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◆経緯・背景
<イラク戦争FAQ目次

◆◆フセイン政権時代
【珍説】
フセイン大統領は,ヒトラーやスターリンのような独裁者と言われるが,イラクの伝統社会は少数民族クルド人やキリスト教徒も抱えている一方で,血縁や地縁でつながる部族,氏族の社会集団が林立して,なかなか国家としてまとまりにくいため,これを纏める,フセインが独裁的権力を振るうのはやむを得ない面がある.
【事実】
フセイン政権下では,国が纏まるどころか,石油利権の分配が難しくなると共に,同盟部族の反乱や親族の権力争いが起きるようになっていったのが実情.
例えば酒井啓子『イラクとアメリカ』(岩波新書, 2002.8)によれば,以下のような反乱・内部抗争が起こっている.
95年5月には,「共和国防衛隊の高級将校を多く輩出し,親政府部族として協力関係にあったドゥレイミ部族(スンナ派,イラク西部出身)が反乱を起こした.親族の一人がクーデター未遂事件に連座したとして処刑されたことに反発しての反乱である.
反乱自体は数日で鎮圧され,地域的広がりも見られなかったが,同じようにこれまで軍を任せていたジュブーリやシャンマルなどの同盟部族もまた,相前後して反旗を翻した.彼らは同じスンナ派の部族で,イラン・イラク戦争で兵員不足が深刻化した折,政府が急遽これらの部族に協力を仰いで,兵士を掻き集めたのである.その彼らが反乱したことは,政権を支える部族間協力体制の一角が崩れたことを意味し,政権の安定性に大きな影響を与えた.
だが,この忠誠ネットワークの崩壊は,部族同士の同盟関係に留まらない.翌月には大統領長子ウダイが,大統領異父兄弟で内相のワトバーン・イブラヒームに発砲,これを負傷させるという,一族内のスキャンダルが発生した.ウダイの行状は,これまでもさまざまなところで取り沙汰されている.
折しもアリー・ハサン国防相は,ドゥレイミ反乱の責任を取って辞任させられていた.
その裏では,政治的や心を高めるウダイが,伯父筋に当たるワトバーンやアリー・ハサンを追い落とし,政府要職を狙っていたのではないか,と囁かれていた.
そのことを最も恐れたのは,ウダイと並んでフセイン大統領後継者候補に名を連ねていた,大統領娘婿のフセイン・カーミル石油相(当時)である.次にウダイの標的になるのは自分か,との危機感から,95年8月,彼は突然,隣国ヨルダンに亡命する.
〔略〕
親族内の不協和音は,その後96年末に大統領長男のウダイが暗殺未遂事件に遭い,下半身に障害を残して事実上,後継争いから脱落した,という事態にまで発展したが,そのピークを越えると,フセイン政権は安定を取り戻した.フセイン親族内では次男のクサイしか実質的な後継者はいないということで,混乱は落ち着いたのである」
フセイン政権下でもシーア派の宗教対立があったとされる情報もある.
「イラクのシーア派は,外見は一枚岩のようでも,内部では金と権力,名声をめぐって憎悪と敵対心が渦巻いている.暫定政権の樹立プロセスに直接選挙を含めるべきだと唱えてアメリカを困らせているアリ・シスタニ師(73)でさえ,絶対的な権力はもっていない.
ナジャフでは,彼を含む4人の大アヤトラ(最高位のイスラム聖職者)が権力を分け合っている.シスタニ以外の3人は,宗教の政治的役割を限定的なものにとどめようと考えているようだ.
有力なシーア派指導者の一部は,こうした考えに強く反対している.とくに強硬なのが,若い聖職者ムクタダ・アル・サドルだ.彼は民兵組織「マハディ軍」を擁し,反米感情をあおる説教をナジャフ近郊で行っている.
サドル派とシスタニ派は,何年も前から反目し合ってきた.
ハキム家とサドル家はともにイラクのシーア派の名門だが,フセイン政権時代,ハキム兄弟はイランに逃れた.サドル家はイラクに残り,サドルの父ムハンマド・サーディク・アル・サドルは,ナジャフの宗教学校の運営に携わった.
そのため,サドル家はハキム家を「イランの犬」と非難.逆に,ハキム家はサドル家を「バース党の犬」と呼んでいる.
99年,フセインを批判したサドルの父は,銃撃を受けて死亡.フセイン政権の崩壊後,息子が勢力を盛り返した」
(ニューズウィーク日本版 2003年12月17日号 P.38 抜粋要約)
ちなみに,以下の論法と,上の珍説がそっくりなのが,興味深いところである.
「北朝鮮系新聞平壌支局長が初激白!」
ナレーション(以下ナ):北朝鮮系の在日コリアンの団体,朝鮮総連.その機関紙を発行しているのが,ここ朝鮮新報社だ.今回日本のテレビ局として初めて社内にテレビが入った.
(朝鮮新報社の編集部に入る山本,対応する朝鮮新報社崔寛益編集局長)
山本「意外と数が少ないですね.記者さん」
崔 「記者は35〜36人しかいませんので,まぁ,精鋭部隊でやっています」
山本「じゃあ,往年は,盛んな時は,じゃ,きっと」
崔 「いや,もう,全部で250〜260人いた時がありましたけど,記者だけでも百何十人いた時代もありました」
ナ:文聖姫(ムン・ソンヒ)記者.平壌での取材の経験もある記者歴20年のベテラン.
2002年9月そんな彼女を揺るがす衝撃的な事件が起こった.
(金正日総書記 拉致を認める)のインサート
文 「やはり頭が真っ白になりましたね.他は何も考えられなかったですね」
山本「拉致問題はありえなかったことだと,固く信じていらっしゃいました」
文 「ええ,信じてました.でぇー,それで,まぁ,そういう署名記事も何度か書かせていただきましたし」
ナ:彼女は朝鮮新報60年の歴史の中でも,極めて異例と言われる自己批判記事を書いた
「朝鮮新報」2002年9月25日 の記事のフレームアップ
(記事のアップの内容) 祖国の発表を信頼して報道してきたとはいえ,「拉致はねつ造」と書いてきた記者としての責任を痛感している.
文 「怒りのFAX,メール,電話を連日のように頂きました.もう同胞達もどこに怒りを向けていいのかっていうのがあったと思うのですね.変な話,日本の方に向けるわけにもいかない」
ナ:しかし,朝鮮新報の紙面は日本に対し厳しい.
平壌から記事を送り続けてきた金志永(キム・ジヨン)平壌支局長は先月日本に帰国.初めて日本のメディアの取材に応じた.
山本「この拉致問題というのは,解決する為には何が必要だと思われますか?」
金 「これは平壌側から言う問題ではないと思うんですよね.感情のもつれというのは,やはりね,人間同士で会ってしないと一方的な宣言だけでは駄目なわけなんですよ」
ナ:金支局長は朝鮮大学校を卒業後,朝鮮新報社に入社.13年間平壌特派員を経験.現地の実情に精通する記者の一人だ.
(テロップ) 金志永(キム・ジヨン)平壌支局長(39)在日3世朝鮮大学校政治経済学部卒
山本「平壌で取材上の制限とか,金記者にもあるのですか?」
金 「当然,どの国の記者でも出来ない取材はありますよね.それと同じのが適応されると考えればいいと思います.」
山本「ほとんどの人達が独裁体制だという風に北朝鮮を見ていますよね.」
金 「その独裁うんぬんというのは外のものさしで計っているものであって,実際にあそこに住んでいる人達は独裁という表現はつかっていませんよ.
朝鮮人ほど団結が難しい民族はないと僕は思いますよ.まとまらない.
だからこれをどう束ねるかという発想でずっとやってきたのが共和国です.
全体的に,そのいわゆる北朝鮮情報は映像先行なんですよ.説明背景が何もないんですよね」
(北朝鮮とおぼしき映像のインサート←これを見た金氏の説明なのかは不明)
「あれが,本当に国内なのか,場所が.記者や同胞もあれ,全員,何故バッジがないんだなんて話はしますよ」
「ワイド!スクランブル 水曜 山本晋也コーナー」
2005.7.13 12:16ころから12:36ころまで
+
【質問】
よくそんだけの犠牲者で押さえ込んでるなとしか思えんが。
「反乱自体は数日で鎮圧され」たり、親族同士の権力争いくらいのもんでしょ。
全く平和な国家なら誰も苦労しないわけで。
正直、イラクの現状みてもフセインに治めさせといたほうが良かったと思うが?
【回答】
数日で鎮圧された反乱ってのはドゥレイミ反乱で、
「同じようにこれまで軍を任せていたジュブーリやシャンマルなどの同盟部族もまた,相前後して反旗を翻した」
という後段もあるんだが。
親族同士の内紛は「忠誠ネットワークの崩壊の崩壊」の1例。
重要なのはこの「この忠誠ネットワークの崩壊」そのものだと思うが?
それに宗教対立は無視かい?
それにまた,「そんだけの犠牲で済んでいる」というが,そんだけの犠牲で済ますために,絶えず秘密警察の留置場を満員にしていたことを忘れてもらっても困るな.犠牲者のトータルで言えば,さほど変わらないだろう.
だいたい,イランイラク戦争にしろ湾岸戦争にしろ、内政の矛盾を外にそらす形で起きた戦争なんだが。
その間にも、例えばクウェイトとの間では散々ゴタゴタしていて、紛争防止のため、アラブ合同軍が両国国境に展開していたなんてこともある。
そこから考えても、フセインが突然リベラルな改革派になるという奇跡でも起こらない限り、イラクとその周辺はゴタゴタし続けただろう。
また、北朝鮮との契約一つとってみても、NBC兵器開発の意欲自体はあったわけだから,そのゴタゴタの過程でNBC兵器が使われていた可能性は決して低くなかっただろうね。
アメリカ軍の統治があまりにヘタクソなことと、フセイン自体の評価は、混同して考えないほうがいいぜ。
【質問】
宗教対立はわかるが、フセインじゃなければ宗教対立なくなるのか?
フセイン以外だと、そんなに簡単に収まる国なの?
【回答】
少なくとも、フセインに治めさせるより公平だろうね。
「フセイン以外だと簡単に収まるか」はやってみないとわからないが、現在は宗教に関しては成功しつつあるよ。これは間違いなく言える。
宗教対立はフセイン登場以前はそんなに酷いものではなかったんだ。
バース党が政権を取る前の歴史を調べてみなよ。
なぜ殺し合うまでひどくなったかと言えば、フセインの少数優遇政策で、少数スンニを優遇して多数派シーアを冷遇したからさ。
サマーワに自衛隊が派遣されるべきかどうかの議論の頃にも、シーア派の都市であるサマーワのインフラ整備冷遇ぶりが紹介されていたはずだがな。
【珍説】
フセインは中東の優等生と言われ、西洋かぶれと言われる程の近代化推進者ではないか!
(小林よしのり from SAPIO 2003/4/23, P.58)
【事実】
これまでの小林自身の主張と矛盾も甚だしい.
フセインのバース党は、小林(シャオリン)主席の嫌いなフランス系社会主義革命思想です。フセインが作った大学二つの内一つがイラクで最も左翼的な所で、バース党のシンパが多かった。
バース主義というのは、フランス留学から帰ったアラブ人が,あちらの社会主義的革命思想を学び、政治から宗教はむしろ離して、アラブ全体をそのような政治携帯にする、というタテマエです(手元に資料がないから細かい所はカンベン)
じゃあ何で小林は,タリバーン等の思想とは完全に矛盾するタテマエなのに連帯するのか? 反米反イスラエルという共通項があれば,それが小林にとっては「大義」だという事でしょう。
また,石油利益バラ播き政治がフセイン政権の権力の源泉であったことは,酒井啓子『イラクとアメリカ』(岩波新書)に詳細に述べられている.バラ播き政治が結果として近代化に繋がったというだけの話を指して,
「フセインは偉かった」
と言えるものなのかどうか.
そしてそれによれば,多数派シーア派に比較して少数派スンニー派を優遇するなど,扱いに大きな差があったわけだが,冷遇された人々のことは黙殺かね?
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
サダム・フセインのイラクは,ユネスコに表彰されるほどの教育立国だった.
小林よしのり from SAPIO 2003/6/11号,p.59他
【ツッコミ】
これ,実はそれほど誉められた話ではありません.
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/20030506.html
より引用.
なんでも,聞くところによると,70年代にUNESC0の認定で,当時のイラクは中東でも屈指の教育水準にあったらしいのですが,それはサッダーム・フセインが,学校に子供を行かせない親を投獄したりする厳罰主義を採った結果,識字率が大幅に改善されたからだそうです.
逆に言えば,サッダーム・フセインの下では自由なカリキュラムを作ることは許されていなかったのです.
帰り際に,一人の品の良い薄化粧をした女性がツカツカとやってきて,井ノ上書記官に早口のアラビア語で何やら訴えています.
井ノ上書記官に訊いてみたら,
「治安も,電気も,水もまだ充分じゃないけど,サッダーム・フセインがいなくなって本当に良かった.
これだけは言いたかった」
と語ったそうです.
そして帰りがけに私の方をみて,"Sadaam, very bad!"といって立ち去っていきました.
プロパガンダに乗せられて無闇にフセインを持ち上げるのは,プロパガンダに乗せられて無闇にフセインを全否定しようとするのと同様,避けたいところです.
【珍説】
クルド人はトルコからもイランからも、周辺諸国から弾圧されているが、イラクは自治権を与えていたではないか!(図にイラク内のクルド自治区)
(小林よしのり from SAPIO 2003/423, P.58)
【事実】
「イラクがクルド人に優しかった」って・・・・絶句モンだな。
自治区? 「おまえらのいてよい場所はココ」って程度のモン。
確かにクルド人はそこらの国で弾圧されていたが、毒ガス使って殺したのはイラクぐらいだろう。オウムで毒ガスで殺されかけたと自称してるんなら、毒ガスの歴史をちょっとは調べてると思うが。
あまり知られてないけど、湾岸戦争終結後、国内では航空機が比較的自由に使えたので,それをチャンスとクルドをヘリ等使用して叩いた。
これは終結後,
「非軍事目的の物資輸送等のために、ヘリだけは許可してくれ」
というのを米側が許したという迂闊さも有るだろうが(レーダーで回転翼と固定翼は容易に区別が付く).
これについて、フセイン政権自体の崩壊は望まない(これ自体は当時は当然だろう)米が、クルドを攻撃するのを予想した上で許可した、という説も有るが、個人的には有りうると考える。
【珍説】
「国民」ができるまでは,日本でも,血を流し合う凄惨な時代があったではないか.
織田信長なんて,政教分離のために平然と女・子供まで虐殺した
その近代合理主義において,フセインと近いじゃないか.
(小林よしのり from "SAPIO" 2003/6/11, p.60)
【事実】
当時の時代背景はまさにやるかやられるか。時代背景が違う。
でも、織田信長がどうこうとか関係ないよ。そんなことは問題じゃない。
また、独裁者だから絶対に悪だとも言っていない。
フセインが国民をいじめてきた虐殺者だということだよ。
なんでそれをマンセーするわけ、小林は???
「米国もむかつくがフセインも同じくらいむかつく」
とかいうんならまだしも、反米のあまりにフセインマンセーなんて、自分を見失っているとしか思えない。
それにしても,織田信長の虐殺が「政教分離のため」だった,など初耳ですな.
とても興味深い親切ですので,学会で発表なさってはいかがですか?
運が良ければ,「ムー」ぐらいは興味を持ってくれるかもしれませんよ.
長島一向一揆に対する虐殺も,比叡山焼き討ちも,公然たる敵対勢力に対する攻撃であり,「政教分離」その他の宗教政策の産物ではありません.
信長が政教分離を指向したというのは一般の小説ビジネス書向きではありますが、信長は当時のインテリである僧侶に意見を求めることもありますし、安土宗論等では寺社勢力を政権運用で利用しております。寺社勢力が、見返り無しに信長に協力するとは考えにくいですね。
信長は,小説などでイメージされているような独裁者ではありませんから。
それにサダム・フセインは,政教分離のために政治犯で刑務所をいっぱいにしたり,クルド人を虐殺したわけではありません.政権を維持するためです.
2003/05/29,NHKで、フセイン政権で行方不明になった人二十万人の話やってた。
イラクに帰ってきた人が処刑名簿で家族見付けて泣いてたよ。
小林はこれを近代化した政権だと誉めあげていやがった。しかも、歴史が持続してる保守政権だとよ。
くそが.
【珍説】
バース党のバースはアラブ語で「復興」という意味です.アラブの伝統,6000年前のチグリス・ユーフラテス河のほとりで生まれたイラク文明の伝統を復興させながら,統一国家として近代化を進めようとしているのがバース党です.イラク近代化をめざす勢力がバース党に集中し,対抗できる政党が生まれていないことは事実ですが,最近では複数政党制をめざす動きもあるし,メディア規制の緩和の兆しもある.イラク内部にはフセイン大統領が嫌いな人々もいるし,亡命者もいる.しかし,一方でフセイン大統領を信任するかしないかの国民投票をすると,ほとんど100%の信任票が出ます.今のイラクは国難と言える状況にあるが,その中で国民が一致団結するとなると,フセイン大統領とバース党に結集するしかない.(阿部政雄)
【事実】
フセインが,限定的ではあるが「政治的自由化」推進の試みをしたのは,
・ソ連でグラスノスチ,ペレストレイカが始まったことの影響
・イラン・イラク戦後,大量の兵士が社会に帰還したが,その就職先がなく,多くのエジプト人出稼ぎ労働者が「自らの居場所を奪う者」として襲われるなどの社会不安が増したため
・長男ウダイのスキャンダル
を鑑みて,「現体制を維持しつつ,限定的な民主化によって国民の不満のガス抜きを行う」(酒井啓子『イラクとアメリカ』岩波新書)ためだったと推定されている.
以下引用.
政府がとりわけ強調したのは『情報公開』である.フセインは自ら『恐れることなくペンを取れ』と述べ,各メディアに投書欄を充実させるように命じた.だが,そこに寄せられる政府批判は,予想外に手厳しいものだった.
むろん,『国民からの苦情』は,フセイン大統領自身に対してでなく,むしろ官僚批判の形で各省庁が矢面に立つよう操作された.
だが,給与格差やインフレ,失業や戦後復興の遅れ,医療福祉行政の遅れなど,ありとあらゆる分野に苦情が殺到し,それに対して政府が根本的に対応できないことが明らかになってくると,『ガス抜き』とばかり言っていられなくなる.
〔略〕
だが,僅かな情報公開でも薮蛇となって体制崩壊に繋がりかねない,との懸念を政権に抱かせたのは,89年の東欧での情勢であった.おりしも東欧で吹き荒れる『民主化』の嵐は,ルーマニアで,チャウシェスク大統領に対する大衆の独裁批判の噴出と大統領の惨殺という,衝撃的な先例を生んだ.フセインとチャウシェスクとは,「非同盟諸国会議機構」の中心的指導者として親しい関係を維持してきた過去がある.
これを機に,政治改革の動きは一機に減速し,『民主化』は頓挫した.『民主的』システムを漏り込むはずの新憲法草案は,イラク軍がクウェイトに軍事侵攻する2日前に公表され,その後,国会などでの議論にかけられる予定,と発表された.いったん解き放たれて膨れ上がった国民の『民主化』への期待に対し,政府は十分応えることができない.限定された『上からの民主化』しか準備できない状況にあったからこそ,政権は国民のその不満をそらすために,この時期にクウェイトへの軍事行動を実施したのではないか.そう後に噂されるほどのタイミングであった.
(酒井啓子『イラクとアメリカ』岩波新書)
信任100%などという数字に至っては,そんな数字が信用できないことは,そのような数字が出るのは歴史的に見て,北朝鮮などの徹底した恐怖政治支配の他にないことから明らか.
そのような数字を真に受ける人間は,どうかしている.
ちなみに,サダム・フセインが米軍に拘束された後の12/15-21の間に,バグダッドの民間調査機関「イラク戦略研究センター」が,イラク国内主要8都市で,18歳以上の国民千人を対象に実施された意識調査では,以下のような結果となっている.
フセイン拘束についての感想は?
「とても嬉しくて安心した」 59%
「驚き,衝撃を受けた」 20%
「悲しかった」 16%
「関心がない」 5%
フセインの処遇について望むのは?
「死刑」 56%
「投獄」 25%
「赦免」 19%
(読売新聞 '03 Dec. 29)
【珍説】
台湾が蒋介石の独裁政権から,蒋経国を経て,ついに李登輝で民主化を達成したように,イラクも自力で変化してゆける可能性があったのではないか?
(小林よしのり from SAPIO 2003/4/23, P.59)
【事実】
「可能性」だけを取り沙汰するなら,北韓だって中国だって,その可能性はゼロではない.
しかし,秘密警察の監視網が張り巡らされているイラクにおいては,上述のようにそれは難しいし,民主化するより先にサダム・フセインがWMDを開発する可能性のほうが高いし,一旦そうなってしまえば,現在の北韓がそうであるように,扱いに非常に苦慮する結果となる.
アメリカは,そんな事態を座視できなかった,というだけのこと.
イラクの民主化云々は,アメリカ産のプロパガンダで,開戦の本質とは関係ないよ.
+
【質問】
1980年夏のイラクにおけるシーア派大量追放は,どのように行われたのか?
【回答】
真夜中に家族ごと国境に連行され,追放されたという.
その数は4万から5万に達した.
以下引用.
1980年夏のある夜,バグダッドのイラン系シーア派の人々の家を秘密警察のメンバーが密かに訪れ,一家を連れ去ったという.
一家はトラックに乗せられ,そのままイラク国境外に追放された.その数は4万から5万にも達したといわれる.イラクに住むイラン系の人々の半分に当たる数であった.
フセイン政権はこれらイラン系住民に対して
「国を出てゆくか,それとも共に戦うか」
と呼びかけていた.
こうした人々の存在が混乱の引き金になることを恐れた現政権は,強制措置に踏み切ったのである.
バグダッドの外交筋は
「借りているアパートの家主にアパート代を支払いに行ったら,家主の所在は分からず,警察官が1人主のいない家を守っていた.
以後誰に代金を払うべきか途方に暮れている」
と,決して笑えない話を語った.
佐藤健爾 from 「危機の三日月地帯を行く」
(日本放送出版協会,1981/4/20),p.101-102
イラン・イラク戦争前に,イランに味方しそうにフセインには思えた人々を,あらかじめ予防的に追放した模様.
「イラクは独裁者でなければ統治できなかった」
などと奇妙なサダム・フセイン擁護をしている連中をときおり見かけるが,サダムの「統治」の内実はこんなもの.
【質問】
バゾフト事件とは?
【回答】
英紙「オブザーバー」記者ファルザド・バゾフトがスパイ容疑で処刑された事件.
イラン生まれのバゾフトは,1989年9月,イラクの火薬工場爆発事件を取材中,スパイ容疑で逮捕され,英国の助命要請にも関わらず,1990年3月,死刑判決が革命裁判所で下され,その数日後に死刑執行された.
革命裁判所は,裁判官は全員バース党員で構成され,革命後のイラクにあって20年あまりも政治犯らを「密室審理」で裁いて来た.
1991/5/20,民主化のポーズを取るフセイン大統領により廃止.
刑執行は湾岸戦争の5ヶ月前であり,これが欧米の「イラク憎し」の気持ちを煽ったことは否めない.
詳しくは布施広著『アラブの怨念』(新潮文庫,2001/12/1),P.218を参照されたし.
【質問】
Who is UGLA ABID SAQR AL-KUBAYSI ?
【回答】
Ba'th Party Regional
Chairman for Maysan
Governorate
He surrendered to U.S. forces on May 19,
2003.
【質問】
Who is SAYF AL-DIN AL-MASHHADANI?
【回答】
Sayf al-Din al-Mashhadani was the Ba’ath
Party Regional Chairman for the al-Muthanna
district under Saddam Hussein's regime.
He was captured by coalition forces on May
24, 2003.
◆◆湾岸戦争
◆◆戦間期
【珍説】
アメリカ主導の経済制裁で数十万人のイラク人が死んでる.これは許されてはならないことだ.
【事実】
独立国を侵略して大規模な環境破壊(油田火災,原油流出)を招いておきながら,のうのうと最高指導者がその座に居座っているんだから,何らかの制裁を与えられて当たり前.
それに対イラク経済制裁は,国際連合の決議で決まっていること.
それに対して異を唱えるなら,国際政治を否定していることになる.
また,経済制裁で医薬品の不足を招き,赤ん坊が死んでいると,アメリカを非難する人々は,赤ん坊が死んでいるのを横目に,軍事力増強に邁進するイラク政府を非難することがないのも,非常に不可解と言わざるを得ない.
さらにフセイン自身は,イラクの飢えた子供の救済に使われるとされていた「食料のための石油輸出計画」を悪用,私腹を肥やしていたことが明るみになりつつある.赤ん坊を飢え死にさせておいて私腹を肥やしている独裁者こそ,まず最初に非難されるべきではないのか?
【質問】
モサドによって暗殺されたと言われている,カナダ人の弾道学者ジェラルド・ブルのスーパーガン構想とは,どのようなものだったのですか?
【回答】
多薬室砲もしくはムカデ砲と呼ばれるもの。
枝のように突き出した多数の薬室で火薬を順次爆発させて,長大な砲身から砲弾を撃ち出す。
メリットは
1)砲弾の初速を早くできるので長大な射程が得られる。
2)砲身内の圧力が通常の火砲に比べると低いので砲身と砲弾の強度が高くなくても済む。
デメリットは
1)構造が巨大になるので移動が困難というか不可能。
2)命中精度が低い。
同じものを,ドイツ軍がV3号という名称で第二次世界大戦に製造した.これはドーバー海峡を越えた英本土砲撃用だった。

◆◆◆ORF疑惑
【質問】
イラクの飢えた子供の救済に使われるとされていた「食料のための石油輸出計画」で,どんな不正が行われたか?
【回答】
フセインは、石油なしではやっていけない世界の国々の弱みにつけ込み、湾岸戦争後に科された経済制裁をかいくぐり,賄賂資金数十億ドルを得た.
それをもって政権基盤を強化し,各国政治家などへの買収工作を行ったたとされる.
ロシア人実業家のガジ・ルグエフは、ウダイ・フセインと初めて会ったときのことを鮮明に記憶している。
イラクのサダム・フセイン大統領の長男ウダイが、バグダッドでルグエフと会ってくれることになったのは、昨年前半のこと。儲かるビジネスの話があるという。
当初、ルグエフは警戒した。ウダイの冷酷さを聞いていたからだ。試合に負けたサッカー選手を拷問したとか、気晴らしに女性をレイプしたといった噂をルグエフは耳にしていた。
午前3時にウダイの宮殿で会おうというのも、妙な話だった。
だがルグエフは、金儲けのチャンスを捨てるような男ではなかった。モスクワではウオツカの瓶詰め工場を経営し、荒っぽい酒のビジネスで成功した。犯罪組織に牛耳られていたモスクワの食料市場の運営に手を貸したこともある。
ウダイは宮殿を訪れたルグエフを歓迎し、高級車や珍しいコニャックのコレクションを披露。その後で、金儲けの話になった。
イラク政府は、原油を市場価格を下回る値段でルグエフに提供する用意がある。その原油を買値以上の値段で大手石油会社に売れば、利ざやを稼げるというわけだ。
欧米諸国は見て見ぬふり
しかも、この取引に違法な点はない。国連の「食料のための石油輸出計画」に基づく契約になるからだ。食料と医薬品を購入するための原油輸出は許されている。
ルグエフが払う原油の代金は国連管理下の銀行口座に蓄えられ、イラクの飢えた子供の救済に使われることになる。「子供達を救わなくては」と、ウダイは作り笑いを浮かべて語ったという。
もちろん、この取引には裏があった。フセイン父子に利益の分け前を提供する必要があるのだ。
イラク政府当局者はルグエフに、ヨルダンにある秘密の銀行口座に原油出荷手数料として6万ドルを送金するよう要求。イラクから原油を購入する場合は、誰でも売買契約1件ごとに同様の手数料を払うことになっている。
「それが、われわれのやり方だ」
と、イラク当局者は言った。そこでルグエフは6万ドルを送金し、連絡を待った。
だが、出荷の通知は来なかった。ルグエフによれば、イラク当局者は最初、彼の分の出荷が遅れていると言った。ルグエフが苦情を申し立てると、イラク政府は契約を破棄。しかも、6万ドルの返却に応じなかった。
ルグエフは激怒した。
「連中は、なんでも望みどおりになると考えているんだろう」
彼は仕返しをしようと決断。自分がかかわったイラクの悪事を暴くことにした。
ルグエフは10月、国連に正式な書面を提出した。本誌が入手したその文書には、イラクとのヤミ取引が詳しく記されている。
ルグエフの訴えは、フセインが石油を利用して悪事を働いているのではないかという疑惑を初めて公のものにした。フセインは、石油なしではやっていけない世界の国々の弱みにつけ込んで、湾岸戦争後に科された経済制裁をかいくぐり、政権基盤を強化したらしい。
イラク側は、ルグエフの主張は「誤り」だと主張。ただし、6万ドルの返却には応じるという。
現在、この疑惑を調査している国連職員は、ルグエフの告発に驚かなかったはずだ。フセインが「食料のための石油輸出計画」を悪用して不正な金を得ていたことは、何年も前から公然の秘密だった。CIA(Central Intelligence Agency:米中央情報局)は、この金が兵器開発に使われたとみている。
米政府によると、97年以来イラクが原油輸出契約にからむリベートとして受け取った金は推定23億ドル以上にのぼる。だが、疑惑を立証することはむずかしく、これまでフセインを密告するほど向こう見ずな人物はいなかった。
欧米諸国は、この件について見て見ぬふりをしていたようだ。その理由の一つとして、イラクの原油輸出が原油価格の安定に役立つという点があげられる。
原油埋蔵量は世界2位
だが、このまま知らん顔を続けることはできない。国連における対イラク決議案をめぐる論争でも、世界第2の埋蔵量を誇るイラクの原油は重要な問題になっている。
アラブ諸国だけでなく、アメリカの同盟国の一部は、アメリカのフセイン打倒の目的はイラクの豊富な原油を支配することだと信じている。とくに、石油ビジネスでイラクと良好な関係にあるロシアとフランスは、アメリカ主導のイラク攻撃に批判的だ。
だが、米ブッシュ政権の支持者のなかには、ルグエフの告発どおりフセインが国連の制裁を無視しているなら、不正な資金入手と大量破壊兵器の開発を止めるには戦争しかないと主張する人もいる。
「国連は、腐敗と無能という二つの理由でこの問題を解決できないだろう」と、米国防総省の対イラク政策顧問リチャード・パールは言う。
フセインも、原油輸出による不正な資金入手が「アメリカの侵略行為の犠牲者」を装う自らの努力にはマイナスになると悟ったようだ。イラク攻撃開始の機運が高まった9月、イラクはリベートの要求をぴたりとやめている。
フセインは、どのような経緯でリベートを得られるようになったのか。「食料のための石油輸出計画」が始まったのは96年。当時、湾岸戦争後の厳しい経済制裁がイラク国民に耐乏生活を強いるようになっていた。多くの人々が栄養失調に苦しみ、医薬品は不足していた。
国連の「石油輸出計画」はフセインの私腹を肥やすことなく、イラク国民の危機を救う方法になるはずだった。イラクは国連の特別委員会の監視下で、半年ごとに20億ドル相当の原油輸出を許された。
原油輸出で得た利益で食料などを購入する場合は、国連の承認が必要だ。購入した食料や物資は、検査を受けなければ国内に持ち込めなかった。
だが国連の計画には、欠点があった。その一つが、フセインが原油の売却先を選べたことだ。当然ながらフセインは、原油1バレル当たり30〜50セントのリベートを払うことに同意した企業を優遇した。
リベートは、現金とはかぎらない。契約の獲得をねらっていたある企業は、44万ドルのロールスロイスと特大のダイヤモンドをフセインの長男ウダイに贈った。
「食料のための石油輸出計画」の欠点はもう一つある。国連はフセインに、市場価格より安く原油を売るよう命じた。人道支援を目的とする計画から、フセインが不当な利益を得るのを防ぐためだ。
だが、これが意図とは正反対の結果を招いた。あまりに価格が安いため、イラクとの取引をねらう企業からすれば、リベートを払っても十分に利益が出る。イラクの原油が市場価格と同じなら、買い手もフセインのリベート要求を相手にしなかっただろう。
その後、国連はイラクの原油輸出枠を徐々に拡大し、ついには制限を撤廃した。アメリカの統計によれば、フセインは96年以降、「石油輸出計画」を通じて500億ドル相当以上の原油を輸出。その利益で、約250億ドル相当の食料や物資を購入した。
同時期に、イラクの石油利権をねらう企業がスイスやリヒテンシュタインに何十社も設立された。これらの国の銀行は秘密厳守がモットーなので、取引の背後にいる人物や資金の流れを突き止めるのがむずかしい。
軍事関連装置も密輸?
アメリカの石油会社は、フセインへのリベートは拒否した。その代わり、ルグエフのようなブローカーを通して原油を買い入れ、彼らにリベートを支払わせた。
リヒテンシュタインだけでも10社ほどの企業が設立され、推定10億ドル程度の取引を行っている。だが最近、この問題に神経をとがらせる当局が、イラクとの取引を停止するよう企業に命じた。
フセインが「石油輸出計画」によって得たのはリベートだけではないらしい。国連職員によれば、フセインはこの計画を利用し、工業・軍事関連の装置の密輸入を行った可能性がある。
「(食料のための石油輸出)計画により莫大な量の物資がイラクに渡った」と、ある国連職員は語る。「荷物の中身がすべて申請どおりかどうか、確信がもてない」
国連職員がフセインの策略を知らなかったわけではない。「石油取引で、イラクがリベートを要求していたことなど前からわかっていた」と、ある職員は明言する。
だが彼らによると、それを阻止しようという国は、なかなか現れなかった。
イラクが国連の兵器査察団を国外追放した98年、アメリカは国連に対し、イラクの原油価格を市場水準に合わせるよう説得を試みた。だが、安保理のメンバーの賛同を得られなかった。
イラク原油の大きな魔力
「フランスやロシアなど一部の国は、イラクの石油の権益と強く結びついている」と、ある国連職員は言う。
安価な石油の恩恵を受けているのは、フランスとロシアだけではなかった。イラクが日々輸出する原油の30〜50%はアメリカ向けだ。これはアメリカ国内の石油消費量の約8%にあたる。
ビル・クリントン前米大統領はフセインの不正をほとんど放置した。ブッシュ政権も当初は問題視していなかったが、昨年の同時多発テロ後にイラク攻撃を唱えるようになってから、態度を変えた。
今年に入り、アメリカは国連を説き伏せ、イラク産原油の価格設定方法を変更させることに成功した。今後、イラクが取引相手からリベートを求めることはむずかしくなるはずだ。
だが、すでにフセインは、銀行に莫大な資金をため込んでいるはずだ。当分、金に困ることはないだろう。
マーク・ホーゼンボール from "Newsweek"
Hussein's Regime Skimmed Billions From Aid
Program
サダムは国連の「オイル・フォー・フード」計画を悪用して数十億ドルの賄賂取得
NYTの独自取材記事らしもので、悪名高い国連の「オイル・フォー・フード」計画を悪用してサダムが10%(以上)のサーチャージをせしめていたらすい、というもの。
この国連計画は杜撰で(あるいは意図的に抜け穴が準備されていたので)WSJが書いていたような各国要人への賄賂に利用されていたが、サダムのポケットマネーの製造にも使われたことになる。
このNYT記事の根拠はイラク暫定政権から入手した石油取引の会計記録だと書いている。
記事はたいへん詳しい(5ページある!)もの。改めて国連の「人道支援」のいい加減さというか,伏魔殿ぶりがわかる。
http://www.nytimes.com/2004/02/29/international/middleeast/29FOOD.html?pagewanted=1&hp
(極東ニュース板)
Volcker's U.N. Cleanup
ボルカー前ERB議長による、国連の大掃除
国連のオイル・フォー・フード・スキャンダルの解明のために、ボルカー前FRB議長が任命されたわけだが、コフィ・アナン国連事務総長がボルカーに就任以来をしたのは実際には2週間前のことだった。
何故そんなに時間がかかったのかといえば、調査委員会の捜査に協力を約束させるための国連安全保障委員会の決議を渋る国があったからで、そうしたフレーム・ワークなしに高名なボルカー前議長を担ぎ出しても意味はない、と英米がアナン総長に圧力をかけたからである。
アナン事務総長は最終的に英米の主張を認めたのだが、ロシアの国連大使はそうした安保理議決に反対しており,
「調査委員会には賛成するが,新たな安保理決議が必要とは思わない」
といっている.
サダムの石油ビジネスの最良のパートナーの言として、ロシアの言い分は良く理解できる。
フランスは安保理決議について特に発言していないが、その胸のうちは容易に想像できる。
フィナンシャルタイムズ記事によれば先週、Shakir al-Khafajiがサダムの石油賄賂を受け取ったことを認めた。彼は前のWMD調査官Scott Ritterに資金援助し、サダム擁護のドキュメンタリーを作らせた。さらに反戦派議員への献金も行っている。
この繋がりについて,議会での調査委員会の聞き取りが予定されている。
国連の人道支援プログラムが各国の政治家への賄賂に利用されたのは,国連の歴史を汚す一大事であるし、この事件はサダム拘束後とはいえおろそかに出来ないものである。
それはイラクの現状を見ても,破産国再建のために国連の果たすべき役割が増大しているからである。
国連の権威を保つためにも,国連のプログラムの失敗を解明し,大掃除をして内部を清浄にしなければならない。
NYTのWILLIAM SAFIREは,この汚職事件で,特にこの計画の責任者、コフィ・アナンの任命した理事長補佐官のBenon Sevanが賄賂を受け取っていた疑惑について糾弾している。
WSも2004/3/18の社説において,この汚職と,それにほうかむりしている国連官僚を糾弾している.
同紙は,イラクで一般の庶民が食料や医薬品の欠乏にあえいでいた時期に、国連の高級官僚のSevanなどがサダムからの石油の賄賂を受け取っていた証拠がイラクで見つかったと書いている。
曰く,「コフィ・アナンは火曜日に疑惑調査の必要性を認める発言をしているので一歩前進だが、いまだに国連の態度は無責任。
国連はイラク国民のために各国の議論を集約して決議をきめ、政策を誠実に遂行すべきだが、国連参加国の外交官や国連官僚の為だけの組織になっている、という。
国連の権威と言うものがあるのであれば、それは効率性、効果性と共に汚職から潔白であることを自ら証明する義務をももつはずだ」云々.
【質問】
「イラク石油・食糧交換プログラム」を巡る不正疑惑にコフィ・アナン事務総長は関わっていたか?
【回答】
アナンの長男に不正報酬疑惑が浮上している.
アナン本人にも,汚職の疑惑会社との接点が浮上している.
勝田誠( from 読売新聞,2004/12/1)によれば,長男コジョ・アナン氏が,国連の指名で対イラク輸出入物資の船舶検査を担当していたスイスのコテクナ社から不透明な報酬を受け取っていた問題が浮上、コジョ氏が不正に関与していたのではないかとの疑惑が広がっている,という.
以下,同記事より引用.
国連事務局はこれまで、同社が国連と契約を結んだ直後の1999年にコジョ氏は同社を辞任しており、「疑惑とは無関係」と主張してきた。
しかし、今回、コジョ氏が同社から今年2月まで計12万5000ドル(約1300万円)のコンサルタント料を受け取っていた事実が発覚。国連側の主張が覆された。
アナン事務総長は
「独立した事業家である息子個人の問題」
としているが、米メディアは事務総長の引責辞任を要求するなど不信を強めている。
また,アナン自身,スイス系企業の幹部と3度にわたり面談している.
以下,引用.
アナン事務総長、イラク食糧支援汚職の疑惑会社との接点浮上
国連のアナン事務総長が、長男コジョ氏(31)が不明朗な報酬を受け取っていたことが明らかになっている
スイス系企業幹部と3度にわたり面談していたと、23日付英有力紙フィナンシャル・タイムズ(電子版)が報じた。
国連報道官も面談の事実を認めた。
この企業はイラクへの人道支援事業「石油と食料交換プログラム」に絡む不正疑惑で、国連の独立調査委員会(委員長、ボルカー前米連邦準備制度理事会議長)の調査対象となっている。
アナン氏と疑惑の会社との接点が初めて浮上したことで、アナン氏が窮地に追い込まれる可能性が出てきた。
フィナンシャル・タイムズがイタリア経済紙との合同調査結果として報じたところでは、アナン氏は妻とともに97年1月、コジョ氏が当時勤めていたスイス系企業「コテクナ」(ジュネーブ)の会長、社長夫妻と,世界経済フォーラムが開かれていたスイス・ダボスのホテルでお茶を飲んだ。
続いてアナン氏は98年9月、国連本部で同社社長と面談した。
その3カ月後、同社は国連の「石油と食料交換プログラム」で、イラク国民への食料や医薬品などの移送状況を確認する業務を委託された。
さらに同社社長は、99年1月、同社と国連の疑惑が報じられた後、ジュネーブでアナン氏にわびたという。
これについて国連報道官は「面談はコテクナの契約とは関係ない」と語った。
一方、同紙はコジョ氏が98年まで正社員として勤めた同社を退社後も、99年1月から04年2月まで、月額2500ドルずつ計17万5000ドルを得るなど、コジョ氏に渡った報酬はこれまで指摘されていた金額の2倍にあたる30万ドル以上になると指摘した。
国連の独立調査委は29日に2回目の調査報告書を公表する予定で、同紙の報道内容も含まれるとみられる。
なお,アナン自身は以下のように反論している.
国連で14日行われたセミナーでは、旧フセイン政権が不正に得た資金の大半は人道支援事業を通じたものではなく、石油の密輸による収入だったと指摘。
その上で
「米国と英国は密輸の監視役だった」
と述べ、両国政府にも責任があることを強調した。
事務総長が特定の国を名指しで批判するのは異例のことだ。
【質問】
石油食糧交換プログラムの不正により,フセイン政権はどれほどの資金を獲得したのか?
【回答】
米国議会の下院国際関係委員会公聴会では、2百億ドル近くとする見解が示されている。
同公聴会は「石油食糧交換プログラム=資金追跡」と題され、同委員会のヘンリー・ハイド委員長(共和党)が
「フセイン政権が一九九六年から二〇〇三年まで同プログラムを悪用し、石油を不正に売った資金で軍備増強を図るとともに国連安全保障理事会の常任理事国のフランス、ロシア、中国などの政治家、官僚を買収し、イラク制裁の骨抜き工作や米英両国による軍事圧力への妨害工作を展開した」
と述べる一方、同プログラム悪用を中心とする石油がらみの工作でフセイン政権が得た不正資金の総額はこれまで約百十億ドルとされていたが、実際には二百億ドル近い、と証言している。
公聴会ではイラクの大量破壊兵器開発についての米国政府による特別調査を実施した中央情報局(CIA)のチャールズ・ドルファー調査官が証言し、フセイン政権が同プログラムを利用し、国連やロシア、フランスの要人を味方につけようとする政治工作を進めたメカニズムを説明、とくに
「フセイン大統領が九八年に長距離弾道ミサイル開発計画を再開したのは同プログラムから巨額の資金が入ったためだった」
と報告した。
米国議会が十五日に開いた公聴会では,米国政府のフアンカルロス・ザラテ財務次官補が,フセイン政権が石油食糧交換プログラムから得て海外各国に隠した不正資金の追及状況について、フセイン政権への米英軍の攻撃が始まった昨年三月からの調査で、四十一カ国五百七十口座に総計二十七億ドルの資金があることを発見したと証言している。
証言によると、これら資金はフセイン元大統領の家族親類、知人、部下などの名義の口座にひそかに預けられ、うち日本では今年六月のイラク主権回復までに合計九千八百十万ドルが押収されて、イラクの国家資産として暫定政府に還元されたという。
【質問】
朴東宣(パク・ドンソン)とはどんな人物か?
【回答】
1970年代に米議会で繰り広げられた不法ロビー活動事件「コリアゲート」の主役といわれる人物.
2006/1/6,国連の対イラク石油・食糧計画不正事件に関連し,FBIによって逮捕された.
以下引用.
韓国人ロビイスト,米FBIに逮捕
1970年代に米議会で繰り広げられた不法ロビー活動事件「コリアゲート」の主役といわれる朴東宣(パク・ドンソン)氏(71)が,6日に国連の対イラク石油・食糧計画不正事件に関連して米ヒューストンで米連邦捜査局(FBI)によって逮捕された.
朴氏は国連の制裁を受けたサダム・フセイン政権下のイラクが条件付きで石油を輸出できるようにする国連の石油・食糧計画成功のため,1992年頃からイラクのために活動た.朴氏は200万ドル以上をイラクから受け取り,国連上層部に不法ロビー活動をした疑いなどで昨年4月起訴,指名手配されていた.
だが朴氏の側近の1人は,朴氏が米ヒューストンではなくメキシコで検挙されたと語っており,朴氏がメキシコで逮捕された後にある特別な手続きを経て米に身柄が移送された可能性を示唆した.
ニューヨークタイムズは,朴氏の検挙事実を発表したニューヨーク・マンハッタン検事のマイケル・ガルシア氏が朴氏の逮捕経緯について明らかにしていないと報じた.
同紙は朴氏が合法的に登録していない状態で外国の代理人として活動し,電信詐欺及び資金洗浄陰謀容疑を受けていると伝えている.
朴氏は9日ヒューストンの連邦判事から令状実質審査を受ける予定だ.
朴氏はイラクから少なくとも200万ドルをロビー資金として受け取り,国連上層部「管理」に一部使用,相当量の現金は外交行嚢(がいこうこうのう=外交パウチ,外交文書を送る特殊な封印袋)でニューヨークに移されたことが分かっている.
ロイター通信が検察当局の話として伝えたところによると,朴容疑者はイラク系米国人のビジネスマンと共謀し,本来なら国連の経済制裁下で石油を輸出できなかった旧政権の石油輸出の手助けを図ったという.
朴容疑者は,旧政権から少なくとも200万ドル(約2億3000万円)を受け取ったとして昨年,告発されていた.
朴容疑者は,北朝鮮問題を担当していたモーリス・ストロング国連事務総長特使との密接な関係も指摘され,同特使はこれが原因で昨年7月,失職している.
今回の逮捕容疑は,石油・食糧交換計画を進める過程で,朴容疑者が共謀者とともに,旧政権と国連官吏の会合をあっ旋し,見返りを受け取っていたとされるもの.
朴容疑者の直接の逮捕容疑は,届け出なしに米国でイラク政府の代理人を務めたことなど.匿名の「国連高官1号」と93年にこの高官のマンハッタンの自宅などで会合を重ねたほか,スイスのジュネーブでこの「高官1号」とイラク政府高官との会合を設定した,とされる.
米国の韓国大使館関係者は
「朴氏がメキシコでFBIメンバーらに逮捕され,ヒューストンに移されたならば,外国人を第3国で逮捕したもので,主権侵害をめぐる議論がありうる」
と指摘した.
〔略〕
朴氏は70年代半ば,朴正煕(パク・ジョンヒ)元政権のため米国の前職・現職議員32人に85万ドルの選挙資金を提供した「コリアゲート」の主役.
南鳧M(ナム・ジョンホ)特派員 from 中央日報 2006.01.08.18:50
【質問】
石油食料交換プログラム・スキャンダルに関し,国連に自浄能力は期待できるか?
【回答】
期待薄と見られる.
調査委の実地調査官である3人の内2人が,アナン事務総長の関与への調査が甘すぎるとして抗議辞任.
「実地調査でアナン事務総長の関与を示唆する情報を得ても調査委員会に無視された」
という.
詳しくは反MSMを参照されたし.