?

2 そもそもこのような重大な写真が外部に流出したのはなぜか?
  内部から流出したのか.だとしたら誰が何の目的で?
  それとも証拠写真をそこら辺にいい加減に適当に置いていたら,スクープ狙いの記者に盗られたのか?

 【回答】
 1,記念撮影(いや,まじで)
 2,ソンミをすっぱ抜いた記者によるもの(つまり,記者の実力)

 ヤヴァイという認識が米兵にないところに問題の深刻さがある.



 【質問】
 なぜ彼らは虐待など行ったのか?
 【回答】
 先日BSの海外ニュースでこの事件に関連して,70年代にあるアメリカの大学で行われた心理学実験を紹介していた.
 学生を「看守」と「囚人」に分け,看守は檻に閉じ込めた囚人に対して絶対的な権力を行使できるというものだ.
 するとわずか数日の内に看守のモラルが低下し,囚人に対する虐待が横行するようになった.
 実験が終了する直前には,囚人に対する性的虐待が行われる寸前までいっていたということだ.

 また,アイヒマン実験というものもある.

 ナチスドイツのホロコーストの責任者であるアドルフ・アイヒマンが捕まり,裁判になった.
 アイヒマンはそこで,
「私は命じられた事をしただけだ」
と主張した.
 それはそう不思議ではないが,その時の彼はどこにでもいる気弱そうな男で,とてもこのような残虐な事をする人間ではないかのようにも見えた.

 それに不思議に思ったのか,彼が死刑となった翌年にアメリカのエール大学のスタンレー・ミルグラム教授が「アイヒマン実験」という心理学的実験を行った.
 アメリカの一般市民を対象とし,権威有るものの命令によって彼/彼女らが,どこまで残酷になれるかを調べるものだ.

 服従の心理―アイヒマン実験 河出書房新社  S・ミルグラム (著), 岸田 秀
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309706142/250-7663716-8117028

 現在この本は在庫切れだが,下のリンクを見ればおおよその事がわかる.
http://www.fujitv.co.jp/jp/unb/contents/p96_2.html
http://www.ne.jp/asahi/holocaust/tokyo/new_page_41.htm
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/4263/220.html

 権威ある上位者が命じ,その行為を承認した場合,この実験ではしばしば善良な一般市民が平然と残酷な行為を行っている.

 このように,人間は絶対的な権力を行使できる立場に立ち,それを制止する者がいないとき簡単に残酷になれるものなのかもしれない.



 なお,この文に「米軍の虐待行為を援護する」という意図はさらさら無い.むしろ逆.

 この『正常な人間でも状況次第では信じがたく残酷になる事が多い』という米国の大学での実験は有名なものである.
 ならば,自国の軍の捕虜収容所などで同様の事が起こる可能性を事前に考慮するべきだった.
 米の政府機関で,事前に十分な「収容所等においての残虐行為の防止対策」を作り厳守させるべきだ(監査機関を設けて監視するなど)

 あと「実行犯の刑が軽い」と言われるが,それよりも上部の実際の責任者である司令官等に厳罰を与えるべきだ.兵士の戦争犯罪の責任は,兵を使う責任を持つ司令官に有るのが普通だからだ.
 司令官が何もせず下が勝手にやった,というのならば監督責任が有るかどうかとなるが,このケースでは実行犯は上官に命令されたのだから.

(軍事板&キルロイ ◆dtIofpVHHg



 【質問】
 英軍にも虐待があったとする報道があったが,そちらはどうなったのか?
 【回答】
 以下の記事によれば,こちらは捏造の可能性が高い.

英軍の虐待写真に数々の疑問=ねつ造の可能性も−BBC

 【ロンドン2日時事】英BBC放送は2日,イラク駐留英軍がイラク人を虐待している証拠として大衆紙が掲載した写真には疑問が多いと報じ,この写真がねつ造である可能性を示唆した.
同放送の防衛担当記者は写真の疑問点として,
(1)写真の兵士が携行しているライフルはSA80mk1に見えるが,その型のライフルはイラク駐留軍に配備されていない
(2)イラク駐留兵がかぶっているのはベレー帽かヘルメットであり,写真の兵士のようなよれよれの帽子ではない
(3)写真に写っている軍用トラックは,イラクに配備されている型と異なる
−などの点を挙げた.
 1日付紙面で特ダネ写真を掲載した大衆紙デーリー・ミラーは,イラク戦争に一貫して反対してきた.同紙は,写真の信ぴょう性に疑問はないと強調している. (時事通信)
[5月2日23時5分更新]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040502-00000489-jij-int

これが問題の虐待映像とされるもの
http://www.albasrah.net/images/iraqi-pow/iraqi-pow

で,これは某ポルノサイトの画像(18禁)
http://www.paintheory.com/sexinwar/01/gallery01/
 「仁義なき英国タブロイド伝説」という本の最終章ですでにネタにされています.デイリーミラーのライバル大衆誌(英で最も売れている新聞だが)The Sunが直後から反論を載せ,
「(誤報をして)ごめんなさいと言え!(第一面で笑)」
とまで書く.
 その後,ディリーミラーは一面で
「我々は騙されていました,ごめんなさい」
と降伏しました.
 大英帝国万歳のSunに対し,反イラク戦争のディリー・ミラーが,ネタ欲しさに目が眩んだのでしょう.デイリー・ミラーは某暗いサイトでよくネタにしてますな.

 Sunの記事によれば,あの自動小銃は日本製のトイガンだそうです.
 私の考えでは,今は廃番モデルになった昔のエアソフトガン(ガスガン)でしょう.電動ガン以前のガスガン時代は,サバイバルゲーム用にとブルパップのコレがモデルにされたのでしょう.
(P90は最近になって電動ガンになったが,そのずっと昔にガスガンで出ていたものの,廃番に)

 英のタブロイドは一般に「大衆紙」と訳されています.
 信用できないかというとそんな事もない(誤報ややらせも有るが.細かい記事だと思いっきりネタをやったりとかは有るが)
 イギリスでは,クオリティ・ペーパーよりもタブロイド誌の方がはるかに多く売れています.
 英国のニュース・ソースが新聞の場合,フィナンシャル・タイムズとタブロイドばかり目だって,タイムズ紙の存在感がまるで希薄なのは当然なのでした.

 以下はジョンブル魂(パンジャドラムを3輪化,ワイヤーリモコン化まで開発したとか含む)の理解の助けになるすばらしい本です.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106100975/250-4919655-8719457
 また,別の本によれば,英国人は会話で(2chで言う)「釣り」をするので,相手が妙な事を言ったと思っても,流して答える方が安全だそうす.

 該当記事のサーチはできませんでしたが,これがSun誌のウェブサイトです.
http://www.thesun.co.uk/
 蛇足ですが"Page 3"とは,Sun自慢の3ページ目に乗っているトップレス・ヌードです.

(キルロイ◆dtIofpVHHg in FAQ BBS)


 【質問】
 イラクのアブグレイブ刑務所捕虜虐待事件が,思わぬ方面に余波を引き起こしたって本当?

 【回答】
 本当.
 なんと,古典的フェミニズム論
(「どこまでも男性が加害者,女性が被害者であって,あらゆる不平等の根源は,女性に対する男性の性的暴力だった」
「女性のほうが道徳的であるという考え方」
 共に下記著作P.185より引用))
に止めを刺してしまった,という話がある.
 というのも,この事件に関係する最終責任者が,ほぼ全て女性であったため,「兵士の戦争犯罪の責任は,兵を使う責任を持つ司令官に有る」事を考慮すると,軍隊は最終的に女性が戦争の被害者,男性が加害者という枠組みが崩れてしまうためです.

 自身をフェミニストと公言するバーバラ・エーレンライク著「スーパーリッチとスーパープアの国アメリカ」には,こんな記述がある.
「アブグレイブの一件では,軍隊のヒエラルギーにもっと多くの女性がいれば虐待は防げたはずで,その点こそが問題だった,などと主張することすらできない.
 アブグレイブ刑務所の責任者は女性で,ジャニス・カービンスキー准将といった.
 また,イラク駐留米軍の諜報部門の責任者を務めるとともに,捕虜の身分を調べ,釈放するかどうかを決める立場にあったのは,やはり女性のバーバラ・ファスト少将である.
 そして,イラク駐留米軍のマネジメントに最終的な責任を負っていたのは,コンドリーサ・ライス国務長官だ」
 で,結論.
「われわれがアブグレイブの一件から学んだのは,子宮は分別のある判断をする機能を持たないことである」(上掲図書P.186)
そうでして・・・,
 「そんなの当たり前」とか言っちゃだめです.

カードのまにあ in FAQ BBS,2011/8/8(月) 23:18
青文字:加筆改修部分


◆◆イラク新政権


+

 【質問】
 「民主的政体」を性急にイラクに導入することは,かえって内外に混乱と不安定を招くのではないか? イラクにおいて民主主義の経験が歴史的にないではないか.

 【回答】
 イラクに民主化の経験や試みが無縁だったわけではない.

 だがブッシュ政権は,欧米的発想の通用しやすい欧米在住の個人政治家を通じて,王政期の「貴族的議会制度」の流れを汲む地方名士を登用し,それがイラク社会全体を代表しているような形式をとるためにエスニック・宗派ラインに沿った権力の分散を図ろうとしている.
 だがこうした権力のエスニック・宗派的な分散は,もともと存在している社会集団に対してなされるのではない.むしろこうした措置は,「権力」を前に新たな「民族」や「部族」の出現や消滅を促し,既存の社会を分断し亀裂を生むことになりかねない.
 地方に君臨する「封建貴族」に対する都市下層住民の「革命」志向という,かつて経験された展開が踏襲されるのではないか.

 以下抜粋.

〔略〕
 イラクに西欧型の民主主義制度がすぐに定着するかどうか疑わしいことは確かであるが,だがそれはイラクの政治的土壌に民主化の経験や試みが無縁だったということではない.
 いやむしろ,イラク政治のなかで政治的代表制の試み──すなわち「民主主義」の試みは,一定の力を持って存在してきたというべきであろう.

 そもそも忘れられがちなのは,現在共和制独裁政権をとるイラクやエジプトといったアラブ諸国は,イギリスの間接支配下にあった二〇世紀前半,王政のもとで一定の議会制度を導入し,限定的ではあるが民主主義的制度を採っていたという歴史的事実である.イラクの場合,イギリスの委任統治期に議会制度が導入され,それは一九五八年に王政が打倒されるまで運営されていた.むろん,そこで採用されたのが制限選挙であり,成人男子納税者の間接投票による選挙でしかない,という限界はあった.だが当のイギリスですら,成年男子による普通選挙制度が導入されたのは一九一八年であり,当時としてはそれほど「後れた」ものではなかっただろう.

 むしろ問題は,この議会が,結果的には王政を支える封建地主や有力部族長などの地方名士,あるいは軍出身の貴族など,王政時代の特権層が牛耳る存在にしかならなかったことである.
 議会は,いわば「貴族院」のような様相を呈していた.内閣もまた,常に数人の旧世代の政治家が繰り返し政権を担当し,国内的には地方での貧富格差の拡大を放置する一方で,対外的には対英条約に縛られてイギリスの代弁者を務めるのみであった.
 第二次大戦直後の自由主義的ムードのなかで,政治的自由化が大幅に進められた時期もあったが,それでも共産党などの当時の新興政治組織は政党として認可されなかった.建国期の旧世代の政権独占に対して不満を持つ新世代にとって,議会は有効な挑戦の機会を与えてくれるものではなかったばかりか,これを阻止する「特権エリート」の場となっていたのである.
 こうしたイラクでの限定的「議会制民主主義」の試みが,一九五八年に軍主導の共和制革命によって終止符を打たれることになったのは,対外的には王政自体がイギリスの間接統治に依存していたという「外国支配」が問題となったからだが,対内的には貴族層の寡頭的,封建的支配に対する反発がその理由であった.「革命」で成立した軍事政権は,このとき存在していた議会制度を必ずしも「西欧的」だからといって停止させたのではなく,むしろ「貴族のための議会制度」であるという理由で停止させたのである.
 よって,革命政権はいずれも,王政期には代表されなかった大衆を対象とした「真の民主主義」のための「暫定的措置」という自らの位置づけをした.共和制革命の主人公であったカースィム政権にせよ,その後のアラブ民族主義政権にせよ,現在のバアス党政権にせよ,いずれも「未完の革命」過程にあって未だ過渡的段階が続いている,ということを,その「民主主義」導入に至らない口実としている.
 言ってみれば,王政期の「貴族的議会制度」の試みに終止符を打ち「大衆的民主主義」へと移行しようという方向性が,「共和制革命」当時の試みのなかにあったにもかかわらず,軍政の長期化によって「大衆的民主主義」の確立に失敗した,と考えることができる.

「未完の革命」を追う人々
 このように共和制政権以降の軍政は,「貴族的議会制度」を打倒したものの,大衆を代表する政治的枠組みを「民主主義」的な制度によって獲得することができなかった.それを補うために,軍政は軍による統治にますます依存するようになり,軍政に続いて成立したバアス党政権は,軍を抑えるためにもう一つの物理的統治装置である治安組織に依存するようになった.
 こうした状況において,「革命政権」の専横に対する挑戦は,「民主主義」を求めるという形で展開されることはなかった.現在のバアス党政権などアラブ民族主義勢力が「革命」政権を謳って力に依存するのに対して,六〇〜七〇年代には,別の「革命」勢力が自らの大衆における代表性を誇示し,「大衆/国民の力」を正統性の根拠において対抗するという構造が存在したのである.
 換言すれば,七〇年代半ばまではイラクの政権側も反体制側も,どちらが大衆を掌握し大衆を「適切に」代表しているか,ということをその対立の焦点においてきたといえるだろう.その「別の革命勢力」とは,五〇〜六〇年代においては共産党を始めとする左派勢力であり,七〇年代半ば以降においてはシーア派を中心とするイスラーム勢力であった.彼らはイラク国内に緻密な組織細胞を張り巡らせ,全国的な大衆的支持基盤を確立することに成功し,政権を大衆的基盤から掘り崩すという形で,バアス党政権を脅かしてきた.そしてそれらの政治勢力は,政権への「民主的参加」ではなく「革命的政権奪取」を狙ってきたのである.
これに対してバアス党政権が対処してきた手法は,反体制派にポストを分け与えることでこれらを懐柔することであった.すなわち,大衆的支持基盤に依拠して「革命的」に政権を奪取されるよりは,政治エリート間で権力を分配するという「複数政党制」の形式を採ることを選択したのである.七〇年代前半,最大の反体制派であった共産党やクルド民族主義勢力に対して,バアス党政権が採った対応策は,形式的にせよこれらを合法化し,一定の政治参加を認め,閣僚に登用することであった.
 こうした「共闘」は,クルドの場合は七五年に,共産党は七九年に崩壊することとなるが,「民主化」や「政治参加」,「複数政党制」といったレトリックは,むしろ政権が反体制派を懐柔するために利用してきたと言ってもよい.
 一方,イスラーム主義勢力に対してバアス党政権が採った手法は,より複雑な影響を残した.
 ダアワ党などのイスラーム主義政党は,七〇年代を通じて一定の社会的浸透を果たしたのち,七九年以来「革命的」手法で政権の奪取を試みてきた.
 こうしたイスラーム政党の「革命的」台頭に対してバアス党政権が下した判断は,これを「シーア派の反乱」と見なすことであった.イスラーム主義という,いわば宗派を超えて全国に波及しかねない「革命」運動を拡散させないためには,それを限定的なものとして一定の社会集団や住民の間だけの運動に押し込めてしまう必要があった.
 その結果,バアス党政権はシーア派の高位ウラマー(宗教的知識人)を処刑したり,その家族を「イラン人」としてイランに放逐したりした.その一方で,シーア派住民がイスラーム主義に走る原因を社会経済的貧困と「シーア派」としての政治参加の不在にあると考え,低所得層のシーア派住民に対する慰撫政策を強めたり,バアス党内のシーア派党員の幹部登用を進めたのである.
 このように,バアス党政権はクルド民族に対するのと同様に,イスラーム主義勢力に対してもこれを「シーア派限定」のものと見なして,あたかも「シーア派」という社会集団が独立的に存在するかのような対処を行った.
 だが留意すべきことは,イラクにおける宗派的差異は,アラブ民族とクルド民族のような明確な自覚に基づく区別があるわけではない.世俗的社会運営を進めてきたイラクでは,湾岸戦争以前はむしろこうした宗派意識に基づく集団意識は薄められてきたと言ってよい.
 にもかかわらず,バアス党政権が「革命的」運動であるイスラーム主義に対処するうえで,あえて「シーア派」的要素を強調したことで,逆に「イラク南部のシーア派集団の一体性」という虚像が生まれたのである.

「革命は民主化しない」
 このような歴史的背景を踏まえて,次に,現在アメリカがイラクに対する「民主主義」政権構想として一体何を企図しているのか,という点を見てみたい.それは「新しい体制」を目指すと言いながら,結局は「貴族的議会主義」か「革命的」政権奪取の試みか,という過去の失敗を繰り返すことにならないだろうか.
 アメリカが湾岸戦争以降,フセイン政権に対する対抗組織としてイラク国民会議(INC)という在外の反体制統合機関を利用してきたことは,よく知られたことである.このイラク国民会議の中心人物はアフマド・チャラビだが,彼はイラク国内に支持基盤もないシーア派の元銀行家で,ただ「偶然」MIT出身であったことでアメリカに取り立てられたのだ,とは,しばしば椰楡的に言われることである.
 また,チャラビ同様に湾岸撃後,英米が利用対象とした集団にイラク国民合意(INA)があるが,INCにしてもINAにしても,アメリカが彼らに最も期待したのはイラクから亡命してくる要人の亡命窓口となることであり,彼らから国内情報を得たり内部工作に利用したりすることであった.
 だが,アメリカがチャラビを起用してイラク反体制活動に関与し始めたことでイラクの反体制活動全体が受けた影響は,ただの「偶然」ですまされるものではなかった.湾岸危機の発生によって,国際社会が一斉にフセイン政権に対する非難を強めたのを見て,海外に亡命し長年活動を続けていたイラクの反体制活動家たちは既存反体制組織の大同団結に動き,九〇年十二月と九一年三月にベイルートで大規模な決起集会を開催した.
 この決起集会が画期的であったのは,それまで反目しあっていた,大衆基盤を持つ「革命」勢力の代表的存在であるイスラーム諸政党とイラク共産党,そしてバアス党の反主流派を中心とするアラブ民族主義勢力が,クルド勢力とともに結集したことである.これまでそれぞれの「力」による政権奪取を志向していた各「革命」勢力は,とりあえずここで他派との共闘の必要性を理解し,フセイン政権打倒後の「政治的プルーラリズム(多元主義)」の方向性を模斎し始めたのである.
 とりわけ,一九九二年にはイスラーム政党であるダアワ党がその政治綱領を発表して民主的な制度(民主主義とは明言しないものの)の採択を初めて認めたし,イラク共産党は九五年の党大会で初めて党幹部を党内選挙によって選出するという「民主化」を行った.
 こうした「革命的」反体制派の変化と盛り上がりに対して,アメリカが行ったことは,これらとは別にチャラビのような欧米在住の個人政治家を取り立てて,反体制組織の統合の中心に据えようとしたことであった.INCの成立はそうした経緯から生まれたもので,アメリカの支援を得てクルド勢力はINCに積極的な役割を果たしたが,その他の主要反体制派であるイスラーム勢力,共産党,アラブ民族主義勢力は,INCの成立後数年で脱退するか,INCでの活動を凍結するかどちらかであった.
 チャラビや欧米の亡命知識人を前面に取り上げることで,アメリカはイラク国内に活動基盤を持つ主要反体割派勢力を,それらが「革命的」であるということで,取り込むことに失敗したのである.
 ある意味でこのエピソードは,アメリカの中東地域全体における「民主化」推進政策の失敗を象徴している.
 中東地域では「革命的」勢力が国民の突き上げによって徐々に「民主化」していかざるをえなくなる,という過程が,いくつか見られる.典型的な例が,イラン「革命」政権におけるハータミー大統領の出現であろう.
 だが問題は,アメリカがこうした元「革命」勢力の変化に対して極めて冷淡であることだ.「革命」勢力を「民主化」していこう,という発想よりは,新たに一から「民主的」な存在を作り上げるべきだ,という発想が根強い.チャラビら「反体制ビジネスマン」の起用と大衆的基盤を持つ「革命」勢力の反発,というアメリカの対イラク反体制派政策の失敗は,そうしたアメリカの中東政策全体の問題に繋がっている.

「民族,宗派の分権」という虚構
 だがアメリカも,チャラビ個人に反体制派を統括する能力がないことに気がついていないわけではない.とくに「フセイン政権の転覆」を目標に掲げた「イラク解放法」が九八年に米議会で可決されて以降は,フセイン政権に代わる具体的な「新政権」候補として,新たな人選が開始された.このとき以来,英米で曝かれてきた「候補」には,王政時代の外務高官や王族の末裔(シャリーフ・アリー)などの名前があげられている.
 こうした王政期からの亡命者の多くが,共和制革命で国を逃れた「旧貴族」や部族的・封建的名望家出身であり,いわば過去の「貴族的議会政治」にノスタルジーを抱く人々であると言えよう.
 だが,国を離れて何十年にもなる旧特権層の人々が,フセイン体制後のイラクの国づくりを即座に担えるわけではない.彼らが「民主化」を担うとして,かつての限定的民主主義,「革命的」勢力によって打倒された「大衆」不在の議会制度以上のものが期待できるだろうか.
 その限界を補完するため,イラクの新政権を,より「民主的」でイラク社会を広範に代表しているように見せるために,米政権がシーア派やクルド民族などの「地場勢力」に対する抱きこみを本格化するようになったのは,九九年以降のことである.この年,アメリカは初めてイスラーム主義を掲げるシーア派を中心とした政治組織,SCIRIへの支援を明らかにした.
 このことは一見,アメリカが「革命的」イスラーム勢力を「新政権」の一翼に組み込んだかのように見える.
 だが実態は,むしろ「シーア派」という宗派集団を一種のエスニック的に独自の存在と捉えて,多文化主義的色彩を「新政権」にまぶすための措置であると言えよう.ポスト・フセイン政権を構想する際,なるべくイラク全体を「代表」しているように見える体制を整えるために,「革命的」イスラーム主義組織であるSCIRIはむしろ「シーア派」の代表として支援対象に選ばれた.
 このような,「シーア派=イスラーム主義」という分類は,先に指摘したように,もともとバアス党政権が「革命的」勢力を押し込めるために採用した考え方である.イスラーム勢力の間には,本来全国政党として中央に進出していくべき性格の政党であるにもかかわらず,「イラク南部=シーア派地域」のみに限定された「地方勢力」として制約されることに,根強い不満がある.

 ブッシュ政権がフセイン後の政権構想のために接触を持っているイラク反体制派の様相を総合すると,次のようになろう.すなわち,欧米的発想の通用しやすい欧米在住の個人政治家を通じて,基本的には王政期の「貴族的議会制度」の流れを汲む地方名士を登用し,それがイラク社会全体を代表しているような形式をとるためにエスニック・宗派ラインに沿った権力の分散を図る.
 だがこうした権力のエスニック・宗派的な分散は,もともと存在している社会集団に対してなされるのではない.むしろこうした措置は,「権力」を前に新たな「民族」や「部族」の出現や消滅を促し,既存の社会を分断し亀裂を生むことになりかねない.表面的な地方分権に反発し,イラクの都市政治エリートの間に再び中央集権へめ野望が駆り立てられる可能性もある.地方に君臨する「封建貴族」に対する都市下層住民の「革命」志向という,かつて経験された展開が踏襲されるのではないか.

「暴力」に乗って「民主化」へ
 ところで,本論の冒頭で,イラクでは「革命」が常に未完であるとの認識に基づいて,党や軍が専横的な体制を維持し,できた,と述べた.彼らがなぜ「未だ革命ならず」としているかといえば,その原因はパレスチナ問題の未解決に他ならない.イスラエルによるパレスチナに対する不正の存在が,アラブ民族主義であれイスラーム主義であれ,「未だ闘争過程」としてすべての民主的なプロセスを棚上げにする口実となっている.
 その意味で,アメリカがフセイン後としてイラクに期待している政権がイスラエルに対していかなる対応を取るのかが,イラクにおける「未完の革命」意識がその後どのように国政に影響を与えるかに,大きく関わってこよう.
 アメリカの新保守主義者たちの一部が,無能であることがわかっていながらチャラビを常に支援対象としてきたことの原因には,チャラビだけがイラクの政権担当者として,戦後,イスラエルとの和平協定を結ぶ用意があるからだ,とはしばしば噂されることである.
 王政期の「貴族性」と名文化主義的分権政策を融合したようなかたちで「新政権」が成立し,しかし国内での大衆的支持基盤がそれとは別のところにあって,しかも「未完の革命」意識を抱えた勢力が存在するそのような環境が生まれるとき,すべての政治勢力が注目するのは,やはり軍の動静であろう.
 旧来の「革命的」運動が常に依存してきたのは,唯一「中央」を目指すことのできる「乗り物」としての国軍であった.アメリカの戦後構想のなかに,日本型GHQ占領というアイディアがあることは冒頭に触れたが,おそらく焦点はイラクに対して戦後日本のような徹底した武装解除と国軍の解体を行うことができるかどうか,であろう.
 いかに現政権の徹底的な排除を主張する反体制派であっても,国軍の国防・治安上の役割において「強力な国軍の必要性」を強調する.筆者は二〇〇二年五月にワシントンで開催された反体制派会議を傍聴する機会を得たが,そこでの議論もまた,戦後のイラク国軍をどうするか,という点に集中していた.アメリカの軍事行動に依存してフセイン政権を倒すことは反体制派として禍根を残す,と考えて,イラク反体制派はむしろ政権打倒の核としてイラク国軍の積極的な活躍に期待するものの,つまるところそれが,短絡的な「力依存」による政権転覆であることには変わりがない.
 「力」で政権を変えてきたという「革命的」政権奪取の手法から脱却することこそが,「民主化」の第一歩だとすれば,いずれの方法を選んだとしても,彼らは初めから「民主化」に頓挫している.少なくとも「外国」の力によって植え込まれた新政権が,制度としての「民主主義」を導入したとしても,それが新たな「革命的」勢力の,同じく「力」による挑戦を拒否できるだけの正統性を持たないことは,明らかである.

(酒井啓子 「イラク『新政権』民主化の前途多難」 from 中央公論2003.2)


 【質問】
 新イラクの要人警護などを行っている警備会社について教えてください.

 【回答】
 以下参照.

Security Companies: Shadow Soldiers in Iraq

This article was reported by David Barstow, James Glanz, Richard A. Oppel Jr. and Kate Zernike and was written by Mr. Barstow.; Eric Schmitt contributed reporting from Washington for this article. (NYT) 3545 words
Late Edition - Final , Section A , Page 1 , Column 2

ABSTRACT - Private security companies are performing crucial jobs once entrusted to military far more in Iraq than in any other conflict in American history; Pentagon is relying on them to guard reconstruction projects, provide security for American administrator L Paul Bremer III and other officials, escort supply convoys through hostile territory and to defend key locations; company executives see clear boundary between their defensive roles as protectors and offensive operations of military, but as insurgency increases, companies are becoming more deeply enmeshed in combat, in some cases all but obliterating distinctions between professional troops and private commandos; security firms have sent force of roughly 20,000 to Iraq on top of American military presence of 130,000; most security firms' recruits are former members of American military; photo; chart (L)

http://www.nytimes.com/2004/04/19/international/middleeast/19SECU.html?pagewanted=1

 また,別の報道によれば,バグダッドでは,ネパールから「出稼ぎ」に来た数百人の元兵士が,市内各所の政府関連施設などを警備,治安の一翼を担っているという.
 彼らは,米軍が委託した英国の警備会社と契約し,高額報酬を目当てに,武装勢力の攻撃の標的にもなりかねない危険な任務に就いている.
「危険なのは分かっている.だが,9人の大家族を養うために1年以上はここで稼ぐつもりだ」
と,市中心部の国際会議場で警備に当たる,カトマンズ出身の元兵士ジャンガ(48)は真っ黒に日焼けした顔で答えたという.


 【質問】
 イラク暫定統治評議会のメンバーは?

 【回答】
 2003年7月16日時点で,以下の通りだった.

 1.アフマド・チャラビ氏(58歳):シーア派.シカゴ大学で博士号取得(数学).幼少時の1958年にイラクを後にする.1989年にヨルダンで公金横領罪で欠席裁判を受け禁固20年の判決が出されている.1992年にイラク国民会議(INC)創設し代表に就任.ラムズフェルド米国務長官に極めて近いと言われている.2003年4月に帰国.
 ※後に横領で告発され,評議会がポシャることに.

 2.アブドゥル・アジズ・アル・ハキム氏:シーア派.イラク・イスラム最高評議会(SCIRI)の副代表.ちなみに,代表は実兄のムハンマド・バキル・アル・ハキム氏.同兄とイランで23年間の逃亡生活を送ってきた.SCIRIの軍事部門であるファイラク・バデルの司令官でもある.

 3.イブラヒム・アル・ジャアファリ氏(56歳):シーア派.カルバラ生まれ.モスル大学医学部卒.イラク最古の政党であるダーワ党スポークスマン.1966年に同党入党.1970〜1979年は同党でカルバラ勤務.その後イラク諜報機関に追われたためにイランへ逃亡.1989年にロンドンに移るまでイランに滞在していた.ちなみに,同党は1970年代後半に反フセイン闘争を展開し,7万7000人もの犠牲者を出したとしている.同党は1982年に潰される.

 4.ナーセル・カーメル・アル・チャドリチ氏(70歳):スンニー派.バグダッドの名家の出身.カイロ及びバグダッドで修学.その後,現在までイラクに在住.1959年に弁護士に就任するも,他方で農業関係企業の経営に当たる.国民民主党の指導者.

 5.ジャラール・タラバーニ氏(67歳):スンニー派,クルド人.クルド愛国同盟(PUK)代表.1934年クルド地域のイルビル生まれ.15歳の時にクルド民主党(KDP)に加わり1953年には政治局員に就任するが,1975年に脱退しPUKを設立.PUKはクルド地域の南東部を支配している.英語とフランス語に堪能.

 6.マスード・バルザーニ氏(56歳):スンニー派,クルド人.1946年生まれ.彼の生誕した日に山岳地帯の戦闘に優れていたことで知られる実父ムスタファ・バルザーニ氏がクルド民主党(KDP)を設立した.実父の死去に伴い1979年に党首に就任.1980年にはフセイン前大統領によって8000名が逮捕され,彼の3名の兄弟も行方不明になる「イラク人によるバルザーニ一族の大虐殺」とクルド人が呼ぶ事件が起きている.彼の出身地の村落は合計17回の焼き打ちにあっている.1991年以降,ライバルのジャラール・タラバーニ氏とクルド地域を分割し西北部を支配している.

 7.イヤード・アラウィー氏(57歳):シーア派.外科医.王制時代の保健相の孫.1961年〜71年はバース党員であったが,その後反政府活動に参加し祖国を後にしてベイルート,ロンドンへ渡る.1991年2月にイラク国民和解運動を結成.イラク戦争後にイラクに帰国.イラク国民和解運動には,多くの元バース党員及び元軍人が参加している.

 8.シェイク・アフマド・アル・ブラク・アル・ブスルタン氏:シーア派.法曹協会会長.バベル人権協会調整官.1991年よりイラク外務省で国連プログラムの従事.

 9.アドナン・パチャーチ氏(81歳):スンニー派.外相としてバース革命(1968年)以前の1965年〜67年に,アブドゥル・サラアム・アレフ,アブドゥル・ラフマン・アレフ政権に仕える.1971年にイラクを後にしてロンドン,アブダビで32年間を過ごす.特に,アブダビには23年間居住し,今日のアブダビ石油公社(ADNOC)の基礎を築いた.2003年2月,世俗の民主政権の創設を支持するイラク人の母体として独立民主運動を設立した.2003年5月に帰国している.多くのイラク国民に尊敬されている自由主義者.ブッシュ政権は一時,同人を暫定首相の候補として考えていた模様である.

 10.アケイラ・アル・ハシミ氏:シーア派.元外交官.フセイン政権崩壊後のイラク外務省を運営・管理していたフォローアップ委員会委員を務めていた.フセイン政権時代には外務省広報局に勤務.タリク・アジズ元外相に近かったと言われている.法学士.フランス現代文学で博士号取得.

 11.ラジャ・ハビブ・アル・フザアアイ女史:シーア派.ディワニーヤの産婦人科病院院長.1960年代からロンドンで暮らしていたが1977年にイラクに帰国.

 12.ハミード・アブドゥル・マジッド・ムーサ氏(62歳):シーア派.エコノミスト兼石油研究者.1978年にイラクを後にするが,反フセインの政治活動を続けるために1983年に帰国.1991年以降はフセイン政権の支配下になかったクルド地域に避難していた.1993年からイラク共産党(1934年創設)書記長.

 13.ムハメッド・バフル・アル・ウルーム氏(80歳):シーア派.ロンドンのイスラム・センター(アフル・アル・ベイト)を主催してきたリベラル派のイマーム.フセイン前大統領によって親族の大量殺害のあった1991年にロンドンに渡る.フセイン政権崩壊後の2003年4月にイラクに帰国.最近はバグダッドとナジャフを往来している.

 14.シェイク・ガジ・マシャル・アジル・アジル・ヤーウェル氏(45歳):スンニー派.モスル出身.土木技師.有力部族であるシャンマル族のシェイク・モフシン・アーデル・アル・ヤーウェル部族長の孫.シャンマル族はイラク,シリア,ヨルダン,サウジアラビアにまたがっており,宗派的にもスンニー派もシーア派もいる.同人はHicap Technology 社の副社長としてサウジアラビアに15年間居住し2003年6月4日にイラクに帰国した.

 15.モフセン・アブデル・ハミッド氏:シーア派.キルクーク出身.ムスリム同胞団のイラク内の組織であるイラク・イスラム党の書記長.なお,同党は1960年に創設されたが,1961年には活動を禁止されている.コーランの解釈本を30冊以上出している.イラク・イスラム党を再結成した容疑で1996年に拘禁された.

 16.サミール・シャーキル・マフムード氏:スンにー派.スマイディ(al-Sumaidy)一族の一員で北部バグダッドの部族の指導者.ハディーシャ出身.反体制派の中では著名な人物.

 17.マフムード・アリ・オスマン氏(60歳):スンニー派.クルド人.スレイマニヤ出身.クルド民主党に入るもその後離党し,1975年にロンドンでクルド社会主義者党を設立する.しかし,その後政治活動を離れイルビルに居住.

 18.サラハディーン・ムハンマド・バハエッディーン氏(53歳):スンニー派.クルド人.ムスリム同胞団に近いイスラム主義者.アル・タウィーラのハラブジャの宗教家系に生まれる.1994年12月にクルド・イスラム連盟(又はイスラム連盟党)の事務局長に選出される.クルド語及びアラビア語での著書が数冊ある.

 19.ユナデム・ユーセフ・カナ氏(50歳):アッシリア・キリスト教徒.クルド地域のドホーク生まれ.但し,キルクークに居住.1979年から反フセイン闘争を開始し1981年に民主アッシリア運動を創設.1992年に初のクルド地域地方政府が誕生した時の運輸・通信相.1996年に同地方政府の工業相.現在は民主アシッリア運動の指導者.

 20.ムアファック・アル・ルベイ氏:シーア派.元ダーワ党員.英国王室医師専門学校会員の内科,神経科医.穏健な知識人で人権活動家でもある.「イラク・シーア宣言」作りに参画.

 21.ダラ・ヌール・アルジン氏(50歳):スンニー派.クルド人.キルクーク出身.バグダッド控訴院裁判官.イラク革命評議会の決定(適切な補償抜きでの土地収用)に違憲判決を下したために3年間服役する.2002年10月の恩赦で釈放.

 22.ソンドゥール・チャプーク女史(35歳):トルクメン.キルクーク出身.モスール・ファイン芸術(アート)学校教員.イラク女性団体の指導者でイラク・トルクメン・フォーラム会員.既婚で二児の母親.

 23.ワーイル・アブドゥル・ラティフ氏(50歳):シーア派.1982年から裁判官.1994年に1年間投獄される.フセイン政権時代の最終地位はバスラ裁判所長.2003年7月4日にバスラ県知事に任命される.

 24.アブドゥル・カリム・マフムード・アル・ムハメダーウィ氏(45歳):シーア派.アブ・ハテムの呼称で通っている部族長.1986年までの6年間服役していた.その後,南部の湿地帯で17年間に亘り反フセイン抵抗運動を続け,「湿地帯の王子」の異名をとった.特に,アマラのヒズボラ・グループを率いてアマラの解放のために戦ってきた.

 25.アブデル・ザフラ・オスマン氏:シーア派.バスラのイスラム・ダーワ運動の指導者.新聞・雑誌の編集者であり,作家,哲学者,政治運動家でもある.

IDCJ エネルギー・環境室長/主任研究員 畑中美樹<はたなか・よしき>


 【質問】
 イラク統治評議会(IGC)は何故失敗したのか?

 【回答】
 スンニ派部族リーダーSheikh Yawar曰く,
「国が燃えている時に評議会の席に座ってプロセジュアを論議していた」
「我々はコンスタンチノープルのビザンチン人のように,野蛮人が城門まで来ていると
きに天使が男か女かを議論していたようなものだ」

 詳しくは,以下の記事を参照されたし.

Why Iraq Governing Council failed

By Dan Murphy | Staff writer of The Christian Science Monitor

BAGHDAD ――With daily gun battles between Sunni insurgents and US Marines in Fallujah, and the tense standoff between US forces and militia loyal to Shiite cleric Moqtada al-Sadr in the southern city of Najaf, the United States was expected to turn to its appointed Governing Council to mediate a peaceful solution.

The much-vaunted council was supposed to put an Iraqi face on the occupation. "The Governing Council will be involved in all the significant decisions,'' Paul Bremer, the top US administrator here, said last July. "It will be a huge step forward."

But today, Lakhdar Brahimi, the UN's Iraq envoy, is writing a transition plan for Iraq that, if he gets his way, will freeze Governing Council members out of Iraq's transitional government.

To council member Ghazi al-Yawar, the conclusion is simple. "We've failed,'' he says. With a trace of disgust, he complains that a sectarian council, more focused on survival than on serious issues, has simply added to the country's problems.

"We sit in the council while the country is burning and argue over procedure,'' says Sheikh Yawar, a Sunni tribal leader who lived abroad until last year. "We're like the Byzantines in Constantinople, debating whether angels are male or female with the barbarians at the gate."

Under Mr. Brahimi's plan for a transitional government, all 25 members of the US-appointed council would be culled in favor of a team of technocrats to be chosen next month by Brahimi's team and influential Iraqis, with US input. The group would take power in July and shepherd Iraq to elections next January - in which, ideally, they would not participate.

Aides to Brahimi say he's uncomfortable with a continuing role for the Governing Council, fearing they could try to manipulate electoral laws and procedures that would deprive any elected government of the legitimacy most believe is needed to calm tensions.

"The members of the caretaker government must be careful not to use their positions to try and give advantage to any political party or group," Brahimi told the UN Security Council Tuesday. "In order to prevent even the perception they might do so, it would be best if the members of the caretaker government" don't later run for election.

Silence as volatility grows

Governing Council member Yawar spoke two weeks ago as Iraq descended into the most volatile period to date of the occupation. But as the US has searched for Iraqi mediators, the council has been largely silent.

Instead, a Governing Council subcommittee spent the past few weeks putting the final touches on a new national flag. Abandoning the current flag - with the words "God is Great" in Arabic and the red, black, and green color scheme favored by almost all Arab nations - the new flag is mostly white, with blue stripes and a blue crescent symbolizing Islam.

But to many, it resembles Israel's flag - and it has crystallized the view of many that the council is out of touch.

"Unfortunately, the Governing Council has failed to play a constructive role in fixing Iraq's deep and important problems,'' says Ayatollah Imad al-Deen Awadi, a Shiite cleric, who believes the unpopularity of the council has driven many Iraqis to religious figures for political leadership, like Shiite cleric Sadr, whose anti-US militia control the shrine city of Najaf.

"The people are suffering and they're worried about the flag," says an incredulous Wissam al-Ekabi, a student at Baghdad University. "The Governing Council is supposed to be fixing the security situation and creating jobs. But this seems to be all they're up to."

His friend, Alaa Muhammed, adds: "They clearly didn't talk to many Iraqi people about this. The flag is meaningless, just like the council."

Hopes of preserving a role

Brahimi's growing influence over the transition process, as the US seeks to broaden international involvement here in response to failing support for occupation inside Iraq, has been deeply threatening to some members of the Governing Council, who have gone on the offensive against Brahimi in the hopes of preserving a role for themselves in the transition.

Leading the charge has been Ahmad Chalabi of the Iraqi National Congress (INC).

The former exile's political movement was funded for years by the US government, and he was originally slated by the Pentagon to run Iraq's postinvasion government. But his lack of evident domestic support forced that plan to be scrapped last April. And Mr. Chalabi has increasingly fallen out of favor with the US.

Chalabi told Fox News Sunday that Brahimi is "a controversial figure. He's not a unifying figure." Al-Mutamar newspaper, linked to Chalabi's INC, has grown increasingly strident in its attacks on Brahimi.

In a front-page opinion piece Wednesday, the paper accused Brahimi and Adnan Pachachi, a Governing Council member who has welcomed UN involvement, of "cooking up a plan" to deny a political role for legitimate Iraqi leaders so that they can form a government "from behind the curtains."

The paper also alleged that the marriage of a Brahimi sister to a member of Jordan's royal family has tainted his independence. Chalabi was convicted in absentia on embezzlement charges in Jordan in the early 1990s, and is still a wanted man in the kingdom.

"Politicians like Chalabi know that their best chance at power is maintaining their current, appointed positions,'' says an Iraqi political scientist who is advising Brahimi on the transition plan. "The moment they come up against free and fair elections, they're finished."

Brahimi says it needs to be recognized that no Iraqi government will be truly representative until elections are also so, and has urged that the transitional government refrain from locking Iraq into any policies that could fuel the country's internecine conflicts.

"The caretaker government also needs to be mindful, at all times, of the fact that it has not been democratically elected,'' he told the UN Security Council. "It should therefore [refrain] from entering into long-term commitments that can and should await decision by an elected government. There is no substitute for the legitimacy that comes from free and fair elections."

http://www.csmonitor.com/2004/0429/p06s02-woiq.html

 また,Paul Krugmanも,New York Times, 2004/6/29において,"Who Lost Iraq?"と題し,CPAをはじめ米国の占領政策の失敗について辛口批評している(有料).


 【質問】
 選挙は早期に実施すべきか?

 【回答】
 フセイン・アル・シャリスタニ HUSSAIN AL-SHAHRISTANI によれば,早期に実施すべきであるという.
 同氏はイラクのシーア派の有力宗教指導者シスタニ師のアドバイザーであり,サダム政権で10年以上の監禁を受けていた人物.

 "Election Fever"という論文の中で,同氏は,現状の混乱と戦闘をCPAの政策的失敗として幾つかその理由を挙げ,現状は「内戦」ではなく政治的権力闘争だとしていて,早期の民主的選挙とイラク人による地方自治確立が必要と言う.
 彼によれば,イラク人はサダムの再来も内戦もサドル師の言う反米闘争も望まないが,自分達の生活を規定する自治政府を自分達の手にすることは望んでいる.
 アメリカは早期にイラクの民主的選挙を進めるべきで,それがアメリカへのイラク人の支持を得る方法である,という.

 ロバート・ケーガン Robert Kagan も,早期の政権委譲と選挙を主張する.

Democracy Now
From the May 17, 2004 issue: The Bush administration seems not to recognize how widespread, and how bipartisan, is the view that Iraq is already lost or on the verge of being lost.
by Robert Kagan and William Kristol
05/17/2004, Volume 009, Issue 34

WE DO NOT KNOW how close the American effort in Iraq may be to irrecoverable failure. We are inclined to believe, however, that the current Washington wisdom--that the United States has already failed and there is nothing to do now but find a not-too-damaging way to extricate ourselves--is far too pessimistic, a panicked reaction to the difficulties in Falluja and with Moktada al-Sadr, as well as to the disaster of Abu Ghraib. We are also appalled at the cavalier and irresponsible way people on both left and right now suggest we should pull out and simply let Iraq go to hell. We wonder how those who, rightly, complain about the American mistreatment of Iraqi prisoners, can blithely consign the entire Iraqi population to the likely prospect of a horrific civil war and the brutal dictatorship that would follow. Spare us that kind of "humanitarianism."

Thank goodness the president says he remains committed to victory. Thank goodness there are stalwarts like Senators Joe Biden, Joe Lieberman, and Evan Bayh in the Democratic party who are fighting against that party's growing clamor for withdrawal. But loss of confidence that the war is winnable goes well beyond left-wing Democrats and isolationist Republicans.(←この二つが彼らの敵です)

(中略)

Among the biggest mistakes made by the Bush administration over the past year has been the failure to move Iraq more rapidly toward elections. It's true that many, inside and outside the administration, have long been clamoring to hand over more responsibility to Iraqis, responsibility above all for doing more of the fighting and dying. But the one thing even many of these friends of Iraq have been unwilling to hand over to Iraqis is the right to choose their own government. This is a mistake. (なぜ早く政権渡さなかったんだ!と怒ってます)

(中略)

We don't claim to have a silver bullet. But we believe one answer to the current crisis would be to move up elections by several months, perhaps to September. The administration could announce very soon that nationwide Iraqi elections will be held on September 30(9月30日にしろと言ってます)

(中略)

Accelerating the elections would have several virtues: First, it would change the subject. Instead of focusing on their anger at Americans, Iraqis would be compelled to begin focusing on the coming elections, where each and every Iraqi adult will have a chance to participate in shaping the future

選挙を早めるといい理由は・・・・1,話題を変えることができる.

Second, with elections coming quickly, those who continued to commit violence in Iraq would be understood to be attacking not only the United States, but also the elections process, and therefore democracy.

2,反乱軍が民主主義を攻撃していると思わせることができる,よってやつらは反アメリカじゃなくて反民主主義になるのだ,だって.

Third, with elections pending, American military actions could be seen not just as an effort to suppress rebellious Iraqi movements but as a vital support for the elections process, and for democracy.

3,反アメリカよりも選挙妨害と見なされるようになる,と.

Fourth, and not least important, the holding of elections in Iraq within a few months might give Americans here at home greater confidence that things can be turned around in Iraq.

4,アメリカ人にも自信を与える.

Finally, the administration should use the new date for elections as an opportunity to make one more run at Europe and the international community for support. It could challenge the French and Germans to send troops to Iraq not to aid our occupation but to support elections. And aside from troops, Europeans could provide vital money and technical assistance to the elections process

5,ヨーロッパも呼べる,

As we say, this proposal is not a cure-all. It carries its own risks as well as benefits. If someone has a better idea, we're happy to hear it. But if the administration does not take dramatic action now, it may be unable to avoid failure

もっといいアイディアがあったら聞くぞ!と.

http://www.weeklystandard.com/Content/Public/Articles/000/000/004/056mvrqy.asp


 【質問】
 イラク暫定政府はどの程度の権限を持つことになるのか?

 【回答】
 ブッシュ大統領の演説や米英の国連安保理決議案草稿から判断すると,暫定政府は国際政治上の主権,法的主権はもつが,事実上の主権は持てそうにないと考える専門家もいる.

 イラクの暫定政府は正統な政府として認められる.
 しかし,暫定政府の事実上の主権はイラクに十三万八千人の米軍が駐留し,またイラク側が十分な防衛能力を持っていないことによって大きく損なわれることになる.
 また,暫定議会選挙が予定されている二〇〇五年一月までは,イラク政府は新たに法律を導入することも,長期的な国際合意を結ぶこともできない.
 そしてまた,専門家によれば,暫定政府はイラク軍の完全な指揮統制権を持たないし,安保理の決議がなければ,米軍や外国の部隊を国外へと追い出すことはできない.

http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/Iraq/IraqToday.htm


 【質問】
 国連はどのように暫定政府のメンバーを選んだか?

 【回答】
 ブラヒミはイラクの政治指導者,民間指導者,宗教指導者,イラク統治評議会のメンバー,その他のイラク人と会って,閣僚候補者のリストを作成した.彼は,CPAのポール・ブレマー行政官,コンドリーザ・ライス米大統領補佐官の側近のロバート・ブラックウェルとも協議し,六月一日に閣僚リストを発表した.

 その結果,シーア派のイヤド・アラフィが首相職を担い,大統領にスンニ派のガジ・ヤワル,二人の副大統領ポストにはシーア派のイブラヒム・ジャファリ,クルド人のロジェ・ヌーリ・シャウィスが指名された.

http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/Iraq/IraqToday.htm


 【珍説】
「イラクの暫定政権は,アメリカの傀儡政権だ!!」

 【事実】
 ヤワル大統領はイラク民衆の8割以上の支持を得ているわけですが,なにか?

 「暫定政権信任」68%…イラクで世論調査 [読売新聞 2004/6/25]

アラウィ首相・・・支持率73%
ヤワル大統領・・・支持率84%


 【質問】
 2005年1月30日に実施されたイラクの総選挙の仕組みは?

 【回答】
 二つの無記名投票,クルド地区では自治議会議員選挙も行われた.立候補者は極めて多数に上ったという.
 以下引用.

 イラクの有権者は二つの無記名投票をおこなう権利を与えられた.国民議会議員選出,地方議会(18の地方州がある)議員選出である.
 クルド地区の3州(ダホウク,エルビル,スライマニア)では,有権者は三つ目の投票即ちクルド自治議会議員の選出もおこなった.

 今回の選挙にはさまざまな党派が立候補者をだし,有権者の持つ選択の幅が大きかった.
 計111の政党,連合及び無党派が立候補者をだしたが,候補者数は合計7471人で,275の国会議席を争った.
 地方議会選挙の方は,議席総数748(各州41議席,バグダッドは特別で51議席)を,7850人の候補者が争った.
 クルド地区の自治議会は議席数111で,499人が立候補した.国会,地方議会,自治議会で15820人が立候補し,1134の議席を争った勘定になる.
 平均すれば1議席に候補者14人の割合である.
 西側の基準からすれば,立候補率が高い.ほぼ半世紀に及ぶ独裁政治と抑圧から解放され,その開放感が一気に民主的動きにつながったとみれば,容易に理解できる.

ニムロッド・ラファエリ from MEMRI, 2005/2/16


 【質問】
 総選挙の結果は?

 【回答】
 投票率は59%.
 クルド,シーア派,アラウィ派の投票数の87,6%を占めたという.
 以下引用.

-----------------------ここから引用----------------------------------

 イラク独立選挙管理委員会(IECI)の発表した数字によると,登録有権者数1420万人(海外の登録有権者を含む)のうち,約59%にあたる845万人ほどが投票した.
 選挙結果を肯首できぬ人が異義の申立てができるように,正式認定は結果発表の日から3日後におこなわれる.
 アル・ラミ(`Adil al-Lami)はIECI事務局長として,問題視されかねないのは投票結果表ではないと指摘した.
 選挙管理委員会は,治安問題を考慮してモスール市のほかスンニトライアングルの数都市で投票用紙箱を聞かなかったという話の方が,むしろ問題視される可能性がある.その結果有権者15000人ほどが投票の機会をなくしたという※1.

 得票数からみた議席配分は次の通り.

政党候補者数得票 議席

イラク・イスラム労働運動11143,205 2

クルディスタン同盟130 2,175,551 75

統一イラク同盟(シスタニ後援) 169 4,075,295 140

トルコメンイラク戦線 175 93,480 3

ラフィダイン(アッシリアキリスト教) 204 36,255 1

イラク(アル・ヤウェル大統領派) 255 150,680 5

国民民主同盟 258 36,795 1

イスラムクルド社会 283 60,592 2

イラクリスト(アラウィリスト) 285 1,168,943 40

和解と自由の党 311 30,796 1

共産党 324 69,920 2

国民選良幹部党(親サドル派) 352 69,938 3

合計 8,011,450 275

議席配分手続

イラクの国民議会議席275は,次の方法で配分される.

※ 有効投票数(8,456,266)を275で割り,まず得票数30750票で1議席とする.

※ 上記得票数に達しなかった党派は議席を確保できない.即ちきり棄てとなる.

※ その分だけ票数がきり棄てられ,8,011,450票を以て議席配分の基準数字とする.

※ それを275で割った数即ち29132票で1議席とする.

※ 上記計算で残った議席は,端数の一番多い党派に1議席加えてバランスをとり,275議席とする※2.

 予期されていたように,3派で議席の大半をおさえた.
 即ちクルド(130議席),シーア派(169議席),アラウィ派(185議席)である.この3派が投票数の87,6%を占めた.
 スンニ派が多数投票したとしても,3派の得票数は同じであったかも知れないが,全体に占める割合は小さくなっていたであろう.

-----------------------引用ここまで----------------------------------

ニムロッド・ラファエリ from MEMRI, 2005/2/16


 【質問】
 新生イラク軍の現状はどうなっているのでしょうか?
 装備も充実し,一通り軍隊としての体裁を整え終わったのか,
 それともまだ発展途上なのですか?

軍事板

 【回答】
 現在,イラク陸軍は10個師団整備終了.
 うち1個は機械化歩兵師団.
 他は軽歩兵師団.
 さらに2個師団の増設中.
 また,家族というか部族のもとを離れた地域に部隊を送り込む能力を確保するための制度や,減耗を補うために人員規模を拡大している.

 支援については自動車輸送連隊を9個整備しているほか,国家全域への補給廠も整備.

 空軍は小規模.
 輸送隊が将来的にはC-130 6機となる.
 このほか哨戒ヘリ,哨戒専用機などもあり.

 海軍も小規模.ごく小規模の海兵隊もある.

 この手の話は警察,施設警備隊なども含めて,DoDのサイトで4半期毎の議会向け報告書の一般公開版があるので,それを読むと分かります.

軍事板

 この件については,
Creating an Iraqi Army from Scratch :Lessons for the Future
AEI:イラク軍をゼロから作るという経験,将来の為の教訓

By Col. Frederick Kienle, U.S. Army Posted: Friday, May 25, 2007

というページがある.
 これはちょと面白い書き物で,アメリカ軍の中の人が書いている,2003以降のイラク軍の育成に関わる試行錯誤の経過といったもの.
 イラク戦争で,アメリカ軍がバース党とシーア派の政府組織や軍を壊滅させた後に,全くゼロの状態から,選挙制度や憲法,イラク議会や警察,といったものと同じようにイラク軍を作り上げる為に,迷いながら苦労してきたことが伺える.

 これを読んでいると,ブレーマー暫定イラク統治の時代の,バース党排除などの判断がどの程度妥当であったかとか,考えることは多そうな.
 最強の多国籍軍があるとしても,自ら国を守り,自国の治安を確保する警察や軍無しにイラクの安定はあり得ない.
 その再構築の困難さや遅れが,イラクの大きな問題のひとつであった.
 その育成過程で,軍のアドバイザー(イラク軍に入り込んで助言できる人材)の果たした役割は重要である.
 そうしたことの果たせる人材が,将来の紛争でも重要であろう.

 これを読んでみると,初期のイラク暫定政権(ブレーマーCPA)はイラク国内の宗教対立紛争がやテロが深刻なレベルで起こるとは予想しておらず,イラク軍は国境警備などの対外的な対応のため必要という議論になっている.
 イラクの警察や軍をゼロにリセットした為に,隠れていた宗教対立テロなどが顕在化するチャンスを与えた,といえるのかも.

 また,占領統治軍がイラクの軍などの体制を再建する上で,アラビア語が大きなネックになっていることは明らかで,これは難しい課題.

ニュース極東板

 また,
The Real Surge
By DJ Elliott November 23, 2007 10:44 AM

によれば,2006年11月にマリキ政権は,治安改善の為にイラク軍の兵力増強が必要であると判断したという.
 イラク政府の作った計画は3個師団(division),5旅団(brigade),20大隊(battalion),およびイラク軍特殊部隊大隊(ISOF battalion)の追加である.
 政府はさらに既存のイラク軍の人員を110%増加させるとした.
 この計画の時点のイラク軍は10個師団,35旅団,102大隊で,ISOFが2大隊であり,多くのイラク軍の組織は人員充足率が65%程度であったという.

 この後,イラク軍は12師団,41旅団,123大隊および4大隊のISOFに成長した.
 イラク軍の増強の詳細について,表にしたものがあるので参照してほしい.
http://www.longwarjournal.org/multimedia/IA%20expansion.JPG

 アメリカ軍は2007年2月に追加した兵力を2008年6月に元に戻す予定であるが,その時点ではイラク軍は13師団,49旅団,154大隊,6個のISOFに成長している予定.
[・・・]
 計画によれば,2009年初旬にアメリカ軍イラクで10戦闘旅団に縮小する頃には,イラク軍は52旅団162大隊,7個のISOFに成長しているはずだという
 イラク軍には追加の武器装備,補給システム強化,技術大隊の創設が予定されている.
 アメリカ軍のイラク軍育成支援グループは,14000人から33000人に増加される.
[・・・]

ニュース極東板
青文字:加筆改修部分

イラク治安部隊のRPG-7射手


 【質問】
 新イラク軍に配備される戦車は?

 【回答】
 近代化改装されたT-72が主力になる模様.
 また,M1A1 Abrams 戦車×140 両も保有する計画.

――――――
http://www.kojii.net/news/news090123.html

 DSH (Defense Solutions Holding, Inc.) は,DefenseNews の 2009/1/12号で
「イラクでは T-72 戦車×2,000 両の調達を計画しているが,そのイラクが DSH に対して T-91 戦車の近代化改修を発注した」
と報じた件についてコメント.
「アメリカ政府に対して,FMS (Foreign Military Sales) の提案は行ったが,まだ何も確定していない」
とのこと.(DSH)
――――――

 関連記事.
「Defence News」:イラク,2000両のT-72の購入を計画

以下,箇条書きで紹介.

・米国防総省と米防衛産業筋が明らかにした情報.
・イラクは米軍撤退後に備えて最大2000両の改良されたT-72戦車の調達を計画
・「T-91」に近代化される.*「T-91」の詳細は不明.ポーランドのPT-91「トワルディ」か?
・T-72はチェコ,スロバキア,ポーランド,ウクライナなどの東欧諸国から調達され,米国企業により近代化を受ける
・退役陸軍大佐のTim Ringgold CEOはT-72の近代化について,デジタルディスプレイ,新型通信機,赤外線暗視装置,レーザー照準装置を装備させると語る.イラク当局者は数週間以内に契約に署名するであろうと述べた.
・国防総省当局者は,取引が成功する可能性が高いとし,また現在149両の戦車を保有するイラク軍は,ここ数年で多数のT-72を含む2000両の戦車を購入する事を望んでいると述べた.FMS物件にて処理されるであろうとした.
・イラク国防省のワシントン駐在報道官はノーコメント.
・Tim Ringgoldによると,作業は2月から始まり数ヵ月後に引渡しが開始されるとしている.イラクは戦車1両につき300万ドルを支払う.
・イラクは2005年にハンガリーから77両のT-72を購入しており,ここ数ヶ月以内にアメリカからエイブラムズ戦車140両とストライカーAPCを400両を受領する.
・Tim Ringgoldによると,イラクは4000両の装甲戦闘車両とさらに多くのエイブラムズの調達を望んでいるが,改修されたT-72は1000万ドルのエイブラムズよりもはるかに安く,イラク軍をより低コストで武装させる事が出来るとした.また,イラク軍は2003年にアメリカ軍に破壊されるまでに2000両のT-72を運用していた経験があり,T-72には精通している事も指摘した.
・イラクの武装化は,アメリカの撤退後に力の空白が生じる事を防ぎ,イランなど隣国の脅威に対抗する事を可能とする.
・T-72については,市街戦での有効性を指摘すると共に防御力の不安を懸念するアナリストもいるが,改装により米軍との共通性を高め,性能を向上させる事を肯定的に評価するアナリストも存在する.「近代化されたT-72 は,イランへの抑止力となり,国内の反乱勢力に対する強力な防御手段となるであろう」

 一方,こちらの報道ではロシアから購入すると報じられている.
イラク,2000両のロシア戦車を購入

 イラク政府は2000両の戦車を購入するロシアとの大規模な兵器取引を交渉しているとの事.
 しかし,より新しい戦車(記事ではT-82,T-92と表記されている.
 おそらくT-80,T-90か)ではなく,湾岸戦争やイラク戦争で大きな被害をこうむったT-72なのかは明確では無い.
 アナリストは,取引が透明性に欠け,賄賂や手数料など羽発生する事を懸念している.

軍事板
青文字:加筆改修部分

――――――
イラク向け M1 (DSCA 2008/12/10)

 米 DSCA (Defense Security Cooperation Agency) は議会に対して,イラク 向けに FMS (Foreign Military Sales) 経由で M1A1 Abrams 戦車×140 両 などを輸出すると通告した.
 すべてのオプション契約分まで実現した場合の 総額は,21 億 6,000 万ドル.
(以下略)
――――――

――――――
イラク,2000両のT-72の購入を計画

 Tim Ringgoldによると,イラクは4000両の装甲戦闘車両とさらに多くのエイブラムズの調達を望んでいるが,改修されたT-72は1000万ドルのエイブラムズよりもはるかに安く,イラク軍をより低コストで武装させる事が出来るとした.
 また,イラク軍は2003年にアメリカ軍に破壊されるまでに2000両のT-72を運用していた経験があり,T-72には精通している事も指摘した.
――――――

 米軍が改造したT-72が光臨するのか!?
 かつての敵であった戦車を改造して配備させるとは・・・時代も変わりましたなぁ.
 東欧諸国の魔改造T-72を参考にするのなら,個人的にはポーランドよりもチェコのT-72CZを!

軍事板
青文字:加筆改修部分


 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ・∀・)< エイブラムズは高いし扱いづらいからT-72の方がイイヨ
 ( 建前 )  \_______________
 | | |
__(__)_)______________
 ( _)_)
 | | |
 ( 本音 )  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( .A.)< T-72がお似合いだぜwww 歯向かった時に楽だからなwww
  ∨ ̄∨   \_______________

CRS@空挺軍 in mixi,2009年02月07日08:08


◆◆その他


 【質問】
 もしケリー政権が誕生していたら,どのように対イラク戦略は変化しただろうか?

 【回答】
 ケリー候補自身は,'04年4/13付Washington Post紙上に於いて,"A Strategy for Iraq "と題し,以下のように述べている.

To be successful in Iraq, and in any war for that matter, our use of force must be tied to a political objective more complete than the ouster of a regime. To date, that has not happened in Iraq. It is time it did.

In the past week the situation in Iraq has taken a dramatic turn for the worse. While we may have differed on how we went to war, Americans of all political persuasions are united in our determination to succeed. The extremists attacking our forces should know they will not succeed in dividing America, or in sapping American resolve, or in forcing the premature withdrawal of U.S. troops. Our country is committed to help the Iraqis build a stable, peaceful and pluralistic society. No matter who is elected president in November, we will persevere in that mission.

But to maximize our chances for success, and to minimize the risk of failure, we must make full use of the assets we have. If our military commanders request more troops, we should deploy them. Progress is not possible in Iraq if people lack the security to go about the business of daily life. Yet the military alone cannot win the peace in Iraq. We need a political strategy that will work.

Over the past year the Bush administration has advanced several plans for a transition to democratic rule in Iraq. Each of those plans, after proving to be unworkable, was abandoned. The administration has set a date (June 30) for returning authority to an Iraqi entity to run the country, but there is no agreement with the Iraqis on how it will be constituted to make it representative enough to have popular legitimacy. Because of the way the White House has run the war, we are left with the United States bearing most of the costs and risks associated with every aspect of the Iraqi transition. We have lost lives, time, momentum and credibility. And we are seeing increasing numbers of Iraqis lashing out at the United States to express their frustration over what the Bush administration has and hasn't done.

In recent weeks the administration -- in effect acknowledging the failure of its own efforts -- has turned to U.N. representative Lakhdar Brahimi to develop a formula for an interim Iraqi government that each of the major Iraqi factions can accept. It is vital that Brahimi accomplish this mission, but the odds are long, because tensions have been allowed to build and distrust among the various Iraqi groups runs deep. The United States can bolster Brahimi's limited leverage by saying in advance that we will support any plan he proposes that gains the support of Iraqi leaders. Moving forward, the administration must make the United Nations a full partner responsible for developing Iraq's transition to a new constitution and government. We also need to renew our effort to attract international support in the form of boots on the ground to create a climate of security in Iraq. We need more troops and more people who can train Iraqi troops and assist Iraqi police.

We should urge NATO to create a new out-of-area operation for Iraq under the lead of a U.S. commander. This would help us obtain more troops from major powers. The events of the past week will make foreign governments extremely reluctant to put their citizens at risk. That is why international acceptance of responsibility for stabilizing Iraq must be matched by international authority for managing the remainder of the Iraqi transition. The United Nations, not the United States, should be the primary civilian partner in working with Iraqi leaders to hold elections, restore government services, rebuild the economy, and re-create a sense of hope and optimism among the Iraqi people. The primary responsibility for security must remain with the U.S. military, preferably helped by NATO until we have an Iraqi security force fully prepared to take responsibility.

Finally, we must level with our citizens. Increasingly, the American people are confused about our goals in Iraq, particularly why we are going it almost alone. The president must rally the country around a clear and credible goal. The challenges are significant and the costs are high. But the stakes are too great to lose the support of the American people.

This morning, as we sit down to read newspapers in the comfort of our homes or offices, we have an obligation to think of our fighting men and women in Iraq who awake each morning to a shooting gallery in which it is exceedingly difficult to distinguish friend from foe, and the death of every innocent creates more enemies. We owe it to our soldiers and Marines to use absolutely every tool we can muster to help them succeed in their mission without exposing them to unnecessary risk. That is not a partisan proposal. It is a matter of national honor and trust.

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A6753-2004Apr12.html

 以下は,その分析.

 "Kerry's Iraq Choices By Harold Meyerson(By Harold Meyerson)によれば,ケリー候補にとってイラク政策というのは困った問題なのだ,としている.簡単なたとえ話にするとケリーが
部屋にいて,三つのドアが目の前にある状況といえよう.
@のドアには「イラクへ兵力を削減」
Aのドアには「イラクの兵力を維持」,
Bのドアには「イラクへの兵力を増加」
と書いてある.困ったことに,ケリー候補がどのドアを選んでも不利になる.

 ケリーが@のドアで兵力削減を言えば,共和党側は待ってましたとばかりに戦争に弱いマサチューセッツ・リベラルの大統領候補と宣伝しまくるだろう.これは不利なこと極まりない.
 ではABのドアはどうか.その場合,民主党の多くはそれを承認し,共和党はそれを攻撃できないが,ラルフ・ネーダーの率いる反戦勢力はケリーを激しく非難するだろう.民主勢力の一部が独立系のネーダーに流れれば,結局のところ大統領選挙に勝てない.
 ケリーは三つのドア以外のオプションを必要としているわけだが,それは米国も同じである.

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A2329-2004May4.html

 また,クリストファー・レイン Christopher Layne も,アメリカンコンサヴァティブという雑誌において,"The Next Emperor"と題し,「あまり変わらない」という主旨のことを書いている.

Kerry sketches a foreign policy vision scarcely different from the Bush administration’s.

http://www.amconmag.com/2004_03_29/index1.html


 【質問】
 イラク報道には問題があるか?

 【回答】
 ナッサー・フレイ・ハッサン Naseer Flayih Hasan は,問題があると主張している.

FPM:左巻きジャーナリストは,いかに私の祖国(イラク)を裏切っているか

 最後のイラク戦争が終わるまで,私達イラク国民は世界の情報からは遮断されていた.イラン・ イラク戦争以降は,バース党は旅行の自由などを禁じるだけでなく,衛星TVのアンテナを厳しく取り締まり,インターネットなどは厳重に規制されていた.
 そうした長期の情報の孤立状態のために,殆どのイラク国民は世界の情勢を知らなかった.

 そうではあっても,私達は人権は普遍的な価値であり,西欧文明はそれを尊重することを知っていた.

 イラク戦争の後で西欧のジャーナリストがバクダッドにやってきたのだが,その人たちがアメリカを非難することを知ったときには,私はショックを受けた.私がMutinabi街で出会ったオランダ人の女性ジャーナリストは,どのくらい長くイラクにいるのかとの問いに「三ヶ月」と答えた.
「では戦争を見たのですね?」
というと
「アメリカの犯罪を見るために,ここに来たのよ」
と答えたので,私は固まってしまった.
「サダム政権の犯罪については知っていますか? もしサダムが今も政権についていれば,私が今あなたと話していることは犯罪で,拷問の対象ですよ」
と私はいったのだが,とたんに彼女は血相を変えて
「すぐにアメリカはもっと悪いことをやるわ」

 私は西欧の「平和活動家」や「人権活動家」といわれる人たちにバクダッドで会って驚かされたのだが,彼らはイラクについて,住んでいる私よりも良く知っていると信じていて私にお説教をしたがるのだ.
 イラクの殆どの家庭は,長期にわたる暴政のために,家族の中に虐殺や拷問の被害者を持っているのだが.
 彼ら西欧のジャーナリストや人権活動家は,そのサダム政権支持者のテロリストのことを,レジスタンスと呼ぶのだ.

 私は信じているのだが,アメリカがサダム政権を崩壊させたことはイラクに民主主義をもたらす.
 しかし同時に私はアメリカにイルージョンを抱いているわけではないので,アメリカの行動はアメリカの国益追求のためだと信じている.
 イラクの場合は,テロリスト政権の崩壊がアメリカの国益と彼らはみなすのだろう.
 そして短期的には,現時点ではイラクの民主化がアメリカの国益につながると思える.
 フランスや露西亜は,その国益追及のために,サダム政権を支持したわけだ.

 私のように,左翼というのは一般的に社会の進歩発展を支持すると思っていた人には,西欧のジャーナリストや活動家の左翼の言辞はショッキングだった.
 フランス人と話していてシラク大統領がテロリストの反乱勢力のゲリラに反対していないと聞くことは耐えがたいことで,イラク国民はサダム政権や戦後のテロリストのサダム支持派がどのくらい暴力的で非人間的な怪物であるかについて,熟知しているのだ.

 そういうわけで,私はイラクにやってくる西欧の左翼にはすっかり興ざめしてしまった.
 彼らは大変上品で,レトリックに富み,スターのように見える.
 しかしながら,周りに起こっている事実には全く気がつかず,彼らの心の中にあることのみ語る.
 彼らの理想はすばらしいが,彼らの思想は全く柔軟ではなく,彼らの行動は不必要であるばかりではなく有害なのだ.
 それは,ドグマというものが人間を血の通っていない彫像のようなものに変え得るという証拠である.

 アメリカの対イラク政策はもちろんアメリカの国益に基づいて行われたモノであるが,それは以前はフセイン体制,今はテロリストに苦しめられているイラク国民にとっては福音でもあった事は事実だ.
 なぜ左翼巻きジャーナリストは実態を無視し,テロリストをあたかも正義のレジスタンスのように描くのか?

 アフガンの復興が進むにつれて,タリバン政権下の実情が世界に周知されるようになったように,イラクの復興が進むにつれてフセイン政権下の実情が,今まで沈黙を強いられてきたイラク人の口から語られるようになってくる.

 イラクにあるアメリカ軍駐屯地の食堂で,テロリストが米兵十数人を道連れに自爆した事件があったが,その事件に絡んで駐屯地周辺のイラク人多数が弔意を示した事などは,メディアは伝えない.

( from "Front Page Magazine", 2005/1/3)他?


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